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幕末の武士は候文で会話してた???

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 22:24:57 ID:smsRCtkP0
今でも方言酷いとちんぷかんぷんだけど、TVもラジオもない時代だろ?

竜馬が土佐弁
桂が長州弁
西郷が土佐弁

でってなったら・・・もうお互い会話通じるわけねえじゃんw
おれが思うに当時は文語は日本中共通語だったわけじゃん?
会話もそのまま「〜なり」「〜たれば〜で候」とか文章そのまましゃべって会話してたんじゃないかな。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/27(火) 19:07:04 ID:pRnP38tO0
話し言葉と書き言葉が一致していなかったから、明治になって「言文一致」とか「口語文」とか
でてきたんじゃなかったっけ。
「方言が違えば話は通じなかった」というのも何かで読んだ気がする。
ソースはないが。
移動が可能な人たち(参勤交代で江戸へ行くような武士とか?)は
他の方言でもある程度聞き取れたんじゃないかな。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/28(水) 13:33:19 ID:wGLsasE70
文字通り当時は藩ごとに別々の国としての認識だったし
まあ交流が盛んな隣の藩はまだ良いとして2,3も離れた藩は異国と言う認識だからな。
まんま欧州の国々と同じような関係だ、欧州でも近場の国同士なら「たとえばイタリアとスペインとか」
ゆっくり話せばなんとか会話できるらしいからな。
まあ薩摩人と津軽人が会話するのはスペイン人とロシア人並みに意思疎通不可能だがw

4 :田中寛治:2010/07/28(水) 16:54:44 ID:db8IbFb/0
遅漏にて候(早漏)。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/28(水) 22:02:45 ID:9uzrcgaa0
No...No...

6 :田中寛治:2010/07/29(木) 11:25:39 ID:eh5c6paN0
「口答えするのはどこの馬鹿かと思えば、わしの末裔か・・・?」

中央情報センターのあの御方は屈辱に震えるのであった。


7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/29(木) 15:24:20 ID:+DeyrQlW0
候文でなく、狂言の言葉で会話していた。「〜でござる。」というステレオタイプなサムライ言葉。
これは、他国の武士と話すために共通の教養であった能狂言から狂言の言い回しを共通語としたもの。
国元ではもちろん方言で話していた。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/29(木) 22:45:19 ID:7WrpaV3x0
ござるよ。

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