もう16時か、
2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50 [PR]女性の自宅ナマ映像を無料公開[PR]  

存在と時間

1 :パンパース:04/11/29 21:43:39
「・・・・・・トイウノハ、君タチガ「存在スル」トイウ言葉ヲ使ウトキ
イッタイ君タチハ何を意味スルツモリナノカ、・・・以前ニハソレヲワカッテイルト
信ジテイタノニ、イマデハ困惑ニオチイッテイルノダ・・・・・・」原書1
と言う訳で、存在の意味を探求する旅へ出発。

609 :過去スレより:2008/05/14(水) 15:44:30 0

323 名前:興味深い引用 :02/12/20 23:59
20世紀の重要な哲学のひとつに実存主義があります。実存を語るとき、誰もが
使う「世界内存在」という概念があるのです。これはハイデガーの使ったドイツ語
「Das In-der Welt-Sein」の訳として私の先輩達がこんな風にしたものですから、
まるでハイデガーの造語のように日本でも思われてますけれど、実は荘周(荘子)
の「処世」という述語の間接的なドイツ語訳なのです。天心岡倉覚三がロンドンで
"The Book of Tea"(茶の本)を書いて出版したとき、荘周の「処世」を英訳して
「Being In The World」としたのは19世紀末でした。それが1908年シュタインドルフ
によってドイツ語に訳された際、この英語がそのまま逐語訳されてあのようになった
という次第です。ご承知のように、処世とは「世に処る(In-Sein)」と「世に
処する(Verwalten)」の二つを兼ねますから、ハイデガーの言っていることは
荘周の考えそのままといってもいいでしょう。ついでに申しますが、この独訳は
訳者がユダヤ人であったため、第二次大戦前後ヒトラーの親族に当たるミュンヘン
大学の日本学教授クルト・ハミッチ(K.Hammitzchi)がインゼル書房から再版
した際、訳者の名を消し、内容の独文は少しも変えず、後記を自分で書いています。
それはあたかも彼が訳者にもみえるのです。

324 名前:興味深いから引用 :02/12/21 00:04
こういう不愉快なことはナチス時代のドイツにありました。『現象学入門』という
本に現象学の創始者ユダヤ人フッサールの名前が一度も出てこなかったり、ハイデル
ベルグでのクリバンスキーの編集事業はその戦時下の出版ではすべて他人名義でし
た。全くひどいものです。しかし、ナチス時代以前や今のドイツにはそんなことは
ありません。
 私の恩師の一人、伊藤吉之助は1918年、第一次大戦直後、ドイツに留学、そのとき
ハイデガーを家庭教師にやとっていました。敗戦後のドイツはひどいインフレで、
連合国側の日本の留学生のポケットマネーはドイツの若い学者達には大きな魅力
でした。そのあたりの事情はヤーコブの『ジャクリーヌと日本人』(岩波文庫)
という小説を読めばよく分かります。

610 :過去スレより:2008/05/14(水) 15:45:48 0


325 名前:興味深いね引用 :02/12/21 00:15
それはともかく、伊藤は帰国に際し、お礼の心づもりで『茶の本』の独訳
"Das Buch vom Tee"をハイデガーに手渡しました。それが1919年。そして
1925年にハイデガーの名を高からしめた『存在と時間』が出版され、あの術語
が何のことわりもなしに使われていたので、伊藤は驚くと同時に憤慨もしました。
それからはるか後年の1945年、「いやあ、世話にはなったんだが、やづげれば
よがっだなぁ」と庄内弁で私に述懐なさったことがあります。ハイデガーが
東洋の書物からヒントを得ていることはほかにもまだありますが、このくらいに
しときましょう。こういう話を私は伊藤先生からずいぶんうかがい、それにもとづき
調べたのです。
 1968年に私はハイデルベルク大学のガーダマーに呼ばれてした集中講義のあと、
右のことを茶話会で話したことがあります。日本人の留学生達も聴講してくれました。
その際、ハイデガーの根本思想には、東洋の古典哲学で考えられていたものが沢山
あるということをその他の例によっても説明しました。私は多分言いすぎて、もし
かしたらプラギアト(剽窃)にも当たると言ったのです。ガーダマーはハイデガーの
愛弟子ですから、まあ怒るの怒るまいの、4,5年というもの絶好状態の目にあいまし
たが、1972年でしたか、アイヒシュタットの形而上学会で再会し、仲良しにもどり
ました。
http://72.14.235.104/search?q=cache:F_P7WcDgH74J:zinbun.denpark.net/1017993132.html+%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%80%80%E8%8C%B6%E3%81%AE%E6%9C%AC&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp&lr=lang_ja&client=firefox-a

今道友信『知の光を求めて』より
参照;
木田元『ハイデガー拾い読み』p177参照
Das Buch vom Tee. Aus dem Englischen von Marguerite und Ulrich Steindorff
Okakura, Kakuzo

611 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 17:28:41 0
ニーチェが「善悪の彼岸」で「主語という概念のないウラル・
アルタイ語族の言語で考えるひとたちは西欧の哲学とは違う思考をする」
といったことについて、柄谷は、「ウラル・アルタイ語族の言語で
欠けているのは、主語の概念ではなく西欧の言語に特徴的な繋辞である。
このような西欧の哲学が普遍性をもつだろうか。」といい、他方、
beがどのような文にでも現れうるということを示して、
西欧の言語では繋辞が普遍的に現れるといい、ハイデガーはその繋辞
によって
存在をとらえているといったのである。
そのさい、柄谷は論理学者によるbeの議論に依拠しているのだが、
イェスペルセンによれば、英語でThe house is new.というところ、
同じ印欧語族のロシア語では、
Dom nov (The house new)と表現するのであり、また英語でも、
強調・感嘆・疑念などを示すためにbe動詞を欠く言明を行う場合が
あるのであって、これらは繋辞を欠いているが実存的な意味は十分
に伝達されるのである。印欧語では存在は繋辞によって表されている
というのは皮相な議論というべきであろう。



314 KB [ 2ちゃんねる 3億PV/日をささえる レンタルサーバー \877/2TB/100Mbps]

取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
名前: E-mail (省略可) :


read.cgi ver 05.0.7.8 2008/11/13 アクチョン仮面 ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)