【イリィ】松井茂記vs長谷部恭男 2【ラズ】
- 1 :法の下の名無し:04/12/03 21:11:05 ID:itUvGRdO
- 司法板から移転してきました
前スレ
【プロセス】松井茂記vs長谷部恭男【「切り札」】
http://school4.2ch.net/test/read.cgi/shihou/1086276254/
【憲法新潮流】阪本昌成&松井茂紀を語れ
http://school.2ch.net/test/read.cgi/shihou/1011943527/
☆憲法新潮流☆長谷部恭男&阪口正二郎を語れ
http://school.2ch.net/test/read.cgi/shihou/1019401800/
関連本などは>>2-10くらい
- 2 :法の下の名無し:04/12/03 22:29:22 ID:CSqKWtN+
- 2ゲット
- 3 :法の下の名無し:04/12/03 22:36:58 ID:sIB/z26V
- Raz?
- 4 :法の下の名無し:04/12/03 23:34:25 ID:D3A1yTVl
- 長谷部の勝ちでもう決まりなんじゃねーの。
- 5 :法の下の名無し:04/12/04 03:27:59 ID:ujfPxyZp
- 長谷部の本っておもしろいの?
松井のはわかりやすかったけど、いまいちって感じなんですけど
- 6 :法の下の名無し:04/12/04 06:33:59 ID:rErL7a3Y
- ここでも京大の馬車馬ども煽っていいですか?
- 7 :法の下の名無し:04/12/04 07:43:07 ID:0Ac/bp+7
- 松井
日本国憲法
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=31012588
アメリカ憲法入門
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=31362087
マスメディア法入門
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=31145552
情報公開法
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=31100605
長谷部
憲法
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=31356035
憲法と平和を問い直す
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=31359927
比較不能な価値の迷路
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=30636232
- 8 :法の下の名無し:04/12/04 07:44:03 ID:0Ac/bp+7
- 「そもそも,価値相対主義をとるとの松井教授の言明は,憲法典を超える
道徳的根拠への上訴を,自ら遮断する。彼の刺激的な議論が日本の司法審査に
関する妥当な議論として受け入れられるためには,日本国憲法がまず書き直される
必要があるのではないかとの疑念を,筆者は抱いている。」
長谷部恭男「政治取引のバザールと司法審査」『法律時報』67巻4号 pp.62-67
- 9 :法の下の名無し:04/12/04 07:44:44 ID:0Ac/bp+7
- 太鼓持ち批判
「長谷部教授は,このような考え方を斥けリベラリズムの政治理論を高く
評価されるが,そのいうリベラリズムが具体的に何を意味し(とりわけ,なぜ
そのリベラリズムがロールズ教授やドウォーキン教授の理論でなければならないのか),
なぜ日本国憲法の樹立した憲法原則の内容をそのようなリベラリズムの
政治理論の中に求めるべきか,その根拠を説明していないように思われる。」
松井茂記『二重の基準論』有斐閣
- 10 :法の下の名無し:04/12/04 07:46:15 ID:0Ac/bp+7
- 長谷部『憲法』第三版p.120
少なくとも,一定の事項については,たとえ公共の福祉に反する場合で
おいても,個人に自律的な決定権を人権の行使として保障すべきである。
いいかえれば,人権に,公共の福祉という根拠に基づく国家の権威要求を
覆す「切り札」としての意義を認めるべきである。
松井『日本国憲法』第二版
基本的人権を自律に基づく「切り札としての人権と,社会的利益のために
認められる権利に分ける見解がある。この見解によれば,その人の生き様の
価値を否定するような政府の行為はまさに切り札としての人権を侵害するもので
一切許されないとするが,それ以外の権利の場合には社会的利益の実現の
ために制約を認める。しかし,このような切り札としての権利が問題とされる
事例はほとんどなく,さまざまな権利の制約の中でこのような制約だけを
特別に問題とすべき理由はないように思われる。
- 11 :法の下の名無し:04/12/04 07:46:47 ID:0Ac/bp+7
- 長谷部『憲法』第三版 p.123
憲法上の権利の持つ複合的性格からすると,法人に認めることが許される
のは,そのうち公共の福祉を理由とする権利にとどまる。反面,個人の自律を
保障しようとする観点からは,むしろ強大な社会的権力たる法人からの自由を
個人に認める手段として,「人権規定の私人間効力」が重視されることになる。
松井『日本国憲法』第二版 p.325
日本国憲法を「政府」の基本法と捉えた場合,議論の組み立て方は
このアメリカの方が適切であるように思われる。従って,憲法が適用
されるのは,「政府」の行為に限られると考えるべきであり,憲法上の
権利の私人間適用ないし第三者効力という枠組み自体を放棄すべきである。
- 12 :法の下の名無し:04/12/04 07:47:22 ID:0Ac/bp+7
- 第三ラウンド:規制目的二分論
長谷部『憲法』第三版 p.251
国会が特定の業界の保護をうたって法律を制定した場合,それは国会が
本来果たすべき交渉と妥協の利害調整の結果であるから,裁判所が立ち入った
審査を行う必要は無い。その立法がなされる以前の法律状態も,それ自体
なんらかの利害調整の帰結と考えることが出来,裁判所として新たな利害調整の
結果よりも以前のそれの方が優れていたと判断すべき根拠は見出しにくい。
このような場面では,私的利害の抗争と妥協の結果こそが「公共の福祉」に他ならず,
その他に「公共の福祉」を決定する独立の判断基準が存在するわけではない。
消極的警察目的の立法は,より普遍的で強い正当性を標榜するからこそ,
その立法目的が反対派の目を眩ます意図で濫用される危険を抑制する必要がある。
松井『日本国憲法』第二版 p.552
およそ経済規制立法は特殊な利益を追求するレントシーキングな規制であるから,
それを隠して国民の生命・健康の保護をうたうような規制の場合にはやや厳格な
基準が正当化されるとして,二分論は結果的に支持できるとする見解がある。
すべての経済規制立法がレントシーキングなものかどうか疑問があるが,たとえそう
だとしても,国民はそのことを分かっているはずであるから,特に厳格な審査は正当化
されないであろう。
- 13 :法の下の名無し:04/12/04 07:48:14 ID:0Ac/bp+7
- 第四ラウンド:リベラリズムVSプリュラリズム
長谷部『憲法』第三版 p.446
国民全体の利益の内容は,第一義的には議会の判断を待つべきだが,
個人が享有する人権の内容は理論的に明らかにすることが可能であり,
従って,裁判所の役割も様々な利益が議会に反映させる道筋を確保する
ことには限られず,寧ろ,個人の権利を政治的・社会的多数派の決定に
対抗して保障することにあるとのリベラリズムの立場もある。価値が多元的に
共存する社会において各自が自らの人生を構想し,それを自ら生き抜く
ための権利は,社会全体の利益を理由として制約することは許されない
「切り札」としての意味を持つという考え方は,このような見解の一例である。
松井『日本国憲法』第二版 p.42
日本の学説のリベラリズムは,一方で自然権としての自由の保障を
憲法の目的と捉えつつ,財産権や経済的自由については福祉国家実現
のために積極的な制約を容認し,しかも生存権をも自然権として認める
特殊日本的福祉国家型リベラリズムなのである。
しかし,その結果として一方では多くの競争制限的な規制が福祉国家の
名の下に許容され,他方では生存権保障の名の下に個人の自己責任を
問うことなく社会の問題について政府の責任を認める考え方が支配してきた。・・・
しかしプリュラリズムの憲法観では,憲法は市民の政治参加のプロセスを
保障したものであるから,政府がどのような役割を果たすべきかは,憲法に
よって定められる問題というよりは,政治の問題と考えられる。それゆえ本来
福祉国家への途は憲法の中で定めるにはふさわしくなかった事項であるし,
ましてや福祉国家の実現を裁判所によって執行されるべき国民の権利として
保障したことは不幸な選択であったと考えざるを得ない。・・・
- 14 :法の下の名無し:04/12/04 07:49:15 ID:0Ac/bp+7
- 第5ラウンド:法人(松井曰くは「団体」)の人権
長谷部『憲法』第三版 p.136
法人が憲法上の権利を享有しうるとすれば,それは公共の福祉に基づいて
保障される権利のみであり,個人の自律と発展を支えるための権利を法人が
享有するいわれは無い。そして,法人が憲法上の権利を主張しうるか否かは,
個別の事例ごとに,それが個人の憲法上の権利の保障に役立つか,或いは
社会全体の利益という観点から正当化しうるかに応じて決定すべきであり,
社会的に独立の主体であるからという理由で一括してこれを認めるべきではない。
憲法上の権利が「性質上可能な限り」法人にも保障されるとの判例の定式は,
この議論と一致する限りにおいて承認されるべきものである。
松井『日本国憲法』第二版 p.310
この点,最近になって基本的人権の保障根拠を自律に求め,21条の表現目的の
結社であっても,結社の持つ権利は個人の持つ権利とは異なり自律に基づくもの
ではないとか,結社の権利はあくまでも個人の権利の補助としてそれに奉仕する
限りで認められるに過ぎないとする見解が主張されている。しかし,表現の自由に
関して言えば,個人が政治参加の目的で結社を結成した場合に,その権利を個人と
異なったものとして扱うべき根拠はないように思われる。
- 15 :法の下の名無し:04/12/04 07:50:10 ID:0Ac/bp+7
- テンプレ:松井長谷部論争の流れ
長谷部「芦部信喜教授の憲法訴訟論」法時59巻9号p.33
松井『二重の基準論』有斐閣
長谷部「政治取引のバザールと司法審査」法時67巻4号p.62
松井「プロセス的司法審査理論再論」サトコウ還暦『現代立憲主義と司法権』青林書院 p.67
長谷部「憲法典というフェティッシュ」国家学会雑誌111巻11・12号p.162
- 16 :法の下の名無し:04/12/04 07:50:39 ID:0Ac/bp+7
- 「司法審査の正当性に関する松井教授の議論の基礎にあるのは,特異な
憲法典実証主義であるが,当の憲法典は,教授の議論に好意を示していない。
憲法典の文言との距離を狭めるためには,教授は少なくともある種の共和主義
にむけて転向する必要がある。また,たとえ憲法典が教授の議論に好意を
示していたとしても,それをもって憲法解釈の基本的立場の選択に際して直接の
論拠とすることは妥当な論理とはいえない。」
長谷部「憲法典というフェティッシュ」国家学会雑誌111巻11・12号p.162 より
- 17 :法の下の名無し:04/12/04 07:51:19 ID:0Ac/bp+7
- 「まったく無価値の人生だといえるほどまったく何も考えず無為に暮らす
人々がいるとしても,そのことから生ずる社会的コストは無視するに足る
ものであり,他方,無為に日々を過ごす人々から憲法上の利益を剥奪
しようとすれば莫大なモニタリングのコストがかかるので(価値の比較不能性
からすれば,無為に日々を過ごしているか否かを他者が判断しうるかも
問題である),結局は普遍的に人を個人として尊重するほうが安上がりであろう。
さらに,別の応答の仕方は,こうした人は非立憲主義的独裁の下でも
鼓腹撃壌の人生をつつがなく送る人であって,近代立憲主義の下で
憲法問題に直面することも無く,そのため彼(女)が憲法上尊重に値する
個人か否かを論ずる実益もさしてないというものである。」
長谷部「憲法学から見た生命倫理」樋口編『国家と自由:憲法学の可能性』p.349以下
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