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永劫回帰と神

1 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 00:05:29 0
永劫回帰はたとえばニーチェの「ツアラツストラかく語りき」の根本思想ですが
宇宙が生成から終焉を無限に繰り返すという解釈のもとでは
私たちの人生や歴史や地球の生誕もまた無限に繰り返すことになる。
ここでは神は存在可能なのか。みんなどう思う?


2 :金曜日:2008/07/19(土) 00:08:33 0
神の存在よりも
永劫回帰のほうが信じられる今日この頃です。


3 :まあよいではないか:2008/07/19(土) 00:41:50 O
カミュ シーシュポスの神話 清水訳》
忍耐と明察を学ぶためには、創造がもっとも有効である。
創造はまた、人間の唯一の尊厳――
すなわち、自己の在り方に対して執拗な反抗を試み、努力が不毛だと解っていながら、なお辛抱強く努力を続けるという姿勢――の驚くべき証言である。
それは、日々の努力、自己統御、真なるものの限界の正確な測定、節度、そして力を要求する。それはそのまま苦行にほかならぬ。
こうしたすべてが、「なにもののためでもなく」、ただ反復し、足踏みをするためになされるのだ。
いや、おそらく、偉大な芸術作品の重要性はそれ自体のなかにあるというよりは、むしろ、作品が人間に要求する試練のなかにあり、作品が自分の赤裸々な現実に少しでも接近してゆく機会に作品がなるという点にあるのであろう
。《
創造がただ反復するために……
自己への反抗が己自身への接近に…
これぞ不条理だ…
永遠回帰…


4 :考える是路:2008/07/19(土) 01:09:39 0
全ての始まりはいつも今現在、この瞬間だと思います
私はまたここに帰ってくると思います
もちろんそう思わなければならないということはなく、そう思うのは趣味です

私自身は神を必要としていませんが、
神が円環の中にあると思いたい人はそう思えばよいし、
神が円環の外の世界から円環を作り出したと思いたい人は思えばよいと思います

どう思ってもいいと思います、
自然が与える選択の自由だと思います
一番思いたいようににしか思えないと思います

そうであろうとなかろうと
良くも悪くも

5 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 02:04:35 O
またかよ。バカ丸出しスレ

永劫回帰とか興奮しちゃうからスレ立てちゃったんだね

たとえばニーチェの
だってw
マジうけるw

6 :阿修羅∞落とし:2008/07/19(土) 02:10:22 0
ニーチェはあれだよ、先読みして
「弱者が俺の思想にはまってあくせくしている姿」を想起して
ニヤニヤしていたのだよ。

ニーチェうぜえ!

7 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 02:33:43 O
前田敬作訳 城 あとがき》カフカは、
あるアフォリズムのなかで、存在するとなはたんに「そこに在る」(Da-sein)ことだけでなく、
同時に「そこに属する」(Ihm-gehoeren)ことを意味すると、と書いている。
この「そこ」という存在および所属の場所を一般に「世界」とよぶならば、
人間存在は、たんに世界内存在であるのみでなく、さらに世界所属でもあるということになろう。
いかなる世界にも所属しない存在というものはない。世界という座標に属しているかぎりにおいてのみ、存在はその数値をもちうる。
無所属は、非存在である。
これこそ、カフカ文学――それは、まさに「存在の文学」である――の大前提ともいうべき存在論的イデーである。《

思うに、無所属であるものこそ、存在である。
存在は無と一体なのだ。
そしてこれはおそらく永遠に回帰する刹那である。
存在と無の円環…この永遠の刹那が基本なのだ。
ここに全てが所属している。
ある「世界」の律法に従い、所属せねば存在できないものは、砂上の楼閣に住む泥人形にすぎない。






8 :まあよいではないか:2008/07/19(土) 02:45:10 O
>>6

ニーチェは無所属の勧めなのだよ。まあ浪費して派手に死ねってことだが。
奴隷はくだらないと。

しかし私は当分「宇宙の律法」を知るべく努めるが、それにもしも成功して宇宙に所属し続けるとすれば、
私は単なるロボットでしかなくなってしまう。
所属するということは、己を捨てること、自由を捨てること。奴隷になること。

だからニーチェも悪くはないのよ。


9 :まあよいではないか:2008/07/19(土) 03:25:51 O
自由の追求は非所属の追求であり、
世界からの解放を目指し、無限に回帰しているこの現在、刹那を貴ぶ、
存在と無の円環への意志、刹那主義である。
これぞ恐るべき真実の追求なのだ。
これぞ神に至る道である。
全てを永遠の刹那、永遠の存在と無の円環上の解釈、夢とする神の視座への道である。
なるほど徹底的ニヒリスト、異邦人を目指すアメリカ人は勇気がある。
永遠の虚無に身を投げようとするとは…
深淵へのダイブ、没落…

私ならムンクの叫び声をあげるだろう…
確かに私はひきこもることでそれから逃げている弱者なのである。
真理の追求、律法の尊守、世界内存在であり続けようとする気持ちは、恐怖なのであり、
奴隷であることに甘んずる弱さであり卑小さである。


10 :まあよいではないか:2008/07/19(土) 04:38:04 O
前田敬作訳 城 あとがき》
異邦人は、律法を知らない。しかし、律法を知らないということは、偏見からまぬがれていることだ。
自己疎外した現代社会の不条理を最もするどく観察し分析したのが永遠の異邦人であるふたりのユダヤ人、
あの「資本論」の著者と「城」の作者であることは、けっして偶然ではない。《

だが人間の自己疎外こそ、人間の本来性、
もはや人間的ではない虚無でありながら存在であるあまりに重苦しい永遠の数学的一点への、神への道なのである。
ユダヤ人が割と有能なのは偶然ではない
のだろう。


11 :金曜日:2008/07/19(土) 08:21:26 0
>>4
そうだよね。でも私は神の存在がどうしても信じられない
宗教としては理解できるが宗教以前か以後かわからないけど
この世界の真理として思考しようとするとどうしても神の存在を疑ってしまう。。
永劫回帰のほうがすんなりと理解でき、真理であると信じ、またそれを望むことで
受け入れることができる。心や内面の問題として永劫回帰はうけいれられるのです。
結局どちらも不可知に属するけどね。



12 :まあよいではないか:2008/07/19(土) 09:14:09 O
存在と無の円環の連想でチューリングマシーンってのを思いだした。
0(無)と1(存在)の値をもつ無限の長さをもつ円環は、無限の長さをもつテープとみなせる。
そのテープを読みとり解釈する者がチューリングマシーン(神)だ。

そんだけ。まあよいではないか。

13 :まあよいではないか:2008/07/19(土) 09:27:50 O
存在しているといえるのは、いわばチューリングマシーンとテープだけであり、あとは解釈であるといった方が現実的だ。

ちょっと刺すだけで死んでしまうボロいあまりにもボロい泥人形である我々は存在しているが、
果たして神は存在可能なのだろうか? なんて話はなんとも面白い話だと思うw

14 :まあよいではないか:2008/07/19(土) 10:28:39 O
我々が存在するとしたら、我々は我々を物理的に解剖してもまだ存在するはずである。
無論、死んでしまうのだが。
つまり、そうであるとすれば、死は無ともいうので、無≒存在であるはずなのだ。
壊れてしまうものなど構造なのであって、それ自体存在ではないのだ。

心も傷つくという。傷つくものは構造である。
我々の本質、存在に迫るためには傷つけまくらねばならない。
解剖せねばならない。
構造を根絶やしにせねばならない。
精神の残骸が実存だろう。
それはまだ存在ではない。
肉体をも解剖せねば存在にはたどり着けない。


15 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 12:14:25 O
「我考える故に我あり」というが「私」はまだ実存ではない。
「私」は考える葦であり、ちゃんと破壊できる構造である。構造なき思惟は不可能だ。
真に実存にまで達したのは哲学者ではニーチェだけではないかな。


16 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 14:53:20 0
>>1
永劫回帰は神の死のあとに着想されているんだが

17 :金曜日:2008/07/19(土) 20:53:19 0
>>16
そうだとも
しかし神はツアラツストラによって死の宣告を受けたけど
ニーチェの遺稿ではその後何度か神について述べられている。
これはキリスト教とは別次元の神であり
宇宙神か汎神論の考え方なのか不明だけどね。
ツアラツストラの永劫回帰はキリスト教の神を抹殺したけれど
永劫回帰と神はニーチェの思想と関係なく両立可能として思考しうると私は思う。
私はそのようには考えないが思想としては可能だろうね。
永劫回帰によって神がシジフォスみたいな存在になるのかな


18 :考える名無しさん:2008/07/19(土) 21:14:56 O
シーシュポスの神話

19 :考える名無しさん:2008/07/20(日) 23:22:30 0
>>17
何言ってるんだかさっぱりわからん
その考えだと「力への意志」はどういう解釈なの?

20 :金曜日:2008/07/21(月) 05:29:16 0
「力への意思」はニーチ流のたとえばショーちゃんの「意思と表象・・・」
の還元的解釈による表現であるように
「力への意思」を< >と< >みたいに再構築して考えなおせばいいじゃないか。
永劫回帰と神を両立ならしめるなにかの力みたいにね。
宇宙意思でもいいが。
永劫回帰をニーチェの思想の内部だけで思考する必要はないね。

  


21 :考える名無しさん:2008/07/21(月) 06:13:12 0
>>20
>永劫回帰と神を両立ならしめるなにかの力みたいにね

「神」というのは形而上学的原理そのものでしょう?
そうした原理の想定を否定して、生そのものを積極的に
肯定していく表現が「力への意志」でしょう?


22 :金曜日:2008/07/21(月) 08:40:45 0
そうでしょうね
でも永劫回帰も新たな形而上学としての原理と把握できる。
そのことを肯定する表現
として<力と意思>があるということになるね。
形而上学として神と同時に永劫回帰がくわわったのです。
あるいは入れ替わったというべきか。

23 :考える名無しさん:2008/07/21(月) 09:29:51 0
>>22
そうではないです。
永劫回帰は「生の肯定」に関わる議論であって、新しい形而上学な訳が
ないでしょう。

>神と同時に永劫回帰がくわわったのです。
>あるいは入れ替わったというべきか

違います。
これでは形而上学を積極的に推進することになります。

24 :金曜日:2008/07/21(月) 20:29:17 0
もちろん
アリストテレスにはじまる形而上学という根源的なるものへの原理的探求
のなかに神というものだけが座をしめているのであって
永劫回帰がはいるわけはないと考えるのがとうぜんです。
形而上学は現代ではハイデッカーによって終止符がうたれてしまいました。
しかし
永劫回帰がこの世の原理だとしたら神にかわって新しい形而上学の王座に座ることも可能でしょう。
ツアラツストラはあくまでも生の肯定としての永劫回帰を思想としてもち生きました。
でもツアラツストラの精神の奥には形而上学としての永劫回帰(宇宙をふくめ自己の生も無限に反復するという真理もしくは幻想)
を想定することも可能でしょう。


25 :考える名無しさん:2008/07/21(月) 20:59:48 0
>>24
>形而上学としての永劫回帰

ありえません。

>想定することも可能でしょう

不可能です。

26 :考える名無しさん:2008/07/21(月) 22:27:08 O
不可能って言ったって、君はどんだけ…

ニーチェは「権力への意志」の106?辺りで、
永遠回帰について理論的に考察し、数学的証明らしきものを試みている。
それにしても永遠回帰は機械論ではないといっていたな。
機械論であれば、世界は永遠では有り得ないからだそうだ。燃え尽きてしまうからね。
永遠なんてのは、「神」の属性なんだ。
それを「権力への意志」と呼びかえてる。

それに解釈や意志というのは、ショーペンハウアーの、表像と意志からパクッたものだが、
意志なんてのはとくに、形而上学的概念に他ならない。
「力」だってそうだ。
科学では形而上学や神学にならないよう「力」とは何か問わないだけだ。
だが科学者は一種の神学者だよ。
この神の創造物を理解することで神を間接的に知ろうとしてきた。
ニーチェも世界に対してそうゆう科学者的な態度をとっているといえる。


27 :考える名無しさん:2008/07/21(月) 22:41:25 O
「ツァラトゥストラ」は物語であって、
その中で神は死んだからといって、それがなんだろう?
ニーチェが好きなディオニュソスはやはり神なのである。

28 :考える名無しさん:2008/07/21(月) 22:57:21 O
『権力への意志』106のアフォリズムは、
まだ「ヨーロッパのニヒリズム」ですが?



29 :考える名無しさん:2008/07/21(月) 23:02:51 O
ニーチェは「神の属性」を
「力への意志」と
呼び変えてません。

30 :考える名無しさん:2008/07/21(月) 23:06:08 O
ニーチェは世界に対して
科学者的態度をとって
いません

31 :考える名無しさん:2008/07/23(水) 08:40:32 0
永劫回帰をニーチェの思想と切り離して
の考え方を言ってるのだと思う

32 :考える名無しさん:2008/07/24(木) 06:13:23 0
ツアラツストラと永劫回帰とは不可分です。


33 :金曜日:2008/07/25(金) 00:12:52 0
アメリカの詩人ポオによる散文詩『ユリイカ』
はほとんど有神論と永劫回帰一歩手前の宇宙発生終焉説の融合ではないか思うね。
本年7月に出た岩波文庫『ユリイカ』の八木敏夫訳の」訳者解説では現代宇宙論との対比で
も興味深い。ニーチェに限らず当時の宇宙論や科学的知識や反キリスト教的無神論の立場から
宇宙全体の永劫回帰説が発想される下地は十分にあったと思う。
ニーチェもランゲの『唯物論史』から多大な影響をうけている。
ニーチェの永劫回帰についての科学的説明は稚拙なものであるが
自分の啓示を説明するのに当時の科学的知識ではとても説明できないと観念したのでしょうね。
熱力学なんかも研究したらしいが結局あきらめている。
なによりも永劫回帰を真理として人間精神の内面のドラマとしてうけとめることを追求するということを
『ツアラツストラ』に托したということかな。
ブランキの1872年『天体による永遠』は宇宙全体の永劫回帰説の最初であり『ツアラツストラ』が1883年だから11年も前です。
最後に下山したツアラツストラが現実に存在したならブランキみたいな革命運動家じゃないかと勝手に空想しております。
ニーチェはブランキもブランキの著作も知らなかったのだろうな。


34 :考える名無しさん:2008/07/25(金) 01:07:00 0
ブランキとは誰?

35 :ラプラスの悪夢@そろそろ寝ないとな  ◆daemontaDA :2008/07/25(金) 01:16:40 0
>>30
意味がかなり不明です。


36 :金曜日:2008/07/25(金) 22:29:12 0
ブランキはマルクスも絶賛した革命家。
『天体による永遠』はトーロー要塞の監獄の中で書かれた。
ベンヤミンによってとりあげられ知られることになった。
まあこんなところです。
ベンヤミンのパサージュ論にある。


37 :考える名無しさん:2008/07/26(土) 07:30:56 0
読んでみるか

38 :考える名無しさん:2008/07/26(土) 08:59:12 0
へい!ヨー!uuuオレの言い訳人生ヘイヨヨu!
今日もネボすけ言い訳はダルイ!キツイ!カッタルイ!
朝巡業をスッポカシ、これではや2週間、新記録!
ゴミの日メロディ目が醒める、でもそんなの関係ねー、そんなの関係ねー!
次にだそうぜ袋代が勿体無い!部屋はゴミ結局支配するu!
今朝はなんとか起きれたぜ!ハロワに行こうか今日なら行けるぜ、
もうこれ土日の口癖だi!街に出ようか海に行こうか、でも週末は混んでるし!
もうこれ土日の口癖だi!平日ダラダラ!土日に言い訳!言い訳人生エイゴウカイキ!
時間は繋がってるーーー!時間は繋がってるーーー!
昨日があるから今日のオレ、先週のオレが輪廻する!
過去の理由に現在のオレそして未来も見えている由全ては必然!因縁!不可避!
致未来性なりヘイヨ!今日も2次元おなにー三昧、2chで自己中!優越感!
股間は勃起→蒸れる→撓る→硬直→萎える、のスパイラル!毎日毎日スパイラル!
飯は食わない面独裁!風呂も入らない面独裁!歯も磨かない面独裁!
全部まとめてまた明日!ヘイ!電話に訪問ー販売、メール、全部無視無視蒸し餃子
郵便ポストは溢れてる!春夏秋冬感じない!
時間は動かないーーー!時間は動かないーーー!
いつかいつかまたこんど!ボクの未来は止まってる!

39 :考える名無しさん:2008/07/28(月) 08:27:22 0
歌だな
リズムはステップ
意味としては陳腐だけど
まあいける

40 :考える名無しさん:2008/08/01(金) 13:23:33 0
神も永劫回帰も幻想
たとえ永劫回帰が現実に真実であり神が現実に存在したとして
どうして証明できようか
またどうして信じることことができようか

41 :考える名無しさん:2008/08/05(火) 08:40:25 0
宗教ではないが
半分信じてみるとどうなるか。
そこで何がわれわれの心に現象するかの問題。


42 :考える名無しさん:2008/09/06(土) 06:59:03 0
>>40
神のような永遠者がこの世界に実在するとしても
人間の能力では知ることができない。
結局宗教によって
信じることしかできない。
俺は神なんてものは不可知の領域に属するから
神は幻想としてしりぞけるだけだ。
神を宗教に入って信心することの自己欺瞞を拒絶する。
永劫回帰も幻想ではないか。
たとえこの世界の真実だとしても
人間にとって不可知であり信じることはできない。
しかし自分の生が無限に繰り返すというのは魅力だ。
仏教の死後の無とは別次元であり
死への恐れというものを仏教的救済とは別のかたちで救済してくれる。
幻想を承知で信じてみるのもいいかも。
でもけっきょくどうでもいいことだ。

幻想として把握するしかない。


43 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/09/06(土) 07:04:52 0
詩篇82.2
「いつまであなたたちは不正に裁き
神に逆らう者の味方をするのか。
弱者や孤児のために裁きを行い
苦しむ人、乏しい人の正しさを認めよ。
弱い人、貧しい人を救い
神に逆らう者の手から助け出せ。」



44 :考える名無しさん:2008/09/06(土) 07:24:38 0
主体は喜ぶ。
本能的欲望が満たされれば喜ぶ。
食欲、睡眠欲、性欲。
主体は考えない、ただ命令する。

ここに知恵が登場する。

主体は知恵に命令する。
知恵は主体に奉仕する。
主体は喜ぶ。

主体は知恵にさらに命令する。
知恵は主体に奉仕する。
主体はさらに喜ぶ。

それが回帰する。
なぜ永遠なのか?
喜びに飽きはない。

ギリシャ神話ではディオニュソス(主体)には
アリアドネ(知恵)という配偶者がある。

45 :考える名無しさん:2008/09/06(土) 07:33:17 0
現代は、知恵のことを主体と取り違える。
それをルサンチマンと呼ぶ。

46 :考える名無しさん:2008/09/06(土) 07:38:39 0
そして、ルサンチマンは神を作り出した。

禁欲。

47 :考える名無しさん:2008/09/06(土) 14:48:01 0
道徳退廃で動物みたいな本能丸出しの人間界が
永劫回帰なんぞありえんことどす。

48 :名称未設定:2008/09/06(土) 21:00:16 0
そのこと自体を神と捉えるか神は存在可能なのか
という言い方なら解釈が別ってことだ。
空間と存在について滅多に起こらない集中状態の時に
起こるありえない世界に存在している。
もしくはが〜してしまっているという恐怖を感じる時に
しか神を感じる事はない。日常的な出来事でどうこうと
いうのは自分にはない。ホーキングのただなんとなく
あって存在し続けるという考え方が一番好きだ。
死から転生して生まれたという記憶は人間には
ないが物質的にはそうだろうから。
親がいて子供ができてという流れで思考すると
恐怖感にはたどりつかないだろうし。
インドでガンガー観た時にそう思った。

49 :考える名無しさん:2008/09/06(土) 22:47:36 0
この宇宙で永劫回帰が成立するとしたら
人類が存在しようとしまいと
関係なく成立するということだ。
知的生命体である人類がいつの日か永劫回帰を認識するということだけが問題である。
ニーチェが人類で最初の人物ということになるのか。
もっとも
永劫回帰が虚偽で妄想であるならすべてこのスレごと笑うべきだな。


50 :名称未設定:2008/09/06(土) 22:58:17 0
>>49
おれにはアンタやニーチェの事はわかんないわけだよ。
ありえないと感じる時の事を記憶している。
意識したりする事はあるだろうけど、状況は
人によって差異のあるものだし、一生で一回しかない
インパクトのそれというのもあるだろう。

51 :考える名無しさん:2008/09/17(水) 17:21:42 0
神、それは永劫回帰を拒絶する者

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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