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明治書院 新釈漢文大系 本スレ

1 :名無氏物語:2006/05/09(火) 17:27:36 ID:VvTeywUW
総合スレッド

486 :名無氏物語:2009/10/24(土) 01:02:28 ID:Cc6kGzzY
仏教叩き?

神道?
キリスト教徒?
ユダヤ教徒?

487 :名無氏物語:2009/10/24(土) 01:40:19 ID:NEiph7eO
原始仏教と原始キリスト教は似ていないかな?

中世の『キリストに倣いて』は、中村元の『ブッダのことば』とかと
似ているんだよ。



488 :名無氏物語:2009/10/24(土) 01:51:15 ID:URKUmEox
特定の言語に依存しない釈氏の意向に沿って、セットも揃っている漢訳仏典を読み、しかもそれが伝統として根付いてもいるのに、
わざわざ意向に背いて原典を偏重し、断片の分析に拘泥して伝統までをも破壊する意味が分からん。

王族階級(クシャトリア)よりも祭司階級(バラモン)のほうが格上扱いされる変な国、インド。
王族に生まれた釈迦は、世俗的には恵まれた境遇であったにしろ、バラモンの正典であるヴェーダを講じる資格は持たなかった。
それでもカースト制を強要するインドの文化体系に疑問を呈し、制度外出家者=沙門として仏教を創唱した。
だからヴェーダやウパニシャッドの使用言語であるサンスクリットまでをもは祭り立てない。
ただ当時のインドの正統な言語がサンスクリットだったから、サンスクリットやその近親語を用いたに過ぎない。

サンスクリットは仏教というよりは、バラモン教やヒンズー教といったインドの伝統宗教のためにこそある。
極東社会には極東社会でまた別の伝統があるんで、その内側に根付いた仏教ありのままを認めることが一つの伝統になり、
神道や儒教や道教とも影響を受け合ってきたその有機性が、ただただ無機質に知を貪るだけの餓鬼道では決して得られない芳醇さをもたらす。

489 :名無氏物語:2009/10/24(土) 02:19:24 ID:0wLkLPlu
漢訳仏典という特定の言語に依存してるじゃんw

490 :名無氏物語:2009/10/24(土) 09:37:22 ID:URKUmEox
漢籍を読む素養がそのまま流用できるんだから、それでもいいじゃない。

昔の坊さんは、仏教に止まらず、漢文や和文も手がける総合的な学者でもあったわけで、
絶対真理とまではいかない世俗の道理、俗諦を記したものとしての四書五経などの価値は認めていた。
だから空海や親鸞や道元の著書にも、数多の仏典と共に論語や左伝などからの引用が垣間見られるし、
今昔物語のような大文学も、名も知れない僧侶によって認められることとなった。

漢籍を原典から読み込む価値は、日本人なども預かり知るところ。
仏教が言語にこだわらない宗教であるなら、漢文を読むついでにも読める漢訳仏典に存在価値がないわけがない。
(ここは新釈漢文大系のスレです)

491 :名無氏物語:2009/10/24(土) 13:32:16 ID:XIy7nNcC
>>490
今の世襲坊主の多くは、漢詩の一つも書けんだろうけどな

直接的な話題としては、スレ違いだろうが、
漢文に関する話題ということで、関わりはないわけじゃない
しかも、過疎スレを賑わすという利点もある
だから、漢文に関するネタである限りは、許容範囲なんじゃないだろうか?

492 :名無氏物語:2009/10/24(土) 17:46:33 ID:0wLkLPlu
>>490
仏教が言語にこだわらないなら漢訳だけではなく
サンスクリットやパーリ語仏典でも読めば良いじゃない。
漢訳だけを読むのも一つの言語にこだわってるように思えるけど。
漢訳仏典はそれとだいぶ中国化してるしね


493 :名無氏物語:2009/10/24(土) 18:45:54 ID:URKUmEox
西洋文学(古典含む)を英語で読めりゃそれで偉いんなら、
仏典も漢文も漢語で読めるほうがよっぽど価値があるわな。
現時点で最大の話者数を誇る言語も現代漢語(中国語)だし、
近ごろじゃ世界最長の完結小説である「徳川家康」も漢訳されてベストセラーになってるというし。

汎用性でも、実は漢語が英語を抜いて世界一だという真実。
実相の狂いは、やはり正しい実相には勝てないのだという、陽唱陰和の普遍性の提示。

494 :名無氏物語:2009/10/24(土) 20:01:50 ID:0wLkLPlu
突拍子に行きなり英語がなぜ出てくるのかな?
根拠も無く漢語が世界一とかといってるし。
人に納得してもらうならまずなぜ漢語もしくは中国語が世界一なのか根拠を出すべきだよ


495 :名無氏物語:2009/10/24(土) 20:23:47 ID:URKUmEox
根拠もなく英語が世界一だとか思い込んでる香具師多いじゃん?
そういう相手には根拠のない放言で済ませる。「意趣返し」も漢学のうち。
厳密に話し合おうとする相手に限って、厳密に話し合う。

496 :名無氏物語:2009/10/24(土) 22:00:58 ID:0wLkLPlu
>根拠もなく英語が世界一だとか思い込んでる香具師多いじゃん?
別に多くはないと思うけど。
逆に漢語が最良といわれても根拠ないよ。
根拠を示さないうちはあなたが思う英語が世界一と思う人と一緒だよ

497 :名無氏物語:2009/10/24(土) 22:55:35 ID:XIy7nNcC
>>493
> 西洋文学(古典含む)を英語で読めりゃそれで偉いんなら、

英文であれば、そりゃ英語で読めばいいが、
それ以外の西洋文学を研究するときは、
原典が、ギリシア語で書かれているなら、ギリシア語
フランス語で書かれているなら、フランス語で読むというのが普通
一つの解釈として英訳を参考にするということはあるが、
立派な英訳があるからといって原典を省みないということはない

これと比較して、漢訳仏典にこだわるのが異様に思える
このあたりが、議論の出発点なんだろうな

すでに伝統になっているというのも、一つの回答として尊重に値すると思うよ
ただ、それは既成仏教の形骸化が、行き着くところまで行っているということなんだろうね

498 :名無氏物語:2009/10/24(土) 23:34:39 ID:URKUmEox
もういいや。

自分自身がめんどくさい時点で、自分が本当に伝えたいことはもう伝わらないんだ。
そこを無理に伝えようとした所で、ただの口先だけでの張り合いになるだけだ。

また気が向いた時に話そう。争わずに話せる時にこそ、聞ける話を聴こう。


499 :名無氏物語:2009/10/25(日) 00:06:10 ID:wz52VsJB
ただ中国が好きなだけでしょ
漢訳仏典にこだわるのは

500 :名無氏物語:2009/10/25(日) 00:27:19 ID:wz52VsJB
500ゲット・・・

501 :名無氏物語:2009/10/25(日) 00:29:56 ID:Xi34rjmJ
好きか嫌いか

          by松本人志

502 :トキ:2009/10/25(日) 01:30:24 ID:n7fTWI0x
>>477〜479「二松さん」
「二松さん」って、どういう意味。分からん。
二松学舎出身者を、オブラートに包み貶す意味なの。

私は、駿河台のアテネフランセで、ラテン語を学んだよ。
ラテン語中級では、ラテン語をフランス語に翻訳する勉強をした。
今は、全く忘れたが。



503 :名無氏物語:2009/10/25(日) 01:48:06 ID:20U26h7t

岩波漢語辞典 = 漢文に出てくる語の辞書 = 漢語は日本語

漢語 ≠ 中国語



504 :名無氏物語:2009/10/25(日) 01:49:25 ID:20U26h7t

央掘摩羅経が読みたい。指鬘に興味があります。



505 :名無氏物語:2009/10/25(日) 16:55:47 ID:V6cUbgFs
中国古典はいい意味で卑近だから。
あまり理想主義に過ぎない、人としてできて当然の範囲内での庸徳(「中庸」より)を説く。
だから、行き過ぎた理想主義のリバウンドで、放埓した乱痴気騒ぎに没しってしまってる
奴らに対して無理のない優位を示すことができる。高貴と卑賤の中正故の存在意義がある。

506 :名無氏物語:2009/10/25(日) 19:26:45 ID:wz52VsJB
中国古典には形而上学がない

507 :名無氏物語:2009/10/25(日) 19:35:00 ID:UrF8dO6J
「形而上学」の語源は易経。

「形よりして上なる者、之れを道と謂い、形よりして下なる者、之れを器と謂う」
(「易経」繋辞上伝より)

真に形而上の存在である道徳から外れ、実は形而下の存在である
器物の美麗さばかりにこだわっている西洋にこそ、本物の形而上学は存在しない。

508 :名無氏物語:2009/10/25(日) 19:35:12 ID:vVuuZuy3
意趣返しも漢学のうちとか意味わからんこと言ってるやつが何を言ってもなー

509 :名無氏物語:2009/10/25(日) 19:43:03 ID:UrF8dO6J
「意趣」の語源は近思録。

「人を教ふるに未だ意趣を見ずんば、必ず学を楽しまず」
(「近思録」教学八より)

「意味と趣旨。内意のおもしろさ」が意趣の本意だと
新釈漢文大系版の註釈にも書いてある。
内意の面白味をそのままお返しする、それが意趣返し。

510 :名無氏物語:2009/10/25(日) 22:23:10 ID:wz52VsJB
>>507
中国古典に存在論とかあるの?
もしあるんなら出典を出して

511 :名無氏物語:2009/10/25(日) 22:47:17 ID:UrF8dO6J
道徳がそのまま形而上の存在であるのだから、
人間がそれを知るために必要なのはただ、道徳の実践のみ。
わざわざ道徳を実践せずに、それまでをも傍観しようなどとしたなら
却ってその人間は罪悪の泥沼へと沈み込み、真の形而上への到達たる物我一理をも失う。

剣の価値を知りたければ、まずは剣を振るに尽きる。
傍から剣とはこういうものだああいうものだなどと論じるよりも、よっぽど剣の理解に近づく。
どんなに剣の価値を理解しようとしても、それを理解しようとしている脳みそは豆腐同然の
フニャフニャの軟体でしかないんだから、硬く鋭い実物の剣への理解から乖離して当然。

道徳の理解もそれと同じ。論じる以前に実践することが道徳の理解への最短経路。
だから中国古典には道徳の実践的記述は多くても、傍観的記述は皆無に等しい。

傍観しないから存在論としての道徳表現も極小。
「徳の軽きこと毛の如きも、民克く之れを挙ぐること鮮なし」(「詩経」大雅・烝民より)など、
存在性としての道徳の軽快さの提示の直後に、その実践例の少なさを嘆く。
そこから中国の道徳学の歴史も始まっている。存在論としての道徳表現の少なさこそは、
それに相反する実践論としての価値の高さでもある。

512 :名無氏物語:2009/10/26(月) 00:18:40 ID:jjUCToxt
形而上学って言うのは西洋の存在論・観念論・実在論・時間論・神の存在
等のことで有って通俗的な道徳のことではないんですが。そういう物は中国古典にあるんですかね?
私は論語とかしか読んだ事ないから分からないんですが。


513 :名無氏物語:2009/10/26(月) 00:47:38 ID:o6AaGkp+
実践的な道徳学こそは本物の形而上学だ。
「形而上」という言葉の語源からしても、
人間が本当に到達し得る、偽物でない本物の形而上学であるという意味でも。

概念の虚構に逃げ込むことが形而上学だと未だに思い込んでいる連中には、なかなか納得し難いだろうが、
あまりにも虚構であり過ぎて、もはや現実の世界とは何の関係もない脳内概念などとは違い、
現実の天地万物を人としてあらん限りに受け止めることこそは、
現実の姿形あるもの全ての上に立つ、実質性を伴った本物の形而上学となる。

中国古典がどれもこれも支配者倫理について述べているのも、
世の中を俯瞰し、引いては天地万物をも俯瞰することが、
人間に為しうる限りでの最善なる形而上性への近似であるからに他ならない。

「孔子東山に登りて魯を小とし、太山に登りて天下を小とす」
(「孟子」尽心章句上より)

人として大きく高くあることこそは、確かに形ある全ての物の上に立つ道となる。

514 :名無氏物語:2009/10/26(月) 01:09:23 ID:o6AaGkp+
真の形而上学は、学究者自身が形而上へと赴くことを目的する。それに対して
偽りの形而上学は、ただ下賤な立場から形而上を夢想して予測するに止まる。

もちろん真の形而上学こそが、真の形而上の有り様を具に把捉しており、
偽りの形而上学のほうは、ただただ精神病患者の妄想の域に止まる。

十分な実践が伴っているか否かが、両者の存在性を決定的に分かつ。
思想から実践を念頭に置いているものと、思想自体は全く実践を目的とせず、
奴隷をこき使う有閑階級のままに適当に考えただけのものとでは、
後からそれらを文書として読んで実践した場合にも、雲の上と泥の底ほどもの開きができる。
よく役に立つ知恵袋と、全く役に立たないゴミ袋とに分かれる。

515 :名無氏物語:2009/10/26(月) 01:33:49 ID:Fh28ATyd
>>512
強いて言うと、老子かな?
東洋に限らず、西洋でも人気があるのも納得だな
ただ、アリストテレスにはじまる形而上学のように体系付けて書いてあるわけじゃない

これにかんしては、訳語の語源自体は、あまり参考にならんのじゃないかな?
西洋のものを日本人にもわかるようにという翻訳だから、ギリシア語の語源は引き継いでいない

明治の日本の学者が、翻訳しようと思えば、儒教の経典に類似の言葉があれば、
まず第一に選択して、それがなければ他の漢籍、それも無理なら独自の造語ということになったと思う
で、ちょうど易経に類似の表現があるじゃないかということで、形而上学という造語になったんだろうな

516 :名無氏物語:2009/10/26(月) 09:07:54 ID:o6AaGkp+
西洋の形而上学も「形而上学」で合ってるよ。
アリストテレスやカントがやろうとしたことも、結局は伏羲や孔子がやったことの劣化コピーでしかない。
しかも何千年も後に、異端中の異端として。

実践によってしか本当は到達できない形而上を、傍観によって予測して大間違いとなった。
その現れが西洋の体系哲学であるだけで、言わんとしていた先にあるものは結局易経や孟子とも同じだ。
ただそれを掴み取ろうとする人間自身が正しかったか間違っていたかだけの違いだ。

517 :名無氏物語:2009/10/26(月) 12:41:22 ID:6kJaT71R
ここまでくると翻訳の問題の気がする。


518 :名無氏物語:2009/10/26(月) 13:25:27 ID:MwoctZFU
>>513
だから形而上学ってのは道徳とかではないわけで。「
分からないかな・・。

>>515
確かに老子と言う書物は西洋の形而上学に近いですね。
西洋では論語より圧倒的に老子の方が人気らしいですね
僕は詳しくは知らないのですが。
後僕は形而上学って訳語より「メタピュシカ」って言葉を
そのまま使ったほ方が良いと思うんですよね。西洋でもそう
言っていますし。




519 :名無氏物語:2009/10/26(月) 13:38:39 ID:e2FBQoaB
西洋の形而上学はもう終わってるがね。くだんの事情により。

概念夢想が結局は本物の形而上学たりえていなかったという事実が露呈した今だからこそ、
人間が到達しうる限りでの真の形而上学としての、人間道徳の真価が見直されつつもある。

520 :名無氏物語:2009/10/26(月) 13:58:34 ID:MwoctZFU
君の中では終わってるんでしょ。


521 :名無氏物語:2009/10/26(月) 14:10:21 ID:MwoctZFU
と言うかあなたが度々主張するこの「道徳」ってのは
広く言われている形而上学って言うよりむしろ思想の方ですから。
これから哲学が続く限りは形而上学と言う概念哲学は続いて行くだろうね。
勿論自分は人間道徳はこの上無いとても大切だと思ってるし、又それを疎かにしてまでも
哲学に限らないけど従事して良いとは思わない。道徳抜きに人間生活は営まれない。



522 :名無氏物語:2009/10/26(月) 15:16:22 ID:6kJaT71R
西洋のは知性の学問だからね

523 :名無氏物語:2009/10/26(月) 19:11:08 ID:e2FBQoaB
形而上学が「哲学」だってのが、すでにおかしいんだって。

姿形あるものの有り様を捉えることが形而下学であるとして、さらにその上の見地に立つことが形而上学であるといえる。
単なる概念夢想ではなく、確固たる「格物致知」の上にこそ形而上学があるのであって、
それが甚だ稚拙なものであったにしても、「超物理学(metaphysics)」という、直訳的な西洋での形而上学の意図にも沿う。

アリストテレスも「形而上学」だけでなく、「物理学」や「博物学」などの著作も遺している。
現実の事物の根幹を見抜いて、さらにその上に立つことが、古今東西における形而上学の本旨であって、
そのための手段が実践的な人間道徳であったのが中国思想で、傍観的な概念夢想であったのが西洋哲学。

結局、概念夢想が真の形而上学たり得る可能性は排除され、素朴な人間道徳の実践こそが、唯一本物の形而上学であるという結論に達した。
だからって、哲学とまではいえない思想に止まる中国思想がこれからの全てなのではなく、哲学は哲学でまた別にある。

インド版の格物致知たる梵我一如をさらに超えた所にある諸法無我、
無我の境地における絶対真理を記した仏学こそは真の究極哲学である。

524 :名無氏物語:2009/10/26(月) 19:11:54 ID:e2FBQoaB
今の大部分の仏教は、始めから無我の境地への安住を目論むが、密教などの場合は、釈迦が無我の境地に至る以前に
(プラトンやアリストテレスの代よりも何百年も昔からある)ウパニシャッド哲学の梵我一如を参考にしていたことを踏まえ、
梵我一如から諸法無我へと至る過程を忠実に再現して実践する。

そのように、本来的には格物致知のさらに上に立つ仏教が、
概念夢想に基づく形而上学的な論及を全て「無記」に付す。形而上学は、格物致知や梵我一如に至るまでの過程的な手段に過ぎず、
形而上への到達のさらに上にある仏学の求道者としては、もはや形而上学を積極的に語るべきものではないとする。

大きな乗り物であれ小さな乗り物であれ、本物の乗り物に乗ってあらゆる事物を超脱する仏学が形而上学を語らないのは、
未だ形而上に到達していない未熟者が、模型や絵などの形で擬似的に形而上を表現したものが、概念的な形而上学であるにすぎないから。
どんなに精巧に作り込んだり描き込んだりしたとて、やっぱり模型は模型でしかなく、絵は絵でしかない。
自分が乗りたがっている乗り物を模型や絵で表現するよりは、実際にその乗り物に乗るほうが格別に満悦なものである。
だから実際の乗り物に乗る仏学は、乗り物の模型や絵への耽溺に止まる概念的な形而上学とは、袂を分かつ。

525 :名無氏物語:2009/10/26(月) 19:13:07 ID:e2FBQoaB
話を戻して、形而上学であるにはあるなりに堅実である中国思想の、特に四書五経などについていえば、
形而上に至るための切実な実践例を挙げているのが書経や礼記や春秋で、形而上に至った後の聖賢の所感を著しているのが
詩経や論語や孟子。未だ形而上に至れずにいる人間が、形而上に至る過程を時系列を追って記録し続けているのが易経。

四書五経こそは模範的な形而上学なのであって、四書五経以上に至ろうとするなら、もはやそれは仏学になってしまうし、
四書五経以下に留まるなら、それは現実の事物からは乖離した、真の形而上学の名に値しない、概念夢想止まりの偽形而上学となる。

形而上学を卒業した真理学(仏学)

真の形而上学(中国思想)

単なる概念夢想

これからは「哲学」であることを認められるのは、中国思想の要件ぐらいは満たせた先にあるものに限る。
万物万有を超えた知見というのは、確かに存在しうる。それは決して出歯亀趣味の傍観による妄想などによってではなく、
自分自身が偉大高潔なる大人となって天下を見渡すことによってこそ実現できるし、そしてもちろんさらにその上をも目指せる。
人間が万物を超えた先に見出すものは、もはや形而上学ではなく仏学であるから、形而上学の根本的な存在性をまずはわきまえる必要がある。

526 :名無氏物語:2009/10/26(月) 19:36:40 ID:e2FBQoaB
アリストテレスの「物理学(Physica)」は「自然学」と、
「博物学(Historia Animalium)」は「動物誌」と訳されている場合多し。
昔の訳文では物理学や博物学と訳されている場合がままある。

その内容が、今の物理学や博物学の要件を全く満たせていないからだろうか。
「大学」みたいに、「格物致知」という志しだけを述べておけばよかったものを、
当時の拙劣な格物知識までをも無駄に描きこんだせいで、ボロが出たんだな。
ちっとも形而上学を語る資格を持つまでに至っていない、自らの至らなさの露呈。

始皇帝による焚書坑儒も、実は孔孟を含む聖賢の無駄口の隠蔽に寄与したのかもな。
知るよりはむしろ知らないでいたほうがいい、古の学者の蛇足の落ち度、か。

527 :名無氏物語:2009/10/26(月) 23:00:29 ID:Wmzt2WgK
礼記や尚学の価値は?

528 :名無氏物語:2009/10/27(火) 12:46:10 ID:FipoCvEI
「子の曰く、君子は諸れを己れに求む。小人は諸れを人に求む」
(「論語」衛霊公第十五・二一)

格物致知の手段を小人は外界への侵略に求め、君子は自らの反省に求めた。
切実なる自省の実践方法が「礼記」などに礼儀作法などとして述べられたし、
日本などでは武道までもが自省のための手段形式として用いられるに至った。

「朱子語類」における学習手順に基づけば、四書五経の読書順は
大学→論語→孟子→中庸→五経(特に易経以外。易経は難解すぎるから)
となる。一番最初に読む「大学」の第一章にこそ「格物致知」が載っていて、
王道的な儒学が理論実践両面において、格物致知による形而上への到達を
念頭に置いていることが伺える。

529 :名無氏物語:2009/10/28(水) 00:40:50 ID:vzMVf5jL
明治書院にメールすれば無料で新釈漢文大系のカタログをもらえる

530 :名無氏物語:2009/11/02(月) 01:16:50 ID:Nt7mfwW9
>>529
どの程度の作り?
大正新脩大藏經の目録並み?

531 :名無氏物語:2009/11/02(月) 12:53:27 ID:KuuC7cbt
>>530
その目録を知らないので、比較した答えを私は持っていません。
大き目の冊子と文芸誌サイズの小さい本のようなものがセットでついてきました。


532 :名無氏物語:2009/11/02(月) 19:23:01 ID:FEBsiZrf
大蔵経の目録は、ちょっとした辞典並み。目録だけで。

大蔵経自体の分量が新釈漢文大系の2倍以上。
しかも漢文オンリー。訳文や註釈はおろか、読み下しも付いてない。
私大の食い詰め教授の一派が無理矢理収集してきただけ。

中国古典が仏典と比べて少ないってわけじゃない。
ただ、日本において重んじらてきた分量がどうだってだけの話。
新釈において抜かっている重要古典も多い。春秋二伝とかその他。

533 :名無氏物語:2009/11/02(月) 20:54:12 ID:gabaHJ0f
形而上學者,西洋之理學也。語出《易傳·繫辭上》:「是故形而上者謂之道,
形而下者謂之器」。昔希臘碩儒亞里士多コ作《裴輯》以論格致,又作《美台裴輯》
以論理學。嚴復曰:「美台裴輯者,猶云超夫形氣之學也。」後人即譯「美台裴輯」
為「形而上學」。

http://zh-classical.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E5%AD%B8

534 :名無氏物語:2009/11/08(日) 00:20:56 ID:RuOxxjUf

原罪はキリスト教独自の概念ではないよね。

創世記はモーゼが編纂していると思うのだけれど、
カインとアベルのエピソードの成立とホメロスの
オデッセイの成立とどちらが早いのだろう???

オデッセイや指鬘が原罪の元ネタの可能性が
あると思います。



535 :名無氏物語:2009/11/08(日) 01:37:19 ID:ZNgOS1rL
世界征服を狙うユダヤ人どもに惑わされてはいけない。
目を覚ましてくれよ!

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