八幡大菩薩【明神】様について
- 1 :天之御名無主:04/12/22 00:02:06
- 来年にむけて日本人なら語るべき、
- 2 :天之御名無主:04/12/22 01:05:55
- おーじんじおーじんじおーじん
- 3 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/22 14:47:18
- 応神天皇霊とされる様になったのは平安時代からですが、『枕草子』の中でも、
昔の帝という事で特別扱いされていますね。
平安時代初期には、奈良時代に同大菩薩をお迎えした聖武天皇霊とする考え方が
まず成立していました。
死後神となられたのではなく、菩薩が人として出て来られたという事で、『日本
霊異記』の末尾を飾る説話に発想が近い。
始まりは、北の鹿島・香取同様、辺境を守護する武神であった様です。
- 4 :???:04/12/22 16:54:07
- ↑来ましたか、もっと聞かせて山野さん。
- 5 :天之御名無主:04/12/22 16:55:51
- そもそもなんで応神天皇が武神なわけよ?
- 6 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/22 18:00:58
- 香椎廟(元々神社では無く、山陵扱い)に祀られていた、神功皇后繋がりでしょう。
「辺土」という言葉からは、対隼人戦ばかりでなく、対新羅戦も意識されます。
奈良時代以降、新羅との関係が悪化した時には、八幡大菩薩や香椎廟に朝廷から報告
がもたらされました。守護を祈っての事です。
院政期になると、大宰府では天満天神と並んで崇敬の対象となりました。
とりわけ二度も大宰権師となった大江匡房は、かつて仕えていた後三条天皇を応神天
皇同様、八幡神の化身とし、その本地は阿弥陀如来であるとして、理論上は本地を観
音としていた熊野・伊勢の上位に位置づけています。
この他、859年には京都にも八幡大菩薩宮(石清水八幡宮)が出来ています。
鰯という下等な魚が好きであったのを夫にとがめられた紫式部が、「鰯」と「石清水」をか
けた歌を詠み、冗談交じりに正当性を主張したという話は有名。
後に源頼信が氏神として信仰する様になると、武神としての性格が強調される様にな
りますが、織田信長も無神論者などではなく、八幡を厚く信仰していました。
- 7 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/22 18:45:59
- スレタイトルに「明神」とありますので、ついでに「大明神」のお話でも。
「大明神」とは、元々『悲華経』にある用語で、釈迦が涅槃に入られた後、「大明神」
として衆生を救済されるという概念に基づいたものであって、単に神を明神・
名神と呼んだものとは、区別される様です。名神は名神大社の「ミョウ」。
「権現」も「仮に現れたもの」という意味で、共に背景には仏教がありました。
豊国大明神も、東照大権現も、家康や秀吉の霊を死後祀ったというだけではなく、
建前上は彼らを仏の化身として、その後に神として現れたとしたものです。
鎌倉時代以降、死者や動物の霊を神として祀る例も出て来ますが、これらは本地
を持たない「実社神」であって、本地のある「権社神」とは区別されました。
仏家からすれば、当然崇めるべきは権社神という事になります。
死者の霊を、単に死者の霊として、功績を称える為だけに神社に祀る様になるの
は、近世からじゃありませんかね・・・。
今はひっくるめて「神」扱いですが、日本人の発想が汎神論的なものばかりになっ
たのは、そう古い事では無いと思いますよ。「一文不通」の階層はともかく。
- 8 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/22 19:08:29
- 追加:「明神」と「大明神」の混在した、『古事談』の様な例もあります。
こちらはあまり厳密性に拘らなくても良いかもしれません。
- 9 :天之御名無主:04/12/23 01:41:01
- 山野氏のおかげで、わずか8レスで必要十分な内容になってしまったw
はやくもこのスレ終了か?
- 10 :天之御名無主:04/12/23 01:42:01
- ところで、 「はちまん」 「やは[わ]た」 どういうつかいわけなのかねえ?
- 11 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/23 09:15:43
- 音読みか訓読みかですが、「広幡の八幡大神」と呼ばれた武神の名称の起
源は、法会に掲げられた幡説もあるものの、唐代の軍制の「八幡四鉾制」
に因んでいるという説が面白いですよ。
それなら、「八幡大神」の歴史は、そう古いものでは無かったという事に
なりますが。少なくとも応神天皇霊は後付けですし。
もっとも、今はやはた=地名だと思いますけどね。『信長公記』にも、織
田信長が長篠の合戦の前に、「やはたの八幡宮」が荒廃しているのを目に
して、わざわざ修築させたという話がありますが、これも地名でしょう。
わらべ歌にもよく、「八つ八幡の八幡様」とある。
中世の起請文には梵天・帝釈以下5〜6柱の仏神が挙げられたもので、
近世には「八幡断じて」などという様に、以下の文の断定や強調を表し
ていました。
私がこれまで見た中では、一番仏神の数が多かったのが島津が前田・徳
川に提出した約100柱ですが、信長の場合、朝倉義景との間に起請文
を交わしていても、「八幡も御照覧あれ」としか書いていません。
近世の史料でも言われていた事ですが、宣教師が伝えた様な無神論者と
いうよりは、方向性の限定された強烈な信者であった様です。
- 12 :誘導:04/12/23 10:43:50
- >>1
単発質問は下記スレで
↓
スレを立てるまでもない質問 5
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/1097186173/
>>11
「1が価値有る情報を出さない/面倒を見ない・単発質問・重複・板違い」
などのスレッドを見かけた場合、
・重複/乱立として本スレ、質問スレ、雑談スレなどに誘導
・板違いとして別板に誘導
・GLに沿って削除整理依頼
等の処理をお願い致します。
- 13 :天之御名無主:04/12/23 10:47:34
- >>12
・・・・・・(゚Д゚ )?
- 14 :天之御名無主:04/12/23 16:33:50
- ところで日本最初に八幡様が降りられたとされる九州の宇佐では
八つの神像が本殿には祀られてると聞きますがその八つの神様は
どなたなのでしょうか?
- 15 :天之御名無主:04/12/25 04:02:53
- 当方アマチュア(素人)ですが、
内田康夫の「はちまん」という小説(ミステリー)で
「八幡は廃仏毀釈の過程で神道側に利用された」という内容の
かなり学問的な記述がありました。
けっこうきな臭い神様では。
そういうのコミでの議論なら興味あるなー。
- 16 :天之御名無主:04/12/28 01:24:57
- >15
詳細きぼんぬ。
八幡大菩薩っつーくらいだから、神仏混交のマージナルなキャラではあるんだろうが・・・。
とすると、おなじ権現系の蔵王権現なんぞはどうなんだ?とか思ってみたり。
- 17 :天之御名無主:04/12/28 02:06:43
- 八幡神(ヤワタノカミ)=ヤハヴェ(エホバ)である、と言ってみるテスト。
- 18 :15:04/12/28 03:37:43
- 本棚に本がない!
古本屋探してきます。
「神仏習合の過程で目障りな神か仏か判別できないホトケは
みんな『八幡』に押し込めた」という話でした。
その「押し込める対象」として都合の良かったのが、八幡だった。
(イマイチ実体がはっきりしないから利用しやすい)、
という話だったはずですが。
記憶がやや不確か。
あまり政治的な話はスレ違いだとは思うけど、
八幡大菩薩と廃仏稀釈の話は民俗神話板でもアリですかね?
ええと。ちゃんと調べてまた正確に書きますので。
- 19 :天之御名無主:04/12/28 05:58:59
- 民俗と政治は切り離せない、と言ってみるテスト。
八幡大菩薩と廃仏稀釈の話は民俗神話板でもアリ、と言ってみるテスト。
久々、使ったよ、「と言ってみるテスト」。
- 20 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/28 07:53:43
- >八幡大菩薩
「菩薩」号では、一番古いですからね。『続日本紀』にまで遡れる。
大江匡房の『箱崎宮記』の時代には、本地は阿弥陀三尊であるとして、以下
の様な話が伝わっています。
昔。新羅国が、我が国を攻めようとした事があった。しかし我が国を護る神
々が邪魔であったので、「十地の菩薩を本地としているのなら」と、十地の菩
薩を呪縛する誓いのある不動咒を使う事とした。
一人の童子を高楼の上で修行させ、七十になるまで行わせたので、霊験は計
り知れないほどになった。
かくして、童子改め老僧は日本へ渡来し、次々と神々を捕え、瓶の中に封じ
こめていった。熱田の明神は剣の姿となって逃れでようとなさったが、袈裟
で絡め獲られてしまった。
しかし、宇佐宮は不動咒にも動ぜられる事は無く、とうとう備後国において、
老僧を蹴殺してしまわれた。神々は、瓶の中から飛び出して来られた。
これで知る事が出来る宇佐宮の本地が、十地の如来であって、他に卓越した
存在であるという事が。
匡房の八幡信仰は、かなり強烈なもので、後任者の藤原季仲が箱崎宮と問題
を起こした時には、「八幡の伯母である」として、謀反相当の罪であると主張
し、周防(後に常陸)まで流罪にしています。
- 21 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/28 07:57:57
- >その「押し込める対象」として都合の良かったのが、八幡だった。
元々、怨霊を鎮めるために勧請され易かったのが八幡。怨霊を「若宮」とし
て祀り、鎮撫される事が多かった様です。それでやたら数が多い。
八幡・北野は仏教との関りが強かったせいもあるでしょうが。
追記:上の新羅国の僧侶が、「道行」であった事、言うまでもありません。
- 22 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/28 08:01:44
- 空海と守敏、染殿后と(生前不動咒を行っていた)紺青鬼の話とも繋がる。
ともに『今昔物語集』にある話で、前者は歌舞伎にもなっていて有名。
- 23 :天之御名無主:05/01/21 21:13:39
- 宇佐神宮と応神天皇と神功皇后との結びつきが今一よくわからん。
一ではなくて百くらい。
- 24 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/01/21 21:59:39
- 奈良時代に藤原仲麻呂が新羅征伐の兵を動かそうとした事がありましたが、
その時、かつて新羅に出兵した神功皇后の霊を祀った香椎廟や宇佐の八幡
神に加護が祈られています。
そうした辺境防備の神・霊という経緯から、八幡神・比売神と応神天皇・
神功皇后を同一視する様になったのでしょう。
- 25 :天之御名無主:05/02/08 19:41:25
- >>1
道鏡法師、称徳天皇の心よせと成て国王と成らんとせし時、
清丸、八幡大菩薩に祈請せし時、
八幡の御託宣に云く「夫れ神に大小好悪有り、
乃至彼は衆く我は寡し。邪は強く正は弱し。
乃ち当に仏力の加護を仰て為めに皇緒を紹隆すべし」等云云。
当に知るべし、
八幡大菩薩は正法を力として王法を守護し給ひけるなり。
- 26 :天之御名無主:05/02/08 19:43:42
- >>1
本地は不妄語の経の釈迦仏、
迹には不妄語の八幡大菩薩なり。
八葉は八幡、中台は教主釈尊なり。
四月八日寅の日に生まれ、
八十年を経て二月十五日申の日に隠れさせ給ふ。
豈に教主の日本国に生まれ給ふに有らずや。
大隅の正八幡宮の石の文に云く
「昔し霊鷲山に在て妙法華経を説き今正宮の中に在て大菩薩と示現す」等云云。
法華経に云く「今此三界」等云云。
又「常に霊鷲山に在り」等云云。
- 27 :天之御名無主:05/02/08 19:48:09
- >>1
今八幡大菩薩は法華経の大怨敵を守護して天火に焼かれ給ひぬるか。
例せば秦の始皇の先祖嚢王と申せし王、
神となりて始皇等を守護し給ひし程に、
秦の始皇大慢をなして三皇五帝の墳典をやき、
三聖の孝経等を失ひしかば、
沛公と申す人剣をもつて大蛇を切り死ぬ。秦皇の氏神是なり。
其の後秦の代ほどなくほろび候ひぬ。
- 28 :天之御名無主:05/02/08 19:49:41
- 安芸の国いつく島の大明神は平家の氏神なり。
平家ををごらせし失に、
伊勢太神宮・八幡等に神うちに打ち失はれて、
其の後平家ほどなくほろび候ひぬ。
此れも又かくのごとし。
- 29 :天之御名無主:2005/05/17(火) 12:06:43
- age
- 30 :天之御名無主:2005/07/06(水) 22:02:13
- >>23
最初、宇佐には比売大神がいた。(比売大神は卑弥呼だと言う説もあり)
応神天皇とその母、神功皇后については神話が元に成っている。
宇佐八幡宮の伝説では、仏教が伝来した欽明天皇の時代(5世紀後半)、宇佐の地に不思議
な事件が起こったといわれている。今は宇佐八幡の境内にある菱形池のほとりに、鍛冶師の
翁(おきな)や八つの頭の龍が現れ、その姿を見た者は病気になったり、死んでしまったりした。
この翁やオロチの祟りを鎮めようと、修行者が断食して祈ると、鍛冶師の翁が子どもの姿で現れ、
「我は誉田天皇(こんだのすめらみこと)広幡八幡麻呂(ひろはたやはたまろ)、名は護国霊験(ごこ
くれいげん)威力神通(いりょくじんつう)大自在菩薩(だいじざいぼさつ)なり」と告げたという。
誉田天皇とは、倭の五王の時代を開いた応神(おうじん)天皇のこと。
http://blog.goo.ne.jp/takahashikun_goo/e/d8c7b5697592aab809c91893fcad3e23
- 31 :天之御名無主:2005/07/07(木) 19:10:13
- 宇佐神宮の奥の宮、大元神社に祀られた神が元祖八幡神。
http://www.genbu.net/data/buzen/omoto_title.htm
(入らずの森には何があるのか?)
- 32 :天之御名無主:2005/07/11(月) 11:29:49
-
八幡(ヤハタ)神・・・・・ヤハヴェ(エホバ)、唯一神
神功皇后・・・マリア(処女受胎神話あり)、聖母
応神天皇・・・キリスト(マリアの子)、神の御子 (天皇はキリストの子孫)
この三位を一体にして祀っている場所が宇佐八幡宮だろ?
- 33 :天之御名無主:2005/07/11(月) 12:25:10
- 八幡さんは神功皇后が朝鮮から持って帰った三韓征伐の戦利品だろ。
- 34 :天之御名無主:2005/07/11(月) 18:48:23
- >>33
神功皇后が現れる以前から祀られてた社がある。
それが大元神社。
- 35 :天之御名無主:2005/07/11(月) 20:34:14
- 大元神社の裏の藪は怪しげな石ころが転がってるだけだよ。
- 36 :天之御名無主:2005/07/12(火) 00:39:15
- >>35
つまり・・・・・ 古代人の遺構か?
- 37 :天之御名無主:2005/08/16(火) 23:56:59
- 秦氏辺り由来だったりして>怪しげな石ころ
- 38 :がいやまん:2005/09/04(日) 08:45:53
- >>32
宇佐八幡宮はキリスト教同様三位一体。伊勢神宮も天照の他に後になって
豊受大神を祀ったようだ。月読宮もあるから最終的には三位一体ではないかと
みられる。宗像の三女神というのもあり、また、磐座も3個一体が多い。
ただ、言われるキリスト教と古代日本を結ぶためには4000年前、つまり、エジプト
一神教、ユダヤ教、神道に共に影響を与えた一元的起源を考える必要がある。
- 39 :天之御名無主:2005/09/04(日) 13:48:03
- 陰陽中の結び
ttp://www.eonet.ne.jp/~musubi-81
- 40 :天之御名無主:2005/09/06(火) 09:50:03
- 大分近畿や吉備の方の神様という印象
九州の他地域ではまともには祀られず。
- 41 :天之御名無主:2005/09/06(火) 09:52:24
- >>40
当たり前、九州の倭人を殺した、
渡来人(本州朝鮮人)を祀るのだから
当然忌み嫌われる。
- 42 :がいやまん:2005/09/06(火) 10:56:39
- 豊前に取り付いた後、東進か。吉野ヶ里に入ったのとは別だな。
- 43 :がいやまん:2005/09/06(火) 11:47:24
- 吉野ヶ里と同じ古い朝鮮小銅鐸が出雲からも出土するというから、出雲とは
吉野ヶ里から移住してきたものかもしれない。
- 44 :天之御名無主:2005/09/06(火) 22:46:49
- 異賊の侵寇や国内の謀反に、国家の鎮護の徳果現し、武の神と言うべき
が八幡大菩薩で、清和源氏は八幡大菩薩が武の神であると云う事の他に、
一族の「氏神」としていた為、全国的に八幡宮は存在する。戦国時代に
も武将達に好まれた。
特に石清水八幡宮は、水元(源)を意味し、祖応神が武の神であったの
で源氏にとってまさに氏神だったのである。
- 45 :天之御名無主:2005/09/06(火) 23:08:03
- しかしだ、九州にとって八幡は侵略者でしかあるまい、
八幡が、九州のヘソ、神代の高良山に
祀られたのは元寇後の事である。
- 46 :天之御名無主:2005/09/06(火) 23:35:41
- http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n21992519
- 47 :天之御名無主:2005/09/08(木) 21:46:11
- 直にカンケーないかも知れないけど、八幡信仰と怨霊鎮撫って
繋がりアリ?
- 48 :がいやまん:2005/09/24(土) 17:19:52
- >>44
>特に石清水八幡宮は、水元(源)を意味し、祖応神が武の神であったの
>で源氏にとってまさに氏神だったのである。
大元神社
「八幡大神が小椋山に鎮座される前の霊行の場所であるから、大元神社といわ
れている。」・・・武の神が女神から離れる以前の場所という意味か。大元神社は
島根、安芸など宇佐の対岸に多い。宇佐彼出て各地に拡散するのか。
「御祭神 八幡大神、比売大神、大足姫神
祭典日 4月29日・毎月15日頃
宇佐神宮の奥宮大元神社は、御許山又は、馬城峯とも云われ山頂に鎮座され
ている。 この御許山は、神代には比売大神が降臨なさった聖域であり、また
八幡大神が小椋山に鎮座される前の霊行の場所であるから、大元神社といわ
れている。御祭神は御本宮と同じである。
山上には拝殿だけがあって本殿はなく、神山(しんざん)を霊代(たましろ)とする
神籬(ひもろぎ)の山である。宇佐神宮から南へ六キロ余の西馬城大字正覚寺
御許山にあって、神宮境内から眺めると青々として美しい山である。」
http://www.usajinguu.com/A_Yuisyo/Oomoto.htm
http://www9.ocn.ne.jp/~usatan/omoto.htm
- 49 :h:2005/09/24(土) 17:21:19
- h
- 50 :がいやまん:2005/09/24(土) 17:26:22
- ↑姉神・弟神に別れるという点ではアマテラス・スサノオとよく似ている。この場合は
戦闘集団の守護神が分離されたということであろうか。
- 51 :がいやまん:2005/09/25(日) 19:52:47
- 八幡神の起源については対馬説もある↓
「八幡海神説は対馬の伝承、神功皇后が白髭大明神を介して、即ち、「我が戦勝は
鰭神のかごによるなり、この伊豆山に海神を祭れ」、との宣託による。海神神社資料、
岩佐氏家伝系図にあり、木坂の海神神社の名の根拠と思われる 」
http://top-33.hp.infoseek.co.jp/abiru3.html
ここでハタ神といわれるのはヒレ神である。参考までにエベンキ自治州では下記の
ような、木製チョウザメの依代のヒレを太陽の印の付いた毛皮の帽子をかぶった
女性が、その背びれを触っている写真がWebに出ている↓
http://www.evenkya.ru/adm/pic/photo/big/1-51.jpg
どうも関連ありそうなんだが隔靴掻痒の感がする。
- 52 :がいやまん:2005/09/25(日) 20:12:30
- だが、基本的には・・・
「ウサツヒコ 、 ウサツヒメ による三女神の「あられ神事」と「ほこ立神事」によって
行われていたらしい。これを示す 祭祀(さいし)遺跡が 小倉(おぐら)山 東の「あら
れ宮」と「ほこ立宮」であり、それを祀っていたのが老上ヶ丘古墳群の宇佐氏の主
だったといわれる。」
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n50.htm
この矛立て宮が平原遺跡にある柱と同様の機能であり、この矛こそが八幡神であった
のだろうと思う。神道が発展し、美化されるにつれ、アマテラスは独立した。そして
陽根崇拝は仏教の寺に移された↓
黒石寺蘇民祭(岩手)
http://wadaphoto.jp/maturi/kisai_2.htm
四天王寺どやどや(大阪)
http://wadaphoto.jp/maturi/kisai_3.htm
日本三大奇祭とは、岡山市西大寺支所によれば、次の裸祭りをいう。西大寺会陽
(岡山) 黒石寺蘇民祭(岩手) 四天王寺どやどや(大阪)
http://wadaphoto.jp/maturi/kisai.htm
善光寺の回向柱もこれであろう。そして八幡神のシンボルは↓
護符形体
http://web.thn.jp/maroudo/shape.htm
これらの根源はザバイカルのヘレクスル遺跡であり、先行するオークニェボ
文化、これがチベット経由インドに入りシバ神・リンガ崇拝となる。
- 53 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/09/26(月) 08:01:42
- >>47
何から着想されたのは存じませんが、八幡の「若宮」には怨霊を鎮める為に
祭祀されたものが多いと、柳田國男に指摘されておりましたね。
>がいやまん
神社側の語る由緒や家系図など、何時出来たのか分からないお話ばかりで、
歴史的事実かといえば信用しがたいかと。
- 54 :がいやまん:2005/09/26(月) 08:34:55
- >>53
朝廷が作るもの、官選のものが唯一正しいとするのは学閥の世界でどこそこ大学
の先輩とかの線に付くのと同じだと思います。問題は中味が考古学的事実と整合
するかどうかです。記紀も神社伝承も五十歩百歩。時には神社伝承の方が正しい
場合もありえましょう。漏れとしては豊前にまつわる伝承は極めて重要、また、残さ
れた巨石文化、修験道も同様だと思うのです。神道の方がそれらの部分である可能
性があると思います。
- 55 :がいやまん:2005/09/26(月) 08:41:11
- もちろん、記紀を作った人々、ご覧になった天皇は凡人の及ばないノウハウに基づい
たもので、田舎の神主さんの言うことをいちいち聞いていたらきりはなかったでしょう。
しかし、当時の知識にも限界があるわけで、田舎の神主さんの言うことは全部だめと
切り捨てられるものではないと思います。
- 56 :がいやまん:2005/09/26(月) 08:50:18
- 豊前に伝わる天竺から投げられた五本の霊剣の話ほど、現在の日本人の
遺伝子に残るチベット、ブリャートの由来、馬韓に残る月支国の意味を
説明する、これほど端的な言葉はないと思っているんですが。
- 57 :天之御名無主:2005/09/26(月) 10:24:05
- 九州のサッカーチームがチョンの溜まり場なのは、そのせいか
- 58 :がいやまん:2005/09/26(月) 10:55:17
- それを言うなら大阪、新宿だろ。九州は神代の時代から薩摩隼人のいる国。西郷ドンは
征韓論。
- 59 :天之御名無主:2005/09/26(月) 20:31:54
- >>58
大分チームを調べてみれ
- 60 :天之御名無主:2005/09/28(水) 22:24:12
- >>53
このスレの始めの方に書かれてましたね。
で岩波新書の「神仏習合」によれば、将門は八幡の御託宣で正統性?
を付与された訳ですから、鎮圧された後の怨霊も面倒みたのでは?
と思った訳で。
柳田さんのは未読ですが、若宮=怨霊ですか?
- 61 :天之御名無主:2006/03/27(月) 23:30:18
- 【源氏の】 石清水八幡宮 と 多田神社 【氏神】
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1137308238/l50
◆◆◆伊勢神宮と宇佐八幡◆◆◆
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/988978101/l50
【ハトサブレ】鶴岡八幡宮2【鳩三郎】
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1137857266/l50
- 62 :天之御名無主:2006/10/19(木) 18:36:20
- 「花の御江戸は、八百ぅ八ちょうぉぉ〜」
- 63 :天之御名無主:2006/10/20(金) 04:37:40
- 八って¨たくさんの¨って意味だろ
- 64 :天之御名無主:2007/01/03(水) 12:57:05
- [御許山大元神社(大神氏+宇佐氏)+市杵姫→奈多八幡神社(奈多氏)+薦神社(秦氏+辛島氏)]=→宇佐神宮
「八」の たくさんの、という意味合いがこれですかね。
そこに 大奉律令で 建国の祖代々天皇も各神社に入る
おおまかな6・7・8世紀の流れこんな感じかな。
八幡大菩薩は応神天皇の弥勒化身かな??
- 65 :天之御名無主:2007/09/03(月) 06:02:03
- 八幡神はこれほどに日本全国に普及しているのにミステリーが多い。
ヤハタがもともと高麗の神だったことは間違いない。
これが日本に渡り日本の神になったと僭称した。
その後秦氏がこれを奉じ、宇佐神宮に納められた後、皇統と同化していった。
後に仏教と絡んで、大菩薩となった。
だがこの秦氏にはユダヤ民族という疑惑が根強く、ヤハタが西洋の神、
というよりキリスト教関係の神である可能性も出てくる。
一方で、日本と姉妹関係にある琉球では、ヤハタ神を奉じた人々が琉球王国を
興したという説があり、琉球王家の紋所が八幡神と同じ左三巴紋なのは
そのためだと説く。
- 66 :天之御名無主:2007/09/03(月) 13:38:45
- キチガイの言う間違いないは、間違いなく間違い
- 67 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/09/03(月) 21:07:24
- >>60
>柳田さんのは未読ですが、若宮=怨霊ですか?
戦国期以降、そうされている例がしばしば見られます。なんという遅レス。
唐の八幡四鉾制に由来する軍神だという説がありますね。
応神天皇説は、奈良時代からあったという論者もいますが、私は平安時代前
期、9世紀頃まで下ると思います。
釈迦垂迹説が出たのは(垂迹という単語は使用されておらず、同体といった
方が近いですが)、10世紀の後半。
大江匡房、三善為康以降に阿弥陀説が登場し、石清水を中心に阿弥陀説が広
まりますが、鎌倉時代には宇佐や大安寺の掲げる釈迦説と衝突し、釈迦と阿
弥陀を同体とする説も登場しています。
平野の祭神が仁徳天皇あるいは光仁天皇というように、天皇が祭神とされる
ようになるのは、院政期以降のようです。
その数が増加するのは、明治以降でしょう。今の天皇を祭神とした神社が、
最初から天皇を祀っていたとは、限りません。
水無瀬廟(後鳥羽院)は神扱いでしたが、廟として意識されていたもの。
近代になって、今の水無瀬神宮となり、仏教色から離れた。
多田源氏の菩提寺だった多田院が多田神社にというように、人を祀っている
神社は、元廟や寺であったことが、少なくありません。
- 68 :天之御名無主:2007/09/04(火) 03:43:16
- >>66
ヤハタが高麗由来であることについては史料があんだよ。
ヤハタが「我、日本の神となれり」といったことも日本側の史料がある。
これはヤハタを信仰していた集団が日本に土着したことを意味するのだろうが、
「日本の神となった」ということはもともと日本の神ではなかったということだ。
知らないならすっこんでろ基地外。
- 69 :天の御名無主:2007/09/04(火) 10:26:20
- >>68 私は66ではありませんが
あなたが高麗とはっきり断定する理由を述べてくださいませんか
- 70 :天之御名無主:2007/09/04(火) 10:52:45
- 手前で調べろよ。ぐぐれよ。ヤハタ神が外来の神ってのは民俗学では常識だぞ?
http://www.e-obs.com/rekisi/kodai/sousetu/sousetu2-1.htm
ここにはもっと詳しく書いてある。
>そして小倉山の麓において、三歳の幼童の姿となった八幡神が、
>竹の葉の上に現われ、辛国の城に始めて八流の幡を天降し、
>吾は日本の神となれりと宣した。
>右に掲げた八幡出現の託宣が語るように、辛国の城に八流の幡<はた>を天降らし、
>そこを聖地として降臨したのであり、したがって八幡神は元来は「韓国<からくに>」の神
>であったとすべきであろう。「辛国<からくに>の城」は「辛国の村」の意味であり、
>辛嶋氏の本拠の地を指していたと解される。宇佐には渡来系氏族が居住しており、
>その氏族によって奉祭されていたのが八幡神であったと思う。
嫌韓厨の低脳価値観を学問の世界にまで持ち込む愚物は黙って他人の意見を見てろ。
- 71 :天之御名無主:2007/09/04(火) 10:58:13
- 「吾、日本の神となれり」は無数のサイトで引用されてるな。検索すれば結構ヒットする。
八幡神を宇佐にまでしかさかのぼれないというのは間違い。
ヤハタ神が元々日本の神ではなく、渡来のものであることは疑問の余地がないし、
こればかりは韓国由来という説が有力。
もともと風雨の神であり、船を操る倭寇に信仰されていたという説もある。
- 72 :天之御名無主:2007/09/04(火) 17:21:20
- >>70
よく読むと、
八幡神は小倉山の麓に現れた
辛国の城に八流の幡を天降らした
神様の本体が降りたのは小倉山
そのときついでに不要になった幡を辛国に投げ捨てた (辛国=ゴミ箱)
としか読めないのですが。
- 73 :天之御名無主:2007/09/04(火) 17:27:30
- よく読むと、
八幡神は小倉山の麓に現れた
辛国の城に八流の幡を天降らした
日本の神となったと宣言した
神様の本体が降りたのは小倉山
そして辛国に旗を立てた (つまり神様が率いる日本が辛国を征服した。征服地に旗を立てるのは良く見る光景)
さらに中立の神である立場(抽象的な神の立場)から、日本の神となったと宣言した (それまで中立だったが、今後は辛国を見捨てると宣言)
としか読めないのですが。
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