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『グラマトロジーについて』をやさしく読む

1 :ゅめみ:2009/10/22(木) 01:33:37 0
デリダファンでも、ポストモダン信奉者でもありませんが、
おもしろい本なので、やさしく読んでいきます。

多少の通俗化は、しかたありません(;^_^A



2 :ゅめみ:2009/10/22(木) 01:34:47 0
銘(上に刻まれたもの)

ロゴス中心主義(表音文字の形而上学)という抑圧が、地上全体にひろがっています。
それは次のような形で表れています。

1.表音文字が出現すると、たちどころにそれが根源の位置にいすわり、みずからの歴史がわからなくなってしまいます。
みずからの歴史とは、音声よりも「エクリチュール」(空間的なずらし)のほうが、あるいみ先行していた、という過程です。

2.ヨーロッパ形而上学では、「パロール」(話し言葉)が優位とされ、「エクリチュール」はおとしめられてきました。
ロゴス中心主義というのは、真理の中心にあるのは、あるいみ「音声的」だという信念です。
ただし、ややこしい比ゆのために、表面的に「エクリチュール」(書き言葉)が称揚されているようにみえることもあります。

3.科学における論理性も、ロゴスに従うものだとされています。たとえ数学が、書き文字を中心にしているように見えても、
その体系の起源は「話し言葉」のなかにあり、音声の優位を否定することにはなりません。
こんにち、ロゴス中心主義は、あらゆる「真理・エピステーメー」の条件として、世界文化を簒奪しています。

以上のような抑圧は、必ずしも「民族主義の批判」というだけでおさまるような、単純なものではありません。

しかし「われわれの時代」は、もはやロゴス中心主義に満足できるものではなくなっています。
この反発運動は、いつもすでに運動していたのですが、こんにち、さらにあたらしい発展を見せようとしています。

エクリチュールの学としての「グラマトロジー」は、エクリチュールの解放を告知するものにはありますが、
いっぽう、「エクリチュールのガクモン」は、たとえ形而上学的な考えをふりはらったとしても、本質的な理由によって、
姿を表すことはできないということを覚悟しなければなりません。

ガクモンというものは、「記号」がなにかを指示するという、原初的な関係の内部でしか意味をもちえません。
それは非常に限定されたもので、今日ではその解体は指摘されるまでになっています。
「エクリチュールのガクモン」(グラマトロジー)は、入念な努力によって、
形而上学に閉じ込められていた<知>を解放し、到来しようとする世界を告知しようとしています。


3 :ょうじょ:2009/10/22(木) 01:34:48 0
(;^_^A

4 :社会びたみん落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/10/22(木) 01:36:40 0
ぴかぁ〜避けのカキコしておこう(;_;)

5 :ゅめみ:2009/10/22(木) 02:13:47 0
第一章(書物の終焉とエクリチュールの開始)

言語そのものを考えようという志向が、「言語」というコトバそのものを安っぽくして、はんらんさせ、
「ゲンゴ」という記号について、インフレーションを起こしています。
それは、なにものかが、なにものかを指示するという世界の中では、このうえもなく重大なインフレーションで、
インフレのなかのインフレです!!

しかし、このような事態そのものが、もうひとつの新しい局面をあらわしています。

しかしながら、この言語の危機は、けっきょく言語そのものへの回帰につながらざるをえません。

形而上学の時代にあっては、いま述べたインフレのような危機も、
けっきょくその問題意識の全体を言語で表現せざるをえないので、言語じしんに送り返されます。
そればかりでなく、ゲンゴがあるしゅの絶対的な制約を超えて、つまり自分がなにものかを指し示すゲンゴであることをやめて、
無制約で、無限の<意味するところ>にむかって開かれていると感じる時にさえ、
やっぱり、あるしゅのゲンゴ固有の有限性にしばられていると感じることは避けようがありません。

6 :社会びたみん落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/10/22(木) 02:40:26 0
ぴかぁ〜が無理して別キャラ作ってる感じだね。

7 :考える名無しさん:2009/10/22(木) 04:32:46 O
どういう趣旨のスレなの?
みんなで精読?
それとも貴方が講義してくれるの?

思いつきで立てたの?
それとも、完遂する見込みがあるの?

予備知識あるの?
それとも単に読むだけ?

自分で咀嚼して書いた文章ではなく、
単なる要約にしか見えないけど、どうなの?

8 :考える名無しさん:2009/10/22(木) 06:44:43 0
無理してキャラ作ってる感ありありww

9 :考える名無しさん:2009/10/22(木) 08:34:44 0
この種のスレはすぐに終わるよねw
続いて三日だなww

10 :ゅめみ:2009/10/22(木) 13:29:21 0
※これは、個人的には、ズバリ要約でしょう!!(^。^)vあまり、自分の見解は出さないようにしています。
使えるフレーズはそのまま残しています。

ところで、「要約」なのか、それとも「再解釈」なのかを区別できるのか、ということもまた、デリダの問題意識の中に
はいっています。
というわけで、最終判断は、読者におまかせということになりますヾ(@゜▽゜@)ノ

何日続くかどうかは、わかりません(〃 ̄ω ̄〃ゞ

「ぴかぁ〜」って誰?

(ゅめみ)


11 :ゅめみ:2009/10/22(木) 22:24:12 0
二十っ世紀にはいって、「言語」概念が反省されるようになってから、
「エクリチュール」(書き言葉)概念が、「言語」の特殊な一部であることをやめ、
むしろ「言語」の外延を飛び出し、「言語」そのものを包括するような、より重要な概念になりつつあります。

エクリチュールは、<意味するもの>(音声)を<意味するもの>(音声言語を表現する記号)と伝統的に考えられてきました。
その限りでは、エクリチュールは二次的で、あってもなくてもよく、劣化コピーのように再現度の低いものと考えられがちです。
いまや、この<意味するもの>を<意味するもの>は、むしろ言語の根源的な運動を表現しているように見えます。
その運動の中では、最初の<意味するところ>(le signifie)がすでに<意味するもの>として機能して、
その産出プロセスの始まり、つまり最初の根源、最初の<意味するところ>が見失われることになるでしょう。
エクリチュールがになっていた「副次的性格」は、いまや言語全体にまでおよぶでしょう。

意味の伝達や、交換や、解釈などの言語の流通を、「たわむれ」とよぶならば、その戯れの<外部>には、
「二次性」に汚染されることのないような、安全な<意味するところ>などないのです。
そして、言語の流通の境界線のようなものも、やはり存在しないのです。
折にふれて、その境界線を越えて外側からやってきて、「たわむれ」に参加するような、根源的な何かは、
その境界線が消失するとともに、言語を規定するような力を失い、「くびき」を解き放つでしょう。

「言語」というもののヨーロッパ的概念は、音声とわかちがたく結ばれていますが、
それがいまや、むしろより根源的な「エクリチュール」の代理であるかのようにさえみえます。

この代理の意味は、「話し言葉」を復興しようとしていたルソーが「エクリチュールの代理」とみなしていた
ものより、さらに根源的なものです。



※個人的に「意味されるもの」という日本語は気持ち悪いので、「所意味」(意味するところ)としました。
「所得」(得るところ)などと同じです。(ゅめみ)


12 :考える名無しさん:2009/10/22(木) 22:41:17 0
パロールとエクリチュールを脱構築するパロリチュール論
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20040224

13 :ゅめみ:2009/10/23(金) 00:33:45 0
プログラム(2)

音声言語体系が、「根源性」の仮面をつけて現われるという事態は、歴史的な偶然ではありません。
それは人類の、生命としての人間、交換者としての人間、考えるものとしての人間の、人類史の、または<経済>の
必然的な一時期に訪れたものです。

世界を媒介しない<意味するもの>は、「自分が話すのを聴く」(話し=話される=関係)というシステムを可能にします。
そしてこのシステムは、必然的に世界史において全体を支配し、
のみならず、このシステムが、権利上は<世界>という実体を必要としないために、
あるしゅの二元論の源泉となり、内部と外部、世界的でないものと世界、観念的なものとそうでないもの、
などの対立を生みだしてきました。

さらには、「世界の根源」というアイディアもうまれました。

この運動は、必然的に<世界>のなかで実現されるエクリチュールを、二次的で道具的な役割に貶めました。
いっぽうパロール(音声言語)は、オリジナルの「マスターテープ音源」のように完全無欠であり、
自己に対して、完全に自分自身を表現することができます。
つまり、あいだになにものかが介在して、伝達したり翻訳したりする必要がありません。これを<現前する>といいます。

エクリチュールはこの<現前>を翻訳するために奉仕する、<技術>とみなされるにいたりました。
これは、<世界性>として介在し、解釈するものであり、同時通訳者のようなテクニカルな方便というわけです。

ここでは、歴史学的な、あるいは人類学的な<道具>の本質論には立ち入りません。エクリチュール概念の考察は、
それらの<技術>の本質論に先立っているかもしれません。
それゆえ、単純な<技術>の考察は、「エクリチュール」概念を解明することはないでしょう。

※パロリチュール(-o-?) 読んだけど、ゅめみにはよくわかりませんでした(×_×)

14 :考える名無しさん:2009/10/25(日) 14:59:35 0
今ひとつ意図が分かりませんが
後から、または他の論文に出てくる話を先取りして使いすぎているように思われます
順に進めるのであればもう少し本編の進展に合わせたまとめをした方が良いのではないでしょうか?

15 :考える名無しさん :2009/10/25(日) 19:10:18 0
ぴかぁ〜は「パクリチュール」でしゅ(笑)


16 :ゅめみ :2009/10/26(月) 18:16:04 0
アクセス禁止中です\(>o<)/

ゅめみ

17 :考える名無しさん:2010/01/18(月) 01:54:49 0
ゅめみさん、解除まだですか><

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