涅槃
- 1 :考える名無しさん:2005/10/05(水) 22:02:57
- すべての雑念から解放され、
精神的な境地に到達する。
これを「涅槃(ねはん)」、と言う。
つまり、「悟り」、だな。
涅槃的に世の中を語っていこう。
- 326 :考える名無しさん:2007/11/16(金) 19:10:09 0
-
1.副島隆彦信者の一人が副島のホームページの掲示板でブッダの輪廻説を否定
2.副島もそれに賛同、その信者が紹介した宮元啓一と石飛道子という仏教学者の本を「素晴らしそうだ、自分も読んでみる」と発言
3.だがその宮元や石飛が関わっているテーラワーダ仏教は輪廻説肯定派の宗派である(!)
4.あ…あれ?^^;
- 327 :考える名無しさん:2007/11/16(金) 19:28:45 0
- 間違ってるかもしれんが、ここを見るといいかも。
「宮元啓一氏と石飛道子氏の本は、ブッダの論理学の核心、
大乗仏教の核心(=般若心経の核心)に 最速で迫る書物である。」
「大乗仏教は信仰である以上、本当の仏教(哲学)ではない。」
宮元啓一氏と石飛道子氏の本を読んで大乗仏教の最高理解を学んだことで、
大乗仏教は本当の仏教じゃないということが分かったということじゃないか?
- 328 :考える名無しさん:2007/11/16(金) 21:33:53 0
- >>327
その副島信者の人がどういうつもりでそう書いたのかは分からんが、
少なくとも宮元は大乗仏教を否定して初期仏教の立場に立ってるはずだし、
石飛にしても大乗仏教(中観)の立場からではあれ、
これまでの龍樹論を否定して論理学的な側面から新たに中観仏教を解釈し直しており、
結果的に宮元の仏教観に近いものとなっている。
そして何よりテーラワーダ仏教自体が、
大乗仏教を「ブッダの教えをねじ曲げた似非仏教」として糾弾しており、
輪廻など存在しないという大乗・中観的な仏教観を否定して
「輪廻は存在するし、ブッダも輪廻とそこからの解脱を説いていた」
という立場に立っている。
注意すべきは、信仰であるがゆえに本当の仏教(思想・哲学)ではないはずの
大乗仏教においてこそむしろ輪廻が否定される傾向にあり、
本当の仏教は哲学・思想だとする立場をとっているはずの宮元や石飛、
そしてその二人がシンパシーを感じているらしいテーラワーダ仏教においてこそ
むしろ輪廻が肯定されているという事実だろうな。
信仰、神秘主義的な大乗的仏教理解を否定し、
思想・哲学として、論理的な側面から仏教を考える立場においてこそ
輪廻が肯定されているという矛盾的な事実。
俺はべつに仏教に詳しいわけじゃないので詳細な事情は分からんが、
たしかにこれは不可解ではあるわな。
- 329 :考える名無しさん:2007/11/17(土) 01:53:08 0
- スマナサーラ著「仏教は心の科学」はニセ科学w仏教への冒涜w
http://anond.hatelabo.jp/20070430010759#tb
やっぱりトンデモでしたwwwwポモと同類wwww
そしてこんな本を書く人物が統括するテーラワーダ仏教とやらを支持した副島も
やはりポモと同類のトンデモということが確定しましたwwww
- 330 :考える名無しさん:2007/11/17(土) 12:10:22 0
- おいおい。
副島を批判するならちゃんと文章を読んでから非難しろよ。
副島自体はテーラワーダ仏教など調べた事もないし、話題に出た事もない。
副島の弟子が副島の仏陀論に触発されて自分で仏教を調べて、宮元啓一氏と
石飛道子氏にいきついただけだ。それで読んで見るかとなっただけだ。
副島が影響を受けたのは中村元(なかむらはじめ)が訳した、「スッタニパータ」
(ブッダのことば、岩波文庫、1984年)だけだ。
- 331 :考える名無しさん:2007/11/17(土) 12:23:10 0
- [488] 私は、インド、ネパールの旅から帰ってきました。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2007/03/08(Thu) 19:37:46
横山全雄(よこやまぜんのう)老師へ
2007年3月8日
やはり、日本では中村元(なかむらはじめ)が訳した、「スッタニパータ」(ブッダのことば、岩波文庫、1984年)と
「ダンマパーダ」(真理のことば、その一部が法句経、岩波文庫、1978年)だげが、ブッダ本人の言葉でしょう。
私は、中村元が、東大を定年退官してから、本当に自由になって、「お釈迦様の本当の言葉、教えは、これだけなんだ」と、
激しい真実暴露をやったことの凄(すご)さを、今更ながらに思います。
私は、あのころ学生で、友人の東大生に、「久我山(くがやま)に、中村先生が住んでいるから、遊びに行かないか」と
誘われたことがあるのです。そのころ、私は、その東急井の頭(いのかしら)線の久我山のアパートに住んでいたのです。
故・中村元に会いにいっていればよかった。あの頃、中村元が与えた日本の仏教界の各宗のインテリ理論家たちに与えた
衝撃は、ものすごく大きかったのだと思います。
(引用貼り付け終わり)
- 332 :考える名無しさん:2007/11/17(土) 12:49:51 0
- 僧侶の河口慧海(かわぐちえかい)が、1898年(明治30年)からインドに入って、のちに、
(「西蔵旅行記」(あるいは「チベット三年記」)を書いたその足跡も私もネパールまで、
行ってみて、カトマンドゥーからポカラまで飛んで、「彼は、こんな道を歩いて、ヒマラヤを
越えて、チベットまではいっていったのか」 と実感で分かりました。
彼ら、明治になってからの、日本の高僧たちは、本物は、すべて日本のウソ仏教への、
激しい疑念の気持ちを持って、そして、大乗仏教(だいじょうぶっきょう、Mahayana
マハヤーナ)という大嘘を、暴くために、それで、死ぬ気で、本場の発祥の地のインドに入っていったのだと、
よく分かりました。その「大きな真実の暴き」の気迫が、他のなにものにも代えがたく何よりも大事
なのだと私にはいよいよ分かりました。
ゴータマ・ブッダその人の思想は、日本の小思想家である、小林秀雄が言った「無私(むし)」 とか、
漱石の「則天去私(そくてんきょし) 」などではなくて、 無我(むが) そのものである。
日本でだけはやった、「道心」(、どうしんみちを究める)などではない。
諸行無常の「無常」(つねなるものはない)などではなない。 無常観など、ブッダの教えと無関係だ。
ただひたすら 無我(むが、おのれの存在の否定)そのものだ。縁起(えんぎ)などでもない。
四諦(したい)まではいいけど、八正道(はっしょうどう)も怪しい。
ナーガルジュナ(竜樹)の、唯識(唯識)や阿頼耶識(あらやしき)などの中観(ちゅうがん)
ですらない。それらも、ブッダ本人は言っていない。チベット仏教で発生した、マントラ(密教、
=真言しんごん、加持祈祷 )の類も、一切、ブッダ本人とは、関係ない。
- 333 :考える名無しさん:2007/11/17(土) 13:03:15 0
- [488] 私は、インド、ネパールの旅から帰ってきました。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2007/03/08(Thu) 19:37:46
この世の一切を、根底から批判しつくそうという、私の気迫を、横山老師なら、分かってくださるでしょう。
私が、これまでに、冗談で、あれこれの真実暴露の、恐ろしい本 を冗談で書いてきたなどど、思っている
ような連中は、全部、激しい、やけどを負わせてやろうと思います。 私の頭脳と思想が、そこらの生来の
軽度のキチガイたち程度に、負けるわけがないのです。
- 334 :考える名無しさん:2007/11/17(土) 13:03:56 0
- 僧侶の河口慧海(かわぐちえかい)が、1898年(明治30年)からインドに入って、のちに、(「西蔵旅行記」
(あるいは「チベット三年記」)を書いたその足跡も私もネパールまで、行ってみて、カトマンドゥーからポカラ
まで飛んで、「彼は、こんな道を歩いて、ヒマラヤを越えて、チベットまではいっていったのか」 と実感で
分かりました。
彼ら、明治になってからの、日本の高僧たちは、本物は、すべて日本のウソ仏教への、激しい疑念の気持ちを
持って、そして、大乗仏教(だいじょうぶっきょう、Mahayana マハヤーナ)という大嘘を、暴く
ために、それで、死ぬ気で、本場の発祥の地のインドに入っていったのだと、よく分かりました。その
「大きな真実の暴き」の気迫が、他のなにものにも代えがたく何よりも大事なのだと私にはいよいよ
分かりました。
ゴータマ・ブッダその人の思想は、日本の小思想家である、小林秀雄が言った「無私(むし)」 とか、
漱石の「則天去私(そくてんきょし)」などではなくて、 無我(むが) そのものである。 日本で
だけはやった、「道心」(、どうしんみちを究める)などではない。
諸行無常の「無常」(つねなるものはない)などではなない。 無常観など、ブッダの教えと無関係だ。
ただひたすら 無我(むが、おのれの存在の否定)そのものだ。縁起(えんぎ)などでもない。
四諦(したい)まではいいけど、八正道(はっしょうどう)も怪しい。
ナーガルジュナ(竜樹)の、唯識(唯識)や阿頼耶識(あらやしき)などの中観(ちゅうがん)
ですらない。それらも、ブッダ本人は言っていない。チベット仏教で発生した、マントラ(密教、
=真言しんごん、加持祈祷 )の類も、一切、ブッダ本人とは、関係ない。
- 335 :考える名無しさん:2007/11/17(土) 13:05:54 0
- 遠藤周作(「深い河」という作品がある)や、高橋和己(たかはしかずみ、「西方浄土論」のようなもの)や、
三島由紀夫(「暁の寺」のなかの竜樹=ナーガルジュナ=論 ) の聖地ベナレス(バラナシー)への言及にも、
私は、今では、大いに異論があります。現地まで行ってみて、私に分かったことがいろいろあります。私は
それらをおいおい書きます。
仏教(ブッダのことば)は、徹底的に、無神論である。ブッダは、一切の神を信じない。 空(くう)とは、
絶対的に 無 のことである。これ以外の解釈はすべてウソだ。 死ねば一切が、消える。すべては、無だ、
という思想です。出家した者は、生きている限り修行だけせよ。
ただし、いたずらに激しい修行(苦行)などはするな、という一点で、彼は、悟った。そして、悟り(正覚)
というには、解脱(げだつ)で、ブッダが6年間厳しい修行をして、35歳で到達したのですが、この「解脱
(げだつ)」というは、ヒンドゥーの思想そのものであって、仏教に中には、それに相当する言葉がない。
- 336 :考える名無しさん:2007/11/17(土) 13:06:42 0
- ブッダの80歳での死のことを、涅槃(ねはん、ニルヴァーナ)と言って、入寂、仏滅ですが、こっちが、本当の悟り
(understanding、deliverence )というのではないですか。 仏教には、 悟り(解脱)というのは無いはずです。
仏教(釈迦の教え、ブッダの言葉)は、徹底的に、死ねばすべてがおしまい、消えてなくなるのだ、という思想です。
ブッダのあとから現れた、歴代の各国のアホたちが、のちのちの高僧どもとなって、何を言ったかは、一切、問題
ではない。ブッダがしゃべった言葉だけが、本物の仏教だ。それ以外は、ずべて、ウソだ。でっち上げです。
ですから、日本で、空海、最澄、親鸞、日蓮やら、栄西、道元やら、を崇拝するなら、どうぞ。それぞれの
教祖様として崇めればいい。それが人それぞれの宗教ですから。「しかし、お釈迦様本人は、そんなことは、
どこにも言っていないからな」「証拠を出してみろ」という、私からの、攻撃を彼らは受けることになります。
私は、ゴータマ・シッダールダ本人が、しゃべった言葉、以外は、絶対に、仏教(ブッディズム)ではない、
と原理的に決め付けます。そして、一切のウソを排除します。相手が、誰だろうと、いい加減なことを言う者を、
すべて言葉の力で、切り殺す。(このことの大前提として、その人が、その人の、自分の考えを言うのは、
その人の自由です。私は何も言いません。ご自由にどうぞ。 )
- 337 :考える名無しさん:2007/11/17(土) 13:08:03 0
- ブッダの思想は、全部、全部、すべては無に帰ってゆく、という思想です。 こういうこともよく分かってきました。
今から、私は日本のウソ仏教の、壮大な馬鹿な各仏教教団を、徹底的に、たたきます。
東大の、印哲(いんてつ)の教授どもの渡邊照宏(わたなべしょうこう)だろうが、前田恵学(まえだけいがく)
だろうが、平山彰(ひらやまあきら)だろうが、山口瑞鳳(やまぐちずいほう)だろうが、すべての、彼らの、
大乗仏教論の、わけの分からない、むずかしい言葉を並べつくす、虚妄の「日本仏教学」など、叩き壊すべきだ。
彼らにしてみれば、厳格な自己正当化として、「私たちは、仏教の経典の厳密なテキスト・クリティーク(文献の
読み込み、翻訳)をやっているだけです。学問とは、古典文献を正確に解読することです。それだけです。その
厳しい修練です」という一点に、立てこもっている。そのことは私にもよく分かります。 こいつらが、現代の
比叡山延暦寺(天台法華宗)であることは自明です。
やはり、日本では中村元(なかむらはじめ)が訳した、「スッタニパータ」(ブッダのことば、岩波文庫、
1984年)と「ダンマパーダ」(真理のことば、その一部が法句経、岩波文庫、1978年)だげが、ブッダ
本人の言葉でしょう。私は、中村元が、東大を定年退官してから、本当に自由になって、「お釈迦様の本当の
言葉、教えは、これだけなんだ」と、激しい真実暴露をやったことの凄(すご)さを、今更ながらに思います。
- 338 :考える名無しさん:2007/11/17(土) 16:32:03 0
- >>332
>ナーガルジュナ(竜樹)の、唯識(唯識)や阿頼耶識(あらやしき)などの
>中観(ちゅうがん)ですらない。
これホントにソエジの文章?
思いっきり無知晒してんじゃんwwww
龍樹さんや中観派は唯識や阿頼耶識なんて一言も言ってねーぜよ?wwww
むしろ唯識と中観は犬猿の仲なわけだが
- 339 :ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/17(土) 17:14:36 0
- >>337
>やはり、日本では中村元(なかむらはじめ)が訳した、「スッタニパータ」(ブッダのことば、岩波文庫、
1984年)と「ダンマパーダ」(真理のことば、その一部が法句経、岩波文庫、1978年)だげが、ブッダ
本人の言葉でしょう。
訳者の中村元が自身が「スッタニパータ」と「ダンマパダ」のすべての言葉がブッダの言葉を
そのまま伝えているなどとはいっていない。それらの本の解説や注釈を読んだ上で言っているのか?
- 340 :考える名無しさん:2007/11/17(土) 21:56:17 0
- ↓これはかなりの名作だと思う。
tp://www2.ihn.jp/~seraburu/juu0.html
「輪廻が無ければ仏教の論理は成り立たないし悟りもない」というテーラワーダ系の主張は
上記の論文によって覆されるのではあるまいか。
- 341 :考える名無しさん:2007/11/18(日) 07:11:10 0
- >>338
副島の文章にはそういう細かな間違いが結構ある。
それは副島の弱点だが、それは問題ではないと思う。
>>339
「ブッダのあとから現れた、歴代の各国のアホたちが、のちのちの高僧どもとなって、何を言ったかは、一切、問題
ではない。ブッダがしゃべった言葉だけが、本物の仏教だ。それ以外は、ずべて、ウソだ。でっち上げです。
私は、ゴータマ・シッダールダ本人が、しゃべった言葉、以外は、絶対に、仏教(ブッディズム)ではない、
と原理的に決め付けます。そして、一切のウソを排除します。相手が、誰だろうと、いい加減なことを言う者を、
すべて言葉の力で、切り殺す。(このことの大前提として、その人が、その人の、自分の考えを言うのは、
その人の自由です。私は何も言いません。ご自由にどうぞ。 ) 」
中村元が副島に影響をあたえたのはこのことだろ。
このことが分からなければいつまで真実にたどりつけないという事だろう。
誤解や人騙しやカルトが広まっていくだけだ。
仏陀が言った言葉しか仏教として信じない。
スマナサーラだろうが空海が言おうが、日本の仏教集団や、外国の
仏教団体が何を言おうが、仏陀の言葉だけが正統性があるってことだろ。
- 342 :ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/18(日) 09:00:49 0
- >>341
>ブッダがしゃべった言葉だけが、本物の仏教だ。
江戸時代の学者、富永仲基も「出定後語」で同様のことを言っている。
お経のほとんどはブッダの言葉に後の人たちが「加上」したもので
ほんとにブッダの言わんとした言葉ではないと。
でも現在残されたアーガマからブッダの言葉を選択するなんてできる
かな?選別の基準にすでに先入見が入ってしまう。ブッダはかくあるべき
という価値評価が入ってしまう。
歴史史料としての文献批判は難しいだろ。
- 343 :ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/18(日) 09:58:25 0
- 以前さるフォーラムで仏教についてえんえんと議論したが結局
結論は仏教は4法印だけでよいだろうということだった。
「諸行無常 ゆえに 諸法無我」
「一切皆苦 ゆえに 涅槃寂静」
- 344 :考える名無しさん:2007/11/18(日) 11:06:47 O
- 四法印自体大乗仏教
- 345 :考える名無しさん:2007/11/18(日) 13:43:23 O
- ブッダがしゃべったことだけが本物の仏教 というのも仏教解釈の一つにすぎない。目立ちたいだけと思われる。
日本では、釈尊の開いた仏教が中国経由で来たものを仏教と呼んでいる。それをもって仏教としている。
例えて言うならソニーがつくった携帯型蓄音機をウォークマンと呼び、それ以外のメーカーが作った同種のものはウォークマンでないと言っているようなもん。
- 346 :考える名無しさん:2007/11/18(日) 17:29:40 0
- >>ブッダがしゃべったことだけが本物の仏教 というのも仏教解釈の一つにすぎない
↑は分からなくも無いが、だったら仏教などというのをやめてしまえ。
新しい宗教でもつくればいい。そして、それを仏陀の教えなどと言うな。
>>日本では、釈尊の開いた仏教が中国経由で来たものを仏教と呼んでいる。それをもって仏教としている。
だから糞になったんだろ。
例えばフランス人がたまたまブラジルに来て、そこでブラジル人から日本文化を
学んだとしよう。そしてこのあと、このフランス人がブラジル経緯の日本文化しか
認めないとなったらどうなる?どんだけ捻じ曲がった日本文化理解となる分かるか?
こういうことなんだよ。
- 347 :ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/18(日) 17:43:36 0
- 「諸法無我」という教えを「仏教」に適用すれば
これであれば仏教であるという仏教の自性は示せ
ないということだから、何が「仏教」であるかな
んて「仏教」としてはどうでもいいことだね。
むしろこれで無ければ「仏教」でないという「こだわり」
を持つことこそ仏教としてふさわしくない。
- 348 :考える名無しさん:2007/11/18(日) 17:51:17 0
- >>347
その考えが320の
「また、ブッダは、信仰を捨てて真理の道へいくことが、自らの体験で難しいとわかっているから、
信仰をすてるための修行をさせている。しかし、民衆は修行に耐えれなくなった。そこで、民衆は
真理ではなく、信仰を求めるようになった。
これが大乗仏教である。空なんだと思え、あるいは、唱えろ、極楽を信じろ、という信仰だと考える。
大乗仏教は信仰であるがゆえ、よいと思った信仰はどんどん取り入れられる。こうして、大乗仏教は、
どんどん派生していったのだろう。大乗仏教は信仰である以上、本当の仏教(哲学)ではない。」
というような状態を生んだんじゃないか?
- 349 :考える名無しさん:2007/11/18(日) 17:58:22 O
- 独覚界としての芥川龍之介や太宰治(作家)、レーニンや孫文(作家)もしくは菩薩道としてのマーティー=ルーサー=キング、ガンディー、レノン。如来としての釈迦
- 350 :考える名無しさん:2007/11/18(日) 18:06:24 O
- 釈尊は、自灯明法灯明って言ってるだろ。つまり釈尊がいったことより大事なことがある。
それがブッダの教えだ!
- 351 :考える名無しさん:2007/11/18(日) 18:09:11 O
- 西遊記に示されるように妖術(力)を持つ強い猿も気づいてみれば仏の手の平の中で暴れていただけのことになる。実際に力をもつということは権力がすべての人を掌握するということになる。今みんなが欲しいのは力だ。社会に出ればわかることだが。しかし如来や仏はこれを否定する
- 352 :考える名無しさん:2007/11/18(日) 18:24:47 O
- それは力が悪いというのではなく力があってもそれは一時のこと。長い目でみれば勃興も繁栄も最後には衰退する。恨みをかっていればそれが子孫に災いとなって振りかかる。仏が見るのは長い長い時間の流れと大宇宙の根源となる真理だろう。
- 353 :ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/18(日) 18:27:01 0
- >>350
釈尊はブッダじゃないの?
- 354 :考える名無しさん:2007/11/18(日) 18:49:08 0
- 涅槃像が寝はんぞう…
って、やかましいわwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
- 355 :考える名無しさん:2007/11/18(日) 19:37:12 O
- ブッダのことばの中に大乗仏教の正当性が証明されているわけだが。
- 356 :龍宮:2007/11/18(日) 20:08:09 O
- 仏界というは自由自在の世界のことなり。それは即ち真理の糸を辿り生きること。自然も社会も人も動物もすべて幾重にも重なりあってできている。それは非常に難しい。そこには真理がある。真理のなかには善も悪もあり光も闇もある。しかし糸は糸。それは決まっている。
- 357 :龍宮:2007/11/18(日) 20:21:29 O
- 糸は幾重にも重なって見えにくい。この糸を正しく辿ることこそ良き道があるというもの即ち八正道(正見、正思、正語、正業、生命、正精進、正念、正定)しかし世界は厳しい。非道もある。非情もある。そして道はいくつもある。無理をせず柔軟に安全に進むべきだ。道中気をつけて
- 358 :龍宮:2007/11/18(日) 20:33:10 O
- 糸は糸。糸は過去蓄積された産物だ。目の前にある物質も人も人以外の生き物も意識も精神も無意識や目に見えぬ繋がりもすべては決まっている。しかしそれはコスモス(構造)だ。だから時にはそれがカオスにもなる。そして道は決まっていない。道は出来るもの
- 359 :龍宮:2007/11/19(月) 18:13:47 O
- あげだ
- 360 :考える名無しさん:2007/11/19(月) 23:11:16 0
- >>358
改行しろ。
- 361 :考える名無しさん:2007/11/21(水) 01:35:01 0
- l l `′ ,、 `ー'´ / ヽ /`ヽ
/ / /フ | | r-、 `ー' `ー′
L__/ r"> // | | ヽヽ
,.._ / / { { || 〉〉 ,-、
// { { い | | /ノ / / ,、
{ { ヽヽ、 ヽ`'二_二' / / / / ノ
/7 ヽヽ、 `'-ニ,/´_=;;;;=_ ヽ`ニノ / /
{ { `ー-`ニニ /r'゙_ ヽ / _`',`ー-‐'´ノ r'7
ヽヽ、 _,.ノl=・=-.∴.-=・=!'-ニ二__//
「`! `'-`ニニ二-ァ | `ー'_ !」 _ー' |ヾー―---‐'´ ,-、
l ! ,. -'´ri |l ‘~`ー'~′ l| r‐`ニニ'ー- 、_//
ヽ、ヽ--―'ニ ‐'´ {ヾ ! ,r;'ニーニヽ、!l/}ヽ、 ``ー‐'´_
__ ``'' ''´ /,トミ! ir,!-┴-!、ヾ, !'/\ヽ、_ /ノ
い、 ///ハ||′-―-、`|||' l ヽ `ヽ、二./ こらまんじゃ夫馬いっちょ
\`ー―'ニ´‐',/ ! ||!/ ヽl|| lヽ \ ,-、 おまんじゃえーじゃよなw
,、 ̄ ,. -'_/ ! ||!______l|| l \`ー‐'´ ノ
── = ニ /=、。。。。。。。。。。。。。。。。r=、ヽ
─ =ニ三 (◎ ヽ-─────(◎ )
ノ◎、 |\ \ / / | /◎、
(_,rへ `ソ /> ◎) (◎く| レ' ,rへ )
─ = ニ \◎'/ / \ ヽ、◎/
ノ / \ ヽ
─ =ニ三 ( ◎( ) ◎)
─ = ー、_ら ⊂、_,r´
- 362 :考える名無しさん:2007/11/21(水) 02:13:50 0
- テーラワーダの連中って何であんなに排他的で攻撃的なの?
そもそも長老の性格からしてそうだし
やはり破戒僧・外道と呼ばれていることに対するルサンチマン(=ルサウンチマン)の発露なんですか?w
- 363 :考える名無しさん:2007/11/21(水) 10:01:19 0
- スッタニパータや法句経(ダンマパダ)が、釈尊が語った言葉そのままだと
信じているってのは、なんつうか所詮何をやってもアマチュアの予備校教師の
限界なのかな。哀れだな。
- 364 :考える名無しさん:2007/11/21(水) 16:30:05 0
- テーラワーダの事務員がやってるブログ(東京寺男日記)も何か攻撃的。
自分ら以外の宗派に対して「バカ」だの「頭悪い」だの「程度が知れる」だの、
仏教者とは思えない下品な言動がちらほらと見受けられる。
- 365 :考える名無しさん:2007/11/23(金) 19:32:37 O
- 六道輪廻は人間の知性を取り払った人間の徳の高低を現す。簡単に言えば良い人は正直に生きているので優しい人の世界にいることになる(天道)。天界(天道)にいる人にも無論地獄から天までが訪れる。が酷い人間も不思議と何かがわかって天道には線引きをして近づかない
- 366 :考える名無しさん:2007/11/23(金) 19:44:53 O
- この六道はすべて人間の知性とは別につまりは「識」や「意」ではなく「心」の動きや働きにより常に良いところにいるか、または良いところに流れつく人かそうでないかによる。この六道は行方や道が良いか選択が正しいか誠実であるか正直かによる。住む世界の区分け
- 367 :考える名無しさん:2007/11/23(金) 20:15:25 O
- この六道に気づきそこから出て知性でこの六道輪廻を乗り越えようとする世界が声聞、独覚(縁覚)、菩薩、仏になる。ただこの世界はあくまで六道の域を出ていない。やはり知性があっても悪いところに行き着く人もいる。仏教の世界では誠実(天)の上の存在者となる
- 368 :考える名無しさん:2007/11/24(土) 21:14:13 O
- 菩薩界に達した人はみな人類愛を標榜する。菩薩の意味はその悟りによって得た利他自利の思想に基づく。菩薩界の人たちが苦心するのは心優しき知性態だけでは万人を救済できないところにある。そしてその良心とは裏腹に蔓延る裏切りや非道の穢土への悲愁にある
- 369 :考える名無しさん:2007/11/24(土) 21:44:42 O
- 菩薩道に必要なこと。仏教の世界では六波羅蜜による修業を菩薩に標榜する。即ち布施・自戒・忍辱・精進・禅定(ぜんじょう)・智慧(般若波羅蜜)。布施は自由であること。我執を捨てて物事を利益を考えて行動すること。所有物の意向を利他未分で考えること
- 370 :考える名無しさん:2007/11/24(土) 22:03:06 O
- 自戒は自分に正直であること。わだかまりがないこと。悪い状況悪い態度があった時それを包み隠さずに見ること。そもそもみな活きているのでどこまでいっても悪いことが無くなるということはない。問題は無理に自分をよくすることではなく無理なく自分をみられるかにある
- 371 :考える名無しさん:2007/11/25(日) 05:02:26 O
- 忍辱(にんにく)波羅蜜は世の中の不条理に耐えること。良いことをしているのに何か不都合があっても心を乱さず耐えること。布施波羅蜜も自戒波羅蜜も常にわだかまりなく無理なく良いタイミングで行うこと。波羅蜜はすべて空である時間
- 372 :考える名無しさん:2007/11/25(日) 05:10:32 O
- 次から次の世界に移り変わる時間を悟りその都度良い行いをしていくことの好機、意識の流れを読み取る訓練になる。菩薩道はそのためにある。仏教の世界では世界一般にある道徳とは違う側面がある。実は良し悪しは決まりから起こるのではなく
- 373 :考える名無しさん:2007/11/25(日) 07:54:06 O
- 良きことも悪きこともはその都度事情が変わる。本当に良いことはそれがすべてに取って良いことの綜合になる。ドフトエフスキーの思想はこの般若波羅蜜の本質の意味に近い。ある密教などの仏教思想には殺人も肯定するものがあるという。深入りすると少し危険な意味を帯びてくる
- 374 :考える名無しさん:2007/11/25(日) 08:16:14 O
- ただ仏教徒のその殆んどは殺生を否定するだろうし戒律を設けている。禅宗も浄土宗も日蓮宗も奈良系も真言宗天台宗もすべて戒律を設けている。それからオウムの行き過ぎた「ポワ」も基本はその意味だが私利私欲や煩雑からくる非道である。本質を間違えてはいけない
- 375 :考える名無しさん:2007/11/25(日) 20:31:37 O
- ねはん
- 376 :考える名無しさん:2007/11/26(月) 12:13:47 O
- 大河のような流れ
- 377 :考える名無しさん:2007/11/27(火) 01:12:26 0
- 涅槃=ジャック・ラカンの言う現実界の境地
と勝手ながら考えているんだが、どうだろう?
- 378 :考える名無しさん:2007/12/02(日) 12:12:17 O
- 精進波羅蜜。人間は時間の流れと共に変化する。都度の発展・発達の精神。正法眼蔵「寸陰をすごさず精進弁道すべし」常にどんな状況にあっても発展を望む心。
- 379 :龍宮:2007/12/02(日) 12:17:38 O
- 禅定波羅蜜。もともとの禅の意味は精神がひとつに統一されたかたちをいう。手を合わせた合掌も心を合わせて一になった状態を表す。人と人との関係も時間の中で心が合わさる。それこそが万人の真の目的であって人類に限らず万物はすべて禅を欲す
- 380 :龍宮:2007/12/02(日) 12:21:20 O
- 心の平静や平安は安定を意味する。禅の意味もすべては心の統一に集約されよう。ただ妙なもので時間は一定を許さない。人間も安定の次には破壊や変化を求める。これはすべての元凶ではあるが間違いなく必定。
- 381 :龍宮:2007/12/02(日) 12:36:25 O
- 禅と変化は表裏一体であって、仏教はやはり仏陀(ビシュヌ)の教えによって平静(涅槃寂滅)を説く。曹洞宗の只管打坐は臨済宗の公安禅よりこの考えが深い。問答禅はもっと現実に即して禅の意味を説く。仏教の考え方が平静至上主義の考え方に依っているのであれば対抗するであろう
- 382 :考える名無しさん:2007/12/02(日) 20:12:29 O
- 大河
- 383 :考える名無しさん:2007/12/03(月) 19:47:28 O
- 斯くして菩薩は智慧(般若波羅蜜)に至る。仏の行いはすべてを統合する。すべては方便として生き年生ける者を悉く救済する。仏の智慧は悟りの極致に達しその一挙手一踏足には無駄がなくまた無理がなく瞬間、万物に与える作用は珠玉のような徳を備えている。
- 384 :考える名無しさん:2007/12/03(月) 21:08:37 0
- 「前の燃料が尽き果て、
次の燃料が与えられないのだから、
消滅するほかはない」
ということだ。
- 385 :やみ:2007/12/05(水) 00:19:23 O
- 燃料とは面倒な。世界は確かにその通りにある。が、すべてはよくよく智慧を働かせて選ぶといい。
- 386 :考える名無しさん:2007/12/08(土) 13:31:53 0
- 涅槃とは虚無。解脱(一切の煩悩から逃れた)した人が死ぬと涅槃に至る。
解脱してない人が死ぬと輪廻する。悟りとは、そのことを理解すること。
よって、悟り→解脱→涅槃と進む。
涅槃即虚無
- 387 :考える名無しさん:2007/12/08(土) 13:34:40 0
- 解脱したからといって何事にも動じないわけでもないし、
肉体的苦痛から解放されるわけでもない。釈迦も晩年は
足腰の痛みで顔をゆがめていた。
「お釈迦様、チャックが・・」と言われれば、慌てて
股間に手をやる。
- 388 :考える名無しさん:2007/12/08(土) 13:36:30 0
- 無記については誤解が多い。
- 389 :考える名無しさん:2007/12/11(火) 20:23:16 0
- ageyo
- 390 :考える名無しさん:2008/01/12(土) 08:50:37 O
- あげ
- 391 :考える名無しさん:2008/01/12(土) 14:28:52 0
- 涅槃を唯一達成可能な状態ってつまり死だと思うんだけど
どうだろうか?
- 392 :初夜の鐘さん:2008/01/12(土) 15:13:24 0
- 人間=おサルって以上は・・・ね。
- 393 :考える名無しさん:2008/01/12(土) 18:46:23 0
- >>391
死んでからの涅槃=無余涅槃
生きたままの涅槃=有余涅槃
ちゃんと区別されている。
- 394 :イモ欽トリオさん:2008/01/13(日) 18:20:35 0
- ♪♪ 100%片思い グッと迫れば 無理、無理 ベイビー
- 395 :考える名無しさん:2008/01/13(日) 19:16:35 0
- おまいらのなかに、悟ったり、解脱したり、有余でも無余でもいいが
涅槃に達した奴が一人でもいるのか? いねえだろ(ドットコムは除くw)
それでこんなこと話してても、童貞が集まってセックスはどんなものか
想像で語り合ってるようなもんだろ?
- 396 :考える名無しさん:2008/01/13(日) 19:26:57 0
- 涅槃にたどり着くには、どうすればいいの?
たどり着いた人、具体的に教えてくだされ。
- 397 :考える名無しさん:2008/01/13(日) 20:12:25 0
- 精神の躁鬱を自在にコントロールできる状態、それを涅槃という。
- 398 :考える名無しさん:2008/01/13(日) 21:13:51 0
- >>396
いるわけねえだろ。キチガイを呼び寄せたいのか?
- 399 :考える名無しさん:2008/01/13(日) 23:07:05 0
- 性行為で得られる快感から、下半身の快感を抜き取った感覚。
脳だけでイき続けるような状態、それが涅槃。
- 400 :考える名無しさん:2008/01/13(日) 23:38:11 0
- 涅槃は、もういい
- 401 :考える名無しさん:2008/01/16(水) 01:24:35 0
- 結果より内容重視!
ちょうど、松本のちづちゃんの逆を行けばイイ!www
- 402 :考える名無しさん:2008/01/16(水) 02:33:37 O
- 餓鬼界に入った
- 403 :考える名無しさん:2008/02/05(火) 10:19:17 O
- なむしんにょいちにょだいはつねはんきょう なむしんにょいちにょだいはつねはんきょう なむしんにょいちにょだいはつねはんきょう
- 404 :考える名無しさん:2008/03/23(日) 19:33:49 O
- 「ひかりごけ」でも読むがいい
- 405 :考える名無しさん:2008/03/23(日) 19:44:51 0
- カスみたいな奴が偽サヨクに祭りあげられて
どんどん死んでるだけですよ
- 406 :考える名無しさん:2008/03/23(日) 19:49:29 0
- イースターの祭りですか
- 407 :龍宮:2008/04/04(金) 18:57:30 O
- 暴力で人は死ぬか?または暴力の連鎖は良心を殺すか?答えは否だ。女はこのことに気づきしかしそれでも暴力を許すだろう。しかしみんな間違いがある。俺は今の女の生き方を絶対認めない
- 408 :龍宮:2008/04/04(金) 20:34:23 O
- 俺の代でなるかはわからないがヒュンダイが一度は政治をやる。そうでなければ世界の問題は解決しないだろう
- 409 :考える名無しさん:2008/04/05(土) 20:23:52 O
- すべての物事は無限に連なりあって関係しあっている。人間の関係から生物、物に至るまですべての物事には関係があって絶えず動いている。今の人間の関心は専ら悪にある。
- 410 :考える名無しさん:2008/04/11(金) 18:26:42 O
- 生き年生けるもの 万物 物部(物述) 武田勝頼 信勝 親子 天目山 佐賀県 山形県 ラップと海賊 春うらら
- 411 :あめのみやつこ(し):2008/04/11(金) 20:00:25 O
- 人は生まれ育ち子を産み老いを迎え死に逝く。人は人に出会いそこに性が合わさり相となりそれが力となる。そして力はひとつの実を結び子が生まれ育まれてそれが永遠と続いているわけだ。合わさるというのは自然なことなので組み合わせには妙がある
- 412 :あめのみやつこ:2008/04/12(土) 07:36:04 O
- 妙は妙を呼び起こす。我々の幾千億の親たちもみんなどのように結び付いてどのように生きてきたかで我々自身がある。だからみんな誰とでも繋がっていいということはない。だから大きくいえば自由恋愛はない。しかし恋愛は自由なのである
- 413 :あめのみやつこ:2008/04/12(土) 07:41:33 O
- 否応なしにある人と人との結びつきには争いとなる要因がある。しかし自然には勝手に人と人とは結びつくものだ。ある種の人がある種の人に会い結びつくとそれが戦争の直接的な要因になることがある、だから逆に人と人との結びつくことには人為的または神的な手が加えられる
- 414 :あめのみやつこ:2008/04/12(土) 07:58:00 O
- 人と人とは結びつきとは反対にある種の人と人とは遠ざかる。それは類的にはみんなどちからに共鳴する。どちらの類に依るかということで類はどんどん遠ざかり時間の莫大な量により戦争が勃発する。あまり目にはみえないが争いの原理はかわらないだろう
- 415 :あめのみやつこ:2008/04/12(土) 08:05:36 O
- 現代では人はこの結びつきを嫌っている。我々は隣人と結びつかないことが美徳とされ過去にあった悲劇や悲惨な出来事を嫌っている。逆に隣人との結びつきへの嫌悪は社会からの孤独な群衆をつくりあげ人は結びつきの代償を死せる魂(物質)に求めるようになった
- 416 :考える名無しさん:2008/04/12(土) 22:50:50 O
- しょうがないではすまされないわけだが。極端なこと言えば俺は悪いところを無くして死と苦しみから逃れるだけだ。あとはおまえらが悪いといって終わり
- 417 :考える名無しさん:2008/04/12(土) 23:23:35 0
- どのように結びつこうが勝手だが、世間、社会、権力、為政者などに
遠慮するのが民間人といふものだ。
- 418 :あめのみやつこ:2008/04/17(木) 19:50:47 O
- そういう私でありたい
- 419 :考える名無しさん:2008/04/17(木) 20:06:24 O
- 菩薩道としての知恵。高度情報化社会の中の菩薩行。人と人。複雑怪奇な社会人。そこから離れようとする自分。普賢菩薩よ。丘の上にいる地蔵菩薩よ。私は離れたいのだ。しかし離れずに後少しいよう。だから教えてほしい。時間は過ぎ行く。しかしいっこうに核へ辿りつかないのだ
- 420 :考える名無しさん:2008/04/18(金) 18:59:11 O
- 俺はあまりにすべてを中途半端に来すぎたのかもしれない。 「あなたはどこに行きたいですか」 「ニルバーナ」
- 421 :あめのみやつこ:2008/04/19(土) 16:13:04 O
- 雨降りそう
- 422 :あめのみやつこ:2008/04/20(日) 17:56:01 O
- 人間は結びつく。国家・地域・社会から組織・友達関係に至るまですべて人間の結びつき(構造)によって出来上がっている。重要なことは結びつきにはすべて意味がある。人間(性)は人間(性)と合わさった瞬間に「対」ができる。「対」はそのまま「力」流道性として時間となる
- 423 :(酔)命のり短パン:2008/04/20(日) 18:12:49 0
- へー
- 424 :(酔)命のり短パン:2008/04/20(日) 18:16:07 0
- 涅槃で待たれても。。。。
ねぇ?
- 425 :あめのみやつこ:2008/04/20(日) 18:28:44 O
- 横浜ブルースみたいなものだよ
- 426 :(酔)命のり短パン:2008/04/20(日) 18:51:00 0
- 言わんとしている意味がわからんな。
あめのみやつこ
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