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・*:.。..。.:*・゜プラグマティズム・゜゚・*:.。..。.:

1 :考える名無しさん:2008/01/12(土) 10:03:53 0
   ,―――-、
  /  /~~~~~~~\
  | /  /  \|
  (6   (・) (・) |
  も     つ |   
  |    lll|||||||||ll |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  | |    \_/ /  <  our conception of these effects is
/| \___/\   \ the whole of our conception of the object.
                \________

2 :1:2008/01/12(土) 13:43:09 0
   ,―――-、
  /  /~~~~~~~\
  | /  /  \|
  (6   (・) (・) |
  も     つ |   
  |    lll|||||||||ll |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  | |    \_/ /  <  誰も来ない
/| \___/\   \ 
                \________

3 :考える名無しさん:2008/01/12(土) 19:22:08 0
スレタイと>>1が…

4 :1:2008/01/12(土) 20:26:21 0
>>3
ん?どうかしたか?

5 :考える名無しさん:2008/01/13(日) 00:36:41 0
≫1
ジャイアン、具体的な問題提起は?

6 :1:2008/01/13(日) 01:01:04 O
正式にはジャイアンではなく水野晴郎らしいのだが、水野晴郎に見えるのなら水野晴郎なのだろう。

7 :考える名無しさん:2008/01/13(日) 01:15:06 0
泣けるスレだな。

8 :考える名無しさん:2008/01/13(日) 01:49:17 0
5 ジャイアンではなく水野春郎であるということが、
プラグマティズム理論を援用して証明されました。

9 :考える名無しさん:2008/01/13(日) 01:59:10 O
間違えた。
ジャイアンに見えるならジャイアンなのだろう。な

10 :考える名無しさん:2008/01/13(日) 08:24:39 0
5 ジャイアンのようにも、また、水野春郎のようにも
見える、ということがプラグマティズム理論を応用した
議論によって明かとなりました。哲学界でこれはいずれ
新たな発見として発表される見通しである。

11 :考える名無しさん:2008/01/17(木) 21:43:34 0
ローティ以降、正当なプラグマティズム継承者出てこないねー
パトナムはなんか違うしな。

12 :考える名無しさん:2008/01/17(木) 21:45:45 0
つか、なんで日本では現象学やらポストモダンばっかりで
プラグマティズムの人気が全くないんだ
20世紀以降の哲学はプラグマティズム抜きでは絶対に語れないはず。

13 :考える名無しさん:2008/01/17(木) 22:14:32 0
やっぱ「実用主義」なんて訳がいけないんじゃね?

14 :考える名無しさん:2008/01/17(木) 22:19:53 0
実は大きな影響を受けている。いわゆる資本主義経済の真髄はプラグマティズム的精神に基づくものだし、知らず知らずのうちに生活の中にも深く浸透している。

プラグマティズムは実践哲学で机上の哲学とは違う。科学技術とも非常に近い。というか逆に科学技術や西洋合理主義の思想から生まれたのがプラグマティズムといっていい。


15 :考える名無しさん:2008/01/17(木) 22:52:10 0
つーか、鶴見が変な流入に拍車かけた気が。
なんつーか、日本のミード研究(船津)もマルクス主義と対決
「するため」のみに行われてきた気がするし。大森あたりが、
も少ししっかり導入してくれればよかったんだが。。

16 :考える名無しさん:2008/01/18(金) 01:20:18 0
ここで河村望先生の登場です

17 :考える名無しさん:2008/01/18(金) 05:21:52 0
>>12
分析哲学自体がプラグマティズムの隠れ蓑になってるからいいんじゃないか。
分析哲学は日本ではここ10年でずいぶんメジャーになったし。


18 :考える名無しさん:2008/02/07(木) 13:17:01 0
大人になったジャイアンか

19 :考える名無しさん:2008/02/15(金) 12:21:53 0
肥えた豚より痩せたソクラテスになりたいでぃしょ

20 :考える名無しさん:2008/02/15(金) 12:23:10 0
最大多数の最大幸福でぃしょ

21 :雀蜂の巣:2008/02/15(金) 15:25:15 0
『一般言語学第二回講義』フェルディナン・ド・ソシュール、相原奈津江・秋津伶訳、エディット・パルク、2006年。
『一般言語学第三回講義』フェルディナン・ド・ソシュール、相原奈津江・秋津伶訳、エディット・パルク、2003年。
『言語學原論』フェルディナン・ド・ソシュール、小林英夫訳、岡書院、1928年。
本書では「ソッスュール」と表記。改版新訳の初版(1940年刊)以降は岩波書店より刊行。
『一般言語学講義』フェルディナン・ド・ソシュール、小林英夫訳、岩波書店、1972年。
『言語学原論』を改版新訳の上改題。
丸山圭三郎『ソシュールの思想』、岩波書店、1981年。
わが国のソシュール解説として代表的なもの
「ソッスュール『言語学原論』を繞って」『本屋風情』岡茂雄著、平凡社、1972年、129〜132頁。

22 :考える名無しさん:2008/02/15(金) 15:26:05 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Ferdinand_de_Saussure.jpg

23 :考える名無しさん:2008/02/15(金) 15:26:48 0
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8f/Ferdinand_de_Saussure.jpg

24 :蝙蝠の巣:2008/02/20(水) 13:50:32 0
http://www.aozora.gr.jp/cards/000207/card357.html
http://www.aozora.gr.jp/cards/000207/card42284.html
http://www.aozora.gr.jp/cards/000207/card372.html

25 :考える名無しさん:2008/02/20(水) 13:51:12 0
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person207.html#sakuhin_list_1

26 :考える名無しさん:2008/03/23(日) 16:43:23 0
パースの読みにくさは何とかならんのか。

27 :考える名無しさん:2008/04/12(土) 09:12:35 0
>>26
ムリデス

28 :考える名無しさん:2008/05/01(木) 15:47:29 0
頑張れ

29 :考える名無しさん:2008/05/01(木) 20:11:02 0
ありがと

30 :中川観者:2008/05/02(金) 15:36:51 0
プラグマティズム…生きることに役立つものが真理>>>>
個人にとっては、救いの思想。

31 :考える名無しさん:2008/05/02(金) 20:24:22 0
>>30
救いの思想の中身がぜひ知りたい。


32 :中川観者:2008/05/02(金) 21:36:51 0
ジェイムズは、人の意識がどう働き、どんな結果をもたらすかを注視
しました。意識は持続する『意識の流れ』であり、それが生命そのもだと確信を得ています。
それがプラグマティズム。

たとえば、>>30あなたが明日の活力のためにセックスが生き甲斐だと感じるなら、今にもセックスを楽しむべき。
生きるために役にたつものが真理。役に立たない哲学書・宗教書は処分処分。

信仰しかり、信仰により命を感じるなら、その信仰は、あなたにとって真理の信仰です。

33 :考える名無しさん:2008/05/02(金) 23:02:12 0
要するに、アメリカ流のやり方での形而上学批判の思想だと思えばよい

34 :考える名無しさん:2008/05/02(金) 23:04:37 0
>>32
ご教示ありがとうございます。


35 :中川観者:2008/05/03(土) 23:13:23 0
ジェームズは、信仰は人々に生きる意味を与えたり、心に安寧をもたらす。
だから有用なものである。だから宗教を肯定したのです。
効果があるものが真理です。(個人の生命にとっては。)
我欲も支配欲も性欲も大切なもの。

36 :考える名無しさん:2008/05/03(土) 23:19:35 0
わたしはこれまでに性欲のせいで何回も失敗した。

37 :考える名無しさん:2008/05/04(日) 00:06:27 0
プラグマティズム関係の本少ないよー。


38 :中川観者:2008/05/04(日) 00:49:15 0
私は、性欲のおかげで、生きる実感を毎日味わっている。毎日。
そして、生きてる生命を頂いている。

39 :考える名無しさん:2008/05/04(日) 11:55:41 0
自分の性欲にどう対処するべきなのだろうか。
無条件に開放すると痴漢になってしまう。


40 :中川観者:2008/05/04(日) 23:03:45 0
破廉恥・痴漢・強姦…までは逝くのは、もちろん犯罪内。←無条件を超えると。

プラグマの性欲は自分自身の満足内で求めるもの

41 :中川観者:2008/05/04(日) 23:22:25 0
自分の性欲にどう対処するかは、時間と経験そして、克己心の鍛錬しかないと思う。
自分の性欲をコントロールできないから、現代に性犯罪が蔓延している訳です:・・:・☆☆

42 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 07:55:05 0
功利主義か。

43 :中川観者:2008/05/07(水) 08:51:36 0
幸福であることが善であるという、功利主義でいいのでは、
道徳の範囲内の幸福(性犯罪…援助…は除く。)であればプラグマティズムOkよ〜。

形而上の哲学など必要なし。

44 :こんなんもあるでよ。:2008/05/08(木) 11:18:40 0
149 名前:OFW :03/02/01 21:16
なかなか面白いテーマで、基本的な質問を一つ。
「効用性」(utility)という言葉は「役に立つ」「実用性」といった言葉と同義であり、何らかのモノ的存在の属性を表わす概念で
すが、功利主義者が個人あるいは社会の<幸福>をその手段に過ぎない<モノの効用>に還元してきたのは、何故なの
か?
たとえば、エピキュロスは快楽主義者だったかも知れないが、少なくとも功利主義者ではなかったろう。
また、幸福自体は計量不可能であるから、その尺度として有用物(つまり財あるいは資源)の量を持ち出してくるのは一見自
然に見えるが、そこには、幸福を財(所有)に還元する市民(ブルジョア)社会のフェティッシュな思考が見え隠れする。
そう考えて行くと、最近の選好功利主義という立場も、幸福や自由の問題を、その手段ないし条件であるモノ(資源)に対す
る選好の問題に還元し、実質的に幸福や自由や生命を損得勘定に還元するブルジョア(資本家)思想と言えるのではない
か?(例:臓器移植とサバイバルロッタリ)
経済学では「価値は限界効用である」と言われるが、価値は効用の否定であり、道徳は快楽の否定、法律は道徳の否定、
政治は法律の否定でしょう。


45 :こんなんもあるでよ。:2008/05/08(木) 11:19:43 0
165 名前:OFW :03/02/03 22:42
>>150
さっそくのレス感謝。さて・・・

>社会一般の快楽(これを幸福と呼ぶ)
>前者は一般に利己主義と呼ばれ、アリストテレス・・・
一般的な用法とは少しずれているような。
「一般的に言えば,幸福とはある主体の欲求ないし要求が持続的に満たされた状態を意味する.」(岩波『哲学・思想事典』
「幸福」の項)
「自己の利益や欲望の充足をひたすら追い求め,そうした己の行為が他者に及ぼす影響を度外視する行為原理.」(同上「利
己主義」の項)たとえば、プラトンは「幸福とは魂の秩序である。」と言っています。


46 :こんなんもあるでよ。:2008/05/08(木) 11:20:49 0
166 名前:OFW :03/02/03 22:43
>>150(つづき)
>功利主義者なら幸福自体の計算を問題にしないでは意味がない
その通りでしょう。しかし、それは<私的言語の不可能性>と同じくらい不可能なことは、少し考えてみれば明らかであり、実
際に行っているのは富あるいは価値の計算だということです。
簡単な話、計算するための<幸福の単位>は何でしょう?
1.自分を“幸福だと思っている”個人を無差別に1(単純幸福人)とする。
→ 主観性の比較不可能性の問題を措いたとしても、それは幸福自体の量を測ってはいない。
  「私はあなたより、どれだけ幸福なのか?」
2.ある社会で“他人に比べて幸福だと思っている”個人を無差別に1(比較的幸福人)とする。
→ 定量(量の限定)は既に<より幸福>という変量に変わっているから、幸福相対主義への転落である。
  「どこかの共産主義社会に比べれば、千倍幸福だ。」   
3.ある社会で幸福とされる標準的な属性(例:身体的、精神的、経済的、等々)を“実際に持っている”個人を1(標準的幸
福人)とする。
→ 属性は<所有>(帰属性)を前提するから、それは既に幸福自体ではなく、その基準あるいは条件の問題に変容してい
る。
  「並外れた容姿をもつ女性はその分だけ幸福なのか?」 
4.上記3に対する機会(可能性)に開かれた個人を1(可能的幸福人)とする。
→ 現実性から可能性への飛躍は、幸福と不幸の境界を曖昧にする。
  「今は不幸でも明日は幸福になれるなら、既に幸福なのか?」


47 :こんなんもあるでよ。:2008/05/08(木) 11:21:40 0
167 名前:OFW :03/02/03 22:43
>>150(つづき2)
>選好の対象はモノ(資源)とは限らない。
その通りでしょう。しかし、対象(object)とは一定の限定された存在者であるから、たとえば<行為に対する選好>は行為の
対象に対する選好に帰着する。
「善行とは善なるものを目指す行為である。」
幸福に関する効用の立場とは、幸福自体でなく<幸福をもたらすモノ>が選好対象となるという、特殊な(媒介的な)立場
だということです。

>ヒュームが使った用語を単にベンサムが借りただけじゃないの?
ヒュームの<社会的効用>(social utility)とベンサムの<効用原理>(principle of utility)との共通点と相違点は多くの議
論が可能でしょうが、さしあたりベンサム自身の効用の定義を挙げておくと、
「功利性(utility)とは、あらゆるものにある性質であり、その性質によってそのものは、利害関係のある当事者に対し、利得、
便宜、快楽、善、幸福(これらすべてはこの場合同じことになるのであるが)を生み出す傾向を持つのであり、または、 (再
び、同じことになるのだが)利害関係のある人に対し、損害、苦痛、悪、不幸が生じることを妨げる傾向を持つのである。もし
その当事者というのが社会一般であれば、社会の幸福であり、特定の個人であれば、その個人の幸福である。」


48 :こんなんもあるでよ。:2008/05/08(木) 11:23:10 0
168 名前:OFW :03/02/04 17:11
功利主義が帰結主義の一種とみなされているのは一見奇妙である。何故なら、効用の立場とは目的である快あるいは善に
とって手段として役立つものを重んじる立場であり、それに対して帰結主義とは、ある行為それ自体ではなく、それが引き起こ
す結果によって、その道徳的正否を決めるという立場であるから。つまり、行為の目的ー手段連関が過程の原因ー結果連
関に逆転しているわけである。次の言葉はその辺の事情をよく示している。
「たとえば他人の幸福、人類の向上、あるいは何かの芸術でも研究でも、それを手段としてでなくそれ自体を理想の目的とし
てとり上げるのだ。このように何か他のものを目標としているうちに、副産物的に幸福が得られるのだ。」(J.S.ミル)
ここにあるのは、現代の利己主義マンセーとは裏腹の、理想主義的な功利主義思想であり、経済学的には古典派経済学
(それは自己の利益を追求すれば、結果として社会の福祉が増大すると主張する。)から厚生経済学への変容を示すもので
ある。「構造改革なくして景気回復なし。今日の(他人の)痛みに耐えれば、明日の(我が身の)繁栄が結果としてやって来
る。」(某首相)


49 :こんなんもあるでよ。:2008/05/08(木) 11:23:59 0
171 名前:OFW :03/02/08 05:50
主体が何らかのモノを使用することにより主体の目的に適う効果が得られる場合、「そのモノには効用がある。」と言われる。
有用物の所有は財(property)と呼ばれ、財は幸福の物質的な条件とされる。そのために、幸福を求める者は、まず財を獲
得することを目指す。
無論、功利主義者はそれを奨励するだろう。しかし個人の財にも限度がある。限度を超えた所有欲は貪欲と呼ばれ、限度を超えた節約は吝嗇と呼ばれる。
世界をそれ自体としてではなく、有用物に溢れた世界と見て、それを我がものにしようとするのが、世界に対する功利主義的
態度である。そして、その極限には<他者にとっての有用物>(つまり商品)を宇宙の崖まで充満させ、それらの一般的等価
物(つまり貨幣)を手中にすることにより、世界自体を所有しようとする「ブルジョアジーの夢」(ベンヤミン)がある。
その限り、功利主義は近代ブルジョアジーの最強のイデオロギーであり、個人の自由というその精神主義の真理は<所有の
自由>という物質主義(俗物主義)なのである。


50 :こんなんもあるでよ。:2008/05/08(木) 11:24:35 0
173 名前:OFW :03/02/08 05:55
効用の大きさはそのモノの使用によって得られる効果の大きさであり、究極的には主体の主観的な満足度そのものとされる。
しかし、個人の満足には限度があることを知るのは、知恵の第一歩である。
たとえば、人が米を食用に供するのは、それにより空腹を満たすためである。その場合、夕飯に茶碗2杯分の飯を常用する
個人にとって、茶碗1杯分の米では不十分であり、また茶碗3杯では多過ぎるだろうから、満足の大きさが(過不足のない)
茶碗2杯で最大になることは、容易に分かる。
では、満足度によって計られた、米の効用の“客観的な”大きさも茶碗2杯で最大か?と問えば、通常は「否」という答が返っ
てくるだろう。
<モノの効用>とは相対的な存在であり、一方で主体の目的や性質、他方でモノの機能や品質によってその質および量が
異なるから、常に「誰にとって、何のための、いかなる状況での効用か?」が指示されなくては意味のない事柄である。そして
また、<満足度>という主観的かつ浮動的な効果から計られた効用を、客観的にも妥当すると主張することはさらにでき
ない、と。
実際「誰にとっても、いつでも、変わらずに有用(つまり常に無用)」なのは貨幣くらいだろう。
しかし逆に、効用とは単に主観的なもので何らの客観性もない、と主張することもまた誤りである。たとえば、主食としての米
の効用が万人にとって普遍的であることには生物学的な根拠があり、基礎的栄養源としての米の効用とは客観的なものであ
る。その限り、<茶碗1杯分>という飯の単位は標準的な個人(身の丈)を基準にした米の効用の単位でもあり、効用の客
観性を表している。


51 :こんなんもあるでよ。:2008/05/08(木) 11:25:11 0
174 名前:OFW :03/02/08 05:56
さて、茶碗1杯分では不足だが茶碗3杯分では過剰である、という上記の事情が経済を発生させる。
<希少性(あるいは希少価値)>の登場である。
過剰な有用物は無用であり、有害ですらある。しかし、今日は過剰な米も、明日には希少(不足)になる恐れがある。それが
貯蓄の根拠である。また、ある人にとって過剰な米も、他の人にとって希少(不足)であるかも知れない。それが交換あるいは
再分配の根拠である。最後に、現存する米が希少(不足)な場合、それを必要十分な量にすれば良い。それが、貨幣など
存在しなかった太古から営々と行われてきた、生産の根拠である。


52 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 19:38:51 0
コピペするんならお仕舞いまでしたら!

175 名前:OFW :03/02/08 07:08
たとえば、当初1万円と値踏みされていた作者不詳の絵画の作者がゴッホであったと判明したことで3000万円に跳ね上がっ
た場合、その絵の<美的価値>が変わったのか、と問われた功利主義者は何と答えるか?
絵画の効用とは、その鑑賞により芸術的な感動(満足)を得ることだが、オークションとは、対象物(今の場合ゴッホ)が“非所
有者にとって”どれだけの満足を与えるか、を基準にして行われる競り売りである。
同じ絵がゴッホであるかどうかで満足の度合いが変わるのか?また、絵画の美的価値はその経済的価値つまり商品価値(交
換価値)に影響されるのか?
1.「ありふれた才能をもった画家の絵」が「類まれな才能をもった天才の絵」に“実際に”変化した以上、その希少性が変わ
り、美的価値が変化した。
2.絵としては“客観的に”同一物である以上、それを求める人はその経済的価値の変化(つまり根拠不明な値上がり)に期
待しているだけである。
ゴッホの絵がもつオーラ(ベンヤミン『複製時代の芸術』)は、如何にも市場の民がもつ功利主義(欲望の疎外性、他者性)の
ありようを示している。


53 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 19:39:41 0
176 名前:OFW :03/02/08 16:33
現代倫理学における功利主義の主流は選好功利主義と呼ばれ、それはミクロ経済学における効用理論(無差別曲線、効
用関数等)との親近性を増したものになっている。そこでの第一のキーワードは「合理的選択」だろう。
まず、およそ<合理的>(rational)という概念には注意が必要であり、<理性的>(reasonable)との区別が重要である。
前者は主に目的ー手段連関の論理的整合性を言うものであり、目的自体の可否は不問に付す。というより、そこに功利主
義が入り込んでくるわけである。
選好功利主義者は、諸個人が幸福、善、権力等何を目的にするかについては問わず、それらの選好を最大限に充足するこ
とをより原則的なものとみる。
したがって、それは個人の形式的自由の主張である。
個人が自己の自由を最大限に発揮できること自体に異論をはさむ者はいないだろう。しかし、自由といっても、孤島での自由
ではなく、一定の社会の中における自由である以上、その条件が問われなくてはならない。他人の自由を侵してまで自己の
自由を広げることは許されていないわけであり、それは自由の条件にまで及ぶ。つまり、自己の行為が結果として、他者の
自由の機会を奪う場合(例:市場の独占)、功利主義の立場からはその行為自体(例:自由競争)も是認されるものではな
いだろう。結果において存在することは、もしそれが必然ならば、原因においても存在するから。
特に、人(人なるもの)が生まれた<自然状態>(オリジナルポジション)を壊すことを社会は許容しない。たとえば、映画『天
国と地獄』で示されたような、高台の上の豪華な家を、その下にある貧弱な家から見上げるような配置の下で人生のスタート
を切る個人にとって、自由の機会は、他者の行為の結果として、既に奪われている。帰結主義をとる功利主義者は、その配
置が自然の結果(合理的な自然選択?)であるとして不問に付すが。


54 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 19:40:37 0
178 名前:OFW :03/02/08 22:14
選好功利主義の第二のキーワードは「選好の比較不可能性」だろう。
諸主体の選好間の優劣比較はできないという議論は、諸主観間の直接的比較はできないという一般的な議論の特殊ケー
スであるが、諸選好自体を評価すべき一般的な基準が要請されるにも拘らず、<自由な諸主体>の前提からそれが存在
し得ないという矛盾である。
ミクロ経済学でも選好が登場するが、個別主体(消費者あるいは投資者)が与えられた諸対象間に選好順位を付けて、そ
れらの価格あるいは代替費用と予算金額とを勘案して、最大の効用あるいは利得を得る購買量あるいは投資量の組み合
わせを“自由に”決める、というものである。
そこでは貨幣という普遍的で強制的な基準が存在するから、上記の問題は事実上回避されている。そのことが、倫理的功
利主義の脆弱さに比した経済的功利主義の強靭さの秘密である。
実際「死後の救済のために、現世における勤勉と節約に基づく致富は奨励れる」という<(初期)資本主義の精神>は、禁
欲の帰結を彼岸にまで引き伸ばした宗教的功利主義とも呼ぶべきものであり、現世における利殖選好を支えたエトスと言わ
れる。それは前近代的な子孫への相続の否定でもあり、同時に、未来における社会の繁栄という、本来の功利主義的な進
歩主義(それは産業革命と共にやってくるだろう)もそこにはないが、資本の本源的蓄積にとって適合的なイデオロギーであっ
たろう。
神による選択(最後の審判)はその恣意的(不合理)な選好に基づくが、<見えざる神の手>は市場の合理的選択により全
体の福利厚生を増すか?


55 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 19:41:41 0
179 名前:OFW :03/02/09 11:49
確かに、現代において自由主義を唱えることは保守的であると言える。
自由主義者の努力は、近代が達成した政治的原理である<個人の自由>をさまざまな異議申し立て(例:社会的不平
等、経済不況、環境問題)から擁護することに費やされており、市民革命期のように時代を切り開こうという推進力はない。
したがって、今日ハイエク流のウルトラ自由主義を進歩思想と同一視することは、いかにも時代錯誤的である。その点では、
ポパー流の批判的合理主義も同じであり、それは市民的(ブルジョア的)自由を保守するための妥協(批判の自由)と言え
る。
実際にも、見かけ上の対立にもかかわらず、両者は(何故か全体主義と同一視されている)共産主義に対抗するために
のみ政治的に利用されており、現状を変革するための“効用”は少ない。


56 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 19:44:00 0
180 名前:OFW :03/02/09 11:50
そのような中で、ブルジョア政治経済学の分野において、機会均等の条件や社会的公正を巡って、改めて功利主義的な
アプローチが唱えられてきているようだ。たとえば、
「資源の平等は厚生の平等を生み出さなければならない。」(ローマー)
とは、均等に与えられた資源の活用機会を活用目的としての社会的厚生により評価せよという主張であり、
平等主義的な功利主義の主張である。また、
「個人の困窮の度合いは個人の願望達成の尺度には現われないかもしれない。固定化してしまった困窮の問題は、
 不平等を伴う多くのケースで、特に深刻である。・・・これらの潜在能力から得られる効用を単純に合計することによっては
 行なうことができない。」(セン)
とは、一見反功利主義的な外見ではあるが、社会的厚生の評価において、個人の<基礎的潜在能力>を、
当人の現実の願望如何によらず、組み入れよという主張であり、<自由の条件>にまで拡大された功利主義と言える。
実際、困窮とは自由の貧困であり、サラリーマンには労働力商品としての自由しかない以上、潜在能力をいくら開発して
も・・・。


57 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 19:45:35 0
181 名前:OFW :03/02/09 17:22
功利主義にとって挑戦的なテーマの一つにいわゆる自然保護の問題がある。
地球環境や生態系の破壊の進行が誰の目にも明らかになり、その主たる原因が産業や人間生活にあることが
次第に分かってきた。
直接的な<自然の搾取>(マルクス)から間接的なエネルギー収支の偏りに至るまで、
産業革命以来の近代人が共通にもつ、自然に対する功利的・技術的態度が引き起こした帰結の一つと言われ、
環境保全は世界的な政治問題にまで発展している。
環境倫理学なるものも現れ、日本では(ヘーゲル研究者)加藤尚武等が地球全体主義(earth holism)を唱え、
自由や欲望の制限を訴えている。
ブルジョア経済学者は、環境ビジネスは奨励するが、<経済外部性>などと洒落るばかりで、問題から逃げている。
さて、功利主義者は何と答えるか?


58 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 19:47:41 0
182 名前:OFW :03/02/09 22:45
結局のところ、功利主義者が自然を人間の目的(幸福、自由等)のための資源(resource)とみなす限り、
自然はむしろそれ自体で完結した存在としての自然性を示し、
<用在性>(ハイデガー)とは別の無関心性を顕わにするだけだろう。
地球や宇宙は人間のために存在するわけではないし、人間は自然の一部である(マルクス)以上、
人間の目的(object)ではなく、自然の対象性=客観性(objectivity)を知ることが、
生命的=有機的自然の合目的性=目的無き合目的性(カント)、
そして対象的活動(働き)としての人間の根拠を知ることになるのである。
それまでは、<精神的動物>(ヘーゲル)としてモノ(object)に執着するフェティシズム的な所有欲から“自由”になることは
ないだろう。
「私は粗大ゴミでも不良在庫でもない。リストラ反対!」(窓際リーマン)


59 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 19:50:33 0
184 名前:OFW :03/02/10 23:41
>>183
>貴方の代わりはいくらでもいるもの
いかにも功利主義的なレスで助かるな・・・。

<人間の効用>について言えば、他の資源とは少し様相が異なる。
人間の特質は、「かけがえが無い」という言葉で表現されるように、個体性(個性)が強い、という点にあり、
資源としては、希少性が非常に高いモノと言える。
ミクロ経済学の用語で言えば、他の財に対する<限界代替率>が非常に大きい、つまり代わりになるモノを見出すには、
よほど多くの種類および量の財を集めなくてはならない資源だということである。その理由は、人間の効用が多岐に亘る、
つまりその汎用性が高く、知能も高いために、複雑な用途に対する生産性が高い=高性能なため。裏を返せば、
「代わりがいくらでもいる」とは「個性がない」と同義であり、流行性や専門性の中に埋没した鋳型(ステレオタイプ)財で
あること。
ベンヤミン『ボードレール論』(「7人の老人」)にもあるように、人間がモノとしての量的な性格を強め、
個体識別が困難になってきているのは、近代の特性でしょう。
また「無用な人間」とは「無能な人間」のことではなく、必要数以上の余分な人間のことであり、余剰人員と呼ばれる。
では、何にとっての必要か?つまり、<人間の使用目的>は何か?という問いになるが、さてまた、
功利主義者は何と答えるか。
「利潤の追求。これが答えだ!」(ブルジョアと呼ばれる経済動物)


60 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 09:08:22 0
いろんな板に現れるOFWをコピペするやつって一体なんなの?


61 :考える名無しさん:2008/06/06(金) 17:56:14 0
パースのテキストが読みにくいんですけど。

62 :考える名無しさん:2008/06/20(金) 17:10:04 0
>>1
パースてそんな顔だっけ?


63 :考える名無しさん:2008/07/07(月) 22:28:14 O
パース→記号学
ジェイムズ→心理学
デューイ→教育学
ミード→社会学
ローティ→現代思想全般

さりげなく多彩な分野に繋がってるな。

64 :考える名無しさん:2008/07/14(月) 15:48:40 0
ほんとだね。

65 :考える名無しさん:2008/07/20(日) 01:16:21 0
パースは言葉を誘拐されないようにプラグマティシズムに成った。

66 :考える名無しさん:2008/07/20(日) 01:31:09 0
誘拐はされなかったが、
そのせいで成長もしなかったな

67 :考える名無しさん:2008/07/20(日) 05:50:17 0
なるほど、だから過疎なんですね

68 :考える名無しさん:2008/07/22(火) 15:33:48 0
abductionは、何て訳しますか?
誰か教えて。


69 :考える名無しさん:2008/07/23(水) 20:01:30 O
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hatigoro/REVIEWS-review-james.htm
 一般に「プラグマティズム的真理観」は「有用であるから真理である」とか
「真理であるから有用である」とかの謂で受けとられやすいが、
彼にとっては「有用とは、その観念が経験のうちで真理化の作用を完成したことを表す名」を示すにすぎない。
 「真理は観念に起こってくるのである。それは真となるのである。
出来事によって真となされるのである。真理の真理性は、事実において、
ひとつの出来事、ひとつの過程たるにある、すなわち真理が自己みずからを
真理となして行く過程、真理の真理化の過程たるにある。」
 この彼の定義から、真理とは、経験するわれわれの心の状態のそれとして
「導かれて行く価値のある方向へわれわれを導いて行くというこの機能」を
言っていることにもなる。それゆえ、それはわれわれの経験的生によって
「以前の真理に接木され、これを修正してゆく」ものであり
「つねに心の変遷過程の媒介者、調停者」なのである。

ジェイムズは、主知主義の枷から解放された哲学の到来を信じた

 俗にプラグマティズムは「実用主義」とも訳され、
「目先の実際的前景にのみ眼をつける」理論嫌いの人間にふさわしい考え方とされているが、
ジェイムズにあっては、この「実際的」とは「具体的」「個別的」
「特殊的」を意味するのであり、理論そのものを否定するためではなく、
本来道具であるにすぎない理論を現実的に働かせようとするための哲学的意味をもつ言葉なのである。

70 :考える名無しさん:2008/07/24(木) 06:31:42 0
>>68
「形成法」

71 :考える名無しさん:2008/07/25(金) 17:06:03 0
>>70
dです。
よろしければ「形成法」の意味も教えてください。


72 :考える名無しさん:2008/07/30(水) 03:36:13 0
>>71仮説or認識の前提(公理、公準、仮定)を人間の現存的な行為の中で
改変させていくということだと思う。つまり「仮説形成法」のこと。
演繹法(一般的事例から個別的命題を導く)と帰納法(特殊から一般へ)はわかりますか?
形成法とそれらの違いは人間の捉える前提において間違いを起こす可能性を考慮したことではないかと。
つまり絶対的不変から可変の次元に大前提を措き、
記号と言語の仕組みを形成し、修正し、新設していくという企てにおいて、
プラグマティズムの行為主義とよばれる所以ではないかな。
独学だから間違ってたら御免なさい

73 :考える名無しさん:2008/07/31(木) 17:43:44 0
>>72
独学でここまで書けるとはすごい。
演繹法と帰納法はわかります。
ところで現存的って何ですか?


74 :考える名無しさん:2008/08/01(金) 01:44:39 0
アブダクション、またはアブダクティヴな推論は、
ある個別の事象を最も適切に説明しうる仮説を導出する推論である。
発想法(川喜田二郎による)、仮説的推論、仮説形成などと訳されている。
ある結果や結論を説明するための仮説を形成することを言うこともある。
また、哲学やコンピュータの分野でも、定義づけされた言葉として使われている。
アブダクションの意味や思考法は、演繹法や帰納法ともまた異なるものであり、
失敗の原因を探ったり、計画を立案したり、暗黙的な仮説を形成したりすることにも応用できる。
例えば、プログラムの論理的な誤りを探し出し直すという過程では、
アブダクティヴな解釈と推論が行われており、一般的な立証論理の手法と通じるものがある。
古くはアリストテレスがアブダクションに相当する概念を議論している。
チャールズ・サンダース・パースは演繹(deduction)、帰納(induction)に対する
第3の方法としてアブダクション(abduction)の語を用いた。

アブダクションないしは最善の説明への推論は、関連する証拠を
――真である場合に――最もよく説明する仮説を選択する推論法である。
アブダクションは観察された諸事実の集合から出発し、
それらの事実についての最も尤もらしい、ないしは最善の説明へと推論する。
アブダクションという用語はまた、観察結果や結論を説明する
仮説を発生することだけを意味するためにもときおり使われる。
だが哲学やコンピュータ研究においては、前者の定義がより一般的である。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%80%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

75 :考える名無しさん:2008/08/01(金) 02:11:47 0
現存的=私の場合「半ば明確に意識して、日常生活を解釈しながら生きる」の意味で使いました。
人はみな生活者であり解釈者であるが公理です。

76 :考える名無しさん:2008/08/01(金) 02:20:50 0
なんのこっちゃ

77 :考える名無しさん:2008/08/01(金) 06:08:12 0
哲学なんて独学でするもんじゃない
ということがよくわかりました

78 :考える名無しさん:2008/08/02(土) 00:05:47 0
読みやすくて敷居が低い上に多分野に繋がる出口の広さがあって、
民主主義や資本主義の理念にも合致するという、日常に合っていて現実的で
まさしく言葉通り実用的な哲学思想なのに、この国ではさっぱり流行らないな。
そもそもプラグマティックに生きる人は哲学になんて興味を持たないし、
哲学に興味を持つ人はプラグマティックな生き方になんて興味がない、
ということだろうか。なんだかかなしい。

79 :考える名無しさん:2008/08/02(土) 05:18:22 0
古くは啓蒙主義、そしてヒューマニズムの生み出す「完成可能性」としての
人権やら様々な権利の概念、科学的合理主義が、可謬性ありきのこの哲学を踏み潰したんだろう。
どちらもアメリカ出自なのは面白い対立というか皮肉というか。
それに画一で平板な流行や雰囲気や感情が支配する現代社会では、
間違いを認め修正する。こういう当たり前の認識を持つことが難しいんだよ。
2chを見ても、みんな自分の意見を崇めたきり、そして懐疑の目は他人の中傷にのみ使う。






80 :考える名無しさん:2008/08/02(土) 22:58:47 0
プラグマティズムは深く日本文化に浸透している。民主主義や資本主義はみんなそうだし。
ちょっと買い物をするにも会社で仕事をするにもプラグマティズムのルールが適用されている。
これほど実践されている哲学思想は他にないといっていいだろう。


81 :73:2008/08/03(日) 17:37:16 0
>>75
ありがとう。
勉強になりました。


82 :考える名無しさん:2008/08/15(金) 08:03:54 0
パース関係


http://en.wikisource.org/wiki/Author:Charles_Sanders_Peirce

http://www.cspeirce.com/

http://www.textlog.de/charles_s_peirce.html

http://www.helsinki.fi/science/commens/

83 :考える名無しさん:2008/08/15(金) 12:37:35 0
>>80
どういう意味?

84 :考える名無しさん:2008/08/15(金) 17:51:37 O
>>69

85 :考える名無しさん:2008/08/15(金) 17:55:21 O
『神はこの世界を現にあるとおりに造ることのできた存在者である、
このことにたいしてわれわれはおおいに感謝するが、しかしそれだけのことである。
ところで今度は、反対の仮説をとって、微細な物質が自己の法則にしたがって
この世界を神の創造と寸分違わず造りかえたものと考えてみると、
われわれは物質にたいして神へと同じに感謝すべきではないだろうか。
そこでわれわれが神は仮説であるとしてこれを打ち捨て、物質だけに責任を負わせたとしても、
われわれはどこに損失をまねくことになるであろうか。
どこに格別な生気なさもしくは粗雑さが入り込んでくるであろうか。
また経験は現にあるとおりのものであるから、この世界に神がいまそうとも、いかにして
この世界をいっそう生気あらしめ、いっそう豊かにすることができようか。』
W.ジェイムズ著『プラグマティズム』(岩波文庫)P76ー77
プラグマティズム (岩波文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/4003364015/http://www5b.biglobe.ne.jp/~hatigoro/REVIEWS-review-james.htm

86 :考える名無しさん:2008/09/02(火) 04:07:15 0
パースはソシュールと並ぶ記号論の開拓者とまで言われてて
ジェイムズもベルグソンやフッサールと
近い発想をしている上に西田幾多郎にも影響を与えてて
ローティもポストモダンの流れに乗り
ロールズを独特に評価するリベラリズムの人でもあるというのに
そのわりに周辺分野への注目度が嘘のようにみんな人気がない。
プラグマティズムというあまり好印象を与えない文脈が
不当に彼らの評価を落としてるんだろうか。

87 :考える名無しさん:2008/09/02(火) 15:34:02 0
功利主義って訳が変な先入観を与えてるのかも。

88 :考える名無しさん:2008/09/04(木) 00:53:03 0
いや、功利主義はイギリスの思想で基本的には別物じゃん。
プラグマティズムの訳は実用主義や道具主義でしょ。
鶴見俊輔は言葉の正確な意味にこだわって行為主義って言ってるね。

けど確かに一般的には
プラグマティズム=実用主義、功利主義=実利主義、利己主義
ってイメージなんだろうな。
功利主義なんて多分に利他的だし
プラグマティストたちは実際には
実利にあんまり縁がない分野の話ばっかしてるのに。
経済学とも繋がってないし。

89 :考える名無しさん:2008/09/04(木) 13:24:01 0
上山春平はプラグマティズムを実践主義って訳してたな。

90 :考える名無しさん:2008/09/04(木) 14:17:38 0
実社会で唯一役に立つ道具主義。

91 :考える名無しさん:2008/09/04(木) 14:27:24 0
要するに、考えるより実践だ!ってことですよね。

頭悪い人が言いそうなことですね。分かります。

92 :考える名無しさん:2008/09/04(木) 15:55:39 0
>>88
パースの考え方の根本は、真理と実利(実効)についての、
一種のパラダイムシフト(コペルニクス的転回といってもいい)
だと思うんだけど、どうも解釈のされかたとしては、
位置を入れ替えずに真理より実利を優先する、という変な解釈のもとに
トンチンカンな批判がなされているように思う。

天動説と地動説でいえば、「太陽が地球の周りを回っているのではなく、地球が太陽の周りを回っているのだ」
という部分を理解せずに、天動説的立場から地動説を批判するみたいな。



93 :考える名無しさん:2008/09/04(木) 17:05:02 0
>>91
頭が悪くとも何もしないよりマシでしょうな。

94 :考える名無しさん:2008/09/04(木) 21:10:36 0
パースが正確に日本に紹介されるのはこれからでしょう。

95 :考える名無しさん:2008/09/04(木) 21:19:50 0
日本は無理だと思うよ。


96 :考える名無しさん:2008/09/04(木) 22:57:17 0
>>91
違います。
実践的に考えようってことです。
変種とはいえあくまで哲学なんだから、
いくら実践志向とはいえ
実際にしていることは思弁そのものです。
頭の悪い人はそもそも何も考えない。

97 :考える名無しさん:2008/09/04(木) 23:11:21 0
御託はいいからさぁ、「実践」というからには

具 体 的 な ものを例としてだしてください。


98 :考える名無しさん:2008/09/04(木) 23:22:43 0
だからあくまで思弁だっていってんじゃん。
アホかおまえは。詳しく知りたければ
ウィキぺディアに当たるなり本読むなりしろカス。
ちなみに代表的なプラグマティストは
みんな哲学以外の分野でも実績を残してるよ。

99 :考える名無しさん:2008/09/04(木) 23:38:04 0
実践的な思弁ってwww

こんなに自己矛盾した説明も珍しいが
それで説明したと思っているプラグマティストは
やはり頭が悪いとしか思えない。



100 :考える名無しさん:2008/09/04(木) 23:47:32 0
じゃ、思ってりゃいいじゃん。
それか興味あんなら自分で調べて判断すれば。
実践的に考えるってことに何の矛盾があるんだか。


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