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【聖徳太子】東洋教学総合スレ0004【スフラワルディー】

1 :考える名無しさん:2010/02/19(金) 13:39:50 0
儒家、道家、法家その他の中国思想、
仏教、インド教(バラモン教、ヒンズー教)、ジャイナ教その他のインド宗教哲学、
神道、修験道、士道(本来の武家の道理)その他の日本の精神主義、
さらには東洋寄りのアブラハム教であるイスラム、アブラハム教の祖先である
ゾロアスター教まで、東洋の思想宗教哲学(教学と略称)を総合的に扱うスレッド。

豆知識:
聖徳太子……飛鳥時代の摂政。十七条憲法や冠位十二階を制定。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」の遣隋使を派遣。
スフラワルディー……ペルシャのイスラム哲学者。日出ずる東方を光の精神文明、日没する西方を闇の物質文明とする照明論哲学を提唱。

過去スレ:
【閻魔大王】東洋教学総合スレ0001【不動明王】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1232094525/
【朱熹】東洋教学総合スレ0002【無門】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1239157825/
【天照大神】東洋教学総合スレ0003【鬼子母神】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1243444356/

2 :考える名無しさん:2010/02/19(金) 13:44:16 0
関連スレ:
【八卦】易の数理化【六十四卦】
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/math/1264322527/
◆【春秋】中国思想全般スレッド【諸子百家】◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1216690817/
東洋哲学専門(dat落ち)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1152561786/
【印度】インド哲学【サンスクリット・梵】(dat落ち)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1078419330/
【生死】日本陽明学 【超脱】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1142239107/
曹洞宗 統一スレッド
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1234456132/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート25
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265848995/
アルトゥル・ショーペンハウアー 3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1227172497/
【天】日本儒教(儒学)【地】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235296987/l50
儒教で
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233597332/l50
涅槃
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1128517377/
【聖徳太子も】法華経こそ最高の教え【認めてた】(dat落ち)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1199617541/l50

3 :井上筑後守:2010/02/25(木) 19:44:40 0
ちゃくちゃくと邦訳「韓非子」を読んでいて、
いまほぼ半分の大体篇二十九まで読んだ。

色々と個別に指摘したい部分もあるが、
全体としての印象は、「ウサギだけの世界」ってとこ。

韓非は道徳と犯罪とをマッチポンプ扱いする。
道徳者がいるから犯罪者が生まれる、罪と徳のマッチポンプだから、
一緒くたに法律で押さえつけてしまえという。
それでこそ、世の中は安泰になるとまで高言する。

4 :井上筑後守:2010/02/25(木) 19:45:21 0
法律による信賞必罰すら徹底していたなら、
盗跖のような大盗賊は必ず罰を受けていなくなる一方、
不義の禄を食むことを忌んで餓死した伯夷・叔斉のごとき聖人もいなくなる。
あるいは孟賁や夏育のような、勇猛で知られた戦士もいらなくなる。

つまり、「勇気」がいらなくなる。

不義の禄を食むことを拒絶したり、君主のために必死で戦う勇猛さが、
同時に盗跖のような大泥棒をも生んでしまう。勇気こそは戦乱の元凶。
だから法律でもって勇気を抑え付けてしまえと。決闘も強盗も両方
なくしてしまうのが一番だとする、ウサギのごとき臆病さにまみれた主張。

5 :井上筑後守:2010/02/25(木) 20:00:28 0
韓非がそうだったという吃音、いわゆる「どもり」は、
いいたいことを言うのも恐れる臆病さから来る。
「金閣寺」でどもりの主人公を描いた東大法学部卒の三島由紀夫も、
生前のインタビューなどを見ると、どもりとまではいかなくとも
ものの言い方がかなりたどたどしい。そして「韓非子」を
政治理念に掲げた始皇帝も、厚葬を重んずる儒家すら認めない、
兵馬俑なども副葬した甚大な陵墓を築いた。
死後の自分が蔑ろにされることを極端に恐れる臆病さ。

どうも、法律万能主義者というのは、即ち勇気否定者であるようだ。
勇猛果敢な戦いが全般的に恐ろしく、一切なくしてしまいたい。
盗跖のごとき大泥棒を根絶するのも、本当は勇気盛んな英雄たちによる
群雄割拠の根絶のための口実に過ぎない。正当な理由に基づく
大勇であろうとも、不当な理由に基づく匹夫の勇や蛮勇であろうとも、
勇気が引き起こす暑苦しい状況全般を嫌悪して、その根絶に務める。

6 :考える名無しさん:2010/02/26(金) 01:52:17 0
能書きたれる前に前スレと数学スレなんとかしろ

7 :井上筑後守:2010/02/26(金) 11:44:51 0
「罪」と「罰」と、「徳」の三つがあった場合、

1.罪と罰のマッチポンプを解消させる道徳者の立場
2.罪と徳のマッチポンプを解消させる法律家の立場
3.罰と徳を蔑ろにしてしまえという犯罪者の立場

の三つの立場が考えられる。マッチポンプを解消させようとするのは1と2。
大勇と匹夫の勇という違いはあっても、勇気を必要とするのは1と3。
2は臆病まみれのウサギちゃん。3は紛れもない正真正銘のならず者。

1の立場からすれば、2と3とが罪と罰のマッチポンプでぐるであるように思えるが、
2の立場からすれば、同じ勇気の持ち主であるというだけで、1と3が同罪の
ように思われる。道徳者は犯罪という現象こそを何よりの害悪の元凶とし、
その犯罪を対症療法的に解消しようとする法律家にも大した価値を見出せない。
しかし法律家にとっては、犯罪ではなく勇気こそは害悪の元凶であり、
勇気すらなくしてしまえば道徳者もいなくなる代わり、犯罪者もいなくなるとする。

一番問題視しているのが罪悪であるか勇気であるか。
そこが道徳者と法律家では決定的に違う。

8 :井上筑後守:2010/02/26(金) 12:10:24 0
史実を見れば、本当にマッチポンプとして問題だったのは、
「罪と徳」ではなく、「罪と罰」のほうだった。

徳治が十分に行き届いた、漢代や唐代は何百年も泰平の世を続け、
法治一辺倒となった統一清王朝はわずか十五年で亡んだ。
臆病さ極まって方々に不老不死の薬を探す使いをやり(日本に来たという徐福もその一人)、
水銀で堀を満たす冗談みたいな規模の陵墓も作った始皇帝が死に、
二世皇帝の胡亥は宦官趙高の傀儡と化して腐敗政治が極まり、
ついに項羽と劉邦によって秦王朝が亡ぼされ、臆病の塊な始皇帝への跳ね返りもあって、
中国史上でも最も「勇気」を奮う猛者たちの活躍する、楚漢戦争が勃発した。

分かりやすい勇気、自分から先陣を切って敵を殺しまわる武勇という点では、
明らかに楚の項羽のほうが漢の劉邦よりも秀でており、大王(覇王)となって
からも自ら戦場に出て行く荒ぶりようは止まることを知らなかった。
いくら強くとも、王者としての威厳に欠けるその振る舞いが方々の支持を失い、
最終的には四面楚歌の状態となって自らの首を切り落とし、相手方の
将兵たちに四肢を切り取られ、後には胴体だけの遺体が転がったという。

9 :井上筑後守:2010/02/26(金) 12:11:07 0
項羽の勇猛さは分かりやすいが、これはあくまで蛮勇、匹夫の勇の部類。
盗跖のような大盗賊ですら持っている、大局を見計らえない小さな勇気。

本当の大勇は、劉邦こそが持っていた。韓臣に軍務を任せているうちは大進撃
を続けようとも、自ら軍の指揮を執った途端に彭城の戦いなどで大敗を喫した。
そんな、武勇に長けているとは到底言いがたい劉邦が、項羽ですらも及ばない
大勇を披露したのは、最終決戦となった垓下の戦いの直前に、自らの実父である
劉太公が項羽に人質として捕らえられ、「降伏しなければ親父を煮殺すぞ」と
脅された時に、「おお、よく煮上がったらその汁を一杯くれ」と言ってのけたとき。

「項羽は太公を殺しますまい」という張良の助言もあったにしろ、人質に囚われた
自らの父親以上にも、世の中全体の平定を優先した、君臣父子夫婦の三綱にも
沿った、この時の劉邦の毅然とした態度こそは、匹夫の勇や蛮勇が決して
及ばない本物の勇気、大勇のありのままの姿にほかならなかったのだ。

10 :井上筑後守:2010/02/26(金) 12:25:37 0
韓非や始皇帝が嫌がっていた勇気ってのも、楚漢戦争で項羽が披露したような蛮勇。
文武両方の鍛錬を蹴って、ただただ覇王として方々で戦いつくす匹夫の勇を嫌っていた。

それは、道徳者の持つ本物の大勇などとは別物で、むしろ盗跖のごとき犯罪者の持つ
勇気に近い。十分な制御もなくただひたすら駆けずり回り吼え猛る野人のごとき勇気を
駆逐しようとして、劉邦が持っていたような本物の大勇すら一緒くたに否定してしまい、
何もかもをウサギ並みの臆病さで塗り固める、矮小な世界を捏造することとなった。

いけないのはあくまで、蛮勇と臆病さ。
盗跖や項羽のごとき蛮勇と、韓非や始皇帝のごとき臆病さ。
それらのうちのいずれでもない、劉邦が持っていたような大勇こそは
正しいもの、よいものであり、道徳者もまた認めるところの達徳(中庸)に他ならない。

劉邦自身は小役人出身で、あまり文武の素養が高くなくとも、張良や陸賈といった
有能な策略家や儒者の言葉にも耳を貸した。大勇はそのような虚心さと共にこそあり、
項羽のような見てくれの頑強さとはかえって仲が悪い。「大勇は勇ならず(六韜)」という
名言は、ただ大勇が分かりにくいものであるだけでなく、蛮勇や匹夫の勇とは様相が
覆ったものとすらなることを示唆している。

11 :井上筑後守:2010/02/26(金) 14:34:16 0
「漢」も伊達に「おとこ」の代名詞なわけじゃない。
漢室太祖高皇帝である劉邦こそは、項羽をも超える男の中の男、
蛮勇や匹夫の勇どころではない、大勇の持ち主であったればこそ、
漢もまた男の代名詞となっている。まあ、これは日本での話だが。

12 :考える名無しさん:2010/02/26(金) 14:45:47 0




易占例をまな板に載せるスレ
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1220341660/
--易占い実践スレ○政治、経済、国際○その他○ http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1251137011/



【放置癖】易の数理化【独りぼっち】
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/math/1264322527/



13 :井上筑後守:2010/03/02(火) 21:06:17 0
なぜ罪と徳ではなく、罪と罰こそが
マッチポンプとなるのかを、数理的に検証してみよう。

              ☵     ☲
              ☲     ☵
周易最後の二つ、水火既済と火水未済を数理化した行列:

              ┌    ┐             ┌               ┐
              │〈陽| |              │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|
 水火既済=離×坎=||陰〉 |×[|陰〉 〈陽| |陰〉] =│ |陰陰〉 |陰><陽| |陰陰〉 | ・・・ @
              │〈陽| |              │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|
              └    ┘             └               ┘

              ┌    ┐             ┌               ┐
              │|陰〉 |              │|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽||
 火水未済=坎×離=|〈陽| |×[〈陽| |陰〉 〈陽|] =│ 〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| | ・・・ A
              │|陰〉 |              │|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽||
              └    ┘             └               ┘

この二つが端的にそれぞれ、徳治社会と法治社会を表示する卦となっている。

14 :井上筑後守:2010/03/02(火) 21:07:14 0
〈陽|陰〉は安定的なので道徳、|陰><陽|は不安定なので犯罪、
〈陽陽|と|陰陰〉はそれぞれ信賞必罰の「賞」と「罰」とに置き換えると、
水火既済は

          ┌           ┐
          │道徳 賞 道徳|
 水火既済=| 罰 犯罪 罰 | ・・・ @
          │道徳 賞 道徳|
          └           ┘

となる。犯罪者が堅固な檻の中に入れられるように、犯罪が四方を道徳に囲まれ、
同じ行の左右を罰に囲まれている。犯罪の取り押さえが完全な一方、
道徳者は多数であるため、二つの賞を四つで割る程度の賞しか受けない。
徳川幕府の旗本が石高が少なかったように、徳治社会では犯罪者への処罰が
厳格になる一方で、道徳者への恩賞は少なくなる。

一方、火水未済のほうは

          ┌           ┐
          │犯罪 罰 犯罪|
 火水未済=| 賞 道徳 賞 | ・・・ A
          │犯罪 罰 犯罪|
          └           ┘

となる。既済で犯罪が四方を道徳に囲まれていたのとは逆に、道徳のほうが
四方を犯罪に囲まれて身動きが取れない。犯罪者は二つの罰を四人で
分ける程度の軽い罰しか受けず、既済の場合の四分の一程度の負担に。
逆に道徳者は、世の中全体を徳治へと導くのを諦めて、
犯罪者に軽い罰だけで好き勝手やらせるのも黙認すらしたなら、
徳治社会の道徳者の四倍もの賞を得る。
薄徳と引き換えに、表向きの偽善者も莫大な恩賞を得る。

15 :井上筑後守:2010/03/02(火) 21:08:30 0
これらは徳治であれ法治であれ、「権力支配」を端的に表示した卦。
権力にすら頼らず、神がかり的な権威だけで世を統治することはまた別の話。
天台真言の霊力によって世を治めた平安時代よりは、徳川幕府の権力が支配する江戸時代の日本を表示している水火既済。
キリスト教発症直後の暗黒時代よりは、昨今の啓蒙主義が主流の西洋社会を表示している火水未済。
                                                ☷
光源氏が次々と妻や愛人を囲い、子供も産ませる「源氏物語」は、さしずめ泰卦☰あたり。
お互いが愛し合っているはずなのに、しょっちゅうすれ違って結局は      ☰
結ばれない「トリスタン・イズー物語」や「ロミオとジュリエット」は、さしずめ否卦☷あたり。

平安時代のように犯罪が根絶されたわけではないが、>>14の@のように十分犯罪が
抑制されている、江戸時代の捕り物を描いた「鬼平犯科帳」こそは、水火既済。
悪魔に魂を売り渡してやりたい放題となり、火神と水神の争いをも夢想した
「ファウスト」こそは火水未済であり、>>14のAに相当する。

16 :井上筑後守:2010/03/02(火) 21:09:26 0
東大法学部卒の三島も、「ファウスト」が生涯の伴侶だった。
法律万能主義・罪刑法定主義のマッチ(火)ポンプ(水)癖が如実に現れている、火水未済。

          ┌               ┐  ┌           ┐
          │|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽||  │犯罪 罰 犯罪|
 火水未済=│ 〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| |≡| 賞 道徳 賞 | ・・・@
          │|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽||  │犯罪 罰 犯罪|
          └               ┘  └           ┘

これはこれで、一つの完成された世界を形作っている。
その証拠に、この行列の行列式は0となる。それはそれで堂に入った世界を
形作るんだが、信賞必罰などに主導権を与えず、道徳か犯罪かの
二者択一で道徳を取り、十分犯罪者勢力を押さえつける

          ┌                ┐  ┌           ┐
          │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|  │道徳 賞 道徳|
 水火既済=│ |陰陰〉 |陰><陽| |陰陰〉 |≡| 罰 犯罪 罰 | ・・・A
          │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|  │道徳 賞 道徳|
          └                ┘  └           ┘

が、事実として世の中全体を健全で優良な状態に導く。
@だろうがAだろうがどっちでもいいんなら、概ね@に流れてAにはならない。
意図的でなければAとはならず、そのためには徳治主義でなければならない。
犯罪原理主義であっても、法治主義であってもいかず、それじゃあ@となる。
あくまでAを作為することで権力道徳となり、作為せずに@に止まることが権力犯罪となる。

17 :井上筑後守:2010/03/02(火) 21:10:13 0
水火既済と火水未済は、卦爻表記においても全ての爻の位相が引っくり返っているし、
行列として数理化した場合にも、全ての行列成分が同行同列において異なったものとなる。
どれか一つの爻だけを逆転させる一般的な占筮方法では、既済から未済や、
未済から既済へと変化するようなことも決してないし、全ての成分が異なる点からして、
一方からもう一方への変化が最も遠回りとなる卦同士ともなっている。

信賞必罰の法治主義者にとっては、既済か未済かなどはどうでもいいこと。
ただ、法律がちゃんと守られていること。賞〈陽陽|や罰|陰陰〉がちゃんと機能していれば
それでいい。未済をやめさせて既済に移らせる意思なんて毛頭なく、
かえってそのせいで道徳家に仕事が取られることを忌みすらもする。
仕事をもらえるという意味では、むしろ未済に止まってくれたほうがよくすらある。

故に、法律家が主導権を握っている法治主義社会では、未済から既済へと
世の中が移ることが企図されないだけでなく、かえって既済を未済へと移したり、
未済であるのを未済のままに止まらせようとするほどもの悪意が働く。
未済から既済へと移るのは、卦爻操作面でも最も労力を要するものだから、
利益が減る上に面倒なせいでの、善行を善行と知りながらの躊躇を生む。

18 :井上筑後守:2010/03/02(火) 21:10:53 0
「水火既済」「火水未済」という呼び名は、もちろん五行思想に基づいている。

水が火に優っているから「水火」。火が水に優っているから「火水」。

具体的には、火を消せるだけの十分な量の水があったり、
水を蒸発させてしまう程もの大火があったりすることを指す。

水と火の書く順序が、そのまま優劣になっている。水火は水が火に優っており、
火水は火が水に優っていて、これは「マッチポンプ」という表記にも一致する。
ただ、「マッチ」という言葉は小火を想起させるし、「ポンプ」という言葉は
汲み上げによる大水を想起させるので、優劣がうやむやになりやすい。

とはいえ火の多少、水の多少などは数値の問題で、
数理こそを論及対象とすべき士人にとってはどうでもいい話。
火を消せるだけの水、あるいは火よりも先輩である水があれば、
それは水が火に優っていることになる。そうであることこそが重要なのだから、
数値にまでこだわらず、数理の範囲でそうだと分かればそれでいい。

19 :井上筑後守:2010/03/02(火) 23:14:37 0
〈陽|陰〉を道徳、|陰><陽|を犯罪、〈陽陽|と|陰陰〉をそれぞれ賞罰とする置き換えに沿えば、

          ┌    ┐             ┌              ┐  ┌            ┐
          │〈陽| |              │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|  │道徳 道徳 道徳|
 泰=乾×坤=|〈陽| |×[|陰〉 |陰〉 |陰〉] =│〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|≡|道徳 道徳 道徳|
          │〈陽| |              │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|  │道徳 道徳 道徳|
          └    ┘             └              ┘  └            ┘

          ┌    ┐             ┌                 ┐  ┌            ┐
          │|陰〉 |              │|陰><陽||陰><陽||陰><陽||  │犯罪 犯罪 犯罪|
 否=坤×乾=||陰〉 |×[〈陽| 〈陽| 〈陽|] =│|陰><陽||陰><陽||陰><陽||≡|犯罪 犯罪 犯罪|
          │|陰〉 |              │|陰><陽||陰><陽||陰><陽||  │犯罪 犯罪 犯罪|
          └    ┘             └                 ┘  └            ┘

ともなる。
同じ恋愛物語でも、「源氏物語」と、「トリスタン・イズー物語」や「ロミオとジュリエット」とでは大違い。
いかに「源氏物語」のほうがめでたい状態で、後ろ二つがしょうもない状態であるのかが判然となる。

20 :井上筑後守:2010/03/02(火) 23:40:41 0
もう、完勝だな。陰陽五行の。


科学も法学も、もはやぐうの音も出ない。
自分たちの学術姿勢の誤りが余すことなく看破されて、
ぜんぶゴミクズと化しちまった。

ユークリッド原論も六法全書も、
焼かれる前から灰と化してしまってる。
真っ白になって、燃え尽きて、終わっちまってる。

21 :井上筑後守:2010/03/03(水) 04:57:20 0
科学も法学も、もはやぐうの音も出る。
自分たちの学術姿勢の正しさがが余すことなく看破されて、
東洋哲学はぜんぶゴミクズと化しちまった。

ユークリッド原論も六法全書も、
溶かせない黄金のように
輝き続ける。




22 :考える名無しさん:2010/03/03(水) 10:08:06 0
減らず口と覗き魔の眇だけが残って、心は空っぽ。

23 :考える名無しさん:2010/03/03(水) 12:42:54 0
>ユークリッド原論も六法全書も、
>溶かせない黄金のように
>輝き続ける。

王水

24 :井上筑後守:2010/03/04(木) 18:48:10 0
「衛の嗣君の時、胥靡あり。逃れて魏に之き、因りて襄王の后の為に病を治す。衛の嗣君之を聞き、
人をして五十金を以て之を買わんと請わしむ。五反して、魏王予えず。乃ち左氏を以て之に易えんとす。
群臣左右諫めて曰く、夫れ一都を以て胥靡を買うは可ならんや、と。王曰く、子の知る所に非ざるなり。
夫れ治は小とすること無く、亂は大とすること無し。法立たずして誅必せずば、十の左氏有りと
雖も無益なり。法立ちて誅必せば、十の左氏を失うと雖も害無きなり、と。魏王之を聞きて曰く、
主、治を欲するに、之を聽かざるは不祥なり、と。因りて載せて往き、徒だ之を獻ぜり」
(「韓非子」内儲説上・二より)

「墨子」と同じように、「韓非子」も原文を引用まではせずに論じようと思っていたんだが、
あまりにも重要なことが書いてあったんで、新釈漢文大系版の読み下しなども参考にして書いておく。

特に重大なのが、「治は小とすること無く、乱は大とすること無し」という部分。
世を治めるためにはどんなに小さいことでも徹底し、乱を平らげるにはどんなに大きいことであっても尻込みしない。
まさに

 ┌           ┐
 │犯罪 罰 犯罪|
 | 賞 道徳 賞 |
 │犯罪 罰 犯罪|
 └           ┘

という社会情勢を真っ向から肯定し、そのような世の中においても信賞必罰が徹底すらされていれば、
一人の囚人の処罰のために、左氏のような都を十失っても害ではないという。
聞こえが多少はよかったところで、犯罪優位道徳劣位の社会情勢を完全に黙認してしまう、
信賞必罰を金科玉条に掲げてしまった、法家の結論。法治が徳治とは別物であることをも決定付けている。

25 :井上筑後守:2010/03/04(木) 19:12:24 0
権力道徳者が、心の内において思い慕うのが

             ┌    ┐             ┌              ┐  ┌            ┐
             │〈陽| |              │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|  │道徳 道徳 道徳|
 地天泰=乾×坤= |〈陽| |×[|陰〉 |陰〉 |陰〉] =| 〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|≡|道徳 道徳 道徳|
             │〈陽| |              │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|  │道徳 道徳 道徳|
             └    ┘             └              ┘  └            ┘

という卦。家康公も地天泰を具現化している「源氏物語」を愛読していた。
しかし、ただ思い慕うだけではなく、現実において着実に実現していこうとするのは

              ┌    ┐             ┌               ┐  ┌           ┐
              │〈陽| |              │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|  │道徳 賞 道徳|
 水火既済=離×坎=||陰〉 |×[|陰〉 〈陽| |陰〉] =│ |陰陰〉 |陰><陽| |陰陰〉 |≡| 罰 犯罪 罰 |
              │〈陽| |              │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|  │道徳 賞 道徳|
              └    ┘             └               ┘  └           ┘

という卦。必ずしも地天泰のように、犯罪を根絶できない世の中全体を
道徳優位犯罪劣位程度の安定した秩序に持っていく。信賞必罰の法治主義ではなく、
権力道徳主義・徳治主義によって、意図的に水火既済を企図していく。

26 :井上筑後守:2010/03/04(木) 19:13:26 0
一方、権力犯罪者が、心の内において思い慕うのは

             ┌    ┐             ┌                 ┐  ┌            ┐
             │|陰〉 |              │|陰><陽||陰><陽||陰><陽||  │犯罪 犯罪 犯罪|
 天地否=坤×乾= ||陰〉 |×[〈陽| 〈陽| 〈陽|] =| |陰><陽||陰><陽||陰><陽||≡|犯罪 犯罪 犯罪|
             │|陰〉 |              │|陰><陽||陰><陽||陰><陽||  │犯罪 犯罪 犯罪|
             └    ┘             └                 ┘  └            ┘

という卦。「トリスタン・イズー物語」や「ロミオとジュリエット」のような、
いくら好き合ってても決して逢えないような徒労劇をわざわざ好き好む。
一方で、現実において着実に実現していこうとするのは

              ┌    ┐             ┌               ┐  ┌           ┐
              │|陰〉 |              │|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽||  │犯罪 罰 犯罪|
 火水未済=坎×離=|〈陽| |×[〈陽| |陰〉 〈陽|] =│ 〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| |≡| 賞 道徳 賞 |
              │|陰〉 |              │|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽||  │犯罪 罰 犯罪|
              └    ┘             └               ┘  └           ┘

という卦。そのまま実現すると非難轟々で目も当てられない天地否に代わって、
現実において実現が可能な限りでの、犯罪優位道徳劣位の蔓延=加水未済を企図する。
権力犯罪主義・法治主義。「治は小とすること無く、乱は大とすること無し」が信条。

27 :井上筑後守:2010/03/04(木) 19:37:42 0
水火既済の場合、道徳四つに対して賞が二つとなり、
道徳一つに対して賞が二つとなる火水未済と比べて、道徳一つあたりの賞は四分の一となる。
全体を道徳優位とする人海戦術のために、権力道徳の場合の一人頭の褒賞は却って少なくなる。
江戸幕府の旗本の石高も低かったし、本田忠勝のような名臣ですらそれほど優遇は受けなかった。

それとは逆に、リンカーンやケネディやオバマのような、権力犯罪主義社会での
表向きの道徳者は、そこら中犯罪まみれなために全体収拾はできないものの、
見た目にはやたらとド派手になる。そこら中が罪悪で溢れ返っている世の中での
「気休め」としての道徳者は、実効力に欠けるぶんを表向きのド派手さで取り繕う。

十分に権力道徳が行き届いている社会では、道徳が「特異点」とはならない。
そこら中が道徳者で溢れ返っているので、誰かが突出して道徳的ということもない。
むしろ妖盗葵小僧のように、泰平の世の中で未だに凶悪犯罪に走る輩のほうが特異点になる。

本当に権力道徳を企図するのであれば、そうでなければならない。米大統領のように、
道徳者であろうとするものが特異点となってはいけない。それだと犯罪優位道徳劣位の
火水未済を企図する連中の思う壺。道徳優位犯罪劣位を本気で企図するのなら、
個々の道徳者はあまり大きな褒賞も期待しない、地味な存在に徹したほうがいい。

28 :考える名無しさん:2010/03/05(金) 00:04:53 0
もはや自己満足では済まされなくなり、嬉しいやら哀しいやら。

29 :井上筑後守:2010/03/09(火) 09:56:52 0
「馬鹿(ばか)」の語源は、法律万能主義の始皇帝が死後の秦王朝で、
二代皇帝胡亥に代わって専横をはたらき始めた宦官の趙高が、
「珍しい馬を見つけました」と言って皇帝に鹿を献上した際、
そこにいた誰しもが内心「これは鹿じゃないのか?」と思いつつも、
高官の言いつけに逆らってはならない法規に従って「これは馬だ」と言ったり、
やはり堪えきれなくなって「これは鹿だ」と言ったりしたため、
趙高は「馬だ」と言ったものを重用し、「鹿だ」と言ったものを罰したことに基づく。
(「史記」参照)

法律ってのは、子供やペットのしつけとも何ら変わらない。しつけである以上は、
もし「朝八時に来い」と言われれば、八時に来ればよく、遅れてはならず、早い必要もない。
しかし、礼儀であれば、仮に「八時に来い」と言われても、相手が九時や十時に来ていれば
九時や十時に来ればいいし、逆に六時や七時に来ているんなら、六時や七時に行かなければならない。
老人に「朝に来い」と言われて朝に来ればすでに老人は来ており、出直してさらに早く、
さらにさらに早く出直して、夜明け前にやっと老人より早く約束の場所に行き着いたことで、
老人から「三略」を賜った張良のような、相手の動向に応じた臨機応変さこそは礼儀となる。

30 :井上筑後守:2010/03/09(火) 15:21:05 0
私は馬鹿です。

31 :井上筑後守:2010/03/09(火) 19:12:05 0
「阿呆(あほ)」の語源も、法律万能主義の始皇帝が、多数の民を
厳罰を課した法律で締め付けながら使役して建てさせた
大宮殿「阿房宮」から来ている。始皇帝も胡亥も趙高も死んだ後、
主に劉邦の柔和措置(法律を三つだけにする等)によって
占領された秦において、あまり成果を挙げられなかった
項羽の憂さ晴らしで阿房宮は放火せられ、
三ヶ月もの間火が途絶えることは無かったという。
(「史記」参照)

アホもバカも、法治主義の行き過ぎが語源だっての。
近ごろじゃ「馬鹿」や「阿呆」は、特定の個人を罵倒する言葉として
使われることが多いが、本来はいずれも複数間の人間関係における
甚だしい愚かさを指す言葉。法律に引きずられた余り馬と鹿の区別も
付かなくなったり、法律のしがらみに引きずられて阿呆宮を建設したり。
不誠実な人間同士の関係性を是認する口実、それが法律。
自分たち自身はよくても、外側には多くの迷惑が撒き散らされる。

32 :井上筑後守:2010/03/14(日) 19:16:10 0
「混沌」は死んだ。

善徳と罪悪をみそくそに扱う混沌状態は、
>>25-26における、権力道徳と権力犯罪の数理構造の対照などによって、
善徳と罪悪の致命的な相反性が明らかになったことで、完全に死滅した。
互卦である水火既済と火水未済では、行列化した場合の行列成分が全て異なり、
一方からもう一方へと遷移するためには、六十四卦中でも最も遠大な変換作業を
必要とすることからも、両者を同列扱いにする論理が通らないことが分かった。

ただ、善徳と罪悪のみそくそを廃し、
みそとは完全に袂を分かった上での「くそ一辺倒」は死んでない。

善悪をみそくそに扱うことが死滅しても、罪悪の辛苦の自業自得、悪因苦果への
一辺倒は、それはそれで明確な方向性を持ったものであり、混沌とは別物なので、
「混沌に顔を付けてやったら死んでしまった(荘子内篇・応帝王篇・第七)」という
荘子の予言によっては死にはしない。元より無為自然の下に、善悪も罪徳も
俯瞰し相対化してしまう道家の荘子にとって、勧善懲悪などは関与する所でない。

善悪をみそくそにせず相対化する道家の助けの下で、
善悪が完全に袂を分かった上での、勧善懲悪が別に試みられる。

33 :考える名無しさん:2010/03/16(火) 13:53:49 0
もういいよ。

34 :考える名無しさん:2010/03/16(火) 14:09:17 0
やらずに済めば、なによりだ。

35 :井上筑後守:2010/03/16(火) 18:27:56 0
「韓非子」外儲説左上に、斉の桓公が紫の着物を好んで着たことから、
多くの人々がこぞって紫衣に群がり、紫衣の値段が跳ね上がったという話が出てくる。
ほとほと困り果てた桓公は、臣下の管仲にどうすればよいのかを尋ねた。
管仲は「王様が紫の着物を着ず、紫が嫌いなフリをしておられればよいのです」と
答え、桓公もそのとおりにしたために、誰も紫衣を求めなくなったという。

「論語」陽貨第十七・一八にも「子曰く、紫の朱を奪うを悪む」とあり、
近現代の注釈書では朱を「正」、紫を「邪」と解釈している場合が多い。
しかし、紫こそは王の好む色であり、その紫を下民までもがこぞって求めるのが
僭越であるから、紫の過剰頒布を憎むと、孔子も言おうとしたのではなかろうか。

王者に相応しい色である「紫」とはまた別に、「朱」という、臣下に相応しい色も別に
用意して、節度をわきまえない不埒さのみを咎め、その代用案もまた整えている。
ただ王様に紫を嫌っているフリをさせただけの管仲以上にも、事後の下民への世話
までもが行き届いており、儒家が法家を乗り越えられている所以もまた垣間見える。

36 :井上筑後守:2010/03/17(水) 16:23:44 0
水火既済と火水未済は裏卦であり、全ての爻の陰陽が逆転しているため、
六つの爻のうちのどれか一つの爻の陰陽だけを逆転させる通常の占筮方法では、
最低でも六回の変換作業が必要であり、決して一回や二回の変換では一方から一方へと移れない。

全ての爻の陰陽を逆転させるために、合計六回の変換作業を行なうが、
一爻から六爻までのどの爻から変換するかによって順序も変わってくるため、
六回の変換で裏卦を逆転させるためには6!=720で七百二十通りの選択肢がある。
もしも、火水未済から水火既済へと裏卦を逆転させるのであれば

   ☲                                 ☵
   ☵                                 ☲
 火水未済 → ? → ? → ? → ? → ? → 水火既済

となり、「?」に当てはまる六十四卦の組み合わせが合計七百二十通りとなる。

七百二十通りの選択肢の中には、同時に含まれ得ない卦もある。
たとえば、泰と否が同時に用いられた

   ☲             ☰            ☷             ☵
   ☵             ☷            ☰             ☲
 火水未済 → ・・・ → 天地否 → ・・・ → 地天泰 → ・・・ → 水火既済

などという変換順序は、裏卦を逆転させるための最速の手順である六回での変換には含まれない。
泰と否もまた裏卦ないし互卦であり、一方から一方へと移るために六回以上の変換を要するので、
泰と否の両方を経由しつつ、未済から既済へと六回以内に移ることは絶対にできない。

37 :井上筑後守:2010/03/17(水) 16:24:44 0
火水未済は、卦辞にも「利ろしきところなし」とある通り、明らかに不吉な部類の卦だが、
かといって六十四卦中最悪の卦というわけでもない。>>26の数理的な比較からいっても、
道徳が四方を犯罪に囲まれている火水未済以上にも、全てが犯罪で蔽い尽くされた天地否のほうが
さらに悪いように思われる。重大権力犯罪が横行している現代もまた、全面的な核戦争に突入して
何億人という人間が虐殺されるような状態に比べれば、まだマシなものであるという理屈も通らないことはない。
だから、仮に火水未済から水火既済への変換の間で天地否を経由して

   ☲             ☰             ☵
   ☵             ☷             ☲
 火水未済 → ・・・ → 天地否 → ・・・ → 水火既済

という変換作業を行なえば、いくら未済という不吉な状態から既済という吉祥な状態に移るのであっても、
中間に核戦争のような恐ろしい惨劇を介しかねないから、反対で中止されて未済に止まることにもなってしまう。

そこで、あくまで天地否のような、火水未済以上にも不吉な部類の卦は一切介さずに、
未済よりはマシな卦だけを経由しての、未済から既済への変換の選択肢を模索してみる。

   ☲             ☷             ☵
   ☵             ☰             ☲
 火水未済 → ・・・ → 地天泰 → ・・・ → 水火既済

合計六回の変換で未済から既済に至る中には、上記のような地天泰を経由するものもある。
平安時代や、その文学化である源氏物語なども相当する泰に、既済よりも先んじてなることができる。
未済よりもマシな卦を経由するのはもちろんのこと、めでたい卦を経由するにも越したことはないから、
ここでは地天泰を経由して未済から既済に移る選択肢に絞って話を進める。

38 :井上筑後守:2010/03/17(水) 16:25:29 0
まず、未済から、通常の占筮方法による変換で次に移れる六通りの卦、

   ☲       ☲       ☲      ☳      ☶      ☰       ☲
   ☵       ☱       ☴      ☵      ☵      ☵       ☳
 火水未済 → 火沢睽 、 火風鼎 、 雷水解 、 山水蒙 、 天水訟 、 火雷噬嗑
           (×)     (◎)     (○)     (△)     (×)      (×)

のうち、天水訴と火雷噬嗑は六回の変換以内に地天泰を経由して既済に至ることができないので、
今回は選択肢のうちからは省く。それから火沢睽も、六十四卦中でも最も不吉な部類の卦であることから
選択肢から除く。残るは火風鼎と雷水解と山水蒙だが、いずれもそんなに悪くない卦である一方、
卦辞にも「元いにして亨る」とある火風鼎がこの中では特によさげなので、今回は火風鼎を選択することにする。

そして、未済の次として鼎を選んだ次にある五通りの選択肢、

   ☲       ☲        ☲       ☳      ☶      ☲       ☲
   ☵       ☴        ☰       ☴      ☴      ☳       ☶
 火水未済 → 火風鼎 → 火天大有 、 雷風恒 、 山風蠱 、 天風姤 、 火山旅
                    (◎)      (○)     (○)     (×)     (×)

のうちでは、天風姤と火山旅が六回以内に泰を経由して既済に至ることができないので脱落し、
雷風恒や山風蠱もそれなりの卦ではあるものの、火天大有が卦辞でも「元いに亨る」とあり、
特によさげなので、今回はこれを選択する。

39 :井上筑後守:2010/03/17(水) 16:26:11 0
未済→鼎→大有と来て、四番目の変換候補に挙がるのが

   ☲       ☲        ☲        ☶         ☶       ☰       ☲
   ☵       ☴        ☰        ☰         ☰       ☰       ☲
 火水未済 → 火風鼎 → 火天大有 → 雷天大壮 、 山天大畜 、 乾為天 、 離為火
                              (○)      (○)     (×)     (×)

の四つだが、乾為天と離為火は地天泰を経由できないので、今回は没。
残るは雷天大壮と山天大畜の二つ。いずれも卦辞が「貞しきに利ろし」で、
良すぎず悪すぎないそこそこな卦だが、特に公明正大さの勢いの盛んさを表す
大壮のほうを今回は選ぶ。ここだけは全くの恣意で、大畜もまた捨てがたいもの。
最善を尽くそうとする時の選択肢の多さが垣間見られる。

未済→鼎→大有→大壮まで来て、五番目となる三つの変換候補。

   ☲       ☲        ☲         ☶        ☷      ☳       ☱
   ☵       ☴        ☰         ☰        ☰      ☲       ☰
 火水未済 → 火風鼎 → 火天大有 → 雷天大壮 → 地天泰 、 雷火豊 、 沢天夬
                                       (◎)     (○)     (○)

これに関しては、今回は泰卦を経由していくことが前提だったので、当然泰を選ぶ。
雷火豊や沢天夬も悪くなく、豊に至っては盛りが極まりすぎて注意までもが促されるが、
陽唱陰和が極まって安定する泰と比べれば危うい。何事もやり過ぎには注意。

40 :井上筑後守:2010/03/17(水) 16:26:54 0
未済→鼎→大有→大壮→泰と来て、既済の手前に当たる最後の変換候補。

   ☲       ☲        ☲         ☶        ☷       ☵       ☷
   ☵       ☴        ☰         ☰        ☰       ☰       ☲
 火水未済 → 火風鼎 → 火天大有 → 雷天大壮 → 地天泰 → 水天需 、 地火明夷
                                               (○)     (×)

地火明夷が艱難辛苦を被る最悪の部類の卦なので、消去法で水天需が選ばれる。
成熟した大人という意味もある需。泰で結婚し、需で子供が生まれ、既済に至る。
うまいこと最後まで無難な変換候補のみを選択することができた。

   ☲       ☲        ☲         ☶        ☷       ☵        ☵
   ☵       ☴        ☰         ☰        ☰       ☰        ☲
 火水未済 → 火風鼎 → 火天大有 → 雷天大壮 → 地天泰 → 水天需 → 水火未済

これが今回選択された、火水未済から水火既済に至るまでの変換手順。
最速の六回の変換でも七百二十通りの候補がある中から、天地否や火沢睽、地火明夷などの
特に不吉な卦を一切経由することなく、さらには未済よりもマシな、なるべく最善の手順を選んだ。
とはいえこれが一番最善であるかどうかはまだ定かでない。泰を必ず通ったり、
どっちもどっちな大壮と大畜のうちの大壮を取ったりの恣意的な選択があり、
これ以上にもよい変換手順が存在する可能性も否めない。

ただ、とりあえず今回はこの、明らかに未済のままでいるよりはマシな範囲の変換を選択した。
重大権力犯罪の横行する火水未済のままでいるよりはマシで、全面核戦争に突入する天地否なども
経由しない、今以上の平和が保たれた範囲での、未済から泰、既済へと移る変換の候補を挙げてみた。

41 :井上筑後守:2010/03/17(水) 17:00:40 0
ここまでは、通常の占筮方法に基づき、
卦爻表記だけを用いた、易の範囲内での書き込み。

ここからは、すでに数理化スレにも先走って書いてある
数理構造も用いた書き込みになる予定。

どうしてもやめてけれ、お願いだからやめてけれというのなら、
場合によっちゃやめてあげなくもない。言葉だけでなく、
態度姿勢でもその誠意が示されるのなら。

42 :井上筑後守:2010/03/18(木) 18:12:58 0
特にやめろともやれとも言われないんで、もう少し書いていこう。

43 :井上筑後守:2010/03/18(木) 18:14:21 0
泰と既済と未済の数理化は、>>25-26などにすでに書いてある。
鼎、大有、大壮、需の数理化も別スレに書いてあるが、それらは以下の通り。

          ┌    ┐             ┌                ┐
          │|陰〉 |              │|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽||
 鼎=巽×離= |〈陽| |×[〈陽| |陰〉 〈陽|] =│ 〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| |
          │〈陽| |              │ 〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| |
          └    ┘             └                ┘

            ┌    ┐             ┌               ┐
            │〈陽| |              │〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| |
 大有=乾×離= |〈陽| |×[〈陽| |陰〉 〈陽|] =│〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| |
            │〈陽| |              │〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| |
            └    ┘             └               ┘

44 :井上筑後守:2010/03/18(木) 18:15:06 0
            ┌    ┐             ┌               ┐
            │〈陽| |              │〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽|陰〉|
 大壮=乾×震= |〈陽| |×[〈陽| |陰〉 |陰〉] =│〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽|陰〉|
            │〈陽| |              │〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽|陰〉|
            └    ┘             └               ┘

          ┌    ┐             ┌               ┐
          │〈陽| |              │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|
 需=乾×坎= |〈陽| |×[|陰〉 〈陽| |陰〉] =│〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|
          │〈陽| |              │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|
          └    ┘             └               ┘

45 :井上筑後守:2010/03/18(木) 18:42:16 0
   ☲       ☲        ☲         ☶        ☷       ☵        ☵
   ☵       ☴        ☰         ☰        ☰       ☰        ☲
 火水未済 → 火風鼎 → 火天大有 → 雷天大壮 → 地天泰 → 水天需 → 水火未済

の順序で、計算を簡略化して、道徳犯罪賞罰への移行もあわせて書くと、

        ┌               ┐  ┌           ┐
        │|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽||  │犯罪 罰 犯罪|
 火水未済= | 〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| |≡| 賞 道徳 賞 |
        │|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽||  │犯罪 罰 犯罪|
        └               ┘  └           ┘
                   ↓
       ┌                ┐  ┌           ┐
       │|陰><陽| |陰陰〉 |陰><陽||  │犯罪 罰 犯罪|
 火風鼎=│ 〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| |≡| 賞 道徳 賞 |
       │ 〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| |  │ 賞 道徳 賞 |
       └                ┘  └           ┘
                   ↓
        ┌               ┐  ┌          ┐
        │〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| |  | 賞 道徳 賞 |
 火天大有= | 〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| |≡| 賞 道徳 賞 |
        │〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽陽| |  │ 賞 道徳 賞 |
        └               ┘  └          ┘
                   ↓

46 :井上筑後守:2010/03/18(木) 18:42:58 0
                   ↓
         ┌               ┐  ┌           ┐
         │〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽|陰〉|  | 賞 道徳 道徳 |
 雷天大壮=│〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽|陰〉|≡| 賞 道徳 道徳 |
         │〈陽陽| 〈陽|陰〉 〈陽|陰〉|  │ 賞 道徳 道徳 |
         └               ┘  └           ┘
                   ↓
       ┌              ┐  ┌            ┐
       │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|  │道徳 道徳 道徳|
 地天泰=|〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|≡|道徳 道徳 道徳|
       │〈陽|陰〉〈陽|陰〉〈陽|陰〉|  │道徳 道徳 道徳|
       └              ┘  └            ┘
                   ↓
       ┌                ┐  ┌          ┐
       │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|  │道徳 賞 道徳|
 水天需=│〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|≡|道徳 賞 道徳 |
       │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|  │道徳 賞 道徳|
       └                ┘  └          ┘
                   ↓
        ┌                ┐  ┌           ┐
        │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|  │道徳 賞 道徳|
 水火既済=│|陰陰〉 |陰><陽| |陰陰〉 |≡| 罰 犯罪 罰 |
        │〈陽|陰〉 〈陽陽| 〈陽|陰〉|  │道徳 賞 道徳|
        └                ┘  └           ┘

47 :井上筑後守:2010/03/18(木) 18:49:11 0
>>40>>45の「水火未済」は「水火既済」の誤り。

数理的に鑑みても、未済→鼎→大有→大壮→泰→需→既済の変換順序ならば、
道徳が四隅を犯罪に囲まれた火水未済の状態よりも、事態が悪化することが
一度もないままに、地天泰や水火既済に移れることが分かる。
道徳優位犯罪劣位の風潮に世の中が移行するために、全面核戦争のような
未曾有の惨劇を経由しなければならない必要はどこにもない。

48 :井上筑後守:2010/03/18(木) 19:06:52 0
神命館蔵版「平成二十二年運命宝鑑」の「易占体験入門」に載っている
六十四卦吉凶一覧表に基づいても、以下のようになる。
(◎大吉 ○中吉 △吉 ▲凶 ×大凶)

        ☲       ☲        ☲         ☶        ☷       ☵        ☵
        ☵       ☴        ☰         ☰        ☰       ☰        ☲
      火水未済 → 火風鼎 → 火天大有 → 雷天大壮 → 地天泰 → 水天需 → 水火既済
健康運:   △       ○        △        △       ○      ○       ○
金銭運:   ▲       △        ○        ▲       ○      ○       ▲
恋愛運:   △       ○        ○        △       ○      △       △
関係運:   △       ○        ◎        △       ○      ○       △

大壮で一旦未済並みに運気が落ちるものの、どれ一つとして未済よりも悪くなることはない。
健康×金銭△恋愛▲関係×となる地火明夷などもあえて避けたから。

通常の占いやおみくじでは、大吉◎や中吉○が出るほどいいとされるわけだが、運気極まれば
あとは落ちていくしかないわけで、一概に大吉や中吉であればいいというわけでもない。
健康・金銭・恋愛・関係、全てが吉で安定すればこそ、地天泰もめでたいものだろうし、権力統治が
必要となる大社会において、未済よりまだマシなものとして安定する既済にも大きな価値がある。

49 :井上筑後守:2010/03/18(木) 19:28:14 0
せっかく改革するのに、一旦だけでも運気が未済並みに落ちるのがイヤだというのなら、

        ☲       ☲        ☲         ☶        ☷       ☵        ☵
        ☵       ☴        ☰         ☰        ☰       ☰        ☲
      火水未済 → 火風鼎 → 火天大有 → 山天大畜 → 地天泰 → 水天需 → 水火既済
健康運:   △       ○        △        △       ○      ○       ○
金銭運:   ▲       △        ○        ◎       ○      ○       ▲
恋愛運:   △       ○        ○        ○       ○      △       △
関係運:   △       ○        ◎        ○       ○      ○       △

でもいいだろう。卦爻表記が元から大畜になってのは誤り。
山天大畜の数理構造は

            ┌    ┐             ┌               ┐  ┌           ┐
            │〈陽| |              │〈陽|陰〉 〈陽|陰〉〈陽陽| |  | 道徳 道徳 賞 |
 大畜=乾×震= |〈陽| |×[|陰〉 |陰〉 〈陽|] =│〈陽|陰〉 〈陽|陰〉〈陽陽| |≡| 道徳 道徳 賞 |
            │〈陽| |              │〈陽|陰〉 〈陽|陰〉〈陽陽| |  | 道徳 道徳 賞 |
            └    ┘             └               ┘  └           ┘

物質や金銭の溢れ返っている今よりも金銭運がアップするのは想像も付かないかもしれないが、
富の遍在を解消するだけでも、全体の金銭運は軒並み上がる。不正に溜め込んでるせいで
まともに使えもしないような大金がどこかにある世の中ってのは、相対的な不況に陥る。
誰しもに富が行き渡りきって億万長者のいなくなる世の中とも、貧富の実感はかわりゃしない。

50 :井上筑後守:2010/03/18(木) 21:03:09 0
ここまでは、実際の国際社会には当てはめずに、易や線形代数の範囲内で述べた概論。さらに
現実社会に当てはめて論及することもできるが、それは「人の運命を占ってあげる」ことにも繋がる。

「運命宝鑑」の「易占体験入門」でも、「易経」からの「我より童蒙に求むるにあらず、
童蒙より我に求むるなり(山水蒙・彖伝)」という言葉を引きながら、「他人から依頼されたら
占いなさい。こちらから宣伝して占ってはいけません」と言っている。実際の国際社会について
当てはめ始めれば、自分だけでなく他人までも占うことになるので、不用意な公開は憚られる。

下書きを個人的に取っておくぐらいのことはするつもりだが、「教えてください」と願ってくる者が
一人でもいない限りは、これ以上はここにも書かない。自分までもが巻き込まれるであろう大局の
運命について、どうこう言われても構わないという人間に対して、依頼があった場合にのみ書く。

51 :考える名無しさん:2010/03/19(金) 01:29:20 0
>>50
偉そうなこと言ってるけど、それどこに書いてたの?
まあ占いは僕のほうが上だね。
質問あったら僕によろしく。

52 :考える名無しさん:2010/03/19(金) 09:17:09 P
>>50
線形代数を騙るのだったらせめて、数学板でされていたベクトル空間関連の質問に回答してからだよな。

53 :井上筑後守:2010/03/19(金) 10:26:50 0
「誰しもが蛇を怖がり、芋虫や毛虫を嫌がるのに、
漁師は蛇によく似たウナギを素手で掴み、婦人は芋虫の一種であるカイコを指で摘む。
確かな利益があるとなれば、民は孟賁(伝説上の勇者)ほどもの勇気を奮う」
(「韓非子」説林下第二十三、内儲説上第三十より)

学知についても同じこと。
金になるとなればどんなに難解な理論学説にも食いかかるが、
ならないとなればどんなに簡単な考察であっても分からない。

現1000円札の肖像になっている、野口英世の死ぬ間際の言葉は
「(黄熱病の原因が)分からない」だったが、金になることは何でも分かるのに、
金にならないことは何も分からない。それが匹夫の勇しか持たない下民の学知だ。

54 :井上筑後守:2010/03/19(金) 10:44:41 0
金になると見込んだ学説ならば、どんなに拙劣な下書き(フェルマーの最終定理など)
レベルの論及であっても、自分のほうから自主的に考察を働かせて理論を構築していく。
しかし、金にはならないと見込んだ学説だと、ある程度完成度を高めた論文だろうとも、
重箱の隅を突付くように落ち度を指摘して、それ以上理論が構築されないように仕込む。

その、下劣な学究姿勢から改められないことには、理論の構築に関しての議論の余地はない。
易もまた万物斉同の理論であって、大畜の金運アップなども、誰しもの富が増えることを
意味しており、誰かの我田引水による不当利得だけが肥え太ることなどを意味してはいない。
自分だけに大金が入ってくるような、仁義に欠ける小人の期待には答えないものであるが故、
匹夫の勇しか持たない小人と議論を進めて行く余地はない。

万人の利得を慮る君子同士として議論を進めていくか、もしくはもうこの話はやめかだ。
小人のペースでどんなに高尚めいた議論を進めた所で、結局は我田引水にしかならないからな。

55 :井上筑後守:2010/03/19(金) 10:54:41 0
「子曰く、君子は小知せず大受すべし。小人は大受せず小知すべし」
(「論語」衛霊公第十五・三四)

おめえらはおめえらで、小知を働かせた仕事をやってりゃいいんだ。
小人ならではの、草を食むような仕事を。
「上知と下愚は移らず(陽貨第十七・三)」とも言うしな。

56 :井上筑後守:2010/03/19(金) 12:21:31 0
そも易占からして、今の洋学主体の学術界では異端視されているもの。

誠意を込めて占わないことには結果も出ない。二度占ってもダメ。
誠意がなくても答えてくれるもの、何回でもやり直せるものばかりが
重宝されている世において、易は甚だ扱い辛いものの内に入れられる。

誠意を込めるってことは、自分だけの利益を考えて他人の利益を
反故にするような悪意を抱かないこと。我田引水ではなく仁義のためにこそ
易占もまた答えてくれるが、誰も仁義ではなく我田引水しか目的にしない
乱れきった世の中では、易占の実用性もまた当然低くなってしまう。

易占が時代遅れになったのではなく、易の公明正大さから民のほうが
逃げ去っているだけ。誰しもが自分や自分の近隣の利益しか考えられず、
私益にならないことはどんなに簡単なことでも分からなくなってるから、
易学のような誠意を必要とする学問には付いていけない。
せいぜい細木数子か動物占いかカバラ止まりが関の山。

57 :考える名無しさん:2010/03/19(金) 12:45:33 P
数学板で出されているベクトル空間の質問が重箱の隅だと言いたげだな。

しかし、行列を構成する行ベクトルや列ベクトルがベクトル空間の要素であることを示すことは、一番基本の部分だ。
このこと自体が理解できていないのならば、線形代数云々を言う資格はないし、理解していながら瑣末だと言い募るのならば、とんだペテン師だな。

58 :井上筑後守:2010/03/19(金) 12:50:56 0
まず、おまえらの態度が士人に対するものとして甚だ不誠実で、
その不誠実さの中で基本だ重要だと言ってる部分が、士人にとって基本でも重要でもないのは自明なことだ。
たとえそれが1+1=2ほどにも基本的なことだろうとも、不誠実な小人が態度をさらに尊大化させることになるんなら
基本として重要視などすべきではない。仁義や礼は儒学では智や信以上にも重要視されるものだからな。

59 :井上筑後守:2010/03/19(金) 13:07:41 0
六十四卦中でも、金運が最高潮となる山天大畜の卦辞にも「家食せずして吉なり」とある。
資財の大いなる蓄積がなされたならば、当然私益として死蔵したりしないことが吉となる。
これが易の基本的なあり方。全てが遏悪揚善の方向性で一律されており、
大量に溜め込んだ不当利得を死蔵しておきたがるような匹夫の及ぶ所じゃない。

その場その場での不当な振る舞い、不誠実な言動は、必ず最終的には不当利得や権力犯罪に帰結する。
今まだそこまで行ってなくとも、方向性としては罪悪方面に違いなく、善徳方面からは逆行している。
その、一つ一つの不当性の芽から摘んで行き、正当性や誠意の芽生えだけを助ける。
五経においても筆頭におかれる易経こと周易の、当たり前でいてあまり了解されていない正体だ。

60 :考える名無しさん:2010/03/19(金) 14:27:54 0
逃げ回る土人以下の井上下人守
くやしかったらレス消してみなw

61 :井上筑後守:2010/03/19(金) 16:35:55 0
仮に俺が、ベクトル云々に関して的確な返答をしたとしても、
おまえらは「おお、よくできたな、ヨシヨシ」と、さらに図に乗って付け上がるだけ、
そのせいで以降も、君子と小人の正しい序列の転倒した、不正な関係が続くだけだ。

数学の範囲で正しい返答をしたとしても、より根本的な人間関係における
礼儀作法を取り違えているが故に、いくら建設的な議論を交わしたとしても、
根本的な部分の設計を誤った欠陥ビルが建設されていくだけだ。
そんなものは、むしろ始めから建てないほうがいいほどもの。

62 :井上筑後守:2010/03/19(金) 18:01:43 0
伯夷・叔斉を心から崇められるか否かが、君子と小人の決定的な分かれ目だろうか。

周の武王による殷紂の討伐を、暴政を正すという明確な目的があったにも関わらず、
禅譲に劣る放伐であるとして受け入れず、周の禄を食むことを拒んで首陽山で餓死した。

理想のためには隠遁や餓死すら厭わないその姿勢に美学を見出して賞賛できるか、
いくらなんでも非現実的に過ぎるとして、素直に賞賛する気にもなれないか。

自分自身がそこまでいけないとしても、儒家だと素直に賞賛の対象にする。
水戸黄門こと徳川光圀も、「史記」の伯夷列伝を読んで感動し、儒学を志した。
一方で、韓非を含む法律万能主義者は、あまりにも悲劇的な伯夷の末路を素直に
賞賛することもできず、そんな人間はいなくなってしまったほうがマシだと考えてしまう。
無難のためには聖賢までをも否定してしまう、心から君子の生き様を認められない小人。

理想に対してひたむきであることを、せめてでも賞賛の対象とできるか否かが、
まず君子と小人を決定的に分け、そこから一つ一つの言動までもが大きく開きを見せていく。
瑣末な数学理論ばかりに拘泥してそれ以外が見えなくなったり、そうではなかったり。

概念論の有無ではなく、食糧の有無によってこそ
生死を分かつ、人間としての確かな自覚があるか否か。

63 :考える名無しさん:2010/03/19(金) 19:09:42 P
>>61
「本当に的確なら」上から目線でヨシヨシとかする訳ないし。
それほど、独創的で興味深いテーマ。

しかし、今までの議論を見ていると、的確な回答など望むべくもない。
そもそも、あの質問に的確に応えるための条件がいくつなのか・・・すら解っていまい。

何か、身分に従った礼節を要求しているようだが、自己申告以外に裏を取りようがないネットでそんなことは不毛だろう。
また、礼を尽くされるような身分の人は、自然と品格がにじみ出てきて、まわりの対応もそれなりになる。

自分から「俺は士人だ。キサマらは礼を尽くせ」と云わざるを得ない輩は、本当にはそうではないのがこの世の摂理。

64 :井上筑後守:2010/03/19(金) 22:20:15 0
身分はすでに公表している。「何もしていない」と。

行動即犯罪の今の世の中で、一円でも稼いでいるごみ同然の犯罪労働者よりは軒並み上。
日本国民一億二千万人のうちの、ほぼ全てが礼節を尽くさねばならん。
仮にいま働いてなくても、子供は子供で年長者を敬わねばならないし(自分より明らかに身分の低い年長者は除く)、
定年退職者も昔自分が働いて納入した年金で食ってるんだしな。

隠遁者への礼儀の尽くし方を、近ごろの民衆どもはちっとも分かっちゃおらん。
若造だけでなく、年寄りですらも。だからわざわざ自分から主張しなければならなくなる。

65 :考える名無しさん:2010/03/19(金) 23:00:43 0
殷周革命を拒絶した伯夷や叔斉が偉大だったからといって、
革命の主謀者だった武王や周公や呂尚が卑小だったなんてこともない。

酒を満たした池を作り、木に肉を垂らした林を作り(酒池肉林)、
熱した銅柱の上を歩かせて不穏分子を焼死させ(炮烙の刑)、
毒蛇や毒虫を大量に繁殖させた穴の中に女を突き落として殺し(蟇盆の刑)、
恋敵の鬼候を殺してその肉を諸侯に振る舞った殷の紂王を、
見るに見かねて放伐した武王や周公や太公望もまた、それなりの偉人だった。
ただ、その手段が禅譲に劣る放伐であったことから、周王朝の
傘下に納まることを拒絶した伯夷や叔斉もまた偉大であった。

相手を突き落とすことで相対的なマシさを誇るのではなく、
一方も偉かったが、他方はさらにも偉かったという、偉大さの競い合いがある。
誰しもがお互いを貶めあって、墓穴の掘り下げ具合こそを競い合う今の世に
おいては想像も付かない話。まず墓穴の掘り下げ合いをやめないことには。

66 :考える名無しさん:2010/03/20(土) 02:20:19 0
>>58-59
じゃあさ、僕から宿題ね。
金運が最高潮とか馬鹿なこと平気で言ってるけどさ
その卦のどこがどうで金運と関係するのか1+1=2なら2=はなにかなのか答えてちょ
それが出来て初めて占いってもんだよ。要は経験と実践ね。
偉いそうだからヒントなし。

67 :考える名無しさん:2010/03/20(土) 10:32:07 0
なぁ〜にが宿題じゃクソボケ。

資産家が工場にモノ作りを依頼するときに、
工場長が資産家のほうに対して宿題を出すのか?
逆に、素人故の無理な要求にすら必死で応えようとするんじゃねえか。

IT関係なら、顧客と現場の仲介人がSEともなって、
自分ではソース構築に携わらないのに、末端の土方プログラマーよりも
遥かに稼いだりする。問題なのは、細部が分かっていることでも、
現場に携わっていることでもなく、金になるか否か。

金になる要求ならどんなに無理な要求でも引き受け、
金にならない要求はどんなに簡単でも、色々難癖も付けて断る。
言動規範があからさまに小人然とした分際で、先生ぶってんじゃねえや。

68 :考える名無しさん:2010/03/20(土) 14:11:57 0
>>67
おまえ逃げの理屈も理屈になってないな
まさに下人。

69 :考える名無しさん:2010/03/20(土) 14:53:17 0
負け犬の遠吠えw

70 :考える名無しさん:2010/03/20(土) 15:00:11 0
数学板にスレ立てた責任も取らずにまだやってるのか。
どうするんだ?東洋人らしく潔さを見せてみろ。

71 :井上筑後守:2010/03/20(土) 18:23:59 0
「春秋左氏伝」宣公十二年には、「商農工賈」という言葉が出てくる。
農業と工業と小売業(賈)の上に、アマへの小売ではないプロ方面の商業を置いている。
自らは何も生み出すことなく、産業を切り盛りする姿勢が、その部分だけは士人に似ている。
だから、プロ向けの商業が、農業や工業よりも上のものであるかのように考えられていた。
しかし、士人と(プロ向けを含む)商売人とには、やはり決定的な違いがあった。

士人の本分は仁義。
商売人の本分は我田引水。

農業工業小売業などの産業を切り盛りすることで、誰しもが豊かになることを画策する士人、
自分や自分の周りだけが豊かになることを画策する商売人。

誰しもを豊かにしようとするので、士人は自分や自分の周りが極端に豊かになることはないが、
仁義道徳に満ちたそのあり方が、わざわざ財産を囲い込むまでもない、自ずからの財宝となる。
一方で、商売人は我田引水によって、遠方の人間を貧困や飢餓に陥れてでも豊かに
なろうとするので、自分たちの周りだけは巨万の富で溢れかえるが、その仁義に欠ける
卑しいあり方が、糞尿かゴミほどにもつまらないものへと、本人たちの姿を変えてしまう。

72 :井上筑後守:2010/03/20(土) 18:27:34 0
産業をトップダウンに切り盛りするという部分だけは同じでも、その本分が全く相容れないことから、
士人と商業を含む産業従事者とを、完全に分断する考え方が孔子によって提唱され、逆に商業は
いかなる形であっても、貨殖目的である以上は農業や工業よりも下に置かれるようになった。

いわゆる「士農工商」。出所は「管子」で、書名になっている管仲は孔子よりも以前の人物だが、
書物としての「管子」の成立は漢代で、「韓非子」を含む諸子百家の自著よりも若干遅れている。
四書五経にもまだ出て来ず、「商農工賈」であったり、さらには「士商工農」なども荀子によって
提示されていたのが、漢代以降にやっと「士農工商」に納まった。意外と成立の遅い四民制。

士人のやろうとしていることは、手段だけを見れば商売人にも似ていないことはない。
自分自身では何も生み出さず、耕しも織りもしないが、民の生業たる産業全体を俯瞰的に治める。
ただし、その目的が商売人は我田引水なのに対し、士人は仁義。手段は似ていても目的は相反する。

「政財界」などと、政界と商業界が同列に並べられている今の社会に、本当は政界は実在しない。
政界のフリをしていても、実際には商売人のパシリなだけ。商人のやりたい放題の尻拭いをする
下人なだけ。商業との癒着を断ち切って、純粋な万民統治を生業とする士人君子が、表舞台から
絶滅してすでに久しい。だからわざわざ「自分は君子士人だ」などと宣言すらしなければならない。

別段概念上の敬称だったりするわけでもない。金儲けを目的にしない公務員という、確かな定義が
本来の「君子」や「士人」にはある。それとは逆に、金儲けばかりが目的の民間人が「小人」であることも、
比喩表現ではなく、本来の言語上の定義に当たる。比喩や概念の範囲でしか物事を考えられない
現代人には分かりにくかろうが、実相に即してこその君子だったり士人だったり、小人だったり。
そういう意味で俺が君子士人で、おまえらが小人。実在論に恣意的な主張は無用だ。

73 :考える名無しさん:2010/03/21(日) 00:08:16 0
>>71-72
他人の書物読んでもなんの得にもならないよ
とくに井上さんの場合w
あんたは哲学してないし、資質もなさそうだね。
僕がこのスレ仕切るわw
で、宿題は解けた?解けないようじゃ二度と卦だの論じるなって感じ。

74 :考える名無しさん:2010/03/21(日) 01:18:01 P
>>64
> 身分はすでに公表している。「何もしていない」と。

日本語に不自由な方ですね。

63>何か、身分に従った礼節を要求しているようだが、自己申告以外に裏を取りようがないネットでそんなことは不毛だろう。

に対する回答がこれですか。
それに、あなたのしていることは公表では無く、自称と言います。

> 定年退職者も昔自分が働いて納入した年金で食ってるんだしな。

年金の仕組みをまったくご存じない様ですね。
まぁ、年金だけに限らず、ご自身が知っていると考えている事柄は総点検しないと恥をかき続けることになりますよ。

> 隠遁者への礼儀の尽くし方を、近ごろの民衆どもはちっとも分かっちゃおらん。
> 若造だけでなく、年寄りですらも。だからわざわざ自分から主張しなければならなくなる。

いやいや、人格者はそんなことを自分ではしません。
そんなことをするのは、自分が思うほどには周囲が大事に扱ってくれなくて、それに不満を感じていて、
自分で主張することに恥ずかしさを感じない恥知らずだけです。

75 :考える名無しさん:2010/03/21(日) 10:20:03 0
要は自分の欲求や希望を東洋哲学に求めているだけの
恥ずかしい人、ということか。

76 :考える名無しさん:2010/03/21(日) 11:46:18 0
>僕がこのスレ仕切るわw
自分でスレ作れない程度のチキンがスレを仕切るとは笑止w

77 :考える名無しさん:2010/03/21(日) 11:50:07 0
スレなんて規制されてなければ誰でも立てれるんだがな
なんか特別なもんが必用なのか?それこそ笑止だろ、自演芋上さんよ

78 :井上筑後守:2010/03/21(日) 12:34:46 0
「史記」の本紀や世家に載っている王侯は皆、身分の高下や評判の善し悪しはあれど、みんな士人だし、
列伝の最初のほうに列記されている有名人も、概ね士人に当たる。ただ、列伝の後半のほうに行くと
法律万能主義者を記載した酷吏列伝や、無頼者を記載した遊侠列伝、商売人を記載した貨殖列伝
などがあり、卜者を記載した日者列伝などもある。不義の禄を食むことを拒んで隠遁餓死した伯夷が
筆頭に置かれている史記列伝において、最後尾付近にいる法律家や無頼者やただの卜者や商売人、
それがおまえらに当たる。

位階上は伯夷も王侯には及ばないが、無頼者や商売人よりはまだ上。
そもそも世俗での名誉にこだわることが、十住心論だと嬰童無畏住心第三以下に当たるんだが、
俺が愚童持斎住心第二である一方で、おまえらは異生羝羊住心第一。どちらも最大最高だったりで
するわけではないが、最低最悪の争い合いにおいて、おまえらがドンジリ賞。俺はブービー賞以上。

俺が特別偉いだなんていうよりは、おまえら自身が最低最悪のクズっ子であるのが本当の所。
伯夷や叔斉も偉く、武王や周公や太公望も偉い、そんな偉大さの競い合いの場にはまだ昇れていない、
限り無く掘り下げられた墓穴の底の亡者ども。人が偉いかどうか以前に、まず自らの卑小さを弁えねばな。

79 :井上筑後守:2010/03/21(日) 12:59:23 0
心から誇ることもできないような、不純で劣悪な仕事ばかりやってるから誇れないのもあるだろうが、
「自分から誇るような人間が偉いわけがない」とかの、感情的な精神論は、実際上の生業による位階とは関係ない。
誰しもの利益を慮って仁政を試みたものが士人君子、ただただ我田引水に終始したものが小人。
実際の行業によってこそ位階は定まり、その場その場の言葉の善し悪しなどで左右されるもんじゃない。

史記では特別に世家に入れられている孔子が、易経を綴じ糸が三回切れるまで読み込んだとも
言われている一方で、ただただ易占を商売にするだけの日者は、貨殖や遊侠と同等の扱いも受けている。
易という最高級の学問を扱いながらも、それを自らの利殖のためにしか用いないのならば最低レベルに止まる。
だから自分から宣伝して占ったりしてはいけないのもある。その場で論じていること以上にも、その論及の目的が
どうかであることのほうが問題であり、仁義なら偉大で、我田引水なら卑小だ。口先だけでどうにかなる話じゃない。

80 :井上筑後守:2010/03/21(日) 13:40:12 0
「子曰く、始め吾れ人に於けるや、其の言を聴きて其の行を信ず。
今吾れに於けるや、其の言を聴きて其の行を観る」
(「論語」公冶長第五・一〇より)

言葉だけはやたらと尊大な奴らが多すぎる世の中。
どんなに偉そうなことを言っても、行動は商売人や犯罪者止まり。
ニートやホームレスほどにも実践面での善行が足りてない、
我田引水地獄の住人たち。俺もまだお坊さんや君主レベルの大偉人
ではないんで、心の底から湧き上がってくるこの蔑みを、如何ともし難い。

81 :考える名無しさん:2010/03/21(日) 15:20:08 0
基地外スレ

82 :考える名無しさん:2010/03/21(日) 19:52:10 0
てめえらが匙を投げた所から、誰しもが豊かで楽しい生活を送れる歴史が始まるんだぜ。

83 :考える名無しさん:2010/03/22(月) 02:41:12 0
>>80
原文だけ貼っときな。あんたのくだらん解釈はいらないから。
ていうかマジうざい。

84 :井上筑後守:2010/03/22(月) 10:44:23 0
「子曰く、徳ある者は必ず言あり。言ある者は必ずしも徳あらず」
(「論語」憲問第十四・五より)

小人の杓子定規など、君子には通用しない。

85 :考える名無しさん:2010/03/23(火) 05:50:12 0
いちいちお題を挙げるうざいやつは放置で自分なりにインデックス。
東洋哲学Wiki
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E5%93%B2%E5%AD%A6
Tインド哲学
U中国哲学
V日本哲学

哲学文献
Tヴェーダ、ウパニシャッド
U老荘思想
V古来神道と主にU思想の融合
Wikiから考察するに
日本独自の代表的な哲学的思想は殆ど無く
源流は中国哲学に由来。

まずはこの程度か。



86 :井上筑後守:2010/03/24(水) 13:37:57 0
動機はなんであれ、聖人君子の道を志すのはよいことだ。
一人だけでスレを独占するのも何だったんで、ぜひ勉学に励んでくれたまえ。

87 :井上筑後守:2010/03/26(金) 18:46:57 0
オウムや創価のような東洋教学カルトになるのを避けるためにも、
自己流の教学の創作などは避けて、先人の偉業を忠実に継承していかなければならない。
それは、数学であっても同じこと。ニュートンやライプニッツの創作なんぞは、
適当に叩き台にでもして、不必要ともなれば即刻破棄すればそれでいいが、
東洋人である関孝和の和算は、そういうわけにもいかない。なぜかって、
本当に重要なものだけを生み出して取っておくのが東洋人だから。その信頼の高さに基づき。

陰陽五行思想は物理学上や数学上の意義もあり、漢方や本草学には
薬学や博物学としての意味もある。東洋教学は文系であるとも理系であるとも限らず、
どちらかの極端に振れきって弁士一曲(部分を論じて全体が見えなくなる)となることを避ける。
これもまた東洋教学のよい所。純粋に文系であることも、理系であることも実用的でない
現実の世の中において、確かに実践が可能で、しかも洋学以上に高品質でもある。
ここまで至れり尽くせりなものを知って、なぜ今さら洋学なんぞを重視できようか?

88 :考える名無しさん:2010/03/26(金) 19:11:58 0
そういう排他的思想がカルトなんだよ
いい加減気付け。自分がカルト思考になってることを。

89 :井上筑後守:2010/03/26(金) 21:00:33 0
春秋戦国時代の中国思想・諸子百家も、丁寧に保管された先哲の自著などはごく一部で、
後人の手による言行録が編纂されたり付け足されたりして、それでもまた欠損したりして今に至る。
特に始皇帝の焚書坑儒以降には、占いや医学書などを除くほとんどの先哲遺著が焼き捨てられ、
一時は儒家と並ぶ双璧として君臨した墨家の提唱者、墨子の著作+言行録である「墨子」も
部分が欠落し、漢代に儒家が国教扱いとなったこともあって、ほとんど顧みられることがなかった。

さて、その始皇帝の焚書坑儒をも手伝った、法律万能主義者韓非の自著(一部後代の付け足しが
あるともされる)である「韓非子」は、和氏第十三における商鞅による詩書の焼き捨ての記述などが
焚書坑儒の口実になったものの、その報復で漢代以降の儒者によって焼き捨てられるなどという
こともなく、一応全ての巻が欠落することなく今に至っている。「法律万能主義」の法家であることは
非常に有名だが、法家が法家たる所以は意外と知られていない。とにかく法律を守っていればそれで
いいとする具体的な根拠、韓非はそれを「老子」に依っている。老子の無為自然を「事なかれ主義」
と曲解し、「本当に何もしなければそれでいいわけじゃない」などと解老第二十でこじ付け、法律による
風紀の徹底の先に、聖賢の活躍も、盗賊の跳梁もない平穏無事の事なかれ社会が築かれると解く。

90 :井上筑後守:2010/03/26(金) 21:02:44 0
韓非は老子を信奉してはいるものの、荘子は信奉の対象としていない。
老子以上にも、本当に何もしない無為自然の実践を具体的に述べている荘子を、
外儲説左上第三十二で「絵に描いた化け物」と呼び、実在する犬馬を描くほうが難しく、
それこそは世の中の運営にとって必要なことだと主張する。

早い話が、韓非子は「荘子の出来損ない」に他ならない。

墨子が「プロトタイプ孟子」であることは前スレの610で述べたが、韓非は荘子より後代の人物であり、
老子の後継であることを事実上自認している所は荘子と共通するものの、荘子を批判の対象とする。
そして韓非は道家ではなく法家。無為自然を実践面で否定してしまったために、道家にはなり得ない。
韓非も決して自分自身が道家だなどとは言っておらず、老子もあくまで参考にしているだけ。
太公望呂尚が斉に封じられた際、支配者への帰服を嫌って隠遁生活を志した狂矞という兄弟を
死罪にした話などを取り上げ(おそらくこれは伯夷・叔斉兄弟を改変した逸話で、事実に基づかない)、
隠遁主義者を確信的に殺戮の対象ともしている。自他共に認める親老子・反道家、それが韓非子。

91 :井上筑後守:2010/03/26(金) 21:05:41 0
「矛盾」という言葉も「韓非子」が語源だが、韓非子こそは矛盾的論及の最たるものでもある。
外儲説左上第三十二で、諸子百家の争鳴が、あたかも子供のおままごとみたいなもので、
いざ本物の食べ物を食べるとなれば、家に帰って本物の食べ物にありつくしかないのだといい、
その「本物の食べ物」こそは信賞必罰の法律で、仁義だのなんだのは、子供がおままごとで拵えた
塵の飯や、泥の吸物や、木片の肉に過ぎないという。

備内第十七では、親しい臣下や妻妾や我が子が、法治主義の徹底を滞らせることを「鍋釜」に喩える。
鍋釜に水を汲んで火で炊いても、水によって火が消されることのないことが、水が火に勝つ五行の法則に
反しており、法治主義を行き渡らせる上での障害の一つに喩えられる。

おままごとで塵や泥の料理を拵えた子供たちも、家に帰って、お母さんが作った本物の食べ物を食べる。
鍋に水を入れて、火にかけて調理した食べ物などを食べる。韓非自身の一連の比喩的な論及が自明に、
自分自身の論及が「子供たちのおままごと」に過ぎないことを自白している。身内の僭越による法治の
侵害が、鍋釜に喩えられるのもあながち間違いではないが、鍋釜は鍋釜で人々にとって必要不可欠な
ものであり、それをなくしたりするわけにはいかない。鍋釜の発明もまた、16000年前の縄文土器まで遡り、
法律の歴史などよりも遥かに古い。人間の文化文明を法律よりも遥かに昔から司ってきてもいる鍋釜。
それを否定することが、法治主義の定立ともなる。韓非自身が強弁する、「子供のおままごと」の定立。

92 :井上筑後守:2010/03/27(土) 13:07:52 0
「鍋釜を介することで、水が火に勝つ五行の法則が破れる」という韓非の主張は、
鍋釜が土や金属で作られていることを考慮していない。

土は水に勝ち、火は土を生むから、土器による水の煮沸は五行の法則に適っている。
金属の鍋釜だともう少し話が難しくなるが、やはり水が火に勝つ
五行の正準な相剋関係を破っているということではない。

韓非の鍋釜の比喩は、身内による法治の滞りが、五行に反している根拠にはなっていない。
墨家と違って、陰陽五行を完全否定はしないものの、法家も法家で陰陽五行への理解は乏しい。

93 :井上筑後守:2010/04/01(木) 19:26:48 0
邦訳「韓非子」を読了した。
やはり、原文に遡ってまで全読する必要はなかったな、というのが感想。

諸葛亮孔明は、蜀漢二代皇帝劉禅に、政治指南の参考書として「韓非子」と「管子」を贈ったそうだが、
本当に蜀漢を存続させる気があったのか、疑問にすら思う。すでに秦始皇の失敗もあった後なのに。

まず何より、つまらない。儒家のようなバリバリの徳行志向でもなく、道家のような隠遁の徹底でもなく、
世俗社会を法律でがんじがらめにして事なかれにしてしまおうとする、理念としての中途半端さがつまらない。
これを読んだ劉禅が、政治をつまらないものだと感じ、魏に下って諸侯に格を落としたというのなら、それも頷ける。

94 :井上筑後守:2010/04/01(木) 19:29:01 0
そしてただつまらないだけでなく、法治主義の、統治原理としての限界もここで露呈している。

墨子の場合は、陰陽五行に基づく数理学以上にも、猥雑な数値学にまで論及が及ぶ理系オタだったが、
韓非子の場合はその逆で、陰陽五行の数理すら分からない、ガチガチの文系。
数的な概念によって物事を考えることが全くできず、概念思考が行き過ぎるのとは逆の弊害を帯びている。

たとえば、法家の基本理念である「信賞必罰」も、学者によってそのあり方に対する主張は異なり、
韓非は恩賞も刑罰もなるべく重くする、「重賞重罰」の正しさを説いていたが、>>89でも名前を出した、
法家主義の政治家商鞅の場合は、恩賞は軽くして刑罰は重くする「軽賞重罰」の正しさを説いた。
「韓非子」飭令第五十三に、商鞅の「商君書」とほぼ同じ内容が抜書きされており、ここでは賞を
軽くし、罰を重くすることが民を愛することにつながるとしている。韓非自身はそうではなく、
賞も罰も重くするのがよいとし(六反第四十六など)、重罰によって罪人を懲らしめる一方、
重賞によって功績を挙げた者を厚遇し、民を恩賞目的の労務にも駆り立てさせられるとする。

95 :井上筑後守:2010/04/01(木) 19:32:34 0
ここに韓非の、数理的な思考の欠如による杓子定規さが垣間見られる。

罪人が重罰によって懲らしめられるのは、良民悪民に限らず、誰しもに畏怖を与えるが、
功績者が重賞によって厚遇されるのは、利益目的の悪民を駆り立てるばかりで、良民は駆り立てない。
利にばかり聡いのはどこまでも小人であって、盗賊もそうだし商人もそうだが、君子はそうでない。

「君子は道を憂えて貧しきを憂えず」
(「論語」衛霊公第十五・三二より)
「富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。其の道を以てこれを得ざれば、処らざるなり」
(同・里仁第四・五より)

重賞による厚遇で駆り立てられるのはやはり商人止まりで、伯夷や叔斉を尊崇する君子などではない。
結果、韓非の重賞重罰主義によっては、重罰で盗賊がいなくなる一方、重賞で君子も活躍を嫌い、
商人のような、明らかな犯罪活動を行なわない限りでの小人の跳梁跋扈を推進する破目となる。

五蠹第四十九などでは、農業のような「本業」を民が怠り、商業や工業のような「末業」を
好き好んでやりたがるのを咎める、「士農工商」の原型に当たるような主張も行なっているのに、
韓非自身、重賞主義で以て、堅実な生産労働を行なう人間の労働意欲を削ぐ失敗もやらかしている。

96 :井上筑後守:2010/04/01(木) 19:34:17 0
どこもかしこも矛盾だらけな韓非の論理。
しかし、韓非の場合はまだ「重賞重罰」であるぶん、今の社会よりはマシですらある。

今の社会は、「重賞軽罰」にすらなってしまっている。

恩賞は欲しがり刑罰は嫌がる、小人の卑賤さを真っ向から肯定して、
福祉国家だのという名目で、末業ばかりやっている卑人にも莫大な恩賞をやり、
罪を犯してそれがばれて断罪されることになっても、すでに重刑が廃止されていたりする。
重罰によって民を恐れさせ、できる限り犯行に向かわせないとした、
韓非の最低限正当な主張すら反故にされて、こういうことになっている。

 ┌               ┐
 │犯罪者 軽罰  犯罪者|
 | 重賞 道徳者 重賞 |
 │犯罪者 軽罰  犯罪者|
 └               ┘

道徳者に重賞を与えようとしたせいでその絶対数は減り、
犯罪者に刑罰しか与えないせいでその絶対数が増える。
結果として、犯罪優位道徳劣位の力関係が決定付けられてしまう、
韓非の重賞重罰主義をさらに一段劣化させた、重賞軽罰の結果がこれ。

97 :井上筑後守:2010/04/01(木) 19:35:42 0
ちなみに、商鞅の軽賞重罰主義だとこうなる。

 ┌               ┐
 │道徳者 軽賞  道徳者|
 | 重罰 犯罪者 重罰 |
 │道徳者 軽賞  道徳者|
 └               ┘

道徳者に軽賞しか与えないのでその絶対数は増え、
犯罪者には重罰を与えるのでその絶対数は減る。
道徳優位犯罪劣位の全体的な社会体制が確立される。

ただ、この状態は法治主義によっては実現されない。
なぜかといって、軽賞重罰には法治主義としてのうまみがないから。
犯罪者が重罰に付されるのはともかくとして、道徳者も軽賞しか
与えられない、これだと建て前上のうまみすら全くないので、
法治主義としてこれを賞揚したところで、誰も見向きもしない。

だからこれは、あくまで「徳治主義」としてしか成立しない。
伯夷や叔斉のように餓死ししたり、孔子や孟子のように重職に恵まれなかったりしても
それでいいという漢気(おとこぎ)の持ち主を募る、勇気爆裂の徳治主義でないといけない。

98 :井上筑後守:2010/04/01(木) 20:16:03 0
ちなみに、重賞重罰主義ではなく、軽賞重罰主義のほうが
君子にとっても好ましい根拠は、以下など。

「君子の利を求むるは(粗)略なるも、其の害に遠ざかるは早し。
其の辱めを避くるは懼るるも、其の道理を行なうは勇なり」
(岩波文庫「荀子」修身篇第二・十三より)

韓非の師匠だったともされる、性悪論・ダークサイドオブ儒家の「荀子」を、
岩波文庫版で読み始めている。一応儒家なので書き下しでも読むが、
孟子の性善論のほうが正しいことが今となっては見え透いているので、あまり期待し過ぎない。

主観的に主張を論じ立てまくる孟子と比べて、客観的、傍観的とされる荀子の論及。
「ひろく学んで詳らかに之れを説くは、将に以て反りて(要)約を説かんとするなり」(孟子・離婁章句下・一五)
「小人の学は耳より入れば口より出づ。口耳の間は僅に四寸のみ。なんぞ七尺の躯を美とするに足らんや」(荀子・勧学篇第一)
など、冒頭ですでに、孟子と対立するような説話が展開されている。

教授でも学者でもあったのが孟子で、学者一辺倒だったのが
荀子だったのかとも推察されるが、詳しくはよく読みながら書いていく。
(読んで書こうとしている時点で、すでに荀子ではなく孟子の主張に従っているわけだが)

99 :考える名無しさん:2010/04/08(木) 11:54:49 O
プロの論及は間違っていても丁重に扱い、
アマの論及は正しくてもゴミクズ程度に扱う。
富みてかつ貴き所に道はいらないとする。

「道なくして富みかつ貴きは恥なり」
(「論語」泰伯第八・一三)

プロってのは、いわば「エセ出家者」のことだ。
本当には出家せず、相応の戒律を守ったりもしないが、
営利面で設ける側に回るために、俗世の舞台裏に
身をやつす、破廉恥な超俗主義悪用者の通称だ。

100 :考える名無しさん:2010/04/11(日) 12:04:49 O
>>99
現代的に例えるなら、オレオレ詐欺で金持ちになっても恥ということですね
オレ詐欺をやっているような人たちは、心の本体が金銭欲で曇っているので、
自分が金持ちでないことを恥だと思ってしまっています。
この問題の根は道徳を捨てた教育にあると言えるでしょう。

101 :考える名無しさん:2010/04/11(日) 12:13:09 0
◯◯を教育自体で最初から◯◯できると思ってるところが公務員脳

102 :考える名無しさん:2010/04/11(日) 12:18:58 O
>>101
否定だけして、教えなければ自分の意見も言わない
不親切な人ですね

103 :考える名無しさん:2010/04/11(日) 13:30:29 0
オレオレ詐欺なんてまだ可愛いほうだ。

住宅が不足してるわけでもない過疎地にバカバカと高層マンション建てまくって、
住み慣れた我が家から独居老人を転居させて貯金を根こそぎ奪い取る、
大手建築会社などのやっていることもオレオレ詐欺と大して変わらず、
しかもその規模ははるかに大きい。不良な若者も結局はそれを見習ってるだけ。

世の中全体が道を外れているときに、どんな稼ぎ方をしても、
世の中のどこもかしこもが繋がっている以上、金が回される過程で必ず
不当行為とも繋がっている。そんな世の中で富貴に溺れるのは恥だということ。

一方で「道ありて貧しく且つ賤しきは恥なり(論語・泰伯第八・一三)」ともある。
世の中全体が不義を控えている時には、バリバリ働いて稼いでもいいんだと。
働きすぎの法家とも働かなさすぎの道家とも違う、緩急を付けた労働の奨励が儒家の本分。

104 :井上筑後守:2010/04/11(日) 19:35:37 0
「荀子」を富国篇第十まで読んだが、意外とまともだ。

諸子百家は、それぞれにクセのある評判を持つが、どれも想像以上に悪かったことはない。
「節葬」を主張した墨子も、古の賢君の埋葬の簡略さを論拠にしていたのであって、
葬儀全体を簡略化しようとしたのは行き過ぎだったにしても、ピラミッドみたいな
巨大墳墓の建造を試みつつ、ファラオ自身の落命は大して悲しまないような、
最も不吉な葬儀方法の選択と比べれば、まだマシな所をいっていた。
同じく韓非子の信賞必罰も、聖人君子の居場所までをも無くさせる重賞までをも唱えたのは
やりすぎだったにしても、重罰によってあらかじめ犯罪を抑止することが、本当に民を
慈しむことにも繋がるのだという主張はそれなりに正しかった。犯罪者には軽い罰で済ませ、
道徳者の嫌がる重賞志向をも講ずる、最悪の選択と比べれば、まだマシな主張をしていた。

105 :井上筑後守:2010/04/11(日) 19:37:24 0
荀子の場合も「性悪論」という、孟子の性善論と比べて劣悪な部分だけが
強調して宣伝されていることから、かなり危なげな論及を警戒していたんだが、
別段そんなこともない、よくよく練りこまれた正統論が展開されている。

それにしても、やはり、孔子と並んでまで称される孟子と比べれば、若干見劣りする所がある。
論及が静的で、あまりにも理路整然としたものになり過ぎているため、「絵に描いた餅」と化してしまっている。

孔子らの言行録「論語」に多々見られる「君子は○○、小人は××」という二極化論法をそのまま引き継ぎ、
「聖人は○○、君子は△△、小人は××」などと、いかにも論語の発展版を目論んだらしい記述が多い。
ただ、このような二極化三極化による格付けは、論語程度の素朴な範囲だからこそ現実への応用も
可能なのであって、精密さ極まる荀子の格付けをそのまま現実に適応するのは、甚だ困難だろう。

そして、孔子の言行のうちでも、小人のあり様までをも観察したことが明らかな「君子は○○、小人は××」
という二極化論法ばかりを真に受けて、その部分こそを徹底的に引き継いだことにより、まさに孔子の「性悪さ」
が荀子にそのまま継承されてしまっている。小人の愚かさつまらなさまでをも丹念に観察し、君子や聖人との
比較対象としていちいち引き合いに出す、「差別」の部分が強調されて、どす黒い論及と化してしまっている。

106 :井上筑後守:2010/04/11(日) 19:39:39 0
それと比べれば、孟子の言論などは、「君子か小人か」のうちの「君子」についてだけの
論及に特化されていて、いちいち小人を引き合いに出した、嫌らしい比較などをしないため、
読み聞きしていて快いし、張り切って実践したい気持ちにもなる。

赤穂浪士四十七士の内の一人、武林隆重も、孟子の子孫だったと言われる。
中国人の系図などはいい加減なものが多いから、本当にはそうでなかったとしても、
孟子の子孫らしいことを拠り所に、未曾有のあだ討ち劇に参加した者もいたわけで、
やはり孟子には勇猛さがあった。儒者であって、しかも勇気があった。

逆に荀子は儒者ではあるものの、勇気はなかった。
「君子は戦わざる有るも、戦わば必ず勝つ(公孫丑章句下・一)」や「天下無敵(離婁章句上・一)」など、
好戦的ならずとも、臨戦的な記述が孟子には多く見られるのに対し、荀子のほうは
「争う者はその身を忘るる者なり、其の親を忘るる者なり、其の君を忘るる者なり(栄辱篇第四・三)」
といった風に、実際にはそこら中に溢れ返っている闘争行為を完全否定する。
王道政治を貴ぶ孟子のほうが、覇権争いには付き物な臨戦態勢をも想定し、
現実の手段としての覇道を容認する荀子のほうが、覇道でこそ必要な争闘を徹底忌避する。

理想が透徹した孟子のほうが実践的にも優れたものとなり、
現実に甘んじようとした荀子のほうが実践面で片手落ちとなっている。
こんなことが、実際にある。ある程度は勇気を振り絞らなければならない時が必ずある。

107 :井上筑後守:2010/04/11(日) 20:29:51 0
・・・まあ、荀子の論及姿勢は、残念ながら今の自分にも似ているなあ、と思う。

わざわざ聖書教や洋学の如き悪例を取り上げて、それらと比べての比較的な東洋教学の優位さを
あげつらう、あたかも男が女に対しての優位を強弁するが如き、逆の意味での「僭越さ」を伴っている。

こうであってはいけない。善悪二元論において善の優位や悪の劣位を露呈するに留まらず、
一概な善徳として挺身的に振る舞わなければならない。あたかも荀子に対する孟子のように。

孔子のよい所を継承した孟子。悪い所を継承した荀子。
いずれも孔子の片鱗の継承であるには違いないものの、どちらかといえば孟子のほうが正しい。
悪へのしがらみを捨て去ってでも善徳について論ずる、孟子の姿勢こそは孔子の正統な進化系であり、
しがらみに囚われた荀子のあり方は、孔子の二番煎じないし退化系に過ぎない。

「論語」では示しきれなかった儒学の全容が、好ましい形で発展継承されたからこそ、
「孟子」も論語と共に四書(論語、大学、中庸、孟子)の中に入れられている。
孟子と「大学」「中庸」の著者である子思を同時に否定したこともあって(非十二子篇第六)、
荀子は後世における儒家の落ちこぼれともなった。他者を大いに批判しようとする態度が、
いかなる形であれ、正統な儒学においては嫌われる。批判を乗り越えた評価こそが重んじられる。

108 :考える名無しさん:2010/04/12(月) 01:49:12 0
ここで小学生にも劣る幼稚な作文書かれてもな
スレ汚しになるんでチラ裏にでも書いとけ。

109 :井上筑後守:2010/04/12(月) 04:30:46 O
犯罪者が道徳者への露骨な侵害を目論む火水未済は、それ自体やはり劣悪な相を持つものの、
その劣悪さをばねにして、実相から道徳優位犯罪劣位な水火既済に乗り移る気概にはなるという。

荀子のようないじけた善悪二元論も、孟子の裏表ない善一元論に移行する原動力にはなるだろう。
勇猛な「動」にあと残りなく乗り換えるための、下地となる臆病な「静」に。

110 :井上筑後守:2010/04/12(月) 11:57:44 0
「荀子」を読んでいると、「荘子」盗跖篇を思い出す。

「おまえが君子道徳なんかをあげつらい始めたから、俺ら盗賊の居場所も生まれたんじゃねえか」
という、盗跖の孔子に対するフィクション小説内での大批判が、むしろ荀子にこそ当てはまる。
君子や聖人のあり方と共に小人のあり方も詳細かつ具体的に述べ、その劣位をもあげつらう。
たとえ荀子自身は聖人や君子であることを奨励しているのであっても、「荀子」という書物が頒布
されれば、同時に小人のあり方も宣伝されるわけで、斜め読みを試みる連中の悪用材料にもなる。

道徳という光と共に犯罪という闇も生まれることから、あくまで無為自然を重んじた荘子や、
法律万能主義による道徳と犯罪の両成敗を試みた韓非子などにとっては、ちょうどいいエサだ。
もはや小人の所業などを挙げずに、一概に君子や聖人のあり方のみを述べた孟子のほうが、
孔子にすらも少なからず見られる、二極化論法の弊害を乗り越えられており、荘子や韓非子の
道徳者批判も超えられている。やはり儒者を目指すなら、荀子よりも孟子のようであらねばならない。

111 :井上筑後守:2010/04/12(月) 13:29:15 0
「知者の知はもとよりすでに多きにまた以て少を守る、よく察すること無からんや。
愚者の知はもとよりすでに少なきにまた以て多を守る、よく狂なること無からんや」
(岩波文庫「荀子」王覇篇第十一・十二より)

痛いほどよく分かる、荀子の、孔子の威も借りた知者と愚者の二極化論法。
よく分かるんだが、やはりどす黒い。偉大なものと卑小なものを真っ二つに分けて差別する、
拝火教の善悪選択論にも通じる論述。実際に善悪貴賤大小の入り混じる世の中の実情を、
専ら君子の立場にだけ立つ孟子以上にも、遥かに詳細に述べている。

そして、荀子が王道よりも劣るはずの覇道を容認するのは、君主も臣下も有能な王道と、
君主も臣下も無能な亡道との中庸が、君主(斉の桓公など)は無能でも臣下(管仲など)が
有能な覇道であるが故、王道ほどにも実現し難くないかわり、亡道よりは安全であることを認めて。
全てが道義に律された王道と、全てが権謀にまみれた亡道と、どちらほど良くも悪くもない、
全てが信認に基づいた覇道であることが現実的に良いとする。春秋戦国時代の思想家として、
無難な所を行こうとした姿勢が垣間見られ、儒家の保守的な側面が特に強調されている。

112 :井上筑後守:2010/04/12(月) 13:49:34 0
「信」は、覇道のためのものなわけだ。

「惻隠の心は仁の端なり」「羞悪の心は義の端なり」
「辞譲の心は礼の端なり」「是非の心は智の端なり」
の四つが、「孟子」公孫丑章句上で上げられた有名な「四端の説」で、
それぞれが「五常(仁義礼智信)」の「仁」「義」「礼」「智」にもなっている。
ただ、ここには五常の最後一つに当たる「信」が載ってない。

「仁」「義」「礼」「智」の四つに「信」を加えて五常としたのは、前漢の儒者である董仲舒なそうだが、
この「信」はどうやら、荀子が唱えた覇道政治における信認主義のことだったようで、
王道の優位を唱える孟子が覇道を詳細に語りたがらなかったことから、
後から荀子の覇道説などを参考に、「信」が四端の説に付け足されて「五常」となったようだ。

別段宗教信仰の「信」だったりするわけじゃないが、覇道ってのはどうやら契約信認を拠り所と
するようで、神との契約や信仰を振りかざして勢力を拡大するカルト宗教なども、実際には
覇道政治を拠り所にしている。覇道の信認のほうが正体で、宗教信仰は隠れ蓑に過ぎない。

113 :考える名無しさん:2010/04/12(月) 14:18:10 0
まだやってんのかw
恥さらし

114 :考える名無しさん:2010/04/12(月) 14:45:25 O
鏡を見ながら書き込んでるのかい?

ある意味すごい能力だな。自らの鏡映認知を欺いて書き込むとは。

115 :考える名無しさん:2010/04/12(月) 14:49:43 0
こいつ>井上叩くには原文のリンク貼るのが効果的なんだよ
いくらでもてめえで改変しやがるからな
数学スレの責任は取ったのかw

116 :考える名無しさん:2010/04/12(月) 15:30:20 O
責任もへったくれもない。
まだ六十四卦の数理化も終わっておらず、
次スレも想定して末永く使っていく。

大体が、関孝和が創始した線形代数の数理などはともかく、
ユークリッド幾何学だの微積分だのの、無駄な不純物が多く入り雑じる数学全般には、
儒学ほどの価値は微塵もないのだから、そんな矮小な領域だけで王様を気取る
井の中の蛙こそは普遍的に恥ずかしい存在であり、鏡に映った自分たちの姿を嘲笑っているだけに過ぎない。

――まだまだ吐かなけりゃならない毒が多い。
善悪二元論を超えた善一元論、荀子を超える孟子への道は遠い。

117 :考える名無しさん:2010/04/12(月) 15:55:46 0
んじゃまたほざいてますって数学スレのほうに貼っとくか。

118 :考える名無しさん:2010/04/12(月) 16:20:39 O
「易の数理化スレ」には書くな。甚だしくスレ違いだからな。
「数学博士号取ったけど就職先がない亡者たちの慰め合いスレ」にでも書いとけ。
そんなスレがあるのかどうかも知らんが。

数学板の連中には敬語を使って、こちらではタメ口をきくような輩も井の中の蛙。
何百匹何千匹と群れようが、所詮その居場所は井戸の中。

たった一人でも大海を知る者は大海を知り、高山を知る者は高山を知る。
何千匹何万匹という仲間がいようとも、井の中の蛙のままでいるよりはまだ快い。

119 :井上筑後守:2010/04/13(火) 10:28:22 0
君道篇第十二・一の「上は以て王たるべく下は以て覇たるべし(良ければ王者になれ、悪くても覇者になれる)」
という論じ方からも、荀子もやはり覇道を王道よりも劣位なものとして捉えている。それどころか、
王道と覇道を対立概念として論じる孟子以上にも、覇道を王道と比べての絶対的な劣位に置き、
「それでも亡道よりはマシなもの」としての覇道の甘受を論じている。

朱子学の性情論に則るなら、孟子は性を善として情を善悪みそくそとする性即理説そのままを論じているが、
荀子は人の心が適切な礼節教育を受けなければ禽獣同然の悪心となることを真に受けて、
そのまま「人間の性は悪である」とまで断じてしまった。実際には性ではなく情が濁されることで
悪心ともなるわけだが、矯正が不可欠といっても過言ではない人間の成長過程を総合してそう結論付けた。

孟子の論及は聖人君子のあり方についてのみ専門的だが、荀子の論及は聖人君子小人全てのあり方について
詳細であり、孟子と比べてより総合的だといえる。その結果、小人である者でも目指せるものとしての覇道を、
孟子よりも丁寧に述べるようにもなった。小人でも王君にまでなれる方法を法治主義として説いた韓非よりは
中庸を得ていて、地味ではあるものの、孟子にも韓非子にもない微妙な論点の穴を埋めてくれている。

120 :井上筑後守:2010/04/13(火) 10:48:11 0
孟子・・・君子が王者たるあり方を論じる。
荀子・・・小人でも覇者ぐらいにはなれる方法を論じる。
韓非子・・・小人が王者にまでなる方法を論じる。

荀子でいいじゃないか。小人なりに覇者を目指すまでで。
なぜ小人のクセして王者にまでならなければならないのか。
ルサンチマンの解消ごときのために、社会秩序の転覆まで目論まれたんじゃな。

読めば分かるが、小人が王者になる「韓非子」の法家思想に基づけば、
今度は君子が王者になれなくなる。重賞重罰の重賞は小人ばかりに
得なだけで、君子が能力を発揮するどころか抑制される原因になる。
君子と小人が共に王権を目指す社会など成立し得ず、必ずどちらかが
譲らなければならない。君子が王者になるか、小人が王者になるかの二つに一つ。
君子が王者になっても、小人にも覇者になるぐらいの選択肢は残されるが、
小人が王者になったんじゃ、臣下としてですら君子は能力を発揮できなくなる。
小人に絶対服従させられた君子など、牙や爪を抜かれた虎にしかならない。
せめてでも管仲に好きにやらせた、斉の桓公程度の覇者に止まればいいものを。

121 :井上筑後守:2010/04/15(木) 12:33:40 0
荀子は「軽賞軽罰」を主張している(「荀子」到士篇第十四・十など参照)。
賞が重すぎると小人にまで利益が及び、罰が重すぎると君子にまで害が及ぶので、
賞罰ともになるべく控えよと。中でも特に重罰は絶対に控えよと言う。

つくづく「みんなに嫌われる儒家」を地で行っている荀子。
「君子は○○、小人は××」の分別知は荘子が徹底嫌悪したものだし、
軽賞軽罰も韓非子の重賞重罰主義と完全に相反している。
巷がパブリックイメージとして忌み嫌う、儒家のあり方をそのまま具現している。

基本的理念としては覇道を王道より劣位に置きながらも、その覇道を突き進んでいた
秦国を「民も士大夫もよく治まっており、あと問題なのは儒者がいないことだけだ」
などと、墓穴を掘るような発言も行なう(彊国篇第十六・六)。そんなら儒者なんか
いらないじゃん?と思われても仕方ない。しかもその教説も嫌われるようなものばかり。

勧善懲悪の有為を旨とするが無為自然も尊重し、善悪の分別知以上にも
善徳の一概な構築に努め、小人にまで利益が及ぶ重賞は認めずとも、君子にまで
害が及びかねない重罰のほうは甘受する等、多くの妥協を伴った所に中庸の道徳学、
儒家自身の落とし前もあり、それ一つだけで完結すると、荀子のようになってしまう。

122 :井上筑後守:2010/04/15(木) 13:11:17 0
「天下の愚人(議兵篇第十五・二)」
「天下の大笑(彊国篇第十六・四)」

悪例としての小人や亡国も仔細に論じ立ててるもんだから、そのための悪口も豊富。
思わず天下の愚人や、天下の大笑に該当する連中を思い出しもしてにやけてしまう。

子思子や孟子のようないかにも善人らしい善人もいる一方で、
荀子や韓非子のような性悪(しょうわる)も多く輩出しているのが中国。
総員聖人さま状態なインドなどとは違って、善悪賢愚のバランスが取れており、
ちょうど中間にいるのが孔子あたり。「善くも悪しくも〜」が本当に多い。

123 :井上筑後守:2010/04/20(火) 13:25:53 0
「浅きものは深きを測るべからず、愚は知を謀るに足らず、
坎井の鼃(あ。カエル)は東海の楽しみを語るべからず」
(岩波文庫「荀子」正論篇第十八・四より)

井の中の蛙を酷烈に叱咤する弁。
ただ、荀子は性悪説を拠り所として、誰でも学問や礼節のわきまえによって
それなりの人間にはなれることをも主張しているため、この叱咤もあくまで、
未だ「井の中の蛙」である者に対してのみのものであるといえ、そいつらが改悛して
壊れ井戸の中から抜け出す努力を始めるんなら、この弁も当たらなくなる。

124 :井上筑後守:2010/04/20(火) 13:32:03 0
同等の記述が「荘子」外篇・秋水篇にも「井鼃は以て海を語るべからず」などとあり、
荘子のほうが荀子より50歳ほど年配だった可能性が高い所からして(ただし「荘子」外篇・雑篇は
荘周本人の真作ではない可能性が高い)、「井の中の蛙、大海を知らず」ということわざも荘子の
言葉として紹介されることが多いが、「規矩準縄」が墨子や孟子や韓非子など多くの思想家によって
用いられている例からも分かるように、諸子百家は同様のキーワードを使いまわしている場合が多い。
(「荀子」にも「設規矩、陳繩墨(儒效篇第八・三)」などの記述が見られる)

荘子が無為自然の実践で以て、「井の中の蛙」に当たる愚人の向上不能性を諦観する一方、
荀子は「上知と下愚は移らず(論語・陽貨第十七・三)」の前提はわきまえつつも、ある程度は愚人
であっても教育や礼法によって正されていくことが可能であるとしている。性悪論者であるからこそ、
性善論者である孟子などにはない、愚人や大笑に対してまでの緩和ケアが行き届いている。

125 :井上筑後守:2010/04/21(水) 09:55:10 0
「井の中の蛙は、東海“の楽しみ”を語るな」と言っているあたりが、ニクイところだ。
安からざる所に安らぎ、楽しまざる所に楽しむ愚人を「狂生(君道篇第十二・四)」とも指摘する。
荀子こそは元祖ウレシ糾弾者であり、ザラスシュトラや釈迦に次ぐ罪福の確信者でもある。

孔子は荀子ほどにも善悪の分別知がガチガチではないし、孟子も実践的な善一元論者。
善悪を分別してその果報を察知するのは、非常に静的な思索を要するため、世俗での
積極活動をも目論む儒家においてはそれほど徹底されない。善悪を分別しての断悪修善
以上にも、実践の中でこそ実現しやすい勧善懲悪のほうを主観的に追い求めていく。

126 :井上筑後守:2010/04/25(日) 19:14:36 0
岩波文庫版の読み下しと訳文で、「荀子」全文を読了した。

理論体系としては、ちっとも悪いとは思えない、至れり尽くせり(荘子)な構築になっている。
自分自身での理論構築に乏しかった孔子とも違うし、善一元論で君子や王者のあり方のみを説く
孟子とも違う、聖人と君子と小人全てについて詳細かつ理論的な説明を展開している。

ただ、それでいて荀子は性悪論者でもある。
理論の自己創作や万物への説明という、孔子や孟子が避けた手段をもやり尽くしたことで、
自然と性悪論者になってしまい、自らもまた「天下にしめすに愚を以てせり(堯問篇第三十二・七)」
というような実践しか行なうことができなかった。天下の愚人を大笑いした挙句、自分もそうなった。

ミイラ採りがミイラになって、善悪みそくそで自分自身も性悪になってしまったのが荀子。
正名篇第二十二における、論理的誤謬による詭弁を防止するための、古王の語法に基づく
名辞の遵守など、心から頷きたくなる論弁も多いのに、理論体系を構築するための、劣悪な
反面教師(小人や詭弁家)への指摘も踏まえてしまったために、性悪論となってしまった。

そうならないためには、反面教師の劣悪さなどをいちいち取り上げず、
優劣貴賤全てについて語る体系構築も避けねばならない。孔子のように創作を忌んだり、
孟子のように善一元論に徹したりしなければならない。そうしなければ悪一元論の
体系構築者・荀子になってしまう。儒学においては孔子や孟子からも一歩退いた所にいる。

127 :井上筑後守:2010/04/26(月) 09:46:55 0
「荀子」を読み終えて、矢継ぎ早に岩波文庫版「列子」を読んでいる。
後世の再構築や偽託などでない、正真の諸子百家の原著で未読なのはあとこれだけ。
冒頭の天隋第一からすでに、興味深い話が多く載っている。

列子が衛の国で百年は経つかという髑髏を見つけ、弟子の百豊に
「わしとあの髑髏だけが知っている。生にも死にも実体はなく、
死を喜ぶことも悲しむこともないのだと」と語る(天隋第一・四)

髑髏を死の象徴ではなく、生死を超えた物化の象徴として捉えている。
人間の生き死になど、天地万物を包含する道からすれば大した区別はないのだから、
死などを憂えても仕方がない。かといって喜ぶのもまたおかしい。「生は死を知らず。
死は生を知らず(天瑞第一・十四)」であり、人間的な感情で死は推し量れない。
ただ人間的感情を完全に諦観する者だけが、生死を超えた道との一体化を果たす。

128 :井上筑後守:2010/04/26(月) 10:00:27 0
中国思想においては形而上的な意味合いの強い道家であっても、
死後の世界の感情的理解などには全く参与していない。
感情的な理解が及ばないでこその死。感情は生きている者の特権に他ならない。

生死を超えた道を説きはするが、そこに焼け付いた情感を差し挟むのは
おかしいから、「虚静恬淡寂寞無為」が道家における実践となる。
感情の差し挟みようのない万物斉同の沽券を道家が保ったことにより、
世俗の道徳学である儒家のほうは、存分に生存中の活きた知見の養生をも成し得た。
死や生死全体に感情を差し挟む余地はないが、生だけには情的理解も通用する。

生きて善行を為せば楽しく、悪行を為せば苦しい。生きているからこその情的理解。
それは、存命中の人間にとってこそ分かること。死後の世界の安楽だの苦痛だのは
分からなくて当然だが、生きている間の苦楽は誰にでも理解できる余地がある。

本当は理解できるわけのない、死後の世界における昇天だの堕獄だのを
中毒気味の誇大妄想によって捏造し、それらの詭弁情報による撹乱や隠蔽によって
逆に生きている間の苦楽がよく分からなくなったりもする。情的理解の余地のある
生と、余地のない死との両方への知見のわきまえを逸脱した時に、
人間は死後の世界を分かった気になって生存を蔑ろにする。
傍目には自殺行為にしか映らない活動は、全てそのような精神状態に基づく。

129 :井上筑後守:2010/04/26(月) 10:35:16 0
岩波文庫版「列子」の注釈で、ノーベル研究所所長の列子評が引用されていて、
列子の杞憂に関する記述などからも、中国人の空想への拒絶意識が窺えるから、
「要するに、中国人の万有に対する考え方は古代ローマ人のと同じである」と締めくくる。

強要文庫「中国神話伝説集」の解題でも、中国神話の些少さをローマ神話のそれと
同列視しようとする見解が述べられる。とかく現代人は東洋文化を西洋文化に
照らし合わせて考えたがるが、空想や神話伝説を欲さないからといって、昔の中国が
古代ローマ並みに文化性が乏しかったわけでもない。死に感情的理解は通用しないことを
踏まえた上での形而上論は道家として、生こそは人間的苦楽の本場であることを
わきまえた上での世俗学は儒家として、それなりに文化的隆盛を誇ってきたのだから、
空想や神話伝説への興味すなわち文化性の豊潤さのような色眼鏡で中国文化を見てはいけない。
いちいち西洋などと比較対照するのも、ミイラ取りがミイラな荀子的性悪論への立ち戻りともなる。

130 :考える名無しさん:2010/04/26(月) 13:45:46 0
それがどうした?
小学生の感想文以下だな
これからちょくちょく邪魔しますんで

131 :井上筑後守:2010/04/26(月) 14:48:52 0
人様の財物を盗む社会的強奪行為は、陰陽の和気を盗み取って生きることが許されている
人間にとっても、罰を与えられざるを得ない自業自得の所業だとさ(「列子」天瑞第一・十六)。

善悪を相対化して万物斉同をわきまえる道家も、世俗での犯罪行為による刑罰が免れる
などとは決して言ってない。私利私欲に目が眩むのも、無為自然の境地からは程遠いしな。

132 :考える名無しさん:2010/04/27(火) 07:45:38 P
>>1さんへ

【八卦】易の数理化【六十四卦】
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/math/1264322527/

にて、ありもしない事実をでっち上げたと疑いが持たれています。
具体的には
>そもそもこれ以上微分要素を持たない、線形の絶対的初期項が
>物理学上はすでに発見されているので、微積分全体が物理数学としては
>オシャカになっている。後は実用不能な抽象数学としてしか、
>微積分がこの先生きのこる道は残されていない。

このような文章は何をソースとして記載されたのかをお答え下さい。

133 :考える名無しさん:2010/04/27(火) 09:34:53 0
別に強盗殺人の罪を犯したわけでもないのに、
そんな証人喚問みたいな態度で詰め寄られる筋合いもない。
気分が悪くなるような態度の相手には、まともに取り合わない。

虚言で元々、真相ならしめたものなのが、2chの情報だろ?
情報発信者の説明責任などに逐一こだわるんなら、
そっちこそが学会なりなんなりにでも引き篭もってればいい。

134 :考える名無しさん:2010/04/27(火) 10:10:48 P
別にそんな仰々しい話ではないんですが(汗
数学板なんて単に知的好奇心で覗いているだけですし。
数学の学会なんて参加した事もないですよ。

それと同様に知的好奇心から線形の絶対的初期項うんぬんの話が
どこから出てきたのか聞きたいだけです。
ネットで調べた限りでは当然こんな話は存在しないです。

雑誌なり新聞なりで読んだ話であればある程度こちらで
調べるのでどこで読み聞きした情報なのか教えていただきたい、と。
それも無理なんですかね?

批判するために質問している訳ではない、という事はご理解ください。
>>1さんも知的好奇心から易を研究しているのでしょう?
スタンスは>>1さんと一緒ですよ。

135 :考える名無しさん:2010/04/27(火) 10:22:19 0
金回りのいいところにその情報はない。
むしろ利得を捨て去って徳行に専念しなければならないところにこそある。

知的好奇心だけがあるんならともかく、
だいたいその好奇心は利欲をさらなる原動力としている。

自分たちの利益になる情報だけを知りたくて、分かりたい。
自分たちに不利になる情報など知りたくもないし、分かりたくもない。

大抵の学者や知識人も、結局のところそうでしかないから、
身をなげうってでも真理や道理を会得する聖賢の境地には寸分も近づかない。

136 :考える名無しさん:2010/04/27(火) 10:48:22 P
・・・ええっと

結局のところどこで見た情報なんですかね?

137 :考える名無しさん:2010/04/27(火) 11:10:12 0
利欲が最終目的の連中になど教えたところで、
利益にならないと見るや理解を打ち捨て、正しい情報であっても
間違っているかのように喧伝したり、あるいはその存在から隠蔽したりする。

人にとって知識よりも重大なものは確かにあり、
君子だと仁義や礼儀である一方、小人だと私利私欲の我田引水である。
まず、自分が知識よりも大事にしているのがいずれであるのかを
明確にしてからでないと、教えるだけ有害無益にすらなりかねない。

138 :考える名無しさん:2010/04/27(火) 11:40:55 P
知識を得たい欲求を満たそうとするのは人間の本質であると思います。
その欲求から私は質問している訳です。それ以上でもそれ以下でもありません。

仁義や礼儀はおっしゃる通り非常に大事ですね。
私のやっているのは私利私欲、我田引水かもしれません。
しかし、それでもなお、情報源がどこにあるのか私は知りたいのです。

どうか情報源を教えてください。
よろしくお願いします。

139 :井上筑後守:2010/04/27(火) 11:52:42 0
「列子」黄帝二・五には、列子が先輩の老人に見事な弓の腕前を披露して、
「そんなものは有心の射であって無心の射ではない」と指摘され、
高山の頂きに登らされて淵を見、恐れすくんで震え出すという話がある。

あまり大家然としていないのが列子の特徴だとされるが、
万物斉同を極めれば、もはや誰が大家たらんとする必要もないのかも。

ちょうどこの列子の弓の腕前のような、有心の作り込みの塊が現代文明。
万物を見据える大局情報の前では、その全てがすくまざるを得なくなる。
有心ならではの技巧的作り込みは、万物を把捉する無心の境地と相反し、
無心を得ると技巧は衰える。だから封建主義社会においては、猥雑な
技巧を要する産業従事者と、天地万物を見据える君子士人とは身分が
厳格に区切られていた。お互いに精神面で相容れない部分があるから。

140 :考える名無しさん:2010/04/27(火) 12:00:34 0
仁義や礼儀と、我田引水や私利私欲は相反する。
前者を取るなら後者を、後者を取るなら前者を捨てなければならない。
我田引水や私利私欲の持ち主である以上は、仁義や礼儀を蔑ろにする。
たとえ言葉では肯定しても、実践で必ず仁義や礼儀を毀損する。

新しく得た知識も、仁義や礼儀を毀損する我田引水や私利私欲のために用いる。
それは仁義や礼儀を重んじる側からすれば有害無益なことなので、協力もできない。

そもそも我田引水や私利私欲を満たすような類いの情報でもなく、
かえってその欲望の炎に冷や水をぶっかけるような情報に過ぎないので、
そちらの望みに応えてあげるという意味でも、情報の提供に意義を見出せない。
利用目的のない知識などどこにもなく、目的が不当な知識はもういらない。

141 :井上筑後守:2010/04/27(火) 12:39:22 0
時間の可逆性もなければパラレルワールドもない、反重力もないし、
形而上の超越神などももちろんいない(いてもこの宇宙とは関係ない)。

まことに、天地万物の根本たる「道」は、真相に忠実に即すのであれば、
道家のように素朴であるのが適当であった。正解であり、限度であった。

142 :井上筑後守:2010/04/27(火) 13:08:54 0
「列子」黄帝二・八では、孔子の弟子顔回が見事な腕前の船頭に出会い、
舟を操る秘訣を聞くと「水の中を自由に泳げることだ」と返されたという。

水を恐れないから舟を漕ぐこともうまくいく、
天地万物全てを知っていればこそ、その中に漕ぎ出す人間社会という
船の舵取りもこなせるようになる。「道」を知ることは確かに世の中を司る
為政者などにとっては大事な勉強になる。一方で>>139にも書いたとおり、
瑣末な技巧だけの上達を欲する下民などにとっては、「道」というのは
知ったところで恐れすくむばかりで、扱いにあぐねるものとしかならない。
道とか徳とか仁義とか礼儀とかは、小人の望みを叶えてやる特性を持たない。

143 :考える名無しさん:2010/04/27(火) 18:57:16 0
    ↓   ↓

人  君 ⇔ 小
格  子   人


         私
理  仁 ⇔ 利
念  義   私
         欲

         我
実  礼 ⇔ 田
践  (儀)  引
         水


知  (大)  小
識  智 ⇔ 知



信  (正)  狂
心  信 ⇔ 信

144 :井上筑後守:2010/04/28(水) 09:50:26 0
後ろ向きな言行からは、後ろ向きな言行しか派生しない。
どんなに正論で応対しようとも、応対しようとしている相手が小人である以上は、
自らの言行にも少なからず小人らしさがまとわり付いた結果となる。

されば「ミイラになったミイラ取り」として異端の儒者扱いされた荀子にはなれようとも、
模範的な儒者である孔子や孟子のようになることはできない。
ただ一概に善徳に向かってまっしぐらである時にのみ言行も活性化し、
そうでもない時は、たとえ自分の側が正論に努めるのであっても積極的な言行は避ける。

少しでもみそにくそが混じるような時には、即刻儒家から道家に移行して、何も言わず、
何もしない。「至言は言を去り、至為は為す無し(列子・黄帝二・十)」に沿って。

何もしないだけでなく、何も言わないことも道家の実践のうち。
あくまで儒家に沿った発言を心がけ、道家に沿おうとしないのもそのため。

145 :井上筑後守:2010/04/28(水) 13:43:15 0
岩波文庫版「列子」の訳者は、黄帝二・十の「至為は為す無し」を、
「最大の行為は〔人為を捨てた〕無心の行為である」と訳している。
「至言は言を去り」は、ちゃんと「最高の言葉は物言わぬ沈黙であり」と訳しているのに、
心神喪失状態の多動性障害という、無為自然から最も程遠いものを「無為」の訳文としている。

この訳者は、岩波文庫版「孟子」滕文公章句上・三でも「恒産なき者は恒心なし」を、
「決まった職業や収入のないものは、とかくゆるがない道義心はなくなりがちなものです」と訳している。
畜生働きの火付盗賊などは、道義心のかけらすらもかなぐり捨てて定職や一定の収入を得ている。
「恒産」を単なる職業や収入ではなく、生産労働や生産的労働と訳してこそ、孟子の意図にも沿う。

岩波文庫だから、そんなに高級な訳注ではないにしても、それなりに定評のある訳のはず。
それですら、現代的な偏見に基づく曲解や誤訳が平気でまかり通り、誤りが指摘されることもない。

金儲けが目的なら学術出版ですらも歪曲され得る。いわんや商業出版や商業メディアをや。
現代の学者や知識人はみんなそのペースを許容しているのだから、学力や知識が豊富であっても
君子士人としての素養がないのは明白。仁義道徳を共に語れる仲間が今の世にいないのは寂しいし、
ここで引用するときも訳注者の記名などはなるべく避けている。商売人と慣れ親しむ気にもなれないので。

146 :考える名無しさん:2010/04/28(水) 13:50:34 0
くだらねえ批評スレ
さら仕上げ

147 :井上筑後守:2010/04/28(水) 13:56:13 0
無為を「本当に何もしなければいいわけではない」と
初めて曲解したのは、韓非子だったけか(解老第二十)。

権力機構の腐敗を容認したままでの事なかれ主義を無理矢理、無為自然に当てはめる。
そういう考え方は法家としてはあったわけだが、決して道家の本流に即してはいない。
無為自然を「何もしない」として本当にそのまま実践し、「機械あるものは機事あり(荘子)」
であるために、複雑な社会機構を構築することから全否定するのが本物の道家思想。
法家の事なかれ主義との混同を避けるぐらいのことは、学術上当然義務付けられる。

148 :井上筑後守:2010/04/28(水) 14:02:19 0
職業ライターではないので、読者を楽しませるようなことも書く気すらない。

破綻だらけのシェイクスピア劇は読むには面白くとも、実際に起きれば悲惨。
円満尽くしのカーリダーサ劇は読むにはつまらなくとも、実践すれば最高に楽しい。

読んで面白いもの、聞いて面白いものではなく、実践してこそ最高に楽しいものを。

149 :考える名無しさん:2010/04/28(水) 14:14:58 0
スレの私物化はルール違反なんだな

150 :井上筑後守:2010/04/28(水) 16:30:02 0
どぉ〜こが私物化なもんか!

東洋教学中でも最も代表的なのが儒学や仏教、
その儒学や仏教が肯定して憚らない仁義や道徳を
実践面から務めていこうという、極めてスレの主旨に沿った書き込み。
巧言令色で他者の気を引いたりしないのも、自分の私的な恣意によって
論調の征服を試みたりしないため。美辞麗句で相手を丸め込んだり
しようとするほうが、よっぽどその領域を私物化する思惑に当たる。

151 :井上筑後守:2010/04/28(水) 16:40:58 0
前スレでもちょっと書いたが、東洋教学はその分量も半端じゃない。
たった一人の人間がどんなにがんばった所で、一生のうちにその全てを
会得するなんてのは到底不可能な話。だから協力的な書き込みは大歓迎だと、
スレの始めのほうから「来る者は拒まず、去る者は追わず」の姿勢を貫いている。

それでも結局は俺一人ばかりが書き込む破目となり、誰も追随すらしようとしない。
ちっとも望んですらいないのに、未だ独走状態の自学自習が続いているのはなぜか?

金儲けのためにしか動いてないからだ。今の人間は。

東洋教学の主題中の主題である仁義や道徳、不増不減の真理などとは
真っ向から相反する金儲け、商売のためだけに誰しもが動かされていて、
万物を利して我が利とする仁義などの実践的論及に少しも参与することができない。

明らかにサービスを仕事としている人間だけでなく、公務員や学者ですら
金儲け抜きには何も積極的な活動などできない。だからまともにこのスレにも
参加できない。そんなに超専門的な資料を扱ったりしてるわけでもない現時点での
論及にすら、ろくに参加することもできない。仁義も道徳も真理も何もかも
かなぐり捨てて、ただ金儲けのためだけにしか何もしないから。

152 :考える名無しさん:2010/04/28(水) 16:59:37 0
井上さんは応援してるんだけど話題が込み入ってて読むだけになってしまう。
前に一度か二度井上さんと議論になった時丁寧に答えてくれて嬉しかった

153 :考える名無しさん:2010/04/28(水) 17:22:56 0
      _,,,,,,,,
     , - ' ゙    `` ‐ 、_,,,,,
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 |.   ,'           //     近代に先祖が4代も不明なら、信成よ、おまえはワシの末裔じゃないだろう
. ',. ,'           , r' 
.  ゙, ゙'ー ‐`      l  |
   ゙、''゙ ,,、二''‐    ノ  l、
''''''''7'ヽ  '''    /   /`〉`゙T''''''''''  
  l  ` 、,,,,、- ' "    / /.|  |   織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】 
.  |  |  .l i       / ./ |  |    http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/
  |  |  | l      / ./ .|  |
. |  |   | l     / /  |  |
 |  |   | ',   / /  l  .l


154 :井上筑後守:2010/04/28(水) 17:43:59 0
別に、無理に話を合わせてくれなくたっていいんだ。
NHKのラジオ講座じゃあるまいし、あまり出回ってない版で読んでる場合も多いし。
それぞれが自分で個人的に勉強していることを自由に書いていけばいい。
それを他の人間が読んで勉強させてもらったりもできる。

「列子」を読み終えて、あと「史記」を読み終えれば、
紀元前の代表的な中国思想文献は一通り読み終わる(小物はまだ山ほどある)。
まだまだいくらでも資料はあるし、インドやアラブもある中での、中国だけでの話。
ただ、専門的になり過ぎて余計付いてこられなくなるだろうことは予想される。
あくまで個々人が自分のペースで勉学に努めるスレになればと思う。

155 :井上筑後守:2010/04/28(水) 17:49:54 0
>>16で示したように、犯罪が道徳を分量で圧倒する火水未済を避けて、
逆に犯罪のほうを道徳の制御下に置く水火既済に社会全体を持ち込むためには、
一人や二人道徳者がいるだけはいかず、道徳者の大量生産が必要になる。
たった一人、諸葛孔明のような突出した大英雄が現れたところで、本人に依存して
周りの将兵が小粒になったり、皇帝(劉禅)までもが依存して国を傾けたりする。
そうならないため、あくまで権力道徳は裾野が広く、山頂まで木の生い茂った山
のようにならねばならない。山高き故に貴からず、木あるが故に貴しとなす。

156 :井上筑後守:2010/04/28(水) 18:08:47 0
質ばかりを上げて量を蔑ろにしたのでは、道徳優位犯罪劣位の水火既済には持ち込めない。
時には子供だまし程度のものであっても、方便による釣りも社会運営には必要なのだと、
「列子」黄帝第二・十九の「朝三暮四」の逸話なども皮肉たっぷりに教えてくれる。
自分も少しぐらいはそのような方便を、練習程度に試みてみようかとも思う。
あんまり程度の高い話ではないので、分かってる人間は適当に聞き流してくれればいい。

157 :考える名無しさん:2010/04/28(水) 19:28:35 0
自己完結しすぎた文章でレスしづらいってのもあるかも
でも井上さんは好きだよ

158 :井上筑後守:2010/04/28(水) 22:04:15 0
仁義の持ち主は、全世界全人類の総資産をも我が物とする。
万物を利して我が利とすることは、社会全体の財産を我が物ともする自覚に根付く。

実践的には国家社会などの運営となり、相応の給料をもらう公務員などになるわけだが、
あたかも夫が自分で全収入を稼ぎながら、家計は妻に任せて小遣いをもらうようにして、
あくまで自らの仕事を、全社会を取り仕切る大局的なものとしてわきまえるのが仁義。

全地球人類社会を我が資本とする仁義の持ち主からすれば、アメリカのような資本大国も
自らの領地の一部に過ぎず、何億何兆もの資産を囲い込む大富豪も領民の一人に過ぎない。

個々人や個々の国家が貯めこんでいる金や兵器なども、全世界の部分に過ぎないのだから、
全世界を我が物とする仁義の持ち主からすれば、その部分の利権だけにこだわる人々や
国々は自分より「貧しい存在」である。全体が我が物である場合と比べて、部分が私有物に
過ぎないものが貧しいのは当然のこと。だから万物を利して我が利とする仁義の持ち主は、
どんな大国や大富豪よりもさらに多くの領地や資産を有する。たとえ私的に活用できる
利権がごく少なかったところで、一人の人間が自分のためだけに活用できる利権など、
いつでもごく限られた範囲に止まるのだから、私益がどうであるかと仁義とはあまり連動しない。

全く連動しないわけではないが、一銭単位で連動するわけでもない。万物を利することは
確かに我が利ともなり、一人や二人の人間が普通に生活する程度の私益は当然得られる。
利は誰しもが欲する所だが、義に基づかずんば取らず。義に基づいている場合に取るだけでも、
本当は人間ってのは自分が生活する程度の私益は得られる。本当に仁義をわきまえられていれば。

159 :井上筑後守:2010/04/28(水) 22:10:40 0
どんなに強大な大国であろうとも、そこに仁義がないのならば、
仁義の持ち主であるたった一人の匹夫よりも弱小だ。

どんなに莫大な資産の所有者であろうとも、そこに仁義が欠けているのなら、
菩提心(仏教版仁義)の持ち主である無一文の乞食よりも貧乏だ。

なまじ、不正な手段で部分の強大さや裕福さの肥大化に努めたぶんだけ、
なんの取り柄もない庶民以上にも、仁義や菩提心の会得に難儀する。

160 :考える名無しさん:2010/04/29(木) 00:06:07 0
愛は独占したがるが、仁は独占しない。
万物はことごとく我が物であり、誰しものものでもある。
いじけた陰りを全く持たない、一切皆是のにこそ誰も付いて来ない。

そもそも、付いてくるものでもない。
限定も選抜もない、あるがままの全てはすでに我が物なのだから、
無理に従わせる必要もなく、そんなせせこましさはこちらにもない。

161 :井上筑後守:2010/04/30(金) 19:14:11 0
列子は荘子などと比べれば、親儒学的な傾向が強いように思う。

道家は万物斉同を無為自然によってこそわきまえようとするので、
勧善懲悪への積極性を持つ仁義は直接肯定しない。それは列子も同じことで、
天瑞第一・十二などにおいて、実践理念としての仁義の脆弱さを指摘している。

しかし、仁義も実現できるんならそれに超したことはない、本物の権力者である王様が
些細な武力での勝負などを超えて、天下万民を豊かにすることで、いかなる武力
によっても倒せない(倒す意味のない)最強の存在になれるのだから、
それは口先だけの思想家に過ぎなかった孔子や墨子以上もの功業となると、
黄帝第二・二十一で傍観的に説明される。仁義など現実には無力であると
いいながらも、実現するんなら仁義は好戦主義などよりよっぽどいいものとなると、
道家でも認めている。あくまで自分たちの本分は無為自然であるとした上で。

162 :考える名無しさん:2010/05/10(月) 17:18:08 0
『四柱推命』『功過格』因果応報と功過応報 曹洞宗 真言宗 数を試みる
など  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1197684362/325n

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1197684362/311-314n

163 :井上筑後守:2010/05/10(月) 18:52:17 0
火が熱いこと、水で溺れることも知らないからといって、
水火をものともしない超人が「列子」黄帝第二・一を始めとして頻繁に描かれている。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」は、インドではジャータカにおけるウサギの話などとして、
中国では「列子」などにおける分別の超越による水火からの解脱として提示されている。

水火の優劣に関しては、ここでも「易」における水火既成と火水未済の対比などで
散々示しているが、陰陽の調和が水火のイザコザにも喩えられるものとした上で、
結局そのような水と火の争い、善と悪の争いを超えるということが、道教や仏教では試みられている。
道教だと、善悪の分別知を超えることで水火をものともしない至人(超人)となることが目論まれるわけだが、
仏教の、特に他力本願の浄土教においては、左に大火が燃え猛り、右に大水が溢れ返る道を
お釈迦様の導きと阿弥陀様の誘いによって渡って行き、濁悪のはびこる現世から
悉皆金色の極楽浄土へと往生することが「二河白道の比喩」として提示される。

この比喩に基づけば、殊更な善である水や、殊更な悪である火のいずれによる不幸をも潜り抜けて、
煩悩愚縛の凡夫が極楽浄土へと導かれることになるわけだが、水火のいずれにも突入することなく、
平穏無事に人生を終えて極楽浄土へといざなわれるのは、分別知の超越によって水火をものとも
しなくなる道家の方針とは全く異なる。善も悪も、水も火も一手に引き受けてそれでもどうとも思わない
超人的なあり方とはまた別に、水火による翻弄をことごとく打ち滅ぼしてしまうのが念仏、南無阿弥陀仏。
中国浄土教の創始者曇鸞が、道教の仙術書を焼き捨てて念仏に専心したのにも、こんな事情がある。

164 :井上筑後守:2010/05/10(月) 19:15:26 0
「列子」湯問第五・七では、「太陽は日の出や日没の頃に近づいているのか、
日が真上に達する正午に近づいているのか」という小児の問答に対して、
孔子がうまく答えを返せずに、小児たちに嘲笑われるという話がある(たぶん創作)。

「日出や日没に太陽は一番輝くから」というのが、「日出日没が太陽が一番近づいている時間だ」とする小児の意見で、
「正午に一番気温が温かくなるから」というのが、「正午が太陽が一番近づいている時間だ」とする小児の意見。
事実をいえば、昼夜は地球の自転によるものであって、太陽の遠近によるものではないので、太陽の距離は変わらない。
ただ、孔子に限らず、当時の世界においてそのような地動説の把握はなかった。だから孔子も返答に窮した。

それじゃあ、孔子が「誰があなたを物知りだと言ってるんだい?」と小児たちに嘲笑われたのが惨めだったのかといえば、
そういうわけでもない。易経を三回綴じ糸が切れるほども読み尽くしていた孔子には、全世界全宇宙の全容は
十分に理解できていた。しかし、太陽が時間によって近づいているか遠ざかっているかのような「小知」については、
孔子が易から学んでいたような「大知」によっては導き出されない。君子は小知せず大受すべし(衛霊公第十五・三四)。
たとえ創作であったとしても、孔子の自ずからの模範性をを具現化してしまった、今となっては微笑ましい逸話だ。

165 :考える名無しさん:2010/05/10(月) 19:51:19 0
×最後に笑うのは僕だ。
○最後まで笑えるのは俺だ。

166 :井上筑後守:2010/05/11(火) 19:21:26 0
岩波文庫版「列子」を読了した。
非常にあっけない、元も子もないつっけんどんな寓話が多い。
怪力無双で知られる黒卵に親の敵討ちを挑む虚弱者来丹が、
斬ったその場から傷口が閉じていく宝剣で黒卵を息子共々斬り裂いて帰っていく。
もちろん傷口は閉じて、黒卵もその息子も無事生き延びるという、そこで話は終わっている。

だからどうなの?と。仇討ちなどするべきではないとでも言いたいの?となる。
儒教的な忠孝主義とは相反する主張も多く書いてある道家の書、
忠臣蔵などの多くの忠義劇を生んだ日本でも、列子はよく読まれてきている。
結果として仇討ちをすることもあれば、法然上人のように怨恨の連鎖の防止を父親に
諭されて出家した例もある。いつも必ずどちらかだけでなければならないなどということを
儒家も道家も擁する東洋教学全体が断言していたりはしない。ただ時宜に即するまで。
仇討ちをするのであれば孝道に則って敢行する覚悟を持ち、しないのであればしないで
諦観もできる、どちらにでも飛び移れる度量の広さこそが中国思想全体で養われる。

167 :井上筑後守:2010/05/11(火) 19:38:09 0
孔孟や老荘ほどではないが、「荀子」や「列子」もそれなりに多くの人々に読まれてきている。
「荀子」の性悪論や覇道政治もだが、「列子」における「杞憂」「朝三暮四」「男尊女卑」「愚公移山」
などの数々の故事成語も広く人口に膾炙している。ただ、それにしても「荀子」や「列子」には、
原文にまで当たれば、聞きなれない難読語なども数多く見られ、一言一句全てが徹底的に
噛み含められている「論語」等ほどには、金科玉条とされていたわけでもないことが分かる。

それじゃあ「荀子」や「列子」がまだ消化されきっていないのかといえば、それも少し違って、
むしろ「孟子」や「荘子」のほうにこそ、まだまだ消化しきれていない茫漠たる記述が数多く見られ、
それと比べれば「荀子」や「列子」は、その内容の享受がすでに飽和状態にあるように思われる。

四書五経の四書のうちに「論語」と共に「孟子」が入れられ、「老子」と「荘子」がよく併記されるのは、
「論語」や「老子」が古代中国思想の究極である一方、その教えを忠実に受け継いで、しかも
よく発展もさせ、2000年以上の時を経ても消化しきれないほどの有機的な論注を加えたのが
孟子や荘子であったから。荀子や列子も、孔子や老子の後継者とはなったものの、孟子や荘子
ほどにも順当かつ発展的な継承はなされなかった。だから孔>孟>荀、老>荘>列という評価が
定着している。今の時代まで残されただけあって、荀子や列子も相当な完成度ではあるんだが。

168 :井上筑後守:2010/05/11(火) 20:08:41 0
岩波文庫版「列子」下巻の最後尾には、
「老子とカント」という訳者の小論文が附録されているが、読み飛ばした。
みそくそな文章は、もう一行たりとも自分からは読まない。
ただ無益なだけでなく、有害でもあるから、害を避けてな。
利害を無みして水火をものともしない道家ではなく、二河白道を渡り行く
念仏のほうが自分にとっては実践の対象。道家はやはり仏教には劣る。

「列子」訳者の小論文を読まない代わりに、同じぐらいの分量の「孝経」を読んだ。
「礼記」あたりには書き尽くされていることで、別段真新しい発見もなかったが、
「親の過ちには身を挺してでも抵抗しろ」という十五章の記述などで、
決して親の奴隷と化すことなどが孝道ではないことを再認識した。
玄宗皇帝自ら注釈し、孝謙天皇が(聖武天皇の弔いの意も込めて)
一家に一冊の配布をも布令した、ごく一般的な通俗書の中にも、
過ちを犯す親への諫めが述べられていたことは、特筆に価する。

169 :井上筑後守:2010/05/11(火) 20:24:38 0
次はね、「史記」を読むつもりなんだよ。
紫式部や水戸黄門も読み込んだ、人類史上最高の歴史書にして文学書である、史記を。

四書五経全文の3分の2程もの分量があって、新釈漢文大系版も未完。
国訳漢文大成版との対照などで原文から読めないこともないが、
「訳文でもいいから漢籍は全文を読んでおけ」という個人的な方針にも従って、
平凡社「中国の古典シリーズ」版の訳文で読んでおく(中国古典文学大系版、ちくま学術文庫版とも同じ)。

邦訳版ですら、アリのように小さな文字で1200ページ以上もの分量に上る。
誰しもが「史記」を原文で全読する体裁すら整えられていないのは、由々しき事態だと思う。
大量の古文書を参照できる、一部の学者などに独占させておくべき段階の書物ですらないのに。

哲学書や思想書ではないので、ここではあまり詳細な論評を書いていくつもりもないが、
全読した猛者(今の時代だから)の助言があれば、ぜひ聞いておきたいものだ。

170 :考える名無しさん:2010/05/12(水) 09:19:54 0
読書家の井上さん頑張れ

171 :井上筑後守:2010/05/12(水) 10:56:45 0
初っ端の「史記」五帝本紀から、太史公こと司馬遷が直言してんぜ。
「諸子百家の文体は典雅でもなく、理にかなってもいない」ってな。

錯綜した戦乱の時代に、何とか実用的な意見だけを精製した諸子百家は、
やはり文飾面では拙劣なものだった。戦国時代後期の「荀子」や「韓非子」あたりだと
かなり技巧的な記述も見られるが、それでも第一級の文学とするには足らない。
あくまで純粋な思想だったのが諸子百家。「論語」や「孟子」ですらその内に入る。
後世の偽託でない当時物は全て読んだが、やはり司馬遷の言うとおりかと思う。

172 :井上筑後守:2010/05/12(水) 11:30:21 0
やはり、大文学は平和な時代にこそ作られる。
前漢中期に書かれた「史記」もそうだし、平安時代の「源氏物語」もそう。
漢詩も春秋戦国時代にはほとんど詠まれなかった(例外として「楚辞」などがある)。

戦乱期に詩書のような本格文学は発達のしようがない。
人々が荒廃に喘いでいる中で無理に言葉を飾ろうとした所で、不誠実になるのみ。
諸子百家の文飾の拙さは、むしろ当時の思想家たち自身の誠実さの表れでこそある。

173 :井上筑後守:2010/05/14(金) 13:23:35 0
「史記」秦本紀・繆公三十四年に、繆公が戎からの使者由余と面会し、
その話しぶりから道術を会得した聖人であることを知った。
「『隣国に聖人がいるのは自国にとっての禍だ』と言われるが、どうしたものか」
と内史官らと相談し、戎王と由余の仲を引き裂いて自分の側に付ける工作を試み、
成功して、三十七年には由余と共に戎王を討ち取って西戎に覇を唱えている。

無為自然の道術の体得者であったにも関わらず、秦の覇王にいいように操られて
覇権主義の拡大に加担させられた聖人。弘法大師も道家より劣る部類に入れている、
儒家の徳目である「乱世には世を避ける(易経、論語など)」すら果たせはしなかった。

乱世においては、聖人ですら悪用されかねない。だからやはり、状況によっては世を
避けもする隠遁志向のわきまえにも、確かな意義があるのだという実例になっている。

174 :考える名無しさん:2010/05/14(金) 19:34:31 0
聖人じゃなかったということじゃないの?単なる裏切り者だったんじゃ?

175 :井上筑後守:2010/05/14(金) 22:43:28 0
聖人は、俗世で実力を発揮しようと思えば発揮できる。
周武王を戦略面で補佐した太公望呂尚や、
三国時代に蜀漢の丞相として君臨した諸葛亮孔明がその例。

ただ、聖人なだけに、俗世の常人からは並外れた馬鹿力を発揮してしまい、
大局を独裁し過ぎてしまうきらいがある。放伐革命によって周をのし上げた結果、
殷代まで用いられていた帝号を排して王号にさせたり、自分ひとりであまりにも
蜀漢を切り盛りし過ぎたために、後継が追いつかなくて二代限りで滅亡させたりする。

無為自然の自己修養の中で、度外れした実力を養っている場合があるのも確か。
だから聖人は建て前上はあくまで無為こそが本分である。為すこと無くして為さざる無きなり。
俗世の実権者としてちょうどいい実力を発揮できるのは、良くも悪しくも賢人までだ。

176 :考える名無しさん:2010/05/14(金) 23:38:46 0
老荘が無為自然を説いたのは、無為自然が人として最も幸福であるからなのだと思う。
現実の生活においてのことだ。政治は無為自然を行き渡らせるのが目的であるという。
 日本の憲法が、第13条当たりで、立法は国民の自由権を最も少ない範囲で制限することを
許しているのは、国民の無為自然を保護する趣旨である。
 そして、無為とは自由のことである。
 このように考えら得るから、成人が政治を離れるということはないはずであろう。
そもそも、今の時代も、中国の古代時代でも、労荘の思想は政治をしていたといえると思う。
彼の思想が国民に生きている限り。われわれがその思想を受け入れている限り。
こういうと政治の範囲を超えて、宗教の範囲に移動してるといえるかもしれないが。

177 :考える名無しさん:2010/05/15(土) 00:09:42 0
老子によって提言された無為自然を「事なかれ主義」と曲解して、
法度の限り無い引き締めによる民衆動作の無制限の締め付けを定立したのは、
道家から逸脱した主張を羅列する法家の大成者・韓非。老子の正統な後継者で
あることを公認されている、荘氏をも「絵に描いた化け物」として批判する>>90

無為自然の本家としての道家は、誰かに占有されているようでいて、
その実誰のものにもなったことがない。仏教ほどでもないにも関わらず。

178 :考える名無しさん:2010/05/15(土) 13:32:13 0
>>177
>仏教ほどでもないにも関わらず。

説明不測で解らない。

179 :井上筑後守:2010/05/15(土) 13:52:56 0
仏教ほど難解でも高尚でもない、ということ。

神道やヒンズー教と同じく、天道止まりなのが道家。
荘子の忘我などが小乗仏教の諸法無我に多少近似してもいるが、
利他も唯識も中観もなく、大乗仏教よりは明らかに低い程度に止まっている。

180 :考える名無しさん:2010/05/15(土) 14:50:22 0
>>179
>利他も唯識も中観もなく、大乗仏教よりは明らかに低い程度に止まっている。

実はそうではないと思う。ただ、老荘の場合、中間や唯識のような学派が
出ているということは聞いたことがないが、中間や唯識の内容は、
老荘子に充分に有ると思う。利他については、老荘にも確かにあるが、その仕方の表現が違うだけで
あると思う。両者が一と言う真実を掲げる以上、それから派生する教えが異なるということはないのである。

181 :井上筑後守:2010/05/15(土) 21:49:06 0
善因楽果悪因苦果の、罪福異熟への確固たる把捉もなければ、
それに基づく徹底的な物事の論断もない。

無為自然が実践手段であることが、道家が儒家以上にも優位である根拠なだけで、
隠遁を極めた先の真理把捉という点では、道家は仏教に明らかに劣る。

道家以上もの真理追究に務めた結果、仏教は「断悪修善」という結論をも見出した。
儒家が確固たる真理把捉もないままに、「天命」として実践していた勧善懲悪が、
道家以上もの真理把捉に務めた仏教によってこそ、事実上再認されている。

道家の、特に「老子」に関しては、帝王学的な記述に基づく利他志向も垣間見られるが、
儒家の勧善懲悪が真理把捉に基づかないのと同じく、道家の利他にも確信はない。
断悪修善や利他の価値を真理に基づいて是認した仏教にはやはり、
儒家にも道家にもない特別な存在意義がある。

182 :考える名無しさん:2010/05/15(土) 23:23:25 0
>>181
まず貴殿の読書とそれによる知識の習得に敬意を表します。

181に於いて貴殿は、仏教が「断悪修繕」を説いているところを指摘しておられますが、
この見解は、一を説く知者にとっては、決して重要な見解ではないと思います。
大事な見識に付属するものと言うべきです。一の知者達は、人が永遠の自由を獲得すること
これが主張の目的であったというべきです。この目的の達成及び維持のために断悪修繕と言うことが付属してくるのです。
悪は、この世間の悪を言うのでしょう。この悪をするなら世間に囚われてしまいます。自由になるためには、
この世間から離脱することが必要であり、そのための修行をするものが、この世間への執着を意味する悪をなすのは、修行の目的に反することです。
ですから、断悪修繕は決して目的とはならないというべきです。
 この世間からの離脱が目的となる理由は、真実は一なるものであると知ったからであります。
一とは、この世間の諸現象一切は、縁起してるものゆえに、無実体で幻であり、虚妄であると
言うことです。嘘偽りを避けて真実を取るべきである、というのが、修行者の態度なのですね。
一とは、ですから、無相ということであり、空相ということであります。
一つの実在があるのみ、と言う意味です。それが真実であると言う意味です。
一つの実在があるのみですから、そこにはいかなる変化もありません。ですから無相です。無相という
実相があるのです。現象界は無実体の幻ですから、真実はさえぎるもののない空間です。この真実を空相というのです。
 こういう真実に、老荘も仏陀も至ったのです。こういう真実に至ったものが、この世間の
事象に執着するというのはありえないことといえるでしょう。ましてそれが世間で悪と見做されていることであれば、
世間並みのトラブルに陥るでしょう。
 

183 :考える名無しさん:2010/05/15(土) 23:24:54 0
>>182続き
そこで、この世間からの離脱を修行するものは、この世間の知識を一切すてさるひつようがありますね。
世間の知識が虚盲であるというのですから。この世間の善も悪も共に捨てるのですが、
その時に、執着心なく行為するのですから、善で有ることをしてもそれの果を取得することもなく、
悪をしてもその意志が全くない行為である場合、それの結果としての果はないのですよ。
 故に仏陀は、善悪をするに由無い人が最善の人であるといっています。老荘はどのように言っているか記憶にありませんが、
老荘も同じことをどこかで言っているはずだと信じることができます。これは一と言う真実から当然帰結する教えだからです。
 またこの道理の故に、どんな罪も許されるという根拠になるのです。正しい地が信じる出あると言う、これを正法と仏教は言うのですが、
この正法を拒否しないという条件が満たされるならです。
 こういうわけで、断悪修繕と言う教えが、顕著であるかないかで、老荘と仏教を比較すべきではないと思います。 

 次に利他と言う問題ですが、この利他の解釈は世間のものであってはならないのです。
この利他も一と言う真実から、説き起こされ説明されなければ、正しい解釈ではないですね。
 真実は一相無相空相と言うことですから、この真実に人を導ける行いが利他になるというべきです。
単に、相手に自分のすべてを与えれば利他になるというものではないです。
老荘は人は皆、この真実に向かう性質を持っているといっていますね。その性向を導き出すことこそ
利他になるんです。当然でしょう。

184 :考える名無しさん:2010/05/15(土) 23:35:44 0
>>183訂正
正しい地が信じる出あると言う→ただし、一が真実であるという、

185 :井上筑後守:2010/05/16(日) 13:46:42 0
善悪の分別やその体系化である道徳は、確かに仏教では「俗諦」と呼ばれるもので、
仏教において第一義の主題である「真諦」と比べれば、二義的三義的なものだ。
しかしその、真理と比べて副次的な存在に過ぎないはずの道徳もまた、仏教は肯定していて、
釈迦と意見面で対立した六師外道のうちの不蘭那迦葉による道徳否定論も「邪見」と断じていた。
盗跖のような大犯罪者を、肯定とまではいかなくとも容認することのある道家以上にも、
道徳肯定という点では儒家とも近似していたので、日本にも道家はほとんど取り入れられずとも
仏教は本格的に取り入れられた。老荘も読みこなしていた聖徳太子も「唯仏是真」と言った。
(「上宮聖徳法王帝説」などを参照)

186 :井上筑後守:2010/05/16(日) 13:48:01 0
もとより道家も実践は無為自然が本旨であり、仏教も他力以外は出家第一。
俗世での積極的な活動は一切捨て去って、善悪に対するしがらみをも捨て去っている。
実践面からの完全超俗者たればこそ、本当に善悪を諦観できるのであって、
俗世での糞もつれ状態な活動に没入している中で、善悪が本当に諦観できたりするわけがない。
多動性障害による心身喪失状態での善因楽果や悪因苦果の見失いなどを、道家も仏教も
寸分も肯定したりはしておらず、俗世での悪行による自業自得と、道との一体化は
全くの別物だと、>>131の「列子」指摘部分などでも詳らかに論及されている。

187 :井上筑後守:2010/05/16(日) 13:52:29 0
俗諦以上もの真諦にたどり着こうとして、道家は善悪を相対化し、仏教は唯識思想などの
醸成に基づいて断悪修善を確立した。ただ、いずれもそのための実践は完全なる超俗。
善行に対しても悪行に対してもできるかぎり消極的であること。自力の仏教には戒律も多い。
超俗の限りを尽くした先に真諦も見極められるのであり、俗世での金儲けや犯罪に付きっ切り
であるような連中が自己正当化の理由にできたりする所じゃない。もしも道家の善悪相対化の
論述などを真に受けて、悪行を俗世で本当に実践したりしたなら、俗世での善行を実践する
儒者にすら及ばない結果となってしまう。道家や仏教よりも程度の低い儒家よりも劣る結果に。

1位:超俗主義による真理の把捉で、断悪修善をも是認(仏教)
2位:自己流の真理探究で善悪を相対化するが、何もしない(道家)
3位:真理への探求は程ほどに、俗世での勧善懲悪に専心(儒家)
4位:真理も道理もわきまえられずに悪逆非道を尽くす(カルト)

188 :井上筑後守:2010/05/16(日) 14:07:48 0
「老子」「荘子」「列子」と、道家の基本書を一通り読みはしたが、中には面白い記述もあるものの、
やはりしっくり来ない所がある。ちょうど「バガヴァッド・ギーター」を読んだ時のような感覚。

道家もヒンズー教も「天道」で、地獄餓鬼畜生修羅人天の六道を完全解脱する仏道ほどには
真理把捉が徹底していない。一方で、同じ天道である神道と比べれば、下手に真理探究を
目論み過ぎている所がある。神社にお参りしてお神輿担いでお祭りする、日本人にとっての
天道認識からすれば文弱に過ぎる。本場の道教やヒンズー教はもっと祭祀性が色濃いんだろうが。

天道の一つ下の人道にも儒学があり、天道以上にも仏教がある。文献的な学問はこれらのほうが本場。
天道はなまじ文献での学問探求など試みずに、有機的な精神世界でこそあってもらいたいものだ。

189 :考える名無しさん:2010/05/16(日) 16:51:14 0
>>187
>断悪修善

唯識が断悪修繕を確立したという根拠は?

仏教でも老荘でも、断悪修繕と言うなら、それは相対的存在であるこの世の
善悪、幸福不幸、に執着することが悪であり、執着しないことが善である。
というものでなければならない。そしてそれをこそ、両者は説いているのである。
決してこの世間の法律の規定を基準にしているのではない。この世の法律の規定は、
聖者の説く善悪と相反するものではないのであるが。
 そこで、この世の法律の規定に反することは、執着から生じるのである。執着をよくといっているのである。
その範囲であり、これは聖者の説く善悪と相反しないのである。
 しかし、聖者の説く善悪は、もっと徹底している。欲の根源である人間の
三大欲そのものに執着しないことを教えるのである。真実在が無相一相空相であるなら、
当然根源の欲にも無執着が説かれるべきなのだ。むしろこれこそ本命であろう。
この三大欲から、すべての欲が派生しているのだから。この欲から逃げることを勧めているのである。
これらは、真実にあるものではないので、逃げるべきものであるとして。これらのない世界こそ
真実にある世界で、それは平安安楽の世界であると教えるのである。
 教えは単純である。

190 :考える名無しさん:2010/05/16(日) 17:06:07 0
>>187
朝夕、陰陽、善悪、これらはセット。
表裏があって一つのモノ、
そこに流転という時間tが加わるのが東洋の魅力で。

191 :考える名無しさん:2010/05/16(日) 17:32:51 0
>>190
時間と言うものはない。時間とは移動のことだ。移動とは相対的存在なのだ。
相対的存在である以上実体はないのである。

192 :井上筑後守:2010/05/16(日) 18:24:28 0
理論の仔細に立ち入る以前の原則問題として、
道徳否定者は儒学否定者なだけでなく、仏教否定者でもある。(>>185参照)
仏教信仰者でないのはもちろんのこと、教学としての仏学の正当性も認めていない。

善悪というのは、世俗の価値基準でしかない。超俗世界には善も悪もなく、
真理に特有の、世俗の道理とはまた別物の善悪があったりするわけでもない。

徹頭徹尾、善悪や道徳や犯罪といった問題は、超俗を実践手段とする仏教や道家の
主題ではない。ただ、超俗者としての仏者や仙人の立場から、世俗における善悪という
問題をあえて論じるのであれば、仏教の場合は断悪修善が結論となり、道家の場合は
善悪の相対化となる。数学の研究者が物理学上の問題に数理的な答えを与えている
ようなもので、根本的には分野が違うけれども、それはそれでできることだ。

純粋に、世俗の道理としての道徳のみを究明した儒家もまた勧善懲悪を本旨とし、
真理にまで到達する立場から、道理を副次的に解き明かした仏教もまた、
道家をも超える徹底究明において、断悪修善という結論を提示するに至った。

善悪や道理が主題であるか副題であるかの違いはあっても、儒家が問題とする善悪も、
仏教が問題とする善悪も同じものになっている。カルト教学が自己流で定義した偽りの
善悪とは違っている場合もあるし、場合によっては180度完全に引っくり返っている場合もあるが。

193 :考える名無しさん:2010/05/16(日) 18:28:18 0
井上さんも精力的によく書くよね

194 :井上筑後守:2010/05/16(日) 18:41:54 0
人に読ませるためというよりは、自省の一環だがな。
文体も適当なメモの羅列程度に止めているんで、司馬遷あたりには
諸子百家に対するように、文章下手くそだと批判を受けそうだが。
文筆を生業にするつもりはないので、それでもいいが。

司馬遷こと太史公は、自分での寸評は意外と辛口だな。
秦始皇だけでなく、項羽の「天がわれを見放したのだ」という敗北の言い訳を
「用兵が暴虐に過ぎることによる自業自得であったのに、全くの誤りではないか」
と酷評する。紀伝本文はごく冷静で客観的な記述だけに、温度差が激しいな。

195 :考える名無しさん:2010/05/16(日) 18:52:25 0
>>192
仏教の断悪修繕とは、道家の根拠と同じ、欲望は実体のないものへの執着に他ならない
と言う理由であるはずと思う。あなたは勘違いしているのではないかと思う。

196 :井上筑後守:2010/05/16(日) 19:17:35 0
だったら「修善」も必要ないじゃないか。善いことも悪いことも一切しないでいれば。
実際、道家や小乗仏教は、無為自然や自利のみの実践に止まっている。
しかし、大乗仏教の場合は利他業としての慈善活動にも手を出し、
弘法大師の灌漑事業によって、今でもみんなが美味しい讃岐うどんを食えてもいる。

悪いことをせずに、しかも善いことをする。
善悪みそくそのマッチポンプと比べれば遥かに困難で、実現不能とすら思える。
でもそこにこそ真理があると、釈迦自身が「諸悪莫作衆善奉行(法句経)」とも述べている。
悪いことをしないまでだったら道家や小乗仏教でも実践しているが、さらに善いことを
するまでいってるのが大乗仏教。善悪や道理を単なる虚妄であるに止めておかず、
絶対真理の側から積極的に操ってすらしまっている。釈迦も凄かったが、龍樹も凄かった。

197 :井上筑後守:2010/05/16(日) 19:42:18 0
「これこれをすべきだ」「してもいい」「しても許される」などという
活動の活発化を促すような論弁を見ると、即「ああ、紛い物だな」と思う。

東洋教学の基本は「〜するなかれ」。すべきでないことをしないことこそが主題。
人間の活動なんてものは、わざわざ促進するまでもなく、エントロピーのように
勝手に増大していくもの。自分で勝手気ままに増大していく人間活動を、
いかに抑制・制御していくかを論じるのは、普遍的に正しい物事の論じ方。
しよう・すべき・しろばかりを論じたてるほうが普遍的におかしく、ADHDの
ガキンチョに主導権を握らせようとする、微笑ましくとも愚かしい過ちとなる。

適当に何かをしようとすれば、概ね人間は間違い、間違うことで自明に苦しむ。
だから何もしないに越したことはないと、道家や小乗仏教だと決め込むわけだが、
縫い針の先端で相撲取りに四股を取らせるよりも困難な断悪修善を、
大乗仏教だとあえて試みる。それこそは真理であることにより。

198 :考える名無しさん:2010/05/16(日) 19:50:26 0
世俗=集団
超俗=個人

どんな優れた思想も他者に強要した時点で世俗のモノとなるってだけで、
勧善懲悪、断悪修善を個人の意志で行うは人道。

199 :考える名無しさん:2010/05/16(日) 19:55:48 0
いや、集団の意志で行なうのが人道だ。

「人」という字は、(ry

200 :考える名無しさん:2010/05/16(日) 20:08:25 0
人道を押し付けられる事に慣れてはいかんよ。

201 :考える名無しさん:2010/05/16(日) 20:19:43 0
超俗が実践面でいかなるべきかは、仏教の律部に詳しい。
坊さんになる気もないのでろくに読んでもないが、凄まじく厳しいとは漏れ聞いている。

個人主義を透徹することは、それはそれで大変なことだ。
ネットでのコミュニティ利用やショッピングに務めている輩に自称できる所じゃない。

202 :考える名無しさん:2010/05/16(日) 21:31:31 0
人道は素晴らしいね。
自分一人の意志じゃどうにもならないんだものね。
たとえ勧善懲悪であっても。

203 :考える名無しさん:2010/05/16(日) 22:16:27 0
>>196-197
唯識の断悪修繕の根拠はどこへ行ったんだよw。
唯識は、どこでどのように断悪修善をといているのだろうか?

204 :考える名無しさん:2010/05/16(日) 22:22:18 0
襖、畳、障子その他、お気軽にご相談ください。

205 :考える名無しさん:2010/05/16(日) 23:42:02 0
もう、どうにもならないことだから。

「民は神の主なり(左伝)」

206 :考える名無しさん:2010/05/16(日) 23:48:10 0
>>202
自分にしか作れないよ。

207 :考える名無しさん:2010/05/17(月) 00:09:46 0
一人や二人でできることでもない。

208 :考える名無しさん:2010/05/17(月) 06:42:43 0
>>197
仏教に拠れば、大乗小乗(この分別は無意味)を問わず、全世界を人に与えるよりも、
この縁起と空の理法を人に教えることに勝る布施業はない、といっている。
 人の欲望(三大欲)に奉仕する布施業は、この仏の知恵に反するものである。
社会事業を行っても、それは三大欲に奉仕してる布施業である。
しかし、それでは、食い物がいらないのか、と言うことになる。仏教信徒達は、
乞食業をしてたではないか、ということになる。
 聖人の兎は、文字通り骨身を削って国民のために社会事業をしたので、聖人と言われた。
しかしそれは国民の三大欲に奉仕するためであった。欲を捨てなければならないのに、
その欲を助長する行為なのであった。そのようなことをして聖人と言われるのだろうか?
 仏陀も、老荘も、共に否定してるね。仏陀は、ほとけの知恵を人に教える以上の
布施はないとし、その値打ちは、全世界を人に与えるよりも、何億倍も優れた布施である、と。
荘子も同様であった。むしろ後々に影響を与える害毒を流したものである、といっているだろう?
これらの知者が言っていることは、解るよね?


209 :井上筑後守:2010/05/17(月) 09:35:29 0
儒学などだと「〜なかれ」が主題になっていたのが、
仏教教義だとさらに「〜ない」になる。命令するまでもない「ない」に。
ないない尽くしの般若経典などがその最たる例だし、仏教以前の
ウパニシャッドでも「ネーティネーティ・アートマン(ならずならずのアートマン)」
と、否定を尽くした先の梵我一如を認める。もはや行動面で何もしないのは
インド学にとっては当たり前の大前提であり、何もしない中での
ネーティ(〜ない)を基調とした論及こそが主題となっている。

いずれにしろ、自力仏教は出家第一であり、ネットも買い物もしている
俗人なんぞにとっては、「自分こそが仏者だ」などと強弁できるところでもない。

仏教教義の中では数少ない積極活動の促しである「南無(帰服する)」、
誰にでもできる数少ない断悪修善としての「南無阿弥陀仏」ぐらいが、
他力の仏教信仰者にもできる範囲内のこと。仏教はあくまで他力本願止まり、
俺個人もそうだし、こんなところで駄弁っている連中はみんなそう。
積極的かつ主体的な実践対象とするのは、権力道徳学でもある儒家などのほう。

210 :井上筑後守:2010/05/17(月) 09:52:47 0
善悪をも相対化して諦観してくれる場合のある仏教や道家が、おまえらに
とっても「超えられないけど超えられそうな壁」のように思えるのかもしれない。
しかし、それ以前に、「見るからに絶対に超えられない壁」としての儒学が、
悪逆非道の限りを尽くしてきたおまえらの目前には立ちはだかっている。

何もしない>善いことをする>悪いことをするの場合もあるし、
善いことをする>何もしない>悪いことをするの場合もある。
ただ、悪いことをする>何もしない>善いことをするや、
何もしない>悪いことをする>善いことをするだったりすることはない。
概念の迷宮に迷い込んで実践が疎かになることは、
諸法実相の仏教でも認められていない。

教義を布教するだけでも衆生の救済になるのは、仏教教義やその実践が、
権力道徳学やその実践以上にも困難で高尚なものだから。場合によっちゃ
本当に死ぬこともある、千日回峰行のような荒行と共にこそ聖道仏教はあり、
そこまでいくのは無理だと始めから音を上げているからこそ、俗世での
権力道徳学である儒学などのほうを自分たちでの実践対象にはする。
それはあくまで、至らないものだから。勧善懲悪ぐらいしか実践できないから。
布教だけで衆生を救済できる仏教ほどにも、絶対的な存在ではないから。
真理にまでたどり着けない未熟者故にこそ、慎みて天の罰を行なう。

211 :考える名無しさん:2010/05/17(月) 13:29:35 0
真実にあるものは、無相であり、空相であり、一相である。この根拠は
一切のものは縁起してあるからである。こういう教えが、老荘、釈迦のものとして
あるのである。故に縁起してあるものは、実体のない虚妄である。
 この真実在に対する修行の方法であるが、仏教では他力とか自力とか、言っているわけである。
自分の縁起しているものを有るものと思っている思いは、どうしたら消せるのだろうか、と言う問題に帰結するのだ。
一切のものはないものと信じ思い込まなければならない訳であるが、この修行に
自力と言うのなら、それは一体どんなものなのか?思わないようにするのに、どんな力が必要なのか?
そもそもそんな力などないという教えを実行するというのに。ただ単に、何かがあると思わないようにするだけなのだ。
思えば必ず力が必要になる。思うことが力を必要とするのではないか?
そしてこの思わない、ということが絶対必要なのだ。悩み苦しみ、この世の栄華、幸福、こういうものが
ないものであると、思うだけで良いのである。消極の局地ではないか。すなわちいかなる力も必要としないのである。
仏の方からの助けと言うなら、この世界は虚妄なもので、真実は無相です。その理由は、
この世界は縁起してるだけで、実体はないからです。虚妄なものを有るものとして
、それを何とかしようなどとしてはいけません。過ぎ去らせておけば良いのです。
無視して安楽を感じて居れば良いのです。こういう教えに帰結するのである。
 仏の教えを信じるか否か、それのみが残されているのである。他力として、仏の方が
人の、虚妄に執着してる心を、抑制してくれるのではないのである。
 どこにも、自力他力と言うものはない。
 

212 :考える名無しさん:2010/05/17(月) 13:42:50 0
つづき
あると思わせるような外圧を感じるなら、即逃げるのだ。それは悪魔の誘惑にあっているのである。
その縛られた心から逃げるために、悩み苦しみのないことに心を専注することだ。

213 :考える名無しさん:2010/05/17(月) 18:12:29 0
原始経典といわれる阿含経典、この中に、縁起の理法と空無相一相の教えが
散在してるようで、まとめて、この究極の真実から、教えを説いているというものがない。
これが阿含経典の過失である。このために後の信徒から、空を大前提とした教えが
必要と見做して、彼らは大乗経典群を創出したものに違いない。

214 :井上筑後守:2010/05/17(月) 19:34:56 0
「経」と「論」に詳しい人は多いようだね。
あとは「律」を体得するだけで、立派な三蔵法師になれる。

朱子学の実践なんて、寝床で「中」という字を思い浮かべながら寝るとかだからな(近思録)。
実践面が聖道仏教と比べて決定的に卑俗なのが儒学の特徴。そこが無戒律の浄土門とも
親和性の高い所。浄土門もさすがに五逆(父母殺しなど)は認めていないので、親子兄弟
での殺し合いを予言する、イエスが信仰されているキリスト教とはさすがに相容れないが。

215 :井上筑後守:2010/05/18(火) 13:11:17 0
無戒律の浄土門でも、礼儀作法ぐらいは気遣うわけだ。
日用経典集の説明書きにも「礼記」からの引用があったりするし、
数珠などと同じく、経典も床などに直接置いてはいけなかったりする。
「鳩摩羅什らの訳経僧が大変な苦労をして東方に持ってきてくださったものだから」
というのがその理由らしい。中村元あたりの訳した経典だとどうなるんだろうな。

216 :考える名無しさん:2010/05/18(火) 17:56:45 0
>>215
>中村元あたりの訳した経典だとどうなるんだろうな

中村氏の訳したものと言うと、原始経典といわれているものですね。
出家者は250戒とか、在俗者は五戒とか、というのがあります。
どちらも要は、無相にいたるに障害となるものを避けるという趣旨のものです。反面
無相一相に至るに有益なものを進めるというものです。当然ですね。
 例えば、残り物の食物を保存するという行為は、厳禁なんですね。その訳は
無相という真実に反する思いを形にする行為であるからというものでしょう。
これは出家者です。両者とも飲酒は禁じていますね。飲酒して酩酊状態が発生するのですが、
これが真実への道程に、どのような障害、または、有益になるというのでしょう?
酩酊して自分を忘れるということは、酩酊に埋没することで、縁起の一方の極端に埋没するということでしょう。
それは最も避けなければならないことです。酩酊しても、自己を忘れないで、両極をつまり
縁起をまたは酩酊が相対的に存在してることを見るということができるものなら
、飲酒も許されると思います。しかしそうならないのが常でしょう。
 盗みは、盗む対照が価値あるものと自分に思われるということが前提ですが、自分に価値のあるものとは、
無相以外にないのですから、無相よりも他のもの取得することは、修行と逆となります。
殺すという行為も、殺す相手があると言う無相に反する思い、且つ、憎むとかの感情に従うのですから、
共々無相という真実に反する行為ですから、禁じられるのです。邪淫についても、
女性という対象の存在を認め、それへの情欲に従うという無相に反するものに従うことですから、
禁ずることになるのでしょう。しょくじでも、しょくよくに従うのではなく、欲を打ち消す仕方で食べるべきです。 
 初めにも言いましたように、要するに真実無相にいたる障害を除き有益なものを残すという方針が生ずると思うのです。
この方針が戒律となっていると思うのです。どう思われますか?

217 :考える名無しさん:2010/05/18(火) 18:22:21 0
 老荘は、真実の自己を失い、迷い出ている、こういう人がほとんどである、と言っていますね。
真実の自己とは何でしょう?一が真実の自己なんですね。一は無相であり空相です。
無我です。相対的に存在してる一方を自己であると思って、それに執着してる状態を、
迷っている、自己を失っている、と言うのですね。

218 :井上筑後守:2010/05/18(火) 19:57:24 0
律部に関しては、やっぱり実践してからじゃないとね。
源信や法然や親鸞ですら、比叡山で修行した上で、あえて他力を選択した。

戒律の厳しさを超えて、あえて他力を選択するのもありだし、
そもそも始めから自力なんて無理だと観念して、儒学や念仏に終始するのもあり。
ただ、実際に自力修習の困難さを修行で思い知ったわけでもないにも関わらず、
自力仏教をも極めたようなフリをして、自力仏教の複雑怪奇な教義を嵩にかかって、
俗世での犯罪行為までをも正当化してしまうような宗教詐欺には手を出さぬよう。

殺父・殺母・殺阿羅漢・破和合僧・出仏身血ぐらいはしないというのが他力の念仏行。
自力仏教の一つである禅の教典「臨済録」にある、親族や仏を殺してまでの
解脱への至りなどは、ろくに戒律を修習したこともない凡夫などには与れぬ所。

219 :考える名無しさん:2010/05/18(火) 22:06:50 0
仏教に無学、有学という事があります。これの解釈については、いろいろ誤解があるようです。
現在の日本的な意味解釈では、無学と言うのは、教養のないことであり、有学とは教養のあること
と言う意味です。そして大事なことは、この意味解釈に留まっていると言うことです。
無学だから、だめ、有学だから、値打ちがある、と言う風にです。
 しかし仏教や、老荘では、こうではないんですよね。教養、学問、知識を持っていること、
これを有学と言うのも、教養がない、学問がない、知識がない、と言うのを無学と言うのも
同じなんです、がしかし、ここからなんですね。仏教や老荘では、無学でなければならないと言うのです。
教養や、学問や、知識がある有学ではいけませんよ、と言うのです。全くの無学でなければいけませんよ、と言うのですよね。
なぜなら、一切は空で、無相で、一相ですから。有学の入り込む余地など有りませんよ、と言うのですね。
だから、無相一相空相に入るためには、教養、知識、学問を捨てきらなければいけません、と教えるのです。
 これが本当の仏教や老荘の言う意味なんですが、これと違った意味を言うものがいるのです。
無学とは、もう学ぶことがなくなった状態を言うとし、そして、有学とは、もっと学ぶものに欠けていますよ、
と言う意味だと言うものです。これですと、無学とは、最も博識で有ることを意味し、有学とは
無知文網を言うものと言うことになります。 こう言う意味ではなんですよね。   
 どうしてこういう大きな間違いが行われるようになっているか、その原因は、やはり、
真実在が無相一相空相、であると言うことが理解されていないからだと思うのです。

 修行とは、持っているものをすべて捨てることなんですね。学問知識、財産、助けとなる有力者、
その他諸々のこの世間で有利と言われているものすべてです。こういうものを持っていると言うその思い、
その思いを捨てて、思わないようにすることなんですよね?                  

220 :井上筑後守:2010/05/18(火) 22:50:58 0
比丘二百五十戒の中でも絶対厳守であり、
破れば僧団永久追放となる波羅夷の法である四戒、淫盗殺妄、淫行と窃盗と殺人と妄語。
特に最後の妄語の中でも最たるものは、「悟っていないのに悟ったふりをして他人を欺くこと」。
これが淫行や窃盗や殺人と同様の罪として扱われ、二度と僧団に戻ることはできなくなる。

罰則はそこまで厳しくなくとも、媒婚(結婚の媒介)とか戯笑(戯れ笑う)とか跳行(跳躍する)とか、
常人なら全く許されても、僧侶なら控えられるべき戒めは数多い。到底、匿名掲示板上なんかで
「それら全てを私はわきまえているものです」などと放言はできない。匿名掲示板の利用自体が
屏処不定(人に見えない所で異性と落ち合う)に抵触している可能性もあるのだから。

221 :考える名無しさん:2010/05/18(火) 23:24:28 0
鑑真和尚は、なぜ盲目となってまで日本に赴かねばならなかったか?

222 :考える名無しさん:2010/05/19(水) 08:45:04 0
ところで、老荘も釈迦も、純一、空相無相となると、一切を受け入れるというのです。
家が中が空っぽだから、人の生活を受け入れ、つぼが中が空っぽだから容器となると同じに、
天地が空っぽだから、一切の現象を受け入れるというのでしたね。そうすると、
博識と言うことは、空っぽなので受け入れているという状態と言うことになります。その博識と言うもの
が何であるか、と言う問題になるようですが。

223 :考える名無しさん:2010/05/19(水) 08:59:50 0
あ、話をそらした

224 :井上筑後守:2010/05/19(水) 18:10:00 0
三綱の「君臣父子夫婦の序」や五常の「仁義礼智信」など、
儒学では優先順位の高いものを低いものよりも先に持ってくる。
「漢書」や「後漢書」と比べれば儒学的影響の低い正史とされている
司馬遷の「史記」も、本紀・表・書・世家・列伝と、優先順位の
高いものから順々に書いていっているのは同じ。

しかし、インド発祥の仏教の場合だと逆に、
優先順位の低いものから順番に羅列していく場合が多い。
「地獄餓鬼畜生修羅人天」の六道や「声聞縁覚菩薩仏」の四乗、
十住心論の記述順序や、その中に出て来る「賢聖」という言葉など、
記述順位をあえて逆転させることで、終わりに近づくに連れての
盛り上がりを企図する、いかにも死を尊重する宗教らしい慣習。

その仏教において、二百五十戒中もっとも重く、
犯せば必ず僧団永久追放が科される四波羅夷罪の列記、
淫盗殺妄、淫行窃盗殺人妄語、終わりに行くほど重要である
仏教の列挙慣習に従えば、悟ってもいないのに悟ったフリをする
「妄語」は、淫行や窃盗や殺人よりもさらに重い罪だということになる。

別に本当に悟ったわけでもない、さも自己流の勉強で悟ったかの
ようなフリをし、結婚の媒介とか戯笑とか跳行とかの、僧侶に
あるまじき行ないに走りながら、一端の仏教家であるように嘯く輩は、
淫行や窃盗や殺人よりも重い罪を犯していることになるわけだ。

おおこわ、おおこわ。絶対に仏教詐欺だけはしちゃいけないな。

225 :井上筑後守:2010/05/19(水) 18:51:15 0
邦訳「史記」本紀は全読した。さすがに漢代の高帝(高皇帝)たちへの
寸評までは、そこまで辛口じゃなかった。「人彘」の逸話で悪名高い呂后も、
暴虐だったのは宮中だけでのことで、対外的には無為自然の理想統治がなされていたという。
夫婦別姓の中国で劉氏に代わって呂氏を帝位に付かせようとして、本人の死後に
一族が誅戮せしめられたのは仕方がないにしても、当時の中国における婦女としては
最大級の活躍を果たした。妲己などと共に、男尊女卑をより強めるような悪例として。

呂氏による専横の“掃除”が済んだ後で、劉氏として帝位についた孝文帝の本紀は、
「ほんとかよ?」と思わされるぐらいの仁政尽くし。実務の具体性が伴っているという点では
五帝以上。謙譲に謙譲を重ねて民を尊重し、厳しかった法令なども恩赦で次々に減らしていく。
それでも世がまた乱れたりしないだけの徳化が行き届き、民の間でも礼節が尊ばれる
ようになっていたそうな。劉邦が漢の始祖として「高祖」の号を頂いたのに対し、文帝は徳化に
よる治世の模範として「太宗」の号を贈られた。この当たりの慣習は後世にも受け継がれている。

孝景帝の本紀はごく短いし、孝武帝の本紀は「史記」封禅書とほぼ同文だという。
いずれも司馬遷の真作ではなく後世の挿入の可能性が高い。確かに孝文帝本紀と比べれば
祭祀ばかりで実務的な記述には欠ける。この当たりは「漢書」で読み直したほうがいいんだろう。

226 :井上筑後守:2010/05/19(水) 19:09:28 0
平凡社「中国の古典シリーズ」では、「史記」表(十表)は全訳されていない。
「表」なだけに、文書として通読するような代物ではないから、と。
一応図書館で新釈漢文大系版を借りて来たが、確かに通読するような体裁にはなっていない。
Web上(ttp://chinese.dsturgeon.net/text.pl?node=9422&if=gb)でも原文は全て参照できるし、
平凡社版でも邦訳されている序文だけを読んで、精査はまたの機会にということにする。

表の序文にも書いてあるとおり、司馬遷が「史記」を再編した最大の理由は、焚書坑儒。
「詩経」や「書経」が焼き捨てられたのは有名だが、秦始皇帝は、民間に出回っていない
公文書館内の史書までをも焼き捨てさせやがった。そのせいで、民間の所蔵などを通じて
辛うじて残存した「詩経」や「書経」以上にも、諸国の「史記(一般名詞としての)」が絶やされた。
だから代々、太史公の家系であった司馬遷が、「史記」の再編纂に乗り出さなければならなくなった。
(「史記」表・六国表・序を参照)

始皇帝の焚書坑儒は、当時から第一級の学者勢であった儒家以上にも、
史書や墨家といった副次的な学芸に対してこそ、最も深刻な影響を与えていた。
良くも悪しくも、今の「史記」が編纂された背景には、始皇帝の暴虐こそがあった。

227 :井上筑後守:2010/05/19(水) 22:57:45 0
「大事記」という言葉がある。
特に大変なことだけを書き留めている史記の意。
たまたま、「中国の古典シリーズ」「史記」表序訳文の
挿し絵として載っていた「漢興以来将相名臣年表」の原文印影に、
「大事記」という言葉がある。新釈漢文大系版でも「大事記」、
>>226のサイトだと「大事紀」になっているが。

「大事記」という言葉の典拠は、少なくとも「史記」表にまで遡る。
太安万侶が「古事記」を編纂した約1300年前よりもはるかに早く、
聖徳太子の活躍していた約1500年前にすでに、「史記」は日本に輸入
されていた可能性が高いという。どうも日本の最古書である「古事記」は、
「史記」が「史記」や「大事記」であることに対して、「小史記(こじき)」や
「小事記」であることを意図に命名されたもののようだ。

命名の仕方としては明らかに謙っている。大に対する小を名乗り、
分量も少なめ、編纂年代も800年ほども「史記」より遅れている。
このような「古事記」の編纂姿勢には、謙り脆弱であってこそ、
蔑み剛強であるものを制するという、道家的な趣きが垣間見られる。

老子や荘子もおそらく聖徳太子の時代には日本に入って来ていた。
確信的な道家の実践として、神道国家日本が創始されたのならば、
それこそ漢の高祖や文武帝であろうとも、一目置かねばならないだろうな。

228 :考える名無しさん:2010/05/20(木) 18:01:19 0
中国の歴史で一番興味深いのは、諸子百家。特に老荘、墨子、名家、法家、これらのものは
論理的裏付けを有しているから。諸子百家が活躍した時代は、インドでは六氏外道が活躍し、
ギリシャでは、パルメニデス、ゼノン、ソクラテス、その他のソフィスト達
が、同じ論題を中心に論じ合っていたのだ。同じ論題とは、「一」が真実であるということである。
インドでは、大乗仏教が、回教の勢力に負けて大乗が滅んだように言われているが、
確かに、外面的に相であろう。しかし、回教と仏教は、同じ「一」を主題にしていることを
知らなければならない。大乗を理解してるものは、回教のアラーの神を否定できないのである。
同じ教えであったのだ。偶像崇拝という外面は異なるが、仏教でも偶像崇拝が主たる教えではない。
偶像崇拝は、付属の付属の行為であったのだ。

229 :考える名無しさん:2010/05/20(木) 18:39:23 0
老荘の教えを政治に生かした、前漢そして唐の時代に、国が栄えたというのである。
これは理由のないことではないと思うのです。

230 :井上筑後守:2010/05/20(木) 19:24:23 0
>>228
概念構築による名辞の乱れは、中国とインドそれぞれにおける
最優等教学である儒家と仏教においては退けられた。
墨家や名家や六師外道といった、後世には廃れた*傍流の学派に        * 六師外道中のマハーヴィーラの
おいてこそ概念構築が東洋では持て囃された。概念構築こそは            教学を貴ぶジャイナ教は、後世
主題中の主題であったギリシャ学などとはそこが決定的に違う。            にもかなりの影響力を残している。

「一化(荘子・内篇・大宋師篇第六)」を主題としているのは中国だと道家だが、
インドだと本当は仏教よりもヒンズー教のほう。梵我一如に三神一体、
多種多様な神々が結局は一つの真理に帰一するという考えは
インド教学における伝統の一つであり、さらにそこから多神教的な
傾向を省いたのが仏教であったために、仏教とイスラムは相応ずる所があった。

道教やヒンズー教も一化を取り上げているのには違いないが、
ただ多神教でもあることがイスラムとは相容れない。唯一神アラー以外を
排斥する攻撃性は、エホバやキリストを唯一絶対神とする聖書信仰のほうから
派生したもの。エホバやキリストを排除するためにこそ、アラーもまた絶対化
されたのだから、本当はカシミール以東の宗教文化に、唯一神信仰をわざわざ
対立させる必要はないことを、ムスリムにもわきまえてもらえたらと思う。

231 :井上筑後守:2010/05/20(木) 19:37:31 0
>>229
老荘であって、決して韓非子ではないことに留意されたい。
老子の無為自然を「本当に何もしなければいいわけじゃない」と曲解し、
ガチガチの法治体系で全民衆を多動性障害状態の重労働に追い込む
法術思想などは道家の正統ではない。基本は本当に何もしないでいて、
何もしない以上に楽しい善行と、何もしないより苦しい悪行との弁別を
個々人に対して常に照らし合わさせるのが道家の本義。

君主が何もしないでいれば、善人は己れと君主とを比べて己れを楽しみ、
悪人は己れと君主とを比べて己れを苦しむ。善悪苦楽の度量衡に
君主自らなられるのが、無為自然による統治の効用。

江戸時代までの天皇陛下こそは、まさにそれだった。
大日本帝国崩壊後にはかなり喧騒も止んだものの、
未だマスコミへの顔出しなどでわざわざやらされていることは数多い。
何もせず、何もさせられず、温かく衆生を見守る、そこにこそ天子の本分も
あられるが故、週刊誌の紙面からの皇室の消滅を憂慮する必要は皆無。

232 :井上筑後守:2010/05/20(木) 20:09:19 0
「史記」孝文本紀における文帝の振る舞いなどは、
道家の学に即することで、刑罰を次々と廃止していくのが非常に印象的だ。
法治主義の法家、特に重賞重罰を主張する韓非の法家思想とは全く相容れない。

一方で、無為自然を本旨としながら、
帝位への推薦を西に向いて三回辞退し、南に向いて二回辞退して、
その上でやっと受け入れるなど、自ずからの礼儀的な振る舞いも多々見られる。
「史記」礼書にあるよう、文帝は自分から礼法を制定することはしなかったが、
自分からの礼儀的な振る舞いには努めた。基本は何もしないでいようとするが、
何かをする以上は礼儀作法になるべく即していようとする。孔孟と老荘のように、
思想家同士ではいがみ合っている儒家と道家も、現実の社会を支配する帝王には
折衷の対象になり、だからこそ世もよく治まった。儒家と道家が徳治の両輪となり、
法家や墨家や名家といった横車が排されたことで、漢代の泰平が確立された。

春秋戦国時代から漢代への中国史の以降は、
思想史的にもそのまま勧善懲悪の具現化になっている。

233 :考える名無しさん:2010/05/20(木) 22:55:13 0
>>223
律宗というのはどういう派なのかわからない。
戒律を主体とする宗教団体で、それを仏教に含めるのは、仏教を知っているのか、と言いたい。
もしそうなら、ユダヤ教の、律法学者に当たるだろう。これは儒教に近似してるだろう。

234 :考える名無しさん:2010/05/20(木) 23:43:15 0
ほんの俺ほどにも、分かっちゃいないな。

235 :考える名無しさん:2010/05/21(金) 02:32:14 0
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8B%E5%AE%97
これでいいでしょ。

236 :考える名無しさん:2010/05/21(金) 08:14:54 0
ユダヤ教徒が豚を食べてはならないという律法を有してるのは、
その訳は、豚の生育にあるとしてるなら、理解できるね。豚は人間の排泄物を食物とするのだ。
そのことを中国の歴史書を読んで知ったんだが、その中国では豚を食用にしてるのだ。
中国人は、回教徒のように、豚を嫌ってなかったという事実は何を意味するのだろう?
というよりも中国では、豚は主食なんだそうだ。ヒンズーも豚を食べない。

237 :考える名無しさん:2010/05/21(金) 08:20:53 0
回教徒は飲酒は禁じられている。仏教徒も飲酒は禁じられている。
仏教徒が多い日本で、飲酒を禁じられているという話はないし、禁じられているとして
飲酒しない人の話も聞いたことがない。
 ところで、老荘はなんと自由を与えるだろう。老荘では、排泄物をも差別しないのだ。
古代ギリシャ・ローマ世界では豚の食用はあったのだろうか?

238 :井上筑後守:2010/05/21(金) 11:40:22 0
戒律だの律法だのの、成文法での締め付けでもない限りは
自己規律もままならないのは、コーカソイドに特有の悪癖だからな。

そんなものがなくなたって、時宜に即して最も平穏無事な安寧に
自他を導く仁や道へのわきまえが、モンゴロイドなら自得できるから、
わざわざ成文での規律などに頼りきらない。古代ローマ法が制定
された紀元前449年よりも87年前の昭公六年(紀元前536年)にすでに、
子産が成文法を公布した上で、大非難を受けて平謝りもしている。
「国将に亡びんとするや、必ず制多し(左伝)」であるが故、
成文化された戒律や法律を忌み嫌うのは、極東人にとっては
豊富な経験なども踏まえた確信的な大人の判断。無戒律の無法なら
どこまでも放蕩の限りを尽くすコーカソイドの常識は通用しない。

239 :井上筑後守:2010/05/21(金) 11:51:08 0
成文化された戒律や法律に囚われるよりも、真正な道徳に基づいて
時宜に即した自己規律ができればそれが何よりだが、
そこまでいけず、やはり戒律や法律にでも頼らないことには放蕩してしまうという
コーカソイドなどに特有の悪癖を持ち越しているのなら、
それ相応の戒律などを守っていかなければならないということになる。

その中では、仏教の戒律は最も徹底されたものとなっている。
肉の種類以前に、全ての肉食が厳禁。飲酒も妻帯ももちろん駄目。
異性に接することも、猥褻な言葉を一言でも発するのも、女衒も誹謗中傷も全て駄目。
「〜するな」の禁止事項を書いた「止持戒」だけで、比丘二百五十戒・
比丘尼三百四十八戒があり、禁止事項よりもも「〜しろ」の「作事戒」に
あたるものばかりが多いアブラハム教とはそこが決定的に異なっている。

240 :井上筑後守:2010/05/21(金) 12:12:03 0
>>197でも書いたとおり、人間ってのは積極的に何かをしようとすれば概ね間違う。
神からの賜り物だなんだといったところで、ユダヤ教の律法なども所詮は人工の創作物。
作為でどうこうしようとすればするほど間違えまくる人倫の根本原理に従って、
止持戒抜きの作事戒ばかりに従ってきたユダヤ教徒どもは過ちばかりを犯して来た。

そのユダヤの聖典であった旧約聖書に対し、新約聖書は「罪は許される」とだけ付け足した。
旧約聖書中の律法だのなんだのが無効になるわけではなく、相も変わらず
従わされるには違いないが、それによって罪を犯してしまっても許されるという、
まるで火に油でも注ぐかのような、いらんことしいをやらしかた。

イスラムの場合はそうではなく、旧約聖書中の有害な作事戒を的確に無効化して、
逆に止持戒のほうは強めた。適切に調理された豚肉の食用や飲酒も禁止され、
異教徒への迫害や奴隷使役も、なるべく控えるべきものとされるようになった。
自分たちだけでのドグマティックな律法もある一方で、一化の神アラーへの絶対帰依の下で、
万人の利益を慮る、仁や道への作為的な教導にもある程度は成功した結果、
欧米とブラックアフリカとで800倍以上もの所得格差の生じている、聖書圏のような理不尽な
我田引水行為は、イスラム圏の中では行なわれなくなり、すでにイスラムの支配下にある
北アフリカも、聖書圏であるブラックアフリカのような極重の貧困や飢餓には喘がずに済んでいる。
ユダヤという火種にキリストは油を注いだが、イスラムは水をぶっ掛けて大火を消し止めた。
同じアブラハム教ではありながらも、火水未済の推進か水火既成の推進かという面で
ユダヤ=キリスト両聖書信仰と、イスラムとは決定的に相反したものとなっている。

241 :考える名無しさん:2010/05/21(金) 12:29:49 0
>>240
意味が分からん。それに食についてもどこの国も同じ
菜食主義だのとかは関係ない。
混同してる。

242 :考える名無しさん:2010/05/21(金) 12:34:56 0
>>1は宗教にケチつける前にギリシャ、メソポタミア文明を一から勉強しなおすべき
中華思想に傾倒しすぎ。中国好きなら中国に帰化するか
それともシナ人か?

243 :井上筑後守:2010/05/21(金) 12:40:46 0
道徳の自得による自己規律とまではいかず、
止持戒(禁止事項)や作事戒(奉仕事項)を成文化した
戒律や律法に則るというのなら、

止持戒>作事戒

の配分であることが水火既成(道徳優位犯罪劣位)の条件になる。
インド系とアブラハム系という違いはあっても、
仏教とイスラムはこの条件を満たしているという点で共通する。
逆に

止持戒<作事戒

の配分であることが火水未済(犯罪優位道徳劣位)の条件になり、
ユダヤ教とキリスト教はこの点で共通している一方、
イスラムはこの条件を満たしていない。

インドやオリエントを発祥地とする諸々のコーカソイド系宗教もまた、
人類最古の古典・易の法則の範囲内にあるのは同じ。

244 :考える名無しさん:2010/05/21(金) 12:52:01 0
>インドやオリエントを発祥地とする諸々のコーカソイド系宗教もまた、
>人類最古の古典・易の法則の範囲内にあるのは同じ。

ソースプリーズ。




245 :考える名無しさん:2010/05/21(金) 12:56:20 0
止持戒とか作事戒とか何かと思ってググッたら
仏教の決まりじゃね?
なんで他の宗教に適用されなければならんのだ?

246 :井上筑後守:2010/05/21(金) 13:13:52 0
「〜してはならない」という禁止事項一般を止持戒、
「〜しろ」という奉仕事項一般を作事戒と呼んでいるだけだ。
「止持」とか「作事」とかいう言葉の作りからして、どこにも無理のない通俗表現だ。

>>243は、より正確には、

@止持戒によって十分に悪行が制止された上で、
過ちを排した作事戒によって純善行が為されれば水火既成(道徳優位犯罪劣位)となり、
A止持戒で十分に悪行が制止もされないままに、
作事戒で悪行や善悪みそくそ行が推進されれば火水未済(犯罪優位道徳劣位)となる。

と言ったほうがよく、
>>243では@を「止持戒>作事戒」と表現し、Aを「止持戒<作事戒」と表現した。

水火既成とか火水未済とかも、道徳優位犯罪劣位や犯罪優位道徳劣位を便宜的に
通称したまでのことで、天地万物の普遍法則を記述した易は、人類最古の古典
であると共に宇宙最古の古典でもあり、そこら中にあるもの全ては易に従っている。
わざわざ片鱗的な証拠を見せるまでもなく、あらゆる事物は易の法則を超えていない。

247 :井上筑後守:2010/05/21(金) 13:38:35 0
宗教一般よりは、道徳のほうがまだ品質が高い。
中には仏教のように高品質な宗教もあるが、人として最低限の
道徳の要件すら満たせていないカルト宗教も数多いからな。

人類文化文明の起源も、ピラミッドではなく縄文土器。
西方文明も事実存在していたには違いないが、
東方優位西方劣位ぐらいの文脈で西方をも捉えるぐらいが順当だ。

248 :考える名無しさん:2010/05/21(金) 15:40:18 0
知への愛を。

249 :井上筑後守:2010/05/21(金) 16:42:45 0
東方優位西方劣位という正しい認識に基づくことが、
西方優位東方劣位や東西みそくそといった誤った認識に基づく場合よりも、
何事に対しての勉学であっても正当なものとなる。
たとえ古代オリエントや洋学に大してであっても。

250 :井上筑後守:2010/05/21(金) 16:54:01 0
精密に数値で数えきっているわけではないが、
今までの経験からの大まかな概数把握でいえば、

聖道仏教:止持戒250:作事戒20

ユダヤ教:止持戒10:作事戒100

キリスト教:止持戒1:作事戒10

イスラム教:止持戒80:作事戒50

といった程度の配分になっている。
止持戒と作事戒の配分は対比の通りで、
各宗教の対比も数字の通り。聖道仏教の止持戒が
250戒なら、ユダヤ教の止持戒は10戒程度のもの。
必ずしもこの数通りの戒律数ではないし、男女や
老若によって守るべき戒律の数が違う場合もある。

251 :井上筑後守:2010/05/21(金) 17:01:36 0
たとえ体裁上は止持戒(禁止事項)になっていても、
「ラビによる金融強盗の扇動を邪魔してはならない」とか、
「神父による火盗改同心と火付盗賊の娘の結婚斡旋を拒絶してはならない」とかだと、
むしろ悪行の推進を黙認する、従犯でいるための作事戒にすらなってしまう。

だから、あくまで止持戒は「(異教徒か否かに関わらず)人のものを盗んではならない」とか、
「(僧侶であるのなら)結婚の媒介をしてはならない」とかの、正当なものでなければならない。

正当な止持戒を守って十分に悪行を抑制し、正当な作事戒を守って純粋な善行に務めてこそ、
戒律を守らないよりも守ったほうがいいことになる。不当な止持戒を守って悪行を抑制できず、
不当な作事戒を守って悪行や善悪みそくそ行に務めるぐらいなら、まだ戒律など守らない
ほうがよく、道徳からの自然な要求としての、礼儀作法でも守っていたほうがいいことになる。

252 :井上筑後守:2010/05/21(金) 17:13:06 0
ttp://tsukijihongwanji.jp/tsukiji/kekkon.html
まあ、こんなのもある。これは無戒律の他力本願だから。
別に結婚を媒介することが戒律なわけでもない。

253 :井上筑後守:2010/05/21(金) 18:35:00 0
儒学の「儒」は、春秋戦国時代までは学者一般のことを指していた。
道術家だろうが法術家だろうが軍術家だろうが数術家だろうが、みんな「儒」。
漢代に孔子学派を本流とする儒学が国教扱いとなるまでは、あまり学術の
内実に詳しくもない俗人からの、学者一般の通称として「儒」が用いられていた。

そういう意味での「儒」でも、未だにあることはある。
学者らしい学者、学問一般への精通者としての「儒」でもある程度はあろうとしている。
ただ、そういう意味での「儒」の正統をを見極めるとしても、何でもかんでもに
手を出した挙句、権力犯罪集団にまでなってしまった洋学などではなく、
やはり権力道徳をも守り続けてきた、今でいう儒学が万学の王であると言える。

同じく、あらゆる宗教においても最も高尚なのも、やはり万教の主である仏教だと、
地球の果ての学問宗教までをも把握した挙句として、再認し直しているところ。

何でもかんでもみそくそな友愛に貶めてしまう洋学ペースではなく、
正統とカルトの分別を適切に施す東洋教学のペースにおいてこそ、
万教万学に対する正しい学知すらもが得られる。儒学や仏教の他流に対する
突出した価値を認めてこそ、全教学に対する博物学もまた完成されたものとなる。

254 :考える名無しさん:2010/05/21(金) 18:59:08 0
創造説と進化論の問題があるが、老荘や仏教やギリシャ哲学(パルメニデス)の一者の理から
言うと、どういうことになるのかな?何か解決出来そうに見えるんだけど。

255 :考える名無しさん:2010/05/21(金) 20:40:29 0
種の起源ということであり、それは畢竟性欲とその目的に焦点があるのだ。

256 :考える名無しさん:2010/05/21(金) 22:48:06 0
性は理であり善だがな。
生殖目的でもない性的快楽に溺れたり、
逆にその反動で姦淫全体を禁止したりする情動は、
種族を繁栄に導こうとする健全性からは外れている。
性欲と姦淫欲は混同されがちだが、根本的には違う。

257 :考える名無しさん:2010/05/21(金) 23:14:53 0
ある集団の勢力が関わっている問題である。国が滅ぶということだ。
国が滅んで、国民が死滅すれば進化は途絶する。これは極端である。
反対に国が発展し勢力が付けば、国民は増え、それに応じた進化が見られるだろう。
その進化は、道具に始まり、人の考え方、適応能力までも進化するだろう。これも
も極端である。ここまでは、進化論の範疇である。
 こういうに変化する生命(人間であるかどうかは不明)を創造したものが居ると言うのが、創造説である。
そして、最初の生命が在り、それが進化発展していると言うのが、進化論である。
 両者はどこが問題で論争になるのだろう?対立関係はなく、一直線上にあるのではないか? 
老荘、仏教、パルメニデスの説によると、上の説は共に虚妄の臆見である。

258 :考える名無しさん:2010/05/21(金) 23:44:02 0
>>257続き
どうして虚妄の臆見であるかというと、両説には、生命とか言うものが
問題なくあると言う前提を共有してるからである。ところが、老荘などの知者は、
生命などというものの存在を認めておらず、一切のものは縁起してあるに過ぎないと
説くのである。
 このような進化論・創造説の源は、ギリシャのプラトンのイデア説にあると思う。
プラトンは、老荘が徳とは何か、勇気とは何か、などの人間の値打ちについて適切な
説明をすることができたが、プラトンは、この定義をすら出来なかったのである。
 老荘は、真理真実を知らないでは聞くに値することを話すことなど出来るものではない
といっているが至言である。プラトンもソクラテスも、真理真実を知らなかったので、
、彼の著作は結局値打ちの無い言葉に過ぎないものになっている。イデアなどと言う
ものを持ち出して、生命という固定的なものを妄想して、それが優れているか劣っているか等と
を言って人を惑わしたに過ぎないのであった。なんと有害であろうか。それが今の欧米の哲学
の主流のようになっているというのである。この点井上氏が、西洋の哲学を低く見るのは
正しいと思う。

259 :考える名無しさん:2010/05/21(金) 23:56:20 0
西洋では、ストアはが仏教・老荘に近似しているが、なんと言っても論旨が
プラトンに災いされて、不明瞭である。それ故に、その行いもまったきものとはなっていないのであった。
西洋でただ一人悟りを得ているものはパルメニデスである。その弟子ゼノンやメリッソスはその理論は理解していても
体得していたかどうか疑わしい。その行いから観て。ところが仏教と老荘を見ると
その明白な理論により、悟りを得たものは、多いのである。

260 :考える名無しさん:2010/05/22(土) 00:16:12 0
中国もインドも、ギリシャの100倍以上の国家規模だもの。
多くて当然。

261 :考える名無しさん:2010/05/22(土) 01:44:47 0
100倍以上悟ってて、しかも片手間(爆

262 :考える名無しさん:2010/05/22(土) 10:07:36 0
老荘みたいに葬式で歌って踊るのは、できそうでできない。
不謹慎ってだけじゃなく、自分でもやる気になれない。あれも聖人の成せる業だ。

263 :考える名無しさん:2010/05/22(土) 10:33:17 0
そもそも老荘は、感情と言うものはない、といっている。ない感情に
支配され服従してる人は、真実を知らない愚か者と言うことになろう。
心の生じるものは存在していないのである。相対的存在であるが故に。

264 :考える名無しさん:2010/05/22(土) 11:34:29 0
本当に感情に支配されていないのならば、人の財物を強奪してまでの富裕も求めない。
それは、感情的欲求が善行に向いている場合とは逆に、悪行に向いている場合であるに過ぎない。
道徳と犯罪、孔子と盗跖はコインの表裏、世俗の概念である善悪への感情に支配されているのには変わりなく、
下世話な感情に支配されている中でも、善への欲求に務めている道徳家以上にも、
悪への欲求にかられている犯罪主義者は卑賤な存在となる。

265 :井上筑後守:2010/05/22(土) 11:53:25 0
とにかく何もかもを自らの所有物にしてしまおうとする
博物志向も、下世話な感情にかられた活動の一環。
ユーラシア大陸の僻地の天候不順地域で悪念を蓄えていた
白人たちは、世界中から不正な手段で名品珍品を奪い去り、
大英博物館やルーブル美術館に納めて未だ悦に入っている。

さて、あらゆる博物の中でも最も重大な項目である「精神理念」に
おいて、いざ古今東西全ての教学をも我が物にしてしまおうとする。
中には自分たちに都合のいい教学内容を持つものもあるが、
東洋社会において最大の威勢を奮っていた儒学や仏教こそは、
天地万物の実相に即して正しい「格物致知」を試みるものであり、
ただただ何もかもを自己の所有物にすればいいなどという
玩物喪志を乗り越えないことには得られないものだった。

これらの教学までをも自分のものにするためにはもはや、
呂氏専横の粛清に際して、「こんなもの持ってても仕方がない」と
全ての珠玉や宝器を堂下にばら撒いた、呂后の妹呂須のように
思い切らなければならない。富貴を道に基づかずに得ようとした
自分たちの誤った姿勢が、東洋教学の初歩中の初歩である
「論語」にすら悖るものであることを反省して、幼稚園児たちと
一緒に「子曰く〜」の読誦からやり直さなければならない。

266 :井上筑後守:2010/05/22(土) 12:59:05 0
大乗仏教の聖人による利他活動(例:弘法大師の感慨事業)が、
衆生の欲求を満たすためのものでもあったことへの疑念が>>208などで呈されているが、
衆生に欲求を捨て去らせるための布教活動以前に、欲求を洗練させて
無意識なままでも断悪修善と導くのが、世俗の衆生に対する救済活動としては第一歩となる。

悪行や善悪みそくそ行までへもの欲求に陥っていた、最悪の迷妄状態にあった衆生を、
まずは善行や、その実践手法を概略化した現儒学の修習などへと導く。
その上でさらに、無為自然の道家や自利の小乗仏教に進ませたり、
さらに意識的に断悪修善を講ずる大乗仏教の境地にまで導かせたりする。

何も欲求の捨て去りを促すばかりが仏教の能でもなく、大局に見合った適材適所な
救済方法を多数用意しているのが、道家や小乗仏教と大乗仏教の違うところ。

267 :井上筑後守:2010/05/22(土) 13:37:16 0
今仮りに、目の前で憎んでいた相手が死んでいくとする。
悲しみの感情など一切湧かず、かえって歌って踊りたい気分にすらなったとしても、
別にそれは感情を捨て去れているわけでもなく、かえって憎悪という感情に囚われている姿ですらある。
善人も悪人もみな等しく帰りつく場所としての死を、悲しいどころかめでたいものとして扱う
道家的な達観に与れているわけでもない。愛憎の両極に振れ切った最も危うい姿でしかない。

「論語」陽貨第十七・二三で、孔子は「君子にもまた憎むことはある」と述べた上で、
「人の欠点をあげつらう者を憎む」という。要は「人を憎む者を憎む」という、意趣返しの提示。
憎むことを憎み嫌うのなら、自分もまた憎み嫌わないことがより賢明であり、最終的には
愛憎をことごとく捨て去る道家の境地に行き着く。道家の境地にまで行き着けない過程として
悪を憎む儒家があり、愛憎を捨て去った中で自ずからの断悪修善に臨む大乗仏教にまで
行き着けない過程として、無為自然の道家や無賊害心の小乗仏教がある。

格の高さで言えば大乗仏教>小乗仏教≧道家>儒家だが、それぞれに完成した趣きを持ち、
この内では最下位である儒家ですら、それなりに達成せんとするところがある。すなわち、
無意識な中でもの世俗での勧善懲悪の実践。唯識や中観に基づいて意識的に断悪修善の正当性を
わきまえる大乗仏教以上にも、誰しもが即座に始められる、汎用性の高い東洋教学としての長所がある。

268 :考える名無しさん:2010/05/22(土) 16:25:06 0
大乗は利他行をするが、小乗は利他行をしない、とは大乗の所説である。
このように大乗からいわれる原因があったに違いないが、その大乗も法華経で
小乗も大乗もないといったのであります。
 そこで、大乗の言う利他業とはどのようなものかを吟味して明らかにしてみるべきです。
世には利他業と似てる概念として愛と言うものも氾濫しております。
この利他と愛と言うものを、老荘の言うところと関連付けて、解明してみると良いのです。
この作業は必要であります。

269 :井上筑後守:2010/05/22(土) 18:27:37 0
大乗が利他で小乗(上座部)が自利ってのは、
教義の内実にまで遡ってみないと判然としない所がある。

上座部の根本経典の一つであるダンマパダ(法句経)に「無賊害心」とあり、
自他のいずれに対しても徹底的に害為を禁止するのが小乗仏教であるといえるのに対し、
時には即身仏のように、己れを害してでも他者への奉公に務めようとするのが大乗仏教。
「弁顕密二教論」などを読んだ所では、密教の秘密教義の中にも、自害同然の荒行によって
衆生を救済する要素があるそうな(密教者ではないので内実は定かでないが)。

いずれにしろ、仏教は「愛」は否定する。愛憎を表裏とするコインの一面に過ぎない愛という感情を
根こそぎ捨て去って、それでも生ずる菩提心の発起に務める場合があるのが、仏教というもの。
>>159などにも書いたが、菩提心は仏教版の仁義とでも言ったところで、親愛の介在を認める儒学の
仁義以上にも、精密に洗練されているのが菩提心の特徴かと思う。愛は、良くも悪しくも場を濁す。
白河の 清きに魚の住みかねて・・・の狂歌もあるし、仁義以上にも会得も頒布も困難なものだろう。

270 :考える名無しさん:2010/05/22(土) 18:42:25 0
大乗というのは、既存の仏教教団に居た信徒達が、その所属する教団のあり方に
反対のところがあったので、自分たちの教団を作ろうという動機があったのです。
ですから、新興教団の人たちは、旧教団のあり方を詳細に知っているわけです。
それはどのようなものであったかと言うと、大乗経典の言うところから推察することができます。
簡単に言うと、利他行がない、ということでした。このことは、次のような事情を推察することができるでしょう。
利他行を思うようになった人たちは、旧教団での修行を積み重ね、ある程度の理解に達し、次の修行の段階を求めた
と言う事情です。仏としての行動を衆生の中で働きたい、と言う気持ちが起きてきたのです。こういう事情が素直に考えられるのです。
そして、旧教団(これを所期教団といっても良いですね。)の修行は、理解を行き渡らせるために、論理的な説明が基本でした。
37菩提分法などでしょう。そしてその修行の目的である空諦との合一と言う点は、初期経典を見ると
いささか曖昧になっていると思われるのです。そのために、修行自体が行き詰まっていたのだと思います。とにかく
衆生の中での仏の行為と言うものは、付属の付属だったのだと思うのです。
衆生の中での仏の行為を菩薩行と言うのですよね?何時までも仏の弟子であってはならず、ひとり立ち
つまり、仏にならなければならないのですからね。こういう変遷は必然な成り行きと言うべきだと思うのです。


271 :考える名無しさん:2010/05/22(土) 18:44:09 0
>>270続き
まとめると、小乗と言うものはなく、また大乗というものもなく、あるのは修行の進展の段階であった、というのが当たっていると思うのです。
 大乗の行為は老荘の無為自然そのものです。老荘は、聖人が一度一を念ずるなら、世界は治まるといって居ますね。
だとするなら、僧院があり、そこで、修行してる人たちが居り,その目的が達成されるなら、世界はニルバーナになるともいえるのです。
これを無為自然といって良いでしょう。老荘の聖人は、他人に差し出がましいことを一切しない人であるのです。
それが利他に当たるのではないでしょうか?その聖人からは、煩悩の片鱗も流れてこないのです。
 大乗教徒を自称するものが、衆生の中に入って菩薩行をする場合、煩悩を遮断した行為により、人の信頼を得るはずです。これは老荘の聖人と同じ
利他行をしているのです。無為自然なのです。無為自然は一切の善行を成し遂げるというのは老荘の言葉ばかりではありません。
大乗経典、初期(原始)経典の教えるところです。

272 :井上筑後守:2010/05/22(土) 19:09:23 0
大乗の利他志向と小乗の自利志向の違いは、何よりもその教義の内実にこそ現れている。

原始仏典が素朴で「論語」や「老子」並みに朴訥な記述に終始しているのに対し、
大乗経典のほうは読み手の都合も十二分に配慮した、荘厳方便の限りを尽くしている。
その、荘厳や方便こそが大乗仏教の核であり、原始仏典やそれに基づく小乗仏教などで
示されていることは、より体のいい形で儒学や道教において既成されていた極東社会では、
荘厳方便こそは本旨である大乗仏教の煌びやかさが、新たな要素として享受しやすかった。

釈迦の本来の教えを口伝のまま写実した原始仏典、それを実践する小乗仏教は、
儒学というよりは道教寄りの傾向を伴っている。仏教も道教も基本は超俗志向であり、
儒学は世俗志向である点からして、仏教を道家的に捉えるのはごく自然ないきさつではあるが、
「釈迦の教えの中にも世俗での利他志向はあった」と、道教よりは儒学に近いような要素が
釈尊の教えにもあったのだということを強調したのが大乗仏教であり、そう主張することが
小乗仏教以上にも優位である根拠は、諸々の大乗経典などに多く記述されてもいる。

大乗仏教は儒家寄り、小乗仏教は道家寄りであると今なら言えるが、
小乗仏教が本格的には流入していなかった昔の極東社会で、そこまでの判別は
付かなかっただろうし、付いたからどうするかといえば、やはり個人的には道教や小乗よりも、
儒学や大乗を重んずるほうを選択する。結局極東人にとって変わるところは何もない。
説明責任の不履行は、劣悪な側の存続を助けたのみで、優良な側には大した影響はない。

273 :考える名無しさん:2010/05/22(土) 22:01:00 0
黄老思想と言う名前には、荘子が入っていないが、黄老思想が形成されたときには
、荘子がまだ活躍してなかったということですか?

274 :井上筑後守:2010/05/23(日) 11:07:19 0
今から4707年前に即位し(清朝の学者の計算。「易経講話」参照)、
一時は武威による支配なども試みたものの(「史記」五帝本紀参照)、
うまくいかず、無為自然の統治を試みて成功した(「列子」黄帝第二参照)
黄帝軒轅が、無為自然を意識的に統治手段に用いた初めての人物として、
(それ以前にも無為自然の統治は行なわれていたが、意識的ではなかった)
道家の根本的な始祖に祭り上げられた。老子はその大成者扱い。

黄帝はあくまで伝説上の人物で、伝承通りに実在していたかも定かではないが、
その黄帝と老子をあわせて「黄老思想」と呼ぶ習わしが早くに生まれたが、
それだと黄帝よりもさらに昔の、伝説上の聖王である伏羲を儒家の始祖として、
(伏羲が創始したとされる「易」には、儒家的な勤労奨励の要素も多く見られる)
孔子を儒家の大成者とすることもできなくはない。年功序列が徹底している
中国において、儒家が先だったか道家が先だったかということはかなり問題であり、
伏羲→黄帝→孔子→老子→孟子→荘子の順番であった可能性が高いことから
今だと儒家のほうが道家よりも早かったとほぼ分かり、「孔孟」や「老荘」といった
列挙も定着しているが、伏羲よりもさらに昔に居たとされる燧人や天皇、地皇、人皇
らを道家が崇め立てる場合もあり、由来の古さ勝負はまだ決着は付いていない。

275 :井上筑後守:2010/05/23(日) 11:30:38 0
孟子や荘子の一般的評価が定着したのは、かなり新しい。
荘子が老子並みに崇められ始めたのは唐代以降。孟子に至っては、
宋代に朱子が「論語」や「大学」「中庸」と共に「孟子」を四書の一書に入れるまで
儒学史において重要な地位を占めていることすらよく認識されていなかった。

評価が活躍時期よりも数百年遅れるなんてのは、東洋教学ではいつものこと。
「史記」の評価が高まったのも、司馬遷の死後何百年も経ってから。
評価される側も、当世での評価などにさしてこだわっていなかった可能性が高い。
農耕民族ならではの気の長さというか、「身を捨て名利はすてず」ということか。

276 :井上筑後守:2010/05/23(日) 13:21:06 0
思うに、本当に甚大な功績というのは、
評価が現世にまで追いつくと、かえって煩わしいのではないか。

「耳で車を引っ張った最長記録」とかの、
さほどでもない功績ぐらいまでが、現世の評価としても
面白がれる範囲。全世界全人類の命運をも左右するような
甚大な功績は、もはや現世において誇りようもないのではないか。

かといって、功績者の側が早死にすれば、
死後の評価が高まるなんて話でもない。功績の大小は
普遍的なもので、甚大な功績への評価は自然と遅れる。
些少な功績への評価は即座な一方、一過性であり、
すぐに忘れ去られる。早死にして死後に評価が高まったとて、
些少な功績の評価である以上は、ただの評価の偽装でしかない。

悠然と長生きして安らかに死に、何百年もの後にやっと
正当な評価を受ける大功績者。未だ不当な評価に過ぎなくとも、
存命中の評価もまたそこそこであるというのが、
一人の人間の一生としても、重畳なものではないか。

277 :考える名無しさん:2010/05/23(日) 16:21:53 0
パルメニデスにはゼノンと言う弟子が居まして、彼はパルメニデスの一思想を予後するために、
四つの逆説を発表しています。アキレスと亀、飛んでる矢は止まっている、とかです。
 荘子の友人に恵氏と言う人が居ました。彼は一国の宰相でもありました。
荘子は恵氏も悟っているといっています。その恵氏が、ゼノンと同じ逆説を発表しているのです。
彼の仲間達は名家と言う名前をつけられていますが、道家に他なりません。
恵氏の逆説は道家の説を擁護するものなのです。荘子自身は恵氏にたいして
、よき友人同士であったに違いないと思うのですが、恵氏が死に荘子も死んだ後、
それでも道家も名家もその説の価値のために残っていて、仲間が存続していたのですね。
ま、私は詳しくないのですが、そのように思いたいのです。
 で、恵氏は宰相でしたから、政治と言う仕事があったのですが、その政治に自分の信じる
一の思想を適用したのです。兼愛と不戦の政治を行ったということです。これはプラトンの哲人政治に
真正に当たりますね。兼愛と不戦と言うのは墨子の思想でもあるのですが、こういう思想は
一の思想、すなわち老荘思想から出てくるもので、それ以外から来ないものではないでしょうか?
そのはずと思います。
 この時代はすばらしい時代ではなかったでしょうか?
 ヨーロッパでは、一の思想を発表したパルメニデスは、メリッソスと言う弟子が政治家として
活躍したことは知られております。しかし、その事跡がどのようなものであったか、知られているのでしょうか?
彼が最後ではないでしょうか?いやそれには異論が出そうです。ストアだとか、キリスト教に受け継がれている
と言う主張もありえますから。

278 :井上筑後守:2010/05/23(日) 19:23:42 0
道家は儒家のように正統云々をうるさく言う学派ではないので、
虫が寄り付いてもさして振り払おうともしてないが(昔は仏教とも二人三脚だった)、
道家を道家たらしめているのは、一にも二にも「無為自然」の実践だ。
兼愛だの不戦だの、法治主義だの十字架だのを振りかざして
世俗でやり込めようとしている時点で、すでに当人は道家ではない。

孝文帝のように、群臣から何度も何度も即位を乞われてやっと受け入れ、
帝位に就いてからの仕事も法律の緩和や撤廃などの消極的な事業が主というのが
世俗での活動者としての模範的な道家実践者。何らかのイデアを世俗上で
実現しようなどとのた打ち回ることを全廃してこそ、模範的な道家だといえる。

279 :井上筑後守:2010/05/23(日) 19:38:56 0
無為自然の世俗における実践は、最高権力者こそが行って然るべきもの。
天下万民の模範たる帝王が、あらゆる活動を消極的に止めることで、
やもすれば不埒な活動に走りがちな全国民をも寂寞ならしめる。

そうではなく、為政者のほうは日夜立法行為などに奔走し続けて、
国民のADHD化の規範ともなりながら、その立法行為によって国民の
自由な活動を締め付ける、法律万能主義に基づく社会体制の高度機械化は、
権力者こそは無為自然であることで、それを模範とする国民も無為自然となる
道家の政治的実践でないのはもちろんのこと、最も道家の実践から
かけ離れたものですらある。>>176が「現憲法が国民の無為を保護している」
などと言うが、自由の保護はむしろ無為からかけ離れた多動性障害の
けしかけにしかなっておらず、事実、政治家たちも引っ切り無しの活動をして回り、
国民にも何もかもをやらせようとして、さらにそれを実定法で締め付ける。

引っ切り無しの活動をやらせた上で、「○○をすれば、××の刑に科す」の
道徳性からもかけ離れた単なる事務的記述に過ぎない刑法で、被治民の活動を
トップダウンに修正していく法治主義体制は、とにもかくにも道家の実践じゃない。
無為自然が絶対的に善いものかどうかは別として、完全なる無為自然こそが
実践的本分である道家の徒を名乗れるような代物じゃない。道家とは徹頭徹尾
無関係なものを、さも道家の友達であるかのように触れ回るのはおかしすぎる。

280 :考える名無しさん:2010/05/23(日) 22:15:25 0
>>279
>自由の保護はむしろ無為からかけ離れた多動性障害の
けしかけにしかなっておらず、事実、政治家たちも引っ切り無しの活動をして回り、
国民にも何もかもをやらせようとして、さらにそれを実定法で締め付ける。

大乗経典には、菩薩の仏国土を清める働き、ということが必須の行為として言われています。
これはどういう意味でしょうか?仏国土は清められる必要のある汚い国土でしょうか?
相じゃなくて、仏国土になるように清めるということであると思います。自分の仏国土になるように
清めると言うことなのです。菩薩の働きとはどのようなものでしょうか?人の無明を消すということでしょう。
無明とは、一相無相空相という真実に反して、何か実体と言うものがあり、それを取ったり避けたりする行為というものでしょう。
貪・瞋・癡といわれるものでしょう。菩薩が貪・瞋・癡を働くなら、相手も貪・瞋・癡
を避けようがないのではないでしょうか?菩薩が貪・瞋・癡を働かないなら、相手も貪・瞋・癡
を働かせる要が無いのです。これは菩薩が真実を悟っているから、菩薩にだけできることなのです。
こうして菩薩の仏国土にしたいところは、清められていくのです。菩薩は、
自分が清浄行をしてると言う意識はありません。真理を行っているという意識はあるでしょう。
真理を行うことは絶対的命題なのですから。真理を行うところには、作為と言う
ものはありません。尊理の世界は一相無相空相なのですから、そこには作為の入り込む余地はないわけです。
 こうして仏国土を清めてから、仏になるのです。仏になると、その後、真実在としての
無相そのものとして、衆生に認められているだけで充分なんです。
 さて衆生の方は、自ら清めたもので、菩薩の影響を感じないのです。菩薩が仏になったと同じに、
自分も菩薩行を経て仏になるのです。
 

281 :考える名無しさん:2010/05/23(日) 22:16:13 0
>>279つづき
 この上の仏国土とその衆生の有様は、老荘の国と異ならないのです。老荘の国民が望んでいた政治を
墨子や恵氏がしたのです。よい法律(政治)と言うものはこのようなものだと思います。
自分の邪魔になるものを取り除いていきたいのです。取り除いて自分が幸福になるのです。
自分の周りの人からの妨害を取り除きたいんでした。墨子恵氏の行ったことはその邪魔者を取り除くことでした。
他者の貪・瞋・癡の行為を自分に及ばないようにしてくれたのです。菩薩が
貪・瞋・癡の行為をしなかったので、自分も貪・瞋・癡の行為をしなくてすんだのと同じです。
菩薩が貪・瞋・癡の行為をしないに応じて、自分も貪・瞋・癡の行為をしないようになって、自分を清めていくことができたのです。
 ですから、無為自然とは、孤独に隠遁して何もしないという意味がすべてではないというべきです。



282 :考える名無しさん:2010/05/23(日) 22:31:54 0
つづき
今の日本の政治を是認するという意味ではありません。
むしろ今の行政は違法な行政であると思っています。

283 :井上筑後守:2010/05/23(日) 23:10:17 0
道家と仏教は似ている→仏教は積極的な菩薩行に臨む→道家も何もしなけりゃいいわけじゃない
という三段論法は全くの詭弁だ。菩薩行を重んずる大乗仏教の傾向はむしろ儒家に近い。
仏教は人間の行動を大まかに限定するための教学などではなく、一進一退行動不動、
全てにおける真理を探究しており、実践面は無為自然ばかりに特化した道家よりも積極的な場合もある。

実践面が勤労の奨励である中国思想は儒家だし、勤労の義務化であるのは法家。
そして無為自然であるのが道家であり、人間の大まかな行動規範に対して
それぞれの派閥を持つのが諸子百家の特徴。実践が即身仏込みの菩薩行であることもあれば、
無賊害心であることもある仏教のような微妙不可思議さは中国思想の側にはない。
いずれにしろ、勧善懲悪や断悪修善程度の方向性を持つには変わりないが。

284 :井上筑後守:2010/05/24(月) 11:43:07 0
「自由」は、「無為自然」の反意語だな。

「束縛」だと思われがちだが、束縛の反意語は「解放」。
束縛から解放されて自由になるということはあるが、
そのような奴隷拘束まずありきのガチガチの作為現象は、
全般的に無為自然と無関係であり、相反しもする。

無為自然は一切の行動を規定しない一方、
行動に対して消極的であることで一貫する。それと同じく、
自由もまた一切の行動を規定しない一方で、
行動が積極的であることに関しては一貫する。

行動の規定を取り去る点では共通しているが、
行動に対して消極的か積極的かという点で、無為自然と
自由とは決定的に相反しており、まさに反意語関係にあるといえる。

為すこと無くしてこそ、為さざる無きなり。
何もかもを為せば、為さざることばかり。
過ぎたるはなお、及ばざるが如し。

285 :考える名無しさん:2010/05/24(月) 18:20:52 0
>>284
>行動の規定を取り去る点では共通しているが、
行動に対して消極的か積極的かという点で、無為自然と
自由とは決定的に相反しており、まさに反意語関係にあるといえる。

消極的か積極的かが問題なら、ゼノンのアキレスと亀のパラドックスを適用して
、積極的自由は、消極的無為自然を行動において凌駕することができない、
と証明できるでしょう。要は、積極的か消極的かは相対的なもので、消極的積極的
というのは誤った判断であり、実体のないものなのです。幻なのです。
 相すれば、自由と無為自然とは同じものといわなければなりません。

名家の堅白同異とか白馬非馬論は、ゼノンのパラドックスと同じ趣旨で発表されているものです。
ところが、この種氏が誤解されて、これらの知者は、詭弁かといわれるのです。
これらのパラドックスを言うのが目的ではないのです。この前提である、早いとか遅いとか言うことに
意味があると考えることがそもそもの間違いであるというためなのです。
 堅白同異なら、硬いや若いというのは午後人である、また、白い黒いとか、馬であるとか、
人であるとかの識別は、識別そのものが間違い、であるというためなのです。
 
 自由と不自由も最終的には、識別する限度で、二律背反が生じるのです。
そこで、一とか無相とか空相とかの表現なら、何とか二律背反の恐れがないだろうという
と考えられているのだと思うのです。どう思いますか?

286 :考える名無しさん:2010/05/24(月) 18:27:27 0
訂正
種氏→趣旨
詭弁か→詭弁家
硬いや若いというのは午後人→固いや柔らかいと言うのは誤認

287 :井上筑後守:2010/05/24(月) 18:45:28 0
道家の実践(本当に何もしない)×名家やソフィストの詭弁論=法家の実践(自由の鼓舞で多動性障害に陥らせた民衆を実定法で締め付ける)
となるわけだな。
初期項が、論理のいじくりによる相対化で、全く真逆の代物となる。
やはり詭弁論は詭弁論に過ぎないと再認識させられる。

あくまで詭弁論による相対化を認めない儒家などの立場から、
本当に何もしないことを実践手段とする道家の正統なあり方にのみ注目することもあり、
歴史的に言えばそのような、実践面からの正統な道家の享受こそが重んじられてきた。
無数の法律で民を締め付けた始皇帝ではなく、次々と法律を緩和撤廃していくことで
自ずからの平穏無事を民にまで分け与えた文帝こそは道家の忠実な実践者とされる。

道家と儒家は漢代以降も重用されたが、法家や名家は学派としてはほぼ完全に途絶えた。
玉石混交の諸子百家をあげつらうのもいいが、石を棄てて玉を採る取捨選択の
なされた歴史的経緯についても、ある程度は考慮の対象とせられたい。

288 :考える名無しさん:2010/05/24(月) 19:04:08 0
>為すこと無くしてこそ、為さざる無きなり。

この前者のなす事なきの「なすこと」とは何でしょう?何をなすことがないというのでしょうか?
それは一と言う真実相に反する行為で、意図的な行為であり、作為だと思うのです。
こういう真実相に違反する行為をしない、と言うのが前者の意味だと思います。
そして後者は真実相に合致した行為であると思うのです。真実相にかなった行為は
、作意がなく、意図的ではなく、端から見て自然なのです。真実相は不生不滅なものですから、
後から追加したり、取り去ったりできないもので、それ自身で完結しているものです。
完結してるとは、すでに有るのであり、いかなるものをも必要としていないのです。
為すと言う表現に相対して言うと、一切のことを成し遂げているということになります。
このことを後者の「なさざるはなし」といったものではないでしょうか?

289 :考える名無しさん:2010/05/24(月) 19:18:46 0
自由≒人道≒無為自然

290 :考える名無しさん:2010/05/24(月) 19:34:13 0
×自由≒人道≒無為自然
○自由≒矛盾許容論理≒無為自然

自由≠実相=無為自然

291 :井上筑後守:2010/05/24(月) 19:40:37 0
>>288
あなたのいう真実相に適った行為も、適わない行為も、いずれも道家は為さ無い。
ありとあらゆる行為を為さないでいて、ありとあらゆる行ないをも為さざることが無い。
真実相に即した行為だろうが反した行為だろうが、いずれも為さざることは無い。

実践が無為であることは、善悪真実不実一切において徹底しているのが道家。
だからこそ善行悪行何もかもを、水火をものともしないが如く為さざることがない。
それはそれで、一概な悪逆非道ほどにはひどくもないが、真実相に即した善行のみを為し、
真実相に反する悪行のみを為さずおこうとする、仏教の側からしても卑俗な姿だし、
より卑俗ながらも勧善懲悪を下劣に推し進める儒家の側からも、あまり魅力的に見えない。

善行であれ悪行であれ、一切何もかもをしないという状態は、非常に特殊な状態。
その特殊状態を実践することで、最大級に清濁併せ呑む道家的志向は、
本当に誰も分かっちゃいない。あくまで言葉の端々から類推しているに過ぎない。
理解を諦めてクンブメーラのようなお祭りをしている連中は何億人といるのに、
理解を試みる連中に至っちゃ、誰一人として挫折せずに済んだことがない。

「分からない」という障壁以外の何ものでもないのが道家。
人知の及ぶ範囲を超える境界線に立つ、柔弱ながら厳格な門番。

292 :考える名無しさん:2010/05/24(月) 19:41:57 0
真、私はイエスキリストと言われてる人も、一の真実を悟っている人と思うのですが、
その人の言葉を援用すると、彼は、神は真実であると言い、真実は人を自由にすると言い、
神は唯一であるというのです。彼の一と言う真実は人を自由にするとはどういう意味なんでしょうか?
どうしてこんなことを言ったのでしょうか?
 それはやはり、老荘仏陀の言うように、一なるものは不生不滅であり、完結しており
、他を必要としていない存在であるとし、故に、この真実相に反するこの世の、現象は
幻であり、執着する価値のないものであり、幻のためにいかなる行為をもすべきではないというものであり、
反して一なる真実相の為に行為すべきである、というものであり、この世の幻に執着する行為は
決して得られるものがないということを知るべきであり、そのことを知って、この世に執着しないことが、
自由になる、ということであると思えるのです。そして執着を脱して自由になると、そこは真実の世界ですから、
得た一なる真実は、決して人を欺くことはないのであります。何時も何時もどこを見ても
その一があるのです。真実在であるが故に他のものを一切必要としません。真実在に合一した人は、
他の一切のものから自由になり、何かに欠乏するということがないのです。
これこそ自由ではないでしょうか?老荘釈迦の言うニルバーナもこれと同じものだ思うのです。

293 :考える名無しさん:2010/05/24(月) 20:11:28 0
自由:自らに由ること
人道:天が与えた個々の性質に従い生きること

≒≒無為自然

294 :井上筑後守:2010/05/24(月) 20:15:43 0
>>292
全く違う。

と、断言するだけなら簡単だが、その理由を分かるように説明するのは甚だ難しい。
仮に今ここで、仔細はともかく、とにかく分かるような説明に努めてみるなら、

@炊きたてのご飯は美味しい。
A炊いてから少し経って水気の抜けたご飯も、炒飯などにすれば美味しい。
Bかなり時間が経ってそのままでは食えなさそうなご飯も、ご飯漬けなどのために使える。
Cあまりにも時間が経ちすぎて、青カビ赤カビ白カビの生えまくったご飯は、もう食えない。

以上の炊きたてご飯の経過具合に指し示して言うなら、
炊きたてそのままのご飯@が道家やヒンズー教、神道など。
炊いてから少し経っても炒飯などにして食えるご飯Aが儒家。
そのままでは食えなくても、ご飯漬けなどに使える古いご飯Cが仏教やイスラム教。
時間が経ちすぎて、もはやカビだらけのご飯Cがキリスト教やユダヤ教。

炊きたてご飯が成熟発酵していく過程として扱えるのは、@からBまで。
Cは成熟でも発酵でもなく、腐敗。ご飯が行き着く過程として最も陰惨な状況。
そのCこそを好き好んで食べようとする輩もいないことはないが、最悪の腐敗に陥っている
状態なだけであるからして、それを「不実の究極」として扱う以外の、何らの選択肢もない。
七色変化のカビだらけと化している、ほったらかし過ぎご飯よりもおかしな存在は
他に無いが故、七色カビご飯であるユダヤ教やキリスト教をカルト扱いにしないことには、
地球上のいかなるご飯に対しても、新しい古い、食える食えないの分別は付かなくなる。

295 :井上筑後守:2010/05/24(月) 20:22:06 0
善い悪い、是か非か、YesかNoかといった差異の有無の分別のためにこそ、議論は存在する。
一切の差異差別を否定して議論を滅尽するのなら、それでもいい。
みそもくそも一緒くたな論争を忌む、道家や儒家の意向にも、それでこそ沿う。

わざわざ論争に臨みながら、カビだらけご飯を守ろうとするのはなぜ?

296 :井上筑後守:2010/05/24(月) 20:23:44 0
>>294訂正:
×そのままでは食えなくても、ご飯漬けなどに使える古いご飯Cが仏教やイスラム教。
○そのままでは食えなくても、ご飯漬けなどに使える古いご飯Bが仏教やイスラム教。

297 :考える名無しさん:2010/05/24(月) 21:05:00 0
>>291
実践が無為であることは、善悪真実不実一切において徹底しているのが道家。
>だからこそ善行悪行何もかもを、水火をものともしないが如く為さざることがない。
それはそれで、一概な悪逆非道ほどにはひどくもないが、真実相に即した善行のみを為し、
真実相に反する悪行のみを為さずおこうとする、仏教の側からしても卑俗な姿だし、
より卑俗ながらも勧善懲悪を下劣に推し進める儒家の側からも、あまり魅力的に見えない。

善悪と言うものがないというのが真実相である。また一相=一=無相=空相。
真実相にかなってとは、善と言うものがある、または悪というものがある、と思って
善行悪行を行うのは、真実相にかなってない。それは善悪に執着しない行為である。
老荘は善悪は一つのものであると知っているからである。同じものと知っているからである。
この知恵に基づく行為が老荘の認める真実相にかなった行為である。そして
このことは仏陀もパルメも、イエスも認めるところである。真実在は一なるものだからである。
 だから、儒家の善悪とは異なるでしょ?
 また反対に、真実相に反する行為とは、善悪があると考えての、行為である。

298 :考える名無しさん:2010/05/24(月) 21:28:20 0
>>295
断定的過ぎますか?断定的なものの言い方が楽だということを昔
悟ったのですw。
でも、威圧過ぎる場合もあるでしょうね?
 対論の仕方としてはまだ下手なんでしょうね。

299 :井上筑後守:2010/05/24(月) 21:42:00 0
善悪是非正誤有無は、議論しうる限りでの一切無二に及んでいる。
炊き立てのご飯からカビだらけのご飯にまで及んでいて、
それら全てについて論じようとした荀子は却って儒家では異端として扱われ、
炊き立てからせいぜい炒飯に使えるぐらいのご飯までを論じた
孔子や孟子は、儒家の正統とされた。

あらゆるご飯の状態を論じて、それら全てをアリとするのもまだアリなわけだが、
カビだらけのご飯の他に対する優位までも強弁される段にまでなると、
全ての位相が引っくり返る。ご飯は炊きたてほど美味しく食べられ、
時が経つほど食えなくなるという、一貫した認識から覆されざるを得なくなる。

位相の転覆にまで及ばない範囲で、炊き立てからカビだらけまでを論ずるのはアリ。
カビだらけこそは一番だなんてまでなるとダメ。それ特有のあり方だけが、
ツッコミに対するボケ専門になる。天地万物一切無二にとってのボケ専門になる。

300 :井上筑後守:2010/05/24(月) 21:42:54 0
どんな議論でも、ある程度は断定のためにある。
断定を目的にあらゆる議論は展開される。

最大の調和は沈黙と共にのみある。

301 :考える名無しさん:2010/05/24(月) 21:47:30 0
>>295
>わざわざ論争に臨みながら、カビだらけご飯を守ろうとするのはなぜ?

イエスが神を一なるものとし、それを知ることは人を自由にすると教えている限り、
それは老荘仏陀と同じ教えであり、それが真理真実であるなら、現在のわれわれにも
通用するはずである。通用するかどうかの追及であるといえる。
 イエスだけがカビが生えているとはいえないだろう、時間的には、老荘仏教のほうが
古いのだし。カビが生えており通用しないという理由をこそお聞きしたいです。

302 :井上筑後守:2010/05/24(月) 22:09:52 0
時間軸は関係ない。
諸子百家よりも数百年遅くイエスが出現したことは
それなりの思想形成上の特別な境遇にはなっただろうが、
時間軸や空間軸に関係ない、この宇宙全世界にとって永久不変の
炊き立てご飯や、炒飯に使える程度のご飯や、ご飯漬けに使える程度のご飯や、カビだらけのご飯について
その正当性の論拠であろうとしたのが、神道だったり道家だったりヒンズー教だったり、
儒家だったり、仏教やイスラム教だったり、ユダヤ教やキリスト教だったりした。

永久不変の真理に基づいて何かをどうかしようとしたことには変わりないんだが、
最良の状態だったり、そこそこの状態だったり、マシな状態だったり、最悪の状態だったりについて
何かをどうにかしようとして、最悪の状態を最悪の状態のままにどうにかしようとしたのが
イエスだったりしたために、善悪是非を論ずる上では、それだけを最悪として扱わざるを得ないということ。
最悪以外に改善されるべきものはあり得ない。最悪が改善されないことには、他もどうしようもない。

303 :考える名無しさん:2010/05/24(月) 22:23:01 0
>>302
また明日お返事させていただきます。今晩はここで失礼します。

304 :考える名無しさん:2010/05/24(月) 22:32:16 0
どこまでも蹴落とされ続けていく最下位ではなく、
下限があったうえでの最下位であるところが、
たぶん想像とは違うところ。

305 :考える名無しさん:2010/05/24(月) 23:10:18 0
井の中の蛙が大海の広さを認めないからといって、
誰も大海の広さを楽しんではいけないのか?

306 :考える名無しさん:2010/05/25(火) 00:28:17 0
真理など無い。イデアなど無い。変わらないモノは無い。

307 :考える名無しさん:2010/05/25(火) 07:26:55 0
>>287
>道家の実践(本当に何もしない)×

道家の無為自然を「本当に何もしない」と解することは間違いだと思います。
そもそも普通から考えて、何もしないと決意すること自体、それは行動の一形態ではありませんか。
道家の無為自然とは、こういう意志に基づく行動と行動の停止、これらは心の働きに基づくもの
故に、「有為」であるというのだと思うのです。「無為」ではないのですね。
無為とはまさに、意志に基づかない行為を言うのです。意思とは何でしょうか?
利益に関わるものに違いないと思うのです。つまり欲のことだと思うのです。
ですから、「無為自然」とは欲のない行為、ということができると思うのです。
よく私心がどうのこうのと言います。この私心とは、欲心のことではないでしょうか?
老荘でも仏教でも、私心が有ることを避けるべきこととしていませんか? 
 要するに私心がない行為を「無為自然」というのであって、「行動の停止」を言うのではない
と言うべきではないでしょうか?

308 :考える名無しさん:2010/05/25(火) 07:43:41 0
>>302
イエスの教えがカビの生えたご飯であると言う趣旨ではなく、イエスの見た
当時の世界がカビの生えた時代と言うべきものであったと言うのでしょうか?
真実の世界でない世界は、どんな状態にもなると思います。インドの釈迦当時の世界
、老荘の当時の世界、これらの世界が真実の世界でないのなら、これらの世界に
いかなる優劣の相違のない、同じ不真実の世界に他ならないと思います。仏教の言う
六道輪廻の世界なのです。天上界と地獄界との相違を定めているようですが、
釈迦は、その相違を認めていたでしょうか?天上界に居る人もいずれ地獄会に落ちると
言明しております。六道輪廻の世界は、畢竟地獄の世界なのです。虚妄の世界なのです。
縁起の法則に拘束されている世界なのです。

309 :考える名無しさん:2010/05/25(火) 08:18:36 0
インターねとサーフィンをしていますと、仏教の理解を発表してるサイトを見ることができます。
しかし、仏教の理解をしてることを示しているのはわずかのように思えます。
いや、無いと言って良いと思います。
 輪廻の世界と言うのは縁起の世界と言う意味です。輪廻の世界から脱することを解脱すると言うのです。
ですから縁起の世界から脱することを解脱すると言うのであります。縁起の世界と言うものは
相対的な世界で、実体のある世界ではないと、知ることにより、解脱することができるのです。

310 :井上筑後守:2010/05/25(火) 10:58:02 0
>>306
確かに、不動不変の真理は一切皆無の境地にこそあるわけで(罪福異熟を含め)、
その存在性を否定されたところで痛くも痒くもないわけだが、
ことにイデア(想念)の側にとってだけは、その虚無性を指摘されることは
致命的な痛手になるのではないか? 想念上の虚妄を定立するのがイデアで
あるが故、反定立された後に残るのは、まさに痛々しい虚妄のみ。

>>307
心と行動の乖離を認める点からして、すでにイデアやロゴスの偏重に囚われている。
欲心がないから行動が寂寞になるどころか、行動が寂寞であることで欲心もまた控えられる。
心→行動の一方通行ではなく、行動→心の影響も当然あるが故、行動が無為自然でない所に
内心だけが無為自然であることなどない。民衆の多動性障害をひどく煽りつつ、引っ切り無しの
立法行為で限り無く活動を整形し続けていくような状態の下で、「内心の無為が保護されている」
などと言われても、誰一人として内心が無為でなどいられない。身心共にひどいADHDであるのみ。

311 :考える名無しさん:2010/05/25(火) 11:08:39 0
>>307
無為自然の解釈に付いて、概ね同意。
リラックスし視野の広い状態での活動。

312 :井上筑後守:2010/05/25(火) 11:16:29 0
>>308-309
イエスが活動したとされる約2000年前は、インドでは大乗仏教が興隆し、
中国では最も模範的な王朝とされる前漢と後漢による統治が為された時代。
釈迦や孔子や諸子百家や六師外道によって、雑然とした思想哲学が
一通り用意された後に、善いものだけを選んでその忠実な実践対象とする、
実践面での円熟期にあった、まさに中国やインドにとっては最高潮だった時代。
決して時代そのものがカビだらけのご飯だったなどということはなく、
イエスの教えがカビご飯であるのは、どこまでもイエスの言責によっている。

「六道輪廻は畢竟地獄」だなどというのも、今まさに地獄の真っ只中にいる輩だけの感慨。
わざわざ六道を解脱して独覚や菩薩や仏の境地にまで行かずとも、人道や天道の範囲でも
そこそこに満足な人生を送れるようになっている。「井の中からも大海からも解脱する」以前に、
井の中から大海に出てきてその広さを楽しみ、それでも満足できない時にこそ、六道を解脱する
仏教へのすがりなども考えられる。大海も知らない内から井の中だけで解脱を求めても仕方ない。

他力の浄土門に関して言えば、「無量寿経」の中で、念仏によって穢土を厭離して行き着く浄土というのは、
「四聖(声聞縁覚菩薩仏)と諸天・人民らしき者がおり、三悪趣(地獄餓鬼畜生)はもはやいない世界」
であるとされる。諸天や人民は一応それらしき形を保っているが、もはや六道輪廻からは解脱しており、
三悪趣ないし四悪趣(修羅を含む)の苦しみからは解き放たれているそうだ。仏道を自力では歩まない
衆生の救済に特化した浄土門ならではの教説で、人道や天道にもある程度は満足することのできる
衆生の心理をよく踏まえている。苦しみなのはあくまでカビご飯、地獄餓鬼畜生の三悪趣に過ぎないと。

313 :井上筑後守:2010/05/25(火) 11:34:20 0
賛同者を募ろうが募るまいが、
無為自然にも正しい解釈と間違った解釈の区別が厳然として備わっている。

「基本は何もしないでいようとするが、それでもやむを得ずしてしまうことだけをする」
という荘子の解釈が無為自然の正しい解釈であり、散々断った挙句にやっと帝位に就き、
法律の緩和や撤廃などの消極的な政務に専ら特化した文帝などがその忠実な実践者。

「本当に何もしなければいいわけじゃない」という韓非の解釈が無為自然の間違った
解釈であり、無為自然とは似て非なる事なかれ主義の徹底のために、山のような
法規制で民衆の活動をがんじがらめにした始皇帝などがその忠実な実践者。

別に後者の誤った無為自然の解釈に基づいて、事なかれ主義の法律万能主義と化した
としても、法家としては別におかしくもない。ただ、それはあくまで法家の実践であって
道家の実践じゃない。実践面から文字通り無為自然を実行して、やむを得ずやることも
なるべく消極的に止めるのが、道家の忠実な実践。魅力的に思えようが思えまいが、
それが道家というもの。活動や勤労の奨励や義務化は、中国思想だと儒家や法家の
ほうに丸投げされており、道家にまでそれらを期待するのは全くのお門違いとなる。

314 :井上筑後守:2010/05/25(火) 11:48:53 0
>>294のご飯の喩えに基づけば、

炊き立てご飯@が天道、
水気が抜けて炒飯の材料ぐらいにはちょうどいいご飯Aが人道、
発酵し始めてるがまだご飯漬けぐらいには使えるご飯Bが修羅道、
腐敗して七色変化のカビだらけと化したご飯Cが地獄餓鬼畜生の三悪道。

@とAは食えるし、Bも漬物などのために再利用できる。
でもCは食うことも、再利用もできない。せいぜい土に埋めて肥料にでも
するぐらいしかもはや使いみちが無い。ご飯の顛末としては終極であり、
食い物としての範疇を逸脱してしまっている。事実、ほったらかしご飯が
そうなってしまうのも確かだが、だからといって「炊き立てご飯もカビだらけ
ご飯も、全てのご飯は平等だ」などと言って、炊き立てご飯などと同じように
カビだらけご飯も食うわけにはいかない。やはりご飯はカビだらけになるまで
とっておいてはいけないというのが、結論にならざるを得ない。

315 :考える名無しさん:2010/05/25(火) 12:35:22 0
自作自演のオンパレードスレ
クセってでるもんだよな

316 :井上筑後守:2010/05/25(火) 13:08:28 0
井戸の中と大海を同じ広さ扱いすることが、果たして「視野が広い」と言えるだろうか?
ただ概念思考が巧みなだけで、現実に対する視野はかえって狭くなってしまっている。

荘子も、大小長短などを相対化するような論弁を行なうが、
同時に耳目を塞いで、部屋から窓の外すら見ない閉鎖志向も肯定している。
脳内の概念世界での逍遥遊が、現実の度量衡のわきまえられた世界の把握以上にも
広大だみたいなことをいう。ただそれは、「視野が広い」ってことじゃない。
むしろ視野は狭めたり無くしたりすることで、脳内世界に耽っているということ。

概念夢想を捨てて現実だけを見れば、やはり井の中よりも大海のほうが遥かに広い。
その広さに目を見開いて、広大さを楽しむことが「視野が広い」といえ、井の中ばかりに
引き篭もるほうが「視野が狭い」といえる。場合によっちゃ、そういう意味での視野の広さ
の楽しみのほうが、脳内世界での遊戯以上にも楽しい場合もある。脳内は脳内、
現実は現実。視野が広いとは現実に対してのことをいい、脳内に引き篭もるのは
井の中に引き篭もる以上にも、徹底的な弱視盲目に徹するというだけのこと。

317 :井上筑後守:2010/05/25(火) 13:29:32 0
どうも、現実世界と脳内世界を倒錯してしまっている人がいるようだ。

脳内と現実の区別が付かないからこそ、
井の中と大海を同等扱いする概念夢想を「視野の広さ」などと勘違いする。
それはむしろ、井の中から外を覗き込む眇め以上にも盲目な
脳内妄想であり、視野が広いか狭いかでいえば、当然「狭い」に入る。

ただ行動上で何もしないだけでなく、耳目舌身などの感覚器官の受容から
閉ざし込むのが道家。脳内妄想満タンでいて、しかも現実社会に打って出る
ようじゃ、「荘子」盗跖篇あたりでも実践して、早々にお縄にかかるのがオチだ。

318 :考える名無しさん:2010/05/25(火) 14:29:55 0
>>310
>心と行動の乖離を認める点からして

行動と言うものはない、と言うのが一の思想である。飛んでる矢は止まっていると言う証明は
有ります。飛んでると言う行動があるなら、止まっていると言う結論は生じないのであります。
飛んでると言う行動があると、普通の人は思っているその思いこそ、臆見であり、詭弁なんです。
普通の人がどうしてこういう臆見を持つのでしょうか?それはその心に原因があるのです。
それは作為と言うものだからです。人の行動が何か利益不利益をもたらすと考えているのです。
つまり欲の心です。ですから、欲の心を一切持たないなら、飛んでる矢は止まって見えるのです。
と言うよりも飛んでる矢などないのです。
 従って、欲心なるものを持たないので、行動なるものもないのです。
心と行動は乖離していますか?心も行動もないというのに。
欲心と言うものは相対的存在で、実体がありません。涅槃経に心の師となるとも、心を師としてはならないとは
このことであります。同意されるでしょうか?


319 :考える名無しさん:2010/05/25(火) 15:00:25 0
>>312
>イエスの教えがカビご飯であるのは、どこまでもイエスの言責によっている

これの根拠を説明してください。

>>313
>「本当に何もしなければいいわけじゃない」という韓非の解釈が無為自然の間違った
解釈であり、無為自然とは似て非なる事なかれ主義の徹底のために、山のような
法規制で民衆の活動をがんじがらめにした始皇帝などがその忠実な実践者。

仏陀もある国のために、要請に応じて、法律を制定しておりますし、パルメも
同様に法律を制定してやっていると言うことです。
 荘子が何かしなければならない事態が発生したときには、聖人は、初めて行動するとし、
そういう事態がないにも拘らず、行動すると言うことはない、と言っているのです。必要がある場合とは、
縁起現象を言うものと解すべきです。聖人は縁起現象を否定しないでしょう。聖人にはそれが実体あるものとして
有るのではないのですが。そこで、必要が生じた場合は、縁によって行為するのです。
その行為も、作為とはなり得ません、縁起なのですから。縁起である以上何かを行ったと言うことはないのです。
仏陀の定めた法律は今で言えば憲法のようなもので、今の法律のようなものではありませんでした。
 従って、やはり無為自然とは、故意にしないことであり、無心にすることは
何もしないことに当たると言うことになるのです。

320 :考える名無しさん:2010/05/25(火) 15:54:11 0
>>316
>井戸の中と大海を同じ広さ扱いすることが、果たして「視野が広い」と言えるだろうか?
ただ概念思考が巧みなだけで、現実に対する視野はかえって狭くなってしまっている。

 井戸と大海の寓話はたとえ話。広い世界が有ることを知らない人のケース。
井戸の中の人というのは、縁起してるだけのものを実体あるものと思い、それに囚われている人。
六道の天界人界のうちにもほどほどの楽しみがあると言っている人は、まさに井戸の中のカエル。
私のこの楽しみは、私の今までの善行の結果である。やー、実に縁起の世界、つまり、因果の世界じゃ、善因善果じゃーと言っている人。
大海を知っている人は、縁起の世界が幻の世界であると知った人。そして幻に騙されない人。
縁起とは因果のこと。

321 :考える名無しさん:2010/05/25(火) 16:03:28 0
>>320つづき
>井戸の中と大海を同じ広さ扱いすることが、果たして「視野が広い」と言えるだろうか?

縁起の世界に騙されない人は、井戸の中の世界と言うもの及び大海と言う世界の両方があると思わない人。
あなたは、狭い世界と広い世界と言うものが実体としてあると言っている。
それは狭い広いと言う概念に実体があると思っていると言うことである。広いと言うこともなく狭いと言うこともないのであります。

322 :考える名無しさん:2010/05/25(火) 19:46:30 0
>>317
>耳目舌身などの感覚器官の受容から
閉ざし込むのが道家。脳内妄想満タンでいて、しかも現実社会に打って出る
ようじゃ、「荘子」盗跖篇あたりでも実践して、早々にお縄にかかるのがオチだ

「色受想行識は空」を実行するものが欲に従うことはない。

323 :考える名無しさん:2010/05/25(火) 20:28:41 0
盗拓編を読んだが、この編なんかが、道教の教えを有らしめている可能性が大じゃないか?

324 :考える名無しさん:2010/05/25(火) 20:54:45 0
そして、ところが、盗拓編の内容と同じ内容の釈迦の教えがあるんだよね。
こういうのを天上界の人というのじゃないだろうか?

325 :井上筑後守:2010/05/25(火) 23:00:31 0
それで、とにもかくにも、東洋教学の悪用に基づいて、
必要もなくわざわざあえて好き好んで為される、
重大権力犯罪の礼賛や推進も、正当化や美化をしたいわけだね?
「悪用されることもまた現東洋教学の宿命だ」という屁理屈に基づき。

説明不足があったことは、否定する気はないよ。
ピタゴラスやプラトンを元凶とする洋学などと比べれば、
実相や実践こそのみを重んじるのが東洋教学であることを、
わざわざ西の果ての蛮族にまで分かりやすいように
説明してこなかったのも確かさ?

実相や実践以上もの、空想や虚言虚構に対する偏重が
横行している西洋に対する、東洋教学の紹介の仕方を
もっと考え直さなければならない。ちゃんと相手のほうにも
自首や切腹などの、正しい縁起に即した接し方を義務付けねばな。

326 :井上筑後守:2010/05/25(火) 23:17:21 0
「荘子」盗跖篇に関して言えば、
わざわざ重大犯罪者の盗跖に対して、道徳者である孔子が
権力道徳に即して成功することを促すシチュエーションが、
まったく縁起に適っていない。盗跖のような重大犯罪者が
権力道徳者として持ち直すためには、服罪を潜り抜けねばならない。
服罪によって罪を滅ぼして一兵卒からやり直したり、
あるいは服罪の時点ですでに刑死しなければならないかもしれない。
極端に遠い、踏破不能であるかも知れない道のりを超えて
権力道徳者に返り咲くことを促す孔子の態度は、
到底そうはなり得ない盗跖を怒らせるに十分なものだった。
そんな気休めよりはむしろ、死に場を与えてくれるほうがよっぽど親切というもの。
だから縁起のなかった孔子に対して、盗跖は吼え猛って追い出した。

縁起があったのは、こっちのほうだ。
「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
因果も心も行動も何もかもを否定し尽くして、
単なるニヒリストと化しても、やっぱりそうでしかないんだ。

327 :考える名無しさん:2010/05/25(火) 23:47:42 0
道教とか自力仏教とかは、まだまだ君らには早すぎるよ。
ムスリムに禁治産処分を受けて、儒者の厳重な倫理監督の下で
老荘や釈迦の教説を見直してみれば、今までの解釈が全くの曲解だと分かる、
風通しのいい正解に与れるさ。今はまだ実践が伴っていないのでそこまでは
無理だが。事後にそうなれることだけは今でも保証してあげるさ。

328 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 00:49:59 0
盗跖に撃退された孔子
「私は危うく虎の頭を撫で、髭を踏んで食われそうになるところだったよ。やれやれ」










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{: i¨7' ;' ;' ;'`'く¨,}:/  j   〕 ハ.  /.:.:. : :ヽ:.:.:.
ヽ:〉' {`i  i´} V''ヾ.、: .!  { /{_/      ∨:
:=f=v`¨くフ¨ .=キ  .:.:|  .!'       -─-}:.:
,才'" iマ⌒マ! 戈 .:.:;人:. .:{      i/´     ,'.:.:
 f`ト{___};イ=、‐‐'´ ハ ::|.    .:/     ./.:.:.:
 {八 _}----{_ノ‐ '<、_丿:j:::... .:/    ..:,イ:.:.:.
 >x二__      }}  `'ー--r '     .:/ヽ、:.
´::::::::::::::::',`¨マ>-'´/     `ヾ :.. .::∧  ヽ

329 :井上筑後守:2010/05/26(水) 11:53:35 0
昨日は用事があって、あまりまともな返答ができなかった。
もう少し主張の内面にまで立ち入った返答をやり直そう。

>>318
詭弁論と道家は違うし、詭弁論と仏教ももちろん違う。
道家も名家などと同じく、現実を超越した概念論に立ち入っているのは確かだが、
結局概念論を世俗での活動に応用したりはしないのが名家やソフィストとは違う。
仏教だとさらに概念論全てが「無記」として否定され、概念構築による万事万物の相対化を
六師外道のうちのマハーヴィーラ(ジャイナ教開祖)の邪論などとして退けている。
道家の超俗志向という実践的側面をさらに徹底させて、剃髪して糞掃衣(袈裟)を着用し、
お寺にこもって壁面に向かって座禅し続けたりする。徹底的な超俗の実践の下で、
現実論も概念論も、いずれをも超えた真理こそを捉える。仏教が世俗的な現実論を
虚妄とするのは確かだが、同時に夢想的な概念論も両成敗し、無無無の無無無で
あらゆる膠着した認識を虚構であると看破して、是什麼物恁麼来で悟りを得る。
現実論の一概な味方でもない変わり、「飛んでる矢は止まってる」云々の概念論の
味方でも決してないのが仏教。現実論を憶見として概念論を真理扱いするあなたの主張は
全くの擬似仏教であり、似非仏教であり、カルトの正当化以外の何ものでもない。

330 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 11:55:01 0
>>329
中身のない長文乙。

331 :井上筑後守:2010/05/26(水) 11:59:32 0
>>319
イエスの言責か、さもなくば当時のイスラエル社会の腐敗までがせいぜい責任の行き場。

今から約2000年前の地球人類社会が特筆して腐敗していたなどということはなく、
中国やインドなどの東洋社会に関しては、まさに絶頂の円熟期にすらあった時期。
地獄のような状況があったとしても、それはせいぜいイエスのいたイスラエルのような
極小部落に限ってのことであり、「六道輪廻は畢竟地獄」だのの虚無論が人類社会
全体に対して通用しているようなことはなかった。イスラエルやギリシャという井戸の中
だけの地獄絵図であり、中国やインドとといった大海は悠然と歴史を謳歌していた。

井の中の蛙は、井の中が地獄だからといって、知りもしない大海までをも地獄扱い
しようとする。問題は君らのいる井戸の中のみであり、大海をそれに巻き込む必要はない。

332 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 12:13:39 0
>>331
根拠の説明になっていない。おまえだけの主観。
歴史上の事実を挙げてくれ。

333 :井上筑後守:2010/05/26(水) 12:15:39 0
>>319
縁起は「機械」じゃない。人間が自分たちの恣意でゴチャゴチャと構築した自動装置などは
天命や真理に基づく縁起よりもむしろ、その装置を作り上げた人間たち自身の自業自得に基づく。
人間が作動し、人間が停止もさせる自動装置、自業自得によってこそ成り立っている機械文明
などは、広大な真理世界の縁起などとは甚だ程遠いものだから、「荘子」外篇・天地篇において、
つるべ落としのような原始的な機械装置からその存在性が否定されている。

法律体系もまた、いわば機械装置のようなもの。工業機器ではなく人間自身の行動を機械化
するのが法律。多ければ多いほど人間はロボット同然と化し、少なければ少ないほど自然な
人間のままでいられる。大規模な社会だとある程度は法律が存在せざるを得ないのも確かで、
始皇帝によって締め付けられていた秦を占領した、後の漢高祖である劉邦が、自己判断で
概ね法律を撤廃ししたものの、「人を殺せば死刑、傷つけたり盗んだりすれば相応の罰を科す」
程度の刑法は残したように、社会規模の大きさと、人々の法律による束縛抜きの自然な活動
とを天秤にかけて、法律そのものを減らしたり無くしたりすることが、「積極的な無為自然の実践」
になる。逆説的な言い方だが、法律や工業の発展した文明社会の過剰な機械化を緩和解消
させていくことが、一つの無為自然の積極的な実践になる。

無為自然を阻害する自業自得の機械文明の深刻化を黙認することが無為自然の実践であり、
仏教の縁起にも叶っているなどというのは、機械文明の深刻化ばかりを煽るカルト信教による、
自分たちにとり都合のいい道家や仏教の曲解に基づく悪用でしかなく、非常に浮ついている。

334 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 12:20:39 0
>>333
だーから中身のない長文、自己主張はお話にならないって。

335 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 12:28:11 0
明らかに読んでもいない内からの脊髄反射レス乙

336 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 12:30:45 0
>>335
名無しになったりコテになったり
二重人格の精神病よりマシですwww

337 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 12:33:28 0
>>333
偉そうなことのたまってるが道教、儒教、仏教の区別がついてるのか?
といいたい。言葉文句に惹かれて信奉してる駄文にしか読めんがな。
縦読みすらする気も出ない。

338 :井上筑後守:2010/05/26(水) 12:36:47 0
>>320
例え話ではなく、事実、中国やインドの国家規模は、ギリシャやイスラエルの100倍以上にも達する。
数人の宇宙飛行士を大気圏外に送り出す程度のことはできても、重力エネルギーの大きさからも
何万何億という人間を地球外に送り出すのは不可能で、その地球の内側において最大規模の
国家でもあるのが中国やインド。まず、地球人類社会という閉鎖された領域において、
井の中程度の小社会と大海ほどもの大社会とを鑑みるなら、当然前者がギリシャやイスラエルで、
後者が中国やインドということになる。無限と比べれば1も100も大して変わらないなどという数遊びではなく、
一定の閉鎖領域で1程度のものと100程度のものを比べている。際限のない概念夢想などを認めず、
厳格な定義の確立の下で現実論のみを論じようとする荀子も、「史記」礼書で引用されていたりする。

仏教の六道十界論も、六道輪廻がちょうど今の地球社会のように、未だ解脱してはいない衆生が
到達しうる最大級の閉鎖領域を定義したもので、出家も受戒もしていない一般民衆の全てがこの
六道輪廻の内側にのみい続ける。六道を解脱した四乗の領域などは、あくまで本物の出家者にのみ
把握しうる所で、まずまずこんな所で誰かがそれを把握できてますなどとほざけるわけがない。

宇宙の果ての真理界にまで到達はできず、地球上で一生を送らざるを得ない人類の大部分、
六道輪廻に在留する何十億人という人々の形作る社会においても、井の中に過ぎない地獄界があったり、
大海ほどではある人界や天界があったりする。いずれも宇宙全体からすれば小さな世界に過ぎなくとも、
大多数の人間が生きていかざるを得ない閉鎖領域において小規模だったり、大規模だったりはする。
井の中の蛙が宇宙への思い馳せるあまり、自分たちが大海にも見たない井の中の住人であることを忘れる、
果たして大海の広さを知ってからでもそんな風に思えるかどうか。人間として必要なのはまずそちら。

339 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 12:40:10 0
>>338
もうアホとしかいいようのない中身のない妄想レス乙。
もう狂ってるとしかwww

340 :井上筑後守:2010/05/26(水) 12:48:41 0
>>322
>「色受想行識は空」を実行するものが欲に従うことはない。

当然「罪の罰を受けたくない」などという欲求もないわけだな。

ちなみに「罪を犯したからには罰を受けたい」というのが正しい欲求で、
「罪は犯したけど罰は受けたくない」というのが間違った欲求。
欲求否定の仏教や道家とは違い、欲求そのものは肯定する儒家の
荀子が、衆生の過ちだらけな欲求を礼儀によって正しい欲求に
修正していかなければならないといった場合の、「正しい欲求」や
「間違った欲求」はこれらに当たる。

実際のところ、誰も欲望を解脱なんかできちゃいない。
俺もできちゃいないし、おまえらもできちゃいない。
所詮は欲望渦巻く六道輪廻の内側にいるのは誰しも同じで、
ただその欲望が正しく修正されているか、間違ったままであるかが
三善趣と三悪趣とを分けている。俺もおまえらも、必ずこれらの内の
いずれかにいる。誤った欲求を肯定しようとするあたり、やっぱおまえらは(ry

341 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 12:48:48 0
>>338
とりあえずキーワードだけ抜き取ってみる。
宇宙飛行士
重力エネルギー
地球人類社会
閉鎖された領域
史記
六道十界
六道輪廻
宇宙の果ての真理界

「ムー」の読みすぎの基地外カルトとはおまえのことだ。

342 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 12:50:55 0
>>340
君は仏教を理解していない。
五蘊皆空と罪罰、善悪は無関係。

343 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 12:52:06 0
さあ井上が崩れていく劇場のはじまりはじまり〜www

344 :井上筑後守:2010/05/26(水) 12:57:53 0
>>318-322あたりは、こちらの発言の内側にまで立ち入ったレスだったので、
まだ話ごたえもあったが、罵倒同然の書き逃げレスには返答のしがいもない。

また、自学自習モードに入るとしよう。

345 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 12:59:19 0
>>344
罵倒されたくなかったら中身のあるレスしたら?引きこもりさんw

346 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 13:01:54 0
>>344
逃げる前に>>342について反論があればしてください。
君は仏教を間違って理解している。

347 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 13:04:02 0
井上さんよお
【八卦】易の数理化【六十四卦】
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/math/1264322527/
このスレの醜態、どう責任取るんだ?って
な〜にが自学自習モードだ、ほざくな

348 :井上筑後守:2010/05/26(水) 13:06:30 0
無関係ならそれでいいじゃない。
手錠をかけられて腰縄で繋がれて、檻の中で一生を過ごしたり、
底の抜ける床の上で首に縄をかけられたりしても、全くの無関係なんだから。
そこまで実社会の倫理問題を諦観しきれてるんなら、それに超したこともない。

349 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 13:09:07 0
>>348
ageたりsageたり忙しいね、二重人格www

350 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 13:18:03 0
>>348
それは私に対するレスかな?
手錠とか犯罪とかと仏教の本質論を一緒くたにしないでほしい。
五蘊は罪なのか?という訳の分からない議論になる。
善悪の哲学をするならそういうスレでやってほしい。
少なくとも、いやかなり君は正常ではない。
苦しみ、自己嫌悪からの逃避手段に仏教や古代中国的思想に憧れているだけだ。

351 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 13:23:30 0
ムー信者の特徴
科学と宗教をごちゃ混ぜにする
自分は超能力者だと信ずる
そのわりに科学の知識は無い

352 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 13:32:28 0
なんだ、もう終了か。今回は早かったな。

353 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 15:38:57 0
>>316-317
一点一事にとらわれねば視野は自然に広い。
外界の刺激を受け取りやすく、
刺激に対して抑圧なき反応が出来る状態。
この状態、この反応が無為自然。

世界の大小は関係ない。

354 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 16:33:15 0
>>325
>重大権力犯罪の礼賛や推進も、正当化や美化をしたいわけだね?

盗拓編の後半部分の説のことを言ったのです。前半の盗拓を主眼にしたのではないのです。
後半部では、わが身の安泰を図ることを勧めているのですよね?こうして長寿を獲得できると言うわけですよね?
この長寿が、後の道教の教えに入っており、道教は、老荘と無関係と言う見解は
今もあると言うことですが、この盗拓編の後半部がある以上、道教は老荘に根拠を置くといえますよね。
ただし、道教の長寿の目的は、道に一致する修行をする期間が長くなるという利点を言っているようで、
その修行とは、錬丹術なるもので、これこそ老荘とは異質なものと言わなければなりません。
 そして、老荘が長寿を勧める理由は、当該後半部にあるように、実体のない名誉などを
求めるのは、真理真実の理(老荘の言う縁起の法則)に反する行為であるから、と言うものです。
この理由により身の安泰を図るというのは、真理に適った教えであると言わなければならないと思うのです。虚妄なるものを求めるな、というのが老荘、仏陀、パルメのおしえなのですから。
 そこで、パルメの弟子のゼノンは、独裁者を憎むあまり、その耳に噛み付き、噛み切り,且つ自分の舌まで噛み切り、それを独裁者にはき捨てて、反抗して、果てた、と言う話が伝わっているのです。これは
荘子の盗拓編の最後の教えに反し、ゼノンの師のパルメの教えにも反することになると思うのですが、どう思われますか?この故に、ゼノンは理論をわが身に完成していたのかどうか、疑われるのです。

355 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 17:09:26 0
>>345続き
要するに、大事にする優先順位とも言うべきものですが、第一番は
他人よりも自分を大事にすべきであり、二番目に、身体よりも心の平安を大事にすべきであり、
三番目に、財を大事にすべきである、と言えると思うのです。こういう根拠は
真実は一なるもの、無相なるもの、空相なるものと言う基準から来るのです。

356 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 17:40:07 0
>>346>>348
これは大事な論点であると思います。
縁起現象の解釈であると思います。
そこで、いい例を、イエスキリストに録ることにしましょう。
聖人は必要が迫れば、それを拒否しないと言う老荘の教え。これが基準になる。
イエスも刑死と言う縁を始めは望まないとしましたが、最後は素直に受け入れましたね。
それは無いものと言う判断が勝利したのではないでしょうか?そして、実際
刑死と言う現象は消滅したのでしたね。ちょっとそれますが、老子は、聖人はあらゆる悪が自分に集まる
ことを歓迎するものだ、と言っていませんでしたか?聖人だけがそういう嫌なものを消滅することができる
訳ですからね。で、戻りますが、イエスにとっては、刑死は無いものでした。
刑死があると思ってたのは、刑を宣告し執行するものであったのです。
このものたちには刑死という現象があったのです。このものたちが刑死という幻を見ていたのです。
この幻は、ユダヤ国民にあってもイエス自身には無かったのです。ユダヤ国民は
刑死というものの原因に執着していたのです。ユダヤ国民は自ら、刑死の原因に執着する愚かさを
学ばなければならない運命を持っているのです。



357 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 17:55:22 0
>>356つづき
ですから、井上氏も、生死というものがあると思っているなら、それを老荘の教えによって、
儒家の教えではありませんよ、無いものと信じ、実行することができないと、自ら罪を宣告し
自らに罰を加える輪廻の世界に永遠に閉じ込めれることになります。

358 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 18:52:01 0
>>356
刑死は現実で、イエスの生き様の結果。
原因はユダヤ民とイエスの考え方の乖離。

359 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 18:55:37 0
お前ら誰が誰だかわからんな。井上さんと議論したいなら名のれよ。
安っぽい煽り文句で無駄に井上さんを叩くのはやめろ。目障りだ。
俺はここのスレの読者だ。
2ちゃんねるのありがちなつまらん展開をここで見せるな。

360 :井上筑後守:2010/05/26(水) 19:17:28 0
投稿規制がひどい。
別にこちらから投稿しまくってるわけでもないのに。

>>347
おまえらが檻の中に入ってから、また本格的にそちらへの書き込みも始める。
数学や科学も一部分についていは未だ興味がなくもないが、
いま数学者や科学者を名乗る連中に重大犯罪者があまりにも多すぎるが故、
あくまで数学や科学全体を向こうに回した上での、儒学などの優位を確立した上で
数学や科学のほうもまた趣味程度の勉強の対象にしたり、しなかったり。

>>350
東洋教学こそは、善悪の哲学の本場。
儒学は善悪の分別や勧善懲悪を主題とした道徳学。
道教も善悪を相対化するとはいえ、その内実について最密に考察して
ただただ「善も悪もない」などと虚無論に陥るのは避けている。
仏教もまた道徳肯定論。道徳否定者である不蘭那迦葉を
六師外道の一つとして退けてもいる。むしろ善悪論をはじに置いてまでの
概念論への没落に耽るほうが東洋教学では少数派。
善悪をよく分別して、その適切な処理に専念してこそ正常であり、安楽。
善悪をみそくそに扱ったり悪逆非道の限りを尽くしたりして、
自ずから自己嫌悪の苦しみに陥っているのも君らのほう。
その苦しみからの逃避手段として、脳内だけの概念論に憧れているだけだ。
しかもそれは東洋教学においては異端中の異端であり、カルトの内ですらある。

361 :井上筑後守:2010/05/26(水) 19:18:13 0
まさに、東洋教学の本論こそは、善悪論に他ならない。

堅実な善悪論に詳しい一方、地に足の付かない概念論の占める割合は低い東洋教学。
虚構の概念論ばかり豊かな一方、善悪はみそくそだったり悪逆非道だったりする洋学。

東洋教学にもまた、名家や害為正法外道のように、西洋でこそ主流である学派も
存在していなかったことはなく、その学派としての規模も、プラトンやイエスの取り巻きを
遥かに上回るほどのものであったに違いない。しかし、その名家や害為正法外道よりも
さらに巨大な学派教派として、勧善懲悪の道徳学である儒学や、道徳肯定論の概念否定論
である仏教などが全体の主流を占めていたために、比較的異端の諸子百家や外道は
隅に置かれるようになり、一時は継承が完全に途絶えるまでとなった。

善悪の問題を軽んじて、概念の虚構に逃げ込む洋学やイスラエル教のような範囲に
おいてもある程度東洋教学もまたセット数を揃えているが、決してそれが主流ではない。
勧善懲悪の断悪修善、道徳肯定の概念否定こそは東洋教学の本体であるといえる。

362 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 19:22:58 0
やっぱ井上さんは泰然自若としてていいな

363 :東西各教学の勢力図(面積の大きさで勢力を表現)::2010/05/26(水) 19:35:45 0
┏━━━━━━━━━━━━中国現13億━━━━━━━━━━━━┓
┃┌─────────┐┌────────────────┐┃
┃│             ││                        │┃
┃│             ││                        │┃
┃│             ││                        │┃
┃│    道 家     ││                        │┃
┃│             ││                        │┃
┃│             ││                        │┃
┃│             ││                        │┃
┃│             ││          儒 家          │┃
┃└─────────┘│                        │┃
┃           □    │                        │┃
┃ ┌──┐         │                        │┃
┃ │墨  │ ┌───┐ │                        │┃
┃ │  家│ │     │ │                        │┃
┃ └──┘ │ 兵 家 │ │                        │┃
┃         │     │ │                        │┃
┃   □     └───┘ │                        │┃
┃┌───┐   ┌──┐└────────────────┘┃
┃│     │   │名  │  ┌──┐ ┌──┐    ┌──┐  ┃
┃│ 法 家 │ □ │   家│  │縦横│ │陰陽│ □  │商  │  ┃
┃│     │   └──┘  │  家│ │  家│    │  家│  ┃
┃└───┘       □    └──┘ └──┘    └──┘  ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

364 :東西各教学の勢力図(面積の大きさで勢力を表現)::2010/05/26(水) 19:36:27 0
┏━━━━━━━━━━━ インド現12億 ━━━━━━━━━━━┓
┃┌────────────┐┌────────────┐┃
┃│                  ││                  │┃
┃│                  ││                  │┃
┃│                  ││                  │┃
┃│                  ││                  │┃
┃│                  ││                  │┃
┃│                  ││                  │┃
┃│      ヒンズー教      ││       仏 教        │┃
┃│                  ││                  │┃
┃│                  ││                  │┃
┃│                  ││                  │┃
┃│                  ││                  │┃
┃│                  ││                  │┃
┃└────────────┘└─────────―──┘┃
┃┌──┐ ┌──┐ ┌──┐ ┌───┐ ┌───┐ ┌─┐┃
┃│数論│ │声論│□| 時論│ │諸法無│ │妄計最│ │害│┃
┃│外道│□| 外道│ │外道│ │引外道 | □│勝外道│ │為│┃                         
┃└──┘ └──┘ └──┘ └───┘ └───┘ │正│┃
┃┌──┐┌───┐ ┌───┐┌───┐ ┌───┐ |法|┃
┃│勝論││不死驕│ │因果皆││妄計清│ │妄計吉│ |外|┃
┃│外道││乱外道│ │空外道││浄外道│ │祥外道│ │道|┃
┃└──┘└───┘ └───┘└───┘ └───┘ └─┘┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

365 :東西各教学の勢力図(面積の大きさで勢力を表現)::2010/05/26(水) 19:37:47 0
┏━━━━━━━━━━欧米スラブ現10億━━━━━━━━━┓
┃                                       ┃
┃                                       ┃
┃                                       ┃
┃                                       ┃
┃            ┌──┐   ┌──┐            ┃
┃             |ギリシャ |    |イス   |             ┃
┃            │  学│    |ラエル教|             ┃
┃            └──┘   └──┘            ┃
┃                                       ┃
┃                                       ┃
┃                                       ┃
┃                                       ┃
┃  (あとは空っぽ。全てギリシャ学やイスラエル教の焼き直し)     ┃
┃                                       ┃
┃                                       ┃
┃                                       ┃
┃                                       ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

競争相手がいないから、中国やインドじゃ名家や害為正法外道程度の
存在に過ぎないギリシャ学やイスラエル教ばかりが偏重され、腐った
リンゴが周りをも腐食させていくように災禍を拡大させていって今に至る。

366 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 21:00:29 0
>>363-365
この思想家達が活躍した時代の人口が大事ではないでしょうか?13億とか10億と言うのは
現代の人口でしょう?
 ギリシャの地域と人口は、小さいものであったでしょうけど、ギリシャ人たちの活動範囲と言うのは、
地中海全域なんですよね。この一樹は非常に恵まれた地域だったんです。
気候風土が、地球海沿岸全域でだいたい同じだったんですね。で、地中海沿岸全域を
思想に関しては一つの国と考えた方が良いのです。だとすると、中国やインドと比較すると
、少なくとも劣勢ということはできないでしょうね?その上に学問の環境を見てみると、
彼らにはパピルスと言う便利な紙があったんです。一方中国やインドでは
お恥ずかしい限りでしたね。木管竹管でしたね。あの偉大な荘子の友人は、車五台ほどの書物を読んで勉強したと言うことですが、
車に積まれていたのは、竹管木管でした。今の紙本に直すと一二冊と言うじゃあーりませんか?
ところが、プラトンを例に取ると、彼の著作などは、パピルスに書かれているもので、
現代の紙と遜色ないボリュームでしたね。アリストテレスは言うに及ばないでしょうし、ホメロスはこれまた
膨大なものでしたが、パピルスに書いたものとして、ギリシャの自由人は個人として所有していたんですね。
アゴラには、このパピルス本が、本屋の出、現代の本屋のように、売られていたし、
アマゾンに注文して取り寄せるように、注文して買っていたのですからね。
ところが中国ではどうだったでしょうかね??ホホホホ。


367 :考える名無しさん:2010/05/26(水) 21:12:14 0
井上さんは読書家と言うことですが、中国では訴訟はどうだったのでしょうか?
訴訟の話はめったに出てきませんね。もうメチャクチャみたいではないでしょうか?
ま、宮廷内のことはどこも同じだとして、庶民の争訟はどうだったんでしょうk?
弱肉強食でしたか?こんなに政治において公正を歌っている中国で、どうして公正な争訟
が無かったのでしょうか?

368 :井上筑後守:2010/05/26(水) 22:45:56 0
>>364の「諸法無引外道」は「諸法無因外道」の誤り。

>>366
大まかな当時の人口動態統計を見ても、中華帝国は当時のローマ帝国並みかそれ以上の規模だった。
自分たちの文化的な豊潤さによって、まさに泰然自若として中国やインドはその社会規模を
拡大して行っており、潜在的な文化性の貧困に喘ぎながら、機械文明などによって無理に
規模を発展させて来ているのはむしろ西洋社会のほう。その核となっている
ヘレニズムやヘブライズムは、中国の名家やインドの不死驕乱外道程度のものでしかないが、
あたかもゴーレム(泥人形)の種のような役割を果たして外見上の規模だけは巨大化し、
さも中国文化やインド文化並みか、それ以上もの豊潤さがあるかのような虚飾を講じている。

369 :井上筑後守:2010/05/26(水) 22:47:22 0
漢代以前の中国にも紙がなかった代わり、漢字があった。一文字や一句でも言わんとすることを
的確に表現する独特の文化体系が蓄えられ、今でも使われている植物繊維を漉いた紙が
中国で発明されて以降は、豊潤な漢字書道文化を形成する原動力ともなった。

一文字一句にプラトン全集並みの情報が凝縮されることがザラな中国思想がさらに、
現13億人に相当する大人数の総力を挙げて形成された。一部の特権階級などではなく、
平民や乞食にまで身を堕してでも全社会の代弁者たらんとする道術者などによって優等な教学が形成された。
インドでもカースト制を超えて、制度外沙門として真理学を形成する教派が仏教として興隆し、
今は仏教徒はいないインドにおいても、バラモン教の進化系であるヒンズー教に多大なる影響を与えている。

孔子や釈尊を始めとする、儒者や仏者の個人的著作があまり丁寧に保存されていない場合が多いのは、
全中国や全インドの特権者であることなどにはこだわっていなかった証だと言える。
現25億にも達する大社会の総意を自分だけで独り占めすることなど、畏れ多いとわきまえていたから。
中国やインドの100分の1程度に過ぎない極小国でこそ、特権者であることへの嬉しがりなども通用した。

370 :井上筑後守:2010/05/26(水) 22:56:38 0
>>367
「威光ははげしくとも使うことなく、刑罰は設けあれども用いることなし」という格言が
「荀子」礼論篇やその引用である「史記」礼書などにもある通り、法治体系の機動
としての訴訟沙汰は、中国や日本などではそれ自体が不祥事であるとされている。
「列子」などにも原告と被告の引っ切り無しの理屈の応酬が収拾の付かないものとして
諦観すべきとの記述が多々あり、儒家からも道家からも訴訟沙汰は「いらない子」扱いとなっている。

それでも確かに訴訟沙汰もあったんだろうが、不祥事に過ぎないものを書き止めるなど
国辱以外の何ものにもならないので、あまり好き好んで書き止められはしなかった。
国辱ものの不祥事を、わざわざ必要もなくあえて好き好んで書き止める出歯亀マゾヒズムは
ついぞ中国や日本には根付かず、せいぜい「韓非子」などにその痕跡が見られる程度。

全てを書き止めるなど絶対に不可能なこの宇宙この世界で、何を書き止め
何を書き止めないかの取捨選択もまた、文化形成のために重大な役割を果たす。
捨てる勇気。

371 :井上筑後守:2010/05/26(水) 23:10:13 0
いま、大長文での質問攻めに遭ってるが、読めば必ずその間違いが分かり、間違いに対する
適切な修正案を提示することも必ずできるが、自分個人でも大量に書きたいことがあって、
さらに大量の質問を受けるとなると、自分が言いたいこと×人が答えてもらいたいこと=∞で
到底全ての質問に完全に答えきることができなくなる。

自分が言いたいことが山ほどにも上っているからこそ、他人の意見との相互作用までをも
記述対象に入れれば、天文学的な情報量に上るが故、自分一人での完全な応対は諦めて、
ROMに徹してくれる相手への専らな自論の展開に徹し、それらと個々人の意見との相互作用は
読者に任せきるというのが、諸子百家などの基本的な論述姿勢でもなかったか。

自分が言いたいことなど何もないが、ただ起き上がりこぼしのように、相手の言って
きたことに面白おかしくリアクションする芸人魂がつぶさに書きとめられているのが、
ギリシャの学者の著作などではなかったか。だから「自分は何も知らないが、
何も知らないことを知っているぶん、知らないことすら知らないおまえらよりはマシだ」
などという戯れ言をほざくソクラテスを源流とするプラトン哲学などが主流になったのではないか。

372 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 00:13:41 0
がんばるねえ井上さんよおw
引き出し浅せえおまえさんがいくらがんばってもしょせんその程度。
連投規制?そりゃ自演やってちゃ当たり前だろうがw

373 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 00:22:28 0
>>371
長駄文にしか読めないんだが。何を言いたいのかも分からないし
理解不能。自分だけの世界に浸りすぎでは哲板では通用しない、どころか
叩かれるだけって知っておこう。

374 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 00:28:50 0
手前みそだが、>>363-365って面白いよな。
井の中と大海の対比がよく表現できてるよな。

俺こそは楽しめてるんだから、それだけでも十分だ。
その上おまえらまで楽しめたら、十二分や十五分ってとこだ。

375 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 00:30:26 0
いや、いらねえからw

376 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 01:03:20 0
十一分ってとこか。

377 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 11:33:58 0
>>363-365は、当該の思想哲学宗教への参画者の勢力であって、文献の量じゃない。
文献の量でもインドのヴェーダやウパニシャッドや大蔵経、中国の経史子集などのほうが
ギリシャ学やイスラエル教の文献量を遥かに上回るが、口誦や体得こそを目的として、記録は
二の次としていた中国やインドの教学の勢力の大きさを、文献の量だけで測ることもできない。
学者陣宗教家陣としてこそ大規模だった古代東洋教学の片鱗が、現存する中国古典や
インド古典でしかない一方、ただでさえ何も知らないことを誇る中身空っぽな思いなしを
文飾や修辞の限りを尽くして精一杯誇張しているのが、ギリシャ古典やイスラエル古典。

それにしたって、ギリシャ人などは、文化的貧困の甚だしい西洋では、まだ頑張ったほうだ。
そもそも文化の形成にすら携わらない、禽獣同然の文盲奴隷が大多数を占めていた西洋で、
せめてでも独自の文化を少しだけでも形成しようとした痕跡だけでも残そうとしていた部類。
まともに文化形成にも携わらないローマ帝国などのほうが大多数であった中で、幼稚園の
優等生ぐらいの努力の痕跡は遺したのが古代ギリシャ。よく頑張りましたね。ヨシヨシ。

378 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 13:53:11 0
>>377
読んでもないうちから中身が薄いとかやめたら?
何も知らないくせにw

379 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 14:52:30 0
人間の奴隷と猛獣を、殺シアムで決闘させて賭け事にしたりしてた、
蛮族どもの群れの中で、よく頑張ったさ。おお、ヨシヨシ。おおヨシヨシ。

380 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 14:57:42 0
面白いコラムをじゃんじゃん書いてる井上さんを嘲弄するのはやめろ!
このスレをどっかで見たような幼稚な煽り文句で無駄に荒らすなよ。
>>378はなんで井上さんに絡むんだ!?

381 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:02:00 0
>>379-380
自分で自画自賛して恥ずかしくないのか?
東洋なんたらが聞いてあきれる。
井上なんとかの書き込みはただの優劣思考の塊。
東洋の恥。東洋人は排他思考じゃないし。

382 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:03:19 0
自作自演の精神病w

383 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:09:50 0
>>381>>382
自演じゃねえ!おれはこのスレの読者だ!
お前らみたいにニワカに沸いて来たアホと違ってこのスレが出来たころからずっと読んでるんだ!
お前らうっとおしいんだよ。このスレに書くな!


384 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:12:47 0
>>380
邪魔されたくなかったら自分でBlogでもなんでも上げて書いたら?
へタレはさらし者になるのが怖いからここにしか書けないだろうけどw
いくらでも邪魔してやるよwだって大嘘、まぎらわしい、偏見の見本じゃんw

385 :井上筑後守:2010/05/27(木) 15:13:02 0
別に構わねえぜ。多少の煽り程度は。

未だ1000レスまで到達したことのない、
常時容量オーバー気味スレッド。
短文の書き込みでもうちょっと密度を下げてくれたほうがいい。

386 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:13:50 0
ID出ない板で名無しで書き込んでも説得力無し。

387 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:15:14 0
>>385
哲学んじゃキーワードで毎日レス消費してやっから
おまえの書き込む場所はないぞ

388 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:16:07 0
井上の自演あと3回か

389 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:19:48 0
盛り上がってるとこなんだけど
井上って人は自己顕示欲の典型的な文章、文章力。
はっきり言って小学生の読書感想文に将来の夢
(井上って人の場合は現実逃避)を書いてるだけ。
異文化に敵意を出すのは、自分の境遇と似せてるんだな。
少なくとも仏教系を理解は全くしていない、できていない。

390 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:20:04 0
>>384
>だって大嘘、まぎらわしい、偏見の見本じゃんw
ちょっと「あれ?」と思うような思い切りの良さがいいんじゃないか。
その辺の生温いブログより面白いし。
そんなことでいちいち煽るなよ低能が。


391 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:22:08 0
>>387
なにせ東洋教学は文献数が半端じゃないらしいから
用語集だけでスレが何百と立ちそうw

392 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:24:16 0
>>390
気に入らなけりゃNGにでもなんでもすればいいじゃん
ってこのスレじゃ無理だね。残念。そして情弱。

393 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:25:22 0
>大嘘、まぎらわしい
日本なんとか機構の出番ですかね。

394 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:28:13 0
>>390
おまえもコテつけて語ってみろwどうせ本人だろうがなwww

395 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:30:35 0
>>392
おれは専ブラ2個使ってたけど1個の便利な方が壊れて今NG設定ができない専ブラしか使えてないんだよ
だからお前らの凡庸なつまんないレスが目に入ってしまう。
いつもは静かなスレなのになにファビョってんだよお前ら?
なんで井上さんに因縁付けてんだよ?

396 :うんこ ◆JEhW0nJ.FE :2010/05/27(木) 15:31:31 0
じゃあコテ付けるよ 捨てコテだけど
テスト

397 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:35:16 0
>>395
他の人は知らないけど、ざっと読んでみて、この人=井上は、何も理解していない。
たとえるなら子供がおもちゃの自慢比べをしてるようなものだと思う。
それ以上にもっとおもしろいおもちゃがあるのにそれも知らないで、ただそれだけで
満足してるような人。自己顕示なんておよそ東洋思想から縁遠いもの。
それで、君はここに何しに来てるの?

398 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:37:31 0
>>396
意味ねえってのw

399 :うんこ ◆JEhW0nJ.FE :2010/05/27(木) 15:39:32 0
>>397
>それで、君はここに何しに来てるの?

コラムが面白いから読んでるんだよ。
たまに疑問に思った時に議論をしたりしてるけど最近はロムってる。
自己顕示欲があると悪いのか?
お前だって2ちゃんねるでキチガイに絡まれるリスクや自分のレスがコピペされるリスクを背負ってまでレスしてるじゃないか。
これは自己顕示欲だろう。
書き込みが史実と違うとなんなんだ?気がついた奴が指摘すればいいだけだろ。
何発狂してるんだよ?

400 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:44:13 0
>>399
ものの考え方の順序違う。
物事を正しく理解して他人にも説明するのは自己顕示とは違う。
東洋哲学、特に仏教では当然のこと。発狂しているのは君のほう。
もう少し井上って人の書いたことと実際を冷静に読めば中学生で理解できる。

401 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 15:46:14 0
うんこ ◆JEhW0nJ.FEが東洋なんたらについてひとつも語ってない件

402 :うんこ ◆JEhW0nJ.FE :2010/05/27(木) 15:53:57 0
>>400
井上さんが史実を歪曲して書いてるように思えるのが気に食わないし
自スレを持ってるから東洋思想と縁遠くて矛盾していると言いたいんだろうな。
歪曲が意図的なものかどうかは本人に聞かないと分からんな。

しかし物事の理解の仕方は三者三様で、人に対して「こう理解しろ」とは強制できないんじゃないか?
仏教では、個人が持つ個性というものの長所だけに目を向け、短所には目をつぶるものなんだろ?
物事の理解の仕方に癖があるからと言って非難は出来ないんじゃないかと思うが。

403 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 16:02:48 0
>>402
井上って人は異文化の短所ばかりを取り上げて東洋哲学の短所は知らん顔。
個人の短所を仏教でどう取り扱うかなんてものはない。自分自身の問題。
別の言い方をすればその短所が迷い、煩悩を生むわけだから、それを滅する法を求めなければならない。
これに個人の長所短所は関係無い。理法に則って修行するだけ。
君も東洋の哲学を知りたいなら基本は抑えておいたほうがいい。
理法、因果の法則、そこに自己顕示、主張の介入する場所は無く、それ自体が短所って事を。

404 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 16:07:42 0
>>402
ついでに歪曲してるかどうかはそれを読んだ人がその人なりに
調べてみるのがいちばんいい。井上って人は半分ホント半分デタラメがほとんど。
それじゃまた。

405 :うんこ ◆JEhW0nJ.FE :2010/05/27(木) 16:16:33 0
井上さんは東洋思想を引用してはいるが、本人が仏教徒とはひと言も言ってなかったように思うんだけど。
なんで仏教や儒教の戒律を井上さんに課そうとするの?なんかおかしいね?

おれも東洋思想は道元くらいしか知らないけど、東洋哲学を知りたい訳でもなくてコラムが面白くて読んでて何が悪いの?
文体が独特で面白いから読んでる。勉強のために読んでる訳じゃない。
なんでこのスレを読んだらすぐさま修行しないといけない訳?

井上さんと思想の理解が違うなら違う部分を本人と議論してみればいいだろ。
違う事に腹を立てるのはエゴイストで仏教とはほど遠いけど。


406 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 16:21:38 0
>>405
時間ないんで議論はまた今度だけど、井上って人本人が
仏教やその他の戒律は素晴らしい、イスラムとかキリストの戒律はクソだとか
さんざ言い放ってるんだけど。過去スレ読んだ?半端じゃないよ。
こういうのを蔑視っていうんじゃないか?コラムでもなんでもない。
こんなのをコラムなんていってたら他のネットの掲示板はさぞ品格のいいお上品な中身じゃないか?

407 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 16:26:13 0
うんこ ◆JEhW0nJ.FE、
おまえ知らないんだな。井上恥の守が自分以上の識者が来て突っ込まれると
崩壊していく様をw数学スレもそうだったが哀れなネット弁慶そのもだぜw

408 :うんこ ◆JEhW0nJ.FE :2010/05/27(木) 16:28:03 0
>>406
最初から読んでるから過去スレもほとんど読んでるよ。
西洋思想を妄信せずむしろ叩いてるのが井上さん独特でめずらしくて面白いんじゃないの?
なんで井上さんが西洋思想を叩くと親を殺されたように騒ぐの?
なんかおかしいよね?大人になれよ

409 :うんこ ◆JEhW0nJ.FE :2010/05/27(木) 16:34:56 0
>>407
知識偏重主義を愚行として老子は戒めてたよね?
なんで2ちゃん学問板ってマニアの知識比べ大会になりやすいの?馬鹿みたいだよ。
井上さんは知識自慢したいんじゃなくて、意見を言いたいんじゃないの?
自分の感じた事を感性のまま素直に書いてて井上さんは面白いよ。


410 :井上筑後守:2010/05/27(木) 17:37:46 0
捨てコテでも、「うんこ」はさすがにやめてくれww
俺も糞掃衣着る坊さんじゃねえしw

411 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 18:12:40 0
いずれにしても、洋学が優れているとか、東洋学が優れているとかの、
論は、優劣はないと言う一の思想に、真っ向から反するもので、こういう優劣論が
有るのは否定できない事実であるが、それに、真理真実を求め、それに対する回答
が今一の思想であると言っているとき、その一の思想を否定することもないままに、
俗世間の見解に乗って論ずるのは、真理真実を求めるもののベクトルに反していることを
認識しなければならない。

412 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 18:40:41 0
スレ荒らしと言うものが存在することを多くの人が知っている。
それへの対処方法であるが、それに対して相手にして争うと、荒らしの思う壺である。
荒らしは相手にしないのが一番効果的で、且つ、正しい対処であると思う。
 この荒しと同様に、宗教哲学において、悪魔とか悪霊とか、悪神とか
なつける事例がある。これらも、スレ荒らしと同様に、それを相手にするべきものとして
登場させているのではない、と思うのだが。もし相なら、その思想は決して
完結しないだろう。悪魔は相手にするべきものではないという判断の基に、
聖賢は、悪魔に対処し、その理由を主張する思想に告げているのである。
 これらの正見の言うところは、一であって、一であるので、一切は空であり無相であるというものであり、
その真実に反して、何かがあるように思わせるものを、悪魔と言っているのである。
例えば、イエスは悪魔に試みられたとされ、悪魔は、「全世界を与えるから、
自分に膝まつけ」と言ったと言うのである。全世界と言う有益なものはないのである。
全世界と言う宝はないのである。こういう幻で悪魔はイエスを釣ろうとしたのである。
 イエスは全世界と言うものを調査検査して、実体のない幻であると判断したのである。
その判断を覆そうとする誘惑に打ち勝ったのである。そして、その調査検査に基づき
この幻の世界に対処したのである。この幻の世界に打ち勝ったのである。


413 :井上筑後守:2010/05/27(木) 18:48:55 0
>>411
事実、やはり差別は存在する。
人間もいれば虫けらもいる。老いも若きも男も女もいる。
「列子」天瑞第一にも、老いぼれた爺さんが「女ではなく男に産まれただけでも得だ」
などと、「男尊女卑」という言葉を史上初めて用いながら弁明している。
事実、差異差別の実在するこの世界で、さらにそれに多い被せるように
一化や色即是空を唱えるのが道家や仏教。実在する差別を無みする無理などはしていない。

「大学」の「格物致知」という言葉も、「物事の良悪優劣をわきまえる」といった程度のもの。
何が善い、何が悪いと指摘する以上、そこには必ず差別が存在する。
分別知に基づく善悪論は自明に差別論でもあり、儒家は真っ向からその差別に挑み、
道家や仏教は差別の実在を認めた上での、その超脱を試みている。
だから、「東洋教学の本論は善悪論だ」とも言っている。実在する差異差別をも否定する
概念夢想だけは、古代にいくつかの実権例を残したのみで早急に卒業している。

善悪優劣を逸脱した概念論ばかりに陥るのは、明らかに東洋教学ではなく
洋学の病状。東洋教学を理解した気になって、結局洋学の域を出ていないのが貴女。

>>412
もう完全にスレ違いなので、まともには返答しないが、話が洋学に及ぶのは
東洋教学との連関する場合だけに限るよう、お互いに気を付けような。

414 :井上筑後守:2010/05/27(木) 18:51:46 0
俺も、古典文献中の、古の聖賢の格言などを「師」としているだけで、
生身の存命中の師を持っているわけではないからな。

「礼記」の学記第十八などにも、優れた師に恵まれることの重要さが説かれている。
逆に言えば、確固たる師も持たない我流の勉学が軽んじられるのは
昔から指摘されていることで、その点に関しては自分もまた恐縮せざるを得ない。

ただ、じゃあ今の世の中に適切な東洋教学の師がいるかといえば、全くの皆無。
坊さんも廃仏毀釈で形ばかりのものと化し、大政奉還で漢学も主要な学問から外され、
幕府の洋学研究機関に過ぎなかった東大の学者などが幅を利かせている。じゃあ
その辺りの大学教授なら頼れるのかといえば、誰しもが単なる「文献学者」止まりで、
教学の内容を体得する実践性は全く伴っていない。訳書や研究書を出版して
印税をもらう以外に能のない、単なる情報サービス業者の群れであるに止まっている。

415 :井上筑後守:2010/05/27(木) 18:52:53 0
ちょうど、今の日本や中国などの学術体制は、統一秦王朝が成立した頃の中国などに近い。
500年以上もの間引っ切り無しの戦乱状態を続け、周王朝が社稷の祭祀を失ってからは
まともに礼楽や法禅などの儀式も行なわれなくなり、さらには焚書坑儒などの文化破壊も
相まって、もはやどこにも古の文化体系を正統に継承するものがいなくなっていた。

韓非と同じく、陰陽五行への理解も拙かった戦国時代の覇者・始皇帝は、
自分勝手な独断で「秦は水徳を帯びている」などと決めつけ、三皇と五帝の格式差も
わきまえずに「皇帝」という号を創作した。秦室が滅び、楚の項羽を劉邦が下して
漢王朝を創始し、始皇帝が穴埋めにした儒者なども用いて礼楽などの体系の立て直しが
試みられたが、もはやどこにも正統な師子相伝によって礼楽体系をわきまえられている
儒者がおらず、三人集まれば三つの礼楽、五人集まれば五つの礼楽が主張されるといった
有り様で、ほとほと辟易させられた武帝の鶴の一声によって、当時の天下泰平の時勢に
即した新たな礼楽形式が制定されて、今後の礼法体系として用いられるようになった。
(「史記」礼書冒頭などを参照)

416 :井上筑後守:2010/05/27(木) 18:54:47 0
春秋戦国時代の戦乱を通じて、徹底的に破壊され尽くし、遺失した礼法体系を持ち直させたのは、
結局正統な教学の相伝の途絶えていた我流の儒者たちではなく、天子たる武帝だった。
学派としての儒学の権威が確立されたのもそれ以降で、それ以前は数多の儒者達も、
みそもくそも一緒くたな百家争鳴の中に巻き込まれていた。

いまこうやって俺が、主に儒学を中心とした東洋教学の勉強をしているのも、
それが即座に学派としての権威の確立に繋がることを期待しているからではない。
ただ、支配者たる天子による権威の公認によって、東洋教学の権威が復興した後に、
即座に東洋教学の教育体制を整えられるようにするための下見でこそある。

俺がここで自学自習の内容を披瀝したからといって、それがそのまま東洋教学の復権に
直結したりするわけじゃない。復権には復権でまた、勉学の熱心さなどとはまた別物の、
権力的な後押しがいる。それもまた期待しないではないが、期待ばかりにかられて守株待兎
の待ちぼうけ状態と化してもいけない。せいぜい今の俺にもできる程度のこととして、
東洋教学の下見も兼ねた自学自習をやっている。未だ権威は付いてこない範囲のものとして。

417 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 18:57:00 0
まだいるのか
調子こいてんじゃねえぞ井上恥の守w

418 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 18:59:34 0
>>413
差別が存在すると考えている間は人の域を出られません。
あんたは前スレ以前から「俺は偉いんだから小学生は黙って聞いとけ」っていってなかったか?
そういうのも差別心。

419 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 19:03:18 0
あまりに偏重しすぎなんだよな>井上
もしこのスレが洋学否定派ばっかだったらさぞ気持ちがいいだろうが
洋学がいいってやつも大勢いるもんで、そういう輩が入ってきても
2ちゃんじゃ文句言えないぜ?

420 :井上筑後守:2010/05/27(木) 19:04:15 0
完全に透徹した絶対的な差別心によって、荒らしの発言の価値など一切皆無に付しているので、
本当にどうとも思わない。どうとも思わないから「無視しなければならない」なんていう対抗意識もわかない。

ああ、素晴らしき優劣の差別。大人は大人たり、小人は小人たる。
礼によって差別されて、次は楽によって身分の違う者同士が調和するんだ。
「礼記」の楽記の引用でもある、「史記」楽書にも載っていることだ。

421 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 19:06:38 0
>>419
まずある事例、事象に対して、西洋、東洋哲学両方の立場から考察しないとな。

422 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 19:08:48 0
>>420
そういう存在を普通神、仏と言うが
あんたはそのつもりでいるのか?
だったら話は早い。このスレから出て行け。
単に自分に酔ってるだけだ。

423 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 19:10:15 0
>>420
○○にこう書いてある、って知っただけで絶対的境地に行けるなら
誰だってそうだと思わないか?

424 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 19:11:50 0
てめえの都合の悪いカキコは全部荒らしの井上恥の守w
これからもどんどん書き込むぜw

425 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 19:13:11 0
この世界は幻であるとは、この世界は縁起により成立してるもので実体がないということである。
実体とは神実在のことである。この幻の世界に実体があるのではないかと、詮索しても
徒労が必定である。老荘・パルメ・ゴーダマ等の知者は、この世界の縁起を
大きいものから順に説明した。初めに混沌があり、次に天と地ができ、と言うような創造を説くもの、
陰陽を説くもの、エンペドクレスのように、愛と争いを説くもの、と言う風である。
しかし、これを臆見と言うのである。真実ではないという意味である。概念と言う言葉
があるが、概とは、凡その、と言う意味である。言葉は概念以外ではないのである。
そして、臆見とは、これもまた、凡その、と言う意味であり、概念のことである。
この概念:臆見が、縁起関係にあるもので、それ以外ではないのである。
この世界は、概念の世界、名称の世界、と言うのである。で、このような曖昧なものの世界に
法則や真実真理を求めてはならないのである。
 井上さんが他に易のスレを持っていると言うことですが、それは縁起を認めるに過ぎないものであり、
決して有益ではないと言わなければなりません。ゴーダマさんも易占いをしてはならないと教えています。

426 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 19:17:19 0
老荘とか縁起とか空相とか無相とか、部分的に東学用語を借用してるだけで、
思考回路は洋学のまんまだな。きっと東大卒に違いない。

427 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 19:19:04 0
>>426
それは井上も同じことで、適当に洋学用語を借用してる。

428 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 19:21:02 0
>>425
あんな恥晒したスレなんざスレとも呼べないほどの恥スレだぜ?
【八卦】易の数理化【六十四卦】
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/math/1264322527/
ほらよ。

429 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 19:22:08 0
>>421
それができてればこんなスレにはならないだろうな。

430 :井上筑後守:2010/05/27(木) 19:23:55 0
恥さらしてたんだ?

俺が焦ってるように見えたんだ?

よかったなあ。楽しかったなあ。

431 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 19:27:59 0
数学板見た人二人ぐらいが同じタイミングで荒らしに来てるみたいだね。
さっきは時間がないって言ってたのに数時間後また来てるし。
よっぽどこだわってるんだねw
まぁいいんじゃない?
ほっといて書かせとけば勝手に好き放題書いて消えてくでしょ。



432 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 19:31:35 0
>>413
井上さんの、善とは何で、悪とは何ですか?

433 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 19:40:51 0
別にコテが間違えた事書いても何も問題ないんだよ。
それよりキャラが濃い人がまとまった量書くと他の雑多な書き込みから浮き立って見えるんだよね。
それで意地悪な人は浮き立った人をからかったり叩いたりして相手がペースを崩す所を楽しむ訳。
特徴のないレスしてる名無しは透明人間になって誰かを殴ってるような快楽に浸れる。
どこでもそんなもんだよ。
哲学板もコテが減って来てるから残ってる井上さんが狙われるんだよ。

434 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 20:37:21 0
>>426
 そんな奴隷養成学校など関係ありません。以下の二者の言うところは同じなんです。

荘子斎物論
 全ての物には「あれ」と「これ」が存在する。しかし「あれ」の立場から見れば、それは「これ」であり、自ら知れば、それは「これ」と成る。つまり全ては是も非もない。
生じれば死し、死すれば生じるのだ。可なれば不可に、不可なれば可であり、是であれば非である。この真理を「道枢」(どうすう・道の要諦)と呼ぶ。道を体得した人は、
道が枢(扉の中心軸)を中心に無限に回転するように、物の変化に無窮に対応してゆけるのだ。是も無窮、非もまた無窮、この対立を裁けるのは「明」しかないのだ。

 可を可とし、不可を不可とする。道は人が通るから道であり、物は人がそう呼ぶから然(自然にあるもの)である。なにが可であり、不可なのか、なにが然であり、
不然なのか、事実可も然も同じである。単なる相対のことばでいっているにすぎないのだ。人はこの相対にかかずらわって果てしない議論をする。
これを解決するには天や自然の立場に立って裁くほか無い。世俗の是非の立場を超越し、自然の道で裁く。そこでは是非を越えた知域で、
ものはひとつになり、一切の差別と対立がなくなる。

パルメニデス
  いざや私は汝に告げよう、汝この言葉を聞いてよく受け入れよ――
  探究の道として考えられるのはいかなるもののみぞ。
  その一つは「ある」そして「あらぬことは不可能」という道、
  これは説得の女神の道である(真理に従うがゆえに)。
5  他の一つは「あらぬ」そして「あらぬことが必然」という道、
  この道は全く探ねえざる道であることを私は汝に告げる。
  なぜならば汝はあらぬものを知ることもできなければ(それはなしえぬこと)
  語ることもできないから

Fr.3
  なぜならば思惟することとあることとは同じであるから。


435 :井上筑後守:2010/05/27(木) 21:38:26 0
>>431>>433
別に書き続けてもらって構わんよ? 面白いし。
433レスで287KB、まだ1000レスいけないしな。

>>432
人間にとっての善悪の原典は易だ。
難解だとの定評があるが、事実善悪の分別はそれだけでも難解なものだ。
あまり厳密でもないんだが、「己れの欲せざる所を人に施さない」が善で、
施すのが悪だというのが、易の理解にまでは辿り着かない大部分の常人に
対する説明としては最善だ。孔子は孔子で最善を尽くそうとしてたんだ。

436 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 21:38:28 0
>>434続き
結論から言いますと、両者も一が真実であると言っています。ですから
パルメの思想を老荘の思想にしても反対に老荘の思想をパルメにしてもかまわないでしょう。

434に引用した説明では、理解するに容易ではないでしょう。
要するに、老荘では、相対的に存在してるものは、本当にあるものではなく幻である。
これにかかずらわってはならない。すなわち実体のないもの、に関わることになるのだから。
ないものを追求してるのだから。不可能を追求してるのだから、と言うのです。
 パルメでは、あると言うこととあらぬと言うこととは矛盾しており、そういうものは
追求できないということです。これはどういうことかと言うと、変化を言うのです。AとBが
隣り合ってある場合、Aの範囲からBの範囲に移動する場合です。Aがあると言うのなら
それがBの範囲に移動したらAが無いのです。これが頴があると言うと同時にAが無いと言う意味です。
時間の経過により、Aが消えBに変化してる場合、Aがあると言っておきながらAがない、と言うことになります。
こういう矛盾したことを言っているのですが、これは、このように言うことは不可能である、と言うのです。
そして、こういう変化はあらぬことであり、この変化は真実には、無いものである、と言うのが5の言うところでs。
この変化は幻であると言うのです。老荘ゴーダマの説明に拠る縁起、相対関係のことをいっているんです。
老荘ゴーダマでは縁起相対関係のものを幻と言いますね。で、パルメは幻であるものは、
知ることも語ることもできない、と言っているのです。
 これの説明はもっと続くのでどうかそれを読んで欲しいのですが、相すればもっと理解を確実にすることができるでしょう。
ゴーダマの説明を参考に引用しておきます。
 
縁起を表現する有名な詩句として、『自説経』では、

此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば、彼が滅す

– 小部経典『自説経』(1, 1-3菩提品)



437 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 21:45:27 0
>>435
「己れの欲せざる所を人に施さない」、これが人によりまた時と場所により様々に変化してくると言うべきですが、
その基となる「己」とは何でしょうか?

438 :井上筑後守:2010/05/27(木) 21:48:21 0
「あれ」とか「これ」とか「かれ」とかいう風に、
他人行儀に対象を扱うことからして、すでに無礼なんだよね。

東洋教学は決して、洋学の言わんとしていたことを
「除外」していたわけじゃない。ただ「劣後」していただけだ。
より優良な大量の事物に対して、劣悪で小量な事物を
それ相応の立場に劣後させていただけで、決して消し去ろうと
していたわけじゃない。東洋教学に除外という観念はない。

439 :井上筑後守:2010/05/27(木) 21:50:03 0
>>437
「己れの欲せざる所を人に施さない」は、あくまで善の概括的な理解だと、
>435でも言っている。それ以上の理解は、他力本願では叶わない。

440 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 22:01:29 0
欲したり欲しなかったりする対象が様々に変化するのですが、その変化に応じて
「己」も変化するのだとすると、多重人格ですね?多重人格だとすると、
一人の人格には一つの欲したり欲しなかったりする対象しかないことになりますね?

441 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 22:04:29 0
>>438
>「あれ」とか「これ」とか「かれ」とかいう風に、
他人行儀に対象を扱うことからして、すでに無礼なんだよね。

 詳しく説明お願いできますでしょうか?

442 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 22:17:52 0
テレビに映った皇族を「あいつ」とか「こいつ」とかいえば、やっぱり無礼だ。
そんな無礼を容易く許す露出をしている今の皇族も皇族だが、
「あいつ」とか「こいつ」とか言ってるほうもやっぱり無礼。

環境全体が無礼を許しすぎてしまっている、
トップダウン的把握の端々に
「あれ」とか「これ」とか言った指示語が使われる。

443 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 22:34:07 0
>>442
無礼と言うことが解らないな。
皇族が偉いというようですね?憲法法律では、皇族を偉いと認めてはいないんですね。
法律上の権限は与えていますがね。法律上の権限を有していると言うことはえらいという意味ではないでしょ。
 孔子が自分が道についての教えを聞いておらず、道について教えてくれる人を偉い人と見做していたことはありますね。
その人には、機嫌を損なわないように気をつけなければならないと考えておりました。機嫌を損なうと
道について教えてもらえませんからね。教える気持ちになってもらう必要が有ります。
このように権利義務と言う合意がすでにない場合、任意に合意しようと言う場合は、新たな権利義務を履行するためには
誠実にする必要があります。その誠実を礼と言うのでしょうか?既成の合意も無いのに
無礼とか言うことは無いのではありませんか?

444 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 22:55:44 0
分からないねえ。まだやっぱ。

法律とか権利とか義務とか、格物致知にも及ばない
未開理念にまだ手こずらされてるんだから。

二宮金次郎が14歳の頃に読んでいた「大学」
ですらまだ理解できない、己れをいくら低くしても
足らないのに、皇族への敬意すら持てないんだから、
お先真っ暗だね。

袋の鼠は見るには面白いが、
本人たちにとっては大変なんだろうね。
自殺でもしない限りはまだ死なないから安心せえ。

445 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 23:08:00 0
合意と言う狭義の信義誠実の履行と言うだけではないですね。
国民同士は、自由権を尊重しあう義務がありますから、お互いに
その義務の履行には信義誠実がともないます。この信義誠実を礼儀と言うべきだと思うのです。
あいたに不快感を与えるような行為は、信義誠実の原則に違反するのです。
これとかかれとかあれ、と言う表現が、ある人には不快感を与える場合があるかもれませんが、
今の状況からして、そういうことを察知するのは無理があるのではないでしょうか?

446 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 23:14:18 0
今の状況を替えるための手立てを、なぜ今の状況に頼る?

447 :考える名無しさん:2010/05/27(木) 23:43:18 0
井上の出番がなくなってきたな。

448 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 08:42:08 0
>>446
?

449 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 10:31:42 0
>>443>>445みたいな、誤った言葉の用い方や現実認識の塊である腐敗構造全体を
終わらせたいのに、その腐敗構造の内側の用語や認識によって終わらせようとする過ち。
替えるべきものを替えるために、その内側の理論武装を用いようとする矛盾。

井の中の概念夢想の外側にある、広大な現実世界の価値をどうしても認められない頑なさ。
一だ一だと言った所で、狭量な夢想の内側に何もかもを押し込めようとしている時点で、
あまりにも多くの大切なものを蔑ろにしている。それだったらむしろ、
概念夢想を捨ててでも広大な現実世界のほうに乗り移ってきたほうがマシだ。

井の中と大海のいずれをも諦観して等分視することは、狭い井の中に引き篭もって
出てこないよりも難しい、大海の広さを楽しむことよりも、さらに難しい。一足飛びで
大海をも諦観するなど、未だ井の中に引き篭もるカエルちゃんには到底無理なこと。

450 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 14:16:02 0
なんでもいいけど堂々とコテで書かないか>井上

451 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 14:20:23 0
>>440
空腹のときと満腹のときがあっても一人格。
人の欲する、欲せざるは統一人格中で変化する。

善悪も変化する。不変的真理は無い。

452 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 14:52:43 0
>>449
>>>443>>445みたいな、誤った言葉の用い方や現実認識の塊である腐敗構造全体を
終わらせたいのに、その腐敗構造の内側の用語や認識によって終わらせようとする過ち。

腐敗構造全体を終わらせたいのに、と言うところに、あなたのこの世界に対する執着がある。
荒らしに攻撃しようとしてる。荒らしは相手にしないのが正しい。この世界は、幻なのだ。

> 井の中と大海のいずれをも諦観して等分視することは

つまり、大小を等閑視すると言うことですね?ならば違う。大も無く小も無いので
、大小の世界から離れるのである。知性に従うのである。この知性を知恵とも言う。
 そして最終的に、信義にも執着しない。つまり礼にも執着しない。

453 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 15:00:04 0
本を読んで悟った気になってる病気な人ですからw

454 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 15:05:43 0
>>452
それは仏教の空、無自性の考え方。しかしそれはこの世界の真理は実はこうであると
「仏」が示したわけであって、「人」がそう考えてるわけでも、
そういった視点で世界を見ている、見れるわけではない。
そのように無自性で見れたとき、その中に縁起を見るわけでそれを智慧という。
そうでしょ?

455 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 15:10:41 0
>>452
おまえも馬鹿というかなんというかw
井上恥の守はその腐敗構造ってのが西洋のせいだってほざいてるんだぜ?
んならオウムみてえにテロでも起こせりゃいいのにそれすらできずに
ここで吠えてるだけだろwそんな馬鹿にマジレスするなってのw

456 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 15:22:02 0
>>454
>そのように無自性で見れたとき、その中に縁起を見るわけでそれを智慧という。
そうでしょ?

その様に見れたとき、と言われますが、どうしたらその様に見えるときがあるのでしょうか?
私は反対に、この世界は縁起の世界であると理解し、その理解に従ってこの世界を見るという順序であると思うのです。
その理解に従えば、この世界は執着すべき世界ではないのです。そこで意識的にこの世界への執着を減ずる様に自己を仕向けるべきである
と思うのです。知恵に従うのであって、知恵を得るのではないんです。しかし、この知恵の見方が
執着を減ずるに従って知恵の効果として増大してきます。そしていつか知恵の見方がすべてを満たすときが来るのです。
その時知恵は完成したと仏教では言うのです。知恵が勝利したと言っても良いでしょう。




457 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 15:29:12 0
>>456
卵鶏論じゃないけど、縁起の世界であると常に理解できるのかな?
それができないから人なわけでしょ。
もう一つ、仏教はこの世界あの世界って分けない。分けるのは人。
上に書いたことと矛盾するようだけどこれが世界。
適切なたとえの引用でちょうどいい文献で、中村元先生訳の金剛般若経がある。
それを読んだらもっと理解が進むんじゃないかな。

458 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 15:52:08 0
>>451
>空腹のときと満腹のときがあっても一人格。
人の欲する、欲せざるは統一人格中で変化する。

そうすると人格と言うものは変化しないものとしてあるが、その人格はあるときはAを求めあるときはBを求めると言うことに成ります。
そして言うまでも無くAとBとは異なるのです。次に、その人格は、AとBとを一緒に同時に求める場合もあるとしましょう。
しかしこの場合は、ABというものが一緒になり、それはAでもなくBでもないのではないでしょうか?
つまり第三番目のものとなるのです。
 そこで、その人格がAを求めたときは、その人格がビーを求めたときの人格と同じでしょうか?
と言うのは、Aがあればこそその人格があったのです。その人格はBを求めたときの人格とは違うでしょう?
またABのときの人格とも違うはずです。つまり、その人格はA、B、ABおのおのにより制限を受けているわけですよ。
こういう人格が、常に同一と言うわけにはいかないと思うのです。つまり多重人格は避けられないと言うことです。
どうですか?

459 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 16:12:00 0
>>457
>卵鶏論じゃないけど、縁起の世界であると常に理解できるのかな?

縁起現象の原因者はいないと言うのが、ゴーダマ、老荘の説くところです。
われわれの食欲、性欲、睡眠欲と言う生存欲、これらを非難するものはいないんですが、
そのために、これらは悪とはいわれません。しかし実に様々な制限を課され、悪である場合が
有るのですね。そうするとこれこそ、矛盾したものと言わなければならないでしょう。
矛盾したものはお互いに相手を否定するのですから、両立できず、それは相手にできないものです。
ならばこの生存欲は実体(真理真実)としてあるもんではないと言うべきでしょう。この幻が、縁起の張本人だと思うのです。
つまり幻が幻を生み出しているのです。

460 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 16:24:47 0
老荘はそれ以前に陰陽循環説を説いてるからそっちを重視したほうが
いいんでない?

461 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 16:46:48 0
>>460
老荘やゴーダマの、「これ」「あれ」とは陰陽のことでしょう。
この陰陽のことである、「これ」「あれ」から、これと言うものも無い、あれと言うものも無い
、一なるものが真実であると言う結論に至るのです。そして陰陽説が生じる根源は
生存欲であるとし、生存欲=陰陽説である、と言っていると解釈すべきものと思います。
陰陽説は捨てられるべきものです。実体のない幻ですから。

462 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 17:09:26 0
陰子さんと陽太くん

463 :井上筑後守:2010/05/28(金) 17:48:12 0
陰陽相交わって万物を化育す。陰陽相交わらざれば何ものをも生じ得ぬ。

まさに陰陽とは、実体そのものだ。これだけは、譲らない♪

464 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 17:55:52 0
>>463
実体とは何?

465 :井上筑後守:2010/05/28(金) 18:11:33 0
一陰一陽之を道(実体)と謂う。之れを継ぐものは善なり。之を成すものは性なり。(易経繋辞上伝)
故に性は理であり、善でもある(近思録)。この辺りが「道」とか「善」とか「性」とか「理」とかいった
言葉の最原初の定義。そういう意味で使うように、これらの言葉もまた名辞から定義されている。

欧米人あたりが、肯定すれど否定すれど、卑賤なものとして扱い続けてきた陰陽とか性とかを、
最も高貴であり、あらゆる善性や理性の根本であると原初から捉えている中国思想。卑しむばかりで
その理解から逃げようとしている実体は確かに実在し、陰陽を成分とする道こそはそれに当たる。

ただ、それを理解するのが怖いだけ。実在する実体でありながら、怖くてその把握から逃げているだけ。
恐怖による実体への理解からの逃避こそは、陰陽を否定し、善悪を否定し、理性も道徳も否定して、
ニーチェかヒトラー並みのニヒリズムと化し、発狂や自殺に人を追い込む、実体上の過ちを呼び込む。

466 :井上筑後守:2010/05/28(金) 18:23:43 0
処女神アテネの加護を受けたアカイア軍が、
太陽神アポロンの加護にあるトロイアに勝利して打ち滅ぼす、
トロイア戦争の構図など、まさに陰陽や性の否定そのもの。

処女懐胎の聖母マリアなどもひどいもの。
実際に可能かどうかはともかくとして、陰陽の交雑によってこそ万物が化育される、
実体上の世界に対する理解への拒絶宣言以外の何ものでもない。

東洋社会がそれこそは善であり、理であると認め、真っ向から崇拝の対象としてきた
陰陽や性をを、卑賤なものと決め付けて貶め、やもすれば邪教などとして扱ってきた、
そこにこそ欧米社会の過ちの元凶もある。決して実体への理解に及ばず、
概念夢想の内側だけで全てを済まそうとする、過ちの元凶になっているのが
陰陽や性の否定。肯定するとしても、あくまで卑賤なものとして劣後する。
精神性の根本に致命的な病理をもたらし続ける、性や陰陽への拒絶意識。

467 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 18:50:12 0
>>465
>一陰一陽之を道(実体)と謂う

そうすると、実体には陰と陽と言うものがあると言うことか?
つまり実体は二つあると言うことか?

468 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 19:07:35 0
>>467
実体などと言うものを否定する仏教にとって
陰陽、善悪、明暗など相対するものはない。
これ基本。
陰陽その他相対で物事を考えるのは世俗。
西洋のユダヤ思想に言わせれば、現象世界そのもののこと。

469 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 19:19:01 0
>>466
井上さんは、性教主義ですか?性と言うのは、欲望の性でしょう?
欲望なくして性を語ることはできませんよね?
要するところ、性が基本であって、それは男女、オスと雌の欲望が根本であると言うのが
陰陽だと言うのじゃないの?

470 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 19:34:02 0
井上さんは、日蓮教徒じゃないの・創価、の類の?
これらは性交によるエクスタシーが南無妙法蓮華経としていますからね。
これは仏教の本質から真逆の教えとなるもんで、縁起と言うものに実体があるとする
トンでもな考え違いの教えによるものです。日蓮は仏教徒などと自称していますが、
あべこべな哀れ坊主でした。

471 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 19:40:39 0
>>470
カルトが入ってるのは間違いなさそう。
上のほうにムー信者とかって言われてるけど
まさにって感じ。易だの陰陽道に凝ってみたりとか。
あと過去スレじゃ密教にこだわってたし。

472 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 20:21:50 P
>>467
そんな屁理屈聞いてんじゃねえんだよ

473 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 20:43:40 0
>>472
何聞いてん?

474 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 20:55:28 0
井上さん、臆さ無いでください。創価であっても、間違いに気づけばいいんでしょう。
反論してみれば良いのです。こちらの方が間違っていることがわかれば、こちらにとっても利益です。

475 :井上筑後守:2010/05/28(金) 22:18:12 0
なに言ってんだかww

各々が名辞を乱したままに、自分勝手な答弁ばかりを繰り返してんなあ。
まるで西洋哲学のよう。系統の正伝も疎かな女系社会の悪癖。

476 :考える名無しさん:2010/05/28(金) 22:57:11 0
池上彰の解説番組は面白いね。

477 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 00:13:44 0
>>463
善悪も交わろうや

478 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 00:20:31 0
楽しくな♪

479 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 00:23:43 0
>>475
2ちゃんはみんなの掲示板です。
井上さんだけのものじゃないんで、それを洋学と勝手に結びつけるなんて
やっぱ悪者を西洋に置換する、現実逃避者としての精神がうかがい知れます。

480 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 00:24:12 0
>>458
友人と長く過ごすと一人の時間が欲しくなる。
一人の時間が長くなれば人恋しくなる。

人格とはバランサー。
人格も変化する、変わらないモノなど無い。

481 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 00:26:23 0
>>475
礼節を弁えず、己が非、間違いを認めず、これ井上本人なw

482 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 00:28:39 0
西洋文明の利器に頼ってネットで書き込みしてる井上の矛盾
そんなに西洋が嫌いなら中華の奥地で自給自足でもしてればいい
どうせできないだろうけどな

483 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 00:33:48 0
早くディスプレイの画面からなんかじゃなく、
大名行列の籠の中から君らを拝みたいもんだ。
後頭部だけでもな。

484 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 00:35:54 0
井上って機械スレのあいつに似てね?

485 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 00:38:08 0
>>483
くやしいのお、くやしいのおw
そんなにくやしけりゃ念力でレス消してみろやw

486 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 00:42:21 0
堵愚慧螺をご存じない・・・という池沼を相手している暇は無い・・・ということです。



487 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 00:44:04 0
>>483
名無しだけでどうせ井上だろ?
中華の奥地が嫌ならタイムスリップして江戸時代か
タイムスクープハンターやってるぞ。

488 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 00:51:28 0
http://sankei.jp.msn.com/photos/entertainments/entertainers/100523/tnr1005230826001-l6.jpg

これは何回見ても笑える

でも芸能人向きなんだろうなこのケツさらして恍惚としているよな






489 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 09:56:54 0
>>480
変化するものは、変化の両端で、矛盾するので、あるものではない。
あるものなら、あるときはあるが、またのときにはない、ということはありえない。
これを二律背反と言う。人格にある心とは二律背反するものであるから、あるものではない。
つまり心は無いのである。心が無い以上人格は無い。人格と言うものには核となるものが無いと言う
ことである。これを無我と言うのである。人格も無我、人格に相対する、美味しそうな果実、美しい風景、
美しい夜空、一切は無我である。

490 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 10:04:06 0
>>480続き
無我が少なくとも間違いの無いことであるから、無我こそ少なくとも真実に近いものと認めるべきである。
つまり無我こそ本当の自分らしいのである。相すれば、無我である自分に
、有我であると誤解させるような自意識をもたらすような行為をしてもらっては
迷惑なのである。人にも、その人に核があるかのように思わせる行為をするのは、その人に迷惑
に違いないと思うべきである。これが己の欲し無いことを人に施すなかれ、の意味で無ければならない。

491 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 10:18:33 0
「己れの欲せざる所を人に施すことなかれ」は、
概念をいじくるヒマなんかない大部分の一般人に対する
善徳の概略的な説明に過ぎない。そんなに概念の玩びに
興味があるんなら、より厳密な善徳の把捉である
易経に進むべきだ。どうせ難しすぎて分からないんだろうが。

492 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 11:03:04 0
>>467
>そうすると、実体には陰と陽と言うものがあると言うことか?
つまり実体は二つあると言うことか?

実体とは、真実在のことを言う。いい加減な意味と思ってはならない。
で、実体が二つあると言うのか?つまり真実が二つあると言うのか?そういうことは二律背反と言うのだ。
Aという真実在とBという真実在があるとしよう。Aは自分が真実でBは虚妄であると言う。
それなら、Aを真実と認める時は、Bを認めてはならない。しかしAもBも真実在であると
認めているのであるから、Bが自分こそ真実在で、Aは虚妄であると言っている
その言葉を認めない訳にいかないのだ。そうすると、エーもビーも真実在であると言っていた
その言葉が破綻していることがわかったのだ。二つの真実在は無いのである。
 陰と陽と言う真実在は無いのである。つまり陰陽説なるものは初めから嘘であったと言うことが
判明したのである。つまり陰も陽も無いのである。陰がある陽があると言う井上は悪魔である。

493 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 11:27:40 0
概念世界で陰陽を否定するのは自由だが、現実ではそうもいかんよ。
欧米人ですら、陰と陽の交合によって社会を構成して来てるんだよ。めでたいことにね♪

494 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 12:11:56 0
3056年前の殷周革命の頃から、中国は数十万人規模の戦いを繰り返して来てるんだよな。
対するギリシャのほうは、約2300年前のアレクサンドロス大王の東征ですら
せいぜい数万人規模の戦いに止まっている。桁が一つ違うな。

495 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 12:59:28 0
>>493
>欧米人ですら、陰と陽の交合によって社会を構成して来てるんだよ。めでたいことにね♪

どうしてメデテーの?

496 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 13:08:17 0
お・め・で・た☆

497 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 13:14:08 0
>>494
ギリシャとペルシャの戦争、なんと言ったっけね、その時のペルシャの人数が50万とか言わなかったか?
春秋戦国時代の戦争で、数十万人規模の戦いって、何があったのでしょうか?

498 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 13:24:35 0
>>493
>現実ではそうもいかんよ。

あなたの思われている現実が、本当は幻なんですよ。
現実の意味は、実と言うのは真実の意味であり、それに現が付いているのは、
真実が何であるか論の対象になるので、幻を排する意味で、現実と言うのである。
幻は現実ではありません。陰と陽の交合により成立してる世界は幻です。

499 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 13:32:51 0
>>497
長平の戦いで、秦が趙の兵士四十万人を皆殺しにしている。殺した数だけでな。
他にも「史記」には「死者ン万人」なんていう戦いがわんさかと出てくる。死者だけでン万。

虐殺なんて陰惨なことだし、戦は必ずしも数じゃないが、
当時からの中国の社会規模の桁外れな巨大さを示す証拠ではある。
史上最悪の虐殺数も、毛沢東の約3000万だしな。

>>498
現実が幻で、幻が現実だなんて言葉遊びには付き合っていられない。

500 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 13:37:49 0
ギリシャがペルシャを破ったガウガメラの戦いも、
実際にはペルシャ軍の総勢は15万人程度だったそうな。

一騎当千の武勲を誇りたいがために、敵軍の数すら水増しをする、
姑息ながらもアホげなグリークどもでござった。

501 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 13:52:48 0
>>492
陰陽説と西洋的一神教を同一視してるなあ。
真実在なんて考えは陰陽説にはないから。
その考えでいくと、太極が真実在で後は派生で虚って論法になる。
太極図ってものをじっくり眺めたほうがいいよ。

502 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 13:55:06 0
ヘロドトスの記述によれば、歩兵1,700,000、騎兵80,000、戦車隊など20,000に加え、水軍]517,000以上、これは三段櫂船1207隻、その他の船舶、輸送船3000隻からなり、
これらにヨーロッパ各地からの援軍を加えた総計は5,283,000以上という大規模なものであったという。しかし、これは明らかに誇張された数字であり、
また兵站学上当時これほどの大軍勢を維持することは不可能と考えられるため、実際に動員された兵力については諸説ある。
少なく見積もった説で5万程度、多く見積もった説で100万程度と開きが大きいが、いずれにせよギリシア側の兵力、
船舶をはるかに超える規模であったことは間違いない。


503 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 13:59:30 0
読んだことないが、ヘロドトスってそんなに不正確な記述だらけなんだ?w

暦や度量衡から徹底的に検証し抜かれている、「左伝」や「史記」とは偉い違いだな。
水銀で泉を拵えた始皇帝の陵墓も、相当規模の遺跡が見付かってるしな。

504 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 14:02:19 0
>>503
読んだことないなら黙ってれば?

505 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 14:06:30 0
>>503
どこの国にも考古学者はいるし、海外だと文献はほとんど英語でしょ?
英語を知らない日本人がカタカナキーワードで検索してもたかが知れてる。
もしかしたらもっと膨大かもしらないし、勝手な想像でもの言うのはやめよう。

506 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 14:08:17 0
>>501
説明が容易であるから、キリスト教を例にとるが、これはキリスト教に限らない。仏教、
老荘の世界も同じものなのだ。で、こういうことだ。神は天地を創造し、人間を創造した。
この世界は神の創造した世界と言うのである。ところが、イエスキリストは、なんと言ったか?
この世界ではない、天の国と説いたのである。神の創造した世界ではなく、神の世界を説いたのである。
老荘や仏陀も、この世界ではない、浄土ニルバーナを説いたのである。
あなたの言うげんじつんせか意と言うのは、陰陽の世界であり、神の創造した世界なのであり、
ニルバーナではないのである。ニルバーナの方が良いのだろう?

507 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 14:13:06 0
>>506訂正
うげんじつんせか意と言うのは→現実の世界と言うのは

508 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 14:14:49 0
>>506
どのように仏教その他を理解してるのか???だね。
とにかく別世界とか別次元とかという考えは仏教その他、凡そ東洋的思想にはほとんどないから。
あとニルヴァーナなんて別世界があるわけじゃない。
お経の「世界観」をイメージしてのことだろうけど、かなり違うんだな。

509 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 14:16:59 0
>>505
鋭い指摘乙。ぐぐる先生は日本語だけじゃないし。
日本の図書館にその手の文献があるわけでもなし。

510 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 14:20:47 0
>>508
それこそ大間違い。仏陀や老荘が為にならないことをといたというのか?
とんでもないのだ。人の為になる、それが実現可能な、幸せになる方法、それをこそ
説こうとしたのである。何で仏陀がこの世に現れて説法したのか、この世間に
暇人のための論題を提供するためだったのか?そうじゃないだろう。よくよく彼らの目的を
考えて、彼らの言うところを知るようにしなければ為らないんじゃない?善き友よ。

511 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 14:27:56 0
>>509
サンスクリット語を無理やり英語で打ち込んで検索したら
日本語では出てこないキーワードが山ほど出てきたからね。
当然といえば当然。日本人以外でもインターネットは使ってる。海外にも図書館はある。
>>510
なんにも知らないようだから君もこれ以上訳の分からない書き込みはやめたほうがいい。
書き込みから君の仏教その他の解釈の程度が知れる。
善き友よって言ってくれるなら、せめて中観、空、無自性と唯識、縁起論を学んでほしい。
迷いも涅槃もこの世を離れて有らず。弘法大師空海のお言葉を借りさせてもらえば
仏法は遥かにあらず、心中にして即ち近し。

512 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 14:33:34 0
>>511
せめて中観、空、無自性と唯識、縁起論を学んでほしい。それで私の言うところが
これらの言うところと違うのなら、指摘すべきだ。それまで。

513 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 14:40:54 0
>>512
固定観念を捨てて一から、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静そして一切皆苦の
三宝印、四法印と四諦、八正道の初期仏教の教え
中観、唯識の大乗仏教の教え。これをある程度でも知っておかなくては
空想的なおとぎ話か、とんでも解釈のとんでも宗教になってしまう。

514 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 14:45:08 0
>>513
>空想的なおとぎ話か

 こんなことをいっているようじゃ、「、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静そして一切皆苦の
三宝印、四法印と四諦、八正道の初期仏教の教え、中観、唯識の大乗仏教の教」を解ってないね。

515 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 14:49:09 0
>>514
オウム返しは知らない証。
ならばそれら仏教哲学を周知の上で問いましょう。
まず
>>510
1.何で仏陀がこの世に現れて説法したのか
仏陀とは?

516 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 14:51:45 0
>>515
オーム返しとは、同じことを繰り返した場合のことだろう?私はどこに
同じことを繰り返したのだろうか?

517 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 14:52:37 0
途中で書き込んでしまった・・・
>>510
2.幸せになる方法
そもそも幸せってなに?
3.暇人のための論題を提供するためだったのか
議題を提供ったなに?

518 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 15:03:10 0
>>516
君は東洋思想についてはとんでも井上さんより知らないみたいだね。

519 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 15:04:00 0
>>517
>途中で書き込んでしまった・・・



520 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 15:27:19 0
>>518
あなたは第二の井上さんですね。

1.何で仏陀がこの世に現れて説法したのか?仏陀とは?

A、仏陀とは幸せな人。他者をも幸せになってもらいたくて、その方法を教えるために
世に出現した。

2.幸せになる方法 、そもそも幸せってなに?

 A,人間の本能を滅することが幸せになる道である。幸せとは、この世での一切の苦しみから脱して自由になることである。

3.暇人のための論題を提供するためだったのか,論題を提供ってなに?

A,>>508「とにかく別世界とか別次元とかという考えは仏教その他、凡そ東洋的思想にはほとんどないから。
あとニルヴァーナなんて別世界があるわけじゃない。
お経の「世界観」をイメージしてのことだろうけど、かなり違うんだな。」とこのように言うのは、
仏教の話が有ることを前提にしているね。ところがニルバーナを否定志向した表現である。
ニルバーナを否定した話なら、それは暇人の時間つぶしに他ならないだろう?ニルバーナとは幸せな世界を言うのだから。



521 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 15:46:04 0
>>520
数十分まった挙句の答えがそれとはね(笑全然哲学じゃないし、
感想文だよ。そんなんじゃお話にならないよ。
なんで私がいちいち重要根幹である仏教の哲学のお題を挙げたのか
それに基づいて答えてくれなきゃ、仏教知らないって言ってるのと同じ。
ニルヴァーナも勘違いしてるよね。涅槃って意味を勉強したほうがいい。
仮に涅槃が幸せっていうならその理由も答えてよ。
ていうか君は井上さんより知ってなさそうなのは確実だから書かないほうがいいよ。
悪いけどまあ相手見てもの言えって感じだよね。

522 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 15:53:56 0
明らかにキリスト教と混同してるよな
そもそも仏教に幸になるとか現世利益は一切捨て去るのが道だからな
信じたら幸せになれるなんてどこの学会だよw
こういう宗教勧誘うざすぎ

523 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 16:00:46 0
>>521
井上同様ネット検索して調べてるものと思われ

524 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 16:03:17 0
>>521-523
暇人なんだなw。

525 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 16:07:29 0
>>523
インターネットで検索しても出てくるのはキーワードだけ。
実際にその意味を理解しようなんて宗教哲学思想はまず不可能。
そのことについて何年も勉強しなくちゃね。

526 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 17:42:23 0
本家の井上さんはどうしてるんだろう?お〜い。

527 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 19:47:13 0
国家と言うものは無いんだよ、井上さん。国家と言うものがあると思っていると
、国家に殺されますよ。荘子様は、どうされましたでしょうか?自分は泥の上を這いずり回る
亀の方が良いといって、国家を拒否されたのでした。ああ、なんと言う知者であることよ。

528 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 22:10:18 0
>>526


 ル る に ル の 

 杜 玖 椀 を ま し ま し ょ う 。

 ト ン に り す よ 。 

 ま
 
   じ

       で

               。


529 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 22:52:11 0
良い感じになって来たな。


530 :考える名無しさん:2010/05/29(土) 23:55:50 0
以下は「荘子」の秋水変の中の話ですが、どうも良く解らない。誰か解説していただけないでしょうか?

 荘子と恵子が濠水にかかる橋の上をぶらぶら歩きしていたとき,荘子が川の中を見ながら,「見ろよ,小魚がすいすいと泳いでいるよ。あれが魚の幸せというやつだね」と言った。
 「君はその魚ではないのに,どうして魚の幸せがわかるんだよ」と恵子が言った。
 「同様に,君は私ではないな」と荘子は言い返した,「どうして私にはわからない,とわかるのかね。」
 恵子はいきりたって言った,「君じゃないのだから君の思うことはわからないとしよう,同様に,君は魚ではないのだから,魚の幸せなんてわかるまいよ。」
 荘子は言った,「君の最初の質問は‘私がどうして魚の幸せがわかるか’だった。今の君の質問は,‘私が知ったことを君が知った’ということだよ。この橋の上で,(私の気持から考えて)魚の楽しみがわかったということだよ。」


531 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 00:02:13 0
>>530つづき
以下は別の訳であるが、前の方はまだ解り易い様だが、これはもっと解らない。

 荘子が恵子と一緒に濠水(ごうすい・川の名)の渡り場のあたりで遊んだことがある。そのとき荘子は言った「ハヤがのびのびと自由に泳ぎまわっている。これこそ魚の楽しみだね」。ところが恵子は「君は魚でないのにどうして魚の楽しみが分かるのだ」といった。
 荘子は「君は僕でない。どうして僕が魚の楽しみを分かっていないと分かるんだ」
 恵子「僕は君でないから、もちろん君の事は分からない。してみると君はもちろん魚でないのだから、君に魚の楽しみが分からない事は確実だよ」
 荘子「まあ、始めに帰って考えよう。君は『お前にどうして魚の楽しみが分かろうか』といったが、それはすでに、僕の知識の程度を知った上で、僕に問いかけたのだ。君は僕でなくとも、僕のことを知っている。そこで僕は魚の楽しみが分かったのだ」。



532 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 00:05:51 0
もうそうやって長文でレス貰おうって作戦やめたらどうだ?
うざいわ。

533 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 00:06:05 0
 荘子と恵子が刑務所の廊下をぶらぶら歩きしていたとき,荘子が檻の中を見ながら,「見ろよ,受刑者がいそいそと佇んでいるよ。あれが受刑者の幸せというやつだね」と言った。
 「君はその受刑者ではないのに,どうして受刑者の幸せがわかるんだよ」と恵子が言った。
 「同様に,君は私ではないな」と荘子は言い返した,「どうして私にはわからない,とわかるのかね。」
 恵子はいきりたって言った,「君じゃないのだから君の思うことはわからないとしよう,同様に,君は受刑者ではないのだから,受刑者の幸せなんてわかるまいよ。」
 荘子は言った,「君の最初の質問は‘私がどうして受刑者の幸せがわかるか’だった。今の君の質問は,‘私が知ったことを君が知った’ということだよ。この廊下の上で,(私の気持から考えて)受刑者の楽しみがわかったということだよ。」

534 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 00:09:05 0
もういいいってw

535 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 00:24:58 0
AKBメンバーのファンサービスを見たまえ。
http://picroda.jphip.com/akb48/jphip17586.jpg

これこそが神国日本のあるべき姿だ。
そう思わないか?

西村博之のちゃぶ台返しなんてマルクス的に云うと、
半分以上は経済が決定しているんだから、セラピーにしかならないの。
それはデユルケムからずっとニュートラルにはなったけど。
AERAなんかで「最近、女が変」とか云ってるけど、
あれは単に四象限が好きで、最近は宮台、宮崎、西部までみんなそうだけど、
要するに、宮台も大澤真幸も、オウム真理教にショック受けてるんですよ。
しかし、AKBの食い込み汚れパンツにショックなんて受けてどうすんの。
舞台の上で「今(オシッコが)出た」と言って、舞台をやりながらオシッコをしてしまうことだってざららしい。
大澤なんて、顔が林家ぺーに酷似してるし。


536 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 00:33:18 0
>>535
やべえサービスだなおいw
これも秋元がやらせてんのか・

537 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 00:38:05 0
【AKB48におけるメディアが電通からの指示で行う洗脳報道の概要】
@モー娘。全盛期と同じなのがAKB48
A現役モー娘。はAKB48より劣る
Bモー娘。は過去のものでAKB48はこれからブレークする
CAKB48は若い女性の憧れでファンは若くてお洒落、現役モー娘。はその真逆

【参考リンク】
やっと気付いた「AKBに電通が絡んでる」ではなく「AKBの正体が電通」な件 まとめ
http://www39.atwiki.jp/dentsuakb
電通の正体
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/313.html
やっと気付いた「AKBに電通が絡んでる」ではなく「AKBの正体が電通」な件 その40
http://yutori.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1274787851/


538 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 12:22:15 0
道家が本音で儒家が建前などころか、儒家が本音で道家が建前。

539 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 13:20:06 0
>>533
>,‘私が知ったことを君が知った’ということだよ。この廊下の上で,(私の気持から考えて)受刑者の楽しみがわかったということだよ。」

恵氏も荘子も、他人の気持ちはわからない、と言う点で、同意しているのだ。
荘子が魚の気持ちをわかった気持ちになっていることを、恵氏は分かったと言っているのだ。
それまでで、恵氏は結局荘子は嘘をついているのだ、と言う結論は維持したままであると思う。
あるいは少なくとも、荘子の魚の気持ちの理解は、信用できるものではないと言う結論は維持しているのではないか?

この話は、奥深いのだと思う。つまり、恵氏と荘子の間の問題だ。
恵氏は一国の宰相であった。荘子は一回の草履つくりの職人であった。
荘子は恵氏のような政治家は忌避していた。そこで、こういう背景でこのような会話が行われたことを考えてみるみる。
結局、恵氏は「君は政治家の仕事が苦痛なものと言うが、私が政治の仕事をしていて、
苦痛に思っているかどうか、どうして解るはずがあろう。君が依然として政治家の仕事を
苦痛なものと思っていることは、認めるが、それだけだ。同様に君の仕事を君がどういう気持ちで
やっているかも私には解らない。しかし政治の仕事よりも良いと思っていることは、君の言葉から
認めるよ。」と言うことがいえるのではないか?

 いずれにしても、荘子の斉物論は、恵氏との会話を前提にしているものともおわれる。
恵氏がどのような持論を持っていたか知る必要がある。ところがネットでは検索できないんだよね。
一端は以下のサイトにある。
 http://www.h7.dion.ne.jp/~pensiero/essay/keishi.html

540 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 13:28:59 0
他人同士の理解の統合があるからこそ、水の中の魚を楽しそうだという荘子の発言の意味が
恵子には分かる。それなのに、荘子と水中の魚の理解の統合を疑う恵子の態度はおかしい、ということ。
荘子と恵子ですら理解を通じ合えるのに、荘子と魚とがなぜ通じ合えないだろうか、という意味。

541 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 13:38:52 0
>>540
>人同士の理解の統合



542 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 13:46:44 0
「楽しい」とか「苦しい」とかいった言葉が指し示す意味の集約に
ある程度の同意があるからこそ、理解が統合されている。
一つ一つの言葉の意味に対する理解が統合されている限りにおいて、話は通じる。
「楽しい」を「苦しい」といったり、「現実」を「幻」といったりの、
転倒夢想の言葉遊びが絡んでくると、話が通じなくなったりもするが、
一つ一つの言葉の意味の集約先を同意しているなら、話は通じる。
話が通じることで、「楽しい」とか「苦しい」とか「現実」とか「幻」とかいった
言葉もまた、双方の同意や同情、同感などをもたらす材料になる。

言葉遊びに耽る連中は、言葉の名辞を厳格化した時に生ずる
人間同士の真の同意や同情、同感などから逃げているだけで、
決して言葉によって人々が同意や同情や同感を得られないわけではない。
ちゃんと一つ一つの言葉の定義を厳格化していれば、誰とでも話は通じる。
たとえ檻の中の受刑者とですら、気持ちを通じ合わせることは可能になる。

543 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 14:01:15 0
基地外井上の受刑者経歴か、こいつ前科持ちか

544 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 14:10:35 0
>>542
そんなことでは井上帝国は作れないよ
ていうか君も相当病気だな。

545 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 14:46:47 0
>>540
共通概念の言葉を有する人間同士なら、言葉により意思疎通ができる。
しかし、魚には通用しない。魚には通用しない言葉以外のものにより
、魚と意思疎通が図れるという理由がが必要であると思われます。
 しかし、それ以前に人間同士ですら、この会話では、意思疎通と言うほどのもの
でなくとも、思っていることを分かるというものではないというのであります。
 ここでだいぶ話がずれるようですが、参考になる事情を話したいと思うのであります。
 ゴーダマとその弟子達がインドを広く伝道に歩きました。食物は托鉢と言う乞食行でした。
食物をもらえないときもあったのです。一週間ももらえないときも人によりあったようです。
その人は、空腹になり体力が衰えていたことは想像に難くないのであります。
苦しみでした。しかし、それに対する心構えは教えにありました。しかし空腹は
事実でした。
 荘子が清貧であり、恵氏が食物に困るような生活ではなかったことは明らかです。
荘子が清貧であったと言っても、荘子が乞食をしたということは聞いていません。
しかしこの当時乞食と言うものは世間にいたのでしょう?あるとき恵氏は荘子がお金に困っていることを知り、
それから一週間ほどして、食物を持参して荘子を訪問しました。荘子は死にそうに為っており、
自分がどうしてこういう貧しさに生まれてきたのだろうと嘆いたと言うことです。荘子に書いてあります。
 インドのゴーダマたちにとっても、同じような事実があったと思って良いと思います。木蓮と言う弟子がこの事実の
当事者と言われていますね。
 また、古代ギリシャのアテネの正義の士として有名な、アリスティーデスは、清貧の人でした。
彼は清貧がどんなにか自由をもたらすものであるかを皆に説明したとき、皆は裕福であるよりも
アリスティーデスのようでありたいと思ったと言うことです。しかし、彼には五人の子供がいたのですが、
その子供が乞食をして飢えをしのいだと言う話もあるのです。
 このような事実と、精神の自由とは、離れないもののようですが、どう考えたら言いのでしょうか?

546 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 15:16:57 0
>>545
他人に問う前に、自分自身で考えて実践することを放棄してちゃなんにもならない。

547 :井上筑後守:2010/05/30(日) 18:58:45 0
>>544
俺がなるのは、せいぜい摂政止まり。
別に自分を卑下しているのでもなく、万世一系の皇統の存続の貴さは、
人の器で超えられるものではないことを、身を以って示そうというのだ。

形式張ったガチガチの礼法ばかりを、口を酸っぱくして諫言したために、
疎ましがられて遠ざけられたりしていた、武帝の侍従の儒者たちのようになって、
欒大のようなインチキ道術者から陛下をお守りするのが俺の役目。

「儒学を人間教育の主流に」というのは、明治天皇の意向でもあった。
佞臣どもの逆命や専横によってインチキカルト教学天国と化している今の日本を、
あくまで勅命に即した範囲で執り行う。自己流で何ものをもどうこうする気はない。

548 :井上筑後守:2010/05/30(日) 19:15:41 0
>>545
概念遊びによる名辞の乱れが、さも文化文明の主体ですらあるかのような思い込みにさよなら。

処女神アテネや処女懐胎の聖母マリアを崇拝する欧米社会ですら、
男女が成り余れるところを成り合わざるところにさし塞ぎて、剣を噛み噛み、玉を噛み噛みして
子を産むことで社会を形作ってきていることには変わりない。
それと同じく、定義のすり合わせを完遂している名辞によって形作られる文章によって、
人類が存続していく上での必要不可欠な理念構造が形作られて来てもいる。

そしてそのような理論構造が存在しているからこそ、人類はそれなりにやって来てこれた
のであって、名辞の統一すら抜きに、各々が好き勝手な言葉の定義に基づいて
適当な物言いばかりをしているだけであったのなら、人類はとっくの昔に滅亡している。

だからこそ荘子もまた、中国版ソフィストの名家である恵子が、分からずじまいの
煙に巻こうとしていた論議を、「僕の言葉を聞いて理解するものがあったから、
君もそこから問いを発することもできたんじゃないか」という、名辞の潜在的な統一性を
嵩にかかった反論で論破している。とはいえ、名辞の統一に専念しているのは、道家ではなく儒家。
「帝王による名辞の作製あってこそ、あらゆる構文もまた有効性を保ちうる」という
荀子の正名篇における主張などがその最たるもの。荘子はやはりどこか儒家にも近しい所がある。

549 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 19:54:37 0
>>547
民主人間にならなければ、夢にしても悪すぎる。

550 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 20:11:37 0
どんなに自分一人で適所炸裂の限りを尽くしても、
伝統の疎かなままでは何一つ認められないのは、俺こそが思い知っている。

伝統>現民衆の多数決>個々人の勝手な思いなし。

民意を超えて尊重しなければならない先祖供養が、確かにある。

551 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 20:20:05 0
民主主義とは、国民各自が一人一人王様であると言う制度である。
何で好き好んで臣下になろうとするのか?王の方が良いに決まっているだろう。

>>550
あー、残念だな〜。これだけ一の思想を学んできておきながら、未だに
死んだ人だとか、自分の死のことを考えるとは!
私は、いかなる宗教とも縁を切った。なんと自由であろう。死のこと、まして葬式のこと
ぜんぜん考えない!何のために哲学宗教を勉強してるのですか、あなたは!

552 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 20:28:54 0
>>548
>中国版ソフィストの名家である恵子が

恵氏をソフィストと言うのは、恵氏を知らないからである。このお方は
荘子老子に匹敵し、パルメニデス、ゼノンの友であります。ゴーダマ、イエスの友であります。
 
 荘子の逸話は、こういうことなんですよ。
 荘子は自分のことを、水を得た魚のように自由である、と言いたかったのであります。
一方、恵氏は政治家として自分よりも束縛の身である、と言うのでありました。
そこで、恵氏はそれをにわかには認めなかったのであります。

553 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 20:32:02 0
責任の薄々な一匹一匹の愚民が、
根拠のない王様気分で好き勝手しあた挙句、
今の世の中がもたらされたわけだね。

554 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 20:46:13 0
>>553
アー、あなたは何年間日本に住んでいるものですか?
日本の行政がどのようなものか知らないのですか?
つまり国民各自の召使が、どの様な事をしてるか知らないのですか?
主人の目を盗んで、金を盗み、主人の人権を蹂躙して来たのです。
主人は今その不始末について処分しようとしてるのです。

555 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 21:21:01 0
政治家も選挙によって選ばれているし、
官僚もいま正当競争とされている学力試験によって選抜されている。
あくまで民意の投影に過ぎないものとなるよう、
現先進各国の政府機構はみな、なっている。

そのような悪意の介在を認めたのも、民衆自身。

556 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 22:13:29 0
マスゴミに寄る洗脳煽動がなけりゃ民主主義でいいんだがなあ

557 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 22:15:10 0
是什麼物恁麼来 ⇔ Es ist gut.

558 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 22:50:35 0
>>555
法律を正しく執行しないのである。法治が無いのである。
自治会町内会、PTA.私道、都市計画事業、教育行政のでたらめ。

559 :考える名無しさん:2010/05/30(日) 23:16:58 0
http://sun.ap.teacup.com/souun/2780.html
マスコミの賄賂の収受 公金を

560 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 00:05:21 0
死刑執行の出来ない法務大臣の居る法治国家なんて

561 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 04:45:33 0
仮に民主主義を徹底するのであっても、
中国やインドやアラブやアフリカをも巻き込んでの
全世界投票では、少数派の先進国の民衆は負ける。

「別にアフリカ人なんか餓死してもいいじゃん」
ぐらいにしか本当は思っていない、国際主義下の
勝ち組である界隈が、全体的にしっぺ返しを喰らう。

不特定多数のようなフリをしながら、
十分に特定的な少数派として、今の世の普通に言う
民衆(先進国内)は身勝手な振る舞いを繰り返している。
マスゴミもそんな自分達を気持ちよくしてくれるから、
寵愛しているに過ぎない。自ら近づけた費仲や趙高。

562 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 05:08:08 0
仮に「主権在民」という、今の政治機構やマスコミのおべっかを真に受けて、
民衆こそは帝王であるのだとしても、紂王や胡亥なみの暗君であるには違いない。
例え実務は佞臣が執り行っていたのだとしても、暴政を容認した責任は消えない。

君主制の王君が責任を執るようにして、民主制の民衆も責任を執らねばならない。
全てが自殺するわけにもいけないが、主権を剥奪される程度のことは当然ある。

563 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 06:46:47 0
くだらねえ御託並べてんじゃねえぞ馬鹿が

564 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 11:17:39 0
宦官趙高が、統一秦王朝2代皇帝胡亥の目前に鹿を持ってきて、
「これは馬でございます」と紹介した。胡亥は「これは鹿だろう?」といい、
周りにいた臣下は同じく「鹿じゃないか」といったり、趙高にへつらって
「馬でございますね」といったりした。後で趙高は「鹿だ」といった臣下を
服従拒否の法令違反で罰し、「馬です」といった臣下を取り立てた。

帝王以上もの、佞臣の専横を語源とする侮蔑語、「馬鹿」。

565 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 11:25:33 0
>帝王以上もの、佞臣の専横を語源とする侮蔑語、「馬鹿」。

?


566 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 11:47:14 0
いや失礼しました。チョウコウが皇帝の前に、馬を持ってきて、馬です、と言ったものと誤読していました。
あまりにもありえない話なので、誤読したものと思います。
 

567 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 12:58:56 0
毎日毎日、新聞の紙面上やテレビの画面上で、佞臣たちのウマシカ劇が繰り広げられている。
それを見て辟易し、さんざ不平不満を漏らしている、現社会の皇帝にあたる民衆たちも、
所詮は佞臣たちとの持ちつ持たれつ。どちらかが立たなければもう一方も立たない。

胡亥が若い頃から趙高らに酒と女ばかりをあてがわれ、何も分からない暗君にわざと
仕立て上げられたようにして、今の民衆も教育の劣化で意図的に愚民化させられている。
なぜかって、佞臣たちが私腹を肥やすためという、この一点に尽きる。別に世の中を
良くしたり、国家体制を磐石なものとしたりする高邁な意図があったりするわけでもない。

最高権威が自分たちではないからこそ、権力だけはある佞臣どもも不穏な蠢動にひた走る。
主権も責任も負わされる一端の君主でないことが、権力を悪用する卑屈さの元凶にもなっている。
民衆たちが主権も責任も剥奪していればこそ、政治機構やマスコミも宦官の如き化け物となる。

568 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 13:20:07 0
基地外スレ

569 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 13:45:46 0
米軍基地も、さっさとなくなりゃいいのにな。

日本国憲法第9条の戦力放棄も、日本国民だけが厳守させられている。
在日アメリカ人も守っちゃいないし、日本国政府も守っちゃいない。
ただ日本国民だけが、銃刀法の厳重化などで徹底的に戦力を剥奪されている。

丸裸な皇帝さんたち。

570 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 13:49:34 0
丸裸の井上、裸の王様

571 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 14:39:21 0
>>569
>日本国憲法第9条の戦力放棄も、日本国民だけが厳守させられている。
在日アメリカ人も守っちゃいないし、日本国政府も守っちゃいない。
ただ日本国民だけが、銃刀法の厳重化などで徹底的に戦力を剥奪されている。

 用語は憲法法律の用語を使用しなければならない。この用語は国民合意によるからだ。
_________ 
   第二章 戦争の放棄

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

_______
日本国民と言う主権者すなわち王権を有する者は、国会と言う議決機関を設置し、行政機関と言う内閣を設置し、
裁判所と言う司法機関を湿地栄持っているのだ。これは、中国の皇帝でも、これに相当する機関を持っていたのである。
これらの機関に政治をさせていたのである。そこで、国会と言う立法機関は、王権を持つ日本国民により
、国会で、えうの憲法規定に違反する法律を制定できないことを、命じられているのである。
 憲法も日本国民の総意であるから、他のものに当該憲法規定を命じられているのではないのだ。自らの総意なのだ。
日本国政府が、王の命令に反して、戦力を保持しているのは、違憲である。
王の命令に違反しているのだ。王の命令に違反する政府は、処罰し、命令に忠実なものに
政権を与えなければ為らないのである。

572 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 15:00:02 0
うんこっていつもこのスレにいて井上をフォローする訳じゃないんだな

573 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 16:15:47 0
経済制裁も戦争に当たるだろうね。北朝鮮が宣戦布告だ、と言うのは、
経済制裁を戦争の一形態であると見てるからだろうね。

574 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 17:32:52 0
白馬は馬ではないに付いて、色の概念と、形の概念が、異なることを根拠に、
論を立てているが、色と形に概念が違うとするなら、仏教の色即是空と言う説示だけがあり、
形即是空と言う説示が無いのは、どういうことか?仏教では、色と形を同一なものと
しているのではないか?

575 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 18:03:15 0
なんでも仏教にこじつけられては迷惑ってもんだ。

576 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 18:08:37 0
自らの命令に違反して、陸海空の本格的な軍事力を国内で保有する政府や米軍は見逃して、
自分自身は小刀一本持ち歩いただけでも逮捕されるような状況に追い込まれている、まさに自縄自縛。

もちろん、本当は憲法もその他の現行法も、国民の合意なんかによって全く制定されてはいない。
憲法からして外人(GHQ)の押し付け。その他の法律も政治献金という名の賄賂によって概ね制定される。

ここまでも腐敗の限りを尽くしている民主主義などに、なぜ今さら拘泥などしていられようか。
まだ大名行列に土下座するか、アッラーへの絶対帰依をでも誓うほうがよさげなもの。

577 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 18:35:17 0
>>576
今は平成です。江戸時代じゃありません
精神疾患?

578 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 18:40:02 0
>>577
>>576は特にそんなおかしい文章でもないと思うけどなんでそんなに煽ってるの?

579 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 18:45:08 0
>>578
あんたに指図される筋合いなし。自由にやらせてもらう。

580 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 18:45:25 0
江戸時代までの風俗を過去の遺物扱いするのも、いい加減やめたほうがいいぜ。

地球人類社会全体の大局を見計らえば、デカルトの自我肥大化主義(コギト)
あたりから始まった西洋文明の発展は、人類に対して悪い影響ばかり与えている。
民主主義や自由主義なども所詮は、本格的な権力犯罪体制を整えた一部の
近代化社会に対してのみ利益を呼び込むだけで、そのような我田引水の被害に
遭ったせいで、人類の大部分は以前よりも一層劣悪な環境に置かれている。

何もいいことなどなかった。結局はすべて純粋に悪いことにつながっていた。
際限のない自我の肥大化によって形作られた、近現代文明の産物の数々。
江戸時代の日本やイスラム圏以上にも劣化している、大局の現状をわきまえよ。

581 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 18:48:19 0
>>580
誰に向かって言ってるのか?聖教新聞みたいな布教はやめてくださいな。
うざい。

582 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 18:49:25 0
名無し井上恥の守が発狂してるなw

583 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 19:02:24 0
こういう神気取りの勘違いが哲板には多いから困る。
謙虚に書き込みしてれば誰も咎めないもの、目立たないものを
ここが2ちゃんだって認識がないんだな。

584 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 19:06:22 0
もともと匿名で書いてたのが、読み手への便宜のために署名していた程度のこと。
大したことも書いてないときは匿名で十分。それどころか大したことですら、
署名はむしろ避けるべきもの。「易経」繋辞伝も孔子の著作とされているが、
そう決まりきるとかえって畏まって読みにくくなる。匿名になる程度の署名の
いい加減さで書かれたからこそ、繋辞伝も腰を入れた吟味の対象になり続けている。

名が先で実が後ではなく、実が先で名が後。
名家も劣後されるぐらいでちょうどよかった。>>363

585 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 19:07:38 0
>>583
もはや精神疾患の部類。叩くところは叩かせてもらう。

586 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 19:08:32 0
ついて行けば行くほど楽しい人々がいる。

ついて行けば行くほど辛い輩がいる。

人数の多少に関係なく。

587 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 19:11:20 0
>>584
で?
なにが言いたいのか?中身のまったく無いレス乙。
あんたは孔子でもなんでもない、ただの土民。

588 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 19:17:37 0
署名付きだから本気で書く。
匿名だと適当に書く。

ではなく、

署名付きでも書き方を変えない。
匿名でも本気で書く。

でなければならない。
名実の乖離を自主的に排していかなければ。

589 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 19:19:09 0
>>585
もし精神疾患の人がいるとして、その人を気の向くまま罵倒するのは最低の人間のやる事だと思う。


590 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 19:22:08 0
裏表のあるうちは、所詮はその程度の人間。

591 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 19:27:28 0
二面性のない人間なんていないだろ

592 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 19:29:22 0
まだいるんだ? そんなのw

593 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 19:32:44 0
はぁ?意味不明
ウザいから消えろよ

594 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 19:50:24 0
>>588
コテハンってそんな大それたものなの?
あろうことか2ちゃんねるに本気で書くとか何言ってんのって思うんだけど。


595 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 19:51:04 0
誰が言ったかでは無く何を言ったか。
ってな2ch精神は好きだよ。

596 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 19:55:52 0
外道も一定レベルまでいくと叩く気が起きなくなるんだけど
井上さんはモラリストだからあら探しされる

597 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 19:57:03 0
loveやrespectよりも細密な言辞で、肯定の意思を表せるようになればいいね。

否定も「死ね」止まりでは、何ものも浮かばれることがない。

598 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 23:02:43 0
中国の仏教は非常に混乱した。その因は、そもそも大乗経典にあったのだ。
大乗経典は、あごん経典に不服なものが書いたのであるが、かえって貧弱なものになった。
各経典は自分の経典を良いものに見せかけようとして、返って正法を貧弱なものにしたのだ。
加えて、大乗は、ヒンズーに近づいて、いろんな仏を創造した。仏に導く教えがそのために
貧弱なものになったのだ。あごんの欠点は、一つの教えとして完結した指導が散在してることである。
 こういうあごんそして大乗経典が中国に入ってきたのであるが、これでは中国人も
迷うに至ったのである。この迷いが、天台の教相判尺と言う間違いを更に生み出したのである。
幸いこれに迷わされなかった教派もあった。禅宗、法相宗、真言宗、等である。
しかしこれらとても程度の差であり、あごんや大乗経典から、ゴーダマの真の教えを
見分けて、過ちから自分を避けたのではなかった。こういう中国仏教が
日本に入ってきたのであるが、ここで更に、日蓮のような狂信者を生み出したのであった。
日蓮は仏教の中で、不幸中の不幸であった。正法を全く取り違えて、その取り違えたものこそ
正法であると考えるに至ったのである。これこそはらい罪に当たる。今の日蓮教徒である創価などは、
仏教の中の盗人である。仏教の破壊者である。

599 :考える名無しさん:2010/05/31(月) 23:44:27 0
>>598
うざいからやめろってのw

600 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 00:03:19 0
>>598
相変わらず半分ホント半分デタラメな文章です。
きちんと阿含経(アーガマ)と書きましょうよ。
井上さんでしょ?

601 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 09:03:34 0
>>576
>もちろん、本当は憲法もその他の現行法も、国民の合意なんかによって全く制定されてはいない。
憲法からして外人(GHQ)の押し付け。その他の法律も政治献金という名の賄賂によって概ね制定される。

押し付けられたと言うが、それでは日本はどのような意見を持っていがそれをつぶされ、アメリカ側の見識を
押し付けられたと言うのか?この質問に対する充分な回答が必要である。天皇の地位みたいなことでアメリカと意見の一致を当初は
無かったと言うことは聞いたが、それ以外無いな。天皇の地位なんていうものは
憲法のなかではゴミみたいなものであったが、戦前の空気に染まっていた日本の当事者だけに重要だったに過ぎない。
真実は、日本人のほとんどは、アメリカの草案には反対する事由が無かったのである。しかして現憲法は日本人の総意である。

602 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 10:28:24 0
天皇の地位をゴミ扱いしている時点で、もう憲法の側がそっくりそのままゴミ同然だ。
それ以外は別に必要のないもの。帝王の権威の確立から、自然と全ては導かれる。

本末を転倒した有害無益な憲法など、
完全に拒絶するか、仕方なく受け入れるかの二者択一しかなかった。
いやいや受け入れさせられたという意味では、確かに日本人の総意に違いない。

603 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 10:47:54 0
>>602
>帝王の権威の確立から、自然と全ては導かれる。

であるから、この帝王が、日本国民になったのである。
日本国民の帝王としての権威、すなわち自由権の確立から、自然とすべては導かれるのであり、
導かれた法律が制定されることになるのである。


604 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 11:13:54 0
で、国際間の所得格差が800倍以上*も開いた現人類社会で      ※ ルクセンブルクの一人当たりGDP÷ブルンジのそれ≒868
勝ち組を強弁する権力犯罪加害集団の側に立てたわけだ。

終戦直前における
日本国内の日本人の平均月収・・・約40円
在朝鮮日本人の平均月収・・・・・・・約80円
在満蒙日本人の平均月収・・・・・・約120円
一般朝鮮人の平均月収・・・・・・・・・約60円
(当時の経験的実感)

強欲さを働かせるしか能の無い下民に主権を明け渡すことの
有害無益さ。天子ご自身が不平を述べられるのも危ういので、
俺が代わりに指摘してるだけのことだ。

605 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 11:31:37 0
帝国陸海軍の大元帥として君臨していた頃ではなく、
ディズニーランドでミッキーマウスと遊ばされていた頃にこそ、
昭和大帝もまた、数多の屍の上に立たされていた。

資源が不足しているわけでもないにも関わらず、
毎年毎年数千万人もの餓死者を出している現代こそは、
総死者数6000万人程度とされる第二次世界大戦以上もの
大量虐殺を容認する、最悪の戦乱状態となっている。

606 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 11:39:26 0
>>604
>天子ご自身が不平を述べられるのも危ういので

ここで敬語を使用してるね。敬語と言うものは、当事者としての法律関係がある場合に、
審議誠実を尽くすために使用するものである。一般国民同士でも相手の自由権を尊重する義務があるから、
法律関係にあると言えるが、この場合は殊更に敬語を使用しない。すべての人が平等であることが前提であるから
、お互いに省いても言いのである。
今天皇は、一般国民と法律関係に無い。天皇は日本国民の統合の象徴と言う公務員であって、一般の国民と平等
な関係にしかない。天皇の法律行為に関係する公務員でもなければ敬語を使用することはないのである。
あなたは、その関係にあるのではないだろう?にも拘らず敬語を天子として使用するのは、あなたの思想良心の自由の範囲内であるが、
われわれ普通の日本人には通用しないし、あなたの思想を強要する気配を表わしては為らない。
 右翼であっても。

607 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 11:44:53 0
そういうガチガチの法治主義体系全般を破棄する気でかかっているので、どうでもいい。

法文至上主義の危うさは、現代法学の基礎ともなっているローマ法が制定されるよりも
87年前に鄭の政治家子産によって試みられ、民衆による法律の悪用などを認める元凶
になるとして大批判を受けている。法文以上にも不文律の仁義道徳を重んずることが
より大切であることが、近現代の法治体系なんぞより、質でも量でも古さでも、あらゆる
面においてより優秀な権力道徳学、すなわち儒学によって形成されてきているのだから。

608 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 12:05:00 0
ガチガチの法治主義体系で人々を締め付けて疲弊させていた秦を滅ぼし、
真っ先に首都咸陽に入城した劉邦こと沛公は、当地の長老たちに対して
「わしがここの王になったら、法律は三章だけにしてあげよう。すなわち、
人を殺せば死刑、傷つけたり物を盗めば相応の刑罰、この三つだけだ」
と約束した。これを聞いて長老たちは大喜び。もっとも、後から関中に
入ってきた項羽の身勝手な振舞で、この約束は長らくふいになってしまう。
劉邦も関中の王になるどころか、全中国の高帝になってしまうのだし。

609 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 12:17:37 0
どーでもいいわ

610 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:17:34 0
たかが法文ごときに、高尚な理念だのなんだのを載せようとする点からして、小ざかしい。
概念や文言なぞへの狂信が横行していた西洋などに特有の悪癖であり、概念以上の現実、
文言以上の実践を重んずる東洋教学の側からすれば、ちゃんちゃらおかしい児戯止まり。

法家の「韓非子」にすら、魏の昭王が役向きの仕事に携わろうとして、孟嘗君の奨めで
法律文を読もうとしたら、十枚と読まないうちに居眠ってしまったという故事を引いて、
「権力の柄をしかと握っていなければならぬ王君が、家来のすべき仕事などを試みた
のでは、居眠ってしまうのも無理はない(第十一巻・外儲説左上・第三十二・五)」という。
法律処理などというのは、しょせんは部下の仕事であり、上士のするようなもんじゃない
というのは、儒家と法家との分け隔てなく、中国思想全般において一貫している。

611 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:22:44 0
>>609
どんな話が良い?
堅白論をしようか?これはぜんぜん誤解されており、誤解を正して、正しい理解を
得ておくことは、真理真実に直結することであり、これ以上に大事な話は無いと思うが。

612 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:26:29 0
巷の右翼には、理論武装が足りない。
黒塗りの中古バスなどでがなり立てて、いかにもバカっぽい。

どうせ尊王主義のイメージダウンを目論む政財界の回し物なんだろうが、
本格的な理論武装に基づいた権力掌握を目論むのであっても、
皇室の信認を受けることは正統なものであると是認される。

鎌倉幕府や江戸幕府はもちろんのこと、現政府ですら、
皇室からの承認を形式的にでも受けることで政権を得ている。
なけなしの支持率も、せいぜい皇室からの承認だけを拠り所とする。
それすらなくなればもはや、現政府も単なるテログループに成り下がる。

613 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:27:54 0
>>611
どーでもいいけど、それと哲学ってなんか関係あるの?
歴史だったら歴史スレがある。

614 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:29:50 0
>>610
>法律処理などというのは、しょせんは部下の仕事であり、上士のするようなもんじゃない
というのは、儒家と法家との分け隔てなく、中国思想全般において一貫している。

この考え方は一応相であろうと認められるよ。この故に法律がいらないとか言う理由にはならないね。
問題は、この法律を正しく運用執行してるかどうか、、これが問題なのだ。
今点に付き君主はおろそかにしてはならないのだ。おろそかにするなら、それは君主の政治が
行われていないと言うことになるのだから。その前に、法律そのものが公平平等の原則に違反していない
ことが必要だがね。賄賂を収受した行政をしていたんでは、世は治まらないのだ。

615 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:35:15 0
>>613
お前、ウィキで少しは調べてから言え!

616 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:36:32 0
>>612
>皇室からの承認を形式的にでも受けることで政権を得ている。

だよね。

617 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:40:41 0
>>615
調べてから言ってる。公龍孫子堅白論。
これを哲学するってどういうこと?
このスレとなんか関係あるの?
調べたところ堅石、白石がどうとかって・・・

618 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:41:24 0
>>614
法律がいらないとは言わないが、道徳が足りてれば実定法文などは自然といらなくなる。

「国将に亡びんとするや、必ず制多し」
(「春秋左氏伝」昭公六年)

サヴァン症候群患者でもなければ全文を読解できないほど、法文の分量が肥大化
している時点で、もはやそのような法律体系を道徳的に使いきる術はない。

明治時代の六法全書など、薄めの文庫本一冊に収まる程度のものだったのに、
今じゃあ百科事典をも超えるような分量に上っている。天子の望みにも適うように、
これほどもの法文を使いこなせる人間が一人でもいるだろうか? 一人もいないな。

619 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:42:09 0
>>618
だからなに?

620 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:44:32 0
>>617
>調べたところ堅石、白石がどうとかって・・・

そこからが論点だろう。なんと言っている?


621 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:49:02 0
>>620
こじ付け理論、詭弁と解釈されてるね
飛ぶ鳥の影は動かず、みたいな
で、これがなにか?

622 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:54:40 0
>>618
>天子の望みにも適うように、
これほどもの法文を使いこなせる人間が一人でもいるだろうか? 一人もいないな。

法律が多ければ良いというものではないし、少なければ良いというものでもないと思う。
今の役所でも、法律の範囲に基づいて部署課が設置されており、首長が
一人で法律を執行するのではないのだ。それに法の精神と言うものは、憲法の規定であり、
これお押さえておけば、法律そのものの是非をも判断できるものだ。いわんや
執行するのは、その担当専門であれば、困難ではない。

623 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:56:41 0
>>622
政治学がやりたいならそっちでやればいい
なんならリンク書こうか?

624 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:56:43 0
>>621
お前鈍感なやつだな。それとも人を釣ってるのか?

625 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 13:58:30 0
>>623
政治と宗教と、哲学は密接に関連してるんだ。切り離しては学問にも、
利益にも一切ならないのだ。

626 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 14:02:10 0
>>624
そんなことはいちいち故事を出さなくても
現代の量子論でも同じ
>>625
堅石、白石とでもいいたの?

627 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 14:23:40 0
静かになったけど
まさか自演じゃないよな

628 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 16:50:44 0
荘子斉物論
○訳一
 道の世界にあっては、かの巨大な泰山も獣の生え変わりの毛より小さいし、八百歳生きた彭祖(ほうそ・伝説的長寿者)も生まれてすぐ死んだ赤子より短命だ。
天地と自分は一体で、万物も自分と一体である。その一と、表現する言葉の一を加えると二になる。それに元の一を加えると三になる。
この展開ではどんな計算の名手でも先を計算できない。無から有に至るも三になる。では有から有に至るはどうなるか、どうしようもない。

訳二
 この天蓋(大空)の下には,秋の鳥の綿毛の先端より大きいものはなく,だから(名山として高名な)泰山すら小さい。
生まれて間もなく命を絶たれた乳幼児より長生きするものはなく,だから(七八百歳まで長生きしたという)彭祖(ほうそ)ですら 若死(わかじに)である。
宇宙と我は合わさって一となり,我と天が下の万物は「一者」(すなわち,万物一如(いちじょ))である。
  このように「万物一者」とするなら,ことば(で差別化する,そ)の余地はあるのか。一方で,私がいま「一」と言うとき,ことばを発しないことができるか(このように,ことばなしでは何事も表現し得ない)。
ことばがあるとするなら,「一」と「ことば」の両者──すなわち「二」となる。この「二」と始めの「一」とで──「三」[*「老子」42章(道から一が生じ)参照],
このように果てしもなく加算されていくので,数学の天才ですらその極限まで数えたてることはできない。
ましてや普通の人間がよく為しえることではない。



629 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 16:53:39 0
>>628のまず初めに、「道の世界にあっては、かの巨大な泰山も獣の生え変わりの毛より小さいし、
八百歳生きた彭祖(ほうそ・伝説的長寿者)も生まれてすぐ死んだ赤子より短命だ。 」

これはどういう道理でこのようなことが言えるのでしょうか?

630 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 18:08:13 0
>>622
そんな分業体制を認めてるから、隅々まで監視も行き渡らず、
窓口でのたらい回しで結局なにもやってくれやしない今の行政が出来上がってら。

記名式なら将軍にまで意見が届いていた、江戸時代の目安箱のほうがよっぽど良かったな。
いま設置したところで、政治家の側も法文でがんじがらめになってるので、
素人の要求に的確に応えてやることもできないだろうがな。

631 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 19:04:38 0
だから過去にはもどれないっての
おかしいんじゃない?

632 :井上筑後守:2010/06/01(火) 19:28:45 0
沛公方の咸陽入城に際して、下級役人の頃から劉邦と親しかった蕭何は、
(当時の劉邦を「ほとんどなにもできたためしがない男」と揶揄したことでも有名)
多くの者(劉邦含む)が、始皇帝が貯め込んでいた金銀財宝や美女などに
殺到していた中で、自分独りだけそれらには目もくれず、書庫に蔵されていた
莫大な量の法律書や各国の調査記録書などをかき集め、項羽が多くの施設を
焼き落とす前に、全ての文書の持ち出しに成功した。

このあたりの蕭何の功績などがおそらく、「史記」の天官書や河渠書、平準書
などの記述にも反映されているのだろうと思われる。秦王朝の頃にはもうすでに
封禅の儀式体系などは廃れており、儒者が重んじた礼楽なども始皇帝こそが
焚書坑儒などで破壊している。一方で、物理的な国家形成のために不可欠な
暦法や土木建築、金銭事業などのための記録は秦王朝もまた保存しており、
始皇帝の身勝手な政治活動の助けなどにもなっていた。

とはいえそれらの記録は、後代の漢王朝などにおける仁政統治のために善用
することも可能だったわけで、実際、高祖から武帝の代までにおける、土建や
経済などに関しての資料としても役立っている。悪用しきりだった資料が善用される
ようになったことだけが違い、土建や金銭などに関する記録もそれはそれであった。
「史記」の書は礼・楽・律・暦・天官・封禅・河渠・平準の準に書かれており、礼楽や
封禅と比べれば順序的に劣後されてはいるものの、そういう記録もあるにはあった。

633 :井上筑後守:2010/06/01(火) 19:42:09 0
今の実定法などは、経済や土建に関する法令ばかりが肥大化していて、
これは「史記」でいう平準書や河渠書における取り決めばかりで、
礼楽や封禅などに関する取り決めは全く疎かにしている。

しかも経済や土建に関する法令ですら、平準書や河渠書ほど上質でもない。
商人にばかり利して大部分の民を疲弊させる金融操作の体系化や、
明らかに必要のないハリボテ建設業の推進など、有害無益な体系構築ばかりが甚大。
商人の好き勝手や贋金作りを十分に取り締まって富の偏在を均し(だから「平準」という)、
農産に大打撃を与える水害を食い止める治水事業などを特にやり込む(だから「河渠」という)、
「史記」の書における経済や土建の扱いのほうが、今の金銭や土建の扱いよりもよっぽど上質。

「史記」の中で、礼楽や封禅などからすれば劣後されている、経済や土建ばかりに偏重し、
しかもその経済や土建の扱いもまた、「平準」や「河渠」を標榜する「史記」の書よりも劣悪。
ただ劣悪化していっているだけの現状を「諦めろ」と言われても、これ以上に諦めては
ならないものも他にない。ご飯はカビだらけになるために作られるのではないからな。

634 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 19:55:46 0
>>632-633
それがどうかした?
そういうの懐古厨っていうんだよ。

635 :井上筑後守:2010/06/01(火) 20:31:33 0
ていうか、漢代の中国や江戸時代の日本に
戻る“以外”の選択肢のほうが、もはやない。

温故知新こそはいま新しく、無制限の進化主義こそはもはや古い。
いま権力犯罪者どもがやっていることも、所詮は「史記」の記述の範囲内でしかなく、
しかもその領域はより狭い。経済や土建ばかりへの没入と、その不当運用ばかり。
なにも新しく生み出されたものなどないが故、古い中でマシなものに戻っていくのは当然。

とはいえ司馬遷こと太史公は、平安の時代に復古が見込まれるだけで、
戦乱の時代にはまた仁義や士農工商が貶められることをも予言している。
中国や日本の歴史も、事実上は乱世と泰平の移り変わりであるが故、
戦乱状態のやりたい放題の復活も全く期待するなとも言えない。
またそうなる可能性も確かにある。数百年後ぐらいの話ではあるが。

636 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 20:44:08 0
>ご飯はカビだらけになるために作られるのではないからな。

井上さんはカビだらけのご飯を食べてるようなものw。



637 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 21:59:18 0
中国は、10世紀に貴族と言うものが居なくなったんですよね?
それ以来平等な社会ですか、その身分に関して?
中国は今までのどの国とも違った、特異な国で有ることを認識無ければ
スムーズな付き合いはできないかもしれませんね。

638 :井上筑後守:2010/06/01(火) 22:00:47 0
なりたくもないのになった乞食と、
なりたくてなった乞食とは違う。

639 :井上筑後守:2010/06/01(火) 22:04:03 0
遥か昔に、将来であった世界。
それが陰陽五行を擁する中国。全人類の約2割。

640 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 22:14:38 0
>>639
訳わかめじゃないですか?


641 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 22:31:11 0
インドの「リグ・ヴェーダ」にも、陰陽五行並みかそれ以上もの
宇宙理解を示唆する文言が多々見られる。

実に人類の4割以上は、遠い昔から、将来の歴史を始めている。
果たしてどっちが進みすぎて、どっちが遅れすぎてるのやら。

642 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 22:54:58 0
>>641
井上氏も相ですが、陰陽とか天地創造とか、縁起とかの思想は
あくまでも、便宜的に作り出された思想で、決して真理真実ではない、
と言うことを忘れてはならないと思います。

真理真実は言い表せないとか聞くことがありますが、真理真実は一相であるとか無相であるとか
空相であるとかも言われます。私は、これで言っている(表現してる)と思うのですが。陰陽=縁起による幻を見て、
あ、これは縁起である、故に両者は無い、とこのように見るとき、幻が残存してるでしょうか?知性により無くなっているのだと思うのです。


643 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 23:25:42 0
>>641
今は今
昔は昔。

644 :天竺、:2010/06/01(火) 23:29:51 0
今は昔

645 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 23:31:47 0
>>641
ヴェーダ聖典群にそんな記述ありましたっけ?
原文お願いします。

646 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 23:39:37 0
男女が成り余れる処を成り合わざる処に差し塞ぎて、
剣と珠とをさ噛みに噛みて、子を生むことの健全さ、限り無き正しさ。
今も昔も、これからも、ずっと変わることはない。

647 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 23:50:50 0
>>642
ビッグバンはあった。
そういうのを人にわかる形に表現したのが太古の宗教思想。

648 :考える名無しさん:2010/06/01(火) 23:55:19 0
>>647
ビッグバンは無いって宇宙論もあるけど。

649 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 08:06:10 0
宇宙に開始点があるのは確かだが、
決して「ビッグバン」のような暴発的なものではなく、
まるで大きな回し車でも回し始めるかのようにして、
ゆったりと、厳かにその生成は始められている。

個々の学者の憶測入り混じる現今の宇宙論も、
観測的事実などを踏まえながらも、どこかおかしい。
宇宙ではなく、学者の不埒な恣意がそうしている。

650 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 08:34:33 0
>>649
>宇宙に開始点があるのは確かだが、

どこにそんな根拠がある?
以下は荘子様の教えであるがどう思う?これに反論できます?
・・・・・・
 とは言うものの,まあここで説明してみよう。
 仮に,「始まり」があったとしよう。すると,
   その「始まりの前の時間」,さらに
   その「始まりの時間の前にあった時間の前の時間」
があったことになる。
 仮に,「有(存在)」があるとするならば,「非有(非存在)」がなければならない。そしてもし,
「無が存在した時」があったとすれば,さらに「無が存在しなかった時」があったにちがいない。
ここで突然に「無が存在する」ことになってしまった。 人は,「無」がいったい「有」のカテゴリーに属するのか,
「非有」のそれに属するのか,いずれなのかを決められるだろうか。いま私が発した言葉そのものですら,
それらが何かを言ったことになるのかそうでないのかを,示すことはできない。



651 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 08:40:52 0
宇宙の始まりと「時間の前の時間」云々は別問題。
この宇宙が特定的に開始点を持ち、この宇宙に特有の時空が
原初や限界を持つだけの話。どこまでも広がっていく形而上論とは別物。

652 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 08:59:59 0
荘子の形而上論は、特定的なこの宇宙の法則をも逸脱した
無制限の概念構築=形而上“学”の不実さを如実とした急先鋒ではある。

人はみないつかは必ず死に、己れの欲せざる所を人に施せば犯罪になる、
特有の法則にのみ即しているこの宇宙、この世界を逸脱して概念夢想に耽った
としても、時間の前の時間の前の時間、有の前の無の前の有の前といった風に
どこまでも際限のない空想のいたちごっこが続くだけで、決して「これでよい」
などということがあり得ないことを指摘し、形而上学の不実さを的確に表している。

現実的には不実であっても、それを見越して封禅やお祭りを執り行うのが
東洋の天道であり、みんな不実であるのは分かりきった上でただ、楽しんでいる。
形而上に真実在を見出そうとするような、真性の迷妄さからはとっくに卒業して。

653 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 09:36:06 0
古来の宇宙論と現今の宇宙論が似ているのは、
ただ観測的事実が一致しているからなだけで、
人間の側の解釈は随分と違っている。

「史記」の天官書における星宿の記録など、紀元後のプトレマイオスの
星座設定などよりも遥かに細密だが、やはり観測していたのは同じ星辰。
それに対する解釈の仕方が違うだけで、事実のほうは変節のしようがない。

易やヴェーダの内容からしても、東洋の古来からの宇宙解釈は
現今の最先端の宇宙論よりも優秀。欧米の伝統的解釈はより稚拙。
現今の宇宙論の大部分も西洋人の創作な故、稚拙すぎた初期の頃から
科学でなんとか補正していって、それでも東洋には及ばないってのが実情。

654 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 10:05:50 0
>>653
自分の判断の押し付けはよくない。事実を提示した上での判断であるべきで、それこそ
人に言えることではないだろうか?

655 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 10:24:11 0
鹿が馬扱いされるこんな世の中じゃ

656 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 10:43:02 0
しかし考えてみると、中国では、この逸話があった時代とそれ以前の時代が大いに影響してると思わないか?
つまり、名家や道家が、相当国民に知れ渡ったのではなかろうか?
彼らの主張と言うのは、まさに、パラドックスなんだから。一が真実であるから、
馬は馬ではない、飛んでる矢は止まっている、と言うことに為り、馬は馬であると言うなら、
馬は馬ではない、と言う矛盾に陥ると弁じたのである。こういう思想が誤解されて
有ったのである。であるから、宦官が、王にこういう真逆な嘘を大胆に言うことができたものと思うのですが。


657 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 11:55:04 0
で、実務の場においてまでそのような詭弁論が用いられるのは
亡国の所業以外の何ものでもないことが早々にわきまえられたため、
名辞の乱れを批判する「荀子」の礼論も引用した「史記」などに基づいて、
権力詐欺を駆逐する体制が中国で整えられたわけだね。

658 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 12:38:34 0
>>657
それは同意できない。
真理真実の教えに従う利益が無視されている。
まず言えることは、墨子や恵氏、公孫竜、がしたように、不戦、兼愛の政治である。
ここからすべての法律が派生するのである。これは日本国憲法に等しい。
名辞の乱れと言う問題は、権力詐欺ばかりではない。今かしましい、警察の名を語った振り込め詐欺
の類にまで及ぶ。
 要するに根本の思想が正しいものでる場合、名辞も誤ることなく定めることができるが、
根本が誤っていたり不明確である場合は、名辞の使用に誤りができるのである。
正しい根本とは、一が真実であり、その次に一から派生する兼愛と不戦であると思う。
最後のところは熟慮の上の発言ではありませんが。墨子等を信用しても良いとは思う。

659 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 12:59:21 0
何もかもを「愛」で染め上げる墨家の博愛志向は、儒家からすれば粗雑に過ぎる。

「君子は親族に親しんで、他人を含む万民に仁し、物品や動物を愛好の対象とする」
という「孟子」尽心章句上・四五の細密な主張と比べれば、いかに博愛主義の粗末なことか。

不戦主義も、孟子に比べれば一歩劣る荀子の思想。(>>106参照)
「君子は戦うことを欲しないが、戦う以上は勝つ」という公孫丑章句下・一のほうが秀逸。

常に中庸を守る儒家の主張の微細さ加減こそは陰陽五行の法則にも適っており、
この宇宙の天地万物に即する上で最も正しい。特殊な法則を持つこの宇宙において。

660 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 13:15:52 0
井上さんは勝手な思い込みでなく
ちゃんとしたデータ、文献を提示すべき。
例えば中国古典の場合は原文とリンク先とか。

661 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 14:19:01 0
>>659
>中庸

????

662 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 19:12:35 0
>>660
四書五経ぐらいどこの図書館にでも置いてある。
それどころか、経書の内容ぐらいは当然のこととして知っておくべきだ。
なにも「論語」に限らず、いいことが中国人のようにたくさん書かれている。それに、
人類史上最大のベストセラー(1兆部以上*)を特別資料扱いするほうがおかしい。   * 「明治」も「大正」も「昭和」も経書からの引用。
                                                       毎日何千万部と刷られている日本の新聞には必ず元号が載っており、
>>661                                                    数千万部×300日×数十年=数千億部〜2兆4300億部で、
物を愛することと親族に親しむことの中庸、すなわち万民への仁の心。             新聞発行での引用だけでも、ゆうに1兆部の大台を突破する。
親族ほどにも親しまないが、物ほどにもぞんざいに扱うこともない、
利潤の公共性程度はわきまえて万民に接する中庸の心、それが仁。

663 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 19:19:30 0
>>662
偉そうに書いてるけど
だったら原文を示せって言われてるじゃん
なんで出せないの?

664 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 19:39:57 0
われ15にして学に心さし、なんて、なんとくだらないことを言うものか、と思う。
この一連のことが有名であるのだから、後は押してしかるべしと思ってきた。
お前のことなどどうでも良い、と言いたくならない?普通は為るよ。
 さて中庸を自分で調べろと言う。ウィキで調べました。
自分勝手な内容を、中庸と言う一般語で使用してるように思えます。

665 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 19:50:36 O
四書五経の勉強の用意すら自分でしないような相手に、ここで説明することなど一つもないっ

東洋教学のいろはの「い」なのに、それですらふんぞり返っての試食に止めようとする相手になど。

666 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 19:53:24 O
全般的に、サービスとか奉仕とかの精神はない。

万物を利して我が利とする仁の心はあってもな。

667 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 19:58:35 0
なんでこんなに祭りみたいになってるの?

668 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 21:30:21 0
チンドン屋と言うのは、孔子から来てるんじゃない?マジで。

669 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 21:35:37 0
>東洋教学

東洋教学などと言うものはありません。
中国人にだけ通用するような教学、あるいは東洋人にだけ通用して
他のものには通用しないような教学なら、東洋人と、他のものと根本的に差別をしてることになります。


670 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 22:23:40 0
とても孔子は読むに耐えない。時分勝手なことを言って人を惑わしているようだ。
荘子が批判してる通りだ。逃げた方が良い。こんな孔子が尊重されているから、
中国人を初め日本人まで馬鹿にされるのだ。(中庸を少し読んでみて)

671 :考える名無しさん:2010/06/02(水) 23:06:26 0
格物致知によって、順当な差異差別をわきまえることが東洋教学の本論だ。

中には道家とか禅とか、平等を謳う流派もあるが、その道家の「列子」にすら
「男尊女卑」という熟語が初出するなど、実在する差別のわきまえにやぶさかではない。

差別が不当であるのは、それが順当な格物致知に基づいていないからだ。
他者を貶めることではなく、賞揚していくことによってもたらされる差別。
最低最悪よりは多少マシな儒学の上に、いくらでも多重な好評は重畳されている。

672 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 01:17:14 0
>>667
井上さんって人があまりにもデタラメだからです。

673 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 07:43:37 0
元がでたらめじゃないの?

674 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 08:32:23 0
http://www.1-em.net/sampo/sisyogokyo/

井上さん、儒者たちはこんな服装をして活動してたんですか?

675 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 08:34:55 0
ギリシャ人がまだ素っ裸で暮らしてた頃にな。

676 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 11:26:28 0
孔子が活動したところは大体魯の国だったんですよね?今の山東省です。
ここは、冬はマイナス3度くらいになるのです。冬と夏が永く、春と秋が短いと言う
特徴があると言うことです。日本から相遠くも無いのに、かわるものですね。
ところが一方の地中海と言うところは、冬でも、最低5,6度ですよ。
我々の春みたいなものです。こんな恵まれた気候の地域はここだけですね。
 それで、一の思想の道程も、気候に左右されているようです。パルメは人間の
心の変化を捉えていると思うんですが、老荘は、自然全体を捉えているんですね。
同じ変化ですが、一方は心、他方は自然現象に重きを置いたものになっているのです。
 儒教は、いろいろと言いますが、その根本となる教えを、論理的に説明していなんじゃないですか?
儒教は、老荘だとか、ゴーダマ、パルメなどが言う、禅定、解脱、知恵などを知らないんじゃないですか?
人間の本姓と言うものについても、老荘と儒教では理解が違っているようですね。




677 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 12:55:35 0
ttp://img.f.hatena.ne.jp/images/fotolife/D/Denim/20050727/20050727010153.jpg
1万年前の縄文人ですら、プリキュアのような格好で
着飾っていたというのに、ギリシャ人ときたら(mappa

678 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 13:13:28 0
このサイト開けません。
ギリシャのこの当時の彫刻を見て判断してんじゃないの?
着衣の彫刻もあるでしょうに。

679 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 15:10:52 0
ただの差別スレに成り下がったな

680 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 15:13:11 0
一人で書いてたときはそれなりに充実したスレだったのに

681 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 15:42:06 0
>>676
>ここは、冬はマイナス3度くらいになるのです。冬と夏が永く、春と秋が短いと言う
>特徴があると言うことです。日本から相遠くも無いのに、かわるものですね。
>ところが一方の地中海と言うところは、冬でも、最低5,6度ですよ。
>我々の春みたいなものです。

こいつたぶん日本人じゃねえな。
沖縄から北海道まで、大抵の気候は網羅してるのが日本なのに。

他にも、細長すぎて連帯意識のわきにくい日本全体を「我々」扱いしたり。
多様性の和合こそが特質な日本人の神経じゃないな。

682 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 17:28:29 O
μαρρα

683 :井上筑後守:2010/06/03(木) 19:55:30 0
「經顯真言行者住心次第顯密二教“差別”亦在此中住心雖無量且擧十襴欇之衆毛」
(日本古典文学大系版「十住心論」挿絵・宝生院蔵・十住心論建長版第一帖冒頭より)

「差別」という言葉に、元来悪い意味はない。
正当な競争下での、みなぎる闘争意欲の発露を表す言葉として、普通に用いられている。

料理人が自らの料理の秀逸さを誇ったり、スポーツ選手が他選手への競争意識を表したり
するようにして、東洋教学の修習者も旺盛な競争意識を持っていた。
本来は競争の正当性が確立されていたために、差別意識すら平気で露呈していた。

犯罪行為までをも動員するような、不当な競争下での差別こそが特定して許しがたいものに
なるのであって、犯罪ぐらいは駆逐した上での正当競争下では、差別ぐらいいくらでも許される。

いま俺が、不当競争に耽る連中全員を徹底した差別下に置こうとしているのは、自分が正当競争
の実現こそを目的としていて、差別がちっとも深刻にならない状態こそを画策しているから。
不当競争を目論む側にとってのみ、差別は深刻なものであり、そうでないならそうでない。

差別が深刻化しない正当競争を画策しているからこそ、徹底した差別下に犯罪者どもを
陥れられるのであって、自分たち自身が不当競争を目論んでいる犯罪者からすれば、それは
はなはだ深刻なことに違いないが、正当競争こそが目的な側にとっては、ちっとも深刻でもない。
立場が違うから差別が深刻だったりしないだけで、差別が深刻となる立場に妥協することもない。

684 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 20:01:41 0
あれれ?差別を正当化してる・・・

685 :井上筑後守:2010/06/03(木) 20:10:15 0
まず、差別を否定してもいない。

正当競争下での差別のし合いは、向上の競い合いであるために楽しい。
不当競争下での差別のし合いは、ただの貶め合いなためにつまらない。

差別のし合いの透徹においてこそ、不当競争は正当競争に負ける。
差別すればするほど正当競争は楽しくなる一方、不当競争のほうはつまらなくなる。
最期には極重に辛く苦しくなって、檻があったら入りたくなる衝動にすら駆られる。
不当競争は貶め合いだからそうなり、正当競争は向上の競い合いだからそうはならない。

ああ、素晴らしき差別。

686 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 20:21:49 0
じゃあホロコーストを肯定するの?

687 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 20:47:23 0
正当競争の向上のし合いは楽しい。不当競争の貶め合いはつまらない。
是非に及ぶまでもない。

688 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 22:41:00 0
人に勝つことよりも、と言うのは正当であろうが不等であろうが、人に勝つまたは負けると言うことであるから、
それなんかよりも、自分に勝つこと、これに勝るものは無い、と言うのがゴーダマ老荘の教えである。
 そして自分に勝つとは、どういうことであるか?真理真実の境地である自分を害する自分に勝つことである。
例えば、相対的に存在してるものには実体がないというが、その意味は、相対的に存在するものには
命がない、と言う意味である。命あるものは自分で行動すると考える。しかし、一切は相対的存在なのであるから、
一切には命が無く、自分で行動してるのではないのである。縁があってその様に行動してるだけなのだ。
 荘子」には、本影と従影の対話が載っている。従影が本影に、お前さんは落ち着きがなく
少しも休まないで動いてばっかりいる、どうしてそんなに動くのか?と聞いたものだ。
本影は、自分でも解らない、俺の主人が動くとおりに動いてるだけだ、俺の主人も果たして自分で動いているかどうか解らないだろう、と
言った。一切はこのようなものなのだ。太陽が天地を照らしているが、太陽に命があって、つまり
意思があって、天地を照らそうと思って照らしているのではないと言うのである。
 誰かが自分を罵った、自分はすごく腹が立って復讐せづいには居れない、とこのように思っているのは、
他人に意思と言う命があると思っているからだ。このように間違って思っている自分に勝つことが
自分に勝つことである。

689 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 22:42:28 0
「荘子」
 罔両(もうりょう・影の周囲にでる薄い影)が影を批判した。
 「おまえさんときたら、歩いていたと思えば立ち止まり、座っていたかと思えば立ち上がる。
一体どうしてそう主体性がないんだ」
 影は答えた「確かに俺は主人の言うとおりに動いているのかもしれないが、
俺の主人だって果たして自分の意思で動いているかどうか分からないのだ。 俺が止まったり、動いたりするのは蛇がうろこによって動き、蝉が羽によって動くのと同じかもしれない。どうしてそうなるか分からないのだ」。


690 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 23:01:25 0
そして相対的存在は、いかなる原因があって存在してるのか?と誰もが聴きたいと思うだろう。
その主は、あなた自身なのだ。あなたの執着心が相対的存在を有らしめるのである。
あなたの執着心とは、何か?それは愛欲である。その愛欲が天地を創造してるのである。
自分の愛欲が転地を想像してるのに、太陽を神とあがめたり、神と言う妄想を作り上げて
それを礼拝したりしてるのである。こうしてすべては会い欲の支配下に入るのである。
これは輪廻をもたらす。
 愛欲の正体を見よ。愛欲は相対的存在そのものだ。愛欲には命は無い。愛欲に従ってはならない。
愛欲こそ自分であり、自分の命であると思ってきただろう。しかしその愛欲こそがあなたを
永遠の地獄に縛り付けるものなのである。知性を働かせ。愛欲が実体のない幻の源で有ることを理解せよ。
 これが四諦の法門である。苦、集、滅、道。この最後の道は、仏教では
方法と言う意味になるが、老荘では、実に真理真実を意味するが、仏教にも
当てはまるね。

691 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 23:04:59 0
訂正
転地を想像→天地を創造
会い欲→愛欲

692 :考える名無しさん:2010/06/03(木) 23:05:14 0
勝ち負けの論理を超えることの優位を説いた時点で、
それもまた勝ち負けの論理に囚われているわけでね。

そのような曼荼羅構造全般を諦観できてこそ、だ。

693 :考える名無しさん:2010/06/04(金) 00:04:24 0
>>680
ただ調子こいてただけ。

694 :考える名無しさん:2010/06/04(金) 00:09:25 O
ああ、無上

695 :考える名無しさん:2010/06/04(金) 15:20:54 O
>>674
曾子、孔子、孟子、子思子と先哲儒者勢ぞろいだな。
後はこれに荀子を加えて、「五徳戦隊ジュカレンジャー(儒家連者)」の完成。

ジュカレッド(儒家赤)・・・孔子
ジュカグリーン(儒家緑)・・・孟子
ジュカイエロー(儒家黄)・・・曾子
ジュカホワイト(儒家白)・・・子思子
ジュカブラック(儒家黒)・・・荀子

696 :考える名無しさん:2010/06/04(金) 18:30:59 0
並ぶ順番は左から荀子、曾子、孔子、孟子、子思子。
呼ぶ順番は孔子、曾子、子思子、孟子、荀子(年齢順)。

儒家レッド孔丘!
儒家イエロー曾参!
儒家ホワイト子思!
儒家グリーン孟軻!
儒家ブラック荀卿!

\ \ \ \ \ \ \││││││││││││││││/ / / / / / / /
\ \ \ \ \ \ \││││││││││││││││/ / / / / / / /
\ \ \ \ \ \ \││││││││││││││││/ / / / / / / /


            「「「「「五徳戦隊! 儒家レンジャー!」」」」」


                       A__A
     /A \      A__A  ◯ ( ´∀` )◯           A A
    (´∀` ∩    (・∀・ )   \ 丘 /     A A    (*゚ー゚)
    (つ卿  ノ   ⊂  参 )つ   |  I │     (,,゚Д゚)   ⊂ 子 つ
    ヽ  ( ノ    (_⌒ヽ    (_) ノ     / 軻|     0  |〜
    (_)し'      )ノ `J       ∪   〜OUUつ     `J

                       ドバーソ

/ / / / / / / /││││││││││││││││\ \ \ \ \ \ \
/ / / / / / / /││││││││││││││││\ \ \ \ \ \ \
/ / / / / / / /││││││││││││││││\ \ \ \ \ \ \

・・・というようなノリが儒家には似合う。

697 :考える名無しさん:2010/06/04(金) 18:38:36 0
つまんね
金返せ

698 :ここは無料の掲示板:2010/06/04(金) 19:05:00 0
子思は孔子の孫で、姓は孔丘と同じ「孔」なんだが、
儒学開祖の孔丘と紛れないために、特別に字(あざな)の「子思」で呼ばれている。
でも、曾子と孟子はどちらも字が「子輿」なので、みんな字で呼ぶと、これまた紛れる。
五人の中ですら姓名が被ったりしている、作り込みの少なさも好感が持てる。

「孔子」とか「孟子」とかってのは、「佐藤先生」とか「鈴木先生」とかいった風に、
姓に継承を付けて呼んでいるわけで、「花子」とか「陽子」とか「幸子」とかの
日本の女子名とは全く意味が違う。近現代の学者だって姓で呼ばれはするが、
姓+敬称で呼ぶことは慣習づいておらず、「博士」とか「教授」とかも号や職名に過ぎない。
敬意こそは名誉や職分よりも重要だったし、事実、敬意を必要とするようなことを言行していた。

ちなみに日本語の「先生」は、中国語では「社会的地位の高い人間」というような意味が強く、
日本語のように「教師」の意味として用いられることは少ない(例:「史記」五帝本紀の太史公曰など)。
ちょうど政治家を「先生」と呼ぶようなのに近く、孔子や孟子の「子」も「師」と訳すほうが適切。

699 :考える名無しさん:2010/06/04(金) 21:16:20 0
>作り込みの

どういう意味?

700 :考える名無しさん:2010/06/04(金) 22:32:09 0
美しくないんだ。
悪の組織が人海戦術を投入して、黄金比ピッタリに作り込んだような美しさが欠片もない。
ただもう、ゴチャゴチャと個々人の誠意が積重されて、えもいわれぬ善性の横溢を来たしている。

そしてそれこそは、カッコいい。
美しくも可愛くもないが、健全な男児こそが羨望するカッコよさがある。
悪の組織を殲滅する、正義の戦士たちの集い。それはそれで「カッコよさの黄金比」だといえる。

701 :考える名無しさん:2010/06/04(金) 22:41:43 0
もし「五徳戦隊儒家レンジャー」が特撮ドラマ化されるなら、
たぶん、儒家ブラックの荀子がクライマックス付近で悪の組織に洗脳されて、
後の四人を坑の中に閉じ込めるんだ。そんで、四人が殺されそうになった瞬間に
洗脳が解けて、四人を助け出して共に戦い、悪の組織を打ち滅ぼすんだ。
(儒家ホワイトの子思子や儒家グリーンの孟子とも仲が悪かったのに、
共に悪の組織を殲滅したおかげで仲直り。まさに、雨降って地固まる)

多少はピンチにもなった上で、最後は必ず正義が勝つのが勧善懲悪の醍醐味。

702 :考える名無しさん:2010/06/04(金) 23:15:18 0
女が一人、「儒家ピンク」で加わってなきゃ駄目だな。
あと、「ニヒルな奴」と「太っちょ」がいないと。

703 :考える名無しさん:2010/06/04(金) 23:30:41 0
五人の中では知名度の低い「中庸」作者の子思子が、
「孔子の孫」という贔屓目との相殺で、紅一点にしてもいいな。
ただ、赤黄白緑黒が五行の各色なんで、これは譲れない。
他にも仁=孔子、義=孟子、礼=曾子、智=子思子、信=荀子なんてのも。

「ニヒルな奴」は孟子、「太っちょ」は荀子だな。
著書を読んだり肖像を見てもそんな感じだ。

曾子は人殺しの嫌疑をかけられたりの不遇キャラ。
孔子は何事にも偏らない、中庸に徹したリーダー格だ。

704 :考える名無しさん:2010/06/04(金) 23:36:33 0
老荘の無為自然と言うのは、個人の生活ばかりではなく、政治にも言われることだろう?
特に政治に目を向けていたんじゃないだろうか?この当時は、君主政治であった。
君主が無為自然の政治をするということだろう。法律を少なくと言う。民の自由を尊重するという。
この理念が、民主主義な訳だろう。民主主義といっても法律はたくさんあるよね。
しかしその執行を負担するものも多いわけであるが。また法律を制定する者も、一人じゃなく
多くの民の多数決によるのだ。
 秦が中国を統一したとき、やはり法律により統治し、その法律も、国土が大きいに応じて
多く作る必要があったのではないのか?ただその法律の制定に、民が加わっていなかった、そこが民主主義と違って
いたのだ。秦が法律による統治の基礎を作っていたので、漢の統治が可能となってたといえまいか?
秦の法治行政が、根強かったならば、中国は分裂することは無かったといえまいか?

705 :考える名無しさん:2010/06/04(金) 23:46:08 0
「五徳戦隊儒家レンジャー」〜あらすじ〜

元三流大学の同期生で、各々都内の別の高校で漢文を教えている
孔丘、曾参、子思、孟軻、荀卿の五人は、普段はみな冴えない教師で、
不良生徒どもを相手にほとんど教えてもいないような授業を講じているが、
実はこの地球を守る防衛戦隊のメンバーで、官公庁や財界や工業界、
さらには学校内にまで侵入してくる悪の組織、秦クラブの組員どもを
相手に、日夜熾烈な戦いを繰り広げている。目指すは秦クラブの親玉、
悪の始皇帝の撃破! がんばれ! 負けるな! 僕らの儒家レンジャー!

706 :考える名無しさん:2010/06/04(金) 23:51:43 0
老荘の言う人間の本性とは、知に基づく幸せを喜ぶ、と言うものであって、
決して本能のことではないと思う。老荘は腹を満たす本能だけを許容した。これ以外は
知恵により抑制された状態を維持するように求めたのである。ところがこの腹を満たすと言うこと、
すなわち経済活動のことであるが、これが容易なことではなかったのではないのか?
ジャンジャックルソーは、人は腹を満たすために戦争をするものだ、と言っている。
老荘の言う社会と言うのはニルバーナであって、決してこの世ではない。それはイエスの言うところからいえる。


707 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 00:10:47 0
「五徳戦隊儒家レンジャー」〜武器紹介〜

「中庸ソード」
儒家レンジャーの主力武器の一つ。
長すぎず短すぎない刀身を持つビームソードで、
このソードが有効な間合いで戦うことが最も正しい。
戦闘力は低いが、儒家レッド孔丘はこれをよく使いこなす。

「礼法ガン」
儒家レンジャーの主力武器の一つ。
特殊なビームを放つハンドガンで、礼儀正しい者に
当たっても全く効かないが、無礼者に当たると絶大な
威力を発揮する。儒家イエロー曾参が開発した。

「道(タオ)バスター」
孔丘が道家山に修行に行った際、老子からもらって来た
最強兵器。秦クラブの組員も偽物を持ってはいるが、
タオバスターの設計理念である「無為自然」を正しく
理解できていないために、その威力ははなはだ低い。

708 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 00:30:14 0
おもしろいけどくだらね

709 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 00:55:39 0
「五徳戦隊儒家レンジャー」〜乗り物紹介〜

「五常ビークル」
儒家レンジャーのいつもの乗り物。
車形とバイク型があり、儒家レッド孔丘は仁ワゴン、
儒家グリーン孟軻は義バン、儒家イエロー曾参は礼セダン、
儒家ホワイト子思は智フルカウル、荀卿は信スクーターに乗る。
(荀卿の乗り物がちゃちなのが一時の裏切りの原因になった)

「三綱ロボ」
儒家レンジャーみんなが乗って戦う合体ロボ。
五常ビークルよりも遥かに大きい三つの乗り物、
君臣プレーン(孔丘が乗る)と、
父子タンク(曾参と子思が乗る)と、
夫婦シップ(孟軻と荀卿が乗る)が、
それぞれ頭と胴体、腕、脚となって合体し、
コギトの魔法で自我と共に巨大化した敵と戦う。
(五人が揃わなければ操縦できず、
荀卿が裏切っていた時には乗れなかったが、
立ち直って出戻ってから乗れるようになり、
みんなで協力して最後の敵、悪の始皇帝を破った)

710 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 01:40:22 0
基本は1話完結のシリーズ物で、たまに2話橋かけになったりする。
(クライマックスは3話ぐらい橋かけになる)

基本的なストーリーとしては、儒家レンジャー五人のメンバーのうちの一人が、
都内の低偏差値高校の漢文の授業で、自分の著書を教えている所から始まる。
ほとんどの生徒は授業を聞いておらず、好き勝手に話したり居眠りしていたりし、
メンバーの授業にケチをつけたりもするが、中でも特に態度の悪かった生徒が
(男子生徒だったり女子生徒だったりする)、後で秦クラブのからむ事件に
巻き込まれて、囚われの身になったりもする。そこにその生徒の教師を含む
メンバー全員が現れて、なるべく生徒に見つからないところで変身する。

中庸ビームや礼法ガンを使ってザコキャラの秦組員を倒し、当話のボス格キャラも
タオバスターで瀕死の状態に追い込むが、どこからともなくマッドサイエンティストの
デスカルト(DeathCult)が現れて、瀕死のボス格キャラにコギトの魔法をかけて
自我と共に巨大化させ(ただし、もう死は免れない)、自暴自棄のまま戦わせよう
とするが、儒家レンジャーのほうも三綱ロボを変形合体させて乗りこなし、
巨大化した敵と熾烈な戦いを繰り広げた末に、敵を破って薄葬に付す。
(厚葬が基本の儒家も、自業自得で死亡した犯罪者などは手厚く葬らない)

囚われの身だったりした生徒も解放されて、五常ビークルに乗って去っていく
儒家レンジャーを見送るが、実は変身の時に、なぜかいつも儒家レンジャーの中に
自分の漢文の教師がいることを見つけてしまっており、それからは変身前の
漢文教師を装った儒家レンジャーメンバーに対して尊敬の念を持つようになる。

711 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 01:57:05 0
×中庸ビーム
○中庸ソード

712 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 02:04:26 0
井上?ついに狂ったかw

713 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 02:19:37 O
「五徳戦隊」よりも「五行戦隊」のほうがいいかもな。
「儒家レンジャー」も「儒レンジャー」のほうが語呂がいいか。
五行戦隊ジュレンジャー。儒学知らなくても楽しめそうだ。

あまりにもしっくり来すぎて、いくらでも構想が思い浮かんでしまう。
実写化もしてもらいたいような、でも一回きりのお祭りになるんじゃもったいないようなw

儒レンジャーは永遠だ。

714 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 07:45:10 0
昔のチンドンヤが、今は子供相手の劇団に、へんし〜んですか?

715 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 08:39:12 O
「左伝」や「史記」を読む限りでは、孔子も人を殺してる(殺させてる)んだよな。

魯の宰相をしていた頃に、斉の景公の家臣に挑発を命じられて無礼な音楽を奏でた夷狄の莱夷を、
即刻、役人に逮捕して斬り捨てさせている。(「史記」斉太公世家第二など)

世知辛い乱世で旺盛な活動を行えば、間接殺人ぐらいはどうしたって免れないんだが、
このような行状からも「鳳や鳳や、何ぞ徳の衰えたる(微子第十八・五)」などと嘆かれたりもした。

「人殺しを嗜まない者が天下を統一できる(梁恵王章句上)」という孟子の言葉も事実なんだが、
嗜好はせずとも、懲罰のためなどに仕方なく不埒者を殺してしまうことは、
俗世の教学たる儒家は仕方なくなく甘受してはいるんだな。

716 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 09:21:38 O
孔子の振る舞いは、犯罪行為としての殺人でないのはもちろんのこと、
若い頃のソクラテスのような従軍中の戦闘行為による殺人ですらない、
無礼者を自らの職分に従って義刑義殺に処すという、あらゆる人殺しの中でも
最も公正で奥ゆかしい人殺しだったわけだが、それでも人殺しであったには違いなく、
道徳学者としてはともかく、天下を統一する仁政者としての完璧な素養を孔子が欠いていたのも確かで、
事実、孔子の没後も250年以上、血で血を洗う乱世が中国では続くこととなる。

「悪い敵と戦って勝つ」という、低俗さ幼稚さこそは儒家に似合うのであって、
本当に天下を統一して平穏無事に持っていくとなれば、仏教や道家や兵家などの助けも必要になってくる。

717 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 09:42:02 0
古代中国では、何か簡単に人殺しが行われれてる様な気がする。こういう事実が
中国人の信用を落としているのではないか、現代でも?
 そもそも、孔子が聖人として手本にしてる古代の尭舜兎なども簡単に人を殺している。
聖人はそんなことをしないからこそ、聖人と言うのではないのか?
だから、孔子の感覚は普遍的ではないのだ。比較して老荘の感覚はなんと普遍的であろう。
 孔子自体は中庸などと言うことを言っていないのだろう?後の儒学者が、
論理的根拠が欠けているのを補うために、老荘の説を盗用しているんでは?

718 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 10:05:18 0
いま、食糧資源の絶対量が足りていないわけでもないこの世界において、
富の極端な不当分配が原因で、第二次世界大戦の年間死者数と
同等数の約1000万人が、毎年毎年飢餓によって餓死し続けている。

その被害者のほとんどはアフリカ人で(キリスト教に強制改宗させられた)、
その加害者のほとんどは欧米人(地球資源の8割以上を牛耳っている。

いまの中国政府による大量処刑や異民族迫害もそうだが、
大っぴらに殺し回ってる場合が中国人に多いだけで、注目されない所で
こっそり虐殺し回ってる数では、中国人よりも欧米人のほうが遥かに多い。

>>717
「子曰く、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民に鮮なきこと久し」
(「論語」雍也第六・二九)

719 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 10:26:21 0
>>718
>キリスト教に強制改宗させられた)

またまた、問題発言。
それじゃ聞くが、アフリカ人たちは、
どのような教義を信奉しており、それを信奉しようとしていたと言うのか?
それを抑圧して、キリスト教にしたというのなら、、「強制的に改宗させられた」と言えようが。
相ではなく、アフリカ人たちにとっても、キリスト教が受容できるもので反対する理由がないと思ったならば、
「強制的に改宗させられた」とは言ってはならないだろう。

720 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 10:33:17 0
奴隷貿易への従事と引き換えに、当地の王族になることを欧英人に保証された
アフリカ人の酋長が、キリスト教の宣教も一緒に認めさせられるってのが
ブラックアフリカ植民地化の基本パターン。右手に聖書、左手に拘束縄。

721 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 11:16:21 0
ひと昔テレビで、アメリカの黒人が、祖先の地を訪れるという旅行を放映していたのを見た。
その時、アメリカ黒人が原住民を前にして、自分たちは、全く自分たちの気持ちを無視されて
アメリカに連れられたのではない。自分たちの祖先はそのことに同意していたのである。
自分たちは自分に責任を持つようにしなければならない、と言うようなことを演説していました。
その真偽について何の疑問も無く否定してはならない。
 そもそも、一つの集団が有る場合、そのリーダーと言うものは必然的に生じるだろう。
そのリーダーが、その集団の構成員であるから、その集団に善いとは決まっておらず、
外人であるから、その集団の利益を考えないとか、反対に外人であるから、その集団の利益を考える、
などと言うことも無い。つまりその集団のリーダーは外人であろうと内部の構成員であろうと、
リーダーとして有りえるのである。それを外人であるからとか、内部の人間であるとか論じることは
価値が無いのである。更に、そのリーダーが白人であるからとか、黄色であるからとかも、
価値が無い。
 日本のかの大戦のことを考えてみると良い。日本のリーダーはアメリカ人になった。
そのために日本は利益を得た方がずっと多いのである。今も、日本人よりもアメリカ人の為政者の方が
日本国民(ここが重要であるが、国民が利益を得ることが大事なのだ)にとって良いに違いない。


722 :五行戦隊儒レンジャー〜第1話〜:2010/06/05(土) 12:30:26 0
「五行戦隊儒レンジャー(五徳戦隊儒家レンジャー改め)」
〜第1話 父父たり、子子たり〜

ここはとある都内の、千代田区にある低偏差値高校。
儒家レッドこと孔丘は、今日も不良生徒たちを相手に漢文の授業を淡々とこなしている。
黒板に向かって「論語」顔淵第十二・一一の「君君たり、臣臣たり、父父たり、子子たり」という格言を書き、
読み方を講じた上で、その意味を述べ始めた(実際の漢文の授業は読み方だけで内容の教示はないというツッコミはナシで)。
すると、いつも不良仲間と一緒に駄弁って授業を聞いてない界隈の一人の女子生徒、依子が、「バッカじゃねーの?
天皇だってただの象徴だって言ってんじゃん。ウチの親父だってソース会社のサラリーマンだし。
あたしドレッシング派でソースは嫌いなんだよねー」とケチをつけて、不良仲間たちと一緒に大笑いした。
「でもね、君君たらず、『臣臣たらず、父父たらず、子子たらずんば、食べ物があったところで、
どうして食べられるだろうか』と、孔子と話していた貴族も相槌を打ったんだよ」と孔丘も我慢しながら返すが、
「貴族なんかいつの話だよ? あんたベルばらでも好きなの? 遅れてるー」と言ってまた大笑い。
こんなことはいつものことなので、孔丘もまた淡々と授業を続け、今日の授業は終了した。

この頃、アメリカのファンド会社スティーラーズが、依子の父親が勤務しているオールソースの敵対的買収を目論んでおり、
オールソースのほうも買収防衛のために株式の自主売却などの対抗手段を講じていた。目的も手段も選ばないことで有名な
スティーラーズの社長は、ついには非合法手段によってオールソースを乗っ取ることを試み、そのための手段として、
依子を誘拐して父親を脅迫し、オールソースの調合機密をかっぱらって来るように命令した。
「警察に通報すると娘を殺す」と言われた父親は、やむなく機密を掠め取ってスティーラーズに接触するが、
機密を譲り渡す直前に、孔丘を含む儒レンジャー全員が現れ、変身して「五行戦隊儒レンジャー」となった。

723 :五行戦隊儒レンジャー〜第1話〜:2010/06/05(土) 12:31:10 0
儒家レッド孔丘!
儒家イエロー曾参!
儒家ホワイト子思!
儒家グリーン孟軻!
儒家ブラック荀卿!

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            「「「「「五行戦隊! 儒レンジャー!」」」」」


                       A__A
     /A \      A__A  ◯ ( ´∀` )◯           A A
    (´∀` ∩    (・∀・ )   \ 丘 /     A A    (*゚ー゚)
    (つ卿  ノ   ⊂  参 )つ   |  I │     (,,゚Д゚)   ⊂ 子 つ
    ヽ  ( ノ    (_⌒ヽ    (_) ノ     / 軻|     0  |〜
    (_)し'      )ノ `J       ∪   〜OUUつ     `J

                       ドバーソ

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724 :五行戦隊儒レンジャー〜第1話〜:2010/06/05(土) 12:32:52 0
「おのれぇ〜儒レンジャーめぇ〜」とスティーラーズ社長もまけじと変身し、
こちらは元の姿である「多頭怪獣カラマーゾフ」へと姿を変えた!

――ここで多頭怪獣カラマーゾフの紹介をしよう。
カラマーゾフは元々ロシア出身の3、4人兄弟で、父親を殺して長男の恋人グルーシェンカと共に
アメリカに逃亡したが、恋人との生活も結局はうまくいかず、離婚訴訟に負けて法外な慰謝料を請求されて
困窮し、悪の組織秦クラブの手を借りて怪獣へと姿を変えた。その姿は、ミーチャ、イワン、アリョーシャの
三人の頭が並んで付き、尾っぽにはスメルジャコフという名の人面瘡がこべり付いた化け物で、
各々の頭が全く別個の人格や知能を備えることによる三枚舌四枚舌で、うまいこと悪徳金融業に成功し、
いつもは普通の人間の姿に身を変えて、スティーラーズ社長として表の世に知れ渡っている。

多頭怪獣カラマーゾフは、自分が戦う前にたくさんの手下を動員し、儒レンジャー相手に戦わせるが、
儒レンジャーは誰しもそんな雑魚キャラなどをものともせず、中庸ソードや礼儀ガン(礼法ガン改め)を用いて
バッタバッタと手下をなぎ倒していく。長すぎず短すぎない中庸ソードは、わざわざ飛んで火にいる夏の虫と化した
雑魚どもに対しては絶大な威力を発揮し、無礼者にしか効かない礼儀ガンも、犯罪者である時点で無礼の極みなので
全ての雑魚にビームが当たった途端、相手は倒れていく。あっという間に手下どもは全滅させられて、
後は多頭怪獣カラマーゾフだけが残ることとなった。しかし、卑怯なことに、怪獣カラマーゾフは孔丘の生徒でもある
依子を人質に取り、「武器を捨てなければこの娘を殺すぞ!」と脅し始めた。

725 :五行戦隊儒レンジャー〜第1話〜:2010/06/05(土) 12:34:56 0
儒レンジャーはみな手持ちの武器を捨てたが、中庸ソードだけで戦っていた儒家レッドだけは、まだ礼儀ガンを隠し持っていた。
この礼儀ガンは無礼者には効くが礼儀正しい者には効かないため、依子が礼節をわきまえれば、撃っても犯罪者カラマーゾフだけに効く。
儒家レッドは依子に向かって「君にとって、お父さんはどんな存在だい?」と聞いた。
「さっさと殺してしまいたいぐらいウザイ相手だよなあ? グヘヘ」とカラマーゾフが茶々を入れる。
「そんなことないです、『父父たり、子子たり』です!」と依子は泣きながら言った。
儒家レッドはそれを聞いて礼儀ガンに手をかけようとしたが、『もしかしたら窮地に追い込まれてウソを述べているだけかもしれない』
という思いがよぎり、やはり礼儀ガンを使うのをためらった。しかし、儒家ブラックが「ここは君の生徒を信じるべきところだ」
と耳打ちで後押しし、儒家レッドも信じる気になって礼儀ガンを構え、ビームを撃ちはなった!

ビームは命中したが、依子にはまったく効かず、カラマーゾフだけが大ダメージを被った(ただしボス格なので礼儀ガンだけじゃ死なない)。
カラマーゾフがたじろいだ隙を見て依子はにげだし、横にいる父親のところへと避難して、父親と抱き合った。

儒レンジャーたちは最強兵器・タオバスターを構え(みんなで一つの大砲を構える)、カラマーゾフに向かって
超特大砲を発射した。これもまたカラマーゾフに命中し、もはやカラマーゾフは虫の息となった。

726 :五行戦隊儒レンジャー〜第1話〜:2010/06/05(土) 12:36:36 0
しかし、どこからともなく秦クラブのマッドサイエンティスト・デスカルトDeathCultが現れ、
錬金術魔法の一つである「コギト」をカラマーゾフにかけ、限り無く自我を肥大化させることによって、
余命3分の巨大怪獣へとさらに変身させた。こうなるともはや儒レンジャーたち自身では手に負えず、
秘密基地から発進された君臣プレーン、父子タンク、夫婦シップに儒レンジャーたちは乗り込み、
変形合体して三綱ロボとなり、巨大化した多頭怪獣カラマーゾフとの決戦に挑んだ。

「父親がなんだ、俺は俺だ。俺こそは全てであり、家のつながりなどどうでもいいんだ」
などと、正気でもない自暴自棄のままにカラマーゾフもほざくが、儒レンジャーも
「君君たり、臣臣たり、父父たり、子子たり」「男女室に居るは、人の大倫なり(孟子・万章章句上)」
と言って息を合わせ、失恋の傷心にもあるカラマーゾフを自業自得の精神ショックに追い込んだ上で、
胸の辺りからウルトラタオバスター(三綱ロボにタオバスターが内蔵され、ロボのエネルギーを借りてより強くなる)を放ち、
巨大化した多頭怪獣カラマーゾフを撃破して、跡形もない塵芥と化してしまった。
(塵芥は壷の中に収められ、土盛りをしない墓に埋葬された)

カラマーゾフが死亡したことでスティーラーズは倒産し、オールソースも安泰を保った。
「父父たり、子子たり。この気持ちを決して忘れないようにね」と
儒レンジャーたちは依子に念を押し、五常ビークルに乗って基地へと帰っていった。
父親に手を肩にかけられ、その手の上に自分の手を重ねながら依子も見送るが、
儒家レッドの声色から、それが自分の漢文教師である孔丘であることに気付き、
次からの漢文の授業では、少しだけ恭しく孔丘の授業を聞くようになったのだった。
〜終〜

727 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 13:09:01 0
我田引水のお話を作っても大人は騙されませんよ。客観的な理法を説き広めることこそ、
大事なのであります。お話の文章は読めますが、内容は、点で味わいがありません。
霞を食わされたようなものです。

728 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 13:10:40 0
第二話、第三話もあるの〜? グゥエー

729 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 13:23:20 0
是非に及ばぬ

730 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 14:47:47 O
太っちょいじけキャラの荀卿が、
ちっさな信スクーターに乗って、排気量不足と重量オーバーで
ようよう他の四人に付いて行ってる姿を想像してごらん?

仁ワゴン・・・タオバスターの半分を載せている。
義バン・・・タオバスターのもう半分を載せている(あまりにも強力なので通常は半分に分けている)。
礼セダン・・・礼儀ガンを載せている。
智フルカウル・・・中庸ソードを載せている。
信スクーター・・・脂肪を載せている。

しまいには信スクーターが壊れて、荀卿はグレてメンバーから離脱し、
生徒の一人で秦クラブの一員だった韓非に洗脳懐柔されるんだが、秦クラブを滅ぼしてメンバーと仲直りし、
儒家レンジャーに戻ってからは、「信ネイキッド」という名の大型バイク形五常ビークルをあてがわれるのだった。

731 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 17:46:34 0
漢学や洋学の知識を総動員すれば、
本物の戦隊シリーズみたいに50話書けなくもないが、
(漢学のほうはそれでも大量に余るが)
そうなるともう別スレ立てたほうがいいな。
創作発表板か創作文芸板か、特撮板あたりにな。

732 :五行戦隊儒レンジャー〜人を殺すを嗜まざる者〜:2010/06/05(土) 21:11:56 0
「五行戦隊儒レンジャー」〜第2話 人を殺すを嗜まざる者〜

ここは世田谷区南部の高校、他の儒レンジャーが教えている高校と同じく偏差値は低いが、
田園調布に居を構えるいいとこのお坊ちゃんお譲ちゃんのうちで、頭の良さは諦められている
次男坊や末っ子などが多数入学しており、生活水準も並み以下の不良どもが集まっている、
他の儒レンジャーが教えている高校よりは、いくぶんか上品らしき雰囲気が漂っている。
ここで儒家グリーン孟軻もまた漢文を教えており、今は職員室に来た一人の男子生徒、
梁太の授業の復習を手伝っている(以下、「現実には漢文の内容は授業では〜」のツッコミはナシで)。

「『人を殺すことを嗜まざる者、能く之を一にせん(孟子・梁恵王章句上・六)』・・・
この『之』っていうのはなんですか?」と梁太が問うた。
「うん、これは『天下』のことだね。いかにも天下国家を壮語する孟子らしい発言だ」と軻は言った。
「でも天下って、全世界のことなんじゃないですか? 人を殺しもしないで天下を一つにできるなんて、
僕にはちょっと信じられないなあ」と梁太はいぶかしんだ。
「ほう、君はこの平和な(はずの)日本で育った割りには、世界のことを知っているようだね」
「だって、僕のお父さんは外資系の貿易会社に勤めていて、いつも外国人と一緒に仕事をしてるんだけど、
人を見殺すような冷酷な事務を行っても、イギリス人やユダヤ人はちっとも嫌がらない、
そこがすごいって、いつもお父さんも褒め称えてるです。それぐらいの冷酷さがないと世界では
通用しないって言われて、僕もそうなのかなあと思ってたんです」と梁太は言った。
「ふむ、確かに今の世界はまだまだ苛烈な競争下で、時には人を殺してしまうようなこともしないと
競争に勝てないっていうわけだね。でも、そんなに過酷な競争は結局、全世界を大分裂させて、
決して統一に導いたりすることはできないんだ」と軻は言った。

733 :五行戦隊儒レンジャー〜第2話〜:2010/06/05(土) 21:13:09 0
「じゃあ、全世界で殺し合いが繰り広げられている中で、自分だけが殺さずにいられるんですか?」と梁太は問う。
「もちろん、一人も殺さずにいられればそれに越したことはないさ。でも、どうしても殺さずにはいかないことが
あったとしても、決して人殺しを好き好んで嗜んだりはせずに、やむを得ないものとわきまえなければならないんだ」
少し剣呑気味な話なので、孟軻も梁太も小声になっていたが、「ふ〜ん」という梁太の大きな頷きで我に帰った。

家に帰って梁太はこの話を父親に話したが、「低偏差値高校の教師が何を言ってるんだか」と鼻で笑った。
梁太もあまり頭は良くないので、孟軻と一緒に自分までもが蔑まれたような気がしてならなかった。
その直後、梁太の父親は上司のイギリス人に、後進国のレアメタルを現地からタダ同然で奪い去る仕事を任された。
「タンタルにコバルトにベリリウム・・・これほどにも大規模なレアメタル鉱脈の発見も久しぶりですが、
もう少し買値を上げて地元にも還元してはいかがでしょうか?」と父親はイギリス紳士に英語で問うた。
「そんなことは必要ない」とイギリス紳士は突っぱねた。
「しかし、まだ採掘施設も整っておらず、有害物質の混じる鉱脈を防毒措置も行わずに地元民たちが
掘り漁っているようですが」と、父親はまた英語で問い返した。
「くどいな。地球の裏側の黒んぼの命など、どうなってもかまわんのは君も同じじゃないか」とイギリス紳士は言った。
この、遠方の他人を見捨てて、利益を同じくする近隣の知人とは緊密さを図るイギリス流の態度が、
父親には忌避どころか羨望の対象にすらなり、『日本人もこれからはこうでなくちゃいけない』と思っていた。

しかし、父親もやはり日本人なためか、人殺しをものとも思わぬイギリス紳士などとの付き合いでやつれ、
どこか雰囲気に影を落とすようになって来た。それを不審がった梁太はまた孟軻に相談に行き、
「僕もやっぱり人殺しを嗜むのはいけないと思います」と孟軻に告げた。

734 :五行戦隊儒レンジャー〜第2話〜:2010/06/05(土) 21:14:14 0
「そうかい。でも君のお父さんは今でもそんな仕事をやらされているわけじゃないか。
その仕事によって君もまだ食べさせてもらってるわけじゃないか」と、少し意地悪気味な対応を孟軻はした。
「でも、僕はそれはイヤなんです。たとえ殺さざるを得なくたって、殺しを嗜んじゃいけないんです」と梁太は言った。
「ふむ」とだけ孟軻はいい、「きっとお父さんもその気持ちを分かってくれるさ」とだけその場では言った。

儒レンジャーは秘密基地で常時、秦クラブの危険人物の動向を探索しており、その中の一人が、
梁太の父親の上司のイギリス紳士であることを確認していた。人殺しを常時嗜んでいるだけあって、自分自身の
ガードは固い当人が、ひと気の少ないところに出た時に、まずは孟軻一人が現れ、あえて英語ではなく日本語で話かけた。
「人殺しを貪るゾンビ怪獣オーウェルはあなたですな?」と、怪獣に対するにしては丁重気味な問いかけをした。
「いかにもそうだがね、甘っちょろい非殺主義を部下の子供にほざいていたのはきみかな?」と、紳士は英語で問い返した。
(両方とも日本語と英語を理解できるが、いずれも自分の母国語であえて話し、言語面での譲渡の余地を見せない)
「おかしいことを言いますな。私は『人殺しを嗜むべきでない』と言っただけで、『絶対に人を殺してはならない』
などと言っていたわけではないのでね。人殺しをあえて好き好んでいるあなたこそは、死への恐怖に囚われて
いるのではないですか?」と孟軻も、相変わらず日本語で言い返した。
「別にそれでもいいじゃないか。それで勝てるんならな」と英語で言うと、イギリス紳士はついに化けの皮を剥いだ!

735 :五行戦隊儒レンジャー〜第2話〜:2010/06/05(土) 21:15:04 0
――ここでゾンビ怪獣オーウェルの紹介をしよう。
オーウェルはイギリス出身の元ジャーナリストで、始めはただ戦地などの状況を察知するまでに止めていたが、
だんだん自分でも人殺しがしたくなり、スペインのカタロニア戦線では、現地人でもないにもかかわらず、
自ら武器を持って一方の勢力の敵と戦い、思う存分に相手を殺しまくって変態的な陶酔を味わった。
それでも人殺しの陶酔に飽き足らず、多くの戦地に出向いては、道義性などに関わりなく、一方の勢力に与して
もう一方を殺し回り、自らも喉や水月や眉間などに銃弾を受けるが、それでも人殺しを面白がる変態志向が
秦クラブに買われて、ゾンビ怪獣と化せられた上で、その変態志向を活用した仕事を任されたのだった。

736 :五行戦隊儒レンジャー〜第2話〜:2010/06/05(土) 21:15:48 0
案の定、始めからはオーウェルは戦わず、秦クラブから提供された雑魚の手下キャラが孟軻の前に大勢立ちはだかった。
変身するまでもなく孟軻は数人の雑魚キャラを素手で打ちのめしたが、じきに仲間を呼んで、
一緒に変身して儒レンジャーとなった!

儒家レッド孔丘!
儒家イエロー曾参!
儒家ホワイト子思!
儒家グリーン孟軻!
儒家ブラック荀卿!

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            「「「「「五行戦隊! 儒レンジャー!」」」」」


                       A__A
     /A \      A__A  ◯ ( ´∀` )◯           A A
    (´∀` ∩    (・∀・ )   \ 丘 /     A A    (*゚ー゚)
    (つ卿  ノ   ⊂  参 )つ   |  I │     (,,゚Д゚)   ⊂ 子 つ
    ヽ  ( ノ    (_⌒ヽ    (_) ノ     / 軻|     0  |〜
    (_)し'      )ノ `J       ∪   〜OUUつ     `J

                       ドバーソ

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737 :五行戦隊儒レンジャー〜第2話〜:2010/06/05(土) 21:16:32 0
いつものように、儒レンジャーたちは中庸ソードと礼儀ガンで手下どもを滅多打ちにし、誰一人かすり傷も追うことなく
全ての雑魚キャラを一掃した。それを見てゾンビ怪獣オーウェル。「はっはっは、君たちも人殺しが楽しそうだな」
「犯罪者を懲罰するのは我らの使命。決して人を殺すことをおもしろがったりしているのではない!」と儒家イエロー曾参。
「そんなのは建て前に過ぎなかろう。君たちも私と同じ、人殺しこそは楽しみである狂気の仲間だ」とオーウェル。
「つまらないことを言うな」と孟軻。「人殺しなどよりも、悪を懲らしめることのほうが遥かに面白いのだ。
正しかろうが間違っていようが、人を殺せれば楽しいおまえは変態。勧善懲悪こそを楽しむ我々こそは健全だ」
思わずオーウェルは「ぐぬぬ」と歯噛みした。孟軻とオーウェルは、どちらもニヒルである所は似ていたが、
最終的には孟軻のほうがニヒルを徹底でき、オーウェルのほうは焦燥に駆られざるを得なかった。

オーウェルは、不死身の身体を活かした反則戦法で攻撃してくるが、儒レンジャーはあくまで正当な戦法に徹する。
中庸ソードで手足を斬り落とし、礼儀ガンで胴体を蜂の巣にしても、オーウェルの身体はすぐに再生してしまう。
儒レンジャーは速やかに最強兵器タオバスターを構え、オーウェルに向かって超巨大砲を打ち込んだ。
見事にオーウェルに命中し、跡形もなく消えてしまわんとする所。「ああ、これで私も死んでしまうのか。
たくさん人殺しができて楽しかったなあ」と、まだ不埒な言葉を積み重ねようとする。

「もう少し楽しんでもらおうかね」と、いつものごとくマッドサイエンティスト・
デスカルトDeathCultがどこからともなく現れて、消滅直前のオーウェルに錬金術魔法「コギト」をかけた。
たちどころにオーウェルは自我と共に巨大化し、儒レンジャー自身の手に負えないまでの威容となった。
もちろん儒レンジャーも君臣プレーン・父子タンク・夫婦シップを発進させて変形合体・三綱ロボとし、
巨大化したゾンビ怪獣オーウェルとの最終決戦に臨んだ!

738 :五行戦隊儒レンジャー〜第2話〜:2010/06/05(土) 21:17:17 0
もう自分は死ぬものだと思っていたオーウェルは、たった3分間とはいえ、予想外の余命を与えられて
ニヒリズムが完全崩壊し、今までに一度も見せたことのなかったような、醜悪な自暴自棄を大っぴらに見せ始めた。
「どうして、絶対に掘り起こされるまいと誓っていた、心の内奥まで見透かされんといかんのだ〜」と英語で。
儒家グリーン孟軻「それはね、あなた自身が決して他者に見せるまいと決めていた心の暗部にこそ、
人殺しを好き好むような変態志向の病因が隠されているからなんだよ。人は決して、理由もなく人殺しを
好き好んだりはしない。人間の性は善だから、そのままで重大犯罪を楽しんだりすることはないが、
始めはきれいだった水が濁されるようにして、善性が覆い隠されることはやっぱりある。
あなたにもそのような、善性を覆い隠した後天的な汚濁があったから、人殺しを楽しむような異常人格になった。
勧善懲悪の楽しみにまで行きつかず、人殺し程度の楽しみに耽っていたのが何よりの証拠。
本性こそは広大で普遍的なもの、後天の清濁などは小さな小さな枠組みに過ぎないんだ」と日本語で。
「うぉ〜。分かったから、もうさっさと殺してくれぇ〜」と怪獣オーウェル。
「生を養い死を喪して遺憾なきは、王道の始めなり!(孟子・梁恵王章句上)」と、儒レンジャーたち一斉に。
三綱ロボの胸からウルトラタオバスターが発射され、ゾンビ怪獣オーウェルは再生する余地もなく消し飛ばされ、
憂患死者の扱いでの、簡素な葬送に付した。

739 :五行戦隊儒レンジャー〜第2話〜:2010/06/05(土) 21:17:58 0
なぜか、この戦いの一部始終を梁太は目撃しており、話し方のニヒルさから孟軻であることが明白な儒家グリーンを
「孟軻せんせーえ」」と呼んでしまった。変身したままの儒家グリーン孟軻は梁太の近くに行き、
「このことは内緒だよ」と小声で梁太に告げた。五人は五常ビークルに乗って、その場を去っていった。

危険人物のイギリス人上司がいなくなり(一応「栄転」扱いとなった)、梁太の父親はそうとも自覚せずに、
目の上のたんこぶが落ちたようにして晴れ晴れとなり、やつれていた姿も元に戻った。
後進国での、レアメタルの掘り出しには相応の投資が決定し、現地民たちも十分な防毒措置の下で、
十二分な給料をもらいながらの労働に与ることができるようになったのだった。
梁太は概ねのことを察しつつも、孟軻との約束を守って、誰にもあのことは言わなかった。
〜終〜

740 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 22:37:40 0
これ、別スレにまとめないか?

741 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 23:37:27 0
>「『人を殺す>ことを嗜まざる者、能く之を一にせん(孟子・梁恵王章句上・六)』・・・

これを説明したかったんでつね?

742 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 23:41:57 0
ネタとして・・・
受けないな、これは。
まだ三国志のほうがいい。

743 :考える名無しさん:2010/06/05(土) 23:48:27 0
井上さん、生死を論じる哲学をしてるときに、単に、人殺しをしないことに終始する
話は、素人の話ではないでしょうか?
 ククク

744 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 00:16:07 O
ゾンビ怪獣オーウェルと同じ勘違いをしてるのがいるな。
「ただの非殺論」だと。

745 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 08:27:19 0
>>733
>「低偏差値高校の教師が何を言ってるんだか」と鼻で笑った。
梁太もあまり頭は良くないので

またまた問題発言。これって人権侵害だろう?偏差値が低いからと言って
「頭が悪い」などといわれる理由はないし、仮に相であっても、将来性を否定する評価であるので
これも人権侵害となるし、いわんや真実に反する場合、重大な人権侵害行為である。
 大体孔子と言う人は、自分の弟子達を評価し、彼はどうだ、彼はどうか、こうだと、
言っていることが記録されているが、その評価の仕方を見ると、孔子自体がどのような人か解る。
孔子はとても人のことをとやかく品定めをする資格があったのか疑問に思う。釈迦も十大弟子などと言われる
を伴っており、その弟子達は、どの方面に優れているなどと評価されて、記録されているが、
釈迦がその評価をしたのではなく、それは記録を残した人の評価であったんでは?
釈迦の評価は、舎利子に対するものが有り、それは前人格を見るものであった。決して
単に頭がよいなどと評するものではなかったのだ。老荘でも人の評価は実に慎重に時間をかけてでないと
してはならないと戒めているのであります。
 井上さんは、釈迦や老荘に反して、人を評価しているが、弁明していただきたいものであります。


746 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 08:30:24 0
煽られて化学変化をおこした井上さんつまんなくなったぞ。責任とれよ煽らーども。

747 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 09:31:48 0
勧善懲悪×思考停止

748 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 09:47:08 0
やめてくれ 悪夢だ

749 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 11:34:28 0


750 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 14:37:07 0
もともとそのような人ですから。

751 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 15:33:17 0
>>745
その真実に反しているという根拠をこんな匿名生溢れるネットの中で証明言できんのかい?www無理です無理ですwww絶対に無理ですwww

ネット内でその程度の規模じゃあ人権侵害もクソもならねーよ馬鹿w

752 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 17:25:47 0
>>751
>その真実に反しているという根拠をこんな匿名生溢れるネットの中で証明言できんのかい?

そういう人を偏り見ることの不正を説いているのが、老荘でありゴーダマでありパルメでありイエスではなかったか?
一と言う真実は、まだ理解されてないのか?悪魔は自己中である。自己中の罠にかかってしまっているのでは?


753 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 18:48:14 O
μαρρα

754 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 19:48:33 0
>>752
その偏りのある場で不正を主張したところで無意味だということを申し上げているんですがねぇwww
真意は曖昧でわかりづらいから故により明確に表現する必要があるんだよ
それが果たしてこの信憑性に欠けるネット世界で明言化できますかな?ww



755 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 21:25:19 0
>>754
>信憑性に欠けるネット世界

最終的な論文でもないのだから、最終目的の途上にあるものだから、お互いに
ツッコミ合うのでもある。

一切は平等同価値なものであると言う斉物論、最大と最小は同等であるという恵氏の証明、
捨てるべきものは無い、など色々表現される一の真実、これが知者の知恵である。
これに反する知見はすべて虚妄である。学校ではこのことを教えず、この真理真実に基づいた
教育をしない。学校の教育は、あるものの自己中な見識に沿うように教育するものであり、
そのものにのみ認められる知識の蓄積である。それは真理真実に適ってないために、
虚妄である。虚妄は実体のないもの故に、何かの利益をもたらすものではないのだ。
身を削って苦労しても何の利益も無いものだ。こういう虚妄な世界に本当の頭のよさなどありえない。
そもそも頭が良いとはどういうことか?こういう言い方自体、虚妄の世界のものなのだ。真実の世界に身をおくなら
無為自然で人は何の不服も感じない。

756 :五行戦隊儒レンジャー〜第3話〜:2010/06/06(日) 22:21:21 0
「五行戦隊儒レンジャー」〜第3話 悪む所を以て為す毋れ〜

ここは都内の江戸川区にある低偏差値高校(これは譲らない)。
頭も悪く、親の七光にも与れない、将来の希望も薄いとされる生徒たちが、
めいっぱい短い青春を楽しもうとし、勉強などは二の次三の次とした生活を送っている。
ここで儒家イエロー曾参もまた漢文を教えている。曾参は儒レンジャーの五人のうちでも特に謹厳実直で、
やや堅苦し過ぎるきらいすらあるために、一部の不良生徒からは特に目の敵扱いされてもいる。
今日の授業では、曾参は「大学」十章の
「上に悪む所を以て下を使う毋れ。下に悪む所を以て上に事うる毋れ。
前に悪む所を以て後ろに先立つ毋れ。後ろに悪む所を以て前に従う毋れ。
右に悪む所を以て左に交わる毋れ。左に悪む所を以て右に交わる毋れ」
という格言を教示した。とかく「何事も己れの悪む所を以て為す毋れ」という命令の念押しで、
曾参も心を込めて力説はするが、曾参を目の敵にしている不良生徒どもは、無視もいい所。
ただ出席数を稼ぐために授業に出ているだけのこと。
そのような生徒は曾参のほうも気にかけずにいたままで、まだ見込みがありそうな生徒のうちで、
ADHD(注意欠陥・多動性障害)の診断を受けている、隆志という男子生徒を特に相手に話し出した。
「とにかく『するな』という命令を受けることは、確かに堅苦しいし、やりたいことをやれずにいる
ことが辛く思ったりするかもしれない。しかし、人間の行動には善悪というものがあって、
善悪の分別も付けないままに何もかもをしてしまえば、当然悪い行動も混じってしまう。
そのようなことを避けるために、まずは憎悪を呼び込む行動を避けることが必要なんだ」
「その通りです。はい。俺もそうします。はい」
と、隆志は気前よく返事だけはした。物怖じせず、サービス精神も旺盛で、
いつもおちゃらけてはクラスのみんなを笑わせるムードメーカーでもあり、
「為すなかれ」という格言の説明に、すかさず「そうします」と返答したこともまた、
クラスの幾人かの生徒の失笑を買った。全く話も聞いていない生徒はこの限りでもなかったが。

757 :五行戦隊儒レンジャー〜第3話〜:2010/06/06(日) 22:22:18 0
隆志は中学までは卓球部に所属していたが、高校に入ってバイトができるようになってからは
いくつものバイトをかけ持ちするなどのバイト魔となり、放課後はすぐバイト先へと直行する日常を送っている。
別に親が生活に困って家に金を入れているわけでもなく、なにかどうしても欲しいものがあるわけでもない、
ただ「大人になったら働ける」という習わしと、とにかく動き回っていないといられないADHDの性分で、
寝食と学業以外のあらゆる時間を、何らかの実のある活動に当てることを当たり前のこととしている。

隆志はまた新しく、近くのテーマパークでのバイトを始めた。
「デスティニーランド」という名のテーマパークで、園内での雑用係などの仕事をおもに任された。
しかし、デスティニーランドの規模は甚だ大きく、従業員数も一万人を超える大所帯で、決して全員を
認知することができないのはもちろんのこと、従業員内でも厳密に位階が区分けされており、
隆志のやっているような下っ端のバイトだと、人気キャラや主要アトラクションの内側などには一切関わらせてもらえない。
主に園内を掃除したり、売店の整理や販売を任されたりするまでで、隆志が今までにやってきたバイトとも
大して変わるところがない。なにかをやっていられれば安心する隆志にとっては、それもまた一興ではあったが、
『もっとすごい仕事もやってみたい』みたいな気持ちが浮かばないこともなく、そう思っていた矢先に
バイト管理者の上司に「もっとすごい仕事をやってみないかい?」と誘われた。
まるで心を見透かされたようだったので隆志も少しはたじろいだが、すぐに「おねがいします、ぜひやります!」と言った。
「ククク」と上司は不敵な笑みを浮かべつつ、隆志を今まで入ったこともない棟内の、入ったこともない部屋に入れた。

758 :五行戦隊儒レンジャー〜第3話〜:2010/06/06(日) 22:23:27 0
そこには一人の、隆志ともあまり年齢の違わなさそうな外国人の少年がいた。
「はじめまして。僕はこのデスティニーランドの社長の息子で、ホールデンというんだ。よろしく」
といって、隆志に礼ではなくシェイクハンドを交わした。
あまりのことに隆志もびっくりし、『なぜ俺はこんなところにいるんだろう?』と思った。
「君をここに呼んだのはね、君には夢の世界へと赴ける才能があると見込んだからなんだ」とホールデン。
「・・・それは、どういうことですか?」と隆志。
「なんでもできて、どんな望みでも叶えられる夢の世界にはね、堅苦しい大人なんかは赴けないんだ。
君みたいに純粋な心の持ち主だけが、夢の世界にも赴ける資格を持っているんだよ」とホールデン。
「そんな、俺なんかにそんな才能があるわけがないじゃないですか」
「いやいや、君のその、みんなをできるだけ楽しませようとするサービス精神の旺盛さこそはその証拠。
できるだけみんなと楽しんでいたい、つまらない親や教師の小言なんか自分が紛らわしてやるっていう、
夢の世界をみんなに提供しようとする気持ちこそは、夢の世界にいざなわれる資格を持つ証拠なんだよ」

「堅苦しい大人で悪かったな」と、どこからともなく声が聞こえた。
隆志が振り返ると、そこには自分の漢文教師の曾参がいた。
「なんでもできて、なんでもやればどうなるかを、私は君に教えてなかったかね? 隆志くん」
隆志の脳裏には「何もかもをしてしまえば、当然悪い行動も混じってしまう」という、以前の曾参の授業での言葉が思い出された。
「隆志くん、あんな汚い大人の言うことなんか聞いちゃいけない」とホールデン。
「大人ってのは、悪いことを悪いこととわきまえて、決して為すまいと決心できるもののことを言う。
悪いことという汚濁を排除しているぶん、善悪清濁の分からない子供よりも綺麗なのだ」と曾参。
「嘘をつけ! 大人なんかみんな汚くて汗臭い奴ばっかり。子供のほうが純真なんだ」とホールデン。
「しかし、おまえももう実際には50歳を超える壮年。おまえが嫌悪しているのは、大人の精神ではなく、その衰え行く肉体ではないのか?」

759 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 22:24:09 0
よくわからない

760 :五行戦隊儒レンジャー〜第3話〜:2010/06/06(日) 22:24:28 0
「言ったな〜」とホールデンは怒気をこもりつつ言い、元の姿、多動性怪獣ホールデンに姿を変えた!

――ここで多動性怪獣ホールデンの紹介をしよう。
ホールデンはユダヤ系アメリカ人で、当地のボーディングスクールでの、教師や生徒OBの見た目の老け具合に嫌気がさし、
ろくに授業を受けずして退学し、家出しては戻り家出しては戻りを繰り返して、ついには秦クラブの一員となり、
見た目はミドルティーン並みに若返る能力と、世知辛い世の中の実情は経験把握した知識とで、子供を欺いては
秦クラブの一員となるための洗脳教育を施し、クラブの人員拡充に多大なる貢献を果たしてきたのだった。

元の姿に戻った多動性怪獣ホールデンは、見た目は50代半ばの男にも関わらず、まるで子供のようにソワソワとしていて、
短パンにタンクトップで、声は上ずり、重心は浮つき、ヒョコヒョコとピエロのように歩き回っている。
「行け、僕の子供たちー!」とホールデンが言うと、ホールデンが育てたらしき三十代程度の手下どもが群がった。

761 :五行戦隊儒レンジャー〜第3話〜:2010/06/06(日) 22:25:08 0
曾参もまた四人の仲間を呼び、五行戦隊儒レンジャーへと変身した!

儒家レッド孔丘!
儒家イエロー曾参!
儒家ホワイト子思!
儒家グリーン孟軻!
儒家ブラック荀卿!

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            「「「「「五行戦隊! 儒レンジャー!」」」」」


                       A__A
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                       ドバーソ

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762 :五行戦隊儒レンジャー〜第3話〜:2010/06/06(日) 22:27:19 0
やっぱり儒レンジャーたちは、難なく秦クラブ提供の雑魚どもをバッタバッタと倒していく。
中でも儒家イエロー曾参の礼儀ガン使いは素晴らしく、ほぼ一発必中で敵を即死させていく。
「ああ、僕の子供たちが死んでいくぅ・・・」とホールデンが泣いているのを横で見ていた隆志は、
五十過ぎのおっさんが三十代の若手を社畜として使い回している実情と、その発言の乖離に鳥肌が立った。
ホールデンの以前の「夢の世界を提供する気持ちこそは、夢の世界へといざなわれる条件だ」という発言の意味が分かった。

全ての雑魚手下が死滅すると、ホールデンは「なんだい、なんだい、みんな死んじゃって。
どうして汚い大人ぐらいやっつけられないのさソワソワ」と言った。
「年齢に関わらず幼い精神の持ち主を子供扱いし、成熟した精神の持ち主を大人扱いするおまえにとっても、これが現実だ」と曾参。
「うぅ〜。僕がみんなの復讐をしてやるぞぉ〜」とホールデンはいい、儒レンジャーたちに飛びかかった!

超高速でソワソワと動き回り、注意欠陥で思わぬ動きをとるホールデンに儒レンジャーたちは苦戦させられた。
中庸ソードの届く間合いに入ったかと思えばあっという間に逃げ去り、礼儀ガンだと届く遠距離でも素早く動き回るため照準が付かない。
そこで礼儀ガンの使い手曾参が、他のメンバーを後ろに引かせて、特技の「居合い撃ち」の第一を構えた。
居合い撃ちとは、刀身も銃弾もビームである、儒レンジャー主力兵器の中での混交技であり、礼儀ガンを構えずにいた上で、
しかも目をつぶり、重心を落とした居合腰でしっかりと踏み止まり、寸分も動くことなく、犯罪者に特有の浮ついた気の流れを読んで
その方向に礼儀ガンを打ち込む技である。見事曾参の礼儀ガンはホールデンに命中し、他動性故の動き回りが一時止まったところに
儒レンジャーたちはタオバスターを構え、超巨大砲を撃ち込んだ!

763 :五行戦隊儒レンジャー〜第3話〜:2010/06/06(日) 22:29:07 0
タオバスターはホールデンに命中し、瀕死となったホールデンに、またどこからともなく現れたマッドサイエンティスト・
デスカルトDeathCultが錬金術魔法「コギト」をかけて余命3分のままに自我と共に巨大化させ、自暴自棄で暴れまわるところを、
儒レンジャーもまた君臣プレーン、父子タンク、夫婦シップを発進させて変形合体、三綱ロボとし、
巨大化して動きの鈍くなった多動性怪獣ホールデンにウルトラタオバスターを喰らわせて塵芥と化し、
青少年をかどわかした咎で軽葬に処した。

儒家イエローは隆志に言った。「年長者への憎しみを糧に、自らが年長者となってから年少者に虐待を加える、
そのような負の連鎖全体を無くすためにも、『悪む所を以て為す毋れ』という教訓は重要だ。そのためには、
何もかもをやりたがり、何もかもをやろうとするような、心の多動の抑制が肝心だ。何もかもをやろうとした結果、
核兵器すらもが生み出されたのだから、何もかもをやり尽くした先にあるのが人類の滅亡であるのも明白だ」
前には意味の分からなかったような曾参の言葉も、ホールデンの行状のおかしさを見てからの隆志にはよく分かった。

デスティニーランドの社長(の息子ではなく)であるホールデンが急死した影響で、秦クラブ組員養成所の役割も果たしていた
デスティニーランドは大幅な方針転換を余儀なくされ、「天命公園」という名の、自然を活かした平穏なテーマパークに鞍替えした。
今回のことで懲りた隆志は、一旦は全てのバイトをやめて、今までバイトで貯めて来た金も全て匿名で募金に捨てた。
しばらく何もせずにいた後、絶対に憎しみ云々とは関係のないバイトだけをするようになった。
〜終〜

764 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 22:49:13 0
シャブ中かなんかなの?

765 :考える名無しさん:2010/06/06(日) 23:43:24 0
シャブより楽しい勧善懲悪

766 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 07:06:07 O
ごめんな、時代は変わったんだ。

767 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 07:07:11 0
井上さんから井上タンに変わった

768 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 09:16:58 0
これは一種の荒らしだ。

769 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 09:54:24 O
案ずるより産むが易し。

770 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 10:09:24 0
俺達を馬鹿にしてるんだ。こういう子供だましの話でしか教えられないと。
そもそも儒教の仁義礼知などと言うも自体、虚妄の疑いのあるもので、自分自身
教えることができないのだ。日蓮創価の様に、言葉を刷り込んでいるだけなのだ。

771 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 10:18:34 0
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772 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 10:33:12 0
もういちいち書いてないが、儒レンジャーと生徒は逐一「このことは内緒だ」
と約束を取り交わしていることにしといてくれ(同じ学校の他生徒も使うから)。

あと、儒レンジャーは最後に必ず五常ビークルに乗って帰っていく。
(五常ビークル付きの儒レンジャー人形セットの販促のため)
信スクーターに乗った太っちょ荀卿だけが、いつも遅れ気味になりつつ。

773 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 12:20:38 0
事実、荀子の論及には余分な贅肉が非常に多い。

仁義や礼や智と比べれば大して価値のない、五常中最下等に当たる「信」や、
(信を破って仁義や孝を優先した例は歴史上にいくらでもある)
その信に基づく覇道政治などについても、事細かに述べ過ぎている。
孟子の王道論や性善説に対しても完全な反駁は覚束ないままに、
現実論としての覇道論や性悪説を展開してもいて、思いきりもあまりよくない。

論孟や大学、中庸といった、朱子学で正統とされた儒学と比べて、
荀子が異端とされたのも仕方がないんだが、ことに荀子以上にも異常な
異学異見ばかりがはびこる現今においては、名家の詭弁論を反駁する精確な
名辞論などが、自学自習に徹して他者への説明不足の感も否めなくはない
正統扱いの儒学と、現今社会との便宜的な架け橋となれる可能性は高い。

774 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 15:38:03 0
>>773
あなたが長々と書いてきていても、こちらには、トントぴんと来ないんだよ。
仁義だと言ってもそもそもそれがどうして私や人の幸せになるというの?
礼と言っても、知といってもそれが何であり、何のために必要であり、どういう風に
私や人のために幸せに役立つものか、テンデ解らないんですよ。

775 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 15:53:56 O
現行犯の逃亡犯なんかに、何も分かってたまるかってんだ。

十分な実践の伴わないところに、大切なものへの実感を伴った理解もまたない。
せいぜい「鼻毛の量世界一」とかをウレシがれるところまで。

776 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 15:55:03 0
もうくだらないことを井上さんに書き送って様子見るのやめようよ

777 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 18:06:27 O
別にいいいよ。
儒レンジャーにやっつけられる敵のネタが増えて助かる。

778 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 18:15:37 0
なんで敵視するんだよそんなに

779 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 18:43:30 0
>>778
井上自身が差別主義者だから。他にあるか?
差別主義者は自分が差別される環境に育った証。
井上の書き込みを総括してみると大名、摂政
世を統治したいような文言の羅列。それは逆に統治され虐げられた者の
反骨心に他ならない。
そういう人間が、孔子だ儒家だのいくらほざこうが
>>774のいうとおり、なんにもならないチラシの裏の落書きにすらならい。
おそらくおまえはこのあいだクソコテつけたROM専なんだろうが
自治厨気取る前にてめえの東洋の哲学に対する総評なりを書くんだな。

780 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 18:51:16 0
どうやら私の板中ステルス爆撃に気づいておられないようですけれども〜
井上さまに押されたスティグマに鼻ほじほじしている私ですけれども〜

781 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 18:53:22 0
ついに井上恥の守、崩壊かw
まあ数学スレは大失敗だったなw

782 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 19:29:19 0
>>755
ひっでぇー文章wwwwwwwwww
無駄に難しい言い回しをした所で己の基地外露わになって恥ずかしいだけなのでやめてくださいねwww

机上の空論
法律に「1+1が2になることの証明」を用いるのが無意味とされるのと同次元の話である

さらに哲学的に述べるなら、
真実とは曖昧であり不確定であるが故に、その表現が第三者を説得できるだけの内容として第三者に反映されなければ真偽は証明されない
真実の裏側にはさらなる真実が眠っている
口だけの真実などそれは真実とは言わない
ただ真実を表明している段階に過ぎず、自分視点での目先の事実としか成り得ない


783 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 19:33:38 0
口だけの表明による真実の真偽は多数決による判断基準でしか証明されない

784 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 19:49:21 0
悪文ファシスト井上さんの才能に乾杯

785 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 20:00:39 0
おそらく井上さんは、孔子とその儒家の影響下にあるんだと思う。
孔子と言う人の言うところは、ヨサゲな言葉をばら撒いて、人を惑わすものだ。井上さん
もそれに習ってヨサゲな言葉をばら撒けば、孔子の様な名誉を得られるものと夢見ているんじゃない?
そんな大それた夢を持っていないに違いないが、孔子の真似をしてそれで良いと自慰してんじゃない?

786 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 20:05:58 0
結論

口だけの表明など、ただの自己満足に過ぎない
哲学とはけして自己満足による経験論だけにとどまってはならない

787 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 20:17:06 0
つまりただの馬鹿と…
難しい言葉をまき散らせば優位性を見いだせると考える人の本質は、結局、劣等を感じる自分をかばうためにまた別の物で補おうとする、自己正当化である
自己を確立できていない非リアによく見られる傾向だな
最近の若者によく多い心理でつw

788 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 20:22:36 0
コミュニケーションに劣等感を覚えるオタクがアニメやビデオゲームにのめり込み、居場所を求める心理と同じ原理

789 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 20:28:36 0
こういった逃避心理により、自己の存在価値を見いだす
でも結局これは、熱意や欲に乏しく精神的発達に遅れを取ることになり、こういった者がよくニートに陥りやすい

790 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 20:32:22 0
pspからじゃ書き込みが遅い…

791 :五行戦隊儒レンジャー〜第4話〜:2010/06/07(月) 20:43:10 0
「五行戦隊儒レンジャー」〜第4話 知者の過ぎたること〜

ここは台東区のとある高校、やはり低偏差値で、能もない生徒どもが群れをなして集まっているが、
儒家ホワイトの子思(やっぱり男性教諭ということで。代わりに女子生徒をたくさん出そう)が
ここで漢文を教えており、今日は「中庸」四章の
「道の行われざるや、これを知れり。知者はこれに過ぎ、愚者は及ばざるなり」
という部分を特に教えている。自分たちのことを低能だと自認している生徒どものうち、
志絵という女生徒が「うっそー。あたしらみたいなバカより、頭いいほうがいいに決まってんじゃん」
と自虐気味にいってみんなを笑かせた。子思も多少笑いはしたが、すぐに居直って真剣そうに
「いやいや、決してそんなことはない。無知や無能であることも正しい道に近づく妨げにはなるが、
あまりにも何もかもを知りすぎたりしても、知識の選別ができなくなって道を踏み外す原因になる。
だから、知るべきことはよく知って、知るべきでないことまでへの執拗な穿鑿などは避ける、
中庸を堅持した生き方が最も優れていると、孔子もまた中庸を讃えていたわけだ」と子思。
志絵。「そんなこといったってさー、分かんないより分かるほうがいいに決まってんじゃん?
あたしの兄貴はあたしと違って頭よくってさ、芸大出てそこの博物館で働いてんだけどさー、
いつも見たことも聞いたこともないような宝物とか見れて楽しいって言ってるよ?
あたしも博物館で働けなくてもいいから、財宝とかもらえたら嬉しいな」
話が急に知識欲から物欲に取って代わられ、その下世話さでかえって、頭も大して良くない志絵が
こんなに長い話をしていたわけがわかり、みんな安堵の表情を浮かべつつ笑った。
「そりゃあ先生だって金銀財宝がもらえるんなら欲しいさ。でも、やはり正しい道に基づいて
もらわないんなら、その場でも後ろめたいし、じきに禍いを呼びこむ種にもなってしまうね」と、
子思は志絵の下世話さをやんわりとおし止める、いかにも中庸に即した応対で、話を授業に戻した。

792 :五行戦隊儒レンジャー〜第4話〜:2010/06/07(月) 20:44:11 0
志絵の話にも出てきた兄は、今度の博物館の展示会において、スイスの「ユリイカ博物館」という、
少しいわく付きの博物館の所蔵品を借用展示する業務に携わらされた。このユリイカ博物館は、
中国やインド、イランやシリアやエジプトなどの世界各地から盗掘品や強奪品ばかりを集めた博物館で、
博物収集に対する道徳観念が備わっていなかった数十年までの欧米社会の負の遺産として、
被害国の側からの返還要求などが多数寄せられているが、永世中立国というスイスの体制と、
他人の財物を奪い去って私有することが当たり前であるような国際主義の風潮のがなり立てとで、
未だ被害国への所蔵品の返還は一度も為されたことがない。
所蔵品借り受けの前準備として、ユリイカ博物館の館長が来日し、志絵の兄の勤める博物館全体や
その展示会場などを視察して回った。
「日本もバブル期には世界中の美術品などを買いあさっていたようですが、近ごろはそんな話もあんまり聞きませんねえ。
ここにあるのもみんな日本国内の遺跡発掘資料などばかり。私の博物館のほうがたくさん世界中の宝物を所有しています」
と、ユリイカ博物館の館長は誇らしげかつ蔑み気味にいった。

793 :五行戦隊儒レンジャー〜第4話〜:2010/06/07(月) 20:45:44 0
「当館は公立博物館ですので、金銭面で潤っていた大企業が宝物を買いあさっていたバブルともあまり関係がありませんでした。
しかし、国内の遺跡出土品などに関しては屈指の所蔵を誇っておりまして、たとえばこの壷など、9500年前の縄文土器で、
この時代のものでこの大きさで、これほどにも完全な形で残っているものは、ほとんど類を見ません」と志絵の兄。
「小さな壷ですねえ。これよりも遥かに大きいエジプト製の壷が私の美術館にはあります。模様もこんな地味な縄目文様ではなく、
死者の書にまつわる模様やヒエログリフをあしらった美麗なものです。それに比べれば、こんな壷などククク」とユリイカ博物館長。
「しかし、この壷は9500年前の出土で、シュメールで文字が発明された5500年前よりも4000年も古く・・・」
「古いだけなら、アフリカの洞窟で発見した1万4000年前の壁画がうちにもあります。周りの岩ごとダイナマイトの
発破解体でえぐり出して持って来たんです。現地民の許可も得ましてね」とユリイカ館長は言ったが、
植民地支配下だった当時のアフリカの現地民になど、欧米人の要求を断れる術もなかったのは志絵の兄も察知している。

「それで、今回の展示会につきましては、第三国からの返還要求が行われていない物品に限ろうかと協議していたのですが」と志絵の兄。
「おお、つまらないことを言いますね。列強時代のつわものたちが旺盛な野心で世界を開拓していった時代の産物こそは
素晴らしいものばかりだというのに、あなたたちはそれらの財宝を捨てて、つまらない保身の証拠を欲しがるのですか?」とユリイカ館長。
「いえ、そういうわけでは・・・」と志絵の兄。
「だったらそんな限定などやめて、見せたいものをお客さんに見せてあげなければいけません。知識sophiaこそは誰しもにとっての要求、
知りたいものを知らせてあげないことこそは罪。さあ、上司たちも呼んで本格的な会議に臨もうじゃありませんか」とユリイカ館長。

794 :五行戦隊儒レンジャー〜第4話〜:2010/06/07(月) 20:46:43 0
「そうやって他国を従犯に仕立て上げることで、宝物を被害国に返還しない口実を作っているわけだな?」と、
どこからともなく子思の声がした。

儒家レッド孔丘!
儒家イエロー曾参!
儒家ホワイト子思!
儒家グリーン孟軻!
儒家ブラック荀卿!

\ \ \ \ \ \ \││││││││││││││││/ / / / / / / /
\ \ \ \ \ \ \││││││││││││││││/ / / / / / / /
\ \ \ \ \ \ \││││││││││││││││/ / / / / / / /


            「「「「「五行戦隊! 儒レンジャー!」」」」」


                       A__A
     /A \      A__A  ◯ ( ´∀` )◯           A A
    (´∀` ∩    (・∀・ )   \ 丘 /     A A    (*゚ー゚)
    (つ卿  ノ   ⊂  参 )つ   |  I │     (,,゚Д゚)   ⊂ 子 つ
    ヽ  ( ノ    (_⌒ヽ    (_) ノ     / 軻|     0  |〜
    (_)し'      )ノ `J       ∪   〜OUUつ     `J

                       ドバーソ

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795 :五行戦隊儒レンジャー〜第4話〜:2010/06/07(月) 20:47:42 0
「博物怪獣アリストテレス! おまえが所蔵物独占の継続目的で、多くの犯行を重ねているのはお見通しだ。
他国を巻き込んでまで自らの物欲や知識欲を守ろうとする、その意地汚さを今こそ成敗してくれる!」と儒家ホワイト子思。
「ぬぬぬ、保身主義の頑迷野郎どもめ、わしの博物を総動員してひねり潰してくれる!」とユリイカ博物館長はいい、
元の姿である博物怪獣アリストテレスに変身した!

――ここで博物怪獣アリストテレスの紹介をしよう。
アリストテレスはもとギリシャの奴隷使役者で、師匠のプラトンやその師匠ソクラテスらと同じように
奴隷をこき使いつつの勝手気ままな方言を始めはしていたが、それでは飽き足らず、奴隷をより有効にこき使っての
珍品収集などに精を出し、実物に即した知識では世界でも他に類を見ない学者となったが、それでも飽き足らず、
他国まで大量の財物の強奪を続けて、今では博物館の館長という肩書きを盾に、秦クラブの財物収集保存係ともなっている。

「きさまらの武器だって、わしは昔から知っていたのだ(ただし子思より100年ぐらい遅れる)。
きさまら自身の武器によって、きさまら自身が死ぬがいい!」と、博物怪獣アリストテレスが言うと、
中庸ソードにそっくりの形をしたビームソード・メソテースソードを持った多数の雑魚キャラ(秦クラブ提供)が現れた。
儒レンジャーもまた中庸ソードを構え、メソテースソードを持った雑魚手下と戦うが、やはり難なく雑魚キャラどもを斬り伏せていく。
博物怪獣アリストテレスが偽造したメソテースソードは中庸ソードよりも弱かったし、剣技のうまさでも儒レンジャーメンバーのほうが
雑魚キャラよりも遥かに秀でていたので、同じ「中庸Mesotes」という意味を持つソードを持ちながらも、その結果は見えていた。

796 :五行戦隊儒レンジャー〜第4話〜:2010/06/07(月) 20:49:09 0
「博物怪獣アリストテレスよ、なぜ同じ武器を持ちながら、我らが貴様の手下に勝てるか分かるか?」と儒家ホワイト子思。
「なんなんだ、なにを収集し足りなかったんだ・・・?」とアリストテレス。
「収集が足りなかったのではない。おまえは特に重要な中庸などと共に、友愛や怯懦などといった極端にあたる理念も同時に収集し、
中庸と極端のみそくそ状態に全ての収集知識を置いた。それではくそである友愛や怯懦のほうは活かせても、
みそである中庸のほうは活かせやしない。知識の収集のし過ぎによるみそくそ化こそはおまえの落ち度だったのだ」
「くそぉ〜、ならばこれならどうだ!」と、アリストテレスは、儒レンジャーのタオバスターににそっくりの大砲を構えた。
「君らが最強兵器としているタオバスターだって、わしは収集しているのだよ、どうだ、まいったか!グヘヘヘ」
儒レンジャーもまたタオバスターを構え、アリストテレスの偽タオバスターと共に発射し合い、
両者の弾道は完全衝突したが、儒レンジャーのタオバスターの威力が勝り、偽バスターの攻撃を打ち破って、
博物怪獣アリストテレスにまで命中し、アリストテレスは瀕死の状態に追い込まれた! 「ウギャァ〜!!」

いつものように秦クラブのマッドサイエンティスト・デスカルトDeathCultがどこからともなく現れ、
死にかけのアリストテレスに錬金術魔法「コギト」をかけて自我と共に肥大化させた。
「うぅおぉ〜、なにが足りなかったんだ。なにが収集できなかったんだぁ〜」とアリストテレス。
「おまえに収集し足りなかったものなどない! 知識を貪りすぎる欲求の行き過ぎこそは原因だ!」と儒家ホワイト子思。
「うぉうぉ〜 全ての知識を得たというのに、どうして死ななければならないんだぁ〜」とアリストテレス。
「知識によって得られるものなどごく一部に過ぎない。正しい道に則る誠意こそは万物の根源だ」と子思。
「あ・・・」とアリストテレスがなにか発見(eureka)した直後に、君臣ロボ・父子タンク・夫婦シップが変形合体して
儒レンジャーが乗り込んだ三綱ロボの胸からウルトラタオバスターが発射され、同等品を複製するまでもなく、
博物怪獣アリストテレスは塵芥に帰し、退蔵助長の罪で軽葬に付された。

797 :五行戦隊儒レンジャー〜第4話〜:2010/06/07(月) 20:50:18 0
アリストテレスが死んだせいでユリイカ博物館は廃館となり、大量に退蔵されていた世界中の宝物は全て被害国に返還された。
志絵の兄が勤める博物館での展示会も中止となったが、アリストテレスが「自己保身の証拠」と揶揄した国内の展示物が主流な
当館は安寧を保ち、縄文土器の文明史的価値が着目され始めたこともあって、今まで以上の入館者数をも記録し始めるようになった。

志絵は、たまたま休校日に弁当を忘れていった兄に弁当を届けに行って、その一部始終を目撃していたが、
儒家ホワイトが子思であるというところまで頭は回らなかった。「正しい道に即すために知者は過ぎる」という子思の言葉も
思い出さなかったが、知識としてはそれぐらいでちょうどよく、自分の仕事に自信を持ち始めた兄の態度などから、
なんとなくいいことがあって、よかったなあと同感でき、知識にまで至らずともの幸福に与った。
〜終〜

798 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 22:14:10 0
荒らし。荒らし。

799 :考える名無しさん:2010/06/07(月) 23:24:19 0


800 :考える名無しさん:2010/06/08(火) 00:21:09 0
長編大作が和ませてくれるなあw
>>785-787
井上さんそのもの
ていうか2ちゃんて自分のことを書くって言うけど
そのとおりだね。

801 :考える名無しさん:2010/06/08(火) 09:48:16 0
「中庸」四章の
「道の行われざるや、これを知れり。知者はこれに過ぎ、愚者は及ばざるなり」
の後には、
「道の明らかならざるや、これを知れり。賢者はこれに過ぎ、不肖者は及ばざるなり」
と続く。
賢者はあたかも禅問答のように一を聞いて十を知るため、本人が正しい道を理解できたとて、
その理解を周囲にまで明らめることがない。一方で、犯罪者のような不肖者のほうも、
十を聞いたところで一ほども知れないために、正しい道を明らめる上での障害となる。

「易経」などにある普遍的な善悪論を、孔子が半ば方便同然のものとして
「己れの欲せざる所を人に施すことなかれ」などと簡略化して説明したように、
「悪い敵を正義の味方がやっつけて楽しい」程度の、幼児にも分かる程度の範囲から
道徳の存在意義を明らめることにも、多少の意味はあるのかもしれない。

802 :考える名無しさん:2010/06/08(火) 10:28:52 0
>>801
道とは何ぞや?

803 :考える名無しさん:2010/06/08(火) 10:35:33 0
犯罪者が逮捕されて楽しいことだ。

804 :考える名無しさん:2010/06/08(火) 11:08:04 0
井上ファンの馴れ合い

805 :考える名無しさん:2010/06/08(火) 14:34:00 0
ファンなんかいるわけねえw

806 :考える名無しさん:2010/06/08(火) 14:36:34 0
>>805
ファン!ファン!井上ファン!

807 :五行戦隊儒レンジャー〜第5話〜:2010/06/08(火) 21:41:26 0
「五行戦隊儒レンジャー」〜第5話 信を信じて信となす〜

ここは足立区のとある高校。都内でも最低レベルの偏差値を誇る超劣悪高校で、
絶えず不良生徒による問題が起き続けていることで周囲からもよく認知されている。
ここで儒家ブラック荀卿が漢文を教えており、他の儒レンジャーメンバー以上にも困難な生徒指導に喘いでいる。
ここよりはまだ環境のいい他の高校で教えている孔丘や曾参ですら、落ちこぼれの生徒を静観や無視するような
こなれた教育態度でいるというのに、こともあろうにこの最悪級高校で、さらに落ちこぼれの部類に入る
クズっ子たちにまで真剣に指導を試みる、時代遅れな熱血教師として他の教師からも疎ましがられている。

せっかく精を入れて教えていこうとするのに、周りの教師はもちろんのこと、
他の儒レンジャーのメンバーですら、荀卿の熱心な教育態度を「いきり立ち過ぎ」なものとして忌避している。
「我らに可能なのは、俗世に蔓延する罪悪の推進を軽減させるまでのこと。おまえのように最悪の不良にまで改心をさせようとするのは、
まるでこの世の罪悪を根絶させることが可能ででもあるかのような勘違いに基づいている。人間の性は善には違いないが、
後天的に濁される情念は確かにあるのだから、その濁情の扱いを相応にわきまえることこそが我らに課された使命だ」
と、儒家グリーン孟軻はためらいもなく荀卿の態度を批判する。それに対し荀卿も
「そんなはずはない。むしろ現実を見れば、この世の一切は汚らしい悪念を帯びている。悪にまみれた世界を正すためには、
その対象を選んだりしていてはいけない。たとえ救いようのないようなクズであっても、聖人や王者とまではいかない、
この世の覇者程度のものとして成功させてあげる余地はあるんだ。君みたいに不良を見限り切るのは情が薄すぎる」
と応戦するが、儒レンジャーリーダーの儒家レッド孔丘もまた「上知と下愚は移らず」というところは認めており、
全体の方針としてはすでに、最低の下愚の救済は諦めることが決定しているために、いつも論争は孟軻の勝利と荀卿の敗北に終わる。

808 :五行戦隊儒レンジャー〜第5話〜:2010/06/08(火) 21:42:18 0
教師の声が聞こえないほどにもふざけ回っているクラスにおいて、荀卿は「信を信ずるは信なり(荀子・非十二子篇第六・ニ)」
という言葉を黒板に書き、生徒の大声を上回る大声で「先生もな、君らのことを信じてるんだ!」と言った。
生徒たちは授業をまったく聞いていなかったので、なぜ荀卿がこんな言葉を急に怒鳴りたてたのかが分からなかった。
「先生が君らを信じられないで、どうして君らが先生を信じられるだろうか? まずは何事も、信じることから始めなければ」
と荀卿が最後まで言い切らずに、教壇めがけて空き缶が飛んできた。
「うっせーんだよ。いつもいつも。てめえなんかにそこまで汗苦しくしてくれなんて頼んだ覚えはねえよ。このブタ」
と、不特定多数を装った声で、多少太り気味な荀卿に罵声が浴びせられた。
「おい、おまえだたもつ。おまえのことを特に先生は気にかけて言ってたんだ」
と、声色から生徒を特定して荀卿はいった(荀卿はこのクラスの担任でもある)。
「あぁあ、捕まっちゃった(笑)。ブタがうつんないように気を付けなきゃな」
といって、男子生徒の保(たもつ)はクラス中の非道な笑いを買った。
「ふざけるな! 先生は真剣なんだ。君にだってきっと立ち戻るチャンスは残されてるんだ。だから先生も君を信じられる」
「荀卿(先生とは呼ばず)、その前に自分がダイエットしろよ。そんな身体でなに言われたって何も響かねえよ。ヒャハハ」
そしてクラス中が大笑い。言う保も保だが、笑う生徒たちも生徒たち。
ちゃんと出席してるだけでも大したもの扱いされるこの高校で、自分から来もしない生徒を呼び出すことなどもまず無く、
このような授業中の小競り合いばかりがあるだけで、それ以上の教師と生徒の接触はほとんどなく、
この授業の後も荀卿は保を職員室に呼び出したりすることもなかった。

809 :五行戦隊儒レンジャー〜第5話〜:2010/06/08(火) 21:43:47 0
教師としての荀卿と保にはこの程度の関係しかなかったが、秘密基地で秦クラブ組員の動向を追跡している儒家ブラック荀卿には、
最近秦クラブが保に接近していることが分かっていた。荀卿はそれが気がかりで保への説教なども行っていたわけだが、
なにしろ保の実家は極貧もいいとこで、母子家庭で、母親は容貌に恵まれないながらも、水商売で何とか生活費を稼いでおり、
本当はもう働いて欲しい保もようよう高校に通わせているといった状態。このままでは留年や中退が見え透いている保が、
まだ高校に来ているかぎりにおいては、踏み外しかけている道へと戻すことは可能だと、荀卿は信ずべきものとして信じていた。

しかし、保のような最低辺の部類の輩を救い出すことは、儒レンジャー全体の業務のうちには入れられていない。
儒レンジャーはあくまで救いようのありそうな人間を救うまでが仕事で、全く救いようのないような完全アウトローは
儒レンジャーになって軽葬に付すしかないものとし、保は秦クラブから救い出すどころか、秦クラブと共に葬り去るべきうちに
入れざるを得ないほどの身分だった。そのため儒レンジャー全体は救済を見送っていたが、儒家ブラック荀卿だけは、
自分の生徒であるしがらみもあって、どうにか保を救い出してあげたいような気になっていた。

810 :五行戦隊儒レンジャー〜第5話〜:2010/06/08(火) 21:44:51 0
都内の繁華街付近の危なげな一角で、保はある外国人と待ち合わせをした。
麻薬バイヤーのその男と、保は何人かの同級生たちと落ち合い、シャブの購入を行っている。
バイトで貯めた金で購入する生徒もいれば、親の貯金を掠め取った金で購入する生徒もいる。
保は後者であり、整形を繰り返しても体系の貧相さなどが隠しきれないまま、三流バーで薄給を頂戴している
母の貯金からかすめとった金で、いま保が外人男からシャブを買い取ろうとしているところに、
荀卿がいつもの姿のままでそこに現れた。
「保、どうして先生の信用を突き崩すようなことをするんだ? 言ったじゃないか、『先生は君を信じてる』と」
「げ、荀卿、なんでここが分かったんだよ?」と保。
「そんなことはいいんだ。君を立ち直させられたなら」と荀卿。
「信じているはずの生徒を疑って、その後を付けてくる、いかにも矛盾した態度だね」
と、麻薬バイヤーの外人男が言った。
「狂信怪獣パウロめ、おまえの正体は知っているんだ! いざここで勝負しろ!」
と、思わず荀卿は生徒たちの存在も憚らずに言ってしまった。
「あれえ。狂信とか怪獣とか、どういう意味だい?」
とパウロはとぼける。
「窓から落ちて死んでも生き返るだのの、偽証を信じさせて多くの人々を報われない死に追いやったのは
おまえだと分かってるんだ! 今日こそはおまえのその二枚舌と、嘘を信じさせる巧妙な詭弁論をほだしてやる!」
「嘘じゃないさ。これからその証拠を見せてあげよう」
というと、パウロは近くにあった電柱をよじ登り、上端付近から飛び降りて、脳天からアスファルトの地面に直撃し、
それでも血の一滴も流すことなく立ち上がった。
「おお、すげぇ〜」と生徒たちは拍手した。荀卿もその場で見たことが信じられなくなりそうながらも、「信を信ずるは信なり」という
自らの授業での言葉も思い出して、ああ、これが本当だったのか・・・と思わず信じ込みそうになってしまった。

811 :五行戦隊儒レンジャー〜第5話〜:2010/06/08(火) 21:45:49 0
するとそこに儒レンジャーの他のメンバーが現れ、「しっかりするんだ荀卿!
あんなのは秦クラブの怪獣には当たり前のことじゃないか!」と励ました。
すると荀卿も立ち直り、みんなで五行戦隊儒レンジャーへと変身した!

儒家レッド孔丘!
儒家イエロー曾参!
儒家ホワイト子思!
儒家グリーン孟軻!
儒家ブラック荀卿!

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            「「「「「五行戦隊! 儒レンジャー!」」」」」


                       A__A
     /A \      A__A  ◯ ( ´∀` )◯           A A
    (´∀` ∩    (・∀・ )   \ 丘 /     A A    (*゚ー゚)
    (つ卿  ノ   ⊂  参 )つ   |  I │     (,,゚Д゚)   ⊂ 子 つ
    ヽ  ( ノ    (_⌒ヽ    (_) ノ     / 軻|     0  |〜
    (_)し'      )ノ `J       ∪   〜OUUつ     `J

                       ドバーソ

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812 :五行戦隊儒レンジャー〜第5話〜:2010/06/08(火) 21:46:46 0
儒家ブラック荀卿は日々の儒学の勉強のおかげで、すぐにパウロの幻惑術から逃れられたが、
すでに多量の麻薬を服用している生徒たちには、まだパウロのほうが信じられていた。
ただ、保はまだ服用していなかったので、パウロと儒レンジャーとどっちが信じられるか分からなくなった。
「儒レンジャーも君たち(荀卿の生徒)も見るがいい。死者をも生き返らせて下さるあの方の御業を」といい、
秦クラブ提供の雑魚キャラどもをそこら中に群がらせた。儒レンジャーは中庸ソードや礼儀ガンで雑魚の手下どもをやっつけるが、
確かに手ごたえはあり、死んだはずにもかかわらず、すぐまた手下どもは生き返って攻撃にかかってくる。
「なにかがおかしい」と荀卿は思い、遠くのほうにいる噴霧器のようなものを抱えた手下を斬り伏せると、
そこら中に蔓延していた幻覚作用のガスが立ち消え、儒レンジャーに殺された手下の死体を取り除いては新たな手下を
そこに置きなおす、みみっちいローテーション作業がその場で行なわれているのを誰しもが確認した。
「こんなことまでしてウソを信じさせたいのか! 狂信怪獣パウロめ!」と儒家ホワイト子思。
「違うよう。もう信じさせるしかなくなったんだよう。ウソはつき始めたらキリがないんだよう」
と、弱気気味にパウロはいった。素っ裸に一枚布だけをまとったその変身後の姿からは、可哀相オーラが漂っていた。

「しかし、おまえもまた多くの人々を殺めてきた秦クラブの一員であるには違いない。その責任をとって死んでもらう」
と、儒レンジャーはタオバスターを構えて狂信怪獣パウロに打ち込み、直撃して瀕死の状態となったパウロに
どこからともなく現れたマッドサイエンティスト・デスカルトDeathCultが現れて錬金術魔法「コギト」をかけ、
自我と共に巨大化させて自暴自棄のままに暴れ回らせ、儒レンジャーもまた君臣プレーン・父子タンク・夫婦シップを
発進変形合体させて三綱ロボとし、ロボの胸から打ち出されたウルトラタオバスターによってパウロは塵芥に帰せられ、
副作用付き薬物販売の咎で(漢方薬学は副作用を絶対に認めない)、ただでさえ身分の低い薬術師なりの葬礼がさらに軽くなった。

813 :考える名無しさん:2010/06/08(火) 21:47:05 0
哀れとしか言いようがない

814 :五行戦隊儒レンジャー〜第5話〜:2010/06/08(火) 21:47:37 0
麻薬売買に関わったせいで、さすがにその場に居合わせた全ての生徒は中途退学処分となった。
保もまた退学となったが、狂信の麻薬的作用の深刻さをシラフで目にしたことから、もう少し堅実な人生を心がけるようにはなった。
荀卿がわざわざ麻薬取引の場を追跡しなければ、保たちも麻薬に染まりつつ、もう少し高校にいられたかもしれないが、
そうであった場合と、追跡を心がけた場合とのどちらのほうがマシだったかは、建て前上は判然としなかった。
保や幾人かの生徒がいなくなった教室で、荀卿は「信を信ずるは信なり」の後に続く「疑を疑うもまた信なり」までをも講じて、
「結局人間には信じることも疑うことも同じくらい重要だ」ということを教示し直すことになった。
信を信じて信となす、荀卿の希望は儚くも砕かれ、疑うことも重要だという荀卿の自覚と、一連の現象全体を目の当たりにして
信や疑を絶対視しない大人びた感覚が退学後の保に備わったことぐらいが、結果としての救いになった。
〜終〜

815 :考える名無しさん:2010/06/08(火) 21:49:55 0
今回の話は、朱子学でも異端派扱いの儒家ブラック荀卿の話なだけもあって、かなりダークだ。
失敗を繰り返し、生徒よりも自分のほうが学ばされることの多い荀卿の成長を、生温かく見守ってやってくれ。

816 :考える名無しさん:2010/06/08(火) 22:32:49 0
儒教の話はちょっぴり、余計な作り話が大部分。儒教さえ面白くないと言うのに、
うんざりだ。

817 :考える名無しさん:2010/06/08(火) 22:44:44 O
ごめんな、俺ばっか底抜けに楽しみ過ぎて。

818 :考える名無しさん:2010/06/08(火) 23:09:51 0
>>817
数学板のキチガイさんですか?

819 :考える名無しさん:2010/06/09(水) 00:40:35 0
五行っていうくらいだったらファンタジー?系とか
そっちがいいかも。封神演義みたいな。

820 :考える名無しさん:2010/06/09(水) 06:53:13 0
国家のために国民ではない。国民のための国家である。民主国家とは。
しかし、儒教が尊重された当時の国家と言うのは、国家のための国民であったのだ。
そして国家とは、政治をするものの集団であった。今の日本が、国家とは公務員と言う集団であり、
国民は公務員のために働く奴隷になっているが、その大勢を何時までも維持するのに、
儒教は適したものと見做されたのだ。
 ところが、公務員として充分な生活を確立しても、幸福と言うものを得られたわけではないのだ。
人は公務員も国民も、何が善で、何が悪か、判らないのだ。儒教はそれを教えているか?
否であろう。しかし、老荘ゴーダマイエスは教えているだろう。彼らは真理真実をえているからだ。
儒者は真理真実を知らず、迷いでているのではないのか?


821 :考える名無しさん:2010/06/09(水) 08:02:52 O
善悪を何一つ分かってないのは、儒家じゃなくておまえのほうだ。

822 :考える名無しさん:2010/06/09(水) 08:26:42 0
確かに儒学の言葉はどれも表層的なものばかりで、なぜそこから
善とか悪とかいった結論が引き出されるのかといった理論的な説明には乏しい。
しかし、とにもかくにも、結果としてそこに提示されている善悪の分別は、
仏教の唯識思想における罪福異熟の道理などとも合致しており、その論及に
従って善行を為せば楽しく、悪行を為せばつまらなくなるようになっている。

理論的な理解はともかく、罪福にまで基づいた正しい善悪を把握しているという点では
仏教≒儒家≧拝火教≒イスラム≧道家≒ヒンズー教≫(善悪が転倒している)≫西洋カルト
であり、儒家や仏教が善とするものに基づいて幸福になったり、悪とするものに基づいて
不幸になったりしている一方で、西洋カルトが善とするものに基づいて本当は不幸になったり、
悪とするものに基づいて健全な楽しみに与れたりしている。王侯による搾取ばかりが横行して
激烈に不幸だったのも、正当な権力道徳を欠いていた欧米の封建主義のほうばかり。
いまのゴミみたいな民主主義社会より、お侍さんが刀を差して無礼者を斬り伏せていた
時代の東洋のほうが楽しかったのは、いま想像するだけでもわかり、実現すればなおのこと。

823 :考える名無しさん:2010/06/09(水) 08:35:24 0
>>822
儒家の言う、幸福とは何で、善とは何ですか?

824 :考える名無しさん:2010/06/09(水) 08:44:49 0
その説明が、「己れの欲せざる所を人に施すことなかれ」とかの概略的な説明に
終始していて、そのおかげで俗世での即座な実践にも移しやすいものの、理論的な根拠には
乏しいのが儒家の特徴。理論面にまで遡って善悪禍福の法則を細密に解き明かして
くれるのは、超俗の精進教学である仏教のほう。密教や浄土教の援助も受けつつ、
平安時代や江戸時代の日本もまた、十分な論拠に基づいた封建主義を成功させていた。

825 :考える名無しさん:2010/06/09(水) 09:05:24 0
>>824
独断ばかりと言いたい。、

>「己れの欲せざる所を人に施すことなかれ」とかの概略的な説明に
終始していて、そのおかげで俗世での即座な実践にも移しやすいものの

己の欲するところは人に施すべきなのか?その場合、己が求めていて欠乏しているのに、
そのものを他者に与えよ、と言うことになると思うが、そんなことができるだろうか?
 つまり、自分が飢えているときに、他者に食物を与えよということになるが、
そんな教えはどういう価値があるのか?
 

826 :考える名無しさん:2010/06/09(水) 09:12:39 0
だから、そういう屁理屈での揚げ足取りにまで儒家は対応していない。
自ら道徳の把握に挺身していく、誠実な勉学者のための学問。だから“儒”学ともいう。
>>825みたいな屁理屈のほうが虚妄で、儒学でも善悪とされているような道理が
理論的な根拠までをも持っていることは、お寺で丸坊主になってから教えてもらえばいい。

827 :考える名無しさん:2010/06/09(水) 09:14:35 0
>>825続き
もっとわかりやすい例を挙げよう。自分が真理がわからず、真理を求めているとき、
その真理を人に教えよ、と言われても、教えられないのだが、その時その教えの外見でも
履行してることを示すために、嘘偽りを真理であるかの様に教えることになるかもしれないが、
これは仏教に言うハライ罪ではないのか、?

828 :考える名無しさん:2010/06/09(水) 09:15:54 0
虚しい詭弁を繰り返す夢想家は、仏教や道家などの形で俗世からは追い出していた。
俗世に虚妄での迷惑をかけさせないことで、俗世なりの平穏を実現していたのが儒家。
俗世での会話にこれ以上虚妄を持ちこんでくるんなら、斬り捨て御免ということになる。

829 :考える名無しさん:2010/06/09(水) 09:41:32 0
独断的で偏ってはいるが、正しさにこそ独断的であり、善性にこそ偏っているのが儒家。
過ちこそを独断し、悪性に偏っているどこぞやのカルト教学の真逆である所以。
(仏教や道家などは独断も偏りもない、公正な審判に徹している)

同一文化圏内での貧富の格差のひどさ:
正しさを独断し、善性に偏る儒学を擁する極東社会≦勧善懲悪を信仰するイスラム圏≦善悪を超えた真理に住するインド≪過ちを独断し、悪性に偏るカルトに耽る聖書圏

俗世に脳内妄想を持ち込むのはもちろんのこと、善悪を超えた真理を持ち込むことですら、
現実主義を貫くことと比べれば、実社会を劣化させるのは、現実こそが指し示している。
いちいち帰納や演繹すら行わず、その場その場で即座に言動を正す、徹底的な現場主義が
儒学であるが故、未だお寺や檻の中にも入らず、虚妄を実社会に持ち込もうとするような輩は、
儒者に課せられた性分として、斬罪に付す以外のいかなる余地もない。

830 :考える名無しさん:2010/06/09(水) 10:22:10 0
>>828-829
切り捨てごめんとか断罪に付すなどと非情な心を打ち明けるべきではない。

831 :考える名無しさん:2010/06/09(水) 10:26:22 0
本物の戦隊シリーズも週一のペースだし、
「五行戦隊儒レンジャー」も、これからはもうちょっと投稿ペースを落としていこう。
そろそろ次スレの季節だし、もしかしたら別スレも立てるかも。

第二次世界大戦と同等数の殺人被害者を常時量産しながら、
どうとも思ってない輩のほうがよっぽど非情だ。
民主主義は個々人の罪悪感の折半による希薄化ばかりを助長している。

832 :井上筑後守:2010/06/09(水) 13:06:02 0
「史記」平準書においては、天下が統一されて泰平が獲得された漢代以降において、
贋金作りに奔走する商民どもと、お上の熾烈な争いが繰り広げられている。

うまいこと贋金作りを摘発できた頃には、
中 流 以 上 の 商 人 は こ と ご と く 破 産 し た が、
ひどい頃には、天下の何百万人という輩が誰彼となく贋金を鋳ていたために、
全てに対してまで摘発の手が回らなくなったため、諸国郡の悪辣な太守や相を
代表として摘発し、全人民に対する懲罰の代わりとしたという。

結局、誰しもに対して重大犯罪の責任を問いきれなくなるのが民主主義の作用効果で、
どうせ責任を取らないで済む不誠実な一般愚民の大衆意志を嵩にかかって、
権力犯罪者たち自身が好き勝手やる口実に民主主義がなっているだけのこと。

株式投資などの形に姿を変えてはいるものの、贋金濫造時代の漢代によく似た状況の今も、
やはり株を買っている全ての民衆を摘発するなどというわけにもいかず、
結局は資本主義社会を画策していた諸国郡の責任者どもを摘発して罷免させ、
国体を修正させて、資本主義や民主主義を破棄させるというのが、実質的な対策になるだろう。
所詮は民衆は政治体制に付いていくもの。体制が贋金作りを認めなければ、次第におとなしくなるもんだ。

833 :井上筑後守:2010/06/09(水) 13:10:48 0
日本の商工人階級によく信仰されていた、日蓮宗の傍流である創価学会などが、
貧乏人ばかりに信奉されている理由が、やっと分かったな。

商民ってのは、権力道徳が行き届いた社会では、貧乏になるんだ。
士人や百姓などよりも、所得や生活の水準から低くなる。

権力道徳が十分に行き届いて、贋金作りもちゃんと摘発されたなら、
ほとんどの商業・サービス業は割に合わなくなる。ただ金を回すだけで
利子を得るような仕事は、その存在性が根本からバブルに過ぎないから。

834 :考える名無しさん:2010/06/09(水) 14:30:00 O
表の態度はあくまで厳しく、礼儀作法に基づいた自重も要求するが、
心から民を愛して、天下万民に利することを第一に考える権力道徳者。

全く民を愛していないにもかかわらず、民主だの自由だのの文飾で
おべっかを使い、愚鈍化した無責任な民意を嵩にかかる権力犯罪者。

前者を突き放して、後者になびいている今の先進国の民衆なども、
自分たちの無責任な大衆意志が、第二世界大戦以上もの大量虐殺を
横行させ続けているという現実を具に知らされたなら、もはや民主主義
などであってはいけないことをもわきまえるだろうが、大量餓死とか
格差社会とかの部分的な情報は得ても、それらが民主主義を選択
している自分たち自身による自業自得であるという所までの理解は
働いていない。餓死も格差もあくまで仕方のないもののように、まだ
思っているし、思わされてもいる。民主主義であることによって甘い汁に
与っている権力犯罪者たちの撹乱隠蔽工作にものせられて、仕方なくない
罪悪の積み重ねを、あたかも仕方のないことのように思い込み続けている。

835 :考える名無しさん:2010/06/09(水) 14:48:05 0
もう井上は終了なんだよ
恥の守w
恥さらしw

836 :井上筑後守:2010/06/09(水) 18:38:21 0
人間誰しもいつかは死ぬが、何もおまえらより先に終わる必要もあるまい。

容量オーバー寸前につき次スレ:
【司馬遷】東洋教学総合スレ0005【鳩摩羅什】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1276076141/

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