日本における肉食文化
- 1 :天之御名無主:01/11/22 15:23
- 明治まで日本では肉を食べなかった、というのは本当?
- 2 :天之御名無主:01/11/22 22:25
- 目玉焼きをいつから作りはじめたか、のほうが気になるな。
- 3 :天之御名無主:01/11/23 00:17
- 猪と兎は食ってたんじゃない??
漫画で得た知識だけど
- 4 :天之御名無主:01/11/23 00:26
- 縄文人はイルカも食べてました
- 5 :天之御名無主:01/11/23 07:10
- 江戸時代も少数の人達が猪鍋とか食べていたけど、当時の良識ある人達からは異端視されていたみたい。
ちなみに東京の両国に江戸時代からの猪鍋の老舗があります。店の軒先に猪の剥製をつっているからすぐわかるよ!
- 6 :天之御名無主:01/11/23 21:07
- 魚は?
- 7 :天之御名無主:01/11/23 21:09
- >>3
鹿も食ってたぞ
食肉とケガレというのは、当時の人々はどの程度意識していたんだろう
- 8 :天之御名無主:01/11/23 22:16
- 肉食が悪とされたとのは、仏教伝来、流布後。
諏訪大社では、それ以前から、そして以後も獣を神前にお供えしてた。
さらに同社は建前上「悪」とされる狩猟を合法化する
「鹿食免」(かじきめん)という許可を猟師に与えていた。
神仏分離以後はもちろんなくなったが。
肉食が悪とされたのはやはり建前で、実際にはかなり肉食されていたようだ。
遊びとしても、生業としても、盛んに狩猟は行われているし。
時代によって差はあるだろうけど。
- 9 :天之御名無主:01/11/24 18:07
- 犬肉食の考古学的証拠も結構出ているようだ。
- 10 :天之御名無主:01/11/24 19:18
- 薬食いってあったよね。滋養のためというか、薬用として
鹿や猪なんか食ってたと思ったが。
ウサギを「一羽、二羽」と数えるのは、うさぎ→う・さぎ(鵜と鷺)と
して「これは鳥だから食ってもいいんだ」とコジつけたからだとか。
してみると、鳥は普通に食ってたんだな。
- 11 :天之御名無主:01/11/25 11:33
- >>1-10
マックと吉野家が最初だろ?
- 12 :天之御名無主:01/11/25 11:33
- 島津藩では豚肉をずっと食べていたという話をどこかで読みました。
- 13 :天之御名無主:01/11/25 11:35
- あと、牛肉の味噌漬は、近江あたりから将軍家へ献上されていたとも。
- 14 :天之御名無主:01/11/25 12:47
- 魚と大豆では、必須アミノ酸の供給が難しいんじゃないかな。
普通の農民や職人さんも、キジ、鹿、イノシシくらいは日常的に
食ってたと思うけどね。
- 15 :ひでよし:01/11/25 13:58
- >>12
薩摩では琉球の影響を受けて豚肉はよく食べられていたそうです
犬の腹の中に米を詰めて針金で閉じ、焚き火で焼いて食べる「ゑのころ飯」と
いう料理があり、これは藩主が食べることもあったらしいです
- 16 :天之御名無主:01/11/27 15:53
- 全国的に肉食するようになったのはやはり明治維新以降でしょ?
肉を出す店はスキヤキの「いろは」が第1号なのでは?
- 17 :天之御名無主:01/11/27 18:33
- 猪の肉は場所によっては忌避されていたとか
どこかで読んだ気がするが、どうなんでしょう?
猪飢渇(いのししきかつ)なんて言葉があるように
中世以前は猪は悪獣として忌み嫌われてて、
平地で生活する人たちは猪と妖怪とを同一視していた
面があったみたいです。でも場所によっては違うかも
しれませんし、山で生活する人たちにしてみれば絶好の
たんぱく源だったでしょうし、ソースも示せないし、
いい加減なこといってるかもしれません。
- 18 :天之御名無主:01/11/27 18:47
- 婆ちゃんの実家だと、
屋敷の中で卵を焼いたり煮たりするのは
やめなさいと、家の年寄りに云われていたらしい。
(昭和15年くらいか?)
だから、庭で卵焼きをつくっていた。
たぶんいまはそういうこと無いと思う。
- 19 :天之御名無主:01/11/27 21:09
- ももんじ
- 20 :天之御名無主:01/11/27 21:23
- 公家の場合は浄土思想の影響で鳥肉以外はタブーだったらしい。
武家の場合は少なくとも戦国時代までは結構肉を食べていた。
- 21 :14:01/11/28 01:10
- 犬食は少し上の世代は経験した人が多いだろう。
少なくとも、今一般に考えられているほど犬食に対する
日本人のバイアスは高くはないと思う。
鹿児島や沖縄では今でも食ってる人がいるようだし。
江戸時代の武家屋敷のゴミ捨て場からは解体調理した形跡のある犬の骨がでてくる。
日本では肉食がなかったというのはかなり幻想が入ってると思われ。
- 22 :ひでよし:01/11/30 08:53
- 薩摩の犬肉食いは江戸でも有名だったようで、それを題材にした
川柳がいくつも残されています
渡辺信一郎『江戸のおしゃべり 川柳にみる男と女』(平凡社選書、
2000)を参考にいくつか解説しておきます
≪酒盛りにきゃんと言わせる御国柄≫
「きゃん」とは撲殺したときの犬の鳴き声
薩摩では犬肉料理は宴会に欠かせない料理であったのか、犬を
食べることはよく行われていたようで、それを「御国柄」と詠んでいる
≪大部屋に赤犬などのあらがあり≫
「大部屋」とは大名屋敷で中間や小者が雑居する部屋
その部屋で犬肉料理が食べられていたようで、肉を食らい尽くした
後の「あら」が残されている様子を詠んでいる
≪品川と麹町に入れあげる≫
「品川」は品川宿の飯盛女、「麹町」は麹町の獣肉屋
江戸時代の麹町には獣肉屋が多くあり、薩摩の武士がそこを度々
利用していたことを詠んでいる
≪「赤犬が紛失した」と芝で言い≫
「芝」は薩摩藩の下屋敷があった地域
そこで犬が「紛失した」のは薩摩の武士が犬を捕まえて、食べて
しまったのではないかという疑いを詠んでいる
- 23 :ひでよし:01/11/30 08:57
- 江戸時代の獣肉食に関してはこちらが大変参考になります
http://www10.u-page.so-net.ne.jp/yg7/nozaki/yorozu/yorozu-top.htm
http://www10.u-page.so-net.ne.jp/yg7/nozaki/mikaku/mikaku.htm
- 24 :天之御名無主:01/12/02 21:01
- 薩摩の島津斉彬と水戸の徳川斉昭にはこんな因縁があったそうだ
http://61.205.68.50/kikaku/kurobuta/kb4-9.htm
塩漬けの豚肉は1年も持つらしく、現在でも奄美地方では作られているそうだ
- 25 :天之御名無主:01/12/03 13:36
- 江戸時代は四つ足は食べちゃダメだったらしい
- 26 :天之御名無主:01/12/03 14:25
- >>25
スレちゃんと読んでる?どの地方のどんな階層での話?
- 27 :天之御名無主:01/12/03 16:21
- 「ももんじ食い」なんて呼ばれた江戸の食肉習慣だけど
けっこう好事家っていうか口の肥えた人たちなんだろうけど
そういう人たちは多かったみたいね。
武士階級なんかはけっこう憚りながら食べたらしいけど。
あ、8割は鬼平による情報です。
- 28 :天之御名無主:01/12/03 18:05
- 鬼平といえばウサギの肉を食べるシーンで中村吉衛門さんが
「ウサギの肉なんか食べられるか」と主張したために、鶏肉に
変更になったらしいですね
- 29 :天之御名無主:01/12/03 18:08
- 我が儘な役者だなぁ(藁
- 30 :天之御名無主:01/12/03 21:12
- 将軍家には元旦に兎の吸い物を食べる習慣があった
ということは、「兎の肉は食べてもいいですよ」と将軍家が率先して
見せてくれてた、ということになるのかな?
- 31 :ひでよし:01/12/07 14:22
- 犬を食べる習慣は江戸時代の初期までは広く行われていたようで、
塚本学氏の研究(『生類をめぐる政治 元禄のフォークロア』参照)に
よれば、生類憐れみの令の目的の一つにはその食習慣を改めさせる
ことがあったと考えられています
塚本氏は「犬を食い犬を殺すことの禁令は、やや特殊な食犬・殺犬者の
出現に対するもの」であり、その当時に問題となっていたカブキモノに
対する取り締まりの一環であるとしています
しかし、それよりも以前に会津藩などで犬を殺すことを禁じる法令が
出されていること、町で犬を見かけることが少ないのは見かけ次第に
殺して食べるからだと『落穂集』にあること、犬肉の料理方法について
解説している料理書があることなどから考えると、「やや特殊な」習慣
であったとは考えにくいのではないかと思います
- 32 :天之御名無主:01/12/09 17:44
- 水戸藩主の徳川斉昭が彦根藩主の井伊直弼に牛肉の味噌漬を
所望したところ、「殺生は嫌いだから」と断られてしまった
それが桜田門外の変の原因の一つになったという噂もある
食い物の恨みは恐ろしい、という話でした
- 33 :天之御名無主:01/12/10 13:30
- 生類憐れみの令に反対して光圀が綱吉に犬の皮を送ったというし、
水戸というのは凄い土地なんだな
- 34 :31の続きです:01/12/13 13:09
- 江戸時代の中期には生類憐れみの令の徹底や肉食をケガレとする
儒教観念の確立などもあり、肉食の習慣は表面的にはなくなったと
考えられているようです
この時代には賎民に対する支配体制が制度として確立されたという
部落史の研究もあり、それも考慮に入れる必要があると思います
- 35 :34の続きです:01/12/13 13:54
- 江戸時代の後期には表通りで獣肉を扱う店が増加し、牛肉を売り歩く
行商人も登場するようになります
これには蘭学の影響もあったのではないかと考えられていますが、
一旦は下火になっていた肉食の風習が盛んになっていったのは
確かなようです
しかし、その一方で肉食をケガレとする考え方も根強くあり、江戸に
火事が多いのは獣肉のケガレが満ちているからだと書いている人も
いたことに留意する必要があるでしょう
明治時代になって肉食の文化が流入したのではなく、民衆が肉食を
受け入れる準備は江戸時代の後期にはすでにできていたのです
- 36 :天之御名無主:01/12/14 17:36
- 吉宗が肉好きだったって聞いた事があります。
- 37 :天之御名無主:01/12/14 17:59
- 慶喜は、豚肉が大好きだった。
あだ名も「ぶたよし」だっけ?
- 38 :ひでよし:01/12/14 22:17
- >>36
吉宗は鷹狩が好きだったそうなので、その獲物を口にすることも
多かったのではないかと思います
- 39 :天之御名無主:01/12/14 22:46
- 吉宗はやはり、某大河ドラマのように西田敏之ばりのデブでしたか?
- 40 :自転車小僧:01/12/16 03:13
- たしか、ルイス=フロイスの日記だったか、本能寺文書だったかに織田信長は"ネコ"
の肉が好物だったような内容の記述があった。
珍味としてかどうか分からないが織田信長の宴会メニューはやたらと牛やら犬やら
が多い。
- 41 :ひでよし:02/01/10 09:16
- ラーメンを初めて食べた日本人といわれる徳川光圀ですが、
このラーメンは豚の腿肉を塩漬けにして作った「火腿」(かたい)
という中華ハムでとったスープが使われていたそうです
光圀は朱舜水という明から亡命してきた儒学者を師と仰ぎ、その
影響を受けて春と秋には孔子を祀る御廟祭が行われ、その際の
供物としても火腿は用いられていたことから、水戸藩では豚を飼育
していたのではないかと推測できます
(腿肉以外の部位も食用とされていたでしょう)
- 42 :山野野衾:02/01/10 09:32
- 供物には豚の他に牛や山羊も使われたそうです。
また犬肉は近世まではよく鍋などで食べられており、各地の遺跡から出
土しております。先祖に1人は食べた人間がいたはず。
また山間部では兎が最近(数十年前)まで時折食べられていた様です。
- 43 :天之御名無主:02/01/10 23:34
- 四足の動物じゃないけれど、鯨の肉はおおっぴらに食べられていた。
江戸の小噺にもよくでてくる。
一匹捕獲すると大量の肉が手に入るが、保存技術が無かったため、一気に流通、
消費する必要があった。そのため山間部でもよく食べられていたと聞く。
- 44 :天之御名無主:02/01/11 16:11
- クジラは勇魚(いさな)といって、魚だから食べてよかったんだよね
そんで、猪は山クジラだから食べてよかったんだよね
なんという都合のいい解釈なんだ、ん〜便利だ
- 45 :山野野衾:02/01/12 00:13
- >44
まあ食べた事も無い牛や豚の肉にさほど執着したとも思えませんので、割と本気で
言っていたのでは無いかと。
他にムササビやモモンガ(ももんじい等とも呼ばれた)の肉も鳥系という事という
事で良かったそうです。
- 46 :ひでよし:02/01/19 15:17
- >>42
狩猟との関連で言えば、ウサギは子供でも容易に捕らえることができる
ことから、各地で行われていました
シカやイノシシも田畑を荒らす害獣であることから、狩猟の対象となる
ことが多く、被害が増える秋から冬にかけては食料の確保という面でも
狩猟が積極的に行われていました
- 47 :天之御名無主:02/01/19 19:03
- ♪兎追〜いし あの山〜 って奴ですな
- 48 :ひでよし:02/01/22 11:06
- 江戸時代後期の肉食が受容されていく過程がよくわかる史料として、
筑前秋月藩の武士が書き残した『望春随筆』があります
「牛肉を喰う事、昔は稀」で、たまに「薬喰いなどという時は長崎に便を
求め」て塩漬け肉を買い、「少しの品も得がたき稀物として薬喰いにし」
ていたとあります
文化期(1804〜1817)には、地元の「穢多へかねて頼みおく時は、
生肉を持来ることも」あったが、「値は最高値にして少しつつ用いる者」
が多かったようなのですが、文政期(1818〜1829)の初め頃から
「此方より頼まぬといえども、むこうより肉を入らぬかと持参するように
成り」、「価も猪鹿よりも下直」なので、冬場ならば10斤(約6キロ)以上
買う人もいるようになったそうです
他の随筆類の記述などから考えても、文化・文政期に全国的に肉食の
風習が拡大していったのは間違いなさそうです
- 49 :ひでよし:02/01/22 11:13
- 昔は牛肉を長崎まで求めていたということから、おそらくは長崎の
周辺では、居留地の外国人向けに牛肉が売られていて、その一部
は一般の民衆が買うこともあったのではないかと推測できます
それに携わっていたのは、「穢多」身分の人だったのではないかと
思いますが、現時点ではよくわかっていないようです
- 50 :天之御名無主:02/01/25 16:03
- >>18
その時に仏壇に目張りをしたりしませんでしたか?
そういう話はいくつか聞いたことがありますね
- 51 :天之御名無主:02/01/25 21:57
- 獣の肉ではないのですが、
昔、僧籍にある人は生臭全般を食べてはいけないので、
魚を『木の葉』や『かみそり』と言って食べていた、という話を、
子供向けの昔話で読んだ記憶があります。
木の葉は形が似ているからでしょうが、
かみそりって……光物だからでしょうか。
詳しくご存知の方、教えてください。
- 52 :山野野衾:02/01/25 22:33
- >51
鮎ですね。形状から小僧さんにかみそりだと教えていた和尚さん、川を渡る
際に(皮肉で)「かみそりが泳いでいますよ。」と言われ、茶色がかった落
ち鮎を「錆びたかみそりだから心配無い」と言って渡る話でした。
- 53 :天之御名無主:02/02/06 19:58
- 鹿児島県の郷土料理の薩摩汁には鶏肉が使われていたらしいんですけど、
その鶏肉というのが闘鶏で負けた鶏だったらしいです
まあ、無駄なく利用するという点では、これ以上ない利用方法ですね
- 54 :天之御名無主:02/02/08 22:17
- >>51
獣肉食を禁じられていた中世ヨーロッパの修道士も
ビーバーを「尾ひれがあるから魚だ」と見なして堂々と食べていたらしい。
まったく、生臭ボーズは洋の東西を問わずいるもんだ。
- 55 :51:02/02/09 15:22
- >>51,54
レスありがとうございました。
やはり当時は、魚といえば川魚になるんですね、海の近く以外は。
「かみそり」としていたのはお坊さんに身近なもの(剃髪のため?)
だったからなんでしょうかね。
ビーバーを食べるというのは初めて聞きました。
一般家庭?では食べていなかった食材なのに、
尾ひれがあるからという理由で修道士が食べ始めたのだとしたら、
一番最初に食べた人はすごい気がします……。
- 56 :51:02/02/09 15:24
- >>52,54の間違いでした……。
- 57 :ひでよし:02/02/09 15:44
- 明治時代になって、牛肉が幅広く食べられるようになった時に、
「牛肉あります」と紛らわしい「午肉あります」という看板を出して
馬肉を売る店が多くあったそうです
他の客に紛れて、客寄せをすることを「サクラ」といいますが、その
語源は、「牛肉」と紛らわしい「午肉」(馬肉を「サクラ」という)が売られ
ていたからだとする説があるそうです
- 58 :白宇土:02/02/09 23:59
- ももんじい
日本人は鳥を食べるのに抵抗はなかった。
ももんがあは、分類上獣だが飛ぶから鳥扱い。
このももんがあが、年をとると猪、鹿になる。すなわちももんじい。
いや、日本人はシャレが好きですね。ももんじいは鳥の慣れの果て、だからくっても良い。
とこうなったそうで
- 59 :天之御名無主:02/02/10 03:00
- >57
馬肉は獣肉の中でもかなり美味い部類に入ると思うんですがね。
それでも看板に偽りありは許されないというわけですか。
- 60 : :02/02/10 10:52
- >>59
商いの信用というものを考えたことがないのかい?
- 61 :天之御名無主:02/02/10 11:35
- >54
中世ヨーロッパでビーバーは無理がないか?
ビーバーは米国にしかいないはずだし。
余談だが、教義でがんじがらめの中世ヨーロッパでは、女性の
豊満な肉体を描くのが禁じられていた。
しかし、「淫乱の罪で地獄に堕ちた罪深い女」を描くときは
オッパイを描いてもよかった。そのために教会の絵師は地獄絵図
を描いて興奮していたそうだ。
- 62 :天之御名無主:02/02/10 11:39
- 東北地方のオシラ様を祀っているうちでは明治以降になってからも
獣肉はもちろん、鶏肉も食うことが忌まれていました。
獣肉を食べたために罰が当たって口がひん曲がってしまったという
話があちこちに伝わっています。
祟りを避けるため、獣肉を食べる際は戸外で煮炊きしたそうです。
- 63 :山野野衾:02/02/10 19:07
- >61
ヨーロッパにもビーバーはいますよ。ウェゲナーの大陸移動説の根拠の一つだった
筈です。
>62
四つ足も二本足も食べては駄目だと知った時、なんじゃそりゃと思いました(藁。
- 64 :天之御名無主:02/02/10 19:51
- だから、最近オシラ様を祀っている家ではウザくなって寺に
預ける例が増えているようだ。
寺はオシラ様の姥捨て山。
- 65 :天之御名無主:02/02/18 16:08
- ここは平和だよね
日本史板なら、「犬を食う薩摩人は野蛮人」って書く人が絶対いるのにね
- 66 :天之御名無主:02/02/18 20:24
- 全くだ、ほのぼの駄レスで楽しんでるね。
天武天皇(7世紀)の時代から、獣肉食禁止令を何度も出す。
食べていたyo、の証拠だと言い立てているが、
肉食者は、その時点で国家的日陰者で差別対象犯罪者になったこと。
禁止令を出している背景は?
突然変異的に出てきたかな?
外圧でもあったかな? 戦勝国の唐&新羅は獣肉食を野蛮としていたかな?
仏教がなんとかはアホ。NGO関与の政府見解程度のいいかげんさ。
日本の肉食文化を問うのなら、そっちも考えてみようね。
- 67 :天之御名無主:02/02/20 08:42
- 66の言ってることが、まったくわからん
特に「国家的日陰者で差別対象犯罪者」ってなによ?
肉を食って、逮捕&処刑された人でもいるんかいな?
- 68 :ひでよし:02/03/10 16:07
- 今谷明氏が『京都1547年 描かれた中世都市』(イメージ・リーディング叢書、
1988)で地方の下級武士の間で狩猟や犬追物が盛んに行われていたことに
触れた後に、「本来供応儀礼にすぎない゛茶の湯"が、武家社会で異常なほど
執着されたのは、ひょっとして下級武士の肉食の習慣にも一因があるのでは
なかろうか」と書いておられます
ここに書かれているような肉食と喫茶の風習の関連について、どなたか詳しく
ご存知の方はおられませんか?
- 69 :訂正です:02/03/10 16:13
- 「狩猟や犬追物が」 → 「鷹狩や犬追物」
魚肉は生臭物と呼ばれるぐらいですから、口臭予防の為にお茶を
飲んでいたのかな、とは考えたのですが、それだけで説明ができる
のでしょうか?
もっと深い所で繋がりがあるような気もするのですが・・・・
- 70 :天之御名無主:02/03/14 10:40
- 口臭予防の為に飲むのなら、武士よりも僧侶に必要なんじゃない?
生臭い息をプンプンさせながら、「殺生はいけません、そんなことを
すれば地獄に落ちますよ」なんて言われても、説得力なさそうじゃん
- 71 :天之御名無主:02/03/15 19:28
- ↑はかなり説得力あるかも
喫茶ってのは僧侶から広まった風習なんだし、肉食する僧侶も
多かったらしいしね
- 72 : :02/03/15 19:33
- これとかはどうなの? やっぱマズイの?
http://vagina.rotten.com/motorcycle/motorcycle.jpg
- 73 :忠告だ:02/03/15 19:44
- ヤフオクを今後も続けようと思ってる生粋の日本人へ
朝鮮人(在日含む)全てをBLに入れた方が良い。
関わるとロクな事にならんよ。マジで。
文章読めば大体の察しが付くだろ?
日本語の旧かな使いや古語を使う奴はみんなそういう類だ。
チョソはマジでヤフから出て逝って欲しいよな。
日本で調子くれてんじゃねえよって。
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/yahoo/1016009908/l50
- 74 :ひでよし:02/03/23 16:00
- >>70>>71
僧侶と喫茶・肉食の風習ですか
そう言われてみれば、関係があるような気がしてきました
いくつか文献に当たってみたのですが、喫茶と肉食の関係について
書いているのが見つからなかったんですよね
もう少し考えてみたいので、引き続き情報をお願いします
- 75 :天之御名無主:02/04/11 08:39
- 基本的なことでスンマソン
鯨の肉と猪の肉って、肉質が似ているんですか?
- 76 :天之御名無主:02/04/11 22:09
- >>75
鯨を最後に食べたのは遥か昔だし、猪は食べたことないんでよくわかんないけど、
猪の異称を「山鯨」というのは、獣肉食がタブーだった時代の言い換えみたい。
見当違いなこと言ってたらゴメン。
- 77 :天之御名無主:02/04/11 22:14
- 江戸時代の飢饉で人肉を食った人の証言では、
「人肉は鯨に似ている」ということだ。
猪が山鯨なら人は里鯨町鯨・・・
- 78 :山野野衾:02/04/11 22:14
- >75
昔山の神と海の神が歩くのが下手な鯨と泳ぐのが下手な猪を交換したという
昔話がありましたね。ところで肉質についてですが、食べたものが言わせて
戴くと似ておりません。
- 79 :天之御名無主:02/04/12 07:49
- 猪肉は豚肉を脂っこくしたような感じで、少し臭みが強いので
味噌仕立てにして、牛蒡や人参と一緒に食べるのがいいでしょう
鯨とは全然違いますよね
なんで「山鯨」というのでしょ?
- 80 :ひでよし:02/04/13 08:00
- 肉食と関連するのですが、戦国時代に南蛮菓子が伝来するまでは
卵が食用とされることはほとんどなかったといわれていますね
鶏肉は広く食されていたにも関らず、なぜ卵は食べられていなかった
のでしょうか?
- 81 :天之御名無主:02/07/13 17:07
- >>80
鶏肉は広く食されていたってのは、どの時代のどの地域の事でしょうか?
野生の鳥肉なら判らなくもないが、家禽として鶏が飼育されてたってのは。
- 82 :汁:02/07/13 18:05
- >>80
古代の日本人は、卵を食べるのを恐ろしい事と考えていたようです。
『日本霊異記』に、毎日卵を食べていた男の話がでてきます。
ある日、「暑い暑い」と叫びながら麦畑を走り回っている男を村人が見つける。
男はうわ言のように「火の山を走り回っていた」と言う。
村人達が見ると、男の脛の肉は爛れ落ち、骨だけになっていた。
その男は、毎日鳥の卵を煮て食べていたという。
また『沙石集』には、
いつも子供にたくさんの卵を食べさせていた母親がいた。
ある夜、見知らぬ女が子供達の枕元に立ち、
「子供はいとおしいぞ、いとおしいぞ」泣いている夢を見た。
すると、程なくして子供達がつぎつぎと死んでしまった、
という話も載っています。
- 83 :天之御名無主:02/07/14 03:39
- 喫茶の起源についてですが、本来は瞑想中の禅僧が眠気を覚ます為に、茶に含まれているカフェインを摂取したのが始まりという説があります。
- 84 :天之御名無主:02/07/14 11:43
- 卵は精剤的な価値もあったようだね。
吉原では居続け(一晩で帰らない人)の朝飯に火鉢の上で帆立貝の殻に
卵を落として焼いて食べさせているのが黄表紙の絵にある。
市中にはゆで卵を売って歩く人もいたので江戸期にはタブー視も
たいぶ緩和されたみたい。
- 85 :天之御名無主:02/12/07 20:54
- >>71,>>83
中国から舶来させたのは、渡航した修学僧とされているからね。
しかし舶来目的は、薬としてじゃなかったかな。
- 86 :天之御名無主:02/12/08 03:30
- 日本には、要するに狩猟・採集→農耕・牧畜のコースの中で、
「牧畜」の文化だけが明治までまともに伝来・受容せず、欠落してたんです。
- 87 :天之御名無主:02/12/08 09:09
- 醍醐など乳製品は古くからあったけど、一般にはあまり浸透していなかったみたいね。
やっぱり、生臭物扱いになったのかしら
- 88 :天之御名無主:02/12/08 11:58
- なんで肉は駄目で魚はいいんだろうか
- 89 :天之御名無主:02/12/08 16:06
- 鶏肉と玉子を食べない風習は、日本武尊系の大鳥神社系で信仰に由来する
ものらしいです。
- 90 :天之御名無主:02/12/09 21:01
- >>2
めちゃ遅レスですまん
『新・巨人の星』という漫画の最初のほうの話で、
番忠太のお付きの婆やは星飛雄馬の注文する目玉焼きをうまく作れず、
「そういうハイカラなものはうまく作れない」とぼやいている。
だから目玉焼きを食べる習慣はずいぶん後(新巨人の星の連載は昭和50年前後)
のものなんじゃないの?
関係ない?
- 91 :天之御名無主:02/12/09 22:12
- >>88
仏教が戒める殺生の対象が禽獣なのですよ。輪廻の考えと繋がっているのです。
- 92 :天之御名無主:02/12/10 02:05
- >>91
神道の場合はどうなの?
生理の人が鳥居をくぐるのは御法度みたいだし巫女さんも休暇とらされるらしいんだけど、
やっぱ肉食も穢れ思考で禁止されてんだろうか?
- 93 :天之御名無主:02/12/10 16:25
- 文献に残ってないだけで、
飲酒喫煙する未成年くらいの割合で
隠れて肉食してた人はいるんじゃなかろうか。
- 94 :天之御名無主:02/12/10 17:12
- >>93
それじゃ日本人の半分以上は・・・
- 95 :天之御名無主:02/12/11 02:04
- 権力で仏教を押し付けられ定着したとしても、古層の精神世界まではたして
本土日本人は仏教を受け入れたのか?
まあ、モノは数えよう。
- 96 :天之御名無主:02/12/11 04:03
- >90
昭和40年代以降は目玉焼きは普通に一般家庭でも食べられていたと思う。
そのばあやさんの年代の人は作らなかったかもだけど。
- 97 :90:02/12/12 21:17
- >96
俺自身は昭和50年生まれなんで正直、目玉焼きなんて子供の頃から食べてたけどね。
敷衍すると、『新・巨人の星』が『週刊読売』誌上で掲載されていたときには、
まだ「目玉焼きはハイカラなもの」と思う(言う)年寄り世代ってのが結構いたんじゃないかと。
また、それを呼んで(ああ、うちのばあさんもそうだな)なんて思う読者層も多かったから
その話が受け入れられてたんじゃないかな、って思ったんだ。
俺はこのシーン見たとき違和感受けたもの。今の世代はほとんど違和感あると思うんだけど。
もしかしたら原作の梶原一騎の母親あたりの世代は目玉焼きを食べなかったのかな、
って受け取ったのさ。実際のとこはわからないけどね。
- 98 :天之御名無主:02/12/14 22:17
- >>95
>権力で仏教を押し付けられ...日本人は仏教を受け入れたのか?
政治権力が、民衆に仏教を強制したのは、徳川幕府以降のはずだが。
学問修養修行仏教から、平安・鎌倉期の法然、親鸞に始まる救済仏教の系統で、
民衆に仏教が広まったのだよ。それが、戦国期の一向一揆につながり、信長の
長島合戦に象徴される門徒土着民層の死を厭わぬ交戦は、精神的に受容されていた証左だがね。
- 99 :山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/12/14 22:25
- >98
法然上人以前から村落寺院を中心に民衆の間にも仏教は広まっていま
したよ。12世紀には各地に村人による管理組織も出来ていた。
寧ろ鎌倉新仏教のほうが已然として異端であったようです。
- 100 :万子:02/12/14 23:08
- 昔、お客さんとすき焼き食ってたら、
「こんなに卵食えるなんて」とえらく感激してた。
肉をぱくぱく食ってても感激しないくせに。
きくと小さいころ卵食べたくて食べたくてしょうがなくて、
今卵がたくさん食えるのがうれしくてたまらないのだそうだ。
肉は小さいころ食べたいとは思わなかった。大人になってからパクパクくってたから
別にどーってことないそうだ。
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