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【なぜ】サディズム・マゾヒズムの心理 3

1 :没個性化されたレス↓:2007/09/06(木) 05:13:45
サディズム・マゾヒズムの心の仕組みについて知りたい。

サディズム・マゾヒズムという造語は19世紀ドイツの精神医学者クラフト・エービングによる。
SMはいまや市民的に受け入れられる状態にまでなっているが、
ある者がSである、Mである、ということの仕組みはあまり問題にされない。
時によっては病的と思える嗜好にいたっているものもある。
SM板でも雑談・サロン板でもなく、学問板にこのスレが立っている事を念頭に、
SM心理の構造について考えがすすめばいいと思う。

【前スレ】『【なぜ】サディズム・マゾヒズムの心理 』
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1077631933/
にくちゃんは閉鎖状態にあるが代わりに読めるURL↓
http://mimizun.com/search/perl/dattohtml.pl?http://mimizun.com:81/log/2ch/psycho/academy4.2ch.net/psycho/kako/1077/10776/1077631933.dat
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1154843359/
【なぜ】サディズム・マゾヒズムの心理)2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1154843359/


※この板はIDがでないので、複数のレス書き込みを行う時は
コテをつけた方がわかりやすいです。

2 :咀嚼途上者:2007/09/06(木) 05:14:53
900でdat落ちしたのでとりあえず建てた。

前スレのdat落ち前に「羊」氏が書き込んだ考えは
興味深かった。
前スレは過去ログに入ってしまい、にくちゃんねるも休止状態なので
前スレラスト付近の「羊」氏のレスを引用しておく。

3 :没個性化されたレス↓:2007/09/06(木) 05:15:38
891 名前:羊[] 投稿日:2007/08/26(日) 15:43:09

話は変わりますが、マゾ、サド的な人とは自分に自信のない人なのかなと。
両親の価値観から否定的なメッセージを受け入れ自信がなくなっていった人だと思います。
人生で経験する快感のエネルギーは人類の基本的財産で、人間からこれを奪うと
結果として・持つもの持たざる者・との間に大きな分裂が生じて。自分の
権力を示すさまざまな形の快楽から、自慢するためのトロフィーに至るまでの
上流階級特有の快楽に対して労働階級はねたみ。ある人間の喜びが否定されて、
それが他の人間の喜びとなっていることに気づけば、革命を生み出すと思います。
あるいは、弾圧さるかで。したがって、大衆の生きる力や目的の合理化された活用
手段である・道徳律・は意図的な価値観の歪みから機能することになり。・人生の苦しみが
地獄のようであればあるほどそのほうびとして、もっと天国に近くなる・といったような幻想
が提供される。喜びと苦しみの歪んだ関係は、道徳的に歪んだ社会環境を生み出しました。
そこでは苦痛が喜びにつながるようにしました。この苦しみと狂った状態の中で代替される、
少なくとも臨時的に免れる嗜癖は、禁断の誘惑に勝つか負けるかという、致命的で反社会的な
ゲームとなってしまう。けれども人間は気高くて、要求もしないのに生まれてきた自分の存在に
対しての、永遠の葛藤にあって。その気高さは、つかみ所のないミラーハウスのような世界において
人間の唯一の支えとなり、人生そのもののプロセスに対する信頼を生でいるのですね。

4 :没個性化されたレス↓:2007/09/06(木) 05:18:26
895 名前:羊[] 投稿日:2007/08/27(月) 22:21:09

マゾ、サドの人は幼児期の時や子供の時ものすごく精神衛生状よくない環境に生まれ、
親自身が子供や人に対する理解が少ない為に、子供に対して無責任で尊重しない言動で
子供はそのあまりにも自分を大切に評価し尊重しない言動から親への仲間意識がなくなり
親は何かあるたび攻撃してくると、勘違いしてしまい、
本当は親は攻撃してるのではけではなく自分の欲求に対して協力してほしいと
メッセージをだしているだけなんだけど。
その表現や欲求があまりにも強すぎると
子供は評価を求める為に親を理解したわけでもないのに
利己的な意味で協力し親に求めていた評価や関心を寄せられると安心するとゆう形をとってきたのがマゾ。
サドも同じく親が適切に自分に対して評価尊重されてないと勘違いして
もっと自分をしっかり見てと何事にも攻撃的になり
周りの人や親を認めさせることで安心する形がサド。
とゆうわけでどちらも人を利己的にコントロールしようとしているわけなので
人生はいつも不安と緊張がある。
人が自分が思ったようにコントロールできるかいつも心配で仕方がないとゆう事になる。
その人が何かをきっかけに自分自信や能力があると確信すると
その人は自立的になり健康的に生きられる。
すべては自分自身に対する自己評価しだいなんだと思う。
本当の意味で自分の事が大好きで、人に対して寛容に生きていく事が幸せと自己実現につながると思います。



5 :没個性化されたレス↓:2007/09/06(木) 05:21:29
900 名前:羊[] 投稿日:2007/08/30(木) 02:38:17
人間の行動の根元は劣等感だと思います。
人であるとゆうことは、ある劣等感を所有していることを意味していて、
それがそれ自体を克服するように前進させようといつも圧力をくわえている。
人生の根本法則は、欠陥や不適切なことを克服する法則であると思います。
その解決方法が上記895で書いたように周りに対して理解力不足で
より劣等感が高まる事が続くとアドラーでゆう、劣等感コンプレックスがでてきて
自己決定自己責任を放棄して、支配・依存・周りをコントロールして、
どうやったって自分の劣等感を克服しようとする試みがサド・マゾ・だと思います。
健康的である人はその劣等感を自立的に解決しようとする人、つまり支配・依存しないで・目の前の課題を解決しようとする人。
劣等感それ自体は異常ではないです。
劣等感があるので、人類という場所にあらゆる改善が生まれます。
たとえば、科学それ自体は、人間が自分の無知を感じ未来を拡げる必要を感じたときにのみ可能であるわけで、
正常な劣等感と劣等感コンプレックスの違いは、単に程度の問題であって質の問題ではない。
劣等感が誇張された感情の場合望ましくない性格の特性がでてくる。
例えば恥ずかしがり・臆病・過度の依存傾向・言いなりになる服従傾向・
さらにずうずうしさや衝動性・頑固さ・反抗的態度などのような何らかの補償傾向を伴っているサド・マゾ傾向の衝動に結びつく。
そのどれもが、最終的に、無視されているという誇張された感情から極まってなっていくと思います。
愛の反対は無関心って、マザー・テレサが言ってました。
周りに対しての無関心が人生を生きづらくしているのかもしれません。
より深く人を理解していたら戦争なんてなかったと思います。
謙虚になってもっと人や周りを理解する事が大切なのかもしれません
そうすればもっと人類や地球にとってみんなが建設的に役に立つ解決がでると思います。復讐とゆうサイクルもなくなるし。



6 :咀嚼途上者:2007/09/06(木) 05:23:37
引用のうち、>4-5は、咀嚼途上者がかってに改行させてもらった。悪しからず。

7 :咀嚼途上者:2007/09/06(木) 05:34:04
ついでだが、にくちゃんスレを探すためスレタイトルで検索していて
http://world-reader.ne.jp/psychology/matayoshi-020518.html
http://www.world-reader.ne.jp/psychology/matayoshi-020525.html
を見つけた。
女性的男性と男性的女性の性衝動としてサディズム・マゾヒズムを考えている。
これもなかなか面白い考えだと思う。

8 :E・フロム 引用:2007/09/06(木) 21:29:05
「正気の社会」(中央公論社・世界の名著“ユング・フロム”より)

人間は、動物的存在の特徴であったかっての自然とのつながりを失ってしまっている。

人間は、理性も想像力もともにもっているので、…自分の無力さと無知、
自分が生まれたことも死ぬことも孤独であることを知っている。

…たとえ、すべての生理的欲求が満たされたとしても、正気で居るためには
この孤立と個別化の状態を、脱出しなければならない地獄として経験するだろう。
…生活する他人と結びつき、関係をもつという必然性は、避けえられない欲求であり、
それを満たすことによって人間の正気が保たれる。

9 :E・フロム 引用:2007/09/06(木) 21:29:47
この結びつきを手に入れるには、いくつかの方法がある。
人間は、ある人間、ある集団、
ある制度または神に服従することによって、世界との一体化をこころみることができる。

自分よりも大きなものや物体の一部になることによって、個別的存在の孤独さにうちかち
自分のしたがう権威との同一化を経験する。


 孤独を克服するもうひとつの可能性がある。
世界を支配する権力をもち、他人をかれ自身の一部分にし、
さらに他人を支配しておのれの個別的な存在にうちかつことによって、
自分と世界とを結びつけようとすることができる。

10 :E・フロム 引用:2007/09/06(木) 21:32:36

服従にも支配にも共に見られる共通の要素は、
結びつきという共生的 symbiotic な性質である。
そのどちらに属する人間も、まとまりと自由を失っている。
つまり、彼らはたがいによりあいながら孤立して生きており、
親しさを求める欲求を満たしながら、
しかも自由を求める内心の力や自信のないことを悩み
さらに強制的な関係から当然生じてくる
意識的・無意識的な敵意にいつも脅かされている。

11 :E・フロム 引用:2007/09/07(金) 08:24:22

服従的(マゾヒズム的)な情熱にしろ、支配的(サディズム的)な情熱にしろ
これらを実現してみても、とうてい満足にはいたらない。
こういう情熱は、自己推進的なダイナミズムをもっていて、
どんなに服従や支配(所有や名声といってもよい)をわがものにしても
同一化し結びついたという感じが十分には起こってこないので、
さらにもっと服従や支配を求めることになる。

こういう情熱は、結びつきの感じをたもとうとしながら、まとまりの感じをぶちこわしてしまう。

こういういずれかの情熱に駆られたひとは、現実に他人にたよるようになる。
つまり、自分の個性的なありかたをおしすすめるような事はしないで、
かれに服従するひとやかれが支配するひとに依存する。


12 :E・フロム 引用:2007/09/07(金) 20:53:49

自分を世界と結びつけ、しかも同時に、統合感と個別感を得ようとする人間の欲求を満たす
唯一の情熱がある。
それがすなわち、『愛情』である。
愛情とは『自分自身は切り離され独立したままで』自分以外のだれか、
なにものかと結ばれることである。
愛情は、共感し共有する経験であり、自分の内心の動きをなんでもあらわにしてよいのである。

愛情を経験すれば、幻想の必要がなくなってしまう。
つまり、他人や自分のすがたを拡大させる必要がなくなる。
というのは、強い共感と愛情という現実があれば、個別化された存在にうちかつことができるとともに
愛の行為をかたちづくる積極的な力の担い手としてみずからを経験できるようになるからである。


13 :SM初心者:2007/09/08(土) 11:03:27
それなら愛のあるSMなら未来はあるのですか?

14 :没個性化されたレス↓:2007/09/08(土) 11:14:01
愛があっても無くても未来はある。

15 :没個性化されたレス↓:2007/09/08(土) 11:34:10
いつでも未来はあると思うけど。SM自体に自由はないと思うから、それで満足は
あっても、内からくる喜びはないと思う。食欲と同じで、満足は一時だけみたいな。


16 :没個性化されたレス↓:2007/09/08(土) 11:37:10
永遠の満足などない。

17 :E・フロム 引用:2007/09/08(土) 12:05:38
>13 お答えになるかどうかわかりませんが、それではもうすこし引用を続けます。
この先はSMじゃなくて愛情論だったので引用をやめたのですが。
引用元は>8です。(というか、まるきり同じ頁(p252)の続きです)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


大切なことは、どういう性質の愛かということであって、何を愛するかということではない。
愛情は、人間が仲間同士と協同一致する経験にも存在すれば、男女の恋愛にも、
子どもに対する母親の愛情にも、また、人間である自分自身への愛情にも存在する。

いいかえれば、愛情は、結びつきという神秘的な経験のうちに存在する。

愛の行為において、わたしは全体と一つになりながら、しかも、わたしはわたし自身であり、
独自の人間、切り離された人間、有限の人間、死すべき人間なのである。

事実、孤独と結合というこの両義性から、愛は生まれ、再生する。


18 :E・フロム 引用:2007/09/08(土) 12:07:16

愛情の経験では、二人の人間が一体となりながら、
しかも同時にいぜんとして別の二人であるという逆説的な現象が起こる。

この意味で愛情は、ひとりの人間だけにかぎられるものではない。

もし、わたしが、たった一人の人間を愛して、ほかのだれも愛さなかったり
ある人間への愛情のために、わたしがますます仲間から疎外され、遠ざけられるとしたら
ある点でわたしはこの人間にひきつけられているかもしれないが、それは真に愛しているのではない。
「わたしはあなたを愛してる」といえるとしたら、
それは「わたしはあなたのうちにある人間性のすべてを愛し、生きているすべての愛する。
    つまり、あなたのうちにあるわたし自身をも愛する」 ということになる。

この意味での自己愛は、利己主義とは相反するものである。
利己主義は、事実、自分へのどん欲な関心であり、
それは自分への本当の愛情がないことから生じ、本当の愛情がないことの補いとなっている。
逆説的にいえば、愛情は、わたしをもっと強く、幸福にしようとして、わたしを独立させる。
しかも愛情は個別性がしばらくなくなったかのように見えるくらい、わたしを愛するひとと一体にさせる。


19 :E・フロム 引用:2007/09/08(土) 12:09:01
 愛することによって、「わたしはあなたである」という経験をする。
このあなたとは愛する人間であり、他人であり、生けとし生けるものである。
愛情を経験することにのみ人間らしいあり方の唯一の答えがあり、ここに正気がある。

 わたしが愛してるというのは、他人の成長と幸福を心配していることであり、
つまり、積極的にそれに関与していることであり、たんなる傍観者ではない。
わたしには責任があり、いいかえれば、かれ(かのじょ)の欲求や、
かれ(かのじょ)の表現できないことや、表現しないことにたいして もっとこたえようとする。
わたしがかれ(かのじょ)を尊敬するとうのは、かれをあるがままに、客観的にながめ、
わたしののぞみや恐れのためにかれ(かのじょ)をゆがめないことである。
わたしはかれ(かのじょ)を知っており、
わたしは、かれ(かのじょ)の外面をつきぬけて存在の核心にまでふれ、
わたしの存在の外面にさからっても、存在の核心、つまり中心から自分自身をかれ(かのじょ)に結びつけているのだ。




-------------------------------------------------------------------------------------------------------
(すみません。これ以上続けてもどんどんスレ違いになりそうなので、このへんでやめておきます。
「かれ」のあとの(かのじょ)は私がかってにつけました。 なにかヒントになれば幸いです。どうも失礼しました。)

20 :没個性化されたレス↓:2007/09/08(土) 12:43:36
吹いたら負け フタエノキワミああああー
http://anime2.2ch.net/test/read.cgi/asaloon/1189218197/


21 :SM初心者:2007/09/08(土) 13:24:23

お返事ありがとう御座います。
以前こちらのBBSで
「…死に向かう行為を望むSMに未来はない…」って書き込みを拝見して
SMの行為を続ける事はいけない気がして。。
愛についての探求をしていきます

22 :咀嚼途上者:2007/09/08(土) 15:10:28
>>19 
愛について考えるのはこの文脈なら別にスレチじゃないよ。
俺も前スレか前々スレで「心理学のプロ」氏に
あなたのいう愛とはなんなのかとしつこく質問した覚えがあるw
引用部分でフロムの書いてることは心理学というより詩に近い気がする。

23 :没個性化されたレス↓:2007/09/09(日) 06:51:03
前スレは何で900で消えたんだ?
咀嚼途上者さん。削除された原因は何だい?

24 :咀嚼途上者:2007/09/09(日) 09:08:47
>23
いや、俺もわからんのだよw 
羊氏の最終書き込みが8月30日(木)で俺が書き込みしようとして
dat落ちしてて書き込みできないことに気がついたのが
ちょうど一週間後の9月6日(木)。
羊氏の書き込みは面白かったので誰かカキコするだろうと油断してたw
(俺は羊氏の考えに多少異論があるので、
 慎重に考えてて脊髄反射カキコはする気になれなかった)

どこかで4百何kbを越えるとdat落ちの対象になるというのを読んだ覚えはあるんだが、
このスレは長文が多いから、落ちたときの容量は481kbだ。
ただ、一週間ぐらいは無レスでも大丈夫だろうと思ってたんだが。。。
板ごとにdat落ちの基準が違うとも聞いたことがあるので正確なところはわからない。

誰か、正確なことを知っていたら教えてもらえると助かるのだが。。
(何kbを越えると、どのくらいのペースで保守が必要になるのか?)
ま、削除ではないと勝手に思ってるだけなのかもしれないがw

また途中で落ちるようなら、dat落ちの心配がないしたらばあたりに板建てて
独り言でもしようかな、と思ってて準備中だ。
このスレはけっこう中身がややこしいので(俺のせいだがw)
どんどんレスが伸びるスレじゃないしね。
(前スレも建てたのが昨年の8月で落ちたのが今年の9月と一年がかりのまったりスレだった)

25 :咀嚼途上者:2007/09/10(月) 05:57:16
>>5(前スレ900)
>周りに対しての無関心が人生を生きづらくしているのかもしれません。
>より深く人を理解していたら戦争なんてなかったと思います。
>謙虚になってもっと人や周りを理解する事が大切なのかもしれません
>そうすればもっと人類や地球にとってみんなが建設的に役に立つ解決がでると思います。
>復讐とゆうサイクルもなくなるし。
 
この部分に関してだけとりあえず異論を。

たとえば国家・法・宗教 といった吉本隆明でいうところの「共同幻想」は
ひとりひとりの人間の考えや精神の総和 ではない。
そういった単純な足し算ではなく、共同幻想は個体の持つ幻想とは質的に異なる
と理解したほうが本当に近いと思う。

単純化していえば、たとえば3人でとりきめてあるルールを決めたとする。
で、一人がそのあと、考えを変えてルールの廃止、あるいは変更を求めたとしても
そのルールに賛同してあとからはいった4人目・5人目・・・N人目がまったくとりあわなければ
もはや、決めた時は自分が納得して決めたルールの欠陥が見つかったとしても
自分個人の意志ではもうそれは動かない。
すでに、そのルールを改変するための別のルールやとりきめが別の数人たちによって
付加されていたり、あるいは、誘われてそのルールの作成にはまったく関与していないで
そのルール共同体に参加している者もいて、ルール自体が独立した幻想領域として機能している場合もある。

いったん共同幻想が生じれば、
それを変更するのは、個々人の理解力の深化といったものだけではできなくなる。
他の共同幻想をもった集団との関係や、共同幻想独自の形式主義(法律・戒律など)など
共同幻想それ自体が支配的に、個人を制圧し、
新しい参加者(つまり赤ん坊)は、それらを空気のように、超自我に刷り込まれることにもなる。

ま、
すくなくとも、共同性の問題はそれほど簡単じゃないよ。といいたいわけだ。

26 :咀嚼途上者:2007/09/10(月) 22:13:57

乳首やクリトリスに針を刺す のと 目玉に針をさす

この間に性的サディズムとして線はひけるのだろうか?

27 :咀嚼途上者:2007/09/12(水) 12:50:27
市民SM実践者から見れば、まったくナンセンスな設問に見えるかもしれない。
しかし、心理学初心者氏が引いてくれた
DMSのサディズム定義からすればこれらは区別されない。

●性的サディズム●

A.少なくとも六ヶ月間にわたり、犠牲者に心理的または身体的苦痛(虐めを
  含む)を与えて自分を性的に興奮させるという行為 (現実のもので、擬
  似的なものではない)に 関する、強烈な性的に興奮する空想、性的衝動、
  または行動が反復する。

B.その人が性的衝動を行動に移している、またはその性的衝動や空想のため
  に、著しい苦痛または対人関係上の困難が生じている。



28 ::2007/09/12(水) 18:00:50
>>25
確かに、ルールや法律・国家を、個人の力で変えるのは簡単じゃないし困難だと思う。
周りのルールを変えるのは無理に近いし、手に負えないことだと思うから。最終的に誰かではなくて
自分自身だけしか変えられる人はいないと思うよ。

29 :咀嚼途上者:2007/09/13(木) 04:12:03
>>28 
個人の力でできることは「言葉」を発することだけだと思う。
それと、
制度や共同幻想といったものの仕組みをきちんと解析して
その欠陥や不都合を、解析的・論理的につきとめてみせること。
仕組みがわかれば、変え方も見えてくる「可能性」がある。

実際には、革命というのは産業革命やIT革命のように
非政治的なところからやってくる。

30 :咀嚼途上者:2007/09/13(木) 04:23:01
自分自身を変えるのは「経験」か「言葉」しかないと思う。
意図して自分を変えるには、自我ではなく超自我、つまり価値観を変えるしかない。
「経験」によって変わる場合、その変わり方は自分ではコントロールできない。
(コントロールできるのはその経験の消化の仕方の部分だけ)
できるだけ自分の望ましい方向に変わりたいのであれば
「言葉」しかない。

言葉によって刷り込まれた超自我(外からくる価値観・倫理的な審判基準)を
逆に批判できるほどの言葉をもつこと。

31 :咀嚼途上者:2007/09/13(木) 04:25:55
経験(体験)によって自分が変わるのは瞬時だが
言葉によって自分を変えるには時間がかかるし忍耐もいる。

まずなによりも良い言葉をさぐりあてること。

32 :咀嚼途上者:2007/09/13(木) 04:27:59
良い言葉をさぐりあてるには
良い疑問をもつことがとても大事だ。

33 :咀嚼途上者:2007/09/13(木) 04:43:22
>>羊氏
「劣等感」でサディズムをもうすこし詳しく説明できるのなら聞いてみたい。
結局は心理学のプロ氏がいっていた「自己評価」にいきつくような気がするのだが。

34 ::2007/09/14(金) 21:06:57
サド、マゾは表裏一体
劣等感が高まると優越感コンプレックスがでてくる、これは劣等感を変装
させた一つのテクニックで、他の人より良いとか上だというある偽りの信念
を表現した形。その行動は、根深い劣等感を隠しているにすぎない。
人がもっとも気にしているのは自分の価値への問題だと思う。



35 :没個性化されたレス↓:2007/09/14(金) 22:28:13
メディアが駄目な男性をやたらとアピールしてマゾ的な男性を無理矢理製造していると思う。

36 :咀嚼途上者:2007/09/15(土) 08:52:56
>>34
劣等感がサドにいくか マゾにいくか
羊氏のいう変装(偽装)をとるか とらないか
その別れめにあるのは何なのだろうか?

>>35 メディアがマゾという言葉を喧伝したことで
そういうのもアリなんだな、と、
基本的にはあまり強い素質をもっていない人も、そういう世界に触れやすくなったのかもな。

37 ::2007/09/15(土) 11:17:57
サド・マゾは表裏一体だと思う。サドの中にもマゾがいて、状況によっては
マゾになったり、サドになったりする。
変装をとるとらないかは、自己責任があるかないか善悪の判断の理解の度合い
かもしれない。マゾ・サドの人が自己責任・善悪を理解していれば、変装をとらない
かもしれない。けれど、その変装がまったく馬鹿げたことだと理解しているのに、どうしても
そうゆう態度をしてしまう人は、心理的に苦しい状況だと思う。頭で理解している事と、やっている
ことが矛盾しているから。


38 :咀嚼途上者:2007/09/15(土) 14:12:33
>羊氏

性の場面における自己責任とはなんだろうか?

サディズム・マゾヒズムという性的志向を持つ者も
社会的善悪くらいは心得ている。
善悪の理解とはなにか。 
超自我に刷り込まれた倫理観は理解の問題ではない。
まさに、親・社会・制度からのすり込みそのものだ。
そこに性的倒錯者と性的健常者(これはあくまでもフロイト的な意味でだけ納得できる概念だが)
反社会性人格でもなんでもいいが、その手の倫理不在とはまったく違う。

というのが俺の考えのひとつだ。

さらにいうと、サディズムとマゾヒズムが強く固定化されず、
共在する場合は、「サドマゾヒズム」として
サディズムやマゾヒズム以外にもうひとつの分類を建てる、
という流れもあるようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0


   


39 :咀嚼途上者:2007/09/15(土) 14:18:53
投稿の時、消えた部分があったようなので。
>そこに性的倒錯者と性的健常者との差異を見るのは
     ↓(訂正・補足) 

 性的サディズムや性的マゾヒズムと 
 サディスト的性格マゾヒズム的性格とを混同していないだろうか。
 性的倒錯者と性的健常者(?)は
 「反社会性人格」と名付けられているたぐいの、倫理不在とはまったく違う。

40 :没個性化されたレス↓:2007/09/15(土) 15:19:04
こんなアホみたいな分け方されたら
6:4 4:6とかの割合のときどうすんだよ

41 :咀嚼途上者:2007/09/15(土) 19:24:39
6:4と4:6が固定されてなくて
ころころ変わるようなら、サドマゾヒズムということになるんだろうね。
(ウィキの筆者じゃないから、たぶん、としかいえないが)

42 ::2007/09/15(土) 21:26:46
性的サド・マゾは愛情問題の解決に失敗していると思います。
異性の力を過剰に評価していて。劣等感をもっており、コントロール
して満足を得て愛情問題を解決できたと勘違いしているのかもしれません。
自立した人は、愛情問題を自立した対等関係で、解決できた人だと思います。

43 :咀嚼途上者:2007/09/15(土) 22:57:30
愛情を持てない相手には勃起しないという男性がいる。
つまり愛情も性の次元では
性的ファンタジーの中のひとつにすぎないという言い方もできる。
このファンタジーの源泉は親との関係にある。

「男性サディズムは、幼少の頃に母親からの拒絶や父親に刃向かえない家庭環境
 など攻撃性や愛情希求願望が抑圧された結果ともいえるのではないか?」

これは前スレで「心理学初心者」氏が書いていてかなり納得したレスだ。
つけくわえるなら、親と子の関係だけでなく、
男親と女親との関係も子供に伝わるのだと思う。

>42
>異性の力を過剰に評価して、劣等感をもっている

たいへん面白い見方だと思う。
母親や父親との関係を絡めて考えれば、むしろ、
過剰に評価したがっている、とも見えるね。
そのことによって、補償を得ようと。

44 ::2007/09/15(土) 23:55:08
極度な劣等感が正常に適応することを恐れている。過去に勘違いして傷ついた
事がトラウマとなり、異性や人への仲間意識をなくしてしまい。安全な方法つまり
自分は何も相手に協力しよう思わないで、私的な満足とゆう動機のみでコントロールして
人生の課題に取り組んでいるんだと思う。勇気をもって他者に利他的で信頼感をもち失敗をしても
自己責任で人生の課題に取り組む事がいいんだけど。その勇気がくじかれているんだと思う。


45 :没個性化されたレス↓:2007/09/16(日) 07:19:06
ピーター・ドラッカー

「もっと困るのは、この理性万能主義者の後には、必ずと言ってよいほど、その真理は自分が体得
したという者が出てくる。真理を体得した自分が、真理そのものであるとの主張です。
レーニン、ヒトラー、ルソーがそうだったし、フランス革命におけるロベスピェールだとか、
ダントンだとかもそうだった。
いずれも自分は真理を掴んだ、体得したと思った。そこで、その真理に従わない者を強制収容所に
入れる、ギロチンにかけるなどの義務が生じた。権利ではなく、義務が生じた。ものすごく危険で
あるというのがドラッカーの考えです。
彼自身は何であるかというと、イギリス及びアメリカの正統保守主義であるということで、こちら
は明日に向かってコツコツ進んでいく。
そして、問題の解決には万能薬を求めず、現場で問題を解決していく。」


46 :咀嚼途上者:2007/09/16(日) 08:17:24
>>45 レーニンじゃなくてスターリンだろ
    ヒトラーの主張は単なる民族主義であってそこに優生学を絡めただけの話。
    ルソーの考えにはオリジナルの部分がきちんとある。
ドラッカーが単なる実務的な分析者にすぎず思想音痴であることがよくわかる引用だ。



47 :咀嚼途上者:2007/09/16(日) 08:24:25
>>44 個人哲学としてはわかるが
    あまりにも、倫理的な断罪感が過剰すぎる気がしないでもない。
    
私的な満足のレベルは個人幻想の中では当然だろう。
自己責任で人生の課題に取り組む、という部分を社会的活動の意味でいってるなら
性的倒錯志向の者でも、仕事をきちんとこなしてるものはいくらでもいる。

理想主義と実体分析とを混同させると、倫理的な啓蒙主義に陥る。

48 :咀嚼途上者:2007/09/16(日) 08:58:55
>羊氏
>47は単なる咀嚼の感想にすぎないんでねw
カキコはしなくても羊氏のレスに共感を覚えている者もいるかもしれない。
気にせず、書きたい内容を書いてくれ。
(ま、そんな当然のことを偉そうにわざわざ言う筋合いもないのではあるが)

49 ::2007/09/16(日) 13:22:27
人生には3つの課題があって、仕事・交友・愛[恋愛 結婚]。
だいたいの人は、仕事・交友はうまくクリアしてうまくやっていても、とりわけ
愛の課題は、仕事・交友と違って小さい時から人生で身近に、愛の問題への対応を
見る機会がすくないし経験もしないから、興味や注目があつまりやすい。それで恋愛本など
が売られる事が多いし、特に愛の問題の話しに注目・興味があつまりやすい。


50 :咀嚼途上者:2007/09/16(日) 19:37:03
その考え方は
無職・無友・無愛の状態にある者への抑圧にはならないのかね?
ま、劣等感があらゆる行動の原理になるというのなら
劣等感を深めて行動を促すという策にはなるのかもしれないが。
「働かざる者喰うべからず」で鬱や身体状態、老齢者を
心底では劣等者として見下しながら「救済」を提唱する類の啓蒙主義的ヒューマニズム。

俺は、無職・無友・無愛の状態にあっても
人生の価値は等価だと思っている。
すくなくともそういう倫理を作らないと、
現在のこの共同体の状態はもたなくなってきていると考えている。


51 :咀嚼途上者:2007/09/16(日) 19:37:43
(と、感想を独り言w)

52 :咀嚼途上者:2007/09/16(日) 22:52:41
前スレで感心したレスがある。

322 名前:305[sage] 投稿日:2006/10/21(土) 08:15:38

稚拙な意見になってしまいますが…。

過保護な母親に服従してきた子供にとって、母親から自立することは
母親から見捨てられる危機感に酷似しているように思えます。
普通ならばそれは自然に起こることなのですが、
服従によってでしか愛を感じられないようになっている子供は
自ら危険(反抗により親の保護を失う可能性)を犯すようなことはしません。
つまり、反抗期を許されないのではなく、反抗期という発想に至らない。
(若しくは反抗することに恐怖を覚える)
良い子でありつづけた子供がいくら自分の中の引き出しを探ったところで
「反抗期」には鍵が掛けられているので、素通りしてしまいます。
私自身反抗期というものを経験しておりませんので、
引き出しの中身が何であるのか、未だに理解できません。

幼い頃から「個」を殺してきた子供にとって「個」は未知の状態であり、
自分には無いものなので他人の「個」(反抗期による親との分離)も理解できないのでしょう。
存在していないのと同じです。
そうすると必然的に、他人のイメージが曖昧になります。
なので自分のイメージが曖昧であることにも疑問を持たず、
環境に順応し、自立の機会を見失います。


53 :咀嚼途上者:2007/09/16(日) 22:53:20
324 名前:305[sage] 投稿日:2006/10/21(土) 13:00:10

私の知識は全てが独学で、このスレと自らの経験を基にしたものなので…
偏ったものであることを前提にお聞き頂けると幸いです。

私が先ほど「親への服従」と言った行動は、乳幼児期に親から受ける世話などの延長の類ではなく
親に与えられた「良い子」という、親が子供に抱く理想への、脅迫的な憧れと、恐怖であり、
その「型」の中に自ら収まることで愛されようとする行動です。
個を抑制され続けてきた子供は、親に与えられた「己の在り方」(親が理想とする良い子)を盲信し、
それ以外の己(自由・本来は個であるべき己)を否定してしまう為に、
「型」に嵌らない己は愛されないものであると信じ込みます。
それは無意識の親の支配であり、子供は「良い子」という外郭で自らを形成するようになるので
その分、中身は空洞の、意志薄弱な主体性のない人間が出来上がります。
そうするとその子供は、常に「己を定義してくれる存在」がなければ
自らの方向性を見失うのと同時に、自らの存在価値(良い子)をも失うことになるのでしょう。
(この時期に反抗期に目覚めなければ、子供は親から自立することが困難になる)



54 :.:2007/09/16(日) 22:54:11
325 名前:305[sage] 投稿日:2006/10/21(土) 13:01:56


そこで問題になるのが、
親によって与えられた理想の己(型)と、曖昧なイメージでしかない(或いは封印された)己(個)との間に存在する、埋まらない溝です。
理想の己(=親・他者が望み、愛する己の姿)に近づこうとすればするほど
結果として己を偽ることになり、思春期を迎えた子供は葛藤を迎えることになります。
(そもそも「自分」が無いのに、偽りの自分が存在し続ける)
これらの葛藤を和らげてくれるのが、新たな支配者の登場ではないでしょうか。


55 :.:2007/09/16(日) 22:54:42
326 名前:305[sage] 投稿日:2006/10/21(土) 13:04:14

初めから「個」を殺し親の理想(という脅迫)に支配されるのと、
自ら「個」を捨てた上で新たな支配者に服従するのでは、その意味合いが全く違うような気がします。
新たな支配者というのは、子供の中で長年培われた「良い子」を破壊し、埋もれていた「個」をも破壊した上で、
子供が最も恐れる自由を奪い、不安から解放します。
また、未熟な母親を目の当たりにしてきた子供にとっては、接点が母親より少ない分
「白馬の王子様」としての要素(親・支配者としての完璧さ)を多く含む男性(父親に抱く幻想)の方が、支配者としての条件を満たしているのではないでしょうか。
ただマゾヒズムが性的倒錯である限り、男性はその対象に女性を求める場合が殆どなので、
母親に不足していたものを補完するために女性を選ぶのではないかと思います。
(私は女性ですので、申し訳ありませんが漠然として推測でしかありません)
また、己の内にある母親を罰する行為というのも、新鮮な意見で興味深いです。
母親が落とした影響を新たな支配者が罰し、矯正(調教?)することは即ち
母親からの一時的な分離を促す行為でもあるような気がします。


56 :.:2007/09/16(日) 22:55:14
327 名前:305[sage] 投稿日:2006/10/21(土) 13:06:29

また、このような葛藤を抱えながら肉体的な性の目覚めを迎えてしまったら
愛し方を知らない(愛されたことのない)子供が他者を認め、愛せるはずがありません。
未だ未熟な子供は愛されることを望みます。それが歪んだ形で現れたものが、マゾヒズムの開花なのだと私は考えます。
マゾヒズムの根底に自己否定と無価値感が存在するのであれば、
肉体的にも精神的にも最も直接的なかたちでマゾヒストを「求める」サディストの「支配」は、
母親にいつか見捨てられるかもしれない(自立しなければならない)というマゾヒストの不安を拭い、
愛として錯覚させ、倒錯した性癖を植え付けるのに十分なのではないでしょうか。


57 :咀嚼途上者:2007/09/16(日) 23:00:10
この305氏自身がマゾヒストなのかどうかは知らないが
こういった過程でマゾヒズムという性嗜好を得た者には
サディストはできないだろうと予測される。個を奪われているのだから。  
(サド・マゾ裏表一体論に対する疑問として)

58 :咀嚼途上者:2007/09/16(日) 23:28:54
サディズムからマゾヒズムへの一時的な転化は
比較的容易に起き得るかもしれない。
攻撃対象が不在になった時、攻撃衝動が自分に向けられる。
対象が現れれば再び、攻撃は対象に向かう。
対象への攻撃意欲が薄れた時にはまた一時的に自己への懲罰で衝動を埋め合わせる。
(あるいは間に合わせるw)

だが、元々、305氏が書いたようなプロセスでマゾヒズムを得たものは
かんたんに転化するには「間に合わせ」ではすまない契機が必要に思える。
このあたりをもうちょっときちんと詳細に考察できないと
サドとマゾは裏表などといわれても納得できないのだ。

サド→マゾへの転化は比較的簡単にありうるが
その逆は簡単にはあり得ない。 
(自分がしてほしいことをする、というS行為は単に偽装されたマゾヒズムに過ぎない)

59 : ◆INDIA.gtog :2007/09/17(月) 02:02:31
>サド→マゾへの転化は比較的簡単にありうるが
>その逆は簡単にはあり得ない。

ありえる
大抵の人は両面持ってるってことを忘れてはならない

60 :咀嚼途上者:2007/09/17(月) 10:40:40
>59
どのような過程で両面を得るのかを
きちんと説明したまえ

61 ::2007/09/19(水) 02:50:59
>>50
共同体で生きているかぎり、協力して生きる事が大事だとゆう事。
人と人は支えあって、協力、助け合わなければ生きていけないわけ
だから、それには、他者への関心、友愛、協力を学ばずして、人は
生きていけないとゆう事を伝えたかっただけで、義務的な課題として
伝えているわけではないです。もちろん、すべての人生の価値は等価だと
思うし、平等だと思うよ。





62 :咀嚼途上者:2007/09/19(水) 11:55:11
>>61
すべての人生の価値は等価だ というのは
「もちろん」などとかんたんにいえるような生やさしい倫理ではない。

ほんとうは恐ろしい思想なのだ。
女子高生コンクリート殺人の加害者と被害者の人生の価値を等価とみなす
ほんとうに心底そう思えるか?
宅間と彼に刺し殺された子供達の人生は等価で平等か?
これらの問いに「もちろん」などと簡単に答えられるのか?
胸を張って声高にいえるのか?

俺はこの恐ろしさを十分判ってるがゆえに、
簡単にこの考えを「積極的」に主張する気にならず、
消極的な場面で(防衛的な意味で)しか今まで使った事がない臆病者だ。

>協力し合って…助け合わなければ生きていけない

すこしアレンジするだけで「滅私奉公」になる。
「孤立」してでも主張するものは生きていけない。
共同体はいつも暖かいわけではない。
公私の区別が理念的にはっきりさせられていない風土で
そのような倫理は、かんたんに滅私思想と結びつく。

63 :えす:2007/09/19(水) 14:30:12
共同体の中で個が失われるのが怖いから、ねじれた形で主張の叫びが出る。
その一つがSMなんだろうな。自分一人で個は発見出来ないって事はほとんどの人が感覚的にわかっているから。
深刻なサディストにだってマゾヒストにだって、愛も夢も希望も常識も理性もある人は多い。
個を求めるのは人なら当たり前だ。
誰かを救う事で自分も気持ちよくなれる。ちょっとボランティアにハマる人に似てるかもしれない。
ねじれているけど。

64 :没個性化されたレス↓:2007/09/19(水) 17:39:34
S=あまり考えず、感情とその場の空気のみで行動 >>リア充に多い
M=考えて行動、相手に気を使う行動 >>弧系に多い


リアが弧に陥るケースも多々見られる。

65 :咀嚼途上者:2007/09/19(水) 18:46:38
>>63 
共同体の中に埋没している自分が、
主人公(Sは支配者として、Mは徹底的に「見られる」ものとして)になる場として
SMがある、ってことかな?
(ま、俺のこの解釈だと、 恋愛だってそうだ、 
 ってことになってしまうのからすこし違うのかもしれんが・・)
実践SMとは別に、性的ファンタジーとしてのSM(小説・映画など)には
共同体の抑圧(通俗倫理や権力)を具現するMがお仕置きの対象となって
一時的に小さな解放感を得る、というパターンも多いね。

「個」に対する感覚は欧米とアジアではどうも違う気がしてしかたがない。
明治になって漱石はまさに日本に「個」はいかに成立するか、ということで悩みまくり、
昭和の前半には再び、公が個を徹底的に抑圧してアジア型全体主義に舞い戻った。
これは、公のさらに上に人格神がいて、神と個々人が直接契約をするキリスト教と
カーストを認める仏教との違いに起因する気がする。

これは、よた話だが、
アメリカのBDビデオのパターンのひとつで
機械でにディルドウを取り付けて挿入したまま放置するのがある。
この時、画面からSはいなくなりMだけが、機械に責められ(?)ている。
まさしく、個として、Mは自足してしまう。
人間に責められるのではなく、機械に陵辱されているというところに
性的ファンタジーが発動するのだろうが、日本のビデオでは、あまり見かけたことがない。
(志摩紫光で類似のは見たことあるが、パターンとして普及する、とまではいかなかった)
些細な話だが、ここでも、個を重視する欧米と関係重視のアジアとの差な気がしないでもない。

ボランティアにはまるのはMだ。と心理学のプロ氏が書いていたね。
ネット知り合いのボランティア関連の女性に、
マゾとボランティアとの共通ワードは奉仕、と書いたら妙に感心されたことがあるw

66 ::2007/09/19(水) 18:58:59
問題に対して、解決策を考えるほか建設的な状況はないと思う。
人生に対して責任感をもって生きる事が大切だと思いました。

67 :咀嚼途上者:2007/09/19(水) 19:05:12
えす氏はSMに話を戻そうと思ってカキコしてくれたのかもしれんが、
俺は共同体とSMの関係として
ゴーリアンのURLを引いて方向をもどそうと思ってたw

いまのところ詳しい日本語サイトを見たことがないので(ブログではあるが)
英語にヤフー翻訳を当てたURLを。(グーグルより翻訳は多少ましなのでw)
http://honyaku.yahoofs.jp/url_result?ctw_=sT,eCR-EJ,bT,hT,uaHR0cDovL2VuLndpa2lwZWRpYS5vcmcvd2lraS9Hb3JlYW4=,qlang=ja|for=0|sp=-5|fs=100%|fb=0|fi=0|fc=FF0000|db=T|eid=CR-EJ,

他のサイトとかを粗末な翻訳パッチで読んだ範囲では
男Sと女Mによる私的奴隷制度を認めろ、ということらしい。
基本は男尊女卑のようなので女Sと男Mとの関係はどうなるのか、と思うがw
前スレで紹介したfinさんのブログの「妄想」の方が制度構想としてはコンパクト(完備)だったが
ゴーリアンは、実践的な哲学(?)のようなので、
そこのところの実践が実際にどうなっているのか興味がある。

誰か知っていたら教えて欲しい。

>64
「リア充」「弧系」というのは何だい?

68 :咀嚼途上者:2007/09/19(水) 19:23:39
>>66
問題に対して、解決策を得ようとするなら
問題を正確に理解するようクール(ニュートラル)に分析する努力が欠かせない、と思う。
努力をしたから正しい解決策が得られるかどうかはわからないがね。

なにを人生において大事と思うかは個人の自由だし、
個人の人生哲学としてアドラー的なものは有効なのだろう。

>異性の力を過剰に評価して、劣等感をもっている
こういった分析・洞察こそが、次の解決を生むのだと思う。

69 :sage:2007/09/20(木) 09:34:37
遺伝は?

70 :咀嚼途上者:2007/09/20(木) 13:24:58
性格の基本は
胎内期から3才ごろまでの間の生育歴で骨格ができる、
と今のところ「俺は」考えてるがね。
倒錯者の子供は倒錯者というような
遺伝子決定論は、犯罪者の子供は犯罪者の素質があるというような
表面的で単純で根拠のない主張を生みやすい。
この手の遺伝子決定論的な考えは、家系・血筋などという
少し考えればまったくばかばかしい優越・劣等の差別化を支持するだろう。
これは体制護持の利益(既得益)が絡んでいるので、共同体内部では根深い。

狼や豚に育てられた子供達の記録を読んでも、
生育歴・環境(特に、親、あるいは親代理との関係)が決定的な要素だ、
と俺は思っている。

前スレでは「心理学初心者」氏が、
記憶遺伝子というようなことを言っていた。
その後、展開はなされなかったけれど、彼は違う考えを持っているかもしれない。

71 :咀嚼途上者:2007/09/20(木) 13:31:40
PCでいえば
HDやメモリや処理速度といった「スペック」は遺伝するだろうが
そのHDの中に何が書き込まれたり保存されたりするか、その内容は直接的な遺伝ではない
ということだ。

72 :咀嚼途上者:2007/09/20(木) 13:41:25
政治家の子供は政治家、タレントの子供はタレント
というのは一種、階層化の問題であって
遺伝子の問題ではない。

日本で再び階層化が進んでいることから
たとえば、医者の息子が医者になれないと、他に行き場所がなくなり
強いストレスと不安から殺人を犯すことなる。
医者の息子が殺人者、というのは遺伝子の問題か?

73 :305:2007/09/20(木) 16:37:37
私のレスが引用されていたので、少しお邪魔致します。

>>57 >>58について
>サド→マゾへの転化は比較的簡単にありうるが
>その逆は簡単にはあり得ない。

私もそう思います。
SとMの構造を考えれば自然なことではないでしょうか。

先日、サディストの男性と話す機会がありました。
彼は「奴隷には言わないが自分のMの部分も自覚している」と言っていました。
サディストである彼の中にも少なからずMの部分はあるのです。
それがMと関係を結んだ後に得た共感であるのか、潜在的に所有していた感覚であるのかは解りません。
言えるのは、自身のマゾヒズムを自覚しながらも彼はサディストであるということです。

対する私はマゾヒストですが、Sの心理というものは解ってもそれに「共感」するのは難しいと感じました。
生身である人間は白黒はっきり分けられるものではないものの、
これこそが「個」を失ったマゾヒストと、サディストの決定的な違いでしょう。

74 :305:2007/09/20(木) 16:39:26
SMを行う上で奴隷へと自らの意思を通達し、
彼(或いは彼女)の機微を汲み取って操作する必要のあるSは、Mに「共感」出来なければなりません。
つまりSはMの状態を知っているのです。
中には、余りにもSM行為に集中してしまうと自分がMになったような錯覚すら覚える、という方もいます。
このように S と M の間にケーブルがあるSが何かを切欠にMに転化したとして、
不思議なことはありません。

一方、Mはどうでしょう。受動的なMは全てが自己完結することになります。
ナルシシズムに囚われた者が自己から他者へ興味を移すのは、快楽の場において、容易ではありません。
Mの視点は「己」に執着しているので、そこから動きづらいのです。
彼らが服従する主の姿(像)ですら、実際は、己の中にあるのですから。

75 :咀嚼途上者:2007/09/20(木) 23:33:04
>73-74 お久しぶり。
あいかわらず305氏のレスは明快に整理されてて読みやすいですね。
SがMを内包している、という部分は一度えす氏の感想を聞いてみたい処ですなw

既出かもしれないが、フロイトのマゾヒズム関連の論文はちくま文庫で
手にはいりやすくなってる。(フロイト全集は一冊4千円以上してたが、こちらは千円台)
S・フロイト「自我論集」 ちくま学芸文庫 1200円
 〃    「エロス論集」  〃       1300円

「自我論集」にはフロイトの重要なマゾヒズム考察論文が集められている。
「エロス論集」には男性・女性の問題、ナルシシズム関係の論文が載っている。

で、自我論集の最初に載っている論文には305氏の分析と似通った部分がある。
(いずれ、引用してみようと思っている。
 E・フロムの「引用者」氏が引用をやめたあとの部分も 
 「愛とサディズム・マゾヒズム」に関して興味深いのでいずれ)

たぶん、305氏の方が理解・整頓は早いだろう。
(我が薄ければ、その分他の言ははいりやすいし
 人の意向を察知することも慣れてるはず、という勝手な思いこみw)

76 :305:2007/09/22(土) 08:47:36
>>75
お久しぶりです。
私が意見できることはとても少ないので、
皆さんの書き込みを拝見しながら勉強させて頂いておりました。

ご紹介頂いた論文も興味深いです。
心理学を「かじっている」とすら言えない私なので、どこまで理解できるのか不安もありますが…
是非、手に取ってみたいと思います。

77 :咀嚼途上者:2007/09/23(日) 18:02:24
>305氏 まだ見ているとは思ってなかったので反応があって実は少々驚いた。
     (ほとんどの人はプロ氏がカキコしなくなった時点で離れたと推測してたのでw)

とりあえず、
「自我論」(ちくま学芸文庫)
に載ってる最初の論文「欲動とその運命」から
サディズムからマゾヒズムへの転化(逆転)のプロセスに関する部分の抜き書き。
(様式はフロム引用者さん(くん?)の方式で)

78 :フロイト「欲動とその運命」 引用:2007/09/23(日) 18:12:13

サディズムとマゾヒズムの対立では、このプロセス(方向転換)は次のように記述できる。

(a) サディズムとは、他者を対象として暴力を加え、力を行使することである。

(b) この対象が放棄され、主体自身に置き換えられる。
  方向が自己に転換されるとともに、能動的な欲動目標が受動的な欲動目標に転換される。

(C) 新たな他者が対象として求められる。
  目標が転換されたため、この他者が主体としての役割を果たさなければならない。


この(C)の段階がいわゆるマゾヒズムである。
マゾヒズムにおいても、本来のサディズムの道を通じて満足が得られる。
しかしそのために、受動的な自我は空想によって
[主体によって暴力をくわえられていた]最初の対象の位置に置き換えられ、
最初の主体の位置は他の対象が占めるようになることが必要である。

79 :フロイト「欲動とその運命」 引用:2007/09/23(日) 18:26:37
段階(b)の想定が無用なものでないことは、
強迫神経症におけるサディズム的な欲動のふるまいから明らかになろう。
ここでは、新たな他者に対する受動的な態度は発生せず、
自己の主体に対して転換が行われている。
この転換は段階(b)で終わるのである。

加虐欲から、マゾヒズムではなく、自虐と自己処罰が生まれる。
能動相の動詞が受動相に転換することなく、再帰的な中動相*に転換するのである。

*(訳注)
ギリシア語では、
能動相と受動相の他に中動相という動詞の態があり…
中動相の重要な機能は…動作の対象が自己に戻る態を示す。
たとえば洗うという動詞では、子供の顔を洗う場合は能動相
自分の顔を洗う場合は再帰態の中動相を使用し、
他者に自分の顔を洗われる場合には、再帰態の中動相と同じ語形の受動相を使う。
語形が同じであるから、中動相であるか受動相であるかを判断するのは読者である。




80 :咀嚼途上者:2007/09/23(日) 18:38:50
前スレで参照していたサーシャ・ナクトと
本家フロイトの大きな違いは、
サディズム→マゾヒズムへの間に「自虐」という段階を認識していることだ。
これは、かなり重要だ。
自虐とマゾヒズムを直接的にイコールとしないというフロイトの明察から
より、深いサディズムとマゾヒズムの関係に関する認識が得られる。

自己が自己を責める部分に「鬱」を当てはめていたナクトは
この、自虐から性的な快感部分を抜いて解釈していたことになる。
(この論文でのフロイトの原則は、快・不快原則だ。
 フロイトがなぜこれほど真剣にマゾヒズムを追求したのは
 マゾヒズムが快・不快原則に反しているように見えるためで
 心理学でもっとも深くまじめにマゾヒズムの問題を考えたのはフロイトだ。
 以後の心理学は、フロイトの「性」を嫌い、SM問題をを一種の「応用問題」に縮小させている)

81 :咀嚼途上者:2007/09/23(日) 19:00:47
ところで、この攻撃性から始まるマゾヒズムの場合、
最初の攻撃部分はどこにあるのか。

たとえば、M男性の場合は、
普通に男性の性行動として自然に「能動相」として行われる性交が
その代理を果たしている場合があると思う。
俺がネット上でなかよくさせてもらってるあるM男性の場合、
中年を過ぎてMになり、Mが進むにつれて「性交」欲がおおはばに減退したそうだ。

ではM女性の場合は、どうなるのだろうか。
305氏のような場合、攻撃性はどこにある(あった)のだろうか。
すくなくとも、前スレから引用したレスを読む範囲では、
他者への攻撃性は表にはあらわれることを抑圧されていたようだ。
とするとそれは、たとえば成績の上昇とか、
学級委員的な立場だとかそういうものに転化されていたのかもしれない。
または、親からの無形・有形の圧力が、
そのまま超自我として自分を責める自虐段階から、
その責める役割を他者に代行させることで、鬱の構造を転化させるマゾヒズムへ
急速に固定化されたのか。

ここに、という、60年代にフェミニズム系精神科医たちが
政治的に抑圧した(「マゾヒズムの発明」の説明による)「女性マゾヒズム」の問題
は以前として残っている。

82 :咀嚼途上者:2007/09/23(日) 19:02:41
下から3行目 「という」 は消し忘れ。脳内削除を宜しく。

83 :咀嚼途上者:2007/09/23(日) 19:31:02
さらに、フロイトの 中動相としての自虐という考えを
305氏>73-74のS男性に当てはめると、
内包されているのはマゾヒズムではなく自虐だ、となる。

自虐から、他者による自我へ責めを受け入れるかどうかは
「個」を譲るか譲らないかという問題になるのではないか。
したがって、自虐まで空想が進んだとしても、=マゾヒストとはならない。
あくまで、他者による責めの受動=快感という構造がなければ
マゾヒズムとはいえないことになる。

補足すると、引用部分はきちんと読めば、
サディズムの心理はまったく掘り下げられていない。
引用された部分は、あくまでマゾヒズムの構造だ。

このあとの部分でフロイトは、
(C)段階まですすんだからといって(a)(b)が消滅するわけではない、と述べている。
つまり、SとMが同在するというのは、マゾヒズムの構造の中にあるのであって
サディズムの中にあるのではない。

これは、自殺願望が転化して殺人を犯す者がいるからといって
すべての殺人者に自殺願望がある、という事を意味しないのと同じだ。
時効が成立して、死刑にならないとはっきりした時点で告白する殺人者もいる。
(すべての自殺者の中に殺人願望が「必ず」潜んでいるかどうかは、
このスレでは考察しきれない)

84 :咀嚼途上者:2007/09/25(火) 19:41:14
>74レスの
「余りにもSM行為に集中してしまうと自分がMになったような錯覚すら覚える」
というのは、フロイトの(b)段階=自虐段階 を考えるとわかりやすくなる。

その場合、責め手が「自分」であることが重要で
その場合にのみ、自分に責められているMと自分がシンクロする。

他人に責められているMを見ていても自分とそのMがシンクロするならば
もうマゾヒズム段階、ということになるだろう。
(この場合でも、責めているSと自分が同一化された上で
 Mにシンクロするなら、まだ自虐段階だ)





85 :咀嚼途上者:2007/09/25(火) 19:47:35
以前えす氏が言っていた「おらおら暴君型」は  (a)段階のみのS
                「似非牧師型」は    (a)段階に(b)が加わったS 

                                   という解釈も可能かもしれない。 

86 :咀嚼途上者:2007/09/25(火) 19:57:42
したがって
「SもMも持っている」 というのは
実は「マゾヒズム」の構造であって
(純)サディズムについてはあてはまらないことになる。

問題はナルシシズムと関係する(b)自虐に関して
SもMも共通することがある、ということだ。

ここに裏表一体論という誤解が生まれる。
それは結局「マゾヒズムの側」から言われているのであって
だからこの論を唱える者は(純)サディズムを等閑視している場合が多い。

87 :咀嚼途上者:2007/09/26(水) 21:07:59
自虐において、フロイトは
「受動相」と同時制をもつという「中動相」 としたが
よく考えてみると、ここには責める自分と責められる自分という
能動と受動が混在・同在している。

ここにおいてSは心理的労働を解除される。
なぜなら責められているのも自分であるので観察や推測の必要がなくなるから。

自虐においては主体は 
責める自己と責められる自己、能動と受動を往復することになる。
その時、自虐の幻想ははたしてどちらに偏るのだろうか。

案外、Sの方が責められる自己に力点を置くのかもしれない。
相手が自分であるから、Sは相手の自我に対する陵辱を行うための種々の
心理労働を解除されすることがなくなってしまうからだ。
逆にMは、能動相を他者にゆだねることができなくなり、能動相に偏るのかもしれない。

あるいは、それぞれの空白を他者との同一化させることで、
自分を演らせ的に他者の幻想に置き換えるのかもしれない。
その場合、能動性を他者に同一化させるのか、受動性を他者に同一化させるのか?

自虐の場合、外的刺激を受けるのは、受動性としての自分であるから
受動する自分を他者と同一化させるというのは考えにくいが。

88 :咀嚼途上者:2007/09/26(水) 21:17:29
こうしてみると「自虐」領域はかなり興味深い領域だ。
(疑問)
自虐と自傷との差異

そしてナルシズムと自虐の関係。
自虐はナルシズムを亢進するのか、
ナルシズムを減退させる儀式としての自罰なのか
あるいは、疲れやストレスによって自我が重く感じられる時
それは性的快感に転化させる儀式なのか。

89 :えす:2007/09/27(木) 11:43:36
自虐は自分の心の中だけで行われる。
自傷はなんだかんだで、見て気づいてくれる相手を必要としてる。
実は自傷の方がSM的だね。
相手不在のSM的ゲームなんだけど、気づいてくれる人が現れたら無理矢理自分の世界に引き込みたいって願望を潜ませてる。
片や自虐の方は、簡単に言ってしまえば過剰な反省。
だから、外に何かをあまり求めてはいない。
こんな感じかな。いろんな人を見てきて、自分はそう感じてる。

90 :えす:2007/09/27(木) 12:03:58
あと、SがMを内包してるって話。
もちろんSは、Mの気持ちを考える場合「もある」。特に似非牧師型の場合はね。
でもMによっては、自分の事なんか全く考えないで自分勝手にメチャメチャにされたい、
自分の人間性を完全に無視されたいってタイプもいる。理解出来なくても、いる。
そんなMにぴったりのパートナーはどんなSだと思う?
そんなSには(かなりの暴君型)、Mを内包していたらなれないんじゃないかと思う。
個人的にはそっち方面は好きじゃないけど。
その日の気分なんかでSとMの役割を変えられるのは、
ただのプレイとしてのSMなんじゃないかな。
以前言った、笑いながらのSMが。
俺が思うSMの怖さと快楽性の根源には、『もう帰れない感』が重要な要素で。
だから基本、例えMの気持ちがわかっているSでも、Mになる事は出来ない。
もしなったとしたら、もう帰れないんじゃないかな。

91 :咀嚼途上者:2007/09/28(金) 07:15:45
えす氏>>89
おもしろい。
自傷というのは他者へ向けての「表現」なわけだ。
かたや 自虐は、自己完結的(当たり前といえば当たり前だがw)な単なる「行為」。

過剰な反省 という観点もおもしろい。
しかもこの場合性的な行為(儀式?)であるから
自罰とみせかけた快感行為への転化で
短時間で反省を放散(あらゆる性行為がそうであるように一回一回の仮完結だが)できる。

自虐と自傷の差異をそういう形で弁別するなら、
Sと暴力の差異もある程度の弁別が可能になる気がする。

S行為は相手を必要とする「表現」なのであって、
自己満足的な暴力ではない、という風に。

(時間の都合で、90はまた改めて、刺激された部分をかきたい)

92 :咀嚼途上者:2007/09/29(土) 05:25:47
>90 は4つの問題が骨太に整理されてるのでいっぺんに全部反応はしきれない。

SがMを内包してる、と305氏に話したS男性のケース。
これは、フロイトの3段階説を受け入れると、
実際にはMを内包しているというより、自虐段階を内包している、ということになる。

コレは依然としてサディズムの段階の内にある、とフロイトは見なしている。
>79 「加虐欲から、マゾヒズムではなく、自虐と自己処罰が生まれる。」

そして、M段階(フロイトで言うと>78(C)=「自己の主体に対する転換」)に進んだ場合、
フロイトは「総量」という考えを出している。

93 :フロイト「欲動とその運命」 ちくま文庫「自我論」p32:2007/09/29(土) 05:35:27

能動性から受動性への転換による欲動の変換と、
自己自身への欲動の方向転換は、欲動の動きの「総量」にかかわるものではない。

こうした欲動の転換プロセスが非常に広範なものであったとしても 
(*咀嚼者 つまりかなり強いドンデンだったとしてもw)
新しい受動的な方向とともに、
転換される前の能動的な欲動の方向が、ある程度は共存するのである。


(覗き見→露出という)窃視欲動について確実なのは
欲動のすべての発展段階、すわなち自体愛的な前段階
(*咀嚼者 サディズムにはこうした前段階は欠けている、とフロイトは言っている)から
能動的(覗き見)および受動的(露出)な最終段階にいたるまですべての段階が
互いに共存しうるということである。

   


94 :咀嚼途上者:2007/09/29(土) 05:44:40
サディズムはMを内包しているのではなく、
自己自身へのサディズムまでは含み得る。ということだ。
そして、マゾヒズム段階(他者による嗜虐受動)にまで至れば、
量の多寡はあるにしろ、すべての要素が共存しうる。 と、フロイトは洞察している。

サドマゾヒズムというのは、結局マゾヒズムの中に含めてしまうこともできる。
サドもマゾも併せ持っているというのはマゾヒストであってサディストではない。

ここに>90の3番目の問題を絡めることができる。
>その日の気分なんかでSとMの役割を変えられるのは、
>ただのプレイとしてのSMなんじゃないかな。

最近おもしろい表現を聞いた。 「ロールプレイとしてのSM」
素直に感心した。市民主義SMと俺が何度かいっていたものと同義だが、
こちらの方が射程の角度が広い。

これに絡めて、快楽主義の延長としてのSMということがある。

95 :咀嚼途上者:2007/09/29(土) 05:55:21
ここでサディズム・マゾヒズムの話をしていて何度か、
違和感を感じたことがあるが、それは
普通の性行為に飽き、より強い刺激、快感を得るという目的でSMに触れる
というタイプが増えてきた、ということに起因していることがようやくわかってきた。
それらはまさにロールプレイとしてのSMであって、
性交の延長、バリエーションとしてのSMなのだ。

最初からSMという形で性的ファンタジーをはぐくんできたSM者と
快楽主義の延長としてのSM行為を行う者とが混在して
同列で語られているところに混乱があるのだ。
また、自分自身で勘違いしている場合も多い。

性愛の倒錯としてのサド・マゾヒズムと
性愛の発展・延長・変形・としての快楽主義的SM。

後者が笑いながらのSMだ。

心理学のプロ氏や心理学初心者が心理学として対象としていたのは前者であり
だからこそ、SM者も関心を持ったのだ。

96 :咀嚼途上者:2007/09/29(土) 06:10:16
>90 [Mによっては、自分の事なんか全く考えないで自分勝手にメチャメチャにされたい、
    自分の人間性を完全に無視されたいってタイプもいる。理解出来なくても、いる。]

これは、心理学のプロが言っていた
自己放棄、(裏返しの自己執着)といった分析だけでは理解できないのだろうか。
ま、なんにしろ、
そういう人は人生のどこかの時点で強いトラウマを得ていることは確かな気がする。
(幼い時の性的虐待、あるいはレイプ経験など)

さらに、そういうタイプは、以前言っていた外向型・内向型とは別なのだろうかね?

「もう帰れない感」ってのはなんとなくニュアンスとしては伝わるんだが、
「もう帰れない感」が基本だと、Mの気持ちがわかっているSでも、Mになる事はできない。
という部分についてもうすこし、説明してもらえないだろうか。


(ところでこのログは今57Kbで、この板の下の方を見てみると同じ50Kb台スレッドで
 9ヶ月無レスで圧縮=dat落ちしてないスレがあった。
 やはり400KB過ぎから限界の512KBまでの間が危ないようだ。
 だからといってここが同じくらい無レスでdat落ちしないという保証はないが。。
 
 つまり、返事は急がないでもけっこう、といいたい訳だがw)

97 :没個性化されたレス↓:2007/09/29(土) 06:27:49
>>96
君は女に浣腸されて脱糞した経験があるか?
ないならば一度してみな。
マゾヒズムの気持ちがわかるぞ。

98 :咀嚼途上者:2007/09/29(土) 07:46:50

1.多くのマゾヒストは即自性の殻に閉じこもる。

2..「私」を捨象した「理」をとれず代わりに「知識」や「形式主義」で代用する。

幾人かの例外を知っているが、大半はこの2つのどちらかだ。
特に 1 をさして、プロ氏は自己執着と呼んだ。



99 :咀嚼途上者:2007/09/29(土) 08:05:18

多くの女性もまたこの特徴を持っている。
あの、きわめて優秀な尊敬すべきシモーヌ・ヴェイユですら
最後は、イエスとの一体化を夢見る宗教性に捕らわれていった。





100 :咀嚼途上者:2007/09/29(土) 08:08:51

女性の性は、破瓜の痛みに始まり、出産の痛みで完結する。
これが、動物性としての女性の物語だ。
ここに、S・ナクトは女性マゾヒズムの問題をおいた。
これは、破瓜の痛みから快感への通路を経て、出産経過の痛みから
最終的に出産の快感を得るという古典的な図式だが
ある程度の普遍性がないともいいきれない。

女性マゾヒズム 男性マゾヒズム 女性サディズム 男性サディズム 
それぞれにそれぞれの物語がある。
これらを通底するものと、通底できない断線。

川に溺れていて川の全体を見通すことはできない。


101 :咀嚼途上者:2007/09/29(土) 08:25:07
プロ氏はまた別のところでは
自己実現としてのS ということをちらっと言った。

マズロー的に言えば、
マゾヒズムは帰属欲求や承認欲求を満たすことはできても
自己実現欲求は満たせない。
どのくらいの試練に耐えたかは、Sの承認・評価に依るのであって
創造的な自己実現とはいえない。
(成長動機はある適度満たされるかもしれないが)

ではなぜ、Sに自己実現的な要素が成り立つかと言えば
そこに「個」があるからだ。
自己実現は、他者の評価を求めない自立的な欲求だ。
帰属意識や自尊欲求だけでは、満足は得られない。
それをサディズムを結びつけた時、
プロ氏はSには個があることを認めたことになる。

別に、だからSがエライといってるわけでも何でもない。
そこには断線があるということだ。

102 :咀嚼途上者:2007/09/29(土) 09:02:26
普通の意味できちんと個を持った男性マゾヒストも知っている。

彼は女王から「あんたはサディストだ」と言われたこともあるそうだ。
しかし、やはり彼はマゾヒストだ。
これは、フロイトの総量の説明でようやくはっきりした。

>78(C)段階まで発展してしまった者は、Sや自虐を内包しつつも
まさに「もう帰れない」のかもしれない。


103 :咀嚼途上者:2007/09/29(土) 10:14:42

SはSの部分で孤独だ。

MはMの部分で弱く依存的で不安定だ。

これは、生育歴と関係している。
この関係づけを発見し最初に整理したのもフロイトだ。
マゾヒズムに関し多くの心理学者・精神分析家のなかで
フロイトがもっとも真剣に対峙し考え抜いたと俺には思える。



104 :咀嚼途上者:2007/09/29(土) 23:36:29
ラカンがマルキ・ド・サドに関する論考を書いているとどこかで読んだが、
翻訳はでてるのだろうか?

105 :没個性化されたレス↓:2007/09/29(土) 23:39:24
どこかにでてるよ

106 :没個性化されたレス↓:2007/09/30(日) 00:11:32
>105 kwsk

107 :咀嚼途上者:2007/09/30(日) 09:06:37
>106 これのようだ。
http://www32.atwiki.jp/lacan/pages/12.html
マルキ・ド・サドの自由と道徳の矛盾に関してカントの道徳論を絡めた論考がされてる。
3−4は特に面白いが、残念ながら5−7はまだ作成中で8−11が先に試訳されている。
しかしここで語られている道徳とサディズム(というかマルキ・ト・サド)の問題は
非キリスト教の日本に済む我々にとって必須で切実な文脈とは感じられないが、
とはいえ、大変面白い部分が所々ある。
このスレッドで道徳(格率)とサディズムの問題にまで話が及ぶかどうかはわからないが。 



108 : ◆lyQX4Xta0M :2007/10/02(火) 04:54:32
test

109 :咀嚼途上者:2007/10/07(日) 09:18:25
SMは鬱を未然に転化して、防御・予防している。という側面がある。
しかし性欲を減退させたロールプレイやただのファッション的SMで予防効果は期待できない。



110 :ゆう:2007/10/08(月) 04:20:38
流れを無下にしてしまいそうだが
失礼を承知で意見を仰ぎたい。

過去のいじめや虐待経験なんかから
その経験を反芻(もしくは克服)したいという前提からの被虐欲求はマソヒズムと言えるのだろうか。

また オスカーワイルドなどの退廃主義者に見られる破滅希求(自分を破滅させる者だからこそを愛してしまう傾向)はマソヒズムと捕えていいものだろうか。

どちらも、蹴り落とされた経験もしくは状態からの自己の尊厳回復という自己目的の意味合いのものかと思うのだが
ただそれと片付けていいものか迷いがある。
よければ意見をお聞きしたい。


111 :咀嚼途上者:2007/10/09(火) 22:12:51
>>110  
マゾヒスト女性に、レイプ経験者や父親からの性的虐待経験者がいるのはたしかだが、
その逆(そのような経験者が必ずマゾヒズムを得るかどうか)はわからない。

いま読んでる最中のフロイト「マゾヒズムの経済論的問題」に次のような一説がある。

『マゾヒズム的な拷問は、空想されたものにせよ、実行されたものにせよ、
サディズムの残虐な拷問のような陰惨な印象を残すものではない。
マゾヒズム的な空想の顕示的な内容においては、罪責感が表現されることがあるが、
この場合に暗黙に想定されているのは、
空想の主体はなんらかの罪を犯しているのであり(罪の性格は不確定なままである)、
さまざまな苦痛と拷問の手続きによって、それを贖(あがな)わなければならないことである』

論文ではこのあと『幼児期の自慰との関係が潜んでいる』とされているが
いじめ、虐待経験から、それをむしろ自分のせいだと思いこんだ場合も
意識的には無意識的にか、内向した罪責感が生じることはおおいにあると想像できる。

そこから、マゾヒズムに至る道筋にはいくつかの仮説が考えられる。
(1)「言い間違いをしたものがおなじ言い間違いをわざと重ねる、という説をどこかのサイトで読んだ。
 (なんという機制なのか思い出せないが)
 これに似たような、不作為になされた自己体験を、こんどは作為的に行うことで
 主体的な行為にすり替えて、傷をごまかす、というような機制。

(2)あるいは、フロイトが書いているように、体験を自分の過ちとして罪責感を持っている場合、
それを責められ、苦痛を与えられ、その儀式を通して罪を贖い浄化を得ようとする衝動。

(3)苦痛な体験を快感に転化することで、過去の傷を変質させようとする衝動。

など。(これらのうちのどれが正解か、あるいは別の正解があるのか、今の俺にまだ判断する力量はない)

112 :咀嚼途上者:2007/10/09(火) 22:22:08
ワイルドについてはよく知らない。
ググって見るかぎりあまりマゾヒズムとの関係はないようにみえる。
ただ、同性愛者のネコであればそこにマゾヒズム的要素は見いだせる可能性はある。

破滅希求というのは、どういうものを指すのかもいまいちわからないが、
たとえば、戦後の自己破滅型と言われた作家達(太宰や安吾や田中英光や)に関しては
時代の世相というものとの関係が大きい気がする。
破滅型というのは、実際には通俗的な道徳や世相に対する抵抗・抗議的な衝動ではないのだろうか。
ワイルドという作家がそれとおなじかどうかは、読んでないのでわからない。
(基本的に、どうもジッドにしろジュネにしろ同性愛系作家はあまり性に合わない。美学に傾きすぎているような印象)

以上、俺の現時点での考え。 
(フロイトの「マゾヒズムの経済論的問題」には道徳的マゾヒズムという概念が登場してるが
 まだ、読んでる最中なので)


113 :咀嚼途上者:2007/10/09(火) 22:27:56
>110の質問に関して他の意見や考えが出てくるかもしれないから一度ageておく

114 :没個性化されたレス↓:2007/10/12(金) 18:42:00
>>咀嚼途上者さん

レスが遅くなってしまってすみません。
ご紹介頂いた論文、是非手に入れたいと思い本屋へ赴いたのですが
マイナー(?)すぎたのか置いてありませんでした…。残念です。
通販の方が良さそうですね。


サディストの中にあるのは自虐。
SM表裏一体論に違和感を感じていたので、なるほど、と納得しました。
これで矛盾が解決しました。

115 :305:2007/10/12(金) 18:58:35
名前を忘れました。305です。

根拠も何もない意見ですが…
レイプ経験を経てMになる、というのは、単に
自らのM性を抑制していた・無自覚であった女性が、レイプによって引き金を引かれMになった
ということではないでしょうか。
種がなければ花は開かないように思えるのですが…。

116 :咀嚼途上者:2007/10/13(土) 00:40:33
>>114 そういえば、俺も3軒目のかなり大きな本屋でやっと見つけたんだった。
(ちくま学芸文庫のコーナーで見つけられず店員に訊いたらそこにちゃんと並んでたw)
通販なら http://www.7andy.jp/books/detail?accd=19769860
http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E6%88%91%E8%AB%96%E9%9B%86-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%88-%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88/dp/4480082492  
あたり。(どちらも下の方に「エロス論集」も載っていて、それをクリックすると「エロス論集」紹介ページにもいける)

サディズムとマゾヒズムは行為面において「対称的」ではあるが「裏表」で片づけるべきではない。
裏表論者は、だいたいにおいてマゾヒズム(フロイトが「道徳的マゾヒズム」となづけた部分)に集中していて
サディズムは「裏表」で簡単に済ませたいだけじゃはないのか、と密かに疑っている。
(とはいえ、羊氏の>42は、>37よりはるかに面白い捉え方だと思っているが)
アドラー自身はきちんと「権力への意志」という事でサディズムに関しても言っていたはずだ。
(それにしても、西欧の心理学にニーチェの与えた影響の大きさ。 
 フロイトの「エス」も元をたどればニーチェだと「自我論」の注釈にあった)

自虐はナルシズムと関係する。だからといって、マゾもサドもナルシズムをはさんだ裏表、と片づけては
それぞれの構造差がまったく見えてこないし、フロイトはもちろんそんな単純な片づけかたをしなかった。
(ナルシズムの問題は『エロス論集』−「ナルシシズム入門」まで まだたどり着いてないので保留)


117 :咀嚼途上者:2007/10/13(土) 00:58:05
>>115 
レイプ経験者がみなMになるわけではないから、そういう気もする。

他者の欲望の「部分(対象)」になる。というのがレイプとMの共通点といえば共通点だが。
マゾヒズムの場合は、先に自分自身のマゾ的ファンタジーが先行しているのが大きな違い。
もうひとつ、明示的であれ暗黙的であれ、同意の有無は大きい。
(ファンタジーの中では「無理矢理」もあるだろうがもちろん実際のそういう経験とはまったく違うだろう。
ファンタジーの「無理矢理」は羞恥の乗り越えを相手にゆだねるに過ぎない)

ただ、そうでない場合(予めM種をもたない女子が、その経験を引き金にMになった場合)があると仮定すると
>111に加えて
(4)疑似レイプ的な行為の回数を増やすことで、
  最初の、悲劇的な体験を「 何十分の一(ワン・オブ・ゼム)に減らし、
  薄めようとする「経済論的」衝動が働く。

という仮説も追加しておきたい。


118 :咀嚼途上者:2007/10/13(土) 01:10:08
ファンタジーとしての被レイプ願望は、引っ込み思案と性欲の合体ではないだろうか。

119 :咀嚼途上者:2007/10/13(土) 01:19:19
もういちど>115
Mの種を持っている女性の場合、
無自覚に(あるいは、人によっては意識的に)
そういう状況に自分の身を置きやすくする、ということがあるかもしれない。
(これは、被レイプ経験者全体のことを言っているのではない)

120 :咀嚼途上者:2007/10/13(土) 18:08:43
羊氏の>42に関連して。

そういえばえす氏が前スレで面白いことを書いていた。
----------------------------------------------------
<前スレ621 投稿者 えす氏>            

『S女もM女も、結局は『自分(女性)より強い男性(父性)に〜』って前提があって成り立つのかな?
単に主従的関係と言っても、行為中は一時的なシュミレーションな訳で、
その場合『下克上』の快感もありうると。』
-----------------------------------------------------

自分(女性)より強い男性(父性)という劣等感コンプレックスがS・M女の前提にある、
というのは>42に通じるところがある。(えす氏の言い方の方が倫理的抑圧を含まずクールだが)
>42をふまえれば、
男性S/Mにも女性(母性)は崇高(崇高であるだろう)という前提があって成り立つのかもしれない。

男Sの場合は、そこを崩す快感、または、崇高ではないという怒り(失望)
(どちらにしてもその無様さを確認して安心したいという願望)
男Mの場合は、崇高さへの帰属、あるいは失望からの回復としてのS女崇拝 
(まぁMの場合は男であれ女であれ最終的には自己完結的なのだが)
                                                       

121 :咀嚼途上者:2007/10/19(金) 07:58:11
>111(1)は 『自我論』(ちくま学芸文庫)「快感原則の彼岸」でフロイトは

「反復強迫」と呼んでいる。

「快感原則の彼岸」でフロイトは外傷神経症を分析している。
PTSDなどというと比較的新しい概念に思いがちだが
戦争で負け知らずというイメージだったアメリカ社会が
ベトナムで初めて心的外傷を真剣に取り上げはじめたというに過ぎないのであって
ヨーロッパではとっくの昔に心的外傷(トラウマ)神経症、戦争神経症・災害神経症として
研究されていたという事だ。

俺はどうもアメリカ心理学が信用できない。薄っぺらい。

122 :咀嚼途上者:2007/10/19(金) 08:17:29
アメリカ心理学は、中身より
個人の心の傷に対する手当てをきちんと行おうとうする社会的雰囲気に分厚さを感じる。

123 :没個性化されたレス↓:2007/10/27(土) 00:44:35
日本の有名な緊縛師

ttp://ranbu.32ch.com/cgi/gallery/view37.cgi
ttp://ranbu.32ch.com/cgi/gallery/movie.html

(下のほう)
ttp://ura.tanteifile.com/otona/2005/12/13_01/index.html

124 :没個性化されたレス↓:2007/10/27(土) 12:59:27
こういう自分の倒錯欲求を職業にしてるのは昇華というの?

125 :咀嚼:2007/12/19(水) 02:49:16
[昇華](wiki)
「社会的に実現不可能な目標・葛藤や満たす事が出来ない欲求から、
別のより高度で社会に認められる目標に目を向け、その実現によって自己実現を図ろうとすること。
例えば、満たされない性的欲求や攻撃欲求を芸術という形で表現することは、昇華と言える。」
 ↑で重要なのは「満たされない欲求」という部分だろう。

マルキ・ド・サドが刑務所送りになったのは街で拾った乞食女性を鞭で打った、という程度で
彼が自分の小説で描いたような事をもし実際に行えば、単なる刑務所送りではすまなかっただろう。
彼の小説は「満たされない願望」が昇華された結果といえる。

縄師は何か満たされていないだろうか。職業化する、プロになるというのは
昇華の概念にとって一次的な問題ではないように思う。
(需要と供給があれば風俗関連の技術も職業になる。ソープ嬢のローションテクニックのように)。

昇華では「欲求の抑圧」の方が重要なポイントだと思われる。
wikiでは「劣等感コンプレックス」などを念頭において非性的な表現をしているが
フロイトははっきり「性的欲動」の抑圧が無意識に潜り込んで、
脱性化された形で再び表層に顕れることを昇華と呼んでいる。
もちろん「抑圧」のあるなしが大きなポイントになっている。

>124 そういったことを参考に自分で答えを出してくれ。


126 :咀嚼:2007/12/19(水) 02:50:04
ところで、縛りとはなんだろうか。
 
しめ縄にたとえた者もいる。日本の縄の面白いところは外国風の手錠や鎖と違って
あの複雑な縛りは、被縛者の協力(無抵抗)がなければ成立できないことだろう。
被縛者は、肉体を縛られることによって、外界のなにから結界を張られるのか。
自ら縛りに協力する(身を任す)ことによって、世間的な常識や正常さからの切断を望むのではないか。
しめ縄というアナロジーを使えば、それは超自我への結界を張る(張られる)ということかもしれない。


127 :咀嚼:2007/12/19(水) 03:46:15
>125 訂正する。 
フロイトにもういちど当たったところ「抑圧」は自我理想によるものであり、
昇華は、性的欲動が非性的な目標へ「逸脱」すること、となっている。

後日あらためて、原文を引いてきちんと訂正させてもらう。┏○

128 :没個性化されたレス↓:2007/12/19(水) 22:01:28
リストカッターがリストカットするのと一緒だろ

129 :咀嚼:2008/01/03(木) 18:41:08
明けましておめでとう  (とこんなスレで言ってみるテスト)

以下『昇華』についてのフロイト原文引用(『エロス論』ちくま文庫中山元 編・訳)

「潜在期においても小児の性的な興奮は存在しているが、
エネルギーの全部あるいは大部分が性的な用途から逸らされ、他の目的に向けられる。
性的な衝迫力を性的な目標から逸らし、それを別の目的に向けるプロセスは昇華と呼ぶに値する。
この昇華によってすべての文化的な営みのための大きな力が確保されるというのは、
文化史家の一致したした意見である。
われわれはさらに、個人の成長においても同じプロセスが作動していることを付け加えたい。
このプロセスが始まるのは、幼児期の性の潜在期であると考えられる。」
(性理論三編 より)

ところで、このあと翻訳者は、誤解を招くような註をつけており、俺もそれに惑わされた。

『*昇華とは、性欲動の倒錯的な要素が禁圧され、それが性と関わりのない分野、
特に文化的なものの想像に利用されることである。フロイトの文化理論では、
文化的なものを想像するためのエネルギーは性的な欲望を抑圧することによって生まれることになる。」
                  ↑
       これは後のフロイトの文をも参照すると正確な註とはいいきれないように思える。

130 :咀嚼:2008/01/03(木) 18:41:50
フロイトは同論文の後半でもういちど昇華について述べている。

「“昇華”というプロセスによって、素質が異常であった場合の第3の(*1.性的目標倒錯 2.抑圧)帰結…
複数の性の源泉から生じた過剰な興奮が、
他の領域に『流れ出したり』(括弧は引用者)『利用される』ことがあり、
それ自体は危険な素質であるにもかかわらず、心的な能力が著しく向上するばあいがある。
芸術活動の源泉の一つはここにある。」

たとえば、ミケランジェロが女性の裸身を描くのにも、男性の裸体を参照したこと
あるいは、サドの小説など、
必ずしも、性的欲望を無意識領域へ潜り込ませて『症状』を引き起こす『抑圧』というより
性欲の他領域への『流れ込み』『利用』を昇華としているフロイトの概念は
転化という言い方をしてもいい捉え方で、必ずしも抑圧によるものとは考えていないように思える。

まぁ、このスレを訪れる人間にはあまり興味がわかない部分かもしれないが、
たとえば、実行することで犯罪となるようなS行為などを、映画や絵や小説に
転化して昇華することもアリだという話。

131 :咀嚼:2008/01/03(木) 21:04:02
今年は 
1. 愛とサディズム・マゾヒズム  2 .性の対立
二つの観点から見直してみたい。
(もちろんドン亀ペースで)

前スレを自力コピペで(サルベージの仕方をしらないので)
とりあえず●なしでも読めるようにしてみた。
(不要と判断したレスは独断で削除)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8840/1190846605/l50
やり直せば、もうちょっと見やすくできるだろうが、根気が尽きた…w
(datのサルベージ法について知識のある人がいればご教示を求む。
 今までこの板で頼み事をして返ってきたことは一度もないので期待はしてないがww)

132 :咀嚼 【性の対立】【女性】:2008/01/13(日) 10:13:01
思春期の少女が不良に惹かれる というパターンは
親・学校・メディアなどから注入された超自我が関わっている。
不良の存在は、
別の基準、反(脱)超自我(自我監視への抵抗・あるいは解放)という幻想を与える。

同じく優等生・運動能力の高い者・芸術家などに惹かれるパターンも、
能力の高い性的他者、あるいは常識はずれ・感性主体・コスモポリタン的な自由、といった幻想を受けとることで
親・教師、通俗的な社会メディアなどが刷り込んでくる倫理・規範(超自我)から
(部分的)解放を得たい という欲求に基づいている。

133 :咀嚼 【性の対立】【女性】:2008/01/13(日) 10:15:56
子生み・子育てによって「生命連鎖の一部」となり社会システムと結びついた親からの自立。それは
「親以外の性交可能な個体」とのむすびつき欲求 を得るために必要な成長過程といえる。

134 :咀嚼 【性の対立】【女性】:2008/01/13(日) 10:27:52

与えられた超自我 とは異なるマージナルな世界を象徴する他者(という幻想)
に惹かれるというのは、思春期という発達過程にすぎない。
(たとえば、この「過程」を「すべて」と思い早婚する女性が早々に離婚したりすることが多いのは
 自立のためのスプリングボードに過ぎなかった「過程」のための幻想から必然的に醒めるからだろう)
  

135 :咀嚼 【性の対立】【女性】:2008/01/13(日) 10:29:46

そういった「反・超自我」というポジション
(不良や、常識を壊す存在としての芸術家)を外部から与える存在。
そのような存在と同系列の色彩をSMに「発見」する場合もありえる。
SMが反倫理・脱倫理という幻想を重要視するからだ。

136 :咀嚼 【性の対立】【女性】:2008/01/13(日) 10:41:07

思春期を過ぎても依然として、不良(っぽい男)・能力の高い男
そしてSMに惹かれる女性は
自分に刷り込まれた(あるいは侵入してきた)
超自我との折り合いがつかない部分が、残存し続けている という可能性が高い。

137 :咀嚼 【性の対立】:2008/01/13(日) 10:55:11

男性は
女性性(母性)からの分離(性的対立)という、女性にない過程を辿ることで「男性になる」


女性は最初から女性であるから
母親からの分離に性的対立とは別の心理過程が必要となる。

マージナルな対象への憧れはその別の心理過程のひとつではないだろうか.
女の子の方が男の子より成長が早いのは
母親から性的分離という過程(葛藤)が省略されているからだろう)

 

138 :.:2008/01/14(月) 15:30:58
.

139 :咀嚼 (自分用メモ):2008/01/14(月) 15:33:53
“虚構の世界における 男と攻撃性” 原 忠彦 思索社

「米国社会の特徴として論ぜられる…(マーガレット・)ミード「男性と女性」…
女子は、その生き物としての経験から、容易にかつ確実に自己の社会の他の同性と同一化させ、その役割を身に付ける。
しかも,彼女が体得しなければならない役割は、幼児に密接な関係にあった自分の母親からそれを受け継ぐことになる。
したがって女性の一生は、役割収得の面で非常に安定したものになるわけである。

140 :咀嚼 (自分用メモ):2008/01/14(月) 15:51:22

「男性は、その性に与えられる役割の収得を、
幼児に最も密接な関係にあった母親から自己を切り離すことによってのみ獲得することができる。
しかも彼は妊娠出産といったような自己の性に関する確実な認識の手段をもたない。
それゆえに彼は,一生のある時期に、自分が男性であることを意識的に断言し、定義する必要にかられる。
そして、それは、女性が実行することを許されないようなある種の行為を行う権利と能力を男性に与えることによって獲得されることになるといわれる。
これが有名なミードの「男女の差は文化的に男性が手によって作られる」という論の根拠である。

141 :咀嚼 :2008/01/14(月) 16:41:22
マーガレット・ミードという人は文化人類学者で心理学とは別の観察から
性的役割の収得という概念を導き出しているようだが、
現在では、アメリカでも日本でも>>139で書かれているほど
女性の役割が安定している、とはいえないように思う。
ただ、母親との性の同一性から、女性性というものを受け継ぐことで
男性のように母親と異なる性的分離、という葛藤を経ない、というのが一般的だろう。
(同性愛の問題はここでは置いておく)

いずれにせよ、母親という胎〜乳〜幼児にとって最も重要な他者との性的一致、不一致に
性の対立の起源を求める、という括り方だけを盗れば、ここでは十分だ。

142 :咀嚼 :2008/01/14(月) 18:53:35

SMを性的対立・闘争の観点からみかえせば
つねに対立・闘争の不安がつきまとっている。
サディストの執拗な反復は、そこに由来する。
悦びは痛みを与えること自体から来るのではなく
痛みを与えても受容・服従することを確認することで
不安が瞬間的に払拭されることから悦びが生じる。

143 :咀嚼 :2008/01/14(月) 18:55:54
ただし、上記は、SMからフェティシズムを抜いた部分について、だ。
サディズムとSMは異なる。 SMには種々の要素が複合されているからだ。

144 :.:2008/01/16(水) 05:37:25
.

145 :咀嚼 【SMとサディズム・マゾヒズム】:2008/01/16(水) 05:47:37

サディズム・マゾヒズムとSMとのもっとも根本的な違い。

吉本隆明は人間の幻想領域を 
自己幻想(個) 対幻想(性別関係・家族) 共同幻想(社会・国家・法など)に分けた。


 SMは対幻想の領域。
 サディズム・マゾヒズムは自己幻想の領域。

                    

146 :没個性化されたレス↓:2008/01/18(金) 22:53:54
>>140ちょっとちょっと、M・ミードの説は嘘八百だったって数年前にわかったの知らないのかなー?
あれは、現地の聞き取り相手のクソガキ(女)が冗談で言った子とだよ。
既に公に発表されているが?

147 :咀嚼:2008/01/19(土) 07:55:24
>>146 それはミードの人類学の説の話。その程度のことはググって知ってる。 

「性の対立」という「概念」を検討するうえではまったく関係がない。
「性の対立」は実際の男女の有り様(日本の)を自分の頭で考えてみることだ。
誰が正しい、とか、間違ってる、なんてのは党派的な思考だ。
大事なことは自分の頭で考えることだ。

    

148 :咀嚼:2008/01/19(土) 08:10:08
大島清は生殖生理学なる分野を標榜している人だが、
「性がここまでわかってきた」でこう書いている。

「(性的)逸脱は多彩である。しかし逸脱するのは、たいてい男だ。
さまざまな原因が考えられるが、@ペニス勃起幻想
A母親という異性に育てられるために「性の自己認識」に問題を起こしやすい。
B子育て機能をもたないため充実感に欠ける。
C時間が短く、パターンも単純なオーガズム   
 といったあたりに、逸脱の理由がありそうだ。
 男は、女が女であるよりも、ずっと不確実にしか男らしくないといえる。
 それは生命の始まりの性分化のときからそうだし、生まれ落ちてからもそうだ。
 男は、しょせん女性という基本型を変異改造したものに過ぎない。
 性逸脱しやすいのもとうぜんといえる。」

このAでもいいのだ。
ものを自分で考えるヒントはどこから得てきても抽象化・概念化するレベルでは関係ない。
このスレは学会で自説を発表して一定のステイタスを得たいといった類の処世・打算とは無縁だ。
たんに、ホントのことが知りたい。というのが「基本」。

149 :咀嚼:2008/01/19(土) 08:20:41
「性の対立」という概念で面白いのは、
本質を「女」と見ていることだ。
ここから、
前スレでの「男のサディズムは母親への復讐」というテーゼを
もうすこし拡げて考えてみる視野を得られる可能性がある。

また、フロイトの「ペニス」幻想「エディプス・コンプレックス」という
父親(男)主体の発達段階の考え方とすりあわせてみると、
サディズム・マゾヒズムに対して新しい照明が得られる可能性がある。  
(この辺り、思考中。但「ゆっくり」w)

もちろん、何かその辺りについて
>>146に考えがあるのなら、謹んで聞かせて頂く。 

150 :咀嚼 【性の対立】:2008/01/19(土) 11:43:32
フロイトの去勢コンプレックスを「性の対立」から考えてみる一例。

母性=女という自然性(なぜなら、赤子は他の性を知らないのだから)から
男児は女性に自分と同じペニスがついていると勝手に思いこんでいる。

ある時(個々によってきっかけは違うだろう)女性にペニスがないという事を知った場合、
それを俄かに自分の母親へ当てはめることはできず、
その女性は、たまたま、なんらかの理由でペニスを失った(去勢された)と思うことで
自分を納得させようとする。
つまり、ペニスを持たない女性を、なんらかの理由で罰を受けて、去勢されたと解釈する。

しかし、これはホントだろうか?

自分の経験を振り返ってみると、たしかに、女性器というものに気味の悪さを感じたことは確かだが。

151 :咀嚼 【性の対立】:2008/01/19(土) 11:48:09
その女性は、たまたま、なんらかの理由でペニスを失った(去勢された)と思うことで
自分を納得させようとする。
                 ↓
つまり、ペニスを持たない女性を、なんらかの理由で罰を受けて、去勢されたと解釈する。

ここの部分に飛躍があるような希ガス。 
必ずしもすべての男児がそのような解釈をするとは限らないだろう。
ただ、「不気味な印象」を保持し続けるだけ、
あるいは女性器というのは、なにか病気によってペニスがなくなった、という解釈もありうるだろう。

そういった印象は、女性への性的臆病さを生むのではないだろうか。

152 :没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 14:43:22
>>150 お宅様は息子をお持ちの母親ですか?

男の子というのは、2〜3歳になるとお風呂で母親に聞いてきます。
お母さんにはちんちんがないの?と。

多くの母親はこう答えます。
あなたは父さんと同じ男の子だからちんちんがあるんだよ。
お母さんは女だから無いんだよ。

>ペニスを持たない女性を、なんらかの理由で罰を受けて、去勢されたと解釈する。

世間を知らない子供が、なぜ罰を受けて去勢という思考になるのでしょうか?
その思考の前に女と男の違いを見て、聞いて知っているんですよ?

>女性への性的臆病さを

これは一部の女性恐怖症(怖い母親に心から甘えられない)の男だけが持つ感情でしょう?

一部の男の事例のみで判断したら、心理を見誤いますよ。

153 :咀嚼 【性の対立】:2008/01/19(土) 15:08:22
>>152
ここは「サディズム・マゾヒズム」がなぜ発生するか、その内実はなんなのか、を考えてるスレ。
そして、その「なぜ」を解くためにいろいろな「仮説」を考えている。

サディズム・マゾヒズムを得る男子はそのような母親との会話がなかったのかもしれない。
仮にあったとして、そのことを、「子供」がどう「受け止めたか」は別の話だろう。

そして、>150はフロイトの仮説を、性の対立という観点から見直してみた「仮説」
俺自身が、フロイトの「去勢コンプレックス」や「エディプスコンプレックス」は
すぐには飲み込めない考えだと感じている。
しかし、それを「性の対立」=母親という性からの分離によって男性というジェンダーを得る
という視点から砕いていけば、多少は自分にも引き寄せられるかもしれない、という事。

>一部の男の事例のみで判断したら、心理を見誤いますよ。

すべての男に共通する心理を考えているわけではない。スレタイを読み直してください。

154 :没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 15:15:50
>>153 なら仮説だってw

155 :咀嚼 【性の対立】:2008/01/19(土) 15:16:03
〔仮説〕 (いちいちつけるのはめんどくさいから今後はつけないがw)

女性器への関心を性的関心として受け入れられない場合、
性的な関心は、直接的な性交渉から逸らされる。
これが、ある種の性的嗜好異常に結びつく、という「可能性」

サディスムの場合、それは、女性器への嫌悪感を克服するための
儀式である「可能性」。

156 :没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 15:17:07
>すべての男に共通する

違います。
サディズム・マゾヒズムを得る男子の中の一部という意味です。


157 :咀嚼 【性の対立】:2008/01/19(土) 15:18:47
>>154 
最初の一行
→「フロイトの去勢コンプレックスを「性の対立」から考えてみる一例。」

158 :咀嚼 【性の対立】:2008/01/19(土) 15:27:11
>>156 
我々はすべてのサディストをひとりひとり検証するわけにいかない。
ひょっとしたら、サディストにいくつかの分類が必要になってくるかもしれない。
サド・マゾヒスト という範疇も俺はまだ捨ててない。
たとえ個々の事例にすぎないとしても手がかりが必要なのだよ。

159 :没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 15:31:06
>>157 既にこの時点で一部です。

160 :咀嚼 【性の対立】:2008/01/19(土) 15:35:23
>159 >158
サディズム全体を説明できる原理を持っているのなら傾聴する。 以上。

161 :没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 16:05:09
あるにはあるが、私の説ではないので書けません。

162 :没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 16:24:39
とりあえず、

<サディズム・マゾヒズム>
サディズム sadism というのは、
フランスの貴族であったサドに由来するもので、異性の相手を
虐げることによって性的快感を得ることである。

マゾヒズム(masochismのドイツ語読み) というのは、
異性の相手から身体的・精神的な苦痛を受けることによって
性的満足を得ることで、オーストリアの作家ザッヘル・マゾッホの
描く人物がその典型的なものであるとし、精神病学者エビングが
命名したものだとされている。

まではOKかな?

163 :咀嚼 :2008/01/19(土) 17:09:48
>>161
自説である必要はない。人の説なら誰の説かを書いて、紹介すればいい。
自分の中で消化できてるのなら自分の言葉に置き換えて語ればよい。
(すくなくとも俺はそうしてる。次にフーコーの説を紹介する予定だ。
 ここは議論の場ではない。なにがホントかを探り、考える場。そのヒントを求める場。
 そのよすがとなるなら、誰それの説として書き込み、疑問がでた時に
 それに対する答えがその人物の説の中にあるのなら紹介すればいいし、
 なければ、自分で推測を書けばいい。あるいは沈黙すればよい)

>>162 >>1
それと、いちいち人の相づちを求める必要はない。
(別におしゃべりがしたい訳じゃない。それがここの流儀だ。) 

164 :咀嚼 :2008/01/19(土) 17:16:49
ついでだが>>1に書いた通り、仮コテで充分だが、
複数レスを書き込む場合は一応コテ推奨ではある。(文脈が辿りやすくなる)

165 :没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 18:10:31
確か、コリン・ウィルソン(w)だったと思うが
サディズムは性行為への理由付けに過ぎないみたいな事を書いてた
子供の頃に、親父の本棚にあった本で学んだ知識だw

ゴールに性行為があると考えて、普通は通常の愛情表現のプロセスでゴールに届く。
しかし、何らかの理由で通常の愛情表現が苦手な人が、サディズムやマゾヒズムに走るのではないかと

ここで元実験屋の発想だが、SM好きと、そうじゃない人の性体験を比較して見ると面白いと思ってた
おそらくSM好きは、体験数が少なかったり、初体験が遅かったりする結果が出るのでは無いかと
通りすがりの、SM好きな童貞の意見です

166 :咀嚼 :2008/01/19(土) 18:36:09
>165
ここで、いろいろなことを考えてるとアンケートを取りたくなることが本当に多い。 
残念ながら、あまりにも参加人数がすくなすぎて、
充分な母数は得られそうもないがw 
(そのため、あちこちのブログを見て回ったり、コメントやメルの交換をしたりして、
 ある程度のデータを蓄積するようにはしている。別にそれが目的ではなく
 SMについて話し合うこと自体が楽しいということもあるがねw 
 したがって、この場ではあまりおしゃべりの必要を感じていない)

愛情表現が苦手というより、愛そのものが苦手という者もSM好きには多いかもしれない。
体験数がすくなかったり、遅かったりするのが、SM好きの結果なのか原因なのか、
考えどころではある。
性行為にいたるプロセスとしての儀式、というのはあり得る。
ただし、SMに沈殿してる者(あるいは時)には、性行為自体を忌避する傾向もでてくるようだ。

コリン・ウィルソンは殺人百科を読んだことがある。
なんだか、ものたりない人だ、という印象だw 

167 :没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 20:20:48
そのような本を読んだからと言って、読んだ人間が全てそのようになるとは限らない。
とすれば、そのような本を読んで影響を受ける人は、本の内容の『何か』?に共感できる部分をその人は持っていた事にならないか?
もしそうならば、持っていた共感できる部分はどこで身についたのか?

168 :没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 20:52:46
たいていの場合、親との関係、
性的嗜好については特に幼児期(8歳くらい)までの
親を含む重要な他者との関係が大きく脳のマッピングに影響する
という説を読んだことがある。

169 :没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 22:40:01
>>168 それ正解!

170 :没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 00:40:58
心理学には興味がある程度という通り掛かりの素人です

私は基本的にMですが
Mにもただ痛めつけられるのが好きなタイプと主人に尽くすのが好きなタイプがいると思います
これはSも同様に。
両者の性質は似て非なるものだと思っているのですがこの違いについてはどう思われますか?
私もSMとは母子・父子関係の再現だと思っています

>>165
16歳で処女を捨てたヤリマンは例外でしょうか

171 :没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 04:15:36
池田小事件の前には、テレビでよく精神病のヤラセ番組が報道されていた。
あれはエキストラによる演出なんです。


172 :没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 14:43:53
>>170 
尽くすかと痛めつけられるかは、
親からの仕打ち、親への渇望時のあなたの親に対して
いい子になって目を向けてもらったのか?
罵倒の中で目を向けてもらったのか?の関係の違いで
表現に違いが出ているだけだと思います。

173 :没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 14:50:46
SM好きには性体験豊富というか誰でも良いという人も多いです。

174 :没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 15:56:11
>>168

実際には自我の芽生える思春期直前までの年齢でしょうね。
多くのヒトの子供は、通常最初に母親の手によって育てられます。
ヒトの生まれ持った能力は、吸う・握るのみ。
それ以降の能力は、近場の人間を模倣して身につけて育ちますので、
最初に出会った母親の影響を一番大きく受ける事になります。
その影響を基本の1として、ヒトは試行錯誤して行動をとるのだと思います。

175 :咀嚼途上者:2008/01/20(日) 17:50:30
>>174 説の原文を。大島清『性がここまでわかってきた』

「性心理発達にともなう脳への刻印を「ラブマップ」(性意識の脳地図)と呼んでいるが、
土台はもちろん胎内でつくられ、性欲中枢の形態的変化は四歳まで続き、
ラブマップはさらに八歳まで環境の修飾を受ける。
成長環境という文化的な因子が、脳の性分化という生物的な変化に影響を与えるのだ。
性の逸脱は、このラブマップの歪みに原因がある。

 ゆがみの原因はなにか。
家族がバラバラの家庭崩壊、過保護、
お医者さんごっこに代表されるセックス・リハーサルを頭ごなしに押さえつける性抑圧的教育
――すべてラブマップを歪ませる。」

「SM・バラバラ殺人など異常な視覚刺激を与えるビデオ・テレビの氾濫」
「八歳までに刻印された刺激の強い視覚記憶は、消えることなく、性意識に暗い影を落とす」
 (前スレで心理学初心者氏がことあるごとに、両親のセックスを見たこと、を
  しきりに言っていたが、このあたりのことを指していたのかもしれない)

176 :咀嚼途上者:2008/01/20(日) 18:10:19
>>170 苦痛系と奉仕系の違いが何に由来するか。
被虐のファンタジーが肉体的被虐ファンタジーなのか、精神的被虐ファンタジーなのか、
そういったファンタジーの違いはどこで分岐するのか。

残念ながら、まだ、そこまで網目を細かくして掬える説明原理を手に入れてないので
手探りで考えていくほか無い。
ストレスのありかたのような気もする。 
具体的な環境ストレスを抱えてると(あるいは抱えた経歴があると)苦痛系のような
ドラスティックな刺激による忘却を求めやすくなる気もする。
精神的被虐願望は、イイ子と世間から見られている自分と
実際には性欲や欺瞞に満ちていると自己認識している部分のギャップをストレスとしている、とか。

あと、偶然かもしれないが、俺の知ってる苦痛系は酒飲みが多いw
肉体的にアルコールに強いことと、苦痛=快楽への脳内の再配置が容易になりやすいこと、とに
何か関係があるのか、ないのか。
それを調べることは俺の手には余る。ヒマと環境が整っている研究者の論文の種にでもして欲しいところだw


>私もSMとは母子・父子関係の再現だと思っています

これについてもうすこし、感じてることを語れないかい?

177 :没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 19:52:30
>>175 両親のセックスというのは、他人のセックスを見るのと違う感情が背景にある事を押さえて考えるといいよ。

178 :没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 19:55:51
>>175 誰もが皆、そのような刺激物を見て歪むわけではないよね?

歪むには、その土台が必要なんだよ?
その土台が何であるかが答えだ。
頑張ってね!

179 :没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 20:03:59
>>175
>土台はもちろん胎内でつくられ、

もちろん胎内?(笑)

あなたは子供を産み育てたことがありますか?
子供はまっさらで生まれてくるんですよ。

180 :咀嚼途上者:2008/01/20(日) 21:28:36
>>179 おまえは ともかく まず一行目を読む練習をから始めろ。 
     話にならん。 

181 :没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 21:37:28
話にならんと思うあなた様がおかしいという事も大いにありえる

182 :咀嚼途上者:2008/01/20(日) 21:38:32
M・フーコーのSMに関する発言。

前のスレッドでは、「マゾヒズムの発明」に引用されている文しか紹介できなかったが
大元の文章(対話)全体を見つけたので、差し挟んでおく。

引用するからといって、その文章に帰依しているわけでも
全面同意しているわけでもない。
ただ、考えるためのヒントを得るきっかけとして紹介している。
「文脈」を読む力もなく、その程度のことすらわからんバカがいるようなので、予め断っておく。

183 :咀嚼途上者:2008/01/20(日) 21:39:33
  フーコー:SMに関する発言の前提部分の引用
M・フーコー「フーコー・コレクション5(性・真理)」ちくま学芸文庫 

「(西洋において)異性愛は、
少なくとも中世から、つねに二つの軸,,(男が女を誘惑する言い寄りの軸、そして性行為そのものの軸)
 にそって捉えられてきました。
 ところで、西洋世界の異性愛文学の本質は、もっぱら恋愛の言い寄り(cour)を,
すなわちまず第一に性行為そのものに先行するものをあつかってきました。
知的かつ文化的洗練の作品いっさい...は、つねに宮廷=言い寄り(クール)の方を向いていたのです。
 このことは、そのものとしての性行為が、
 文化的そして美的な観点から相対的に低く評価されているということを説明しているのです。」

184 :M・フーコー「フーコー・コレクション5(性・真理)」ちくま学芸文庫:2008/01/20(日) 21:40:45
「ギリシャ人にとって、男同士の言い寄りは、男女間の言い寄りよりも重要だったのです。
(ソクラテスとアルキビアデスを思い出してください)
しかし、キリスト教的西洋文化が同性愛を追放したために、
同性愛は全エネルギーを性行為そのものに集中してしまうのです。」

185 :M・フーコー「フーコー・コレクション5(性・真理)」ちくま学芸文庫:2008/01/20(日) 21:41:48
「<2人の人間のあいだの関係の本質は、一方がもう一方に隷属するかどうかである>
と何世紀ものあいだ見なしてきた文化において、
双方の関心と好奇心、双方の大胆さと操作のいっさいは、相手に屈辱を強い、
ベッドに一緒に入るよう強いることにありました。
性的出会いがきわめて容易で頻繁になった今では(そしてこれは同性愛の場合でもあるわけですが)
複雑な事柄は事後的にしか生じないのです。
愛を交わしたのちにはじめて相手に対して,,,
「ところでお名前はなんでしたっけ?」と訊ねる自分に気づくわけです。」

186 :M・フーコー「フーコー・コレクション5(性・真理)」ちくま学芸文庫:2008/01/20(日) 21:43:09
「したがって、異性関係においては
言い寄りによってかくもみごとに誘導されていたエネルギーと想像力のすべてが
性行為そのものを強烈にするのに貢献すべく努めるような状況を、
われわれは前にしているのです。
今日、性的行動のあらゆる内的可能性を探索しようとする、
新しい性的実践の技法が発達しています。」

187 :没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 21:43:31
>>182 相手に悟れって?甘えてますね。

188 :M・フーコー「フーコー・コレクション5(性・真理)」ちくま学芸文庫:2008/01/20(日) 21:44:32
「 同性愛者にとって、
性行為があまりにも容易で達成可能なものとなってしまったがゆえに、
 それはたちまち退屈なものとなる危険をはらむようになってきました。
 だからこそ、刷新するために、また
 性行為がもたらす快楽の強度を高めるヴァリエーションを導入するために、
 可能な限りのことをしているわけです。」

189 :没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 21:46:00
根本的に西洋の男女と日本の男女では違うので何のヒントにもなりません。↑

190 :咀嚼:2008/01/20(日) 21:47:10
>>188の最後の部分が、
前スレで引用した「マゾヒズムの発明」の中のフーコー発言の一部。
続く、同性愛に関する部分のラストも、同じヴァリエーション。

191 :M・フーコー「フーコー・コレクション5(性・真理)」ちくま学芸文庫:2008/01/20(日) 21:48:45
「同性愛者にとって、
性行為があまりにも容易で達成可能なものとなってしまったがゆえに、
それはたちまち退屈なものとなる危険をはらむようになってきました。
だからこそ、刷新するために、また
性行為がもたらす快楽の強度を高めるヴァリエーションを導入するために、
可能な限りのことをしているわけです。」

192 :没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 21:49:34
で、あなたは最終的に何が目的で心理学を?>咀嚼さん

193 :咀嚼途上者:2008/01/20(日) 21:50:31
ここから先がSMに関する発言。

194 :M・フーコー「フーコー・コレクション5(性・真理)」ちくま学芸文庫:2008/01/20(日) 21:51:51
「私は一般に、サド・マゾ現象の方がはるかに驚くべきものだと思います。
 なぜ驚くべきものかというと、
 性的関係はもろもろの神話的関係を通じて練り上げられ、開発されているからです。

 サド・マゾは、苦しむ男(女)と苦しませる男(女)とのあいだの関係ではなく、
 主人と、その権威が行使される者との間の関係なのです。
 サドマゾ実践者たちの興味をそそるのは、その関係がルールに従っていると同時に
 開かれているということなのです。
 
 一人が負け、他の一人が勝ちうるという意味で、それはチェスのゲームに似ています。 
 主人が被害者側の苦痛の欲求や欲望に応えられないことが明らかになった場合、
 主人が負けることもあります。

 同様に、奴隷が主人からの挑戦に応じられないとき、
 あるいは挑戦に応じるのに耐えられないとき、奴隷が負けることもあります。」

195 :M・フーコー「フーコー・コレクション5(性・真理)」ちくま学芸文庫:2008/01/20(日) 21:52:55
「もろもろの規則と解放性とのこうした混合は、絶え間ない新しさを、絶え間ない緊張を
そして絶え間ない不確実性を導き入れることによって、
 性的関係の強度を増大させる効果を持っているのです。
 こうしたものは、たんなる性の消費には欠けているのですが。   

 こうしたことをする目的は、身体のすべての部分を性の道具として使う
 ということでもあります。

 実際には、それは「動物は交尾のあと悲しげである」という有名な文句につながっています。
 同性愛においては性交がすぐにおこなわれるので、問題は次のようになります。
 「悲しさの攻撃に対してなにができるのか」ということです。」
 

196 :咀嚼:2008/01/20(日) 21:54:20
(以下は同性愛に関する考察が続くので略)
以上。

197 :没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 21:59:09
セックスを中心に考えないほうがいいと思うよ。
セックスは単にあるものの代わりのアイテムの一つだと思うよ。

198 :没個性化されたレス↓:2008/01/21(月) 20:50:06
>それは「動物は交尾のあと悲しげである」

↑これは、これを唱えた人の自分のセックスの投影だろうね。

実際、悲しいのではなくイタイ!顔だと思う。
動物の場合、無防備になるセックスは始終危険が伴うので短時間で確実に妊娠させるために、性交痛の刺激によって排卵がおきるのは有名な話。


199 :咀嚼:2008/01/26(土) 05:17:59
>170
>私もSMとは母子・父子関係の再現だと思っています

近親相姦の禁止によって無意識下に抑圧された関係願望だけなら
サディズムやマゾヒズムという発現のしかたでなく
普通の甘えでいいことになりそうなものだ。
SやMとして発現するのなら(たとえばインナーマスター)
親子関係の再現は もともと
そのようなもの(支配・被支配)として親子関係が存在していたということになる。

200 :咀嚼:2008/01/26(土) 05:23:07
前スレで心理学のプロが繰り返し言っていたこと>「親の偽愛」

201 :咀嚼:2008/01/26(土) 05:35:28
ただ、それだけでは網目が大きすぎる。
(網自体は全体をひっかける大きさを有していると思うが)
具体的な個々の性が、大きすぎる網目の間からこぼれおちてしまう。

それは、羊氏の劣等感コンプレックスという網もおなじことだ。
サディズム・マゾヒズムへの特殊化。
サディズム・マゾヒズムの間の分岐点。 
せめてそれくらいは網目を縮めなければ、個々の具体的な場面が掬えない。

202 :咀嚼:2008/01/30(水) 06:18:59
>SMとは母子・父子関係の再現 
これがずっと心にひっかかっている
単純に無意識に潜り込んだ母子・父子関係の再現という事なら普通の恋愛でいい。
やはり、それは「歪んだ再現」なのではないのか、と思えてならない。
それはそれで本人達が安定するならかまわないのだが。
たいていの場合、Sの求める再現とMの求める再現はどこかですれ違う。

203 :咀嚼:2008/01/30(水) 06:20:13
そもそも理想化(インナーマスター)自体、充たされなかった関係の残像なのだろう。

204 :没個性化されたレス↓:2008/01/30(水) 08:52:35
hatenaでアンケートでもとったらどうですかー?

205 :咀嚼:2008/02/02(土) 15:44:41
インナーミストレスはグレートマザーか。

では“サディスト”にとってグレートマザーとはなにか。
グレートマザーが抑圧者であると感受された時、
痛めつけ、屈辱を与え、屈服させ、疑似支配のクオリアが
ドーパンミンを誘発する。

バッキーの17年懲役者にとって女はそういう存在だったのだろう。
ロールプレイとしてのSMではあの後味の悪さは生まれない。

206 :咀嚼 :2008/02/02(土) 15:50:24
男児がある時期もつ残酷さは、心の理論に近い。
動物に向かうことが多いことがその近似性を表している。
母性的なるものからの性の分離と、その残酷衝動とは関係があるという想定。

207 :没個性化されたレス↓:2008/02/02(土) 15:51:18


208 :咀嚼:2008/02/02(土) 15:56:49
直接的な肉体への暴力と言葉による暴力。
この間に、心の理論を置いてみることは興味深い。

第3者への暴力の誇示と、直接対象に向かう暴力との間の淵。
第3者への暴力の誇示は、幼児的な心の理論の乗り越えではある。
だからそれはなくならない。 その者にとって必要な過程だから。

209 :.:2008/02/07(木) 22:14:25
.

210 :.:2008/02/17(日) 12:50:29
フーコーは徹底してフロイト的な方法を拒否して性を考える

211 ::2008/03/01(土) 09:02:08
●フーコーの私的要約

同性愛がバリエーションを求めて常に「新しい快楽の開発」を求めるのと比して
SMの場合、
権威とその権威を行使されるもの
(必ずしも最初から「服従する」もの、とされていないことにフーコーの理解度が示されている)
サディズム側からの要求とマゾヒズム側の欲求の緊張感のある勝負の中で
新しい責めと可変なルールの緊張感の中で、
神話のなかの犠牲者のようにマゾヒストは「身体のすべての部分を」性の道具として差し出す。

身体のすべての部分を性の道具として使う(差し出す)のは
同性愛的な「新しい快楽の開発」よりも
性的関係の強度を増大させ、性的関係を「神話的関係“化”を通じて練り上げ開発」するため。


(ちょっと読み損なうと、>>195の「身体のすべての部分を性の道具として使う」が「新しい快感の開発」と結びついて
 フーコーがSMをただの快楽主義と言ってるように誤解してしまう畏れがある)

212 ::2008/03/01(土) 09:26:24
神話的な関係とはなにか。

フーコーが同性愛について語った「友愛」とは対極にある非人間的な関係、
つまり絶対的な神(権威)と神の恣意(権威の行使)を受けるもの という
疑似神話としての性的な関係。

いつものごとく、フーコーはきちんと押さえるべき処は押さえているように思える。
そしていつものごとく、押さえただけで通り過ぎていく。

なぜ、男と女は神話的関係を求めるのか。

フロイトを避けたいフーコーのモチーフは俺にはない。
母子(父子)関係の不全の揺り戻しとして神話的な強度を求めるのではないのか?


213 ::2008/03/01(土) 09:29:53
乳児にとって生存に必要な栄養を与える者として絶対的な位置をもつ母(母代理)と
幼児期に、道徳権威を代行する不可解な他者として父。
このふたつのいずれか、あるいは両者とも、との関係が不全なまま
思春期の性器期を迎えた時、親を充分に卒業しきれず、
満たされなかった絶対者への信頼を、性的対象となる者の中に求める、とするのは
あまりに単純すぎるだろうか。

すくなくとも、指標的な仮説の一つとして使えなくはないだろう。

214 :【性の対立】:2008/03/07(金) 19:52:21
フロイトにおいては 能動性=男性  受動性=女性

中期フロイトが述べている他の対立としては 愛と憎しみ の対立がある。
憎しみの起源は 自己の恒常的な安定状態に対する外部の刺激に対する防御意識がある。
愛は、快感を与える対象の受け入れ・同一化。

愛→憎しみは、
受け入れた(同一化した)対象が自己内部を攪乱しはじめ、不快をもたらす時に起きる。
憎しみが愛に先行するのは、同一化して内部に取り込むことへの畏れ。
(対象を受け入れ同一化までしてしまったあとで、それらが不快をもたらすようになると
 それらを再び、外部へ追い出すには大量の心的エネルギーを要する。
 したがって、愛 の予感をもたらすものへは、用心深く、憎しみが先行する場合が多い)

サディズムのスイッチを入れるということは、いったん愛を棚上げにすることだ。

215 :没個性化されたレス↓:2008/03/08(土) 20:29:29
SMは退行への教育のように感じる。

教育が、
導き手が自立を目指して子供を導いていく
のに対し、SMは、
導き手が依存を目指してMを導いていく。

要は自立したくないんだと思う。

216 :没個性化されたレス↓:2008/03/08(土) 20:38:00
Sは万能感を得ようとしてMを殺していくわけか。

217 ::2008/03/09(日) 15:18:34
>>215 はえす氏の言う「教師型S」  
自立したくない  または 自立に疲れている 
依存はSMに限らず、普通の愛情関係でも
たとえば「独占」を通じて起きるような希ガス。そして恋愛依存が生じる。

>>216はえす氏の言う「暴君型S」
Mの「独立心」を殺していくんだろうな。  

218 ::2008/03/10(月) 22:15:55
(マゾヒストが本来持っているはずのサディズムの行方に関する思いつきだが)
サディズムは昇華しやすいのではないだろうか。
攻撃性・征服欲・同情なき能動性は、表現や勉学や競争に転化するのが、
受動性・被虐欲より容易に思える。

充分にサディズムを非性的活動に昇華したあと
マゾヒズム欲動のみが残る、という仕組み。

マゾヒズムの昇華というのは、なかなか思いうかべにくい。
良き臣下となることだろうか。奉仕職に就いて尽くすということだろうか。

マゾヒストの多さは、
マゾヒズムの性エネルギーの昇華が行われにくい事の証左ではないか。

219 :没個性化されたレス↓:2008/03/20(木) 01:06:37
マゾとは、「真曽」が語源であります。
「真曽」とは、木曽義仲のことであり、
真に木曽義仲であるという意味です。
負けるに決まってるのに、なんで、
義経の味方するんだよ。ということから、
「真曽」がマゾとなり、海外で広まったのであります。
次に、サドですが、これは実に簡単であります。
「佐渡」ですからね。
「佐渡」とは、あの新潟県に属する「佐渡島」であります。
ここには、過去、流刑者が多く流されました。
攻撃的な血を持つ野郎共であります。
攻撃的な性行動であります。
そこから、「サド」という言葉ができたのです。
ちなみに、マルキドサドとは、
丸木戸佐渡という佐渡島にかつていた日本人の名であります。

220 :没個性化されたレス↓:2008/03/29(土) 05:47:01
    膳場貴子さんに浣腸したい    
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/alone/1187298875/l50

221 :咀 【脱昇華】:2008/03/30(日) 18:38:06
<比喩>的思弁

服は自己保存欲動からすれば寒冷への対処であるが、現代では文化でもある。 
つまり文化としての服は性欲動の昇華でもある。
われわれは性交時、脱衣する。
おなじように、いったん性欲動の昇華から 再度脱衣するように性欲動へ戻る運動を
仮に『脱昇華』と呼んでみる。
よくいわれるスイッチがこれに相当する。
成人にとってはむしろ脱昇華のほうが重要かもしれない。

222 ::2008/04/13(日) 13:07:13
愛は性欲の昇華か それとも特定の対象への性的ファンタジーの固定か  

223 ::2008/04/20(日) 07:05:55
性倒錯の発生は履歴をさかのぼれるとしても
性倒錯の持続は脱昇華(昇華の遡及)過程になる。
つまり性欲の幼児帰りだ。

224 ::2008/05/06(火) 18:14:49
フロイトがサディズムについて触れるときには
そのサディズムの内容は
「支配欲」「残忍欲」「攻撃性(能動性)」 の関数として表される。
「性欲」
を加え
この四つの中の何と何の関数なのかで サディズムの性格は変わる。    

225 :没個性化されたレス↓:2008/05/06(火) 18:18:10
小学校2年生の俺から言わせてもらえば
SEX自体SMっす

226 :没個性化されたレス↓:2008/05/15(木) 13:24:19
,

227 :没個性化されたレス↓:2008/05/15(木) 17:56:51
精神医学とは。フロイト信者とは何か。
その実態は非科学にしてドンデモかつ狂信的カルト宗教である。
ある種の病的神話を現実のものである信じる教団である。
実証実験を目的に信者間でマインドコントロールと洗脳実験を繰り返し、フリーセックスに病んでいる教団である。

228 ::2008/05/16(金) 19:43:35
精神医学に限らず医学は
経験的な知識の集成を土台にした実践「学」であって科学ではない。
(なかには自分を科学者だと勘違いしてる医者もいるようだが)

フロイトは、経験的な観察から
「心には構造がある」という認識を得て、ひとつの「仮説体系」を作ろうとした。
サディズムマゾヒズムの問題を考えるにあたってそれは「参照」すべき価値がある。
他にもサロン談義レベルを超えて
参考になる考えを披瀝している者がいるのなら大いに参考にするし、
今までもそうしてきた。

残念ながらいまのところ脳生理学は
「座」のおおざっぱな指定にしか到達していないように見受けられる。
死の本能やエスの問題は、細胞学と無関係ではないので
多少の勉強はしているが、直接的にサデ