弾左衛門
- 1 :浅右衛門:2001/02/28(水) 15:50
- 被差別部落の頭領、弾左衛門。
歌舞伎の興行権から部落民の裁判権すら持っていたという彼の
起源は一体何者なのでしょうか?
また、部落差別は江戸の封建制の中に組みこまれていたと言いますが、
裁判権すら独立していたということは、江戸の表世界とは一種離れた
ところに独自の世界があったというような印象で、江戸の体制に
組みこまれていたというより、その特異な存在ゆえに利用されていた
というような印象を受けるのですが、どうでしょうか?
- 2 :矢野:2001/02/28(水) 23:28
- カムイ伝にでてくる弾左衛門さんは忍者のカッコウだった。
(意味なし。)
苗字帯刀してるし、かといって最下層の身分だし、なんだろうね。
江戸の町民には、どのように映ってたのかなー?
気になるね。
- 3 :天之御名無主:2001/03/01(木) 03:58
- 三河の非人の大御所様も、弾左衛門様にはかなわねえ
- 4 :天之御名無主:2001/03/01(木) 13:39
- >3
大御所様は非人出身だったんですか?
- 5 :日本@名無史さん:2001/03/02(金) 11:04
- たしかサンカにも頭領がいたんですよね。
掟をやぶると必ず報復に来るという。
なんという名前か知っている方いますか?
- 6 :天之御名無主:2001/03/02(金) 15:51
- age
- 7 :天之御名無主:2001/03/02(金) 18:25
- >知ってても言えません。
- 8 :日本@名無史さん:2001/03/03(土) 10:58
- >1
歌舞伎の興行権も弾左衛門の管轄ということは
歌舞伎役者ってもともと、そっちの側の人達だった
ってことでしょうか?
そういえば、いまでこそ芸能人ってもてはやされて
ますが、一昔前の人は、芸能人になるっていうと
親から大反対されたって聞きますよね。
- 9 :名無し:2001/03/13(火) 03:45
- 山城新伍は彼のファンらしいぜ
- 10 :名無しさん:2001/03/16(金) 01:05
- あげ
- 11 :天之御名無主:2001/03/16(金) 04:11
- 士農工商という身分制の枠から外れたものは社会の中でつまはじき
されるべき存在でした。芸能というものもその枠から外れたものです
から、芸能人はいわゆる非人(士農工商外の者)とされたのでしょう
ね。
- 12 :名無しさん@そうだ選挙にいこう:2001/03/25(日) 01:01
- 芸能って河原とかで行われてたんでしょ?
弾左衛門の管轄に河原も含まれていたってことじゃないのかな。
で? っていわれても何も言えないけどさ…
- 13 :日本@名無史さん:2001/03/25(日) 01:21
- 弾左衛門は他に長吏といわれる下級警察官の
ような存在も束ねていたね。名前の由来も律令制の
警察機構である弾正台から来ている。
関東一円の長吏を束ねたのが浅草弾左衛門だね。
罪人=穢れ、として嫌った幕府に利用された一面と
警察権をかさに来て農民や町人をいじめた面があり
結構複雑な印象がある。
- 14 :妖怪王:2001/04/01(日) 22:26
- 弾左衛門の姓は団、団弾左衛門は代々襲名制で、非人頭として江戸の闇の情報
を管理した。米国で言うFBIのようなものでしょうか?1000人の配下を持ち
大名並の生活をおこなったそうです。
- 15 :っっ:2001/06/22(金) 18:36
- 幕末,現在の埼玉県で起きた武州鼻緒一揆で立ち上がった長吏に対して弾左衛門は幕府と共に
冷酷な態度をとったといわれる。
彼は部落代表と言うより権力機構の中にいた部落民といった方がいいのだろう。
- 16 :名無しさん脚:2001/06/22(金) 19:58
- 歌舞伎役者は、江戸時代の階級社会から離れたところの存在
でしたよ。つまり、「河原者」。しかし、エタや非人と呼ばれた
人たちが、社会からつまはじきになったわけでは無く、存在を
認知されていた(だからこそ弾左衛門がいた)のと同様に、世間
からは非常な認知(=人気)を集めていたわけで。
弾左衛門が「任命」された起源は、はっきりしてる筈だけど、
おれはちょっと覚えて無くて。調べてみて下さい、簡単に判ると
思います。
- 17 :奈奈氏:2001/06/23(土) 00:29
- 本では、北条の下級武士の末裔だと書いてあったり、家紋が同じ
だから津島藩と同様、異民族説もあると。しかし、中世の間八州に
長吏を名乗ったのだからエミシでしょ=やっぱ異民族か?
- 18 :御:2001/06/23(土) 00:32
- サンカの頭は楠木正成(後醍醐天皇、国司・北畠、畿央の山賊=忍び)?
- 19 :天之御名無主:2001/06/23(土) 01:36
- にゃんこせんせーい!
- 20 :天之御名無主:2001/06/23(土) 01:58
- 京極夏彦が「続巷説百物語」で弾佐衛門と非人について書いていたが、
資料にしたのが「江戸社会と弾佐衛門/中尾建次/解放出版社」らしいな(巻末に載ってる)。
これってどうなん?
- 21 : :2001/06/23(土) 03:03
- >>14
非人頭は車善七。弾左右衛門は穢多頭では?
- 22 :名無しさん脚:2001/06/23(土) 03:13
- あ、そうなんだ。それぞれに、頭がいたんだね。
弾左衛門の名前は知ってたけど、非人頭の名前
って知らなかった。
でも、エタの人たちって、特定の職業に付いて
たけど、非人の人たちって、どうまとまっていた
んだろう? 無学ですまん。
- 23 : :2001/06/23(土) 03:36
- 非人の仕事は物乞い、罪人の引き回し、死刑の処理など。身分上は穢多よりも下だが、一般民に復帰する道も開かれていた。さらに穢多非人以下の階級として番太なる階級もあり、穢多や非人からも差別を受けていた由。
- 24 :天之御名無主:2001/06/23(土) 03:48
- >>22
番太ってなんですか?
教えて下さい。知りませんでした。
- 25 :天之御名無主:2001/06/23(土) 04:17
- うちの地方(茨城)では新平民を「ばんた」とか「かーぼ」
といっています。方言かと思ったら、全国区の呼び名だったんですね。
- 26 :天之御名無主:2001/06/23(土) 04:54
- ちょっと、他板よりコピペ
<転載>
北陸地方には「エタ」部落がほとんど存在しなかった。
北陸の被差別民の大半は「藤内」。
日本中には20種とも30種とも言われる被差別民がいた。
「破戒」の主人公は最もポピュラーな「エタ」ということにしてあるが、
モデルとなった人物は「ササラ」。
今、日本中で「エタ」以外の被差別部落の記憶はほとんど失われている。
では何故「エタ」部落のみ被差別として今も記憶されているのか。(後、省略)
<コピペは以上>
ということですが、20〜30種の被差別民って分かる方いますか?
大昔の事をホジクり返して差別を助長しようと思っているわけでは、当然
ありません。どのような理由で差別される側に落とされたのか、また
そういう境遇でどうやって生き抜いたのかを少しでも知りたいのです。
被差別民に感傷的思い入れをしようと思っているのでもありません。差別する
側・される側との間には何らかの「経済(金・物の流れに限定しない意味での)」
がある場合が多く、苛烈な関係にあったとしても何らかの「共存」をしている
訳で、その社会の中で何らかの神話的意味・役割を負っていそうなので
聞いてみることにしました。
- 27 :天之御名無主:2001/06/23(土) 06:04
- 部落民は渡来人である場合もあったのでは?
- 28 :名無しさん脚:2001/06/23(土) 06:46
- >>23
あ、そうでしたね。エタ階級はそのまま、しかし非人階級
は・・・士農工商かな、ま、多分不可触民以上に「戻れる」
というのが、ありましたね。しかし、「番太」という人々
については知りませんでした。エタさんは勿論、非人さんも
独自の職業というのをもっていたと思うのですが、番太さん
はどうだったんでしょうか。確か、非人さんは、エタさん
とは違い、庶民として復職できる余地があったんですよね?
ま、20〜30の被差別民というのは、職人図会を見れば
判りますよね。
で、もちろん、社会的には「ほんまに必要だったんかいな」
という職業にありましたが、多分、当時は重要な仕事として
存在したんでしょう。町歩きの行商人にしても、旧い皇族か
ら裏付けされている、ということになっています。職人、と
呼ばれる人々は、みんな、ね。だから、職人歌合わせ、という
ものもあるわけで(もちろんうそっぱちだけど)。
エタさんはもちろん(居なければ皮細工が出来ない)、非人
さんも、社会的にはなにがしか働いておられたのではないか、
と思うのですが。
神話的意味については、さすがに近世江戸時代なので、ちょ
っとつらいかも知れません。しかし、皮細工のものは、エタ
さんがいなければできなかったでしょうし。
江戸以前には、皮細工をできる人は、職人図会に取り上げられて
いたんですよね。どうした経緯で、牛の血をほふる人たちが
非差別民となったのか、は判りかねますが。やっぱ、「血を
かぶる」ってことだったのかなぁ。
20〜30種の被差別民、というのが、「だれやろ」と思います
が、私の知っている限りでは、「異界に触れる人」というのが、
そうした扱いを受けた、と記憶しています。つまり、「死」とか、
「性」とか。生きている人間にとって、「これはちょっと違うぜ」
という場所に住んでいる人々。そして、先述の人々(まあ、同義
やな)。エタ・非人階級が生まれたのは江戸期だと思いますが、
エタさんたちにとどまらず、職人と呼ばれる人たちは、豪華な先祖
がいることは、ご承知の通り。だからこそ、職人図会が編まれた
くらいのものですので。
(と、ここまで書きましたが、時代がずれてたらごめんよ。つっこ
んでね)
- 29 :天之御名無主:2001/06/23(土) 23:35
- >>28
長文レス、さんくすにこまーと。
- 30 :天之御名無主:2001/06/26(火) 02:14
- >>25
その「新平民」という言い方はどのくらいの範囲でされてますか。
使用する人達の年代や使用頻度、場所などなどです。
今でもやっぱり使ってるんですよねえ。そちらでは。
- 31 :25:2001/06/26(火) 03:48
- 現在80歳くらいの人はそんな話をしますが、母(60歳)や私の
世代の人間は使用する人はほとんどいません。
こちらでは眞平民は明治政府の戸籍から漏れた人という認識です。>>30
- 32 :天之御名無主:2001/06/26(火) 04:01
- >>31
いや、ありがとう。
前レスで、余りにサラッと使われていたので
今も世代的に若い人達の間でも使われているのかと思い、
ちょっと、ギョッとして聞いてみたまでです。
ところで、私も「番太」が知りたいのですが
誰か知りませんかね。
- 33 :高野聖:2001/07/02(月) 00:49
- 質問だらけのスレになりつつあるが私も1つ質問。
エタは東西を問わず(備前を除く)基本的に浄土宗信徒だったようだが
非人,河原者などはどうだったんでしょうか?
古本屋で各種文献渉猟してるんですがなかなか良い資料に出くわさないんです
- 34 :高野聖:2001/07/02(月) 00:59
- ちなみに、わざわざ「備前を除く」と書いたのは
おんぼう差配下の備前は日蓮宗の不従不施派信者が極めて多く
浄土宗への改宗を強制したところ騒動が起きた記録を読んでいたので
このように書きました
ちなみに岡山では士農工商以外の身分で「かわた」「こつじき」「陰陽師」「説教」「座頭」
などがありました
- 35 :天之御名無主:2001/07/02(月) 07:34
- 質問に質問して申し訳ないですが
「かわた」「こつじき」「陰陽師」「説教」「座頭」
ってどういうものですか?
なんとなく分かるものもありますが。
お教え下さい。
- 36 :高野聖:2001/07/02(月) 12:18
- ワタシも最近になって調べ始めた付け焼刃なんで若干の間違いがあるかもしれませんが:
・「かわた」いわゆる「えた」の古称.牛馬の処理などを生業としていた.「おんぼう」なども同じか?
・「こつじき」乞食「説経」御仏の教えを物語に織り込み節をつけて歌う僧職
罪人・こつじき・説経等ひとくくりにして非人と呼んでいた
・ちなみに「番太」は「番太郎」とも呼ばれていてその名のごとく門番・下級長吏を指していたようですが弾左衛門差配下の江戸では若干異なっていたようですね
***
34で説教とかいたのは説経の誤り.訂正します
- 37 :高野聖:2001/07/02(月) 12:28
- またまちがえた.
「番太」の項:弾左衛門→車善七に訂正
- 38 :天之御名無主:2001/07/03(火) 23:52
- >>36 解説ありがとう。
「陰陽師」・・・・最近一部で流行のあの「おんみょうじ」?
「座頭」・・・・・「座頭市」と関係あるんですか?
すいません。超初心者で。教えて下さい。
- 39 :高野聖:2001/07/04(水) 01:07
- 「座頭」:盲人達の職業ギルドは検校、別当、勾当、座頭(女性はゴゼ:文字変換できん)の4階級になっていて、それの一番エライ人が「検校(ケンギョウ)」で、これは幕府とかにも影響力を持ってた。一番ヒラが「座頭」です。 勝新演じる市もヒラな訳です(彼の当たり役には検校もありますが・・・)
幕府が決めた盲人だけがやっていい職業として「按摩、はり、灸」や「地唄(後の長唄とか義太夫、極端に言えば歌舞伎の囃子なんつうのの祖)」
「琴曲」は彼等の専有特権です。例えば琵琶法師イコール盲の坊さんイメージしますよね。でも他の人がやっちゃいけないってのはワタシも知りませんでした。
日本の音楽ってのは、ほとんどが演劇とか踊りと結びついてたんだけど、なるほど今でいう小唄だの長唄なんつう純音楽(しかも室内楽)は盲人が創った訳。
そういえば有名な地唄の作曲ってほとんど「ナンタラ検校」ですもんね。
うろ覚えになるが盲人ギルドは京都の蝉丸神社が形式上束ねていた様な気がする。
「陰陽師」今話題のアレです。江戸時代のそれは暦の作成や
所謂「風水」に関わる仕事いっさいを束ねていて阿部晴明の末裔の土御門家が束ねていました
- 40 :高野聖:2001/07/04(水) 01:22
- ↑改行ちょっと変ね。読みづらくて申し訳ない
ちなみに番太郎の話に戻るが、
明治維新後、警察機構改革によって警察官は「エライ人」の仲間入りしたわけだが
庶民は「番太郎」のイメージが頭から離れず「おまわり」なる言葉を作って
ウサをはらしていたと聞いた事があるが本当なんかな?
刑事達はその衣服から「角袖(かくそで)」→「くそでか」→「でか」と呼び名が変わっていったのは知ってるんだが
「おまわり」についてはいまいちよく判らん????
- 41 :天之御名無主:2001/07/08(日) 05:00
- >>39
「陰陽師」ですが、伝わった当時は大陸伝来(?)の最新の
テクノロジーだったでしょうが、「陰陽道」自体も段々その輝きを失って
いったのではないかと思うのですが、どんな生活または差別対象でもあった訳です
からどんな風に人々から蔑まれたんでしょうか?
なんだか一番つかみどころが無さそうで、おまけに怪異をまとわりつかせた存在
なので気になるのです。
宜しければ、御教え下さい。
- 42 :天之御名無主:2001/07/08(日) 13:57
- >歌舞伎の興行権
旅芝居(?)の興行権だけだよね。
- 43 :高野聖:2001/07/08(日) 21:14
- ワタシの乏しい知識も夏場のダム同様枯れつつある・・・
勉強しなきゃなきゃなきゃ・・(以下リフレイン 藁)
>41
陰陽師は平安の昔から、暦の作成など天文学に関わる諸事やら
加持祈祷あるいは風水関連のお仕事まで引き受けていたわけですね。
暦に関わる仕事は幕末まで土御門家が取り仕切っていたわけですが
加持祈祷となると密教の坊さんやら山伏なども同業となり
仕事の奪いあい等してたのかな?と勘ぐってしまいます。
ちなみに彼等陰陽師は大陸伝来の天文知識を駆使して暦を作っていたわけですが
平安時代は最新だった暦法も時が経つに連れて誤差が大きくなり
誤報(予言していた月食がはずれてしまった)などで時の帝の怒りを買う事も
結構あったようです。
江戸時代に蘭学がもたらされても暦の計算法も洋式となりましたが
土御門家の許しを得ない限り公に出来ず、幕府の役人サンも結構苦労したようです
このあたりのお話は斉藤國治センセイの本等に詳しく載ってます
天文学の歴史を扱った本で検索かけたら結構出てくるかも?
閑話休題:
京の都では土御門や賀茂家が宮様やら公家に重宝されてました。
地方の陰陽師達の仕事は加持祈祷の他に説経・神楽などが大きな収入源となっていたようです
どちらにしても一般庶民にとっては「うさんくさい」お仕事ですねハハハ
- 44 :天之御名無主:2001/07/10(火) 00:54
- age
- 45 :天之御名無主:2001/07/19(木) 00:52
- 落語とか聴いていると、番太のじいさんとか出てきますがその人のこと?江戸だと、長屋の木戸番とか火の用心、火の見廻りしてた人みたいだが。
職業であっても身分というイメージないなあ。
二十いくつあるという賤民の種類も、賤民の職業のように見えるのですが。門付けや大道の芸はほとんど賤民の種類の名称ということでしょうか。
- 46 :天之御名無主:2001/07/21(土) 12:02
- 初歩的な質問なのかもしれないですが、僧侶って
身分的にどのように位置づけられていたのでしょうか?
小学校で「士農工商・エタ・非人」と習ったときに疑問に
思って以来、ずっと気になっています。
僧といっても幕府から認められた、国家公務員のような
人たちから、聖のような怪しげな人たちまでピンキリだと
思うのですが、一概には言えないものなのでしょうか。
「士農工商」説自体がおかしいという話もよく聞きますし、
このあたりのことについて詳しい方、教えてください。
- 47 :高野聖:2001/07/30(月) 20:49
- >46:ちょー亀れす スマソ。
士農工商制度に関する考察は「徳川時代の遊民論」(守本順一郎 未来社)あたりが簡便なテキストかと思います
私なりに咀嚼した概略(ちょーーー独断&偏見)は以下の感じになります
徳川封建社会における経済的基礎はズバリ農業。
従って当時論じられた経済論は基本的に農業論とそのバリエーションといえるでしょう
経済政策論も、如何にして農業生産力を発展・維持するかその方策について論じられています。
これは封建社会の基礎が土地にあり、土地の価値は農業生産力が決定していた事からも窺えます。
当時の儒家達が論ずるに士農工商それぞれの階級は:
士:心を労して人を理する
農:九穀を稼穡して天下の民を養う
工:八材を加工して百器を給する(超訳です 悪しからず)
商:通貨を賄阜して金銀・布帛を通じる(同じく超訳です 悪しからず×2)
という形で天下の役に立っているそうです。
そしてそれ以外の職業の人間は
「一定の常職無く、平素何という極まった仕事せずに遊んでいる」事になり所謂「遊民」扱いされたそうです。
この論法に基づき僧職・山伏・修験者・虚無僧・六部 など寺社支配下の人々も
「国土の米を喰らい潰す穀潰し。」「四民(士農工商)の外の人倫をば遊民といひて国土のために用無き人間」
などと こてんぱんにののしられています。
ただし、悪口雑言・罵詈雑言言いたい放題の儒家も
「士農工商の生業をせず、文章のみで渡世をしている儒家こそ遊民ではないか!」と逆襲されています。
ま、江戸時代も初期と中後期では社会事情が著しく異なるので十把一絡げに論ずる事は不可能なんですよね。
今日はここまで・・・
- 48 ::天之御名無主:2001/07/30(月) 21:58
- age
- 49 :46:2001/08/22(水) 19:26
- 大変丁寧なレスをいただいていたのを、今日になってやっと気づきました。
最初のうちは毎日チェックしていたのですが、だれも書き込んでくれないものと
あきらめて。
早速、「徳川時代の遊民論」を探して読んでみます。
ありがとうございました。
- 50 :?:2001/08/23(木) 08:12
- 牛殺しの不浄は、寺(村)の外。
納税義務なし。
- 51 :っっ:2001/08/23(木) 16:39
- 番太:埼玉県北部の例では「長吏」(えた)より下の階級に位置づけられている。
それぞれの仲間内で婚姻。部落解放運動も統一してやろうという意識は弱くむしろ互いに牽制
弾左右衛門:鎌倉極楽寺の九郎右衛門が頼朝からもらったとされる証文を用いて家康から権限を与えられたという
小田原の長吏太郎右衛門はむしろ北条系だと思う。
何の証拠もないが弾左右衛門は江戸氏ゆかりの人物では?江戸氏が太田氏,北条氏に圧迫され(長吏的なことはやっていたのだろうが)一発逆転を賭けて小田原太郎右衛門を排除し家康にとりいったのでは?
- 52 :天之御名無主:01/08/27 20:11 ID:SAk8sbL6
- ageru
- 53 :天之御名無主:01/08/28 17:50 ID:z1/CKQ0E
- 弾家はイスラエル12部族の1つ「ダン族」の頭領の子孫。
「ユダヤ人と日本人の秘密」水上涼(日本文芸社)に書いてある。
なかなか説得力あり。
- 54 :だっだーん:01/08/28 19:19 ID:M64lkRYE
- ♪ぼよよんぼよよん
だっだーん
よってダン族とはプロレスラーの祖先なり
- 55 :天之御名無主:01/09/01 11:27 ID:2/sbBvfw
-
- 56 :モロボシダン:01/09/02 12:15 ID:ASkbNdoU
- 塩見鮮一郎の「資料浅草弾左衛門」(批評社)を読むべし。
http://www.hihyosya.co.jp/books/ISBN4-8265-0222-2.html
- 57 :天之御名無主:01/09/02 12:52 ID:WGn.uwSY
- すっごい面白そうだけど高卒な俺にはよくわからん事が多いなぁ。
歴史の勉強してこよう・・・
- 58 : :01/09/04 19:39 ID:.3dSPcJs
- >>47 氏
板&スレ違いですが、明治時代に夏目漱石の小説中に出てくる
「高等遊民」はその「遊民」の語感を引きずってるんでしょうね。
でも階級的には上流だから「高等」の文字を敢えてつけたと。
- 59 :天之御名無主:01/09/04 22:30 ID:Vbxh6NlU
- 乙胸と言われる人達は町人身分だったと思うのですが
なぜ弾左衛門支配だったのでしょうか?
- 60 :天之御名無主:01/09/04 23:02 ID:Q6Oh2JhU
- 乞胸 では?
乞胸は雑芸人ですので、弾左衛門支配でよろしいかと
- 61 :天之御名無主:01/09/05 23:38 ID:hv2NrLoA
- >>60
ご指摘のとおり乞胸です。
完全に字を間違って覚えていました。
乞胸は雑芸人ですか、レスありがとうございます。
- 62 :ひでよし:01/09/08 11:35
- >>54
レジー・ベネットか、すごく懐かしいな
- 63 :怒りんぼママ:01/12/05 16:49
- teikiage
- 64 :天之御名無主:01/12/05 17:11
- >>62
現在日本人と結婚して日本にいる。
- 65 :天之御名無主:01/12/05 17:51
- >53
俺も読んだお仕事に関しては信憑性ありそうですね
浅草から千住までの弾左衛門の領地に田畑はないし
大火後の新吉原を自分の敷地内に持ってきたのもダン族らしいですよね
- 66 :フィングステン:01/12/05 20:40
- 弾左衛門の話題で終わらずに、博徒とかヤクザに
つながる系譜も非常にきょうみぶかい。
弾左衛門関係の本は結構多いので、現代書館や三
一に限らず、常にチェックすべしです。
ユダヤとか異民族説はトンデモ本だけどね。
- 67 :天之御名無主:01/12/05 20:46
- >>59
江戸時代の初頭に小伝馬町に住んでいた長嶋磯右衛門が芝居などの
見世物を行っているうちに次第に人数が増えて大所帯となったが、
非人頭の車善七から「非人と同じ家業をされると非人の家業に支障が
あるので差し止めてほしい」という訴えがあった
結局、両者の間で示談となり、乞胸は身分は町人のままとしながらも
家業を行っている間は善七配下の非人とすることになった
(部落解放研究所編『部落史の再発見』(解放出版者、1996)参照)
- 68 :訂正:01/12/05 20:49
- 「解放出版者」じゃなくて「解放出版社」だった、間違っちゃった
- 69 :天之御名無主:01/12/05 21:03
- 弾家は遡れば、古代の渡来氏族・秦氏の出身。
この秦氏はユダヤ人説があることで知られる。
- 70 :天之御名無主:01/12/05 21:20
- どんだけさかのぼっとんねん!!
- 71 :>>69:01/12/05 21:24
- 69の祖先は遡ると古代の渡来氏族に使役されていた奴婢出身。
この奴婢はたどりようがないほど異種族の混血であることで知られる。
- 72 :天之御名無主:01/12/05 21:51
- 弾左衛門由緒書
「弾家の祖先は秦氏であり、のちに藤原氏に入り藤原と称した。」
- 73 :天之御名無主:01/12/05 22:16
- それ偽造じゃん!じょーしきー。
- 74 :天之御名無主:01/12/05 22:59
- >73
偽造の証拠でもあるのか?
- 75 :天之御名無主:01/12/06 08:17
- 「偽造の証拠でもあるのか?」と聞かれても困ってしまうが、だったら
それが真実だという証拠があるのか?
網野善彦氏や橋本鉄男氏、脇田修氏、盛田嘉徳氏の論考を読んでみ
職能民の由緒書の後世の偽造であることを論じているぞ
ここで問題なのは、なぜ弾左衛門がそのようなことを主張しているか、
だと思うんだが・・・
- 76 :天之御名無主:01/12/06 08:34
- そう言えば日本史板に「証拠出せという奴はクソ」というスレがあったな
- 77 :天之御名無主:01/12/06 08:55
- 証拠なき史学は学問に非ず。単なる茶飲み話なり。
- 78 :ひでよし:01/12/06 18:30
- >>33
関東地方では時宗の集落が多かったと聞いたことがあります
近江では江戸時代に入って天台宗から浄土真宗に改宗した集落が
多かったそうなので、地域間の差があったのは確かだと思います
- 79 :天之御名無主:01/12/08 00:04
- この板で「日ユ同祖論が真実ならば・・・。」をやっている。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/min/989770043
もし、弾左衛門がダン族の頭領の子孫なら、被差別部落の人々は
ダン族の子孫なのかもしれない。
- 80 :天之御名無主:01/12/08 00:44
- >>79 URLを訂正。
「日ユ同祖論が真実ならば・・・。」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/min/989770047
- 81 : :01/12/08 05:23
- >>80
see >>54 !!!
- 82 :日本@名無史さん:01/12/15 02:05
- 最近の本だとこういうのもあるね
http://www.yoshikawa-k.co.jp/kmibun.htm
- 83 : :01/12/15 05:23
- 誰か男谷検校について教えてくれ。
座頭の金貸しが幕府に保護されていたとは、
いったいどのように保護されてたんだ?
- 84 :高野聖:01/12/24 17:08
- 定期アゲっと
>>83 勝海舟のご先祖様ね。
日本最初の検校職に就いたらしいが背後に水戸光圀の影がちらほら・・。
で金貸しの形態だが、弱者(この場合は盲人)の生活手段として公認されていた。
当初は福祉事業だった訳ですね。
障害者である事につけ込んで踏み倒す輩が出ぬよう奉行所がバックについてていたそうです
ググルで検索してみるとこんなんがヒットしました↓(直淋 スマソ)私のうろ覚えと概ね一致したんで一安心
http://plaza.people.or.jp/otaki/news/biwa6.htm
- 85 :天之御名無主:01/12/25 00:45
- >>1
姓の誤りでは、団が正解だと思うぞ。
- 86 :天之御名無主:01/12/25 00:58
- もっとやれ!
- 87 :天之御名無主:01/12/25 05:40
- ところで、カムイ伝に描かれてる非人の生活って、
あの通りだったと思っていいのかな?
- 88 :天之御名無主:01/12/26 19:05
- 団氏の生活って大名より豪華だったらしいね。
屋敷もたしかめちゃ豪華だったらしい。
- 89 :天之御名無主:01/12/29 22:03
- http://www.kumanolife.com/History/shikinin.html
↑
勉強になります。
- 90 :天之御名無主:01/12/30 14:31
- 江戸の弾左衛門支配は有名ですが
遊民の人数がはるかに多かったと思われる上方は
どういう体制になっていたのでしょう?
- 91 :ひでよし:02/01/04 20:26
- 「弾左衛門由緒書」には弾左衛門の支配下の諸職として、次の29の
「道の者」の名を挙げています
長吏、座頭、舞々、猿楽、陰陽師、壁塗、土偶作、鋳物師、辻目暗、
非人、猿曳、鉢叩、弦差、石切、土器師、放下師、笠縫、渡守、山守、
青屋、坪立、筆結、墨師、関守、鉦打、獅子舞、蓑作、傀儡師、傾城屋
これの諸職には鎌倉初期には存在していなかったものがあること、
朱印状を受けたとされる治承4年(1180)は頼朝が石橋山での挙兵
に失敗した時期であり、朱印状を与えられるような状態ではなかった
ことから、この由緒書きは後世の偽作だと推測されています
- 92 :ひでよし:02/01/05 09:02
- >>89
ここに29の「道の者」が画像と解説が付いて挙がってました
「弾左衛門由緒書」では諸職を挙げた後に続けて「盗賊の輩は長吏とし
て刑罰を行うべし」とあり、また、「湯屋・風呂屋は傾城屋の下たるべし」、
「人形舞は皆々二十八座の下たるべし」とあります
- 93 :天之御名無主:02/01/05 15:12
- >>91
後世の偽作ではなく後生にまとめられたとしてもよろしかろう。
- 94 :ひでよし:02/01/07 08:54
- 「後世の偽作ではなく後世にまとめられた」ものだという意味が
よくわらないのですが・・・・
由緒について書かれたいくつかの文書をまとめた、という意味
ならば、それは「後世の偽作」といえるのではないでしょうか?
>>36
「穢多」は幕府が定めた公式の用語ですが、「穢多」身分の人々はそれを
嫌い、東日本では「長吏」、西日本では「かわた」を用いることが多かった
といわれています
弾左衛門も奉行所などに提出する文書には「穢多頭」と書き、それ以外
では「長吏頭」と書いています
- 95 :ひでよし:02/01/12 21:13
- >>34
昭和10年の統計局の調査では全寺院に占める真宗寺院の割合が
6.3%と低く、これは西日本では最低の値だそうです
備前・備中・美作の3国は浄土真宗の布教が振るわなかった地域で
あり、この3国の12の部落寺院はすべて天台宗だったそうです
しかし、いつの頃からか幕府が定めた本寺末寺関係から逸脱をする
ようになり、無本寺となっていたようです
明和元年(1746)に東本願寺派の金福寺の玉林が美作の大法寺を
訪れた際に真言宗の本寺のどこかの寺を本寺を頼むか、真宗に改宗
して金福寺の末寺になることを勧め、それを受けた大法寺の海順が
高野山などに依頼に出かけたものの、断られてしまいました
そこで、海順は他の部落寺院と相談し、4つの村からの承認が得られ
なかったにも関わらず、本照寺の末寺として届を出し、認可されたのは
明和6年(1769)のことでした
- 96 :ひでよし:02/01/12 21:32
- 海順が届出を強行したことに腹を立てた伊右衛門という人物が、
海順が駆け落ちをしたと偽り、大法寺を他の寺が兼帯することに
なってしまいました
それに驚いた海順が代官所へと訴え出て、駆け落ちではないこと
は認められたものの、それ以上の訴えは取り上げられず、結局は
江戸表へ訴え出るしかないと行った目付への箱訴が効を奏し、
倉敷代官所が取調べを行うことになりました
12の部落は2つの天領と6つの藩領にまたがって分布し、代官所の
取調べは時間がかかり、天明2年(1782)になってようやくすべての
寺院が金福寺の末寺となることで決着しました
- 97 :ひでよし:02/01/12 21:43
- ところが、寛政9年(1797)になって岡山藩領の常福寺が改宗によって
村人が無信仰に近い状態になったために、村役人が天台宗への復帰を
願い出た際には、寺社奉行がそれを承認しました
しかし、ここまでの経緯はいずれもが村人の意思で行われたものであり、
それに対して代官所や奉行所は仲裁をしたにすぎず、幕府が改宗を強制
たわけではありません
幕府にとっての関心は部落の宗旨にあったわけではなく、本寺末寺関係
の中にすべての寺院を組み込むことにあったのだといわれています
それによって人身を統制することこそが、幕府が定めた宗門改制度が
主眼としたことだったのです
- 98 :ひでよし:02/01/12 21:49
- 以上の記述は山本尚友氏の『被差別部落史の研究』(岩田書院、
1999)に拠りました
この本は部落史に関する通史的な研究や部落における真宗の受容
などの多岐にわたる論考が収められていますので、非常にお薦めの
一冊です
ただ、この本にはたった一つの欠点が・・・・
それは値段が11、800円(税別)と高いことですので、図書館などで
借りられることをお勧めします
- 99 :天之御名無主:02/01/28 15:50
- age
- 100 :天之御名無主:02/01/28 21:36
- きりばんいただき
153 KB
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