レス数が950を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
生きる意味
- 42 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 02:26:33 0
- 死にたくても死ぬのが怖い人は本当に生きたい人だと言えるのか
死ぬ直前に死にたくないと思った人は生きたいとそのとき思っただろうか
- 43 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 02:35:29 0
- >>1
一生かけて探し続けろ
それもまた人生だ
- 44 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:01:18 0
- >>34
生きることそれ自体の肯定(かけがえのない素晴らしいことである)は、
すべての価値が生きることの上に成り立っていることを考慮するならば、
この世界における絶対公理(それがあっての物種)のように思えます。
なぜなら、それ(生きることそれ自体)を否定するならば、
そもそも価値について云々することはできないはずだからです。
しかし「生きることはかけがえのない素晴らしいことである」という命題は、
それが真理であるならば、決して存在してはならないのではないでしょうか。
なぜなら、それは存在した瞬間に相対化されてしまう運命にあるからです。
たとえば、わたしに「生きることはかけがえのない素晴らしいことではない」
と言えわれて(相対化されて)しまった瞬間、それは個人的見解(>>35)に
過ぎなくなってしまうからです。
- 45 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:14:42 0
- >>41
興味深いですね、具体的に違いを教えて頂けませんか?
>>42
本当に死を希望する人は生きる事に恐怖を抱き、死ぬ事に安らぎを求めている人だと考えています。
だから死ぬんだと。
死が怖いと思う人は未練や希望を抱いている人だと思います。
- 46 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:17:27 0
- >>36
真理とは絶対的なもので相対化されることはない
と思うのだが考え方の違いだろうか
>なぜなら、それ(生きることそれ自体)を否定するならば、
>そもそも価値について云々することはできないはずだからです。
何故なのか
スレ違いになるかもしれないがそもそも私たちは生きているのか
- 47 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:24:28 0
- >>45
死にたいの反対がただ単に生きたいではないと思うから。
複雑な心理状態だと思うから具体例を出すのは難しい。
死が怖いというのと死ぬのが怖いというのは違う
死という状態と死ぬという行為に恐怖するのは違うと思う
- 48 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:27:00 0
- だから死が怖いと思う人は未練や希望を抱いている人かも知れないが
死にたい人間が死ぬのを怖がることはあると思う
連スレ申し訳ない
- 49 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:52:14 0
- >>48
いろいろ考えましたが確かにそういう人がいるかもしれない。
例えば奴隷は死よりも死ぬという行為が未遂に終わりその後の罰に恐怖するかもしれない。
それに、五体不満足の人は死にたいと思っても死ねない。
だが生きている。etc...
これらを考えて>>36の発言は間違っていました。
>死にたいの反対がただ単に生きたいではないと思うから。
そうですね。
言葉や概念に囚われ過ぎたのかもしれません。
それを考えると生の反対語が死も違うかもしれません。
- 50 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 04:08:36 0
- >それを考えると生の反対語が死も違うかもしれません。
何が反対語なのかわからないがその通りだと思う。
>>>36の発言は間違っていました。
私の考えを分かってくれたかどうかはあなた=私ではないから分からない
けど、そのことについてよく考えてくれたのは嬉しい
間違っているいないは相対的なものだと思う
だからもしかするとあなたの考えが正しいのかもしれない
ただ、志願者の気持ちを一括りにされたような気がしてそれが嫌だった
- 51 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 04:15:13 0
- >>50
不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。
ただ、思った事を言わないと私は成長することができないので。
あなたの意見は大変参考になりました。
- 52 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 04:22:14 0
- >>46
たとえば、「生きることは、かけがえのない素晴らしいことである」が、
真理であるにしても、それを知ることはできないのではないでしょうか。
私たちは言葉によってそれを知るのですから、知られたものとしてのそれは、
すでに真理ではなくなっていませんか。
なぜなら、あらゆる命題の真偽をまちがいなく判別するような論理は
存在しませんし、また真理の表明であるどのような命題にも、
かならず相反する言明が成立してしまうのですから。
- 53 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 04:42:34 0
- >>52
もう落ちるので、補足しておきます。
仮に「生きることは、かけがえのない素晴らしいことである」が真理だとしても、
その言明が成立するためには「生きることは、かけがえのない素晴らしいことではない」
という可能性も論理的には開かれていなければなりません。
もちろん、論理的にはそうかも(相対化されるかも)しれないけれども、
真理そのものの絶対性は相対化されえない、という主張がなされるでしょう。
しかし、真理が相対化されえないということは、誤りえないということであり、
そうであるならば、真理の絶対性は、それが真理であるとは「言えない」ことのうちに
示されるのでなければならないはずです。
なぜなら、真理が絶対的なものならば、真理に真偽も正誤もないはずだからです。
つまり、真理はそれを示そうとするかぎり、どこまでも示せないのであり、
どこまでも示せないことのうちに示されるものなのです。
すなわち、真理の言明が可能ならば、真理は真理として示しえず、
あらかじめ失われていなければならない、ということになるはずです。
- 54 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 04:44:05 0
- >たとえば、「生きることは、かけがえのない素晴らしいことである」が、
真理であるにしても、それを知ることはできないのではないでしょうか。
>なぜなら、あらゆる命題の真偽をまちがいなく判別するような論理は
存在しませんし
何故そういう風に言い切れるのですか?
そういう風に絶対的に言い切れるのならそれこそ真理だと思います。
>私たちは言葉によってそれを知るのですから、知られたものとしてのそれは、
すでに真理ではなくなっていませんか
確かによくそう思いますがこれも絶対的にそうだといえるでしょうか?
私が言った真理は概念としての真理です。
真理の定義によって又個人個人によって真理とは何か変わってくると思うのですが
私は真理そのものを知ることが絶対にできないかどうかわからないし
真理はもしもあるならば絶対的なものだと思います。
>真理の表明であるどのような命題にも、
かならず相反する言明が成立してしまうのですから。
相反する言明を一つ一つ考えて事がないので分かりません。
ただ、相反する言明が成り立たない命題をまだ発見していないだけかもしれないとも思います。
私はこの頃何を考えても全ては思い込みかもしれないという考えが頭から離れません。
だから、可能性が絶対的に0もしくは100ではないように思えることに関していちいち疑ってしまうのです。
だからいちいち聞いてしまいました。
あと36ではなく44でした。申し訳ないです。
- 55 :心の仕組みドットコム:2008/04/08(火) 06:16:08 0
-
真理とは何かを知らずに、真理に付いて語り合っても結論はでないと思いますが如何でしょうか?
- 56 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 13:28:39 0
- >>41
消えたい≠死にたい
生きていたくない≠死にたい
らしい。
- 57 :考える名無しさん:2008/04/08(火) 15:38:44 0
- >>55 >>56
同意します
>>53
論理的に過去現在未来絶対的で客観的な真理について考えるのならあなたは正しいと思う。
真理についてはスレ違いなのでやめます。
- 58 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 00:41:43 0
- >>54
>何故そういう風に言い切れるのですか?
「生きることそのものが、かけがえのない素晴らしいことである」…… @
という>>34の主張は、個人的見解として述べられているのではないけれど、
@が、もしも個人に知られうることなら、@のように思うかどうかは、
どうしても「個人的見解」になってしまうしかないのではないか、
そうであるなら、@の肯定によって「生きる意味」の個別的存在が
否定されてしまう理由はないではないか、という反論が>>35でしょうか。
わたしは、@のような命題の真偽が論理によって決定できると思っていないし、
仮に@が真理だとしたら尚更、真偽を問うのは不可能ではないかと思うのです。
(理由は、>>53)
たとえば、あなたの「そもそも私たちは生きているのか」(>>46)という問いを
許容するなら、@の命題は事実に反したこと(生きているということ)を前提に
しているのですから、命題自体が偽(現実的には嘘)の可能性がありますし、
また、フィクションの中の文に過ぎないと考えるなら、真偽を問われる命題で
さえないことになってしまうでしょう。
- 59 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 00:48:51 0
- >>54
>真理はもしもあるならば絶対的なものだと思います。
わたしも、そう思います。
>私はこの頃何を考えても全ては思い込みかもしれないという考えが頭から離れません。
>だから、可能性が絶対的に0もしくは100ではないように思えることに関していちいち疑ってしまうのです。
わたしも同じです。
>>57
>論理的に過去現在未来絶対的で客観的な真理について考えるのならあなたは正しいと思う。
わたしは自分が書いていることを信じているわけではなく、
そのような考えについての反論を期待しているだけです。
ちなみに、わたしはあなたが希求しているようなものとしての真理が
客観的に存在するとは思っていません。
なぜなら、いまだ「われ思う、ゆえにわれ在り」を疑えないからです。
- 60 :心の仕組みドットコム:2008/04/09(水) 08:48:45 0
- >>57
>真理についてはスレ違いなのでやめます。
哲学は理性的な思考を通して、諸事の問題を語るものですから哲学から真理を除いたら、ただのゴミ屑になってしまいます。
ですから、哲学の場で真理に付いて語ることは哲学の王道です。
>>59
>ちなみに、わたしはあなたが希求しているようなものとしての真理が客観的に存在するとは思っていません。
真理とは人が客観的立場に身を移し、始めて悟り知るものです。
人が、この真理を会得すれば道理も悟り知り物事を理解し知能が活動し、そこで始めて全てを知り得る本物の智恵を産みだせるのです。
そして人類は真理を望む純粋で謙虚な心さえ有れば、無条件で真理を悟り知ることのできる機能を備え持って産まれているのです。
- 61 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 15:30:08 0
- 自分のためだけに生きる
http://ssut1.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_5f05.html
- 62 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 16:05:27 0
- 逆から読むとミルキー
- 63 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 16:17:07 0
- 逆から読むと一木留美
- 64 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 22:22:34 0
- >>1
生きる意味が何にせよ。
「意味がある」と思えば、生きる気力が起こり、
「意味がない」と思えば、生きる気力を失う。
このことも問題ではないか。
意味があろうがるまいが、生きる気力発動装置とのリンクは切れるはず。
- 65 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 22:30:37 0
- 30年前に、「生きる意味」を求めた一人の人間の歩み。
http://space.geocities.jp/hikarikuma2007/mutapf.html
- 66 :考える名無しさん:2008/04/09(水) 23:43:09 0
- 俺が思うに、人は、それぞれの価値観によって生きている。
ショーペンハウアーの“生きんとする意志”という言葉を借りれば、
人は、生きんとする意志を、それぞれの価値観を実現させようとして生き、
そのように生きれると「意味がある」という判断をする。
「意味」とは、自分の価値観を通して、生きんとする意志を実現する
方向へ向かう方向へ向かっていることを、言うのではないか。
- 67 :(酔)短パン:2008/04/09(水) 23:58:46 0
- 「生きる意味」か・・・
追うと、追い始めると、難易度がけたたましく跳ね上がる。という所までは、なんとなく・・・
ん〜〜〜・・・。
「幻想?」
あるいは、理想郷。なのかな・・・
イメージとしては、かなりはっきりとしているのに、現実の中には「無い」・・・
・・・ただ、本当に、なんてことない、ただの一瞬。その具現化された何か(或いはカタチそのもの)を、まのあたりにする事は、
あるんだと、そう思う。
その奇跡。例えて言うなら、「奇跡」という奴。(重要なので繰り返すンw)
これの日常化を狙おうとする時。
あらゆるエネルギー(?)ヒエラルキー(??)リビドー(><)は手のひらを返して「敵」となり。総がかりで潰しに来る。
・・・・と言う事だろうか。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
複雑なのは、なにも、神の御手によってそうされている。とは、思わない。(思えない。)
僕は、単に、この(複雑怪奇)な自己が疎ましくて仕方がない。
と言う事だけなんだろうな・・・
- 68 :考える名無しさん:2008/04/10(木) 02:15:34 0
- >>58
>>54の時点では>>53をよんでいませんでした。余計に説明させて申し訳ないです。
>>59
私はそのような真理があるかどうかわかりません。
しかし、与えられた情報で足りない頭を使って考えた場合(私が付け加えたものもありますが)どうもそのように思えるという意味です。
どうも今のところ正しい気がしますが別に肯定する気はありません。
>いまだ「われ思う、ゆえにわれ在り」を疑えないからです。
なぜ思っているのは私だと言い切れるのですか。
何かの作用(思うまたは感じる)が働いている気がしますがそれが一人称につながるとは思えません。
作用が働くには対象と観測者が絶対必要なのでしょうか。
また、必要だとしてもなぜそこに一人称が入り込んでくるのでしょうか。
一応デカルト関係の本は読んでいるのですが精読していないので間違いがあったら申し訳ないです。
>>60
ここは生きる意味を語る場ではないでしょうか。
哲学版でなおかつ生きる意味について考えていて真理のことに行き着いたとしても
真理の絶対性や真理を知覚できるかは生きる意味について考えるのにあまり関係がないのでは?と思い、発言しました。
ずれているずれていないは結局は個人の判断になると思うのですが・・・
>人類は真理を望む純粋で謙虚な心さえ有れば、無条件で真理を悟り知ることのできる機能を備え持って産まれているのです。
そういう考え方もでき私の感想になってしまいますがそれは哲学というより思想では?
>>57で同意しているように真理について考えるなら真理の定義をここで決めたほうが良いと思います。
- 69 :考える名無しさん:2008/04/10(木) 02:20:48 0
- >>59
>わたしは自分が書いていることを信じているわけではなく、
そのような考えについての反論を期待しているだけです。
考えようによっては反論できるように思います。
- 70 :考える名無しさん:2008/04/10(木) 02:35:19 O
- 人生の中で様々な苦悩がある。
その苦悩は「生きる意味とは?」「自分の存在の意義」といった、永遠に答えの出ない、答えがあるのかすら分からないような問いと、根底でなにかしらリンクしている。
そんな中で、常に答えの見つからない問いと戦い続ける事が、生きるって事じゃないのかと思う。
- 71 :考える名無しさん:2008/04/10(木) 02:59:55 0
- 生きる意味は個人個人で違うと思う。
自分で見出さなければないと思うし
みんなに共通する生きる意味はないように思える。
意味は個人が与えて初めて個人が認識するようになると思う。
- 72 :(酔)魔王短パン:2008/04/10(木) 04:13:30 0
- おぃ、てめぇらw
どぅでもいいが、俺を神格化スンナよw
いいかげんにしないと、ひっぱたくぞ?
なぁ。
大丈夫?
- 73 :考える名無しさん:2008/04/10(木) 05:35:28 O
- 生きる意味って理解するより感じたほうが早いと思う。
マトモに考えたら頭がパンクするわ。
何気ない瞬間に真理ってやつは潜んでるものさ。
- 74 :考える名無しさん:2008/04/10(木) 06:34:06 0
- >>35
> それはあなたの個人的見解では?
> どのような言葉も個人的見解だと思うが
> それを真理のように語るのはいただけない
> 思うに生きる意味とは
> 個人が見出さなければないのではないだろうか
「個人的見解」という言葉の定義によるので、個人的見解かどうかには答えられませんが
決して、変わった意見ではないと思います。
端的に言えば、「意味」の定義の問題です。
詳しくはリンク先に書いてある通りですが、一般に、「意味」は「〜にとっての意味」という形でしか存在しえません。
つまり、私たちが生きている上での意味は、全て「私にとっての意味」であり、それ以外ではありえないのです。
したがって、そこで「私が生きることの意味」は、唯一の盲点になり、語ることはできないものです。
そのことを端的に言えば「生きる意味などない」ということになるわけです。
比喩的な説明をすれば、これはいわゆる「一神教的立場」と「非一神教的立場」の違いとも言えます。
「生きる意味がある」と考える立場は、(ユダヤ・キリスト教のような)一神教的立場あり、
「普遍的な意味」が存在するという見方に相当します。
これに対し、リンク先の記事の議論は、非一神教的立場で、価値を与えるのは一人一人が生きていることそのものだと考えます。
(ちなみに、一神教的という表現は、哲学的議論に詳しい人にはおなじみだと思いますが誤解を招く表現かもしれません。
ユダヤ教徒やキリスト教徒の全てがそういう立場を取っているという意味ではなく、
あくまで普遍主義的思考を象徴的に指す言葉です)
「生きる意味がある」というのは聞こえが良いですが、実は、人間を神の道具におとしめるものです。
そうではなく、「生きることの絶対性」を主張するのが、「生きる意味はない」という立場です。
ちなみに、>>34はリンク先の記事のリード文で、独立した意見というわけではないので念のため。
生きる意味について
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_311d.html
- 75 :(酔)短パン:2008/04/10(木) 07:08:31 0
- >>74
なぁ。言葉とか文字って、なんだと思う?
俺は、、、俺はね。。。
- 76 :(酔)短パン:2008/04/10(木) 07:14:20 0
- 使えば使うほど、汚れてさ。闘いの武器として精錬されていくんだよ。。。
ふ、
「それを求めていたのか。」
とか・・・w
- 77 :心の仕組みドットコム:2008/04/10(木) 08:57:00 0
-
>>68
☆人類は真理を望む純粋で謙虚な心さえ有れば、無条件で真理を悟り知ることのできる機能を備え持って産まれているのです。
>そういう考え方もでき私の感想になってしまいますがそれは哲学というより思想では?
思想ではなく真実ですよ。
>>57で同意しているように真理について考えるなら真理の定義をここで決めたほうが良いと思います。
定義とは決めるものではなく、存在を明らかにすることですね。
真理とは、人が物事の理を悟ることで得られる、物事の理非を分け隔て真の理を悟り知る心を指します。
この真理が人に物事を理解させ人の智と知の源となり、人の知能を高め知恵を産みだし知識を集める働きをするのです。
人に生きる意味を知らしめることも真理の会得が無ければ叶いません。
つまり、人類は真理を会得しなければ無知の域から絶対に抜けだせないのです。
- 78 :考える名無しさん:2008/04/11(金) 00:46:22 0
- >>68
>なぜ思っているのは私だと言い切れるのですか。
>何かの作用(思うまたは感じる)が働いている気がしますがそれが一人称につながるとは思えません。
「われ思う、ゆえにわれ在り」が疑いえないというのは、思ったり感じたりするのが私のときには、
かならず私だからです。思ったり感じたりするのが私でないときには、もちろん私ではありません。
変な言い方をしていますが、たとえば多重人格を想定していただければわかりやすいと思います。
(デカルトの言葉を不用意に使って誤解を与えてしまいました。すみませんでした)
>作用が働くには対象と観測者が絶対必要なのでしょうか。
そうでないと現象が成立しないと思います。
だからといって、対象と観測者を別物扱いしなければならないということではありません。
たとえば夢のことを考えてみれば、独我論や脳一元論も奇異な考え方ではないですよね。
それにもしかしたら本当は現実は夢かもしれませんし。
仮にそのように想定すれば、夢と同じように現実の対象は直接「われ思う」の表象によって
創造されていることになります。たとえば、神様の天地創造のように、神様の「光あれ!」
との意志の表象が、そのまま「光」(対象)を産み出してしまう、というようにです。
そのように考えれば、対象と観測者を別け隔てる必要もなくなります。
- 79 :考える名無しさん:2008/04/11(金) 02:49:59 0
- >>78
78さんの言うことはおおむね私は理解できるし、もし78さんがそのように考えるなら私は78さんと大体同じ意見です。
>対象と観測者を別物扱いしなければならないということではありません。
そう思います。しかし、
>そうでないと現象が成立しないと思います。
この意見には同意できません。私は作用が働くなら絶対に存在が必要だと100%思えないからです。
ここの部分はもしかすると個人の感覚とか好き嫌いになってくるかもしれないのですが・・・
>「われ思う、ゆえにわれ在り」が疑いえないというのは、思ったり感じたりするのが私のときには、
かならず私だからです。思ったり感じたりするのが私でないときには、もちろん私ではありません。
変な言い方をしていますが、たとえば多重人格を想定していただければわかりやすいと思います。
ここの私は一人称の私でしょうか。私について記述するのは面倒だと思うのですが、詳しく教えてもらえませんか。
>デカルトの言葉を不用意に使って誤解を与えてしまいました。すみませんでした
デカルトの言葉は私も好きでよく意味も分からないし吟味してもいないのに使ってしまいがちです。
それに誤解は哲学の議論には付き物だと思いますし、78さんは分かりやすく説明してくれています。
あなたのおかげで普段嫌になって考えるのをやめるのにやめないで新しい発見をすることができました。ありがとうございます。
- 80 :考える名無しさん:2008/04/11(金) 03:25:44 O
- 快楽のために生きてる。
- 81 :考える名無しさん:2008/04/11(金) 04:48:27 0
- >>74
>「私にとっての意味」であり、それ以外ではありえないのです。
同意見ですが、これを踏まえると
>したがって、そこで「私が生きることの意味」は、唯一の盲点になり、語ることはできないものです。
がよく分かりません。
「私が生きること」に対しても「私にとっての意味」を与えられ「私が生きることの意味」となるように思うのですが。
- 82 :考える名無しさん:2008/04/11(金) 04:59:35 0
- 私は自分が生きているのか、存在しているのかも正確に分かりません。
>>34>>74を見ているとあなたは生きていることを最初の条件として与えているように思いました。
私は上述の通りですのでこれは論理的に議論してどうこうなるものではなく
最終的な個人の考え方による違いになってしまうのではないでしょうか。
丁寧に返事をしてくれてありがとうございます。
- 83 :(酔)短パン:2008/04/11(金) 05:15:53 0
- ドット?
- 84 :心の仕組みドットコム:2008/04/11(金) 10:42:58 0
-
>>83
ま・さ・か
間坂は本牧の先です。
- 85 :考える名無しさん:2008/04/12(土) 03:15:19 0
- >>79
>この意見には同意できません。私は作用が働くなら絶対に存在が必要だと100%思えないからです。
たとえば「私は桜の花を見ている」というとき、桜の花は単に見られているだけであって、
確実に言えるのは「桜の花が見られている」ということだけなのかもしれません。
でも、すぐに「誰に、見られているの?」と質問されてしまうでしょう。
なぜなら「見られている」という表現には、桜の花を見ている「誰か」の存在が
すでに含意されてしまっているからです。
だからといって、この「誰か」は、同一性を維持したまま存在する「私」である、
ということまでは含意していません。
確かにそうなのですが、それなら「桜の花」という現象はどうやって起きているのでしょうか?
- 86 :考える名無しさん:2008/04/12(土) 03:18:11 0
- こっちが知りたい
- 87 :考える名無しさん:2008/04/12(土) 03:41:41 0
- >>79
>ここの私は一人称の私でしょうか。私について記述するのは面倒だと思うのですが、
>詳しく教えてもらえませんか。
A子、B子、C子の人格は、一分毎に交代します。
同じ桜の花を見ているのですが、それぞれがそれぞれの桜の花を知りません。
一分毎にそれぞれがそれぞれに「私は桜の花を見ている」と言ったとしたら、
それぞれの私は、それぞれに別の私でしょう。
それでも、それぞれにそれぞれの私によって、それぞれにそれぞれの桜の花が
見られたのではないでしょうか。
たとえ一分間でも、その間だけは、それぞれにそれぞれの私の同一性が
維持されていたからこそ、たえまなく移り変わっていく桜の生きて咲く姿が
「桜の花が咲いている」という現象として成立しえたのではないでしょうか。
たった一分間でも同一性を維持したまま存在する私というカンバスがあったからこそ、
「何か」が「桜の花」として、はじめて、そこ(私)に描かれえたのではないでしょうか。
そのように考えれば、桜の花が現象することと私が存在することとが共にあるのは
当然のことになりますし、わたしが「思ったり感じたりするのが、私のときには、
かならず私だからです」と言ったのも、このような意味で、です。
たぶん期待外れのレスだと思いますが、とりあえず。
- 88 :考える名無しさん:2008/04/12(土) 03:53:45 0
- >>85
>>87
>だからといって、この「誰か」は、同一性を維持したまま存在する「私」である、
>ということまでは含意していません。
>確かにそうなのですが、それなら「桜の花」という現象はどうやって起きているのでしょうか?
>たった一分間でも同一性を維持したまま存在する私というカンバスがあったからこそ、
>「何か」が「桜の花」として、はじめて、そこ(私)に描かれえたのではないでしょうか。
何かを「桜の花」と見なしている働きがあるということだよ。
そして、その働きの主体として「私」というものがあると見なしている働きがあるということだよ。
- 89 :考える名無しさん:2008/04/13(日) 06:24:22 O
- 生きる意味を考えだしてる時点で病みの入り口が見えてるよな?
生きる事に迷いがなかった頃が懐かしい。
- 90 :考える名無しさん:2008/04/14(月) 00:15:58 0
- >>85>>87
説明ありがとうございます。
>「桜の花」という現象はどうやって起きているのでしょうか?
感じる(作用)を感じる(作用)を感じる(作用)を・・・・・・
という風に一人称以上の人称が出ずに考えが無限ループするので
「桜の花」を感じる、という作用が働いているということしか私に確実に言えることはありません。
私は、「感じる(作用)=0人称」が「私=一人称」に確実につながるという風に思えないので
感じるという作用の生じ方はもちろん、私が感じる過程もよく分かりません。
>わたしが「思ったり感じたりするのが、私のときには、
>かならず私だからです」と言ったのも、このような意味で、です。
出発点の違いというか私の勘違いというか、何にせよ私の捉え間違いでした。よく分かりました。
- 91 :考える名無しさん:2008/04/14(月) 00:21:37 0
- ↑返事遅れてすみませんでした。
>>89
確かに。こういうことを考えなかった頃に戻りたい。
こんなこと考えていると周りから変人扱いされるのは私だけ?
- 92 :考える名無しさん:2008/04/14(月) 03:15:56 0
- >>90
>感じる(作用)を感じる(作用)を感じる(作用)を・・・・・・
>という風に一人称以上の人称が出ずに考えが無限ループするので
>「桜の花」を感じる、という作用が働いているということしか私に確実に言えることはありません。
たとえば「脳の中に感じる小人がいる」という想定をした場合、
感じる小人の感じるを感じる小人の……の無限後退に陥ってしまう困難を
今まで科学はしりぞけてきました。
なぜなら、客観的対象を相手にする科学にとって、小人は表現を替えれば主観性のことだからです。
もっとも脳科学者のなかにも、感じるということ、たとえば桜の花の「質感(クオリア)」の存在を認めて、
それを主観性(私や心)の問題として考える人もいるようです。
たとえば、脳科学的には「悲しいから泣く」という事実は存在しません。
なぜなら、涙を流させる脳内の神経細胞の活動が涙を流させるのであって、
「悲しいから泣くのではない」からです。
それでも、それを「悲しい」と言語に翻訳しうる「何か」の存在は認めているでしょうし、
その「何か」を「悲しい」と言語に翻訳する機能の存在も認めているようです。
つまり、科学者も原理的にはその人にしかわからない「何か」の存在を認めているのですね。
でも、もしも心や私とか呼ばれてきた一人称の存在を否定する場合には、
この「何か」を認めないということが必要になってくるのではないでしょうか。
- 93 :考える名無しさん:2008/04/14(月) 03:46:32 0
- >>92
>それでも、それを「悲しい」と言語に翻訳しうる「何か」の存在は認めているでしょうし、
>その「何か」を「悲しい」と言語に翻訳する機能の存在も認めているようです。
>つまり、科学者も原理的にはその人にしかわからない「何か」の存在を認めているのですね。
「何か」というのは一人称になりうるものでしょうか。
それとも「悲しい」が言語に変換される以前のもののことでしょうか。
- 94 :考える名無しさん:2008/04/14(月) 04:16:30 0
- 水掛け論になるかもしれませんし、未熟ですが記述してみます。
私は作用が働いていることは確かだと思います。
しかし、それが一人称つまり私に直結することが絶対に確実だと思えません。
作用が働くには存在が必要だと確実に思えません。
論理も過去も未来も感覚も全て思い込みかもしれません。
しかし、私が思惟するのは確かであるように思えます。
でも、本当に思惟するのは私なのでしょうか。
同一性によって私は思惟していると言えるかもしれませんが
その同一性を支持する過去は本当に在ったかどうか疑わしい。
何故思惟するのは私と言えるのか。
私でなくても思惟するには存在がなくてはならないのか。
思惟すると存在は必ずセットなのでしょうか。
私にはどうも初めに思惟するという作用があるように思えます。
動詞(作用)には必ず存在が必要だと思えません。
- 95 :考える名無しさん:2008/04/14(月) 04:33:44 0
- 私は否定しているように見えるかもしれませんが、一人称を否定しているわけではありません。
私も一人称はあるのかもしれないと思っています。
ただそれが確実だと思えないので、疑わしいといっているだけです。
「何か」が一人称になりうるものならば認める認めない以前にあるのかどうか分かりません。
「何か」が、「悲しい」が言語化される以前のものならば、それは作用なのではないでしょうか。
この場合はもっとよく考えてみます。
科学者が認めていても、科学がそうしていても、私には作用があるとしか言えません。
- 96 :考える名無しさん:2008/04/15(火) 00:11:18 0
- 生きることに意味・目的がなけりゃならないって前提自体、
そもそもどうなんだろねぇ?
関係性(家族/友人/敵/自分 との)を選択してるから生きてるわけで、
それがイヤだったら関係性を断つ(社会的・生物的に、死ぬ)しかない。
生きるってのはそうした関係性の円環的植物的なつながりであって、
意味がどうのとか目的がどうのとか言うことじゃないと思うな。
- 97 :考える名無しさん:2008/04/15(火) 02:27:13 0
- >>93
>「何か」というのは一人称になりうるものでしょうか。
>それとも「悲しい」が言語に変換される以前のもののことでしょうか。
私たちは自分を一般的に規定された公的な私の一事例として理解しつつも、
それとは区別される自分の特殊性(「私的な私」)についても把握しています。
ここでは仮に公的な私の一事例ではない「私的な私」のことを「一人称の私」
ということにさせてください。
「私の肩に桜の花びらが舞い落ちた」…… @
という場合、これは公的な私に起きた出来事について述べられたものになります。
なぜなら、@の命題については、その真偽や正誤を問うことが可能だからです。
つまり、@の私および出来事は、客観的(公的)に示されうるということです。
次に「私は桜の花が散ってしまうのが悲しい」…… A
という場合、これは一人称の私に起きた出来事について述べられたものですが、
Aの命題については、その真偽や正誤を問うことが不可能です。
なぜなら、Aの私および出来事は、客観的(公的)に示されえないからです。
だからといって、Aの私に「悲しいのは、本当に君なのか?」と真偽を問うのは
無意味でしょう。なぜなら「悲しい」という現象が、脳内、または一人称の私に
起きているのだとしても、それを知ることは原理的に不可能だからです。
このような議論をすれば、一人称の私の存在と言語に変換される以前の
「何か」の存在は同時に抹消されることになります。
なぜなら、「私は悲しい」という言語の表現の可能性が、「私は悲しい」
という事態を存在させているのであって、「私は悲しい」という表現とは別に、
「私」や「悲しみ」の実体が存在するとは言えないことになるからです。
- 98 :考える名無しさん:2008/04/15(火) 02:28:26 0
- >>94-95については、次回にさせてください。すみません。
- 99 :考える名無しさん:2008/04/15(火) 03:25:55 0
- 私の質問の仕方が悪かったようです。
「何か」とは、[涙を流させる脳内の神経細胞の活動]を[「悲しい」と言語に翻訳する]存在ですか。
それとも、
>その「何か」を「悲しい」と言語に翻訳する機能の存在も認めているようです。
から(外界はあるのかないのか、私はいるのか、などは無視して)「何か」とは、
言葉になる前の思いのことですか。つまり、私に「私は悲しい」と言わしめる原因でしょうか。
>それでも、それを「悲しい」と言語に翻訳しうる「何か」の存在は認めているでしょうし、
のそれはクオリアのことでしょうか。もしそうなら、上記二つのことではなく
「何か」=「クオリアを悲しいと翻訳するもの」=「悲しいと翻訳されるもの」でしょうか。
私が至らないのだと思うのですが、この文脈上の「何か」の特徴がよく理解できません。
- 100 :考える名無しさん:2008/04/15(火) 06:54:11 O
- うまくいくということ
- 101 :考える名無しさん:2008/04/15(火) 16:25:13 O
- 掲示板という特質上、全て観念的な話になっているのが口惜しいな。
これがリアルなら高台に並んで腰掛けて満開の桜を見て何かを感じ取りたい所だが…
まあ文字の羅列を見て何か生きる実感が湧くとしたら、それは「詩」と呼ばれるべきだろうな。
詩ってやつは書き手の感覚や想いをダイレクトに伝えるから。
教科書や公文書のようなのはただの「情報」にすぎない。
そこに実感は無い。
結論として…分厚い哲学書よりも美味しいコーヒーのほうが生を物語るってこった。
- 102 :考える名無しさん:2008/04/16(水) 02:34:10 0
- >>99(説明下手ですみません。たぶん今回もです)
「何か」とは、脳科学者であればおそらく「脳内の神経細胞の活動」でしょうが、
そのように書かないで「何か」にしたのは、>>97のような考えがあったからです。
私たちは「悲しいから泣く」とか「怖いから逃げる」とか表現するのですが、
かりに悲しいとか怖いとかのクオリアが存在するにしても、
脳科学的にはまちがった表現になってしまいます。
なぜなら、たとえば「悲しい(クオリア)」と「涙」とでは、
それを現象させる神経回路がそれぞれに別だから(関係していないから)です。
「悲しいから泣く」や「怖いから逃げる」という因果関係には根拠がないのです。
また、一部の脳科学者たちは、クオリアの存在はそれとして認めて、
あたかもクオリアが「脳内の神経細胞の活動」に還元できるかのように
思っているようですが、わたしはそれは不可能だと思っています。
なぜなら、ある特定の「脳内の神経細胞の活動」を指して、
それがその人の悲しみのクオリアである、とは言えないと思うからです。
その人の悲しみ(クオリア)はその人にしかわからない、
という主観性こそ、クオリアという概念の本質のはずだからです。
そもそもクオリア(悲しいとか怖いとか)は言語が生み出した抽象概念ですし、
たとえば、言語の習得が叶わず「私は悲しい」と表現する可能性がない場合、
「私は悲しい」という事態は存在しえないのだと思います。
そのような状況においてもなお、「私は悲しい」という表現とは別に、
「私」や「悲しみ」の実体としての「何か」が存在している、
と言うことはむずかしいのではないでしょうか。
- 103 :考える名無しさん:2008/04/17(木) 02:42:06 0
- >>102
>主観性こそ、クオリアという概念の本質のはずだからです。
>そもそもクオリア(悲しいとか怖いとか)は言語が生み出した抽象概念ですし、
主観的なものとしてのクオリアとお互いにそれを理解しあえるかのように使用している、
という意味では客観的なものとしてのクオリアとを同時に言うのは矛盾していますので、
少し説明を加えさせてください。
たとえば、あなたが「私は悲しい」と言うとき、それがクオリアの表明なのだとしたら、
わたしはそれを知ることができません。なぜなら、わたしはあなたにはなれないので、
あなたの悲しみを悲しむことができないからです。(クオリアの主観性の主張)
それにもかかわらず私たちが、他人には知られることのない「悲しさ」の表明がなされたとき、
もしもそのような「悲しさ」の存在を承認するのならば、このとき客観的なものとしてのクオリア
(抽象概念としての悲しみ)も同時に成立してしまっているのです。
という事情を書いたつもりでした。
だから「悲しい」という表現とは別に、「悲しみ」の実体としての「何か」が存在している、
という考えを認めないのならば、「悲しさ」と同時に「私」の存在をも否定できるかもしれない。
なぜなら「私は悲しい」という言語の表現の可能性が、「私は悲しい」という事態を
存在させているだけかもしれないのだから、というのがそもそもの議論(>>97)でした。
話題の興味がすれ違っているようなのに、すみません。
わたしがこのような話しをしているのは、もしも「生きる意味」について考えることが、
「私の生きる意味」につながらないとしたら、それこそ無意味に感じられるからです。
(と「感じてしまうこと」について、そこに「感じている私」を付け加えなければならない
理由がわからないというのが、あなたの疑問でしょうか?)
- 104 :考える名無しさん:2008/04/17(木) 06:54:03 0
- 人間は社会的な生き物ですよ。それ故に代償を求められるんですね。
だから、社会に貢献したものは賞賛され、そうでないものは
無きものとされるか、または反社会的なものは罰則を求められるんでしょうね。
代償は様々な形であり評価が困難なものであるけど、
そこに何かを見つけ出し生きていくことが生きる道ではないでしょうか。
小さなことでいい。めんどうくさいかもしれん。最初は恥ずかしい。
先ず、接する人に笑顔で接するように僕はしている。
- 105 :考える名無しさん:2008/04/17(木) 20:59:58 O
- 生きている間だけ、自分にとって、生きる意味はある。
自分の生きている世界のすべてが、自分にとって意味がある。
生きる意味とは、自分にとってあらゆるものが意味をもつための条件として、である。
- 106 :考える名無しさん:2008/04/18(金) 03:37:23 0
- >>102-103 遅れてすみません。
>そこに「感じている私」を付け加えなければならない
>理由がわからないというのが、あなたの疑問でしょうか?
理由というか「感じている私」が確実に居るとは思えないということです。(私ではなく誰かでもいいのですが)
>わたしがこのような話しをしているのは、もしも「生きる意味」について考えることが、
>「私の生きる意味」につながらないとしたら、それこそ無意味に感じられるからです。
私は確実なことを求めるとき以外、私は居るのかどうなのか、外界はあるのかないのか、
というようなことは考え出すと話が先に進まないので、脇に退けて仮の初期条件を決めて考えています。
ですので、「私はいる」「外界はある」などといった条件を決めていただいてから話を進めてもらうと幸いです。
あなたの真意を量り間違い、ただ話が進むまま分からないと言って懐疑の立場ばかりとっていました。申し訳ないです。
出発点をそろえてもまた分からないと言い出すかもしれませんがあなたの意見を引き続き聞かせてもらえればと思います。
>だから「悲しい」という表現とは別に、「悲しみ」の実体としての「何か」が存在している、
>という考えを認めないのならば、「悲しさ」と同時に「私」の存在をも否定できるかもしれない。
>>92から>>103で私の疑いを肯定しようとする一つの説明を提示してくれようとしていたのでしょうか。
もしそうであるなら、丁寧に説明してくださってありがとうございます。
- 107 :考える名無しさん:2008/04/18(金) 05:47:54 0
- 例えば
サッカーボールが風に吹かれ動き出し
坂道で転がり続け
やがて止まるということに
意味があると思いますか?
生物である我々もそれと同じです
- 108 :考える名無しさん:2008/04/18(金) 06:22:14 0
- >>107
ちょっと何言ってかわかんない
- 109 :考える名無しさん:2008/04/18(金) 15:00:03 0
- 「生きる」ってことと、「意味」ってことを勝手にリンクして
思考しているから、おかしくなるんだろう!?
「意味」があろうとなかろうと関係なく「生きる」!
これこそ、「実存」であり、人間の主体の宣言であろう。
- 110 :考える名無しさん:2008/04/18(金) 15:01:57 0
- >>109
その実存哲学の終焉を、牟田俊彦っておっさんは言ってんのさ。
http://space.geocities.jp/hikarikuma2007/
- 111 :考える名無しさん:2008/04/19(土) 02:05:06 0
- 意味があると思うと生きる気力が増し、
意味が無いと思うと生きる気力を失くしていく。
意味が無いというのが現実だと認識し、絶望し
かつ、意味という支えを失っても、生きるのが、実存哲学。
その終焉を唱える者がいるのか!?
ということは、生きる意味、しかも絶対的な意味を見つけたという
ことなのだろうか。
それとも、全く別の観点なのだろうか。
- 112 :考える名無しさん:2008/04/19(土) 10:12:02 0
- 生きる意味なんて、考えたってしょうがないだろ。
アフリカのサバンナに生きてる動物たちを考えてみろ。
奴らは、ひたすら食う事=生きることしかやることがない。
弱者は滅び、強者は残る。けれども個体の死からは免れない。
所詮人間も同じようなもの。食うためには働かなければならない。
現代の社会がそういうものだから。
- 113 :(酔)短パン:2008/04/19(土) 10:25:35 0
- >>生きる意味
それは、「意味」じゃない。
だから、迷うんじゃないの?
よく解らないけど・・・
- 114 :(酔)短パン:2008/04/19(土) 10:30:15 0
- ヒトってのは、そういうこと。じゃ、なかったのかな・・・
心痛めていれば、勝ち組だなんて。
それは、嘘だ。
ち(・з・)キニスルナ!
- 115 :(酔)短パン:2008/04/19(土) 10:33:45 0
- この、哲板でだけは言い切れる。んだけど、、、ねぇ。言っていいよね?
- 116 :考える名無しさん:2008/04/19(土) 10:35:48 0
- ._,,,/`,イ―'' ,`",l゙、、,,ジ'"`.```.|゙゛
.,,,-,i´,―--―''" 、、,!冖'"`、_、,,,/'゚,,."゙l-‐''
_,,,,,,,,,,,,,、 _,,,,,--''"`'",/゙ 、、.',j/′.、,,∠''"` .'_ヽ.',゙l.._,,、
,,-'"゙` `゙゙''lーイ"` .‐′ _,..,,/ .ヽ、,i,i´ ``゙’ 、、シ":"'.「
.,,i´ `'i、\ ゙!, ._,-'"ン'` 、、`_,/`,i´ _,___,ニ='" .'゙、゙".゙l,,-'`
.,/′ `'i,\ ′ .,,,,-',,,,、.,i´、_:_'_v`"゙i、| ```` ` 、_,Jィ""゙l, _,,,,、
: ,i´ ゙l. ヽ丶 .r‐'"、.l゙、、:,p=l┴丶 .!,,! `'"''''''冖''?'''゙~."""'."'/゛ `
: |,,r ゙l, 、 i、、、、:,,_,xl!ヴi,、 、、っ,,,, 、`',,,,、`、`、|、
|、 、"| .i、 lrr-''"゙,,ハ;、-'"゙゙'''''''"丶ヽ.,,冫``~`"`"~"``` `/ `''''
`''r,,、 、 、、 .、丶、.``ヽ,レ"° `` .j゚'=∠、````,,,,,∠ ~'ヽ```````、_,r‐'ヘi、
`゙'ーi,,_、、、、、: :._,,,r〃 " /^゚"'广 ,/ .,/゙゙゙'''ヶ―''''″
- 117 :(酔)短パン:2008/04/19(土) 10:45:39 0
- ちんこっす。
閻魔「ちんこだな。」
魔王「そろそろ古い表現方法だって、本人は気付いていないらしいのが、残念だ。」
短「・・・なんか、凄い事言ってるぞwww」
まぁ
いっかw
- 118 :(酔)短パン:2008/04/19(土) 10:52:35 0
- >>116
よぉ。
その心理はなんだ?何処に自分の在り様を込めているんだよ。
『これなら、荒し認定だ!』とでも思ってやっているんだろうが、
・・・・。それその意識そのものを疑えないのか?
くだらん
だから。落とされるンだろぅがよ!!!!
ちんこ
- 119 :(酔)短パン:2008/04/19(土) 10:56:52 0
- 『ストッパーダッテワカッテホシイ・・・』
・・・
そぅか。
辞めとくか。
自分の為に・・・・
っつか、ひとつだけだよ。
「自分で見つけないで、答えなんて無い!」
そんだけ。
でわでわ。
ノシ
- 120 :考える名無しさん:2008/04/21(月) 03:48:20 0
- >>106
>「私はいる」「外界はある」などといった条件を決めていただいてから話を進めてもらうと幸いです。
「普通」や「正常」や「常識」といったものを疑うことが哲学するという行為だと思いますから、
「私はいる」「外界はある」といった条件を決めてから話を進めるのはどうかな、と思います。
>出発点をそろえてもまた分からないと言い出すかもしれませんが
>あなたの意見を引き続き聞かせてもらえればと思います。
出発点をそろえること(ある前提については問わないこと)には意味がないように思いますので、
引き続きになりますが……すみません。
わたしが、それが「私の思いなら、私はいる」、それが「私の外界なら、外界はある」と言うのは、
「私の思い」でないなら「私はいない」し、「私の外界」でないなら「外界はない」ということです。
たとえば、この指先がキーボードから幾つかの文字を打ち込み、その打ち込まれた文字を見て
だれかが「私の思い」を感じてしまうなら、だれかにとって「私はいる」のかもしれませんし、
まただれかが世界の中から、この身体を見分けることができるなら、
だれかにとってこの身体や、それに対する「外界はある」のかもしれません。
けれども、そのようにして共有されうるかのような「思い」や「外界」が、
本当に存在するのかどうかと問うことが、私的さゆえに共有されることがない
「私の思い」や「私の外界」が存在するのかどうかを問うことに等しいなら、
言葉の表現とは別に、“そのような”「思い」や「世界」が存在するのを
証明することはできないと思います。
なぜなら、“そのような”とは、私の、ということですから、
“そのような”意味での、私は、世界や言葉のどこにも見つけられないからです。
だから、たとえば「生きる意味」が、私の、ということなら、
“そのような”意味での「生きる意味」もまた、世界や言葉のどこにも見つけられないと思います。
- 121 :考える名無しさん:2008/04/21(月) 04:32:46 0
- 生きる意味を問うのは問題の提起が間違っている。
意味というのは相関関係においてしか生まれない。
親にとって意味の無いカブトムシも、
子供にとっては意味がある。みたいな感じで。
だから、人生に意味があるとすればそれは
「〜〜にとって人生とは○○な意味がある」としなければならない。
これだと、客観性が保たれない。
なので質問を「何故生きるのか」に変えれば良いのではないか。
で、思ったのが、
1次的欲求、食欲・性欲・睡眠欲のような感じで
0次的欲求が「生存欲」だとするとどうだろう。
腹が減ったからもの食べる
やりたいからやる
眠いから寝る
と同様に
生きたい(死にたくない?)から生きる。
それにどんな理由をつけても(食事=栄養補給とか)それは後付けで、
何故食べるのかといわれれば、腹が減ったからとなるように
何故生きるのかといわれれば、生きたい(死にたくない)から
となるんじゃないだろうか。
と高校生の時考えたが、最近はまた考えが変わった。が、これはこれで原理として使えないかな。どうだろ。
- 122 :考える名無しさん:2008/04/21(月) 04:40:07 0
- >>94
>何故思惟するのは私と言えるのか。
>私でなくても思惟するには存在がなくてはならないのか。
たとえば、ある作用が働いて、生きる意味を考えているとします。
生きる意味を考えるという現象が、言語を獲得した人間によるものなら、
人間がひとりも存在しなくなれば、起こらない現象なのかもしれません。
この推測が正しいなら、生きる意味を考えるという現象が起こるためには、
少なくともヒトの身体(脳)と言語の存在が必要になるでしょうけれども、
このような考えの行き着くところは、たぶん身体一元論なんだと思います。
たしかに「すべての現象は身体現象である」と考えれば、
いわゆる精神的実体としての一人称の私は排除できそうですが、
身体現象としての一人称の私(意識)については、どのように答えるのでしょうか。
たとえば、脳がみずからも含めた個としての身体経験を統一的に管理するために
必要とした働きが、意識という自己同一性である、とか答えてしまいたくなりますが、
これではほとんどカントの理屈の援用になってしまいますね。
- 123 :考える名無しさん:2008/04/21(月) 04:41:40 0
- >>95
>「何か」が一人称になりうるものならば認める認めない以前にあるのかどうか分かりません。
その通りだと思います。
わたしは、一人称の私を証明することは原理的に不可能だということを書いてきたつもりです。
だれにでも当てはまるような一人称の私にはなりえない(一般化されえない)からこそ、
一人称の私でありうるような私について、です。
わたしが「われ思う、ゆえにわれ在り」が疑えないと言ったのは、
それが「私という唯一の主観」についての表明だと思ったからです。
でも、真理がそうであるように「私という唯一の主観」は、だれにも理解されないし、
だれかに理解されてしまったなら主観ではなくなってしまうような主観なのです。
なぜなら、他のだれかに理解されてしまうような主観は唯一の主観ではないからです。
- 124 :考える名無しさん:2008/04/21(月) 04:54:40 0
- >>123
まて、その他のだれかも君の主観だし、理解されると思うその気持ちも君の主観だし、
主観ではなくなってしまうようなものなんてあるのか?
それこそ真理しかなくないか?
でも、真理も主観の中にしかないのかな・・・うぇわかんね。
つかレス全部読んでないから空気読んでなかったら無視してね
- 125 :考える名無しさん:2008/04/21(月) 09:28:56 0
- >>120
>出発点をそろえること(ある前提については問わないこと)には意味がないように思いますので
そうですね。あなたが先述しているように私とあなたのベクトルが違う方向で
なおかつ、どのような話もそれも含めて思い込みであり疑い出したら切りがない
だから、確実に証明できないことに関しては仮定を与える
思考方法が別の者が話し合っても水掛け論になりむなしく終わる
そして何について論じるかを明確にする(いまいち私には分かりづらかったので)
ということで前提を決めて欲しいと書きました。
どの理由にしても結局は私の我がままですので撤回します。
>言葉の表現とは別に、“そのような”「思い」や「世界」が存在するのを
>証明することはできないと思います。
言葉の表現とともになら証明することができるのでしょうか。
>“そのような”意味での「生きる意味」もまた、世界や言葉のどこにも見つけられないと思います。
>>71に書いている通り、私は生きる意味は私が見出すしかないのではないか、と思っています。
(私はいないかもしれないというのは、ここでは置いておいて下さい)
- 126 :考える名無しさん:2008/04/21(月) 11:08:32 0
- >>122
私は先人の考えに疎いので良く分かりませんが、意識は精神の方に含まれるのではないか
と思ってしまいます。多分”実体”の部分が味噌なのでしょうが。
>>123
>でも、真理がそうであるように「私という唯一の主観」は、だれにも理解されないし、
>だれかに理解されてしまったなら主観ではなくなってしまうような主観なのです。
「だれかに理解されてしまったなら主観ではなくなってしまうような主観」ではなく
「だれかに理解されてしまったのを主観が認識したなら主観ではなくなってしまうような主観」ではないでしょうか。
実際過去において、あなたの知覚及び認識を理解してしまっただれかがいなかった、とは言い切れないので
あなたはあなたが言う主観を実はもう持っていない(主観を持つ持たないも変ですが)かもしれません。
でも多分人間性原理のように、主観は成り立っているのでそんなことはありえないという反論が成り立つのでしょうし、
それに対する反論をしたり、記述の正確さを論じてもあまり意味がないような気がしますが。
真理については、現在過去において絶対的に正しいものとするならそれは人も認識できるのではないでしょうか。
ここに未来や現在をどこまでとするのかが入ってくると面倒ですが。真理をどのようなものとするかによって変わってきます。
>>125の続きなのですが、私から見るとあなたは現実をあるものとして扱い
また、科学なども正しいと仮定しているように思えます。
それは何の問題もないのですが、私は疑いだしたら切りがないので、ここは疑わないとするところがあって
(どれも十分議論する対象にはなるのですが)それから話を進めてもらうと私が楽だということ
そして、国語辞典でも持ってくればいいのでしょうが、「認識する」という言葉一つとっても色々解釈できるわけで
どこまでを「認識する」ととするのかというような共通の理解の下に話し合うと私は話しやすいということです。
支離滅裂になっていたらすみません。まあ、これも含めて全ては思い込みかもしれないのですが。
- 127 :考える名無しさん:2008/04/24(木) 02:27:25 0
- >>124
>まて、その他のだれかも君の主観だし、理解されると思うその気持ちも君の主観だし、
>主観ではなくなってしまうようなものなんてあるのか?
もしも「主観ではなくなってしまうようなものなんてない」が徹頭徹尾貫かれたものが、
たとえば「我思う、ゆえに我あり」の主張ならば、それは「他人や外界の存在は疑えても、
疑っている自分の存在は疑えない」というような自分以外の「誰にでも適用可能な主観性の存在」
についての主張であってはならず「私という唯一の主観」についての主張でなければならないはずです。
相対化されえない「唯一の存在(私)」についての主張は、定義上、一切の他者や世界の否定の上に
成立するのですから、そのような主張はコミュニケーションの可能性を前提に成立している言語の性質上、
どのように語られたとしても「誰もがそれを理解することができない」のでなければならないはずです。
原理的には存在しえない主張なのですから。
- 128 :考える名無しさん:2008/04/24(木) 02:28:39 0
- >>125
>言葉の表現とともになら証明することができるのでしょうか。
ちょっと議論の位相がちがってしまうのですが、あえて言うと、
私たちには他人に心があるのかどうかさえわからないということです。
私たちが他人の心の存在を認めているのは、言葉の表現の可能性の上にであって、
たとえば、他人の心ある振る舞いに、他人の心の存在を認めるのも、
私たちがすでに言葉を習得していて、心という概念を理解しているからではないでしょうか。
>>“そのような”意味での「生きる意味」もまた、世界や言葉のどこにも見つけられないと思います。
>>>71に書いている通り、私は生きる意味は私が見出すしかないのではないか、と思っています。
わたしが世界のどこにも見つけられないと言っているのは、
相対化されえないものとしての「生きる意味」のことです。
“そのような”意味での「生きる意味」とは、“私の”意味での「生きる意味」であって、
“私の”という主観性は、相対化されえないものとしての主観性のことですので、
関係性を前提にしている“私たちの”世界や言葉の中には見つけられないということです。
普通には、あなたの意見に賛成です。
- 129 :考える名無しさん:2008/04/24(木) 02:32:17 0
- >>126
>意識は精神の方に含まれるのではないかと思ってしまいます。
脳科学者は意識という脳の働きがあると考えているようです。
>「だれかに理解されてしまったなら主観ではなくなってしまうような主観」ではなく
>「だれかに理解されてしまったのを主観が認識したなら主観ではなくなってしまうような主観」
>ではないでしょうか。
だれかに理解されてしまったなら主観ではなくなってしまうような主観とは、
だれかに理解されてしまう可能性を承認することで主観ではなくなってしまうような主観です。
>真理については、現在過去において絶対的に正しいものとするなら
>それは人も認識できるのではないでしょうか。
わたしの真理についての考えは、>>53に書いてある通りです。
絶対的に正しいものとしての真理は、対を絶して正しいのですから、
正しいということすら認識できないのではないでしょうか。
比べるものが一切存在しないものを認識することはできるのでしょうか。
- 130 :考える名無しさん:2008/04/24(木) 02:34:12 0
- >>126
>私から見るとあなたは現実をあるものとして扱い
>また、科学なども正しいと仮定しているように思えます。
すべては仮説にすぎませんので、絶対に正しいとか言いたいのではありません。
- 131 :考える名無しさん:2008/04/24(木) 05:46:04 O
- 今後の御健闘ご活躍を御祈りいたします
- 132 :ほうすけ:2008/04/24(木) 17:32:40 0
- 生きる意味?そんなこと人間以外の動物は何にも考えてない。
そんな動物と人間の違うところ、人間の特権はな、笑うことや。
笑いながら生きることに人間の意味があるんや。
- 133 :カオル ◆BBBRv/ousU :2008/04/25(金) 03:18:17 0
- >>131
普段はカオルというHNで書き込んでいます。
「脳と意識(及び心の病)との関係」については、
離人症患者が哲学に触れようとするスレ 2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1161463854/
で引き続き、
「比類なき(相対化されることのない)私」については、
永井均と<独在性> 3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1197141069/
で引き続き、
それぞれ時間のあるときに、たまーに書き込むと思います。
よかったら覗いてくださいね。(^.^)
よい話し相手になれなくて(いつものことですが)すみませんでした。
それからお付き合いしてくれてありがとうございました。m(__)m
- 134 :考える名無しさん:2008/04/25(金) 13:24:42 0
- >>1
少なくとも、他人をさげずむ事で自己を保とうとしても、そこに生きる意味なんてないよ。
そんな事しても満たされないし、それで満たされてるって感じるなら、そりゃ末期症状いってるよ。
「因果応報」ってやつもあるしね。
- 135 :考える名無しさん:2008/04/27(日) 21:36:36 0
- 意味への意志。
結局のところ、それに尽きるんじゃないのか?
- 136 :考える名無しさん:2008/04/30(水) 03:12:54 0
- >>133
>>128-131はカオルさんの発言でしょうか。
返事が大幅に遅れてすみません。
私の質問に丁寧に答えてくださってありがとうございました。
読み違いがあったものの分かりやすかったです。
あと、全ては仮説に過ぎないとのことですが、虚しくなったりはしませんか?
こういうことを考えていると、私は何もかも虚しくなって
のうのうと生きている人たちが(ものすごく失礼なのですが)馬鹿らしく思えます。
もちろん私自身に対しても大きく失望しているのですが・・・
この質問は答えたくなければ無視してくださって結構です。
こちらこそどうもありがとうございました。
- 137 :考える名無しさん:2008/05/01(木) 00:43:14 O
- なんかのために生きてるとかはないと思う。
でたらめに生物が変化していって生き延びやすい奴がいきてるってだけで。
- 138 :カオル ◆BBBRv/ousU :2008/05/02(金) 01:27:41 0
- >>136 128-131は、わたしの発言です。
>虚しくなったりはしませんか?
答えたくないとかいうことではないのですが、
なんて答えたら正直なのかがわかりません。
すべては仮説にすぎない!
わたしがある考えを信じていても他の私は信じていないからです。
たとえば……キミはどうしたいのだ!
それがキミの生きる意味じゃないのか?
わたしはこうしたいけど、べつの私はそうしたくない。
それなのに何人もの私のなかで一番強いものを決めるようにと
だれかに急かされているようです。
父だろうか、母だろうか、社会だろうか、神だろうか、言葉だろうか。
わたしがたったひとりになって、わたしが生きていたくないと思うなら、
この身体を、他の私を、殺してしまってもいいということなのですか?
生きる意味なんてない!
他の私にとっては答えでもなんでもないのかもしれません。
わたしは虚しくなれる。
そのことをみんなに感謝しなければならないのかもしれません。
(こうやって偽ることの自由を)
- 139 :考える名無しさん:2008/05/02(金) 06:52:39 0
- 生きる意味=自然をまもる事
- 140 :考える名無しさん:2008/05/02(金) 12:23:31 0
- >>138
私は「全ては仮説に過ぎない」を「全ては思い込みかもしれない」同義と捉えていました。
ですので、私は「全ては思い込みかもしれない」ということ自体も思い込みかもしれないのに
それを完全に否定することができないので思い込みかもしれないこの世界で、
思い悩み苦しんで、だらだらと働いて、生きることが虚しく思います。
どんな大義名分を掲げても、それは結局自分の欲求に従っていることを考えず、
えらそうに生きる。なんとも馬鹿らしく思います。
だから私はどんなことを考えても、どんなことをしても、全ては思い込みかもしれないので虚しいのです。
カオルさんはそんなことはありませんか?
- 141 :考える名無しさん:2008/05/02(金) 12:57:37 0
- 生きる意味っていうのは、結局のところ
自分が死んだ後に、心の底から悲しんでくれ、
いつでも自分を思い出してくれる人を
どれだけこの世の中に残せるかという点にあると思う。
だから、人は、友人を作ったり、夫婦になったり、子供を作ったり
するのだと思う。
- 142 :カオル ◆BBBRv/ousU :2008/05/05(月) 03:30:01 0
- >>140
今なら言えるだろうか 偽りのない言葉
輝ける君の未来を願う 本当の言葉 ―― 森山 直太郎 『 さ く ら 』
たとえば、あなたがこのような気持を受け取ったら、どう思うでしょうか?
「どうせ僕の幸せを願うことが、君の幸せだからなんだろう?」ですか?
僕は君を幸せにする自信はありませんが、
僕が幸せになる自信はあります。
僕と結婚してください!
―― 『釣りバカ日誌』 …… ハマちゃんのプロポーズの言葉
どちらも自分の利己心を素直にみとめていますし、
これが精一杯に他人を思い想って生きることの限界のように思います。
これ以上のことを望んでも、そのためには自分が他人になるしかなく、
他人になってしまった自分は、またもやその利己を責められるでしょう。
どちらにも幸せを求めて生きることへの肯定感(思い込み)が感じられますが、
そのような利己心を否定する人には吐き気がしてしまうような言葉でしょうね。
もちろん、その思いだって利己心であり、その人の思い込み(思想)にすぎません、
ということが、もしもその人を虚しくさせ、生きていくのを辛いものにしているとしたら、
どうしたらいいでしょうか、またどうしたらいいか考えることは利己心ではないですか?
- 143 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 11:42:07 0
- >>142
それらも含めて馬鹿らしくて、虚しく思います。
利己心について言及してくれていますが(もちろん利己心についても否定的です)
私は色々と思索をしても、全ては思い込みに過ぎない可能性が付きまとうので
思索自体や、思索の結果得られたと思われるものも、思い込みに過ぎない、と思うと虚しいと思うのですが、どうですか?
と言うことが言いたかったのですが、説明が下手でした。申し訳ないです。
思索のことしか書いていませんが、それと同じようにしてどのような行為も虚しく感じます。
哲学をする人はそのようなことを思ったりしないのでしょうか?
- 144 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 14:03:53 O
- 死ぬ理由が見当たらないので生きてますが、 何か?
- 145 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 15:25:29 0
- 探し物をする為に生まれてきました。
- 146 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 15:47:49 0
- >>143
例えばさ、君に好きな人が出来たとする。
その「好き」という感情さえも、思い込みだと考えるの?
それじゃ仮に、自分の好きなその子も実は君の事が好きだっとしたら、
その子の「俺の事が好きだ」という感情も、それは思い込みだとして
拒否してしまうの?
そして、二人の間に結婚して子供が出来て、その子供が自分達を
必要としてくれてることをも自分の思い込みとして虚しくなってしまうの?
そんなことは無い筈だろ?
子供が出来りゃ、頑張って働いて食わせにゃらなんし
子供の将来のこと考えたら、少しでも日本を良くしなきゃならんと
行動するが当然じゃないの?
- 147 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 20:46:35 O
- 人は絶対に自分の欲求をみたすためにしか行動できないんだから、意味とか考えないで総合的にみてより自分の欲求を満たせると思うことをすればいい。
意味なんて人それぞれに勝手につけるものだし。
思い込みとかいう話も、その人がそうだとおもったなら現実がどうだろうとその人にとっては真実だからあまり関係ないんじゃない?
- 148 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 22:02:11 0
- 生きる意味は自然に体得するもので、よく考えればわかるといったたぐいのものではない
- 149 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/05/07(水) 22:41:43 O
- 私は燃焼する。
- 150 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 23:03:50 0
- 「何のために生きてるのか?」って戦場で暮らす子供に聞いてみたらどうだろうか?
日本は平和です。
メタボなお腹が示すのと同じ位に、平和を貪り過ぎて消化不良気味な私たちは、生きている事が当然の事であると思い込み、自分は死とは余程でない限り無縁である、と考えがちでは無いでしょうか。
私が思うに「何のために生きているのか?」という問いに答えは出ない。
戦場で暮らす子供にこの質問を問うてみたい。
私が想像するに、彼らはこう聞き返すのでは無いか?と思います。
「生きる為に何をするのか?の間違いじゃないのか?」
- 151 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 23:07:54 O
- 考えるだけ無駄なんだろうな。>スレタイ
考えて答えが見つかるならとっくに先人が答えを出してるだろ。
- 152 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 23:08:31 0
- 生きる意味を私はこう思っています。
あなたもわたしも、元はごく少数の、おそらく一つの個体から派生し
たヒトという種族を増やし、存続させるための選択のひとつではないか。
その目的の為に60億人いるなら60億通りの役割があり、つまるところ
その役割を果たしているときにヒトは幸せを感じるのではないか。
60億のヒトの個別の意識は無意識の深いところで繋がっていて
ひとつになり、その大きな意識が個別のヒトの心に影響を与えている
のではないか?と。
ヒトはヒト全体のために行う行為によって安心し幸福感を味わう。
つまりヒト全体の繁栄と存続のためにわたしもあなたも生まれてきた。
この考えどう思われますか?
- 153 :考える名無しさん:2008/05/07(水) 23:47:30 0
- > あなたもわたしも、元はごく少数の、おそらく一つの個体から派生した
>ヒトという種族を増やし、存続させるための選択のひとつではないか
同意。
私らは言わば60億通りのパスワード。
私らぞれぞれの存在に特別な意味は無い。
だが何かしら危機に瀕した時、60億分の1のパスワードが存在する事によって
解決出来る問題があるかもしれない。
生きる意味なんてその程度だと思う。
だから、生きてればそれで良し。後は自由にどうぞって事だと思う。
- 154 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 00:44:17 0
- ただ、ヒトという種の全体意志は至福の感情・インスピレーションによって
あなたを生まれる前に定めた役割に導こうとしているのではないか。
もしくは、自らの運命の役割についた時に至福の感情を感じるのでは
ないか?(巨大な精密機械の一つの部品を個人に置き換えてイメージして
いただきたい。)
この考えはスムーズにイメージできると思う、何せそのために生まれてきた
のだから、周囲の要求を楽々処理でき、無理がない。そのための能力は
生まれながらに設計されてきたのだから、カチッと自分という部品が
はまってしまうわけだ、いわばこの場合の幸福感とはあなたは今、
設計どおりの位置に収まりましたよというサインかもしれない。
多くのヒトが幸福感を得られず、ストレスばかり感じる状態なのは
種の意思で設計された場所とは違う場所に収まろうとすることで生じるのでは
ないか。
よって時折感じるコーリングからヒトは耳を塞ぐべきではなく、
その声のするほうに歩む心の姿勢を持つべきだろう。
- 155 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 01:10:51 0
- その通りですね。私は今からシャワーを浴びて寝ます。
- 156 :カオル ◆BBBRv/ousU :2008/05/08(木) 01:29:47 0
- >>143
>それらも含めて馬鹿らしくて、虚しく思います。
そのように思ってもいいし、思わなくてもいい、としか言えません。
>哲学をする人はそのようなことを思ったりしないのでしょうか?
いろいろな人がいるので、一括りにはできないと思いますが、
思い込みについて考えない哲学者がいるとは考えられません。
古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは「万物は流転する」(パンタレイ)
というみずからの主張を「同じ川に二度は入れない」と表現しました。
でも、本当に万物が流転しているなら、とどまる何ものもないのだから、
「同じ川」など存在しようがないではないか!
そのように批判したのは、ヘラクレイトスの弟子クラテュロスでした。
そこでクラテュロスは「同じ川には一度も入れない」と主張しました。
しかし、もしもみずからの考えを徹底するなら、自分の吐く言葉でさえ、
その例外ではないのだと、クラテュロスは気づきました。
そこでクラテュロスは「わずかに指頭を動かすのみであった」らしい。
(アリストテレス『形而上学』第4巻5章)
このときのクラテュロスの気持は、どのようなものだったのでしょうか。
もしかしたら、あなたと同じような虚しさを感じていたかもしれませんね。
- 157 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 02:23:10 O
- 今生きている私が生きることについて意味を見い出すことは、極めて困難なことです。不可能だと私は考えています。
私は、意味や言葉、理由と言った縁取られた概念は、所詮後付けされた事柄に過ぎないと思っています。始めに存在があっての意味や言葉なんです。縁取られた概念は、いつも後ろから追い掛けてくるだけです。
常に後ろから追い掛けてくる意味ですが、生きるということに関して、その実態を見抜くことは容易ではありません。なにしろ、この世には時間という付加逆的な事象が存在していますからね。
時間は後ろを向きません。常に前を向いて進んでいきます。私が生きているという事柄も時間に乗っかり、常に前へ進んでいます。ですので、どうやっても今生きている私は、少し遅れてやって来る意味について現在進行形で考察することは出来ないのです。
今生きているという事象と、生きている意味は、乗っている時間が違います。私が観測出来るのは、生きていた私の意味ぐらいしかありません。そこには未来に向かう展望などあるはずもなく、ただ閉じられた過去が横たわっているだけです。
つまり、生きる意味を求めることで得られる本質的な事柄はありません。得られるのはまやかしです。過去です。本質的な現在進行形の事柄を得ようと望むなら、存在そのものに疑問を持つべきです。
どうして、今こうして思考を繰り返す私が存在するのか、どうして生命は存在するのか、どうして世界は存在するのか。
それらを突き詰めることが、道だではないでしょうか。
答えにならない書き込み、申し訳ないです。
- 158 :考える名無しさん:2008/05/08(木) 21:19:34 O
- 絶対的な意味はなく意味は人が定義するものだとおもう。
絶対的な意思とかもなく原子とか分子とかが物理的な現象をおこしてるだけで、その中でたまたま現在人が生物と定義してきる塊が発生し、変化していって、存在しつづけやすいのがのこって、そのうちのひとつの人間が、ただ欲求にしたがって行動してるだけだとおもう。
だから意味とか関係なく自分の欲求を満たせると思うことをすればいいとおもう。
全く関係ないけど、宇宙の全ての原子の位置とかもってるエネルギーとかが完璧に分かれば、その次にどうなるか完璧に予測できるから、未来は確定してるとおもう
- 159 :V:2008/05/09(金) 04:25:49 0
- 眠れぬ夜、起きているのは沈黙に包まれた夜のほうだと、
レヴィナスは言っております。正確な引用ではありませんが。
「生きる意味」についても、同じことが言えませんか?
- 160 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 11:31:59 0
- >158
意味もなくただ欲求にしたがって書き込まれたレスなんて、
灰色の背景の上の黒い線だよ。
声に出した場合なら、喉が震えて音が発せられているだけ。
もちろん、―原子とか分子とかが物理的な現象を…以下は事実だけども、
本当にそれだけなの?
貴方には、何かこれが真実だと伝えたいメッセージがあるわけなんでしょ?
事実の根幹(物理現象のこと)を抽出して、そこに付随する諸々の働きを否定しすぎると、
自分のメッセージも、メッセージじゃなくなってしまうよ。
- 161 :158:2008/05/09(金) 14:15:47 O
- 僕の文に絶対的な意味なんてないけどほとんどの日本人と同じ意味を定義したはずだから君にとって僕が定義したのと同じ意味を感じ、それを知って僕の欲求は少しみたされたよ。
自分の欲求をみたすために行動するから人もただの塊だけどそれに働きかけることで欲求をみたしつづけるよ。
- 162 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 16:13:18 0
- >>156
どうもありがとうございました。
時々薦めてくれたスレを覗いてみます。
- 163 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 16:34:15 0
- >>146
>そんなことは無い筈だろ?
そんなことがあるから、私はカオルさんにどのように感じているのか訊いてみました。
覚醒している間、ずっと虚しいと感じている訳ではありませんし、
あくまで「全ては思い込みかも知れない」は可能性ですので、絶対にそうだと思ってはいません。
しかし、少なくとも私には「全ては思い込みかも知れない」を完全に否定できません。
ですから、それに囚われて虚しいと思うのです。
- 164 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 16:47:50 0
- 俺は生まれてこのかた生きる意味が欲しいと思ったことがない。
大して幸せな人生だったとは思わないが、ものすごく死にたくない。
せっかく生まれてきたのになぜ死ななきゃならんのか?と思う。
だから死ぬ意味を求める気持ちはよくわかるが、生きる意味などいらない。
生きているのがつらいと思う状況でも、なぜこんな目に?とは思っても
なぜ生きなきゃならんのか?とは思わないだろう。
自殺という選択肢はあるんだから。
生きる意味が欲しいなんて言ってる奴は、素直になって自分はこんなつらい目に合ってる
といえばいいんだよ。
さもないと、別に生きなくてもいいよって言われちゃうよ。
- 165 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 17:03:24 0
- キリスト
「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、
わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。その代わりに、
わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」
http://www.nowaksvd.net/jp/jiai/jiai02.htm
ご遺体は腐敗していなかった 日本を愛した宣教師 チマッティ神父様
http://www.v-cimatti.com/pub/beatification/reppuku_chosa.htm
http://www.v-cimatti.com/pub/cimatti/intro/intro.htm
キリストと会話できる女性 ヴァッスーラ・ライデン
http://www.tlig.org/jp.html
キリストの人生を見せられた女性 マリア・ワルトルタ
http://swedenborgian.hp.infoseek.co.jp/valt.htm
病を持ちながらも信仰心が篤かった女性 マルタ・ロバン
http://homepage3.nifty.com/mercy/treasure/marthe01.html
煉獄に居る霊魂の驚くべき秘訣
http://www.sanpaolo-shop.com/product/4359
アレキサンドリーナ・ダ・コスタ
http://www.salesio.jp/web/sdb_saints/biography/alessandrina.htm
http://salveregina.dyndns.org/avemaria/data/book2.html
カトリック書店一覧
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/shoten.htm
カトリック教会マップ
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/diocese/index.htm
- 166 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 18:28:26 0
- >>163
おそらく今の君を取り巻く状況がニヒルな思考を許しているのだと思う。
もしくは、根源的な選択不可能(「私」であることすら自分が選択した
訳ではない)から、覚醒時に振り返った「夢」のような、手応えのない
感覚を現実に対して持ってしまっているのじゃないか?
- 167 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 19:17:16 0
- 自分の持っているものを周囲の世界に役立てる
貢献をしてこその幸せではないかな?
まず、他への行動を1歩踏み出すべきじゃないか?
生きる意味を問うことは、自分が幸せを感じていない
という事と同義ではないかな?
生きる意味を一生問うても満足いく答えは得られない
まず自分がどうするれば幸せになるかを自分で行動で模索するしかない。
宗教を否定するわけではないが、皆、自分が何をすればよいか
薄々分かっているんではないだろうか?
- 168 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 21:04:10 O
-
つまんないこと言ってないで、カレーでも食おうぜ。
飯を喰らって、ウンコすんのが生きる意義だろ。
- 169 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 21:10:29 0
- >>1
良い意味で?それとも悪い意味で?
- 170 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 22:46:31 0
- まず、自分が楽しいこと、幸せを感じることをすること。
今なければ、探すためにまず動くこと。
生きてる限りあがき、行動しよう。
じっとして考えても答えがでるはずないやん、まず動かな。
面倒くさがりを、神様は一番嫌うらしいで。
- 171 :ラプラスの悪夢 ◆BwNP.9X3BE :2008/05/09(金) 22:54:21 0
- >>170
>面倒くさがり
そりゃ鬱でっせ。w
- 172 :考える名無しさん:2008/05/09(金) 23:15:36 0
- 生きてる事が当たり前なんだよね。
死ってものをリアルに感じる事が無いから生きているって事もリアルに感じない。
平和ボケの日本社会。
だから死にたいとか、誰かを殺してみたいとか言う者が出てくる。
生きるってそんなに簡単な事だろうか?
この世に生きる全ての生物は果てしない生存競争の中に生きている。
人も例外ではない。
ボヤボヤしていたらあっという間に社会から淘汰される身なのだという事に
目を背けていないだろうか?
生きている。それ自体が素晴しい事と思えなければ生きる意味なんて無いだろう。
- 173 :考える名無しさん:2008/05/10(土) 09:05:45 0
- なぜ生きなければならないのか?ということではないの?
- 174 :考える名無しさん:2008/05/10(土) 10:20:20 0
- 生きる意味を人が悩むとき、それはイコール充実感に乏しい
状況なので、その不快感を解消するための思考の一種ではないでしょうか?
だとしたら、その解消はとにかく動いて自分の外の世界からの
そのフィードバックを得るという行為を繰りかえすなかでの
充実感、幸福感の追求しかないのではないでしょうか?
一人の頭の中での意味の追求の思考は、結局堂々巡りのループからは
抜け出せないのでは?
外の世界への働きかけという、検証行為自体がその答えなのかも?
とも思います・・・。
- 175 :考える名無しさん:2008/05/11(日) 13:56:42 O
- おなに
- 176 :ももこはニートです。:2008/05/11(日) 14:01:52 0
- 証拠
↓
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/china/1210256737/67-69
ももこちゃんファンスレッド
↓
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/entrance/1210422149/
- 177 :考える名無しさん:2008/05/11(日) 16:54:06 0
- 生きる意味を問う、その頭で
楽しくなるために、何が出来るかを問え
- 178 :考える名無しさん:2008/05/11(日) 17:36:00 0
- 自分が楽しいと、感じられそうなことかぁ・・・
- 179 :考える名無しさん:2008/05/12(月) 19:14:18 O
- 「生きる意味」っていうから深くなっちゃうんだよ。
「生きる謎」「生きてる謎」っていえば、
それだけでなんかワクワクしない?
だからさ、その『なぞなぞ』に答えるために生きてるのさ。
- 180 :ほうすけ:2008/05/13(火) 15:02:54 0
- ごちゃごちゃ考える時間があって幸せですね。学生さんですか?
- 181 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 09:46:57 O
- >>180
お宅は奴隷ですか?^^
- 182 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 18:36:47 0
- 今ってほんと幸福な時代だよな。
格差社会なんていうけど
そもそも生きていない人間にとって
底辺は隠れ蓑
自由な思考ができる
勝ち組とか負け組みとか正直どうでもいい
どうせ世界は幻なわけだし
孤独だがな
- 183 :考える名無しさん:2008/05/14(水) 19:57:27 0
- 哲学的な論理の深まりや、正確さはあなたの苦痛を和らげるなんの足しにも
ならないことを知るべきだ。
ただ前向きな行動だけが、苦痛を取り除き、快感、幸せ、充足感をあなたに
与えるのだ。
動け、行動しろ、自分が出来ることは全てやりつくせ、
そうすれば、あなたの苦痛はさり、希望という名の快感が必ず見える。保障する。
- 184 :k:2008/05/14(水) 21:04:03 0
- 人の生きる意味
それは自分の気持ちを満たす これに尽きる
自分の全ての言動、考え方は
いかに自分の気持ちを満たすことによって喜びを感じられるか
ということが元になっている
- 185 :考える名無しさん:2008/05/25(日) 02:55:18 0
- そろそろみんな認めようよ。
君たちが求めているのは生きる意味ではなくて死ぬ意味なんだよ。
- 186 :考える名無しさん:2008/05/29(木) 21:13:04 0
- >>185
何言ってんの、オレは生きたい、死にたくないし。
- 187 :考える名無しさん:2008/05/29(木) 23:14:45 0
- >>186
だからこそだよ。
死にたくないのに死は決定されてる。
ならばせめて自分の死に意味を持たせたいと思わない?
一方生きたいのであれば生きる意味なんか求める必要ないでしょ?
生きてりゃ意味なんか放っといてもついてまわるからね。
- 188 :考える名無しさん:2008/05/30(金) 17:36:51 O
- 最近、人が生きるのは死を克服するためって思ってきたんですがどうですか?
- 189 :考える名無しさん:2008/05/30(金) 22:01:11 0
- >>188
生きるのは死にたくないからじゃない?
死を克服するってのは不老不死になるってこと?
それとも死の恐怖を克服すること?
- 190 :考える名無しさん:2008/05/31(土) 02:04:01 0
- 目の前の課題を一つ行動に移す瞬間、世界は変わりはじめる。
- 191 :あ:2008/05/31(土) 11:04:07 O
- 生きる意味は分からないけど、死ねない理由があるから生きてる。
- 192 :考える名無しさん:2008/05/31(土) 15:05:43 0
- 生きる意味を問うことに意味はない。
現実に不快な感情をもたらす原因をひとかけらづつ
取り除く瞬間に、そのぶんづつ、快の感情が脳に満ちていく。
それだけ。
アメーバでもやってることを人間が出来ないわけがない。
- 193 :考える名無しさん:2008/05/31(土) 17:30:05 O
- それでも生きる意味が欲しいなら
それを探す為に生きてみて
また答えが見つかったら
ここに書きにおいで
たまに見に来るから
“答え探し”で生きてこう
中々、良いものだよ
- 194 :考える名無しさん:2008/05/31(土) 22:57:58 0
- まず行動しろ、その結果からフィードバックして改善してまた行動しろ。
生きるってのは、動くってことだ。
- 195 :考える名無しさん:2008/05/31(土) 23:01:20 0
- 生きるのに意味は必要ありません。
というより、意味はありません。
ただ生きれば、生きるということです。
- 196 :考える名無しさん:2008/06/01(日) 03:31:29 0
- 人間各個人の認識の結果が「意味」なんだから、生きるのに「意味」がない
なんてありえない。生きるのに意味がないと主張する個人が複数いるだけだ。
意味の定義が各自ばらばらだから議論がいつまでたってもかみ合わない。
- 197 :じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/01(日) 04:17:49 0
- >>196 名前:考える名無しさん :
そうですね。
意味が無いと私もそう思いますが、それは人類に共通の生きる意味と言うものは無いと言うことです。
個人的な意味を持つ人はご自由にと言うことですね。
言い換えれば自分が生きる意味を人に聞くものではないと言う事。
- 198 :考える名無しさん:2008/06/01(日) 07:42:10 O
- 生まれたから生きる
死にたいやつは勝手に死んでいく
でも私は死にたくないから生きる
- 199 :阿修羅∞落とし:2008/06/01(日) 07:46:26 0
- 理想のおにゃのことセックスしてハッピーエンドを向かえるために決まっているだろが!!
愛のない人生に意味などない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!1111111
- 200 :考える名無しさん:2008/06/01(日) 11:22:39 0
- >>196
このスレで言っている「意味」は、
>>1の書き込みから考えると、生きる目的のことだと思うな。
生きるという言葉の定義ではない。
その意味では、「生きる目的はない」という言い方の方が、
意味ははっきりするね。
- 201 :考える名無しさん:2008/06/08(日) 12:37:47 0
- 例えば、○という記号から、△、□と枝分かれしたとしよう。
△はあまり生きたくない存在、□はある程度生きたい存在として意味なくプログラムされてたら
時が流れ、必然的に△の子孫は消滅し、□の子孫は存在している。
これは何の超越的な力も関与していないし、何も触れられずに自然な流れでこうなり
誰の目でも理解できる。
ただ意味のないプログラミングをされているだけ。”生きる”ってことは。
結果的に、我々は存在しているだけ。
- 202 :考える名無しさん:2008/06/08(日) 12:47:43 0
- もし、ある人が死ぬということにひとつの結論に達したら俺は否定できない。
”生きなければならない”とは理由もなしに言えないからだ。
自殺もひとつの道だと思うが、生きることもまたひとつの道だ。
- 203 :考える名無しさん:2008/06/08(日) 18:56:32 0
- 生きる意味を問うってことは、幸せになりたいってことと同義だよね?
どうしたら幸せ感を得られる生活になれるかっていうと、それは
やっぱり、今の自分が存在している状況への感謝しかないと思う。
自分がやって幸せを感じることに素直に取り組むこと。
少なくとも幸せそうに見える人は他人の非難や悪口を言うことが極端に
少ない。自分がこれからやりたいことや、周囲への感謝の言葉がとても
印象的だし、回数も非常に多い。
不幸せそうな人は周囲への不満ばかり口にしている。
- 204 :考える名無しさん:2008/06/08(日) 21:11:33 0
- 生きる価値と意味は区別がある。
価値は正しいだとか、美しいだと、善いだとかだ。
意味は制約や法律や論理などだ。
生きていてどんな意味があるのか。
貧乏人は美人に手をだそうとしても、相手にされないし、美人はどんどん囲われ者になって特殊な世界に行っちまう、
ああ、どんな意味があるのかなあ、というとだ。
会社に入れない、月給は基本給が15万円だ、犯罪的だ、こんな微々たるものではあれは維持できない。
生きているとこのような『意味』を考えるのだ。意味って言うとこうことだ。
- 205 :考える名無しさん:2008/06/08(日) 22:58:44 O
- 公務員が薄汚い事してるから世の中おかしくなってしまった。
私利私欲で金を動かして天下りに垂れ流し経済のバランスが保てなくなり
貧富の差が広がり、それによって犯罪が後を追うように加速して行く。
未来を失った沢山の人間が見えない自由を探すように殺戮を始め出した。
最低限の生活と自由を奪って行く公務員が結果的に殺戮者を増やしてる。
みちを
- 206 :考える名無しさん:2008/06/10(火) 09:55:01 0
- >>121
私も近い考えを持ったことがあります。人間という生物はそのように作られた生き物なのでしょう。
たぶんですがその、
腹が減ったから食べる。やりたいからやる。眠いから寝る。
は空腹の状態が不快であるから満腹である快い状態を求める。
性的欲求が満たされないと不快であるから満たして快い状態を求める。
睡眠についても同じことがいえるとおもいます。
人間は自分に起こる現象に対して快、不快の二つの判断要素をもっていて快いものに指針をもって行動するようにできているの生物だと思っています。
その結果どうやら繁栄して今のところ増えているだけだとおもいます。
つまり人間は快よい充足を得るために意識に関係があるかないか問わずその方向に行動し、
意識も(生きる意味を考える思考も)それに従属していると私は思います。
人間の生きる意味がひとそれぞれだ。といわれるのはその快よい感覚を得るための方法論が育った環境や人によってまちまちだからだと私は考えます。
例えば、人は他人に奉仕するために生きている。というひとがいたならば、
その人は過去にその行動をすることによって快い充足を得て学習した。もしくは
その行動の果てに充足することができると思考した、思考できるパターンを持った人間のだす答えだと。
このスレッドを立てた>>1さんやここで議論して答えを出そうとしている人たちは
過去にこのような問題を解決することにより充足を得たもしくはこの問題を解決することにより充足を得ることができるだろうと思考している
環境下におかれている充足を得られていない人なのかもしれません。
実際、ほかの事で充足を得ている人からはこのような問いかけをきいたことがありません。
考える必要もなくほかのことで充足を得ているからだと思います。
- 207 :考える名無しさん:2008/06/10(火) 14:20:39 0
- 考える必要がないというか、死ぬってことに目を背けていられる間は、
生きる意味を考えずにすむ、ということでしょう。
おれは死ぬんだってことを実感したら、誰だって考えないではいられなくなる。
- 208 :考える名無しさん:2008/06/11(水) 01:28:39 0
- >>207
それは死を実感したら生きる意味を考えるということではなく、
死とはなんだろうかと考えることではないのでしょうか?
- 209 :考える名無しさん:2008/06/11(水) 08:02:10 0
- >>208
俺は気になるのはむしろそっちなんだよね。
生とは何かなんて全くどうでもいい。
おそらくみんなもそうなんじゃないの?
でもストレートに死を考えるのは避けたいから
生きる意味と置き換えて遠まわしに問いかけてるとおれはにらんでる。
- 210 :考える名無しさん:2008/06/11(水) 14:31:26 0
- 死を知覚することはできない。なぜなら死を知覚できたならばその時私は死んでいなければならないわけで
死んでいたならば知覚という行為ができないからだ。
ってどこかできいたことがあります。
他人が死ぬ様を見て予想することはできるかもしれませんが、自分の死を予想することは難しいかもしれませんね。
私が思うに死とは何も知覚できていない無の状態なようなきがします。近い感覚を想像するならば、
それは眠った瞬間の自分の意識状態に近いと思っています。
記憶とは短期記憶と長期記憶の二つの種類に大まかに分けられるそうで、短期記憶で反復ないし、強く印象付けられた記憶が長期記憶として記憶が移行?記録され
自分の体験として後々思い出すことができるそうです。
その結果?というかその仕組みが関係してなのか人は意識を失うと、失った時から前30分程の記憶は(短期記憶から長期記憶に移行中、もしくは移行できなかった記憶)
は失われてしまうそうです。ボクサーなどが失神してKOされると前後の記憶が失われる症状がおこるそうです。
このような自分では知覚できていない状況が永遠と続く(知覚できる状態に復帰しない)感覚ににていることが起こるのではないかと思っています。
なんかよくわからない文章でスイマセン
- 211 :考える名無しさん:2008/06/11(水) 20:08:57 0
- >>210
いや、わかるよ。
喜びも苦しみもない、それどころか退屈だと思うこともできない。
というか、できるできないの話じゃない、自分がない。
考えると恐ろしいが、死の間際になってみればそれほど怖くないのかも
とも思う。何の根拠もないけど。
- 212 :考える名無しさん:2008/06/13(金) 22:20:37 0
- レベル低すぎ!!!!!!
言葉遊びすんな!!!!!
長いレスの奴ら自分の言葉に酔ってるだけ!!!!!
キルケゴールとカミュくらいは読んだのか?
- 213 :ラプラスの悪魔:2008/06/13(金) 22:25:33 0
- >>212
>キルケゴールとカミュくらいは読んだのか?
哲学書は読み漁ってるので、三行以内で要約してくれ。
- 214 :考える名無しさん:2008/06/13(金) 23:28:26 0
- >>213
生きる意味などない
努力を重ねて積み上げたものにも価値はない
しかしそれを受け入れて生き続けるところに人間の気高さがある
- 215 :考える名無しさん:2008/06/13(金) 23:46:43 0
- >>213
読み漁ってるなら薫陶してくれ。
俺が最近読んだのは
ウラジミール・ジャンケレヴィッチの「死」
アルボムッレ・スマナサーラの「無常の見方」
ナグ・ハマディ文書の原本と解説、
ギルガメシュ叙事詩、聖書は流し読み。
心理学ではユングの元型論、エーリッヒ・ノイマンの「意識の起源史」
物理学では「エレガンとな宇宙」「異端の数 0」
フィクションでは「スターメイカー」が印象的だった。
哲学の専門書じゃないって?
何を読んだらいいか教えて。
- 216 :考える名無しさん:2008/06/13(金) 23:58:19 0
- 「生きる意味」とかは、本読んで勉強するものじゃないだろ。
- 217 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:00:45 0
- 対話という言葉遊びの中で見つけるものなんでしょうか?
- 218 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:04:38 0
- 対話は必ずしも言葉遊びではありませんし、
生きる意味を見つけることができる場所ではありませんね。
- 219 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:06:24 0
- >>216
人間がほかの動物より優れているのは
文字によって世代を超えて情報を伝えられるようになったこと
メソポタミアの神話に出てくるギルガメシュは
プラトンもアルキメデスもキリストも仏陀もいない時代に
たった一人で死に向かい合わなくてはならなかった
その点我々は先の世代が残してくれた思索にいつでも触れられる
本の中身を暗記するのでは意味がない
それを叩き台にして自らの思想をつむぐのが大切
ジャンケレヴィッチの「死」は読んでおいたほうがいい
死生観についてここまで考え抜いた書はほかに知らないし
自らの死生観を組み立てる助けになる
丸暗記はだめだよ。もちろん。テスト勉強じゃないんだから。
- 220 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:08:49 0
- 自らの死生観なんて組み立ててどうするのさ?
人に語って自慢するのかい?w
- 221 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:11:00 0
- >>218
学問なんて言葉遊びの延長だと思うんですが違うのでしょうか?
対話も学問も必ず言葉を必要とします。記号としての言葉です。
その記号でいかに自己の思考を伝えるか、淘汰して組み立てるのが対話や学問じゃないのですか?
あまた溢れる言葉を寄せ集めて伝える。所詮真意なんて伝わりっこないのに。
理解はされますよ。でも絶対に伝わりはしないんです。わたしはあなたじゃないから。
そんな対話や学問は、遊びのようなものだとは思いませんか?虚しい作業だとは思いませんか?
- 222 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:11:13 0
- 対話は悪い手段ではない
プラトンの記録によるとソクラテスは相手の意見を聞き
問い詰めて相手の意見を純化したり矛盾を突いたりした
いわゆる「産婆術」。
話し合いにもコツがある。
- 223 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:18:06 0
- >>220
ここは生きる意味について語るスレじゃないのか?
死について若いうちから考えておかないと
じじいかばばあになったときに慌てるぞ。
- 224 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:23:50 0
- 「生きる意味」について考えるスレなのに
あらゆる言葉の定義から進んでいないのが不毛だな、と。
言葉遊びは言い過ぎたかもしれないが。
- 225 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:31:54 0
- >>223
俺は多分おまいらよりじじいに近いと思うから言うが、
若いときに死について考えたことなんて、
現実にじじいになったとき多分何の意味もないよ。
- 226 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:39:58 0
- 生きる意味はなにっていう問いの内容がいまいち分からなくなってきた。
何を考えたらいいのだろう。
- 227 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:42:47 0
- >>226
もう既に考えているじゃないか、君は。
- 228 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:52:34 0
- >>225
まあ、そこは水掛け論だね
- 229 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 01:11:38 0
- 何となく形になってきた。
生きる意味を考えるってことは、つまり『生きる』って行為についての動機を考えることでいいのだろうか。
どうして「わたし」は生きるのかを考えればいいわけだ。
それとも、もっと大きく「人」が生きる意味を考えなければならないのだろうか。
うーん、後者は千差万別だろうから分かんないな。自分は「生きている」から「生きる」のだけど。
何の“ため”にと聞かれると辛いね。考え方が追い詰められているように思う。
別に自分は「生きる」ことを誰かに追い詰められている訳じゃないから答えられません。
それとも、主語がないから「生きる」という行為自体の意味を聞いているのかなあ。
これはまったくお手上げなんだけど。漠然としすぎて言葉には出来ないような気がする。
今のところはこんな感じかなと思う。
- 230 :206:2008/06/14(土) 02:00:41 0
- >>214
あなたのレスは簡潔でとても気持ちのいいものでした。勉強の足りない私ですが、このような答えをいまは出しました。
生物というシステムで生きている以上、人間がいきる意味などなく、生きたことにも意味などない。
しかしそれを知ってなお生きるのか、充足に浸り逃れるのか、死を選ぶのか。
選択する自由が与えられている。
生きる意味とは・・・ここからさきが良い言葉がみつかりません。
哲学を持って選択することである。てどうでしょうか・・・。
ほんとにバカですいません・・・。
- 231 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 02:35:06 O
- 生きる意味を考える時点で宗教や神に傾倒していることがわかる
意味など無いと言う奴もその裏返し
- 232 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 07:23:16 0
- >>231
人間が思索するためには、過去の多くの時代には宗教としてしか手段がなかった
ソクラテスの哲学も神々に反するものとして弾劾されたし、アウグスティヌスも
キリスト教を通じて自らの思索を示した
日本では吉本隆明を筆頭に浄土真宗の親鸞を研究する人が多い
欧州ではキリスト教を乗り越えて哲学するために多くの人が努力(キルケゴールはそうだね)し
ニーチェはそのために狂死した
人間の過去の哲学を振り返るためには宗教、神を切り離して考えるのは
ほぼ不可能と言っていい
蛇足だが2世紀ごろの小アジア地域では原始キリスト教をはじめ
グノーシス主義と混交された様々な思想が花開いた。
- 233 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 09:14:40 0
- 生きる意味は、知っている事を行う事であり、
死ぬ意味は、行った事を知る事でしょう。
これは肉体の話ですから、やった、やりおわった。
そしてそれを感じている私が在る。
生まれるとは私が生まれたと知る。
死ぬとは私が死んだと知る。
生きるとうのはする事で、死ぬというのは、終わった事。
何をしようか?まず知って、行うから生きるといい。
終わったと知って、なにもする必要がないから死ぬという。
そして目を覚まさなければ、無であり、目を覚ましたら目覚める。
また何をしようか?まず知って生死をプロデュースする。
- 234 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 19:58:04 O
- 愛するために人は生まれてきた。
- 235 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 22:19:28 0
- >>233
あなたにこそジャンケレヴィッチを勧める。
死は常に2人称か3人称であって自ら1人称で体験することはできない。
>>234
ぶっちゃけそういうのが一番嫌いだ
- 236 :考える名無しさん:2008/06/14(土) 23:59:24 0
- 人間は欲望にのみ従って生きている。
ひとりひとりの人生は、その欲望の選択によって変わっていく。
意味=目的=欲望 なので、生きることは只の欲望の消費にすぎないが、
欲望が満たされるとまたさらなる欲望へ向かうのだから、
究極の欲望の模索こそ生きる目的なのではないか?
さらにその模索の意味を問われると応えられないが、
強いて言うなら、「生きる意味を探すのが生きる意味」なのかな・・・
その先に何があるのかは俺には分からない。
なんか昔読んだ本に「生はエネルギーを消費すること。エネルギーは1つになろうとしている」
とかあったな・・・・・
- 237 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 08:30:40 O
- 蟻とか見てると何となく個々の生命に果たして意味などあるのかなあ?と思ってしまう。
生物ってものは本能的に種族を繁栄させることを目的とするようインプットされて生まれてきてるようだ。
人間は個々の個性を感じて生きてるがそんなものは人間自身が飽きない為のまやかしに過ぎない。
本能からは逃げれないシステムである。
- 238 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 10:03:41 0
- そもそも欲望を充足させることが人間の生きる目的であり意味であるなら
哲学が生まれるはずがない
満腹で幸せなら生きる意味なんて考えないだろう
「生きる意味を探すのが生きる意味」という人もテレビや掲示板でよく見るが
何の証明にもなっていない もしもこの命題が正しいなら
死ぬ間際に生きる意味がわかった人がいてもおかしくないはずだが
そんな話は聞かない
「自分はこれこれのことをしたから満足して死ねる」
という人がいるが世俗的な目的を果たしたのみで
成し遂げたことが数十億年の規模で見れば何のことはなく、ほぼ無に等しい
- 239 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 10:11:05 0
- ほぼ無に等しいけれども、その人が生きた事実は確かに厳然として残るが。
- 240 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 10:18:32 0
- 閉鎖系におけるエントロピーは平均すると増大する。
宇宙全体もひとつの閉鎖系なのでエントロピーは増大する。
つまり熱湯と冷水を混ぜると暖かいお湯になるように
エネルギー(この場合は熱エネルギー)は拡散の方向へ向かう。
集中する場合もあるがそれこそ天文学的な確率だ。
「エネルギー」「波動」などの言葉はきちんと定義して使わないと
スピリチュアリズムなどの似非科学に絡めとられるので注意。
- 241 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 10:27:01 0
- 生物が種族を残そうとするのは本能だから当然。
人間にもその一面があるけれども、それで充足されない人が哲学する。
子供、孫に囲まれて天寿を全うするのもひとつの人生だろうし
ニーチェにおけるツァラトゥストゥラのように
峻厳な高山の頂でひとり生きる意味に立ち向かう人もいるだろう。
- 242 :ラプラスの悪魔:2008/06/15(日) 10:40:40 0
- >>214
なんだ、その程度か。
馬鹿馬鹿しい。
心理学で言うところのコンプレックス(劣等感ではない)の
解消法だよ、それってさ。
1.問題やコンプレックスに直面する。
2.その問題やコンプレックスに意味がないと否定する。
中二病っていうのかw。
3.今度は否定したそれらの問題に価値を与えてみる。
自分の顔を嫌ってる奴が、俺の顔も味があっていいじゃないか
と思うこと。
4.葛藤が消え心の統合が起きるってやつだ。
- 243 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 12:56:26 0
- >>242
なるほど…
また考えを詰めてみるのでたまにスレを覗いてくれ。
師事してくれるならさらにありがたいのだが。
- 244 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:10:14 O
- >>241
貴方はそもそも本能の意味を考えたことはあるかい?
本能は当然、人間は特別といった前提で論理を重ねる人が多いことに疑問を感じないか?
知性に溺れて踊ってるだけかもしれないということですよ。
- 245 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:21:02 0
- >>244
まだいる?
- 246 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:23:28 0
- >>238 じゃあ人間の行動のなかで欲望以外に人間の行動原理になってるものをあげてごらんよ。
絶対に、ないから
- 247 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:23:59 O
- >>245
いますよ
- 248 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:25:15 0
- >>246
生きる意味について考えること
- 249 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:27:20 0
- それは生きる意味を知りたいっていう欲求でしょう。
人間の基本的な知への欲求です
- 250 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:27:50 0
- >>247
最後の一行についてもう少し説明してくれませんか?
「知性に溺れて踊ってるだけかもしれないということですよ 」
っていうところ
- 251 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:33:26 O
- >>246
果たして欲望だけで行動が行われているかは疑問である。
蟻が巣に帰る経路を見れば恐らくその疑問に至るであろう。
- 252 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:37:12 0
- >>249
あなたの言う欲望、欲求をもう少し詳しく定義してくれませんか?
- 253 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:40:26 0
- >>249
自殺は?
- 254 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:50:38 0
- >>249
意味と欲望が等式で結ばれているのに
非常に違和感があるんです
- 255 :238:2008/06/15(日) 13:57:25 0
- 「そもそも欲望を充足させることが人間の生きる目的であり意味であるなら
哲学が生まれるはずがない
満腹で幸せなら生きる意味なんて考えないだろう」
よく考えると間違ってますね。撤回します。
- 256 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:00:36 O
- >>250
人間は知性で自分の行動をコントロールしているように感じている。
しかし、完全にはコントロール出来てないです。
棋士は局面により自分の打つ手を何十手先まで読むことが出来るとはいえ終局までは読めません。
つまり、人間の思考の限界がそのあたりに存在しているということです。
数十手先までしか読めない思考の切り貼りで対局を進めていると考えることが出来るかもしれません。
行動とは上辺のコントロールに過ぎなく、やはり本能による行動パターンが支配しているのではないか?ということです。
例えば、映画を観たくなったとか、美味しいものを食べたくなったという感情は本能ですよね。
どこに食事に行くか考えることは、本能のサブメニューにしか過ぎないということです。
このサブメニューを行動の主流として扱う人が実に多いですね。
- 257 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:11:25 0
- >>256
なるほど。人間の行動における本能の割合は
多くの人が考えているより多いってことですね。
- 258 :214:2008/06/15(日) 14:29:07 0
- カミュは「シジフォスの神話」で永遠に続く不条理を愛し苦闘することが
幸福と思うべきだと述べている
キルケゴールはいわゆるドン・ファン的な人間は満たされないことを知りながらも
恋愛を繰り返し、行き続ける強さを讃えている
彼らの著作が心理学で説明できるならそうなんだろう
で、どうする? あなたの語る生きる意味を聞きたい。
- 259 :214:2008/06/15(日) 14:30:28 0
- ×行き続ける→生き続ける
- 260 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:31:21 O
- >>257
ええ。私はそう思います。美味しいものを食べたいから働くなどは手段であって混同すべき事柄ではないのです。
人間が特別である意味は無いと考えるのが自然でしょう。複雑に見えて単純なものではないのでしょうかね?
- 261 :214:2008/06/15(日) 14:46:35 0
- おれ自身は生命に目的も意味も
全く無いと思っている
- 262 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:54:55 O
- 個々の生命には意味はない。それが種となると意味はあるかもしれない。
- 263 :214:2008/06/15(日) 14:56:36 0
- >>242
どうですか。
少なくともあなたカミュの「シジフォスの神話」と
キルケゴールの「死に至る病」読んでないでしょ。
- 264 :206:2008/06/15(日) 15:39:35 0
- 自分の知っている知識を相手にも求め、蔑むだけの行為は討論には不向きではないでしょうか?
あなたの得た知識を簡潔にまとめて相手に伝えてこそ討論を充実したものにするかもしれません。
あなたが得て他人がもっていない知識。そしてあなたが思考したことはとても価値があり、すばらしい情報であると私は考えます。
とても申し訳ないことなのですが、私は不勉強で知識が乏しいです。討論を潤滑におこなう為にたくさんの知識を得るために本を読む努力が欠かせません。
しかしながらみなさんの知識に追いつくことがとても難しいです。
博識なみなさんの意見は大変勉強になり、それを閲覧できることをとても嬉しくありがたく思っています。
見苦しい文章を書き込み申し訳ございませんでした。このスレが充実することを心より願っております。
- 265 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:06:46 O
- 哲学書は理論書ではなくその多くは思想書みたいなもんだからせめてその筆者の思想と共鳴した点くらい述べないといかんよ。
題目だけ述べてんのに納得するのか?
- 266 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/15(日) 16:15:39 O
- 生きるってのは、自分にとって本当に大事なもんは何なのかを
問い続けることだ。アタマで考えたって無駄さ。
- 267 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/15(日) 16:16:11 O
- 自分の胸に聞くことだ。
- 268 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:21:27 0
- ざわ…
何か変な奴が出てきたぞ…
ざわ…
- 269 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/15(日) 16:25:29 O
- え、胸ん中は空っぽで聞きても仕方ない?
そりゃ救いようがないわ。死んでしまえ。
- 270 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:32:23 0
- 意味なんて生きてりゃどうでもよくなってくるな。
- 271 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/15(日) 16:34:06 O
- チンポに足生えてるだけの奴に胸に手を当てて考えろってのは
物理的に不可能だな。
- 272 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:40:35 O
- >>266
違う。そりゃ行動のことだよ。
例えば、川が地形により流れを変えるように人間は状況により行動を変える。
これは生きることそのものではないんだ。
つまり川は何故あるのか?人は何故存在するのか?という存在理由こそが私は生きる意味だと思うよ。
正直に言って私にはその理由は分かりませんが。
- 273 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:44:02 0
- 人は例外なく「したいことをしている」
「したいことができない」と常々口にしている人間でさえ、そうである。
人の行為というのは「した」ことについてはもうすでに動かせないこと。
世界では「誰々が自分が〜をした」ということについて様々な言説が飛び交っているわけだ。
その言説が各々に消費されて各々が日々の生活を営んでいる。
世界を静観していると、ただ我々は生きているだけだということがよくわかる。
その中で各々が線引きをして、人に寄り添ったり巻き込んだりしながら生きている。
僕のような現世的な存在が希薄な人間にとっては生きることとは奇跡であるが故に遊びである。
結論としてはその人がどう考えているかに依る。
- 274 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/15(日) 16:45:22 O
- 人間とは何か? つまり人間とは如何に生きるのが正しいか? つまり人間は如何に行動すべきか?
だらう。
- 275 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:46:36 0
- >>272
そんなの生物学の方とかに聞いてくれよ。そこらへんの専門知識あるお方にさ。
生命の起源辿るんならこのかてごりでかたる意味がないだろう。
そっから無理矢理哲学にこじつけようってんならさ、宇宙様に聞く他ないわ。
「何故あなたのその無機質な法則は、我々を生んだのですか?」とね。
- 276 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/15(日) 16:58:09 O
- >>1
「神様の意思だから」に入れときますた。選択だと妙に選び易いな。
神様は我々がただ何となしに生きていればそれで満足されるか
という点だが、まぁ、そこまではここでは言うまいぞ。
諸君は意味を知りたがっている。しかし意味は「知る」ものだろうか。
- 277 :273:2008/06/15(日) 17:00:02 0
- 「勝ち組/負け組」の範疇の中で生きてる人間は、まぁ孤独に耐えられないんでしょうな。
人間なんて生きてるだけで十分なのに
自分の意識設定で自分を殺してる。
簡単に死んじゃう人間とかさ、人を殺しちゃう人間はさ、人間の底力知らないよ。
そういう人間に逢ったことあれば人生観変わっただろうに。ま、自業自得なんだが・・・
- 278 :273:2008/06/15(日) 17:05:17 0
- 世の中に与えられた価値観の中で生きるか?
あなたが「生」に込めたい思いを貫くか?
- 279 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/15(日) 17:07:32 O
- 思うところ如何?
- 280 :273:2008/06/15(日) 17:10:27 0
- そゆこと。
- 281 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 17:15:33 0
- 「生」に込めたい思いを貫くタイプの人間はある種の感受性が必要であると思う。
処刑もこのタイプだろうがな。
- 282 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/15(日) 17:22:17 0
- 規制掛けんな、コラ
アタマで思う奴はいないし、胸で考える奴もいないよな?
- 283 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 17:23:48 0
- >>282
いるかもよ
- 284 :273:2008/06/15(日) 17:40:49 0
- スポーツが美しいのは、したくてしているからである。
全員力が漲っている。
- 285 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/15(日) 17:43:34 0
- 胴上にアタマがあって首の上に胸が乗ってあるのは、さぞや生活に不便であろう。
- 286 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 17:47:46 0
- こいつのことか?
ミ ヽヽヽヽリリノノノ
/ ⌒' '⌒\
/ ◎●◎●◎ ヽ
/ /. ノ( ◎ ) \ヽ
/⌒ ィ `i´ ); `ヽ
/ ノ^ 、_____¥____人 |
! ,,,ノ爻-=・=-∵-=・= > )
( <_ \ヘ、, -=ニ=-rノ/ /
ヽ_ \ )ゝ、__,+、_ア〃 /
- 287 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/15(日) 17:52:21 0
- ソレソレ
両方併せて「思考」というわけだが、今問題にしたいのは「考える」ことと
区別して「思う」とはどういうことだろう。
池田のいないのが残念だなぁ。
- 288 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/15(日) 17:55:25 0
- 訂正、
両方併せて「思考」というわけだが、今問題にしたいのは「考える」ことと
区別した意味での「思う」とはどういうことだろう、という点だ。
ふと眼差しが遠くを見つめたり。
- 289 :273:2008/06/15(日) 18:10:47 0
- 生きることは「思う」ことだよな。「祈り」と言ってもいいが。
そうでなければ困るのである。
世界に対する体質の反応とでも言おうか?
- 290 :考える名無しさん:2008/06/15(日) 18:17:04 0
- >>212の書いたことで印象に残ったのはいっぱい本を読んでるってことだけだな