罪悪感の正体ってなんなの?
- 1 :考える名無しさん:2007/11/09(金) 03:46:07 0
- マジでなんなの?
- 2 :考える名無しさん:2007/11/09(金) 04:08:35 0
- 正体というからには、それは仮初のものに過ぎないと言いたいのだな
- 3 :考える名無しさん:2007/11/09(金) 04:11:02 O
- 自分の行いが本当に正しかったのかという疑問 + 客観的にはそれが悪い。という考え。
- 4 :考える名無しさん:2007/11/09(金) 04:37:15 0
- 罪悪感は生命力を低下させる感情。
罪悪感をなるべく感じないで暮らせる生き方を宗教は説いた。
反して罪悪感を感じるのは宗教のせいなのだと哲学者は説いた。
前者は潔癖症になり後者は発狂した。
子供を殺すなどの酷い行為をしてしまったなら、
筋金入りの精神病でなければ、罪悪感の処理のために
宗教に救いを求めるものなのではないだろうか。
- 5 :考える名無しさん:2007/11/09(金) 05:00:50 0
- 宗教はむしろ罪悪感を強調させるのではないだろうか
そして哲学こそが、そんな宗教が強める罪悪感からの解放を
目指している気がする。まぁ、知らないけど。
唯物論者になれば罪悪感なんて妄想だよ、きっと。
- 6 :考える名無しさん:2007/11/09(金) 05:58:41 O
- 背徳感、つまり倫理感によるもんだと思う
キリスト教は生まれながらに皆罪人だと教え、悔い改める事が大事だという
- 7 :考える名無しさん:2007/11/09(金) 06:54:00 0
- 宗教があろうと無かろうと罪悪感という感情は存在し続けるよ。
人が産まれたら親に育てられる。誰もが幼児期に親に躾をされる。
親が怒るような事はまずいと思うようになる。
それによって正常な脳の機能構造が出来てくる。罪悪感は規範意識の
根本であり、それが壊れたら規則的に生きられなくなる。狂気に陥る。
哲学的屁理屈で罪悪感を消そうなどと無理な事を考えて、正常な脳の
自然性を破壊すれば、一時的な高揚感に酔えるが結局は気が狂うというわけ。
- 8 :考える名無しさん:2007/11/09(金) 07:09:43 0
- にーちぇを嫁
- 9 :考える名無しさん:2007/11/09(金) 07:27:33 0
- 都市伝説、オオカミに育てられた少女には罪悪感があるのだろうか
罪悪感は社会や教育の結果か。
それとも先天的なものか。
脳内化学物質の配合結果の産物か。
- 10 :考える名無しさん:2007/11/09(金) 17:30:44 O
- 都市に住んでから社会の中で暮らすにつれ倫理や罪悪感も構成されて行くと思う
きっと森には森のルールがあるは…ず
- 11 :考える名無しさん:2007/11/09(金) 17:37:22 0
- 遺伝子に組み込まれてる可能性も十分あるな
- 12 :考える名無しさん:2007/11/10(土) 11:06:35 0
- kagaku teki dana.
- 13 :考える名無しさん:2007/11/10(土) 19:29:47 0
- >>1
カント嫁
- 14 :考える名無しさん:2007/11/11(日) 12:15:27 0
- >>11
二重螺旋の○怖?
- 15 :考える名無しさん:2007/11/11(日) 19:39:15 O
- 生き物同士が共生する為に作られたと仮定すると
やはり遺伝子的な物かな
- 16 :考える名無しさん:2007/11/17(土) 20:52:07 0
- 罪悪感は強すぎても弱すぎてもいけないんだなと思う。
弱いよりは強いほうが他人にはいいんだろうけど、
自分にとっては自由な行動の束縛になるときがあるから。
- 17 :考える名無しさん:2007/11/17(土) 21:10:45 0
- 約束の時間に30分遅れて相手がキレたら罪悪感を感じるが、
30分遅れても全然怒らない相手だと約束の時間に遅れても
罪悪感をあまり感じない。
約束を破ることが問題なのではなく、相手の信頼を裏切った感。
無宗教の自分だってこのような罪悪感を感じるんだから、
宗教なんかが罪悪感の起源ではなく、信頼関係のある相手との関係性だろう。
- 18 :考える名無しさん:2007/11/17(土) 21:24:14 0
- 宗教が罪悪感の起源というよりも
人間が持っている罪悪感を強化する立場なのかもしれない。
罪悪感と名づけられるような何かは
社会や環境がその大きな要因だと思う。
- 19 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 02:45:32 0
- 良心の呵責だろう。
ところで良心って全人類に最初から備わってるものなの?
後天的に生成されるの?良心について賢い人はどう言ってますのん?
- 20 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 02:55:08 0
- デカルトが言ってたがすまんが炬燵から出て本を探すのが面倒なのでまた今度の機会に
- 21 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 03:05:24 0
- 自分自身を軽蔑する者も、なお軽蔑者としての自分を尊敬する
- 22 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 03:15:07 0
- 罪悪感は法律や道徳や宗教などに背く気持ち。
その基本にあるのは大事な人を困らせてしまったと後悔する気持ち。
人間にとって最初の大事な人は育ての親。次に兄弟や友達。
裏切った時の彼らの悲しむ表情が心に焼きつく。
自分にとって大事な人が困っている表情。これに反応して苦しむのは
先天的に脳にセットしてあると思う。そこから発展して法律や道徳や
ルールを踏み外すと苦しむようになっていく。
- 23 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 03:17:53 0
- それだけじゃないだろw
- 24 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 03:26:06 0
- >>22
根拠があやふやすぎてだめ
- 25 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 03:26:20 0
- だーから「そこから発展して」って書きましたあーってばあー
- 26 :22:2007/11/22(木) 03:27:52 0
- 22は根拠がしっかりしていて良い。このスレの中で一番説得力がある意見だ。
- 27 :22:2007/11/22(木) 03:39:55 0
- 社会の基本は家族。
親が「これは食べちゃダメ。ここでオシッコしちゃダメ。これを着なさい。
これを洗いなさい。ここで寝ちゃダメ」アレが悪いコレは良いと行動の
善悪を教えて出来なければ叩く子供は泣くほめられる善悪を覚える。
悪いことをしたらどういう気持ちになるか学習する。
育ての親の躾。これが罪悪感の基本ベース。そこから広がって学校の
先生友達先輩警察お客さん上司とルールを学習。
- 28 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 06:35:22 0
- >>26
自分で言っちゃったよw
- 29 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 09:53:29 0
- 罪悪感=自分が罰せられべきものであるという不安を伴った意識である、
と結論付けたくなるかもしれないが、これは浅薄かもしれないね。
仮におまいが人に何か害を与えたとして、
被害者がそれを責め、非難する場合と、
被害者がまったくおまいを責めようとしない場合、
この二つのどちらでおまいはより強い罪悪感を感じるだろうか?
- 30 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 11:53:58 0
- >>29 既出>>17
- 31 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 13:53:14 0
- 良心が先天的だとすれば
その良心から導き出される最低限の道徳だとか善は必然的に生まれるし
しかもそれは全ての人にとって正当性を持つって事だよな。
共通した良心が先天的ならね。
- 32 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 16:49:30 0
- 先天かどうかは分からないけど、どの地域の人々の生活様式にも見られる
共通の規範て抽出できそうな気がする。
- 33 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 18:16:13 0
- 感情や情動を分析するに当たってはまずそれが獲得されて有利に働いた形質なのではないか、という
推察から入るべし。
要するに自分よりも弱く支配可能な対象に対して、過度に暴力的な態度や攻撃を加えたときに不快感が発生する
ようにしておくことで、必要の無い、しかも自己の種にとっても危険であるような過度な闘争を減少させることが出来る。
この機能が(厳密には機能というには早いが)有利に働いて現在の我々の感情の一つとしても残っているのだろう。
然るに感情はほとんどこの現象として説明できる。
付け加えると感情は連続性を持つことで我々の自己の最大の要素となっているので、
どの感情もニセだとか重要じゃないなんてことはないよね。どれも大切。
- 34 :29:2007/11/22(木) 20:53:38 0
- >>30
俺は、>>17とはちょうど逆に、
人から責められない場合の方が罪悪感を感じるだろ、
と言いたかったわけだが、それも通じなかったか。orz
それにしても、>>29が>>17と同じことを言っているとしたら、
「これは浅薄かもしれないね」の意味が通じないだろ?
いったいどういう読解力の奴なんだ!
- 35 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 21:29:18 0
- 肉を食べることに罪悪感があります
動物を殺すのは残酷だと思うからです
だから肉を食べることが出来ません
しかし肉を食べないことにも罪悪感があります
自分は罪悪感を避けてるだけの偽善者ではないかと思ってしまうからです
だから肉を食べないことも出来ません
堂々巡りなんです
この問題を解決するにはどうしたらいいでしょうか
- 36 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 21:32:43 0
- ヒンドゥー教に改宗しなさい。
- 37 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 21:40:12 0
- >>35
魚を食べましょう。
- 38 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 21:45:52 0
- >>35
>だから肉を食べることが出来ません
>だから肉を食べないことも出来ません
どっちやねんっ!
- 39 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 23:04:44 0
- >>35
罪悪感を妄信するのではなく実際の悪を知ろうとすれば良い
肉食が悪だと結論すれば自ずと罪悪感は解消され
肉食は悪でないと結論しても同様だろう。
考えろ悩め堂々巡りしまくれ。
- 40 :考える名無しさん:2007/12/24(月) 11:52:26 0
- >>35
自分に正直になるか、
他人に自分を投影するか。
他人によく思われたいなら、
君の思う「彼らは私がこうすると偽善者ではないと思うだろう」という
虚像を信じればいい。
自分を保ちたいなら、
自分に聞け。
- 41 :考える名無しさん:2008/02/06(水) 09:16:11 0
- >>1
罪悪感というのは、人が神になろうとする欲望のことなのだよ。
- 42 :考える名無しさん:2008/03/10(月) 12:22:27 0
- 善と正義の混同?
- 43 :考える名無しさん:2008/03/20(木) 18:39:54 0
- 罪悪感なんて、ツンデレ専用の歪みにすぎないだろ。
罪悪感など感じたことがない。
有るんだって教え込まれても、身に覚えのない概念を信じ込むような面倒臭い生き方していない。
- 44 :考える名無しさん:2008/03/21(金) 10:58:38 0
- 不安感
不安感は言いようが無く、
ただただ、重圧として捉える人がいる。
「因果応報」の考えは宗教観が無くても
真理として世に通っている。
他人が、お前に対する害悪を「応報」と捉えて喜ぶことに
お前は恐れを抱いている。
集団真理がこあいのだろ坊ちゃんは?www
- 45 :考える名無しさん:2008/03/21(金) 18:59:09 O
- 罪悪感の正体は、親不孝。
親が子供の意志より自分のエゴを優先する親だったり
子供の幸せに嫉妬する親だと、幸せになるという当然の権利にすら罪悪感を持つようになる。
- 46 :考える名無しさん:2008/04/10(木) 20:36:25 0
- 親にかなり類似した人格の持ち主に嫉妬されて生きると、
まるで親にそう思われてる気になる。
人生後半でそんな経験をした。
- 47 :考える名無しさん:2008/04/11(金) 15:07:16 0
- ミラー効果でしょう
相手に怪我をさせると、その痛みを想像して気分が悪くなる。
少しでも気分を軽くする為に、謝る。
結局人間は自己中心的な生き物だから、結論はこんな感じ。
- 48 :考える名無しさん:2008/04/11(金) 22:17:44 0
- では相手の痛みを想像せず
謝らない人間の方が優れているということですか?
- 49 :考える名無しさん:2008/04/24(木) 23:10:19 0
- >>48
そもそも優れているとは何ぞや?
あんさんが、人の痛みが分からない人間を軽蔑していればいいだけの話ずら。あんさんがそう思うのは構わね。だが、押しつけはいかんずら。
ようすっに罪悪感を抱きやすいことが劣っているだの、あんさんみたいにヒューマニズムの原点だと感動するのも人それぞれということずら。
罪悪感の正体か・・・日常を逸脱した感覚をもち、自己矛盾の感情にうなされていることでしょう。
つまり、なれないことをすると、之でいいのかという動揺ですがな。自らの行動への自信の欠如。
- 50 :考える名無しさん:2008/05/04(日) 21:53:57 0
- 結局ソレが起こったってだけじゃダメなのかな?
- 51 :考える名無しさん:2008/05/04(日) 23:02:30 0
- 要するに、文化の積み重ねで形成され、成長過程で強く刷り込まれてきた価値観みたいなものだろう。
ニーチェは、貴族的価値基準に対抗して出てきたユダヤ僧侶的価値基準が、奴隷一揆で勝利を収めたときに出来た道徳観うんちゃらかんちゃら。
もちろんそれだけですむほど簡単ではないけど、道徳観がルサンチマンと畜群本能と関わっているのは確かだろうな。
そこんとこはKYとかいうクソみたいな流行語によく現れている。あれは罪悪感という概念を高いレベルで体現してるね。
まあ自分に恥ずかしくない生き方を(または日本人的に言えばお天道様≠竍世間様≠ノ恥じない生き方というのもあるか)しようと思うかどうかか。
- 52 :考える名無しさん:2008/05/05(月) 23:32:17 0
- 罪悪感を持たないとどこまでも進んでい行ってしまうから、それに対してある一定のストッパー
をかけるために、社会を保つために、社会のために作られた物ではないかと。
だから本来、人間自身に備わってはいない物なのでは?
- 53 :考える名無しさん:2008/05/06(火) 00:42:44 0
- 人間社会が存続するために進化心理学的に意味のある感情。
欲望のママに自分勝手に生きる人間が増えたら社会が壊れるので罪悪感がある。
人間は罪悪感を感じながら生きるべきなのだ。
罪悪感を感じずに自分勝手に生きるべきだという現代の病んだ価値観が、
自分の罪悪感をゼロにしたいという不自然な欲望を生みだし、
俗物によるニーチェの通俗的解釈とかトンデモ心理療法とか
薬物依存症とか自分探しの旅とかのインチキな流行に繋がっている。
- 54 :考える名無しさん:2008/05/06(火) 08:51:20 0
- 結局、ニーチェが生み出した思想によって、今の我々が得ているものっていったい何なのかな?
我々は彼から何を学ぶべきなのかな? 「欲望」の形を壮大に広げて収集をせず終わったため、悪い方面
ばかりにその思想が利用されている感じがするのだけど。
- 55 :心の仕組みドットコム:2008/05/06(火) 21:21:33 0
-
>>19
>良心の呵責だろう。
罪悪感は、その人の良心が知らしめるものです。
>ところで良心って全人類に最初から備わってるものなの?
>後天的に生成されるの?良心について賢い人はどう言ってますのん?
人は先天的に良心が備わる感性を持って産まれてきますが、其れなりの刺激が加わらないと
良心は育ちませんので罪悪感も感じなくなります。
- 56 :考える名無しさん:2008/05/06(火) 21:57:44 0
- http://alicek.hp.infoseek.co.jp/rori.swf ←心の仕組みドットコム
http://alicek.hp.infoseek.co.jp/rori.swf ←心の仕組みドットコム
http://alicek.hp.infoseek.co.jp/rori.swf ←心の仕組みドットコム
http://alicek.hp.infoseek.co.jp/rori.swf ←心の仕組みドットコム
http://alicek.hp.infoseek.co.jp/rori.swf ←心の仕組みドットコム
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http://alicek.hp.infoseek.co.jp/rori.swf ←心の仕組みドットコム
http://alicek.hp.infoseek.co.jp/rori.swf←心の仕組みドットコム
http://alicek.hp.infoseek.co.jp/rori.swf ←心の仕組みドットコム
- 57 :考える名無しさん:2008/05/06(火) 22:16:08 0
- ニーチェがどうこはどうでもいいが、
罪悪感なんて意味ないだろ。持たないで済めばそれにこしたことないよ。
- 58 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 02:06:46 O
- 罪悪感は人間という獣を律するためには必要なメカニズムだと思うが。
…不良がモテるのは中学までだぞ。
もちろん俺だって色々と背徳的な欲望はあるが、公共の福祉に反しない範囲でやりくりしてるわけで。
社会と書いて信用と読むと言っても過言ではない。
明日から疑心暗鬼になって生きるよりもモラルを大事にしたほうが賢明だと思う。
…ってめちゃめちゃ普通の事だったなW
- 59 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 03:22:33 0
- 大事な仲間を悲しませたら、
悪いことしちゃったなと感じるはずなんだけどね。
そのような気持ちを無視し続けていると、
蓄積していって、自分の精神の構造を大きく破壊してしまうのでは。
- 60 :心の仕組みドットコム:2008/05/07(水) 08:49:16 0
-
>>58
全ての罪は我にあり。
誰かも己の智恵不足を悔いていた訳ですね。
罪悪感も色々で、誰にも感ずるものと普通では感じない罪悪感も有ります。
本当は貴方の様に、
>明日から疑心暗鬼になって生きるよりもモラルを大事にしたほうが賢明だと思う。
と言うモラル(道徳、倫理、習俗)を普通に持つ心が大切なのですね。
またそれが一番、人生を楽しく暮らせる方法でも有るのです。
- 61 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 17:11:08 O
- 一言で言えば恐れ。
- 62 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 18:10:21 0
- 罪悪感はヒトという種族の存続、発展のためのメカニズムだと
思います。
つまり、個の欲望をヒトという種全体の利益と両立させるための
バランスを取るガイドライン的なものかなと(個のための)
それが本当にヒトにとって正しいかどうかは別にして、良いことと
(規範意識)とはその集団の存続発展のためにプラスになる行為を規定し
、罪悪感はその所属している集団のマイナスになるとコンセンサスを
得ている行為を規定するものではないでしょうか?
ヒトは一人ひとり別々に存在しているのではなく、深い心の奥底では
ゆるやかに繋がって種全体としても存在しているということを
私は正しいと思います。
自分の周りの他人を不幸にする行為とは、集団からの繋がりを
切るということと同義であり、そのことにヒトは不快の感情を
感じ、それが恐怖という認識をもたらすのだと思います。
- 63 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 19:39:39 0
- 61さんの言葉ではっとしました。
はたして自分が存在してよいのか?と疑った時の恐れ。
自己嫌悪に似ていますが、他者存在との関係性を巻き込んだ自己嫌悪。
加害者意識と被害者意識のバランスシートの不均衡。
- 64 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 20:28:51 0
- 罪悪感とは即ち、己の潔癖さ加減とか、己のルール主義の投影。
つまり、個人ごとの罪悪感は、個人の潔癖症の度合いによって
その大きさがに異なる。
もしくは、超越した神的存在に対置・対応する恐怖感とか、
神への畏敬の念で、通常これをヌミノーゼ、ヌミノースと言ふ。
- 65 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 03:01:20 O
- 罪悪感の対義語は欲望だと思うんだ。
そしてその2つの関係性が葛藤であると。
問題はあれだ。
欲望を解放すればするほど人生は楽しくなるという点だ。
キリスト教と黒魔術、天使と悪魔の構図から考えても太古の時代から上の点は人類を悩ませてきたと思われる。
飽くなき欲望と苦痛な禁欲主義、どちらが正しいのか?
ブッダは全て諦めろと言った。
しかし我々は科学という神を手に入れた。
もはや人類は立ち止まれない。
- 66 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 04:55:41 0
-
みなさん さようなら
- 67 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 14:21:58 0
- >>62
言いたいことはなんとなくわかるけど、
少なくとも罪悪感に苛まれている人間は幸せにはなれないぞ。
将来的にその罪悪感が薄れるということを見越しての意見だろうからさ。
たとえば食に対する罪悪。
生物は他者の生命を食らって生きている。殺して、その屍の上に生きている。
この罪悪は、個の欲望とも種全体の存亡にも沿わず、むしろ逆らっている。
原罪ともとれるのだから、この罪に苛まれればヒトという種、ひいては生命を否定するに至る。
あと、
>ヒトは一人ひとり別々に存在しているのではなく、深い心の奥底では
>ゆるやかに繋がって種全体としても存在しているということを
>私は正しいと思います。
単純にオカルティックな人間と思われるから、言葉が少ないのには注意したほうがいいと思うよ。
- 68 :心の仕組みドットコム:2008/05/08(木) 16:21:54 0
-
>>67
罪悪感を失ったら人はお終いだ、と言うことも有ります。
原罪とはキリスト教からくる性悪説に基づいた言葉で、生きる為に生きるものを食すると言う自然の摂理に罪悪感は必要ありません。
己の命を養うために頂いた、他の命を無駄にせぬ為にも欲望に走らず自分の命を大切に扱う心が必要です。
- 69 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 16:37:51 0
- 罪悪感とは、心の鎖
これを断ち切ることで、人は自由になれる
- 70 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 18:19:56 0
- >>67
>個の欲望とも種全体の存亡にも沿わず、むしろ逆らっている。
いや、しかし罪悪感の解除は、過食や自然破壊という形で種の存亡や個の健康を脅かしているではありませんか。
日本では神社で豊作豊漁を感謝したり、食べた物の霊を鎮めたりして、
自然破壊や飽食を防いでいたのだと思います。
- 71 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 23:02:28 0
- では、自分一人しかいない世界を考えてみよう。
果たしてそこに罪悪感など生まれるだろうか?。
つまりだな、罪悪感とは、組織・社会を構成するための
基本的ルールに対峙した場合に起こりうる反作用みた
いなもんだろ。これを俺はルール主義と名づけるわけだが。
つまり、社会(他者)と罪には、関係性がある。
組織や社会が無ければ、罪なんていう概念は不要なんだよ。
- 72 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 23:17:56 0
- 神って者(概念)を持ち出しても罪悪感は生まれるよなぁ。
- 73 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 00:17:34 0
- いずれにせよ、罪という概念は、
他者と対峙した場合に布置される概念だね。
罪悪感がないような世界では、個々人が好き
勝手に振る舞い、社会的な協調性は皆無だから、
今のように大きな社会構造を持つことはなかっただろう。
せいぜい、爬虫類クラスの社会構造止まりだろうね。
どっこい、哺乳類は、罪の意識を理解してるからね。
嘘だと思うなら、座敷犬でも叱って見ろ、しばらく鬱ってるからw。
多くの哺乳類は、罪と言う意識・叱られたという意識や認識を
持ってるよ。
ここでまた新たな罪の概念が生まれるわけだね。
叱られる…つまり、己に落ち度があり罪を犯したってことだね。
叱った側に筋があるか、叱られた側に筋があるかは、俺の知らぬところだが。
- 74 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 00:26:31 0
- 罪悪感の正体とか、と語るお前等は、かわええよ。www
罪の意識ってのは、はっきりいって、昔懐かしいね。
まぁ確かに俺にも確かに罪言う概念に振り回された覚えはあるが、
運良くも脳みそは崩壊しませんでしたよw。
- 75 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 00:29:20 0
- なんか母の日になにもしたことがないのが罪悪感。
父の日はみんな無視してるから平気だけど。
- 76 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 00:40:31 0
- >>70
そもそも罪悪感というのは、自然そこにあるものではなく
本人や外部の人間から定着させる、させられるものだと思うけどね。
罪というものは本人の意識いかんに関係なく存在するが、
その罪の存在に関係なく、罪悪感をおぼえない者がいる。
たとえば「罪悪感の解除」と言っているが、そもそもそれを狙っているのは誰か。
肉を部分売りにし、魚を切り身で販売し、ガスの存在を隠して車を勧める、売る側の人間だ。
消費者が個々に罪悪感に意識を向けるより、売る人間が購買欲よりそれらの問題に注視するほうが効果は高い。
まあ、これでは罪悪感が種の発展を促進しているという事柄を否定するには至ってないな。
そもそも過食や自然破壊が、人間にとって危ぶむべき事柄だと実際に認識されているのかが疑問だな。
これまでと同じく、いつのまにか誰かがどうにかしてくれてる程度の問題にしか捉えてないだろ。
>日本では神社で豊作豊漁を感謝したり、食べた物の霊を鎮めたりして、
>自然破壊や飽食を防いでいたのだと思います。
自然破壊を防ぐのはわかるが、飽食はどうなんだ?
民俗学に造詣が深そうだから、教えてくれるとありがたい。
- 77 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 01:00:51 0
- >>76
罪悪感は自然にもあるでしょう。
あとから植えつけられるものもあるが。
- 78 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 01:52:56 O
- 再三既出の『罪悪感とは共同体の存続のために、成員である各個体に備わった欲望を制限する機能』という説明はちょっとズレてる気が…。
それはむしろ法律についての説明なら妥当かと。
つまり、そもそも個人の罪悪感に任せておいたら『万人の万人に対する戦い』になるから、社会契約に基づいてお互い欲望を制限しないと共同体そのものがたち行かないよね、という『お約束』で出来たのが法律なわけで。
もちろんそれも、生来的な罪悪感が合意によって外在化しただけ、とも言えなくはないですが。
けれど、とりあえず『法律に対する服従』としての『疑似(?)罪悪感』は置いておいて、
例えば、仮に法律も罰則も報復すらも無い状況で、自分の利益を阻む人間を殺すことに、それでも躊躇を感じるとしたら(感じない人は関係ないです)それはなぜか、という話の方が、罪悪感の正体を問うには生産的だと思うのですが…
的外れだったらごめんなさい
- 79 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 05:15:17 O
- もっと根本的な部分を考えてみなさい。
いったい罪悪感の何が問題なんだ?
それは『窮屈である』って事だろ。
いつでも後ろめたさを抱えて生きるなんてのは鉄のヨロイを着て生活してるようなもんだ。
そのヨロイをスカチューンしていく事は生きる知恵でもあると思うぞ。
聖人君子みたいになる必要なんて無いんだからな。
チョイワルくらいでちょうどいいんじゃね?
- 80 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 08:09:46 0
- >>78
法律なんかは、厄介者にどんな罰を与えるかってだけだろ。
自分がどんなに悪いことをやったか自覚させなきゃ、
また犯罪を起こすよ。
- 81 :心の仕組みドットコム:2008/05/09(金) 09:48:05 0
-
罪悪感は自分に、自分の「罪」や「悪」を「感」じさせる心でしょうね。
ですから罪悪感の発祥は自分の良心が源でしょう。
人が罪を犯しても悪いことをしても罪悪感が無ければ、犯罪者や悪人と言うことに成ります。
- 82 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 14:42:29 0
- http://gurehime.blog14.fc2.com/blog-entry-425.html#comment2835
- 83 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 15:16:55 0
- >>77
自然発生的に捉えることはできるが、
人工と自然の対比とすると、俺には人工に映るんだよね。
- 84 :考える名無しさん:2008/05/11(日) 04:31:58 O
- >>81
>
> 罪悪感は自分に、自分の「罪」や「悪」を「感」じさせる心でしょうね。
> ですから罪悪感の発祥は自分の良心が源でしょう。
そうかな?
イスラム教徒が豚を食って罪悪感を感じるなど、禁欲主義者達が罪の意識を感じるのは本当に良心が源だと思いますか?
> 人が罪を犯しても悪いことをしても罪悪感が無ければ、犯罪者や悪人と言うことに成ります。
>
まだまだ、自己の本質に辿り着くまで深く潜ってみればいい。
- 85 :考える名無しさん:2008/05/11(日) 06:37:32 0
- 罪悪感にも色々あるということだよ。
自然法的なものに反した時の罪悪感
法律、所属している共同体の掟、権威に背いた時の罪悪感
個人的信条に反した時の罪悪感
罪悪感感じてないのに罪悪感感じてますとか言っちゃった時の嘘の罪悪感
これら全部区別しませんと。
イスラム教徒だの禁欲主義者の罪悪感は
大方共同体の掟や信条に背く相対的な事から感じられる種類じゃねーかな。
- 86 :考える名無しさん:2008/05/11(日) 20:13:24 O
- けど「自然法的なもの」だと感じられる規範も、本人が「個人的な信条」だと思っているものも、
結局かなりの部分は「共同体の法や掟」が内面化されたものなのでは?
たしかフーコーが言ってるディシプリン(規律/訓練)ってのも、そういう事ではなかったかと。
各個人の内面に、それぞれには主体的で自然発生的な、けど実際は植え付けられた規範があるために社会が保たれてる、というやつ(うろ覚え。補足訂正あったら頼む…)
- 87 :考える名無しさん:2008/05/13(火) 04:55:26 0
- 只のすりこみ(笑)
- 88 :考える名無しさん:2008/05/13(火) 07:49:30 0
- 暗示
マインドコントロール
- 89 :心の仕組みドットコム:2008/05/13(火) 11:01:11 0
-
>>84
>イスラム教徒が豚を食って罪悪感を感じるなど、禁欲主義者達が罪の意識を感じるのは本当に良心が源だと思いますか?
イスラム教徒は豚を食べないから、イスラム教徒が豚を食って罪悪感を感じることは有りません。
禁欲主義者達が(欲に)罪の意識を感じるのは良心が源です。
人に智恵が有れば、欲と望の区分けができ人は欲で生きるものではない、と言うことが理解できます。
ですが「人は欲が無ければ生きられない」と皆さんは思い込まされているのです。
- 90 :考える名無しさん:2008/05/13(火) 22:01:01 O
- >>89
> イスラム教徒は豚を食べないから、イスラム教徒が豚を食って罪悪感を感じることは有りません。
知らずに食って悩んでいる人をテレビで見たことがあるんだけど…。
> 禁欲主義者達が(欲に)罪の意識を感じるのは良心が源です。
シスターがセックスに罪の意識を感じるのも良心なのか?
あなたのライバル(?)のユダヤ人達は向上心がないのは罪だとして、必至になって成り上がろうとするのも良心が源ですか?
> 人に智恵が有れば、欲と望の区分けができ人は欲で生きるものではない、と言うことが理解できます。
> ですが「人は欲が無ければ生きられない」と皆さんは思い込まされているのです。
僕には「欲」も「望」も必要ない。すでに満たされているんでね。
罪悪感の正体は、自分が大切だと思っていた概念や観念を壊してしまった、失ってしまったことによる虚無感だろう。
- 91 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 11:17:59 0
- >>86
そうかもしれないね。ただそれにしてもやっぱり
イスラム教徒が豚を食うときの罪悪感と
罪のない人を殺す事への罪悪感
個人的なこだわりを守れなかった際に感じるような罪悪感
は区別して然るべきだと思う。
で、どう区別するかというと俺は合意の数でこの区別を説明したい。
@自然法的なものに反した時の罪悪感
A所属している相対的でローカルな共同体の掟に反した時の罪悪感
B個人的信条に反した時の罪悪感
はこの順番で合意する人数が多い順になってると思う。
つまり@万人A多数派B個人といった具合だ。
何に合意してるかというと当然それは何を罪とするかについてね
- 92 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 11:47:07 0
- 「赤信号 みんなで渡れば 罪悪感なーし」ってか?
- 93 :心の仕組みドットコム:2008/05/14(水) 15:55:54 0
-
>>91
そうですね。
自分が罪を犯さなくても罪を犯したと思い込めば、そこに罪悪感が生じるのですね。
広辞苑より【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
道徳に背けば罪悪ですが、一つの宗教を信じれば他宗教の教えに背くことですから宗教を信じることが罪悪と言えるのですね。
つまり「罪悪を道徳や宗教の教えにそむく行い」としながら、キッパリと宗教は罪悪だと言い切っているのです。
言葉の扱い方がハンパじゃ有りませんね。
- 94 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 16:14:05 0
- 広辞苑が「宗教は罪悪だ」って言い切ってるんだって? ばっかじゃねw
- 95 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 16:24:01 0
- >>1
「良心」に決まってるでしょうが。
- 96 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 16:50:36 0
- だから、その良心の正体が、
制裁とか周囲の人たちの否定的態度の予想に過ぎないのか、
それともそうでないかを議論しているわけです。
- 97 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 17:17:24 0
- 大丈夫。罪悪感は日々成長していることの表れですよ。
- 98 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 18:11:35 0
- 罪悪感という衣を脱ぎ捨て、裸になるのだ!!!
- 99 :心の仕組みドットコム:2008/05/14(水) 22:43:52 0
-
>>94
君には言葉の意味を読み切れないね。
【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
とすれば、宗教に溺れている者達はこれで納得するでしょう。
ところが自分が信じる、宗教の教えにそむく行いとは書いて有りません。
つまり何教と言う制限がないので全ての宗教となるのです。
全ての宗教の教えにそむく行いならキリスト教徒が仏教の教えに背けば罪悪になるのです。
つまり世界八十万種ある全ての宗教の教えに背けば罪悪だと言うことです。
分かるかな、、
- 100 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 00:42:44 0
- >>94
特定の宗教Aを信じる事は宗教Bの教えに背く事になるかもしれない
そして宗教の教えに背く事を罪悪と定義してるからには
宗教Aを信じる事は罪悪であると言わざるを得ない。
という論理じゃないか?多様な人間が平和的に共存するにはこういう考え方が必要になってくるな。
>>96
仮に良心の正体が「制裁とか周囲の人たちの否定的態度の予想」だとすれば
あとはその制裁や人々の否定的態度は相対的なのかどうかというのが問題になりそうだな。
何に制裁を下すか、何に否定的態度を示すかが、時代により人により場所により完全に相対的なら
良心は所詮は相対的なものでしかないとしか言えない。
だがある程度までは相対的だとしても「完全に」相対的かというとそうは断言できないように思う。
- 101 :心の仕組みドットコム:2008/05/15(木) 09:51:56 0
-
>>100
>多様な人間が平和的に共存するにはこういう考え方が必要になってくるな。
私が思うに昔からこの想いは有りましたが、あからさまに言ったのでは反発が強いので気付く者にしか気付けない工夫をして残したと思います。
つまりロダンの地獄門の作品の様に、支配社会の陰湿さを痛烈に織り込んだものと同じだと考えます。
>だがある程度までは相対的だとしても「完全に」相対的かというとそうは断言できないように思う。
良心は知恵の源を司る真理の更に源を司るものですから、真の良心で有れば「制裁とか周囲の人たちの否定的態度の予想」何てことは有り得ません。
曖昧な良心からは多種多様な思いが育ちますので千差万別の意見が生まれます。
- 102 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 10:26:27 0
- >>100
> 仮に良心の正体が「制裁とか周囲の人たちの否定的態度の予想」だとすれば
> あとはその制裁や人々の否定的態度は相対的なのかどうかというのが問題になりそうだな。
「良心」は所属する社会集団の規範の内面化されたものに過ぎない。
社会集団が存続するためには、「同じ集団の成員を殺してはならない」
というような規範を持たざるを得ないだろう。
時代・場所に関係なく存在する「良心」の共通の内容は、
この存続可能な社会集団の規範の共通性に過ぎない。
- 103 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 10:34:58 0
- 社会集団と一口に言っても国なのか人類共同体なのか
どっちの規範に従えばいいのか
- 104 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 11:38:22 O
- >>93
> 広辞苑より【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
> 道徳に背けば罪悪ですが、一つの宗教を信じれば他宗教の教えに背くことですから宗教を信じることが罪悪と言えるのですね。
> つまり「罪悪を道徳や宗教の教えにそむく行い」としながら、キッパリと宗教は罪悪だと言い切っているのです。
> 言葉の扱い方がハンパじゃ有りませんね。
つまり、あなたの屁理屈では、全ての人類は皆、全ての宗教の教えに背いてはいけないことになってしまいますよ。
で、あなたは全ての宗教の教えに従っているのですか?
広辞苑の教えに背くことは罪悪とは書いていないのですから、いくらでも背いていいのです。
- 105 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 11:44:25 O
- >>99
> 【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
> とすれば、宗教に溺れている者達はこれで納得するでしょう。
> ところが自分が信じる、宗教の教えにそむく行いとは書いて有りません。
> つまり何教と言う制限がないので全ての宗教となるのです。
> 全ての宗教の教えにそむく行いならキリスト教徒が仏教の教えに背けば罪悪になるのです。
> つまり世界八十万種ある全ての宗教の教えに背けば罪悪だと言うことです。
> 分かるかな、、
全ての宗教の教えに従わなければいけない。従わないのは罪悪である。全ての宗教は正しいということになります。
- 106 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 13:02:40 0
- 何でドットコムの馬鹿げた妄想に付き合うんだ?
広辞苑が「宗教を信じろ」とか「信じるな」なんて言ってると思う奴が、
ドットコム以外にもいるのか?w
- 107 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 14:25:50 0
- みんなドットいじりが好きなんだよ
- 108 :心の仕組みドットコム:2008/05/15(木) 15:52:09 0
-
>>104
>つまり、あなたの屁理屈では、全ての人類は皆、全ての宗教の教えに背いてはいけないことになってしまいますよ。
面白いんじゃないですか。
つまり宗教を信じる者は、全ての宗教の教えに背いてはいけないと言うことですよ。
人類は皆、と言う注約が着いてないでしょ。
宗教を信じない人は道徳の方だけで関係ないのですよ。
世界に八十万種、日本だけでも12,500種の全ての宗教の教えを君が覚えれ従って見ればきっと世の中は平和に成りますよ。
宗教戦争も無くなるでしょうね。
>>105
>全ての宗教の教えに従わなければいけない。従わないのは罪悪である。全ての宗教は正しいということになります。
【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
宗教の教えが正しいとは書いて有りません。
宗教の教えにそむく行いが罪悪だと書いて有るのですよ。
>>106
無知に気付かれず、真実を記すことの知恵は大変なものですね。
【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
これならば宗教に捕らわれている無知が全員、納得するでしょう。
ところが実体は、宗教そのものを否定しているのです。
つまり知る者ぞ知る、と言う高度な話法です。
- 109 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 16:31:05 O
- >>108
> つまり宗教を信じる者は、全ての宗教の教えに背いてはいけないと言うことですよ。
> 人類は皆、と言う注約が着いてないでしょ。
宗教を信じる者は、と言う注約も着いてないでしょ。
> 宗教を信じない人は道徳の方だけで関係ないのですよ。
なんでも自分の思い通りに解釈・こじつけするのは、自分を正当化しようとする心の働きですね。
自分が善であろうとするから、相手を悪だと否定し、自分を正当化しようとする。
自分が知であろうとするから、相手を無知だと否定し、自分が知者であろうとする。
> 【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
> これならば宗教に捕らわれている無知が全員、納得するでしょう。
> ところが実体は、宗教そのものを否定しているのです。
どこが?
> つまり知る者ぞ知る、と言う高度な話法です。
つまり、こじつけという話法です。
- 110 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 17:18:13 0
- うむ、あぼーんをうまく使うと
糞とそれに群がる蝿が浮き彫りになるわけだ。
なるほど。
- 111 :考える名無しさん:2008/05/16(金) 09:22:55 0
- 反省
- 112 :心の仕組みドットコム:2008/05/16(金) 09:55:56 0
-
>>109
>つまり、こじつけという話法です。
違うよ。
無知に気付かせず、真実を盛り込むと言う方法です。
【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
宗教を信じぬ者達が宗教の教えに背くはずが無いのだから、宗教を信じぬ者達には
「宗教の教えにそむく」行いは関係がないんですよ。
言われないと気付かないでしょ。
だから宗教を信じる者達は、全ての宗教の教えに背けば【罪悪】だと言うことですよ。
「それじゃあ、宗教を信じてられないよ」それが一番、良いことですね、、
- 113 :考える名無しさん:2008/05/16(金) 10:03:44 0
- 「宗教を信じぬ者達が宗教の教えに背くはずが無い」のであれば、
「自分が信じぬ宗教の教えに背くはず無い」のだから、
自分が信じている宗教にさえ従っていればいいことになる。
ドットコム以外の人にとっては、これが道理。w
- 114 :心の仕組みドットコム:2008/05/16(金) 15:56:15 0
-
>>113
二行目と三行目の繋ぎができてないよ。
意味不明、、
- 115 :考える名無しさん:2008/05/16(金) 16:33:57 0
- そうかい? じゃ、まず
「宗教を信じぬ者達が宗教の教えに背くはずが無い」
がどういう意味なのかを説明してくれ。
- 116 :考える名無しさん:2008/05/16(金) 19:42:53 O
- 他の人々に無知だと蔑んでばかりいる賢者など、人々に蔑まれて当然だろう。
理にかなっていると思わないか?
愚か者が賢者のふりをしても、やっぱり愚か者は愚か者だ。
「老子」二十二章
自己を知者とみなさぬから、かえって人から知者とされる。自己を是とせぬから、かえって人から是とされる。自己の功を誇らぬから、かえって功を認められる。自己を有能と考えぬから、かえって能力を讃えられる。
「老子」二十四章
自己を知者とみなす者は、知者ではない。自己を是とする者は、是ではない。自己の功を誇る者は、功を失う。自己を有能とみなす者は、有能ではない。
- 117 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 00:16:59 O
- アホ言う奴がアホじゃ!アホ!…あっ!
- 118 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 08:21:15 0
- アホ!アホ!アホ!
- 119 :心の仕組みドットコム:2008/05/17(土) 11:19:15 0
-
>>115
心の教えとは他人から吹き込まれた生き方を言います。
例えば、異教徒は邪教を信じる悪魔だから容赦なく殺せと教えられれば、それが教えですね。
キリスト教徒にはイスラム教徒は邪教を信じる悪魔で、イスラム教徒にはキリスト教徒は邪教を信じる悪魔なのです。
そこで、宗教の教えを吹き込まれていない「宗教を信じぬ者達が宗教の教えに背くはずが無い」と言うことです。
心に関する教えは人の心を記憶力に取り込み、探求心を消し去り応用の効かない無知に陥れるのです。
ですから教えを覚えることに走り、自分では何一つ考えることのできないロボットに成るのです。
聖書の何条、何項にはこう記されているとかブッダはこう言った、老子の教えはこうで有るとか自分の存在が無くなるのです。
- 120 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 11:43:03 O
- >>119
> 心の教えとは他人から吹き込まれた生き方を言います。
> 心に関する教えは人の心を記憶力に取り込み、探求心を消し去り応用の効かない無知に陥れるのです。
> ですから教えを覚えることに走り、自分では何一つ考えることのできないロボットに成るのです。
> 聖書の何条、何項にはこう記されているとかブッダはこう言った、老子の教えはこうで有るとか自分の存在が無くなるのです。
>
>
なるほど、だからあなたは「理」とは何かと辞書を読み覚えて吹聴するだけで、あなた自身は理にかなわないことをしているのですね。
- 121 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 11:52:42 0
- >>119
関係ないことを長々と書いてあるだけで、
「宗教を信じぬ者達が宗教の教えに背くはずが無い」
がどういう意味なのかの説明になっていません。
- 122 :心の仕組みドットコム:2008/05/17(土) 12:51:02 0
-
>>120
>なるほど、だからあなたは「理」とは何かと辞書を読み覚えて吹聴するだけで、あなた自身は理にかなわないことをしているのですね。
私は己の良心と問答を繰り返し理に辿り着きましたので辞書に限らず、書物や他人の思想を覚えたことは有りません。
辞書が私の知恵に近いので辞書を使わせて戴いているだけです。
>>121
並みの人なら分かると思いますよ。
- 123 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 13:42:20 0
- 知識と経験、どっちが大事?のスレでいわれてるぞw
621 名前:考える名無しさん :2008/05/17(土) 13:19:13 0
>>616
「病棟から逃走したドットマークのおっさんを見かけたらスグ連絡ください」・・院長、松沢。
わはははははははははははははははははっw !!
- 124 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 14:00:40 0
- >>122
結局、「宗教を信じぬ者達が宗教の教えに背くはずが無い」がどういう
意味なのか、説明もできないということですか?
そうでないなら、きちんと説明してください。
- 125 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 14:06:28 0
- ふつうに考えれば、宗教を信じぬものは、
たとえば、「神を信じなさい」という宗教の教えに
背いているわけです。
- 126 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 14:11:45 0
- 「宗教を信じぬ者達が宗教の教えに背くはずが無い」
これは、たぶん、宗教を信じない人間は、宗教の教えを知らないから
背きようもないという話かね
- 127 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 14:19:09 0
- 宗教の教えを知った上で信じない人間はどうなのさ?
それに、「背く」をそのように理解すれば、
「ある宗教を信じることは他の宗教の教えに背くことになるから罪悪」
という根拠に基づく宗教否定論は成り立たないね。
- 128 :心の仕組みドットコム:2008/05/17(土) 15:04:00 0
-
>>126
宗教の教えは、信じることで教えとして成り立つのです。
つまり、宗教の教義を信じ込まされていない者には教えとしての意味を持たないのです。
宗教を信じぬ者は宗教の教えをゴミ扱いしますので背くも何もないのです。
だが【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。 だから一つの宗教に捕らわれる者が他の宗教の教えに背けば罪悪だよ、と言うことです。
なぜなら、そこに必ず宗教間の殺し合いが始まるからです。
- 129 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 15:44:30 O
- 宗教にも依存せず、反宗教にも依存しない人は、宗教と争うこともなく、反宗教とも争うこともない。
宗教と争う反宗教も、反宗教という教えを盲信し、従っている反宗教信者なんですね。
宗教間の争いは、自分達が善であろうとするために、相手を悪だと否定しようとするため。
反宗教も同じように、自分達の敵対心や憎しみを善だとか正義だとか、その敵対心や憎しみを正当化し、宗教を非難しているということです。
- 130 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 16:03:55 0
- 宗教は人間に罪悪感を植え付ける故に、悪の根源である
!!!沢尻エリカは、悪の根源ではない!!!
- 131 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 16:04:43 0
- 良心かもし・・・(・・)
- 132 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 16:37:55 0
- > 宗教を信じぬ者は宗教の教えをゴミ扱いしますので背くも何もないのです。
ある宗教を信じるものは他の宗教をゴミ扱いしますので背くも何もないのです。w
> だが【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。 だから一つの宗教に捕らわれる者が他の宗教の教えに背けば罪悪だよ、と言うことです。
> なぜなら、そこに必ず宗教間の殺し合いが始まるからです。
まったく意味不明ですね。
あなたには正常な知能と会話の能力がないことが
私にはよく分かりました。
もうお答えいただかなくて結構です。w
- 133 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 16:39:01 0
- ドットコムが完全な阿呆であることがまた証明されますた。
- 134 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 16:51:07 0
- 阿呆の仕組みドットコムは無視して、罪悪感の正体について話を戻しましょう。>みなさん
- 135 :考える名無しさん:2008/05/18(日) 00:55:39 O
- はい。本題に戻りますと、
それぞれの個人に兆す罪悪感が、生物として先天的なものなのか、はたまた所属する社会集団の価値観が知らずにすりこまれた(主観的には自然発生的でも実際は)後天的な産物(@フーコー?)なのか、
ある程度は後者だとしても、しかし先天的な罪悪感は本当に無いのか、
もし仮に全てが後天的に刷り込まれた罪悪感だとするなら(あるいは先天的なものだとしても?)それを捨て去って、自由に生きるべきなきゃのか、それとも、それでも罪悪感/倫理は持つべきなのか、
といったあたりだと思いますが、いかがでしょう>みなさん
- 136 :心の仕組みドットコム:2008/05/18(日) 09:08:01 0
-
>>129
>反宗教も同じように、自分達の敵対心や憎しみを善だとか正義だとか、その敵対心や憎しみを正当化し、宗教を非難しているということです。
日本の宗教人口は20%を割り込んでいますので、日本人の心から信仰心が消滅するのも秒読みに入っています。
と言っても日本人は持ち前の穏和な気質から宗教を否定せず、宗教を覚めた眼で見ているのです。
そして宗教行事をイベントと捕らえ、同じアホなら踊やにゃ損々とクリスマスから初詣までみんなで繰りだすのです。
信仰心が薄ければ知性を司る理性が育ちやすい環境が有りますから、それを見知ったアインシュタインが来日した際に世界の平和は日本から、と言うメッセージを残したのです。
- 137 :考える名無しさん:2008/05/18(日) 12:01:41 0
- >>135
罪悪感や倫理は社会による「洗脳」みたいなものだから、
そんなものは捨て去って自由に生きるべきなのか、
それとも、人間は罪悪感/倫理を持つべきなのか、ですか。
本音のところで意見が分かれそうだから、いいテーマですね。
- 138 :考える名無しさん:2008/05/18(日) 20:12:51 0
- 集団としては、もちろん規範に沿って
罪悪感をもちつつ反しないように生きていくべきだろうな。
個人なら、反骨精神があるヤツはともかく
罪悪感を捨てること=社会的コミュニケーションを拒絶すること
に近いから、これもやっぱり罪悪感は持っていたほうが無難ではある。
”ヒト”という種でくくると、やはり社会性が必要となるから
罪悪感はあって然るべきものだろうと思うな。
至極当然のことしか言ってねえか。
- 139 :考える名無しさん:2008/05/19(月) 06:49:11 O
- 倫理的な正しさは、その都度その場の一回性を引き受けた、自らの単独性において決定しなければ意味がない。『一般的に正しさ』によりかかるほど非倫理的なことはない。
だから『罪悪感は持つべきか』なんて一般論は乱暴すぎて無意味。
強いて答えるなら、
その都度、自らの罪悪感の自明性と来歴を疑う限りにおいて、持つべきだろう。
- 140 :心の仕組みドットコム:2008/05/19(月) 09:40:46 0
-
私も少し勘違いしていましたが、罪悪感と善悪とは無縁でも成立します。
例えば強盗団の一人が仲間を裏切り、そのことに罪悪感を感じる時も有れば、
逆に、強盗団の仲間で有ることに罪悪感を感じる場合も有るわけです。
- 141 :考える名無しさん:2008/05/19(月) 10:06:14 0
- 敗北感と勝敗が違うのと同じか。
人によって勝利条件は違うからな。
つまり罪悪感を感じる罪悪条件があるということか?
それは人によって千差万別なんで、一般的な善悪との差が生じるとか。
文化や法律や宗教によって定義される善悪とは別の、
個人的に感じる善悪判断が罪悪感なんじゃないか?
平均化されてない歪で純粋で、簡単に変化するモヤのような善悪基準。
- 142 :考える名無しさん:2008/05/19(月) 10:22:43 0
- 社会的動物としては、罪悪感が必要なのだろう
- 143 :考える名無しさん:2008/05/19(月) 10:35:37 0
- 罪悪感というのは、自らが行ったこと、現に行っていることを、
規範に反するものと判断したときに「生じる」感情だろう。
凶悪な行為一般に対して生じる憤りの感情が、
たまたま自らの行為に対して生じているだけかもしれない。
- 144 :考える名無しさん:2008/05/19(月) 10:51:15 0
- 恥の感覚と比較してみるのはどうだろう?
- 145 :心の仕組みドットコム:2008/05/19(月) 16:53:41 0
-
>>144
羞恥心もいい加減なものではないですか。
例えば宝石を付け、高級と言われる衣服を身に付けなければ恥だと思う人
もいれば、その姿に恥を感ずる人もいます。
- 146 :考える名無しさん:2008/05/19(月) 16:55:48 0
- 最近の日本人は、「恥」という言葉を知らない
- 147 :心の仕組みドットコム:2008/05/20(火) 07:13:03 0
-
>>146
羞恥心も罪悪感も理性から生じるもので有れば恥ずかしいから止めておこう、とか悪いことだから止そうと事前に行動を制御する働きが有ります。
理性から生じる羞恥心も罪悪感が薄ければ脳の働きに直接、比例して頭が悪いと言うことに成ります。
>最近の日本人は、「恥」という言葉を知らない
日本人の大多数の頭(官僚や総理を含め)が悪く成ってきたと言うことですね。
- 148 :考える名無しさん:2008/05/20(火) 08:51:28 0
- 罪悪感や良心は先天的ではなく社会的に後で植えつけられる云々言う奴がいるが
人間がそもそも社会を作る生物としてできてるなら
社会的にそれらを形成するのも結局は本能だと言えないか?
- 149 :考える名無しさん:2008/05/20(火) 09:05:39 0
- 自己防衛本能
- 150 :考える名無しさん:2008/05/20(火) 09:39:14 0
- >>148
罪悪感や良心自体が本能に組み込まれているわけではありません。
これらは行いの結果として心に生ずるものです。
人によってこれらがどう発露されるか差がありますが、
本能の中に道徳的判断力はそなわっているらしいです。
最近の研究で新生児が道徳的判断を行うというものがありましたが、
これは本能的なものです。
しかし、新生児にもともと道徳がそなわっているのではありません。
道徳は人間が作るものですので、新生児の道徳的判断は道徳そのものではなく
道徳を行為、形成させようとする本能の一つであると思われます。
- 151 :考える名無しさん:2008/05/20(火) 10:27:25 0
- > 最近の研究で新生児が道徳的判断を行うというものがありましたが
だれのどういう研究なの?
- 152 :心の仕組みドットコム:2008/05/20(火) 11:51:40 0
-
>>148
人類は生まれた時から受けた影響の全てを吸収する優れた感性を本能と一緒に備え持っています。
母体の中でも、その感性は働くとの考えも有って胎児教育と言われています。
つまり、その誰もが備え持って産まれる優れた感性が外部の刺激を受ける迄は、理性も悟性も無く全くの白紙なのです。
この感性に親の因果が子に写りと言う、性悪説や性善説などの宗教的な論を唱える者もいます。
しかし、その論はまやかしで実際は外部から受けた全ての影響を感性が潜り抜け心として表に現れます。
言い替えれば、外部から受けた影響が、その者の全ての人格を形成する基盤に成るのです。
一般的には社会が悟性八割と理性二割で賄われていますので、多少の開きは有りますが特殊な育ち方をした者以外は
悟性八割と理性二割で賄われ、強い悟性が心を支配し理性は休眠中の札をかけて眠っています。
- 153 :考える名無しさん:2008/05/20(火) 11:59:38 0
- 胎内でも9ヶ月くらいになれば音は確実に聞こえているはずだし、
記憶力もあるはずだからな。
もちろん言語の記憶ではなく気分や安心感や不安感みたいな記憶と
結びついているレベルの抽象的なものだけど。
- 154 :考える名無しさん:2008/05/20(火) 13:00:50 O
- 例えば、
かなりグロテスクなSF的仮定をしてみる。
生まれてから十年以上、生物としての成長に必要な栄養のみを投薬などで与えられて、他の人間との接触を完全に断たれた環境で育てられた人間がいるとする。
この人間は言葉を喋るだろうか。
同じように育った人間を複数集めて生活させたら、社会なり群れなりを形成するだろうか。そこに罪悪感や良心は有り得るだろうか。
- 155 :考える名無しさん:2008/05/20(火) 14:20:37 0
- わざわざ投薬にする必要性がわからないが
最初はまったくのバラバラに行動すると思うな。
紆余曲折があり、誰かが死ぬか瀕死に至ることで
徒党を組むことを始めるんじゃなかろうかね。
そっからどうコミュニティを発展させるかは
実際に実験してみるしかないだろうけど…
自活の必要の有無(投薬だと無、離島などのある程度の環境があるなら有)が
コミュニティの絆をどう結束させるかによるだろうと思う。
食糧による利害関係、互いの感情、主従関係などなど。
物質的な利害関係は原始的だから、
それを制限する投薬にはなおのこと、疑問を感じる。
隔絶のレベルにもよるだろうなあ。
思考実験程度なら、保身本能からコミュを形成することぐらいは予想できると考える。
- 156 :154:2008/05/20(火) 18:54:10 O
- >>155
そうですね。投薬である必要は無いかも知れません。
一応意図は、自分で動けない乳児期に「望むものを与えてくれる他者(=親)が存在する」という事を学習させないように、という程度の考えでした。
私が想定してみたかったのは『野生の人間』ではなく『言語を含む社会的な営み全てを、外部から学習する契機を完全に奪われた人間』だったので。鬼畜じみた想定ですが。
- 157 :考える名無しさん:2008/05/21(水) 04:15:44 O
- つまらん
- 158 :心の仕組みドットコム:2008/05/21(水) 07:31:32 0
-
>>156
要するに、赤子の本能と感性に外部から影響を加えずに育てたらどうなるんだろう、と言う疑問ですね。
人の心は本能と感性が外部から影響を潜り抜け表に心として現れますので、影響が加えられ無かったら心は赤子の儘だと思いますよ。
言い替えれば、人の心は受けた影響の全てを吸収し、その影響を本能と感性が潜り抜けて生まれるものだから自分の心でも実際は全て影響に依って作られたものなのです。
ものを見て、どう感じるとか次の行動や好みまで、全て過去の影響が決めるのです。
- 159 :考える名無しさん:2008/05/22(木) 11:24:15 O
- >>154
そのような空間に、同じように二人を隔離した場合、
彼らは言葉を発明し喋りはじめるだろうと言われているね。
- 160 :考える名無しさん:2008/05/22(木) 13:36:20 0
- >159
狼に育てられた子供が人間社会に入り込めなかった、というのは誤解?
- 161 :考える名無しさん:2008/05/22(木) 23:49:29 O
- >>160
言葉は言葉を使う能力のある他者がいて、初めて有効なものでしょう。
人の脳は、あらかじめ言葉を話す機能が備わってます。
幼児には、しゃべることに対する、(意味をなさないことでも)強い衝動があります。
意味をなさないただの声を発する者どうしが、
やがてその声に意味をあてはめて言葉を発明するのは時間の問題かと思います。
- 162 :心の仕組みドットコム:2008/06/15(日) 17:48:31 0
-
>>161
>意味をなさないただの声を発する者どうしが、
>やがてその声に意味をあてはめて言葉を発明するのは時間の問題かと思います。
三万年も時間が有れば言葉として話し始めるでしょうね。
- 163 :考える名無しさん:2008/06/16(月) 20:31:13 0
- >>161
ある能力が生得的に備わっているとしても、適切な環境や刺激がなければ、
その能力が発現しないということはありそうだと思うが。
この場合の適切な環境とは、一定の規則や意味を持つ言葉を話す人々が
周囲にいる環境ではないかなあ。
- 164 :考える名無しさん:2008/06/20(金) 23:36:52 0
- 見通しの無い奴は間抜けであって、
一人よがりなのは我がままであって、
システムとに従うものは馬鹿であって、
形式だけで中身が無いのは阿呆だ。
複雑なものになると、
適当なことを知らないで、進める奴は間違いであって、
人のせいにして、自分がないのは情け無いのであって、
自制心で人を従える奴は尊大であって、
神輿にして担がれている駄目な奴は愚か者だ。
間抜けとか、間違いってことはあるけど、普段はあんまり意識しないよね。
- 165 :考える名無しさん:2008/06/20(金) 23:42:34 0
- 御輿部分の描写については、久米田作絶望先生のものが秀逸。
別に、作品を褒めてるんじゃなくて、御輿描写についてということね。
- 166 :考える名無しさん:2008/06/28(土) 18:52:12 0
- 私達の目的は神という意味を持っている。
神までには至らないが、ほとんどのところ満たすものは気という意味を持っている。
私達自身は知恵を持っている。知りたいから、問い詰めて疑問に思うのだ。
私達からもっとも遠くにあるものを探す人は神の意味を持つ。精神は神の意味を持っており、私達の目的を
意味している。
問題となっている障害を探すこともこの意味が使われる。相手側の最も根本的な障害を探したり、疑いを
持つ人は精神障害者というのである。
世の中のほとんどに満ちているものは気の意味を持つ。大気や空気や気功は最終的なものを言い表すもの
ではないが、世の中に広く満ちているものを言い表している。
世の中の大部分に問題意識を持っているものは気の意味が宛がわれる。私と相手の可能性について病んで
いるものは病気というのである。
私自身は考える。最もな私自身の根拠である。世の中の大部分がどうであれ、最終的な目的がどうであれ、
そういうことにそぐわないものがある。
私自身に問題が生じているものは知恵の意味を持つ。私自身が根本的に誤作動を起こしている人は白痴や
知恵遅れというのである。
さて、しかし、他人の腹を探る人がいる。これは病気かもしれないが相手の悪意や相手本当の考えを知りたい
というのは精神障害者である。
そして、自分自身に思い悩んで、煩っている人を指して病気であるという方がいる。これは病気かもしれないが、
そうすると対象を除くことで完治し得るものである。それなので、恐らく、自分自身で解決する知恵を持たない
知恵遅れの類である。普通では考えられないような行動や自分の身を大事にしなかったり、見通しなく大胆な
行動のは精神障害者というのは間違いであって、白痴の類である。
或いは、自分自身に不愉快なものがあって暴行を働く人を気違いというのではない。これは思慮が足りなくて
自分でどうして良いのか知らないが故である。私と相手に対して負の遣り取りを想像するものが病気なのである。
神と気と知恵を上手に言い当てて、この意味が故の罪に問い、悪いことであると考えるようにするのが罪悪感と
いうのです。
- 167 :考える名無しさん:2008/06/28(土) 19:21:49 0
- ○神
精神障害 神経衰弱
――――――
○気
雰囲気 気後れ 気分 (気持ち悪い、気を使う、気が小さい) 気違い 病気
――――――
○知
世間知らず 知恵遅れ 判らず屋 白痴
- 168 :考える名無しさん:2008/06/28(土) 19:56:07 0
- 人生を自信を持って生きてゆく人間はそれほど多くはありません。
漠然とした劣等感、不安、虚しさなどと、自罰反応をもち罪悪感
を持ち、軽うつ状態で多くの人が生きています。
キリスト教の原罪や仏教の輪廻転生なども、そこから生まれた思想
かも知れません。
- 169 :ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/06/28(土) 19:59:37 0
- かわええよ、もまいら。
独りしかいない地球を想像したまえ、太古帰りしてサバンナに
住む自分の家族だけがいる社会を想像した前。
そこにどんな罪悪感が想像できようか?。容易い。
- 170 :考える名無しさん:2008/06/28(土) 19:59:37 0
- 自罰反応の人が、他罰反応の人より多いのがこの世の中です。
- 171 :ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/06/28(土) 20:01:01 0
- 他者(神を含む)無き罪悪感、・・・・ありゃせんがな。
- 172 :考える名無しさん:2008/06/28(土) 20:07:26 0
- 理由は分かりませんが、他罰反応のひとより自罰反応の人が
多くいるのが、この世の中です。
罪もなしに、自罰反応は罪悪感を生まれさせます。
生きるのは、辛いものです。
- 173 :ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/06/28(土) 20:10:57 0
- >>172
現代人は前頭葉の使いすぎなんです。
- 174 :腰抜けの伝道者:2008/06/29(日) 14:58:46 0
- 後悔とは、真の自分についての最高の考えを示すことができなかった、と言明することだ。
罪悪感とは、そんなことをしてしまった自分にはもう価値がないと
決めつけることだよ。
- 175 :考える名無しさん:2008/06/29(日) 15:55:50 0
- 善を
行い罪を犯さない正しい人は
世にいない
伝道の書 第7章 20
- 176 :考える名無しさん:2008/07/03(木) 02:31:03 0
- 一個人的には
>>3 >>17 >>22さんが書いてることが、わかり易く的をついてるように思えました。
罪悪感の正体は感じ取れたのですが、これを宗教に頼らず軽減する方法ってあるのでしょうか?
罪悪感を感じた場所で、逃げずに居り続けるとしたら・・・
- 177 :考える名無しさん:2008/07/03(木) 04:15:47 O
- あげ
- 178 :考える名無しさん:2008/07/03(木) 23:33:36 O
- あげ
- 179 :考える名無しさん:2008/07/09(水) 09:27:45 0
- 洗脳に他ならない
>>176
自分を信じることだ。
- 180 :暗黒卿:2008/08/09(土) 06:28:08 0
- 『浮いてる』の概念
講義 第一回目
私達は『浮いてる』と耳にしたことがあります。これはちょっと理解しがたい言葉です。
あなたは飛んでいるのではありません。彼は不愉快であるようです。何か場にそぐわない
雰囲気は伝わりますが、浮いているとはどういったことなのでしょう。
実際に空間を浮かんでいるのではありません。時間的な何かを言い当てていると考えら
れます。時間的な何かが空間に出てきているのです。
時間は先ずという義務で考えます。空間は広がりがあると考えられています。広がりの
あるところで、義務を考えるのです。
純粋な時間は先ずであります。空間において考えるところの時間は早いと速いがあります。
空間を優先して考えて、時間を表すことは早いです。これが距離だとか移動するものなどの
空間優位の表現をしますと速いであります。
浮いているとは早くから準備をしているのでしょうか。又は、速い物を持っているのでしょうか。
浮いているとは空間の物事を言い表していない。空間において考えた時間を表現しているので
はなく、昼夜とか空間がどれだけの広さであると表現しているのではないのです。浮いていると
は、空間において時間を考えているのではないのです。
すると、早さや速さでないので、時間において考えた空間があり得ます。純粋な時間は先ず
であります。時間を優先して世の中を考えますと、やらなければならない物が見えてきます。
空間を優先して考えますと、自己優先になります。私でなければならない空間ができるのです。
これを客観的に言い表すと、早い者勝ちといいます。ただ、空間において考えた時間ではないの
で、朝晩のように早いの意味を使っては天地がひっくり返っています。
ですから、先ずこうでなければならないということで物を扱おうとする人は浮いていると言うの
です。
- 181 :考える名無しさん:2008/08/09(土) 06:52:41 0
- 概念プリズム参照図
時間 ←|→ 空間
先ず|自己優先 | 早い | 速い
- 182 :考える名無しさん:2008/08/09(土) 07:14:16 0
- 図が浮き上がる話?
ゲシュタルト。
図と地。
流れと淀み。
意識は図と地を作る。
意識は世界に流れと淀みを見取る事。
淀みの中に意味がある。
- 183 :暗黒卿:2008/08/09(土) 07:30:46 0
- 私は悪気があって図解しているのではないのですよ。優位者に魂が引き付けられる気持ちは
判ると思います。そうして、あなたが陶酔していることを世の中に引き出されてしまうのです。
みなさんに一歩引かれるのは最悪ではありませんか。あなたとあなたが好きな人は基本的に
はあまり変わりません。最悪の事態を避ける為にも私の教えに従うのです。
あなたに力を授けたい。
- 184 :考える名無しさん:2008/08/09(土) 07:35:21 0
- なんだ、ただの電波氏だったのか・・・
- 185 :暗黒卿:2008/08/09(土) 09:39:24 0
- おや、素速い頭脳をお持ちですね。
自然に波がなければ、失敗しなかったと、終いに言い始めますよ。
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