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罪悪感の正体ってなんなの?

1 :考える名無しさん:2007/11/09(金) 03:46:07 0
マジでなんなの?


28 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 06:35:22 0
>>26
自分で言っちゃったよw

29 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 09:53:29 0
罪悪感=自分が罰せられべきものであるという不安を伴った意識である、
と結論付けたくなるかもしれないが、これは浅薄かもしれないね。
仮におまいが人に何か害を与えたとして、
被害者がそれを責め、非難する場合と、
被害者がまったくおまいを責めようとしない場合、
この二つのどちらでおまいはより強い罪悪感を感じるだろうか?


30 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 11:53:58 0
>>29 既出>>17

31 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 13:53:14 0
良心が先天的だとすれば
その良心から導き出される最低限の道徳だとか善は必然的に生まれるし
しかもそれは全ての人にとって正当性を持つって事だよな。
共通した良心が先天的ならね。

32 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 16:49:30 0
先天かどうかは分からないけど、どの地域の人々の生活様式にも見られる
共通の規範て抽出できそうな気がする。

33 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 18:16:13 0
感情や情動を分析するに当たってはまずそれが獲得されて有利に働いた形質なのではないか、という
推察から入るべし。

要するに自分よりも弱く支配可能な対象に対して、過度に暴力的な態度や攻撃を加えたときに不快感が発生する
ようにしておくことで、必要の無い、しかも自己の種にとっても危険であるような過度な闘争を減少させることが出来る。
この機能が(厳密には機能というには早いが)有利に働いて現在の我々の感情の一つとしても残っているのだろう。
然るに感情はほとんどこの現象として説明できる。

付け加えると感情は連続性を持つことで我々の自己の最大の要素となっているので、
どの感情もニセだとか重要じゃないなんてことはないよね。どれも大切。

34 :29:2007/11/22(木) 20:53:38 0
>>30
俺は、>>17とはちょうど逆に、
人から責められない場合の方が罪悪感を感じるだろ、
と言いたかったわけだが、それも通じなかったか。orz
それにしても、>>29>>17と同じことを言っているとしたら、
「これは浅薄かもしれないね」の意味が通じないだろ?
いったいどういう読解力の奴なんだ!

35 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 21:29:18 0
肉を食べることに罪悪感があります
動物を殺すのは残酷だと思うからです
だから肉を食べることが出来ません
しかし肉を食べないことにも罪悪感があります
自分は罪悪感を避けてるだけの偽善者ではないかと思ってしまうからです
だから肉を食べないことも出来ません
堂々巡りなんです
この問題を解決するにはどうしたらいいでしょうか

36 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 21:32:43 0
ヒンドゥー教に改宗しなさい。


37 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 21:40:12 0
>>35
魚を食べましょう。

38 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 21:45:52 0
>>35
>だから肉を食べることが出来ません
>だから肉を食べないことも出来ません

どっちやねんっ!


39 :考える名無しさん:2007/11/22(木) 23:04:44 0
>>35
罪悪感を妄信するのではなく実際の悪を知ろうとすれば良い
肉食が悪だと結論すれば自ずと罪悪感は解消され
肉食は悪でないと結論しても同様だろう。
考えろ悩め堂々巡りしまくれ。

40 :考える名無しさん:2007/12/24(月) 11:52:26 0
>>35
自分に正直になるか、
他人に自分を投影するか。

他人によく思われたいなら、
君の思う「彼らは私がこうすると偽善者ではないと思うだろう」という
虚像を信じればいい。

自分を保ちたいなら、
自分に聞け。

41 :考える名無しさん:2008/02/06(水) 09:16:11 0
>>1
罪悪感というのは、人が神になろうとする欲望のことなのだよ。

42 :考える名無しさん:2008/03/10(月) 12:22:27 0
善と正義の混同?

43 :考える名無しさん:2008/03/20(木) 18:39:54 0
罪悪感なんて、ツンデレ専用の歪みにすぎないだろ。
罪悪感など感じたことがない。
有るんだって教え込まれても、身に覚えのない概念を信じ込むような面倒臭い生き方していない。

44 :考える名無しさん:2008/03/21(金) 10:58:38 0
不安感

不安感は言いようが無く、
ただただ、重圧として捉える人がいる。

「因果応報」の考えは宗教観が無くても
真理として世に通っている。

他人が、お前に対する害悪を「応報」と捉えて喜ぶことに
お前は恐れを抱いている。

集団真理がこあいのだろ坊ちゃんは?www

45 :考える名無しさん:2008/03/21(金) 18:59:09 O
罪悪感の正体は、親不孝。
親が子供の意志より自分のエゴを優先する親だったり
子供の幸せに嫉妬する親だと、幸せになるという当然の権利にすら罪悪感を持つようになる。

46 :考える名無しさん:2008/04/10(木) 20:36:25 0
親にかなり類似した人格の持ち主に嫉妬されて生きると、
まるで親にそう思われてる気になる。
人生後半でそんな経験をした。

47 :考える名無しさん:2008/04/11(金) 15:07:16 0
ミラー効果でしょう
相手に怪我をさせると、その痛みを想像して気分が悪くなる。
少しでも気分を軽くする為に、謝る。
結局人間は自己中心的な生き物だから、結論はこんな感じ。

48 :考える名無しさん:2008/04/11(金) 22:17:44 0
では相手の痛みを想像せず
謝らない人間の方が優れているということですか?

49 :考える名無しさん:2008/04/24(木) 23:10:19 0
>>48
そもそも優れているとは何ぞや?
あんさんが、人の痛みが分からない人間を軽蔑していればいいだけの話ずら。あんさんがそう思うのは構わね。だが、押しつけはいかんずら。
ようすっに罪悪感を抱きやすいことが劣っているだの、あんさんみたいにヒューマニズムの原点だと感動するのも人それぞれということずら。

罪悪感の正体か・・・日常を逸脱した感覚をもち、自己矛盾の感情にうなされていることでしょう。
つまり、なれないことをすると、之でいいのかという動揺ですがな。自らの行動への自信の欠如。

50 :考える名無しさん:2008/05/04(日) 21:53:57 0
結局ソレが起こったってだけじゃダメなのかな?

51 :考える名無しさん:2008/05/04(日) 23:02:30 0
要するに、文化の積み重ねで形成され、成長過程で強く刷り込まれてきた価値観みたいなものだろう。
ニーチェは、貴族的価値基準に対抗して出てきたユダヤ僧侶的価値基準が、奴隷一揆で勝利を収めたときに出来た道徳観うんちゃらかんちゃら。
もちろんそれだけですむほど簡単ではないけど、道徳観がルサンチマンと畜群本能と関わっているのは確かだろうな。
そこんとこはKYとかいうクソみたいな流行語によく現れている。あれは罪悪感という概念を高いレベルで体現してるね。

まあ自分に恥ずかしくない生き方を(または日本人的に言えばお天道様≠竍世間様≠ノ恥じない生き方というのもあるか)しようと思うかどうかか。

52 :考える名無しさん:2008/05/05(月) 23:32:17 0
罪悪感を持たないとどこまでも進んでい行ってしまうから、それに対してある一定のストッパー
をかけるために、社会を保つために、社会のために作られた物ではないかと。
だから本来、人間自身に備わってはいない物なのでは?

53 :考える名無しさん:2008/05/06(火) 00:42:44 0
人間社会が存続するために進化心理学的に意味のある感情。
欲望のママに自分勝手に生きる人間が増えたら社会が壊れるので罪悪感がある。
人間は罪悪感を感じながら生きるべきなのだ。

罪悪感を感じずに自分勝手に生きるべきだという現代の病んだ価値観が、
自分の罪悪感をゼロにしたいという不自然な欲望を生みだし、
俗物によるニーチェの通俗的解釈とかトンデモ心理療法とか
薬物依存症とか自分探しの旅とかのインチキな流行に繋がっている。


54 :考える名無しさん:2008/05/06(火) 08:51:20 0
結局、ニーチェが生み出した思想によって、今の我々が得ているものっていったい何なのかな?
我々は彼から何を学ぶべきなのかな? 「欲望」の形を壮大に広げて収集をせず終わったため、悪い方面
ばかりにその思想が利用されている感じがするのだけど。

55 :心の仕組みドットコム:2008/05/06(火) 21:21:33 0

>>19
>良心の呵責だろう。
罪悪感は、その人の良心が知らしめるものです。
>ところで良心って全人類に最初から備わってるものなの?
>後天的に生成されるの?良心について賢い人はどう言ってますのん?
人は先天的に良心が備わる感性を持って産まれてきますが、其れなりの刺激が加わらないと
良心は育ちませんので罪悪感も感じなくなります。




56 :考える名無しさん:2008/05/06(火) 21:57:44 0
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57 :考える名無しさん:2008/05/06(火) 22:16:08 0
ニーチェがどうこはどうでもいいが、
罪悪感なんて意味ないだろ。持たないで済めばそれにこしたことないよ。

58 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 02:06:46 O
罪悪感は人間という獣を律するためには必要なメカニズムだと思うが。
…不良がモテるのは中学までだぞ。
もちろん俺だって色々と背徳的な欲望はあるが、公共の福祉に反しない範囲でやりくりしてるわけで。
社会と書いて信用と読むと言っても過言ではない。
明日から疑心暗鬼になって生きるよりもモラルを大事にしたほうが賢明だと思う。
…ってめちゃめちゃ普通の事だったなW

59 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 03:22:33 0
大事な仲間を悲しませたら、
悪いことしちゃったなと感じるはずなんだけどね。
そのような気持ちを無視し続けていると、
蓄積していって、自分の精神の構造を大きく破壊してしまうのでは。

60 :心の仕組みドットコム:2008/05/07(水) 08:49:16 0

>>58
全ての罪は我にあり。
誰かも己の智恵不足を悔いていた訳ですね。
罪悪感も色々で、誰にも感ずるものと普通では感じない罪悪感も有ります。
本当は貴方の様に、
>明日から疑心暗鬼になって生きるよりもモラルを大事にしたほうが賢明だと思う。
と言うモラル(道徳、倫理、習俗)を普通に持つ心が大切なのですね。
またそれが一番、人生を楽しく暮らせる方法でも有るのです。


61 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 17:11:08 O
一言で言えば恐れ。


62 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 18:10:21 0
罪悪感はヒトという種族の存続、発展のためのメカニズムだと
思います。

つまり、個の欲望をヒトという種全体の利益と両立させるための
バランスを取るガイドライン的なものかなと(個のための)

それが本当にヒトにとって正しいかどうかは別にして、良いことと
(規範意識)とはその集団の存続発展のためにプラスになる行為を規定し
、罪悪感はその所属している集団のマイナスになるとコンセンサスを
得ている行為を規定するものではないでしょうか?

ヒトは一人ひとり別々に存在しているのではなく、深い心の奥底では
ゆるやかに繋がって種全体としても存在しているということを
私は正しいと思います。

自分の周りの他人を不幸にする行為とは、集団からの繋がりを
切るということと同義であり、そのことにヒトは不快の感情を
感じ、それが恐怖という認識をもたらすのだと思います。

63 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 19:39:39 0
61さんの言葉ではっとしました。
はたして自分が存在してよいのか?と疑った時の恐れ。
自己嫌悪に似ていますが、他者存在との関係性を巻き込んだ自己嫌悪。
加害者意識と被害者意識のバランスシートの不均衡。

64 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 20:28:51 0
罪悪感とは即ち、己の潔癖さ加減とか、己のルール主義の投影。

つまり、個人ごとの罪悪感は、個人の潔癖症の度合いによって
その大きさがに異なる。

もしくは、超越した神的存在に対置・対応する恐怖感とか、
神への畏敬の念で、通常これをヌミノーゼ、ヌミノースと言ふ。



65 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 03:01:20 O
罪悪感の対義語は欲望だと思うんだ。
そしてその2つの関係性が葛藤であると。
問題はあれだ。
欲望を解放すればするほど人生は楽しくなるという点だ。
キリスト教と黒魔術、天使と悪魔の構図から考えても太古の時代から上の点は人類を悩ませてきたと思われる。
飽くなき欲望と苦痛な禁欲主義、どちらが正しいのか?
ブッダは全て諦めろと言った。
しかし我々は科学という神を手に入れた。
もはや人類は立ち止まれない。

66 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 04:55:41 0






みなさん さようなら






67 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 14:21:58 0
>>62
言いたいことはなんとなくわかるけど、
少なくとも罪悪感に苛まれている人間は幸せにはなれないぞ。
将来的にその罪悪感が薄れるということを見越しての意見だろうからさ。

たとえば食に対する罪悪。
生物は他者の生命を食らって生きている。殺して、その屍の上に生きている。
この罪悪は、個の欲望とも種全体の存亡にも沿わず、むしろ逆らっている。
原罪ともとれるのだから、この罪に苛まれればヒトという種、ひいては生命を否定するに至る。

あと、
>ヒトは一人ひとり別々に存在しているのではなく、深い心の奥底では
>ゆるやかに繋がって種全体としても存在しているということを
>私は正しいと思います。
単純にオカルティックな人間と思われるから、言葉が少ないのには注意したほうがいいと思うよ。

68 :心の仕組みドットコム:2008/05/08(木) 16:21:54 0

>>67
罪悪感を失ったら人はお終いだ、と言うことも有ります。
原罪とはキリスト教からくる性悪説に基づいた言葉で、生きる為に生きるものを食すると言う自然の摂理に罪悪感は必要ありません。
己の命を養うために頂いた、他の命を無駄にせぬ為にも欲望に走らず自分の命を大切に扱う心が必要です。

69 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 16:37:51 0
罪悪感とは、心の鎖
これを断ち切ることで、人は自由になれる

70 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 18:19:56 0
>>67
>個の欲望とも種全体の存亡にも沿わず、むしろ逆らっている。

いや、しかし罪悪感の解除は、過食や自然破壊という形で種の存亡や個の健康を脅かしているではありませんか。
日本では神社で豊作豊漁を感謝したり、食べた物の霊を鎮めたりして、
自然破壊や飽食を防いでいたのだと思います。

71 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 23:02:28 0
では、自分一人しかいない世界を考えてみよう。
果たしてそこに罪悪感など生まれるだろうか?。

つまりだな、罪悪感とは、組織・社会を構成するための
基本的ルールに対峙した場合に起こりうる反作用みた
いなもんだろ。これを俺はルール主義と名づけるわけだが。

つまり、社会(他者)と罪には、関係性がある。
組織や社会が無ければ、罪なんていう概念は不要なんだよ。

72 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 23:17:56 0
神って者(概念)を持ち出しても罪悪感は生まれるよなぁ。



73 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 00:17:34 0
いずれにせよ、罪という概念は、
他者と対峙した場合に布置される概念だね。

罪悪感がないような世界では、個々人が好き
勝手に振る舞い、社会的な協調性は皆無だから、
今のように大きな社会構造を持つことはなかっただろう。
せいぜい、爬虫類クラスの社会構造止まりだろうね。

どっこい、哺乳類は、罪の意識を理解してるからね。

嘘だと思うなら、座敷犬でも叱って見ろ、しばらく鬱ってるからw。

多くの哺乳類は、罪と言う意識・叱られたという意識や認識を
持ってるよ。


ここでまた新たな罪の概念が生まれるわけだね。

叱られる…つまり、己に落ち度があり罪を犯したってことだね。

叱った側に筋があるか、叱られた側に筋があるかは、俺の知らぬところだが。

74 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 00:26:31 0
罪悪感の正体とか、と語るお前等は、かわええよ。www

罪の意識ってのは、はっきりいって、昔懐かしいね。

まぁ確かに俺にも確かに罪言う概念に振り回された覚えはあるが、

運良くも脳みそは崩壊しませんでしたよw。


75 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 00:29:20 0
なんか母の日になにもしたことがないのが罪悪感。
父の日はみんな無視してるから平気だけど。

76 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 00:40:31 0
>>70
そもそも罪悪感というのは、自然そこにあるものではなく
本人や外部の人間から定着させる、させられるものだと思うけどね。

罪というものは本人の意識いかんに関係なく存在するが、
その罪の存在に関係なく、罪悪感をおぼえない者がいる。

たとえば「罪悪感の解除」と言っているが、そもそもそれを狙っているのは誰か。
肉を部分売りにし、魚を切り身で販売し、ガスの存在を隠して車を勧める、売る側の人間だ。
消費者が個々に罪悪感に意識を向けるより、売る人間が購買欲よりそれらの問題に注視するほうが効果は高い。
まあ、これでは罪悪感が種の発展を促進しているという事柄を否定するには至ってないな。

そもそも過食や自然破壊が、人間にとって危ぶむべき事柄だと実際に認識されているのかが疑問だな。
これまでと同じく、いつのまにか誰かがどうにかしてくれてる程度の問題にしか捉えてないだろ。

>日本では神社で豊作豊漁を感謝したり、食べた物の霊を鎮めたりして、
>自然破壊や飽食を防いでいたのだと思います。
自然破壊を防ぐのはわかるが、飽食はどうなんだ?
民俗学に造詣が深そうだから、教えてくれるとありがたい。

77 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 01:00:51 0
>>76
罪悪感は自然にもあるでしょう。
あとから植えつけられるものもあるが。

78 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 01:52:56 O
再三既出の『罪悪感とは共同体の存続のために、成員である各個体に備わった欲望を制限する機能』という説明はちょっとズレてる気が…。

それはむしろ法律についての説明なら妥当かと。
つまり、そもそも個人の罪悪感に任せておいたら『万人の万人に対する戦い』になるから、社会契約に基づいてお互い欲望を制限しないと共同体そのものがたち行かないよね、という『お約束』で出来たのが法律なわけで。

もちろんそれも、生来的な罪悪感が合意によって外在化しただけ、とも言えなくはないですが。

けれど、とりあえず『法律に対する服従』としての『疑似(?)罪悪感』は置いておいて、

例えば、仮に法律も罰則も報復すらも無い状況で、自分の利益を阻む人間を殺すことに、それでも躊躇を感じるとしたら(感じない人は関係ないです)それはなぜか、という話の方が、罪悪感の正体を問うには生産的だと思うのですが…

的外れだったらごめんなさい

79 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 05:15:17 O
もっと根本的な部分を考えてみなさい。
いったい罪悪感の何が問題なんだ?
それは『窮屈である』って事だろ。
いつでも後ろめたさを抱えて生きるなんてのは鉄のヨロイを着て生活してるようなもんだ。
そのヨロイをスカチューンしていく事は生きる知恵でもあると思うぞ。
聖人君子みたいになる必要なんて無いんだからな。
チョイワルくらいでちょうどいいんじゃね?

80 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 08:09:46 0
>>78
法律なんかは、厄介者にどんな罰を与えるかってだけだろ。
自分がどんなに悪いことをやったか自覚させなきゃ、
また犯罪を起こすよ。

81 :心の仕組みドットコム:2008/05/09(金) 09:48:05 0

罪悪感は自分に、自分の「罪」や「悪」を「感」じさせる心でしょうね。
ですから罪悪感の発祥は自分の良心が源でしょう。
人が罪を犯しても悪いことをしても罪悪感が無ければ、犯罪者や悪人と言うことに成ります。


82 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 14:42:29 0
http://gurehime.blog14.fc2.com/blog-entry-425.html#comment2835

83 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 15:16:55 0
>>77
自然発生的に捉えることはできるが、
人工と自然の対比とすると、俺には人工に映るんだよね。

84 :考える名無しさん:2008/05/11(日) 04:31:58 O
>>81


> 罪悪感は自分に、自分の「罪」や「悪」を「感」じさせる心でしょうね。
> ですから罪悪感の発祥は自分の良心が源でしょう。


そうかな?
イスラム教徒が豚を食って罪悪感を感じるなど、禁欲主義者達が罪の意識を感じるのは本当に良心が源だと思いますか?


> 人が罪を犯しても悪いことをしても罪悪感が無ければ、犯罪者や悪人と言うことに成ります。


まだまだ、自己の本質に辿り着くまで深く潜ってみればいい。


85 :考える名無しさん:2008/05/11(日) 06:37:32 0
罪悪感にも色々あるということだよ。
自然法的なものに反した時の罪悪感
法律、所属している共同体の掟、権威に背いた時の罪悪感
個人的信条に反した時の罪悪感
罪悪感感じてないのに罪悪感感じてますとか言っちゃった時の嘘の罪悪感
これら全部区別しませんと。
イスラム教徒だの禁欲主義者の罪悪感は
大方共同体の掟や信条に背く相対的な事から感じられる種類じゃねーかな。

86 :考える名無しさん:2008/05/11(日) 20:13:24 O
けど「自然法的なもの」だと感じられる規範も、本人が「個人的な信条」だと思っているものも、
結局かなりの部分は「共同体の法や掟」が内面化されたものなのでは?
たしかフーコーが言ってるディシプリン(規律/訓練)ってのも、そういう事ではなかったかと。
各個人の内面に、それぞれには主体的で自然発生的な、けど実際は植え付けられた規範があるために社会が保たれてる、というやつ(うろ覚え。補足訂正あったら頼む…)

87 :考える名無しさん:2008/05/13(火) 04:55:26 0
只のすりこみ(笑)

88 :考える名無しさん:2008/05/13(火) 07:49:30 0
暗示
マインドコントロール

89 :心の仕組みドットコム:2008/05/13(火) 11:01:11 0

>>84
>イスラム教徒が豚を食って罪悪感を感じるなど、禁欲主義者達が罪の意識を感じるのは本当に良心が源だと思いますか?
イスラム教徒は豚を食べないから、イスラム教徒が豚を食って罪悪感を感じることは有りません。
禁欲主義者達が(欲に)罪の意識を感じるのは良心が源です。
人に智恵が有れば、欲と望の区分けができ人は欲で生きるものではない、と言うことが理解できます。
ですが「人は欲が無ければ生きられない」と皆さんは思い込まされているのです。

90 :考える名無しさん:2008/05/13(火) 22:01:01 O
>>89

> イスラム教徒は豚を食べないから、イスラム教徒が豚を食って罪悪感を感じることは有りません。

知らずに食って悩んでいる人をテレビで見たことがあるんだけど…。

> 禁欲主義者達が(欲に)罪の意識を感じるのは良心が源です。

シスターがセックスに罪の意識を感じるのも良心なのか?
あなたのライバル(?)のユダヤ人達は向上心がないのは罪だとして、必至になって成り上がろうとするのも良心が源ですか?

> 人に智恵が有れば、欲と望の区分けができ人は欲で生きるものではない、と言うことが理解できます。
> ですが「人は欲が無ければ生きられない」と皆さんは思い込まされているのです。

僕には「欲」も「望」も必要ない。すでに満たされているんでね。

罪悪感の正体は、自分が大切だと思っていた概念や観念を壊してしまった、失ってしまったことによる虚無感だろう。

91 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 11:17:59 0
>>86
そうかもしれないね。ただそれにしてもやっぱり
イスラム教徒が豚を食うときの罪悪感と
罪のない人を殺す事への罪悪感
個人的なこだわりを守れなかった際に感じるような罪悪感
は区別して然るべきだと思う。

で、どう区別するかというと俺は合意の数でこの区別を説明したい。

@自然法的なものに反した時の罪悪感
A所属している相対的でローカルな共同体の掟に反した時の罪悪感
B個人的信条に反した時の罪悪感

はこの順番で合意する人数が多い順になってると思う。
つまり@万人A多数派B個人といった具合だ。
何に合意してるかというと当然それは何を罪とするかについてね

92 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 11:47:07 0
「赤信号 みんなで渡れば 罪悪感なーし」ってか?

93 :心の仕組みドットコム:2008/05/14(水) 15:55:54 0

>>91
そうですね。
自分が罪を犯さなくても罪を犯したと思い込めば、そこに罪悪感が生じるのですね。
広辞苑より【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
道徳に背けば罪悪ですが、一つの宗教を信じれば他宗教の教えに背くことですから宗教を信じることが罪悪と言えるのですね。
つまり「罪悪を道徳や宗教の教えにそむく行い」としながら、キッパリと宗教は罪悪だと言い切っているのです。
言葉の扱い方がハンパじゃ有りませんね。

94 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 16:14:05 0
広辞苑が「宗教は罪悪だ」って言い切ってるんだって? ばっかじゃねw

95 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 16:24:01 0
>>1
「良心」に決まってるでしょうが。

96 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 16:50:36 0
だから、その良心の正体が、
制裁とか周囲の人たちの否定的態度の予想に過ぎないのか、
それともそうでないかを議論しているわけです。


97 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 17:17:24 0
大丈夫。罪悪感は日々成長していることの表れですよ。

98 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 18:11:35 0
罪悪感という衣を脱ぎ捨て、裸になるのだ!!!

99 :心の仕組みドットコム:2008/05/14(水) 22:43:52 0

>>94
君には言葉の意味を読み切れないね。
【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
とすれば、宗教に溺れている者達はこれで納得するでしょう。
ところが自分が信じる、宗教の教えにそむく行いとは書いて有りません。
つまり何教と言う制限がないので全ての宗教となるのです。
全ての宗教の教えにそむく行いならキリスト教徒が仏教の教えに背けば罪悪になるのです。
つまり世界八十万種ある全ての宗教の教えに背けば罪悪だと言うことです。
分かるかな、、

100 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 00:42:44 0
>>94
特定の宗教Aを信じる事は宗教Bの教えに背く事になるかもしれない
そして宗教の教えに背く事を罪悪と定義してるからには
宗教Aを信じる事は罪悪であると言わざるを得ない。
という論理じゃないか?多様な人間が平和的に共存するにはこういう考え方が必要になってくるな。
>>96
仮に良心の正体が「制裁とか周囲の人たちの否定的態度の予想」だとすれば
あとはその制裁や人々の否定的態度は相対的なのかどうかというのが問題になりそうだな。
何に制裁を下すか、何に否定的態度を示すかが、時代により人により場所により完全に相対的なら
良心は所詮は相対的なものでしかないとしか言えない。
だがある程度までは相対的だとしても「完全に」相対的かというとそうは断言できないように思う。

101 :心の仕組みドットコム:2008/05/15(木) 09:51:56 0

>>100
>多様な人間が平和的に共存するにはこういう考え方が必要になってくるな。
私が思うに昔からこの想いは有りましたが、あからさまに言ったのでは反発が強いので気付く者にしか気付けない工夫をして残したと思います。
つまりロダンの地獄門の作品の様に、支配社会の陰湿さを痛烈に織り込んだものと同じだと考えます。
>だがある程度までは相対的だとしても「完全に」相対的かというとそうは断言できないように思う。
良心は知恵の源を司る真理の更に源を司るものですから、真の良心で有れば「制裁とか周囲の人たちの否定的態度の予想」何てことは有り得ません。
曖昧な良心からは多種多様な思いが育ちますので千差万別の意見が生まれます。

102 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 10:26:27 0
>>100
> 仮に良心の正体が「制裁とか周囲の人たちの否定的態度の予想」だとすれば
> あとはその制裁や人々の否定的態度は相対的なのかどうかというのが問題になりそうだな。

「良心」は所属する社会集団の規範の内面化されたものに過ぎない。
社会集団が存続するためには、「同じ集団の成員を殺してはならない」
というような規範を持たざるを得ないだろう。
時代・場所に関係なく存在する「良心」の共通の内容は、
この存続可能な社会集団の規範の共通性に過ぎない。

103 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 10:34:58 0
社会集団と一口に言っても国なのか人類共同体なのか
どっちの規範に従えばいいのか

104 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 11:38:22 O
>>93
> 広辞苑より【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
> 道徳に背けば罪悪ですが、一つの宗教を信じれば他宗教の教えに背くことですから宗教を信じることが罪悪と言えるのですね。
> つまり「罪悪を道徳や宗教の教えにそむく行い」としながら、キッパリと宗教は罪悪だと言い切っているのです。
> 言葉の扱い方がハンパじゃ有りませんね。

つまり、あなたの屁理屈では、全ての人類は皆、全ての宗教の教えに背いてはいけないことになってしまいますよ。
で、あなたは全ての宗教の教えに従っているのですか?
広辞苑の教えに背くことは罪悪とは書いていないのですから、いくらでも背いていいのです。

105 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 11:44:25 O
>>99

> 【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
> とすれば、宗教に溺れている者達はこれで納得するでしょう。
> ところが自分が信じる、宗教の教えにそむく行いとは書いて有りません。
> つまり何教と言う制限がないので全ての宗教となるのです。
> 全ての宗教の教えにそむく行いならキリスト教徒が仏教の教えに背けば罪悪になるのです。
> つまり世界八十万種ある全ての宗教の教えに背けば罪悪だと言うことです。
> 分かるかな、、


全ての宗教の教えに従わなければいけない。従わないのは罪悪である。全ての宗教は正しいということになります。


106 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 13:02:40 0
何でドットコムの馬鹿げた妄想に付き合うんだ?
広辞苑が「宗教を信じろ」とか「信じるな」なんて言ってると思う奴が、
ドットコム以外にもいるのか?w

107 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 14:25:50 0
みんなドットいじりが好きなんだよ

108 :心の仕組みドットコム:2008/05/15(木) 15:52:09 0

>>104
>つまり、あなたの屁理屈では、全ての人類は皆、全ての宗教の教えに背いてはいけないことになってしまいますよ。
面白いんじゃないですか。
つまり宗教を信じる者は、全ての宗教の教えに背いてはいけないと言うことですよ。
人類は皆、と言う注約が着いてないでしょ。
宗教を信じない人は道徳の方だけで関係ないのですよ。
世界に八十万種、日本だけでも12,500種の全ての宗教の教えを君が覚えれ従って見ればきっと世の中は平和に成りますよ。
宗教戦争も無くなるでしょうね。
>>105
>全ての宗教の教えに従わなければいけない。従わないのは罪悪である。全ての宗教は正しいということになります。
【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
宗教の教えが正しいとは書いて有りません。
宗教の教えにそむく行いが罪悪だと書いて有るのですよ。
>>106
無知に気付かれず、真実を記すことの知恵は大変なものですね。
【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
これならば宗教に捕らわれている無知が全員、納得するでしょう。
ところが実体は、宗教そのものを否定しているのです。
つまり知る者ぞ知る、と言う高度な話法です。

109 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 16:31:05 O
>>108
> つまり宗教を信じる者は、全ての宗教の教えに背いてはいけないと言うことですよ。
> 人類は皆、と言う注約が着いてないでしょ。

宗教を信じる者は、と言う注約も着いてないでしょ。

> 宗教を信じない人は道徳の方だけで関係ないのですよ。

なんでも自分の思い通りに解釈・こじつけするのは、自分を正当化しようとする心の働きですね。
自分が善であろうとするから、相手を悪だと否定し、自分を正当化しようとする。
自分が知であろうとするから、相手を無知だと否定し、自分が知者であろうとする。

> 【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
> これならば宗教に捕らわれている無知が全員、納得するでしょう。
> ところが実体は、宗教そのものを否定しているのです。

どこが?

> つまり知る者ぞ知る、と言う高度な話法です。

つまり、こじつけという話法です。


110 :考える名無しさん:2008/05/15(木) 17:18:13 0
うむ、あぼーんをうまく使うと
糞とそれに群がる蝿が浮き彫りになるわけだ。
なるほど。

111 :考える名無しさん:2008/05/16(金) 09:22:55 0
反省

112 :心の仕組みドットコム:2008/05/16(金) 09:55:56 0

>>109
>つまり、こじつけという話法です。
違うよ。
無知に気付かせず、真実を盛り込むと言う方法です。
【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。
宗教を信じぬ者達が宗教の教えに背くはずが無いのだから、宗教を信じぬ者達には
「宗教の教えにそむく」行いは関係がないんですよ。
言われないと気付かないでしょ。
だから宗教を信じる者達は、全ての宗教の教えに背けば【罪悪】だと言うことですよ。
「それじゃあ、宗教を信じてられないよ」それが一番、良いことですね、、

113 :考える名無しさん:2008/05/16(金) 10:03:44 0
「宗教を信じぬ者達が宗教の教えに背くはずが無い」のであれば、
「自分が信じぬ宗教の教えに背くはず無い」のだから、
自分が信じている宗教にさえ従っていればいいことになる。
ドットコム以外の人にとっては、これが道理。w

114 :心の仕組みドットコム:2008/05/16(金) 15:56:15 0

>>113
二行目と三行目の繋ぎができてないよ。
意味不明、、

115 :考える名無しさん:2008/05/16(金) 16:33:57 0
そうかい? じゃ、まず
「宗教を信じぬ者達が宗教の教えに背くはずが無い」
がどういう意味なのかを説明してくれ。


116 :考える名無しさん:2008/05/16(金) 19:42:53 O
他の人々に無知だと蔑んでばかりいる賢者など、人々に蔑まれて当然だろう。
理にかなっていると思わないか?
愚か者が賢者のふりをしても、やっぱり愚か者は愚か者だ。


「老子」二十二章

自己を知者とみなさぬから、かえって人から知者とされる。自己を是とせぬから、かえって人から是とされる。自己の功を誇らぬから、かえって功を認められる。自己を有能と考えぬから、かえって能力を讃えられる。


「老子」二十四章

自己を知者とみなす者は、知者ではない。自己を是とする者は、是ではない。自己の功を誇る者は、功を失う。自己を有能とみなす者は、有能ではない。

117 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 00:16:59 O
アホ言う奴がアホじゃ!アホ!…あっ!

118 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 08:21:15 0
アホ!アホ!アホ!

119 :心の仕組みドットコム:2008/05/17(土) 11:19:15 0

>>115
心の教えとは他人から吹き込まれた生き方を言います。
例えば、異教徒は邪教を信じる悪魔だから容赦なく殺せと教えられれば、それが教えですね。
キリスト教徒にはイスラム教徒は邪教を信じる悪魔で、イスラム教徒にはキリスト教徒は邪教を信じる悪魔なのです。
そこで、宗教の教えを吹き込まれていない「宗教を信じぬ者達が宗教の教えに背くはずが無い」と言うことです。
心に関する教えは人の心を記憶力に取り込み、探求心を消し去り応用の効かない無知に陥れるのです。
ですから教えを覚えることに走り、自分では何一つ考えることのできないロボットに成るのです。
聖書の何条、何項にはこう記されているとかブッダはこう言った、老子の教えはこうで有るとか自分の存在が無くなるのです。



120 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 11:43:03 O
>>119
> 心の教えとは他人から吹き込まれた生き方を言います。

> 心に関する教えは人の心を記憶力に取り込み、探求心を消し去り応用の効かない無知に陥れるのです。
> ですから教えを覚えることに走り、自分では何一つ考えることのできないロボットに成るのです。
> 聖書の何条、何項にはこう記されているとかブッダはこう言った、老子の教えはこうで有るとか自分の存在が無くなるのです。


なるほど、だからあなたは「理」とは何かと辞書を読み覚えて吹聴するだけで、あなた自身は理にかなわないことをしているのですね。

121 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 11:52:42 0
>>119
関係ないことを長々と書いてあるだけで、
「宗教を信じぬ者達が宗教の教えに背くはずが無い」
がどういう意味なのかの説明になっていません。

122 :心の仕組みドットコム:2008/05/17(土) 12:51:02 0

>>120
>なるほど、だからあなたは「理」とは何かと辞書を読み覚えて吹聴するだけで、あなた自身は理にかなわないことをしているのですね。
私は己の良心と問答を繰り返し理に辿り着きましたので辞書に限らず、書物や他人の思想を覚えたことは有りません。
辞書が私の知恵に近いので辞書を使わせて戴いているだけです。
>>121
並みの人なら分かると思いますよ。


123 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 13:42:20 0
知識と経験、どっちが大事?のスレでいわれてるぞw
 621 名前:考える名無しさん :2008/05/17(土) 13:19:13 0
 >>616








  「病棟から逃走したドットマークのおっさんを見かけたらスグ連絡ください」・・院長、松沢。


        わはははははははははははははははははっw !!

124 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 14:00:40 0
>>122
結局、「宗教を信じぬ者達が宗教の教えに背くはずが無い」がどういう
意味なのか、説明もできないということですか?
そうでないなら、きちんと説明してください。

125 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 14:06:28 0
ふつうに考えれば、宗教を信じぬものは、
たとえば、「神を信じなさい」という宗教の教えに
背いているわけです。

126 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 14:11:45 0
「宗教を信じぬ者達が宗教の教えに背くはずが無い」
これは、たぶん、宗教を信じない人間は、宗教の教えを知らないから
背きようもないという話かね

127 :考える名無しさん:2008/05/17(土) 14:19:09 0
宗教の教えを知った上で信じない人間はどうなのさ?

それに、「背く」をそのように理解すれば、
「ある宗教を信じることは他の宗教の教えに背くことになるから罪悪」
という根拠に基づく宗教否定論は成り立たないね。


128 :心の仕組みドットコム:2008/05/17(土) 15:04:00 0

>>126
宗教の教えは、信じることで教えとして成り立つのです。
つまり、宗教の教義を信じ込まされていない者には教えとしての意味を持たないのです。
宗教を信じぬ者は宗教の教えをゴミ扱いしますので背くも何もないのです。
だが【罪悪】道徳や宗教の教えにそむく行い。 だから一つの宗教に捕らわれる者が他の宗教の教えに背けば罪悪だよ、と言うことです。
なぜなら、そこに必ず宗教間の殺し合いが始まるからです。


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