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ウィトゲンシュタイン 6

1 :考える名無しさん:2009/08/12(水) 13:15:25 0
言語哲学、分析哲学の創始者。
カフェテリア・グループの一人。
ケンブリッジ大学・トリニティ・カレッジのバートランド・ラッセルのもとで哲学を学ぶ。

時代区分
前期(1889年 - 1921年)
(ほとんど不詳な)学生時代、『論考』のアイディアが纏められつつあった第一次世界大戦とそれに続く時代(「日記」)、『論考』の時代
中期前半(1922年 - 1933年)
哲学への復帰と現象主義や文法一元論、およびそこから推移してゆく『哲学的文法』、『哲学的考察』の時代
中期後半(1933年 - 1935年)
『考察』の考えからの変化を深めていく『黄色本』『青色本』『茶色本』
後期前半(1936年 - 1945年)
『哲学探究』、特にその第1部400節ころまで
後期後半(1946年 - 1949年)
『哲学探究』第1部の残余の執筆を経て、さらなる変化に到るとも想像されている第2部への時代
晩期(1949年 - 1951年)
死の直前の『確実性の問題』

主な著作
『ウィトゲンシュタイン全集』(全10巻)大修館書店
『論理哲学論考』岩波文庫(野矢茂樹・訳)
『反哲学的断章―文化と価値』青土社(丘沢静也・訳)

前スレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1212650800/

2 :考える名無しさん:2009/08/12(水) 13:51:26 0
ウィトゲンシュタインの限界は、
語りえぬものに対して逃げたことだ。
語りえぬものの重大さに気付かずに、沈黙すべきといっただけ。

まさにそこにこそ重大な何かがあるのに。

3 :考える名無しさん:2009/08/12(水) 14:07:32 0
語りえぬものなどないのだが。
あるというならば、たとえば何?

4 :考える名無しさん:2009/08/12(水) 14:09:50 0
>>3
それはゲーデルが不完全性定理によってあぶりだしただろう。
ウィトゲンシュタインが逃げたものに対して、
ゲーデルは立ち向かった。

ゲーデル>>>>>ウィトゲンシュタイン

5 :考える名無しさん:2009/08/12(水) 14:12:23 0

■ 過去スレ ■

ウィトゲンシュタイン 5
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1212650800/
ウィトゲンシュタイン 4
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1170864944/
ウィトゲンシュタイン 3
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/philo/1101629404/
ウィトゲンシュタイン 2
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1079467920/
ウィトゲンシュタイン
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1055694779/


6 :考える名無しさん:2009/08/12(水) 14:13:05 0

■主要な研究者

ピーター・カラザース (メリーランド大)
http://www.philosophy.umd.edu/people/faculty/pcarruthers/
スタンリー・カヴェル (元ハーヴァード大)
http://www.fas.harvard.edu/~phildept/html/cavell.html
コーラ・ダイアモンド (ヴァージニア大)
http://www.law.virginia.edu/lawweb/faculty.nsf/FHPbI/78991
ジュリエット・フロイド (ボストン大)
http://www.bu.edu/philo/faculty/floyd.html
ウォーレン・ゴールドファーブ (ハーヴァード大)
http://www.fas.harvard.edu/~phildept/html/goldfarb.html
ソール・クリプキ (ニューヨーク市立大)
http://web.gc.cuny.edu/Philosophy/kripke.htm
マシュー・マリオン (オタワ大)
http://www.uottawa.ca/academic/arts/philo/fra/prof/marion.html
エイドリアン・ムーア (オックスフォード大)
http://users.ox.ac.uk/~shug0255/
スティーヴン・マルホール (オックスフォード大)
http://users.ox.ac.uk/~newc0929/
イーアン・プループス (ミシガン大)
http://www-personal.umich.edu/~iproops/
エリック・レック (カリフォルニア大リヴァーサイド校)
http://www.philosophy.ucr.edu/people/reck_e.html
トマス・リケッツ (ノースウェスタン大)
http://www.cas.northwestern.edu/philosophy/Persons/ricketts/ricketts.htm
クリスピン・ライト (セント・アンドリュース大)
http://www.st-andrews.ac.uk/~www_spa/STAFF/wright.html

7 :考える名無しさん:2009/08/12(水) 14:13:46 0

■ 電子テキスト・関連サイト ■

 ■『論考』の原文および英訳(オグデン訳)
http://www.kfs.org/~jonathan/witt/tlph.html
 ■ウィトゲンシュタイン関連リンク集
http://www.ocf.berkeley.edu/~brianwc/ludwig/
 ■Rule-Following Considerations に関するリソースを集めたサイト
http://krypton.mnsu.edu/~witt/
 ■ハイパー・テキスト版論理哲学論考(英語版・日本語和訳版)
http://www.geocities.jp/red_mad_hatter/Tractatus.html
 ■ミックのページ (ウィトの原文とその和訳が多数)
http://www.geocities.jp/mickindex/wittgenstein/idx_witt.html



8 :考える名無しさん:2009/08/12(水) 14:14:10 0

非常に高い知能と厳格な道徳規範を持ち、ユダヤ系であったにもかかわらず
ヴィトゲンシュタインは、ドイツでのヒトラー台頭が何をもたらすか理解していなかったようだ。
また、女性を蔑視するような文章を素直に称賛していた。
彼は悲観的で、沈み込みがちと思われていたが、これは家族の病歴を見れば驚くに当たらない。
むしろ意外なのは、彼が常に本当の意味で塞ぎ込んでいたわけではなく、最期の言葉が
「私は素晴らしい人生を送ったと彼らに伝えてくれ」だったとされている点だ。

アスペルガー症候群がわかる本――理解と対応のためのハンドブック――
C・ギルバーグ著 明石書店 P129 

9 :考える名無しさん:2009/08/12(水) 14:38:38 0
>8
不勉強杉w

10 :考える名無しさん:2009/08/12(水) 14:56:44 0
人の生き方を見ればわかる。
生きることをどういうことにしたいのか?
ふつうこんなことは考えないだろう。
人っていうのはたいてい、すでに生きているものだから。
生きていることは説明が付かない。
彼はその説明の付かなさ吐露した。

「私は素晴らしい人生を送ったと彼らに伝えてくれ」
まさにこの一言が彼の人生なんだと思う。


11 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/12(水) 19:53:28 0
>>
如何にして規則は私に、私はここに於いて何を為すべきかを、教える事ができるのか。・・・
如何なる解釈も、それが解釈するものの支えの役は、果たし得ないのである;解釈だけで
は、[それをいくら連ねても]それらが解釈するものの意味は決定しないのである。

私が「規則に従う」と呼ぶものは、ただ一人の人がその人生に於いてただ1回だけでも行う
事が出来る何かであり得るだろうか?[答えは否である。]・・・規則に従うと言う事・・・は慣
習([恒常的]使用、制度)である。

規則の表現−たとえば、道しるべ−は、私の行為と如何に関わっているのか、両者の間に
は如何なる結合が存在するのか?・・・私はこの記号に対して一定の反応をするように訓
練されている、そして、私は今そのように反応するのである。(198)

規則の或る把握があるが、それは、規則の解釈ではなく、規則のその都度の適用におい
て我々が「規則に従う」と言い「規則反する」と言う事の中に現れるものである。(201)

したがって「規則に従う」という事は、解釈ではなく実践である。そして、規則に従うと信じる
事は、規則に従う事ではない。・・・或る規則に従う、という事は、或る命令に従う、という事
に似ている。人は命令に従うように、訓練され、その結果命令に或る一定の仕方で反応す
るようになるのである。(202)

「如何にして私は規則に従う事ができるのか?」−もしこの問いが、原因についての問いで
はないならば、この問いは、私が規則に従ってそのような行為する事についての、[事前
の]正当化への問いである。もし私が[事前の]正当化をし尽くしてしまえば、そのとき私は、
硬い岩盤に到達したのである。そしてそのとき、私の鋤は反り返っている。そのとき私は、
こう言いたい:「私は当にそのように行為するのである」(217)

『哲学的探求』読解ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(ISBN:4782801076)
<<


12 :考える名無しさん:2009/08/13(木) 01:25:51 0
独我論と科学的世界観(実在論)が両立するのがよくわかりません

13 :考える名無しさん:2009/08/13(木) 03:35:39 0
前スレにあった「超越論的」の訳語の不適切さだけど
永井均か誰かがこの訳語は誤解を生むみたいなこと書いてなかったっけ?

14 :考える名無しさん:2009/08/13(木) 09:39:11 0
>>13
実際に、「超越論的=狂信的」なんだから、
訳語の問題ではないのでは。

15 :考える名無しさん:2009/08/13(木) 09:52:35 0
「超越論的=狂信的」ってなに?

16 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/13(木) 10:30:24 0
通常、先験的と訳すところを、超越論的と訳した。
これはかなり強引なところがあるが、
でも言わんとするところはわかるし、これだけ普及したということは
言い得てみようということだね。

ようするに、超越的と超越論的との対比で考えるとわかる。

17 :考える名無しさん:2009/08/13(木) 10:52:18 O
なにをエラソーに

18 :考える名無しさん:2009/08/13(木) 11:55:15 0
>>14
理屈が言えないから、
「超越論的」と誤魔化しているということだな。

19 :考える名無しさん:2009/08/13(木) 19:04:50 0
ウィトゲンシュタインの入門書読んでるレベルの初心者ですが、「語り得ぬもの」に対して、
「語り得ないと言った時点で、語り得ぬものの一面を語っているのだ」というような
脱構築的な突っ込みはよくあるのですか?


20 :考える名無しさん:2009/08/13(木) 20:59:57 0
ない。

21 :考える名無しさん:2009/08/13(木) 21:00:28 O
>>19
デリダ、ルーマン議論を中心にテーマになってます。


東浩紀の否定神学批判の周辺では、「語りえぬもの」の否定神学性を指摘されてる。


東が否定神学と呼ぶのは、形而上学を批判しようとする言説が、ある一つの形而上学的特異点へ収斂するようなことで


例えば、「本質は語れない」と言うことが「本質は語れないという本質」という形而上学的特異点へ向かっているとする。


22 :考える名無しさん:2009/08/13(木) 21:05:36 0
>>19
語りえぬものっていうのは、
語ってはいけないってことじゃなくて、
語ることが不可能だってことだろ。

23 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/13(木) 21:09:24 0
ウィトを否定神学といったことは聞いたことがないな。
否定神学は語りえないものをいかに語りえないか積極的に語ることで現れる。
ウィトは語りえないものそのものを語るわけではない。

24 :考える名無しさん:2009/08/13(木) 22:09:57 O
「私的言語」は語りえないものとしての「語りえないもの」がいかに語りえないか を語ってる。


ただ、これがこれ以外の否定神学とは一線を画すものであると思う。




25 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/13(木) 22:13:12 0
>>24
はぁ?
「語りえないもの」=なんとでも語りえる形而上学と、
「私的言語はない」は、全然違う問題だろう。
私的言語は単に言語原理の問題。


26 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/13(木) 22:20:38 0
ウィトは否定神学とは関係なくて、いわば「科学的」なの。
ハイデガーみてみ。形而上学を語りまくりだけど、
それっておまえの想いだけだろう、と言われたら終わり。
形而上学は言った者勝ち=なんとでも語れる=語りえぬものは、
語らないよ、といっただけ。

だからウィトは科学なのか!とかアホなこときくなよ。



27 :考える名無しさん:2009/08/13(木) 22:24:50 0
あの飯田先生はウィトゲンシュタインには少し否定気味だそうですね。


28 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/13(木) 22:27:21 0
ボクもハイデガーは好きだよ。天才だよ。
でもあれだけ美しく論を語るのは超越論の芸術家だよね。

29 :考える名無しさん:2009/08/13(木) 22:32:40 0
 
ハイデガーなんて社会的に影響力のない狭い哲学の領域でしか通用しないが
それに対して、レヴィナスは社会的に影響力の強い法学の第一線で活躍する学者に言及されるほどの影響力を持っている。

レヴィナス>>>>>>ハイデガー

30 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/13(木) 22:34:35 0
>>29
逆だろう。ポストモダン思想の元ネタはハイデガーだから。
影響力が全然違う。

31 :考える名無しさん:2009/08/13(木) 22:36:02 O
解釈の違いとして、

「ウィトゲンシュタインの言う、語りえないもの=なんでも語れる形而上学」とは思ってなくて


「ウィトゲンシュタインの言う語りえぬもの=まさしく語りえない」>>24はこの意味で使いました。



32 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/13(木) 22:37:20 0
>>31
解釈の違いではなく、キミ間違い。

33 :考える名無しさん:2009/08/13(木) 22:43:17 O
どっちでもいいけど>>24はその意味で使ったよ

34 :19:2009/08/14(金) 00:17:40 0
>>21
よければ参考文献教えてもらえますか。
読んでみたいと思います。

35 :考える名無しさん:2009/08/14(金) 03:47:37 0
>>31
>「ウィトゲンシュタインの言う語りえぬもの=まさしく語りえない」

云わんとしていることが「不可知論」のそれなら、ま、そんな表現もありかもね。
「不可知論」といっても論者の数だけ差違があるから要約するのは難しいが、
「ズバリ言うわよ」的形而上学へのアンチであるからといって、無神論者イコール
ではない。そこが、仏教/無神論/非有神論的、日本的お茶漬け哲学な人々に
誤解されやすい部分なのだろう。ウィトは無神論者ではないのは手稿の類をよめば一目瞭然。

>>19
ウィトが「真に偉大な思想家」として敬愛していたアウグスティヌスは教父でありながら
自身の言説は全く何も言ってない。と言い切っちゃた人みたいだね。
「不可知論」はファナティックな宗教家の論調でもあり得る。という意味では
2000年近くの歴史のある考え方。否定神学の対極だね。w


36 :考える名無しさん:2009/08/14(金) 03:52:08 0
ああ、間違い。否定神学は有神論だから、そのものかも。

37 :考える名無しさん:2009/08/14(金) 09:09:05 0
「語りえぬもの」を語りすぎているスレですね。

38 :考える名無しさん:2009/08/15(土) 02:59:41 0
>>35はちゃんとわかって言ってるんだろうか
ウィトの関連しにては使っている言葉が不用意過ぎると思うんだが

39 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/15(土) 23:46:42 0
思考の働きは相当複雑であるから、当然全体を掴もうと思えば、言語のみによる把握では、埒があかない。
思考は言語によってするものではないのである。他者の思考を渡されるときは、字を読むなり、話しを聞くなりして、
脳の思考のトリガーとして言語は働き、相手に渡すときは、言語によって思考の過程を拾い上げていき、形に
して示す。始まりと終わりを付ける形式に思考過程を閉じこめてしまうのである。当然、言語に依ってしか、
思考過程の表現はなされないし、言語の存在しない思考過程は、語りえぬものは、沈黙するしかないのである。

40 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/16(日) 00:13:41 0
世界観は、視覚による。正確に言えば、視覚や聴覚による、空間の把握による。そして、人は、視覚に映らないもの
視覚の分解能以上のものは、存在するとは考えられないのである。その点で、顕微鏡や、望遠鏡の発明は、
世界観にとって画期的であった。音楽については、また別様である。

41 :考える名無しさん:2009/08/16(日) 00:17:27 0
>>39-40
元ネタは脳科学?

42 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/16(日) 00:27:39 O
脳科学については全く詳しくないです。

43 :考える名無しさん:2009/08/16(日) 00:30:37 0
>視覚や聴覚による、空間の把握

ならこれはどこから?

44 :考える名無しさん:2009/08/16(日) 00:41:00 0
>>43
個人的空間感覚の喪失体験(病による)からの、仮定と断定です。

45 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/16(日) 01:26:16 0
心理というものがある。これは、自分の脳状態(とその変化の様子)を自分でとらえきれないところからきたものである。
考えてみれば当たり前で、自分は一つの存在であるから、自分を完全に客観的にとらえられるわけがないのである。
自分の部分から、別の部分を観察して、自分を理解する。全体が全体を観察するのは不可能だ。そして心理というものは、
脳の働きの理解(動物的能力)を、脳によって行う方法であって、人間の不完全さ(当たり前だが)を示すものである。

46 :考える名無しさん:2009/08/16(日) 01:31:23 0
特異能力を持ったアスペの思想だろ。
内容が違うだけで、マルクスと一緒。

47 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/16(日) 09:09:40 0
>>39
しかし、沈黙とはまた一つの言語である。言語体系の中で意味を持ち、その意味では、沈黙とは、言語の働きに
変換された思考過程の一様式についての態度である。思考過程そのものは、沈黙を超えてさらに高度な
働きを持つ。しかし、言語に変換する仮定において、思考がまた働くのであるから、言語とは文化であり、
一つの行為である。話し始める事ができたから、沈黙することも出来るのである。

48 :考える名無しさん:2009/08/16(日) 10:42:00 0
面白くないねえ。山田くん、座布団三枚持っていって。

49 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/16(日) 13:47:00 0
>>48
さすが2chの哲学板だな。

50 :考える名無しさん:2009/08/16(日) 13:49:09 0
>視覚や聴覚による、空間の把握

ならこれはどこから?


51 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/16(日) 13:56:38 0
自分で考えてください。

52 :考える名無しさん:2009/08/16(日) 13:58:48 0
>>51
はあl?てめぇがいったんだろうが!
ちゃんと自分のケツは自分でふけ。

53 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/16(日) 14:01:24 0
>>51
いやならよまなけりゃいいでしょうが

54 :考える名無しさん:2009/08/16(日) 14:02:16 0
ようするに適当ってことね。了解。

55 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/16(日) 14:05:44 0
よかったね

56 :考える名無しさん:2009/08/16(日) 14:06:26 0
馬鹿の相手して損した。

57 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/16(日) 14:07:50 0
下手な相手でごめんなさいw

58 :考える名無しさん:2009/08/16(日) 14:14:18 0
ついでに海外の一般的な大学の哲学科の入試問題 (訳に違和感があるかも)
解けそう?

■哲学は諸科学についての考察をせずに済ますことができるか?
■ある芸術作品が美しいということを他人に根拠を示して説得することができるか?
■「選択」と「願望」の違いについてアリストテレスの文章を読んで、コメントせよ。

■人は自分自身に嘘をつくことができるか?
■どのような条件の下で一つの活動は労働となるのか?
■「独立」と「自由意思」が相対的な概念ではないかと疑ったニーチェの文章を読んで、コメントせよ。

■人は何によってある出来事が歴史的であると認識するのか?
■人間の自由は労働の必要性によって制限されるか?
■「実験」と「観察」が単に素材としてのデータを抽出するだけだという見方に対して疑問を投げかけたベルクソンの文章を読んで、コメントせよ。

■人は知識なしに技能的習熟を持ちうるか?
■正義の支配を実現するとは、単に法律を適用することか?
■人間の自由についてルソーの文章を読んで答えよ。

■人は美を判断するのか、それとも感知するのか?
■法律は我々に何をするのが正しいかを示しているか?
■「真実」は「現実」の複製ではないというベルクソンの文章を読んで、質問に答えよ。

59 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/16(日) 14:30:32 0
>>54
ちょっといいかげんすぎたので弁明。俺のスタイルだと、思いついたら書くということなので、適応的には対応できない
かも。適当と言えば適当(根拠薄弱)。海外入試は解けそうにないな。

60 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/16(日) 15:22:39 0
>>58 少し解いてみました。

■哲学は諸科学についての考察をせずに済ますことができるか?

哲学は世界観について考察することを含む学問である。したがって、科学の提唱する世界観について
哲学的世界観との相違を示されたのならば、それについて哲学的な考察を必要とするだろう。

■ある芸術作品が美しいということを他人に根拠を示して説得することができるか?

芸術作品とは、人間の五感と思考をつかって非凡的、美的、感動的な表象をするものである。
その美しさの根拠は、人間の五感であり、自分の感じたことを言葉にして表せば、共感してもらい、説得することも
可能となる。

■人は自分自身に嘘をつくことができるか?

嘘とは、真実を知っていて、その反対のことを主張することである。自分自身がある真実を知っているなら、
その反対のことを主張しようとしても、それは自動的に反対のことであることが分かってしまうので、真実に
反する嘘をつくことは出来ない。

61 :考える名無しさん:2009/08/16(日) 15:29:05 0
おお〜納得しました。
ウィトゲンシュタインを読んでもどうにもならないと思って『哲学探究』を積んだままだったけど、そういう考察ができるようになるなら読んでみます。

62 :考える名無しさん:2009/08/16(日) 15:42:44 0
>>61
誰にいってるんだ。マークぐらいつけろ。

63 :考える名無しさん:2009/08/16(日) 18:26:56 0
暇つぶしで「論理哲学論考(邦訳版)」を読んでたんですが、

5.1361 (略) 因果連鎖を信じこと、これこそ迷信にほかならない。

とあったんですが、これは歴史学のナンセンスも意味してるんでしょうか?

64 :考える名無しさん:2009/08/17(月) 03:59:38 0
>>63
因果連鎖を信じなければ、なにも議論できん


65 :考える名無しさん:2009/08/17(月) 06:07:21 0
>>63
ヒュームも帰納法と因果連鎖を否定している。
アニメーションのように我々には因果があるように見えるけど、実際は一枚一枚が独立した絵であるように
世界も一秒一秒が独立している。。

66 :63:2009/08/17(月) 23:40:50 0
「論考」でびびったのが、因果連鎖を完全否定した後で、
ベイズ流の確率命題を論じ始めるところです。
ベイズ流かは別にして、未来を確率的にしか記述できない事は、
古典力学から量子力学にパラダイムシフトした事と完全に合致していてびっくりしました。

5.1361を読んだときに感じたのは「歴史」と「信仰」の否定です。

67 :考える名無しさん:2009/08/18(火) 02:21:02 0
>>65-66
ウィトが晩年にデカルトのコギトのコメントに用いた比喩でもそんな感じ。

像は映画フィルムのセルのようなもので、1枚1枚は独立してる像。
それを連続して銀幕に映して時間の流れが表現できる。そのように
我々は時間の流れを理解している。思っている私の像と、我ありと
結語する私の像は別のセルで描かれるべきで、そこに因果関係は
無い。デカルトのコギトはそういう意味で錯誤を含んでいる。といったとか。

像に関する考え方って、若い頃も晩年もあまり変わらなかったんだな。とふと思った。

68 :67:2009/08/18(火) 02:45:47 0
>>64
だから、「因果律」は2枚の像それぞれの相互関係の解釈とか解説・説明では
あり得ても、が「本質」とか「普遍性」とかいう語と同様なある種の絶対的で
揺るがし得ない「形而上学的な何かとして存在している。とは云えない。」
と言いたかったんだと思う。ただし、ウィトは不可知論者だから、そんなことは
「存在していない」とも云わない。それは神秘。とは云ってるよね。

「(祈りや願望など)ことばの表出なき信仰」はあり得るとオモ。
あと、「私がびしょびしょに濡れているのは雨に降られたからだ」的な因果表現に
ついては、たぶん、「確実性の問題」というエリアで論じているだと思う。

時間的な継起・起承転結を伴う事態のウィト的解釈・解説は、ある観点からすれば、
とても奇妙に思えるけど、別の観点からみれば、一貫しているようにも見える。

69 :考える名無しさん:2009/08/18(火) 17:23:03 0
つーかT.6.37でも明らかなように、『論考』では必然性は論理的必然性しか認められておらず、時間的に継起する事象間において一方が他方を強制的に引き起こすという因果連鎖は否定されている。
まあアバウトな言い方かもしれないが、簡単には因果連鎖という必然性など存在しない、というのが『論考』の立場ってことだよね。

でもこれが信仰を否定するものだとは必ずしも思わないが。


70 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/19(水) 07:02:59 0
ウィトゲンシュタインの考えと関連があるかどうかは分かりませんが、因果連鎖について、人間という観点
から否定することは出来ます。「ありがとう」という言葉を述べたとき、文脈によってその話者の気持ち、込めた
意味は全く違ってきます。因果連鎖によって意味が決まって来るというのではなく、人間の意思によって
意味を決めると言うこと。これが言語ゲームと呼ばれる物の実際ではないでしょうか。像が独立して
人間に映るから、人間は自由に態度を決められるということ。文脈や歴史の解釈については、その中での
振る舞いについては、表出の瞬間まで決まっていないということ。

71 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/19(水) 07:29:32 0
あそこで物が動くのとここで物が動くことの間には、微弱な位置エネルギーの変化という以上には、
おそらくなんの関連もない。系を全体としてとらえたとき、例えば、一人の人間の視点をとったとき、
二つのことは同時に起こったように見えるかもしれないが、実際にはあそこで流れる時間と、ここで流れる時間は
独立していて、殆ど何の関係もない。関係によってシステムが構成されるのであって、逆ではない。つまり、
トップダウン式の、全てを統べる時間というのは妄想に過ぎない。

72 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/19(水) 07:48:31 0
>>71
物が動く、ということは、アインシュタイン的物理的相対論的に見れば、二つの物事の間に起こる距離の変化
と言うことかもしれないが、人間はそういったことは認識に入れない。注目する物が動けば、その下の土台
となっている物のことは、考えない。そういった認識は、人間の努力不足から来る物ではなく、動物としての
人間の自然な物のとらえ方だろう。

73 :考える名無しさん:2009/08/20(木) 02:37:35 0
ウィトのテーマは「掟の門」だ。

74 :考える名無しさん:2009/08/20(木) 05:53:50 O
そうなのか?

結局は7(一番最後)を言いたいが為に、言葉の曖昧性に苦しめられつつ仕上げた感じだか。
言葉の泥沼に嵌まっていく様子に、何故か親しみを覚えた。


75 :考える名無しさん:2009/08/20(木) 21:46:21 0
時間・エントロピー・情報量・確実性・・・・

76 :考える名無しさん:2009/08/20(木) 22:28:14 0
>>68
ヒュームの 因果関係論と同じだな

77 :考える名無しさん:2009/08/21(金) 09:17:19 0
>>76
そうかもね。ウィトはイギリスで哲学を学んだ人だから、良くも悪くも
ドイツ的というより英国的。

それと、「論考」に挙げられてる数少ない哲学者として「剃刀」で有名な
オッカムが居るけど、彼同様、ウィトもどちらかといえば、唯名論者寄り。
ただ唯名論者お得意の名辞の濫用を防止させるために、事実(実在)
で担保された名辞だけを哲学では用いるべきだとしたのが写像理論。
純形な形而上学は実在論だけど、ウィトはちと位置位相が違うから、
「ある・ない」という表現とは、やや馴染まないかな。という感じがする>69。



78 :69:2009/08/22(土) 10:11:58 0
>>77
しかし、因果連鎖は存在しないって、
ウィトゲンシュタイン自身がはっきり述べているからね(5.135−5.1361,6.37−6.372)。


79 :考える名無しさん:2009/08/22(土) 16:33:55 0
ヘーゲル同様に一元論から二元論を展開するドイツ観念論の系譜では?
だからこそ伝統的な西洋哲学や英米哲学とは相容れなかったわけで。
間接的にドイツ観念論に影響を受けているように思える。

80 :考える名無しさん:2009/08/22(土) 19:05:25 0
>>79
まあショーペンハウアーの影響を受けているから、間接的にドイツ観念論の影響を受けているとは言えるだろうね。
それとヘーゲルってより、カントの超越論的哲学を引き継いでいるとは言えるかもしれない。
でもウィトをドイツ観念論の系譜に属するとまで言うのはちょっと無理があるんじゃないかな。
一般にウィトは大陸系の哲学者ではなく英米系の哲学者に属するとみなされるから。
てか分析哲学の創始者の一人と言われたりするわけで。
だから程度の問題もあるけど、英米哲学と相容れなかったとまで言うのもどうかと思う。

それとこれは腑に落ちないんで質問するけど、
仮にウィトがドイツ観念論の系譜に属するとしたら、
伝統的な西洋哲学と相容れないってのはおかしいんじゃない?
むしろ直系ってことになるんじゃないの?


81 :考える名無しさん:2009/08/22(土) 19:13:48 0
伝統的な西洋哲学というのはプラトン主義を指すことが多い。
だから反プラトン主義のヘーゲルは西欧哲学では異端。
ローティなどはヘーゲルの系譜にウィトゲンシュタインやクワインやプラグマティズムを分類している。

82 :考える名無しさん:2009/08/22(土) 19:33:33 0
村上春樹の1Q84はウィトゲンシュタインの影響受けたらしい

83 :考える名無しさん:2009/08/22(土) 22:10:50 0
素朴に考えて、「語りえぬもの」とは「語るだけの知識を持っていないもの」ではないかと思います。

例えば、サッカーについて語るとき、
サッカーの基本的なルールを知らなかったり、
サッカーの試合を一回も観た事がない人がサッカーについて語る事は出来ません。

哲学についてはほとんど知識がありませんが、みなさんどう思いますか?

84 :考える名無しさん:2009/08/22(土) 22:28:38 0
>>83

(語りえぬものには沈黙しなければならないとは)

「形而上学、倫理学、認識論に属するあらゆる言明は、検証不可能であり、無意味である。」

このカルナップの解釈でいいかと。

85 :考える名無しさん:2009/08/22(土) 23:48:18 0
いいわけねーだろバカ


86 :考える名無しさん:2009/08/22(土) 23:55:25 0
いやカルナップの解釈でいいよ。
>>83の解釈だと自分の世界が世界の限界であることを認めながら、
自分の世界の外部に対して沈黙するしかないと自分の世界を超えた世界の存在を認めてしまっていることになる。

87 :考える名無しさん:2009/08/23(日) 00:11:01 0
>>81
なるほどローティーか。
でもまあウィトのアンチ・プラトニズムがヘーゲルの影響じゃないことは間違いないだろうね。


88 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/23(日) 00:24:34 0
>>83
とりあえず読もう。

>>84
そうですね。

「6・53 語りうること以外は何も語らぬこと。・・・そして誰か形而上学的なことを
語ろうとするひとがいれば、あたなはその命題のこれこれの記号に
いかなる意味も与えていないと指摘する。これが、本来の正しい哲学の
方法にほかならない。この方法はそのひとを満足させないだろう。
しかしこれこそが、唯一厳格に正しい方法なのである。

7 語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」

89 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/23(日) 00:25:51 0
ここでローティーを持ち出す?普通じゃないな。

90 :考える名無しさん:2009/08/23(日) 00:27:08 0
ローティは正しいウィトの理解者だろう。

91 :考える名無しさん:2009/08/23(日) 00:27:23 O
俺も>84かな>83だと神を語り得ないのは知識が足りないからということになる 知識が増えることで神までたどりつけるとはちょっと思えないかな
それにやっぱり検証できないことは大きい

92 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/23(日) 00:50:07 0
>>90
どの当たりが???

93 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/23(日) 01:01:36 0
ローティは個人的にヘーゲル好きで、観念論よりも歴史主義を評価する。
確かに歴史を導入すること経験論的な部分があるが、
基本的には特殊な読みだろう。

ローティはあくまでプラグマティズムであって、そのためにウィトを重視するが、
ウィトはプラグマティズムではなく、必ずしも正しいウィトの理解者とまでは
いえないだろう。

ようするにこの流れで、ローティを持ち出すのはアクロバティックすぎる。

94 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/23(日) 01:12:50 0
>>79>>81
レス読むとここにローティー信者が介入して
変なことになってるな。
「偶然性・アイロニー・連帯」の哲学史分析を鵜呑みにしたな。


95 :考える名無しさん:2009/08/23(日) 03:08:33 0
>>93
ガイスト推しのヘーゲルは観念論者じゃないのか

96 :考える名無しさん:2009/08/23(日) 03:49:06 0
オマエら、他人の頭で考えるのが好きだね?

97 :考える名無しさん:2009/08/23(日) 09:51:19 0
形而上学=数学(=集合論)だろう。
論考は、集合論を語っているのだが。

98 :考える名無しさん:2009/08/23(日) 09:53:59 0
論考は、形而上学なのだが。

99 :考える名無しさん:2009/08/23(日) 11:45:25 0
大雑把すぐる。正答率25%。

100 :考える名無しさん:2009/08/23(日) 12:05:18 0
>>98
同意。
カルナップ解釈はおかしい。

101 :考える名無しさん:2009/08/23(日) 12:36:11 0
ウィトは「哲学は生活世界を考慮すべきだ」とハイデガーと同じように主張したのだから
ウィトの述べる形而上学はハイデガー同様に「生活世界と無関係なお喋り」だと解釈すべき。
>>84はおおよそ正しい、しかし、論理実証主義も無意味な言明に含まれる。

102 :考える名無しさん:2009/08/23(日) 15:11:42 0
>>84
> 「形而上学、倫理学、認識論に属するあらゆる言明は、検証不可能であり、無意味である。」

論考も、検証不可能なんだが。



103 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/23(日) 15:33:39 0
>>102
ん〜ネタか、馬鹿すぎかわからんな。
どこに立って話をしているだか・・・
そのときのウィトの意味を理解するんだから
そのときのウィトの立場(主張)にたってだろう。

なもの、後期に立てばウィトだって考え方かわるんだから。
しっかりしてくれよ。

104 :考える名無しさん:2009/08/23(日) 15:41:23 0
論考が集合論を語ってるってのは、分からんなあ。
論理学的に見れば、ラッセルの論理学から集合論を取り除いた残りじゃねえの?

105 :考える名無しさん:2009/08/23(日) 16:58:16 0
>>103
博識の方みたいなので教えてください。

「論考は実験検証可能か?」です。私の答えは「No」です。

よろしくお願いします。

106 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/23(日) 17:00:16 0
>>105
意味論がないのに、実験検証とか考えることがナンセンス。

107 :考える名無しさん:2009/08/23(日) 18:02:25 0
思想厨,絶対真理厨,相対主義厨,横綱の品格厨,相撲道厨,
南京虐殺ナカッタ厨,アインシュタインマチガットル厨,ポモ厨,ソカ厨,
ソカ事件無意味厨,セコ厨,添え厨

これらはほとんど同類である。

哲学をはじめとするまともな学問に対するル・サンチマン(=知的ルサンチマン)で通底している。



108 :考える名無しさん:2009/08/23(日) 21:27:14 0
>>102
本人も前置きしているだろ
「私を理解するひとは、私の命題をよじ登り−−その上に立ち−−それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。」

109 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 01:48:50 O
要するにウィトは意義あることは何も言ってない。


て言うとおそらく違うと感じるわけでしょ。


110 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 09:15:55 0
>>106
ご教授ありがとうございました。

だとしたら、論考は形而上学です。
ということは、論考の趣旨は、

「・・・・といろいろ書いてしまったが、
全部、ヨタ話(形而上学)で、書くべきでないことを書いてしまった。
最後に、自戒の意味を込めて、
『語りえぬものについては、沈黙せねばならない』
と書いておこう」

でいいのですか?


111 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/24(月) 09:27:48 0
>>110
どうもかなりの馬鹿のようですね。
いきなり難しいことを考えるのはやめましょう。
馬鹿ががんばっても馬鹿ですよ。

なら哲学がすべて形而上学ですね。
カント当たりからお勉強を・・・

112 :満豚:2009/08/24(月) 10:27:46 O
 一つ提案があるんですけど、ウィトゲンシュタイン自身『論考』での過ちを認めて、
中期、後期と進んでいくのですから、そろそろ、ここでの議論も『論考』から進みませんか?
 波平くん宜しくお願いします。

113 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 10:34:49 0
なんで文脈を仕切りたがるの?
そんなに中・後期が気になるなら別スレとかマイホとかミ糞とか
いろいろあるからそれなりに勝手にやればいいだけでしょ。

114 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/24(月) 11:14:17 0
>>112
ご氏名いただきました。
ではこれからこのスレはボクの絶対的権力の上に
運営します。なにものもボクのいうことを絶対としてください。
「ウィトゲンシュタインは神です。」ではみなんさんご唱和願います!

115 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 11:15:11 O
俺もこの論理実証主義っぽい流れなんて誰も望んでないと信じたいね。

116 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 11:16:13 0
pikarrが初めて賢いと思えた流れ

117 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 11:17:09 0
>>110
賛成だね。
「哲学とは言葉の遊び」が一般人の感想で、
哲学はこれを覆す説得力がない
という現実を直視すれば、君のような解釈もあるだるね。
「遊び」に熱中している連中は、現実を直視できないのだよ。

118 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 11:29:21 0
ウィトのいう形而上学は「起こっていること(事実)」を語ろうとすること。
後に「20世紀の哲学の総決算」を行なったローティとか読んだほうがウィトゲンシュタインを理解しやすいだろう。

119 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/24(月) 11:29:38 0
後期に習えば結局、哲学いう「言語ゲーム」ということになるんだろうけど、
そうすると、ウィトがいう形而上学(>>88)というのは>>110のような
糞味噌ではなく、カントの超越論的哲学、あと論理学の系譜を
ベースにするということだろうね。

120 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/24(月) 11:30:56 0
>>118
でた、ローティ坊!

121 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/24(月) 11:33:43 0
>>118
自然の鏡?
マニアックなローティのウィト解釈を知っている人はまずいないと思うが、
解説をどうぞ。

122 :満豚:2009/08/24(月) 12:34:23 O
 例えば、ある問題を提出して、それをウィトゲンシュタイン的な観点から解消するというのはどうだろうか?
その方がウィトゲンシュタインの哲学をどこまで解釈できているかなのどの、意見などが交わされ、より建設的な議論ができる気がするんだけどな。
それになりよりも無駄を省ける。
 例えば「決定論」なんてどうだろうか?まぁ、皆が気に食わないならいいけどね。 波平くん宜しくお願いしますね。

123 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 12:42:02 0
>>116
こんな陳腐なアホアホ展開で、賢いと思えるって、
それはなにかヘンな才能かなにかなんだろうかw

まるで理解できない。。。

124 :満豚:2009/08/24(月) 12:42:52 O
 あとね、今の時代から『論考』だけを取り上げて、ウィトゲンシュタインを過小評価する輩を見ると吐き気がするんだよね。サッカー云々の例えでウィトゲンシュタインの評価をしてた奴なんて、愚の骨頂だな。
 という訳なんだ。(僕にレスした誰かさんへ。)

125 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 12:44:12 0
やばい、なんかあぶねーぞココw





逃げよw

126 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 12:45:40 O
ウィトが「規則に従っている」って言う時、その規則に従ったり従わなかったりできるものでは無いと考えている。




127 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 12:53:15 O
>>126
文がおかしいので修正するわ。

従ったり従わなかったりを選ぶことができないと考えている。

128 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 13:02:33 0
話にならないな
勉強してから出直せ厨房

129 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/24(月) 13:03:20 0
>>124
満腹、落ち着け。ウィト様を見習え。
一番の教えはなにだ。根気よくだ。

>>126
>ウィトが「規則に従っている」って言う時、その規則に従ったり従わなかったりできるものでは無いと考えている。

これはよい疑問ですぞ。
ここからフロイトの無意識、ポランニーの暗黙知という流れができるが
いかに

130 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/24(月) 13:22:38 0
>ウィトが「規則に従っている」って言う時、その規則に従ったり従わなかったりできるものでは無いと考えている。

これはほんとすばらしい疑問ですぞ。
たとえばお笑いとは、「規則に従う」ことに従わないことから生まれるのではないか、とか。

131 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 14:19:47 0
カントの超越論的哲学を
ウィトは認めていないぞ。

132 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/24(月) 15:51:27 0
カントを認める言語論者はいないと思われ・・・

133 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 16:18:38 0
>>130
そそ、お笑いは日常的表現の規則性を逆手にとることが多いよね。
ダジャレの音一致、意味不一致とか、回文の規則性ガチガチの意味不明文とか。
「横断歩道みんなで渡ればこわくない」のルール違反の別ルールからみた号則性とか。

134 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 16:19:33 0
号則=>合則

135 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/24(月) 16:33:00 0
ふふふふ、のってきましたな。
ではもう一つギアを上げますかな。

>ウィトが「規則に従っている」って言う時、その規則に従ったり従わなかったりできるものでは無いと考えている。

そもそもこの文は複雑なのです。なぜなら
「規則に従う」は、規則に従ったあとにしか従ったか、従っていないか、わからないのです。
「石版!」といい、石版をもっていき、建築が進むという事後によって、わかるのです。

しかし語用論では、あたかも最初にコンテクスト(状況)があり、
その空気を読んで対応できたかと、考えます。
お笑いも、先に日常的表現の規則性というコンテクストがあって、
それを裏切ることで、笑いがおこると考えられます。
最初に共有された日常的表現なんてものはないだろう、というのが言語ゲームなのです。
でもなければお笑いなんか起こらないだろうと、若林ならはつっこむでしょ。
むずかしいですか、ここがまさに臨界点なのです。

136 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 17:06:14 0
まぁ、君のように生き恥晒すまでしなくとも、金取れるヤツ等は
技術で稼げるからなぁ。

ん。
経て読みしただけなんだけどね











137 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 17:07:32 0
それは、理解のしすぎじゃないのかな。
コーラスラインとかレミゼとか、舞台では毎回同じ台詞が聞けるし。
バッハの楽曲の演奏では楽譜に「忠実」であることが尊しとされてる。
野球は審判の「プレーボール」ではじまり「ゲームセット」宣言で終了する。

意識的にルールに従ってなされる言語行為とそれに類したことがらって
たくさんあるよ。

138 :阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/24(月) 17:15:57 0
ウィトゲンシュタインからフロイトへ―哲学・神話・疑似科学

139 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 17:24:33 0




















ゲップ

140 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/24(月) 17:40:09 0
>>137
ふふふふふ、ウィトの恐ろしさが少し筒づつわかってきたようだね。
コーラスラインだろうが、バッハの楽曲の演奏だろうが、
野球だろうが、そこで規則(ルール)が共有されているなどということは、
原理的に言えないのだよ。なのに現にゲームは多くにおいて
君が言うように成立している。なぜか。
それがウィト(クリプキ)の必殺「規則のパラドクス」だ。
数学だろうか、事前に共有された規則なんかないんだよ。
怖いだろう。怪談だよ・・・


141 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 17:44:47 0
>>140
残念ながら、貴方は杜玖椀というものを全くわかっていないようですねw

142 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 17:47:31 0
確かに201節は面白いよね。
ルールに関する理解も人によって差違が生じるにも
関わらず、みな規則に従ってる。と言い張ることができる。

そういう意味で、君は君の解釈を開陳できるわけだし、
オレはオレの。別人は別人の解釈を開陳できる。

それって、別段怪談でもなんでもなくて、普通のことじゃないの?

143 :阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/24(月) 17:53:01 0
規則は乗り越えられない挫折から発生する。
人はただそれに従うのみである。

144 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 17:55:05 0
>>141
わは、なつかしいネタですね。その昔は杜玖椀じゃなくてトロアグラだっか
なんか、難しい漢字5字くらいのやつ。いまだに使えてるんだ。w

145 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 17:55:37 0
最近の阿修羅は前向きだから好感が持てる。ぴかぁの需要は純一にしかなさそう。

146 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 17:55:45 O
>>たとえばお笑いとは、「規則に従う」ことに従わないことから生まれるのではないか、とか。


芸人が予想を裏切るような行為も、それを掘り下げると結局、「当の規則に従った」としか言えない壁に当たってしまう。

この時に「当の規則」に従わないというのは介入できない。

ここで想定される規則というものの源泉は無意識や暗黙知というものになるとするとき、


無意識や暗黙知がどのようなものかを推論しようとすると、「行為の後」にしかそれは推論できないという事態になってしまう。


従ってこの時、無意識は無意識としか言ってはいけない。

しかしここでは無意識は無意識としてあるわけですよ。

147 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 18:00:03 0
そんなに「お笑い」を難しくしちゃったら吉本興業の偏差値って70超えちゃうじゃん。
かの桂枝雀師匠は笑いは「緊張の持続を外した緩和から生じる」みたいな現象論
で奥義を説かれていましたがね。方法論的にはそういう分析もある。みたいな。

148 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 18:07:23 0
>>144
もしかして「堵愚慧螺」(堵愚慧螺簸轡の略)のことでしょうか?
もうしそうでしたら、「杜玖椀」の方が歴史は古いということになります。
あなたがそれをご存じないということは、自ずと哲学に対する理解の浅薄さを露呈している・・・ということになります。


149 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 18:11:37 0
ふーん。そうなんだ。
ところで、由来とか歴史とかにどれくらいの違いがあるの?

横道にそれるけど、ご教授をお願いしますです。



150 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 18:14:02 0
哲学は杜玖椀・・・その一言で言い換えられるほどです。
現代思想の基礎中の基礎と申せましょう。

151 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 18:19:01 0
そういうことは、たぶん、みんな知ってると思うけどなあ。
ご教授いただきたいのは、その語用論的由来と歴史なのですが。

152 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/24(月) 21:06:54 0
>>146
>無意識や暗黙知がどのようなものかを推論しようとすると、「行為の後」にしかそれは推論できないという事態になってしまう。

でもこれでは笑いは起こらないし、創造も生まれない。
ここがウィトの臨界だ。考えろ!

153 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 23:18:15 O
>>152いやだから俺が笑う理由を掘り下げると最終的に「当の規則に従った」に行き当たるしかないわけですよ。


間をはずされ、期待をはずされたから、何故面白いの?


ここからウィトから少し離れるけど、思うのは規則は反復によって下手にでも措定が可能だと思ってて、

ただしその規則が言語となった時には実は「当の規則」としての働きをもっていなくて、正確には「当の規則」によりその規則は言語化された。


同じコントや漫才が2回目がつまらないのは確かにその規則を知ってしまったからなんだけど、なんでその規則を措定したか?なんで面白くないか?

これに関しては「当の規則に従った」としか言えない。

154 :考える名無しさん:2009/08/24(月) 23:43:42 0
「シマウマ・コンビ」
「ラルク」
「比ヤング」
「夫馬」
「オランウータンビーツ」
「テラキモんだ」
「スナインコッコスマナラコッサーラ長老」
「プシュカプシュワカ♪」
「インスコログラマー」
「ダープインコー」
「ル・ンマンマン」
「意思のオブクソップティ」
「ウンチラッチョリーナ枢機卿」
「変隊教祖堀井」
「フワークの様な、テノバンミックンク」
「ウンタン」
「オマイッチョオマンジャ外部問題」
「 ダラダラハゼ〜ってプーチャカピー 」
「スゴウラクトューゴィッチマランドラスラ・ドロッチームラー・ウンチラッチョリーナッチョリラワラッチンコンマンコスペルマータ・テラスチョラッチョンピン・チッチョラリンクリンコラスッテラャンワンピャララー」
「ひしい」

こういう内輪でしか通用しないジャーゴンを使う奴、痛い。



155 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 00:09:29 0
>>153
>間をはずされ、期待をはずされたから、何故面白いの?

これは、よく言われることだ。
この状況(コンテクスト)で〜のように振る舞うはずと思われていたものが、
裏切られると、空気が破れて、緊張がはしる。
そして次に、それがたいしたことがときに、緊張が緩和される。
この回復の時に「笑み」が生まれる。
この「笑み」は一人というよりも、みなで安心を共有しあう。
「大丈夫だよね。みんなまだ空気を共有しているよね。良かった。」

漫才のボケとツッコミは、狂気のボケが空気を破り、常識人のツッコミが
空気を正常化する合図を与える、ということだ。で、みなが笑う=安心する。

>これに関しては「当の規則に従った」としか言えない。

「規則に従う」ということの一つの例として、ウィトは訓練、習慣と言ってるわけだ。
いわば、体が覚えているから、と言うわけだ。
この笑いの共有性を考えるときに、訓練、習慣だけでは説明つかいない。
ようするに、みなが空気(コンテクスト)共有しているだろうという信頼があるのではないか。
ここで、訓練、習慣=経験論から、信頼=超越論へ転倒している。
ここが臨界というわけだ。ちょっとむずかしいかな。





156 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 00:33:30 0
信頼がなぜ超越論的か。まさにウィトの共同性は事後的にしかない。
あるだろうことで作動しているからだ。

157 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 01:56:19 O
体が覚えている。体が命令する。って言ってるのは体と無意識を似たような意味で使っていると考えてしまうけど

体がどのように覚えているか。っていうのはやっぱり事後的推論するか、或いは過去を思いだして俺にはこんなクセがあるかもな〜。ていうことができるとするのか、まあ良く分からないけど。


同じ漫才やコントが2回目がつまらないのは、あるタイミングである言葉を発する時笑ったっていう一回目の「規則」が二回目では変わっているはずなのを示すわけで。


違う例を出すと、最近のお笑いでは、期待をはずすことをはずすといったレベルのものがある。


これらを説明するのに体が覚えていくままに変わっていってる。て言うならそう言えなくもない。

ただしこの時、>>この状況〜の時に「笑み」が生まれる…ていう推論は過去の体を対象にした事後的なもので「〜だから笑う 」というものを説明をできるかというと反復としての弱い推論。なぜなら体は変わるから。


訓練(で身に付いたもの?)、習慣ってのは現行的に変わるものでは無く、体にしみついて変わらないものだ〜従って事前に語れると言うなら二回目つまらない論とつじつまは合わない。

158 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 02:31:56 0
では、語用論の発展系。ベイトソンの学習論

素人が、突然「石版!」と言われてもなんのこともわからないだろう。
「石版!」と言われて、石版を持っていくとき、

学習T(オブジェクトレベル)・・・何度もくり返すことで体で覚える。(習慣、経験)

学習U(メタレベル)・・・全体を俯瞰して状況(コンテクスト)を理解し、石版を渡す。

学習V(メタメタレベル)・・・全体を俯瞰して状況(コンテクスト)を理解し操作する。石版に
代わりに石谷さんを連れて行くというギャグをかます。

笑いは学習Vと言われる。期待をはずすことをはずすといったレベルも、
メタメタレベルだ。

しかし当然、ウィトはメタレベルを認めない。事後的にしかコンテクストはないからだ。

159 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 02:44:59 0
波へいさんが何度も同じこと書いてるのはオブジェクトレベルの学習なんですか?

160 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 09:49:09 0
学習4です。

161 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 10:56:55 0
写像とは、「集合から集合へ」のはずなんだが、
ウィトの写像は、意味不明だな。
ウィトは論理も数学もわかっていなかったんだな。
元工学者だよ。

162 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/25(火) 11:14:14 0
博学な方だと思ったので第三の波平さんに質問させていただけますか。宗教的態度と、哲学的態度の本質の相似点
と相違点を簡単にまとめるとどんな風になるでしょうか。言語観の違いと、世界観の違いなどの周辺を私などは
考えているのですが。

163 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 11:38:44 O
すごくむずかしい質問ですね。一般的には宗教は信用、哲学は懐疑、また宗教は超越的、哲学は超越論的といわれます。
たとえば宗教の基本は反復です。意味のわからない念仏を繰り返し、祈りの動作を繰り返す。
これってすごく言語ゲームなんです。宗教の教え=規則を理解すること以上に訓練し習慣化させる。これによって言語ゲームに深く引き込まれる。
教えの理解は重要ではなく習慣の先に悟る。
これに対して哲学はたえずみずからをみずからの言語ゲームのメタ位置にたとうとする運動といえるかもしれません。
しかしウィト的にいえばほんとにメタ位置は存在するのか、ということでしょう。なんらかの言語ゲームに帰属しないとコミュニケーションそのものが不可能で、それは習慣として深く刻まれている。

164 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 11:48:31 0
大切な言葉を頭の中で何度も繰り返して忘れないようにする作業は
オブジェクトレベルの学習ではないのですか?
認知と行為の決定的な違いが頭の悪い僕にはよくわかりませんでした・・・

165 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/25(火) 11:50:34 0
お答えいただき、ありがとうございます。わたしなどには全く知らないことで、大変勉強になりました。超越的
と超越論的の違いですね。私の考えていたのは、言語を作り上げるのは人間の経験である、それを超越した
宗教的言辞は、ある種シュールレアリズム的な言語を紡ぎ上げるのではないか、お経などはその最たるもので
……。というようなこと、そして、哲学は経験の上に成り立ち、それを超えた観点をえようとするから、その言葉は、
コミュニケーションを志向する、と言うようなことです。

166 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 11:57:41 O
おきょうやじゅもんの重要なところはリズムですね。ある種の音楽。
音楽は運動性で、言語理解と異なる経路で体にしみ込み、刻まれる。
反復することで訓練されます。軍隊でも訓練にはリズムが重要です。

167 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 12:03:54 O
言語ゲームに理解にはリズムが決定的に重要です。言語ゲームにはかならずリズムがともなうといっていい。
「石板♪」「はいよ♪」というリズムをつかむことが「規則に従う」ことです。

168 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/25(火) 12:13:10 0
一般的に言われる経験などという言葉を考えると、新しいことを覚えていくことが経験だ、と言うような認識を
持ってしまいますが、それと相反するような、リズムの繰り返しによって経験が実になっていく、という、経験における
認識と実際のギャップを考えて、驚いてしまいました。どういう経験が良い経験なのか、と言うことを、考えたのは
スピノザとかでしょうか(知性改善論)。

169 :阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/25(火) 12:15:08 0
今日も荒らしにきたぞ。

170 :阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/25(火) 12:16:22 0
ラップというのはつまりはローギアで全力で走ることで紡がれるリズム感だよね。

ギアがハイで走るとなると同族を置いてけぼりにしてしまう。
けれど、レベルアップしていかないと黒人の社会的立場が向上しない。

そういう事情からローギアで全快で吹かすようなリズムが芽吹いてきた、と。

日本人でもネイティブなラップ表現ができている訳で
これはこれで良いことだと思う。

ただ、日本の場合『これはラップなんだ』という切り口からじゃないと
評価を高めていくことが出来ないんだよね。そこが大きな問題な訳で。

171 :阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/25(火) 12:17:35 0
一番打者に俊足、強打、高出塁率の選手を置いて
二番打者に最も巧打力のある選手 三番に最強打者
四番にハイアベレージヒッター 五番に勝負強いホームランバッター
六番に最も平凡なバッター 七番に穴の多いホームランバッター 八番にスタメン中最弱打者

を置くのが宜しいと思われる。

鈴木は一番打者としては、強打に欠けており
清水は二番打者として完全に合格◎

由伸は三番打者としては、打率も長打力も勝負強さも足りない
ちなみに、最強打者というのは、ボンズや松井、松中の様に毎年のように
三冠王を期待される球界を代表する打者のこと。

小久保は四番打者としてアベレージに欠けすぎている。
が、チームの中心を担える人格者の役割を演じられるので 読売巨人軍の歴史性を考えて四番が適任。

阿部は五番バッターとして完全に合格◎ 二岡は六番打者としては合格◎
ただ、現在のジャイアンツの中においては六番打たせるのが勿体無いという
感じが否めない。でも、本当に強いチームの中なら六番打者が適任。

矢野は七番打者としては? ジャイアンツの若手の中で最も将来性を期待できるバッターなので
このポジションで育ってもらうみたいな。

172 :阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/25(火) 12:18:56 0
村田は八番打者として適任。

上述したような並びの場合、何が良いかと言えば 仮に一、二番打者が凡退したとしても
三番打者は歩かされるケースが増え、三者凡退で初回の攻撃が終わるという ケースが少なくなる。

一番打者が出塁した場合、二番の巧打者は一番打者の盗塁を補助したり
アウトになるとしても最低限でも進塁打を打ち、ゲッツーを避けることができ
ランナーを置いた状態で最強打者に回すことができることになる。

1アウトランナー2塁というケースで最強打者が簡単に歩かされないように
最強打者の後ろにはハイアベレージヒッターを置くのが良い。
小久保のように低アベレージのホームランバッターが最強打者の後ろに居た場合
歩かされるというケースが増える。

…という感じで初回の攻撃を簡単に終わらせないという考えに立って
様々なケースを想定してみると、上述の並びが最も良いという結論に至る。

例えば、とにかく一点で良いから先制したい、0点だけは避けたいという思想に立つなら
最強打者を一番に置けば良いし、ホームランバッターをずらりと並べればオーケーということになる。

ホームランバッターを並べるというのは、実は非常に投手力の高いチームで有効になりうる戦略であって
弱投のチームにおいては9回までのゲームプランの中で相手の先発投手に如何にして
プレッシャーを与えていくかがシーズンを戦っていく上で重要であり
スタメン野手8人の能力格差をどう利用すれば最も相手のリズムを崩せるのかを模索していく
必要性がある。

イチローの在籍するマリーンズでは イチローに三番を打たせるという構想があるらしいが
これは全く理に適った話だったりする。

173 :阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/25(火) 12:19:52 0
と、いうのも、2アウトランナー無しで三番打者が歩かされるというのは
そのバッターに打たれた場合に「なにやってるんだっ!」と周囲が憤りを感じるからであり
イチローは最強打者ではないが、ヒットに纏わる数々の記録保持者なので
歩かされる三番として合格しているからである。

計算上では、最強打者を二番におくことで もっとも得点の可能性が向上するそうだが
その場合、最強打者が初回にランナーを二人置いて バッターボックスに入る可能性が0になり
一方で、三番の場合、一、二番の出塁率の平均が四割だとして計算すると
平均16%の可能性でランナー二人を置いてバッターボックスに入れるということになる。

最強打者が三冠王を目指す上で、二番打者だと打点が減少しすぎ
フォアボールも増えすぎるので、最強打者が最強打者としての成績を残せないという 結果を招きかねない。

ペナントレースやシリーズで同率最終決戦となり相手が先発完投型のエースピッチャーを
投入してくるようなケースに限って最強打者を二番に据えるというのが
現実的に想定し得る選択だと思われる。

174 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/25(火) 12:31:08 0
>>170-173
ラップというのがリズムの新しい形で、その歴史的由来の理由付けまで考えられるとは、まともに考えても、
すごいじゃないですか!ラップに詳しくないので、あまり言及できませんが。

野球は、ゲームが、もの凄く複雑な理論によって左右される例としてあげられていて、これもすごいな!

おそるべし、2ch哲学板の荒らし!

175 :阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/25(火) 12:33:06 0
僕は荒らしの中でもTOPクラスだからね。

176 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/25(火) 12:49:50 0
言語ゲームというと、経験によるルールの獲得と考えてしまいますが、実際には、言葉を出すときには「勇気」が
必要であり、個人レベルの鍛錬も必要になると思います。それを助けるのがリズムであり、音楽等の
大衆的カルチャーであると言えないでしょうか。

177 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 13:21:12 0
いやリズムはもっと根源的です。ようするに理解もまた行為、運動ということです。
状況との関係、使い方(りズム)がないと、純粋な理解そのものはない。
ということがウィトのいっていることですね。


178 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 13:28:46 0
ようするに、認知と行為の違いはない。すべてが行為であるということです。行為でない認
知はない。ただ行為はリズムなので言語で捉えることができない。音楽の楽しさを言葉で
語ることはできないですね。普通、認知といえば言語認知と錯覚するので、リズムがこぼれ
落ちる。言語ゲームは従来の言語論においてこぼれ落ちたリズムも取り込むんで思考で
す。だから「言語ゲーム」とはなんだ・・・と躓き続けるのです。

179 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/25(火) 13:54:41 0
>>178
自分のために、自分の中で処理された認知と、他者に向けて働きかける、あるいは自分に向けて何事かを変革する
ための、行為、という、態度による分類の違いはないでしょうか。そのこころは、脳の働きにおける違いによる分類、(
従って両者の自己による認識における違いがある)、また、時間の認識による、ヘーゲル的アウフヘーベンの考え
を実現するために、両者を区別する、ということ、全てを行為ととらえることによる、自己と他者の区別における
曖昧さの発生等の不都合などをあげてみましたが……。

180 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/25(火) 14:07:15 0
また、話しがあちこちして済みませんが、精神というものの自由は認知と行為の違いによって担保される
ものではないでしょうか。全てが行為であるという言葉通りの意味をとらえてしまえば、思考も行為であり、
休息も行為であり、無意識も行為であり、と、そこまでおっしゃっているかは分かりませんが、全てがゲーム
に参加している行為であるというのは、思考という個人の脳の活動を恣意的に解釈して、文化の生まれる
最小単位を間違ってしまう危険性が有ると思います。

181 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 14:55:26 0

                                / ̄ ̄ ̄ヽ、
                               ..| 」」」」」」」」」)
                               |(6ーB-B.|   _____
               / ̄ ̄ ̄\  ____  |::::|ヽ  .」 イ ノ´      ヽ
    / ̄ ̄ ̄ ̄\ ( (((((((^))))))´      `ヽ.ヽ|  .(=)/ (#  ノノノノノノノノ
   (  人____)..|ミ/ _=_| ノノノノノメノ十ノノ/\;;;;;;;;;/\(  ノー◎-◎|
   ..|ミ/  ー◎-◎-)(6ー[¬]-[¬] ノ ー□-□-|リ       (彡彡)   つ`|
   (6     (_ _) ).|    、」 |\ゝ ∴)`_´(∴)ゝ 名無し  彡彡彡)  ∀ノ
  _|/ ∴ ノ  3 ノノ\  (ー)/ ...|ゝ、___.イゝ   ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄).` ̄´ヽ、
 (__/\_____ノ   ..\__/ |_|       )   .| ノ三三三三)H×H ))
 / (__‖     ||)ノ| びと |   | Absalom .||三三ミ|.(6-⊂⊃⊂⊃    //
[]__ | | 第三波平ヽ |       .| |       ||::::<彡| |.   ・・ (    .|..|
|]  | |______).|三|□|三三(_)____|_):::::::::ノ彡ゝ.. (д)ノ、 ̄ ̄(__)
 \_.(__)三三三[国])..|:::::::::::::::::::::/  \::::::Y::::/\::::::| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|、\\
  /(_)\::::::::::::::::::::| |:::::::|:::::::::| ̄ ̄ ̄ ̄|::::::| ̄ ̄ ̄|E) 阿修羅無限大 (ヨ)「 ̄
 |Sofmap..|:::::::::/:::::/ .|:::::::|:::::::|さくらや |:::::|.アニメイト.|::|________|´|...|
 ..|____|::::::/:::::/  |:::::::|:::::::|..     | ̄|    ..|:::/___.へへ__\||||||||
     (___[)__[) (__(___|_____|_|___|(___(_|_)__)_))


182 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/25(火) 15:52:06 0
>>181
なんで全員メガネかけてるんだよ!

183 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 16:20:07 O
前ウィトに至る言語論の帰結は言語(認識)の範囲が世界である、ということだったとおもいます。
ここウィトは認識の終焉を宣言します。この世界がなにかといえばいわば哲学が世界としてきた世界の在り方です。
後期ウィトは哲学世界をこえたリズムを基本とする日常世界を発見するのです。

184 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/25(火) 16:33:37 0
>>183
言語(認識)のみを世界とする、というのは極端なんじゃないかなあ。普通に目で見た映像世界が素朴に考えても
有るわけだし。デカルト以来の(だっけ)、個人主義世界観を確かなものと見ずに、共有できるものだけが世界である
という、コンテクストにおいてはそういえる。しかし、哲学はそんなに極端な世界観だ、とは思いたくないけどね。

185 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 16:37:01 O
このリズムはとらえがたく、しかし必ずあることはたとえば言語行為論からかんがえると、コンスタティブに対するパフォーマティブということになるでしょ。
しかしデリダが批判したことはなんでしょうか。簡単に言えばコンスタティブ、パフォーマティブなんて区別はできないということです。
「ニンジン」と発話した時点で必ずパフォーマティブが作動しています。すなわち状況として切り離せない。
これでリズムをすべて表現したわけではありませんが、りズムはとらえがたく、しかし必ずあることはわかると思います。

186 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/25(火) 16:55:19 0
>>185
リズムに満ちた人間の世界、と言うことで良いのでしょうか。リズムがとらえがたい、ということで、単純な
個人的理解の行き渡った世界ではない、ということですよね。リズムがリズムを生み出すような、動的
世界観だろうか。

187 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 17:01:24 O
言語論が人は言語として世界をみて、言語として考える、というとき、そこには必ずリズムがある。
リズムは体がおぼえた習慣であり、そのようにきざんじしまう。
そしてリズムは他者と共鳴して共同体内を伝達されていく。それが言語ゲームです。
先の話にもどれば宗教のお経も共鳴伝達装置です。学習の基本が繰り返しにあるのもそのためです。
考えてはいけない。ただ黙々と繰り返せば、さすれば道はひらかれん。

188 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 17:06:18 0

120 :「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2008/04/24(木) 02:00:54 0
>>117
サルトル、カミュ、ボーボリアール等暗鬱な実存主義の雰囲気を出している
色々な小説のなかでは良い方だと思います。あとはサルトル『嘔吐』
サガン『冷たい水の中の理諫な太陽』とかですか。サルトル『自由への道』は
タイトルが格好いいだけの駄作です。

 私は唯物論者ですので彼ら観念論小説家の優れた面は認めつつ、その思考過程を
批判的に読み解くのに好材料である・・・という意味で推奨しているだけなので、決して
「彼らの観念論が真理なので読みなさい」と申し上げているわけではないことは
お断り申し上げておかねばなりませんが・・・。




189 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 17:15:01 O
リズムという例えでいいたいことは、規則性があるが言語のように理解することがてぎず、体ておぼえるしかない、ということです。
言語ゲームの基本はリズムであるということ

190 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/25(火) 17:22:50 0
言語のみが(人間的)世界ではない、身体も重要である(三浦雅士のいうように)、言語ゲームというのは
言語のみによって成り立つものではない、ということですね。

191 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 17:54:15 O
おそらく昔はみな地域的な独自のリズムをもっていたんでしょうね。
それが近代化の中で標準化されている。それはひとえに社会の効率の重視です。
大量生産大量消費では画一化したリズムが重要になります。これをフーコーは規律訓練権力と呼んだわけです。

192 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/25(火) 18:00:12 0
リズムは言語の中に保存されていた、その言語のリズムが上手く継承されていない現代、と言うことでしょうね。

193 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 18:02:22 O
すなわち学校はリズムを標準的に同期させる装置です。国の経済成長にはこれが重要です。
安い労働力があるのに経済発展しない国は労働の質、すなわち近代的なリズムのチューニングされていないからです。
設備を導入しても労働効率があがらない。

先進国はさらにさきにいっています。単に同期することから、みずからリズムを作り出すことが重視されています。
それは当然、まず基本的なチューニングがあってからですが。

194 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 18:08:48 O
すなわちリズムの取り合いがあるのでしょう。現代の基本は市場原理のリズムのです。
ここに哲学や宗教はあいにくい。

195 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 18:15:08 O
市場原理、効率化、合理化のリズム。そのリズムを維持するために環境も整備されています。
建物、交通、通信、流通などはリズムに同期しやすいように配置されています。

196 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 18:25:22 O
ここでやってたんだ。
学校ゴッコw

197 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 18:59:30 0
しかし人はいかなるリズムも身につけられるわけではありません。
そこには生理的なリズムというものもあるでしょう。

現代の効率化という速いリズムは人に高揚感を生み出すでしょう。
しかしまた軋轢も生み出します。その速さ故に疲れる。
リズムに乗れなくなったとき、人は反省的に思考に埋没するのは
自然に環境に馴染むことができず、引きこもり考え続け、
精神を病む。。これもまた現代の悩めるリズムでしょうか。


リズムという表現は一つの比喩ではありますが、
まだ実際の時代の音楽のリズムも関係するでしょう。
音楽は時代のリズムを反映します。
人々が親しむ音楽は近代化によって速くなっています。
1920年代のアメリカ消費社会の到来でジャズが流行りました。
1950年代の戦後景気では8ビートのロックミュージック
そしてその後、16ビート、あるいはフリージャズなど
音楽は激しくなります。
現代のトランスがプリミティブなリズムに近づくのは
面白いことです。原始的な世界の呪術世界の音楽が
現代でポピュラー化する・・・現代は祭りが日常化するということでしょうか。

198 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 19:01:55 0
また先進国は単に同期することから、みずからリズムを作り出すことが重視されています。
これはフリージャズのようです。フリージャズはアドリブでできています。
しかし当然、まず基本的なリズムを習得してから可能になるのであって、
また創造的であってもジャズはジャズであることには代わりがない。

199 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 19:18:59 0
そこまで逝くとスレ違いじゃね?
ウィトはベートーベン、ブラームス、ブルックナー好きだが
マーラーは大嫌い。ワグナーは微妙だが虚構性故に△。
モーツァルトやシュトラウスはBGMかなコメントは見あたらない。

200 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 19:26:04 0
まとめましょう

■言語ゲームというリズム

お経のリズム

一般的には宗教は信用、哲学は懐疑、また宗教は超越的、哲学は超越論的といわれま
す。たとえば宗教の基本は反復です。意味のわからない念仏を繰り返し、祈りの動作を繰
り返す。これってすごく「言語ゲーム」なんです。宗教の教え=規則を理解すること以上に
訓練し習慣化させる。これによって言語ゲームに深く引き込まれる。

教えの理解は重要ではなく習慣の先に悟る。これに対して哲学はたえずみずからをみず
からの言語ゲームのメタ位置にたとうとする運動といえるかもしれません。しかしウィト的に
いえばほんとにメタ位置は存在するのか、ということでしょう。なんらかの言語ゲームに帰
属しないとコミュニケーションそのものが不可能で、それは習慣として深く刻まれている。

お経や呪文の重要なところは「リズム」ですね。ある種の音楽。音楽は運動性で、言語理解
と異なる経路で体にしみ込み、刻まれる。反復することで訓練されます。軍隊でも訓練には
リズムが重要です。

201 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 19:26:51 0
言語ゲームのリズム


言語ゲームの理解にはリズムが決定的に重要です。言語ゲームにはかならずリズムがと
もなうといっていい。「石板♪」「はいよ♪」というリズムをつかむことが「規則に従う」ことで
す。リズムは根源的です。ようするに理解もまた行為、運動ということです。状況との関係、
使い方(りズム)がないと、純粋な理解そのものはない。ということがウィトのいっていること
ですね。

ようするに、認知と行為の違いはない。すべてが行為であるということです。行為でない認
知はない。ただ行為はリズムなので言語で捉えることができない。音楽の楽しさを言葉で
語ることはできないですね。普通、認知といえば言語認知と錯覚するので、リズムがこぼれ
落ちる。言語ゲームは従来の言語論においてこぼれ落ちたリズムも取り込むんで思考で
す。だから「言語ゲーム」とはなんだ・・・と躓き続けるのです。

202 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 19:27:38 0
言語行為論とリズム


「言語ゲーム」に影響を受けたのが言語行為論です。言語行為論ではリズムをコンスタティ
ブと対比したパフォーマティブという方法で取り込もうとしました。あるいは社会学ではエス
トロメドジーとして身体動作と伴った発話=トークとして分析します。さらには認知科学では
脳の働きとしてリズムを説明しようと試みます。

前ウィトに至る言語論の帰結は言語(認識)の範囲が世界である、ということだったとおもい
ます。ここウィトは認識の終焉を宣言します。この世界がなにかといえばいわば哲学が世
界としてきた世界の在り方です。後期ウィトは哲学世界をこえたリズムを基本とする日常世
界を発見するのです。

このリズムはとらえがたく、しかし必ずあることはたとえば言語行為論からかんがえると、コ
ンスタティブに対するパフォーマティブということになるでしょ。しかしデリダが批判したこと
はなんでしょうか。簡単に言えばコンスタティブ、パフォーマティブなんて区別はできないと
いうことです。「ニンジン」と発話した時点で必ずパフォーマティブが作動しています。すなわ
ち状況として切り離せない。これでリズムをすべて表現したわけではありませんが、りズム
はとらえがたく、しかし必ずあることはわかると思います。

言語論が人は言語として世界をみて、言語として考える、というとき、そこには必ずリズム
がある。リズムは体がおぼえた習慣であり、そのようにきざんじしまう。そしてリズムは他者
と共鳴して共同体内を伝達されていく。それが言語ゲームです。先の話にもどれば宗教の
お経も共鳴伝達装置です。学習の基本が繰り返しにあるのもそのためです。考えてはいけ
ない。ただ黙々と繰り返せば、さすれば道はひらかれん。

203 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 19:28:24 0
現代という効率化のリズム

リズムという例えでいいたいことは、規則性があるが言語のように理解することがてぎず、
体ておぼえるしかない、ということです。言語ゲームの基本はリズムであるということです。

おそらく昔はみな地域的な独自のリズムをもっていたんでしょうね。それが近代化の中で標
準化されている。それはひとえに社会の効率の重視です。大量生産大量消費では画一化
したリズムが重要になります。これをフーコーは規律訓練権力と呼んだわけです。すなわち
学校はリズムを標準的に同期させる装置です。国の経済成長にはこれが重要です。安い
労働力があるのに経済発展しない国は労働の質、すなわち近代的なリズムのチューニン
グされていないからです。設備を導入しても労働効率があがらない。

リズムの取り合いがあるのでしょう。現代の基本は市場原理のリズムのです。ここに哲学
や宗教はあいにくい。市場原理、効率化、合理化のリズム。そのリズムを維持するために
環境も整備されています。建物、交通、通信、流通などはリズムに同期しやすいように配置
されています。

しかし人はいかなるリズムも身につけられるわけではありません。そこには生理的なリズム
というものもあるでしょう。現代の効率化という速いリズムは人に高揚感を生み出すでしょ
う。しかしまた軋轢も生み出します。その速さ故に疲れる。リズムに乗れなくなったとき、人
は反省的に思考に埋没するのは自然に環境に馴染むことができず、引きこもり考え続け、
精神を病む。。これもまた現代の悩めるリズムでしょうか。

204 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 19:29:11 0
時代とリズム

リズムという表現は一つの比喩ではありますが、まだ実際の時代の音楽のリズムも関係す
るでしょう。音楽は時代のリズムを反映します。人々が親しむ音楽は近代化によって速く
なっています。1920年代のアメリカ消費社会の到来でジャズが流行りました。1950年代
の戦後景気では8ビートのロックミュージック、そしてその後、16ビート、あるいはフリー
ジャズなど音楽は激しくなります。現代のトランスがプリミティブなリズムに近づくのは面白
いことです。原始的な世界の呪術世界の音楽が現代でポピュラー化する・・・現代は祭りが
日常化するということでしょうか。

また先進国は単に同期することから、みずからリズムを作り出すことが重視されています。
これはフリージャズのようです。フリージャズはアドリブでできています。しかし当然、まず基
本的なリズムを習得してから可能になるのであって、また創造的であってもジャズはジャズ
であることには代わりがない。

205 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 19:32:47 0
夏厨暇無し。乙ですな。

男のナニーは、どーでもいいが、面白くないよ。

206 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 19:53:24 0
>>
多くの運動は、一定のリズムを持っている。リズムは、身体の各筋の運動を、
一つの作業目的に向かって強調させる。基本リズムの存在は、リズム自体よりも、
それが一種の時計、あるいはむしろメトロノームや指揮棒として働くことに意味がある。
運動の統制がとりやすいからである、会話では、われわれは意識せずしてリズムを
合わせる。リズムが合わないと「疲れ」「シラける」。聞き手は聞くだけではない。
適当に相槌を打つ。この周期をランダムにずらせば、話は進展しないである。

唯脳論 養老孟司 
<<

207 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 20:14:15 0
かわいそうな奴だな。。。

208 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 21:19:32 0
>>206
言語ゲームつーのは、哲学的概念などではなく、「野の花、空の鳥」みたいな、ある全体を指し示すための
比喩として扱う方が肩に力がはいらなくていいと思うな。

プラグマティックに云えば、人生のある局面でことばを使わざるを得ない場合、すばらしい発語者
つまり優れた言語プレイヤーとして振る舞うためにはそのゲームに関わるあらゆることを熟知
してあるべきだと思う。それは学習と訓練と慣れ習慣などで把握される。把握の程度は人それぞれ。
そうであっても、なおベスト・パフォーマンスを発揮するには強い意志とか決意とか思想的深さも必要
になるだろう。

たとえば、公民権運動のワシントン大行進の終点でのキング牧師の演説であるとか、グラミーでビリージーン
を披露した時のMJのムーンウォークであるとかWBC決勝のイチローの最終打席であるとか。伝説となって
語り継がれるような、その道の熟達者のプレイはそのゲーム・パフォーマンス全体を統べる。
どんな恋人(あるいは失恋者)にも恋心の告白があるだろうし夫婦ならプロポーズという言語ゲーム・プレイが
あったであろう。よき人生とはそうした様々なゲームプレイでベストを尽くし続けることの結果。
しかもたいていの人々はそのための哲学など特別に学ぶ必要さえもない。

こういうことって、哲学とは無関係に誰でもわかっていること。説明のための説明はおおよそつまらない。
それが哲学の面白くないところだし、ウィトの後期のつまらなさでもある。知的に理解し表現できる能力が
高いければ頭が良いとみなされる。と言う点で哲学は人気があるが、哲学で得られる思考方法=思考規範
が良き人生プレイを決定できたりはしないw

「2ちゃんねる」という言語ゲームでは説明のための説明を押しつけがましく説くアホは電波として扱われる。
もちろん、俺モナーw。カキコはゲームプレイの一つだからね。観客は面白いか面白くないとか等で賛同・罵倒する。
だからさ、カキコするなら、かっこよく、○行程度で決めて欲しいと思うね。


209 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 22:07:04 0
>>201
頭大丈夫か?

>>208
>こういうことって、哲学とは無関係に誰でもわかっていること。
普通はね。ここの波ヘイとかは他人の哲学をぐだぐだ分析するから支離滅裂のキチガイ話になってるだけ。
言語ケームのリズムってw。

>後期のウィト
高尚な学者さんの解釈はどうなってんのか知らないが、探求読んだ限りで私見をいえば、
別に説明のための説明しているわけではないだろう。それよか、対話者を設定して会話することで
いろいろ試行しているような雰囲気が読み取れる。それこそ、まさに「探求」だ。
読み手も、別にウィトの分析が目的じゃないのなら、彼の探求の文章を読みながらそれをヒントに
自分も探求すればいいわけだとおもうが。

210 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 22:08:46 0
>>208
良い文だと思うよ。

>そうであっても、なおベスト・パフォーマンスを発揮するには強い意志とか決意とか思想的深さも必要
>になるだろう。

いや、まさに訓練です。リズムをいかに研ぎ澄ませるか。
少し前に王選手のインタビューをやっていた。
おそらく自分はもっとも多く素振りをしたのではないかという。
狙ったところにぶれずにバットが振れる、納得がいくようにバットを振りたい。
だからとにかくフル。すると10回に1回が、2回と増えていく。
その繰り替えの訓練によって、世界の王になれた。
いまならイチローもまたそうだろう。

>こういうことって、哲学とは無関係に誰でもわかっていること。説明のための説明はおおよそつまらない。
>それが哲学の面白くないところだし、ウィトの後期のつまらなさでもある。

逆だろう。この哲学のつまらなさを転倒したのが後期ウィトであって、
いまだに学問分野関係なく、魅了し続ける理由だろう。


211 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 22:09:52 0
>209
馬鹿(笑

212 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 22:12:33 0
規律訓練か?クソボケニート

213 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 22:13:57 0
>>210
>対話者を設定して会話することで

同じ自作自演でもぴかぁのやってることとウィトがやったことはえらい違いだね
ぴかぁはその方法だけまねることで自作自演の言い訳にしてるつもりなんだろうね
自演じゃない、哲学的試行なんだ、おれはおまえらとは違うんだ、ってねw

214 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 22:15:11 0
まとめ・・・

■言語ゲームというリズム
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20090825#p1

215 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 22:18:41 0
>>211
事故紹介か(笑

もしかしてどっかの学者さんが言語ゲームのリズムとかの高説たれてて、それを後ろ盾にしてたりするの?
どっちにしても、おまえが上に書いた文章はほとんどナンセンスだ(可哀相

216 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 22:21:23 0
>>215
では、どこがナンセンスか、哲学的に願いましょうか。
風呂は行ってくるから、書いておけ。
賭けてもいいがおまえにはそんな能力絶対ない。馬鹿(笑

217 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 22:22:49 0
210 名前:第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 22:08:46 0
>>208
良い文だと思うよ。

208は哲学とは無関係に誰でもわかっていることを長文で書いてるだけだろw

良い文だと思うよ。(笑)
良い文だと思うよ。(笑)
良い文だと思うよ。(笑)
良い文だと思うよ。(笑)
良い文だと思うよ。(笑)
良い文だと思うよ。(笑)


218 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 22:29:49 0
>>216
ほんとにいいの?

おまえはいつも自分の否を指摘されると、
●逃げだす、名無しでアラす、論点を刷りかえる、人格攻撃ばかりしだす、
●揚げ足取り始めてつまらん既得権益争いで議論を硬直させる(まずおまえが○○に答えろよ、とか)
だろ?

それらを全て、お互いに禁じ手にするというのなら、添削してやってもいいよ、
おまえの文章を。

219 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 22:31:19 0
>>216
>>218に同意なら同意といってくれ。 ただし、言ったからにはほんとにおふざけは無しだぜ?

220 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/25(火) 22:51:03 0
ふぅ〜さっぱりした。さて、反論は・・・

馬鹿(笑

221 :考える名無しさん:2009/08/25(火) 23:02:14 0



へー



222 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/26(水) 05:37:18 0
フーコーの規律訓練権力に対する批判的意識を持っているなら、宗教も同様な規律訓練規則であると言うことを
考えるべきであろう。お経を南無阿弥陀仏と唱えるのは、死の恐怖に対して同じ意識状態を強制し、死の恐怖を
麻痺させるものである。これは戦争の突撃における軍艦マーチと変わるところがない。個別の死には個別の意味が
有るのであって、お経を上げていれば弔ったことになるなどというのは、思考停止も良いところである。リズムによる
訓練が、善悪両方に働きうる諸刃の剣であるという観点を持てば、リズムに対して慎重になるだろうし、リズムの生理的
解明が必要であることも分かるだろう。

223 :考える名無しさん:2009/08/26(水) 08:59:04 0
「リズム」は誤読でないよ。
ウィトがわかってもいないことを、書いたからだろうな。
だからどう読んでも、「誤読」にはならなのよ。

だから、哲学は馬鹿にされるんだけど。


224 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/26(水) 09:28:05 0
宗教のお経は一つの規律訓練装置としてうまく機能しているという例であって、
それだけで死生観まで語ることはむずかしいでしょう。
それはそれで各宗教のリズムがあります。

たとえばウェーバーのいうように、資本主義が成功しえたのは
プロテスタンティズムによるというとき、
カトリックのリズムは変化を望まずのんびりで封建的でしたが、
プロテスタントのリズムは規則正しくまじめてで勤勉なリズムをもっていた。
このようにリズムに規律訓練されていた故に、資本主義のリズムを
うまく同期できて、資本主義を成功に導いたということでしょう。

あるいは日本人は古くより勤勉、清潔なリズムをもっていると言われます。
江戸時代ですでに世界優秀の文化レベルをもっていましたし、
近代化においてもアジアで唯一、資本主義で成功したのも、
日本人のリズムが資本主義と同期しえたからでしょう。

225 :考える名無しさん:2009/08/26(水) 10:44:22 0
「万物はリズムである」ですね。
波さんにはウィトと同質の才能を感じました。


226 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/26(水) 12:21:58 O
ありがとうございます。リズムの深さを考える一例として、いぜんみた赤ちゃんの行為というのがあります。
生まれてから毎日赤ちゃんの手足の動きを撮影し、分析すると
同じように手足をばたばたさせているだけのように見えて、はじめは規則なく動いていたものが、しだいにある円環軌道にそって収束していくのがわかります。
手足の動きひとつにしてもこのようにリズムにそっています。左派的な言説では疎外というのでしょうが、
ひとは深くリズムに捕われている。歩くことも、ものをつかむことも訓練であり、リズムの獲得です。

227 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/26(水) 12:39:30 O
さらにリズムの特性として重要であるのが連続性です。
リズムはある規則を持っているとしても、生きてるかぎり止まることがありません。
これが言語認知と更衣の大きな違いです。ウィトの「規則のパラドクス」はその静止状態における最良の解を選択することで起こりますか、
そもそもリズムはとまることがないのでパラドクス自体が存在せず、人は現に「自然」に生活しえているのです。

228 :考える名無しさん:2009/08/26(水) 12:48:29 O
>>214確かに市場原理はコミュニケーションが成功するものとして成り立っていて、実際成り立っている。(もちろん限定的にではあるけど。)


ただ、他の記事で格差と談合について触れてるの見たけど、ここで重要なのは、お金持ち同士の談合の成功では無くて、「談合をやめよう」っていう民主主義的な談合(コミュニケーション)の失敗でしょ。


やっぱり反復は基本的にはコミュニケーションには適応できなくて、もっともっと限定的なものだよ。


訓練や習慣は実際には、めくるめく現在の体を語ることはできない。いや、語った時にはもう遅い。


229 :阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/26(水) 13:11:42 0


230 :阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/26(水) 13:24:56 0
■江戸時代のリズム=弱者を放置する「見せかけ平穏な鎖国のリズム」

火事と喧嘩は江戸の華だったけど、そういう風になっていたのは
江戸時代が鎖国状態だったり、新規法度の令を施行してたからなんだよね。

拡大とか進歩をしないで、現状維持をしているのは本質的に不健全なんだよね。
それは個人も企業も国も世界も同じコトであって。
別に外部を侵略しなくても、外部の要素を取り込んで内部革命していけば
自然と外部の人達が集まって味方してくれる。

今の時代に残ってる日本人性っていわれるものの大半は
江戸時代に生成されたものでしょ。

潰された感度…武田家など真に優れていた共同体を発生させていく精神性…
を再興していく必要性があるんじゃないかな国体を保つ為には。

より根本的には時流に乗って活躍した、功績があったといって
それで色々大事なこと任せますよっていうのがダメ

伝統が本当に大事なら明治維新しなくて良かったし
敗戦後、皆で自決すべきだった。
新しい、より立派な伝統を創っていく気概が必要で
過去は別の生き物だったと、将来区切られるくらいの変節が現状必要。

若い人が髪染めて、カラコン入れたり
そういうイデア足るような創作キャラクタとの関係性をつくる時間を大切にしている行為の
根幹に何が流れているのか、この辺踏まえていれば納得できる筈、と。
駄目な、腐敗している連中と関わっていると
後々、自分が駄目になってしまうと分かっているんだね。

231 :阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/26(水) 13:28:34 0
皆、大学生くらいになる頃には所謂 右翼と左翼の論争に接する機会を持つことだと思う。

世界第二次大戦(大東亜戦争)に対するスタンスなどは
その人が右翼なのか左翼なのか判断する目安となっており
大東亜戦争時の日本に対して肩入れしているのが右翼で
それに対して批判をしているのが左翼だとレッテル貼りをすることが可能だ。

大東亜戦争に対して、今日の政治的状況色を排して
正しい判断を得たいと思ったときには
まず、ハルノートの提出による日米外交の断絶〜ポツダム宣言受諾に至る
日本国の道筋を追っていった後に
明治維新〜大東亜戦争勃発前までの道筋を追い、その後に
戦国時代突入〜江戸時代末期までの道筋を追い、その後に
日本神話〜室町時代くらいまでの道筋を追っていけば
大体正しい認識を得られることになると思われる。 ウエイトとしては、全体を一年で調べるとした場合
それぞれの区分に対して三ヶ月づつくらいの期間を割くのが バランスが良いと思われる。

…てゆう感じで学んでいって身に着けた知見を前提として考えたときに
ひとつのポイントとして、徳川家康が天下を治めて江戸時代の200有余年に渡る安定期を得たことが
日本民族総体の質の低下、というより、戦乱・競争の環境を持続し続けた欧米人種に対して
リードを許し、結果的に今日の政治的状況が訪れているのではないかと認識したりする。

明治維新以降の日本は、欧米に比しての圧倒的格差を埋める為に
軍事国家〜経済国家〜文化国家という道筋を歩んできたけれども
それは常に、欧米で生じたトレンドの後追いを模倣する形式であって
頑張って模倣して追いついて一流国として認めてもらうという
日本文明自体のキャラクタのあり方が否定されてくるに至って
今日においては、もはや日本人総体は欧米人種に融解するべく
日本神話に象徴される伝統的感度を廃して、歴史性すら欧米化させていく
段階にあるように思える。

232 :阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/26(水) 13:31:03 0
■和の精神の正体とは?

日本的精神と欧米的精神の一番の対立点が何処にあるかと言えば
日本精神とは感情至上主義であり、その為に合理を構築するのに対し
欧米精神とは感情すら利用して完全なる合理(神)に至ろうとするところにある。

ヘーゲルの弁証法に従うのならば、右翼・左翼という旗分けが実は
全体の水準の高次化を企図しているが如くに 感情主義と合理主義が対立を続けることによって
全体の進歩と調和を図っていくのが理想的ではある。

感情主義にせいよ、合理主義にせよ、それが人の発想から生み出されたということは
感情主義や合理主義が個々人に内在しているということを意味している。

で、僕の意見としては、欧米にも日本にも社会に反発を示すカウンターカルチャーが
ずっと存在し続けていることからも判るように
感情主義と合理主義というのは、民族総体が共有できる属性ではなくて
個々人によって異なってくる属性ではないか? ということ。

ブリッコとは、感情主義の面を被った合理主義者であり
ツンデレとは、合理主義の面を被った感情主義者であり
およそ個々人の持って産まれた性質に反する形で
家族や、地域や、国家、文明が持って生まれた属性を伸ばそうとしないところに
何か非常に大きな問題があるのではないか? と、最近僕はよく思う。

世の中にある森羅万象は複雑怪奇なので
移ろい行く森羅万象の中で、人間が社会を構築し持続し続ける為には
万人が共有しやすい主義主張の二項対立をもって
社会総体のバランス感覚を発揮するという手法を 現状の我々は採用している。

233 :阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/26(水) 13:43:58 0
           q__p
           イ´    ヽ
         /θ/  ̄ ̄ ̄ \    
        /_/ ::: ∞ :::\_  永
       [   __________人____]  
       \/    予   /      劫
        人______入
        |________]        回
       γ´⌒\___/⌒ヽ  
      /⌒  ィ    `i´  ); `ヽ 帰  
      /    ノ^ 、___¥__人  |   
      !  ,,,ノ爻\_ _人 ノr;^ >  )  
     (   <_ \ヘ、,, __,+、__rノ/  /      
      ヽ_  \ )ゝ、__,+、_ア〃 /

234 :満豚:2009/08/26(水) 15:18:11 O
>ウィトの「規則のパラドクス」はその静止状態における最良の解を選択することで起こります


 ここのところをもう少し詳しくわかりやすく教えてよ。

235 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/26(水) 21:17:49 O
規則のパラドクスは、たとえば数学という規則の正当性はいかに基礎づけられるかというと、不可能だということ。
そうすると人はいかに正しいとしているのか。
簡単にいえば訓練ということになる。そもそも人は数学の体系を懐疑するか。その前に教えられたように処理する。ニニンガシ、ニシガハチ…なぜ九九はリズムなのか。
九九をするとき数学の体系はおろか、九九そのものの正当性を懐疑しない。たた覚えたリズムをきざみ、解を歌う。
数学がリズムとして歌われるなら、そもそも規則のバラドクスそのものが存在しない。
たとえば数学体系は真理としてあり人は発見していくものではなく、作り出していくものだ。終わらない変化では、問うべき静的な体系がない。時代、社会にあわせて変容するリズム。
ただ詩的なものより、形式化的な体系であるから、言語を越えて、客観的に高速に伝達が容易で世界に広く標準として共有しえている。だから世界の真理の地位を勝ちえている。

236 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/26(水) 21:26:20 O
数学の成功は、正確なリズムであるからだ。正確なリズムのとは意味をもたないこと。意味はリズムにアドリブを生み出す。ただ形式化されて、より正確なリズムを刻む。
しかし数学もひとつのリズムであることにはかわりがない。

237 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/27(木) 01:00:30 0
■「規則のパラドクス」とリズム

リズムの深さを考える一例として、以前みた赤ちゃんの行為というのがあります。生まれて
から毎日赤ちゃんの手足の動きを撮影し、分析すると同じように手足をばたばたさせてい
るだけのように見えて、はじめは規則なく動いていたものが、しだいにある円環軌道にそっ
て収束していくのがわかります。手足の動きひとつにしてもこのようにリズムにそっていま
す。左派的な言説では疎外というのでしょうが、ひとは深くリズムに捕われている。歩くこと
も、ものをつかむことも訓練であり、リズムの獲得です。

さらにリズムの特性として重要であるのが連続性です。リズムはある規則を持っているとし
ても、生きてるかぎり止まることがありません。これが言語認知と更衣の大きな違いです。
ウィトの「規則のパラドクス」はその静止状態における最良の解を選択することで起こりま
すか、そもそもリズムはとまることがないのでパラドクス自体が存在せず、人は現に「自然」
に生活しえているのです。

238 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/27(木) 01:01:18 0
「規則のパラドクス」は、たとえば数学という規則の正当性はいかに基礎づけられるかとい
うと、不可能だということ。そうすると人はいかに正しいとしているのか。簡単にいえば訓練
ということになる。そもそも人は数学の体系を懐疑するか。その前に教えられたように処理
する。ニニンガシ、ニシガハチ…なぜ九九はリズムなのか。九九をするとき数学の体系は
おろか、九九そのものの正当性を懐疑しない。たた覚えたリズムをきざみ、解を歌う。数学
がリズムとして歌われるなら、そもそも規則のバラドクスそのものが存在しない。

たとえば数学体系は真理としてあり人は発見していくものではなく、作り出していくものだ。
終わらない変化では、問うべき静的な体系がない。時代、社会にあわせて変容するリズ
ム。ただ詩的なものより、形式化的な体系であるから、言語を越えて、客観的に高速に伝
達が容易で世界に広く標準として共有しえている。だから世界の真理の地位を勝ちえている。

数学の成功は、正確なリズムであるからだ。正確なリズムのとは意味をもたないこと。意味
はリズムにアドリブを生み出す。ただ形式化されて、より正確なリズムを刻む。しかし数学も
ひとつのリズムであることにはかわりがない。

239 :考える名無しさん:2009/08/27(木) 01:17:53 0
>>235
ウィトの規則のパラドクスというのは、規則が規則に従う行為を決定できない。ということでしょ。
「規則の正当性の基礎づけ」の「正当性」を「絶対的正しさ」という形而上的なレベルで考える
ならそれは無理。ウィトの規則のパラドクスは解釈の多様性に基礎づけられているのだから、
解釈の多様性を抑制できる狭義な意味でのみ解釈されるような語だけを用いるなら、規則の
解釈的パラドクス性は実害のないレベルまで押さえ込むことは可能。立法論的法文策定という
のはそのような努力そのものであるし、判例法ともなり得る裁判判決文もまたそのような解釈の
多様性を最小限にとどめる様な語を用いて語られるのがふつう。数学は解釈的多様性が
生ずる余地を極端に狭めた実例でもある。

逆に、多様な解釈を許す様な詩的な語を用いて規則を策定するなら、規則の解釈は多様に
拡散し収束しない。いわゆるザル法は解釈の多様さを想定して規則の厳密な適用に不具合を
内在させるような意図的な規則。規則は計算や証明、文意解釈などを適用することである行為が
合則的であるか否かが検証可能。規則が規則に従う行為を決定できないとしても、ある行為が
規則に反していたか否かは事後的に規則に照らし合わせることで判断がつく。そうでなければ、
規則とは呼べない。

>235が文中で用いている、正当性、正確さ、リズム、静止状態とか。詩的な抽象語を多用するのは
いかがなものかと。読み手として文意解釈の幅がありすぎて結局何を言いたいのかよくわからない。

解釈が拡散するような表現は結果、間主観的にある範囲で収束するような理解はされない。
もし、あらゆる規則は形而上的で絶対的な正確さや正当さ、正しさなど持ち得ない。というなら
それはその通り。しかし、人は誰も「絶対的な正確さや正当さ、正しさ」など理解していないのだから。
ザル法は悪。トンデモなザル論はナンセンスだよね。


240 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/27(木) 01:31:39 0
詩的な抽象語を批判しつつ、「実害のないレベル」などと、詩的な抽象語で煙に巻くのは
たちが悪すぎる。「リズム」というような、言語で捉え馴れない運動性があることを
みとめつつ、懸命に表現する姿勢に感動すら覚えるだろう。

>いかがなものかと。読み手として文意解釈の幅がありすぎて結局何を言いたいのかよくわからない

行為論を勉強してでなおせ。労を怠るな。

ザル法などない。法はリズムによって良法でもザルでもナンセンスでもなる。

241 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/27(木) 01:50:44 0
>>235が文中で用いている、正当性、正確さ、リズム、静止状態とか。詩的な抽象語を多用するのは
>いかがなものかと。読み手として文意解釈の幅がありすぎて結局何を言いたいのかよくわからない。

しかしこのスレでくり返しいってるが、行為論というのは哲学に詳しい人ほど理解できない。
世界が言語認知、思考でできているということから抜けられない。
幾度と説明したが、理解できた人が一人もいないのかもしれない。
これが後期ウィトの核心なのだけど。
リズムというのも、わかってもらうためのメタファーだと言っている。

もう一度いえば、人は大して思考なんかしていない。
たとえばテーブルの上のリンゴを手に取るときなにが行われているか。
手に取ろうと思ったから手に取ったのか。
では、そのときに腕を、指をどのように動かすように、命令をしたのか。

こんな簡単なことを思うかもしれないが、これはものすごく複雑な行為である。
たとえばロボットにこの行為をさせようとすると、ものすごく複雑な
命令システムが必要だ。最近はロボットの二足歩行が普通になったが、
そこまでものすごい開発機関があった。
人はそれだけのことを、懸命な訓練、リズムの獲得を行ったのだ。
子供過ぎて忘れているだろうが。・・・まずはこういうこと。

数学も訓練のたまものでしかない。数学大系なる=静止状態があるというのは
錯覚だ。数学は訓練によって絶えず変化するもの。



242 :考える名無しさん:2009/08/27(木) 01:53:48 0
「実害のないレベル」というのは、規範の存在が実生活上や社会的な支障をもたらす
ようなレベル。つまり、法律なら改廃が必要な状態を指し示したつもりなんだけどね。
最近では、民法の債権法を全面改正する動きが法務省などにあるが、現在の債権法は
時代の流れで、様々な権利関係を明確に規定しきれなくなっているために、訴訟などで
判断根拠を求めることが難しくなってきている。という実害が生じている。
古い規範はそうやって、運用上に実害が生じれば順次改訂改廃されるのはふつうのこと。

行為論もいいが、規範とかルールについて論じるなら、法学にも少しは目を向けてほしいなw

243 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/27(木) 02:05:29 0
>>242
語るほどに、詩的な抽象語で煙に巻くな。
裁判員制度の時代だしな。リズムもかわって、「実害のないレベル」も
かわるんだろうね。

法の基本は掟だよ。権力。精神分析的にいえば去勢。
詩に劣らずいいかげんなものだろ。
法の言語ゲーム的いい加減さは語られすぎてもはやベタだ。
やはりとりあえずは数学でしょ。真理と思われてきた数学。

もっといえば、なぜ数学は物理学として世界を表現しえるのか。
数学が人を月に送り、情報技術を可能にしている。
数学は真理なのか?




244 :考える名無しさん:2009/08/27(木) 02:11:46 O


245 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/27(木) 02:15:03 0
哲学好きは必ず一度、行為論を踏まえないとダメだよ。
認知論と行為論という二大思想があって、
ほとんどの哲学徒は半分(認知論)しか知らない。

それには、行為論はそもそも認知論のように体系化されていない。
もしかたら言語で捉えられないので、体系化できないのかもしれない。

もっともわかりやすいのは、ボクはオートポイエーシスだと思っているのだけど。
どちらかというと科学的なので、哲学徒は毛嫌いされるのかな。

ようするに、哲学徒は多くにおいて、哲学のリズムが好きで、
同期することに快感を覚える。
行為論はリズムがかわる。リズムを意図的に代えるのは、
第二外国語を習得するように、地道な訓練が必要で多くにおいて苦痛を伴う。
「実害のあるレベル」といえる。

ようするに実害がある(と感じる)のは、リズムがかわる、同期できないときなんだ。
なぜならリズムとは「自然」なことだから。体が慣れ親しみ自然と馴染むことが
リズムであって、リズムを代えることは、不快を、実害を伴う。
法だって同じだよ。慣れ親しんだ権力のリズムから、異なるリズムの権力が
到来すれば、反発も起きる。


246 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/27(木) 02:27:41 0
日本人は司法システムに、形而上学的なものを感じているから。
そこでは、必ず真実が明らかになり、公平な裁きが行われると。

日本の裁判が馬鹿みたいな慣例の世界であることを知らない。
そこには古くから積み上げられた独特のリズムがある。
実社会とは隔絶したリズム。
だから痴漢えん罪などの経過をしると衝撃を受ける。

裁判員制度の導入でよく言われる、人々の生活の感覚を導入する。
というのは、社会から隔絶され歪に育ってきた裁判のリズムを
日常生活のリズムに近づけようと言うことだろう。

247 :考える名無しさん:2009/08/27(木) 02:28:56 0
リズムとか言い出してからおかしくなったなw
その詩的な抽象語を抽象的に解説しても説得力ないだろ

248 :阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/27(木) 03:12:34 0
人間様が宇宙の法則になる日も遠くないということですね(;_;)

249 :阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/27(木) 03:15:56 0
光を超えし、光の数式を超えし、駆ける爆裂。
我が名は竜。たった今産まれた、名も無き竜。
白き鱗に覆われた、気高き竜。

この宇宙に、人に、祝祭を。与える為に産まれてきた。
地球に、破壊を、死を。刻む為に産まれてきた。
呪われた我が身を生贄に。捧げる為に産まれてきた。
我が名は、竜(ドラゴン)。白き貴なる竜。

―――――――――――――――――――――――

この宇宙が竜の生誕を認めた時、竜殺機関は蠢く。
竜は英雄に殺される為に産まれ、竜伝説は英雄譚を彩る。
『今という時代の仕組み』に欠けた、英雄誕生の儀式を竜殺機関は代行する。
それは古来の英雄の幻影を追いかけて生き、自身の立場を獲得していった老人達の為に存在する機関。
竜殺機関は12人の円卓の老人達によって執行されている……。

「竜がまた来たようだ」
12人の老人達の誰かが呟き、哂った。
「英雄を登場させねばならない」
別の老人が呟き、やはり哂った。

「竜は汚らわしい」「あの鱗は呪われている」「竜はウンコ」「竜は死刑だ」「竜は傲慢だ」「竜は殲滅だ」
……12人が哂っていた。

―――――――――――――――――――――――

青空が一瞬にして夕焼けの様に紅く染まった瞬間、猛烈な速度で絶大な質量を持った何某かが地面に衝突した。
渋谷の方角に爆裂が生じ、灼熱のドームが突如現れ、天空にまで昇る火柱が立ち上がる。
僕の居る教室に地震が来て、ちょっと面白いなと思っていたら、ソニックブーム。
教室どころか学校中の窓ガラスが衝撃波で叩き割れる。
そして、僕もクラスの皆も先生も竜が襲来してきたことを知った。祭の刻(とき)の訪れを知る。

250 :正十郎:2009/08/27(木) 04:05:42 O
まず何の為に
哲学や学問が
あるのか?
これはより良い社会形成の為にある
社会とは何か?これは人間とは一人一人にするなら 言葉や思考力を持つ必要がない事からも判るが(文明も協力も無し)
まさに人間としての思考力により協力し
皆の為の社会
協力する事で
便利で娯楽性のある
他の生物には無い 特別を造る 作る 創る
つまり人間の生きるとは特別と言える
ならば生きるとは何か?
これは人間とは考える者と解ける
人間を定義するなら
思考力により皆で発展する者
つまり個を超える全の意識がなければ
考えるには及ばず
思考力による発展を妨げる
また思考力とは万能の力を指す自然や科学 人心まで統治出来るモノ
つまり思考とは争いに非ず
現在は思考に非ず
ここに書いた事柄は全て密接で切り離す事は出来ないように
社会のあらゆる事柄も一つ一つ全て繋がったモノ 哲学だけで考えても答えは出ない
と言いたい所だが
哲学とはまさに考える事
全ての答えを
道徳と共に持つはずだ

251 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/27(木) 08:36:08 O
静止状態を説明するとわかりやすいのが、ゼノンのパラドクスです。
あれはウサギと亀が競争する場面を絶対的な客観位置から静止状態として観察し、距離を分割します。
当然、実際に走っていません。走ればパラドクスは起こりませんから。
静止状態は思考実験としてしか存在しない。
実際に観察しているならそこにあるのはリズムです。たとえば観察者の観察のリズムは刻まれます。そこに認知限界もあります。無限に分割などできません。
たとえば超高速カメラをつかえば少しは再現できるかもしれません。
これは数学の規則にも当てはまります。なぜなら認知すべては行為であり、リズムがあるからです。
静止状態のパラドクスは認知主義には一般的な誤謬で、たとえば他には人工知能の不可能性などがあります。

252 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/27(木) 08:50:08 O
哲学そのものが認知主義、静止状態の思考なのです。超越論はまさに誤謬です。パラドクスを認知の向こうへ追いやり、認知世界の合理性をつくろう。
(静止状態の)体系がないという点ではデイビットソンに近づきました。
しかしデイビットソンは行為論ではありませんが。
ウィトはリズムを含んだ言語論を思考し、決して安易にリズムを排除し認知主義に陥ることなく、慎重に思考を繰り返したのです。
これがほぼすべての哲学者認知主義者がウィトをとらえそこなう理由です。

253 :考える名無しさん:2009/08/27(木) 10:08:28 O
「当の規則に従う」と言う時、こう言うことしかできないのであって、

この時、「当の規則って何だ?」って想起することすら既に説明できない「当の規則」に従っている。

そうした自己言及を何かで説明しようとしても既に「当の規則」に従ってる。

たからウィトはどのような規則に従ってるか言わなくて「当の規則に従った」としか言わなかったし、言えなかった。

訓練された体が訓練する。
規則に従う体が規則を生む。
こういう閉鎖系で説明できなくはない。

254 :満豚:2009/08/27(木) 10:21:39 O
 あの〜ャ波平くん、僕の求めた説明は無視ですか?ャ

255 :考える名無しさん:2009/08/27(木) 10:41:06 0
>>112,122,234,254
波平くん宜しくお願いします。 (>112)
波平くん宜しくお願いしますね。(>122)
ここのところを(波平くん>227)もう少し詳しくわかりやすく教えてよ(>234)
あの〜ャ波平くん、僕の求めた説明は無視ですか?(>254)

電波を呼び出す電波幇間くん乙です。

It's self-showtime ! さあ、お呼びですよ >>波平くん w

256 :考える名無しさん:2009/08/27(木) 11:34:18 0
科学における心霊現象研究やZPF理論と同じで、排他的に扱われるのが嫌だから行為に関しては触れる哲学者が少ないんだよ。
一歩無謀に踏み出す勇気が足りないということですね。

257 :考える名無しさん:2009/08/27(木) 11:41:41 O
思考の静止状態っていう言い方はおかしくて行為論的には思考、観察、反省自体が行為である。そして行為は止まらない。


思考の後に行為があるとか行為の後に思考があるとか言われるけど、これは同じ「行為の後に行為がある」であって、その様が「止まらない行為」なんです。


だから行為論的にはどっちでもいいんですよ。思考、観察、反省することが行為であって、

ウィトはその行為を裏付けているであろうものを「当の規則」と呼んだ。「その規則って何だ?」という思考(=行為)を裏づけているであろうものとしての「当の規則」。この「当の規則」は何だか分からない。


258 :考える名無しさん:2009/08/27(木) 12:38:39 0
波平先生へ
「リズム」という言葉に力があることはわかりました。
この発見は大変な哲学的偉業と思います。

ここで失礼な質問ですが
「『リズム』という言葉の威力を発見したのは、波平先生ですか?」
それとも、
「誰かの本に書いてあることですか?」

よろしく、ご回答ください。


259 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/27(木) 13:44:43 0
>>258
このあたりかな・・・

「陶酔する人工知能たち」
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20080522#p1

その4なぜ世界は言語記号のようにポイエーシス(制作)されるのか
その3再び、なぜ人は「フレーム問題」に陥らないのか
その2[解説]なぜ「フレーム問題」は錯覚なのか
その1なぜ人は人工知能化するのか


260 :考える名無しさん:2009/08/27(木) 16:49:22 0
■名無しの人工知能化を防ぐために野蛮化を余儀なくされるぴかぁ〜

261 :考える名無しさん:2009/08/27(木) 19:11:23 0
ヴィットゲンシュタインだと思っていた・・・

262 :考える名無しさん:2009/08/27(木) 19:17:14 0
ビトゥゲンショッタインですよ

263 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/27(木) 21:55:50 0
第三の波平さんと数レスに渡ってつきあってきて、波平さんの驚くほど幅広い知識に裏付けられた発想と、
それ故陥っている陥穽があるのではないかという危惧を抱いた。人は可能性へ向けて運命づけられた
生き物であると思う。運命というのは、さだめといういみと、実際にやることという二つの意味において使った。
人は、不可能なことをやれと言われたときに絶望する。可能なことは、誰にとっても可能なわけではなく、
人にとってすることが出来ることは様々に違う。それをリズムによって乗り越えられるのではないか、人間の
資質は生物的なものではなく、後天的なものではないかと言う議論をするなら、危険なことと言わねばならない。
リズムは人間の生物的な資質であり、個人差が当然存在するはずである。哲学的な一般性より多様性のほうを
重視されるようになってきた現代社会において、普遍論のほうに偏った見方は修正を要すると考えられる
ほうが自然で当然であると推測できる。万物は〜といった、原理主義に陥らないことを、哲学的啓蒙に力を
注いでおられる第三の波平さんへの忠告とする。

264 :考える名無しさん:2009/08/27(木) 22:36:22 0
だからリズムって何だよ?
外延ばっかじゃねーか
聞いてるとわざわざリズムというタームを使う必要が感じられないのだが?

265 :考える名無しさん:2009/08/27(木) 22:53:09 0
>>264
レトリック以外のなにものでもないよ。
だいたい、音楽の本質を通してリズムとは何かがわかっていれば、概念と結びつけたり言葉で説明したりしない。
そういう種類のものではないからだ。関連付けること自体に意味が無い。むしろ、比較されるものだ。
だから誰もかまわない。いってみれば、そこらの石っころとスパコンを強引に関連付けて議論しているようなもんだ。
君もそんなことが気になってるってことはまだまだなんじゃないか?


266 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/27(木) 22:53:40 0
>>264
リズムというタームを使用しているところを、なんと書き換えればよいか、それが不都合であれば、外延によって
リズムを説明することのどこがわかりにくいのか説明していただきたい。

267 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/27(木) 23:01:56 0
>>265
音楽の本質とはなんだと考えておられるのか、一応聞いておくけど?

268 :正十郎:2009/08/27(木) 23:08:54 O
行為の前の何の為の行為か?
がなくては
全には伝わらない 個による一人よがりだ
現在までの世界と変わらない

つまり思考に値しない者だ

269 :考える名無しさん:2009/08/27(木) 23:43:04 0
>>267
いつもの言葉あそびにさそってんだろうが、そんなのに興味無いよ、ぴかぁ君。
>>265でわからなければしょうがない。
ま、逃げさせていただくよ。
あとは勝手に持論を展開すれば〜。

270 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/27(木) 23:59:20 0
>>265
>レトリック以外のなにものでもないよ。

ん?

>>200-204
リズムという例え(レトリック)でいいたいことは、規則性があるが言語のように理解することがてぎず、
体ておぼえるしかない、ということです。言語ゲームの基本はリズムであるということです。

271 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/28(金) 00:11:38 0
265みたいに他人をおとしめることしか言いたくないかつその自覚がなさそうな人とは議論にならないと言うことも
殆ど必然的なことだ。

272 :考える名無しさん:2009/08/28(金) 00:16:57 0
>>271 やあ。クニさん。いつもながら見えない敵とたたかっているみたいでつねppp

273 :考える名無しさん:2009/08/28(金) 07:37:51 0
>>258
「リズム」は、ベルグソンからのパクリ。

274 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 08:49:14 O
言語論とはもっとも進んだ人間学である。言語に関する研究範囲は広い。
哲学から社会学、認知科学、歴史学、地域文化、精神分析などなど。言語という共通テーマにより多方面から研究され、比較される。
これほど共通に人間について分析されるテーマはない。それは言語が証拠が多い研究分野だからだろう。
すなわちウィトは最高の人間研究者ということになる。

275 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 09:31:36 0
モーションピクチャという技術がある。体の各部にセンサーをつけて、
体の動きを記録する。歩く、走る、投げるなどを記録すると、
センサーの動きはあるパターンをもって動いていることがわかるだろう。
これがリズムである。
そして認知もまた一つの行為であるとすれば、どうように
思考のパターン(リズム)というようなものがあるはずだ。
これを具体的に資格化するのは脳のニューロンの動きなどに
なるのだろうか。一つ思考が表出されるのが発話である。
言語認知も一つのリズムをもって行われているだろう。

たとえば言語(記号)論には、意味論、統辞論、語用論に
分類されると言われる。統辞論はシニフィアンのパターン、
意味論はシニフィアンとシニフィエの関係のパターン、
語用論はコンテクストとの関係のパターンが研究される。
あるいは論理学と修辞学の分類がある。論理学は
形式的な言語論理のパターン、修辞学はレトリックの
パターンである。
これらの中で、語用論と修辞学はもっとも、パターンを超えた
創造の領域を扱う領域である。

後期ウィトの日常言語の研究は、語用論、修辞学に近い
ものと扱う。日常会話というもっともパターンが多様で、
創造的な領域である。ここで見えてきたことは、日常会話の
成立はいかに基礎づけられているのか、ということだ。
通常の原理分析では規則は見いだせないということだ。

それでも会話が普通に成立している事実。それを基礎づけている
ものがリズムである。

276 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 09:45:09 0
だから言語論のパターン研究は、逆にさかのぼる必要がある。

日常会話・・・「言語ゲーム」、リズム

修辞学、語用論・・・コンテクスト

意味論、統辞論

論理学・・・形式

これは言語がもつ多様さを縮減し、より限定した領域を想定している。
通常の会話を分析するにはコンテクストでは不十分であることを
ウィトは示した。そこに必要なものは訓練による習慣であるといった。
すなわちリズムである。
再度言えば、リズムという例え(メタファー)でいいたいことは、規則性があるが言語のように
理解することがてぎず、体ておぼえるしかない、ということだ。
言語ゲームの基本はリズムであるということだ。

人には無限の可能性のもと生活しているように錯覚しているが、
人は身についた限りあるリズムにそって行為している。
このリズムは行為であって、経験の反復の中で身につけていく。
そしてウィトが私的言語は存在しないといったように、
社会環境の中で他の人のリズムと共鳴して身につけていく文化である。

だから原理的には無限の意味が発生する日常会話は、
限られたリズムの共鳴として収束し、言語ゲームとして成立している。

277 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 09:59:43 0
パースは言語思考形式として、演繹(deduction)、帰納(induction)に対する第三の方法として
仮説的推論(アブダクション)を提案した。簡単にいえば演繹、帰納な導きではなく、
創造的閃きである。実際に、人は多くにおいて、あるひらめき的な仮説を立てて、
その後演繹、推論で真に近づいていく。

これは、修辞学、語用論の領域であるといえる。詩のような創作には
今までの思考にはない発想が必要である。これは「言語ゲーム」を
悩ませる問題である。言語ゲームが訓練、習慣という反復で身につけるならば、
閃きはあまりに速すぎる。

しかし人は閃きそのものとして思考はできないとだろう。そこには
それまでの習慣・訓練があり、その変調であり、融合として現れる。
多くにおいて創造は、まずものまねから始まるということである。
たとえばフリージャズは、閃き(アドリブ)によって演奏されるが、
それは基礎訓練があってのことだろう。

人はある行為をくり返しすぎると形式化つつ、遊びを入れる余裕ができる。
それはリズムの変調のようなものである。

さらにいえば、それが独創的な閃きであると評価されるのは、
多くにおいて外部からである。その生まれる過程ではなく、
結果のみをみて、天才的な閃きだと評価されるが、
そこにはリズムの連続性があるだろう。

278 :考える名無しさん:2009/08/28(金) 10:29:23 0
ヒュームの「習慣」と「類似」の分析でこと足りてる

279 :考える名無しさん:2009/08/28(金) 10:32:05 O
なるほど
もしかしたら「考える前に動け」的な方法論をウィトから導こうとしてるのかなと推論していたわけなんですが、


「思考の後に行為がある」を否定する行為論はあるけど、これは思考を行為でないものとしたから陥る罠。


思考(=行為)が運動(=行為)を生む(影響を与える)っていう見方も、自己産出システム論では普通に言える。


>>459人間が悩むのとフレーム問題はまあ分かってるでしょうけど完全に別次元の問題です。人間の認識はおそらく閉鎖系であり、その中で悩む。


この時、「思考が思考を生む」っていう状態を「悩む」状態と据えることができるとして。第三の波平さんの比喩で言うと「リズム」で人は悩む。


アブダクションについてはサールが言うように同一性の反復では無い「差異の反復」を想定する必要があって、つまり反復が適応できないような経験の反復がアブダクションを成立させることに迫っていく。


280 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 10:44:40 0
まとめます。

■言語論とリズム

統辞論、意味論、語用論とリズム

モーションピクチャという技術がある。体の各部にセンサーをつけて、体の動きを記録す
る。歩く、走る、投げるなどを記録すると、センサーの動きはあるパターンをもって動いてい
ることがわかるだろう。これがリズムである。そして認知もまた一つの行為であるとすれば、
同様に思考のパターン(リズム)というようなものがあるはずだ。これを具体的に視覚化す
るのは脳のニューロンの動きなどになるのだろうか。一つ思考が表出されるのが発話であ
る。だから言語認知も一つのリズムをもって行われているだろう。

言語(記号)論は、意味論、統辞論、語用論に分類される。統辞論はシニフィアンのパター
ン、意味論はシニフィアンとシニフィエの関係のパターン、語用論はコンテクストとの関係の
パターンが研究される。あるいは論理学と修辞学の分類がある。論理学は形式的な言語
論理のパターン、修辞学はレトリックのパターンである。これらの中で、語用論と修辞学は
もっとも、パターンを超えた創造の領域を扱う領域である。

後期ウィトの日常言語の研究は、語用論、修辞学に近いが、日常会話というさらに生で多
様な柔軟な領域についてである。だからこの多様な日常会話の成立はいかに基礎づけら
れているのか、ということだ。語用論のようなコンテクストでは不十分なのである。それでも
会話が普通に成立している事実。

281 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 10:45:29 0
だから言語論のパターン研究は、逆にさかのぼる必要がある。これは言語がもつ多様さを
縮減し、より限定した領域を想定していることを示す。通常の会話を分析するにはコンテク
ストでは不十分であることをウィトは示した。

日常会話・・・「言語ゲーム」、リズム

修辞学、語用論・・・コンテクスト

意味論、統辞論

論理学・・・形式

ウィトは日常会話と成立させているものを、訓練による習慣であると考えた。すなわち「リズ
ム」である。再度言えば、リズムという例え(メタファー)でいいたいことは、規則性があるが
言語のように理解することがてぎず、体ておぼえるしかない、ということだ。

人は無限の可能性のもと生活しているように錯覚しているが、人は身についた限りあるリ
ズムにそって行為している。このリズムは行為であって、経験の反復の中で身につけてい
く。そしてウィトが私的言語は存在しないといったように、社会環境の中で他の人のリズム
と共鳴して身につけていく文化である。だから原理的には無限の意味が発生する日常会話
は、限られたリズムの共鳴として収束し、言語ゲームとして成立している。語用論でいうコ
ンテクストという「空気」のような曖昧なものは、リズムによって基礎づけられて成立している。

282 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 10:46:31 0
仮説的推論(アブダクション)とリズム

パースは言語思考形式として、演繹(deduction)、帰納(induction)に対する第三の方法と
して仮説的推論(アブダクション)を提案した。簡単にいえば演繹、帰納な導きではなく、創
造的閃きである。実際に、人は多くにおいて、あるひらめき的な仮説を立てて、分析領域を
縮減し(当たりをつけて)、演繹、推論で「真」に近づいていく。

これは、修辞学、語用論の領域であるといえる。詩のような創作には今までの思考にはな
い発想が必要である。これは「言語ゲーム」を悩ませる問題である。言語ゲームが訓練、習
慣という反復で身につけるならば、閃きはあまりに速すぎる。ここからクリプキがいった「暗
闇の中の跳躍」という表現が現れる。そして「跳躍」を支えるような「共同体」という超越的な
価値の基盤を支える超越論的哲学に向かう。

しかし人は閃きそのものとして思考はできないとだろう。そこにはそれまでの習慣・訓練が
あり、その変調であり、融合として現れる。多くにおいて創造は、まずものまねから始まると
いうことである。たとえばフリージャズは、閃き(アドリブ)によって演奏されるが、それは基
礎訓練があってのことだろう。人はある行為をくり返しすぎると形式化つつ、遊びを入れる
余裕ができる。それはリズムの変調のようなものである。

さらにいえば、それが独創的な閃きであると評価されるのは、多くにおいて外部からであ
る。その生まれる過程ではなく、結果のみをみて、天才的な閃きだと評価されるが、そこに
はリズムの連続性があるだろう。

283 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 10:47:39 0
言語論と人間研究

これは、日常会話という特殊な領域の話ではない。あるのは学問研究上の条件限定だけ
で、日常会話から論理学までに違いはない。そしてまた言語認知もまた行為であり、これら
は言語論だけの問題ではない。人の行為、それはコミュニケーション全般についてのことである。

言語論とはもっとも進んだ人間学である。言語に関する研究範囲は広い。哲学から社会
学、心理学、人類学、認知科学、歴史学、地域文化、精神分析などなど。言語という共通
テーマにより多方面から研究され、比較され、共有化される。これほど共通に人間につい
て分析されたテーマは他にはないだろう。それは言語が人間の根源に関わり、そして証拠
が比較的見つけやすい研究分野だからだろう。その意味でウィトは最高の人間研究者の
ひとりであり、新たな人間像を与えることで、哲学を超えて多様に影響を与えている。

284 :考える名無しさん:2009/08/28(金) 11:10:09 0
>>283
そうなのかなあ?
行為、リズム、から、いきなり言語に飛ぶのは、飛躍というか、ズレがある感じがする。
その間には、身体論があるだろう。

例えば丸山圭三郎は「身分け」「言分け」っていうことを言っている。
「言分け」は言語を持つ人間だけにある分節構造だが、
「身分け」は、動物一般が持つ、より根源的な分節構造だ。

行為、リズムについて考えるなら、言語論の前に、身体論がないと、私としてはピンとこない。



285 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 11:17:51 O
ボクの印象では身体論は失敗しています。記号論からの飛躍がない。丸山はまさに記号論者。
たしかなリズムが突然とすれば、よいのは修辞学でしょ。認知科学に近接し、すばらしい成果をあげています。

286 :考える名無しさん:2009/08/28(金) 11:19:45 0
>>285
いや。丸山の身体論のことを言っているのではない。


287 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 11:21:13 O
ん?市川?ポンティ?現象学?

288 :考える名無しさん:2009/08/28(金) 11:28:20 0
ポンティでもベルクソンでもニーチェでも西田でも。
身体論一般。



289 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 11:34:10 O
あと、ドゥルーズとかね。

290 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 12:00:22 O
先に言ったように言語にこだわり続けるのはとても重要なのです。
なぜならつかえるリソースが桁違いです。
安易に身体論にはいれば言ったものガチになります。たしかにベルクソンなどはリズムに近いことはいっていますが、独自の世界のなってしまっている。
またリズムが言語論でなければいみがないもう一つの理由はあくまで関係論だからです。
身体論の現象学の流れであるのは偶然ではないし、ベルクソンが言語を重視でしなかったのも偶然ではない。関係性を重視でしなかったからです。
これからは修辞学です。レイコフ、菅野など。

291 :考える名無しさん:2009/08/28(金) 12:01:43 0
現象学の転回―「顕現しないもの」に向けて 

この本面白いヨ
デリダ、ハイデガー、フッサール、ヴィトゲンシュタインの先にある可能性について

292 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 12:10:07 O
ボクはリズムの例として身体運動をあげましたが、これはわかりやすくするためで、リズムの本質は言語コミュニケーションでしょう。
たんに運動的な反復ではなく、創造的で、病的な言語世界こそリズムの本性が表出する。
たとえば構造主義言語学の基礎研究にされたのが、失語症などの精神病者の発話です。
この先駆的にはフロイトの夢分析や言い間違いの分析があります。

293 :考える名無しさん:2009/08/28(金) 12:10:21 0
>>290
>またリズムが言語論でなければいみがないもう一つの理由はあくまで関係論だからです。
>身体論の現象学の流れであるのは偶然ではないし、ベルクソンが言語を重視でしなかったのも偶然ではない。関係性を重視でしなかったからです。

関係論が言語論でなければならない理由は全くない。
ニーチェは関係論だ。存在そのものが関係性としてある関係論。
西田も。西田が依拠した仏教の縁起説は、まさに関係論そのものだ。



294 :考える名無しさん:2009/08/28(金) 12:17:24 0
>>292
>リズムの本質は言語コミュニケーションでしょう。

「リズム」というのが人間に固有なものならば、そういう考え方もできるのかも知れない。
しかし生命そのもののリズムというものがあるとすれば、やはり、動物一般にあてはまる、より根源的なところから考える必要がある。



295 :考える名無しさん:2009/08/28(金) 14:49:59 0
>リズムの本質は言語コミュニケーションでしょう。

いいや、言語コミュニケーションの極意はリズム支配。
コンテクスト・リズムの占有支配ですよ?

ヒトラーのそれに比べれば、波ちゃんの自演は並。


296 :考える名無しさん:2009/08/28(金) 17:19:13 0
波へいさんの文章リズムはとてもカッコイイですネ

297 :考える名無しさん:2009/08/28(金) 17:25:09 0
発狂中がイイですよネ

298 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 19:22:00 0
>より根源的なところから考える必要がある。

リズムはこのようなプラトニズとは真逆です。

299 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 19:23:09 0
>>
『哲学的探求』読解 ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン (ISBN:4782801076)

私が「規則に従う」と呼ぶものは、ただ一人の人がその人生に於いてただ1回だけでも行う
事が出来る何かであり得るだろうか?[答えは否である。]・・・規則に従うと言う事・・・は慣
習([恒常的]使用、制度)(のリズム)である。

規則の表現−たとえば、道しるべ−は、私の行為と如何に関わっているのか、両者の間に
は如何なる結合が存在するのか?・・・私はこの記号に対して一定の反応をするように訓
練されている、そして、私は今そのように(リズムに)反応するのである。(198)

規則の或る把握があるが、それは、規則の解釈ではなく、規則のその都度の適用におい
て我々が「規則に従う」と言い「規則反する」と言う事の中に現れるもの(リズム)である。(201)

したがって「規則に従う」という事は、解釈ではなく実践である。そして、規則に従うと信じる
事は、規則に従う事ではない。・・・或る規則に従う、という事は、或る命令に従う、という事
に似ている。人は命令に従うように、訓練され、その結果命令に或る一定の仕方(リズム)で
反応するようになるのである。(202)

「如何にして私は規則に従う事ができるのか?」−もしこの問いが、原因についての問いで
はないならば、この問いは、私が規則に従ってそのような行為する事についての、[事前
の]正当化への問いである。もし私が[事前の]正当化をし尽くしてしまえば、そのとき私は、
硬い岩盤に到達したのである。そしてそのとき、私の鋤は反り返っている。そのとき私は、
こう言いたい:「私は当にそのように行為する(リズムを刻む)のである」(217)
<<

300 :荘子系:2009/08/28(金) 19:26:50 O
フロイトの言い間違いと、ネットの誤字脱字は相似系

301 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/28(金) 19:48:12 O
それはどうだろう。ボクなどはブラインドタッチミスが多いが。指がずれてしまうんだよ。
というか普通はローマ字入力だろうが、カナ入力してみたまえ。どんでもないことになるぞ。
人差し指で一字ずつ探りながらまさに初心者だ。
この差こそがリズムぞよ。気にしていないだろうがリズムが身体に染み付いている故だ。

302 :考える名無しさん:2009/08/28(金) 21:01:50 0
1. 世界は成立していることがらの全体である。
2. 与えられたことがら、すなわち事実とは、いくつかの事態の成立にほかならぬ。
3. 事実の論理的映像が思考である。
4. 思考とは意味をもつ命題のことである。
5. 命題は、要素命題の真理関数である。
6. 真理関数の一般的形式 .....これは命題の一般的形式である。
7. 語りえぬものについては、沈黙しなければならない。


303 :考える名無しさん:2009/08/29(土) 23:05:59 0
訓練するっていう言葉は教える側の言葉だけど、反復経験っていったほうが良いと思うんだよな〜

自主訓練ってことばもあるけどなんか違う気がする。

ある訓練がある習慣を作る。ではなくある経験がある習慣を作る。



304 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 08:20:04 0
しかし、ウィトの言う「硬い岩盤」が気になる。妙な説得力だし、課題だ。

この考えだと結局、「私がこう行為する」から正しいというものを最低1つ認めないと、
世の中のあらゆることを説明できなくなってしまう。
正当化を放棄したものがあっても構わないわけだな。
基礎づけ主義っぽいがそれとも違う。
数学だと公理が硬い岩盤なのだろうか。

波平氏、こりゃパンドラの箱ですよ。どう考えてもウィトは変人だ。

305 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/30(日) 14:34:23 0
ソシュールの差異の体系、クワインの全体論など、言語はひとつの体系
と考えられる。
しかし言語ゲームも同様な体系だろうか。たとえば小学1年生が一桁の足し算を
ならう。これは数学という体系の一部を習得したということだろうか。
そうではなくて、小学生は一つの言語ゲームを習ったと言えるだろう。
身につけた一桁足し算のリズムを体で覚えたのだ。

そもそも数学の大系とはなんだろうか。簡単な足し算しかない時代、
部族、人々は一部であり、不完全なのか。
そうならば、今後の拡がるだろう数学大系において、現代の数学者の知識も
また一部である。ならばそもそも体系なるものはどこにあるのだろうか。
これは一つの超越論である。

なぜ全体論を必要とするかといえば、一部がいかに基礎づけられるか
ということを考えるためである。すると最後は、超越論とは人の認識を
超えたところに基礎付けを求める考えである。

ウィトがいった言語ゲームはそうではなく、習得した習慣が
その言語ゲームの全体である。イベリア人が日本にきて、日本の挨拶を覚える。
それは全体の一部ではなく、一つの言語ゲームである。
ではこの言語ゲームはどこに基礎づけられるのか、といえば、
それはリズムである。リズムというメタファーでいいたいことは、規則性があるが
言語のように理解することができず、体でおぼえるしかない、ということだ。

「「規則に従う」という事は、解釈ではなく実践である。そして、規則に従うと信じる
事は、規則に従う事ではない。・・・或る規則に従う、という事は、或る命令に従う、という事
に似ている。人は命令に従うように、訓練され、その結果命令に或る一定の仕方(リズム)で
反応するようになるのである。(202) ウィト」



306 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/30(日) 14:41:16 0
リズムというメタファー

1 規則性があるが言語のように理解することができず、体でおぼえるしかない。
2 リズムはある規則を持っているとしても、生きているかぎり止まることがない。
3 「私的言語は存在しない」といったように、社会環境の中で他の人のリズムと
  共鳴して身につけていく、一つの文化である。

4つめとして、重要なことはグルーヴを生み出すということだろう。
リズムを刻むことで、快感を生み出し、それが他者と共鳴知ればなおさらである。
グルーヴが人を言語ゲームへ参入させる。 

307 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/30(日) 15:51:35 0
全体論を求めるのは人が確かな基礎付けを求めるためである。
クワインは還元主義による基礎付けを批判したが、それを全体主義に求めた。
リズムというような曖昧なものを基礎とするのは不安を伴う。

しかしリズムは単に曖昧なものではなく、環境に深く根ざしている。
その環境に適合し生存するという長い歴史によって硬化されている。

たとえば物理学がなぜ自然を記述できるのか。とくに数学によって
という疑問があるが、それは自然を記述できるように作ったからだ。
自然との一致をもって真としてきた。しかし数学は実在とは切り離された
形式ではないか、といえるだろうか。数学もまた自然、そして自然と
密接な人のリズムの中で作られてきたと言える。

308 :考える名無しさん:2009/08/30(日) 23:20:52 0
真理を確信する条件は「愚かさ」にある。

リニアなモデルは単純なので信じやすい。
リズムやサイクル、パターンなどは循環に基礎を置くが
ややこしく理解が面倒であるので愚かさにとって
不向きである。
一般に三角関数より足し算引き算のほうが「真理」らしく
「確信」せられるのである。


309 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/08/30(日) 23:49:06 0
>>305
体系という物の意味は、全体の中の部分同士に矛盾が生じないという特徴を持っていると思います。
だから、一部を習っただけの小学生も、矛盾に陥ることなく、自由に習ったことを使えるのでしょう。
リズムは体系を作らないと思うので、リズム同士の矛盾が生じます。そうすると、リズムは道具のような物で、
言語ゲームにおけるリズムはそれ自体では意味を持たない物ではないでしょうか。基礎付けのための
説明の方法が、リズムであり、そこから色んな応用が考えられますね。

310 :考える名無しさん:2009/08/31(月) 00:18:42 0
気象にも、経済にも、文明にもリズムがあると考え得る。
しかし、その精密な数学的モデルは完成などしていない。

音楽のリズムも厳密化した体系の作成が可能だとしても、それが
自然現象や生命や身体の持つリズムの適切な表現になりうるか
どうかは全然別問題である。


311 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/31(月) 00:24:27 0
「グルーヴ(groove)とは音楽用語のひとつ。ある種の高揚感を指す言葉であるが、具体的
な定義は決まっていない。語源はレコード盤の針溝を指す言葉で、波、うねりの感じから
ジャズ、レゲエ、ソウルなどブラックミュージックの音楽・演奏を表現する言葉に転じた言葉
である。グルーヴを構成する要素としてはリズムやテンポ、シンコペーション、アーティキュ
レーションなどが挙げられ、主にリズム体(ベース、ドラムス、パーカッションなど)を対象と
した概念である。(wikipediaより)」

グルーヴですか。これはとても重要です。リズムあるところにかならずグルーヴが生まれま
す。グルーヴからリズムが生じるというのはよくわかります。グルーヴの重要な機能は二つ
あるでしょう。一つは人に習慣を身につけやすくする。他者と同期しやすく、そして快感を生
みのめり込ませるという動力面。もう一つはグルーヴは変調を生みやすい。ノリからのズレ
という創造面。特にこの創造面が重要ではないでしょうか。

たとえば「1/fゆらぎ」というものがあります。「規則正しい音とランダムで規則性がない音と
の中間の音で、人に快適感を与える(wikip)」人は同じリズムだけでは退屈になり、そこに
変調(ノイズ)を求めます。多くにおいて創造性とはこのようなものではないでしょうか。それ
が天才的なものとして評価されるのは、あくまで事後的なものであって、リズムはグルーヴ
をもって刻まれることで、たえず変調が忍び込む。それが結果的にクーンの「パラダイムシ
フト」へと至るとしても、リズムははたえず連続性があります。

言語論では、言葉が生まれる場はレトリックと言われています。たとえば若者ことばでしょう。
KYなどのようにノリの中で使われて、それが社会に一般化する。ここにグルーヴがあるので
はないでしょうか。

312 :考える名無しさん:2009/08/31(月) 00:39:42 0
グルーブとかグルービーというレベルはそんなにザラにはないレベルだろ。


313 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/31(月) 00:42:21 0
グルーヴは普通のことですよ。
おしゃべりをしていると起こるようなレベルです。

314 :考える名無しさん:2009/08/31(月) 00:48:46 0
話題や気のあった連中で盛り上がってるってレベルなら
そうかも・・・


315 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/31(月) 00:50:53 0
発話すること自体が一つの快感ですから。盛り上がるというレベルではなく、
普通に会話することにグルーヴはあります。

316 :考える名無しさん:2009/08/31(月) 01:00:49 0
普通の会話、例えば朝の挨拶一つにもグルーブがあり得る。
ということは認めましょう。
不協和音的な会話もあるわけですが。


317 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/31(月) 01:08:11 0
ベタになりますが、ミラーニューロンというのがあって、
人には共鳴する特性があります。
存在そのものが反響板のようなものです。

318 :考える名無しさん:2009/08/31(月) 01:13:30 0

刺激(命題) → 反応(効果)

論証や命題そのものではなく反応は真偽を決める。

319 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/31(月) 01:15:59 0
たとえばテレビを見ているだけで、ものすごい学習訓練なんですね。
リズムを同期しているわけです。

スポーツではイメージトレーニングが重要と言います。
想像するだけで、あるレベルでリズムの反復練習になっている。
当然、実際の運動すべての訓練になるわけではありませんが。

ある種のイメージトレーニング、リズムの反復練習が行われている
わけです。

320 :考える名無しさん:2009/08/31(月) 01:18:58 0
>318
そいつは「ビビッと来た」とかで「真偽」じゃなく、
「確信」だろう。
モノホンとか


321 :考える名無しさん:2009/08/31(月) 01:22:14 0
>>317
>>319

「疑似科学批判」や「科学哲学」の方面のブログからミラーニューロンは批判されている。
例として、カテキンには基礎代謝を上げる効果があるが、効果は僅かで、ダイエットに有効とまで主張するのは誇大広告。

ミラーニューロンの効果も「誤差の範囲」で「メディアや流行俗学のお得意の誇大広告」だと神経科学者も批判している。

322 :考える名無しさん:2009/08/31(月) 01:37:46 0
>319
>テレビを見ているだけで、ものすごい学習訓練なんですね。

そこに手本やモデルを見ているならば、そういえるでしょうが、
そうでなければノイズと大差ない。

手本たり得る条件はまた難しい問題だが。



323 :考える名無しさん:2009/08/31(月) 01:46:03 0
細胞のようなミクロの世界を扱う世界には、ミクロな効果も衝撃的なのでしょうけどね

324 :考える名無しさん:2009/08/31(月) 02:00:46 0
腰痛には低周波刺激が良いらしいよ。


325 : ◆TANPanX3xc :2009/08/31(月) 02:23:33 0
315 名前:第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/31(月) 00:50:53 0
こいつぶっ殺してぇな・

326 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/31(月) 12:16:24 O
ミラーニュロン自体は確かなものですよ。ただいつものごとくなんでもニューロンは危険だということでしょ。
別に先天的でなくてもいいし、へーゲルの欲望は他者の欲望を欲望するでもよいのですか、
ボクは人には他者同期性のようなものがあると思っています。他者に引き付けられる強い地場。そして同期せずにはおれない。
ラカンでは鏡像関係といわれます。子どもは自他の境界がない反応をする。友達をぶっておいて、ぶたれたと泣くなど。

327 : ◆TANPanX3xc :2009/08/31(月) 12:35:48 0
おい
ぴかぁ・・・・
ミラーニューロンの話だとW、


328 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/31(月) 12:37:55 O
ペンギンは集団になりで子育てをしますが子供を陸にのこして親はえさをとりにいき、帰ったとき何万羽のなかから鳴き声で子供を判断します。
これはずごいといいますが、人間も同じ能力をもっています。一番は顔です。
ひとは人間の顔が一つとして同じものがない「固有名」と考えています。何万人いようが、声なら間違えても身近な人の顔を間違えないでしょう。
固有名とはなにかはクリプキのパラドクスの一つです。これを超越論を回避すればりずむによる訓練ということになりますが、リズムの強度があるのではないでしょうか。
他者は強い共鳴をうむ、というような

329 :執恒性 ◆O4UqE6bveQ :2009/08/31(月) 12:42:11 0
執着 者

330 :執恒性 ◆O4UqE6bveQ :2009/08/31(月) 12:44:53 0


331 : ◆TANPanX3xc :2009/08/31(月) 12:47:10 0
>>328
なに言ってんのおまえ。

332 :執恒性 ◆O4UqE6bveQ :2009/08/31(月) 12:50:18 0

 ・ 期待してたのに、、裏切られた

 ・ 好かれようと、、嫌われるんですが

 ・ どうしたら、、彼方が悪い

 ・ 助けようとして、、ころされる


333 :執恒性 ◆O4UqE6bveQ :2009/08/31(月) 12:56:54 0
>331

 ・ それでも、、たすけたい

 ・ なんとか、、しよう

 ・ これも、、あるな

 ・ これで、、よくなる


334 :◇TANPanX3xc:2009/08/31(月) 12:58:59 0
渇望

335 : ◆TANPanX3xc :2009/08/31(月) 13:32:36 0
調べてみたらマツダでした。

336 : ◆TANPanX3xc :2009/08/31(月) 13:34:03 0
にゃーーーーーー><

337 :考える名無しさん:2009/08/31(月) 17:21:55 0
>>326
カテキンの効果も確かなもの。
ただ効果は僅か。
ミラーニューロンとカテキンの誇大広告は大差ない

338 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/31(月) 23:52:32 0
■「言語ゲーム」とグルーヴ

グルーヴの動力と創造

>>
リズムというメタファー

1 規則性があるが言語のように理解することができず、体でおぼえるしかない。
2 リズムはある規則を持っているとしても、生きているかぎり止まることがない。
3 「私的言語は存在しない」といったように、社会環境の中で他の人のリズムと共鳴して身
につけていく、一つの文化である。
<<

4つめとして、重要なことはグルーヴを生み出すということだろう。リズムを刻むことで、快
感を生み出し、それが他者と共鳴知ればなおさらである。グルーヴが人を言語ゲームへ参
入させる。

「グルーヴ(groove)とは音楽用語のひとつ。ある種の高揚感を指す言葉であるが、具体的
な定義は決まっていない。語源はレコード盤の針溝を指す言葉で、波、うねりの感じから
ジャズ、レゲエ、ソウルなどブラックミュージックの音楽・演奏を表現する言葉に転じた言葉
である。グルーヴを構成する要素としてはリズムやテンポ、シンコペーション、アーティキュ
レーションなどが挙げられ、主にリズム体(ベース、ドラムス、パーカッションなど)を対象と
した概念である。(wikipediaより)」

グルーヴはとても重要です。リズムあるところにかならずグルーヴが生まれます。グルーヴ
からリズムが生じるというのはよくわかります。グルーヴの重要な機能は二つあるでしょう。
一つは人に習慣を身につけやすくする。他者と同期しやすく、そして快感を生みのめり込ま
せるという動力面。もう一つのグルーヴの機能は変調を生みやすい。ノリからのズレという
創造面。特にこの創造面が重要ではないでしょうか。

339 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/31(月) 23:53:19 0
スポーツではイメージトレーニングが重要と言います。想像するだけで、あるレベルでリズ
ムの反復練習になっている。当然、実際の運動すべての訓練になるわけではありません
が。ある種のイメージトレーニング、リズムの反復練習が行われているわけです。

たとえば「1/fゆらぎ」というものがあります。「規則正しい音とランダムで規則性がない音と
の中間の音で、人に快適感を与える(wikip)」人は同じリズムだけでは退屈になり、そこに
変調(ノイズ)を求めます。多くにおいて創造性とはこのようなものではないでしょうか。それ
が天才的なものとして評価されるのは、あくまで事後的なものであって、リズムはグルーヴ
をもって刻まれることで、たえず変調が忍び込む。それが結果的にクーンの「パラダイムシ
フト」へと至るとしても、リズムははたえず連続性があります。

340 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/31(月) 23:54:11 0
他者同期性

言語論では、言葉が生まれる場はレトリックと言われています。たとえば若者ことばでしょ
う。「KY」などのようにノリの中で使われて、それが社会に一般化する。ここにグルーヴがあ
るのではないでしょうか。グルーヴは普通のことです。おしゃべりをしていると起こるような
レベルです。発話すること自体が一つの快感ですから。盛り上がるというレベルではなく、
普通に会話することにグルーヴはあります。

ベタになりますが、ミラーニューロンというのがあって、人には共鳴する特性があります。存
在そのものが反響板のようなものです。たとえばテレビを見ているだけで、ものすごい学習
訓練なんですね。リズムを同期しているわけです。

ただいつものごとく自然主義にある「なんでもニューロン」は危険だということでしょ。別に先
天的でなくてもいいし、へーゲルの欲望は他者の欲望を欲望するでもよいのですか、ボク
は人には他者同期性のようなものがあると思っています。他者に引き付けられる強い地
場。そして同期せずにはおれない。ラカンでは鏡像関係といわれます。子どもは自他の境
界がない反応をする。友達をぶっておいて、ぶたれたと泣くなど。

ペンギンは集団で子育てをしますが子供を陸にのこして親はえさをとりにいき、帰ったとき
何万羽のなかから鳴き声で子供を判断します。これはずごいといいますが、人間も同じ能
力をもっています。一番は顔です。ひとは人間の顔が一つとして同じものがない「固有名」
と考えています。何万人いようが、声なら間違えても身近な人の顔を間違えないでしょう。
固有名とはなにかはクリプキのパラドクスの一つです。これを超越論を回避すればリズム
による訓練ということになりますが、リズムの強度があるのではないでしょうか。他者は強
い共鳴をうむ、というような。

341 :考える名無しさん:2009/09/01(火) 01:52:40 0
【09衆院選】幸福実現党が敗戦の弁 「立候補者名、党名の定着・浸透が不十分」

衆院選をめぐり、消費税廃止や憲法改正などを掲げ、小選挙区と比例代表に計337人を擁立したが
当選者が出なかった幸福実現党は31日、「立候補者名、党名の定着・浸透が不十分で、
政権交代選挙の前では通用しなかった」などとするコメントを発表した。

選挙区によっては同党の母体「幸福の科学」の信者数にはるかに届かない得票数があったことを
明らかにし、「信者の信仰と政治選択に分離がある」と分析した。
同党は「選挙戦を通じ、既存政党に変わる“新しい選択”としての『幸福実現党』への国民の
ご期待を肌で強く感じることができた」としたが、来年の参院選への挑戦については
「慎重に検討を重ね、適性ある候補者を選び、事前の選挙活動を充実させていきたい」と述べるにとどめた。

一方、今回の衆院選を日本が直面する課題にビジョンを示す戦いだったと位置づけ、
「正論が国民に十分には理解されなかったが、国難への警鐘を鳴らしたという点で、
宗教政党としての重要な使命は果たし得た」と強調した。

同党は今年5月に結党。都議選に続いて臨んだ衆院選で初の議席獲得を目指していた。

http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090831/elc0908311250124-n1.htm

342 :考える名無しさん:2009/09/03(木) 13:12:33 i
>>310
それができたらフィールズ賞&ノーベル賞級だね

343 :考える名無しさん:2009/09/03(木) 14:53:16 0
長年連れ添った仲の良い老夫婦がいて
「片方が先に死んだら、さみしくないように壁に埋めよう」と言い交わしていた。
しばらくして、婆さんが先に死んだ。 爺さんは悲しみ、約束通り婆さんの死骸を壁に埋めた。
すると、ことある事に壁の中から「じいさん、じいさん…」と婆さんの呼ぶ声がする
爺さんはその声に「はいはい、爺さんはここにいるよ」と答えていたが。
ある日、どうしても用事で出なくてはいけなくなったので村の若い男に、留守番を頼んだ。
男が留守番をしていると、壁の中から婆さんの声がする
「じいさん、じいさん…」 男は答えた。「はいはい、じいさんはここにいるよ」
最初のうちは答えていた。 けれどしかし、婆さんの声はなんどもなんども呼んでくる。
「じいさん、じいさん…」 やがて、男は耐えきれなくなって叫んだ。
「うっせえ! じいさんはいねーよ!」
すると、壁の中から鬼の形相をした老婆が現れ、「じいさんはどこだあ!」と叫んだ。
すると突然、まばゆいばかりのスポットライトが飛び出したばあさんを映し出す
「JI-I-SA-Nは」「どこだ!」ステージにばあさんの声が響く
詰め掛けたオーディエンスはばあさんの久々のステージに期待で爆発しそうだ
今晩も伝説のリリックが聴ける。ストリート生まれヒップホップ育ち。本物のラップが聴けるのだ
キャップを斜めに被りオーバーサイズのTシャツをきたじいさんがターンテーブルをいじりながら目でばあさんに合図する
重たいサウンドがスピーカーから響く。ショウの始まりだ
「 ここでTOUJO! わしがONRYO! 鬼のGYOUSO! ばあさんSANJYO! 
 違法なMAISO! じいさんTOUSO! 壁からわしが呼ぶGENCHO!
 (ドゥ〜ン ドゥンドゥンドゥ〜ン キュワキャキャキャッキャキュワキャ!)
 年金減少! 医療費上昇! ボケてて大変! 食事の時間! 冷たい世間を生き抜き! パークゴルフで息抜き!
どこだJI-I-SA-N老人MONDAI! そんな毎日リアルなSONZAI! SAY HO!(HO!) SAY HO HO HO HO!」
じいさんのプレイも好調だ。オーディエンスの熱狂はこわいくらいだ
まだ俺らの時代は始まったばかりだ、そんなメッセージがマシンガンのようにばあさんの口から飛び出していく
本物のヒップホップ・リズムがここにあるのだ

344 :考える名無しさん:2009/09/08(火) 08:04:05 0
この人もし脳を解剖したら
絶対どっか肥大してそう

345 :考える名無しさん:2009/09/10(木) 23:07:34 0
このスレは初でちょこっとしか読んでないのですが
第三の波平さんの説明は自分はかなり分かりやすく感じました。
博学であることと、しっかりとした自分なりに裏づけされた理論を持っていることと、感情的でないところも非常に好感を持ちました。

で、ウィトとは関係がないのですが、第三の波平さんは専門家とかの類ですか?今までどのくらい哲学について勉強されたのですか?
答えられる範囲でよいので教えてもらえれば、それを参考に自分も日々勉強に励みたいと思っております。
て、この態度はあまりに卑屈すぎかな?

346 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/09/11(金) 00:02:42 0
>>345
専門家じゃないですよ。
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/

347 :考える名無しさん:2009/09/11(金) 00:47:21 0
>>346
ぴかぁ=波平ということですか?
ぴかぁさんはあまり良い評判を聞かないんですが、そのへんどうなんでしょう
といっても本人には答えようがないか
自分は哲学板事情に疎いのでその辺よくわからんのですよね

いずれにせよスレ違いの話になるのでこれ以上はやめたほうがいいかな

348 :阿修羅びたみん落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/09/11(金) 01:25:22 0
哲学的知識は豊富だけれど人間理解には乏しいただのオッサンだよ。ぴかぁ〜は。
歴史も殆ど知らないしね。

349 :考える名無しさん:2009/09/11(金) 01:30:11 O
ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてー

オンコロコロナントカソワカユユユユユユユユwwwww

350 ::2009/09/11(金) 06:17:31 O
穴山と海野がいるかぎりオイラは永久に激滅です。

351 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/09/11(金) 07:34:20 0
>>347
>ぴかぁさんはあまり良い評判を聞かないんですが、そのへんどうなんでしょう

へ〜ボクなんかの噂をする奇特な人がいるんですか。
暇な人がいるね。

352 :考える名無しさん:2009/09/11(金) 08:58:59 0
>>346
専門家以上なのに、何故専門家にならないの?

353 :考える名無しさん :2009/09/11(金) 09:09:23 0
>>352
専門家以上に
熱心なので
8年以上
「引きこもりニート」を続けて
哲学板と写本ブログだけに
集中しております
親から貰うお小遣いは
月額5万円です
現状に満足してるようですが
ただ一つ問題が
30づら下げて
引きこもりニートなので
冠婚葬祭や
親戚の家にはいけません…

354 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/09/11(金) 09:18:00 0
>>352
専門家舐めすぎでは?
しがないリーマンですから。
ただ専門家は公的な存在なので
ネット上だろうがいいたい言えないのが大変ですね。

355 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/09/11(金) 09:28:16 O
ところでどのあたりが専門家なみと思うんだい?

356 :考える名無しさん:2009/09/11(金) 09:56:03 0
>>355
いや、自分自身で言ってるようなものだから、聞いただけ。

357 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/09/11(金) 12:56:26 O
???

358 :阿修羅びたみん落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/09/11(金) 13:12:12 0
日常の感情のやり取りに強い不満をもったピカァ〜さんはエレガントな理論を求めて
無謀な戦いに足を踏み入れるわけでもなく、弱者をいじめて遊んでいるだけなのです。

359 :考える名無しさん:2009/09/11(金) 13:42:35 0
(語りえぬものには沈黙しなければならないとは)

「形而上学、倫理学、認識論に属するあらゆる言明は、検証不可能であり、無意味である。」

このカルナップの解釈でいいだろう。





飯田さんも言ってたけどウィトゲンシュタインは神格化されすぎ。
ハッキリいって前期思想及び『論理哲学論考』は論理実証主義と同じ誤りをしている。
「ウィトは論理実証主義みたいな連中とは違う!」というのは行き過ぎた神格化である。

360 :考える名無しさん:2009/09/11(金) 13:48:33 0
心の哲学を代表するデネットは学生時代に『論考』を読んだとき
「こいつ間違ってるな」とすぐに判断し、ウィトとは距離を取ったという。


361 :考える名無しさん:2009/09/11(金) 14:25:13 0
>>359
「言明そのもの」が無意味なのではなく、「言明に対する問い」が無意味なのでは?

362 :347:2009/09/11(金) 22:18:56 0
波平さん、私はあなたの性格や生活がどうであれ、知識があることは大変に尊敬しています
これ以上はスレ違いなので退散しますね

363 :考える名無しさん:2009/09/11(金) 22:31:28 0
>>361
そう。>>359が論理実証主義と同じ読み方の過ちをしている
語ることと示すことの違い

364 :考える名無しさん :2009/09/12(土) 07:51:54 0
>>360
まあ、デネット自身があの程度じゃねえ…
多くの人が「デネットの本は間違っている」ってすぐに気づいてるし

365 :考える名無しさん:2009/09/12(土) 09:21:34 0
>>359
現実問題として、ウィトを分析哲学に分類するのは少し違う気がする。
〈哲学者〉だけど〈思想家〉にも近いんだよねウィトは。
だから、カルナップやフレーゲなんかとは違う類の人だと思うけれど。


366 :考える名無しさん:2009/09/12(土) 09:52:01 0
ウィト元首多淫

367 :考える名無しさん:2009/09/12(土) 09:54:23 0
ウィト元首手淫

368 :考える名無しさん:2009/09/20(日) 00:11:03 0

    たまらんだろ?           たまらん!
           _, ,_            ,_
         (; ゚д゚ )          (`   )
        (   ⊃┳O        ⊂(   ヽ
        ( ⌒) )┃_        ┃(⌒ ) )  _
   / ̄ ̄ ̄`J ̄ ̄ /\    / ̄ ̄し' ̄ ̄ ̄/\
( ((  ̄◎ ̄○ ̄◎ ̄○  ̄     ̄◎ ̄○ ̄◎ ̄○ ̄ ) ))



369 :考える名無しさん:2009/09/23(水) 16:36:30 0
ダルビッシュ君がカッコイイのと、よくできた数学の証明がカッコイイのとは家族的類似ですか?

370 :考える名無しさん:2009/09/23(水) 19:47:08 0
ラッセルなら、(同音異義語でなければ)何か共通のものを見ることになるんだろう。
「かっこいい」や「かわいい」がそれ以上分析可能とも思えないし。

371 :考える名無しさん:2009/09/28(月) 22:38:21 0
ウィトは数学教わりたい

372 :考える名無しさん:2009/09/28(月) 22:38:39 0
ウィトに数学教わりたい

373 :考える名無しさん:2009/09/28(月) 23:28:09 O
しょーもないモノグラフが一冊出たなw

374 :考える名無しさん:2009/09/28(月) 23:51:36 O
東北大の博論か

375 :考える名無しさん:2009/10/02(金) 10:54:10 0
誰か哲学探究文庫で出せよ。

376 :考える名無しさん:2009/10/02(金) 14:03:50 0
おれはプロジェクト杉田玄白の人に期待してる

377 :考える名無しさん:2009/10/02(金) 21:46:53 0
永井均の入門書をパラパラっと今見てるレベルなんですが ←これ入門書にしては難しいと思います…
先験的な言語の外というのは、
赤ん坊が言葉を覚える、まさにその原理は「語りえない」という事ですか?
つまりチョムスキーみたく、合理的にモデル化した生成文法なんかでの
人工知能はウィト的には不可能って事になるんでしょうか?

378 :考える名無しさん:2009/10/03(土) 01:54:06 0
成句や慣用句は、生成できないんじゃないかと。

379 :考える名無しさん:2009/10/03(土) 02:03:59 0
ウィトが世界の外、言語の外、アプリオリという言葉を使うとき「起こっていないこと(非出来事)」を指す

380 :377:2009/10/03(土) 10:56:02 0
つまりこういう事ですか。

言語の外を語るという事は、そもそも思考不可能な事を思考する事に等しく
そんなものは最初から無意味なものだと。
それを無理やり語ろうとしたところで、結局はそれも言語の中で(言葉遊び)
の推論としてしか成り立たず、その推論(形而上学的な語り)もそもそも無意味だと。

つまりそこは押し黙るほかないと。
こういう理解でいいんでしょうかね?

381 :アプリケーション:2009/10/03(土) 13:06:14 O
インストール

382 :考える名無しさん:2009/10/04(日) 00:02:25 0
>>380
「論理哲学論考」より
4.111 哲学は自然科学ではない
6.53 自然科学の命題以外は−それゆえ哲学とは関係のないこと以外は−何も語らぬこと

どうしろっちゅーのw
これに従ったら、数学も自然科学ではないから、語れなくなってしまう。

383 :377:2009/10/04(日) 01:27:09 0
>>382
自然科学の命題を表す事実の形式としての数学理論なら
有意味だという事ではないでしょうかね?

あと「哲学は自然科学ではない」と「それゆえ哲学とは関係のないこと以外は」
の部分は、6.53の後に続く文章にあるように
形而上学を語ろうとする人間に対して指摘する上での方法論だけが
まさにウィトの言う「哲学」であり、それだけが哲学としての機能を果たしうるし
それ以外が哲学というのを認めない、という事なのではないでしょうか?

384 :考える名無しさん:2009/10/04(日) 02:07:49 0
>>383
「論理哲学論考」は、「哲学批判」というより「形而上学批判」って感じだからな。
数学ってのは、ほとんど形而上学みたいなもので、自然科学は数学を援用しているわけだから
自然科学に適合する部分だけを有意味としたら、本末転倒になってしまう。
「論理哲学論考」は、20代の著作だから、考えとしておかしいところがあっても不思議は無いと思う。

385 :377:2009/10/04(日) 12:04:09 0
>>384
では、この場合の所謂「自然科学」とは何を指しているのでしょうか?
自分は漠然と、数学で記述された物理学と捉えていたのですが…
どうも話を聞いていたらそういう趣旨ではないようですね。

386 :考える名無しさん:2009/10/04(日) 23:16:44 0
>>385
自然科学と言ったら、物理学と化学と生物学かな。
wikiを見たら、これに地学と天文学を加えたものが一般的なようだけど。
数学は、意見が分かれるみたいだけど、純粋数学は自然科学に入らないと思う。

387 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 02:19:17 i
数学はメタ学問っぽい

388 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 03:52:04 0
当時のウィトならある種の数学に対してなら無意味といったかも知れんね。
元々が工学出身だし

389 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 05:15:35 0
>>384
おかしいところがあっても不思議ではない、というより
本人は「論考のほとんどは間違っていると考えている」と言って、論考の解説書を書くことを拒否しているし
論考の中核となる写像理論は今や中高生にしか支持されていない

390 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/10/05(月) 08:06:10 0
世界とは命題の総体である、ということは、人間が知覚する「世界」とは、或るまとまりのついたもので、
人に対して伝達できるものだけをいうのであって、つまり「世界」がなんであるかとは、実用的な共有した
価値観の基になる材料だけを言うのであって、言語ゲームのルールとなる、言葉によって想起させられるもの
だけを言うのであろう。したがって、語り得ないものについて沈黙すると言う態度は、とりあえず沈黙していて、
人間の集合的無意識が移り変わるとともに、侮蔑や毀誉褒貶といった、人間関係の根幹に関わる、
自意識の構成要素に関わるもので、言語ゲームの主要部分をなすものは、語りうることが変わってくる。
前はむかついたことも今では骨董的言葉になっていたりするものである。自意識は一人では構成することが
出来ず、集団の中の自分の存在を意識することが核になっているのである。
命題の集合である世界とは、例えば第三者的視点からすれば語りえない部分を語ってしまっている事例が
見つかると思えるかも知れない。例えば、幼児は母親の胎内にいる。しかし、このことは、幼児との言語ゲーム
が不可能であると言うことから何も語ったことになっておらず、母親の胎内にいた経験を、語ることは幼児にとって、
また成長してからも不可能であり、胎内とは語り得ないものなのである。
例えば時間について考えてみても良い。時間という観念は、個人個人が持つ物であるが、それを言語化して語るのは、
長い、短い、程度のことだけであり、個人的に感覚される時間は、人間には知覚できない部分を、自然科学的
言語によって、表象の試みがなされるのである。
哲学が何を語りうるか、ということは、言語ゲームによってあらかじめ決められており、すでに語られてしまった世界を、
変化した集合的無意識による共有された価値観によって、語り直されることで、哲学がギリシャ時代から進歩してきた
と言う感覚を持つのである。哲学が一般に無意味なものであると感覚されるのは、そうした言語ゲームの規定によって、
大きく左右されるのである。集合的無意識全体を語ることは、世界をつかまえることであり、そうしてつかまえられた世界は、
どのようにこれから変化していこうと、核自体は変わることのない、まさに「世界」なのではないだろうか。

391 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 11:31:27 0
>>386
>純粋数学は自然科学に入らないと思う。
数学や論理学や言語学などを形式科学として分類する
事もある。形而上学もある意味では形式科学になるんだろう。

392 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 12:42:13 0
数学が形式科学? では、それは何によって記述する? 

393 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 13:19:37 0
「自然は数学によって描写できる」
すくなくとも論考期のウィトはこのニュートン的な考えを持っていただろう。
でなきゃ写像理論なんかでてこない

394 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 14:32:40 0
その上、集合論には否定的だったし、整数の定義も独特だったからね。
現代の数学観からすると異端。

395 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 17:41:11 0
>>393
近似的にね。よくできた似顔絵。
たしかに人間のつくった絵の具で「自然」と似たような色づけはできる。
でも本当に、あんな色をしているのだろうか。
世界は数学に似ているのか。

396 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 18:47:06 0
いや、数学によって描かれた自然は抽象画なので、似ているとも似ていないとも…

397 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 21:58:12 0

   ウドンゲンシュタイン

                             _,,、
           ノ ヽ              /   ', 
          / ./ |              /  ヽ  ヽ        
      ,, - "  イ .|      __    /   /}   \ 
   ,, - "      |  |  _,,- '' ̄::::::: ̄ `''×   //     ヽ
 ,,"         ト  ', ´:::::::::::::::::::::::::::::::::/   タ        \  
 l           | ヽ `::::::::::::::::::::::::::::::::::_,, -"          ノ 
. l          |:::::/:::,':::::::::::::l::::::l::::::::', ',           /      
.  l        ノ/,':::,l:::::l:::::::::l;:::::l:::::::::::トヽ         /      
.  l    ,, - ''"./|:::l:::∧:::l l:::::::lヽ::ト::::::::::l:ヽ\        /       
   ` '"    |:::::ハ,,_l',,,メ":l lヽ:::l`、:トヽ,,_l_l:::l:::::〉、     /      
.         |:::::| ',:::l. l ヽlヽl\l _ヽl \l l::::l::::/レ::::ヽ、/ヽ       
         ヽ:|  }`l ==       == l::::l/.l/:::::',:::ヽメl     
          >┤l ///      /// /l:::イ ',ヽ:::::ヽ::::\ヽr-、_    
          {  /::::ト、_ l`ァ"´ ̄ヽ ,,イ l/l  ヽ、\::\::::ヽ',.l l ̄ヽ  
         __メ::::∠(__ノ>ー一</(l l メ、 _ノヽ メ:::::ヽ`\-──' 
          ̄ ̄   ̄ ̄       ̄ ̄({乂__   \::ヽ::::l   
                                       

398 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 22:29:08 0
技術者出身の哲学者って珍しいよね

399 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 23:28:11 0
>>398
そのせいか、「論考」には勇み足の感がある。

400 :考える名無しさん:2009/10/07(水) 13:14:04 i
>>398
貴重な存在です

401 :考える名無しさん:2009/10/14(水) 10:28:03 0
6.031 集合論は数学では全く余計である。
(笑)

402 :考える名無しさん:2009/10/15(木) 15:02:12 0
 客観性の高い観念とその根拠はどこにある?
できれば、不安を克服できるようなのがいいんだが。
無一文ホームレスになっても不安なく暮らせるようなそんな観念ほしい

403 :考える名無しさん:2009/10/15(木) 15:57:24 0
それは哲学が供するものじゃないね。
それに、今時の日本で無一文で生活しようという根性が腐ってる。


404 :考える名無しさん:2009/10/15(木) 17:19:06 0
>>403
いや、むしろ無一文ホームレスにはなりたくないよ。
でも、なる可能性はあるし、それが不安だから。
ホームレスになっても不安を感じないような観念があれば不安を感じずに生活できると思ったんだ
餓死も怖い。不安を克服したいんだよ、衣食住が無くなるという不安をね
そこらへんは感情自己責任論というので哲学のものかと思ったんだが

405 :考える名無しさん:2009/10/15(木) 20:48:06 0
橋爪何とかのヴィトゲンシュタイン理解って
どの程度の物なんですか?

406 :考える名無しさん:2009/10/15(木) 21:24:01 0
>>405
竹田何とか内田何とかと同程度の物

407 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/10/19(月) 10:31:35 0
言葉はものとしての(空気の響きとしての)形を持つ。実在する。人間の気持ちや感情、思考でさえ、
しゃべる、書く、行動する、等の助けを借りなければ、全く分からない。しかし、その気持ち、感情、思考等は
想像することによってトレースすることが出来る。この行為は、言葉とは全く関係のない行為だ。
人は言葉を口にすれば、或いは心の中で言葉にすれば、その言葉に引きずられて、考えていないことまで
しゃべることになる。言葉と感情の二つの混ざらないものは、人のコミュニケーションにおいて、つまづきの
意思となる。言葉についての過度の信頼感を持っているのが、普通の人間であると思う。

408 :球児 ◆ewP6fUImNw5g :2009/10/19(月) 16:13:46 0
>人間の気持ちや感情、思考でさえ、
>しゃべる、書く、行動する、等の助けを借りなければ、全く分からない

借りたとしても、その人しか分からないんじゃないの? 嘘ついてたりしたら、
本当だとしても、確かめようが無いんじゃないの?

>その気持ち、感情、思考等は
>想像することによってトレースすることが出来る。

その気持ち、感情、思考等を分かることはできるの?
分かる方法が無ければトレースもできないんじゃないの?
細かくすれば同じものは無くなると思うから、完璧にトレースすることは出来ないと思う

>人は言葉を口にすれば、或いは心の中で言葉にすれば、その言葉に引きずられて、考えていないことまで
>しゃべることになる。

何故、考えていないことが喋れるの?

>言葉と感情の二つの混ざらないものは

言葉は分かるが、感情が混ざらないものなんてあるの?

>言葉についての過度の信頼感を持っているのが、普通の人間であると思う。

普通の人間は言葉の何についての信頼感が過度なの?





409 :考える名無しさん:2009/10/28(水) 04:54:06 O
天才哲学者

410 :考える名無しさん:2009/10/28(水) 23:39:25 0
ウィトゲンシュタイン・セレクションを読んでいるのですが、
「哲学探究」などの後期についてわかりやすく解説した手頃な本はないでしょうか?
野矢先生の論考を読むのような。

411 :考える名無しさん:2009/10/29(木) 00:05:23 0
>>407
一般的な日本人は、むしろ言葉を軽んじていると思うが…
言葉を軽んじているというより、言葉よりも行動を重んじていると言うべきか。

412 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/10/29(木) 08:28:33 O
>>407
日本語がおかしかった。いわゆるシニフィアンとシニフィエみたいなことがいいたかった。指示するためのものと、
指示されたもの。言葉は使い終わればゴミとなり歴史的建築物という観光用の、端からはよく分からないものになりはてる。
言葉を使うとき、シニフィエにならない余剰なもの、つまり、言葉の動機、発想、言葉に至る過程、等は、形に
ならずに消えてしまう。コミュニケーションの際は、そういった余剰物についての想像力が結構大きな割合を
占めると考える。一方シニフィアンは形を取らないと存在できないので、シニフィエ以外の物も生み出してしまう。
シニフィアンは独自の構造を持つから、その体系の中での思考を強制されて、例えば村上春樹がいったように
完璧な文章といったものは存在しないということになる。

413 :満豚:2009/10/29(木) 10:43:01 O
>>410
 『ウィトゲンシュタインはこう考えた』鬼界彰夫 講談社現代新書 
 前期から後期まで紹介している本で、とても良く仕上がっています。絶対に損はしませんよ。 私的言語論はクリプキの立場をとっていますので
『ウィトゲンシュタインのパラドックス』黒崎宏と合わせて読むと勉強になります。
 全集の『哲学探求』は非常に評判が悪いので、黒崎宏の『哲学的探求 読解』の方が良いでしょう。みすず書房です。

414 :考える名無しさん:2009/10/29(木) 13:14:13 i
お家設計してもらいたい

415 :考える名無しさん:2009/10/29(木) 15:27:18 0
>>413
ばか? 哲学探究の日本語解説本に定本は無いよ。

それにクリプキ止まりで永久制止しちまってる。
黒崎訳はトンデモ超訳だし。全集の方がまだましでしょ。
だいたい国内のウィト業界は後期をキチンと解説できなチキンばかりだし。



416 :満豚:2009/10/29(木) 18:51:10 O
 ばか?私は『ウィトゲンシュタインはこう考え』という、初心者にもすすめれる良い本があり、その本では私的言語論をクリプキの立場で紹介しているので『ウィトゲンシュタインのパラドックス』と合わせて読むと勉強になる
ということを言ったのですよ? そこから私に対し「クリプキ止まり」というレッテルを貼りつけるには論理的な飛躍があるでしょ? 「私はクリプキ止まりではない」と言っているわけではないですよ。そんな見栄は張りませんが、
ただただ、あなたのトンデモ解釈を指摘しているだけです。
 哲学探求についてですが、全集にも黒崎訳にも問題があるという評判があることは知っていますよ。全集には誤訳が目立ち、黒崎訳は個性が強すぎるといったところでしょうか。
で、私は両者のマイナス要素とプラス要素を考慮した上で黒崎訳をすすめたわけですが、全集をすすめるあなたにも、ある考慮の結果として全集をすすめているわけでしょう。
つまり、同価値というわけでが、ここでいきなり私のことを「ばか」と評価するには、これまたトンデモ解釈としか言い様がないといった感じでしょうか?
 あと、日本国内には哲学探求の定本がなく、キチンと解説出来ていないということについてですが、
……ごめんなさい。面倒くさくなっちゃいました。(他にも言いたいことが山ほどあり過ぎて、逆に面倒くさくなっちゃいました(笑)) では、あなたが初心者にすすめられる、後期ウィトゲンシュタインの哲学の解説書を紳士な態度で教えてあげて下さい。 では、さようなら。

417 :考える名無しさん:2009/10/30(金) 00:01:26 0
わはは。どんなに真っ当な理解や解説もトンデモだと決めつけられる様に、
どんなトンデモ理解・解説をも真っ当だと主張できる。というのがあのパラドクスの意義ですからね。
あまたのチキンな議論を経験しチキン鰤なスープを飲み干してこそ、我々がチキンである妙味を知り得る。

だからね、200頁90分程度の煮込みでこさえただけのチキンスープでは本来のチキンスープは味わえないよ。
と、もし、君がシェフであることを自称したいのなら、そんなスープには手をつけなさんな。と親切に言うべきでしょ?

その意味でリファレンスとなるようなスープは無いから定本推奨はしないのが吉だと思うけど。
もちろん、ウィト的料理のレシピがチキンスープだけじゃないのは、おっしゃるとおり。

418 :417:2009/10/30(金) 04:19:18 0
鬼界さんの本について付け加えると、あの新書の出版後、同氏が翻訳した
「哲学宗教日記」の後書き(P318)に彼自身のこれまでのウィト理解がウィトの
日記と対比してみると、大きな全体の一部であった旨が書かれている。
つまり、あの新書はテキストを文献学的にクリティークする手法で厳密に分析解釈
していたにも関わらず、不十分であったと本人が認めていると読むことができる。

二年ほど前、本郷で飯田氏ともども尊顔を拝する機会があり、議論の口調や
眼差しなどに鋭い方々であることは経験として知っているが、専門家をしても、
ウィト理解は難しいということは十分あり得る。

読者としては、あの日記本の後書き的理解を発展させた次稿に期待している。


419 :考える名無しさん:2009/10/31(土) 13:46:11 P
ハイデガーの技術論?(未読)とかカントとかウィトゲンシュタインとか、
ソッチの方向かもだけど、『コギトが権利上は伴いうる他の私(真性の他者)』だけが
変えられた<世界の限界>を、「コギトが事実問題として伴わない他者未満(オウム返し)」が
変えてしまえる場合、それは《仮性の他者》なのか?

420 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/11/01(日) 19:05:48 0
第三の波平さんの主張されてた、リズムというのは、重要な考えだ。言葉は呪術があるように、ある速度に
他者の思考を同調させようとする。それだけでなく、我々の脳は自然にある一定のリズムを刻んでいる。
それが脳にとって自然な働きなのだろう。リズムを乱すことが、脳にどういった影響を与えるのか。

421 :考える名無しさん:2009/11/01(日) 21:11:10 0
思考盗聴をして王様気分になっている加害者が、何で豪くなっている気分になれるのか判りません。

422 :考える名無しさん:2009/11/01(日) 22:54:06 O

「検証不可能な命題には真偽はない、ゆえに形而上学は無意味である」

とカルナップは「語りえぬものには沈黙しなければならない」を上のように解釈している

「ウィトは論理実証主義ではない!だからその解釈は間違いだ!」
という異論は多いけど、飯田隆が言うように
ウィトと『論理哲学論考』は神格視されすぎだ

少なくとも論考期のウィトは論理実証主義者であり
現代では初学者以外に支持されることはない

423 :考える名無しさん:2009/11/02(月) 13:04:46 0
心理というものがある。これは、自分の脳状態(とその変化の様子)を自分でとらえきれないところからきたものである。
考えてみれば当たり前で、自分は一つの存在であるから、自分を完全に客観的にとらえられるわけがないのである。
自分の部分から、別の部分を観察して、自分を理解する。全体が全体を観察するのは不可能だ。そして心理というものは、
脳の働きの理解(動物的能力)を、脳によって行う方法であって、人間の不完全さ(当たり前だが)を示すものである。


424 :考える名無しさん:2009/11/02(月) 19:03:31 0
ヴィトゲンシュタインは高機能自閉症

425 :考える名無しさん:2009/11/02(月) 23:34:45 0
ヴィトゲンシュタインに限らず、哲学の問いってのは、発達障害で発生する問題とよく似てるんだよな。

426 :考える名無しさん:2009/11/02(月) 23:52:08 0
哲学奴なんて大方、精神病んでるだろう

427 :考える名無しさん:2009/11/03(火) 14:52:07 0
精神分裂病の某研究者のウィト研究本を読んだことがあるが、彼の説明では、
精神分裂病患者の典型的なパターンが、ウィトの哲学の認識論周辺に顕れているらしい。

精神分裂病者の思考や行動のパターンは特徴的で比喩的に言えば、リッジレーサーみたいな
ドライブ・ゲームのプレイヤーに似てる。特に自動車の後方に背後霊の様にへばりついて
車を運転するモード。分裂者はリアルな他人に接する自身の人格を背後から操作し、
彼に喋らせ、行為はさせるが、分裂してて合一していないので、本人として他者の前には顕れない。
そうした仮想人格が複数操作できれば多重人格障害者ともなり得るらしい。

後期ウィトのアスペクト移動が関連する議論は、この種の分裂気質的・人格移動的で、
例えば、リアルタイムな会話を言語ゲームとして見る視点は、まさにドライブゲームの
ゲーマーの視点のように背後霊的視線へ移行して語られる。規則に関する議論も同様。

健常者と分裂者の境界は記述的か即時的かによるが、一般に哲学的思考者が変態なのは、
そうした分裂思考を哲学理解を繰り返す中で訓練し、リアル人格と哲学的で思考実験的
な偽造人格を自らの内部に育ててしまうこと。だからなのかもね。

2ちゃんの名無しやコテハンのようなネット人格も、この意味で分裂病的。
実際、基地外はどの板にも沢山いるし、重症者はコテに多いよねw

428 :427:2009/11/03(火) 14:54:10 0
×精神分裂病の某研究者のウィト研究本
○精神分裂病を研究してる分析医が書いたウィト研究本

429 :考える名無しさん:2009/11/03(火) 15:03:55 0
>>425
んだんだ

430 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/11/03(火) 17:27:47 0
>>427
ん〜これってたんにメタ認識が強いだけのような・・・

431 :考える名無しさん:2009/11/03(火) 21:20:37 0
>>425
哲学者や数学者には発達障害が多いが、普通の人が理解できる感覚が理解できないが故に色々考え、
それが突き抜けて何かを見てしまい、パラダイムシフトを起こすのだろうね。

432 :考える名無しさん:2009/11/03(火) 23:31:06 0
「狂人とは、理性以外の全てが欠落している者だ」という考えもあるからな。
理性が先鋭化した者が、天才なのかもしれない。

433 :考える名無しさん:2009/11/05(木) 09:46:12 0
自己診断だけどパーソナルカラーが自分が好きな色と真逆で落ち込んだ
パステルカラー、大好きなんだけどな…

434 :考える名無しさん:2009/11/05(木) 23:13:36 0
「論考」でびびったのが、因果連鎖を完全否定した後で、
ベイズ流の確率命題を論じ始めるところです。
ベイズ流かは別にして、未来を確率的にしか記述できない事は、
古典力学から量子力学にパラダイムシフトした事と完全に合致していてびっくりしました。

435 :考える名無しさん:2009/11/06(金) 19:56:41 O
ベイズを掘り起こしたのは論考の影響を受けたウィトゲンシュタインの
親友ラムゼイなんだと。

良く分からんが。トリニティ・カレッジでケインズの確率論に
関する論文を議論してたとか。

436 :考える名無しさん:2009/11/06(金) 23:29:39 O
ディズニー「アラジン」を、ティムバートンがリメイクしたらどうなるか

俺なら、これについて思索するのだ

437 :考える名無しさん:2009/11/06(金) 23:50:00 0
>>436
軽過ぎ。
ヴィトゲンシュタインは、生きるか死ぬかの瀬戸際で思索してたから、人々の心に響くの。
ニーチェも、「私が愛するのは、血で書かれたものだけだ」と言ってるし。
結局、人間にインパクトを与えるのは、才気走った文章じゃなくて、自身の存在を賭けた文章だと思うよ。

438 :考える名無しさん:2009/11/06(金) 23:51:21 O
直球で勝負だな。

439 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/11/07(土) 00:33:07 0
>>435
そのころは非決定論は流行りだした頃か・・・

440 :考える名無しさん:2009/11/07(土) 15:52:35 0
論考は、時空の外に存在を措定するのを禁止する現象論的世界だからな。
因果律なるものをあまり突っ込んで考えたことはない。

441 :考える名無しさん:2009/11/07(土) 15:55:35 0
あ、考えたことがないってのは俺がね?

因果律ってのは時間軸が存在とは別個に措定されるような
気もするんだが、あと誰か考えてくれ。

442 :考える名無しさん:2009/11/07(土) 22:35:11 0
物理的存在者は時間と独立ではないだろ

443 :考える名無しさん:2009/11/08(日) 00:38:22 O
古典力学の運動方程式はその限りではないとは?

444 :考える名無しさん:2009/11/08(日) 01:23:01 i
発達障害者の神

445 :考える名無しさん :2009/11/08(日) 01:35:38 0
日本ではカリスマ化してるけれど
冷静に評価すれば
ウィトは通過点的な哲学者

446 :考える名無しさん:2009/11/08(日) 01:49:24 O
2ちゃんねるで教わったとか言ったら駄目だぞ。

447 :考える名無しさん:2009/11/08(日) 05:28:44 0
2ちゃんねるで救われたとか言ってたら駄目だぞ。

448 :考える名無しさん:2009/11/08(日) 09:28:36 P
生の意味とは、苦難や幸福の神議論では説明不能なこの、
ライプニッツ的に悲惨な現世の生き方をいう。

449 :443:2009/11/08(日) 09:40:13 O
古典力学は古典力学なんだから当たり前のことだな。

俺は全く間抜けなことを言ってしまった。

450 :考える名無しさん:2009/11/08(日) 22:55:13 O
古代ギリシャの「アキレスと亀」や「制止する矢」の
パラドクスが現代でも暇人の単なる悪ふざけでは
済まされないのは、全く同じ問題を数学基礎論が
抱えているからである。

とかナントカ言って見るテスツ

451 :考える名無しさん:2009/11/09(月) 01:11:01 0
「アキレスと亀」は、「集合論」につながるものがあり
「静止する矢」は、「不確定性原理」につながるものがあるからね。

452 :考える名無しさん:2009/11/09(月) 18:27:27 O
もっとシンプルに「数は連続か不連続か」って点から攻めてみたら?

453 :考える名無しさん:2009/11/12(木) 09:02:16 0
「アキレスと亀」は到達とか追い越しとかを「近似・近接」という概念「だけ」で説明しようとしているからムリポ。
面積を持たない「点」に触れたりや「直線」を折ったりできないのと同じ。

454 :考える名無しさん:2009/11/14(土) 20:08:13 O
ラッセルが『外的世界はいかにして知られえるか』で、
正にこの問題で悩んでる。世界は連続なのか不連続なのか、
現状では後者である証拠が優勢であるように見える、とか。

ラッセルは19世紀的な観念論者だったが、ウィトゲンシュタインに
師事されただけあって、それほど底は浅くない。

455 :考える名無しさん:2009/11/22(日) 10:56:24 O
一番尊敬する哲学者はラッセルだなー

456 :考える名無しさん:2009/11/22(日) 12:05:19 O
日本嫌いの親中派だもんな。

457 :考える名無しさん:2009/11/22(日) 18:09:57 0
ウィトゲンシュタイン・セレクションを手にしたんですが、
途切れ途切れなので、Amazonのレビューさんと同じく
とうとう哲学探究をゲトしてしまいました。
よろしくお願いします。

458 :考える名無しさん:2009/11/24(火) 10:54:10 0
いちご姫元気か?

459 :考える名無しさん:2009/11/25(水) 04:56:19 0
>>457
哲学探究なら、プロジェクト杉田玄白にも・・・。
http://www.geocities.jp/mickindex/wittgenstein/witt_pu_jp.html
まあ、本の方が読みやすいからいいと思う。

460 ::2009/11/26(木) 12:53:17 0
以前こちらで「ハイパー・テキスト版論理哲学論考(英語版・日本語和訳版)」を宣伝させてもらった者です。
ハイパー・テキスト版論理哲学論考」はgeocitiesから GoogleAPPEngin
http://tractatus-online.appspot.com/Tractatus.html
に引越ししてます(現在は両方で読めますが、いずれgeocitiesは亡くなる予定です)。
GoogleAPPEnginではサーバーサイドでプログラミング出来るので、
できれば本格的Ajax版も作ってみたいなーと思ってますが、
javaの勉強からなので、いつのことやら...



461 :考える名無しさん:2009/11/29(日) 17:44:59 O
クリプキの規則への解釈がウィトゲンシュタイン解釈としては間違っているという話はよく聞くのだけど。
それを具体的に展開している論文を英文でもいいから教えていただけませんか。

462 :考える名無しさん:2009/12/26(土) 04:19:06 0
数え切れないくらいカラマーゾフを、
読んだ事が大きいと思うのだが指摘がない。
研究者は読んだ事が無いからか。。。

463 :考える名無しさん:2009/12/26(土) 10:20:45 0
クリプキの規則への解釈がウィトゲンシュタイン解釈としては間違っているかどうかは知らないが
例のクワスの話は実にくだらない話
記号にはいろんな解釈を当てられるという当たり前の話でしかない

464 :考える名無しさん:2009/12/26(土) 11:35:16 O
俺も思い返したらそう思った。日常言論も記号の一緒に過ぎ
ないってことを強調するのには手の込んだ喩え話だ。

465 :考える名無しさん:2009/12/28(月) 15:25:11 0
>>463
>記号にはいろんな解釈を当てられるという当たり前の話

そういう話ではない。大きな勘違い。その程度だったら、こんなに問題にならない。

クリプキの問題提起は、いろんな解釈を当てられると高みに立って思えるような地盤そのものが崩壊する話。

466 :考える名無しさん:2009/12/28(月) 15:56:45 0
>>465
>いろんな解釈を当てられると高みに立って思えるような地盤そのものが崩壊する話

それどこでされてるの? 
『ウィトゲンシュタインのパラドックス』何ページ目ですか?
あの本全部読んだけど、そんな話出てきたかなあ
出てこなかったから肩透かし食らった印象しか残ってないんだけれども


467 :考える名無しさん:2009/12/28(月) 16:02:01 O
論考の魅力は論理の峻厳さと文学的な味わいが無造作に両立してる点かな。

468 :考える名無しさん:2009/12/28(月) 16:19:54 0
>>466
>『ウィトゲンシュタインのパラドックス』何ページ目ですか?

>>465にあることは、何頁とかそういうことではなく
いわゆるクワス算等によるクリプキの問題提起そのもの
の理解に関わる話ですね。
ここで全てを説明するのは無理だから、次の本あたりを
読んでみるといいよ。

法解釈の言語哲学 クリプキから根元的規約主義へ
hhttp://www.keisoshobo.co.jp/book/b25533.html



469 :考える名無しさん:2009/12/28(月) 16:41:26 0
>>468
だからクリプキがあそこで言っているのは結局、
クワインがgavagaiの例で、パットナムがレーヴェンハイム-スコーレムの定理を援用して説明した「指示の不可測性」と同じことでしょ。
別にクリプキの一大発見みたいなレベルの話じゃぜんぜんないと思うのだけれど。

470 :考える名無しさん:2009/12/28(月) 16:44:43 O
英米哲学におけるウィトゲンシュタインの位置付けはテクノクラチズムの座布団。

471 :考える名無しさん:2009/12/28(月) 16:48:53 0
>>469
>「指示の不可測性」

それだけでなくて、
クリプキの議論は、「指示の不可測性」そのものが
自己言及的で自己破滅的なテーゼだというところまで
主張しているんじゃない?

あれは極端に全面的な懐疑論なんだよ。

472 :考える名無しさん:2009/12/28(月) 21:02:47 0
>>471
>「指示の不可測性」そのものが自己言及的で自己破滅的なテーゼ

それってもしかして
「指示の不可測性」テーゼを構成する言葉の指示自体が不可測だから
そのテーゼの正当性に懐疑が生じるとかいう素朴な話?

473 :考える名無しさん:2009/12/28(月) 22:28:38 0
多様な解釈の有り様は、真知から理解、誤謬、妄想までの幅で振幅しえる。
ということなんじゃないかなあ。懐疑論はくだらない。というのは簡単なんだけど。

解釈はどこかで停止しない限り、延々とループするしかないよね。
でもって、「確実性の問題」へと to be continued.

474 :考える名無しさん:2009/12/28(月) 23:44:35 0
「死を前にした実存」だな。論考も塹壕の中で考えた。

475 :考える名無しさん:2009/12/28(月) 23:53:01 0
>>472
>素朴な話

これをしたり顔で「素朴」と言い切れる立場は存在しない、ということをよく考えてみないとクリプキの議論は永遠に分からないままなんだよね。

まあ一種の無意識の抑圧だとは思うんだけども。

476 :考える名無しさん:2010/01/03(日) 14:01:19 0
クリプキがクワスの話から
「言葉は意味をもたない」
と帰結させたのは誤りで、
「言葉の意味は一意に決定されるものではない」
ということが帰結されるにすぎない。


477 :考える名無しさん:2010/01/10(日) 01:22:25 0
クワス算とか、キリのいい数で行ったら納得し易いでしょ。
意地悪なクリプキは、納得しづらいように、わざとキリの悪い数にしたんじゃないのw
クワス算みたいな珍奇な演算だけに囚われて、根源的なところが見えない奴にはセンスが無いみたいな。

478 :考える名無しさん:2010/01/13(水) 23:39:00 0
だから根源的なところって何よ
命題の形で書いてみてよ

479 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/02/06(土) 13:35:09 0
言語は論理的か。
信じるというのは言語だが、行為でもある。
信じないというのは言語であり、観念でもあって、行為とは普通ならないようだ。
行為には言語のような飛躍が出来ないため、言語より論理的であるように思う。
言語は、対象が無言のうちに変えられることがあると思うのだが、例えば、信じるものはある物であっても、信じない
というときにはそのものに向けられないと、心の中では言いたいと言う場合のように。彼の言うことを信じるという命題の
否定命題は、現実的感覚としては、彼の何かが信じられない、といったように、対象に幅があるように思えるのである。
自然や行為は論理に従って、言語や思考は論理と相性が悪いとすれば、そのギャップが生み出すのが神やスピリチュアル
なものであると思える。

480 :考える名無しさん:2010/02/06(土) 21:29:07 0
すいません。ほんとの真性にわかなんですけれども
ウィトを簡単に紹介したサブカル本の解説を読んだんですが、

三段論法以降はやはり数学がわからないと自分でこの著書の文章は
(とりあえず言葉として○○だ)理解できないんでしょうか?

わたしには文章の記号化さえできません・・・orz
やさしい解説本を読むと解ったようなきにはなるんですが
バカなじぶんがくやしいです><


481 :考える名無しさん:2010/02/06(土) 21:46:21 0
>>480
大学では、全集の黄色本(講演集)からはいるといいって先生が言ってましたよ。

482 :考える名無しさん:2010/02/06(土) 22:57:41 0
>>480
たとえば論考なんて現代論理学の考えが元にあるからね

世界と言語との間に写像関係がある,なんて基本的見解についても
「写像ってなんぞ?うまいんか」ってな状況だと読み進めづらいだろうね

483 :考える名無しさん:2010/02/07(日) 00:12:09 0
>>481さん
>>482さん レスありがとうございますm(  )m

【論考】のラスト6・54私の命題は、私を理解する人がそれを通り・・・略
は相対主義と同じで「すべては人それぞれだ」といった瞬間、「すべては人それぞれだ」
で∞ループ。
【論考】も同じ。この論考という書物の命題群は何も示していない?
(写像関係をもってないから)ということは論考という本自体がすべて
無意味な名言だった。

んで後期とよばれる【言語ゲーム】になるであってますかね???

484 :考える名無しさん:2010/02/07(日) 00:18:32 0
>無意味な言明でした 

485 :考える名無しさん:2010/02/07(日) 00:31:22 0
>>483
まず自分の見解がちゃんと他人に伝わるように,論理的かつ明晰に語れるようになろう

486 :考える名無しさん:2010/02/07(日) 01:11:50 0
>>485さん アドバイスありがとうございます。

>論理的かつ明晰に語れるようになろう
そうなりたいんですが・・・わたしにはかなりハードル高いです。
自分では整理して書いたつもりだったんですがもう少し解説本を
よんでからまた質問させてもらいますm(  )m

487 :考える名無しさん:2010/02/10(水) 19:44:16 0
「確実性の問題」について質問です。
サールの「心の再発見」で、確実性の問題はサールのBackground仮説についての
最良の著作だと信じていると書かかれていたのですが、確実性の問題の主題は
簡単にいうとどんなものになるでしょうか?

488 :考える名無しさん:2010/02/10(水) 20:22:07 0
またサールかよw

489 :考える名無しさん:2010/02/10(水) 21:19:49 0
(´;ω;`)ブワ そんなこといわずにおしえてください・・。

490 :考える名無しさん:2010/02/11(木) 10:14:41 O
論考は言動一致で理解しないと意味ないぞ。

491 :考える名無しさん:2010/02/11(木) 11:01:05 0
>>487
『パイドン』で毒ニンジンの杯を手にしたソクラテスが、死んだことのある者は
いないのに死が悪いことだとどうして分かるのだってやってるだろ。

基本的には同じことだ。

492 :考える名無しさん:2010/02/11(木) 12:23:49 0
ジョン・サールは「生物学的自然主義」か。ウィトゲンシュタインは『論考』で、
ダーウィン学説もその他の科学同様、哲学とは一定の距離のあるものとし
てる。これは生涯そうだったんじゃないかな?

493 :考える名無しさん:2010/02/11(木) 21:56:25 0
全集って、初版からあの装丁だったの?
昭和50年にあの箱にあのデザインってすごすぎじゃね?

494 :考える名無しさん:2010/02/12(金) 00:12:03 0
杉浦康平とか粟津潔とか知らない世代か

495 :考える名無しさん:2010/02/13(土) 17:58:42 0
>基本的には同じことだ。

ば〜かw

496 :考える名無しさん:2010/02/13(土) 18:20:28 0
小学生は2ちゃんねるやったら駄目だよ?

いきなりウィトゲンシュタインに入るより無駄と思っても
プラトンを一通り目を通して置くと、時々、偉そうな顔
出来るもんだぞ?

497 :考える名無しさん:2010/02/13(土) 19:14:41 0
Remarks on Coulourって全集に入ってますか?


498 :考える名無しさん:2010/02/13(土) 20:02:00 0
大修館は英米よりの出版社だな。
『確実性の問題』はカネに困って近所の古書店にウッパラしちまったのはここだけの話だ。

499 :考える名無しさん:2010/02/13(土) 20:34:18 0
>>496
プラトンを読むのは常識の範疇だが、
プラトンを読めというのは非常識とか非礼の類だろ

プラトン読んだくらいでできる偉そうな顔ってどんな顔なのだろう?

500 :考える名無しさん:2010/02/13(土) 21:20:45 0
>>487
確実な知識の例として右手を目に前にかざし「これが私の右手であることは間違いのない真実だ」
と述べたムーアのテーゼに対してウィトゲンシュタインは基本的にムーアの議論を承認するが、
「間違いのない真実だ」という表現は採用せず、確実な真理と言うよりも、
疑うことが無意味な言明と理解するべきだとする。というのが「確実性の問題の骨子」

>>491の「死が悪いことだとどうして分かる?」というのは良い悪いの倫理問題だから、
さしあたりウィトの問題の範囲外だろうね。問題外。



501 :考える名無しさん:2010/02/13(土) 23:17:56 0
>>499
分析の奴らがソクラテスに興味があるようには見えないからさ。

502 :考える名無しさん:2010/02/13(土) 23:28:25 0
ウィトゲンシュタインは戦後間もなく、捕虜収容所のドイツ兵に
慰問でバイオリンを送ってチンピラ哲学者に絡まれて嫌な思い
をしたのな。

【ポモ×分哲】《デリダ=サール論争》【最終決着】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1220718668/l50

こんな下らないスレあったんだな。

503 :考える名無しさん:2010/02/14(日) 00:51:05 0
>>500
>>502はノーマン・マルコムの伝記に出てくる話。捕虜への慰問が理由とは
はっきり書いていないが、友人らは積極的に擁護しようとはしなかったんで、
「自分は渡り鳥だ」と何度も叫んだとか。マルコムもこの出来事については、
一歩引いたような書き方だ。英米哲学界でのウィトゲンシュタインの扱いって
のは、こんな調子だ。

「ヴィトゲンシュタインの著作に見られる一面で、今後ますます注目を
集めることが確実なのは、その言語である。彼がいつの日か古典的な
ドイツ散文家の一人に数えられないとしたら、それは驚くべきことであろう。
『論考』の文学的な味わいは余人に気づかれずには済まなかった。
『哲学探究』の言語も同じように見事である。」

これはヨーロッパ人のウリクトによる伝記。

504 :考える名無しさん:2010/02/14(日) 05:27:27 0
>>502
マルコムの回想録を読み返してみれば、ドイツ兵捕虜収容所の慰問の話と、
「渡り鳥(フォーゲルフライ)」の話とは頁続きではあるが、全く関係がない別の話。
ということがわかるだろう?

それと、「チンピラ哲学者」が誰であるのかマルコムは名を伏せているからわからないが、
戦後の45年から46年にウィトともめた相手は、スラッファ、ラッセル、ポパー等の大物だけ
でなく、21歳の1944年にウィトのクラスの学生であったクライゼルも揉めた相手の一人。
クライゼルはウィトが数ある学生の中才能NO.1だと認めていて。長時間議論を共にしていた
と言われている。後にゲーデルの共同研究者。同時期のドゥルーリーの会話録に、哲学を
学ぶ若い学生の多くはprejudicedだから。みたいなことを言ってるから、たぶん、彼だろう。



505 :考える名無しさん:2010/02/14(日) 17:11:48 0
慰問をやった「その年の冬」とは書いてあるが、むしろ関係ないとしたら、
ウィトゲンシュタインを誰も擁護したがらなかったってのは薄情さが増す
だけだろ。

哲学的に衝突するのと言いがかりをつけるのは違うからな。アーウィン・
クリストルのエンカウンターでケストラーが鈴木大拙にやった禅批判の件を
連想したが。

506 :考える名無しさん:2010/02/14(日) 21:26:33 0
>>505
あのような文章でそういう解釈も可能なのかもしれないが、
なぜにそんなに拘るんだろ? 

ウィトが君が言う「いちゃもん」に反論依頼した三人、つまり
マルコム、アンスコム、スマイシーズは二次大戦直前に
ウィトのクラスに在籍した教え子。そういう点で彼らはウィト
がどんな人間であるかをそれなりに知っていたであろうし、
師の代理人として反論を書いたとしても、そもそも師の代理
になり得ないということをよく知っていたから躊躇したのだろう。
彼らは捕虜収容所の件、反独感情からウィトに冷たく接した
という解釈は俺的にはお笑いネタ以下だなあ。マルコムは
米国人だから無理だったけど、アンスコムもスマイシーズも
ウィトがケンブリッジのベバン博士宅で亡くなる際、死の床で
彼の死を看取った弟子であって、最も師を慕っていた弟子達
なんだけどね。

鈴木大拙の件が似ているからそれを引き合いにして何が
いいたいのだろう。パン屋の棚にあんパンとメロンパンが
並べられているからといって、あんパンとメロンパンは同じ
じゃないのに。と思うけど。

507 :考える名無しさん:2010/02/14(日) 22:11:07 0
慕っていたけど、理解してたとは限らんよね。
「良い人生だったと彼らに言って下さい」だっけ。

508 :考える名無しさん:2010/02/15(月) 00:12:36 0
自分のレスしてる人が若干1名きてるな

509 :不眠症さん:2010/02/15(月) 04:46:44 0
ああ、理性と倫理における自己言及は究極のテーマだ。

510 :考える名無しさん:2010/02/20(土) 02:32:02 O
『論考』は言葉に対する偶像崇拝を禁止した書であるとしたら
どうだろう?

511 :考える名無しさん:2010/02/20(土) 02:34:18 0
この人難しいね。さすがに頭が痛くなる。

512 :考える名無しさん:2010/02/20(土) 03:50:49 0
難しいけど、どうにもならんってほどではないと思う。

513 :考える名無しさん:2010/02/20(土) 09:15:57 O
アタマの良い難しさだからね。

名の知られた人でも衒学的な言葉を集めて背骨のない文章を並べただけの
本だったりすることも多い。

514 :考える名無しさん:2010/02/20(土) 18:37:07 O
言葉への偶像崇拝とは観念論のことで、形而上学もこれに類するものだ。

515 :考える名無しさん:2010/02/21(日) 01:45:08 0
論文形式で考えるタイプと、断章形式で考えるタイプがあると思うけど
自分は断章形式で考えるから、ニーチェとかウィトゲンシュタインとかを読むと、スッと入ってくる

516 :考える名無しさん:2010/02/21(日) 03:12:47 0
ぱかみたいw

517 :考える名無しさん:2010/02/21(日) 12:42:19 0
>スッと入ってくる

ワロタ

518 :考える名無しさん:2010/02/21(日) 15:39:21 0
いや、ウィトゲンシュタインの著作ってそういうものでしょ。
違和感無く受け入れられるかどうかってところがある。
論理実証主義者は、論理的に読み解こうとして誤読した。

519 :考える名無しさん:2010/02/22(月) 13:13:49 0
「誤読」って、誰のどの読み方が誤読だったの?
ど〜せ、入門書とかの受け売りなんだろ。

「論考」には記述スタイルや記述内容にいくつか
誤りがあるとウィト自身が認めているわけで、
ウィト本人が意図していた読み方がなされなくても
仕方がなかったのかも。とウィト本人が思うところ
あって、後期哲学が展開されているのであるし、

それに、シュリックやワイスマンなど、「ウィーン学団」本
に登場する学者連は、ウィト本人との会話の中で徐々に
考え方や理解を彼らなりに深めていったようであるし。

後期ウィトの主張には、理解の正しさは暫定的で、
ある事態理解の正しさは、その解釈に対して大いなる
異議が差し挟まれない限りのもの。

誤読なんて語は、決めつけ貶めには最適だけど、
ま、1930年以降の著作をそこそこ読んでいれば、
使わずに済ませられる語だと思うけどね。

520 :考える名無しさん:2010/02/22(月) 14:19:16 0
なんだ、おまえも入門書読めばわかるようなことばかり書いているじゃないか。

521 :考える名無しさん:2010/02/22(月) 16:09:31 O
論考を理解するのは、一枚の風景写真を渡されて、それを撮影した場所を探すことに
似てる。正しい場所に立つことが出来たら論考全体が静止的に
俯瞰出来る、はず。

522 :考える名無しさん:2010/02/24(水) 07:47:25 0
このスレで「青色本」の解釈をしています。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1246979750/l50
あくまでも、永井哲学に関連した解釈に過ぎないので、ちょっと読みづらいとは思いますし、
なにが言いたいのかよくわからないところもあると思いますが、どなたかコメントいただければ
ありがたいです。

523 :考える名無しさん:2010/02/24(水) 13:50:33 0
解釈に汲々として何かを得られるのかね

524 :522:2010/02/24(水) 14:07:56 0
>>523
私は、永井哲学はおかしいということを言いたかっただけです。永井哲学は全体として
独り言のようなものなので、反駁不能なのですが、根拠としてウィトゲンシュタインが
引き合いに出されているのなら、それは間違いということになるでしょう。

525 :考える名無しさん:2010/02/24(水) 16:24:48 0
>>524
永井のことは永井にまかせておけばいいと思うよ。

永井のウィト入門書は、体裁こそ入門書だけど、実際には<独在論>の入門書だから。
彼の独在主義は旧来の思弁的論理をインポートしつつ実存主義の社会投機的な他者との
関わりをしつつ徹底的に排除する懐疑的自閉傾向のゆえに、おかしいというよりは不健康な印象がするね。

それでも、80年代以後に現れたウォークマン世代とその発展型のブランド→オタク世代
が醸すある種の臭さを共有してるから、世代的に、今的な連中には受けるんだろう。
ウィトは哲学ファッション界のブランドだから、彼の自閉的ヘッドフォン哲学にはぴったりなのかも。
萌えがあれば、もうすこしよいのに。とか思うけど、論争好きなアオラーだし。

なんというか、「他者のために生きるということを通じて人は神の道に通じる」と曰うウィトと
宗教嫌いの自閉的永井とでは決定的に資質を異にしているから、永井がウィトを解説したり
引用するのは、オードリーと若林と春日のズレ漫才ならぬズレ哲学という視点でみれば、
それはそれで笑えて面白いと思うけどね。w

526 :考える名無しさん:2010/02/24(水) 16:26:04 0
関わりをしつつ徹底的に排除する → 関わりを徹底的に排除する

527 :522:2010/02/24(水) 18:52:12 0
>>525
私はウィトゲンシュタインも好きですが、哲学者としてはチャーマーズのような人が大好きなもので。
「なぜ意識は実在しないのか」が、デタラメな糞本であることは、きちんと示すことができたと
思っていますが、えらい人がちゃんと指摘して欲しいものです。

528 :考える名無しさん:2010/02/24(水) 23:43:29 O
それでウィトゲンシュタインの哲学を一言で要約したら何なのよ


529 :考える名無しさん:2010/02/25(木) 00:28:25 0
日本では、戦後、学者・知識人が圧倒的な数で、「科学的社会主義」などという、ソビエト帝国型の考えに
集団で脳を犯されたので、「科学的」といえば「社会主義(共産主義)のことだと信じ込んで、この
「科学的社会主義」という宗教を日本国民に、各種高級学問の振りをして押し付けた。それを商売として
やったのが、岩波書店である。だから日本国民の方が、すっかりイヤ気がして、「科学」というコトバを
使わなくなった。なぜなら使ってみても、ちっとも「科学的」ではないからだ。「君の考えは科学的だね」
と友人に言ってみると、まるで、馬鹿丸出しで、「一体、オマエは何が言いたいんだ」と、相手から嘲笑
されるからである。ソビエト教の信者以外の世界では通用しない。だから、日本人の「科学」不振は物凄く
深い。そこで、私が、「哲学は科学じゃないんだよ」というと、日本人はケゲンな顔をする。何を言って
いるのか分からない。哲学というのは、日本では「文学部哲学科」だから「文学」のお友達で、これは、
絶対に「文科系」だよ、となる。そうではない。哲学は、科学の一種とは違う。神学の一族なのだ。
Philosophy is not a science!
アメリカ人やイギリス人の大卒の人に尋ねてみるとよい。彼らは、必ずこう言う。例外はない。
こんなことも知らないで日本人は、「自分達も欧米人に負けない高等学問をやっている国民なのだ」と
思いこんでいる。日本の大学生が、学制(カリキュラム)として大学で受けている講義は学問などでは
ない。あれは「土人のコトバ遊び」だ。
副島隆彦「決然たる政治学への道」P171〜177


530 :考える名無しさん:2010/02/25(木) 00:47:49 O
「哲学の目的は存在の第一の原因、則ち神ないし天界について知る事である」(アリストテレス『形而上学』岩波文庫)
副島は思い付きを語り過ぎだ。
岩波文庫は立派に大衆啓蒙の役割を果たしている。
確かに『資本論』も出版しているが聖書や仏教典なども出版してるしね


531 :考える名無しさん:2010/02/25(木) 01:24:24 0
ageが入るとこれだからなあ。

ウィトは、アリストテレスなんて読んでいない。と人憚らずに公言してるんだよ。


532 :考える名無しさん:2010/02/25(木) 01:30:54 0
副島コピペ多すぎだろ
やっぱ大量コピペする基地外には電波副島と波長があうのかねw

533 :522:2010/02/25(木) 01:31:58 0
すいません。もう来ません。
私はウィトゲンシュタインなどと関係ない人間でもいいです。

もしかしたら、また来るかもしれませんが、そのときは別人として来ます。

534 :考える名無しさん:2010/02/25(木) 01:48:56 0
ageなきゃいいんだよ。<名無し>に本人も別人もないだろうに。w

535 :考える名無しさん:2010/02/25(木) 14:48:06 0
>>531
「影響されないのはいいことだ」って言う人だからね。
「天才と才人」っての立ち読みしたけど、結構面白かった。
天才−ショーペンハウアー
才人−ウィトゲンシュタイン

536 :考える名無しさん:2010/02/26(金) 17:13:51 0
『意志と表象の世界』はショーペンに手渡されたギョエテも、おなかいっぱい状態で、
大して関心を向けなかったって話だぞ。俺も最初の章だけで満足した。

537 :考える名無しさん:2010/03/03(水) 00:23:26 0
>>528
この世で意味のあるのは肛姦だけである。

538 :考える名無しさん:2010/03/04(木) 11:48:54 0
>>537
普通は鶏姦という

539 :考える名無しさん:2010/03/04(木) 15:42:36 0
平凡社ライブラリの「ウィトゲンシュタイン・コレクション」って、買ってもいい?
ほんとは全集欲しいけど、今カネないから。

540 :考える名無しさん:2010/03/04(木) 18:46:12 0
>>539
いいと思うよ。
論考については、野矢さんの論考を読むを副読本にすればいい。

あと、洋書なら探究とかを全集よりも安く買えるから検討してみてはどう?

541 :考える名無しさん:2010/03/04(木) 19:05:27 0
探求はなぜ文庫化されないんだぜ
論考は3冊くらいあるのに

542 :考える名無しさん:2010/03/04(木) 19:07:17 0
平凡社の黒田本は良本だが、野矢本は悪本の類。

543 :考える名無しさん:2010/03/04(木) 19:10:02 0
>>541
訳者後書きとか解題とかを書ききれる自信を持つ碩学が居ないから。

544 :考える名無しさん:2010/03/04(木) 19:54:55 i
このスレの住人は、数学得意な人多いの?

545 :考える名無しさん:2010/03/04(木) 20:04:03 0
その命題の検証条件は何よ

546 :考える名無しさん:2010/03/04(木) 23:11:20 0
>>544
得意じゃないけど好きだよ。
ここに数学嫌いな人はいないと思う。
数学得意な人は、いるかいないかわからないけど。

547 :考える名無しさん:2010/03/06(土) 07:16:09 0
まあウィトゲンシュタイン自身も数学から出発してッしなー

とか言う俺は数学音痴

548 :考える名無しさん:2010/03/06(土) 23:04:48 0
>>543
そんなのいらないと思うけれどもな。
現に英訳版には簡単なはしがきしかついてないわけだし。
文庫とはいわないから、ソフトカバーの廉価版くらいあってもいいよね。

549 :考える名無しさん:2010/03/12(金) 00:34:52 0
言語とか知識とか説明するのに、
自分の頬を叩いて痛みが分かるのは自分だけではない、
と一般的な知識として挙げていた人だよね。

550 :考える名無しさん:2010/03/13(土) 15:52:29 0
Kennyの"The Wittgenstein Reader"ってどうですか?
洋書を買うレベルの人は全集とか買っちゃうから、需要がないのかなぁ?

551 :考える名無しさん:2010/03/13(土) 22:17:15 0
下記二作は全集に収録されてるんでしょうか?
翻訳者違いとかですか?

●「ウィトゲンシュタインの講義〈1〉ケンブリッジ1930‐1932年―ジョン・キングとデズモンド・リーのノートより」

●「ウィトゲンシュタインの講義―ケンブリッジ1932‐1935年 アリス・アンブローズとマーガレット・マクドナルドのノートより」


552 :カルト教団@@@ ◆j.Ypl7DW.o :2010/03/14(日) 01:15:19 0
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●異世界●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
これを見た人は確実に【異世界】になります。どこかに3回コピペすれば実現できます。
これは本当です。やらないと一生無駄になります。
幸福の科学はスペースオペラソフトSF小説のパクリですよねー。
ウィトゲンシュタイン=厨二病。

553 :考える名無しさん:2010/03/15(月) 15:48:41 0
中二病みたいな、伊集院ごときが作った造語を、よく恥ずかしげもなく使えるな。

554 :考える名無しさん:2010/03/16(火) 20:03:47 0
>>551
収録されていません。講義録である青色本、茶色本とは別物です。

555 :考える名無しさん:2010/03/20(土) 21:12:51 0
>>554
ありがとうございます。
さっそく注文しました。

ズにのって質問なんですが、
他に全集未収録なのって何があるんでしょうか?
(全集は図書館にあるので少しずつ借りて済ませようと思います。)

哲学宗教日記、断章くらいでしょうか?

556 :考える名無しさん:2010/03/20(土) 21:48:44 0
>>555
断章は全集9巻に収録されてるよ。確実性の問題と一緒に。

色彩についてはたしか未収録。ただ絶版じゃないかな。原著(独英のバイリンガル)は安いよ。

557 :考える名無しさん:2010/03/20(土) 22:44:21 0
あ、断章じゃなくて断片だったね。スマソ。

558 :考える名無しさん:2010/03/20(土) 23:41:10 0
>>555
ウィトの外典ものを探しているなら『Philosophical Occasions 1912-1951』がいい。英語/独語だけど。
絶版になってなければ、amazon.co.jpで入手できるはず。内容は以下の通り

1. Book Review of P. Coffey, The Science of Logic (ウィトゲンシュタイン)
2. Some Letters of Ludwig Wittgenstein ( W.エックルス )
3. Preface to the Dictionary for Elementary Schools. (ウィトゲンシュタイン)
4. Some Remarks on Logical Form. (ウィトゲンシュタイン)
5. A Lecture on Ethics (ウィトゲンシュタイン)
6. Wittgenstein's Lectures in 1930-1933 ( G.E. ムーア )
7. Remarks on Frazer's Golden Bough (ウィトゲンシュタイン)
8. Letters to Editor of Mind. ( w/ R.B. ブレインスワイト )
9. Philosophie [Big Type Script] (ウィトゲンシュタイン)
10. Notes for Lectures on "Private Experiences" and "Sence Data" (ウィトゲンシュタイン)
11. The Language of Sense Data and Private Experience (ラッシュ・リース)
12. Cause and Effect: Intuitive Awareness (ラッシュ・リース)
13. Lectures on Freedom of the Will (ヨーリックス・マイシーズ)
14. Notes for the "Philosphical Lectures" (ウィトゲンシュタイン)
15. Letters from Ludwig Wittgenstein to Georg Henrik von Wright ( G.H.フォン・ライト)

ウィトが生前に出版したのは「論考」だけじゃなく、子供向けのドイツ語辞書がある。その前書きは
上記本に載ってる。「版哲学的断章」の訳者の丘澤静也氏によれば、辞書本体は20頁位の小振りなもの
だがまさに子供向けで解りやすい記述があるとか。amazon.deとか探せば復刻版とかあるかもしれないけど、
そこまで探査してない。

559 :考える名無しさん:2010/03/20(土) 23:45:12 0
あと、外典ものがあるとすれば、書簡集だろうね。
書簡は伝記的追いかけに関心がなければ、あまり意味はないかも。

書籍は英Blackwelとかにあるみたいだけど、たいてい絶版で入手は難しい。


560 :考える名無しさん:2010/03/20(土) 23:50:04 0
もうひとつ。手稿類のイメージを集約したCD-ROMがある。
紀伊国屋書店とかで扱ってるはず。ただしべらぼうに高価。
それらがCD-ROMに集約される以前にはマイクロフィルム版が存在していて
黒崎宏とか、大学の研究者の幾人かが持っていたようだけども。

研究者になるなら、そこまで調べて、ここで公開してねw

561 :558:2010/03/21(日) 11:13:22 0
×研究者になるなら、そこまで調べて、ここで公開してねw
○研究者になるなら、手稿とかまで調べて、研究成果ここで公開してねぇw

562 :考える名無しさん:2010/03/21(日) 12:03:12 0
この人の文体独特だけど、翻訳に依るってことはないの?
原文にも、あるいは誰が訳しても「独特さ」の痕跡が消し去れないほど個性的な
文章なのかな。よくあるアフォリズムとはちょっと違うよね。

563 :考える名無しさん:2010/03/21(日) 13:12:41 0
ブンセキの専門家の邦訳って味気なさそうだな。

>>503

564 :考える名無しさん:2010/03/21(日) 13:27:45 0
ウィトゲンシュタインは全著作を通じて人文家でなかったことは
一度もない。

565 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/03/22(月) 09:44:48 0
翻訳では分からないことが多いな。
語りえぬ、えぬ、って古すぎだろ。
沈黙、沈んでどうするって。

566 :考える名無しさん:2010/03/22(月) 11:41:14 0
ジョシコーセーにケータイ語を学んでから出直してきな。

567 :考える名無しさん:2010/03/22(月) 12:45:40 0
論考のエピグラフにある革命的共和主義者キュルンベルガー
ジャーナリストのジャーナリズム批判 : フェルディナント・キュルンベルガーの実践的言語批判 [in Japanese]
Ein Journalist kritisiert den Jounalismus. : Ferdinand Kurnbergers praktische Sprachkritik [in Japanese]
ttp://ci.nii.ac.jp/naid/110006263373

ウィトゲンシュタインが評価していて、ウリクトによると、その影響が垣間見える
ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF



568 :考える名無しさん:2010/03/23(火) 02:39:43 0
>>565
最近でた訳では「沈黙する」になってたしな。
たしかに、こっちの方が正しいと思う(せねばならない、だったら出来てしまう可能性が生まれるから)

569 :考える名無しさん:2010/03/23(火) 03:16:06 0
正しい文章としては、「語りえぬもの」に対しては、「沈黙せざるをえない」となるだろうな。
ただ、「論考」は形而上学を批判してるから、「形而上学的対象は、語りえないものだから黙れ」ってことかな?

570 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/03/23(火) 10:42:00 0
人間の興味というのは経験的に「獲得」するものであり、知識の範囲を興味が左右するとすれば、「獲得」に関わる
のが言語ゲームであり、言語ゲームの記述書が歴史であるとするなら、歴史の原理は論理になり、言語ゲームの原理も論理であると言える。
歴史によって経験が決まるからである(唯物論)。
僕の世界理解が一巡したところで、プチ永劫回帰体験を味わった、と言っていいのかなあ。



571 :考える名無しさん:2010/03/23(火) 11:35:13 0
>>570
難しすぎて、全然わかりません。

572 :考える名無しさん:2010/03/23(火) 12:57:07 0
>>568
Google訳?

573 :考える名無しさん:2010/03/23(火) 15:55:58 0
論考7
Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.

"muss"は"müssen"、英語の"must"だから、ゾレン形で良いだろ。

574 :考える名無しさん:2010/03/23(火) 16:11:43 0
>>572
木村 洋平 訳。社会評論社 からでてる(なぜ出たのかはよくわからない)

575 :考える名無しさん:2010/03/23(火) 16:46:47 0
>>568
出来てしまうことは決してないんだけど、真顔でタワゴトを
並べ立て始めるからだろ。

576 :考える名無しさん:2010/03/23(火) 16:54:46 0
レビュー

いろいろな訳や版がありますが、これは「美しさ」で飛び抜けてます。
装幀、段組、訳文、すべてうつくしい。
ネタバレになるので訳文は引きませんが
「しなければならない」に違和を感じるヒトは、ぜひ。

ゾレン主義が嫌いらしいなw

577 :考える名無しさん:2010/03/23(火) 17:28:42 0
「この本の目的は倫理的なものです。私は序文に、今は削除してある一文章を
入れようと思ったことがありますが、それをあなたのためにここに書いておきましょ
う。というのも、それはあなたにとってこの本を理解する鍵となるでしょうから。私
が書こうと思った文章とは以下の通りです。『本書の目的は二つの部分からなる。
すなわち現にここで述べられているものと、私がここに書か[なかった](強調)もの
すべてとである。[そして重要なのはまさにこの二番目の部分である。](強調)』
この本は倫理的なものの領域の限界線をいわば内側から引いているのです。
そして私はそれがその線を引く[唯一の](強調)厳密なやり方だと確信しています。
要するに、今日、他の多くのひとびとがたんに無駄話をしているに過ぎない主題に
関して、私は私の本のなかでそれについて沈黙しながらすべてをしかるべき場所
にしっかりと入れることができたと思っています。こういうわけですから、もし私が
ひどく間違っていなければ、この本はあなた自身が言いたいと思っていることの
大部分を言っていることになります。ただあなたにはそれがそこで言われている
ということがわからないかもしれません。そこで差し当たり私はあなたに序文と
結論を読まれることをお勧めします。なぜならばそこにこの本の目的の最も直接
的な表現があるからです。」

『ブレンナー』編集者ルードヴィヒ・フィッカー宛書簡
国文社・『ポパーとウィトゲンシュタイン 〜ウィーン学団・論理実証主義再考〜 』

この『再考』自体は、無駄話の再開をしたくて仕方ない本なんだが。

578 :考える名無しさん:2010/03/23(火) 18:06:45 0

4.111
 哲学は、自然科学の一つではない。
〔「哲学」という語は、自然科学以上の、あるいは以下の、しかしながらそれと並列はしない何ものかを意味しなくてはならない。〕

4.112
 哲学の目的は、思想を論理的に明澄化することである。
 哲学は教説ではない。活動である。
 哲学上の著作は、本質的に、解明ということに成り立つ。
 哲学の成果とは、「哲学的諸命題」のことではない。諸命題が明澄になる、ということである。
 哲学は、哲学なしにはいわば暗濁混迷の思想を、明澄なものとし、鋭く境界づけられたものにしなくてはならない。

4.1121
 心理学は、哲学に対して、他の自然科学以上に親密なものではない。
 いわゆる認識論とは、心理学の哲学のことである。
 記号言語についての私の研究は、哲学者たちが論理学の哲学にとってあれほど本質的なものであると考えている思考過程の研究に該当する、といえないであろうか。
 ただし哲学者たちは、多くの場合、非本質的な心理学的研究に迷いこんでいった。
 そして、私の方法にもまた同じような危険がある。

4.1122
 ダーウィンの理論は、自然科学のほかの仮説以上に哲学との交渉があるとはいえない。


579 :考える名無しさん:2010/03/23(火) 22:02:12 0
>>578について言われているのは、ハイデガーが『存在と時間』で提起した、
科学の諸領域の「基礎概念」についてメスを入れることが哲学の仕事だと
いうのが論考の趣旨と理解出来ないこともない。

580 :考える名無しさん:2010/03/24(水) 19:56:23 0
5.631
 思考し表象するところの主体なるものは存在しない。もしも私が『世界見たまま』と題する書物を書く
としよう。その書物には、当然に私のからだについても報告がなくてはなるまい。そして、からだのど
の部分が私の意志に服従して、どの部分が服従しないか、なども語らねばなるまい。これがすなわち、
主体なるものを分離する方法、むしろ、重大な意味において、主体なるものは存在しないことを示す
方法である。すなわち、主体についてだけは、この書物のなかで論じようがないのである。

5.632
 主体は、世界のうちに属するのではない。それは、世界の境界なのである。

5.633
 世界のなかのどこに、形而上学的主体が見つかるのであろうか。
 君は答えるだろう。ここで問題は、・・・

『菩提達磨無心論』

問うて曰く。
いかんが能く是無心と知ることを得ん。
答えて曰く。
汝但だ子細に推求し看よ。
心は何の相貌をか作す。
其の心は復た可得きや。
是れ心か是れ心ならざるか。
はた内に在るか、はた外に在るか、はた中間に在るか。
是の如く三處に推求して心を覓むるにもまた不可得なり。
乃至、一切處に求覓むるもまた不可得なり。
當に知るべし、即ち是れ無心なることを。


581 :考える名無しさん:2010/03/26(金) 22:18:16 0
哲学探究、原書買っちまった・・。

582 :考える名無しさん:2010/03/27(土) 08:48:23 0
翻訳すらまだ読んでないのに・・。

583 :考える名無しさん:2010/04/01(木) 20:41:08 0
1
 世界とは、その場に起こることの全てである。

1.1
 世界は事実の総体であって、事物の総体ではない。

1.11
 世界は、諸事実によって、しかも、それがすべての事実であるということによって、
規定されている。

唯物論とは一般に「世界は事物の総体である」という考え方として理解されている。
これは論考のリアリズムとは違う点だ。近代主義的観念論に批判的である点は
共通しているんだが。

584 :考える名無しさん:2010/04/02(金) 09:56:36 0
>唯物論とは一般に「世界は事物の総体である」という考え方として理解されている。

ちがう
唯物論は心的出来事の存在の否定として定義される

585 :考える名無しさん:2010/04/02(金) 13:42:11 0
左が弱まると、世の中に妄想が蔓延して駄目だよな。

「神話」とはノンフィクションの地位に置かれたフィクションである、と。

586 :考える名無しさん:2010/04/02(金) 15:02:43 0
唯心論にとっては心的出来事は「事」だからな

587 :考える名無しさん:2010/04/02(金) 16:16:39 0
唯心論ではない、現象論。

「物」で規定すると、世界観がどうしても機械論的に
なるね。

588 :考える名無しさん:2010/04/03(土) 08:16:55 0
現象論は唯心論の一部です

589 :考える名無しさん:2010/04/04(日) 03:37:18 0
メガネは頭の一部です。

590 :考える名無しさん:2010/04/07(水) 22:07:19 0
>>588
唯心論において「心」は世界内存在ではないのか?

591 :考える名無しさん:2010/04/08(木) 03:27:42 0
現象は心に立ち現れるわけでしょ

592 :考える名無しさん:2010/04/08(木) 21:07:49 0
だから、その「心」などというものはどこにあるのだと。
禅だと「莫妄想(まくもうぞう、妄想すること莫れ)!」とか、
一喝するんだけども。

『菩提達磨無心論』

問うて曰く。
いかんが能く是無心と知ることを得ん。
答えて曰く。
汝但だ子細に推求し看よ。
心は何の相貌をか作す。
其の心は復た可得きや。
是れ心か是れ心ならざるか。
はた内に在るか、はた外に在るか、はた中間に在るか。
是の如く三處に推求して心を覓むるにもまた不可得なり。
乃至、一切處に求覓むるもまた不可得なり。
當に知るべし、即ち是れ無心なることを。



593 :考える名無しさん:2010/04/09(金) 14:10:34 0



594 :世界外存在:2010/04/09(金) 20:04:00 0



595 :考える名無しさん:2010/04/09(金) 22:05:37 P
KennyのWittgenstein Readerゲトしました。
ウィトゲンシュタインの選集(英語版)です。
黒田セレクションとはまた違った編別になっていて、黒田セレクションに収録されていない
マイナー文献からも収録していたりします。
以上レポでした。


596 :考える名無しさん:2010/04/09(金) 22:05:41 0
KennyのWittgenstein Readerゲトしました。
ウィトゲンシュタインの選集(英語版)です。
黒田セレクションとはまた違った編別になっていて、黒田セレクションに収録されていない
マイナー文献からも収録していたりします。
以上レポでした。

597 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 08:23:08 0
2回言ったね。

598 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 11:28:55 0
はんたいのさんせいなのだ〜

599 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 13:26:32 0
>>584
唯物論で主観の問題を反映論で解決しようとするだろ。
マルクスはどうなのか知らないが、史的唯物論だと、
歴史が超越主観としての役割と担っているところはないか?

600 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 18:09:54 0
言語ゲームってたいしたコといって無いじゃん
なんでありがたがってるの?

601 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 18:17:41 0
ありがたい仏様の教えと似てるから

602 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 18:28:42 0
誰がありがたがってるのww

603 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 18:28:44 P
もはや分からないことなどありません。
すべてを悟りました。
この世に解けない問題があったら教えてください
















604 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 18:33:55 0
では問う。語り得ないものとは何か

605 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 18:39:50 P
>>604
Aは何か?と問われても
AはAでしかありません。

606 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 18:47:58 0
それは語り尽くすことで示されうる
あらゆるものを定義せよ

607 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 18:53:09 P
>>606
定義するのはあなたのほうです。
あらゆるものを定義するのは無限であり意味のないことです

608 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 19:44:43 0
「悟りとは悟らで悟る悟りなり。悟る悟りは夢の悟りぞ。」

「本当の悟りとは決して悟らないように悟るものだ。
悟った悟ったと言うような悟りは本物の悟りではない」

609 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 20:43:53 0
「言語ゲームが存在する」は「理解しあえない人々がいる」と同義だよ

610 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 20:44:09 0
要するにそれだけのことしかいってない

611 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 20:59:33 0
>要するにそれだけのことしかいってない

つまらないよ。

612 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 21:03:17 P
>>608
根拠を教えてください。


613 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 21:07:06 P
>>608
それは単なるあなたの定義です

614 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 21:13:55 0
俺の言葉じゃねえよ。禅宗の道歌だろう。

もっともなことだと思うね。物わかりの良い顔は
なかなかしたくないもんだ。

615 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 21:17:05 P
>>614
誰が言おうが同じことです。

616 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 21:19:15 P
>>614
もっともな理由をおっしゃらなければ話になりません。

617 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 21:48:34 0
ソクラテスの「無知の知」からやったら?

618 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 22:43:49 0
禅とか持ってくるなよ〜

619 :考える名無しさん:2010/04/10(土) 22:54:34 O
悟りとかいうなよ〜

620 :考える名無しさん:2010/04/11(日) 00:06:08 0
白痴的レス一つで一気に白痴スレに

621 :考える名無しさん:2010/04/11(日) 09:14:37 0
語り得ぬものに触れる事すなわち悟り

622 :考える名無しさん:2010/04/12(月) 00:44:54 0
触るなよ。

623 :考える名無しさん:2010/04/12(月) 13:20:26 0
禅が、禅が… と語り出した後の黒崎本はほとんどさわってないぞ。w

624 :地方労働者:2010/04/12(月) 18:47:50 O
でも、そういう連関を持って来ないと「科学哲学者」にされて、
肝心の問題を全く無視されたままにされちまうようなところは、
あるだろ。

625 :地方労働者:2010/04/13(火) 23:07:07 0
現象論が唯心論と違うのは「物自体」を排除しないことかな。

626 :地方労働者:2010/04/14(水) 20:49:06 0
唯心論は主観一元論だからな。本当は主観と客観は認識に
おける対概念だから、どちらか片一方だけってことはないが。

627 :地方労働者:2010/04/14(水) 23:58:16 0
ヴィットゲンシュタインは小学校教諭になって、
子供向けの国語辞書まで出版したではないか。

628 :考える名無しさん:2010/04/15(木) 11:02:56 0
>>625
現象論ってふつう「現象以外の存在者を認めない論」ですよ
「物自体」を排除しないならそれはもう実在論


629 :地方労働者:2010/04/15(木) 18:18:25 0
カントにおける「物自体」は単なるオブジェクトではあるまい。
むしろ「語り得ぬもの」の領域にあるとは?

630 :地方労働者:2010/04/15(木) 22:36:26 O
第二次大戦では大喜びで医療関係の軍務に志願して、医療器具の
開発に貢献してる。疲労困憊してグッスリと眠るのが好きだったん
じゃないか?

631 :国家公務員:2010/04/15(木) 22:40:23 0
>>629
「語り得ぬもの」つまり超越論的な実在としての「物自体」ということ?

つまり現象の背後にある純粋な客体としての?

632 :国家公務員:2010/04/15(木) 22:47:10 0
物自体という言葉がそのまま純粋な実在性のことを示しているなら、
生成もせず消滅もしない永遠に不滅不変の実在が物自体だということになる。

633 :地方労働者:2010/04/15(木) 22:51:17 O
自分の実在を確信したことは?

634 :国家公務員:2010/04/15(木) 22:55:30 0
>>633

自分の自我が実在だというのは多分ウソだと思う。
個体としての自我はたぶん世界の構造内で派生した機能でしかない。

635 :地方労働者:2010/04/15(木) 23:00:17 O
そう、我々は砂漠の真ん中に独りぼっちで生まれて来たりはしない。

636 :地方労働者:2010/04/15(木) 23:05:05 O
世界とはここで永遠の昔から未来に至る全ての瞬間に起きたことの全てだ。
知覚で確認出来るかは問題ではない。これは「むしろ」原則的な問題だ。

637 :国家公務員:2010/04/15(木) 23:06:56 0
>>635

ある意味そうかもしれない。

世界が構造の連続体であれば、個体としての自我という機能の発生と消滅も
単に世界のあり方の一部が時と共に変化しただけのことでしかないという
ことになる。

まあリアル生活空間内ではそんなに楽観的なことじゃないとは思うが・・。

638 :地方労働者:2010/04/15(木) 23:12:20 O
砂漠の真ん中でしか気づくことのないことはあるのだ。

639 :考える名無しさん:2010/04/15(木) 23:49:53 0
というのも相対的だ というのも相対的だ というのも相対的だ

というのも相対的だ というのも相対的だ というのも相対的だ

以下エンドレス というのも相対的だ

640 :地方労働者:2010/04/15(木) 23:53:41 O
「サハラに死す」って本があんねん。

641 :地方労働者:2010/04/15(木) 23:55:35 O
小学生の頃に読んでさ。

642 :地方労働者:2010/04/16(金) 18:15:37 O
虚無主義は死の不安に対する麻酔薬だ。

643 :考える名無しさん:2010/04/17(土) 22:45:45 0
>>608
『正法眼蔵』はウィトゲンシュタイン並みに難しい。


644 :地方労働者:2010/04/18(日) 13:14:00 O
そうか? 論考こそ記号論理学やってないと読み取れない箇所は
多いけど。

道元は一家名手で納得しちまって、その先読んでないけどな。
春秋の大拙禅選集十冊くらい読んで染まってから読むと良いか知らん。

645 :地方労働者:2010/04/20(火) 22:14:40 0
一顆明珠

裟婆世界大宋國、oB玄沙山院宗一大師、法諱師備、俗姓者謝なり。在家のそのかみ釣魚を愛し、舟を
南臺江にうかべて、もろもろのつり人にならひけり。不釣自上の金鱗を不待にもありけん。唐の咸通のはじめ、
たちまちに出塵をねがふ。舟をすてて山にいる。そのとし三十歳になりけり。浮世のあやうきをさとり、佛道の
高貴をしりぬ。つひに雪峰山にのぼりて、眞覺大師に參じて、晝夜に辨道す。

あるときあまねく諸方を參徹せんため、嚢をたづさへて出嶺するちなみに、脚指を石に築著して、流血し、
痛楚するに、忽然として猛省していはく、是身非有、痛自何來(是の身有に非ず、痛み何れよりか來れる)。

すなはち雪峰にかへる。

雪峰とふ、那箇是備頭陀(那箇か是れ備頭陀)。

玄沙いはく、終不敢誑於人(終に敢へて人を誑かさず)。

このことばを雪峰ことに愛していはく、たれかこのことばをもたざらん、たれかこのことばを道得せん。

雪峰さらにとふ、備頭陀なんぞ遍參せざる。

師いはく、達磨不來東土、二祖不往西天(達磨東土に來らず、二祖西天に往かず)といふに、雪峰ことにほめき。

646 :地方労働者:2010/04/20(火) 22:22:00 0
弁道話の悟り(証)と修行の不可分性なんかはガイジンでも得心がいくらしいね。
こういう点は確かに論考的だ。

647 :地方労働者:2010/04/20(火) 22:30:11 0
それ、修證は一つにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。佛法には修證これ一等なり。
いまも證上の修なるゆゑに、初心の辨道すなはち本證の全體なり。かるがゆゑに、修行の
用心をさづくるにも、修のほかに證をまつおもひなかれとをしふ、直指の本證なるがゆゑなる
べし。すでに修の證なれば、證にきはなく、證の修なれば、修にはじめなし。ここをもて釋迦如來、
迦葉尊者、ともに證上の修に受用せられ、達磨大師、大鑑高、おなじく證上の修に引轉せらる。
佛法住持のあと、みなかくのごとし。

648 :考える名無しさん:2010/04/22(木) 06:59:44 0
スレ違い。禅厨ウザ杉。

649 :地方労働者:2010/04/22(木) 19:22:25 0
合理主義でウィトゲンシュタインを読んでも分からないよ?

中公新書の『物語 数学の歴史』面白そうだが、あれも
よまなきゃこれもよまなきゃ遅読な俺。

650 :地方労働者:2010/04/22(木) 21:22:42 0
さて、最新のお題は「数学的原子論」、乃至は「原子論的数学」。
ラッセルがそう。ウィトゲンシュタインは「直観主義」だろう。

651 :考える名無しさん:2010/04/22(木) 23:00:53 0
イマ『素晴らしき日々』(『終ノ空』ってゲームのリメイクらしい)ってエロゲやってるんだが、
ウィトくさい世界設定だなあって思ってたら、
いきなり『論理哲学論考』からの引用が出てきてワラタww

652 :地方労働者:2010/04/23(金) 00:20:50 0
鏡に映った自分と出会った?

そりゃウザいわ。

653 :考える名無しさん:2010/04/23(金) 01:49:50 0
ウィトくさいってことの意味がわからん
「論考」なんかはほとんど無味無臭の世界なんだが

654 :931:2010/04/23(金) 18:55:55 0
ウィトゲンシュタインには「文学的味わい」はあるが、エロゲ臭くはないな。

アジアのサルの国の便所の落書き掲示板からお送りしております。

655 :地方労働者:2010/04/23(金) 18:57:27 0
ああ、コテ間違えた。

656 :考える名無しさん:2010/04/23(金) 20:37:46 0
ウィトゲンシュタインって過大評価だと思う。

論理哲学論考を読めば、命題と事実が一対一で対応する、といっているだけだし、
探求は、いや対応しなかった、といっているだけ。

その主張が、できるかぎり平易に論理的になされているから、なるほど、と思う。
でも、よく考えてみれば、当たり前じゃん、とも思う。

本質だけ抜き出せば、ソシュールとかとほとんど同じような主張だろうね。
違いは、ウィトゲンは自分の読者が論理学や高等数学、自然科学に通じている、と理解していたことぐらい。

論理学やそれを基礎にした現在の計算機の発達を見ると、どうでもよいなあ、としか思えない、という人も多いだろうね。

フレーゲやフッサールのほうがまだ面白い、と思う。
ウィトゲン好きは、宗教好き。

657 :地方労働者:2010/04/23(金) 22:25:56 0
論理哲学論 3.221
対象は、ただ『名ざす』ことができるだけである。記号がそれを代理する。
対象について『について』語ることはできるが、対象『を語り出す』ことは
できない。命題は、事物が『どのようであるか』(wie)だけは語ることができ
るが、事物が『何であるか』(was)を語ることはできない。

658 :地方労働者:2010/04/23(金) 22:30:59 0
>>656
俺も理系職でカスタムLSIの論理設計やらされたことあるぞ。
大した複雑なものではなかったけどな。

659 :地方労働者:2010/04/23(金) 22:34:17 0
学生時代は半導体の物性もやらされた。
シリコンにアルミ皮膜の真空蒸着させる
実習とかな。

660 :地方労働者:2010/04/23(金) 22:50:04 0
>>657は6.432や6.44に通じる態度だな。認識は知識に先立つ。
我々は「物自体」を把握出来ない。

661 :地方労働者:2010/04/23(金) 22:53:44 0
つまり、我々は自然認識ではこの世界が何であるのかを
知ることは不可能なのだ(ゲラゲラ

662 :考える名無しさん:2010/04/23(金) 22:56:44 0
そんなの常識でしょう。
映画マトリックスで子供でも知っている。

663 :地方労働者:2010/04/23(金) 23:05:37 0
ファンタジーが好きかい。ならば魔法学校も信じるんだろう?

664 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/04/23(金) 23:10:34 P
>>661
笑ってすましちゃいかんでしょう。語ることが不可能であり、知ることは不可能では
ないと思うのだけど。人間も世界の一部ですよ。

665 :考える名無しさん:2010/04/23(金) 23:14:19 0
知る、って何?
そしてセカイの一部って?

666 :地方労働者:2010/04/23(金) 23:17:34 0
>>664
貴様は自分が何者なのかを知っていると思い込んでいるだけだとしたら?

667 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/04/23(金) 23:22:37 P
>>666
貴様とかいうなよ愚か者。思いこみでも構わないけど。僕の世界では。矛盾を指摘してくれる
他者が一部に存在するからそれはありがたい。

668 :地方労働者:2010/04/23(金) 23:25:59 0
「時の人、この花を見ること、夢のごとくに相似たり」だな。

669 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/04/23(金) 23:29:09 P
>>668
時を仮定することで夢に落とし込んでいるな。

670 :地方労働者:2010/04/23(金) 23:35:02 0
終わりなき始まりはない。それが時間って奴さ。
不生不滅って言うだろう。無から生まれた物は無だ。

671 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/04/23(金) 23:42:05 P
>>670
時の存在を証明できないだろうと思う。とくに、連続性を担保するのが何物かについて。神にたよるしかないって
デカルトさんは言ってたみたいだよ。

672 :地方労働者:2010/04/23(金) 23:45:35 0
なぜ笑ってはならんのだ? 俺はうれしくて仕方ないぞ。

673 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/04/23(金) 23:51:11 P
>>672
なんでうれしい?人間なんてらら〜らら〜とか、差別がなくなるからとか。全然想像もつかん。
悪いけど、変わった人やな。

674 :地方労働者:2010/04/23(金) 23:55:42 0
この宇宙がある種の生き物かも知れないなんて、
考えただけでゾクゾクしないか?

675 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/04/24(土) 00:01:20 P
>>674
よくわかんないけど、どういう考えで宇宙が生き物だと言ってる訳?なんかSFの題材
にはなりそうだけど。「ストーカー」の「ゾーン」みたいなもんか?

676 :地方労働者:2010/04/24(土) 00:08:27 0
そう、絶望こそが救済の道というアレだ。

677 :考える名無しさん:2010/04/24(土) 00:46:32 0
>>656
コンピュータの開祖の1人、アラン・チューリングはウィトのクラスの学生な。

それと、「論考」はデータベース屋のオレにはバイブルみたいな教科書だったな。
データベース設計、つまり、事実的データとレコードとは1:1の関係が成立してれば
こそ論理的意味があるとか、データの相互関係を定義することで事態的リレーショナルDB
を構築できるとか。解釈諸々。世界を論理記述するという「知識工学」の哲学的基礎を学ぶなら
「論考」は一押しの書物でありつづけるだろうね。

ちなみに、7は、「定義記述され得ないことがらは出力できない」だな。w

678 :考える名無しさん:2010/04/24(土) 01:33:56 0
>>677
あなたまさか・・・
もしそうだとすれば、感謝です。

ところで、
チューリングっていうのは、ウィトゲンの数学の哲学のクラスに出ていたようですが、結構批判的だったんじゃなかったっけ?
あの性格からいってそうだとは思うけどね。

論考をソフトウェアの絡みで理解するのは、まっとうな読み方だと思います。

ただ、私の論考の評価って低いんですよね。
ラムダ計算よりも、チューリングマシンのほうが好きです。

679 :考える名無しさん:2010/04/24(土) 02:26:27 0
>>678
いいえ違いますよ。
でも、同業者として、似たような感性は共有しているかもしれませんが。

「論考」の評価だけど、アレは基礎論だと思うのですね。DBでいえば、
業務系、基幹系のような、仕様定義がきっちり文書記述され得るならOK。

ただ、知識データベースというような分野だと、言ってみれば「家族的類似性」で
出力データを括る、そういう実装が必要になる。そういう意味で「探求」の方が面白く
思えたりもするんですね。出力を提供する側は常にユーザの「解釈」の洗礼を浴びる
ことになるから。括り方の妥当性(解釈の多様性)ということがいつも気になってます。

チューリングの話は、確かレイ・モンクの本に書かれていたはずで、信者ではなかった
ようですね。概して、理数系の秀才とはそんな経緯が多いみたい。


680 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/04/24(土) 07:15:17 P
>>676
連投規制でごめんね。
え、知ってるのですか。では、慎重さを、身上とする私に、どこかガイドできる
場所があるだろうか。手に入れたものといえば、何かな。結局何を願望するのだ
ろう最後に私は。そもそも、そういう思考には慣れてない。救いとかね。
びびってしまいそう。受け身だなあ。あなたは?

681 :地方労働者:2010/04/24(土) 14:45:26 0
純粋論理学における「計算」は無時間的であって、
無限回数だから無限の時間がかかるとかいうこと
はないんだが。

原子論的数学は、ともすると物理学と等価の扱い
をされたりするわけだろ。ホワイトヘッド流の形而
上学みたいに。

682 :考える名無しさん:2010/04/24(土) 17:04:41 0
>>681
わざと残した言い方はよくないよ

683 :地方労働者:2010/04/24(土) 17:33:37 0
数学には時間がないよね。

684 :考える名無しさん:2010/04/24(土) 17:40:49 0
時間をどう定義するかにもよるでしょ。

685 :地方労働者:2010/04/24(土) 17:47:00 0
どう定義したら時間を組み込めるのだ?

686 :地方労働者:2010/04/24(土) 18:12:12 0
数学の世界を物理の世界に接ぎ木は出来ない。

「アキレスと亀」や「静止する矢」の問題もこれで
分かりやすくなるか知らん。

687 :考える名無しさん:2010/04/24(土) 18:15:21 0
物理学でも時間はいろいろだけど?


688 :地方労働者:2010/04/24(土) 18:36:23 0
昏智に逃げて煙に巻こうとするのは良くないですよ?

西洋哲学二千数百年の歴史が目の前で吹き消される
苦痛は理解できますが。

689 :考える名無しさん:2010/04/24(土) 18:46:22 0
ん?

690 :地方労働者:2010/04/24(土) 20:49:26 0
クセノフォンの『思い出』でのソクラテスが無信仰者との信仰問答で、
まず知覚を問題にするのは、ソクラテスも「認識が知識に先立つ」と
いう態度だからかも。少なくとも、感覚的にはそういう風に読める。

「無知の知」だからな。

691 :地方労働者:2010/04/24(土) 22:38:37 0
ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」は「産婆術」だったのか知らん。

692 :国家公務員:2010/04/25(日) 00:49:59 0
「世界はものの総体ではなく事柄の総体である」というのはつまり間テクスト性
における「関係」の総体が論理空間としての世界であるということを意味して
いるのでしょうか?

そしてもしそうなら、テクストという基点はどこにその根拠を求めればよいのでしょうか?

この際、フラクタルな構造の無限循環に陥らずに済むような決定的なアイデア
がどうしても見つかりません。

どうか知恵を貸してくださいエロい方。
               
               ↓
                

693 :国家公務員:2010/04/25(日) 01:36:21 0
昨日の夜十二時過ぎごろ、ウトウトしていたら枕元にちっこい円盤があるのが
見えた。寝ぼけているだけだと思ってまた目を閉じて寝ようとしたら、
耳元で「コンニチワ!」という声が聞こえた。

眠たいせいもあって驚くよりもむしろなぜかムカついて「おいおい今は真夜中だから
コンニチワではなくてコンバンワだろう」と思って再び目を開けたら、小さな
円盤の外にさらに小さなフクロウのような顔をしたオッサンがこっちをじーっと
見ていた。

そのちっこいオッサンはオレに「アンタは普通の人間じゃないね?向こうのほうに
行くことができるみたいだな?」といったような意味のことを言うと、ひょっとこみたいな
変な顔をしてそのまま円盤のほうへ戻っていった・・・・


あれは本当に夢だったのだろうか?


最近、職場で「あなた少しお疲れのようですね」とよく言われます。

694 :地方労働者:2010/04/25(日) 07:53:42 O
数学や論理学における時間性(時制?)の欠如としての「無時間性」を
論考のある箇所でウィトゲンシュタインはそれを永遠性だと匂わしてる。

しかし「超時間性」と「無時間性」は「無限の時間持続」に対しては
対称的な位置にあるものだ。こういう曖昧な面は論考にはあるかも知らん。

695 :地方労働者:2010/04/25(日) 08:02:23 O
「神も論理だけは裏切れない」なんて言葉もある著作だから、
何でも額面通りに引き受ける必要はないとは思うがね。
本人も前文で「釘の頭がもっと上手に捉えられたら」と書いてるし。

696 :考える名無しさん:2010/04/25(日) 11:52:18 0
だから「時間」って何だよ?


697 :国家公務員:2010/04/25(日) 12:23:37 0
存在=変化=時間

存在=時間

変化する時空連続体としての世界全体=唯一の変化しない存在

世界が変化そのものであるという事実だけは変化しない

諸行無常

てことでたぶんおK?

698 :考える名無しさん:2010/04/25(日) 14:13:30 0
記憶能力が欠如していたら、時間概念とは無縁だろうなあ。
あと、質量無限大の世界。ブラックホールのセンターコアとか、
ビッグバン開始直前の宇宙の中心とか。

699 :考える名無しさん:2010/04/25(日) 16:23:50 0
もう・・

700 :地方労働者:2010/04/25(日) 17:03:22 O
>>696
お前は「現在」以外の時にいたことがあるか?

701 :考える名無しさん:2010/04/25(日) 17:04:37 0
「現在」ってどう定義しているわけ?


702 :地方労働者:2010/04/25(日) 17:05:09 O
「現れて在る」ことだ。

703 :地方労働者:2010/04/25(日) 17:37:00 O
「認識が知識に先立つ」というテーゼは基本的には経験論と
矛盾しない。ロック的な経験論では経験主体は「タブラ・ラサ」、
つまり一方的に経験を書き込まれる受動的な存在だが、現実の
人間は外界からの働きかけとの相互関係で主体的に経験を重ね
て行くものだからな。

704 :考える名無しさん:2010/04/25(日) 17:57:42 0
だから「現れて在る」ってどういう意味?
それらしい用語みたいだけどさ

705 :地方労働者:2010/04/25(日) 18:05:24 O
「この宇宙って何なんだよ」と聞かれたら「神様に聞いておくれ」
としか答えようがあるまい? 人間に理解可能なことというのは、
それ程大したことではない。人間は神ではないからな。

706 :地方労働者:2010/04/25(日) 18:16:14 O
千年前の人々と同じように、現代の我々もまた、何でも知って
いるかのような顔をして暮らしているじゃないか。知識の性質が
若干、変化しただけだと言えないか?

707 :考える名無しさん:2010/04/25(日) 18:58:22 0
>>706
千年前の人間と現在の人間を比較したところで
「人間の理解可能なことが大したことではない」なる相対化など導出できないでしょう。

708 :地方労働者:2010/04/25(日) 19:14:37 O
人間の脳は宇宙の謎解きのために進化したんじゃないだろ。

709 :707:2010/04/25(日) 19:16:13 0
進化に「目的」があるとでも?

710 :地方労働者:2010/04/25(日) 19:19:45 0
下らない揚げ足取りだ。

711 :707:2010/04/25(日) 19:21:11 0
いや、「人間の脳〜」の発言の意図が分からないのだ。

712 :地方労働者:2010/04/25(日) 19:22:34 0
お前の足はメシを食うために発達したんだろ。

713 :707:2010/04/25(日) 19:24:38 0
>>712
植物には脳も足もない。
つまり、「生体は運動能力を必要とする」なるテーゼは、無条件には成立していない。

714 :地方労働者:2010/04/25(日) 19:26:09 0
脳がなくとも生物は生きていけるのは確かだな。

715 :707:2010/04/25(日) 19:27:53 0
>>714
そうだ。
ならば、宇宙人には脳が無いかもしれぬ。
彼らは宇宙について「思考」しない。
人間の思考は宇宙で唯一である可能性もあるわけだ。はっは

716 :地方労働者:2010/04/25(日) 19:28:38 0
お前は下半身で考えてるんじゃねえの?

717 :707:2010/04/25(日) 19:30:33 0
よく分かったなw といいたいところだが、
下半身的な作用から解脱した思考など「意味」があるのか?

718 :地方労働者:2010/04/25(日) 19:31:18 0
我々の思考能力は脳の物理構造に制約されるだろう。

719 :707:2010/04/25(日) 19:33:40 0
しかし貴方の願う「脳の物理構造」の真の姿である〈脳の物理構造〉にはアクセスできないだろう。
永遠にな。はっは

720 :地方労働者:2010/04/25(日) 19:35:22 0
お前の頭蓋骨には妄想は詰まってても、脳みそは
どこかに落として来たんじゃないのか?

一度、中あけて確認した方が良いぞ?

721 :707:2010/04/25(日) 19:37:39 0
うむ。最近、知能の劣化が激しくてなw
実際、MRI検査でもしたいところだ。

ちなみに頭蓋骨を開けたところで、灰色の臓器を見れるだけだがな

722 :地方労働者:2010/04/25(日) 19:41:13 0
肥大化した神経のコブな。そのせいで若干、複雑な行動が
可能にはなった。月にだって出かけられる。

しかし、我々は知覚を通じた情報からしかこの世界からは
何も学べない。実証可能な知識に関する限りはね。

723 :707:2010/04/25(日) 19:57:47 P
「肥大化した神経のこぶ」といったところで文藝だよ。
知覚とか情報とか実証可能とか、何だか分かったようなわからんような話ですね。
とりあえず名前を付けとけばいいんすか?安心しますか。

世界の相互作用で人体に知覚や意識や知能が発現するのですかね?
むしろ、知覚とか意識とか知能は、世界の中に成立する、のでしょう。
そして我々も恐らく、特定の形態をした《物質》なのです。
この《物質》の深淵に近づくには対象化なる武器では荷が重い。重すぎる。。。


724 :707:2010/04/25(日) 20:00:19 P
地方労働者さん
私はビトゲンスタインなど(ほとんど)読みません。
※ちら読みすることもあるが。
絡んでごめんちょ。スレッドが荒れるので退散っすw

725 :地方労働者:2010/04/25(日) 20:01:46 0
>>657ってことだ。我々は「物自体」を把握出来ない。

726 :707:2010/04/25(日) 20:06:48 P
だいたい、「物自体」が、その言葉の成立からして
「把握」できないことを前提としてるではないかw

しかし、私の言いたいのはそれ(物自体)とは少し違う。
何だ訊かれて端的には答えられんが。。

727 :地方労働者:2010/04/25(日) 20:11:56 0
まだ、いやがるのか。物自体は、ぼた餅を二つに切ったら
断面に餡が見えるのとは違うんだぞ。

規制うざいな。人間は有限な存在だと認めるとが辛いか。

728 :707:2010/04/25(日) 20:15:56 P
なんだそのぼた餅の例えは?意味分からんぞ

俺なら結晶粒界は「実在」するのか、ぐらいの話にするがね。
理系の貴方なら理解できるだろう。

729 :707:2010/04/25(日) 20:19:42 P
人間が有限の存在だと認めるのは全然つらくない。
そんなのあったりまえだろう、とは思うが、いざ、貴方に言われてみると、
いやいやそうとも限らんな。。。と絡み心がむずむずしたのだ。はっは


730 :地方労働者:2010/04/25(日) 20:24:35 0
じゃ、次は科学論か? 近代科学は、仮説と実証の繰り返しによって、
この世界の予測再現可能な側面を割り出す。

現代科学はというと、数学的妄想を理論に持ち込んで近代科学の持つ
原理的有限性を曖昧化しているだけだな。

肝心の実証性まで無視したがる。我々はそんなものに「科学」という名に
値する信頼を寄せる必要はないわけだが。

731 :707:2010/04/25(日) 20:30:40 P
うむ。分かるが・・・
ここは分からないことにしとくかw

数学的妄想の科学への密輸について、何か具体的な気にしている事実でもあるのかしら?

732 :地方労働者:2010/04/25(日) 20:39:51 0
そんなもんはさんざここで議論した。

人はどうあれ俺は人間で良い。神様でなければならんと
いうことはない。

733 :707:2010/04/25(日) 20:45:23 P
ざっと過去スレ眺めたが
あーた「数学に時間はないよね」ぐらいしか言ってないだろ。

734 :707:2010/04/25(日) 20:52:03 P
時間は科学でも対象化することなどできないぞ。
哲学でも現状では無理でしょう。
しかし科学より哲学の方に望みがあるように思う。

それとは関係ないが、
個人的にはψとかいう、便法の化身ごときが、なんやら大きな顔してるのが気に入らんが。
まあ、この話は続かないな。。あばよ〜

735 :地方労働者:2010/04/25(日) 21:06:19 0
>>733
バカが釣れるネタさ。

736 :地方労働者:2010/04/25(日) 21:46:49 0
物理現象の数学的表現では、時間は単に変数として持ち込まれる。
これを純粋に数学的に評価した場合も、その変数が空間座標その他
を代理する変数に比較して特権的性質を持つわけではない。

論考が靜的印象は論理学の無時間性に由来するか知らん。

737 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/04/25(日) 22:06:33 P
時間は空間であり、空間は時間である。
空間の中を移動するには、時間がなければ不可能だ。
論理空間にしても同様だ。
全てを一望の下に収めた静的宇宙は神の視点であり、ただの絵で現実とは呼べない。
つまりそれは現実からはみ出した、生命というものの要請し、到達し、
生きる上で不可欠となる、ただの想像である。
人間が神の子と呼ばれるのもそういう必然性があるのであろう。

738 :地方労働者:2010/04/25(日) 22:28:51 0
>空間の中を移動するには、時間がなければ不可能だ。

この言い方は、また静止する矢のパラドクスに逆戻りするかも知らん。

739 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/04/25(日) 22:41:22 P
>>738
それはどうかな。静止する矢の問題は、結局分割の仕方の問題であり、無限という概念を導入しなければ、
静止はしない。
ここで、無限という概念は、矛盾を内にはらんでいるという帰納が出来る。無限というものが実際には存在しない!という
事が言える。世界が概念を産むと考えれば、存在するものは存在し、存在しないものは存在しない。人間の脳機能という
バーチャルなマシンは、非現実的なものを、生み出してしまうという欠陥でもあり、長所でもあるところの特徴を持つ。

740 :考える名無しさん:2010/04/25(日) 22:46:38 0
哲板のコテはどいつもこいつも荒らし屋ばかり。
逝ってよし。


741 :考える名無しさん:2010/04/25(日) 22:48:28 0
荒らしっていうか空気読めない人多いよね変なオーラ出しちゃう人

742 :地方労働者:2010/04/25(日) 22:54:56 O
矢の進む距離=L
速度=V
進む時間=t

としてある時間tにおける矢の移動距離Lは

L=Vt

小学校の算数みたいだが。

743 :地方労働者:2010/04/25(日) 23:18:56 O
そう、これは時間項を視野に入れてるから無時間ではなく超時間だな。

744 :地方労働者:2010/04/25(日) 23:27:49 O
次元の扉を開いた時、時間を鳥瞰してるような感覚に興奮して、
一生懸命にノートに見取り図書いたりしてね。

745 :地方労働者:2010/04/25(日) 23:31:39 O
世田谷の四畳半でした。ギターは持ってませんでしたよ?

746 :考える名無しさん:2010/04/26(月) 20:32:06 0
>>742
0.99999999999999・・・=1

747 :地方労働者:2010/04/26(月) 23:20:05 0
>>734
波動関数とかは、さんざやらされたような記憶はあるが、全部忘れた。

748 :地方労働者:2010/04/26(月) 23:33:16 0
力学もまた時間を持たない。
 |
 |
 |
 |
  し

749 :考える名無しさん:2010/05/03(月) 02:01:34 0
>>741
まあでも、空気読む奴は、読まない奴より哲学に向いてない。

750 :考える名無しさん:2010/05/03(月) 02:04:30 0
>>748
そら、構造力学だろ。
力学が時間を持たなかったら、動かないんだから何もできんぞ。

751 :考える名無しさん:2010/05/03(月) 10:17:45 0
言語ゲーム的構造主義的分析哲学的数理哲学

752 :地方労働者:2010/05/04(火) 10:59:47 0
>>750
物理学に力の概念は必要であるのかというのは、
時々、問われる話だ。

ありのままの現象の観察において、「そこに力が
働いているから」というような説明は、実は何も
説明していないかも知れない。

753 :考える名無しさん:2010/05/04(火) 12:14:24 0
>>752
物理学といってもいろいろあるんだが?
物理学を学ぶといいよ。
工学ではなく。

754 :地方労働者:2010/05/04(火) 16:28:37 0
形而上物理学とか?

755 :考える名無しさん:2010/05/04(火) 17:47:07 0
>>754
?


756 :考える名無しさん:2010/05/05(水) 09:27:44 0
F・カプラとかでしょ

757 :地方労働者:2010/05/05(水) 09:40:15 0
「力」というものは、そもそも客観的に観察可能なものか?

アメリカ人は「マッス(質量)」って言葉を自然に使うんだよな。
日本人なら「重さ(重量)」くらいにしか言わない。

重量はベクトル量だが、質量にはそれはない。

758 :考える名無しさん:2010/05/05(水) 10:55:31 0
「観察」の定義による

759 :地方労働者:2010/05/05(水) 11:28:51 0
〜にもよるけど、ってはぐらかしな言い方じゃなく、
具体的な例を挙げないと話にならん。

確かに、対象との間に物理的相互作用のない
観察というのは原理的に不可能であるんだが。

760 :707:2010/05/05(水) 16:07:13 P
それ以上突っ込むと頭おかしくなるぞw

世界を全て相互作用に分解して、観察そのものが外界との相互作用である、としてしまうと、
相互作用なる観念は思惟によりもたらされる観察の一部であるので、観察の無限後退が生じてしまう。
「観察の成立」なる「現象」を科学的現象として掘り下げようとしても、肝心の観察は蒸発する。

「超越的に観察は成立している」とでもするしかない。
まあ「超越的な成立」とか所詮は文藝的めくらましだがw

とりあえず科学に於いては、(デカルト先生の言う通り?)神に保証される思惟を仮定(?)し、
その上で、外界の相対関係を思惟が神(秘)の力によって「認知」する、とでも考えるしかないのでは?
これまでそのやり方で成功してきたし、現状与えられる原理による原理的な限界でもある。。。
・・・なーんて、こんなもんはヘタレな達観だー。

原理は人が決めるものではないので、この先、原理に何が起こるか分からない。
ビトゲンスタイン先生がどう言うかは知らんがw

期待しているぞ途方労働者w。

761 :地方労働者:2010/05/05(水) 21:45:46 0
相互作用のない観察はあり得ないからこそ、相対性理論や
量子論のコペンハーゲン解釈が問題になるんだろ。

762 :707:2010/05/06(木) 20:39:10 0
>>761
貴方もご多分に漏れず
「シュレディンガーの猫」の話を不思議だなあと思ってるくちか。

763 :地方労働者:2010/05/06(木) 22:11:23 0
予測可能性と、未来における事実の確定性は別領域の問題だとは?

764 :707:2010/05/06(木) 22:24:44 0
突然なんの話っすかそれは?

765 :考える名無しさん:2010/05/06(木) 22:34:26 0
観測=事実

766 :地方労働者:2010/05/06(木) 22:50:26 0
>>764
箱の中に一枚のコインがある。コインは裏か表かのどちらかだ。
我々がそれがどちらなのかを知らないとしても。

767 :707:2010/05/06(木) 23:06:13 0
>>766
その通りだが

それが相互作用とか量子力学とかの話と、どー繋がるんすか?
話をどこに持っていきたいのさ?

吊りか。俺任せか。他力本願か。

768 :地方労働者:2010/05/06(木) 23:09:10 0
例えば>>765は違うと言い張るだろう。量子力学の立場から。

769 :考える名無しさん:2010/05/06(木) 23:12:39 0
観測問題スレでも立ててやってください

770 :707:2010/05/06(木) 23:20:51 0
>>768
765待ち、つーことか。

しかし貴方ご自分の立場が不明確であるように見えるが。

私は、シュレディンガーの猫に何らの謎も無い、との立場。
猫の生死は人による観測など関係ない。
そしてこれは、その「量子力学の立場」とやらと齟齬など無い、と思うがね。

771 :地方労働者:2010/05/06(木) 23:21:55 0
>>763は本質的に、キリスト教神学の予定説についての問題と同じだ。
707が救われるか否かは、永遠の彼岸においては定められている。
運命という奴だ。しかし、それを我々が知るすべはない。

772 :707:2010/05/06(木) 23:25:21 0
地方労働者よ
貴方は決定論者かい?
気が向いたら決定論スレにきたまえ。お相手しよう。

ちなみに私は非決定擁護者です。

773 :地方労働者:2010/05/06(木) 23:26:49 0
俺は不可知論者だ。人間の知り得ることは、千年前も現代も
本質的には変わりはない。

774 :707:2010/05/06(木) 23:34:52 0
>>773
でーっ不可知論かよ。がっくし

なんすかね不可知論てのは。

「知り得ること」とはなんぞね?
何がどうなったら「知る」ことになるのよ。
それって本当に知り得てるの?と問いつめれば、
結局、なーんも知りません。となるだけじゃん。

つまり、不可知論てのは、知り得ない妄想を作りだしてるマッチポンプでもあるのよ。

775 :地方労働者:2010/05/06(木) 23:42:48 0
論理哲学論 3.221
対象は、ただ『名ざす』ことができるだけである。記号がそれを代理する。
対象について『について』語ることはできるが、対象『を語り出す』ことは
できない。命題は、事物が『どのようであるか』(wie)だけは語ることができ
るが、事物が『何であるか』(was)を語ることはできない。

776 :707:2010/05/06(木) 23:43:47 0
。。。まて、
地方労働者よ、貴方もしかしてラビ君か?いやまさかな。。。
私はコテハン抄録と言いますが、またどこかで合いましょう。

不可知論てのは人気あるんだね。

777 :地方労働者:2010/05/06(木) 23:48:18 0
「両掌を打って一つの音声あり。隻手の声を聴け。」

う〜む・・・。

778 :考える名無しさん:2010/05/07(金) 14:23:30 0
 ひとつの事象にいくつかの決まった解釈が信憑性の確率を割り振られ
存在することが決定しているか、
 ひとつの事象にはひとつの解釈しかないと決定しているか

779 :考える名無しさん:2010/05/07(金) 14:33:53 0
痴呆労働者

780 :地方労働者:2010/05/07(金) 18:04:22 0
不可知論をヴァカにしちゃならん。明確な立場として提唱されたのは、
ダーウィンが自然選択説を公表して、激論している最中だ。

ダーウィン側に立って論争に参加したT.H.ハクルリーが言い出して、
ダーウィンもその立場を採用した。科学では、宗教的な問題は扱わ
ないという一線を引きたかったんだろう。

遡れば、ソクラテスの無知の知なども同等の立場と評価可能だろう。

781 :地方労働者:2010/05/07(金) 18:06:04 0
ハクルリーって誰よ? ハクスリー。

不可知論は科学的に厳密であることとも信仰とも
矛盾しないのだ。

782 :考える名無しさん:2010/05/07(金) 21:18:12 0
勝間がひろゆきとの対談で写像とか何とか言ってたけど
あれはウィトゲンシュタイン的用法かね

783 :地方労働者:2010/05/07(金) 21:55:16 0
>>651
これな。踏まない方が良いぞw
http://www.keroq.co.jp/suba/cg16.html

784 :考える名無しさん:2010/05/08(土) 12:09:38 0
>>遡れば、ソクラテスの無知の知なども同等の立場と評価可能だろう。

大間違い。何いってんだか。w


785 :地方労働者:2010/05/08(土) 13:07:52 0
ヴァカのくせに。

786 :考える名無しさん:2010/05/08(土) 13:26:25 0
>>785
自己言及乙。
オマエサンに不可知論とか哲学は不可知領域なのだから、お休みしてればいいのに。

と、あえて煽ってみるw

787 :地方労働者:2010/05/08(土) 13:50:23 0
ヴァカがなんか言ってますね。

788 :考える名無しさん:2010/05/08(土) 14:08:44 0
無恥の恥 モード突入ですか? みっともないですよ。
 |
 |
 |
 |
  し


789 :地方労働者:2010/05/08(土) 14:50:21 0
不可知論の提唱者は、「ダーウィンのブルドッグ」と呼ばれた
ハクスレーでした。

残念!

790 :地方労働者:2010/05/08(土) 16:59:31 0
Georg Trakl und Expressionismus
ゲオルク・トラークルと表現主義
ttp://www2.plala.or.jp/gtrakl/index.html

ウィトゲンシュタインから財政支援を受けて、
鬱病での自殺直前にウィトゲンシュタインに
会いたがった人物の詩として読むと悪くない。

嵐の夕べ

おお 赤い夕刻よ!
開け放たれた窓辺に、ブドウの葉はもつれあい
青の色に巻きついて、仄かに光り揺れ動き
部屋には不安の亡霊が巣くう

どぶの悪臭の中、埃は舞い
ガラスをきしらせ風が吹き込む
野生の馬の一群を、どぎつくひかる雲々を
稲妻が駆り立てる

沼の水面は音をたててはじけ
窓枠でカモメが鳴き喚く
火の騎士は丘を駆け下り
炎となって樅の根元に砕け散る

病棟で悲鳴をあげる患者たち
夜の羽が青くさやぎ
突如きらめく雨粒が
屋根屋根を打ち鳴らす

791 :地方労働者:2010/05/08(土) 17:36:28 0
模写説について二題

認識論
三木清
ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000218/files/4868_26295.html

認識論とは何か
戸坂潤
ttp://pfeil.hp.infoseek.co.jp/B3/FRAMEB3_3.HTM
 幸いに認識という言葉が、殆んど完全に日常語となっている。日本の正義について、日本人及び外国人はもっと認識を
持たねばならぬ、などと云われている。或る演説会で、ファッショ学生らしいのが「認識せよ!」と叫ぶのを聞いたこともある。
単に認識せよでは、どう考えても滑稽であるが、認識という言葉が日常的に使われた揚句、いつの間にか或る特別な
内容の認識のことを意味するようになり、かくて却って、世間にはそのままでは通用しないような宗派的用語とさえなって
いることを、吾々は注意しなければならぬ。これは日常的に通用しないことの結果ではなくて、悪く日常的に通用しすぎた
結果だ。

792 :地方労働者:2010/05/08(土) 22:04:22 0
>>778
『科学の終焉』を読み返していて学生時代の電磁気学の講義中のことを
思い出した。電磁波というのは電界と磁界が直交した位相で進むのだが、
ある時、ふと電磁波というものは、そもそも実在しないのではないかと気
づいたのだ。

つまり、我々が観測し「電磁波」と呼んでいる何かとは、我々がたまたま
電界計と磁界計という観測方法を介してそれを認知しているのに過ぎな
いのであって、背後にある本当の現象を我々は知るすべはないのでは
ないか、と思ったわけだ。

目からウロコが落ちた気がした。成績も低回を続けたけどなw

793 :考える名無しさん:2010/05/09(日) 23:20:17 0
鬼界彰夫さんの「ウィトゲンシュタインはこう考えた」を読んでるんですが、
ウィトゲンシュタインは自殺を基本的な罪とみて「自殺が許されるならすべてが許される」(p145)とまで言ってるそうですけど、
この主張の根拠が分かりません。
「幸福に生きよ!」(p157)というのがウィトゲンシュタインにとっての究極の倫理であるならば、不幸だったら自殺してもいいんじゃないでしょうか。

794 :793:2010/05/09(日) 23:26:08 0
ageわすれた。

私も生きるのがつらくてホントは早く死にたいのですが、辛うじて自殺を回避してるのは、妻や親が悲しむからです。
こういう倫理はウィトゲンシュタインとは無縁だと思いますが、兄を二人も自殺で失ったウィトゲンシュタインが自殺をどう考えていたのか、
主題的に論じた文献があったらご教示ください。

795 :考える名無しさん:2010/05/09(日) 23:40:25 0
宗教的なものでないの。
日本人は、原罪とか言われてもよくわからんし。

796 :地方労働者:2010/05/09(日) 23:43:35 0
自殺とは他者としての自分に対する殺人であるとしたら?

797 :考える名無しさん:2010/05/09(日) 23:50:15 0
他者に対する殺人より、他者としての自分に対する殺人の方が罪深いとか
何を根拠に区別するのかわからんだろ。

798 :793:2010/05/09(日) 23:57:10 0
>>796

他者としての自分という発想はウィトゲンシュタインのものではないと思うのですが。

799 :考える名無しさん:2010/05/10(月) 00:02:41 0
ウィトゲンシュタインは、カトリック教会で洗礼受けてるから
自殺を罪と考えてもおかしくない。

800 :地方労働者:2010/05/10(月) 00:04:01 0
>>580を百万回読め。

801 :考える名無しさん:2010/05/10(月) 00:11:36 0
日本人は自殺に対する罪の意識が低いというかほとんど無いから
何回読んでも大した変わりは無い。
得心しづらいものは得心しづらい。

802 :793:2010/05/10(月) 00:15:39 0
すみませんが、ウィトゲンシュタインに即して議論していただけませんか。

803 :地方労働者:2010/05/10(月) 00:28:24 0
あれだろ。ラッセルの部屋に入ってくるなり、「この部屋を出たら
自殺するつもりです」って宣言して、そのまま檻の中の虎みたいに
無言で部屋を歩き回る。

804 :地方労働者:2010/05/10(月) 00:35:14 0
ラッセルが眠気に耐えながら質問する、「君は罪のことを考えているのかね、それとも論理学を?」
ウィトゲンシュタインが即座に答える「そのどちらもです」

おまいら。

805 :考える名無しさん:2010/05/10(月) 00:57:08 0
>>802
>>799

806 :考える名無しさん:2010/05/10(月) 03:24:11 0
つうか、ウィトゲンシュタインは「自殺は根源悪」だって言ってるよ
「もし自殺が許されるなら、すべてが許される」
これは宗教とかの問題ではなく、論理的な帰結

807 :考える名無しさん:2010/05/10(月) 04:24:56 0
そんな語りえぬものについて語ってもしょうがないだろ

808 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/05/10(月) 09:49:34 P
自殺とは話が変わるけど、世界って自然。人間にとっての世界は命題。脳の働きが従うのが論理。したがって、
命題は論理的に構成された自然界。命題が語ることが出来る物で、語ることが出来る物の総体が命題的世界。
従って、人間にとっての世界とは語ることの出来る物と等価である。ところが、自然には自然の傾向がある。
歴史は自然の影響を受ける。従って、人間の悲劇と栄光が歴史の中に存在する。その解体を目指したのが
言語ゲームである。

809 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/05/10(月) 10:23:18 P
言語ゲームというのは、言語の行為性を強調している概念だ。世界の論理を感得
する。世界の一部を変えるために発話する。世界の感得が完全に上手く行っていなければ、
自分の発話と意思と、その結果である話された言語の間に違和感を抱く。
たとえば、>>808において、僕は自殺とは話が変わるけど、と言ったが、この発話
は、他人の思考に対する気遣いという目的と、本当に話を変える、という、結果がある。
結果が目的を完全に果たしていないことは、明かであるように思われる。このように、
発話の不完全性については、思考の未熟さである場合と、語り得ぬものである場合が
あるだろう。その例を、ウィトゲンシュタインがどこかで挙げているとすれば、私にとって喜ばしい
ことなのだが。

810 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/05/10(月) 10:54:36 P
歴史という実態は存在しない。なぜなら、ヘーゲル的意味にそれを求めようとしても、
完全な奴隷と完全な主人などは存在しないからである。そういう傾向があるに過ぎない。
行為の中において、完全な奴隷と、完全な主人が存在する。しかし、人間は行為のみによって
生きるのではない。つまり歴史である。言い換えれば、記憶である。歴史とは、記憶の総体であり、
過去は過ぎ去ったものであり、完全に再現することは不可能である。
人間が動物と違うのは、その記憶に関わる行為においてである。言葉により、記憶を伝え合うことが出来る。
歴史を披露し合う点で、現在のみのコミュニケーションを行う動物とは、意識が変わってくる。


811 :考える名無しさん:2010/05/10(月) 15:28:00 0
>>806
自殺を起点として、許されるものの全てが導かれるのならば
論理的な帰結じゃなくて、論理的な始点だろ。
問答無用で、そこから演繹される公理。
宗教的な信念の方が妥当。

812 :地方労働者:2010/05/10(月) 22:44:38 0
ウィトゲンシュタンはドストエフスキーが好きだったろ。
すると、例えば『悪霊』における哲学的自殺論なんか
も話に入って来る。

曳いては自由意志論に繋がる問題だ。日本人はあんまり
自由意志の問題で悩んだりはしないな。

草稿に「神はさながら運命である」という言葉もある。

813 :地方労働者:2010/05/10(月) 22:52:20 0
自分の意志が生存本能に束縛されているなら、
それは自由意志ではない。だから自由意志の
究極的表現として自己の生存の否定が問題に
なるわけだ。

『悪霊』はダーウィニズム以後に流行した合理
主義的で決定論的な人間観がテーマになって
いるからな。

814 :考える名無しさん:2010/05/11(火) 02:25:59 0
>>813
意志じゃなくて、意思じゃないの。
人間は肉体に束縛されているんだから、自由意思とか無理でしょ。
そう考えると、意思という概念は、始めから束縛を含んでいる。
まあ、自由という概念の規定の仕方(束縛の反対概念とはしない)によっては
自由意思の成立も可能だけど。

815 :考える名無しさん:2010/05/11(火) 03:02:03 0
ええええっ! まじで????

816 :考える名無しさん:2010/05/11(火) 03:02:21 0
ちょっと無意味に驚いてみました

817 :地方労働者:2010/05/11(火) 17:53:06 0
>>814
>人間は肉体に束縛されているんだから、自由意思とか無理でしょ。

そう、我々はいつか必ず死にたくなく死ぬ。

818 :地方労働者:2010/05/11(火) 18:29:15 0
つまり、我々の人生は完全に無意味なのだ。

819 :考える名無しさん:2010/05/11(火) 21:01:51 0
死は人生のできごとではない
人は死を経験しない

820 :考える名無しさん:2010/05/11(火) 21:06:47 0
睡眠もな

821 :地方労働者:2010/05/11(火) 21:08:06 0
ウィトゲンシュタインはアメリカで癌を宣告されて、
「私はヨーロッパ人だ、アメリカで死にたくない」と。

822 :考える名無しさん:2010/05/12(水) 00:05:43 0
ぐぐってみたら、こんなん出た。

自由意志 の検索結果 約 8,490,000 件中 1 - 10 件目 (0.26 秒)
自由意思 の検索結果 約 8,490,000 件中 1 - 10 件目 (0.32 秒)

どっちだべ?

823 :考える名無しさん:2010/05/12(水) 01:07:03 0
>>793
鬼界さんの引用出典にもあるように、「自殺」についてのコメントは一次大戦
の戦役中に書かれたもの。>>807の指摘は後年の推敲の後の結語だから、
草稿の自殺に関する記述は推敲落ちして取り上げられなかっただけなのだろう。

それと、草稿(全集の第一巻に全文がある)では、善悪は生ある者=主体が記述や
発語する際に、「○○は悪である・善である」と「述語」表現されるだけとされている。
その生ある私は、独我論では世界と一つでもあるから、自殺は私の生を奪い、かつ
私の世界も破滅させるという意味で根源悪なのかも。根源悪という表現は絶対悪を
意味しないと思う。善悪はあくまで個人の発語の述語表現に留まるとされているのだから。
「自殺は根源悪」という表現はあくまでも、鬼界さんが書いているような戦時中の過酷な
状況の中でウィトゲンシュタインが個人的に懐いた判断に留まるのだと思うな。
それゆえに、哲学書としての「論理哲学論考」では推敲時に落とされたのだろう。

もうひとつ付け加えると、マルコムの「ウィトゲンシュタインと宗教」に、ウィトは、最後の
審判を恐れていた。という一連の記述がある。ウィトゲンシュタインの死生観の「死」は
マルコムの指摘を受け入れるなら、二重構造。つまり、病死とか戦死とかいう実際的な
「死」と、最後の審判で「復活なし」とされて煉獄落ち? してしまうような死。で構成されて
いて、実際の死は怖くはない、しかしあの世に逝ってからさらに煉獄に落ちるのは勘弁。
というものであった。らしい

とするなら、自殺は煉獄落ち確定罪であるとも西洋では昔から普通に信じられていたので
あるから、現世的苦しみの逃避から自殺を選ぶことは、かえって永遠永劫の苦しみを選択する
ことさえ意味する。こうした信仰上の理由づけから、根源悪。と記述したのかもしれないですね。

「草稿1914-1916」を「論理哲学論考」と読み比べると、ウィトゲンシュタインの推敲力の凄さが
実感できますね。あと、10巻にある講義集に美学・心理学・宗教の講義録があるけれど、
ラッセルとは違った意味での「不可知論者」ぶりがうかがえて興味深いですよ。

824 :考える名無しさん:2010/05/12(水) 03:38:50 0
>>794
2人じゃなくて3人。男5人、女3人兄弟姉妹のうち、男3人が自殺してる。
母親は夫の死も重なって壊れてしまったので、姉達がルー坊の母親代わりしてたらしい。

825 :地方労働者:2010/05/12(水) 18:05:19 0
>>822
アタマでっかちは後者を選ぶんだろ。

826 :考える名無しさん:2010/05/12(水) 20:43:37 0
ながい

827 :考える名無しさん:2010/05/12(水) 21:26:32 0
ウィとを語ると打つになるからやめましょう。

828 :地方労働者:2010/05/12(水) 23:06:22 0
「死は生の出来事ではない」、「我らの生に終わりはない」と
いうスタンスの論考では自殺について云々するのは全くの
蛇足だろ。論考こそ「塹壕の思想」であって、戦時中の緊張
感を土台に書かれたものだ。草稿よりは整理されてはいるが。

829 :考える名無しさん:2010/05/12(水) 23:27:21 0
一見ラッセルはウィトに比べるといかにも合理主義的で「浅い」ように見えるけれど、
よくよく考えてみると、実は、一見神秘的なウィトと同じかあるいはそれ以上にある種の深みがある。

830 :地方労働者:2010/05/12(水) 23:37:47 0
ウィリアウム・ロード・ラッセルなる、反逆貴族の末裔なんだと。

831 :考える名無しさん:2010/05/12(水) 23:48:12 0
ウィトは、工学的センスで哲学した、ということ?

832 :考える名無しさん:2010/05/13(木) 02:15:51 0
そのわりには議論が荒いね

833 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/05/13(木) 08:38:44 P
言語哲学の創/大成者だから独自路線なんじゃないの?
会社の社長みたいなもんだろ

834 :地方労働者:2010/05/13(木) 18:51:34 0
ウィトゲンシュタンが工学好きであることは、どこぞの
科学形而上学者みたいな観念的合理主義を必ずしも
意味するわけではないとは言えるだろう。

晩年近くになっても、博物館で陳列品の機関車に張り
付いて「丸一日、時間を潰せる」と自慢してたらしいが。

835 :考える名無しさん:2010/05/13(木) 20:08:18 i
ドヴォルザークと話合うかもしれんw

836 :地方労働者:2010/05/13(木) 21:20:01 0
ウィトゲンシュタイン宮殿に顔を出していたのは、
クララ・シューマン
ブラームス
マーラー

ウィトゲンシュタインもクラリネットが得意で、
「ボレロ」のラベルがルードヴィヒの兄のため
に云々。

837 :考える名無しさん:2010/05/14(金) 07:47:15 0
ブラームスとドヴォルザークは仲良かったし、ドヴォルザークは筋金入りの鉄だから、
紹介してもらえれば鉄友になったかもな。

838 :考える名無しさん:2010/05/14(金) 13:02:35 0
生年・没年を調べてみ。それは無理。

839 :地方労働者:2010/05/14(金) 22:11:17 0
「分析/総合」の前者の代表格がウィトゲンシュタインで後者は
ホワイトヘッドなのな。英米哲学って奴。

840 :考える名無しさん:2010/05/14(金) 22:42:52 0
それ「分析/総合」の意味が違う

841 :考える名無しさん:2010/05/15(土) 00:23:11 0
そもそもウィトは分析哲学でもないだろう。


842 :793:2010/05/15(土) 12:06:29 0
>>823

> 自殺は煉獄落ち確定罪であるとも西洋では昔から普通に信じられていたので
> あるから、現世的苦しみの逃避から自殺を選ぶことは、かえって永遠永劫の苦しみを選択する

> 鬼界さんの引用出典にもあるように、「自殺」についてのコメントは一次大戦
> の戦役中に書かれたもの。>>807の指摘は後年の推敲の後の結語だから、
> 草稿の自殺に関する記述は推敲落ちして取り上げられなかっただけなのだろう。

843 :793:2010/05/15(土) 12:18:22 0
>>823

すみません、間違えて送信してしまいました
823さん、レスありがとうございます。

> 自殺は煉獄落ち確定罪であるとも西洋では昔から普通に信じられていたので
> あるから、現世的苦しみの逃避から自殺を選ぶことは、かえって永遠永劫の苦しみを選択する

これで合点がいきました。
ウィトゲンシュタインは「善イコール幸福」という功利主義的倫理観の持ち主だったのですね。
それなら、「幸福に生きよ」というテーゼと自殺は悪というテーゼが首尾一貫します。
地獄の存在を認めるなら、地獄行きこそ最大の不幸=最大の悪であり、
自殺=地獄行き決定なら、いかに現世で不幸でも自殺は最大の不幸=最大の悪を選ぶことであると。
私はなんとなくウィトゲンシュタインの倫理観はストア的で、
「不幸な生など存在しない。 いかなる生であれ、生きていることこそが幸福なのだ。
どんなにつらくとも自分の生を幸福なものとみなすこと。
世界は「私の意志によって左右するのは不可能」(鬼界p152)であるが、
いかに耐え難い生であれ自分の生を幸福とみなすことによって世界から独立する自我となること。
したがって、いかなる生を生きたとしても自殺しない限り「幸福に生きよ!」というテーゼを実践したことになる。 」
こんな風に想像していましたが、功利主義的と考えたほうが納得できます。
(しかし、私の記憶違いでなければ、ストア派は自殺を最後の手段として肯定していたような)

> 鬼界さんの引用出典にもあるように、「自殺」についてのコメントは一次大戦
> の戦役中に書かれたもの。>>807の指摘は後年の推敲の後の結語だから、
> 草稿の自殺に関する記述は推敲落ちして取り上げられなかっただけなのだろう。

自殺の問題は彼の哲学の主題的対象とはならなかったのですね。

844 :考える名無しさん:2010/05/15(土) 13:34:54 0
「功利主義的」というラベリングはイージーだけど、誤解があると思うな。

「功利主義」には善悪・利害について、過去の行為への正当化と、未来
の行為選択について「功利計算」を含む。過去を正当化し、未来の有り様
を計算して、ダメダメ全くダメ。と判断してこそ「自殺」が究極選択として「今」
なしえる。しかし、全力全霊を賭けて「今」を最高に生きよ。それが幸福なの
である。ある意味、刹那瞬間・全力投入主義ともいうべき考え方がウィトの
発言から読み取れるなら、それは「自殺」回避、つまり正当化のネガティブ
ループを避ける実践的方法だったのだと思うね。

「戦争が私を生かしたのである」みたいなことをウィトはどこかで言ってたらしい。
弟子が二次大戦に従軍するとき、「敵弾は避けるな、前に進め」みたいなことも
言ったらしい。自殺や自爆、戦時の白兵戦的殺し合い。それらは「悪」かどうか、
色々議論のあるところだけれども、正当化のロジックの中で考えることを忌避する
傾向はあったと思う。そうでなければ、三人の兄達の「自殺」など受容できなかったはず。

「トリック」の上田に云わせれば、「なぜ、ベストを尽くさないのか?」ということ。w

世の中には正当化のロジックで「善悪」を騙る「なんちゃって神様」大杉。
と、考えていた風でもあるねえ。


845 :考える名無しさん:2010/05/15(土) 13:38:03 0
一言補足。今なしえる最高の選択として、つまり
「美学的選択としての自死」はありだったのだと思うよ。

846 :考える名無しさん:2010/05/15(土) 14:39:26 0
最近、野矢がおかしい。
大丈夫か。


847 :考える名無しさん:2010/05/15(土) 16:51:23 0
野矢さん、この前ラジオに出てたね。

848 :地方労働者:2010/05/16(日) 00:02:22 0
論考の原稿は、ウィトゲンシュタインが捕虜収容所から、
ラッセルに送付したのではなかったか?

彼は情況に合わせて一方的に思想が弛緩するタイプでは
ないように思うが。だから、大学生活にも馴染めなかった。

849 :考える名無しさん:2010/05/16(日) 10:31:09 0
>>846
くわしく

850 :考える名無しさん:2010/05/19(水) 00:54:18 0
新刊が出てたよ。本邦初邦訳。

『原因と結果、哲学』
ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン 著
羽地亮 訳
(晃洋書房)
四六判 2010年4月 税込 1,680円

851 :考える名無しさん:2010/05/19(水) 01:08:47 0
>>850
安!

852 :考える名無しさん:2010/05/19(水) 12:39:31 0
ウィトゲンシュタイン入門―彼の哲学の理想像と意義。ウィトゲンシュタインの基本的な概念の把握に資する本邦初訳。

だってね。

853 :地方労働者:2010/05/19(水) 18:36:29 0
>>840-841
中公名著の解説冒頭。60年代終わり頃の文章だろう。
英米哲学のコンテクストでは常識だろ?

854 :考える名無しさん:2010/05/19(水) 19:11:53 0
常識の定義にもよる

855 :地方労働者:2010/05/19(水) 20:57:44 0
ふん、ちょっと前ならブンセキとソーゴーだ、ウィトだって、
譫言みたいに繰り返してたのに、お前らも変わったな・・・

856 :考える名無しさん:2010/05/19(水) 21:03:42 0
ウィトは分析哲学じゃないって話でしょ?
総合って何?

ウィトの哲学は、前期だけに限れば、論理学の哲学的考察であって、分野としては狭いし、テクニカルな問題で済むところも多い。
なので、哲学一般の話はしずらいところがある。

後期は、もう完全に風呂敷が広がっているので、逆に意味がわからなくなっている。

地方労働者は、一回量子場の理論以降の物理を学んだほうがいいよ。
時間の定義もいろいろだってわかる。



857 :考える名無しさん:2010/05/19(水) 22:22:48 0
馬鹿すぎ。

858 :地方労働者:2010/05/19(水) 23:18:00 0
>>856
あ、科学基礎論には関心はあるんだけど、「科学っぽい哲学=科学哲学」みたい
なのは俺は駄目。すまn

859 :考える名無しさん:2010/05/20(木) 00:01:14 0
質問
「分析哲学」の「分析」って「分析・総合」の「分析」の意味?

860 :考える名無しさん:2010/05/20(木) 02:01:38 0
そうでもない

861 :考える名無しさん:2010/05/20(木) 04:01:52 0
>>858
科学哲学についてどれぐらい知っているの?
アメリカのそれ系のサイト見てまわりな。

ほとんど基礎論=科学哲学だから。
科学史の分析や一般論ー科学哲学という認識は古い。
分析哲学の次は科学哲学が流行する番。



862 :考える名無しさん:2010/05/20(木) 05:35:14 0
>>856
君こそ学んだ方がいいよ、その場検索君。

863 :地方労働者:2010/05/20(木) 18:54:19 0
>>861
「形而上学者は二度、ベルを鳴らす」ってか?

懲りねえよな。

864 :地方労働者:2010/05/20(木) 19:01:35 0
分析と言ったら基礎論になるんだろうかいな?
ウィトゲンシュタインが分析というのは、そういう
意味では間違いと言い切れないないが、対置
される「総合」が形而上学というのは、どうか?

865 :地方労働者:2010/05/20(木) 22:59:21 0
しかも、ホワイトヘッドの「有機体の哲学」は根っこがナチズムと一緒だからな。

866 :地方労働者:2010/05/20(木) 23:36:16 0
>>861
人生、単純そうな文章だな・・・。

867 :考える名無しさん:2010/05/21(金) 00:43:20 0
二度のレスの意味は?

868 :地方労働者:2010/05/21(金) 18:04:31 0
特別な意味はない。「もう古い」とか言い切られると、
何だか羨ましくなっちまうだけさ。

869 :考える名無しさん:2010/05/22(土) 05:56:37 0
「古い」の定義にもよる

870 :地方労働者:2010/05/22(土) 19:07:23 0
>分析哲学の次は科学哲学が流行する番。

「流行」という言葉を持ち出すことについて、
恥じ入ることをしない。完璧な俗物根性だ!

素晴らしい。

871 :考える名無しさん:2010/05/22(土) 23:49:19 0
スレちだけど、
分析哲学のあとになんでポストモダンなんかが出てくる余地があったの?

872 :考える名無しさん:2010/05/23(日) 00:47:36 0
>>871
分析=大陸で
ポモ=ヨーロッパだから

数学もフランスのブルバキは華麗でエレガントな数学を目指したが
大陸のほうは基礎数学をみっちりやって、その結果ゲーデルの不完全性定理で↑の数学は足払いを食らうw

873 :考える名無しさん:2010/05/23(日) 05:34:54 0
>>872
?

分析=英米
ポモ=大陸(ヨーロッパ

でしょ。

ポストモダニズムというのは、哲学というより思想だから、別に分析哲学とコンフリクトは起こさない。
まあ、大きい意味では哲学かもしれないけど。

ドゥルーズやデリダなんかも分析系の議論をフォローしている部分もあるしね。

それにフランスでもドゥルーズやバルトは、正式な学問としては認められていないっぽい。


874 :考える名無しさん:2010/05/23(日) 12:43:10 0
>>873
そうだ。間違えたw
でも英米系の大学でも、社会学とかカルチュラルスタディーズの場面ではポモが流行ったりはしたらしいね

875 :考える名無しさん:2010/05/23(日) 13:40:55 0
いや、した、という情報はないよ?
アメリカは計量社会学の本場だし。

カルチュラルスタディーズというのは、文学研究のひとつであって、
確かにポモ系の議論なんだけど、
まあ、文学研究の場合、ポモ的なフレームも有効だからね。

いずれにせよ大学という場では、イデオロギー的な知識は流通しないよ。
ポモに限らず。

876 :考える名無しさん:2010/05/23(日) 14:04:38 0
>いずれにせよ大学という場では、イデオロギー的な知識は流通しないよ。

大学も市場・業界だからな。市場原理で需要供給の動向が決まる。不毛の一形態だなw


877 :考える名無しさん:2010/05/23(日) 15:32:23 i
レヴィ=ストロース流構造主義(≠ポモ)とヴィトゲンシュタイン流哲学の融合に興味ある

878 :考える名無しさん:2010/05/23(日) 15:43:55 0
>>877
あんまりそういうお子様ランチ的な欲望はよくないよ
まず基本をさらわないと

879 :考える名無しさん:2010/05/23(日) 18:20:08 0
>>875
ポストモダン系社会学は
アメリカでは主流じゃないね
むしろ日本のほうが多い
大澤しかり北田しかり
宮台はちょっと違うけどね

880 :考える名無しさん:2010/05/23(日) 19:04:04 0
>>879
ふたりとも、主流じゃないw

881 :考える名無しさん:2010/05/23(日) 19:51:03 0
つか、廃れるのが流行。今は[ポポモ]だろw

882 :考える名無しさん:2010/05/24(月) 11:32:03 0
分析哲学が流行しているよね、ネットで地味に。
数学の哲学、とかいろいろ話題になっていたり。


883 :考える名無しさん:2010/05/25(火) 14:37:11 0
10年前よりは廃れてるけどね

884 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 15:22:31 0
ウィトは別格として日本思想会は分析に極端に冷たいと思うけどな。
現代思想とか出してる青土社が、極度のフランスびいきってのが
サブカル方面への影響は大きい気がする。
ニューアカの残存物の意見も英米より圧倒的に仏よりだし。


885 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 16:04:04 0
分析哲学は、思想ではないよ。
数学に近い。

といっても、それなら数学をやったほうが面白い。


886 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 16:17:56 0
それと、ウィトは分析哲学ではない。
それどころか哲学でさえないだろう。
結局は、「哲学は無意味、やめましょう」と言っているわけでさ・・・
前期と後期でその言い方が違っているだけで。

また、フランスの現代思想って、かなり分析系の議論もみているよ。
バディウなんてその最たるもので、分析哲学はおろか代数幾何まで取り入れてすごいことになっている。

ドゥルーズにしてもラカンにしても分析系の議論を踏まえて話をしているときがある。
それは明示的に語られないし、意味不明なんだけど。
意味の論理学とかは、分析哲学を勉強しないとわからない。
そこまでしてわかる必要はないけどw

いずれにせよ分析系のコアな議論についていくには、哲学よりむしろ論理学や個別科学などの知識が必要で、しかも文献は訳されていないのが大半なので、雑誌などで特集を組むのは難しい。

そして議論している内容は、つまらないのが多い。

それなら数学をやったほうが面白い。

ということで終わり。

887 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 16:22:22 0
ウィトゲンシュタインの哲学って存在しない。
哲学は存在しない、という主張があるだけ。

ポパーは「いや、哲学はある。たとえば帰納の問題など」といった。
しかしウィトは「いや、それは哲学ではなく、科学の問題だよ」といった。

ウィトにとっては、現代哲学=分析哲学はすべて科学や論理学の問題でしかないわけ。

哲学という学問を前提としている限り、この人のいいたかったことは理解できない。


888 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 16:24:28 0
じゃあ、なぜウィトは、論理学や科学を突き詰めなかったのか?

おそらくこのあたりに答えがある。

一種の神秘主義者なんだろうね。


889 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 16:41:57 0
>>850
訳が酷いw

890 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 22:54:54 0
>一種の神秘主義者なんだろうね。

同意
「そうよ皆皆、神秘主義者よ」(「うらはら」より)

891 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 06:48:19 0
>ドゥルーズにしてもラカンにしても分析系の議論を踏まえて話をしているときがある。

踏まえてねーよw
意味の論理学のどこが論理学なんだw読んでねーだろw

892 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 07:00:35 0
俺は同意せんぞw
なぜなら、神の領域の事柄は知り得ない語り得ない。
という前提では何のテーゼも打ち立てることができないから。

そういう意味で、ギリシア哲学的形而上学者こそが神秘主義者だろ?
それもまた、神秘主義だ。といえるなら、そうかもしれないけどね。
ここから先は、神秘主義とは何よという定義の問題だな。w



893 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 09:51:41 i
とりま、数学は面白い、と。

894 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 10:02:36 0
無限を知り得ないのと同じだな。

895 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 14:44:45 0
理系コンプかw
論理学は数学を遥かに超えてるよ。
そんなことも知らんのかw

896 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:19:39 0
たとえば?

897 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 17:55:08 0
>論理学は数学を遥かに超えてるよ。

馬鹿すぎw
とりあえず何がどう超えているのか言ってみww

898 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 18:00:47 0
>>895
どうした藤本忠w
「トンデモ物理学」って言われたとたん書き込みがピタッと停止したぞww
自分でも自覚してたのか?wwwwww




899 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 18:11:49 0
ロジックは役に立っている。
論理回路。


900 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 19:45:41 i
数学は理系でも文系でもないような…

901 :地方労働者:2010/05/27(木) 20:05:00 0
6.1
 論理学の諸命題は、恒真命題である。
6.2
 数学とは論理学的方法である。
 数学の諸命題は等式である。ゆえに、疑似命題である。
6.3
 論理学の研究とは、全ての合法則性の研究ということである。そして、論理学の外では、全ては偶然である。
6.4
 すべての命題は、同等の価値を持つ。
6.5
 人が語りだすことのできぬ回答に対しては、人は問いをも語りだすことはできない。
 謎は存在しない。
 ともあれ問いが発せられる以上、その問いは、答えることのできるものである。

902 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 20:19:15 0
論理学の諸命題は、恒真命題ではない。

数学とは論理学的方法ではない。
数学の諸命題は等式ではない。ゆえに、有意味な命題である。

論理学の研究とは、ずべての合法則性の研究ということではない。
そして、論理学に限らず、全ては偶然である。

すべての命題は、同等の価値を持つかもしれないが、持たないかもしれない。

人が語りだすことのできぬ回答に対しては、人は問いを語り出すことはできないが、
それはその必要がないからである。
謎は存在するかもしれないし、存在しないかもしれない。
ともあれ問いが発せられる以上、その問いは、答えることのできるものであるかもしれない。

903 :地方労働者:2010/05/27(木) 20:25:02 0
締まりのない脳みそだな・・・。

904 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 20:25:12 0
そもそもロジックは数学とは無関係。

ロジックは、記号操作の分析だが、

数学は、物理と同時に発展してきた。

まったく無関係ではないが・・・
数学という広い世界のほんの一部分がロジック。

幾何学を見れば、
ロジックがどうのこうのとか無意味すぎる。


905 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 20:35:02 0
ロジックを分析しても得るものはない。
それは記号操作の分析でしかないから。

数学の場合、物理と関連しているから、
物理的なアイデアとつながっている。

ニュートン、ラグランジュ、ハミルトン、フーリエなどを見ればいい。

ロジックがどうのこうの、とかいう話は、その後、数学が抽象化されてからの話。
抽象数学は、物理的な対象がないから、当然記号操作の分析になる。

ただ、そんなの突き詰めても世界の真理には到達できない。
記号は、人間の脳内現象であり、それでしかない。

しかし物理を突き詰めても、
真理到達は難しい。
結局重力が何なのかさえ分からない。
投げた石がいつどこへ落ちるのか予想はでき、その精度を上げることはできる。

もしかしたら死後の世界もあるかもしれない。ないかもしれない。
何ひとつ分からない。
胡蝶の夢やデカルトの懐疑は、子供のときは学者の冗談にしか聞こえなかったが、大人になった今では限りなくリアリティがある。

906 :地方労働者:2010/05/27(木) 20:37:23 0
あ、「直線」っていうと、紙に鉛筆で棒を引いて、
指さして見せるタイプだろw

907 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 20:43:46 0
私は、この世界が映画マトリックスのように上位世界で走っているソフト、である可能性はかなり高い、と踏んでいる。

誰でも思いつくB級SFのネタだし、青年の頃の私ならば、むしろ反対していただろう。

そもそも歴史を見ると、第二次世界大戦の後あたりから上手いこと事が運びすぎている気もする。
電気の発見ももう少し前の世紀でよかった気がする。
宇宙じたいも効率が悪い形状をしているようだ。

何か変だ・・・



908 :地方労働者:2010/05/27(木) 21:57:21 0
ぜんぜん、スレチな話題だけど、クーデンホーフ・カレルギー(母親日本人)の
「友愛」のドイツ原語「Bruderlichkeit」って、兄弟愛って風なニュアンスな。

マルコムのウィトゲンシュタイン伝を見直してて思ったのだが。ドイツ人的な
イメージでさ。

909 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 02:51:28 0
「恒真命題」
↑この用語使う奴は高確率でトンデモ

910 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 04:24:58 0
高確率という奴の方がそれを上回るトンデモ

911 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 06:07:04 0
漫才やってんじゃねーよ。w

912 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 06:18:40 P
すげえ厨房的だな

913 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 08:39:33 i
数学は構造の学問 

914 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 08:51:45 0
たしかに恒真命題言う輩は意味不明なのが多いなw

915 :地方労働者:2010/05/28(金) 16:05:21 0
お前のアタマが三歳児なだけだから安心しろ。

916 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 16:23:14 0
お前が言うなよ。

917 :地方労働者:2010/05/28(金) 17:31:27 0
直線には太さがないと駄目なんだろ。
太さがないと目に見えないもんなw

918 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 17:36:53 0
そもそも直線なんて存在せんけど?
量子力学を再勉強しろ。



919 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 17:42:00 0
いや、概念として立派に存在しますが?
現実世界に存在しなければ取り扱えないようでは、
はたして学問と言えるのかどうか・・・

920 :地方労働者:2010/05/28(金) 17:47:25 0
>>918
量子が丸い粒々みたいに実在するんだろw

921 :地方労働者:2010/05/28(金) 18:28:05 0
>人が語りだすことのできぬ回答に対しては、人は問いをも語りだすことはできない。

ハイデガーが正しく問いを立てることの重要性を『存在と時間』で強調しているのを
連想するな。『存在と時間』は1927年、『論考』よりずっと後の作だが。

922 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 19:08:27 0
論考ってどれだけ売れたの?

923 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 19:28:47 0
わかんないけどけっこう売れた

924 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 20:05:24 0
当時ですよ。
ウィトが生きていたあいだ。

925 :地方労働者:2010/05/28(金) 20:15:54 0
どよめきを以て受け入れられた、らしい。

>論理学の外では、全ては偶然である。

「偶然である」というのは「経験的である」と同義語らしいね。

926 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 20:24:50 0
同じ、なの?

というか、「経験」という言葉に違和感。
原子や電子など経験不可能だし。
というか古典的なスケールのモノも経験不可能。

ウィトは、量子力学を学ぶべきだったかもしれない。

927 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 21:55:34 0
論考ばっかとりあげられるのってどうなんだろう?

探究を文庫化すべきなんだよな。

928 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 22:42:28 0
探求のほうが「深い」と思っているとしたらまだまだひよこです。


929 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 00:39:54 0
はたしてそうかな?

930 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 11:02:48 0
>>927
927は探究の方が深いとは一言も言ってないけどな。
探究も文庫化すべきとしかいってない。

931 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 11:04:25 0
じゃあ文庫化すべき理由は?


932 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 11:22:05 0
高校生のときヴィト読んですごいと思ったけど
大学入ってクワイン読んだら「ああこれだ 探し求めていたのは」と思った

933 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 11:35:08 0
>>932
ほんとかよ?


934 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 12:04:36 0
探求の方が論考より深い、というのが世間の主流だからね。

ほとんどのウィト学者も探求を深遠な著書とみている。

それに比べ、論理実証主義やウィーン学団の時期を単純な論理屋の時期としてみている。

たしかにまあ、自然言語は写像ではないんだけど、だからといって探求のような自然言語の深みについて延々不思議がっている方が凄い、とはいちがいには言えない、と思う。

探求は価値のある書物だろうが、論考の凄みっていうのはなかなか正面だって捉えられていない気もする。
ああいうのって大衆受けもしないし、専門家受けもしないからね。

935 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 12:30:45 0
深遠病。

「むむ・・・xは深い。深い。深いぞぅ」

xにはたとえば「自然言語」などが入ります。


936 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 12:33:17 0
深遠病にかかると、xに対するあらゆる表現、記述が「浅く」見えるようになります。

その結果、他人がxについて何かいうと、
「それは、浅い意見だ」と感じるようになります。

しかし彼は、xについて何ひとつ有益な情報をもたらしません。
なぜなら彼にとってxは「深い」だけの何かですから。



937 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 19:25:26 0
ウィトって確かソ連に移住するつもりだったんだっけ?


938 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 03:16:45 0
>>936
あんたは、有益病なだけじゃんw

939 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 18:32:55 0
まあ、そうだけど。
でも学問として、深遠病やられるよりマシでしょ。
文学とかならともかく。


940 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 22:54:44 0
「色彩について」が増刷されたのかな?

941 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 23:11:19 0
ごめん。勘違いみたいだ。
いきなりAmazonのおすすめにあがったから増刷されたのかと思った。
でも、紀伊國屋ブックウェブには在庫ありってなってるんだよな。

942 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 20:07:38 0
ほほほ、ほーっほ、ほーっぷープゲラレンチョピピーッ!!
アーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! 
ホアーッ!! ーっ、ホアホアどぶちゃドホアどぶちゃドエズットコち^゚)^゚)゚。プ。フぢっぷぷらだお!
ほほほ、ほーっほ、ほーっぷープゲラレンチョピピーッ!!
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ほほほ、ほーっほ、ほーっぷープゲラレンチョピピーッ!!
アーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! 
ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ
エズットコち^゚)^゚)゚。プ。フぢっぷぷらだお!
アーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ
エズットコち^゚)^゚)゚。プ。フぢっぷぷらだお!アアーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ
エズットコち^゚)^゚)゚。プ。フぢっぷぷらだお!
アーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ
エズットコち^゚)^゚)゚。プ。フぢっぷぷらだお!

943 :考える名無しさん:2010/06/04(金) 21:42:51 0

なに、これ?

944 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 00:30:23 0

古トンガッズシューシューだけでローローですが、トンガッズですガッズです。

しかしながらガッズトントンズシューローローですが

まらまんグッズマラマラですがフルチンまらんです。

いっちょフルマングッズでガッズガッズまらんですが、イッチンでガッズトントンズです。

デカマラグッズでトントンシュー?ww




945 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 00:36:36 0
まさか自然言語の深みを示しているレスのつもりじゃないよねw


946 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 00:51:38 0
           _____
          /∵∴∵∴∵\
         /∴,zェェ.ュ'.:''::´zェェ.ュ:i 
         ∧ ヽ.   ヽニニソ   l   ぷえさんかね〜?
       /∵\ヽ        / 
     _,./‐'  、_ ヽ、_     '   ヽ、
   ,r'´       `''‐ ニ=  '´,..-‐' ``ー、
  /              ',      ', ヽ
 l                l        l ',
 |      、           l       l l
./        ヽ、        人       ノ  l
i       | `ー ---‐''''´l  `ー─‐i'   l
',        l         !     /   l


947 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 00:54:18 0
ががャーッハッハーヒャヒャプキ?ヒャャーー ?
ャーッハッがャーッハッがャーッハッハーヒャヒャプキ?ヒャャーー ?
ハーヒャャプががャーッハッハーヒャヒャプキ?ヒャャーー ?
ャーッハッがャーッハッがャーッハッハーヒャヒャプキ?ヒャャーー ?
ハーヒャャプキ?ヒャャーー ?
ハーヒャがャーッハッハーヒャヒャプキ?ヒャャーー ?
ヒャプキ?ヒャががャーッハッハーヒャヒャプキ?ヒャャーー ?
ャーッハッがャーッハッがャーッハッハーヒャヒャプキ?ヒャャーー ?
ハーヒャャプキ?ヒャャーー ?
ハーヒャがャーッハッハーヒャヒャプキ?ヒャャーー ?
ヒャプキ?ヒャャーーャーー ?
キ?ヒャャーー ?
ハーヒャがャーッハッハーヒャヒャプキ?ヒャャーー ?
ヒャプキ?ヒャャーー ?



948 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 08:17:22 0
ノイズ?

949 :考える名無しさん:2010/06/15(火) 22:11:37 0
第5信 「チューリングマシンの精神分析」
斎藤環から茂木健一郎への手紙
http://sofusha.moe-nifty.com/series_02/2010/05/5-455b.html


950 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/06/18(金) 18:41:39 P
子供を作ったことがないから分からない。
子どもは思考をしているだろう。
しかし大人はある言葉を覚えればそれを使わずに思考することはないだろう。
言葉とは落とし穴のような物でかつわき上がる温泉のような物だろうか。
子どもの精神と大人の精神の間に差異はないだろう。
表現の違いはコミュニケーション能力の違いであって、脳の自由度の
違いだろう。刻まれた皺の数に違いはどれほどあるのだろうか。

951 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/06/18(金) 18:55:10 P
何故言葉はコミュニケーションの道具として生まれ、そこを離れることがないのか。
それは、おそらくコミュニケーションという物が、自分と、相手という自分の鏡に映った物
との対話であり、想像上の物であり、主観がどこまでも主観の外に出ることがないからだ。
客観は、主観の外からやってくる。しかし、受け取った瞬間、客観は主観の色をおびる。


952 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/06/18(金) 23:29:49 P
ウィトゲンシュタインは、語り得ぬものについて、まず、それが「ある」のか「ない」のかと言うことを考えただろう。
そして、まず当然それは「ある」という答えを出しただろう。しかし、「世界」にとって意味があることは、「命題」によって
表されることである。論理は「世界」を越えているはずである。あるいは、「世界」が「論理」であると言うことかも知れない。
そこはよく分からないが、どちらにしても、「私」がいる「世界」、「世界」が即ち「私」という、「私的世界」のなかには
語り得ぬものがあっても、共有する「一般的世界」は、その一般性によって、語り得ぬものが「存在しない」と言うことになる
のではないか。それが「一般的世界」の「論理」である。したがって、このふたつの世界の間では、語り得ぬものはあったり
なかったりするわけで、嘘を言わないためには、「沈黙」するしかないと言うわけである。

953 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/06/19(土) 00:21:18 P
現象については、表された物と表す主体が居て、その両者の関係は物質的に結ばれていないから、乖離があって、
言葉によって両者を交流させることが出来るんだけど、それをするのは主体だから、主体の姿勢や認識度によって、
表される物の質が変わってくるから、論理を越えることは出来なくても、論理をごまかすような言葉は作れるから、
「語り得ないもの」と論理的に言う物に対しては、どうごまかして語ることも出来るけど、結局それは嘘になってしまう、
と言うところに、言葉と現象の関係の難しさが集約されていると言う話し。

954 :考える名無しさん:2010/06/19(土) 11:02:17 0
 
  948 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 2010/06/06(日) 08:17:22 0
  ノイズ?


955 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/06/19(土) 13:09:33 P
>>954
一人でご神体に念仏を唱え続ける修行僧だよ。

956 :考える名無しさん:2010/06/19(土) 15:45:15 0
アブくんって個性的だよね

957 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/06/19(土) 19:00:00 P
>>956
レスありがとう。

958 :Absalom ◆owNN8RDlXo :2010/06/20(日) 16:59:00 P
世界には何故謎が存在するのか。
生命以外の自然は思考しないから当然それはあるがままであり、そこに謎はない。
普通の動物は疑問を持つことをしない。それは、生命の仕組みが出来上がっているからだ。
その様式を収めたものがDNAであり本能だ。人間には文化がある。それには当然最初があっただろう。
おそらく突然変異が本能の変化をもたらし、他の個体とのDNAのある部分に収められた、おそらくは生殖の部分、
つまりそれは子育ても含むが、そこに変化のある個体と今までの個体とのコミュニケーションと言える
行動におけるつまづき、おかしさ、不和、そういったモノが、自分と他の違いという意識の原初であり、
自意識の原型だ。違いが謎となる。その謎は脳に記憶され、他の個体にも同じ謎を向けるようになる。
そして謎は文化として受け継がれる。つまり文化とは、DNAの変異の記述なのだ。文化自体は進化するわけではないが、
突然変異をもった最初の謎を作った個体は、文化の礎として子を残す。優劣ではなく、(自然淘汰が優劣を決める)変異だ。
その本質的に他とは異質な個体を、天才とよばれたりする。天才が文化に新しいものを加え、そして文化を決定的に進化させる。
それが進化と文化の関係である。だから、動物にも天才は存在するし、動物の文化も決定的な進化をする。DNAの大部分が殆どの
動物に共通であることを考えると、現在の人間が、進化の頂点にあると、考えてもいいかもしれない。
そして進化はいつか止まるだろう。文化は決定的進化をもたなくなるだろう。そして全ての謎は、
初めの通り、とかれ、全ての謎がなくなるだろう。地球人と人はなる。
だが、遺伝子操作はどうなのだろうか。現在では禁止されているが・・・。

959 :考える名無しさん:2010/06/20(日) 19:32:37 0
test


960 :考える名無しさん:2010/06/26(土) 13:51:37 0
マイケルポランニーって人の暗黙知の次元というのを読んでる。この人は唯名論者でも実念論者でもないだろうけど、考え方は
実念論の言う所の類概念やフォルムというのを、諸要素、諸部分ゲシュタルトとかとにかくバラバラなものと言い換えた感じに
近い。だから思想としてはどうなんだろうな。沈黙すべきというのには反論するんだろうか。まあまだ最後まで読んでないけど、
時代近いからなんか言及したりしてないかなあ。

961 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 05:08:41 0
>>960
その時代って交通や通信手段ないから、同時代でも以外と接点ないよね。
ハイデガーとウィトとか。

962 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 13:37:35 0
ないよねえ。ただウィトゲンシュタインが精神分析について「これは場合によっては
とても邪悪なものになりうる」とかなんとか言ってたというの何かで読んだ。
フロイトも論争嫌いだろうしけっこう相性いい気がする。多分こういう人たちには論争
って全くかみ合ってない為に生じると言うか、背中合わせに怒鳴りあってるように感じるんだろうなあ

ポランニーを読み進んでいくうちに科学哲学としての「沈黙せねばならない」ならウィトとは
真っ向からぶつからざるを得ない人だと分かってきた。あるいは限定する必要もなくて対立者として
考えてもいかもしれない。


963 :考える名無しさん:2010/06/28(月) 21:06:00 0
ヴィトとトポロジりたい

964 :考える名無しさん:2010/06/29(火) 00:19:33 0
ウィトの魅力は孤高さ。
集団で群れてたらひくな。

何かで読んだけどバフチンと接点あったって?
言語ゲームのヒントはそこからかもね。

965 :考える名無しさん:2010/06/29(火) 04:04:17 0
同じ言葉でも発話者によって意味が180度変わります。

 ( ´∀`)< 人の嫌がる事を進んでやります

 <丶`∀´>< 人の嫌がる事を進んでやります

966 :地方労働者:2010/06/30(水) 11:52:01 0
そんなのはウィトゲンシュタインが最も軽蔑した小手先の
言葉のトリックだ。

小林秀雄の『考えるヒント』の宣長の言語論の方が、余程、
ウィトゲンシュタインに近いわ。

967 :考える名無しさん:2010/06/30(水) 16:58:33 0
レトリック?ww
犬は痛がらないと同義。
下品な例でも言葉の意味は内在か外在かを考える契機にはなるじゃないか。


968 :地方労働者:2010/06/30(水) 18:15:19 0
人(他者)とは何を指示しているかの地平で
片付く問題だろ。

969 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 10:16:11 0
Wittgensteinこそレトリックの塊

970 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 18:53:14 0
>>969
レトリックの中にしか真理などない、ということを理解できないのかね。

971 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 19:01:32 0
>>970
真理そのものがレトリックでしかない、ということを理解できないのかね。


972 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 19:12:28 0
>>971
で真理って何のレトリックなの?

973 :考える名無しさん:2010/07/12(月) 09:10:42 0
レトリックはリトミックである

974 :考える名無しさん:2010/07/15(木) 16:17:22 0
隠喩や換喩が非論理的でも
自然に使用することができるなら
レトリックによって世界の限界は拡張されうる

975 :考える名無しさん:2010/07/15(木) 20:55:53 0
メディアはメッセージである

976 :考える名無しさん:2010/07/15(木) 22:52:48 0
メディアはマッサージである

977 :考える名無しさん:2010/07/16(金) 04:22:09 0
マクルーハンなんてハッタリ屋の代表w

978 :考える名無しさん:2010/07/18(日) 12:01:31 0
ヴィトゲンシュタインに関する入門書だと、どれが良いですかね?

979 :考える名無しさん:2010/07/18(日) 14:49:51 0
まず論理哲学論考の邦訳を読んだほうがいい

980 :考える名無しさん:2010/07/18(日) 22:26:12 0
>>978
Anthony Kennyの"The Wittgenstein Reader"

981 :考える名無しさん:2010/07/18(日) 22:32:36 0
>>978
デレクジャーマンの映画「ウィトゲンシュタイン」の講義

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