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★★    飛鳥の不思議きかせて    ★★

1 :歴史の裏側知りたい:02/07/23 20:44
飛鳥の遺跡って変なのばかりあるね。
ショッキングな隠れた事実など在りましたら教えてください。

ちなみに大和三山って火山だったとか・・・
聖徳太子は暗殺されたとか・・・
益田の岩舟はUFOのプラットホームだとか・・等々

2 :天之御名無主:02/07/23 20:53
大和三山って火山だった>地理・人類学板がむいてます
聖徳太子は暗殺された>日本史板がむいてます
UFOのプラットホーム>オカルト板がむいてます



3 :天之御名無主 :02/07/23 21:26
>>1
・「大和三山って火山だった」んです。間違いない。
・「聖徳太子は暗殺された」ことは状況証拠はあるにはある。確証はない。
・「益田の岩舟はUFOのプラットホーム」にしては、ちゃっちいね。今は廃駅だ

そして内緒だが↓
談山神社は藤原氏の不思議が隠されてる。
日本に大変なことが起こる前兆が、ここに現れるとか。

4 :天之御名無主:02/07/23 21:34
亀石が真西を向くと奈良が泥の海になるといふ。

5 :折れも飛鳥の不思議な逸話など聞きたいのです:02/07/23 21:38
>>4
なぜ?

そしてあの猿石?アレによく似た石像なんて日本中何処探してもないよな。

6 :天之御名無主 :02/07/23 21:45
これらの石像物について、古事記などに記述がない。
その後の持統などがあるのに・・

漏れが思うに、石像物を作るある文化・王朝があって、
そこへ突然、大和王朝がなだれ込んできた。
石像物は、そのままに新しい建物が建てられていった。

謎の石像物は未完成のモノが多いのはそのためである。

7 :天之御名無主:02/07/23 21:54
>>5
亀石の脇にある説明書きに書いてありました。

8 :5:02/07/23 21:57
>7
そうですか。動かぬ証拠だな。

9 :天之御名無主:02/07/23 23:04
>>6
ただ単に工事好きだった斉明天皇の遺物ではなくて?
酒舟石の裏に巨大庭園跡が見つかったよね。
亀形石とか。薬草園とか。噴水とか。迎賓館?水のテーマパーク?
そういうんじゃなくてオカルトな文化・王朝だったの?モアイみたく?

10 :天之御名無主:02/07/23 23:05
>3
山の鳴動&木像亀裂age

11 :山野野衾:02/07/23 23:06
>9
工事好きというよりは原風水・オカルト好きだったのでは。当時と権力者と
しては当たり前の事でしたが。

12 :9:02/07/23 23:24
>>11 その通りです。以下さらに補足。

天皇はたいへん工事好きで、水工に溝を掘らせ、水路は香具山の西から
石上山にまで及んだ。舟二百隻に石を積み、流れにしたがって下り、
宮の東側の山にその石を積み上げて垣を築いた。渠(みぞ)の工事に
動員された人夫は三万人を超え、垣の工事にも七万余の人夫が使役
された。人々は口々にこれを「狂心(たぶれこころ)の渠」と呼んで
一様に非難した。石の山など築いてもすぐそのはしから崩壊するで
あろうと批判する声も聞かれた。飛鳥には石造物が多いが、その大半
が斉明天皇の時代渠に造られたのではないかと考えられている。
 (出典:中公新書1617
   笠原英彦著「歴代天皇総覧〜皇位はどう継承されたか〜」)

13 :9=12=13:02/07/24 01:32
なんかこのスレ、 >>1 が自作自演してる気がしてきた。
>>3 >>4 >>6 あたり。 あといてもう一人くらい?
マジレスして損した気がしてきた・・・。

14 :4=7=14:02/07/24 04:58
>>13
考えすぎのような気もするが、人数自体は少なそうだ(w

15 :3:02/07/24 06:50
>>13
んなことはない。

尤も折れのソースは旅行案内の雑誌だけだが。
ただ聖徳太子暗殺説は梅原猛を読んだ奴からの受け売り。

16 :ROM男:02/07/24 11:17
>>6にしろ>>12にしろ、作りかけのものをそのままにして放置したのだろうか?
明日香の政都としての機能はそのまま次の藤原京にまでつながるんでしょう?

日本の歴史上、たいていそういう前体制の遺物は整理整頓され片付けられることが多いのじゃないのかな?

17 :9=12=13=17:02/07/24 15:30
>>14 >>15
そうですか。勘ぐりすぎでした。すみません。
2ちゃんの良心をお二方にみますた。

>>16
飛鳥宮(斉明)〜藤原京(持統)の間に、近江京(天智)時代があり、
「ささなみの志賀の辛崎(からさき)幸(さき)くあれど大宮人の船待ちかねつ」
(柿本人麻呂 万葉集巻1-30)と往時を偲ばれるほどでしたから、
近江京時代の飛鳥の荒廃は仕方のないものであったかもしれません。

また、藤原京は律令国家を意識して中国様式を取り入れた日本初の「計画都市」。
それまでの「宮」は、天皇一代限りの使い捨て、区画道路ではなく自然道路、
大王の住居に各豪族が集まるというようなものでした。
政都としての機能は両都市間では断絶があったと思われます。

世界の歴史上、前体制(勢力交代があった場合)の遺物は徹底的に
排除される傾向が強いのですが、日本の歴史上、怨霊信仰によるものか
逆に前体制の遺物が崇拝対象になったりすることもあります。
ただ、奈良時代のころには畿内の木材・石材が不足傾向に陥っており、
遠くは信濃や阿波から運ばせるようなことになっていたので、旧都の
建造物は解体されリサイクルされるケースも少なくなかったようです。
(大阪城だったかの石垣に墓石やお地蔵さんがあった、とかみたく)
そういう意味で飛鳥の石造物群は、リサイクルに適さないものが残った
のかもしれません。

18 :1言主:02/07/24 20:33
つまり>>1なんす。
皆さん、興味深いレスありがとう。

飛鳥は中学校の修学旅行と20代のときに行ったきりです。
京都、奈良と比べるとかなり風変わりな所でした。
日本の歴史からはみ出していると感じました。

会社の研修旅行(単なる社員旅行)で今夏、少し立ち寄ります。
仲間内の話題の中でも、ミステリアスな所として噂になったこともありました。
具体的な内容じゃなく、漠然と、そういう(変わった所だという)話ばかりでした。

今日も昼休みはその話がでました。
あの有名な酒船石は手塚治の「三目が通る」という漫画で出てきたんですね。
全部読んでいないけど、実際の用途は不明だと言うことですね。



19 :神武天皇:02/07/24 22:10
飛ぶ鳥の・・というのが「飛鳥」にかかる枕詞。
わしが飛鳥に向かうとき、道案内をして助けたのがヤタノ烏。
これって関係あるのかなあ?
ヤマトタケルが死んで白鳥になったとか、大和(飛鳥、明日香)へ向かったとか。

鳥と飛鳥?

ちなみにわたしゃ酒船石は?です。けど、あれじゃ酒は出来ないよね。

20 :17:02/07/25 00:18
>>18

17です。>>1氏にも失礼なことを言いました。すみません。

明日香はホント風変わりで、さながら古代テーマパークです。
「遠野物語」の遠野市にも多くの石造物が残っていますが、
似たようなミステリアスさがあります。
実はちゃんとした理由が2つありまして、ひとつはいわゆる「日本文化」と
連続していないこと。明日香も遠野も、いわば日本文化の亜種なんですね。

飛鳥時代には、奈良時代以降の「律令制度」はまだなく、また平安時代の
ような鎖国的「国風文化」とは正反対の海外文明輸入先進都市でした。
多くの帰化人(今はコトバの性質上「渡来人」といいますが)が住み、
数ヶ国語が日常的に飛び交い、見たこともないものを作ったり、
習慣・宗教・文化を持ち込んだり、新しい食べ物をご馳走してくれたり、
それはまさに民俗学的猥雑さの宝庫だったことでしょう。

遠野は、あんな地方の山奥ですからどうしたって日本文化(京文化)の亜種に
ならざるをえない。でも交易の要衝ですから妙なハイカラさも併せつつ、ね。


もうひとつの理由が、昭和55年に制定された
「明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法」
と呼ばれる法律です。万葉学者の犬養孝らが歌碑を盛んに立てるなどの活動により、
「文化財」として価値を高め、政府を動かした形ですね。まあ、もともと
文化財保護法自体が斑鳩の法隆寺火災(昭和24年)に端を発するわけで、
文化財保護と明日香・斑鳩というのは切っても切れない関係にあります。
ま、明日香に関しては地元民と開発業者からは迷惑がられたとの説もありますが……。

同じことは柳田國男のおかげで民俗学の聖地となった遠野にもいえますね。

ちなみに、酒船石(酒舟石とも)は酒船石遺跡(外国要人の迎賓館的施設だったとの
説があります)の庭園に巡らされた装飾用水路への装飾的導水器具だったと
いまでは考えられております。亀形石造物と呼ばれる水盤の正中線と、山上と山裾と
いう高低差があるものの、直線上に配置されていました。

21 :1言主:02/07/25 19:09
>>17
>ひとつはいわゆる「日本文化」と連続していないこと。
>飛鳥時代には、奈良時代以降の「律令制度」はまだなく、また平安時代の
>ような鎖国的「国風文化」とは正反対の海外文明輸入先進都市でした。

規制緩和と開放政策ってことですか。それと中央集権国家じゃなく連邦国家的なと
ころですね。もっと(地方)分権的だったってことね。
今日本の進路もそういう方向が望まれてるようにも思いますが・・・

>数ヶ国語が日常的に飛び交い、見たこともないものを作ったり、
>習慣・宗教・文化を持ち込んだり、新しい食べ物をご馳走してくれたり、
>それはまさに民俗学的猥雑さの宝庫だったことでしょう。
      ↑
かなり豊かな風景が想像できますね。
浪花節・演歌的な辛抱と義理人情に縛られた今の世相とは様子が違う感じがします。
そういう視点から飛鳥を見てみるのも面白いですね。
飛鳥に行く楽しみが、また一つ増えました。

そこでまた一つ疑問も湧くのですが・・・
近鉄線で大阪から奈良へ行った時、右手の方に河内平野、生駒の山々、奈良盆地南
部の順に見えてきました。
あの肥沃で広大な河内〜堺の方に首都的な町を造らず、山中の盆地に出来たんでしょうね?
仁徳陵も堺の方でしたっけ?そっちにあるし、何かと便利なように思いますが・・

22 :神武天皇:02/07/25 21:30
レス三球>>17さん
>酒船石(酒舟石とも)は酒船石遺跡(外国要人の迎賓館的施設だったとの
>説があります)の庭園に巡らされた装飾用水路への装飾的導水器具だったと
>いまでは考えられております。亀形石造物と呼ばれる水盤の正中線と、山上と山裾と
>いう高低差があるものの、直線上に配置されていました。

亀形石造物って2,3年前だったかに発見されたやつ?
その正中線と酒船石のそれがつながるんですか?
とにかくどういう関係に配置されてんのか見に行きたいですね。
それにしてもそんなけったいな石物を見て楽しめたのかなあ?
まあ、日本の侘び・寂びを解する私としては、にわかには感得しかねますな。
やはり現地に行って実際に感じてみるしかないのかなあ。

それと1言主さんの言われる「なぜ河内じゃ駄目なの?」ってことだけど俺
が考えてみるとですね、
(旅行雑誌見ながら、高校の日本史を及第ギリギリの学力で推理)
山の木と鉱石で金属器を生産し、掌握する政権じゃなかったのかな。
石上の神社のご神体は刀だったと思うけど、記憶が定かでないけど。
んーっと「ふつの御霊」=刀?

23 :17=20:02/07/25 23:01
>>21
> 規制緩和と開放政策ってことですか。それと中央集権国家じゃなく連邦国家的なと
> ころですね。もっと(地方)分権的だったってことね。

ナイスフォローありがとうございます。
浪花節の「難波」はいまや、食べ物屋とゲーセンと風俗とファッションビルと
老いと若きとリーマンとプーと外人とが雑居する、ある意味猥雑の極致ですけどね(w

> あの肥沃で広大な河内〜堺の方に首都的な町を造らず、山中の盆地に出来たんでしょうね?

歴史上、16代・仁徳天皇〜19代・允恭天皇の時代は大阪に都がありました。
世界最大(最長)の陵墓「大山古墳」(仁徳天皇陵)や、履中天皇陵が大阪にある由縁です。
あと、26代・継体天皇、45代・聖武天皇のときにも大阪に都があった時期がありますが、
この二人は最後には奈良に戻っています。

でもみんな最終的に奈良盆地に収束するのはなんででしょうね?
どう考えても、大阪のほうが交通の便(水利)や平地面積からしても効率がいいはず。
当時は熊襲や隼人、蝦夷らの脅威から内陸部に居を構える必要があったんでしょうか?
もしくは、「連邦国家」ゆえに王家が有力豪族のお膝元に留まる必要性があったんでしょうか?
古代王権のパトロンのひとつに「葛城氏」がありますが、これが奈良葛城山
(一言主神さんの実家ですヽ(´ー`)ノ)周辺を根拠としていましたからね。
>>22 氏の金属器支配というのも面白いなあ。誰か詳しい人教えてください。


> その正中線と酒船石のそれがつながるんですか?

ごめんなさい。うろ覚えなので、酒船石の「溝の一つ」と直線上だったかも?

24 :天之御名無主 :02/07/26 10:04
古代史おれも興味あるけど耳学問と想像を楽しむだけ。
これを巷では「世間話」といふ。
それはそれとして、私が想像しまするに飛鳥の頃って外国の影響は文化
風習の面ではあったとしても、脅威はあったのだろうか?。
いわゆる侵略されるのではないかという怖れ。



25 :天之御名無主:02/07/26 10:46
理系の素人だけど、参加させて下さい。

アスカに関して、ずっと疑問だったこと。
1.大阪・羽曳野市の飛鳥と大和の明日香の関係は?
2.そもそも「あすか」ってどういう日本語なのさ?

それはさておき、奈良盆地に都を置いたのは防衛上の問題じゃないかと思う。
河内王朝(とんでも説なの?)があったとされる場所って、
奈良に対する防衛がものすごくやりやすそうな所だし。
で、その河内と比べると大和盆地の方が圧倒的に防衛が楽、って理由じゃないのかなぁ。

26 :はじめまして:02/07/26 12:37
初です。
飛鳥には大変興味があるので突然の書き込み失礼します。
奈良盆地に都を置いたのは風水の関係じゃないのですか?
>>25さんの「あすか」という日本語に由来は
大変気になるところ。地名としては相当古くからあったようですね。
飛鳥時代皇女の名前にもなってるし。

27 :神武天悩:02/07/26 21:10
>>23
飛鳥朝は20代の天皇からってことですか。

その後、中大兄・鎌足のクーデターで律令制を導入。
白村江の戦い、大津遷都、壬申の乱、定都藤原京など。
その間、天皇の補佐者を領土基盤豪族から貴族官僚へ。
おぼろげながら記憶をまさぐってもそれくらいしか出てこん。

レスをROMするに、その斉明天皇の工事好き、オカルト好きの痕跡が飛鳥の
風土に色濃く反映されてるように感じました。
その斉明さんって一口で言うと変な人ですか?

>>26
明日香・飛鳥の「あすか」は「あす・か」という語にわけて語源があると
思うッス。
「あす」は「あそ」「あさ」と同じ語源。「火山地」ってことだと思う。
「か」は場所を表す接尾語くらいか。
例として、九州の阿蘇山、三重県の南部の阿曽温泉、富士山は古名「浅間山(あさまやま)」、伊勢神宮の裏山は朝熊山だけど地元の呼称は「あさまさん」
※ちなみに飛鳥の耳成山・香具山は休火山だという。近くの室生寺の山もそう。
だから昔は火山地帯だったんでしょう。
また「あすか」=「あづま」として「東の方」と言う人もいる。

28 :sage:02/07/26 21:43
>21

大和王権も米を基盤にしていたでしょ。大和盆地はかつて大湿地で
  米造りに向いていたのでは?  河内は弥生時代は大部分海(汽水域)
  だったようです。大和川の氾濫とかで生活しにくかったみたいです。
  大和盆地は湿地内に川が流れていて、運送もそんなに不都合ないし、
  当然防衛上も好都合ですね。
  古代人が珍重した水銀朱も三輪山の東側の山々で産出し、宗教的にも
  好都合だったようですね。

29 :sage:02/07/26 22:01
仁徳天皇の時代に、河内で大土木工事を行い、それから
開けたみたいですね。

30 :エスパー伊藤:02/07/26 22:37
を教えましょう。

>>19が言うように「飛ぶ鳥の」が飛鳥のいわれ。
ようするに飛ぶんですな。飛鳥の秘密は。
だから飛鳥時代は色々飛んでったんですよ。
久米寺(久米の仙人)、雷山などは、落っこちてきたいわれ、説話など有り。
飛んでるヤツをみたという「鳥見山」「国見山」など。
多武峰(ふたつきの宮跡)、益田の岩船など物見ヤグラだったんだよねこれが。
簡単に飛ぶ方法があったんだよ。
だから遠くの西域の文化だとか文物だとか直輸入よ。
国際都市なんか簡単よ。

じゃ、なぜ飛べたかって?
そりゃ超能力の方法があったんよ。
その後、近所の伊賀、甲賀の忍者に受け継がれていたけどね。
徳川家康が本能寺の変(@京都)に行き合って、這々の体で逃げるとき
伊賀の服部半蔵が現れ、一足飛びに白子浜まで運んじゃったのよ。
その方法は江戸時代まで江戸幕府が抱えていたが、明治維新の時こっそ
り民間の人間に渡ってしまった。
つまり俺だけどね。
裏の世には誤って伝えられてるけど「ヒヒイロカネ」っちゅう金属が飛
び道具つくるそれよ。その精錬の方法は酒船石なんだよね、これが・・。
材料は砂鉄(正確には赤土から取るんだけど)、朱や水銀、青銅。

えっ、信じない?信じてくれなきゃ言うのやめたっと。

31 :17=20:02/07/26 23:06
>>24耳学問と想像  >>25理系の素人 >>30エスパー  色々な意見があって楽しいです。
このスレ、一投稿あたりが長く、民俗・神話学よりも日本史になりつつありますね(w
sageで進行の方がいいでしょうか?


>>24
> 外国の影響は文化風習の面ではあったとしても、脅威はあったのだろうか?

「外国=日本列島の外」とすると、はっきり言ってあんまりなかったみたいです。
まず朝鮮半島。弥生系日本人はほとんどが元々朝鮮半島出身で、その後も多くの
移民を受け入れていたので、どこからが「侵略」かすでに曖昧だったかもしれません。
当時(4〜6世紀)の朝鮮半島は、新羅、高句麗、百済、加羅の四国分立状態で、
そのうちの「加羅」(半島南端)は何を隠そう日本の植民地でした。

国名としては、「任那(みまな)」ともいいます。日本から見た位置づけは
「内官家屯倉(うちつみやけ)」となります。この植民地を打ち立てたのが、
14代・仲哀天皇の妃にして、15代・応神天皇の母、「神功皇后」です。
ま、伝説上の人物と見なされていますけどね。戦前派は歴史や国語の教科書
でおなじみの人物だそうです。ただし、4世紀末の日本(倭)による朝鮮侵略は
事実で、中国吉林省に残る好太王(広開土王)碑文などが傍証とされています。

これが26代・継体天皇(6世紀初)のころになると支配力が衰え、逆に百済から
加羅四県割譲なんてことを迫られたりします。それでも当時は海が隔てていた
ので朝鮮半島は敵ではありませんでした。

32 :17=20:02/07/26 23:06
では中国はというと、中国も三国志でおなじみの三国時代以来国内が荒れていまして、
魏晋南北朝時代といって中国全土を統一できるような強大な政権がなかった。
状況が変わったのは、統一政権「隋」の誕生で、これには脅威を感じざるを得ない。
そこで、聖徳太子が「日出る処の天子日没する処の天子に書を致す」なんて
外交のパワーバランスを保つための危険な賭けをしたりしたわけです。

さらに、この頃になると任那も実質消滅。29代・欽明天皇(聖徳太子の祖父)の
「新羅を討ち、任那を再興せよ」という遺言が大王家の悲願となります。
およそ100年後の663年、38代・天智天皇はとうとう新羅出兵を決意。
これが有名な「白村江の戦い」で、唐の大軍にあっさり敗れたのはご承知の通り。
それ以来、「唐」を敵にまわしたことを怯えた天智天皇は滋賀の大津近江京に
引きこもり、防衛設備(水城)や防人で九州方面を固めました。
その後、42代・文武天皇の世になるまでの三十数年、遣唐使などの国交も閉ざされました。

33 :天之御名無主:02/07/26 23:07
飛ぶ鳥の明日香の里をおきて去なば君があたりは見えずかもあらむ
ですな。
じゃ明日香の由来はなんなんだというとこれがまた諸説紛々

34 :=26:02/07/26 23:47
>>27
斉明天皇の工事好きは
仏教が万能でないことに気づきだしたことから、
道教に走っておこったものです。だから、その人自体がへんだった
わけではないのでは。

飛鳥池遺跡が外交使節供応の場所だとか、
道教儀式の場所だとか言われていますが。
>>32みたいだったら、外交〜説はうすくなる??
どう思いますか?

35 :17=20:02/07/26 23:55
>>25 1.大阪・羽曳野市の飛鳥と大和の明日香の関係は?

クイズ。聖徳太子のお墓はどこにある?
答えは、「大阪府太子町/叡福寺・磯長陵」となります。
知らない人にとっては以外ですよね、大阪なんて。でもこの近辺には
敏達・用明・推古・孝徳など歴代天皇陵も多いのです。なぜか?
明確な答えは難しいですが、この地が奈良と大阪を結ぶ街道筋で
栄えた土地だったということが言えそうです。

日本初の国道(官道)「竹内街道」は、推古時代に完成したと書記に伝えられ、
当麻寺のあたりから二上山麓を横切り、太子町を抜けて羽曳野市飛鳥へ抜ける
重要なルートでした。

さて、羽曳野市、市の名前そのものも古代史にかかわるものです。
日本武尊(倭建命)は死んで白鳥になり各地で目撃されています。
そして最後に羽を休め、遠く飛び去ったのがこの地、羽曳野市。
だから、羽を曳く意の地名となったのだと言われています。眉唾ですが。

で、さらに羽曳野市「飛鳥」ですが、ここは「近つ飛鳥」と呼ばれてました。
お察しの通り、奈良の飛鳥は「遠つ飛鳥」と呼ばれました。遠近は難波から見た場合。
17代・履中天皇の同母弟(後の18代・反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に
参向する途中で立寄った土地を近い方から「近つ飛鳥」「遠つ飛鳥」と名づけた由。
古事記にも記載されています。

市内には「飛鳥川」が流れており(奈良の飛鳥川とはつながっていません)、
のんびりとした風情がどことなく奈良明日香と似ていなくもありません。
そうした風景が奈良明日香と似ていたからこそ、土地や川に奈良への思いを重ねて
同じ名前をつけたのかもしれませんね。
(この時代どこも同じような風景だったんじゃないかという気もしますが……)

36 :17=20:02/07/27 00:23
>>33 じゃ明日香の由来はなんなんだというとこれがまた諸説紛々

ですね。「飛鳥」が枕詞に由来というのはいいとして、
明日香の由来諸説は下記URLに詳しいですよ。

■明日香村観光開発公社&飛鳥京観光協会
 ttp://www.sikasenbey.or.jp/asuka/asuyura.html

(概要)
 1. 外来説: 渡来人の安住の地「安宿」から
 2. 外来説: 古代朝鮮語の「村(スカ)」+接頭語「ア」
 3. 外来説: 仏教説話の人物「アショーカ王」の転訛
 4. 鳥 説: 鳥は瑞兆として尊ばれたから。「イスカ」という鳥か
 5. 地形説: ア(接頭語)+スカ(洲処=川水、海水等によって生じた砂地)
 6. 地形説: アス(浅す=川、海等が浅くなる又は水が涸れる)+カ(処)
 7. 地形説: アス(崩地)+カ(処)
 8. 神聖説: スカ(禊をする[イスケ、イスズ、ミソギ等と同様])=神聖地

37 :天之御名無主:02/07/27 01:19
話それますけど、古代の地名で個人的な感想なんだけど日本語っぽくないな〜
なんて感じている時があるのですが、”あすか”もそんな感じしました。
それに、漢字の読み方も当て字みたいにみえるもの・・・

38 :F−K@明日香村民:02/07/27 01:27
 私が小さい頃、鬼の雪隠・俎板の近くを通ると霧が出て鬼が出てくる、という話
聞いた事あります。

 もっとも誰から聞いたのか忘れたくらいなんで、由来その他を聞かれてもわかり
ません。たんなる俗説だと思うけど。

 亀石の話は有名ですが。あれ体育会20人くらい連れてくれば動くような気がす
る。今までやろうとする人間が1人もいないのが不思議。石舞台なんかと違って誰
も見張ってないし。
 
 地元民だけに、遺跡への敬意が少ないです。亀石なんてのぼって遊んでたし。

39 :F−K@明日香村民:02/07/27 01:36
 亀石の話の捕捉。

 昔は真東を向いていて、だんだん動いて今の南西向きになったと伝えられてい
ます。つまり伝承上では今もあれは動いているんです。で、真西に達した時にあ
たり一面が水没するという。

40 :17=20:02/07/27 01:38
>>37
明日香もここ10年ですっかり観光地かしてしまいましたね。
特に、石舞台とか、高松塚古墳の周囲の公園なんてすっかり観光地。
むかしは本当に田んぼの中にポツンと遺跡がある感じで鄙びてたのにね。

41 :エスパー伊藤:02/07/27 06:55
俺の電波レスに誰も乗ってきてくれないなあ。
あながちホラだけでもないと思うけど・・

飛鳥の由来は可能性として聞いてちょ>>33>>36>>37

アスカって地名は次のように変わりました、「あすか」→「明日香」→「飛鳥」
1。「あすか」
地名ってのは最も変わりにくい呼び名です。いったん地名が出来てしまうと、社会
的なコンセンサスが出来てしまう。また変えると都合上大変不便です。
そして地名が出来るのは、地元民の「名づけ・名乗り」じゃなく周辺地域の人々が
呼びやすいように呼ぶんだと思います。
だから、たいていは「地形説」「その場所の機能」。
「あすか」っていうのは元々の呼び名で、地形とか機能をさしてたんでしょうね。
これは私も不明。神武天皇説>>27>>36の「その9」に加えてもいいのでは?

2,明日香
漢字を当てることが好きなんでしょうね。しかもけい佳字(美しい字)を当てるのが。
言霊の影響かも。確か奈良時代にも各地の地名を「佳字2文字で書け」という法律だ
出来たようです。今の人々も漢字を感じで表したがる、日本人の性か・・
とのかく「あすか」じゃ嫌だったんでしょうね。明日香は多分、地元政治家達の作字。
未来都市ってことでしょうか?、←これは想像

3,飛鳥
明日香が飛鳥になったのは、どういう謂われか私にはわかりません。
勝手な想像ですが、やはり「飛ぶ」ことに関係があると思います。
「飛鳥」だから「飛ぶ鳥の」が枕詞になったのじゃなく、「飛ぶ鳥」が関係している
ので枕詞になったのじゃないかな、と思います。
明日香が飛鳥になったのは、飛ぶ鳥が関係してきたから、と想像しました。
ここでは想像許してください、間違ってたら遠慮無く訂正してください。

高校古典では「枕言葉」は「縁語」じゃないので由来、関係はないと習いましたが、
最近の研究では関係は有るみたいですね。

小生の前レス>>30は「飛ぶ」ってことが、飛鳥にはやたら多いように感じたので・・
ヤマトタケルも羽曳野だけじゃなく、三重県の能褒野で死んで大和へ飛び去った。

それはそうと鳥居が神社前にあるのは日本の神社だけかなあ?
↑調べもせず、安易な質問。私も>>24さんの姿勢で世間話的に気楽に参加させてく
ださい。想像好きなんで、想像も混ぜますが根拠出処のあることと分けて申し上げ
ていきたいとおもいます、ので。




42 :17=20:02/07/27 13:15
>>41 エスパー氏、電波とか自分でいうわりに論旨がしっかりしてて面白いですよ。

1. 一般論で、地名の由来は、地形、伝説、位置関係、などなど色々あり、
  それがさらにアイヌ語や古代朝鮮語の音訳だったり、意訳だったりもします。
  もっとも「コトバ」が姿形を変えずに残るのが地名だと言われますね。
  >>27神武天皇氏の2説もいいと思ったんですが、紹介したHP上にはなかったので
  HPの概要説明には向かないと思い、あえて抜いちゃいました。再録しますね。
   9. 地形説: アス(火山地)+カ(処)
   10. 位置説: アヅマ(東の方)の転訛

2. 「明日香」が慶佳字(?)での当て字というのはおそらくそうでしょうね。
  万葉仮名であれば「安寸加」とかの方がむしろスマートですもんね。
  ちなみに、>>26で皇女の名前に「飛鳥」は、天智天皇と橘娘の間に生まれた
  「飛鳥皇女」(明日香皇女とも)ですね。彼女は逆に地名を名前に冠された
  形です。この頃の皇子女には、「地名」(例:大津皇子)や、「関係豪族」
  (母方の出身や乳母の出身。例:安倍内親王)の名前を冠されたのですね。

3. 「飛ぶ鳥」を重視するのはアリだと思います。「明日香」に限らず、「羽曳野」
  にしても、「斑鳩(鳥の種類)」にしても当時栄えた土地の地名には「鳥」が
  関わっているものが幾つかあり、なにか特別な意味があったのかもしれません。
  聖徳太子が空を飛んだなんて珍説もありますし。(そりゃ山岸涼子のマンガか)

43 :神武夫皇:02/07/27 16:53
>>38F−K@明日香村民さん、17=20、エスパーさん、その他みなさまへ

このスレも、旅行雑誌&高校日本史ギリギリの私の知識範囲をかなり超える量とレ
ベルになってきました。雑誌の写真や説明だけでなく現地で確認したいことが多いね。
鬼の雪隠・俎板、益田の岩船、亀石・・、ご紹介アリガトサン。
また、飛鳥の語源についてもご配慮アリガトサン。

「あすか」の語源も実のところはまだハッキリしてないってことですか?
地元の人だったらおおよその察しはつくのでは?
明日香が飛鳥として、「飛ぶ鳥」というアイデンテテイみたいなものをもってくる
のはどうもオカルト天皇・斉明さんくらいからか?という推理もできますね。

44 :天之御名無主:02/07/27 19:58
地元の人は当時から住んでるわけでしょ?
なにか、世に出てない凄い逸話とか無いのですか?

45 :天之御名無主:02/07/28 11:45
昔「日本の中の朝鮮文化」を読んだときからの疑問なのですが
「神道」「神社」の起源も朝鮮なのでしょうか。
朝鮮にはそれを証明する鳥居などの遺跡があるのでしょうか。




46 :奈良の名無し:02/07/28 12:14
大和三山火山説はこんな感じのようです↓ (pdf)
http://earth.nara-edu.ac.jp/nishida/y100ma.html

>>45
多分「奈良は古代朝鮮語」ってのと同じ類のデムパでしょう。

47 :1言主:02/07/28 21:49
皆さんレスとご案内ありがとうございます。
元々は私が飛鳥見学の下調べにと面白い話を仕入れようと思って
スレを立てたのですが、かなりタブーめいた部分に触れだしたよ
うなサスペンス気分にさえなります。

特に「アスカ」の語源はミステリアスですね。発音自体は変わら
ずに、漢字だけが変わっていく。アスカ以前の首都?が河内方面
なら、そこからアスカ方面を実際に見てみるとヒントがあるかも
ですね。
日本でアスカっていう地名は他にない(少ない?)し、それとヤ
マトっていうのとどう関係があるのでしょう?
「ヤマトは国の・・青垣山ごもれる・・」っていうくらいだから
奈良盆地全体をいうのでしょうけど、彼らは国内に対してはヤマ
ト(奈良盆地全体)というアイデンテティてを持ち、盆地内では
それぞれの氏(葛城、蘇我など)として別々のアイデンテティを
意識していたのだろうか?と思いました。
そうするとアスカっていうのは、明日香・飛鳥として何を示そう
としていたのかなあ。

斉明天皇が残した石物はそれと関係があるのでしょうか?

48 :17=20:02/07/28 22:00
>>21 肥沃で広大な河内〜堺の方に首都的な町を造らず
>>29 仁徳天皇の時代に、河内で大土木工事

私なりの考察。
まず、3世紀はじめに誕生した大和朝廷ですが、発足当初は「地方豪族の連合体の長」ていどの
権力だったと考えられています。支配力が伸長したのは5世紀末、21代・雄略天皇の頃でしょうか。
理由はおそらく「経済力」です。コメは保存がきくため、より多く所有する者が飢饉や戦争などに強く、
頭角を現すようになったものと思われます。

経済格差を決定付けることになったのが、河内(大阪平野)の開発です。
>>29氏のおっしゃる通り、6,000〜7,000年前の地球では温暖化のため海水位が高くなる
「縄文海進」の状態にあり、大阪平野一面が海の底でした。クジラの化石が大阪市内で
見つかった例もあります。4世紀頃でも、まだ河内北部に「河内湖」と呼ばれる巨大な湖が残り、
大阪平野は、北部=低湿地、南部=農業用水の不足、という状況で、開発は遅れていました。

5世紀はじめ、16代・仁徳天皇はそれまでの奈良盆地(纏向[今の桜井市])での開発に限界を感じ、
河内に宮を移す。溜め池や運河開削、堤防補修などの開発工事によって大阪平野南部の農地化が進み
大和朝廷は急速な経済発展を遂げ、支配地域拡大の足がかりとしたのでしょう。

49 :17=20:02/07/28 22:43
>>27 斉明さんって一口で言うと変な人ですか?
>>34 斉明天皇の工事好きは道教に走っておこった。飛鳥池遺跡が外交使節供応説はうすくなる??
>>43 「飛ぶ鳥」というアイデンテテイはオカルト天皇・斉明さんくらいから

斉明天皇は皇位継承の考え方について転機となった人です。幾つかキーワードを挙げてみましょう。
 1. 女性天皇である
 2. 皇位を「禅譲」している
 3. 重祚している(皇極天皇→斉明天皇[同一人物])

まず1.ですが、女性天皇というのはだいたいの場合において「次期天皇(皇太子)」までの
「つなぎ」として投入されます。「聖徳太子」のつなぎに「推古天皇」というのもその例です。
しかし、聖徳太子については不幸なことに、太子は短命、推古は長命という皮肉によってついに皇位に
つくことのないまま薨去するのです。この事態に一計を案じたのが中大兄皇子。のちの天智天皇です。

645年「大化の改新」(乙巳(いっし)の変)のドサクサに紛れて、母親である「35代・皇極天皇」に
譲位を迫った。それまで皇位というのは今上天皇が死ぬまで続くものでしたが、その習慣を変えさせよう
と企んだわけです。さらに中大兄(と藤原鎌足)のあくどいところは、譲位後の天皇位に自分が
つかなかったこと。「大化の改新」は政治改革に他なりませんから、各豪族の反発は必至です。
火中の栗を拾って、短命政権に終わるよりも、自分は矢面に立たず後ろで糸を引いたほうがいい。
適齢の皇子はみんな戦々恐々となって、候補から脱落するために、いち早く頭を丸める者まで現れる始末。
そんな中で一番ドンくさかったのが軽皇子という人で、「36代・孝徳天皇」として無理矢理即位させ
られてしまいます。

孝徳天皇治世下で、実質的な政権を担ったのが中大兄と鎌足。もうやりたい放題、天皇無視。
自分を蔑ろにする、あまりの専横ぶりに怒った孝徳天皇は憤死といっていいような死に方をします。
で、いよいよ中大兄皇子が天皇即位かと思いきや、慎重派のこの男、まだ早いと先の天皇、
自分の母親である「皇極天皇」を「斉明天皇」として再デビュー(重祚)させてしまいます。
斉明天皇にしてみれば、「女性天皇」ゆえの傀儡政権で、若い頃は蘇我入鹿に操られ(愛人という説も)
老いては息子に操られで、趣味(風水)に走るしかなかったというのもあったでしょう。
しかも、当時の天皇家は改新の諸改革によって財を蓄えていましたし、民衆を直接支配下に組み込むこと
にも一定の成功を収めていたから、一大土木工事も可能だったというわけですね。
とはいえ、この大土木工事、「狂心の渠」(たぶれこころのみぞ)と民衆に揶揄されるほどでしたから
斉明天皇の常識感覚というのはマリー・アントワネット並みだったと言えるかもしれません。

あと、飛鳥池遺跡=外交使節供応施設ですが、皇位継承は推古→舒明→皇極→孝徳→斉明→天智の順で、
推古朝=「遣隋使開始」、舒明朝=「遣唐使開始」、ずっと下って天智朝=「白村江+遣唐使停止」
ですから、斉明朝の飛鳥池遺跡で外国施設を接待していた可能性は大いにありますね。

50 :25:02/07/29 09:08
むぅ。難しい…。
結局、「アスカ」という言葉については専門家でも、
よく解っていないって事ですね。

>35 17=20さん
詳細なレスありがとうございます。羽曳野のアスカは、奈良のアスカより
後に付けられたんですね。

もし、それぞれのアスカがお互いに関係なく命名されたのだとしたら
「両方に共通する特徴」=「アスカの語源」
になるなぁ、と考えていたので…。

叡福寺さんには何度か行ったことがありますが、確か太子は合葬されてるんですよね。
なんだか、変わった感じがするお寺and陵ですね。(スレ違い、ごめんなさい)

51 :エスパー伊藤:02/07/29 20:23
結局、アスカの語源はわからずじまいという雲行きですね。
私も「んなこたーないだろ」と辞典やら出してみたけど、定説という物はなかったです。
下の↓説明も面白かったけど、自分的にはまだピンと来ない。
http://www4.osk.3web.ne.jp/~nishida5/nisida/dousyu/ronbun/d2_14.htm

それだけに想像が許されて面白いのだろうけどね。
「あすか」という地名は奈良盆地には10ヶ所以上有るそうで、他の県では有るか無いか
あっても1ヶ所くらい、と言うのだからなにか謂われや根拠はあるのでしょうね。

松本清張は「火の回路」(ひのみち)で、飛鳥を推理していますが語源には手を付けていませんでした。
このスレで問題にしている石物は、斉明と結びつける17=20さんの意見によく似ていました。
さらに松本氏は「それらはゾロアスター教の影響がある。多武峰の両槻宮に酒船石などを配置して完成させようとしていた。」と言っている。
また「益田の岩船は火壇である」とも言っていました。
つまりはその道の学者も推論さえむずかしいことなので、推理小説家の推理力が頼もしく思えました。

52 :1言主:02/07/29 21:33
>>49、17=20さん
>斉明朝の飛鳥池遺跡で外国施設を接待していた可能性は大いにありますね。
ゾロアスター教関係者も含まれるのでしょうか?ゾロアスター教そのものじ
ゃなくとも、道教、密教などもゾロアスター教の影響を受けていると言うこ
となので中国・西域風の様子がうかがえそうですね。

>>50、25さん
>叡福寺さんには何度か行ったことがありますが、確か太子は合葬されてる
>んですよね。なんだか、変わった感じがするお寺and陵ですね。
このスレ立てたときからの疑問なんですが、聖徳太子暗殺説もあるみたいですね。
蘇我氏の系図を見ると聖徳太子・山背王子親子と馬子・入鹿親子との対立を経て
「乙巳(いっし)の変」で蘇我一族は無くなっていますね。(ごく一部を除いて)
かなりの勢力のあった氏族だけに一筋縄では理解できぬいきさつがあったことが
予想されます。
聖徳太子の最期の記述に、あまりお目にかかりませんが・・・知られざる事件など
がもし有れば・・などという不届きな考えも頭をよぎってしまいます。

>>エスパーさん
>「あすか」という地名は奈良盆地には10ヶ所以上有るそうで
語源はますます混迷を深めつつですね。
私もエスパーさんの「飛ぶ」というキイワードがきになります。
興味があってこの頃は自分でも調べたりしてるんですが何か「鳥
・飛ぶ」がひっかかりますね。例えば「とり仏師」「白鳳」
「朱雀(キトラ古墳)」などなど、これ全部、鳥ですよね。




53 :17=20:02/07/29 23:23
>>51 松本清張は「火の回路」(ひのみち)で、飛鳥を推理

へーそうなんだ。読んでみよう。エスパーさんサンキューです。
司馬遼太郎とか海音寺潮五郎とかもなんか書いてそうですねえ。
だれか知ってる人いたら教えてください。

>>52 飛鳥池遺跡で外国使節を接待…ゾロアスター教関係者も含まれるのでしょうか?

月並みですが、「広辞苑(第五版)」によると、
---------------------------------------------
【ゾロアスター教】
 前六世紀ペルシアの預言者ゾロアスターの創始した宗教。(中略)
 古代ペルシアの国教として栄え、中国には南北朝の頃伝来、
 祆教(けんきょう)または拝火教と称。
---------------------------------------------
時代的にはバッチリ可能性がありますね。ただ、その後「隋」時代にも
まだ存続していたかとか、朝鮮半島への布教度合いがどれほどだったか不明ですが。
でも正倉院には、ペルシア風の水差しやグラス、伎楽面などが残されているくらいですから、
ゾロアスター信者(の中国人?ペルシア人?)が来ていても全然おかしくないですよね。

聖徳太子については、梅原猛の「法隆寺論・隠された十字架」が有名ですが、
学会ではいまだにトンデモ説的な扱いのようですね。ちなみにこの説は、不幸な最期を
遂げた聖徳太子一族の怨霊鎮魂のために法隆寺が建てられたという中身です。
聖徳太子が暗殺されたかどうかについては、むかし読んだだけなので忘れました(w
井沢元彦「逆説の日本史」とかも梅原説に近かったような……。うろ覚え。

あと、「あすか」ではありませんが、「やまと」「しきしま」について、
「日本国の別称である大和や敷島がもとは三輪山一帯の古称にすぎな」い
と日本地名研究所所長の「谷川健一」氏は言っております。その語源までは
書いてませんでした。(この板には谷川嫌いが多いようですが(藁))

54 :F−K:02/07/30 01:35
 井沢元彦氏の「逆説の日本史」。今、丁度読んでいます。彼は聖徳太子自殺(心中)
説です。
 参考までに、「太子伝暦」という10世紀の資料からの引用の部分を

 推古29年の春、太子は斑鳩宮にいた。(太子は)膳部妃に命じて沐浴させ、自分
も沐浴して身を清めた。そして新しい清潔な衣服を身につけて妃に言った。「私は今
夜死ぬだろう。おまえも一緒に死のう」と。妃も新しい清潔な衣服を着て、太子と同
じベッドんい入った。明朝、二人が起きてこないので(寝室の)扉を開けてみると、
二人は既に死んでいた。

 ちなみに自殺の理由としては仏教の捨身(釈迦が前世で飢えた虎や悪鬼に身を与え
る話)に対する共感とみてるようです。

55 :没個性化されたレス↓:02/07/30 08:49
このスレの趣旨とは微妙に違うようですが、暇な方はどうぞ。
http://mentai.2ch.net/min/kako/986/986444023.html

56 :25:02/07/30 09:54
火と水と石の都、飛鳥か。幻想的なイメージですね。
何となく日本風で無いというか。

そういえば、四天王寺の仏像は、後世の仏像よりも派手な、
炎が燃え上がるような背光を持っていますね。ゾロアスターの影響かな?
当時の人って、仏教とかゾロアスターとか厳密に区別がついていたのかな?

>>54 F−Kさん

> ちなみに自殺の理由としては仏教の捨身に対する共感とみてるようです。

これは井沢氏の説ですか?それとも太子伝暦にあるのですか?
私は太子伝暦がどういう立場から書かれたのか知らないのですが、
引用部分を読むと不思議な感じがします。もし、太子を持ち上げるために
書かれた書物なら「太子は偉大な釈迦に共感したので死んだ」とか言って
聖人君子の様な書き方をすると思うのですが、引用部分だけを読むと、
よく解らないが死んだ、という印象しか受けません。かと言って、貶された
書かれ方でもないし…。

57 :エスパー伊藤:02/07/30 21:02
私的にも飛鳥の語源や聖徳太子暗殺説の真偽などの問題はわからなくなってきました。
もっとも知恵袋は辞書やPCの検索エンジン程度ですのですけど。
少々疲れました(;_;)

朝廷はなぜ、朝という字が付いてるんだ?
古語で、「朝」は「モーニング」と言う意の他に「あした」と読み「明日」の意もある。
「朝(朝廷)」が「明日」というなら「あすか」は朝廷の場所の意もあるかも?と考えてしまった。
なぜ朝廷というか?を調べもせず安易な想像です。詳しい人いたら教えてちょ。

58 :ヒロヒトラー天皇:02/07/30 21:11
関西人はチョンであーる。

59 :17=20:02/07/30 22:49
>>57 私も疲れてきた(;´Д`)ハァ
一投稿あたりが長すぎですね。すみません。
ちなみに、私も知恵袋は「辞書」「検索エンジン」がメインだったりします。

というわけで辞書だのみです。大修館書店『漢語林・改訂版』より抜粋。
------------------------------------------------------------
【朝】[二]1. まつりのにわ。天子が政治をとるところ。朝廷。
        昔は、朝日を迎えて政治を行った。
------------------------------------------------------------
だそうです。
「朝廷」と「明日香」の関連があるかどうかの答えにはなってませんけど。

60 :通りすがりの者です:02/07/31 00:09
10年ぐらい前に明日香村へ行ったとき、
田んぼの脇を歩いていたら、一人の老人が
「藁の干し方が2種類あるやろ」
と急に話し掛けてきて、
「え?」
ととまどっていると、
「原住民の子孫は家形に藁を干し、
渡来人の子孫は船形に藁を干すんや」
と言う。
なるほど確かに田んぼには家形に干してある藁と、
船形に干している藁があった。
「へぇ…」
と言って振り返ると、老人はもう居なかった。
なんだったんだろう。


61 :1言主:02/07/31 00:14
あすか語源と太子死因は?ということですか。
ますます魅力を増す飛鳥ですね。
太子が死に臨む場面>>54も何かいわくありげなものを感じさせますね。

私事ですが飛鳥探訪は盆前の暑い盛りに予定しています。なにせ暑い時期で
もあるし涼を取りながら旨いものを食べたく思っています。お薦めの店など
有りましたら教えてください。

62 :F−K:02/07/31 02:04
> これは井沢氏の説ですか?それとも太子伝暦にあるのですか?

 あくまで、聖徳太子の異常な死を推理した井沢氏の仮説です。ただ太子が捨身の
思想に共感していた、とするのは井沢氏独自の説ではなく、上原和という学者の方
の説です。

 

 あと引用はあくまで井沢氏の現代語役

 



63 :F−K:02/07/31 02:19
 途中で間違ってボタン押してしまいました。続きです

 で「死んでいた」との所は原文では「遷化を知る」。かなりニュアンスは違
います。引用部分はここまでですので太子伝暦の作者が、太子の死の理由を
どう考えていたかはわかりません。

64 :天之御名無主:02/07/31 02:31
お薦めの店=亀石のとなりの自販機
砂漠にオアシスを見た気分になれるという特典つき
ただし、売切れ中だと蜃気楼になるという諸刃の剣。素人にはお薦めできない
あと名物といえば、空き缶を食べるペンギン(故障中)まだあいついるんかな?
しかし、食い物屋ないね明日香は
駅前のコンビニか石舞台前のテントっぽい食堂くらい。暑いこと請け合い

65 :F−K:02/07/31 02:36
食い物屋がない理由は簡単。営業許可を取るのが難しいからです。

66 :天之御名無主:02/07/31 02:42
>>65 そうなんだ。知らなんだ
喫茶店とか自販機もあんまり多くないよね
北の方いくと住宅街ぽくてちょっとした駄菓子屋とかタバコ屋みたいのがあるけど
あと岡寺の辺に、みやげ物屋兼食堂みたいのがあったような気がする
まあ、明日香きたら黙って石舞台か高松塚あたりで弁当でも食いなさいってこった

67 :66:02/07/31 02:46
自販機の数よりミカンや柿の無人販売の数の方が多いくらい(藁

68 :25:02/07/31 08:44
>>F−Kさん
重ね重ねありがとうございます。
「遷化」っていうと何となく美化されてる気がします。素人考えですが…。

>>1言主さん
本当に水筒必携ですよ。本当に店が無いんですから。
私はゴールデンウィークに行ったんですが、駄菓子屋で食べた
アイスクリームが最高に美味かったことを覚えています。

69 :参考までに・・奈良・飛鳥名物:02/07/31 18:06
飛鳥の名物に蘇という物があります。↓
http://member.cyberstation.ne.jp/mmb/MBWUMAIM/JR31414730011/IBCDATA0013.HTM

奈良の名物のスレです。↓
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1023428373/l50

70 :1言主:02/07/31 21:35
みなさん、飛鳥のご案内アリガトウ。
うまいもの1押しが、自販機とアイスクリームというのも飛鳥に対する不思
議感をいっそう深めてくれます。(^_^;)
してまた「蘇」というものも味わってみたいと思います。>>69
飛鳥鍋(牛乳鍋)も飛鳥の昔からあったのでしょうか?
外国使節を歓待したとき、そういうもてなしをしたのでしょうかね。

昨夜は私がカキコ中にレスが入ってたので気がつきませんでしたが>>60さん
のワラの乾し方に船形・家形の違いというのも不思議ですね。
1400年以上もそういうしきたりで干してきたのかなあ。

伊沢元彦の逆説の日本史は週刊ポストで連載中ですね。喫茶店の雑誌でたま
に読む程度ですが、古代編はほとんどお目にかかっていません。
記憶に残っている部分は、古事記の作者は蘇我氏に対し敵愾心があるという
ことでした。馬子・蝦夷・入鹿という名前も動物名を入れた別称だと。

古事記は大化改新側に立つ記述ですから、蘇我を悪く言うのは当然ですが、
太子の業績をたたえる部分(17条憲法、冠位十二階、仏教)の精神は改新
・律令政治に取り入れていますね。そういう意味では飛鳥政治を肯定する著
述でしょうね。
現在の改革政治のコンセプトにもよく似た所があるように感じます。蘇我氏
はそうすると抵抗勢力ではないか(豪族間の力関係で政治を行うと言う所)
小泉大兄皇子が政治の刷新をするには思い切った「斬り捨て」が必要なので
しょうか(^^;)
彼は最近、抵抗勢力と話し合いを中心にやっているように思われますが。
私個人の仕事環境は旧態とした基盤と能力主義が入り交じった混沌とした状
態です。大兄・鎌足側にも蘇我側にも距離を置きながら少々臆病な考えで、
問題先送りがちにやってます。だから、「明日か」と毎日言ってます。

71 :17=20:02/08/01 01:11
「蘇」って、聞いたことはあったけど、売ってるとは知りませんでした。
食べたい!食べてみたい!決めました。私もこの夏は明日香に行きます。
まあ、東海圏の人間なので日帰りで行くことも可能なんですが。

井沢元彦の「逆説」シリーズは読み物としては面白いですが、まるまる
信じるにはちょっと疑問点もありますね。特に1〜2巻の古代史編は。
「新説」「真説」というより、タイトルの「逆説」のとおり、著者自身
今の歴史学会に対するアンチテーゼとして書いてるところがあるので、
「史料至上主義」反対の立場から状況証拠だけで論を進めるときが暴走気味。

>>70 だから、「明日か」と毎日言ってます。

山田くん、座布団全部もっててくれ!(w
行政向きのお話に詳しいところからすると公共系ですか。
業務量は変わらないのに人員は削減。できる人間とできない人間の
稼働量格差は広がる一方。でも賃金格差はほとんどナシってところですか。
出る杭が打たれるような文化は変えなきゃイカンですよ、本当。

72 :天之御名無主:02/08/01 01:18
>>71
飛鳥寺の売店で売ってたな。
イルカの首塚と同じ場所。(こっちは怪しいと思ってるが。)

73 :参考にして:02/08/01 09:10
飛鳥散策の資料の一つにでもしてください。
http://inoues.net/yamataikoku/tenno/tenno_meguri.html
        ↑
ちょと不気味な菊の御紋があったりしてますが、歴代天皇の墓に比定された御陵が地図付きで一覧でき、番外編には聖徳太子、ヤマトタケルもあります。

74 :F−K:02/08/01 09:11
>72
 入鹿の首塚の伝承ー板ぶき宮(大化の改心のクーデターのあった所)で切られた、
入鹿の首がその勢いで飛んで落ちた場所を祭ったーは絶対おかしいですね。数百m
も首が飛ぶわけがない。

 ただ、こう考えればどうでしょう。実際は入鹿は命からがら脱出したが首塚の所
で追っ手につかまり首をはねられた。情報伝達が口伝えしかない時代、記録した者
の所は行くまでに、どこかで間違いがあった。

 証拠はまったくない私個人の推測にすぎませんが、こう考えれば合理的に説明が
つくのではないかと思うのですが。

75 :天之御名無主:02/08/01 10:25
17=20さん
>私もこの夏は明日香に行きます。
>まあ、東海圏の人間なので日帰りで行くことも可能なんですが。

天武orヤマトタケルも大和から東海方面へ行軍したんですよね。
その逆行コースは東名阪国道あるいは名古屋から国道一号→三重県関町から国道25号ってとこでしょうか。

途中の名所旧跡をご案内します。
・采女の坂(@四日市)
ヤマトタケルの足が3重4重にも折れてくたくたになった所。(三重県の語源)
また、壬申の乱の行軍中にウノノササラ姫(持統天皇)が、戦争に勝ったら伊勢にアマテラスをお祭りすると誓った所(古事記に記載)。

・白鳥塚(@鈴鹿市、亀山市)
ヤマトタケルが死んで白鳥になって大和めがけて飛び立った所(なぜか2つある。)

・関ロッジ(@関町)、駐車場の看板
ここに書いてある文の要旨は「壬申の乱の行軍中、持統天皇がこの山で野宿して寝たときに神様が夢に出て勝利を予言した。」ということです。

・石山観音(@関町)
山一体が石で、その自然石に仏像が彫られています。古い物で鎌倉期だそうで飛鳥とか関係がないかも知れません。
仏像は山全体に散らばり、100体以上あると思います。それがバーミヤンの洞窟仏(タリバンに爆破された石仏)みたいに、岩壁を彫り抜いてつくってあるのです。
日本ではあまり見られない風景です。作者不詳。


76 :25:02/08/01 13:16
うちの実家周辺のスーパーでは、「蘇」が普通に売られていたyo。
珍しい物だったんだねぇ。ちなみにうちは「近つ飛鳥」。
あと、飛鳥鍋は橿原神宮周辺のホテルなどで食べるのが良いかと思いますよ。

77 :1言主:02/08/01 19:53
>>71、17=20さん
>行政向きのお話に詳しいところからすると公共系ですか。

なるほど、自分のレス読んでるとそういう想像になりますね。
「私個人の仕事環境・・」をもう少し詳しく言いますと「職場で、鰍趣味にしている仲
間達の関心事は・・」ということです。(^_^;)
「構造改革をした企業を買うべき(改新賛成派)」か、「否、真に成功する企業は日本風
土に根ざした部分がある(蘇我派)」という議論をしてます。私は先が読めないので、こ
れからのことは「明日か」と・・2回目はクドかったですね、スマソ<(_ _)>

>>74 F-Kさん
>数百mも首が飛ぶわけがない。実際は入鹿は命からがら脱出したが首塚の
>所で追っ手につかまり首をはねられた。情報伝達が口伝えしかない時代・・

なるほど・・リアルですね。そして現実感が増すとその場が想像できて・・凄惨ですねえ。
首塚も絶対行って、黙祷してこなければならないなあ。

>>25さん
>うちの実家周辺のスーパーでは、「蘇」が普通に売られていたyo。
>珍しい物だったんだねぇ。

ホント珍しいですよ。【ええっ(@_@)】←これくらいびっくりですよ。
当たり前って思ってる所が盲点になってたのでしょうね。
私もこのスレ立てて、考えがぐらついたのは「聖徳太子は実在した。」という前提です。
大化改新側は実は蘇我氏一族を滅ぼしちゃった。この人殺し事件を妥当とするために蘇我
氏の悪の部分を蝦夷・入鹿と決めつけ、官位十二階・十七条憲法などの良い業績をあげた
のは(架空の)聖徳太子だとでっちあげて、聖徳太子は自殺したんだと書記・古事記をし
て言わしめたんじゃないかと思いました。つまり、蝦夷達こそが後の改新・律令政治の基
礎となる官位十二階・十七条憲法などつくってたんじゃないかと・・・
ということで、私は太子暗殺説から、太子架空説に鞍替えしたのですが(この推理は受け
売りですが)無理かなあ?

78 :17=20:02/08/02 00:56
>>75さん、ご親切にどうもです。名阪→天理とかが楽かな、やっぱり。
有給休暇があまってるので平日を狙います。(取れれば)

25さん、蘇がスーパーで売ってるんですか!?カルチャーショックです!
蘇ってどんな感じなのでしょうか?暑い中での保存って可能でしょうか?
【味】乳くさい(不二家ミルキー)<ほんのり酸味(サワークリーム)<酸っぱ辛い(カマンベールチーズ)
【食感】とろける(牛乳プリン)<柔らかい(木綿豆腐)<固い(ゴーダチーズ)

1言主さん、太子架空説ですか。私は普通だけど、実在説(病死)だと思うなあ。
「良い業績」乗っ取り事件というと、60代・醍醐朝の「延喜・天暦の治」が最近言われますね。
諸改革のプランナーとして一般に藤原時平が知られているけれど、実は左遷前の菅原道真が
法案整備等までほとんど全てお膳立てしていて、これからという時に失脚させられ、
残る手柄を時平がすべて自分のものにしたために、歴史上の道真の業績が
過小評価されているという、アレ。(どれ?)

79 :天之御名無主:02/08/02 01:03
私も飛鳥村で 蘇を何回も買っています〜素朴な味わいと少し高めの値段設定・・
たしか・・一個千円ぐらいだったような・・
でも、大好きなのです!ただ十年くらい前に購入した時と味が違うような?
もっと淡白だったような気がします。
私は現在の少し濃厚な方が好きかな。製造元も試行錯誤してるのね・・・
以前 探偵ナイトスクープで飛鳥の蘇から醍醐を作成する企画があったような・・
文献から現在人は誰も食べたことの無い醍醐を作ったのはいいけど・・
失敗作か成功作かも誰にも判断できないのよね〜でも たべてみたい・・ 

80 :17=20:02/08/02 01:51
>>79 マジですかっ!?「蘇」から「醍醐」を作れるのですか!?たしかに、
------------------------------------------------------------
 譬えば牛従り乳を出し、
 乳従り酪を出し、
 酪従り生蘇を出し、
 熟蘇従り醍醐を出す、醍醐は最上なり
 若し服すること有る者は、衆病皆除こる
 所有の諸の薬は、悉く其の中に入るが如し (涅槃経)
------------------------------------------------------------
とあるものなあ。スゴイぜ蘇!蘇は無限の可能性を秘めている!(言い過ぎ)
食べてみたい〜o(>_<)o
探偵ナイトスクープも見たかったなぁ、その回。

81 :17=20:02/08/02 01:56
順序としては、「乳」→「酪」→「生蘇」→「熟蘇」→「醍醐」なんだよね?


「乳」 =ミルク、牛乳 は良いとして、

「酪」 =【広辞苑】牛・山羊などの乳汁を精煉した飲料。また、それから製するチーズなど。
     【漢語林】ちちしる。牛・羊・馬などの乳から造った飲料。また、バターの類。
     って、一体なんなんだ?「ちちしる」と「チーズ」と「バター」は別物なんですが……。
     まあ、この場合は「バター」「チーズ」ってことはないから「精煉飲料」なんだろうけど、
     乳/酪の関係が、クリーム/ミルクなのか、ミルク/乳酸飲料なのかが不明だなあ。

「蘇」 =蘇では載ってないので「酥(ソ)」にて調査。
「酥」 =【広辞苑】牛または羊の乳を煮つめて濃くしたもの。煉乳。酪。
     【漢語林】牛や羊の乳を製精した飲料。乳酸飲料の類。「酥乳」
          [解字]酉+蘇。酒のように発行させたものであるところから、酉を付した。蘇は音符。
     おいおいおい。「酪」と「酥」の違いを知りたいのに、酥=酪みたいな
     解説はやめてくださいよ>広辞苑。まあ、だいたいモノとしては2種類あるのかな?
     (1)加熱濃縮牛乳(煉乳タイプ)、と(2)醗酵牛乳(乳酸飲料タイプ)。こうなると、
     「涅槃経」の「生蘇」→「熟蘇」の過程が「加熱」or「醗酵」のどちらか特定が難しいねえ。
     とりあえず今回のターゲット「飛鳥の蘇」は(1)加熱説のようですね。

「醍醐」=【広辞苑】五味の第五。乳を精製して得られる最も美味なるもの。仏教の最高真理にたとえる。
     【漢語林】醍醐は、牛などの乳を精製して造った、ヨーグルトの類。
     「涅槃経」も「熟蘇従り醍醐を出す」ってレシピが淡白すぎるよ!!


皆さんこの違い、判ります?詳しい方いらっしゃいましたら、醍醐の作り方をぜひ教えてください!!

82 :1言主:02/08/02 20:44
>>78、17=20さん
>太子架空説ですか。私は普通だけど、実在説(病死)だと思うなあ。

いろんな角度から考えるとそれが一番妥当な線ですね。
私の頭ん中に、飛鳥には隠された何かが有る、という思いこみがあるので、どうして
も正史と異なる説があるとその線の可能性を信じてしまう傾向がありますね。
      
飛鳥に関心を寄せて日も浅いのですが、科目「日本史」の遠い記憶もよみがえります。
当時は単位取るために必死でしたが、今回は史実を味わいながらなので楽しいです。
では、いったい自分は史実の何を味わっているのかなあ?
想像も楽しいけど、日本的という「感じ」(=アイデンテティ?)が飛鳥の中に見つ
けられるか?ということを探っているのも楽しい気がします。
歴史のことはよくワーカラナイながらも、戦国時代以前〜奈良時代までの遺跡とか文化など
は漠然と感じ入る(素直に鑑賞できる)ように思います。
うまく言えないけど、例えてみるなら盆栽の松のグニャグニャした良さ、とか季節感
とか、木目などの清楚な美を表現するとかといった感じです。
飛鳥には、以前のレスでも言いましたように、自分の感じ方を超えたモノがあるよう
にも思うし・・、そうは思うものの、自分の感じ方の連続・延長に有るようにも思う。

飛鳥を偲ぶには、残されたモノは少ないけど早く現地に行って見てみたいモノだと思
います。弁当と自販機用のチャラ銭持って(^_^;)



83 :天之御名無主:02/08/03 19:27
暑さには気をつけてください。

84 :1言主:02/08/03 21:54
>>83
こう暑くちゃやってられないね。
我が地元のスーパーをあたってみましたがやはり「蘇」はありませんでした。
でも、「三輪そうめん」はありました。
これもヤマトの名物だね。迷わず買って帰りました。


85 :天之御名無主:02/08/03 23:54
>>80 81
番組では、一個の祖を煮詰める?て小さじスプーンも満たされない量に醍醐ができていました。
探偵はたしか・・石田 靖だったような?2年くらい前の放送でした。
味についてのコメントは・・「美味しいか まずいか判断できないくらい微量で、醍醐味ってよくわからない」って言っていたように記憶しています。
まあ・・それくらい今も昔も手間暇かけてほんの少ししかできない貴重品って落ちになっていました。


86 :17=20:02/08/04 00:47
>>85 一個の祖を煮詰める?て小さじスプーンも満たされない量に醍醐ができていました。

情報ありがとうございます。
その後、私もGoogle検索で次のようなサイトが見つけました。
 ■蘇・醍醐を作る
  ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~HIGA/newpage11.htm
 ■ロヨラ蘇を作る
  ttp://www.geocities.co.jp/Foodpia-Olive/5042/tabemono.htm
 ■醍醐味
  ttp://www2.ncv.ne.jp/~milk/zatugaku/1_20/6_daigomi.html
 ■古代の珍味「蘇(そ)」を作ってみました。
  ttp://www2.sala.or.jp/~toki/heian-so.html

結局のところ「醍醐」の正体は不明なのですね。
一応、説としては次のようなものが代表的でした。
 1. バターオイル    (そもそもバターオイルなる物を知りませんが)
 2. バターとチーズの中間(油っこいチーズ?それが最上なる味ですか?)
 3. チーズ       (チーズを作って売っている牧場のHPより)
 4. 乳酒        (酒屋さんのHPより)
 5. 実在しない     (泣きそうになりました)

参考文献として、廣野卓氏の著書が有効そうです。
 「古代日本のチーズ」(角川選書277・1996年)
 「古代日本のミルクロード −聖徳太子はチーズを食べたか−」(中央公論社)

同じネタで二冊書いてますネ……この人。
でも廣野氏の別の著作を読んだことありますが、それはマトモでした。
ちなみに今日、本屋探しをしたのですが二冊とも版元在庫がないと言われました(泣

87 :1言主:02/08/04 22:10
「醍醐」に皆さんご執心ですね。
醍醐って聞いたときにあまりぴんと来ませんでしたが、蘇にもまして不思議な食べ
物なんですね。
加持祈祷に熱心だったのが醍醐天皇です。詳しいことは判りませんが醍醐寺っての
が醍醐天皇の発願によるものらしく、ここでは真言密教(加持祈祷)の大きなお寺
です。吉野の奥の院「大峰山」の奥駆けは修験道の本場の修行ですが、その奥駆け
を主催しているのが醍醐寺です。この醍醐寺のいわれに「醍醐」も関係があるみた
いですね。また、仏教の経文にも出て来るみたいですね。

醍醐と関係有るかどうか判りませんが、ヨガの行者も乳製品の「ギー油」ってのを
利用するようです。10年くらい前に東京に来て、いろいろ話題になったスワミ・
シバリンガムっていう行者さんも健康食品に薦めていました。
詳しいことはヤフーなどの検索器でも調べることが出来ると思います。

※参考までに
ギー油・・・バターを溶かしたその上澄み。深鍋にバターを500グラム程度入れて
       中火で焦げないように泡立てる。何度か上澄みをすくい取って、それ
      を布製の茶漉しでこしながら蓋つきのガラス器に移す。 長期の保存が
      利くから余分に作って他の料理にも使うと良い。インドではこのギー油
      を肌にすり込んで美容の目的でも使っているという。   


88 :天之御名無主:02/08/05 02:59
>87
今日の夕方(私も暇よね・・)再放送かな?チベット紀行物 片岡 鶴太郎さんのんを
見たんですが、その時ラマ僧の方達の日課でバター茶を飲んでいたんですが、ギー油とは別物なんですよね?
なんだか仏教僧の起源を感じさせられたので・・・(あくまでもイメージです)
でも、アジアだし 仏教だし シルクロードだし関連ありそうな〜なんて思っちゃいました。
素人の想像ですので気を悪くなさらないでくだしな〜




89 :日本@名無史さん:02/08/05 10:32
>>88
>素人の想像ですので気を悪くなさらないでくだしな〜

私はここの住人さん達の「想像」がいいと思っています。
私も考古学、史学については素人ですが、そういう正学の話なんておもしろ
くありませんよ。

インドの何という教典だったか?記憶は定かではありませんが、食すること
で叡智と真理が体得できる食べ物に「ソーマ」という物があったそうです。
「蘇」というものがそうかな、と思いましたがソーマは植物と言うことなの
で関係ないかもしれません。

「飛鳥」の語源も想像を刺激されますね。
熊野神社の摂社の1つに「元飛鳥」といわれる神社があるそうです。
これも記憶が遠いもので詳しいことは忘れましたが、これは確かです。
熊野といえば神武天皇が上陸し、大峰山あたりを越えて吉野・大和へと行軍
し、大和に来て初代の天皇となった人ですね。この行軍の案内をかって出た
のがヤタノカラスで、この鳥が熊野神社のその摂社に関係があるといわれて
います。
また、一言主さん>>87が言われるように、醍醐寺関係の修験道師が山駆けの
修行を夏にしていますが、そのルートの最終地点が、熊野神社なんですね。
いろいろ言い散らかしてしまいましたが、言葉だけは飛鳥ー醍醐はつながり
ましたね。また、ヤタノカラスが日輪とオーバーラップして表現されている
こと、その時代あたりから牛頭大王が信仰に大きく関わりだしていることを
思えば想像力豊かな人にかかればおもしろい小説がかけそうですね。

90 :天之御名無主:02/08/05 21:45
大神神社のオオモノヌシって蛇のタタリ神だったっけ。

91 :17=20:02/08/06 01:08
>>90 オオモノヌシって蛇のタタリ神

オオモノヌシ(大物主)は大和三輪山の神様ですね。オオクニヌシと同一視されたりすることもあります。
大和地方の土着神(国ツ神)であったという意味において、オオクニヌシと近い存在なのでしょう。

以下、「日本書記」崇神記の「箸墓古墳」伝説より(意訳)
------------------------------
10代・崇神天皇の叔母にあたる「倭迹迹日百襲姫命」(やまとととびももそひめのみこと)は
たいそうな霊力の持ち主でしたが、そんな彼女の元へ夜な夜な貴人が訪れるようになりました。
しかし、貴人はいつも夜が明ける前には帰ってしまう。どうしても男の正体を知りたくなった姫は、
明るいところで顔を見せてくれるように頼みます。最初は渋っていた男も、姫の熱心さについに折れ、
「では、私は櫛笥(くしげ)の中に入っていることにしよう。翌朝目が覚めたら開けて見るがよい。
 ただし、私の姿を見ても決して驚いてはいけないよ」と言い残し姿を消します。
さて翌朝、男に言われたとおり姫が櫛笥を開けると、なんとそこに入っていたのは白く大きな蛇だったのです。
さすがの姫も驚いて大きな声を上げて櫛笥を投げ出してしまいました。すると、どうしたことでしょう。
蛇は見る見る貴人の姿となり怒ってこう言うのでした。
「私の自らの姿を恥じて隠していた。それをお前が見たいというから見せたのに、
 あろうことかお前は私を放り投げたね。約束を破って、お前は私に恥をかかせたのだよ。
 かくなる上は、お前にも恥をかかせてやろう」
そういうが早いか男はふわりと三輪山に向かって飛び去りました。姫はそのときになって初めて、
貴人が三輪山の神であったことを知り、その場にへたりこんでしまいました。その拍子に箸が
ホト(陰部)に突き刺さり、姫は死んでしまったのでした。
それで、彼女のお墓を今でも「箸墓古墳」と呼ぶそうです。


ちなみに、倭迹迹日百襲姫命を「卑弥呼」に擬する説もあり、「箸墓古墳」の
学術調査ができれば日本古代史は大きく前進するだろうと言われています。
ただし、例によって宮内庁が周辺調査しか認めないため未だ科学のメスは入っていません。


92 :天之御名無主:02/08/06 01:46
まあ実際の所、いわゆる「邪馬台国」の人々が
実際に自らを「邪馬台国」人と称したことはないだろうしね。

93 :日本@名無史さん:02/08/06 12:16
>>92
>実際に自らを「邪馬台国」人と称したことはないだろうしね。

>>41
>地名が出来るのは、地元民の「名づけ・名乗り」じゃなく周辺地域の人々が
>呼びやすいように呼ぶんだと思います。

地名については上記2名さんの言うとおりなのが定説と思われます。
「飛鳥」は、もともとは「あすか」とよばれていて、地元政治家たちが呼称を
変えずに別漢字を当てたというのがエスパーさんの説で、これもほぼ間違いの
ないことだと感じます。

邪馬台国も中国の「魏」の国の政治家達がそう呼んだのでしょう。
この邪馬台国を「ヤマタイコク」と、そう読んだかどうかは?ですが「大和」
を「やまと」と読ませるのよりは発音に忠実ですよね。
邪馬台国が当時の日本にあって中心的な国だった、そして「邪馬台」と近隣か
ら呼ばれていたことはほぼ間違いないでしょう。
ですが魏志倭人伝に記載される他の国々がほとんど2文字でできていることを
考慮すると、「台」の字は地名以外の意味の挿入と考えた方がいいという学者
もいた。
つまり「台」というのは天子(政治をするべき王)がいる場所という意味があ
るそうで、現在も「青瓦台」とかいう政治に関する地名も残っている。
仙台も伊達政宗が政都を意識して命名したとか。命名というよりは、元々の地
名「千代(せんだい)」に仙台という漢字を当てた。
これは、飛鳥という漢字を当てたことと同じような手法ですよね。
伊達政宗も藤原不比等らも同じような感覚を持っていたんでしょう。
(飛鳥の名付け親は不比等かどうかは疑問ですが、同意はしていたでしょうね)

ざっとした推断ですが、邪馬台国の地元名は「邪馬(国)」だったんでしょう。
邪馬台国は、九州に耶麻渓(やまけい)という渓谷がありますが、そのあたり
にあったんじゃないかと私は思う。あるいは、その邪馬国の神武天皇が奈良盆
地へやってきて日本の中心的な国となったので「魏志」で邪馬台国としたのか
もしれません。
じゃないのか


94 :天之御名無主:02/08/06 12:57
亀型石造物の模型で飛鳥鍋。

95 :没個性化されたレス↓:02/08/06 20:40
飛鳥スレ
書けば書くほど
混迷し
謎は謎呼び
「やまと」積もりぬ


96 :17=20:02/08/07 00:34
「みにすか」と
「あすか」は似たり
見えそうで
見えぬが興を
誘うものなり(;´Д`)ハァハァ

97 :天之御名無主 :02/08/07 13:13
伊勢神宮のルーツは檜原神宮。
これで間違いないでしょうか?

伊勢神宮の紋章は「六ぼう星」って「ムー」の記事にあった。
実際に倉田山の沿道の石灯篭にも彫りつけてある。
桧原神宮はどうですか?

98 :天之御名無主:02/08/08 23:16
飛鳥の文化遺跡を見ていると、現代日本人の持つ、日本的なものと
古代日本がかけ離れていると感じるのは私だけ?

やっぱ、輸入文化なのだろう、飛鳥文明。

99 :エスパー伊藤:02/08/10 07:07
>>98
>現代日本人の持つ、日本的なものと
>古代日本がかけ離れていると感じるのは私だけ?

ここにレスされてきた住人さん達もみんなそう感じてますよ。
日本の古代史に「とんでも説」が出てきますが、たいていは飛鳥の遺跡がらみだよ。

>やっぱ、輸入文化なのだろう、飛鳥文明。

飛鳥の文化、遺跡も種類が多いからね。
死者を丁重に弔う事自体は縄文以来の日本的なモノと思われ。
また、アニミズム的な原始的山信仰の痕跡も感じられる点なども私だけではないと思われ。

異論もあるかとも思われますが、私的には日本の縄文時代(無金属・無農作時代)は豊かで長期に
渡りすぎており、それに反して、弥生時代以降は輸入を中心に急激に展開しすぎた、そう感じてい
ます。たぶん、輸入しまくりだったんでしょうね。
そういう意味では飛鳥なんかも輸入に積極的だったしね。
輸入文化だったと言えるでしょう。

問題はあの「亀石」「二面石」「酒船石」「益田の岩船」「猿石」(/_;)
これはじぇんじぇん解りましぇーん





100 :天之御名無主:02/08/10 09:31
>問題はあの「亀石」「二面石」「酒船石」「益田の岩船」「猿石」(/_;)
>これはじぇんじぇん解りましぇーん

そうなんだよね、あの系統は後代には出てこない。
単発の、職人かね?

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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