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生きる意味

1 :考える名無しさん:2008/01/16(水) 19:00:21 0
何のために生きているんだと思いますか?
http://asq-enq.com/e1200456070.html

2 :考える名無しさん:2008/01/16(水) 19:15:38 0
乳牛の生きる目的・・・牛乳を人間に供給すること。
肉牛の生きる目的・・・人間の食卓に並べられること。

人間の生きる目的・・・神のような高次の存在によって規定されている。
            神々の食卓に並べられる、もしくは神々の実験材料

3 :考える名無しさん:2008/01/16(水) 19:43:00 0
ネットすることと2012年にアセンションすることかな

4 :考える名無しさん:2008/01/16(水) 21:54:25 0
ない

じゃすまない問題なのか?

5 :考える名無しさん:2008/01/16(水) 21:59:23 0
こういう質問を何回すれば気がすむんだ

6 :考える名無しさん:2008/01/16(水) 23:21:11 0
ぞれぞれに生きる意味の感じ方は違うと思うから
答えは難しいよね。

7 :考える名無しさん:2008/01/16(水) 23:31:51 0
私の生きる意味は、国家と日本民族の繁栄のため・・・・・・・・・・




に死んでくれと頼まれても、やっぱ死にたくない。国家のためなんて愚かなことだ。

8 :心の仕組みドットコム:2008/01/17(木) 18:15:34 0


人は産まれた時に過去から受け渡された時を自分の人生を楽しみながら育み育て、少しでも良い時代とし、
死ぬ時に生きている人達に時を渡して全てを産み育てた地球に帰ります。


9 :考える名無しさん:2008/01/17(木) 18:42:02 0
語り手緊急募集中!!

坐禅と見性第54章 片手の他人がたたく拍手の音
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1192448109/

坐禅と見性第55章 片手の拍手を聞いて来い
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1200501407/

【仏教】悟りを開いた人のスレ 10 【鬼和尚】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1200142232/

【悟りで居る】悟りを開いた人スレ【完全お釈迦様派】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1198295563/

☆ ★ 宗教なんでも@質問箱 8 ★ ☆
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1186150286/

臨黄ネットhttp://www.rinnou.netを御覧下さい。
萬福寺行った。1.2
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1188809052/
【茶の湯】  大徳寺について  【禅文化】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1145457556/
臨済宗 大本山天龍寺 2
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1183216094/
【算盤】臨済宗 妙心寺派【金権】十五日は祝聖
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1198725369/
★★臨済宗・癖有り布教師さん★★
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1172800156/
臨済宗国泰寺派について
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1151120179/
臨済宗相國寺派について
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1146749623/

10 :考える名無しさん:2008/01/18(金) 12:55:18 0
「その答えを探すため」(by『女神異聞録ペルソナ』)

11 :考える名無しさん:2008/01/18(金) 14:53:26 0
今生きている。過去を見てもどうにもならない。過去は
確定してかえることはできない。明日はどうかは、過去
と現在のもろもろが、決める。
生きる意味は、一人ひとりが決めるしかないし、また
決めなくてもよい。ただ生きているから生きているだけ。
自分の意思で生まれたのではない。
神の意思か、自然の摂理かわからないが、生きている。

12 :考える名無しさん:2008/01/19(土) 06:22:39 0
>>11
過去を記録してるから変えられないと思いこんでいるだけじゃないの?
過去は社会と同じくらい得体の知れないどうでも良いものだよ。

13 :考える名無しさん:2008/01/19(土) 08:15:10 0
過去は過ぎさったもの。記録があろうとなかろうと、時間
を戻すことはできない。
物理学では時間を戻すことは可能か。理論的にはどうで
しょうか。
過去を無視しての現在はありえないのでは。とにかく現在
に生きているが。

14 :考える名無しさん:2008/01/19(土) 08:20:01 0
過去を共有することはだから決まり事だよね。
過去なくして現在があり得るかどうかとは別のお話だよね。

15 :考える名無しさん:2008/02/06(水) 17:00:48 0
>>1
蚊とか蟻とかを潰すためだ

16 :考える名無しさん:2008/02/11(月) 06:21:22 O
どう考えても生きる意味なんてない
しかし死ぬ意味もない

17 :考える名無しさん:2008/02/11(月) 06:40:42 O
淡い恋ごころ 蝉しぐれ 一青窈か

18 :考える名無しさん:2008/02/11(月) 06:41:37 O
愛するもののためにすべてにさからって

19 :考える名無しさん:2008/02/11(月) 06:43:36 0
過去の自分を記憶・記録しておくことで、現在の自分を確認あるいは
自己の特定をしたがる人間は多い。
だが、もう戻れない時間・場所・環境の情報を保存することになんの意味があるのか?

生命の存在に意味なんていらない、生命は肥溜めの中にでも出来てくるものだし
意味が無くとも存在している以上、否定は出来ん。
そこに哲学なんていらない。豚や牛やゴキブリが哲学してるか?
してるかも知れんが、例えしなくてもその存在は揺るがない。
人間が勝手にややこしい問題の種を作っちまっただけさ。

20 :考える名無しさん:2008/02/11(月) 06:44:17 O
上杉景勝 足軽大将と春 素敵なことはある どんな時代でもな

21 ::2008/02/11(月) 06:54:08 O
あくまで時間はひとつづきであって戻ることはない。私たちは進んでいっている。ただいつの時代も輪廻はしているんだ、輪廻してさらに進んでいる。輪廻の意味わかるよな?

22 :考える名無しさん:2008/02/11(月) 07:46:10 O
人間が意味を求めずにはいられないのはなぜなんだ?意味なんて考えはじめたら世の中すべてのものが無意味になってしまうのに

23 :考える名無しさん:2008/02/11(月) 07:55:32 0
ただ不安だからさ。理由が無ければそこに立つ事すら後ろめたさを感じるんだ。

24 ::2008/02/11(月) 08:34:09 O
不安もそうだが物事には道理がある。意味があるのだ。わかるということで直観で動くよりいい方法があるかもしれないからだ

25 :考える名無しさん:2008/02/11(月) 18:15:51 0
生きる意味を求めるという行為自体、人間の心に発生したエラー
間違った問いに答えなんぞあろうはずもない

26 :西田:2008/02/15(金) 22:30:31 0
「私は誰か」、「人生の目的は何か」といった
人生と宇宙の根本問題を解くためには、
人間と宇宙を存在せしめた第一原因である
「神」について知らない限り解くことはできません。
神がなぜ人間を創造したのかについて知る必要があります。
生きる意味は、神が与えた三つの祝福を実現することにあります。
その祝福を実現することが、人生の喜びであり、生きる目的なのです。
http://www.ikiruimitoha.com/ をぜひ訪ねてみてください。


27 :考える名無しさん:2008/02/16(土) 05:40:25 0
楽しむことじゃよ。
楽しみにもいろんなレヴェルがあるが、
さまざまな楽しみをレヴェルを横断して享受することじゃよ

28 :考える名無しさん:2008/03/15(土) 15:28:20 0
生物=偶然の産物
人間=報酬系に従事する生物
残念過ぎるよwwwだがそれが答えなのさ!
クソ真面目に考えてる奴ら涙目www

29 :考える名無しさん:2008/03/15(土) 17:53:09 0
答えを出して思考停止するなよ愚か者

30 :考える名無しさん:2008/03/22(土) 20:31:01 0
>>29
そんな事考え込んで、分かってしまったら
大変だから考えるなという事ですね。

31 :考える名無しさん:2008/03/26(水) 07:10:31 0
imihumei

32 :考える名無しさん:2008/03/29(土) 01:55:52 0
>>29
お子様ランチのハンバーグを最後に食べる人は、
食べ終わったら本当に食事が終わると思っているのだろうか。


33 :考える名無しさん:2008/03/29(土) 05:59:11 0
>>32
そういうタイプの人はデザートが最後だよ。

34 :考える名無しさん:2008/04/07(月) 14:28:19 0
「生きる意味」などどこにもありません。
なぜって、世界のあらゆるものに意味を与える源泉となるのが、
「生きること」であり、生きることそのものに意味を与えるものは、
世界中のどこにも存在しないからです。
世界のあらゆるものには意味がありますが、「
生きること」は世界でたった一つ、意味がありません。
私たちが生きることは、「生きる意味」なんかで表せないほど、
かけがえのない、素晴らしいことなのです。

たしかにそれぞれ生きていく中で、
「これが生きる意味だ」と感じることもあるかもしれません。
しかし、それは決して本当の生きる意味ではなく、
「自分が生きていく上で、重視している価値観」に過ぎないものです。
「生きること」よりも優先されるようなもの、
つまり、「生きること」に意味を与えるようなものは、世界中のどこを探していてもないのです。

生きる意味について
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_311d.html

35 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 01:01:13 0
>>34
それはあなたの個人的見解では?
どのような言葉も個人的見解だと思うが
それを真理のように語るのはいただけない
思うに生きる意味とは
個人が見出さなければないのではないだろうか
それは自分が生きていく上で、重視している価値観であるといわれそうだが
(それともこれは生きる目的だろうか)
なんにせよ生きる意味がどこにもないと言うことはないと思う
それはわからないだけかも知れんので
あと、生きることよりも優先されるものがないということだが
そう考えることこそ「自分が生きていく上で、重視している価値観」なのではないのか
まあ、あなたの文脈と私の文脈では言葉の意味が違ってくると思うのだが

36 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 01:41:00 0
生きる意味を考えるということは今現在辛いのか、それともなにもないのか。
人は生きたいと思うから生きるのです。

37 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 01:45:18 0
死にたい奴も生きてるよ

38 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 02:15:00 0
ならその人はなぜ生きてるんでしょうか?

39 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 02:19:16 0
それは生きたいからでは?
生きた先に何かあると信じているからでは?


40 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 02:22:21 0
死にたくても死ねないから

41 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 02:23:59 0
死にたくない=生きたいではないと思うのだが

42 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 02:26:33 0
死にたくても死ぬのが怖い人は本当に生きたい人だと言えるのか
死ぬ直前に死にたくないと思った人は生きたいとそのとき思っただろうか

43 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 02:35:29 0
>>1
一生かけて探し続けろ
それもまた人生だ

44 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:01:18 0
>>34

生きることそれ自体の肯定(かけがえのない素晴らしいことである)は、
すべての価値が生きることの上に成り立っていることを考慮するならば、
この世界における絶対公理(それがあっての物種)のように思えます。

なぜなら、それ(生きることそれ自体)を否定するならば、
そもそも価値について云々することはできないはずだからです。

しかし「生きることはかけがえのない素晴らしいことである」という命題は、
それが真理であるならば、決して存在してはならないのではないでしょうか。
なぜなら、それは存在した瞬間に相対化されてしまう運命にあるからです。

たとえば、わたしに「生きることはかけがえのない素晴らしいことではない」
と言えわれて(相対化されて)しまった瞬間、それは個人的見解(>>35)に
過ぎなくなってしまうからです。


45 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:14:42 0
>>41
興味深いですね、具体的に違いを教えて頂けませんか?

>>42
本当に死を希望する人は生きる事に恐怖を抱き、死ぬ事に安らぎを求めている人だと考えています。
だから死ぬんだと。
死が怖いと思う人は未練や希望を抱いている人だと思います。

46 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:17:27 0
>>36
真理とは絶対的なもので相対化されることはない
と思うのだが考え方の違いだろうか

>なぜなら、それ(生きることそれ自体)を否定するならば、
>そもそも価値について云々することはできないはずだからです。

何故なのか
スレ違いになるかもしれないがそもそも私たちは生きているのか

47 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:24:28 0
>>45
死にたいの反対がただ単に生きたいではないと思うから。
複雑な心理状態だと思うから具体例を出すのは難しい。

死が怖いというのと死ぬのが怖いというのは違う
死という状態と死ぬという行為に恐怖するのは違うと思う

48 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:27:00 0
だから死が怖いと思う人は未練や希望を抱いている人かも知れないが
死にたい人間が死ぬのを怖がることはあると思う

連スレ申し訳ない

49 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:52:14 0
>>48
いろいろ考えましたが確かにそういう人がいるかもしれない。
例えば奴隷は死よりも死ぬという行為が未遂に終わりその後の罰に恐怖するかもしれない。
それに、五体不満足の人は死にたいと思っても死ねない。
だが生きている。etc...
これらを考えて>>36の発言は間違っていました。

>死にたいの反対がただ単に生きたいではないと思うから。
そうですね。
言葉や概念に囚われ過ぎたのかもしれません。
それを考えると生の反対語が死も違うかもしれません。

50 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 04:08:36 0
>それを考えると生の反対語が死も違うかもしれません。
何が反対語なのかわからないがその通りだと思う。

>>36の発言は間違っていました。
私の考えを分かってくれたかどうかはあなた=私ではないから分からない
けど、そのことについてよく考えてくれたのは嬉しい
間違っているいないは相対的なものだと思う
だからもしかするとあなたの考えが正しいのかもしれない
ただ、志願者の気持ちを一括りにされたような気がしてそれが嫌だった

51 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 04:15:13 0
>>50
不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。
ただ、思った事を言わないと私は成長することができないので。
あなたの意見は大変参考になりました。

52 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 04:22:14 0
>>46

たとえば、「生きることは、かけがえのない素晴らしいことである」が、
真理であるにしても、それを知ることはできないのではないでしょうか。
私たちは言葉によってそれを知るのですから、知られたものとしてのそれは、
すでに真理ではなくなっていませんか。

なぜなら、あらゆる命題の真偽をまちがいなく判別するような論理は
存在しませんし、また真理の表明であるどのような命題にも、
かならず相反する言明が成立してしまうのですから。


53 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 04:42:34 0
>>52

もう落ちるので、補足しておきます。

仮に「生きることは、かけがえのない素晴らしいことである」が真理だとしても、
その言明が成立するためには「生きることは、かけがえのない素晴らしいことではない」
という可能性も論理的には開かれていなければなりません。

もちろん、論理的にはそうかも(相対化されるかも)しれないけれども、
真理そのものの絶対性は相対化されえない、という主張がなされるでしょう。

しかし、真理が相対化されえないということは、誤りえないということであり、
そうであるならば、真理の絶対性は、それが真理であるとは「言えない」ことのうちに
示されるのでなければならないはずです。

なぜなら、真理が絶対的なものならば、真理に真偽も正誤もないはずだからです。
つまり、真理はそれを示そうとするかぎり、どこまでも示せないのであり、
どこまでも示せないことのうちに示されるものなのです。

すなわち、真理の言明が可能ならば、真理は真理として示しえず、
あらかじめ失われていなければならない、ということになるはずです。


54 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 04:44:05 0
>たとえば、「生きることは、かけがえのない素晴らしいことである」が、
真理であるにしても、それを知ることはできないのではないでしょうか。

>なぜなら、あらゆる命題の真偽をまちがいなく判別するような論理は
存在しませんし

何故そういう風に言い切れるのですか?
そういう風に絶対的に言い切れるのならそれこそ真理だと思います。

>私たちは言葉によってそれを知るのですから、知られたものとしてのそれは、
すでに真理ではなくなっていませんか

確かによくそう思いますがこれも絶対的にそうだといえるでしょうか?
私が言った真理は概念としての真理です。
真理の定義によって又個人個人によって真理とは何か変わってくると思うのですが
私は真理そのものを知ることが絶対にできないかどうかわからないし
真理はもしもあるならば絶対的なものだと思います。

>真理の表明であるどのような命題にも、
かならず相反する言明が成立してしまうのですから。

相反する言明を一つ一つ考えて事がないので分かりません。
ただ、相反する言明が成り立たない命題をまだ発見していないだけかもしれないとも思います。
私はこの頃何を考えても全ては思い込みかもしれないという考えが頭から離れません。
だから、可能性が絶対的に0もしくは100ではないように思えることに関していちいち疑ってしまうのです。
だからいちいち聞いてしまいました。
あと36ではなく44でした。申し訳ないです。

55 :心の仕組みドットコム:2008/04/08(火) 06:16:08 0

真理とは何かを知らずに、真理に付いて語り合っても結論はでないと思いますが如何でしょうか?

56 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 13:28:39 0
>>41
消えたい≠死にたい
生きていたくない≠死にたい
らしい。

57 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 15:38:44 0
>>55 >>56
同意します

>>53
論理的に過去現在未来絶対的で客観的な真理について考えるのならあなたは正しいと思う。

真理についてはスレ違いなのでやめます。

58 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 00:41:43 0
>>54
>何故そういう風に言い切れるのですか?

「生きることそのものが、かけがえのない素晴らしいことである」…… @
という>>34の主張は、個人的見解として述べられているのではないけれど、
@が、もしも個人に知られうることなら、@のように思うかどうかは、
どうしても「個人的見解」になってしまうしかないのではないか、
そうであるなら、@の肯定によって「生きる意味」の個別的存在が
否定されてしまう理由はないではないか、という反論が>>35でしょうか。

わたしは、@のような命題の真偽が論理によって決定できると思っていないし、
仮に@が真理だとしたら尚更、真偽を問うのは不可能ではないかと思うのです。
(理由は、>>53

たとえば、あなたの「そもそも私たちは生きているのか」(>>46)という問いを
許容するなら、@の命題は事実に反したこと(生きているということ)を前提に
しているのですから、命題自体が偽(現実的には嘘)の可能性がありますし、
また、フィクションの中の文に過ぎないと考えるなら、真偽を問われる命題で
さえないことになってしまうでしょう。


59 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 00:48:51 0
>>54
>真理はもしもあるならば絶対的なものだと思います。

わたしも、そう思います。

>私はこの頃何を考えても全ては思い込みかもしれないという考えが頭から離れません。
>だから、可能性が絶対的に0もしくは100ではないように思えることに関していちいち疑ってしまうのです。

わたしも同じです。

>>57
>論理的に過去現在未来絶対的で客観的な真理について考えるのならあなたは正しいと思う。

わたしは自分が書いていることを信じているわけではなく、
そのような考えについての反論を期待しているだけです。

ちなみに、わたしはあなたが希求しているようなものとしての真理が
客観的に存在するとは思っていません。
なぜなら、いまだ「われ思う、ゆえにわれ在り」を疑えないからです。


60 :心の仕組みドットコム:2008/04/09(水) 08:48:45 0
>>57
>真理についてはスレ違いなのでやめます。
哲学は理性的な思考を通して、諸事の問題を語るものですから哲学から真理を除いたら、ただのゴミ屑になってしまいます。
ですから、哲学の場で真理に付いて語ることは哲学の王道です。
>>59
>ちなみに、わたしはあなたが希求しているようなものとしての真理が客観的に存在するとは思っていません。
真理とは人が客観的立場に身を移し、始めて悟り知るものです。
人が、この真理を会得すれば道理も悟り知り物事を理解し知能が活動し、そこで始めて全てを知り得る本物の智恵を産みだせるのです。
そして人類は真理を望む純粋で謙虚な心さえ有れば、無条件で真理を悟り知ることのできる機能を備え持って産まれているのです。




61 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 15:30:08 0
自分のためだけに生きる
http://ssut1.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_5f05.html

62 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 16:05:27 0
逆から読むとミルキー

63 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 16:17:07 0
逆から読むと一木留美

64 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 22:22:34 0
>>1

生きる意味が何にせよ。

「意味がある」と思えば、生きる気力が起こり、
「意味がない」と思えば、生きる気力を失う。

このことも問題ではないか。

意味があろうがるまいが、生きる気力発動装置とのリンクは切れるはず。

65 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 22:30:37 0
30年前に、「生きる意味」を求めた一人の人間の歩み。

http://space.geocities.jp/hikarikuma2007/mutapf.html

66 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 23:43:09 0
俺が思うに、人は、それぞれの価値観によって生きている。

ショーペンハウアーの“生きんとする意志”という言葉を借りれば、

人は、生きんとする意志を、それぞれの価値観を実現させようとして生き、

そのように生きれると「意味がある」という判断をする。

「意味」とは、自分の価値観を通して、生きんとする意志を実現する
方向へ向かう方向へ向かっていることを、言うのではないか。

67 :(酔)短パン:2008/04/09(水) 23:58:46 0
「生きる意味」か・・・
追うと、追い始めると、難易度がけたたましく跳ね上がる。という所までは、なんとなく・・・
ん〜〜〜・・・。
「幻想?」
あるいは、理想郷。なのかな・・・
イメージとしては、かなりはっきりとしているのに、現実の中には「無い」・・・
・・・ただ、本当に、なんてことない、ただの一瞬。その具現化された何か(或いはカタチそのもの)を、まのあたりにする事は、
あるんだと、そう思う。

その奇跡。例えて言うなら、「奇跡」という奴。(重要なので繰り返すンw)
これの日常化を狙おうとする時。
あらゆるエネルギー(?)ヒエラルキー(??)リビドー(><)は手のひらを返して「敵」となり。総がかりで潰しに来る。
・・・・と言う事だろうか。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

複雑なのは、なにも、神の御手によってそうされている。とは、思わない。(思えない。)
僕は、単に、この(複雑怪奇)な自己が疎ましくて仕方がない。
と言う事だけなんだろうな・・・


68 :考える名無しさん:2008/04/10(木) 02:15:34 0
>>58
>>54の時点では>>53をよんでいませんでした。余計に説明させて申し訳ないです。

>>59
私はそのような真理があるかどうかわかりません。
しかし、与えられた情報で足りない頭を使って考えた場合(私が付け加えたものもありますが)どうもそのように思えるという意味です。
どうも今のところ正しい気がしますが別に肯定する気はありません。

>いまだ「われ思う、ゆえにわれ在り」を疑えないからです。
なぜ思っているのは私だと言い切れるのですか。
何かの作用(思うまたは感じる)が働いている気がしますがそれが一人称につながるとは思えません。
作用が働くには対象と観測者が絶対必要なのでしょうか。
また、必要だとしてもなぜそこに一人称が入り込んでくるのでしょうか。
一応デカルト関係の本は読んでいるのですが精読していないので間違いがあったら申し訳ないです。

>>60
ここは生きる意味を語る場ではないでしょうか。
哲学版でなおかつ生きる意味について考えていて真理のことに行き着いたとしても
真理の絶対性や真理を知覚できるかは生きる意味について考えるのにあまり関係がないのでは?と思い、発言しました。
ずれているずれていないは結局は個人の判断になると思うのですが・・・

>人類は真理を望む純粋で謙虚な心さえ有れば、無条件で真理を悟り知ることのできる機能を備え持って産まれているのです。
そういう考え方もでき私の感想になってしまいますがそれは哲学というより思想では?

>>57で同意しているように真理について考えるなら真理の定義をここで決めたほうが良いと思います。

69 :考える名無しさん:2008/04/10(木) 02:20:48 0
>>59
>わたしは自分が書いていることを信じているわけではなく、
そのような考えについての反論を期待しているだけです。

考えようによっては反論できるように思います。

70 :考える名無しさん:2008/04/10(木) 02:35:19 O
人生の中で様々な苦悩がある。

その苦悩は「生きる意味とは?」「自分の存在の意義」といった、永遠に答えの出ない、答えがあるのかすら分からないような問いと、根底でなにかしらリンクしている。

そんな中で、常に答えの見つからない問いと戦い続ける事が、生きるって事じゃないのかと思う。




71 :考える名無しさん:2008/04/10(木) 02:59:55 0
生きる意味は個人個人で違うと思う。
自分で見出さなければないと思うし
みんなに共通する生きる意味はないように思える。
意味は個人が与えて初めて個人が認識するようになると思う。

72 :(酔)魔王短パン:2008/04/10(木) 04:13:30 0
おぃ、てめぇらw
どぅでもいいが、俺を神格化スンナよw

いいかげんにしないと、ひっぱたくぞ?
なぁ。
大丈夫?

73 :考える名無しさん:2008/04/10(木) 05:35:28 O
生きる意味って理解するより感じたほうが早いと思う。
マトモに考えたら頭がパンクするわ。
何気ない瞬間に真理ってやつは潜んでるものさ。

74 :考える名無しさん:2008/04/10(木) 06:34:06 0
>>35
> それはあなたの個人的見解では?
> どのような言葉も個人的見解だと思うが
> それを真理のように語るのはいただけない
> 思うに生きる意味とは
> 個人が見出さなければないのではないだろうか

「個人的見解」という言葉の定義によるので、個人的見解かどうかには答えられませんが
決して、変わった意見ではないと思います。

端的に言えば、「意味」の定義の問題です。
詳しくはリンク先に書いてある通りですが、一般に、「意味」は「〜にとっての意味」という形でしか存在しえません。
つまり、私たちが生きている上での意味は、全て「私にとっての意味」であり、それ以外ではありえないのです。
したがって、そこで「私が生きることの意味」は、唯一の盲点になり、語ることはできないものです。
そのことを端的に言えば「生きる意味などない」ということになるわけです。

比喩的な説明をすれば、これはいわゆる「一神教的立場」と「非一神教的立場」の違いとも言えます。
「生きる意味がある」と考える立場は、(ユダヤ・キリスト教のような)一神教的立場あり、
「普遍的な意味」が存在するという見方に相当します。
これに対し、リンク先の記事の議論は、非一神教的立場で、価値を与えるのは一人一人が生きていることそのものだと考えます。
(ちなみに、一神教的という表現は、哲学的議論に詳しい人にはおなじみだと思いますが誤解を招く表現かもしれません。
ユダヤ教徒やキリスト教徒の全てがそういう立場を取っているという意味ではなく、
あくまで普遍主義的思考を象徴的に指す言葉です)

「生きる意味がある」というのは聞こえが良いですが、実は、人間を神の道具におとしめるものです。
そうではなく、「生きることの絶対性」を主張するのが、「生きる意味はない」という立場です。

ちなみに、>>34はリンク先の記事のリード文で、独立した意見というわけではないので念のため。

生きる意味について
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_311d.html

75 :(酔)短パン:2008/04/10(木) 07:08:31 0
>>74
なぁ。言葉とか文字って、なんだと思う?
俺は、、、俺はね。。。

76 :(酔)短パン:2008/04/10(木) 07:14:20 0
使えば使うほど、汚れてさ。闘いの武器として精錬されていくんだよ。。。

ふ、
「それを求めていたのか。」
とか・・・w

77 :心の仕組みドットコム:2008/04/10(木) 08:57:00 0

>>68
☆人類は真理を望む純粋で謙虚な心さえ有れば、無条件で真理を悟り知ることのできる機能を備え持って産まれているのです。
>そういう考え方もでき私の感想になってしまいますがそれは哲学というより思想では?
思想ではなく真実ですよ。
>>57で同意しているように真理について考えるなら真理の定義をここで決めたほうが良いと思います。
定義とは決めるものではなく、存在を明らかにすることですね。
真理とは、人が物事の理を悟ることで得られる、物事の理非を分け隔て真の理を悟り知る心を指します。
この真理が人に物事を理解させ人の智と知の源となり、人の知能を高め知恵を産みだし知識を集める働きをするのです。
人に生きる意味を知らしめることも真理の会得が無ければ叶いません。
つまり、人類は真理を会得しなければ無知の域から絶対に抜けだせないのです。


78 :考える名無しさん:2008/04/11(金) 00:46:22 0
>>68
>なぜ思っているのは私だと言い切れるのですか。
>何かの作用(思うまたは感じる)が働いている気がしますがそれが一人称につながるとは思えません。

「われ思う、ゆえにわれ在り」が疑いえないというのは、思ったり感じたりするのが私のときには、
かならず私だからです。思ったり感じたりするのが私でないときには、もちろん私ではありません。
変な言い方をしていますが、たとえば多重人格を想定していただければわかりやすいと思います。

(デカルトの言葉を不用意に使って誤解を与えてしまいました。すみませんでした)

>作用が働くには対象と観測者が絶対必要なのでしょうか。

そうでないと現象が成立しないと思います。
だからといって、対象と観測者を別物扱いしなければならないということではありません。
たとえば夢のことを考えてみれば、独我論や脳一元論も奇異な考え方ではないですよね。
それにもしかしたら本当は現実は夢かもしれませんし。

仮にそのように想定すれば、夢と同じように現実の対象は直接「われ思う」の表象によって
創造されていることになります。たとえば、神様の天地創造のように、神様の「光あれ!」
との意志の表象が、そのまま「光」(対象)を産み出してしまう、というようにです。
そのように考えれば、対象と観測者を別け隔てる必要もなくなります。


79 :考える名無しさん:2008/04/11(金) 02:49:59 0
>>78
78さんの言うことはおおむね私は理解できるし、もし78さんがそのように考えるなら私は78さんと大体同じ意見です。

>対象と観測者を別物扱いしなければならないということではありません。

そう思います。しかし、

>そうでないと現象が成立しないと思います。

この意見には同意できません。私は作用が働くなら絶対に存在が必要だと100%思えないからです。
ここの部分はもしかすると個人の感覚とか好き嫌いになってくるかもしれないのですが・・・

>「われ思う、ゆえにわれ在り」が疑いえないというのは、思ったり感じたりするのが私のときには、
かならず私だからです。思ったり感じたりするのが私でないときには、もちろん私ではありません。
変な言い方をしていますが、たとえば多重人格を想定していただければわかりやすいと思います。

ここの私は一人称の私でしょうか。私について記述するのは面倒だと思うのですが、詳しく教えてもらえませんか。

>デカルトの言葉を不用意に使って誤解を与えてしまいました。すみませんでした

デカルトの言葉は私も好きでよく意味も分からないし吟味してもいないのに使ってしまいがちです。
それに誤解は哲学の議論には付き物だと思いますし、78さんは分かりやすく説明してくれています。
あなたのおかげで普段嫌になって考えるのをやめるのにやめないで新しい発見をすることができました。ありがとうございます。

80 :考える名無しさん:2008/04/11(金) 03:25:44 O
快楽のために生きてる。

81 :考える名無しさん:2008/04/11(金) 04:48:27 0
>>74
>「私にとっての意味」であり、それ以外ではありえないのです。

同意見ですが、これを踏まえると

>したがって、そこで「私が生きることの意味」は、唯一の盲点になり、語ることはできないものです。

がよく分かりません。
「私が生きること」に対しても「私にとっての意味」を与えられ「私が生きることの意味」となるように思うのですが。

82 :考える名無しさん:2008/04/11(金) 04:59:35 0
私は自分が生きているのか、存在しているのかも正確に分かりません。
>>34>>74を見ているとあなたは生きていることを最初の条件として与えているように思いました。
私は上述の通りですのでこれは論理的に議論してどうこうなるものではなく
最終的な個人の考え方による違いになってしまうのではないでしょうか。
丁寧に返事をしてくれてありがとうございます。

83 :(酔)短パン:2008/04/11(金) 05:15:53 0
ドット?


84 :心の仕組みドットコム:2008/04/11(金) 10:42:58 0

>>83
ま・さ・か
間坂は本牧の先です。

85 :考える名無しさん:2008/04/12(土) 03:15:19 0
>>79
>この意見には同意できません。私は作用が働くなら絶対に存在が必要だと100%思えないからです。

たとえば「私は桜の花を見ている」というとき、桜の花は単に見られているだけであって、
確実に言えるのは「桜の花が見られている」ということだけなのかもしれません。
でも、すぐに「誰に、見られているの?」と質問されてしまうでしょう。

なぜなら「見られている」という表現には、桜の花を見ている「誰か」の存在が
すでに含意されてしまっているからです。

だからといって、この「誰か」は、同一性を維持したまま存在する「私」である、
ということまでは含意していません。
確かにそうなのですが、それなら「桜の花」という現象はどうやって起きているのでしょうか?


86 :考える名無しさん:2008/04/12(土) 03:18:11 0
こっちが知りたい

87 :考える名無しさん:2008/04/12(土) 03:41:41 0
>>79
>ここの私は一人称の私でしょうか。私について記述するのは面倒だと思うのですが、
>詳しく教えてもらえませんか。

A子、B子、C子の人格は、一分毎に交代します。
同じ桜の花を見ているのですが、それぞれがそれぞれの桜の花を知りません。

一分毎にそれぞれがそれぞれに「私は桜の花を見ている」と言ったとしたら、
それぞれの私は、それぞれに別の私でしょう。

それでも、それぞれにそれぞれの私によって、それぞれにそれぞれの桜の花が
見られたのではないでしょうか。

たとえ一分間でも、その間だけは、それぞれにそれぞれの私の同一性が
維持されていたからこそ、たえまなく移り変わっていく桜の生きて咲く姿が
「桜の花が咲いている」という現象として成立しえたのではないでしょうか。

たった一分間でも同一性を維持したまま存在する私というカンバスがあったからこそ、
「何か」が「桜の花」として、はじめて、そこ(私)に描かれえたのではないでしょうか。

そのように考えれば、桜の花が現象することと私が存在することとが共にあるのは
当然のことになりますし、わたしが「思ったり感じたりするのが、私のときには、
かならず私だからです」と言ったのも、このような意味で、です。

たぶん期待外れのレスだと思いますが、とりあえず。


88 :考える名無しさん:2008/04/12(土) 03:53:45 0
>>85
>>87
>だからといって、この「誰か」は、同一性を維持したまま存在する「私」である、
>ということまでは含意していません。
>確かにそうなのですが、それなら「桜の花」という現象はどうやって起きているのでしょうか?

>たった一分間でも同一性を維持したまま存在する私というカンバスがあったからこそ、
>「何か」が「桜の花」として、はじめて、そこ(私)に描かれえたのではないでしょうか。

何かを「桜の花」と見なしている働きがあるということだよ。
そして、その働きの主体として「私」というものがあると見なしている働きがあるということだよ。




89 :考える名無しさん:2008/04/13(日) 06:24:22 O
生きる意味を考えだしてる時点で病みの入り口が見えてるよな?
生きる事に迷いがなかった頃が懐かしい。

90 :考える名無しさん:2008/04/14(月) 00:15:58 0
>>85>>87
説明ありがとうございます。

>「桜の花」という現象はどうやって起きているのでしょうか?

感じる(作用)を感じる(作用)を感じる(作用)を・・・・・・
という風に一人称以上の人称が出ずに考えが無限ループするので
「桜の花」を感じる、という作用が働いているということしか私に確実に言えることはありません。
私は、「感じる(作用)=0人称」が「私=一人称」に確実につながるという風に思えないので
感じるという作用の生じ方はもちろん、私が感じる過程もよく分かりません。

>わたしが「思ったり感じたりするのが、私のときには、
>かならず私だからです」と言ったのも、このような意味で、です。

出発点の違いというか私の勘違いというか、何にせよ私の捉え間違いでした。よく分かりました。

91 :考える名無しさん:2008/04/14(月) 00:21:37 0
↑返事遅れてすみませんでした。

>>89
確かに。こういうことを考えなかった頃に戻りたい。
こんなこと考えていると周りから変人扱いされるのは私だけ?

92 :考える名無しさん:2008/04/14(月) 03:15:56 0
>>90
>感じる(作用)を感じる(作用)を感じる(作用)を・・・・・・
>という風に一人称以上の人称が出ずに考えが無限ループするので
>「桜の花」を感じる、という作用が働いているということしか私に確実に言えることはありません。

たとえば「脳の中に感じる小人がいる」という想定をした場合、
感じる小人の感じるを感じる小人の……の無限後退に陥ってしまう困難を
今まで科学はしりぞけてきました。

なぜなら、客観的対象を相手にする科学にとって、小人は表現を替えれば主観性のことだからです。
もっとも脳科学者のなかにも、感じるということ、たとえば桜の花の「質感(クオリア)」の存在を認めて、
それを主観性(私や心)の問題として考える人もいるようです。

たとえば、脳科学的には「悲しいから泣く」という事実は存在しません。
なぜなら、涙を流させる脳内の神経細胞の活動が涙を流させるのであって、
「悲しいから泣くのではない」からです。

それでも、それを「悲しい」と言語に翻訳しうる「何か」の存在は認めているでしょうし、
その「何か」を「悲しい」と言語に翻訳する機能の存在も認めているようです。
つまり、科学者も原理的にはその人にしかわからない「何か」の存在を認めているのですね。

でも、もしも心や私とか呼ばれてきた一人称の存在を否定する場合には、
この「何か」を認めないということが必要になってくるのではないでしょうか。


93 :考える名無しさん:2008/04/14(月) 03:46:32 0
>>92
>それでも、それを「悲しい」と言語に翻訳しうる「何か」の存在は認めているでしょうし、
>その「何か」を「悲しい」と言語に翻訳する機能の存在も認めているようです。
>つまり、科学者も原理的にはその人にしかわからない「何か」の存在を認めているのですね。

「何か」というのは一人称になりうるものでしょうか。
それとも「悲しい」が言語に変換される以前のもののことでしょうか。

94 :考える名無しさん:2008/04/14(月) 04:16:30 0
水掛け論になるかもしれませんし、未熟ですが記述してみます。
私は作用が働いていることは確かだと思います。
しかし、それが一人称つまり私に直結することが絶対に確実だと思えません。
作用が働くには存在が必要だと確実に思えません。

論理も過去も未来も感覚も全て思い込みかもしれません。
しかし、私が思惟するのは確かであるように思えます。
でも、本当に思惟するのは私なのでしょうか。
同一性によって私は思惟していると言えるかもしれませんが
その同一性を支持する過去は本当に在ったかどうか疑わしい。
何故思惟するのは私と言えるのか。
私でなくても思惟するには存在がなくてはならないのか。
思惟すると存在は必ずセットなのでしょうか。
私にはどうも初めに思惟するという作用があるように思えます。
動詞(作用)には必ず存在が必要だと思えません。

95 :考える名無しさん:2008/04/14(月) 04:33:44 0
私は否定しているように見えるかもしれませんが、一人称を否定しているわけではありません。
私も一人称はあるのかもしれないと思っています。
ただそれが確実だと思えないので、疑わしいといっているだけです。
「何か」が一人称になりうるものならば認める認めない以前にあるのかどうか分かりません。
「何か」が、「悲しい」が言語化される以前のものならば、それは作用なのではないでしょうか。
この場合はもっとよく考えてみます。
科学者が認めていても、科学がそうしていても、私には作用があるとしか言えません。

96 :考える名無しさん:2008/04/15(火) 00:11:18 0
生きることに意味・目的がなけりゃならないって前提自体、
そもそもどうなんだろねぇ?
関係性(家族/友人/敵/自分 との)を選択してるから生きてるわけで、
それがイヤだったら関係性を断つ(社会的・生物的に、死ぬ)しかない。
生きるってのはそうした関係性の円環的植物的なつながりであって、
意味がどうのとか目的がどうのとか言うことじゃないと思うな。


97 :考える名無しさん:2008/04/15(火) 02:27:13 0
>>93
>「何か」というのは一人称になりうるものでしょうか。
>それとも「悲しい」が言語に変換される以前のもののことでしょうか。

私たちは自分を一般的に規定された公的な私の一事例として理解しつつも、
それとは区別される自分の特殊性(「私的な私」)についても把握しています。
ここでは仮に公的な私の一事例ではない「私的な私」のことを「一人称の私」
ということにさせてください。

「私の肩に桜の花びらが舞い落ちた」…… @
という場合、これは公的な私に起きた出来事について述べられたものになります。
なぜなら、@の命題については、その真偽や正誤を問うことが可能だからです。
つまり、@の私および出来事は、客観的(公的)に示されうるということです。

次に「私は桜の花が散ってしまうのが悲しい」…… A
という場合、これは一人称の私に起きた出来事について述べられたものですが、
Aの命題については、その真偽や正誤を問うことが不可能です。
なぜなら、Aの私および出来事は、客観的(公的)に示されえないからです。

だからといって、Aの私に「悲しいのは、本当に君なのか?」と真偽を問うのは
無意味でしょう。なぜなら「悲しい」という現象が、脳内、または一人称の私に
起きているのだとしても、それを知ることは原理的に不可能だからです。

このような議論をすれば、一人称の私の存在と言語に変換される以前の
「何か」の存在は同時に抹消されることになります。
なぜなら、「私は悲しい」という言語の表現の可能性が、「私は悲しい」
という事態を存在させているのであって、「私は悲しい」という表現とは別に、
「私」や「悲しみ」の実体が存在するとは言えないことになるからです。


98 :考える名無しさん:2008/04/15(火) 02:28:26 0
>>94-95については、次回にさせてください。すみません。


99 :考える名無しさん:2008/04/15(火) 03:25:55 0
私の質問の仕方が悪かったようです。
「何か」とは、[涙を流させる脳内の神経細胞の活動]を[「悲しい」と言語に翻訳する]存在ですか。
それとも、

>その「何か」を「悲しい」と言語に翻訳する機能の存在も認めているようです。

から(外界はあるのかないのか、私はいるのか、などは無視して)「何か」とは、
言葉になる前の思いのことですか。つまり、私に「私は悲しい」と言わしめる原因でしょうか。

>それでも、それを「悲しい」と言語に翻訳しうる「何か」の存在は認めているでしょうし、

のそれはクオリアのことでしょうか。もしそうなら、上記二つのことではなく
「何か」=「クオリアを悲しいと翻訳するもの」=「悲しいと翻訳されるもの」でしょうか。

私が至らないのだと思うのですが、この文脈上の「何か」の特徴がよく理解できません。

100 :考える名無しさん:2008/04/15(火) 06:54:11 O
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