ヒクソスから帰還した渡来人
- 1 :月光仮面:2008/03/07(金) 14:28:57
- カラスク人等とされるバイカル湖周辺からアルタイ方面にBC4-3千年紀頃から展開して
いたモンゴロイド系を主体とするモンゴロイド、コーカソイド混合移動遊牧集団はアンドロー
ノヴォ文化圏に含まれるセイマ-トゥルビノ青銅器ホライゾン(この場合は線状に拡大する)
ステップ交易路を移動して、遠く黒海、コーカサス、そしてシリア、パレスチナ、エジプト
に入った。ヒクソスは約100年間エジプトを統治した後、パレスチナ、シリア、ミタンニを
経由して黄河上流に到着した。そのうちの多くは塞外の民となり、高句麗、百済、新羅
を経て古墳時代の日本に渡来人として入ってきた。彼らの数奇な遍歴は日本に多くの
神話、伝承をもたらし、それらとエジプト、ユダヤ、ギリシャの神話には多くの共通点が
ある。
- 2 :月光仮面:2008/03/07(金) 14:29:44
- 民俗学・文化人類学・神話学について話しましょう
板違いの話は荒らし!
神話などと関係なくゲームの話をする、あるいはオカルト、電波…
すべてふさわしい板で行いましょう。板違いのスレッドは削除対象です。
民族・地域の優劣の比較は禁止
それは学問ではありません。
荒らし、煽りは放置。
完全無視が効果的です。レスはつけないようにしましょう。
新規スレを立てる前に過去ログを検索してみましょう。スレッド一覧も忘れずに。
IEなら「編集」→「このページの検索」
よくみると似たような話題が過去に出ているかもしれません。
スレをたてるまでもない質問はここで聞いてみてください。
- 3 :天之御名無主:2008/03/08(土) 03:31:28
- ヒクソス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%82%B9
古代エジプト史の時代区分
http://www.toshima.ne.jp/~yufu/sub5-1.htm
よく知らないけれど、これはかなり雲をつかむような話・・・あるのかないのか。ないのかあるのか。
- 4 :月光仮面:2008/03/08(土) 15:29:26
- ヒクソス王Auserra Apophis (別名 Apepi又はApophis)はテーベの王Seqenenre Tao (II)
に書状をしたため、テーベにおいては遊びとして河馬を銛で殺すが (ヒクソスの神Seth
は半身人、半身河馬であり、Sethを祀る)ヒクソス王としては、はるかに遠いAvarisにあ
りながらも、聖獣の断末魔の声が耳について夜も寝られぬ。テーベのよ、そのような遊
びはお止めになるようにお願いする。・・・と述べたのだが、過激な攘夷論でエジプト
世論をアジっていたテーベ王は「ヒクソス王はアヴァリスににおりながら、テーベの河馬
がうるさいので何とかするようにエジプトに命令を下した。国民よエジプトの怒りをヒクソス
に向け、吾に従ってヒクソスを倒せ」・・・恐ろしい話である。
- 5 :月光仮面:2008/03/08(土) 21:21:18
- この頃の中東史を概観し・・・
西に進むとミタンニがこの大移動の西端であり、河川流域地方に入り込む既存の遊牧
民に圧力をかけ、その支配権を握り、そして、少なくともカッシイトとヒクソス等は下部の
文明社会のおかげで文化変容を遂げつつあった。つまり、BC2000年紀の初頭は古代
中東史においては格好の転換期である。それは各地の新石器時代に発生し(東方にお
いては)色んな程度の断絶もあり、又、(メソポタミアやエジプトにおいては)継続性のあ
る後続国家への変貌のしるしである。・・・とする見方もある。新石器・金石併用期時代
都市文明崩壊の時期であり、やがては中国にも類似の現象が起こる。
- 6 :月光仮面:2008/03/09(日) 13:12:22
- http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4a/Passing_of_the_Great_Race_-_Map_4.jpg
Madison Grantの1916年からの欧州人種、ノルディック-赤、アルプス-緑、地中海-黄色
の分布地図。
エジプトを撤退したヒクソスはモンゴロイド宗主国ヒッタイト(印欧語)の方面に帰還す
るが、エジプトの追撃を受け、カデシュの戦いが起きる。このときヒッタイト軍に付いた
勢力こそモンゴロイドであるカラスク人の末裔であろうが、この戦いでヒッタイト軍を
一時裏切るセム系アモル人は現代で言えばイラン系、この図で言えば地中海系で
あり、エジプト軍と血縁的には同族という苦しい関係にあったのであろう。ところがこの
イラン系はサカ(白人犬戎)として中国にも入ってきているようだ。
- 7 :月光仮面:2008/03/10(月) 16:11:48
- ヒクソスに併行するツングース・エベンキ族グラスコフスカヤ文化
http://nature.baikal.ru/phs/norm/12507.jpg
この内容は↓
http://www58.tok2.com/ii/i.cgi?U=home%2Fhermitage%2Fmonster%2Fapophis.htm
日本では「装飾古墳の分布は、九州が圧倒的に多い。有明海沿岸から壱岐にかけての
北部九州に集中する。つぎに多いのは、東京湾入口の神奈川県と千葉県の沿岸部。
それから茨城県から宮城県の範囲に分布する。逆に、大規模な前方後円墳が存在
する近畿や岡山県(吉備)には、装飾古墳はあまりつくられていない。このことは装飾
古墳が、ある種の文化的衝撃を受けたことによってつくられたことを意味する。」
http://www2.ttcn.ne.jp/kobuta/bunnka3/b105.htm
装飾古墳<横穴古墳<飛鳥石舞台<支石墓<遼寧ドルメン<シリア・パレスチナドルメン
<黒海マイコープドルメン
これはヒクソス帰還渡来の物証の一つであろう。
- 8 :月光仮面:2008/03/10(月) 16:20:28
- 3200-3000 BCメソポタミア北部アナトリア東部「ウルク帝国」崩壊、クラーアラクセス
文化は拡大、イラン北部、アナトリア東部に南下、西コーカサスではドルメンとproto-Colchidean (Ochamchira)文化が発展を開始、マイコープ(Bamut stage) が初期ヤムナ
文化の拡散によって縮小、初期ヤムナ文化はウラル南部からドニエプルに到る
ステップ地帯に出現。
3000−2700BCクラアラクセス文化は最盛期に入る。ドルメン、プロトコルヒデ文化は
コーカサス西部の占拠を継続。
2200-2000BCドルメン、プロトコルヒデ文化はコーカサス西部に留まる。
http://www.ingushetiya.ru/history/book/photos/008.jpg
↓ユダヤ史観から脱皮すれば欧州巨石文化へのより正しい見方が出来る。
基本的にユダヤが存在しない時代のことだ。
http://www.britam.org/dolmen.html
- 9 :月光仮面:2008/03/10(月) 17:38:29
- エジプトの碑文によればヒッタイトの主男神は Sutekh又はAtys、主女神はAntarataで、
これはバビロニアのIshtarと関係があり、彼女の夫は日神Tar又はTarku、キリキア、
リディアでは "Sandan"と呼んだといわれる。彼女は後にSutekhに取って代わり主神の
地位に登る。ヒッタイトには洪水伝説があり、主人公は"Sisythes"と言う。ヒッタイトは隠
れ家の都市を持っており、神聖な売春を行っていたと言う。日本、東南アジアにある歌垣http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3は彼らの言葉では「神聖な売春」と
なるのであろうか。
- 10 :月光仮面:2008/03/10(月) 17:53:21
- 売春婦は俗に世界最古の職業と言われるが、日本の遊女も古くから存在していた。
諸外国の神殿娼婦と同様、日本の遊女もかつては神社で巫女として神に仕えながら
歌や踊りを行っていたが、後に神社を去って諸国を漂泊し、宿場や港で歌や踊りをしな
がら一方で性も売る様になったものと思われる。一方で遊女と宮中の舞踊・音楽の教習
所である「内教坊」の「伎女」に なんらかの関連があると考える研究者もいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E5%A5%B3
こういう説が当たっているんかナー。
- 11 :月光仮面:2008/03/11(火) 12:52:25
- >8
http://www.britam.org/picturesYair/dolmen/map.jpg
日本で言えば背振山系周辺の縄文人社会に楽浪方面の支石墓先進技術
集団が技術輸出し、反対給付に黒曜石等を得ていたようなことが行われて
いたのではにかと思う。錫とか、琥珀が狙いだったのだろうか。ユサヤ教とは関係
全くないと思うんだが。
- 12 :月光仮面:2008/03/11(火) 13:11:44
- >7
【北京13日時事】古代エジプトの王が権威の象徴として使ったものとそっくりのつえの
頭部が中国西北部で相次いで発見され、その推定製造年代から「東西文明の接触が
始まったのは従来考えられていた時期よりはるかに早く、3000年前から5000年前に
さかのぼる」との説が中国の専門家の間で浮上している。
13日付の中国紙チャイナ・デーリーによると、古代の東西交通路に当たる新疆ウイ
グル自治区、甘粛省、陝西省で、石や玉、青銅で作られたつえの頭部が出土した。
頭部は球形、へん平型、星型などで、羊と牛の頭を模したものもあり、「古代エジプト
のつえと驚くほど似ている」という。
このような「エジプト王と同種のつえ」が、どのような経緯で中国西北部にもたらされた
のか興味は尽きないが、時代は下がって2000年前になるが以下のような話もある。・・・
http://members.at.infoseek.co.jp/sumicom/zatu00/nanboku.html
- 13 :月光仮面:2008/03/11(火) 17:31:34
- ↓メトロポリタン博物館編年でヒクソスアジア人を整理すると
http://www.metmuseum.org/toah/ht/03/nc/ht03nc.htm
Qawrighul I期Xinjiang出発、Shintashra-Petrovka/BMAC期2000-1500BC
Gonur-tepeにて方形城郭都市を建設、BC18-14世紀ミタンニ、 BC18-12世紀カッシ
ート、ヒッタイトなどと併行してBC17-16世紀にエジプトを支配。
Sakir-Har (?)
Khyan c. 1620 BC
Apophis c. 1580 BC to 1540 BC
Khamudi c. 1540 BC to 1534 BC
http://en.wikipedia.org/wiki/Hyksos
その後は中国新疆Yanbulaq期Xinjiang 1500-1000BC、Karasuk期 XII-X BCを経て商、
周に入るのであろう。
- 14 :月光仮面:2008/03/11(火) 17:47:13
- 極めて個人的な意見なんだが、このヒクソスは古代羌族で現代チベット系が
YDNA D1なのに対してD2であり、その遺伝子は現在日本のYAP+にしか残っていない
んじゃないかと思っている。
- 15 :月光仮面:2008/03/11(火) 17:50:20
- しかし、チベットの死者の書などを考えると、エジプトミイラノウハウがあるようでもあり、
若干気になる。
- 16 :月光仮面:2008/03/13(木) 10:56:45
- >>13
メトロポリタン美術館 (The Metropolitan Museum of Art、略称:『メット』 The Met) は、
ニューヨークにある、世界最大級の美術館である。・・・博物館じゃなくって美術館。
考古学的出土物の鑑定等ではプロじゃないんかな。
- 17 :月光仮面:2008/03/15(土) 17:04:23
- 【先祖は】日本とユダヤの共通点【ユダヤ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1154159177/menu320-325
青銅器時代における中央アジアから中近東への移動遊牧民の移動については
非常に広範な地域を視野に入れえる必要があり、日本とユダヤといった聖典資料
の豊富な分野の重要性は否めないとしても、基本的には考古学資料が重要。
甘粛馬廠、幸店彩色土器文化とカスピ海南岸セキザバード土器
「もう一つセキザバード土器が注目される理由があります。それは1970年代に江上波夫
博士が既に指摘していますが、この彩文土器群が中国の甘粛・青海地方、特に馬廠期
と幸店期に属する彩文土器との間に土器形式、彩文文様において多くの類似点が見ら
れたからです。ただ江上博士が述べられているように現段階では同時代の中央アジア
の様相が確認されていない為、これ以上東西交渉の可能性を解釈することはできま
せん。」
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/net-kikaku/saimon-04.html#Anchor-17304
http://ww5.enjoy.ne.jp/~s-mattsun/essei/esseibk05.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Neolithic_cultures_of_China
カッシイトはBMACからこの辺を通り、シュメールの故地に南下、更に西進し、シナイ
半島に至り、メディアン族としてエジプトから帰還したヒクソス遊牧民と一緒になるが
英雄ギデオンによって聖絶をうけるようだ。これが「祇園」祭りの山車、山鉾の由来では
なかろうか。バアル・牛頭天王・天日矛は世界最高品質のセイマ・トゥルビノ青銅武具
を有するカラスク人の神で、「祇園」祭りは戦勝記念日パレードと思えるのだが。
- 18 :月光仮面:2008/03/15(土) 17:10:15
- 勿論カッシートは太国であり、若干のキャラバンが暴徒化した亡命遊牧民の襲撃を
受けた程度の話であり、彼らは後に高句麗方面経由越前、美濃、尾張あたりに住み
着いたのではないかと思う。
- 19 :月光仮面:2008/03/15(土) 17:41:59
- 天孫地祇というのはヒマラヤ・パミール・ザグロス山戎vsアルタイ・コーカサス・バルカン
山戎の対立、神武東遷・アルゴナウトというのは高地性集落・拠点要塞を基礎にして
沿岸シーレーンを構築しながら進軍する戦略であり、鬼が島・桃太郎というのはミケーネ、
マルタ、テラ(アトランティス)等の新石器時代都市文化を破壊しながら進撃する戦術
であり、イワレヒコとは岩割ヒコ、ペトラの太守といった意味で、イザナミとはフルリ人の
女王比婆(Hepat)であろう。裸祭、蘇民祭、カルバラなどと言うのは沿岸青年団軍事
教練、卑弥呼神武の女軍とはキュベレ神殿女官ではないかと思う。木曾義仲、義経、
信長その他戦国時代には中近東・地中海で身につけた戦略・戦術がふんだんに
実戦に応用されている。
- 20 :月光仮面:2008/03/15(土) 18:07:45
- http://www.archatlas.dept.shef.ac.uk/EastWest/1SeimaTurbino.jpg
セイマ・トゥルビノ青銅器文化はこの中央の赤い領域から東西に伸びるもの。
私の主張はこれがモンゴロイドであるカラスク人の手によるもので、行軍しながら
成長をし、エジプトを支配し、その医学、建築その他の知識を学習し、中国文明
を築いた後で日本を建国したということにある。そしてその余波としてアマゾンの
モホス文明、おそらくはアンデス文明もが創造されたのであろうということにある。
この学習能力の高さこそ現在の自動車、電機、電子、鉄鋼、半導体産業を生んだもので
その能力は今も宇宙船内で活躍している。
- 21 :月光仮面:2008/03/15(土) 19:32:06
- 「瀬戸内海沿岸や大阪湾周辺ではこの時期、中国と交易していた北部九州の勢力の
進出を恐れ、平地から丘陵に移り住む高地性集落が増えたとされている。しかし、奈良
盆地では、厳重に防御した高地性集落は1例しか見つかっていなかった。 寺沢薫・
奈良県立橿原考古学研究所調査研究部長の話「当時、強い緊張状態があったことは
確か。集落の性格を見極めることが、一見平和だった奈良盆地の置かれていた政治
状況を考えるうえで必要だ」
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is71212a.htm
箸墓の軸線上に兵主神社があり、要するに「強い緊張状態」とは強烈な軍事思想と
でも言ったほうがいいのかも。邪馬台国建国にはほぼ弥生日本全域から土器を持って
手弁当で馳せ参じているんだから。
- 22 :月光仮面:2008/03/16(日) 09:38:20
- セイマ・トゥルビノ青銅器文化はロストワックス技法が初めて誕生したとされるも、この
技法について中国北部、朝鮮半島、雲南省等の東アジアの多くの地域で出土している
とする向きもある。チョールヌィフは、先ずセイマ・トゥルビノ青銅器文化が西進、後に
前2000年紀後半にカラスク文化として東進したとしている。私はこの西進したもの、東進
したものの主体が同一で、その東西の順番を決定したのは商業的なこと、つまり、メソポ
タミア、エジプトといった巨大ユーザー市場の存在であったと見る。青銅の匠は軍事、
商業の匠でもあったのではないかということだ。
- 23 :月光仮面:2008/03/17(月) 09:35:01
- >>9-10
>ヒッタイトには洪水伝説があり、主人公は"Sisythes"と言う。ヒッタイトは隠
>れ家の都市を持っており、神聖な売春を行っていたと言う。
「祇園甲部(ぎおんこうぶ、京都市東山区)は、京都で最大の花街。日本国内のみなら
ず海外でも知られている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E7%94%B2%E9%83%A8
ミディアン人は雑多な傾向、倫理観、慣習を持ち、誘拐、国際奴隷取引、定住民略奪を
行う遊牧民。モアブ人はイスラエルから脅威、危険を受けることはないが、疑うことの
ないイスラエル人に何もされなくても征圧にかかる民族。メソポタミアの魔術師預言者Balaamのイスラエルへの呪いは功を奏さぬため、ミディアン指導部に大量売春による
イスラエル征服を勧告。モアブ人が約6,000-12,000人のミディアン既婚女性をShittim
東部に移送、イスラエル男性をバアルに改宗さす為にイスラエル男性に売春させ、神に
背かす。
- 24 :月光仮面:2008/03/17(月) 09:36:14
- イスラエル男性は色欲に負け24,000人以上が神罰により悪疫で死亡。モアブとミディ
アンの女はその夫、父、公的指導者の了解の上のセックスを武器に改宗に成功し、
その地域を撤退する。神はイスラエルに特定ミディアン(モアブを除く)の攻撃を命じる。12,000人の男性からなるイスラエル軍はミディアンサブグループ宿営地を襲撃、戦闘に
入る。ミディアン全員でなくバアルへの改宗を画したものが対象。イスラエル軍は敵を
ほぼ全滅し、メディアンの家畜、財産、女、主として少女の子供を連行し帰国。モーセは
性を売ってた女性の命を救ったことに衝撃を受けたが、連行されたミディアン女性、ミデ
ィアン残存男児の処刑を命じる。平均5歳の女児だけは命を救われ各家庭に預けら
れる。イスラエル成人が 24,000人死亡し、女児32,000人がイスラエルに帰化する。戦争
犠牲者はイスラエル、ミディアン合わせて成人24,000人、ミディアンの男児は親、指導
者の道ずれとなる。
http://www.christian-thinktank.com/midian.html
- 25 :月光仮面:2008/03/17(月) 09:46:33
- ツヌガアラシトのタイトルで敦賀方面に上陸したバアル教(ヒッタイトのセト)集団が
祇園社、八坂神社を作るということは、越前から美濃、尾張にかけてコシ、カッシート
が入り込んだのではないかと思わせる。
- 26 :月光仮面:2008/03/17(月) 11:29:53
- ツヌガアラシトとは牛頭天王、ホムタワケとはイザサワケが気比神社の神名を取った
ものであるがこれはブリャートモンゴル語の天神」Khormusta<アルタイ語Korbustan・
アルタイトゥーヴァ語Kurbustu<イラン語Khormazdで、Khorというのは帯の意味があり、
息長帯比売の天地を結ぶ帯(タラシ)のことで、善光寺の本田善光の善光はイラン語
光明神アフラマツダそのもの。
- 27 :月光仮面:2008/03/17(月) 11:59:26
- >>23-24
イスラエルを一神教のシャス(アラブ・ベドウィン・地中海人種)、モアブを多神教の
シャス、ミディアン多神教徒をヒクソス・モンゴロイドカラスク人と置き換えるとうまく
解釈が付きそうである。そして、モアブを背後から操るカッシート、ギデオンの背後
には共にモンゴロイド・カラスク系フルリ人集団があるのかなー。
- 28 :月光仮面:2008/03/17(月) 13:19:23
- 「イスラエルの人々はギデオンに言った、「あなたはミデアンの手からわれわれを救わ
れたのですから、あなたも、あなたの子も孫もわれわれを治めてください」。ギデオンは
彼らに言った、「わたしはあなたがたを治めることはいたしません。またわたしの子も
あなたがたを治めてはなりません。主があなたがたを治められます」。 (士師記8・
22ー23)
次の重要な出来事は、ミデアン人との戦いである。W・F・オールブライトによると、古代
オリエントでらくだが盛んに家畜化されるようになったのは、後期青銅器時代の紀元前
1100年頃である。このらくだの家畜化によって、砂漠の生活は一変した。すなわち、
大きな集団が砂漠においてそれほど水飲み場に依存せずに生きることができるように
なっただけでなく、広い砂漠を横断し、かなり遠くの距離を速やかに移動することがで
きるようになった。パレスチナからはかなり遠い東の地に住んでいたミデアン人が、この
らくだを使って荒野を越えて、イスラエルに攻めて来たのである。その時にマナセ族
出身のギデオンが主の霊を与えられて立てられた(6章)。ギデオンは最初イスラエル
諸部族から多くの兵を集めるが、主によってそれを三百人にまで減らされて、ミデアン人
と戦い、大勝利を収めた(7章)。」・・・ギデオン、日本人の先輩らしいスピーチ内容だ。
http://www.nsknet.or.jp/~kmg/jesus/is04.htm
- 29 :天之御名無主:2008/03/17(月) 17:30:59
- ウンコがしたい。
- 30 :月光仮面:2008/03/19(水) 10:14:41
- ミデアンとの戦いは信長の桶狭間における今川との戦いに似ているが、
「桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)とは永禄3年5月19日(1560年6月12日)に行わ
れた合戦である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%B6%E7%8B%AD%E9%96%93%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
この10年後、「1569年、入京した新しい中原の覇者織田信長と二条城の建築現場で初
めて対面。既存の仏教界のあり方に信長が辟易していたこともあり、フロイスはその
信任を獲得して畿内での布教を許可され、グネッキ・ソルディ・オルガンティノなどと共に
布教活動を行い多くの信徒を得た。その著作において信長は異教徒ながら終始好意的
に描かれている(フロイスの著作には『信長公記』などからうかがえない記述も多く、
日本史における重要な資料の1つになっている)。その後は九州において活躍してい
たが、1580年巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの来日に際しては通訳として視察に
同行し、安土城で信長に拝謁している。1583年、時の総長の命令で宣教の第一線を
離れ、日本におけるイエズス会の活動の記録を残すことに専念するよう命じられる。
以後彼はこの事業に精魂を傾け、その傍ら全国をめぐって見聞を広めた。この記録が
後に『日本史』とよばれることになる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%B9
安土城でギヤマンのぶどう酒を傾けながらギデオン、ヨナの話を聞いたのであろうか。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」
http://www.kyo.co.jp/~shimada/riyc/essay/nobunaga.htm
- 31 :月光仮面:2008/03/19(水) 10:27:01
- 「1550年11月、山口に着いた一行は、なんとか領主の大内義隆に謁見できることにな
った。が、男色を罪とするキリスト教の教えに大内が激怒したために山口を離れ、岩国
から海路堺へと赴いた。堺では幸運にも豪商の日比屋了珪の知遇を得ることがで
きた。了珪の助けによって1551年1月、一行は念願の京に到着した。京都では了珪の
紹介で小西隆佐の歓待を受けた。日本国内での活動は了珪の邸宅の一部を借りて行
われた。その場所が現在では「ザビエル公園」(大阪府堺市)として市民に開放されて
おり、彼の宣教活動を顕彰する碑が建てられている。なお、ザビエル公園より南側に
位置する大小路筋は、堺が自治都市として栄えた時代のメインストリートで、近くには
小西隆佐・小西行長の生家跡、千利休の屋敷跡、武野紹鴎の邸宅跡と伝えられる場所
が存在する(石碑のみ)。
ザビエルは京で「日本国王」に謁見し、布教の許可を得れば全国での布教が自由になる
と考えていたが、京は戦乱で荒れ果て、足利幕府の権威は失墜しており、後奈良天皇
が住まわれる御所も荒れ放題であった。ザビエルは比叡山で僧侶たちと論戦をしてみ
たかったが、比叡山から拒絶された。天皇への拝謁も献上品がなければかなわない
ことを知ってあきらめたザビエルは滞在わずか11日で失意のうちに京都を去ることに
なった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%AB
「元亀2(1571)信長の軍勢によって,9月12日未明から坂本市街への放火が始め
られた。坂本を焼き出された僧俗は八王寺山へ逃れた。信長の軍勢は日吉神社へ火を
かけ,神社後方の八王寺山へ攻め上り,多くの僧侶たちを殺害した。捕らえられた有徳
の僧・女子供については助命の嘆願もあったが,信長は聞き入れず,容赦なく処刑さ
せた。」モーセ・ギデオンの化身と錯覚したのか。
http://www.atjp.net/tenka/tl4/yakuenryaku.htm
- 32 :月光仮面:2008/03/19(水) 14:06:15
- ヒクソス、始皇帝、信長を結ぶのは↓
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1189633821/menu429
「月氏の王のどくろを匈奴がさかずきにしたことは『漢書』にみえる。[冒頓単于]織田
信長が浅井長政父子のどくろに金箔をぬってさかずきにしたことは、『浅井三代記』、
『信長記』にある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%91%E9%AB%8F%E6%9D%AF
が、因縁は深く↓
2図 フン画像
1 - パジリク頭絡上木製首級像
2, 3 - Kho Tsyuy-bin埋葬総合遺跡出土フン画像(
http://kronk.narod.ru/img/klashtorny-savinov-2005-1-02.jpg
パジリク頭絡の金の首級状装飾品は、その頭骨から金杯が作られた戦死したフン戦士
の首級であり、これが前IV-III世紀のフン-月氏戦闘激化の証左と見て間違いない。フン
の西進を足止めするこうした戦役を通じて、月氏はアジア内陸に一万騎単位で十万騎
を要する遊牧国家を創造し、司馬遷の評価においては繁栄の極に達した。月氏による
大草原の制覇は、アルタイに埋葬された月氏の首長がその権勢をもとに弓を引く東夷と
戦い、こうしてパジリク頭絡ができたことで立証される。その2世紀後、アルタイでは元の
宗主月氏の首長の首級から作られた金粉の髑髏杯を作る新たな主権者が確立する。
・・・Klyashtorny
- 33 :月光仮面:2008/03/19(水) 14:19:42
- 葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E5%A4%A7%E7%A4%BE
そして父が通りかかった際にそこに向けて鏑矢を放ち、配下の私兵も大量の矢を浴びせ、これがクーデターの端緒となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%92%E9%A0%93%E5%8D%98%E4%BA%8E
これは松尾大社にある匈奴石板墓文化遺跡
http://kamnavi.jp/yamasiro/matuoj6.jpg
信長にこの血が流れていなかったとも言い切れないのである。
- 34 :月光仮面:2008/03/19(水) 14:30:22
- >>32
2CH内部クロス参照が不具合のようだ。再掲する↓
「臣下の前では注意せよ。彼らは無に等しい者であり、その尊敬など気にかける必要は
無い。一人で彼らに近づいてはならない。兄弟を信頼するな。友人を知るな。腹心を作
るな。何にもならぬからだ。」・・・
エジプト第12王朝(紀元前1991年頃 - 紀元前1782年頃)
第12王朝の初代王はアメンエムハト1世である。第11王朝最後の王メンチュヘテプ4世
の治世第2年に王のための石棺の材料を得るために派遣された遠征隊の司令官の
名前が宰相のアメンエムハトであることから、このアメンエムハトとアメンエムハト1世が
同一人物であり、クーデターによって王位を簒奪したのであろうと言われている。『アメン
エムハト1世の教訓』は、アメンエムハト1世の死後、センウセルト1世の治世に成立した
と考えられる文書である。暗殺されたアメンエムハト1世がセンウセルト1世に王者として
注意すべきことを語るという体裁をとっており、文書の形式は墓などに刻まれる自伝に
近いと言われる。ここでアメンエムハト1世が語る内容は、ある程度実例に沿っていると
もいわれ、非常に厳しい内容である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC12%E7%8E%8B%E6%9C%9D
秦始皇帝、冒頓単于、織田信長の祖であろう。一夫一妻、万系一統とは縁遠い連中だ。
- 35 :月光仮面:2008/03/19(水) 17:20:14
- 「失われた鍵、夫余再発見」中国東北歴史プロジェクトは古代史の全面的書き換えを
目的としているが、コリア・チャイナ間の歴史紛争は高句麗史から夫余史へと次第に
シフトしている。シン教授は一部の夫余族が西はバルカン半島から東は日本まで移動
した可能性をあげている。韓国文化遺産国立大学リ・ドハク教授は高句麗も夫余も同一
の王が建国したことを示唆する。2王朝の神話類似を根拠にあげている。ドンヤン大学
キム・ウンホイ教授は夫余建国の説明につき、同様の理論を提示している。
http://english.donga.com/srv/service.php3?bicode=130000&biid=2007073191788
先生方なかなかたいしたもんだ。夫余の遺伝子としては白馬青牛の契丹・ダフール
のYDNAが弥生時代に日韓に入っているようだ。しかし、これは
日本人YDNA↓これのO2型であり、ダフール、韓国、日本に共通するものだろう。
http://img438.imageshack.us/my.php?image=japan9zr.gif
http://www.isogg.org/tree/ISOGG_YDNATreeTrunk07.html
私はダライラマのような顔つきのチベット系YAP+と言うヒクソス等も絡むもっと大掛かり
な興隆窪文化集団でなかったと考えている。ヒクソスにはモンゴロイド以外に、アルタイ
語・ウラル語を話す白人、イラン、セム系等も混ざっていたのであろうが。しかし、
韓国学会も次第に近づいてきた感がある。
- 36 :月光仮面:2008/03/19(水) 17:46:24
- Haplogroup O2b (SRY465, a.k.a. M176)はY-chromosome DNA haplogroupであり、Haplogroup O2の子孫。Haplogroup O2bは主に北東アジアであり、内蒙古Daur族から
日本にかけて、また、インドネシア、タイ、ベトナム等の東南アジアにもかなりいる。
このhaplogroupは現代の日韓に高頻度であるが、中国のほとんどの民族にはいない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_O2b_(Y-DNA)
これが古代夫余族の流れだろう。
- 37 :月光仮面:2008/03/19(水) 17:58:24
- ダウールの言語はモンゴル系統とされるもかなり独立していたようだ。天神を意味する
ブリャート・モンゴル語Khormustaをダウール族がホムタと発音していたということも
ありえるかなと思う。ダウールは契丹の大賀氏といわれるから相当高貴な血筋のようだ。
日本にもこの苗字は多い。
- 38 :月光仮面:2008/03/19(水) 18:04:46
- その後、宰相の阿蘭弗が「天の神が私に降臨して、『吾が子孫がいずれ国を作るだ
ろう。この地から離れなさい。東海に迦葉原(かはばる、かしょうげん)という地がある。
そこは五穀が良く実る。ここに都を遷すと良いだろう。』と言いました。」と解夫婁に
進言し、王は都を迦葉原の地に遷都し国名を東扶余とした。このようにして扶余の都
から元の王である解夫婁がなくなった後、天帝の子を自称する解慕漱(かいぼそう、
へ・モス)がどこからか現れて、都を開いて扶余王となった。解慕漱がなくなった後、
金蛙は扶余王となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%9B%99%E7%8E%8B
日本には香春、オオクニヌシ関連で八上の川原、奈良の橿原等に神話が多い。
ヘブルと言うのもバシコルトのハピル、ヘブライ等犬戎を表す言葉かもしれない。
東夫余というのは東胡州、筑紫かも。
- 39 :月光仮面:2008/03/19(水) 18:33:54
- 要は、高句麗も、百済も実体は夫余ではないかということであるが、新羅は簡単では
ない。秦であるとか、月氏を初めとするさまざまな要素があるようで、出雲神話を初めと
する日本神話の主な出どこは弁辰ではないかと言う感じだ。夫余族の持っていたのは
上田正昭「日本の神話を考える」にあるが神武神話のようなものだけかも。
が、阿多の隼人にかんしては「エウロペイドのタガール文化が数世紀で終了し、その後
に混血色の強い別の文化が出現。これはキルギス族の作ったチュルク民族文化で
Tashtyk文化と呼ばれる。これが広域混血プロセスの始まりであり、最初は東部に起
こり、その後ははるかに遠い西方に進む。Minusaにおいてこの混血住民はジンギス
カン時代まで生存していた。 紀元後1世紀この地の匈奴は中国人の協力の下に代官、
王子用の屋敷を造った。これについては当時の文献記録や出土屋根瓦などがある。
匈奴は昔から灌漑農業の行われたこの地に格別の関心を寄せていたようである。この
住民は時には誤って丁霊と呼ばれることもあった。[隼人紋の刺青を入れたハカス女性]
http://www.kitap.net.ru/tit3/image003.gif
これが絡んでいるのでは。この文様はポーランドなんかにある。
- 40 :月光仮面:2008/03/20(木) 09:07:48
- >>35 参考↓
【歴史】中国、高句麗の次は「扶余も中国史」
http://www.chosunonline.com/article/20060703000049
- 41 :月光仮面:2008/03/20(木) 14:09:20
- 「江原(カンウォン)道のある“谷底”で発掘された一点の土器が、考古学界を沸きかえら
せている。その土器とは、上部に目盛のような文様が刻まれた「刻目突帯文土器(模式
図)」だ。」
http://www.chosunonline.com/article/20051026000003
突帯文とは縄文土器文化人が弥生土器を受容する際に縄文技術を一部転用したもの
と考えていたので、上記の記事には奇異な感じを受けてはいたが、
↓米イスラエル吉林内蒙古赤峰国際協力考古研究プロジェクト、趙宝溝文化土器
http://www.pitt.edu/~chifeng/pottery/Zhaobaogou4a.jpg
http://www.pitt.edu/~chifeng/pottery/Zhaobaogou4.jpg
http://www.pitt.edu/~chifeng/text.html
ここに突帯文によく似たものがある。これは紅山文化より古いものなので、もしこの
趙宝溝文化土器が突帯文の源流であるとすれば、それは青銅器文化とは関係なく
やはり、↓
「紀元前1000年紀には、無文土器が主流となった。この時代は、朝鮮半島における
青銅器時代とほぼ一致する。文様がないか、あるいはあってもごく少ない赤褐色の
平底の土器である。成形にはまだ轆轤の使用は見られず、手捏ねか輪積みによる
ものがほとんどである。分布は、中国の東北地方、西は遼河から東は黒龍江・松花江
にまたがる地方と深いつながりを持ち、櫛目文土器文化とは違った文化圏が形成されて
いたことがわかる。そしてこの無文土器は、さらに東に伝わり、わが国の弥生土器の
母胎ともなった。」
http://www.moco.or.jp/jp/intro/intro_3/intro_3b.html
こういうことなんかなーと言う感じがするが。
- 42 :月光仮面:2008/03/20(木) 14:19:43
- 日本のものは→「刻目突帯文土器の甕(後方左・中)」
http://www.city.fukuoka.jp/maibun/myc/75.html
- 43 :月光仮面:2008/03/20(木) 16:20:14
- 弥生末期/漢の渡来人の故郷としては
「黄河下流と長江下流に挟まれた地域の漢代の遺跡から、渡来系弥生人によく似た
人骨があいついで見つかっています。この時代の中国は、政治的に動乱の時代であり、
いろいろな民族が入り乱れて戦いました。」
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-14.html
この中で会寧雄基なる地名があるが、ロシアにおける日本語の故郷推定
http://www.geocities.com/alterlinrus/MonTunMapRus.gif
これとなんだか合ってる。しかし、沿海州と北海道では短絡であり、半島を
かませないとおかしいのでは。呉の方面のものがどのように来たのかは
徐福が入るのか。
- 44 :月光仮面:2008/03/21(金) 09:58:02
- 呉越は銅緑山、無錫等金属資源生産地。日本神話は冶金、鉱業、探鉱に関する
ものが主流。中国神話の共工、蚩尤等には三苗とか、東夷のような民族が長江
文化圏を追われ甘粛とか、あるいはそのまま、燕とか山東省に移動する話もあり、
コーカサス、シリア、パレスチナに多いドルメンが山東、遼東方面に多い。延烏郎、
細烏女、アカルヒメ、天日矛、魏志倭人伝、倭面土国帥升、倭国乱、高地性集落、
庄内式土器、布留式土器、鏡作り、青銅祭器埋納等を考えると青銅冶金技術集団
の渡来、鏡、古墳の規格統一による全国統一運動が邪馬台国、箸墓周辺を中心
として始まったのではないかと言う感じがする。
- 45 :月光仮面:2008/03/21(金) 10:11:35
- イスラム系バシコルト伝承のアミンベクはヘブライのヨセフ同様エジプトで宰相になる
サクセストーリーだが、共に井戸に投入れられる。大国主命、甲賀三郎と同じであり、
シナイ半島銅山で活躍したことを物語るようだ。セイマトゥルビノの錫、ロストワックス
青銅器を擁する軍用犬、馬で武装された方陣歩兵軍団が猛スピードでユーラシアを
ジョンウェーン「赤い河」のカウボーイのように前進する姿が夫余の「カハバラ」、つまり
蓄群の給水地を求めて大河から大河に移動する「天日矛」の姿ではなかろうか。
- 46 :月光仮面:2008/03/21(金) 10:47:53
- 東海から吉備にかけての環濠集落規模の水稲農作地域単位が人口増加で臨界に
達し、核分裂反応が始まったのが倭国乱の原因であろうが、東地中海ではミノアを
中心とする中期青銅器文明が、おそらくはテラ噴火と、その津波被害によりナイル
下流域を含めて大きな停滞が始まったこのが、日本における倭国乱と同じ効果を
生みはるかに遠い満蒙、インダス(ドラビダ/タミール)、欧州方面から諸民族の流入
を呼び、アジア系ヒクソス諸王が生まれたのであろう。
- 47 :天之御名無主:2008/03/21(金) 11:26:41
- 気違いはこれだから困る。
- 48 :月光仮面:2008/03/21(金) 12:22:39
- ↓野球のホームプレートを抜海湾においた場合、「右翼の後退シフトし過ぎ」がこれ
http://www.geocities.com/alterlinrus/MonTunMapRus.gif
↓内野にばかり前進しすぎがこれ
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/4/41/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3%28%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D350%E5%B9%B4%E9%A0%83%29%E5%8C%97%E6%96%B9%E5%9C%B0%E5%9B%B3.PNG
しかし、この2つの地図と山海経の燕、倭、ガイ、列陽、朝鮮の記述からほぼ昔の居住
地が現在の内蒙古東南部かなーって感じだね。
- 49 :月光仮面:2008/03/21(金) 13:13:55
- >>27-28
南シベリアではカラスク、タタール人骨に少数ながらタミールらしき熱帯人種人骨
が混じり、カラスク南方起源説も出たが、マジョリティーがモンゴロイドであるため
カラスクはタミールではなく、モンゴロイドとされていまった経緯があるようだ。ところが
共通インドアーリア語が原住民から借用した単語に
bread, ploughshare (the sharp blade of a plough), canal, brick, camel, ass,
sacrificing priests, soma, Indraが入るというが、重要なことはプラウとか犂というのは
インド犂、駱駝もドラビダが起源ということであり、カラスクとドラビダの出会いがモーセ
のメディアナイト聖絶伝承で語られているのではないかと思う。タミール語が日本語と
関係しているとする学説には深い根拠があるようだ。
- 50 :月光仮面:2008/03/21(金) 13:17:27
- このカラスク、ドラビダ共生地域にあるゴヌルデペ遺跡が平城・平安京と同じ方形
で、内裏をもつ都市なのだ。
- 51 :月光仮面:2008/03/21(金) 13:35:12
- ツゴイネルワイゼン、剣の舞、キャラバン、月の砂漠が地中海から響いてくる・・・
ジョンガラはJungaria狂詩曲といったら・・・月光仮面はルナティック・マスクとでも。
- 52 :月光仮面:2008/03/21(金) 13:39:20
- 俺は単にNHKシルクロードの松平アナの声にしびれて砂漠に落ちた仮面に
人間五十年の栄枯盛衰の哀れを見て「月光仮面」と名乗ったものなんだが。
- 53 :月光仮面:2008/03/21(金) 14:17:25
- 「人類最古の叙事詩といわれる「エンメルカールとアラッタの主」は、そんなケースをうた
ったのだと思う。この叙事詩は、メソポタミアのウルクの王、エンメルカールが送るべき
穀物の量と、どこか遠方のアラッタという鉱山(?)の長が送り返さなければならなかっ
た金銀、あるいは瑠璃など宝石の数量を巡って、トラブルがあったことを示唆している。
アラッタがどこにあったのか明確ではない。しかし興味があるのは、ウルクの王エンメル
カールとアラッタの主が、シュメール語という共通の言語で意志の疎通をはかっている
点だ。さらに、太陽神ウトゥや女神イアンナなどを共通して崇拝しているらしい事実から、
アラッタという鉱山の主(?)は、外国人ではなく、エンメルカールと同じ民族であると推
定できる。」
http://homepage3.nifty.com/sekiokas/Topfile/History/gold/egypt.html
太陽神ウトゥ・・・アメノウズメ、宇都宮・・・シュメール・・・これって牛河梁遺跡・
碧眼女神像、女神廟と関係があるのでは。
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/img/kozan-megami.gif
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-73.html
そうすると興隆窪文化と中近東の間の接触はかなり古い新石器時代から続いていた
ことになる。
- 54 :月光仮面:2008/03/21(金) 15:56:45
- >>45
ウラルのバシコルド(チュルク系バシキール)語でSafarとは「業務で出張する」と言う
意味であり、出張中に現地で生まれた子供をSafar Galiとか、Safar Bikaとか呼ぶ。
メソポタミアクルド語でSafarというのは「銅」を意味する。ヘブライ語でSafardyというのは
スペイン語に似たLadino語を話す人々を意味する。Sefardyというのはムーア人に征服
されたスペイン・ポルトガルのキリスト教徒による再征服完了後にスペインを追放され、
難民化した民族の末裔のことである。スペイン・ピレネー山脈は世界有数の産銅地帯で
ある。バシコルドのアミン・ベク伝承にある商人は前3-2千年紀にウラルにおいて他でも
なく銅採掘、輸送に従事するものであった。・・・とされるが、博多の早良、千葉の佐原と
日本においてもこのSafarは商人を意味していたようである。
- 55 :月光仮面:2008/03/21(金) 16:02:35
- >>49-50
「ドラヴィダ人はアーリア人とは外見的条件が大きく異なり、従来はネグロイドに属すると
されてきた。しかし、近年のDNA分析の成果により、現在ではオーストラロイドまたは
ヴェダロイドに分類されている。」
「また、タミル人という概念があり、主にタミル・ナードゥ州出身でタミル語を母語としその
文化を担う人々を指すが、タミル(Tamil)という語はドラヴィダ(サンスクリット語Dravida)
という語と語源が関係している可能性が高い。このことから、タミル人をドラヴィダ人の
代表、あるいはドラヴィダ人そのものと考える傾向が、タミル・ナードゥ州を中心に展開し
ている政治運動であるドラヴィダ運動などにおいて、存在している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%80%E4%BA%BA
- 56 :月光仮面:2008/03/21(金) 16:12:43
- >>54
↓博多湾、室見川の河口に古代の船着場があったのであろうか。
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/fukuokaheiya/fukuoka8.jpg
- 57 :月光仮面:2008/03/22(土) 09:12:28
- みのもんた司会の番組で阿波の徳島は邪馬台国だとやっていた。では同様に
前方後円墳のある安房の北部はどうなるか、と考えると、やはり、筑後川、遠賀川、
吉野川、大和川、利根川と迦葉原をもとめていどうする夫余のきょうとう‐ほ【橋頭堡】
(bridge-head)
〓橋梁を直接掩護(エンゴ)するため、その前方その他必要な所に築設するとりで。
〓渡河・上陸作戦の際、渡過点・上陸点を掩護し、以後の作戦の地歩を得るための
拠点。また比喩的に、拠点・足場。
をアワといったようである。それは天の富彦、天の日鷲等の集団であり、河内、大和
のトミビコ、鳥海山等にもそうした言葉は残る。取り付く島もないというが、逆に、宇和島、
粟島等は取り付く島でこれまた橋頭堡的である。おそらくはこの軍事用語橋頭堡を
古代人はアワといったのだろう。
- 58 :月光仮面:2008/03/22(土) 09:27:37
- 阿波の場合神武軍のへい‐たん【兵站】作戦軍のために、後方にあって車両・軍需品の
前送・補給・修理、後方連絡線の確保などに任ずる機関。「―部」・・・地理的にこの要衝
にある。神武の嫡子タギシミミは綏靖にうたれるがカミヌナカワミミというのは越中の守
といったところであり、いわゆる狗奴国派の倭連合王国首脳、いわゆる、欠史八代の
筆頭の天皇である。これは河内、大和が越、東海に押されたことを意味するのであろう。
- 59 :月光仮面:2008/03/22(土) 09:41:16
- 吉備に対しては金毘羅を、出雲に対しては沖ノ島を橋頭堡として作戦を起こすことが
考えられる。こうした場合の歩兵、山岳兵を山間の阿波吉野川流域に隠すのは意味が
ある。
- 60 :月光仮面:2008/03/22(土) 09:49:57
- 女子フィギュアを見ていてモンゴロイド長頭の真央ちゃんと地中海長頭コストナーが
上位を制した。天狗面はグルジアの選手であった。みのもんたの番組とごっちゃにな
ってしまったが、イスラエルが天狗というのはユダヤ教の司祭の御尊顔に申し訳ない
ような気もする。
- 61 :月光仮面:2008/03/22(土) 11:27:36
- 率川阿波神社 率川神社境内 祭神 事代主命 延喜式神名帳の率川阿波神社で
ある。宝紀二年(771年)阿波国から勧請したと伝わる。 推古天皇元年に大三輪君
白提が勅命により奉斎したと伝わる。
http://kamnavi.jp/jm/k92.htm#awa
この年に和気清麿が復権、天智皇統、つまり、東海・越兵力を基盤にした天武皇統
に取って代わった皇統が権力を握ったのではないかとされる。このときまで神武の神
は阿波で冷や飯を食わされたということは河内政権にもてあそばれていたということ
であろうか、あるいは天武勢力はそれほどに強力であったのだろうかなどと思うのだが。
- 62 :月光仮面:2008/03/22(土) 13:36:12
- >>52
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7f/EuropoidMaskLopNurChina2000-1000BCE.jpg
これがそうなんだが、蘭陵王の原型のようだ。これとは別に女王クラスの棺にはピノキオ
の鼻をした仮面があったが、デザイン的にはトシドンのような感じだ。おそらくはトカラ人
は鹿児島経由南西諸島に入ったのだろう。コンセプトとして鹿島様、天狗面のもつ賽神
的な意味は尖ったもので魔よけとする風習から出ているのだろう。アルメノイドは古代
相当活躍したようだ。
- 63 :月光仮面:2008/03/22(土) 15:32:05
- 日本人の先祖が天狗とか、ユダヤ人だなんていったら幼稚園児に笑われる。日本人
の先祖の残した文化を天狗の顔に似たユダヤ人が受け継いでいると説明してやっと
普通の人間だなーと子供にも思われる。
- 64 :月光仮面:2008/03/22(土) 15:38:18
- 要するに日本人の先祖にとっては、ファラオ女王ハトシェプストの言うとおり一神教
のラーなんぞは、「そんなの関係ねー」であったのである。
- 65 :月光仮面:2008/03/22(土) 17:39:18
- 六芒星はAD3-4世紀ガリラヤのユダヤ教教会で使用が開始された。しかし、元伊勢
籠神社の真奈井社にも六芒星があるが、籠神社には紀元前の前漢時代の銅鏡が
伝世されている。では元伊勢からカラリアに伝わったのかとするのは歴史の流れから
言っもおかしいが、ガラリアから元伊勢にと言うのはありえない。
- 66 :パンティー仮面:2008/03/22(土) 20:32:39
- おれは昨日美濃モン田でなくグレートジャーニー見たわ。美濃モン田は未練かった
で昨日はチベット、雲南、ベトナムから日本への南方ルートを関野が辿るという旅
だったんだけど、ブータン当たりで納豆やコンニャク、蚕なんかはそのまま日本へきたん
だと思った。口の粘液からのDNA分析でも10%ぐらい日本人と共通してた〜
- 67 :天之御名無主:2008/03/22(土) 20:46:47
- 3万年前のスンダランドの遺伝子
- 68 :パンティー仮面:2008/03/22(土) 20:48:30
- 六芒星ってのは大麻を象徴的にあわらしたもんなんだよな。本当は麻紋
がそうなんだけどこれ日本の風習で赤子のエナ(胞衣)として最初に着せる
もんなだけど天皇の誕生祭り大嘗祭でもアラタエとう大麻服を四国のインベシが
つくるみたいね。ユダヤのラビも大麻服をきるんだってさ。カナン=カナビス=カンナビ
で石信仰になるのはやっぱアレだな〜w
- 69 :月光仮面:2008/03/23(日) 10:06:13
- 麻紋 なるほど↓これらは中央アジアが原産地か。
http://www.mmjp.or.jp/tajimamori/sub73.htm
するとガリラヤ方面へは中央アジアから伝わったことになる。つまり、ユダヤ人は
一時中央アジアにいたということではなかろうか。後にハザール等が出てくる。
- 70 :月光仮面:2008/03/23(日) 10:20:14
- 「新義真言宗の作法やお水取りの時に行われる達陀の行法は、ゾロアスター教の影響
を受けているという説もある[要出典]。また1970年代前半、小説家松本清張が自作『火
の路』(現題:火の回路)で、飛鳥時代の日本にゾロアスター教が伝わっていた、という
物語を描き話題となった。松本の説によれば、斉明天皇はその信者であり、マギの秘術
を使ったために『日本書紀』で神秘的な存在として描かれたのだとも、飛鳥の酒舟石は
神酒ハオマを製造する為のものであったともいう。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%95%99
元伊勢 籠神社の真奈井社にも六芒星、天火明命、天村雲命はアフラマツダ、アンラ・マ
ンユと合致する。津軽にも光明・暗黒の戦いらしき民話がある。
- 71 :月光仮面:2008/03/23(日) 12:57:23
- 小説『デイヴィッド・コパフィールド』の主人公はエナ(胞衣)に入ったままで生まれ、
親がそのエナを15ギニー(3000円)で売りに出した。今で言えば後産をネットオーク
ションにかけられた。エナ(胞衣)に入ったままで生まれたものは水難に強い
と信じられていたと言われる。また、
「後産は産婦よりむしろ胎児と結びついて信仰の対象となり,それが子どもの運命を
将来にわたっても左右するという考え方は,日本のほか,中国,朝鮮,マレー諸島,ヨー
ロッパなどで広く見いだされる。」こうした原始的な考えとは異なり水天宮の腹帯の起源
は、妊婦の腹帯の他にモンゴル等で幼児をくるむ帯状の布をさし、その起源はエジプトの
ミイラであるとか、蚕であるとかにあるのではないかと考えるのであるが。
- 72 :パンティー仮面:2008/03/23(日) 16:20:45
- エナ崇拝って誰だっけ?もとオウムでチィベットのあいつ・・カイエソバージュシリーズ
で読んだな・・それによるとエナ帽子を被るのは胎児と翁を象徴して縄文時代の巨石信仰と
繋がってるらしい・・ユダヤ教の割礼なんかとも関係ありそうだが・・
- 73 :パンティー仮面:2008/03/23(日) 16:30:01
- >>69
>http://www.mmjp.or.jp/tajimamori/sub73.htm
によると
>この麻紋を調べますと徳島県と千葉県がしっかりと結ばれて居る事がわかりました。
>徳島県鳴門市大麻町に大麻比古神社がございます。
>読んで字の如く麻を祭った神社の神様の総本社です。阿波国の一宮神社でもあり、
>御祭神は天太玉命と猿田彦大神です。
とあるこれは四国のインベ氏が千葉に移植したってこは縄文の文化の巨大発生地とも
つながるんだけど、彼らは航海術も長けてたということだな。
これ大麻堂のブログで知ったんだけど
>日本建国と阿波陰部って本をかおうと思ってるけど3000円ってちょっとお高いよね?w(セコイ?w
http://www3.tcn.ne.jp/~aska/
- 74 :パンティー仮面:2008/03/23(日) 16:32:51
- >>69
>つまり、ユダヤ人は 一時中央アジアにいたということではなかろうか。
>後にハザール等が出てくる。
ハザールなんか持ち出すまでもなくユダヤ人はもともとメソポタミア出身じゃん。
でそこからイスラエル→エジプト→イスラエル→バビロニアだからさ・・
- 75 :パンティー仮面:2008/03/23(日) 16:37:01
- >>71
>小説『デイヴィッド・コパフィールド』の主人公はエナ(胞衣)に入ったままで生まれ
デイヴィッド・コパフィールドってマジシャンのデイヴィッド・カパフィールドみたいな
ナマエやね。マギ・・・マジシャンとも関係あるね。
- 76 :月光仮面:2008/03/23(日) 17:34:53
- >>74
脱帽。そうだね。現在で言えばイラク北部、イラン方面か。そして次第に北に
勢力を拡大し、また南にも下りてくるといったところかな。
- 77 :月光仮面:2008/03/23(日) 17:38:50
- 正しくは↓こうらしいね。
【先祖は】日本とユダヤの共通点【ユダヤ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1154159177/menu380
- 78 :月光仮面:2008/03/23(日) 18:19:01
- >ユダヤ人は紀元前700年から西暦100年までの800年間、
>アフガニスタンやカザフスタンに居住していた
これはちょうど春秋戦国秦/無文弥生に相当するためユダヤ人と日中韓の間の
関係は並列であり、この時期の相互作用はなく、考えられるのはこれより千年
前のヒクソス前後の関係だ。そのころ最先端の青銅器ロストワックス工法、馬、
二輪戦車をもって登場したのはアジア系ヒクソスであり、これがフルリ人などとして
主導的立場にあったものというのが真実だと思っている。
- 79 :月光仮面:2008/03/24(月) 09:08:31
- ↑>この時期の相互作用はなく
しかし、斉のあったリンシで発見されたと伝えられる白人DNA人骨は台湾学会等に
よって否定されたのか、鳴りをひそめたし、記紀斎明・推古朝に記述のある白人渡来
人、この時代隋が琉球を攻めた際に確認された琉球と崑崙言語の一致と神社関係者
とかユダヤ人筋の強調する日本とユダヤの偶然とは考えられない神社、服装、慣習
の類似を考えると、こうしたアリバイが確実とも思えない。
- 80 :月光仮面:2008/03/24(月) 09:17:39
- イラン語を話すスキタイ系サカ族、トカラ語を話す牛文化のトカラ人の宗教の中に
イスラエルとか、イスラム系バシコルト、匈奴、倭人と共通する説話とか、服装、寺社
建築様式、習慣の類似性が存在したということもありえるのではなかろうか。当時
パミールを越えてインドに入った玄奘三蔵には道昭が師事し、行基が日本国中に
教えを振りまいたが、当時の服装はイラン、ユダヤ、日本等似通ったものだ。
- 81 :月光仮面:2008/03/24(月) 09:23:39
- 匈奴の冒頓単于は月氏の人質にやられていたが、後に月氏をバクトリア方面にまで
駆逐した。一方、百済には月支国が登場、出雲日御碕の神主は月支国王の来襲を
一人で防いだと言い伝えている。弓月国からは多数の難民が渡来し秦氏となっている。
秦氏の松尾神社は鏑矢の神で冒頓単于のようだし、その石組み遺跡は匈奴文化
である石板墓を思わせる。
- 82 :月光仮面:2008/03/24(月) 09:39:53
- 前漢には中央アジアでペルシャに抑留されていたローマ軍が甘粛に移され、その子孫
はいまだに白人で現地に住んでいて、イタリアから観光客を迎えているといわれる。
飛鳥時代のエンタシスとか、噴水がローマ風である不思議はこの辺に鍵があるのでは
なかろうか。猿石はクナド神であり、兜跋毘沙門天等と趣旨は同じで、マダラと言うのが
アルタイ・モンゴル語でこうしたクナド神をあらわすようだ。マダラ神は出雲にあり、又、
籠神社も基本的にはクナド神の思想を元に配置されたとも言われる。
- 83 :月光仮面:2008/03/24(月) 09:46:42
- ↓これなんかも関係してくる。
【書籍】 「許黄玉ルート-インドから伽耶まで」〜韓国人の身体にはバビロン遺伝子がある?[03/22]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1206280964/menu1
- 84 :月光仮面:2008/03/24(月) 11:02:48
- http://www.archatlas.dept.shef.ac.uk/EastWest/2Arzhan.jpg
「山岳、平原、森林、草原の出会う場所にある前7世紀Arzhan古墳は東西を結ぶ草原
遊牧民の誕生と共に成長した新しい関係のネットワークにおけるこの地域の枢要な
重要性のしるしである。」
英国シェフィールド大学ホームページ
http://www.archatlas.dept.shef.ac.uk/EastWest/EastWest.php
そして、それは何故出雲にウルフ神社があるのかといった疑問にも答えてくれるかも。
- 85 :天之御名無主:2008/03/24(月) 14:28:29
- 【書籍】 「許黄玉ルート-インドから伽耶まで」〜韓国人の身体にはバビロン遺伝子がある?[03/22]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1206280964/
キム・ビョンモ漢陽大名誉教授
(訳注:許黄玉は金官加羅国の始祖である首露王の妃。インドの阿踰陀国の王女)
「考古学的証拠を拡大解釈すればバビロニアやユダヤ人の遺伝子が我が身に混じっている可能性もあ
るということです。今回の本には紹介しませんでしが、日本のある学者は攻撃されるんじゃないかと
心配してドイツ人の筆名で「大和はユダヤ人の王朝」だと書きました。」
中略
アッシリア-バビルロニア-ペルシャ-スキタイ-ガンダーラ-雲南-四川-邪馬台国に至る人々に双魚は万
物を保護する守護神だった
以下略
- 86 :月光仮面:2008/03/24(月) 15:16:54
- http://kladina.narod.ru/savinov/savinov1994_01.gif
アンドローノヴォ文化圏及び早期スキタイ時代の「エリート」クルガン画像脚注
1,3,6 - Sintashta大寺院クルガン
1 - 構造物基礎グリッド(部分)
3 - 復元埋葬施設
2 -墓地
1. 石棺壁面「タペストリ」画像(部分)
4, 8 - Arzhan
4 - 壇を形成するグリッド
8 -復元図( a - 壁 b - 回廊в - 円壇г - 玄室上の墳д - Stagstelle鹿石)
5 - Tagisken青銅期遺跡復元
Tagisken↓下図アラル海東方#40遺跡
https://www.iranica.com/articles/v9f1/v9f140page98.html
↑これが円形であることを除いてタバナクル(幕屋)と似ている。
- 87 :月光仮面:2008/03/24(月) 16:14:54
- 皇極三年七月条「ウズマサハ、カミ(神)トモカミ(神)ト、キ(聞)コエク(来)ル、トコヨ
(常世)ノカミ(神)ヲ、ウ(打)チキタ(罰)マスモ」、当時、大生部多と巫女等が、常世の神
を祭ることとそのことによって得られるご利益を口実に、民衆を惑わし、民衆から多くの
財物を引き出させていたのを、秦河勝がかれらを懲らしめたことによるもの・・・
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/toraijinkenkyuu/kaihou0603.htm
応神朝に渡来した月氏系秦氏は既に新約を含む景教に通じていたのかも。日本人は
ゲルマンよりも早くからキリスト教に通じてたいた可能性がある。
- 88 :月光仮面:2008/03/24(月) 17:26:39
- しかし、聖書の内容はマニ教の一部として入り、パンテオンは天火明、天村雲、天御陰
等、又、その内容の概略は津軽の光明、暗黒の戦いに残り、その文様はグノーシス
の文様と同じで丸に十文字の島津の文様として残ったのかなーと考える。そして、
新約聖書の一部が記紀における神功皇后、聖徳太子等の部分に取り込まれたのだろう。
- 89 :月光仮面:2008/03/25(火) 10:00:07
- >>86
http://kladina.narod.ru/savinov/savinov1994_01.gif
5 - Tagisken青銅期遺跡復元
この現場はアラル海東岸方面であるが、このタバナクル/幕屋のようなものには
アプシスが付いている。
「後陣(アプス、アプシスapseとも言います)初期キリスト教会によくみられる半円形の壁龕(へきがん)です。ここが、主祭壇になっています。」
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/photo-roma/photo-0052.htm
- 90 :月光仮面:2008/03/25(火) 10:54:47
- 「トゥーヴァ及び山岳アルタイ地方では「アプシス」を持つ独特のガーデンが発掘され、
土器編年によりアンドローノヴォ文化期とされている。同様の「痕跡的」アプシスはモン
ゴルにおける若干の鹿石(Stagstelle)遺跡においても見られる。」つまり、当時アラル海
からアルタイまで後のギリシャ正教教会のさきがけのようなものがあったということに
なる。ユダヤ教においては東方にエルサレムを望む地域においては教会の東方に
アプシスを設ける。こうした考えが日本においても寺院建設時代に発現し、後戸の
発想となるのかもしれない。
- 91 :月光仮面:2008/03/25(火) 11:32:32
- 熊山遺跡:最上段には縦穴があり、ここに陶器や巻き物が納められていたという。
http://www.gainendesign.com/taizan/kumayama/kuma.html
http://gonkos.hp.infoseek.co.jp/kumayama-iseki.htm
http://www.sairosha.com/tabi/nazo/kumayama.htm
http://haikai.putcher.info/siseki/okayama/kumayamaiseki/kumayamaiseki.htm
ソロモン神殿
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bf/Jerusalem_Ugglan_1.jpg
似ている。
- 92 :月光仮面:2008/03/25(火) 12:22:06
- 「前方後方形墳丘墓から前方後方墳への成立に濃尾平野が重要な役割を果たしたと考
えられている。3世紀前半の弥生時代終末期頃、東海地方では方形墓の一辺に突出状
の祭壇を設ける墓が流行した。その例としては愛知県の廻間墓があげられ、祖形と考え
られる。この墳形は西は京都府から東は千葉県までひろがった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%96%B9%E5%BE%8C%E6%96%B9%E5%A2%B3
が、熊山遺跡はこうした墳墓ではなく日野宮神社↓
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/gazou/hi-miya21.jpg
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/hinomiya.html
に時代的にも近いものであったのだろう。
- 93 :月光仮面:2008/03/27(木) 09:08:08
- 日本は現存する最古のユダヤ王国
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1156510663/menu961-969
話が徳島県の銅鐸、積石墳、と来ると、次には(蒼穹)装飾古墳となるが、剣山
小剣神社の鍾乳洞の内部及び岩の割れ目と出雲の韓竈神社、江田船山古墳
に近い「トンカラリン」遺跡が類似していることが目に付く。そして装飾古墳の
モチーフがエジプト神話、葬礼の太陽の舟とも関係している。横穴式巨大古墳は
ドルメンのような蘇我馬子の墓、石舞台古墳が有名。江田船山古墳は筑紫磐井の
乱で有名な磐井と関係しているようであるが、飛鳥と結びつくのはユーラシアステップ
的な石像である。飛鳥天平白鳳時代に開花する極めて高度な彫刻、建築、音楽は
この時代に何らかの渡来人が渡ってきたのではないかと思わせるが、推古、斎明
時代にはトカラ、社衛人の渡来が記録されており、彼らが造園をはじめとする芸術
を持ち込んだことが知られている。
- 94 :月光仮面:2008/03/27(木) 17:22:18
- >>88
マニ教を基にして大陸を眺めると、後趙/羯族に当たる。そして、エジプト神話をもつ
シベリアの民族にはケト族がある。そして、この民族はセイマ・トゥルビノ青銅器文化
に近い。また、黒海北西部のSuvorovo墓地文化に見られる御物石器は岐阜県と大分県
あたりに限定される。素盞嗚命は気多の神を伯耆から越前に鹿に乗って移したと
されるが騎乗できるトナカイを飼育するのはケト族である。セイマ・トゥルビノ青銅器文化
のロストワックス鋳造は極めて精巧で実用的である。日本で御物石器の発見される
高山にはストーンサークル的な日抱神社と信仰がある。これはアルカイム、パレスチナ、
英国等青銅器文化の要地に見られる。飛騨高山は鉛の産地である。古墳もある。
異民族伝承もある。日光東照宮の彫り物は飛騨高山の匠の技である。飛騨高山の
獅子舞には外国神話を題材にしたようなものがある。
- 95 :月光仮面:2008/03/27(木) 17:28:18
- このことはヒクソスが白人であるケト人/羯族と羌族或いは三苗出身のモンゴロイド
を含んでいた可能性を示すのではないかと思う。客家の住居は青銅器産地アルカイム
の住居であるとか、日本の伊勢遺跡に似ている。彼らは中国語を話すが古代人は
マルチリンガルである。
- 96 :月光仮面:2008/03/27(木) 17:39:50
- >>94
籠神社の勘注系図の始まりはマニ教のようであり、他方、秦氏にはミトラス教の感じ
がする牛祭りとかが残り、極めて多くの宗教が含有されており、記紀には新約、旧約
からの話が残る。これは早期のマニ教は各種宗教のいわばコピペであったのでは
ないかという感じがする。羯族は漢族に悲惨な迫害を受けた。日本人に受けるので
あれば何をしてでも生き残りたいという気持ちであったのであろう。
- 97 :月光仮面:2008/03/27(木) 17:49:04
- ケト族の言語についてはパキスタンのブルシノ語(西部印欧語)及びコーカサス言語
との関係が認められており、ヒクソスを支えたフルリ人というのがどうやらこれで、
ハビルと言うのはクルド系、シャスと言うのがアラブ、ベドゥィン、ユダヤ等であろう。
ヒクソスの王は少数のモンゴロイドエリートで後に周、斉の王となったものであろう。
- 98 :月光仮面:2008/03/28(金) 11:05:01
- >>94
.>飛騨高山の獅子舞には外国神話を題材にしたようなものがある。
「おかめは竹べらを打ち鳴らすと獅子はその音にまどわされ」
「天狗の面をつけた金蔵が短棒(剣の代わり)を持って向かって行き獅子と戦い」
http://www.city.takayama.lg.jp/bunkazai/bunkazai/minnzoku/data/kinzoujisi.htm
http://www6.plala.or.jp/ebisunosato/kinzou.htm
http://www2.ocn.ne.jp/~nhata/kinzoujishi.html
http://www2.pref.gifu.lg.jp/BUNKA/GPR017_001V04?ZAI_NO1=3&ZAI_NO2=286&ZAI_NO3=1
後に、スキタイのライオンとの闘いのモチーフとなった出来事、短棒(剣の代わり)は
御物石器の起源を表している。黒海北岸ではこの御物石器は後に戦闘斧という葬送
器具となり、バルト海、バルカン半島に拡散する。これが仏具の独鈷杵、三鈷杵、
そして、交差した戦闘斧は逆卍、逆転しては卍、アルカイムの青銅器製造技術は
二輪車部品、織機、四輪車部品、冶金は瀬戸物、窯業、半導体へと発展した。しかし、
その淵源が黒海北岸、アルタイを経由し、日本海に上陸、白山を越え、ミタンニ同様
の菊理姫を残した後で、木曾から伊勢湾、三河湾に入った歴史を語るのは金蔵獅子
を今に伝えた人々の歴史を伝える努力によるものであろう。
- 99 :月光仮面:2008/03/28(金) 11:18:14
- ロシアではつい数年前に最後のケト人が死滅し、後はロシア人がケト人をやっている
らしいが、日本のアイヌ等にもそんなところがあるのであろう。木曾の山中に残る
御物石器を使用した異民族は今はない。しかし、エジプトも、ロシアも、日本もその民族
の大きな恩恵に浴していることには間違いなかろう。が、そうした民族を最後に受け入れ
その能力を継承し、未来につなげた民族は金蔵獅子を今に残す民族であったということを
世界に知ってもらいたい。
- 100 :月光仮面:2008/03/29(土) 13:14:57
- >>98
http://www.asahi-net.or.jp/~XB6T-KJM/second/sekki21.jpg
この右上にある独鈷石がドナウ河Suvorovoで出土するAbstract scepters(威信、葬具、
贈答用などが考えられている)と似ている。ドナウ河にはボルガ河方面から来ていること
から、更に北方のシベリア・ケト族と関係しており、そのケト族が匈奴の羯族として後趙
に入るのであろうが、邑婁方面から入ったとみられる朝日遺跡の鍛造ソケット付鉄斧と
共に古代匈奴が持ち込んだのではないかと考えている。
- 101 :月光仮面:2008/03/29(土) 17:48:12
- 突厥帝国の内紛に乗じて635年にブルガールが独立し、ハザールも程なくして独立した
と見られている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Khazar0.png
古事記和銅5年(712年)、日本書紀720年(養老4年)に完成。北宋(ほくそう、960年 -
1127年)の始め、当時の世界最大100万人都市・開封に西方からユダヤ人の集団
100余り人がやってきた。
すると、記紀の新旧約聖書内容はユダヤ人ではなく別の民族が伝えたことになり、
エニセイのケト族にはエジプト神話の要素もあり、マニ教を信奉し、滅亡し、新羅とも
前秦時代から関係のあった後趙の羯族ではないか。
と考えたものの、羯族はどうも芸術、冶金、建築等の実務担当的なレベルであり、
ユダヤ教の内容を伝えるのはもう少し政治経済に関与する層でないとおかしい。
そうするとハザール、突厥等はモンゴロイドの要素が少なく実際は、言語だけが
チュルク系の場合であっても、地中海系イラン人
であり、モンゴロイドである秦氏のほかに、イラン系がサカ(坂上)、賽(サエキ)等
東漢氏等として、羯族のマニ教以外にユダヤ教の教義を持ち込んでいた可能性も
あるのではなかろうか。
- 102 :月光仮面:2008/03/30(日) 16:42:30
- ケト人は独鈷石を交易したモルドヴァから西に進み、ドナウ河を遡上しアルプスに入り、イタリ・アトリノ北方のスイスの秘境レッチェンタールにナマハゲ(チェッゲッテ)を残している。
http://www.maskenkeller.ch/
Was ist eine Tschaggatta(チェッゲッテ)?
http://www.sagapictures.ch/masken/index.php?option=com_content&task=view&id=7&Itemid=8
スイスの手彫りのお面は怖いが、カーニバルはそれだけに面白い
http://www.stripes.com/article.asp?section=103&article=27897&archive=true
来訪神---海と川と陸の船祭
http://www.asahi-net.or.jp/~tq7k-wtnb/link10.htm
甑島 トシドン
http://www3.ocn.ne.jp/~nansatu/fasta8.html
http://www.mapple.net/photos/I04600013801.htm
http://www.koshikijima.net/event/tosidon.html
それはおそらく新羅から来た。
http://www.d4.dion.ne.jp/~arai-n/pic946.htm
この新羅の角杯
http://www.moco.or.jp/jp/colle/colle/Korea_B/121.html
http://www.moco.or.jp/jp/colle/colle/Korea_B/159.html
これを土器化したものが越前を中心に分布しているが、類似のものは
イラン角杯
http://www.sankokan.jp/selection/a/orient/aori003.html
ペルシャのリュトン
http://www.asahi.com/persia/intro/index2.html
角杯(リュトン)です。ローマン・グラスと同じ形状の角杯が新羅から出土しています。
http://www.d4.dion.ne.jp/~arai-n/pic946.htm
ケルト・アングロサクソン・バイキング角杯(ドリンキングホーン)
http://www.nmia.com/~bohemond/Bootshop/horn.html
http://www.mayhemltd.com/feast-celtdrkhrn.htm
もって、ケト人の移動の影響を知ることが出来る。
- 103 :月光仮面:2008/03/30(日) 18:13:11
- 「縁起 能登国能登郡(現鹿島郡)気多本宮は延喜式神名帳に所謂、能登生国玉比
古神社と伝承すものなり。 上世の昔、大己貴命、出雲国より因幡国気多崎(因幡の
白ウサギの地)に至り、八上比唐フ許に通せ給い、夫より鹿・亀の二霊に駕して、当国
当所に渡らせ給う、今の府中の浦是なり。」
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/file2/ketahon.htm
ツヌガアラシトも新羅から来たという。これは気比大社のユニコーン獅子頭、
麒麟獅子がり因幡国気多崎方面から来たこととも符合している。人間が鹿に乗る
のはケト人がトナカイに乗ることを除いては考えられない。
- 104 :月光仮面:2008/03/30(日) 18:57:20
- >>98
ジプシーはモルドバ出身が多いが、彼らが踊るフラメンコ等のカスタネットの原型が
これ↓ではなかろうか。
http://www.nohmask21.com/shishi4/hyoshigi03.jpg
- 105 :天之御名無主:2008/03/30(日) 19:44:37
- >>103
キリンにのる大国の主=シバとビシュヌの合体神(ハリハラ)が中国、インドから
渡来するってのは諸星大二郎の漫画「孔子暗黒神話」でみたな。
最近、新聞でみたんだが鳥取にはキリン祭りってのがあるらしいね。
- 106 :月光仮面:2008/03/31(月) 09:30:29
- ↑麒麟獅子
http://www.kokufu.or.jp/shoukai/kirin.htm
http://www.east.tottori.tottori.jp/kirinjishi/index.htm
「麒は雄で麟は雌、聖人が世に出、王道が行われる時生
まれると伝えられる」
http://www.hal.ne.jp/tikuma/shishi.htm
気比大社御神宝麒麟獅子頭も邪馬台国乃至は応神朝建国記念に新羅より勧進された
とも思えるが。
- 107 :月光仮面:2008/03/31(月) 09:40:52
- 「スコットランド王家の象徴にもなっており、グレートブリテン王国成立以後、現在のイギ
リス王家の大紋章には、ユニコーンがシニスターに、イングランド王家の紋章にも用い
られているレパード(獅子)がデキスターにサポーターとして描かれている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B3
国土を統一、守護するものということか。
- 108 :月光仮面:2008/04/01(火) 16:37:39
- 欧州、イラン、韓国等の騎士道、苦行的肉体鍛錬、花郎、修験道、武士道、武道等
には:日本は現存する最古のユダヤ王国
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1156510663/menu936-994
ここでも触れたように黒海北岸スルーブナヤ文化時代からの影響があるのであろう。
チベット福音書という聖書外典があり、キリストがヒンドゥー教、仏教、拝火教諸国を
歴訪し、論戦を交わすことになっているが、それにはマニ教的な二元論を受容する
所は全くない。その筋から日本に何らかの影響があったことはなさそうだ。
- 109 :月光仮面:2008/04/02(水) 11:14:04
- アルジャンはパストラル・ノマディズム(牧畜移動民族)の中心地
http://www.archatlas.dept.shef.ac.uk/EastWest/2Arzhan.jpg
http://www.archatlas.dept.shef.ac.uk/EastWest/EastWest.php
武霊王の時代に強勢となり、周王の下に封建された諸侯のひとつから周王に替わる王
を称するようになった。武霊王は紀元前307年、胡服騎射を取り入れる。胡服とは当時
北方の遊牧民族が着ていたズボンのような服のことである。当時の中国では士大夫は
ゆったりした裾の長い服を着ており、戦時には戦車に乗って戦う戦士となったが、馬に乗
るためにはこの服は甚だ不便であった。武霊王は北方の騎馬兵の強さに目をつけ自国
にもこれを取り入れたいと考えた。その為には文明を象徴する戦車に乗る戦士であるこ
とを誇りとする部下達に、胡服を着させ、馬に直接またがる訓練を施す事が必要で
ある。趙の国人達は強くこれに反発するが武霊王は粘り強く説得を続け、遂に実行
する。趙の騎馬兵は大きな威力を発揮し趙の勢力は拡大した。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/2/27/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3%28%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D350%E5%B9%B4%E9%A0%83%29%E4%B8%89%E6%99%8B%E5%9C%B0%E5%9B%B3.PNG
白人形質の羯
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/china/ketsu.htm
後趙
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%B6%99
グノーシス教 東方グノーシス主義→マニ教
原初の世界では光と闇が共存したが、闇が光を侵したため、闇に囚われた光を回復
する戦いが開始された。 光の勢力によって原人が創生されたが、原人は敗北して闇
によって吸収された。 その後、光の勢力は太陽神ミスラを派遣して、闇に奪われた光を
部分的に取り返すことに成功した。 闇は手元に残された光を閉じ込めるために、人祖ア
ダムとエバ(イブ)を創造した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E6%95%99
- 110 :月光仮面:2008/04/02(水) 18:32:07
- >>108
キリストの推定コース
http://www.reversespins.com/issamap.jpg
古代チベット文献に現れる地名
http://gumilevica.kulichki.net/maps/art09.gif
キリストはチベットラサで現地の聖人と意見を交換したらしい。
- 111 :月光仮面:2008/04/04(金) 16:34:21
- http://www.senkouji.jp/guidance/images/info08-img001.jpg
http://www.senkouji.jp/guidance/images/info08-img002.jpg
『往古この岩上に如意宝珠あり、夜ごとに異光遥かに海上を照らす、しかるに異国人来
たりてこの山に登り、寺僧に向かって、我に金あり、汝これを与えるにより、この大石を
我に与えよと、寺僧それに答え、売ることはできぬがこの大石を買いて何にするかとあ
やしむに、異国人は、この僧が岩上に宝石のあるを知らぬことを確かめ、心中欣び、ひ
そかにこの大石に登り美玉を奪い去りたり』と。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/45/Kailash_south_side.jpg
http://www.mars.dti.ne.jp/~hirona/egypt/bend.html
シャンシュン王国
シャンシュン王国(紀元前 - 643年)は西チベットのカイラス山麓一帯に存在した国。紀
元前からあったと見られる。カイラス山はヤルンツァンポ川及びインダス川の源流にあ
たり、チベット在来宗教ボン教の聖山でもある。首都はキュンルン・ングルカル(ングー
カル、ンゥルカル、白銀城とも)。チベット・ビルマ語派のシャンシュン語が使われてい
た。(シャンシュン語について詳しいことは分かっておらず、現在国立民族博物館などで
研究中である[1]。)隋書の女国と考えられ、そこには山上の城に住まう女王の統べる戸
数1万の国で、586年に隋に使者を送ったと書かれているが、確証は無い。また、旧唐
書の東女国とも考える人もいる。(ただし東女国は羅刹国を指すこともある。)シャンシュ
ン王国の最後の国王リミギャ(リク・ミリャとも)は吐蕃王朝の王ソンツェンガンポにより
暗殺され、643年に吐蕃王朝に併合された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B3%E7%8E%8B%E5%9B%BD
- 112 :月光仮面:2008/04/04(金) 16:51:19
- 「推古20年年是歳条には、百済からの渡来人が多く、その中に斑白や白瀕がある多く
の人々の記述がみえる。かれらはその異様さから海に船から捨てられそうになったと
き、自身が捨てられるならどうして日本では白い牛馬を飼えるのか、そして築山が得意
であり捨てるべきでないことをのべ、そのことから後に須弥山および呉風の橋をつくら
せた。」
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/toraijinkenkyuu/kaihou0603.htm
当時琉球を侵略した隋軍によれば崑崙人が琉球現地人の言葉を理解したと。
つまり、ニューデリーからカイラスに入ったタミール系民族が崑崙山脈、新羅経由
で九州に入り、気候が亜熱帯である沖縄に住み着いていたと解釈して初めて、尾道の
玉の岩を見てそれがカイラス山、須弥山そのものと認識できる。このことは曼荼羅に
よく似た方格規矩鏡であるとか、ヤントラに似た内行花文鏡が平原に集中する頃
新羅からヒンドゥー教宇宙観、日光、諏訪湖のようなカイラス的風景を宗教的に
解釈できる人々の渡来があったと考えることが出来る。
- 113 :月光仮面:2008/04/04(金) 17:23:40
- 小アジア、エジプト、メソポタミアに南下するオークネフ文化人、印欧人の最左翼は
この方面↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/1/14/Khwarezmian_Empire_1190_-_1220_%28AD%29.PNG
http://en.wikipedia.org/wiki/Khwarazm
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/c/c9/AvestanIran.jpg
http://en.wikipedia.org/wiki/Airyanem_Vaejah
を通過、アフガニスタンからインダスに入り、ブラーマン、ヒンドゥー教の基盤を残した。
後に犬戎、羌族、スキタイが新疆、モンゴリア、甘粛に入る頃、チベット高原に入った
ものがカイラス山、シャンシュン方面でインドと再び接触するというシナリオか。
- 114 :月光仮面:2008/04/04(金) 17:30:38
- >>106 吉備(伽耶の金と通じる)あたりでリハーサル的な建国騒動があり
http://www.kokufu.or.jp/shoukai/history/sho.jpg
麒麟獅子に出場したのかもしらんが、「ハヌマーン」みたいな感じもする。
- 115 :月光仮面:2008/04/04(金) 18:46:16
- 当時は天竺からの文化流入が多いが↓
「法道仙人は天竺(インド)から雲に乗って日本に飛来したとされる伝説的な人物で
ある。現在の兵庫県南部を中心に法道開基伝承をもつ寺院が点在することから、
「天竺から飛来」云々はともかく、モデルとなる山岳修行者が存在したことは想定さ
れる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BD%E8%80%B6%E9%99%A2
これなどは↓
http://www.y-morimoto.com/s_saigoku/s_saigoku26_16d.jpg
http://www.y-morimoto.com/s_saigoku/s_saigoku26_16e.jpg
http://www.y-morimoto.com/s_saigoku/s_saigoku26_16f.jpg
非常に珍しい。
- 116 :天之御名無主:2008/04/05(土) 00:04:23
- ↑なんだよこの三体のかわいこちゃんたちw
まさか。。。
- 117 :月光仮面:2008/04/05(土) 07:56:34
- ↓これに似てる。
http://www.salvastyle.com/menu_20th/munch_scream.html
- 118 :月光仮面:2008/04/05(土) 08:13:14
- >>111
もう一つの艮神社、山波艮神社
http://www.geocities.jp/celeste4851/onomichi/ushitora/onomichi2-4.htm
秘都シャンバラ
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:KalachakraSera.jpg
TLV Mirror 方格規矩鏡
http://www.city.maebaru.fukuoka.jp/city/bunka/ito-museum/deji-2.htm
温羅伝説
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page1327.html
『往古この岩上に如意宝珠あり、夜ごとに異光遥かに海上を照らす、しかるに異国人来
たりてこの山に登り、寺僧に向かって、我に金あり、汝これを与えるにより、この大石を
我に与えよと、寺僧それに答え、売ることはできぬがこの大石を買いて何にするかとあ
やしむに、異国人は、この僧が岩上に宝石のあるを知らぬことを確かめ、心中欣び、ひ
そかにこの大石に登り美玉を奪い去りたり』
- 119 :月光仮面:2008/04/05(土) 08:37:17
- タクラマカン砂漠、崑崙山脈、エベレスト、中国、満州、朝鮮を越えて日本に来た時に
発見したカイラス山、玉の岩は神がこの地をシャンバラと定めたことを示した。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d3/MtKailash_location.png
方格規矩鏡に通じるカイラス像
http://www.angelfire.com/sc3/1010/KAILAS.html
視覚化された真言、ヤントラも方格規矩鏡に通じる
http://www.truthstar.com/yantra/yantra.asp
異国人はこの地を「山波艮」とし、神社を建立し、仏閣を作ったのだろう。
- 120 :月光仮面:2008/04/05(土) 12:19:54
- シャンバラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%A9
http://www002.upp.so-net.ne.jp/sgun/risou/risoU04.html
http://members3.jcom.home.ne.jp/dandy2/works/works_14_w.html
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4f/Potala.jpg
シャンバラとは要するに男体山、中禅寺湖、華厳の滝とか、八ヶ岳、霧が峰、
諏訪湖のようなところであって、大きな山と湖がカナートのような地底空間で
つながっているといった聖地であろう。そういった場所には地底王国アガルタ
とか、甲賀三郎、大国主命等の地底王国冒険伝説がある。これはユダヤ、イスラム
のような遊牧アブラハム宗教とか、オークネフ・印欧軍事移動牧畜集団が活躍する
舞台であり、地底王国にはカナート、カレーズ農業の他に坑内掘り紅山の経験が
重なっているのであろう。シナイ半島、小アジア、バルカン、コーカサスにはそうした
地形が多いが、日本は山国でいたるところにある。神武が大和で国見をして満足で
あったのは先遣隊の立地条件確認の意味もあったのであろう。
- 121 :月光仮面:2008/04/05(土) 17:15:51
- >>110
↓イエスキリストは10代のころ、チベットで癒しの霊験を行っていたというのだが、
http://www.reversespins.com/jesusthangka.html
インドでは下層カーストに平等を説きブラーマン、クシャトリアに、ペルシャでは
拝火教徒に命を狙われたらしい。
- 122 :月光仮面:2008/04/06(日) 12:44:06
- >>118
が、山波艮-これはシャンバラとは読めないよなー。
http://kamikotokai.com/002/
うしとらとはインドラ-ヴリトラハン(ヴリトラ殺し)であれば、これは帝釈天だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%A9
インドラの説話と温羅伝説の話に化身の戦いがあるが、似ている。温羅の
生首をボイルするのは髑髏杯( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%91%E9%AB%8F%E6%9D%AF )製造プロセスかもしれない。匈奴/月氏とヒンドゥー教に入り混じる頃の
話のようだ。
- 123 :月光仮面:2008/04/06(日) 14:20:51
- 「蒙古のラマ教に伝わる仏教絵画には、頭が牛で腰に虎の毛皮を巻いた仏の絵が多数
存在します。」
http://kamikotokai.com/002/img002.jpg
これは明らかにBC2000-BC1500年のアルタイ・オークネフ文化↓の影響を受けている。
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image009.gif
つまり、オークネフ文化はその後ヒンドゥー教に入りチベット・モンゴルへと逆流したか、
或いは、モンゴルに潜在したものが復活したかを物語る。
- 124 :パンティー仮面:2008/04/06(日) 15:18:04
- インドで牛虎の神っていったらシバ神のことだるね。
牛はペットのナンディンで虎のパンツOR敷物の上で瞑想してる・・
- 125 :月光仮面:2008/04/06(日) 15:44:43
- ヒンドゥー教の主役はこのシバとなり、アーリア系らしいインドラは柴又の帝釈天
といった風に株が下がってしまったみたいだね。わが国ではシバ神が素盞嗚命
といったところか。
- 126 :パンティー仮面:2008/04/06(日) 15:59:52
- でも結局はインドラ帝釈天は時代の変遷で多少違うがシバと同一の属性
なんだるな。素盞嗚命も日本ではその子孫の大国の主(大黒天)がシバ神と同一
属性。。日本ではスサノオはちょと古い帝釈天で大国主がシバだろうな(息子とかの系統もそっくり9
結局は国常立命の属性ってことやるな。
- 127 :月光仮面:2008/04/06(日) 16:50:06
- 素盞嗚命がヤマタノオロチを退治するということはインドラ説話を取り込んでしまった
感じなんだが、そこでまた天照大神が登場、素盞嗚命は脇役となる。日本は日本なりに
独自の話を展開している。どの国の神話であっても神話は神話として語り継がれる。
- 128 :天之御名無主:2008/04/06(日) 23:21:43
- モーセがアロンの杖で9頭の蛇を倒すという話からきてるんじゃね
- 129 :月光仮面:2008/04/07(月) 10:48:38
- 昔の話は鶏、卵、どっちが先かといったのが多い。モーセの偉いところは携帯を片手に
仕事をするな、といったところか。マホメットは信心もいいが、先ず、ラクダをつなげ、と
いったらしいね。「カラオケ」もいいが先ず駐車場に車を入れろ、と言うことだと思う。
- 130 :月光仮面:2008/04/07(月) 15:47:54
- >>118-120
前漢、中国では西王母思想が始まり、後漢には仏教が伝来。九州平原では女王が
曼荼羅のシャンバラのような方格規矩鏡、スーリャヤントラのような内行花文鏡と共に
葬られ、瀬戸内海を島の女王が東進し、大和にいたる。こうした時代精神の背後は:
「現在は嘉絨(Jiarong)*1と呼ばれるこの地域の語源はチベット語の“rGyalmorong”で
女王の谷を意味します。この地域には古代から多くの民族が移住して先住民と融合しま
した。紀元前後には隋書(隋時代581〜618年の歴史書)等に女国の名を残したシャン
シュン (チベット西部)出身の一族がボン教と共に移住して来ました。この一族は優れた
採金技術を持っていて、多くの金を産出した女王谷で繁栄し、唐書(唐時代618〜907年
の歴史書)等に東女国の名を残しました。 」
http://www.sgns.gov.cn/scholaweb/queenvalley-j.htm
失われた地平線、その彼方にあるシャングリラ
http://www.sgns.gov.cn/scholaweb/touching/gold0406-e.htm
窓から見上げれば
http://www.sgns.gov.cn/scholaweb/touching/gold0432.jpg
魏帝はおそらく卑弥呼をこうしたものと↓想像し、払底していた青銅鏡を献じた。
http://www.sgns.gov.cn/scholaweb/touching/gold0011.jpg
しかし、ほら貝は修験道に通じるし、
http://www.sgns.gov.cn/scholaweb/touching/gold0451-e.htm
この文化もオークネフ文化を継承している↓
http://www.sgns.gov.cn/scholaweb/touching/gold2003-e.htm
- 131 :月光仮面:2008/04/07(月) 17:52:53
- http://www.tv-tokyo.co.jp/shangrila/
トオル君、君は3000年タイムスリップし、周王朝の穆王と同様に西王母に逢った。
だが、それはその1000年後の卑弥呼でもあったのだ。
- 132 :月光仮面:2008/04/09(水) 16:49:04
- 日本は何故士農工商、武家政治、幕府、サムライが続いたのだろうか。 これは弥生
時代に日本に入ってきた環濠集落の前身が、中国内蒙古自治区方面に存在した環濠
集落、山戎文化にあるためだ。この山戎文化は朝鮮半島、日本列島で無紋・弥生時代
の頃はスキタイの影響を受けた匈奴文化であった。匈奴文化はバイカル湖南部周辺
からモンゴリア高原、内モンゴル、オルドス、新疆。甘粛方面に鹿石メンヒルを残して
いる。これは遊牧民の境界線、道標であったが、古代においては塞(クナド)神でもあ
った。鹿柱とは鹿の角を彫り込んでその枝分かれのように子孫繁栄、家畜増産を祈った
ものらしい。匈奴時代より更に千年遡るとアルタイにオークネフ文化というのがあり、
その石碑は角を生やした鬼のような三つ目の神であるとか、恐ろしい獣であるとか、中
にはファリシズムを表現するものもある。オークネフ文化はエニセイとか、バイカルの
コーカソイド及びモンゴロイド遊牧民が残したようであるが、その石碑の画像には宗教
的な背景も読み取れる。この時代、ウラルから天山山脈、新疆にかけてアンドローノボ
文化と言うものが広がっているが、その中においてカザフスタンの錫を利用したセイマ
・トゥルビノ文化と言う極めて精緻な青銅武器が作られ、急速にBMAC及び黒海方面に
移動する。
- 133 :月光仮面:2008/04/09(水) 16:50:04
- そうして、フルリ人によるミタンニ、カッシート、ヒッタイト、ヒクソスへの馬の
技術、青銅二厘馬車の提供が始まる。三つ目の神の宗教はヒンドゥー教となり、アー
リア族のベーダと共にアフガニスタン経由インダス峡谷にも入って行く。モンゴリア高原
に残っていたオークネフ三つ目、ファリシズム文化はその後長期に渉って徐々に
チベット・雲南・四川方面へと移動する。日本にもこの影響は狛犬、獅子舞、ナマハゲ
などの形で伝わっている。おもしろいのはミラノに近いスイスのレッチェンタールという
寒村にまでナマハゲが広まっていることである。この文化は匈奴文化と読んでもいいか
と思うが、非常に戦闘的である。毘沙門天といった護法神を重視する。神武の時代大和
で兄弟が争う話がでているが、実際は冒頓単于、織田信長のような骨肉の争いであった
ようである。里山風景の多い日本の国土を武田信玄のような武将達が駆け巡る長い
戦国の素地は弥生時代に持ち込まれたものなのである。
- 134 :月光仮面:2008/04/09(水) 17:05:00
- 日本人とユダヤ人が重なる可能性のあるのは聖書におけるヒッタイト/フルリ/ミタンニ
とユダヤの接触の場面のうちの一部であろう。当時、ヒッタイト/フルリ/ミタンニは馬、
二輪戦車、青銅器、鉱山開発経営に従事、太平洋岸から地中海にかけて活躍してい
たが、ユダヤの先祖はコーカサス北部からシリアにかけての高地で羊飼いをしていた
のであろう。孫子の兵法とか神農の医学とかはこの頃の体験を成文化したものであろう。
- 135 :月光仮面:2008/04/09(水) 17:41:03
- しかし、中国に帰還した移動遊牧集団は共工、蚩尤の伝承に見られるとおり、中原を
追い出され、結局は半島経由日本とか、あるいは、チベット、雲南、四川方面へと
分散したようである。YAP+遺伝子の分布がこの間の事情を物語っているようだ。
- 136 :月光仮面:2008/04/10(木) 17:31:36
- 中国周辺の雲南、四川、チベット、新疆、モンゴル、東北、朝鮮半島、そして、おそらく
は欧州、地中海、黒海、ペルシャ湾、インド洋、ベンガル湾沿岸地域にとってユーラシア
内部を中央アジア、中近東、北東アジア、日本にかけて活躍した、移動牧畜民を駆使し、
文明の隙間をつないだ秦氏ほどの注目すべき存在はない。日本には秦氏以外にも
渡来弥生人、縄文人等の秦氏の持ち込んだ文化をを消化し、結実させた優秀な存在は
あるが、先史時代の秦氏の活躍がなければ何もなかったことであろう。
このスレの出発点を >>1 「カラスク人等とされるバイカル湖周辺からアルタイ方面に
BC4-3千年紀頃から展開して いたモンゴロイド系」という風に一般化したが、ユーラシア
の諸民族の頂点であるエジプトのファラオになって君臨するほどの政治力を持てるのは
トナカイを追いかけるエベンキとか、ケト人とかではなく、戦術・戦略・学習能力において
他に類を見ない、春秋戦国時代の中国でその戦略、戦術、軍略を発揮し、中国を始めて
統一した秦氏をおいて他にはない。秦氏が生まれた甘粛の斉家・四覇文化と青銅器
及び馬の家畜化がどのように行われていたかについて中国側の研究は欧米よりも出遅
れている。甘粛・新疆における今後の研究が待たれるところだ。
- 137 :月光仮面:2008/04/10(木) 18:17:51
- 日本太陽神天照大神の子はオシホ<オシプ<ヨセフ、弟はホヒ<アポピ=The Last
Hyksos Pharaoh、アポピはヒクソスとしては例外的に太陽神を崇拝するファラオ。
出雲国造神賀詞で最終的にヨセフ的な大国主命を天穂日命に祀らせるというのは
ヒクソス時代の記憶、ユダヤ及びイスラム・アミン・ベクにも似ているが、それがあるの
ではないかなー。
- 138 :月光仮面:2008/04/11(金) 09:14:27
- マンモスハンターはバイカル周辺から北上して新大陸に向かうもの、定着して
新石器、鹿の家畜化に向かうものが出現。当時の気候ではアルタイ、バイカル
方面の起伏に富んだ山岳地帯の水辺が栽培・牧畜に適していた。しかし、時と共に
地球規模の乾燥化、寒冷化により、満州・朝鮮・日本列島、チベット・雲南・東南アジ
アへと移動が続いたが、日本の場合には平野部で水田が進むのと同時に山岳部へ
の進出があったが、牧畜・畜力農耕については天照大神が素盞嗚命の試みを
糾弾、断罪し、海浜での水産・水運等に専念するように行政指導したと記紀は伝える。
里山風景とは、しかしながら、天然の環濠集落というか、防衛には適したもので、
吉野ヶ里の物見やぐらは高地性集落の複数部落による共同運営により省略する
ことも可能で、これは青銅祭器、古墳、土器の規格統一と併せ、現在の町村合併
のような効力を発揮したものであろう。
- 139 :月光仮面:2008/04/11(金) 09:28:17
- 馬を扱うモンゴロイドがエジプトではヒクソスの王にまで出世するのは二輪車の技術
なのか、金属馬具、飼育、調教技術なのか、馬の販売技術なのか、それらが総合され
た技術なのかは定かではないが、印欧系・ウラルアルタイ系大陸移動牧畜民の中に
あって、馬関連の民族が抜んじていたことは、ミタンニ、チベット、馬韓、そして中国では
非子の故事でも分かる。しかし、軍略家としては羌/姜族の太公望とかもあり、ヒクソス
には秦氏というより、牧畜専業の羌族をおくことが無難かもしれない。しかし、日本に
大量に移民したのは秦氏となっているので、便宜上秦氏としておいてもよかろう。
- 140 :月光仮面:2008/04/11(金) 11:04:41
- ヒクソス王アウセッラ・アポフィスはテーベの王セクェネンレに使者を出し、「テーベでは
河馬を銛で殺す遊びがあるが、苦しむ河馬の鳴き声は遠くアヴァリスにまで届くほどで
あり、これを思うと夜も寝られないほど哀れである。この悪習を廃止される」ことを要求し
たが、ヒクソス王アウセッラ・アポフィスはこれに切れたようである。
ヒクソス王アウセッラ・アポフィスの真の動機としては王の主神セトは半人半河馬であっ
たからとの説があるが、王が「厩戸の王子」を地で行くように馬とか動物をいつくしむ
環境で育てられていたという可能性も同様にありえるのではないか。
- 141 :月光仮面:2008/04/11(金) 11:07:35
- おっとっと、切れたのはテーベの王セクェネンレ、彼のミイラは頭に斧の傷がある。
天罰じゃね。
- 142 :月光仮面:2008/04/11(金) 11:42:03
- Avaris
http://maps.google.com/maps?ll=30.783333,31.833333&spn=0.01,0.01&q=30.783333,31.833333
Cusae (ヒクソス南方境界)
http://maps.google.com/maps?ll=27.444444,30.816667&spn=0.01,0.01&q=27.444444,30.816667
Thebes
http://maps.google.com/maps?ll=25.7,32.645&spn=0.1,0.1&q=25.7,32.645
イワレビコとはアヴァリス・彦で、クサエのサカとはCusaeかも。
- 143 :月光仮面:2008/04/11(金) 16:53:56
- 説明用の地図↓
http://maps.google.com/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0&ll=34.161818,60.117188&spn=60.761705,104.941406&t=h&z=3&msid=105354277957541607818.00044a940dae5e2900c1a
- 144 :月光仮面:2008/04/11(金) 17:32:30
- >>142 更に、
ヤムハド王国:紀元前18世紀半ばから紀元前17世紀(紀元前1650年頃)までの間、
再建されたハルペとヤムハド王国についての記録は少ない。
ヤムハドの地位を揺るがす出来事は少なかったが、東に勃興するフルリ人の国家群
との争いが起こっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%89
↓カツナと言う国もあるが葛城と似ている.
http://en.wikipedia.org/wiki/Qatna
ヤムハド/大和、カツナ/葛城と揃う。
ヒクソス王朝
Sakir-Har
Khyan c. 1620 BC
Apophis c. 1580 BC to 1540 BC
Khamudi c. 1540 BC to 1534 BC
http://en.wikipedia.org/wiki/Hyksos
- 145 :月光仮面:2008/04/12(土) 11:15:46
- >>143
「近東低地への[馬の]拡大はその後もまたBC2000年頃にに起こり、これは明らかに
二輪車(チャリオット)とセットになっていた。種は判然としないが「馬科(Equus)」の
骨はBC2000年以前の若干の中国後期新石器発掘サイトで発見されているが、「馬」
或いは「野生馬」の骨は最初には多くのサイトで出現するが、BC2000-1600年中国
甘粛及び北西省の斉家・四?文化発掘サイトで大きな数に達する。斉家とステップ地帯
後期青銅器冶金技術に共通性が見られることから、斉家文化はユーラシアステップ
地帯諸文化と接触があり、中国北西部で家畜化された馬が頻出するようになるのは、
おそらく、この接触を通じてのことであったのであろう。」↓馬の家畜化
http://en.wikipedia.org/wiki/Domestication_of_the_horse
- 146 :月光仮面:2008/04/12(土) 11:24:57
- 「先史時代からテヘラン周辺、カスピ海周辺は鉱物資源が豊富な地域として知られて
きました。そのことを証明するように今日の地質探査によってもトルコ黒海沿岸、コーカ
サス地域、イラン北部のエルブルズ山脈周辺、中央アジア北部にかけて鉱山帯が東西
に走っている。この鉱山帯に沿って銅等の鉱床があるわけです。興味深いのは鉱床
近郊でこの彩文文化がみられることです。」
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/net-kikaku/009.html
「それは1970年代に江上波夫博士が既に指摘していますが、この彩文土器群が中国
の甘粛・青海地方、特に馬廠期と幸店期に属する彩文土器との間に土器形式、彩文
文様において多くの類似点が見られたからです。」
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/net-kikaku/saimon-04.html#009
ミタンニの調教師キックリ(キクリヒメ、高句麗と同根か)がアーリア語を使用するのは
羌族がミタンニに入る以前にトルクメニスタンにおいてアーリア族に軍事技術を提供して
いた、いわば、移動する防衛商社のような側面を持っていたことを物語るのでは。
- 147 :月光仮面:2008/04/12(土) 13:54:46
- >>145 ユーラシアステップ地帯諸文化↓
http://users.hartwick.edu/anthonyd/images/figure%201%201900.jpg
注目すべきは橙色、カスピ海南東、アナウ方面のポイント↑これについてはグーグル
マップ上でも示した。↓ここで北西から来てアフガニスタンに向かうアーリア族と合流し
たものがあり、別動隊はミタンニに入ったのでは。
http://maps.google.com/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0&ll=34.161818,60.117188&spn=60.761705,104.941406&t=h&z=3&msid=105354277957541607818.00044a940dae5e2900c1a&mid=1207975091
- 148 :天之御名無主:2008/04/12(土) 14:31:13
- 祇園祭の山車の車輪と、一般の担ぐ神輿の違いはどこから
- 149 :月光仮面:2008/04/12(土) 15:11:35
- 祇園・高山山車にあるスポーク付車輪は古代ユーラシアの「モバイル化」のシンボル
として菊文、インド・中近東・地中海諸国の神殿を飾るが、日本では皇室、善光寺等
でも使用される。国家の成立と共に太陽神のシンボルにもなる。かぐや姫にもあるとおり
天界との往来に特に昇天に車が使用される。山車自体で神聖なもので、昔は墳墓に
埋葬されあの世での昇天を託されたようだ。他方神輿は御霊の乗物であり、車輪以前の
御霊の籠もる古墳がモバイル・モードに入ることを意味するもので、この起源のほうが
古いのではなかろうか。
- 150 :月光仮面:2008/04/12(土) 15:56:05
- 岸和田のだんじりはどうもこれ↓牛頭天王クラスのシバ神のニギタマ、ヴィシュヌ神
「ジャガーノート」の語源はヒンドゥー教のヴィシュヌ神の八番目の化身であるクリシュナ
の異名、ジャガンナート (Jagannath) である。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ca/Juggernaut_-_Project_Gutenberg_eBook_11921.jpg
英国人は山車に轢かれる願望があるのではなどと思い、"Juggernaut"を暴走重車両
の代名詞にしたという。日本にどのような経路で伝えられてのか極めておもしろい。
- 151 :天之御名無主:2008/04/13(日) 02:45:09
- >>150
へー、まるっきり山車だ、インド人が大和まで引いてきたとはね
そういえば百済に仏教を持っていったインド人がいた
百済には神輿のような文化はあったかもしれないが、山車があったとは見聞きしないな
- 152 :月光仮面:2008/04/13(日) 12:06:55
- 欧米には謝肉祭の山車があり、起源については山車に舟を乗せ太陽神アポロを敬った
というのと、断食前の肉の食いだめのようなものと2説があるようだ。日本のは舟を載せ
る方に近いのだろうか。
- 153 :月光仮面:2008/04/14(月) 14:57:13
- >>139
馬がらみでは秦氏、羌族が中近東、インド文明形成に大きな役割を果たしたのでは
ないかということも考えられるが、ヒッタイト、ミタンニ、カッシートの時代がステップ
地帯のスキタイ、匈奴、フン、東胡、月氏、鮮卑に取って代わられる頃、チベット高原
西方、カイラス山の北方でシャンシュン王国が勃興するが、これはどうも羌族とは異
なるトン族のようであり、ヒマラヤを東進し太平洋岸に進出した可能性もあるが、
言語学的には遠い昔に台湾北東部、花蓮付近にいたようであって、琉球と本来的に
関係があったのかも知れない。
- 154 :月光仮面:2008/04/14(月) 15:40:01
- 金[広東語ではカム]首露王陵の隣にある。伝説によれば、インド阿踰陀(アユタ)国の
王女で、許黄玉(ホファンオク)という。はるばる船で金海まできたという。48年に首露と
結婚した後、189年に157歳で亡くなったという。古墳は 1641年に修築されたもので、
わきには王妃がアユタ国から持ってきたとされる石塔が建っている。婆娑(パサ)石塔
といい、韓国では他でみることの出来ない形式の石塔である。[五重塔に似ている]
http://www.bbweb-arena.com/users/hajimet/gimae_004.htm
荒波を静める力を秘めた婆娑石塔は神秘的な石塔として漁師達に航海の守り神として
何度も持ち出され、その度に破損したと言われています。この婆娑石塔は赤い色をした
石が6段に重なった状態になっていて、この赤い石は韓国には存在しないものなので、
インドから船に載せられてはるばる来たことを強く裏付ける証拠でもあります。
また、この婆娑石塔こそが、首露王陵でも見られた絵に登場してくる塔なのです。
(写真右参照)当時の駕洛国がインドのアユタ国と文化交流が行われていたことが窺
い知ることができます。[金毘羅、象頭山などはこのへんからか、尾道の玉の岩は
カイラスを見たことのあるトン族でないとわからない]
http://www.marupu.com/main/area/img/sulowang11.jpg
十三重塔(室町時代) 重要文化財 父・藤原鎌足の追福のために、長男・定慧と次男・
不比等に よって西暦678年に建立されました。現存の塔は、享禄5年 (1532)の再建
で、木造十三重塔としては、世界唯一のものです。唐の清涼山宝池院の塔 を模して
建てられたと伝えられています。高さは約17メー トルあり、屋根は伝統的な檜皮葺き
です。神仏混淆時代の名残であると同時に、談山神社のシンボル的な存在です。
http://www.tanzan.or.jp/st-hp1.jpg
[仏教公伝以前なのだ]
- 155 :月光仮面:2008/04/14(月) 19:07:44
- こんな木造建築技術を持っている民族ってトン族以外にある?みのさん、多摩ホーム
は無しだよ。↓
http://video.google.com/videoplay?docid=-6050673836854498204
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cc/Dong-minority-bridge-1.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8d/Dong-minority-bridge-2.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dd/ZhaoxingDrumTower.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a2/Chengyangqiao%2C_Guangxi%2C_China.jpg
- 156 :月光仮面:2008/04/15(火) 15:23:17
- 初代卑弥呼は神武皇后とされる媛蹈鞴五十鈴媛命だ。媛蹈鞴、天照大神、太陽神の
銅鏡、内行花文鏡、蹈鞴と言うのは鏡と言う言葉が定着していなかった近畿における鏡
の代名詞。五十鈴はサナゲ等と称された銅鐸の代名詞、[青銅]鋳鈴であろう。従い媛蹈
鞴五十鈴媛命とは天照大神と嶽神・水神である銅鐸神を奉祀する女王と言う意味で、
銅鏡先進地筑紫と銅鐸圏、近畿・東海共立の女王の意味であり、共立女王は畿内にお
いて成立したこと、つまり、拘邪韓國の辛国息長垂姫大目尊等とは関係のないことを表
している。
- 157 :月光仮面:2008/04/15(火) 15:31:22
- 古事記に言う「ホトタタライスキヨリヒメ」とは、「ホト」が「浮図 浮環,仏図とも書く。
中国で仏教伝来から南北朝時代にかけて,仏陀または仏塔を呼ぶのに用いた言葉。
サンスクリットのブッダ buddha の音写,あるいはストゥーパ stupa の誤った音写と
される。〈仏陀〉を意味する用法は,史書などに見いだされ,仏教徒の間では避けられ
た。しかし〈仏塔〉を意味する用法は,漢訳仏典のなかにもしばしば見られる。ただし,
中国における仏塔は,三層浮図とか九層浮環というように,重層の仏塔を指すことが多
かった。」とされ、仏塔を表すが、タタラが青銅鏡を意味することから、仏塔をイメージする
銅鏡、すなわち、方格規矩鏡のことで、国土の魂、大和大国魂を表す。これを奉祀する
のは国に唯一の天下人、共立倭国女王であり、意味においては媛蹈鞴五十鈴媛命と
同一になる。
- 158 :月光仮面:2008/04/15(火) 15:40:33
- >>154
仏教公伝以前にも婆娑石塔であるとか、豊前には天竺から霊剣が飛来したという
伝承があり、シャンシュン王国には須弥山信仰があった。仏塔でなく、宝塔であっても
おかしくはないが、後漢で浮屠の教えが流行しているのであるから周辺国に浮屠が
「ホト」として伝わり、それが古墳と言う新しい盛土式の崇拝対象、墳墓を意味したと
してもおかしくはなく、逆に「女陰」というのはどう考えても意味を成さない。
- 159 :月光仮面:2008/04/15(火) 15:54:42
- しからば、伊都国の三雲・井原鑓溝・平原での方格規矩鏡・舶載内行花文鏡・国産大型
内行花文鏡の蓄積は何を表すのかといえば、これは後漢書、魏志倭人伝で倭人国の
北岸とされている拘邪韓國から倭の伊都国、奴国(遠賀川流域香春方面も含む)への
鉱業・冶金に関する祭祀システムを国内的にリロケーションしたことであり、伊都国の
倭面土国帥升等によって始められたのであろうが、北方の漢四郡、高句麗、鮮卑等の
圧力に備えて前線を後退させる戦略で、大和への立地に際してもこうした長期的な読み
があったのかもしれない。
- 160 :月光仮面:2008/04/15(火) 16:31:21
- しかし、その後の歴史はポーハン製鉄が八幡に引越ししたが、安い上海製鉄に押さ
れてというような曲折があるが。
- 161 :月光仮面:2008/04/15(火) 17:06:23
- >>158
倭人伝当時女王の座にあったのは倭迹迹日百襲姫命であるが、姫が「箸で陰部を突い
て死んだ」と言う解釈はありえず、土師をして古墳を築かせ、つまり、寿墳の建造を命じ、
神去られたとしなくてはならない。三輪山に磐座を築いた集団との間に何らかの対立が
あったのか、或いは、はるか狗奴国の謀略にかかったのかも知れないが。
- 162 :月光仮面:2008/04/16(水) 18:41:18
- >>159
セムの子孫アブラハム(Abraham)の一族は、父の代にメソポタミア(Mesopotamia現在
のイラク)のチグリス川、ユーフラテスの合流点の近くにあった町ウル(Ur)を捨て、ユーフ
ラテス川沿いに、理想の地を求めて今のイラク、シリア、レバノン、イスラエルを流浪し、
長い苦難の旅を続けた。・・・ところで、拘邪韓國・金冠加羅だが、
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35.220376014217656&lon=128.99353693761861&sc=5&mode=aero&type=scroll
http://www.pusannavi.com/airport/pusan.html
大和・広瀬神社だが、
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34.591448433566384&lon=135.7477553931979&sc=4&mode=aero&type=scroll
http://kamnavi.jp/mn/nara/hirose.htm
下賀茂神社だが、
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35.03095118427193&lon=135.7755893997749&sc=4&mode=aero&type=scroll
天の安川原とは、ナイルデルタのようなところで、それがアヴァリスだ。浅草も
そうだろうか。
- 163 :天之御名無主:2008/04/17(木) 03:12:49
- ユーラシアに鯉のぼりに類似する文化は?
- 164 :月光仮面:2008/04/18(金) 10:52:47
- >>153-155
セイマ-トゥルビノ、カラスク、バンチャン、テン王国/三星堆、高霊伽耶、金冠加羅を
結ぶ茶馬古道青銅器文明の存在が浮上するであろう。これが、環黒海青銅器文化圏、
黄河青銅器文化圏(殷)の東西の青銅器文化圏のそれぞれに影響を与えたという大き
な歴史的背景を抜きにしては日本史も、ヒクソス・ヒッタイト・ミタンニ・カッシート・アーリ
アの歴史も説明がつかない。それは失われた地平線、洪水に沈んだ長江文明の残影
であるのかもしれない。
- 165 :月光仮面:2008/04/18(金) 11:15:03
- 秦始皇帝の下で明るみに出た儒家と法家の対立をユーラシア青銅器技法における
合理主義と非合理主義の対立とするチョールヌィフの分類は殷の銅鈴と綏遠の銅鐸
の相違に現れている。前3世紀に韓国忠清道(百済)に忽然と降って湧いた青銅器文化
は雲南・昆明方面の影響を受けている。そして、高霊伽耶にもチベット・雲南・昆明方面
の女王制度ができる。これが後漢・魏の金印外交時代に大月氏方面とも連携し、金冠
首露王・許黄玉の結婚伝説となり、倭国にも多くの姫が登場するが、天照に統合され
残りのものは三輪神社に整理されているようである。前3世紀に韓国忠清道(百済)に
忽然と降って湧いた青銅器文化は秦の国家的支援無しにはありえない。徐福はソウル
に上陸、洛東江に平原光沢の地を得た。そして日本の銅鐸は徐福の子孫によって拡散
されたと考えたい。
- 166 :月光仮面:2008/04/18(金) 11:23:23
- 甘粛斉家文化時代の秦氏による馬の家畜化とタイ・雲南のロストワックス工法までに
発展する青銅器技術がユーラシアを席巻し、ヒクソス、ヒッタイト、ミタンニを生んだ。
ミタンニいおいてアーリア族と共にインダスに入ったものの内、トン族とか、ギャロン
がニューデリー方面からカイラスに入り茶馬古道を東進して帰還し、それが秦・漢・
魏・・・の時代に朝鮮半島、日本へと入ってくるといったコースもありえる。
- 167 :月光仮面:2008/04/19(土) 12:51:11
- >>165
「弥生時代の銅鐸の文様の源流について南からの工人達は,朝鮮半島で土着化し,
その後渡来したことも考えられる。その場合は朝鮮半島にも痕跡がある筈である。
ここで朝鮮無文土器時代の有名な防牌(盾)形銅器に触れておきたい。この器物は,
その文様から農耕祭祀にかかわる儀器であると推測されているが,人物の特有の表現
(図27)は,石寨山型銅鼓等に施されている人物表現(図28・29・30)と酷似している。
この防牌形銅器は,朝鮮では異形青銅器と分類される一連の器物の一つである。
これらの異形青銅器は,紀元前4世紀から紀元前3世紀頃,忠清道に分布し,突然現
れて短期間で消えていったとされている。これらの諸点は,これらの青銅器が朝鮮半島
本来のものではなく,外から入ってきた要素であること,またその製作にはそうした要素
の関与があったことを暗示しているように思える。」
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf
- 168 :月光仮面:2008/04/19(土) 13:15:41
- 台湾花蓮アミ族にも見られるが、東遷中の神武が日向灘辺で目撃している。台湾、
沖縄、西部九州には母胎回帰の亀甲墓文化があり、神武の目撃したのと糸満の
ボートレース、銅鐸文様のインデアン様鳥羽の頭飾がある。神武が吉野で遭遇する
イヒカは高霊伽耶正見母主の天空神、真床男衾に関係がある。天空神を泉に映す
ということである。
■■■▲▼▲【考古学NEWS速報】▲▼▲■■■
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1067442984/menu463
これは
バイキング時代の盾
http://prostosayt.by.ru/rolevye/armor/vicshit.html
http://prostosayt.by.ru/rolevye/img/5/image402.jpg
http://prostosayt.by.ru/rolevye/img/5/image406.jpg
と関係があるが、南米モホスの弥生東北人形質、遼東山東遺伝子認定済み
の棺のふたにあったのは
http://drunemeton.narod.ru/images/Martebo_I.jpg
楯の取っ手
http://prostosayt.by.ru/rolevye/img/5/image204.jpg
これは
石冠
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/jyo3kan.JPG
カザフスタン東部からチベットに入る多弥、摂津へは登美、そして讃岐、阿波、安房
には富彦が降臨する。アルタイトゥーヴァ国立大学筋によればトミというのはチュルク・
モンゴル、つまりスキタイ期匈奴のようである。セイマトゥルビノがキーポイントになる。
そこからポーランド・沖縄にジュリ馬が伝わっている。しかし、沖縄のシーサはモンゴリア
高原・アンドローノボ文化との関係を示唆する。
- 169 :月光仮面:2008/04/19(土) 16:28:25
- 巴形銅器の起源については↓ここに書いたが、
■■■▲▼▲【考古学NEWS速報】▲▼▲■■■
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1067442984/menu465
要するにエジプト、中近東に出現するフルリ・カラスク文化がスキタイ時代に
モンゴリア高原・新疆・甘粛に帰還する頃の産物であろう。匈奴としてモンゴリア東部・
満州に相当留まった後に朝鮮半島経由日本、そして、チベットに「トミ」族として入った。
神武とバッティングするトミの長髄彦等がこれであろう。
- 170 :月光仮面:2008/04/19(土) 17:13:39
- ↑「 唐代、現在の青海省に多弥という民族がいた。弥は人を意味するミであろうから、
ド人、あるいはト人である。前述の陳宗祥氏によれば、白馬族の自称ド、アムドのド、
トス人のト、そしてこの多弥(トミ)、どれも共通するものだという。青海省から四川省に
わたる広範域にトミは分布していたのだ。その論を敷衍すれば、ネパールのタム、
タマン、タミの先祖はトミと考えられないだろうか。」
http://nierika.web.infosee