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悪路王

1 :子鬼:03/07/25 15:20
宮澤賢治の「原体剣舞連」を読んで感動した。
自分のほかに、悪路王に興味ある人いるのかな。


 ■阿弖流為公式サイト
 http://www.aterui.jp

 ■原体剣舞連 (宮澤賢治)
 http://homepage1.nifty.com/ihatov/har_1/035_d.htm

 ■鬼剣舞
 http://www.michinoku-yume.net/myn/db/db06-m002-t009.php3

34 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

35 :天之御名無主:03/08/11 10:55
>33 人首丸は伝説の人物では?
アテルイの弟ってフレーズはじめて聞いた。
伝承の登場人物としては「アテルイ」の名前は出てこないのよね。

聞いた話だけど、達谷窟の寺は最近住職が代替わりしてから積極的に活動
してるらしい。寺の名前も「西光寺」だったのを「達谷窟西光寺」
に改名したりとか。(20,21の縁起の立て札作ったのもたぶん今の住職)
 しかしこの立て札の言う所の田村将軍の功績って、日本の朝鮮侵略の理屈
と同じなのね。我々が統合してやったおかげで、未開の地が鉄道やら学校や
らの文明の恩恵に与ることができたんだ、みたいな(その考えの善し悪しは
別問題ですが)。石碑や功績を称える伝説が多いのも、朝廷によるプロ
パガンダが行われた可能性もあるし。
何にせよ、あの立て札はモニター通して見る以上に、現地で読むとかなり
ショッキングですた。住職、必死すぎ。みたいな。
あ、西光寺のおばちゃんは大変丁寧な人でした。

36 :天之御名無主:03/08/11 12:21
「遙か昔、蝦夷の頭領アテルイの弟である大武丸に、人首丸という
美しい少年がいました。人首丸は朝廷との戦いに敗れ、米里の大森山
にたてこもり討死したと言われています。」


「遙か昔、蝦夷の頭領アテルイの弟である大武丸に、人首丸という
美しい『息子』がいました。(後略)」?

「遙か昔、蝦夷の頭領アテルイ『に』弟である大武丸『と』、人首丸という
美しい少年がいました。(後略)」?

ドッチダー ヽ(`Д´)ノ

37 :天之御名無主:03/08/11 12:32
自分の親や地元の住民の性格を見るに、従順であまり反抗心のない
人が多く感じられる。もし阿弖流為が本当に、侵略者と戦った英雄だと
しても、とーほぐの人々は「どうせ何をしたって無駄だ」と言っていた
ような気がしてならない。w それとも住人の気質が変わったのかな。

そーいえば、「今のとーほぐ人は蝦夷の子孫ではない」という人がいるけど、
蝦夷を根絶やしに出来たわけないと思うなあ。

だって、山とか森とか深すぎ。根絶やしにしようとしたら何百年かかるよ。
朝廷に従った時点で「蝦夷」ではないんだろうけど、「全く違う人種」とか
まで言われると、「ほんとに〜?」って思ってしまう。

38 :天之御名無主:03/08/11 12:38
まあ北東北の人間として言わせてもらえば、俺ら混血なのよね。
蝦夷と大和人(帰化人含む)の。

蝦夷が東北人の先祖であるっていうことが東北人自身の意識に
上ってきたのは、そんなに古いことじゃない。一部(安東氏等)を
除くと明治以降?それ以前は、蝦夷というのは怖くて野蛮で、
自分らの先祖を脅かした存在として認識されていた筈。
明治以降だって、一部インテリを除けば、由緒正しい大和人の
子孫と頑なに信じてた。バリ島のほとんどの人が、13世紀に
ジャワ島から侵攻してきた人々の子孫だと頑なに信じてるのと
同じ。

ごく最近、東北大の高橋富雄などの俘囚国家説なんかから、
蝦夷の再評価が高まり、「そうか俺らの先祖には蝦夷もいるん
だな」との認識が一般の人にも浸透しつつある。
一部の人が蝦夷ナショナリズム?まで突っ走ってるが、そこまで
いってる人は少ないし、第一家系伝承で鎌倉御家人を挙げる人が
圧倒的に多い(あまりあてにならないのは間違いないが)東北の
こと、蝦夷一色には染まらんよ。

なので、達谷窟の縁起を見ても、腹を立てる東北人はあまりいない
んじゃないかということをいいたかっただけです。長文失礼。

39 :天之御名無主:03/08/11 13:32
うちには家系図がありません。苗字を苗字辞典で調べると父方母方共に
「岩手県●●市に多い」としか由来が書いてありません。本家とよばれる
家はとんでもない山奥にあります。・・これでバリバリの西からの移住者
だったら、逆に笑う。w


>>38
同感です。太宰治『津軽』に、橘南谿『東遊記』の引用があったけど、そう
いう考えでしたね。「蝦夷」が何なのかよく分からないけど、西の人よりは
蝦夷の血の割合は強いと思う。

『余思うにウテツ辺に限らず、南部、津軽辺の村民も大かたはエゾ種なる
べし。只早く皇化に浴して風俗言語も改りたる所は、先祖より日本人の
ごとくいいなし居る事とぞ思わる。故に礼儀文華のいまだ開けざるはもっとも
の事なり。』 By 橘南谿

40 :天之御名無主:03/08/11 17:09
鬼剣舞がお盆によく舞われるのは、死者の供養の意味もあったのね・・。
知らなかった。

41 :天之御名無主:03/08/11 22:26
さて問題です。「剣舞」の読み方は、以下の3つのうちどれでしょう?
@ 「けんまい」 A 「けんばい」 B 「けんべぇ」

鬼剣舞と念仏剣舞。
鬼剣舞の中の念仏剣舞なのか、剣舞の中の鬼剣舞と念仏剣舞なのか、いまだようわからん。


>>23
>ススキを模した背飾り
ササラのことね。御幣が原型だとか。ススキにも見立てるようです。

42 :天之御名無主:03/08/11 22:58
>>41
東京的には2!


「鬼剣舞は念仏踊りが元」とよく書いてあるけど、ということは、
誰か仏教に詳しい人が岩手人に教えたんだよね。だったら、
源流を同じとする剣舞に似た舞いが、日本中にあるのかな。

鬼剣舞と似た念仏踊りってなんだろう。京都辺りにあっても
オカシクないはずだよね。京都に残らなくても、周辺の修験者が
修行しに行ったような土地。

43 :天之御名無主:03/08/12 19:49
>>41
2かな? 3はトーホグなまり?w


44 :天之御名無主:03/08/13 03:00
>>35
地名として残ってるので、何らかの史実はあったと思われます。
「人首丸」という名前は伝承化してから後付けされたんでしょうが。

>>36
…多分息子。

>>37-39
混血でしょうがやはり蝦夷の気質、精神みたいなものは失われてるでしょうね。
鉱山資源で独自の交易ルートでもあったなら、
搾取されたくなくて必死だったんでは、とも思います。
蝦夷というよりはうちの辺りは伊達藩所縁の因習が多いし。
しかし前九、後三の役はどうも言葉の行き違いから生じた争いだったみたいで、
その当時はまだ共通語でなくて苦労したのかなあ、と思います。

>>41
ササラでしたか。
「剣舞」の読みはけんぶから訛ったものだと思ってるんですが
ネイティブなら2と3の間ぐらいですかねw

念仏踊りについてはサパーリ…
修験者の通い路だった痕跡は土地柄に結構残ってるんですが。

45 :天之御名無主:03/08/14 13:35
「剣舞」と呼ばれるようなものは各地にあるかもしれない。
だけど、岩手の剣舞は「鬼」が舞うものでしょ?
(刀もって踊る者らが鬼だよね?)
そこが他の地には見られなくて、他所の人間から見たら面白い。
なぜ鬼が主人公なのか、成敗より供養の意識が感じられる。

46 :41:03/08/14 23:13
@、A、Bとも正解です。(どういう出題なんだと自己批判のふり)
説明を加えますと、
@は知り合いの学芸員が間違いではないと言っていました。(こちらの方が正式のような口ぶりでしたが)
Aは岩手での普通な呼び方です。
Bは>43氏がおっしゃる通り、トーホグなまりです。と言うより、うちの地域の年寄り語です。

47 :山崎 渉:03/08/15 18:22
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

48 :天之御名無主:03/08/17 11:52
>>11
>ネットで調べたところ、8月にお祭りがあって、どうやらそこで鬼剣舞が
>舞われるようなので、行ってみようと思っています。

>>1 :こおに さんは現地で鬼剣舞を体験されたのだろうか?

>>7で、「このまま倉庫行きで構いません」とは言われているが、どういう
感想をもたれたのか、聞いてみたいなあ。

49 :天之御名無主:03/12/28 15:57
道路公団の某前総裁のこと

50 :天之御名無主:03/12/29 22:57
あてるい公式サイト、去年から更新停止したままだけど、どうなってるんだろう。
1200年記念で燃え尽きたのか?もうイベントとかやらないのかな。

51 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

52 :天之御名無主:04/01/12 12:15
篠塚健次郎

53 :天之御名無主:04/02/16 20:59
荒俣ひろしがどっかで「陰陽師の次はアテルイが『来る』」とか言っていたが。
メジャーデビューは遠いのか。

54 :天之御名無主:04/02/16 22:48
映画化するとしたら誰がやりますの

55 :天之御名無主:04/02/16 23:35
藤岡弘、

56 :天之御名無主:04/02/17 22:53
わらび座のアテルイがぶさいくでガッカリ。

57 :天之御名無主:04/03/05 00:24
>>54
以前、里見浩太郎がやっていたね<アテルイ>
ほんのちょっとだったけど。

58 :名無将来:04/03/16 16:42
悪路王のことを語るなら、黒石寺蘇民祭をみてからにしてほしい。

59 :庄内人(北狄):04/10/18 21:48:04
達谷の毘沙門堂に行った時、悪路王を押さえつける神像たちを見て
自分も押さえつけられるような感覚を覚えた。
自分が明らかに、蝦夷側である事を見透かされたか?

毘沙門堂が今まで何度も焼けてるというが
そりゃやはり悪路王の押さえ切れぬお力である(!)
しかしそのたびに「直ちに」再建されているという所が
悪路王復活?を恐れる必死さが感じられてしまう。

それにしても現時点で尚も「蝦夷征伐」を「祝う」という
ところがすごい。

60 :天之御名無主:04/10/20 05:42:42
【征夷大将軍】坂上田村麻呂【清水寺】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1098215256/

61 :天之御名無主:04/11/01 14:41:22
アテルイ没後1200年記念のHPあぼーん

62 :天之御名無主:04/11/01 17:06:16
なんかオフロード仕様みたいでかっきーな
バイクやチャリの名前にすれ

63 :天之御名無主:04/11/01 21:59:14
空海入唐1200周年記念でもあるんだよね。

64 :天之御名無主:04/12/01 14:33:57
>63
アテルイ没後1200年は2002年ですが?

65 :天之御名無主:04/12/08 02:48:34
http://blog.melma.com/00064207/



66 :天之御名無主:04/12/25 06:30:51
坂上田村麻呂スレより

11 名前:ダンの花[sage] 投稿日:04/12/11 22:02:36
スサノオ→ヤマトタケルっていう文化英雄の系譜をひいているよね。
以下の事は思いつきで書いているんで、眉唾で読んでくださいな。

記紀伝説との相違は、前代が天皇に準じる存在の親征という形をとったのに対して、臣下の一武将の遠征に変わっていることと
ヤマトタケルが常陸風土記では井戸を掘るなどして地名起源説話を残しているのに対し、田村麻呂も井戸に関する地名期限説話を残しているけれど、目立つのは各地で寺社の縁起譚を残しているということ。

これは律令制国家の確立と関係があるんだろう。
官僚制度が整い天皇自らが親征する必要が無くなったことと、朝廷の権威として仏教の勢力が増してきたことが田村麻呂の伝説を作り上げたんだと思う。

この後、仏教の権威は朝廷から離れ、弘法大師をはじめとする名僧の放浪譚が生まれてくる。
田村麻呂の亡くなった弘仁2年(811)から5年後の弘仁7年(816)に弘法大師空海は高野山を下賜されている。
武力、信仰、権力、といったものが未だ未分化だった上代から、それぞれ立場を明らかにしだす古代へと時代は移りだしている。
古い秩序に変わる新しい秩序が見え始めている。
私は上代から古代へと移る過渡期に生まれた英雄として田村麻呂を評価できると考えている。

中央と周辺、権力なんて視線を交えながら文章にしたら面白いものが出来そうな気がするけど、どうなんだろなー

67 :天之御名無主:04/12/25 06:58:29
なんだかサヨっぽくなるだけだな。

68 :天之御名無主:05/01/26 14:57:25
そういえば清水寺に阿弖流為の碑がありましたね。すでに出ていた
話しでしたでしょうか。
京都のタクシーの運ちゃんが、わたしが一発で読めたので驚いてま
した。
なんでやねん(怒)
スレ違いかもしれないけど、富雄ちゃんってまだご存命なのでしょう
か。大学の頃、講義を受けたことがあったんです……。

69 :天之御名無主:2005/11/25(金) 16:03:08
>>50
次回は1300年かなw

70 :天之御名無主:2005/11/25(金) 16:03:54
>>59
蝦夷側の血もあるだろうけど確実に植民者も入ってると思う。

71 :天之御名無主:2006/04/07(金) 05:13:00
みこうち

72 :天之御名無主:2006/05/10(水) 01:38:02
 ひな雲伯の語部は何かものをおもわざる

73 :天之御名無主:2006/12/23(土) 15:19:54
幸平よ!
この俺をお茶でごまかそうと思ってもそうはいかないど!
なんかタクラミでもあんだろ!
日頃から口数の少ないお前が何を考えてんだ
ど〜なんだ!
 なんかあんなら黙ってないで何とか言ってみろ!!


74 :天之御名無主:2007/01/08(月) 19:47:16
>68
約一年前の書き込みにレスw
清水寺の碑、偶然見つけて(寡聞にして知らなかったので)
大興奮しながら写真とってたら通りかかった修学旅行生グループが
誰だこれ、有名な人?写真とっとく?なノリで集合写真取り始めて
微笑ましかったです。あの子らに詳しく説明したかったよ・・・不審人物になるのでしませんが

75 :天之御名無主:2007/01/10(水) 20:12:02
火怨 読め

76 :天之御名無主:2007/01/10(水) 20:19:13
>>68

多田先生…
ちなみに後任の谷口維紹先生は多田先生と全く同じアドレスを使ってます…名前が「ただつぐ」だし。

77 :天之御名無主:2007/01/10(水) 21:15:36
平泉はいいよね

78 :天之御名無主:2007/07/23(月) 04:11:37
アクロ王とは”羽黒王”だと思う。(羽黒→hakuro→Hが無音化→アクロ)

羽黒山、湯出山、月山の出羽三山を開山したのは蜂子皇子。
______________________________________
蜂子皇子(562〜641)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
蜂子皇子(はちこのおうじ、波知乃子王、欽明天皇23年?(562年?) - 舒明天皇13年10月20日?(641年11月28日?))は、
崇峻天皇の第一皇子、聖徳太子の従兄弟。出羽三山を開いたと言われている。
能除大師や弘海などの異名をもつ。地元(羽黒)の人たちの面倒をよく見ていたと伝えられている。残されている肖像画は、
気味の悪いものが多いが、多くの人の悩みを聞いた結果そのような顔になったとも言われている。
出羽三山神社にある皇子の墓は、粗末なものであるが、現在も宮内庁が墓を管理している。享年は91であったと言う説もある。
______________________________________

811年、弘仁2年12月の文室綿麻呂の38年戦争終結宣言

↑773年に38年戦争が始まった。蜂子皇子が亡くなってから132年後。

(ttp://www31.ocn.ne.jp/~denkidensetu/yds/yamagatas.htm)左記URLの庄内地方に羽黒山はある。
そして、最上地方に悪路王伝説がある。

羽黒山「アテルイ」の本陣跡?(9月25日)−岩手県− 
水沢市にある羽黒山(同市羽田町)で市民参加の発掘調査を実施している「アテルイを顕彰する会」は、
平安時代に作られた可能性の高い柱穴10数ヶ所と、奈良時代の土師器片1点が発見されたことを明らかにした。
同山は蝦夷軍と朝廷軍が戦った「巣伏の戦い」で、蝦夷の領袖アテルイが本陣を設置した場所とされている。
↑岩手の水沢にも羽黒山はある。水沢は後藤新平、斎藤実、大槻玄沢、山崎為時などを輩出した土地である。

79 :天之御名無主:2007/07/23(月) 04:11:50
○ 大伴小手子   (コテコ)   (母)
父は、大伴糠手連(オオトモノ アラテノ ムラジ)崇峻天皇の妃(ミメ)。
蜂子皇子と錦代(ニシキテ)皇女の母。
蜂子皇子を追って都を出、福島県川俣町や月館町にたどり着いた。養蚕と機織を伝えた伝説が残る。

↑蜂子皇子の母親。大伴氏。大友克洋は宮城県北部岩手との県境の登米市である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BB%E7%B1%B3%E5%B8%82


80 :天之御名無主:2007/07/23(月) 04:12:14
方言なんてどうです?日本じゅうにひとつの言葉の言い方で少しづつ変わっています。

1.アグドという方言の意味について
東北の各地にアグド(あるいはアクト、アクド、アグド、)という不思議な方言がある。地名研究で聞き覚えのある所謂アクツ、
アクタ、またアクト等のアク系の言葉に思われるが、この方言の意味が足の裏の端にあたる「かかと」を指すというから面白い。
○青森県南 →アグト
○秋田県 雄勝郡、平鹿郡、仙北郡、湯沢市→アクド、  同   由利郡→アグト  同   南秋田郡、河辺郡、秋田市、
鹿角郡、山本郡、北秋田郡→アグド
○岩手  南部、伊達 →アクト、アグト、アグト、アグド、アゴド、カガド、
○宮城仙台→アクイ、アクイト、アクツ、アクト、アコツ、アジャラ
○同 県北→アクド、アグド、カガト
○山形全般→アグド
○福島会津→アクト
○同その他→アグト、アクド
○新潟県西蒲原郡→アクト 同  長岡市 →アクト
○長野県下水内郡豊田村→アクト
○富山県→アクトウラ(方言俗語語源辞典:校倉書房)
○愛知県尾張地方→アクト
○東北六県→アクト
○越後(新潟)、信州(長野)→アクト
○東京とその4周(関東?)→カカト
○甲州(山梨)→アコイ
○伊豆(静岡)→アックイ
○駿河(静岡)、遠州(静岡)、三河(愛知)→アクツ、アゴト
○美濃(岐阜)、尾張(愛知)→アクト、アクイト
○近江(滋賀)→オゴシ
○西京(関西?)→キビス
○九州肥後阿蘇小国(熊本)、筑後久留米(福岡)→アド
○南島→アド、アドウ その両端にアクトを使う地域あり
上記を見ればわかるように、「かかと」という言葉が地方により少しづつ違うのです。しかし、それが意味するところは
全て同じです。


81 :天之御名無主:2007/07/23(月) 04:12:26
藤原千方と四性鬼
 謡曲「現在千方」によると天智天皇の御代高位を望んだ藤原千方はそれを果たせず、伊賀に火鬼・風鬼・水鬼・
隠形鬼を率い立てこもり朝廷に反旗を翻したという。
 実在の千方は「太平記」などの史書によると平将門征伐で有名な藤原秀郷の孫にあたる人物であり、
平安時代に伝説同様謀反を企てたとされている。
 なぜ天智天皇の時代に置き換えられたのか?この時代で有名な謀反は天智天皇の死後起きた「壬申の乱」である。
伊賀は大海人皇子が相対する朝廷側の大友皇子の母の出身地で、当然大海人皇子と戦うこととなり、見事に敗北し軍門に下った。
 この辺の歴史で語られない部分が作り話に反映しているのかもしれない。ちなみに四匹の鬼を忍者だったのではとの説もある。
 面白い話だが奥浄瑠璃「田村」にもこの四性鬼は登場し、朝廷と戦う悪路王に協力を申し出る件がある。
 鬼の名前も文献によって異なり上記意外には金鬼・土鬼などもいる。隠形鬼を怨京鬼と書く本もあるのが面白い。
ちゃんとした史書では山注記・三河坊・兵庫の堅者・筑紫坊という四人の山伏だったという。山の民と朝廷との確執も見え隠れしている物語だ。

ttp://www31.ocn.ne.jp/~denkidensetu/other/e/chikata.htm

↑このように、物部氏との共闘の他にも、悪路王と共闘をしようとしていた人々はいます。
立烏帽子もそうです。私が、悪路王とは旧王朝の人間だ、と言う仮説を立てる理由はここにあります。

82 :天之御名無主:2007/07/23(月) 04:12:41
立烏帽子

 悪路王の女房とされる鈴鹿山の鬼女。天竺第四天魔王の娘で別名「鈴鹿御前」。その姿は「田村三代記」によると
「年の頃は十六・七。天女のごとき美しさ。揚柳の細身に十二単、濃い紅の袴姿。左手には琴を携え、腰には黄金で
飾られた長剣『妖剣大通連』が下げられている」とある。なんだか白拍子の格好だ。白拍子とは祭事に舞を奉納する
踊り子のこと。かなり美人が多かったといい、ちっと歪んだトコでは売春もOKだったそうだが、情報収集能力はピカイチであろう。
してみれば、山に住む彼女ももしかして忍者?
 彼女は奥州達谷窟に棲む悪路王と組み、日本転覆を企てていたが、悪路王からの便りの無さに、
淋しさが憎しみに変わり征討者である坂上田村麻呂と逆に恋仲になってしまうあたりなんか現代の
長距離恋愛の悲劇と重なってしまふ・・・
 結局、立烏帽子の協力で悪路王は滅ぼされるのだが、奥浄瑠璃(東北の伝説)では鈴鹿御前が
東北の悪路王に恋をしているのだが、京で書かれた物語では悪路王が鈴鹿御前に恋をしている。
やっぱ自分の土地を優先するんですねー。

http://www31.ocn.ne.jp/~denkidensetu/other/e/tatiebosi.gif

ttp://www31.ocn.ne.jp/~denkidensetu/other/e/tatiebosi.htm



11 天之御名無主 2007/07/22(日) 20:01:10
仏教世界の第四天はトソツ天(例の弥勒の所


83 :天之御名無主:2008/07/01(火) 18:36:45
子鬼さーんどうされてますかー?お元気ですかー?
今日はじめてこのスレを見つけました
もう1年も書き込みがないんですね
水沢も平泉も好きで何回も行きましたよ
ageれば誰かの目にとまるかな
また来ますね ノシ

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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