★感情社会学★
- 1 :名無しさん@社会人:2005/06/23(木) 05:54:38
- 感情社会学について語りませんか?
- 113 :名無しさん@社会人:2008/02/08(金) 10:32:40
- 「「 投票税、子供たちは忘れない平和を奪った大人たちを。 」」
投票税は投票をサボった人にそのサボり賃として税金を取る法律であり当たり前の
税です。テロ特措法は投票税のない今の世の中だから成立したのではないか。
テロ特措法は自衛隊が海外で軍事行為を可能にする法律であり、この法律は平和
国家としての行き過ぎた行為として、後世に汚点を残すのではないだろうか。
日本は軍事活動を必要といる国で在ったかを考えて見ると、何が在るのだろうか。領土
問題は日本に取って大きな問題ではあるが、敗戦による傷跡と考えれば問題は問題
として今後処理すれば良いのではないか。日本に取って戦争参加による敗戦は多くの
人々を傷つけ、更に日本の領土までも傷付け、その傷は今も癒えてはいないと、冷静に
行動するとすれば日本はこの難しい領土問題を軍事活動に頼らず人々の安全を第一に
交渉していると言う事は評価すべきではないか。私は詳しい事は分からないがこれが
戦争に負けた国の宿命ではないだろうか。
現在の日本はどうだろう。敗戦による社会構造の変化、国民を主権者とした民主国家
の確立、その結果、日本は日本人の持つ、家族に対する思いやりの死をも恐れない
労働欲、そして、財閥や官僚の貪欲までの金欲が全ての企業の発展を可能にし、日本は
平和憲法のもとで、ただ、平和国家での生活向上の為だけに努力を重ね、その結果と
して現在の平和国家日本があると考えられるのではないか。
戦争参加を決定した日本は子供たちから平和を奪ったと言えないか。テレビゲーム
で殺人を経験した子供たちはゲームと同じ戦闘機に乗り、ゲームのように破壊する
ロケットを操り、画像の中だけで人々を殺すゲームは現実の戦争とどこが違うというのか。
しかし、現実の戦争とゲームは明らかに大きく違うはずだ。それは日本より強い国が
出現したときに起こる。そのとき、日本国民はゲームの中で逃げ惑う人々になるのでは
ないか。戦争も強ければそれでいいのだろうが、弱ければそれでいいとは誰も言わない。
子供たちの時代になったとき、日本は強い国でいられるのか。平和国家にはそんな心配はない。
- 114 :名無しさん@社会人:2008/02/09(土) 10:11:29
- 「「 投票税、わが町にお殿様は要らない。 」」
お殿様て、だあれと聞かれた。そして、答えた。仕事をしなくても贅沢な生活が出来る
人々と答えた。
民主国家に成った日本は働く事で報酬を貰い。そのお金で生活する。働かない人に
は報酬を与えない。
働けない人に対しては皆で話し合いをし、その人の生活を守る。
政治家は人々の代表者として、皆さんから集めた税金を全ての国民に対して公平な
公共的運用を提案し、それを多数決制で決定する。
税金は単に人々に公平に分配するのではなく。より多くの税金を得られる為の公共
施設、そして、全ての人々の基本的な人権を守る事を基本とし、弱者への考慮を特に
重要とした使い方が好ましい。
政治家はお殿様で無く、あくまでも国民の代表者である事を忘れてはいけない。よって、
政治家の報酬はその政治家の選挙区内の平均報酬を基本として報酬を決定し、その
報酬は労働時間によって決められる。
政治家の能力は日頃の仕事から培われた能力であり、政治家に成ってから得られた
能力ではない。封建時代や軍事国家などの権力を傘に自分自身の財力を増やす為の
立場ではなく。あくまでも日常の自分自身の仕事の中で取得した考え方を多くの人々に
知ってもらい、その方法を多くの人たちの役に立てる為に政治家に成るのであって、
政治家に成ってから政治家の仕事を学ぶような無能力者は政治家には向かないし、
そんな人はいらない。
公務員の報酬はその地域の平均収入を基本として決定する。そして、その仕事に
よって報酬も変り、部署の交代によって給料を変える。部署の交代は法律で決定し、
人為的な決定は出来ないようにする。しかし、人には能力差が在るので能力の無い
者は自らが辞退できる。限られた貴重な税金は有効に使わなければ成らない。
- 115 :名無しさん@社会人:2008/02/10(日) 10:43:53
- 「「 投票税、思わぬ方向に進む学歴社会。 」」
学歴社会を批判しても面白くないが、多くの間違いが学歴社会で起こっていることに
学歴社会の限界が在るのではないだろうか。
学歴と仕事とを考えると学歴イコール仕事にはならない。しかし、世の中は学歴が
高ければ仕事もよく出来るということになっているが最近の高学歴で高収入の人たち
の行動を見ていると高学歴は仕事上手とは言えないのではないかと言う事だ。
私は昔、良く高学歴の人々の事を、勉強好きな仕事嫌いな人々と言っていたが、
最近、益々高学歴と仕事が結びつかないのでは無いかと思ってしまう。
勉強好きで試験が好きで高い成績を上げる人を見ると結構、ダメな人がいる。頭の
いい人で仕事好きな人は結構少なかった。仕事には答えが無いからではないか。
高学歴で仕事嫌い、そして、高収入を望む人々は日本のどこにいるか。政治家は
どうだろう。政治家の仕事を考えると高学歴でなければ務まらない職業とは言えない。
しかし、高学歴を人々は好み、高学歴の人に投票する。そして、高学歴の人が政治家に
なる。この辺から政治家がなぜ、政治家としての仕事をしないのかの根拠が判明する。
日本人の多くは高学歴の人が仕事が出来ると誤解をしているのである。高学歴の
人はどんな仕事に向いているかを考えると一番合う仕事は仕事をしなければ給料を
貰えない職場ではないか。自らの手でお金を稼ぎ、税金を納める立場が一番高学歴の
人にふさわしい職業ではないか。
民主国家に於いて高学歴の人に合わない職業は公務員や報道機関では無いだろうか。
公務員は高学歴がなぜ、合わないかと言うと働かなくてもお金がある職場だからです。
それは勉強好きな仕事嫌いな人々に取って余りにも居心地がいい場所と言う事です。
仕事をしなくてもお金を貰える職場では益々、仕事はしません。その証拠が負債として
私たちに残されています。報道機関も高学歴を多く採用すると批判的な姿勢が無くなり、
結果として社会の腐敗を招いてしまう。今の日本を見ればそのようになっているのではないか
- 116 :名無しさん@社会人:2008/02/11(月) 11:03:40
- 「「 投票税、学歴社会の単純な方程式と行き着く所。 」」
投票税が成立されれば学歴社会は無くなり、学問はあくまでも学問として残り、学問が
贅沢な生活を約束するものでは無くなる。
今の日本はかつての共産主義のように学歴によって立場が決められ、自由社会の
自由な生き方が出来なくなっている。
日本の学歴社会の悪いところは政治家や公務員、放送関係、大企業の高収入の
立場にいる人たちを見ると高学歴がその人たちの身分を保証しているだけで、その
仕事に対する能力で判断していないところに世の中の悪しき共産化が確立してしまった。
日本は現在、独裁的な共産化が進み、非常に悪い世の中になってしまった。学歴
社会により、社会が停滞してしまったと言ってもいいのではないか。学歴社会の悪い
所は学校に入るための試験勉強が社会に出て実際にその人が仕事をする内容に
在っているかということだ。これまでの多くの世の中に取って貢献した人々を見ると
高学歴の人たちはそれほど役に立っているとは思えない。共産主義が衰退した理由は
高学歴で無能な人々が自分の実際の社会への貢献が思うように行かない事を悟り、
自分の高学歴を守る為に法律や規則により、自分たちの立場を守る方程式を創り
始めた事から共産主義国の産業や政治が衰退した。
共産主義国で唯一世界に誇られたのはスポーツの成績ではなかったか。良くスポーツは
平和の象徴と言うが実際は独裁社会の象徴と言うべきではないか。スポーツで一流に
成る為には軍隊より厳しい訓練が必要であり、それは独裁社会の一番得意な分野では
ないか。オリンピックが平和の象徴と思っている人々は何も考えていないぼんくらであり、
社会構造がどのように構成されているかを考える事もないただ、美味い物を食って
ひたすら働き、子供を作って死んで行く人たちなのである。この人たちには投票税を
是非、理解してもらい。世の中の無駄遣いする人々を無くす為に投票税による選挙で
地球に優しい政治家を選んで欲しいと思います。
- 117 :名無しさん@社会人:2008/02/12(火) 09:13:15
- 「「 投票税、学歴社会が創る極左右翼社会。 」」
学歴社会はこれまでになかった得意な社会を創ってしまった。名付ければ極左右翼
社会ということではないか。左翼と右翼の悪いところを全て取り入れた社会と言う事だ。
学歴は学歴が身分を創り学歴身分制度と言える身分制度を創ってしまった。この
制度は封建制度のように制度が先に在ってその人が何を生産し、世の中にどのような
価値を見出すかと言うのではなく、その身分さえ手に入れれば特に仕事をしなくても
一生楽な生活が送れると言う身分である。公務員や政治家、放送関係、大企業などの
税金に深く関わる分野の人たちがこの学歴身分制度を制度化し、仕事の内容は二の次
にして、報酬をまず決定する。仕事の内容はどうでもいいのである。例えば放送関係の
人たちを見ると仕事の内容は単に噂好きでおしゃべり上手ならば学歴なんか必要ない
職場なのに高い収入を得るために学歴身分制度を導入して高収入の職場と偽り、高い
給料を貰い贅沢な生活を送っているのである。その根拠として、放送界を見れば高学歴
を必要とする仕事はほとんどなく、主な出演者を見ても学歴がその人たちの人間性を
表しているとは思えない。更に学歴により優れた放送が行なわれているとは思えない。
あくまでも高収入を得るための学歴身分制度を利用しているように感じる。このように
学歴身分制度は民主国家の公平な労働価値からはかけ離れた制度になり、極左社会
が犯した悪政に匹敵する制度になっているのである。国の負債に対する学歴身分制度
の中の人々はこの負債に対して如何なる対策を打つことは出来ないのであるなぜならば
彼ら自身の身分制度が創り上げた負債だからである。だから、彼らには日本が崩壊
するまで自分の身分を守る為に負債を増やしつづけるほかないと言うことだ。
極左な学歴身分制度は右翼的な行動を必ず伴う。それはテロ特措法に良く現れて
いる。不公平な格差社会を創り上げた時代は右も左も外圧を利用し国民から政治を
遠ざけようとするのである。大して 守る物もないのに国民に国を守る必要性を訴える。
馬鹿な制度を創ったものだ。これを直せるのは投票税だけだろう。
- 118 :名無しさん@社会人:2008/02/13(水) 09:35:44
- 「「 (案)投票税、学歴社会で生きる肉体労働者。 」」
学歴社会にも肉体労働者は存在する。肉体労働者は学歴社会からの落ちこぼれ
なのか。それとも学歴社会の一員なのか。学歴社会は学歴により収入に差を付ける
社会である。学歴で収入の差を付けるということは学歴が高い方が仕事が出来て沢山
お金を儲ける事が出来ると言う事に成る。
一般に肉体労働者の仕事は学歴よりは体力や健康の方が重要で学歴はそんなに
必要ではないと考えられる。
人が働き、収入を得る仕事は学歴と体力どちらが重要で、どちらが収入を得ることが
出来るのか。
学歴と体力を比較すると多くの仕事が体力の方が重要であり、それほど学力を必要と
していないのではないだろうか。
私たちは無駄な学力を付け、無駄な学歴を作りそれに対して無駄な費用を掛けてい
ないのだろうか。更に学歴を評価し過ぎては否だろうか。
ある仕事がそんなに学力を必要としないのに高い学歴の人を採用し高い賃金を払って
いたらそれは無駄な出費であり、そのようなことが在れば改めなければ成らない。
多くの仕事をする上で学歴がどけほど必要なのかを検証すべきではないか。これまでも
よく、学校の勉強は実社会では役に立たないと言われてきた訳だが現状の社会事情を
見るとその考察は実証されたと言えないか。そして、それが事実とすれば多くの学歴は
大きな無駄遣いと言うことになる。学歴を得るために無駄な出費をしてきたわけである。
私たちは小学校から大学まで16年間を学校に通い学歴を付ける事が、実際に就職する
仕事に十分役に立っていないとすればその学力は無駄と言う事になる。今後の教育に使う
予算が人間の社会生活の上でどれほど役に立っているかを詳細に検証すべきでは
ないか。
これからは学歴が人間社会にどれほど無駄な出費をさせているかを考えなければならない。
- 119 :名無しさん@社会人:2008/02/14(木) 08:43:06
- 「「 (案)投票税、学歴社会を支える貧困者の貯金。 」」
投票税は政治の重要性と主権者である国民の責任を明らかにする事を目的とし、多くの
国民の皆様に投票をしてもらう為には最適な法律と言えるのではないでしょうか。
法律的には幼稚なものですが人間が集団生活を送る上で、政治の果す役割は非常に
大きく政治によって世の中の問題は解決される。(案)投票税は投票を拒否した人々に
制裁金を請求し今後投票への参加を促し、国民全体が参加をした政治を実現したい為に
必要と思い提案します。
投票税がどのような社会を実際に創り上げるかは分かりませんが多くの可能性は
持っているのではないでしょうか。
現在の政治家たちは与野党を見ても有権者の半数程度の人々によって当選しています。
有権者は1億300万人程度です。現状では5000万人の人々が政治に参加をしていない
事になります。この人たちが政治に参加をする事は日本の政治の方向を大きく変える
可能性があります。世の中は多くの人々が参加する事で公平と公正を維持できます。
日本は今、3割の人々が幸せな生活を送っています。この人たちは何で幸せを得て
要るかを検証すると多くは学歴という架空の身分制度により、自分たちの労働で得た
収入では無く。学歴身分制度により民主国家ならば社会での仕事の実力及び労働により
収入を得るべきものをあくまでも架空の学歴を収入の重要な評価にしてしまい。その
結果、仕事は貧困者が行い、その貧困者が稼いだお金を自分たちの収入にすると
いう学歴身分制度を創ってしまったのです。それが公務員、放送界、大企業に顕著に
見られ、それは結果として国の莫大な負債として存在しています。
貧困者を含めた多くの国民の貯金を3割の国民が不当に収入としてしまったと言える
のです。国の負債はこの現象の証拠であり悪政が行なわれた結果ではないでしょうか。
投票税により、悪政が改善されるかは国民の姿勢次第ですが少なくても5割以上の
国民が満足した生活を送れるのではないでしょうか。今は3割ですから5割ならば満足です。
- 120 :名無しさん@社会人:2008/02/15(金) 08:30:31
- 「「 (案)投票税、選挙権の低年齢化は投票税が伴う。 」」
選挙権を18歳にする案は余りにも馬鹿げてはいるがもしそうするならば投票税を
この際採用すべきではないか。18歳の青年がどれほど投票を行なうかは想像出来
ないが18歳の人間がどれほど無知であるかは想像付く。
18歳の人たちに政治家を選ぶ事が如何に重要な事であるかを教える為にも投票
行為に責任と重大さを確認させる為にも投票税の採用は不可欠ではないか。
投票は有権者の権利であり、義務でもある。これまで多くの政治家が有権者の投票
の自由を主張してきたが今日の社会情勢を見る限り有権者の投票の自由は政治離れ
と政治不信を招くだけで民主国家の発展には大きな障害になって来たと判断出来る。
18歳に下げる理由は軍事国家に習っただけの平和国家日本に取っては何も利点は
無い政策だが投票税を主張する者に取っては結構な機会が出来たので喜ばしい事と
思っている。18歳の餓鬼どもに選挙権を与える政治家たちの思惑は余りにも不純で
はあるがその下心を逆手に取る為には投票税を施行して貰い真の民主国家への足が
かりとして投票税は欠かせないのではないか。そして、現政権の政治家たちに取って
も18歳に年齢を下げる事は18歳の餓鬼どもに投票して欲しいと言うことと思っている
のだろうから投票税に反対する理由は無いのではない。
18歳に投票権を下げる事は非常に危険な政策と言える。なぜなら、政治は国家に
取って重要であり、更に家族の事を考えると家族の絆が18歳で途切れる事になり、
家族の愛が薄くなる可能性もある。軍事国家に取って18歳を成人にする方が良いのに
決まっている。しかし、民主国家に取って選挙権の年齢を下げることは政策的には
何の利点もない。今回のある都市の若い知事の当選は年齢の若さが政治にどれほど
不安材料を与えるかの見本のようなものであり、更に若い国会議員の力の無さを見れば
20歳でも政治に関わるには若すぎると考えるべきなのに現政権の政治家たちが如何に
軍事国家を熱望しているのかが伺える。20歳までは家族を守るべきではないか。
- 121 :名無しさん@社会人:2008/02/16(土) 14:05:18
- 「「 (案)投票税、民主国家を棄てた平和国家。 」」
平和国家には色々な定義が在り、平和だけではその社会の内情を理解する事は
出来ない。
日本は平和国家としてこれまで多くの日本人が誇りにし、世界に対して平和の重要性
と平和が人々に与える命への優しい心は今日本人が進めている政治からは何も得る
ことが出来ない。
日本に起こっている悲惨な事件を見ると日本人一人一人が自らの欲望と政治への
無関心さによる自業自得的な事件が多いように感じる。学歴社会は国家の責任では
なく、一人一人の日本人の強欲さが他人への心得の低下を招き、自らが窮地に陥った
ときにそれを防ぐ術を見失い結果として悲惨な事件が発生するのではないだろうか。
テレビをはじめとする放送設備は公共的に、もう少し活用すべきではないか。特に
テレビは余りにも公共的活用が少なく、社会生活の改善には役に立っていない。テレビ
関係者の収入の多さにも驚く、平均年収が1500万円を越えるような仕事はしてないし、
そんなに給料を貰っていたら、このふさんだ社会を批判したり改善したりする意欲も
意志も生まれないし、誰も危険を冒す人はいない。テレビは公共的に利用しなければ
意味がない。テレビで働く人たちは社会に対して批判すべき立場にいなければならない。
そのためには高い給料は下げるべきだ。誰も贅沢をしているのに人を批判する
人はいない。だから、私はあえて贅沢はしない。贅沢して、貧乏人の批判をしても悪いし、
贅沢をしながら、贅沢なテレビの司会者を批判はできない。
人間は贅沢になったら他人の事を考える事は無くなる。贅沢をすると貧乏人を救うことは
考えない、貧乏人と遊ぶ事は楽しいがその貧乏人を裕福にしようとは思わない。裕福な
人が裕福な人と遊ぶ事はたまらなく楽しい。金の心配が無いからだそれに自慢が出来る
裕福になると自慢話が楽しい。裕福になったらいつまでも裕福で居たい。裕福は心の
底から楽しいのである。貧困者を犠牲にした裕福は許す事は出来ない。
- 122 :名無しさん@社会人:2008/02/16(土) 20:59:00
- なんでしょうか?
- 123 :名無しさん@社会人:2008/02/18(月) 09:39:50
- 「「 (案)投票税、民主国家の建て直しはテレビの活用。 」」
テレビを私たちは未だに十分利用していない。理由は色々在るだろうが簡単な所では
国民全体を相手にしていないということだろう。しかし、そろそろいいのではないか。
テレビをなぜ、金儲け主義だけにいつまで使っているか不思議でならない。テレビの
力は大きく、国民に対して正しく国の政策を訴え、更にそれに対する批判を述べる事が
出来、国家運営に無駄がなくなる。テレビの力は公務員の人数を減らん事も出来るし、
警察などの専用の番組も設けることで犯罪防止に役立つ。テレビは民主国家に取って
必要であり、政治や行政の番人として、更に危機管理上の施設として国民の立場に
立った公平な公共施設として今後見直すべきではないだろうか。その為にも投票税を
施行し、多くの国民の代表を政治に参加をさせ、真の国民の為の政治を行なえる体制
を創らなければならない。現在のような投票を有権者の自由に任せ、投票を拒否しても
何も責任を取らない制度では国民は主権者としての役割を果す事はない。人間という
生き物は責任を与える事によって義務を果すものであり、自由を与えれば出来る限り
楽な方に行くのが当たり前ではないだろうか。だから、これまでのように投票を有権者
の自由に任せる制度は間違えと言えるのである。国民に取って国に取って重要人物
である政治家は責任と義務を負った有権者によって選ばれるべきものであり、それを
成し遂げることが出来るのは投票税による。罰金制度以外ないのではないか。
日本の有権者数は約1億人、投票税を導入し罰金制にすれば投票率が低い場合は
その税収は莫大な金になる。例えば罰則金を2万円にすれば投票率7割ならば3割の
人から罰則金を取れる3000万人掛ける2万円ならば6000億円の税収になるので
ある。6000億円は少なくない。財源としては大きい。選挙は色々あり、年一回はある。
もし、選挙権が18歳になっても投票税の罰則金は家族単位で徴収すればいいのである
家族の中で代表者を決め、その人から徴収すればいいのである。個人からそれぞれ
徴収する事はめんどくさいので代表者制にすれば必ず徴収できる。
- 124 :名無しさん@社会人:2008/02/19(火) 09:24:30
- 「「 (案)投票税、民主国家は全ての国民が主権者だから。 」」
日本は明らかに民主国家である。民主国家は国民の全てが主権者であり、それは
同じ権利を所有していおり、学歴や生まれ、民族により、区別はされない。日本を自国
とし、日本国民という証明がある限りその人は日本人であり主権者だ。
投票税により投票率は必ず上がる。どれほど上がるかは罰則金によって決まるの
だろうが、投票税が大きな負担になる事は好ましくはないのではないか。
選挙が可能な日本人は約1億人、一割の人が選挙をしないと1000万人の人が選挙に
行かなかったということだ。罰則金を3万円にすれば3000億円の罰則金になる。
選挙は約1億人の日本人が対象になるので罰則金による税金は大きい。しかし、全ての
日本人が投票すればゼロになる。投票税の目的は全ての人たちが投票をすることだから
罰則金は多ければ多くの人たちが投票に行くのではないか。しかし、それも限度がある。
投票税は投票する事で罰則金は消える事になり、自由国家としての選択の自由は
ある。しかし、投票に行かなければ罰則金を払うことになるのだが、投票にいけない
人は投票税を免除しなければならない。身体及び精神的に不可能な人は免除され、
また投票が可能になれば投票税の対象になる。
民主国家の制度をより鮮明にし、国民の意見を尊重する為には投票税の制度は
無くてはならない制度であり、これにより男女の差も貧富の差、学歴、年齢による差も
解消され、人間としての英知の結晶が政治に反映され、本当の多数決による民主国家
が成立すると考えられる。
日本人は全ての人々が教育を受け、全ての人々が人間として平等になったが、唯一
まだ、平等になっていないのが国民の代表者である政治家を選ぶ選挙制度ではない
だろうか。日本は法治国家として重要な権利にはほとんどに罰則がある。教育の義務、
納税の義務、多くの義務にはそれぞれ罰則があるのである。それを考えれば投票拒否
に罰則がない方が可笑しいのであって、在って当たり前なのである。
- 125 :名無しさん@社会人:2008/02/20(水) 09:00:05
- 「「 (案)投票税、投票税の賛否を問うてみたら。 」」
テロ特措法による最初の犠牲者は日本人と言う事になった。首相はどのように判断
するのだろうか。多分こんな答えだろう。「国際的なテロの事を思えば小さな犠牲でしょう」
どんな答えか分からないが、70歳を過ぎた老人は問題解決より、全てを肯定し、波風
立てずに無関心を装い、物分りのいい爺さん演じていれば国民は忘れると言う事なの
だろう。犠牲になった二人はテロ特措法により、過剰警戒及び過度の演習が齎した
犠牲者と言える。早くの救出と日本国民の政治に対する甘い姿勢が自衛隊員の不覚を
助長したと言える。そもそも、平和国家を守る自衛隊は他国の軍隊とは違い全ての
人々の命を尊み、世界平和を武力で達成する事が目的ではなく。あくまでも、日本国を
一方的に侵略してくる国家に対する防衛の為の組織と考えるべきものであり、テロ
特措法による米国の一方的な宣戦布告による戦争を支援する為の組織ではない。
現政権は大した理由も無く米国が同盟国という理由で日本へのテロの脅威を風潮し、
結果としてテロ特措法を制定してしまった。そして、その最初の犠牲者が日本人を
守らなければならないのに日本人を傷つけた事は現政権が如何に徳のない政権で
あるかを物語っているのと投票税のない民主国家がどれほど不幸を呼ぶかを多くの
日本人が認識したのではないだろうか。それとも、いつものように無関心を装い、女の
尻または男の尻を追いかけているのかどちらでもいいが早く目を覚ませと言いたい。
日本人は金を稼ぐのに全ての力を使い、それの使い果たした力を色恋で癒し、蓄え
そして、また働く。政治のせの字もない生活を毎日送り、他人の事は次、ではなく、5番目
ぐらいだろうか。何でもいいから日本人のような性格の人間には罰則金を突きつけ無理やり
政治の事を考えさせないといい考えは出てこない。だから、投票税が必要であり、無い事で
戦争参加を許し、その結果自国民を傷つけてしまった現在、投票税の賛否を問う前に
現状が如何に民主国家からかけ離れた国家運営をしているかを嘆き悲しむべきでは
ないか。戦争参加はどのような理由が在っても弁解できない悪行として歴史に残る。
- 126 :名無しさん@社会人:2008/02/21(木) 10:28:52
- 「「 (案)投票税、いくら国でもない袖は振れない。 」」
国に隠し財産がいくら在ってもその財産を使う方法が見つからない。日本の負債は
これから多くの善良な顔をした悪人たちの化けの皮を剥ぎ続けるのではないだろうか。
1000兆円を越える国の負債は国民の貯金から借りた金である。国民の貯金は
1500兆円と言われている。そして、国民の負債は国だけではない、自分たちも負債を
持っている。その金額は適当に考えて350兆円とすれば、1350兆円が日本に存在
する負債だ。1500兆円の貯金に対して1350兆円の負債をどのように管理し、如何に
処理をするのか、これから面白い世の中になるのかそれとも恐ろしい世の中になるのか
よく分からないが、何れにしても日本には1500兆円の現金はあるとすれば、日本の
将来は明るい。問題は1350兆円の負債をどのように返すかだ。
日本の学歴身分制度は優秀な人たちを貯金を増やす仕事に就かせないで、貯金を
使う仕事に就かせたという事だ。日本はこれまで優秀な人たちに贅沢と楽をさせて来た
のである。もったいない話しだ。頭が良かったらお金を稼いで貰ったら良かったものを
高い給料と高い身分を与えてしまい、そして、税金を湯水のように使いそれを自分の
給料にしてしまったということだ。その結果が負債1350兆円と貯金1500兆円という
ことになったのではないか。
普通の家庭なら負債は借金であってその金は無くなったことになるのだが国の借金は
貧困者から学歴身分制度によって身分と収入を保障された人々の貯金に変るだけでは
ないか。それもお抱えの政治家たちが作った利権と制度により保護された不公平な
カラクリにより仕事の質や量を無視した単なる利権分配という事だ。
投票税を導入し真の民主国家の中で優秀な人たちにはその頭の良さを十分発揮して
貰いその働きに見やった収入を得て貰いたい。それにより適正な税金とその税の使い
道が確保されるのではないか。投票税には多くの可能性と日本人全ての幸せを追求
する力が備わっているような予感がする。
- 127 :名無しさん@社会人:2008/02/22(金) 10:14:58
- 「「 (案)投票税、民主国家の医療制度の考え方。 」」
投票税は医療制度を大きく変え、国民の為の医療を提供できる。医療も今日の日本に
生まれた学歴身分制度を最大限に利用し、医療は国民の生命を守る立場なのに医療に
携わる人たちの生活の為の制度になっており、多くの国民に取っては不便な制度に
なっている。
投票税を取り入れた民主国家に於いては医療制度を国民の立場に立った制度に
変え、多くの制度の変更を行い、患者に対して納得の行く医療を行なうことを目的に
して、現状に合った改革を行なえる制度にする。
投票税を導入する事で、これまでの選挙制度が変り、特定の組織の影響が減ることが
考えられる。これまでのように医療に携わる人たちの政治への影響力が医療制度の
国民の生活に合わない面に、多く見られていたが、医療も特別な扱いをする必要は無く
患者の数、医療環境の変化により社会に合った制度を柔軟に取り入れる必要がある。
投票税は政治への国民の意見が十分受け入れられる環境を作る事が出来るので
患者数に対応した医師数を確保する事が可能になるのではないか。
今のような恵まれた収入は投票税を導入した民主国家では期待できないが職業と
しての医療業務は十分な収入を保証出来るのではないか。医師数も収入を減らす事で
医師の人数を増やし、学歴身分制度から研修制度を利用した資格の取得を併用し、
難易度の高い試験から実務型の試験制度を導入し、医師への道を広く開く事で医師
不足の解消を図るべきでは無いか。更に学歴身分制度から脱却し、医師の特別待遇を
取り払い、医師の仕事を国民がもっと理解し、その仕事に合った報酬や労働を検討し
医療は人間に取って一番身近なものであり、常に手の届く環境を整えるべきではないか。
その為にも安易に高い学歴を望まないで実務型の医療制度を取り入れる必要がある
のではないか。民主国家に於いては学歴による身分では無く、実務型の身分制度を
追求すべきではないだろうか。学歴身分制度は実務の伴わない無駄な社会を作ってしまった。
- 128 :名無しさん@社会人:2008/02/23(土) 08:58:20
- 「「 (案)投票税、:結局誰かが死ななければ何もしない国になっちゃた。 」」
投票税を馬鹿にする人がいるけど民主主義を望むなら投票税は必要な制度であり、
人間の命を尊重するのなら在った方がいい。
日本人は学力により人間の優劣を付けているが学力が人間の優劣を付ける根拠と
しては不十分である事を理解し、出来るだけ早く正しい評価基準を作るべきではないか。
多くの職業は学力だけで仕事をしている訳ではなく、体全体を使って仕事をしている。
医師による手術は手先の器用な人がいいだろうし、テレビの司会者は話の上手い人が
適当だろう、公務員は真面目で信用が出来、多くの人々を幸せにしたいと思っている
人が適任だ。技術開発は想像力と独自の発想力が重要だ。
学歴社会が今になって崩壊していく現状が見えて来たのでは無いだろうか。多くの
職場でその業種に合わない人たちが働き、その人たちが多くの問題を起こす現実が
明らかに成って来たのでは無いか。
日本には1億2500万人もの人々がいるのに多くの人々が適材適所で働いていない
為に職業が見えなくなり、多くの日本人が何をして暮らしているのか分からない社会に
なって来たのでは無いだろうか。それは、学歴身分制度により、学歴だけを重視した
社会が創った脳タリンの社会になってしまったのでは無いのか。
脳タリンの社会とは学歴だけを評価された人々が実際の職場に就いたときに何が
起こるかというと学力不足が起こるのである。学力の高い人が学力不足になる。それは
実際の仕事は体力と学力を同時に使い、脳の命令を筋肉に伝達しその筋肉が手足を
動かし、その動きによって次の支持を脳が命令し、次々に仕事を片付け行く。実社会
では脳と体の切れを合わせた能力がその人の実力であり、それが本当の脳みその
使い方なのである。鉛筆は持てるが人の手を握れない人が多くなったのではないか。
学歴身分制度は多くの問題を解決しないで頭でっかちのうすのろのぼんくらばかり
で誰か死ななければ何もしない人たちの集まりになってしまったのではないか。
- 129 :名無しさん@社会人:2008/02/24(日) 10:44:37
- 「「 (案)投票税、日本に戦争をする力が在るのか。 」」
日本人が日本を防衛する人たちに殺されたとしたら日本人は何をすれば善いのか。
テロ特措法により日本は戦争に参加をする。そんな日本の防衛組織である自衛隊が
民間の漁船と衝突し、二人の犠牲者が出てしまった。それに対するテレビの対応は
余りにも手ぬるく、余りにも鈍い。
事故で在るならばなぜ、自衛隊の船長が出てこないのか。早く国民の前に出て、事故の
説明をしなければ事故のときの状況が捻じ曲げられてしまい全て嘘になると、なぜ、
テレビは言わないのか。自衛隊も子供じゃないのだから、なぜ、船長が出てきて説明を
しないのか。テレビは何も言わない。これが民主国家の報道機関と言えるのか。大事な
テレビの時間を使い、馬鹿な司会者と解説者の想像ばかりを流し、視聴率を稼ごうと
する惨めな番組をいつまで作っているつもりなのか。自衛隊は戦争に参加をし、日本を
守ろうとしている組織ではないか。その組織が日本人を傷つけた事はそれがどれほど
在ってはならないことかテレビ局は誰も分かっていない。これこそ、学歴身分制度を
取り入れた組織が如何にダメな組織になるかの証明ではないか。報道機関で在るならば
なぜ、当事者である船長をテレビに出さないのか。それを国民に訴えその力で船長を
番組に出し、その説明をさせるべきではないか。それに船長は説明しない限り、結果と
して、犯罪者として逮捕されるべき人間ではないか。野党の政治家は大臣に辞任を
要求し、船長に説明をさせることを要求しないのが不思議でならない。
このように与党も野党も学歴身分制度にどっぷりはまり、政治家としてはどうにもならない
人間であり、車で言えば初代のカローラ程度の性能になってしまったのかもしれない。
能力のない人間が学歴だけを頼りに要職に就き、能力のある人間がすべき仕事を
馬鹿がする矛盾が出たと言う事だ。最新鋭の艦船には多分学歴身分制度で優秀と
言われる人々が乗っている筈だ。今回も学歴ではその人の能力を評価することは
出来ないという証明では無いか。説明できない人に戦争を任せる事が出来るのか。
- 130 :名無しさん@社会人:2008/02/25(月) 09:39:16
- 「「 (案)投票税、自衛隊を責めるだけではいけない。 」」
自衛隊の艦船は避けなかった。なぜ、避けなかったのか。避けなくてもよかったから
なのか。避けなくても走れたのではないのか。
日本の中には問題を問題にしない人たちが沢山いる。これが問題だ。何とかしたい。
こんな架空の話が浮かぶ。ある漁師が自衛隊の船は我々を見ても避けようとしない。組合
長これは自衛隊に訴えるべきでしょう。組合長は我々が言っても聞かないだろう。組合
長いつか事故になりますよ。困ったものだ。組合長それでは我々の命はどうするのです。
組合長はそれではお前が組合長をするか。これは想像だが結局今回の事故は漁業
関係者は起こるべくして起こった事故と言う事だろう。どうして、漁業関係者は警察や
役所、政治家、報道機関に訴えなかったのだろうか。漁業関係者の話は自分たちにも
責任があると言う事をほのめかす節がある。関係機関にこの事故が起こる前に事故
になる可能性を訴えていたのか、なぜ、訴えなかったのか。訴えなければいけなかった。
投票税のない民主国家の情けなさは日本中の問題を解決できない現状を見れば
明らかである。私たちは自衛隊を責めるだけでは何も解決はしない事を誰もが分かって
いる。自衛隊を責めると共に国民全体を責めるべきではないか。自衛隊の船は避けない
事を知っている人たちは何人居たのか、そして、その事を改めようとした人が何人いた
のか。多くの問題はほとんどの関係者が解決策を知っていても解決しようとしない。
何もしない国民たちの無責任さ、我儘な人々の醜さ、涙を流す姿の陰心、弱い人間の
狡さ、人は色々な場所で色々な性格を表し、時には真面目な人、時にはずるい人、時には
人を裏切り、時には人を恨む、いくら言っても聞かない人々、自分勝手な人、だから、人間て
どうにもならない生き物という事意外なんとも言えないし、結局、死んでしまったら終わり
だねとしか言えない。人が死に涙を流す。涙を流す人はその人に本当に心から訴え
るべきではないか。これからは問題が在ったら改めるように努力をしますと誓うべきだ。
多くの人は自分の幸せばかりを追いかけ、不幸になった人々を直ぐに忘れてしまう。
- 131 :名無しさん@社会人:2008/02/26(火) 10:53:19
- 「「 (案)投票税、学歴身分制度の学芸会。 」」
学力の高いお坊ちゃまとお嬢ちゃんの学芸会にはうんざりする、結局、頭がいい人
たちは、とろい人たちという事が分かったような、今日この頃だ。
人生、誰がどうなろうと関係ないと割り切ってしまえば幸せになる方法はいくらでもあり、
学歴身分制度で贅沢な生活を送っている人たちが、全て人間として有意義な生活を送って
いるとは思わない、多くの人々が汗水流して働いた貯金を無駄に使っているお坊ちゃま
やお嬢ちゃんを見ると一言も二言も悪態を吐きたくなるのは自然現象ではないか。
2ちゃんねるで何を言っても何の役にも立たないし、何の役に立つとも思っていない、
どんなことでもどうでもいいように勝手気ままに書き、自分なりに物事の本質を探る訳
だが、それが間違っていると思えば、また他の考え方を空想すればいい訳で、頭で考
える事には答えはないといえる、答えを見つけたと思うとまた別の答えを見つけようとし、
多くの人の立場に立てば、いくらでも答えは見つかる。
ひ弱で体力も無い人が勉強をして、優秀と言われ皆に誉められ、いい職場に就職し
高い収入を得る。しかし、結局、その人はひ弱で体力の無い頭でっかちな人、世の中の
幸せは頭がよくても金が在ってもそれだけで得られるものではない。しかし、世の中では
頭のいい人が優秀な人で沢山金を持っていれば幸せになれると思っている人が沢山
いる。だから、頭のいい人を祭り上げ、高い給料を払い、自分の子供にも高い学歴を
付けさせ、学力を上げる為に金を使う。そして、また、金を無駄に使う。
ひ弱な優秀な人たちは学力を付けるために金が必要になる。しかし、学力だけでは
金を稼ぐ事が出来ない。だからその人たちは考えた。仕事が出来なくても学力が高い
人は高い給料を貰えるようにすればいいのだと。そして、いつしか 学歴身分制度が
世の中に出現した。今改めて考えれば学力が高い人間が社会生活の中でどれほど
必要な人間なのか考えれば、答えはこうなるだろう。金を稼ぐ上で学歴だけの人なんか
必要がない。生きていく上でも過度の学問は必要ではない。
- 132 :名無しさん@社会人:2008/02/27(水) 09:46:13
- 「「 (案)投票税、学歴身分制度が世の中に取って不利益になったという理由。 」」
子供の頃から勉強が出来る人で、勉強以外に優秀と思った人は居なかった。そして、
今もいない。これが世の中に取って不利益という理由ではないか。
勉強が出来て世の中に役に立った人は極少ない。多くの人たちは今まで世の中に
不利益な人々を評価し、その人たちを目指し、勉強をして来た。そして、高い学歴を
得て世の中に取って重要な立場と高い収入を得る為に、多くの人たちは無駄な勉強を
して不利益な人を目指しているのである。
学力の高い人、勉強が出来る人、この人たちを必要とした時代がなかったとは言わ
ない。記憶力が良く。学んだ事は忘れず、誰かがこれ教えてと言ったら直ぐに教えて
くれる記憶力、多くの資料や書物を読み、皆が知りたいことを答えてくれる頭のいい人を
多くの人たちは評価をし、その人に高い給料を払った。そして、その人は努力家でも
在った。今のようにどうでもいい事を学び世の中に取って必要のない試験をし、単に学歴
を持った人を評価するのではなく。その職場に於いて必要と思った事を他の人より学び、
他の人より沢山記憶し、その職場でその職場の事を一番理解している人を学力があり、
優秀な人として評価したのである。そして、その人はその職場を日本一の職場にした。
簡単に言えば優秀な頭を有効に使いその職場で働く人たちの給料を上げることが
その人の学力により出来たのである。
私たちは頭のいい人を単なる頭脳労働者と思うべきであり、頭のいい人を上手に利用し
世の中の為に働いて貰う事を考えるべきだった。
それが今は頭のいい人に皆が使われる世の中になってしまったのである。頭のいい
人が頭の悪い人たちを使い、頭の悪い世の中を作り、自分たちの頭は使うと疲れるので
頭を使わないで馬鹿な頭を適当に使いいい加減な世の中を作り上げてしまったので
はないだろうか。テレビ業界、公務員、政治家、大企業を見るとそれが顕著に表れて
いる。困った事だが実社会に合った学力を持った人たちは少なくなり、利益を上げなくなった。
- 133 :名無しさん@社会人:2008/02/28(木) 10:13:26
- 「「 (案)投票税、学歴万能主義者が学歴社会を望む奇怪な世の中。 」」
世の中の全ての問題を学歴で解決する学歴万能主義が人間社会を奇怪な社会に
変えて行く。
学力が社会の問題を解決すると定義し、あくまでも学力の向上を望む多くの人々の
姿勢は本当に正しい選択なのだろうか。
一般社会では遭遇しない奇怪な問題を学び、更に奇怪な試験に挑み、優秀な成績を
上げた人が日本の重要な仕事に就く。そして税金の配分を考える人に変る。
走ることも飛ぶ事も立っている事も苦手な優秀な人がナイフを持ち、肉を切り裂き、
肉を縫い合わし、5時間も10時間も立ち続けて仕事をする先生に化ける。
敵も見方もお構いなし、弱い者にはめっぽう強く、強い者には黙って従い、人間より
組織が大事と訓練された、学歴戦士は本当に人間として成長してきたのか。
学歴が人間を作り、学歴が社会を支配したとき、自然界の規則や人間の本性は人間
に取って有利に働き、人間の明るい未来を望む事が出来るのだろうか。
人々が有意義に生活する為に多くの規則や方法を考えてもそれを守る人と守らない
人がいる社会は民主的な正しい社会とは言えないのではないか。
学歴万能主義者が学歴身分制度を創造し学歴により人間を区別する事を盛んに
試み、社会の中は奇妙な思考力を持った人々の存在が明らかに見えるようになって
来た。それは道徳のない人々、他人を思いやらない人々、他人を傷つけても何も感じない
人々、自己中心で自分だけの利益を望む人々、国民の代表で在りながら国民を守らない
人々、間違いを犯した人が目の前に居ても自分を傷つけなければ友達に成れる人々、
学歴が人の痛みや気持ちを理解出来ない人間を作ってしまったのではないだろうか。
テレビ局で働く人々を見ると自己中心的な奇怪な人々の姿が見える。それは利潤だけを
追求する為に誰がテレビを見ているのかを忘れてしまい。子供たちには悪影響を与える
ような犯罪ドラマや性犯罪誘発番組、精神撹乱番組を流し続ける人々の奇怪な精神を感じる。
- 134 :名無しさん@社会人:2008/02/29(金) 10:32:43
- 「「 (案)投票税、法治国家が呆痴国家に成って放置していたら痴呆だ。 」」
痴呆丸出し、痴呆老人が道端で用足しをする姿は寂しくいとおしい。なぜ、日本を守る
人が嘘を言ってその事について嘘を言っているつもりはないと言い。そして、私たちは
その惨めな人影に対して大臣と言う要職を任せているのか不思議でならない。多分、
学歴身分制度の学歴万能主義者たちが学んだ参考書には嘘を付いてはいけません
という問題の答えは無かったのではないだろうか。
現首相も頭が良いらしいが私たち頭の悪い人間には余り頭がいい老人には見えない。
多分、私は参考書に従わなくいで物事を判断するからかも知れない。現首相は何でも
規則に無いから嘘付いても止むを得ないと言う雰囲気が在り、法治国家であるならば
痴呆を丸出しでもあなたの痴呆は他の人とは形が違いすぎから規則に則ると痴呆とは
いえない、30cmを越える痴呆は痴呆とは言えない。それは痴宝ではないか。それも
国会で適切な制度を作りましょう。それが出来るまではあなたの痴呆丸出しは許しま
しょう。だって、30センチ越えたら痴呆とは誰も気付かないもの。あはははは。と言って
奥へ消えていった。馬鹿馬鹿しい、誰でも気付くに決まっているではないか。そこに馬も
いないのに馬のような奴が立っていたら気付かないはずが無い。
漁師が二人も死んで逮捕者は未だに無し、法治国家ではないのかと思ってしまう。
軍事国家の恐ろしさを感じない訳にはいかない。
テロ特措法により、自衛隊員は死を前提にする職業になった。どんなに理性を持った
人でも死を前提にした職業に就く事は相当な心構えと他者と比べて何らかの特別な
待遇を期待し、そして、それを求めるのである。私たち国民はなぜ、戦争ができる国家
に日本がなる事を許してしまうのか。多くの人たちに考えて欲しい。60年間戦争を
したいが為に自衛隊に入った人々は相当いる筈だ。消防士が火事を消したい為に
消防士になり、火事がないので自らが放火をする事件は後を絶たない。多くの国民は
人間の心理をもう少し学んで欲しいものだ。
- 135 :名無しさん@社会人:2008/03/01(土) 11:26:24
- 「「 (案)投票税、馬鹿は死なない、なぜ、馬鹿だから。 」」
私たちは馬鹿な人を馬鹿という前に自分自身を振り返り自らの頭の程度を考えよう。
大臣より頭がいいとは思わないが、大臣が頭がいいとは思わない。大臣は嵌められた
と思うのか。大臣は嵌められなかったと思うのか。大臣が本当の事を隠す事ことを嘘
を吐くと言っていいのか。大臣が本当の事を知りながらまだ言わないでくださいと言わ
れて言わなかったら嘘になるのか。
大臣が知っている事を知らない振りして国民に報告する行為は正しいことなのだろうか。
この場合、如何なる場合でも大臣は国民を欺いた事になる。もし、大臣が知っていて
国民に言いたくない時は「私は知っているが今は言うことは出来ない。時期を見て報告
します。」と答えるべきではないか。例えば日本の漁船と追突し、漁船に犠牲者出て、
その事故に対して大臣が知っている事を隠した場合、大臣は国民に隠すべき理由は
一つもない。それはどの大臣にも言えることではないか。
民主国家に於いて政治家が嘘を言うことは国民との信頼を考えると非常に問題で
あり、それは政治家としての責任を果たしていないことに成る。大臣は政治家の代表
であり、日本国民に取って信頼すべき人物である。
ある大臣が自衛隊と漁船の事故に於いてテレビ放送の中で知っている事を知らない
振りをした行為は国民に対する裏切り行為に当たるのではないか。
大臣の裏切り行為は国家予算の無駄遣いと国民に与える不道徳行為は国民の国家
に対する不信と欺瞞を招き、国民の精神的な堕落を助長する可能性がある。
自衛隊といえでも日本人との事故は特別扱いするべきではない。日本は現在有事でも
その可能性すらない。大臣は自衛隊の当事者への事情聴取の事実を隠すべきでは
なかったし、隠したところで分かることであり、もし、その事実を隠し通せると思っていた
とすれば防衛関係の要職に付くべき人物ではないのではないか。そして結果として
その事実を認めた事は関係者に嵌められたということなのか。それとも馬鹿なのか。
- 136 :名無しさん@社会人:2008/03/02(日) 20:56:20
- 「「 (案)投票税、投票税は国民の生死を左右する。 」」
投票税は選挙のとき、選挙に行かない人から罰則金を取る制度です。多くの人々に
選挙に参加をしてもらい。政治家が国民の後押しを受け、国民の為の国民による政治
を目指す事が環境問題や国家の負債に隠された大きな問題を解決する手段ではない
でしょうか。
投票税は決して国民に強制的な投票を望むものでは在りません。もし、立候補する
政治家の中に推薦したい人がいない場合は投票用紙を白紙で出せばいいのではない
でしょうか。それによって政治に対する不満の意志を訴える事が出来ると思います。
投票税の持つ、罰則金の意味は人間の曖昧さと我儘、特に日本人の特徴である積極性
に欠ける性格は正しい政治を国家が行なう上で大きな障害になり、それにより不公平
や不平等の原因になります。このように国民が国の主権者であるからには国民は政治に
責任を持つべきではないでしょうか。そして、貴重な時間を使い多くの人々は投票に
行きます。それに対してそれと同程度の人々は投票に行きません。この現象は非常に
不公平ではないでしょうか。投票に行く人は喜んで行く人ばかりではないのです。多くの
人々は国家をより良い社会にする為に出来る限り優秀な政治家を選択し投票所に
行き投票します。片や投票に行かない人は旅行や仕事、そして、立候補した政治家に
投票したくない人々がいます。勿論、自由な国日本と言う事を考えれば投票の自由
を主張する人々の気持ちも分かります。しかし、投票をしないことで悪政により、多くの
人々が傷付き、時には命まで落としています。救急車に乗り、受け入れる病院がない
為に命を落とす人もいます。このような問題はすべて政治家による政策作成の不備と
考えられます。私たちが国民の為に働く政治家を選んでいればこのようなことは起こり
ません。政治家を選ぶ行為は交通事故のように、違反する事で人間の生死に関わる
問題なのです。だから、政治家を選ぶ選挙に行かない人に罰則金を要求することは
民主国家の政治家を選ぶ上では当然なくては成らない制度と言えるのです。
- 137 :名無しさん@社会人:2008/03/03(月) 10:09:52
- 「「 (案)投票税、貴人、変人、大臣だよな。 」」
国民は政治家を決して見捨ててはいない、政治家が国民を見捨てている。大臣は
嘘を吐き国民を欺いた。国民は大臣の嘘を冷静に受け止め、弁明を聞いている。
嘘を吐いた大臣は自分が嘘を吐いた事を認めようとしない。国民は一時的な健忘症と
思い変わり果てた大臣の言動を聞いている。
大臣は事故を起こした人を事故の現場から呼び、その人から事故の内容を聞いた
ようだ。それなのに大臣は事故を起こした人を呼びつけたことを国民に言わず、事故の
内容を知っているのにその事実を隠した。
事故現場から事故について一番詳しい人をヘリを使い東京に呼びつける事は人命
救助を考えれば決して行なっては行けないことではないか。海の上で起こった事故で
二人の漁師が海に消え、その消えた二人を捜索しなければならない時にヘリを使い
大臣が当事者を事故現場から遠く離れた東京に呼びつけ事故原因を聞いたとすれば
人命救助をしなければならない時に事故原因の一番詳しい人がいないと言う事は
人命をおろそかにした事にならないのだろうか。呼びつけた事は行方不明者に対する
軽率な行為であり国民の命を預かる大臣としては正に不適格者と言える。
今回のような事故については大臣の取るべき行動は自らが行く事が出来ない筈だから
副大臣かそれに相当する人物を現地に派遣し、現地で事情を聞き、その原因を連絡
してもらい、出来る限りの事故による被害者の救命処置を講じで二人の捜索をすべき
であった。そして、テレビ出演のときは他国からの武力行使でない限り有事ではない
訳だからあくまでも単なる海難事故として大臣はありのままを国民に報告し、行方不明
になった漁師の二人を探している事を強調し、更に自らが監督管理をする自衛艦の
事故当時の知りえる事実を国民に報告すればよかった。くだらないところで嘘を吐き
国家の危機管理の無さを露呈した行為は5兆円もの巨額な税金を使う組織の管理者
としては余りにも能力の無い人物という事を国民に認識させた事になり、その人物を
与野党の政治家及びテレビが評価をする言動には呆れるばかりだ。
- 138 :名無しさん@社会人:2008/03/04(火) 09:24:30
- 「「 (案)投票税、人類が永遠に存続する為には。 」」
私たちの求める国家は決して全てがばら色ではない。資源の枯竭、環境悪化、などは
地球という星が無限の存在ではなく、限られた存在であり、それに対して人間という生物は
無限の存在であり、地球という有限の部室の中に人間という無限な欲望を持った生物が存在する。
限られたものと無限のものが存在するこの地球を人間という生物が如何に長く、そして、
有意義に存在していくかを考える事は非常に重要な事であり、私のような箸にも棒にも
かからない人間に取っても考えるべき課題ではないだろうか。
多くの人々は目先の幸せを求め、毎日を一生懸命生きている。それは正しい生き方
と言えるだろうか。しかし、自らの幸せだけを求める行為が地球を傷つけ、また、多くの人々に
負担をかけ、そのことを考えずにただ自らの幸せを追いつづける人々を安易に正しい
生き方と評価することは一概に言えない時代になったと考える事も間違いではない。
投票税は多くの道徳心と心理的な人間工学の面からも合理的な制度を含みあらゆる
人間に必要な条件を満たす制度である事は疑う余地が無いと言える。
投票日の当日、今日の投票は辞めたいと思い、くだらないテレビを見ていたがテレビの
司会者が投票をしないと今回の投票から2万円の罰金を取られる事になりました。私
たちのくだらない番組を見ているのなら投票に行きましょう。とテレビの司会者が今日
一番適切な指摘をした。そして、それを聞いた国民は重い腰を上げ投票に行く。誰に
投票するか考えたがなかなか思い付かない。そして、いつか、政治家の不正に付いて
批判をしていた政治家を思い出し、不正をする政治家より不正を指摘する政治家の
方が我々の為になるだろうと思いその人に投票した。そして、その結果、これまで
政治への不正を訴えていた政治家が初当選し、それをテレビで見た国民は自分が
投票した人が当選した事を知り、何かすがすがしさと自分の一票が確かに政治へ届いた
ことに感動し、これからは政治も少し注目し、政治家が日頃何をしているか気にかける
ようにしようと思った。自分の将来の事も貧しい国々の事も政治家が重要という事に気付いた。
- 139 :名無しさん@社会人:2008/03/05(水) 09:18:12
- 「「 (案)投票税、学力によって国家が滅びる時代。 」」
投票税は滅び行く国家の救世主になることが出来るか。学力が支配した国家は
学力によって滅びる。なぜ、そのように考えられるか、それは武力によって支配された
国家は武力によって滅びた、と言えないか。ペンは剣よりも強し。最近は使わないが
ペンは学力、剣は武力。武力より強い学力が国家を滅ぼしたとしても驚く事はない。
武力によって殺害された人間が学力によって殺されたとしても不思議ではない。自殺
の多い今日、この人たちも学力による被害者と言える。武力は人間の肉体を破壊するが
学力は精神を破壊し、その精神は自らの肉体を破壊することになる。
学力と知力を比較してみると学力を力とする事が如何に危険かという事が分かる。
学力は頭脳の構造が優れている人が優位な分野である。活字になった文章を記憶し
それを短時間に表現できる能力に優れた人が高い学力が有るという事になる。
知力は学力と知識を伴った能力だ。知識は学力を経験と時間で鍛錬したその人特有
の能力で、その能力は自分だけのものではなく、多くの人々も理解しその能力を認め
評価できるもの。学力だけで人を評価する事で知力を養う時間を失う。例えば公務員
たちのおかれた立場を見ると学力だけで人を評価する為に人間としての知力に欠け、
国家に対する奉仕の誠心を忘れ、自分たちの贅沢な生活だけを望む制度を創って
しまった。
学力によってスタートラインとゴールラインを同時に通過する制度を創ってしまった。
スタートラインに立ったとき、既にゴールラインを踏んでいる制度には経験も時間も無く
全ては決まっている時間を過ごす事になる。何もしなくても、いい生活を送ればいいの
である。国家が莫大な負債を持っていても、国民を守らなければならない自衛隊が国民を
殺したとしても、病人を乗せた救急車が病院を渡り走って病人が死んでも、スタートライン
とゴールラインを通り過ぎた人々には何一つ変えることが出来ない。それは国家が今
滅び去っていく事が分かっていても、何をしたらいいか分からない人たちなのである。
- 140 :名無しさん@社会人:2008/03/06(木) 09:15:41
- 「「 (案)投票税、公務員たちの存在価値を考えたとき不必要な存在に気付く。 」」
武力による防衛が如何に非合理的な政策であるかは全ての国家が分かっている。
中国は歴史的に見ると守りの国家、日本は攻撃型の国家と言えないか。中国は戦争
して得するものは一つもない。広大な国土はまだ未開発の土地が沢山あり、日本を
含めた先進国と戦う事は決してない。中国の軍事拡大は日本に取って脅威ではなく
利益を望める政策と言える。そして、中国の軍拡は全て国内政策であり、税金の増加
よる使い道が軍事増強へとなる事は軍事国家である中国としては当然と言える。
日本が平和国家を棄てた今日、テロ特措法などの海外派兵を進める行為は軍事拡大
行為であり、日本は他国を批判できる立場ではなく。同じ軍事国家として中国が軍事
拡大を行なう事は喜ぶべきではないか。現に、現政権の政治家たちを見ると中国の
軍事拡大を批判しているが腹では喜んでいることが手に取るように分かるのが憎い。
私としては中国の軍事拡大は反対で、日本の軍国主義者を刺激するだけで何の意味も
ないと確信している。
60年間の静寂な社会を維持した日本はなぜ、戦争を避けることが出来たのだろうか。
答えを考えると馬鹿馬鹿しくなるがこんな答えが適当だろう。戦争好きな日本が戦争を
しなかったから60年間戦争がない。日本が平和憲法によって戦争が出来なかったから
戦争が無かった。戦争をする国は日本以外無い。情けない答え、惨めな答え、的を
射た答え、貧相な答え、哀れな答え、政治家たちが防衛する意義を長い年月訴えて
来たが改めて公務員である自衛隊を考えてみると日本がもし、攻められるとして考え
た時、世界の中でどこの国が日本を攻める可能性がある国かと考えればそれは日本と
いうことになるのではないか。日本を攻める国は日本ということだ。日本の自衛隊が
守らなければならない国は日本と言うことになる。無理な話ではないか。自国を自国から
守る、そして、60年間平和を保てた訳だ。馬鹿馬鹿しい話だが、60年間の平和を詩的に
解明するとすれば矛と盾を持った兵士が60年間立ち尽くしたと言う事ではないか。
- 141 :名無しさん@社会人:2008/03/07(金) 10:09:26
- 「「 (案)投票税、最近、拉致問題の話題が無くなったようだが。 」」
拉致問題を解決する為に色々と考えてきたが今の状況を見ると誰の考えが正しかった
のか良く分からない。私は経済制裁に反対し、交流による友好的解決を主張したが
日本は攻撃的な制裁という道を選び、拉致被害者も権力に解決を委ねたが今の状況
から判断するとそれも期待外れと言って良いのではないだろうか。
私の考えは前と変らず権力に頼った拉致家族は拉致被害者を見殺しにしたと思って
いる。家族の問題と片付ければ拉致家族が選んだ道をとやかく言うのはどうかと思うが
家族に対する民主国家に住む日本人としての気持ちは権力を盾に家族を救う手段は
余りにも人間性に欠け犠牲が大きいと思っていた。
権力に委ねるということは日本人全体を犠牲にしかねないことであり、国家間の争い
を伴う手段でもある。国家は日頃から危機管理体制を取り、海外からの犯罪を防ぐ為に
努力と予算を掛けている訳で、拉致行為などの犯罪は実行犯の罪は当然の事だが
その拉致を許した日本の責任も非常に大きい。そして、日本の責任の取り方は拉致を
行なった国をただ責めるのではなく。そのような犯罪を防ぐ事が出来なかった事を
反省し、更なる対策を考える事が重要ではないか。
国家間の問題は出来る限り、個人的な問題にすべきではないだろうか。拉致問題も
国を全面に出した解決策には限界があり、拉致問題程度では決して国家権力すなわち
武力を使う事はない。これは断言できる。というより当たり前ではないだろうか。経済
制裁も非常に大きい国家権力ではなるがそれを施行した現政権の無能体制は現況を
見れば明らかであり国家の人的犠牲を伴わない権力が如何に無力か分かったのではないか。
今、拉致問題を友好的な交流により解決する道を選んでいたら、日本は世界的に
評価をされ平和国家の道を外すことは無かったと思うと軍国主義者の腹黒い策略に
乗った拉致家族そして多くの日本国民の判断の誤りを嘆くばかりだ。ただ、世の中は
こんなものでいいのかも知れない、正しい人間なんてどこにもいないのだから。
- 142 :名無しさん@社会人:2008/03/08(土) 09:12:41
- 「「 (案)投票税、新公務員解体新書で候ふ。 」」
財閥解体に匹敵する公務員解体は実現できるか。まずは公務員は何者であるかを
解き明かさなければならない。率直に見て公務員は誰の為に奉仕をする存在か。国か
国民か、それとも公務員自身なのか。勿論、公務員自身と答えなければならない。なぜ
なら、奉仕をする人たちが奉仕をすべき人たちより高い給料を貰っていることではない
だろうか。奉仕をする人が奉仕をされる人より沢山お金を貰っていたら奉仕という言葉
は当てはまらない。どのような言葉が適当か考えてみると飼育が合うのではないだろうか。
日本の公務員は国民を飼育する人々と言う事になる。現実をみると間違っていない
のではないか。
公務員のルーツを探ることにする。その人を知るにはルーツは欠かす事は出来ない。
公務員のルーツは侍か。侍ならば奉仕をする人にはなれない。飼育をする人が正しい
だろう。しかし、今の日本には侍はいない。それでは今の公務員たちはどのような家庭
から生まれて来たかを考えてみると、あらゆる家庭から公務員になっている。
公務員たちの家庭は裕福な家庭、貧しい家庭、中流の家庭、公務員の家庭からも
人々は公務員になっている。国民の全ての家庭から満遍なく公務員という職業に就いて
いるのである。ここに今の公務員たちの質の悪さがあるのではないか。全ての国民から
選ばれた者たちが公務員となり日本を食いつぶしているのである。私たちがいくら努力を
してもいくら叫んでも日本中に繁殖した公務員と言う生き物は何も聞こうとしない、何も
変えようとしない。今思うと身分制度のあった時代が羨ましくもある。なぜなら、間違いに
気付いたとき同じ身分ならば一様に考えを変えることができるからだ。しかし、貧しい
人が公務員になることによって裕福になり、その職業を失う事への恐怖は全ての改善策を
受け入れようとしない。また、裕福な人たちが公務員になることによって仕事以上の
報酬を望み高い給料制度を創り上げ、その結果国は大きな負債を抱え、富める国日本は
救うべき人々を救う事が出来ないのである。だから、投票税は公務員解体を約束します。
- 143 :名無しさん@社会人:2008/03/09(日) 22:16:45
- 「「 (案)投票税、NHKの学力についての番組を見て。 」」
NHKの番組を見て、NHKの職員がなぜ、1500万円の給与を貰っているのか疑問に
思ってしまった。
学力についての番組を見ていると何を言いたいのか余り分からなかったが、学力に
ついての番組と言うより、勉強をしているか、勉強をしていないかという問題が日本で
起こっている事に気付いた。
学力がどうのと言うより、勉強をしている人と勉強をしていない人が今いるという状況
があると言う事らしい。
番組を見ていると話の焦点が分からないし、何を求めているのか訳分からない。なぜ、
こんな番組が出来るのか不思議でならない。
NHKがこのような番組を作るとすれば課題を絞り、時間は無制限にして、生放送では
なく、録画にして、十分出席者を含めた編集後に放送すべきではないか。だから、この
番組は有意義ではなかった。私たちが納得出来ないのはNHKの職員がなぜ、1500万円の
年収があるのかということだ。学力が高いと思っているとすれば学力て何なのか疑問だ。
東大の収入別の割合を示していたがこの問題の解決方法は東大の試験を高校で
使う教科書から出せばいい。話し合いは現実を何も言わないでお茶を濁すだけで本質
を避けている。結局、落とす為の試験をしていることが全ての原因ではないか。学力が
上がっても東大の学生数が増えなければ幾ら学力を上げても結果は同じではないか。
先生の収入を上げればいいという議論もふざけた話だ結局、この番組に出席していた
人たちは馬鹿ばかりだったように思った。
結局、学力を上げることによって、学力を付けた人たちが給料の高いNHKに全て就職
する事が出来るかという問題なのにその一番重要な話をしないものだから話は何も得る
ものが無かったと言える。勉強して学力を付けてもその人たちを受け入れる職場がなけ
れば学力と収入の格差は変らない。投票税が在ればこんな無意味な議論はさせない。
- 144 :名無しさん@社会人:2008/03/10(月) 09:00:20
- 「「 (案)投票税、平和を失い、正義を失った国家に何を誇れと言うのか。 」」
平和は人々の願いであり、人々が幸福に生活する為の象徴ではないか。正義は
人々が正しく、安全に暮らすための条件であり、人々の豊かな心を育てる基本では
ないか。
失うときは何事も安しということか。大事なものがいつの間にか無くなってしまう。人は
油断をしたときが一番醜く、間違いを犯し、事の重大さに気付かないものだ。
日本は全ての国民が悪行に手を染めてしまったのではないだろうか。ある程度の
罪は見て見ぬ振り、口の達者な悪人が道理の通らない弁解を言っているのに真面目
腐って聞いてやり、何かその人に責任を取らせるのかと見ていればいつの間にか忘れ
てる。良く考えてみるとほとんどの人が悪い人に成ってしまったのではないだろうか。
ある人がたまたま事件を起こし、問題になっても、今、その間違いを正す人がいない、
なぜなら、正すべき人たちも悪行に染まっているのではないか。多くの人が他人に
説教できるような人ではなく、清廉潔白な人はどこにもいない。ある程度の地位の人
たちの悪行は悪行とは呼ばなくなり、影響力の少ない人たちの悪行はささやかな罪も
大罪にしているように感じる。単なる盗みが大泥棒になり、国家を揺るがすような罪が
罪では無くなってしまったような社会が今の世の中ではないだろうか。
自衛隊の艦船が漁師を二人犠牲にしても逮捕者は未だに聞かない。幼稚園のバス
運転者は一人の子供を轢いたという理由で直ぐに逮捕され罪は罪として裁かれる
だろうが、幼い子供を守れなかった親の責任は無いのかと思ってしまう。
自衛隊と幼稚園のバスの事故どちらも難解な問題ではないはずだ。片や訳の分から
ない大臣が訳の分からない説明をいつまでも続け、最高責任者のはずが自分の組織が
未熟と言ってごねてる姿は国家の恥であり誇りを失った人間の哀れな姿だ。バスの運転手
は幼い子供を手放した親に言いたいことはあるだろうが何も言えない惨めさ、平和を
失い、正義を失った人々の哀れと醜さを感じるばかりだ。投票税、早く助けに来てください。
- 145 :名無しさん@社会人:2008/03/11(火) 09:33:05
- 「「 (案)投票税、学力は単なる道具にすぎない。 」」
国家に莫大な負債を作った責任を問うとすればそれは誰に問うべきだろう。更に貧富
の差はどのような原因が考えられるか。
まず、国の負債は国民の責任が一番大きいと言える。次に政治家と公務員だろう。
国の主権者は国民ということになっていると言う事は全ての事柄に国民は責任が有る。
今の世の中は国民の責任を誰も言わない。特にテレビは国の出来事を国民に伝える
役目があるが重要な事は余り言おうとしない。テレビは国民の責任をもっと強調すべき
だがテレビの司会者は容姿ばかりを気にして内容がない人ばかりで最低だ。これも問い
詰めれば国民の責任と言う事になる。
投票税は国民の責任を明確にして、国の全ての責任が国民にあると言う事を自覚
させ、厳しく責任を負わせなければならない。人間社会は自分の事は自分で責任を
取るのが当たり前ではないか。
社会は子供たちに学力の向上を要求しているが実社会に必要ない学力が何の役に
立つのだろう。
今、国が進めている学力向上は学力の低い子供たちに精神的敗北を味あわせ、益々、
学力の高い子供たちに精神的勝利者の気持ちを植え付け学力による社会の支配を
社会の制度にすべく、テレビを含めた知識階級を利用して強引に進めている策略と
いえないか。それは学歴身分制度の時代を永遠に続けようとする行為であり学力に
よる支配社会の願望ということか。
投票税は何の意味の無い学力を身に付けた学力馬鹿どもに支配される社会を決して
許さない為にも必要なものではないだろうか。なぜ、学力が高いから収入が多くなるのか。
仕事もしない学力馬鹿がなぜ、贅沢が出来るのか。全ては制度による社会の支配では
ないか。学力が高いだけで金を稼ぎもしないのに高い収入が得られるような制度を
作った学力馬鹿どもを許す事は出来ない。公務員は国民の金を無駄なく使う為にいるのでは。
- 146 :名無しさん@社会人:2008/03/12(水) 17:17:32
- 「「 (案)投票税、傷付いたミスランナー。 」」
走る事が仕事になり、多額の収入を得る事で人の心は乱れ傷付くのは本当なのだろうか。
夢を語り、諦めない人生を語り、自らの傷付いた心を隠そうとしたのだろうか。だが、
肉体は嘘は吐かない。人間社会と人間の肉体は同じような関係なのかもしれない。脳
と口は信用できない事は多くの人々が知っている事だ。脳が考え、口が嘘を吐く。
テレビはどこまで嘘を放送し、どこまでいい加減な国民を作れば気が済むのだろうか。
ミスランナーは走る前、夢を語った。そして、走り終わった後、事実を語った。多くの
人たちが注目し、応援をし声を嗄らし、涙を流した。その後にそのミスランナーの体は
夢を語るには余りにも傷付き過ぎていたのではないか。テレビはその事実を知って
いたのか。それとも知らなかったのか。知らなかったとしたら報道機関としてはどうかと
思ってしまう。もし、知っていたとすればミスランナーに夢を語らせた責任を取るべき
ではないか。私から見ればミスランナーは嘘つきではないか。私は嘘は大嫌いだ。
嘘を吐く人は最低な人間と思っている。だから、ミスランナーは手術の事実を走る前に
話すべきではないか。それはここまで多くの人々に注目され、多くの契約料を貰っている
プロのスポーツ選手ならば当然ではないだろうか。
スポーツは駆け引きがあり、騙しあいもする。決して綺麗な社会ではない。しかし、それは
隠すことによって勝利の可能性がある時の場合であって、最初から結果の分かっている
ことは駆け引きでも騙しあいでもない。それは単なる嘘でしかない。最低な行為では
ないか。心が病んでいると言える。人の心は儚く脆い、その弱さを補うものは正しい生き方。
人が他人に夢を語るときは清く正しい心を持って貰いたい。嘘があればそれは大きな
絶望と欺瞞を生むだけではないか。世の中には清く正しい人が沢山います。その人たちを
傷付ける事は罪であり、許される事ではない。莫大な契約金を貰い、成績を残せない
責任を偽りの言葉で覆い隠す行為は言葉にならないくらい醜いことである。自らの贅沢
の為に人の夢までも食い尽くさないで欲しいものだ。
- 147 :名無しさん@社会人:2008/03/13(木) 15:27:16
- 「「 (案)投票税、悪が大手を振って歩く時。 」」
国の負債が国の資産を上回る時がいよいよ近づいて来た。国の負債は政治家や
役人たちの資産を増やし、大企業の社員たちに莫大な富を齎してきた国家予算も
残り少なくなったのではないだろうか。ただ、在る所には在るようだが。
銀行や保険で国民の金を掻き集め公務員や大企業の社員に莫大な給与を払い、
公務員や大企業の社員に高額の自動車や住宅を購入させ、多くの一般国民の貯金を
負債に変えた国家事業も残り少ない国家予算によって第二ステージの始まりが近づ
いて来たのではないだろうか。
なぜ、公務員の給与が高いのかの答えは既に出ている訳だが国の負債がここまで
増えるとお金を稼がない公務員の給与が高いということは不自然としか言いようがない
が、不景気になった日本をどのようにすれば立ち直らせる事が出来るのかと考えると
何が一番手っ取り早いのかと考えれば公務員や大企業の社員の給与を上げて高額な
商品をその人たちに買って貰い日本の内需を上げる事が考えられる。しかし、これでは
これまでと変らない対策になってしまう。
日本はこれまで、企業の高い商品を誰が買うのか誰に売ればいいのか悩んできたが、
買える人たちを国の中に作ってしまえばいいと考え、贅沢な商品を買える階級を学歴
身分制度によって創り上げたのである。学歴身分制度により創り上げた階級は確実に
高い収入を約束され、更に死ぬまで年金により生活が保障される事で贅沢な生活を死ぬ
まで送る事が出来るのである。このように考えると公務員や大企業の社員は仕事でお金を
儲ける為に存在するのではなく、沢山給与を貰いその給与で高い商品を買う存在と
言う事になる。この人たちは日本の特権階級であったと言うことだ。
学歴身分制度は日本人の全ての人たちから学力の高い人たちを選択し、仕事を
するのではなく。贅沢な商品を買うための人たちを選んでいたのである。しかし、この人
たちの環境もこれからは変るのではないか。金を稼がない人が大手を振って歩く姿は
丁髷の時代で終わっていたと思っていたが今も続いていたのである。
- 148 :名無しさん@社会人:2008/03/14(金) 09:23:54
- 「「 (案)投票税、心がボロボロになるまで走り続けるミスランナー。 」」
スポーツ選手に夢があるのかと考えると夢はどこにも無いことをボロボロになった
ミスランナーを見てつくづく分かった。
テレビの司会者は自分では何もしないのに口は達者で言いたい放題、スポーツは夢
では無く、夢から一番遠いい存在とい得るのに自分は何一つ努力をしないくせに口
だけで騒ぎ捲くり訳の分からない解説をしてスポーツの本質をずたずたにする現状は
余りにも嘆かわしい。
ミスランナーは頭が悪いのかもしれないが、スポーツは夢を語るより人間の肉体の
可能性を追求する一番夢から懸け離れた存在であることを理解していないのかもしれない。
テレビの司会者がよく夢をという言葉を使うがそれは多分、お金ではないだろうか。
意地汚い人たちである。スポーツでいい成績を残し、大企業と契約し莫大なお金を
得ることが夢なのではないか。金に汚い人たちは夢を金に変える図々しさがある。
本来、スポーツは人間の肉体の持つ機能の限界を追求し、人と人の肉体による戦い
では無いだろうか。ミスランナーは夢を語るより、自らの肉体の素晴らしさを語るべき
だったのかもしれない。
テレビによるスポーツの選手の扱い方には大きな間違いがあるのではないだろうか。
スポーツは夢ではなく、人間の肉体の素晴らしさを表現する手段である事を忘れては
いけない。それを分かっていれば夢という言葉は使う事が出来ないのではないだろうか。
実際夢を見ていたら何も得る事が出来ない。そして、スポーツには夢は無いのである。
テレビが存在しない夢を作り、そしてスポーツ選手に必要ない嘘を吐くことを要求し、
そして、嘘を吐き、結果、ミスランナーはポロポロになってしまったのである。
スポーツ選手はテレビにより、莫大な契約金を得る事は出来るがそれにより、スポーツ
選手の素晴らしい精神と肉体を失ってしまったのかもしれない。スポーツの出来ない
テレビの司会者が叫ぶとき、そこにはどこにもスポーツ選手の本質はないのである。
- 149 :名無しさん@社会人:2008/03/15(土) 12:55:44
- 「「 (案)投票税、世の中、何をするにも基本でしょう。 」」
人生、正しければいいて訳ではないのは十分分かっているが、いつまでいい加減な
世の中が続くのか、考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しくなる。
学歴至上主義による現実離れをした政治が今、現在日本中で進行しているがそれを
止める事も直す事も出来ない現実があるが、これでいいのかと思うと何の力もない自分が
情けない。自分自身は贅沢な生活を望むわけではないので、贅沢をしている人たちを
羨ましいとは思わないが、その贅沢が国の負債を増やしている事にはいい加減うんざり
する思いだ。
君主制から民主主義に代わり、国民が主権者になったが、日本の政治や行政組織を
見ると君主制に近い政治を行なっているように感じる。主権者である国民は主権者で
ある影響力を政治に与えることができない悔しさを感じないのだろうか。そんなことは
ない筈だ。国民は国に問題が発生し、その問題を解決することを必ず望んでいる。この
望みを望みで終わらしてはいけないのではないか。
問題とは何を意味するのか。問題はすべての人々をその問題に引き込むのだろうか。
問題は特定な人々を襲いその人たちを苦しめる。そして、問題は解決するより、隠す
か無視することで問題が解決する錯覚に落ちてる人たちがいるのではないか。本当は
問題が発生したらその問題を解かなければならない筈だ。しかし、逃げてしまう人々が
いるのである。民主主義は国民が主権者である限り、問題は多いことを私たちは自覚
しなければならない、そして、その問題から逃げることは問題を大きくするだけだ。
今の日本は君主制のように問題を未解決にし、一部の人々が何も問題がないように
優雅に、美しく、贅沢に、幸せに、生きている。多くの人々が涙を流し、寂しさをかみ締め
生きる苦しさ、生きる厳しさを縋る思いで訴えてもそれに対する答えがない。それに
答える人々が見えない。投票税はすべての人々にすべての人々の苦しみを理解させ、
その答えを考えさせる事が出来るのではないでしょうか。これが基本でしょう。
- 150 :名無しさん@社会人:2008/03/16(日) 20:31:49
- 「「 (案)投票税、生きるための条件。 」」
人間が生きるための条件は人間であるための条件より厳しい。生きてこそ人間で
あり、人間であるためには生きていなければならない。
人間は生きるために働く。生きているから働くのではない。働かなくて生きて行ける
のなら働くことはない。
今の日本はお金がなければ生きてはいけない。お金は自分の金でなければ使うことは
出来ない。生きていくためにお金を自分のものにしなければならない。
お金は自然には増えない。お金は他人から得なければならない。他人のお金は
自由に使うことは出来ない。他人のお金を自分のものにするために他人にお願いし
なければならない。他人のお金が欲しいときは、その他人が満足することをしてやり、
その満足する気持ちをお金で貰うのである。沢山のお金が欲しいときは沢山の人々を
満足させて、その満足に見やったお金を貰うことが出来る。
人間の体はいつしか衰え、他人を満足させることが出来なくなり、お金を得ることが
出来なくなる。お金を得ることが出来なくなれば生きていくことは出来ない。
お金を得ることが出来なくなると生きていけなくなるので、人間は生きていくためにお金を
貯めて置き、お金を得ることが出来なくなったときにそのお金を使い、生きて行くのである。
人間は生きていくためにお金だけではなく、結婚し子供を作り、その子供にお金を使い
大人にして、自分がお金を得ることが出来なくなったとき、大人になった子供たちにお金
を貰って生きていくのである。
人間はなぜ、生きているのか、生きていくことは何なのか。生きていくことで人間の
条件を理解し、生きていくことで人間の条件を作ることが出来る。
人間の条件を守るため、憲法を作り、法律を作り、それを守るために学校を作り、人間が
存続するために子供を作る。生きるために生きるのではなく、生きたいために生きる。
それには生きたいと思う生きる条件を作らなければならない。
- 151 :名無しさん@社会人:2008/03/17(月) 09:32:16
- 「「 (案)投票税、日本人が生きるための条件。 」」
食料自給率が低いと悩んでいる日本人が居るが国土の狭い日本の食料自給率が
低いことで悩むことはない。世界の平和を望むのなら合理的で効率のよい食料供給を
考察し、その結果、食料自給率が低くなることは自然なことではないか。
食料を外国に依存することは何を意味するのだろうか。海外に依存できることが示す
意義は世界平和ということではないか。世界で一番平和な国が世界で一番食料自給率が
低いということは世界で一番世界平和を達成している国といえないのだろうか。そして、
それは日本人にとって誇れること。私たちは平和なんだと実感出来ることではないか。
国土の狭い日本が世界から食料を買い、狭い領土を有効に使い日本から世界に
向け、世界に誇れる商品を作り、その利益によりまた世界の食料を買う。こんなすば
らしい事をなぜ、日本人の一部の人は否定をするのだろうか。
日本人が生きる為には食料が必要です。そして、その食料が外国から来たところで
不思議ではない。平和な国が世界平和を望み、食料を海外から買い、日本の商品を
海外に売る。この現状を軍国主義者のいう国家防衛と言う非合理的な思想により、否定
することは日本人の生きるための条件を失うことになるのではないか。
日本が作る商品は食料以上に国家防衛に関わる商品も含まれているのではないで
しょうか。確かに食料がなければ生きてはいけない。しかし、今の時代生きる為だけに
生きているのでしょうか。1億2500万人の日本人が生きて行くことは非常に厳しい現実
です。これだけの日本人を日本だけの食料で生きていくことは不可能と考えるべきです。
日本人が生きるたるの条件を私たちは自覚しなければならない、日本人がこの地球で
生きていく条件は世界平和を如何に進め、その平和によって食料自給率を気にしない
時代を作ることです。
贅沢な日本人の生活を決して評価をするつもりはないですが。しかし、軍国主義者が言う
非現実的な政策では日本の未来はない。それは日本人の生きるたるの条件を失うことです。
- 152 :名無しさん@社会人:2008/03/18(火) 09:23:53
- 「「 (案)投票税、テレビでよく聞く夢という単語。 」」
テレビの司会者がこんなことを言っていた。「中国のテレビは中国の暴動に対して暴動
のすべてを見せていない。」例えば報道を鎮圧している戦車などの映像と言うことだ。
この話はテレビという報道機関で働く人としては余りにも情けないと思った。中国の報道
が制限されているとすれば、まず中国では自由な報道が出来ないと言うことを言うべきでは
ないか。そして、報道機関であるならば報道されない事を嘆くのではなく。自らが報道
されない事実を報道すべきではないだろうか。
テレビの司会者はよく夢と言う言葉を使うように思う。本来、テレビは報道機関として
夢から一番遠い存在であり、その中で働く人々は夢をという言葉を使うべきではない。
なぜなら、映像として現実の出来事を在りのままに伝えてこそテレビの使命を果たす
ということではないだろうか。
テレビでは何かにつけ、司会者だけではなく、スポーツをはじめとして一般のテレビに
出る人は夢という言葉を使うが夢はあくまでも夢であって何かを達成させるために努力
の結果得るものは夢とは言わないのではないか。夢はどちらかというと努力もしないで
欲しいものが手に入るとか。望みもしないのに偶然手に入るとか。ということに使うべきで、
スポーツ選手が夢を掴むというのはおかしい表現ではないだろうか。ミスランナーの
マラソン前と後のコメントこそ、私には夢を見るような思いでした。スポーツ選手が努力を
して掴む栄光は決して夢ではなく、その人の力だ。それを夢という言葉を使ったミス
ランナーは夢を語り、夢を私たちに与えると語ったけれど、その姿はまさに夢のような
落ちぶれた姿に見えてしまったのです。スポーツは夢ではなく、地に足をしっかり付けた
人たちのものであり、この栄光は絶え間なく続けられた努力の上にたつその人が勝ち
取った宝ものではないでしょうか。
テレビは夢を語ってはいけない機関です。事実の中から真実を見つける精神とその
努力こそテレビの役割ではないでしょうか。だから、今のテレビは悪夢と言える。
- 153 :名無しさん@社会人:2008/03/19(水) 08:48:30
- 「「 (案)投票税、日本人を戦争に導かない条件。 」」
テレビを見ていると戦争を恐れる振りをする人々が多い事に驚いてしまう。テレビ
司会者も戦争を肯定的に話しているようだ。国防の重要性をテレビは漠然と訴えて
居るが日本に戦争に至る条件があるのだろうか。
戦争に至る条件を探してみよう。探してみた。その結果、何一つない。答えが簡単
過ぎるので、もう一度考えてみた。そして、その答えは戦争は始まっているという答え
を得た。
日本は戦争を想定し、国防に多額な予算を使い。海外からの侵略に備えていると
多くの人々は思っているが今の日本の現状が戦争状態と言えるのではないだろうか。
武器による戦闘のない戦争が現在進行しているのではないだろうか。戦争をする
為の条件には侵略されることによって起こる戦争と侵略し他国の富を得るための戦争
がある。軍隊を使い他国の富を得ることが戦争というのならば自国の富を一部の
人たちが自国の軍隊を利用し富を得ることも戦争と言えるのではないだろうか。
自衛隊が日本を防衛することで一部の日本人が莫大な富を得ているとすればそれは
戦争により他国を侵略し多額の富を得ているのと同じではないか。
多くの人々が武器による戦いを戦争と思っているが一部の人間にとって戦うことで
富を得るだけが戦争ではなく、戦わずして富を得ることも戦争といえないだろうか。
日本にとって武器による戦争を過去の歴史のように行うことが現実に起こるかと考え
ればそれは決して在り得る事ではない。日本は今後、如何なる国とも武器による戦争は
ないと言えるのである。それは米国とソ連が戦争が出来なかったのを見ても分るように
核兵器の存在は大きく、そして、人間の進歩は現在の人間の欲望を満足させるだけの
成果と価値を支配欲の強い人間たちに齎したと言えるのではないだろうか。
日本人を戦争に導かない条件は何か、それは日本人の中の軍国主義者に如何に
日本にとって負担にならない富を与えることが出来るかということではないか。そして、
それには日本が平和を保ち、世界との友好的な交流から利益を得ることが条件と言える。
- 154 :名無しさん@社会人:2008/03/20(木) 08:32:37
- 「「 (案)投票税、夢を語るテレビは夢を見ているようで儚く意味不明。 」」
テレビに私たちが望むものは夢ではない。美しいアナウンサーが多くなったが美しさ
には賞味期限があることに気付く。美しいアナウンサーが微笑み語る姿は美しく嬉しい。
しかし、他の局を見るとまた美しいアナウンサーが美しく笑みを浮かべ語っている。
それを見るとまた嬉しい。しかし、私たちにとってそれは手に入らない美しさであり、更に
ただ見るだけの美しさでしかない事に気付く。そして、二回、三回と見ることによって
その美しさに慣れ、極端な場合は醜さに変わって行く。美しい人に罪はないが美しい
だけでテレビに出ている人たちには大きな罪が在るのではないか。
単に美しい人を評価するとすればそれは短く儚い命ということだ。生身の人間の美しさ
ほど美しいものはない。それは生命を持つものすべてに言える事だ。そして、複雑な
生命体であれば在るほど美しさには価値がある。人間の持つ生命体としてのランクは
最高ランクと言える。そして、その中の美しい人は地球上で最も美しいものと評価して
いいのである。しかし、生命体であることでその美しさは常に変化をして行く。生命体で
ある花は確かに美しいときがある。それは誰が見ても美しいのである。そして、時が
経ち醜さに変わり、美しさは消える。しかし、花は必ず再生しその美しさを取り戻し、
私たちを喜ばせる。人の美しさは再生することは出来ない。そして、その美しさは短い。
美しい人に目じりに皺一本出ただけでその美しさは消える。そして、口のあけ方一つで
も醜い開け方で美しさは損なわれ完全な美しさは消えるのである。
美しいものは世の中の中には沢山ある。絵画や彫刻などの美術品、自然界の風景、
自然界の生き物など美しいものは沢山在るが人間の美しさと比較すればそれは比較に
ならない。人の美しさには目で見る美しさと心で感じる美しさが常に融合し合い常に
変化するその姿を観察しその総合的な判断により評価をし、それに合格した美しい人を
美しい人と認めるのである。だから、美しい人がその美しさを保つことは非常に難しく
テレビの美しいアナウンサーの命が短くそして不要な存在になるのである。
- 155 :名無しさん@社会人:2008/03/21(金) 09:25:18
- 「「 (案)投票税、国民に対する最大の国家権力は税金である。 」」
税金がなければ国は動かない。税金がなければ国民も存在しない。税金が国を造り、
税金が国民を守る。税金の為に国民は働き、税金により国民は幸せになる。
税金の存在は非常に大きい。税金はすべての国民にとって平等な存在であり、税金は
すべての国民に公平に使われなければ成らない。
税金が正しく集められ、公平に使うことによって国民は国家を誇りに思い国を守ろうと
する。国民にとって国は国民が望む生活を得ることが出来る存在であり、個人や家族では
成し遂げることが出来ない広い範囲の社会環境の改善を行うことが出来る。
税金が国に与える影響はその運用方法により大きく左右され、運用を間違うと国民は
大きな被害を受ける。
現在の日本における税金の使い方を見ると無駄が目立つ、更に税金の使い方の
間違いも多い。
税金は国民に平等に使われなければ成らない。しかし、税金は国民から平等には集め
ない。税金は所得によりそれぞれ税金の額が違い、多い人と少ない人がいる。勿論、
所得の多い人が多くの税金を払っている。しかし、国に集められた税金はすべての
国民に平等に使わなければならない。
今、日本にとっての大きな問題は税金が平等に使われていないことではないか。税金
の使われ方は歴史において大きく変わり、民主国家においては国民に対して平等に
使うことが基本であり、特定な人々の為に使うことは大きな間違いと思わなければなら
ない。
投票税の果たす役割は民主国家としての税金の平等な分配を公平な立場から行う
為に政治家を選ぶ選挙に対してすべての国民が参加することを制度化し、それに違反
した人から罰則として税を徴収する事を目的とし、よりよい政治により税金の正しい
使われ方を心から望み、すべての国民に民主国家の国民としての喜びを知ってもらいたい。
- 156 :名無しさん@社会人:2008/03/22(土) 09:07:14
- 「「 (案)投票税、脳みそが天気になった人々。 」」
あるテレビ局の司会者が日本のサラリーマンの平均生涯収入は3億円と言っていたが、
平均で3億円稼げば日本人は幸せな国民であり、今の世の中の問題がなぜ起きるのか
疑問に思ってしまう。
3億円稼ぐということは40年間働くとして平均年収が750万円ということになる。日本の
平均年収が750万円であるならば経済的な問題はないと考えるべきではないだろうか。
しかし、多くの日本人が年収750万円貰っていないのも事実であり、テレビの司会者が
問題にし、テレビの中で主張すべきことは平均年収に届かない人々の存在とその人々が
なぜ平均にならないかを訴え、その疑問に答える姿勢を見せるべきではないか。それに
ただ、椅子に座り適当なコメントを言っているテレビ局員がなぜ、平均年収1500万円、
生涯収入6億円稼げるのかも言って貰いたいものだ。
テレビ局の給料を下げる事を提案したい。世の中への貢献度を見ると非常に低い
のではないだろうか。報道機関としての役割を果たす姿勢が余りにも低いし、公告料の
高さと不公平差を感じて成らない。公告料は商品に反映され、テレビで流れる商品は
割高な商品として私たちに売られている事を思うと商品価値は下がる。
社会的貢献度も非常に低い、世界情勢もテレビからの情報を期待しているが少ない。
公共的な施設として私たちは多額の税金を払っている筈だ。公共機関としての役割が
ないテレビ局はすべて有料にすべきではないだろうか。NHKを含めたテレビ局はすべて
有料にすべきではないか。システムとしてはテレビの契約にチャンネル選定が出来る
ようにして見たくないテレビ局は見えないようなシステムにすべきではないか。料金は
基本料とテレビ局選択料を支払うシステムでいいのではないか。これで見たくない
テレビ局も見なくて済むし、脳みそが天気になった人々も昼寝から目が覚めるのでは
ないか。今のテレビはただより高いものはないという見本のような存在であり、民主
国家を否定する組織として余りにも勝者優先型利潤追求組織に成り下がってしまった。
- 157 :名無しさん@社会人:2008/03/23(日) 20:42:08
- 「「 (案)投票税、国民による国民の為の税金を作るんだ。 」」
投票税ならやれる。投票税だから出来る。投票税だけが成し遂げる。投票税があれば
完璧だ。投票税が可能にする。それは国民による国民の為の税の改革。
民主国家にはなくては成らない制度なのに、誰も作ろうとはしなかった投票税、限りある
地球の運命をすべての人々の力に託し、真の民主国家を作り上げ、世界平和と人類
の生存権を地球上のすべての人々と分かち合う為に投票税の成立が不可欠であり、
世界が必要としているのではないか。
現存する税制は君主への献上的な税であり、国民の為の税としては不適格な税が
多く、国民の意向が少ない為、多くの国民にとって納得できない税制である。
民主国家における税制は国民を主権者として作られる為、国民の生活状況に合った
税を作ることが出来るので税金の無駄使いも国民の責任により行われる訳なので
大して気にならない。不満が出れば変えればいいのである。多くの人が納得できる
税は今より不満は少なくなる。
民主国家とは言っても国民すべてが民主的な人たちとは限らない。人間は不確定な
生き物であり、表と裏、上と下、右と左、黒と白、善と悪、有りと有らゆる人たちが居て、
どのような制度を作っても危機管理を十分に行わない限りその制度は崩壊してしまう。
そして、制度を守る事ばかりを強調することで制度の本質が失われ結局制度は機能
不能に陥る。
一言で民主国家と言ってもこれまでの制度と大きく変わるわけではなく、規則や方法は
多数決により決定され、それをすべての国民が守らなければならない。これには不満や
反抗を述べる人は必ず居るのである。私たちが求める民主国家はそれらの不満を
どのように処理し、その不満を静めるのか。私たちはその不満を聞く耳を持ち、その
不満を無くすために最善を尽くし、その不満を述べる人たちを決して無視しないという
事ではないか。投票税を得た民主国家は不平等を許さない、そして、不公平も許さない。
- 158 :名無しさん@社会人:2008/03/24(月) 09:23:16
- 「「 (案)投票税、自分の事か、精々家族の事しか考えない人々。 」」
自分の事も碌に考えないのかも知れない。そんなことはないか。くだらないテレビと
性病により若者は幸せになれない時代。それでも真面目に生き抜く以外、自分の人生
を達成することは出来ない。人を愛する事は不変であり、誰しも避けて通ることは出来
ない。純粋で可愛く素敵な人をくだらないテレビはことごとく破壊し、陰険で贅沢な淫乱
な人を作りつづけ、造られた姿は一見美しく、しかし、その奥に隠れた病魔を見抜くこと
は甚だ難しい。麗しき乙女を探しつづける清く正しい青年は幾多の失敗と裏切り、そして、
嘘により傷つき、世の中を悲観してしまった。
人を愛する事は何よりも変えがたい喜びと会えないときの切なさは人として生きている
実感をこれほど感じる事はない。誰かに突かれもしないのに心臓が突かれたように
痛み、走ってもいないのに心臓が高鳴り、生命のもつ不思議な力と自らの肉体が他人の
肉体を求める力の強さを感じ、その肉体が結ばれたときの喜びは想像を遥かに超え
肌と肌が融合し、肉体がもう一つの肉体に溶け込むような感覚の中ですべてを終えた
肉体が眠りに落ち、そして目覚める過程は何度も経験できるものではない。
愛を育み、子供が出来る。賢く優しい人になって欲しい。親の願いはあくまでも清く正しい
望みでいっぱいになる。生まれたままの姿で絡み合い本能のおののくままに求め合った
体は二つの肉体により作られた小さな小さな結晶を作り、いつしか年を重ね、その結晶は
言葉を話し、二人の名前を呼ぶようになる。愛した証である二人の肉体から育った一人
の肉体はまだ、なぜ、自分がそこに存在しているのか分らない。小さな愛の証、その顔を
見る度に肉体に蘇る胸のうずき、今宵も贅沢はしないでささやかな楽しみをどうぞ。
愛は人それぞれなのかもしれないがテレビに出るスケベじじいやスケベはばあには
には困ったものだ幾ら給料がいいからって不倫はしろや幾つになっても恋をしろとか
言っているが、愛には金も時間も掛かるだ、余分なことを言うな。テレビは下半身について
無駄なことを言い過ぎ、淫乱ばかりで世の中は困っているだ。性病の報道を増やせ。
ここで言っても意味ないけど言いたかった。
- 159 :名無しさん@社会人:2008/03/25(火) 09:23:57
- 「「 (案)投票税、みんなが賛成ならばどんな悪政でも我慢が出来る。 」」
使用人が使用人と思っていない世の中は使用人天国であり、使用人にとって幸せな
社会ということだ。
日本の公務員の待遇は非常に快適と言えないか。公務員は本来公務員以外の国民に
奉仕をしなければ成らない。奉仕者とは使用人のことである。使用人といっても、ただの
使用人ではない。国民の意見をよく聞き、国民が求めるものを理解し、国民の指示に
従い、決して国民を裏切ってはいけない人たちであり、裏切ろうとするような人は存在
しない人たちと考えるべきなのである。それは完璧な召使として国民に仕える人たちで
なくては成らない。民主国家での公務員の本来の姿だ。
公務員の給料は国民より多いと言うことは考えられないし、それを議論すること事態
時間の無駄であり、そんなに安い給料でよく働けると思われながらも、日本の国の
社会環境と国民の生活環境の向上の為に努力をし、自らの欲望や自らの望みの優先
を考えず、国民すべての人々のために自らを犠牲にしてまでも尽くす精神と肉体を持った
人々を公務員と呼び、その献身的な働き、その勤勉な誠心を国民は見ることによって
公務員の人々を心から尊敬し、収入的には少ないが人間として高く評価をし、決して、
軽はずみな扱いはしないで、常に尊敬を忘れず、国民の手本として公務員の皆さんを
扱っている社会こそ、民主国家の真の姿と言える。
日本に今、目標とする人が存在するだろうか、民主国家こそ公務員の人たちに国民の
目標、手本になって欲しいと思います。誰からも尊敬され、多くの人たちが目標とし、
身近な人々や国家のように広い世界、更には地球全体を視野に入れてものごとを考え、
すべての人々が幸せになれるように常に考え、自らを犠牲にしてまでも多くの人々の
幸せを望み、社会の礎として常に働く人々を私たちは尊敬の念を込めて呼びたいのです。
その名は公務員の人々と、限り有る世界、地球という星を守ることが出来るのは公務員
の人々以外ない。それなのになぜ、その人たちが地球を壊しつづけるのでしょうか。
- 160 :名無しさん@社会人:2008/03/26(水) 09:46:14
- 「「 (案)投票税、今は主権者である国民は昔、奴隷であった。 」」
投票税は国民を主権者として育ててくれるのではないだろうか。投票税は投票に行か
ない主権者から罰則金を取る制度です。今日、国民は主権者であることを忘れてしまった
のでは無いだろうか。国の主権者とは国の主導者と言うことであり、国に対してすべての
責任を負う立場に国民は居るのである。
日本には多くの人たちが贅沢をし生活に何の不自由も感じていない人たちがいる。
そして、その贅沢な生活は今も続き多くの国民が幸せな生活を送っている。しかし、
その反面、国は1000兆円を超える負債と裕福な公務員を存在させ、毎年、30兆円以上
の負債を増やしている。
私たち国民の財産は1500兆円と言われ、この財産は国の負債1000兆円を賄って
いる。国は国民が1500兆円の貯金があるから1000兆円の負債が出来るのである。
日本人のほとんどの人は貯金をしている。しかし、国民の中にも多くの人が負債を
持っている人がいる。国民の個人の負債は負債が増えることは一般的にないのでは
ないか。例えば1000万円人から借りればその1000万円の負債は毎年確実に減って
行くのではないだろうか。1000万円借りて、その1000万円が毎年、増えることが
あるとすれば他人はその人にお金を貸すだろうか。普通なら貸さないだろう。もし、
貸すとすればその人に2000万円の貯金があり、その貯金をお金を貸す立場の人が
管理している場合ではないだろうか。お金を借りる人がお金を貸す人に2000万円の
お金を預けていて、その預かった2000万円の中から1000万円を貸して、更に利息を
取る。自分の金を人に管理させ自分の金は使わないで金を預けた人から金を借り、
その人に借りた利息を払う。こんな馬鹿なことが実際あるのでしょうか。もし、あると
すればそれは国の負債の1000兆円のからくりにそんな馬鹿なことが起こっているよう
に思えて成らない。投票税はそんなからくりを許さない為にも日本のような民主国家
には必要な制度ではないでしょうか。国民は主権者であり、奴隷ではない。
- 161 :名無しさん@社会人:2008/03/27(木) 09:04:11
- 「「 (案)投票税、学歴による勝利者優先的社会の崩壊。 」」
テレビには勝利者の姿だけが映し出され、その人の勝利を祝い、賛美の言葉を送り、
その人が達成した勝利に対して多額の報酬を与え、国民に夢を与えてくれてありがとう
とお礼の言葉を浴びせ、テレビの出演者すべてが満面な笑みを浮かべ感謝をする。
背筋が寒くなる光景が毎日、テレビの中で行われている今日この頃ではないか。
勝利者を称えることがなぜ、悪いのか。勝利者にはそれだけの努力と力があり、その
勝利に対してなぜ、報酬を与えてはいけないのか。確かに勝利者を称えることは当然
と言える。しかし、なぜ、テレビの中で行われるのかという事に疑問を感じるのである。
テレビは勝利者だけの者なのかという事を考えて欲しいのである。テレビが公共的な
役割を果たす組織であるならば、勝利者だけを映し出す事は公共的な機関としては
公平ではないということではないか。勝利者を称えるのは勝利した会場であり、その
会場の観客でいいのではないか。
勝利者がテレビの中でおどけ、冗談を言い、遊ぶ姿をCMやお笑い番組で見る光景は
なぜか寂しく、なぜか、その勝利者の意地汚さに触れたような、そして、勝利者の堕落
した姿が目に浮かぶのである。
テレビはあらゆる勝利者を食い物にし、その人生を狂わせて来たように思える。すべて
はテレビという幻想の中で勝利者が自分を見失い、架空の世界に足を踏み入れ、奈落の
底に落ちて行ったのではないだろうか。勝利者の儚さはテレビにより強調され勝利者が
人生の敗北者に成って行ったのではないだろうか。
今のテレビに勝利者を称える資格があるのだろうかと最近良く思う。有料ならばどんな
番組を流しても、どんな勝利者を称えてもそれは有料である限りテレビの勝手かもしれ
ないが、NHKの受信料の中で放送されるテレビに関しては勝利者ではなく、勝利者を
含めたすべての人々を公平に扱うべきではないだろうか。だから、私は学歴社会が
作った勝利者優先的社会の崩壊を予言し、それを望むのである。
- 162 :名無しさん@社会人:2008/03/28(金) 09:41:34
- 「「 (案)投票税、警察官を、そしてその母親を責める訳ではないが。 」」
警察官が凶悪犯の捕獲中に銃弾で亡くなった。悲しい出来事であり、その母親が
悲しむのは当たり前でありそれを責めるつもりはないのです。しかし、テレビに出てまで
もその悲しむ姿を国民に見せることが正しいことなのでしょうか。
あるテレビが銃弾に倒れた警察官の親を出演させて、子供である警察官の死を嘆いて
いましたが、どのような気持ちでテレビに出てまで警察官である子供の死を悲しんでいる
姿を多くの人々に見せるのか不思議で成りませんでした。
私たち国民に取って警察官は唯一犯罪者に武器を持って立ち向かうことが出来る人
たちです。確かに、警察も十分な装備や訓練の不備により、危険な立場に立つことが
あり、不満もあるとは思うのですが、しかし、それでもなぜ、その警察官の親がテレビ
に出て、その悲しみを訴えなければ成らないのかが分らないのです。
私にはその警察官の死は悲しみ以前にその死に対して世の中は誇りに思う気持ちを
表すべきと思うのです。凶悪犯に立ち向かいそして、命を落とすこの行為は警察官ならば
有りえることではないでしょうか。究極的に言えば警察官のご家族の悲しむ姿を見たくない
のです。なぜならば、誇りを持って凶悪犯に立ち向かってその銃弾に倒れた警察官の
勇気と信念を悲しみの涙で流したくないのです。
お母さんには申し訳ないのですが警察官の母ならば多くの人々に涙を見せて欲しく
ない、そして、それ以上に悲しみを語って欲しくは無いのです。どのようにテレビ局が
出演を進めたのか、それともご家族からの希望なのかは分りませんが、警察官の誇りを
考えるとテレビへの出演で悲しみを語ることは望ましいことではないと思うのです。
警察官が死を恐れているとすれば警察官は勤まらない。警察官が死を望んでいたら
なお警察官は勤まらない。警察官の立場は警察官にしか分らない。しかし、国民が
警察官に望むことは死ぬ状況の中でも死なない強い体と鋭い精神を持った頼もしい
人々ということではないでしょうか。だから、死んだ警察官を悲しむべきなのかも知れ
ないが、それよりも死んだ警察官を誇りに思って欲しい。悲しい涙は死者の前で流してください。
- 163 :名無しさん@社会人:2008/03/29(土) 09:14:20
- 「「 (案)投票税、学歴優遇主義と視聴率至上主義が融合した結果。 」」
利巧と馬鹿は紙一重と世間では良く言いますが。テレビの世界を垣間見るとその事が
正しいような感じもします。
テレビ局員は結構学歴を優遇しているように見受けます。テレビに出ている芸人や
その他の人々は視聴率を取れる人々が主な人々のように思われます。そして、その
人たちは人間的に見て馬鹿な部類に属すようにも見えます。
テレビを見るとこの馬鹿と利巧が融合し、異様な世界を作り上げてしまったように
思われて成りません。
利巧が馬鹿を利巧にするのなら分るのですが利巧が馬鹿を利用して自分たちの利益
を考えているという光景はどさ回りの元締めのような存在に成っているように思える
のです。利巧が馬鹿を利用して、利益を得る。馬鹿は利巧に利用されて更に馬鹿になる。
テレビという公共物は馬鹿を利用して稼いでいいのでしょうか。馬鹿が馬鹿を演じて
収入を得る。しかし、馬鹿だからいつまで経っても馬鹿は馬鹿、テレビを見ている人々は
いつしか飽きて、その馬鹿を見向きもしない。それでも馬鹿はテレビ局員に何も言わない。
なぜならば莫大なお金を貰うことが出来たからだ。馬鹿が馬鹿の人生を切り売りし、
人生を犠牲にしてまでもそして、いつしか見捨てられてもその馬鹿はテレビ局に何も
言わない。それは自分では到底稼ぐことが出来ない大金をテレビ局から貰ったからだ。
だから、馬鹿に取って短い時間では合っても視聴率を取り、テレビでちやほやされ大金
を得たことで満足したのである。なぜ、こんなテレビ局が公共的と言えるのか。
公共的な組織なら正しい事をすべきではないか。視聴率がなんだ。世の中に必要な
番組なら見ない国民が悪いのではないか。馬鹿を見てそれを笑うことが公共的と言える
のか。ドラマでは人を殺し、奇妙な人物を描き、見ている人がそれを真似たら世の中が
大変に成ることを考えて放送しているのか。現に世の中テレビが先か現実が先か分ら
ない社会になってしまったのではないか。公共的なテレビなら誇れる人生を歩む努力が欲しい。
- 164 :名無しさん@社会人:2008/03/30(日) 22:20:44
- 「「 (案)投票税、ステーキが並ぶ、薄鈍達の食卓。 」」
投票税の成立に対して誰も鼻にも掛けないから言うのだが、国民がステーキ食い散ら
かしていたら誰が何を言っても始まらない。
国に金が無かったら、投票税を作り、薄鈍達から税金を取り捲れと言いたい。日本の
有権者数は1億人、誰も投票に行かなかったら、その人たちから投票税を2万円取れば
2兆円の税収、投票に行かない薄鈍達から罰則金を取るのは当たり前、毎日、ステーキ
食って選挙には行かない、何か、国に問題が起きると国の責任にし、ステーキの汁を
口から垂らしながら文句を言ったところで、世の中何も変わらない。
文句があるのなら、選挙に行けと言いたい。しかし、薄鈍達に言ったところで行くような
奴は一人もいない。ステーキ食って牛のように寝て、糞が出たくなって目が覚め、また、
ステーキ食って仕事に行く。昼になったらまたステーキ食って仕事をする。こんな奴らは
考えてみたら、文句も言わない。世の中の薄鈍達は何も文句は無いし、金を稼ぐのは
上手いし、遊ぶのも上手、いい家買って、綺麗な奥さんやいい男の旦那を持ち、だから、
子供もすぐ出来る。日本にはこんな薄鈍達が数え切れないほどいる。こんな奴らは
金がある。遊びたかったら遊べ、遊びに行って上手いステーキ食え、選挙なんかに行くな、
投票税を払えば選挙なんかに行くことはない。こんないい法律は無いし、こんなに合理的
な税制はない。なぜなら、払いたいから払う税なんて無い。払いたくなかったら選挙に
行けばいいのだから。投票率50パーセントで5000万人が投票に行かないことになる。
もし、投票税が2万円ならば1兆円の税収ということだ。1兆円はすごい金額だ。選挙は
国会議員が二つ、知事、県議、市町村長、地方議員などで6種類の選挙がある。参議院は
2回とすれば7種類の選挙がある。この選挙に対してすべての有権者は選挙に行かな
ければ成らない。だから、1年に必ず選挙はあると考えてもいいのである。投票税の
金額を変えることによって1兆円の税収は確実と言える。ステーキを喰らい、遊び放題で、
お金があり、仕事も出来る人たちから1兆円を貰ってもいいのではないか。いいに決まっている。
- 165 :名無しさん@社会人:2008/03/31(月) 09:38:01
- 「「 (案)投票税、政治家たちの賞味期間は8年でいいだろう。 」」
政治家の賞味期間を8年と考えた事を悔いる人は居るのか。8年は長いという人は
居ても8年は短いと思う人は少ないのではないか。
現政治家の仕事は既に日本には無い。国の資産を食いつぶし、何一つ重要な問題を
決定することが出来ない政治家たちは既に賞味期間が過ぎた人々と考えれば納得
することが出来るのである。
民主国家での政治活動を厳密に考慮し、理想的な政治活動を導き出すとどのような
政治活動が考えられるのだろうか。まず、民主国家という社会を十分に理解した人であり、
常にその民主的な社会を実感し、その中で民衆と意見を交わし、民衆の中で主導者と
して多くの人々に支持される人を民主国家の代表としての政治家と言えるのではないか。
それは端的に言えば政治学者ではなく、国民の声を国家運営に正しく反映できる人と
いえる。
それでは民主国家を理解する為にはどのような人生経験が必要なのだろうか。まず、
どのような職業でもいいが社会人として職業に就く。そして、仕事を通して民主国家の
社会組織を学ぶ。更にその中で指導者としての立場を経験し、現状に於ける民主国家
への批判精神と社会を変える意欲、そして、自らの主張が人に受け入れられ、その
考え方を支持する人が居ると感じ、更に強く自らの政治的な考え方を政治の場で主張し、
多くの人々の生活の向上と国家の未来を予測しえる政策を提案できると感じたときが
その人の政治家としての経歴の始まりと考えてもいいのではないだろうか。
政治家になり自らの知識を生かし、民主国家の中で国民に対して公平な政治を提供し、
自らの政治活動を有意義に行う為にはその政治生命に賞味期間を与えるべきでは
無いだろうか。それは人間という生き物はいつしか自分自身へのご褒美を考え出し、
自分自身をお殿様と見当違いな立場を理想とする考え方に成り、そのときから国民を
欺く事を考え出すのである。だから、賞味期限が必要なのである。8年それが限界と言える。
実際、政治家は任期がある仕事である限り、その一期の任期が真の賞味期限と考えてもいい。
- 166 :名無しさん@社会人:2008/04/01(火) 09:53:44
- 「「 (案)投票税、民主国家における賞味期間を過ぎた政治家たち。 」」
政治家たちの歩みが止まっているように感じる。政治家が賞味期間を過ぎたとすれば
その歩みは無くなる。
人間社会が成熟することはあるのだろうかと考えたとき、人間はなぜ生きていかな
ければ成らないかと考えてしまう。
政治は、国民が国民の代表者として政治家を選び、その人たちが国民から集めた税金
を使って国民が生きていく上で必要な公共的なものを作ることである。
政治は時代背景により、多くの政策があり、歴史を振り返る事でその時代の政治形態
の違いがよく理解できる。
政治は人間の扱い方が大きく影響し、そこに存在する人々がどのような生活をし、
何を求めているかによって政治は変化して来た。政治はすべての人々を飲み込み
個人の意思や力までも左右し、大きな社会の流れを作り、好む人も好まざる人もその
流れに乗り、その流れが途絶えるまで流れつづけるのである。
政治の舵取りである政治家はその舵を持つ力が必要であり、その力が無くなった
とき、その流れは行き場を失い氾濫するか、さもなければその流れは地中に消えて
行くのではないか。
政治家たちに政治を司る力がなくなったと国民が判断したとき、既に政治の流れは
途絶え、国民の生活は窮地に陥り、多くの人々の命をも失うことになる。
今、私たち国民が置かれた状態を判断すると政治家の賞味期間が過ぎたと判断出来
るのでは無いだろうか。社会状況は国民への裏切り、国民への偽り、国民の政治家
への欺瞞、このままを続ける事は政治の流れを維持することが出来なくなり、政治の
大きな変換を余儀なくされることにならないか。そして、それが何を意味するかと言えば
数え切れない数の国民の犠牲を意味するのではないだろうか。歴史を振り返る事で
現政治の敗北が予感され、既に政治家としての体をなしていない状態ではないか。そして、
歴史は確かに政治の変換時に多くの国民への犠牲を伴うのである。
- 167 :名無しさん@社会人:2008/04/02(水) 10:28:35
- 「「 (案)投票税、を成立させた後の教育の改革。 」」
投票税により、主権者としての責任が付くと共に政治への影響力の大きさに気付き、
一般の国民の意識の変化と自分たちの考えが政治に反映されることの喜びがいつしか
日本の多くの国民の力になり、国民による国民の為の民主国家の重要性を強く感じ
たのだった。
まず、投票税による国民の政治に対する要望は義務教育改革を望み、義務教育の
無駄と効率の良い教育への変換でした。小学校6年、中学校3年の教科書の無駄を
無くす為に各学年での試験に全学年対象の試験を加えたのです。例えば、小学4年の
試験に1年生、2年生、3年生の教科書からも問題を出し、通過した学年の教科書の
理解度を常に試験により確認する。これにより、義務教育が終了するまで、すべての
学年の教科書に対して復習することで義務教育期間に学んだものが確実に身に付き、
教科の理解度の向上に役立った。
高校や大学試験については各学校で使用した教科書の中から試験問題を出し、受験
生の公平を維持する試験とした。この制度を採用することで学校で学ぶ事で試験に
十分対応が出来、貧富の差から見られた受験の不公平は解消された。
投票税の施行前の教育は子供たちの教育の向上を訴えていたが実際は真の教育の
向上ではなく、学力差を付ける事が目的となっていたようだ。入学試験も学力向上を
目的とする試験内容ではなく、単に試験の合格と不合格の為の試験でしかなく、簡単に
言えば不合格にする為の試験に成っていたのではないだろうか。
私たちは教育の重要なことを利用して、教育を社会格差の重要な要因として扱って
来たのではないだろうか。学校の成績や出身校により、人を差別したり、試験の合否
だけでその人の実力を判断して来たが、結局、教育だけでその人の実力を判断する
ことは出来ない事を私たちは学んだのではないだろうか。即ち、それは教育の良し悪し
で貧富の差を付けていた事がこれまでの社会の間違いと言うことではないだろうか。
- 168 :名無しさん@社会人:2008/04/03(木) 10:39:25
- 「「 (案)投票税、主役は全ての人々。 」」
全ての人々が幸せを願い、その幸せを得るために何をすべきなのか。全ての人が
求めるささやかな幸せは全ての人々を主役にすることではないでしょうか。
主役とはその社会で重要な立場について、何事もその人を中心に物事が進み、その
回りの人たちはその人の考えている事に対して常に助言をし、社会全体がその人を
重要な存在として扱い、そして、その人も自分は回りの人とは違う人のように感じ、
いつも、注目される人と思っている人なのか。そうではないのではないか。
世の中の教育は全て、主役を作りその人を中心に考え、その人が幸せになれば全てが
幸せになるような考え方をしているように見えるが、この考え方をそろそろ変えるときが
来たのではないだろうか。
投票税は全ての人々が主役になり、全ての人々が注目され、全ての人々が全ての
人々に責任を持ち、全ての人々が自らの幸せを願い、全ての人々が全ての人々の
幸せを願うために必要な制度と考えられないだろうか。
人の幸せには色々あり、悲しい幸せ、苦しい幸せ、耐えがたい幸せ、喜びの幸せ、生きる
幸せ、死ぬ幸せ、人が生きていく上で幸せは一概には言えない。病に倒れた人の幸せ
は普通人の幸せとは違うだろう。貧しい人々の幸せは裕福な人々とは違う。持って
生まれたその人の不幸を幸せにする幸せ、苦しさの中から見出す幸せ、悲しみにより
奈落の底に落ちた人の幸せ、幸せすぎる幸せ、幸せすぎる不幸、幸せを求める幸せ、
人には分らない幸せ、人も羨む幸せ、人は生きる事で幸せを願い、幸せを得るが、
幸せを奪う人が居て、幸せを与えない人が居るとすればそれは間違いではないだろうか。
投票税により、全ての人々の意見を聞くことが出来るとすればこんな幸せなことは
無いのではないだろうか。全ての人々の幸せが満たされることは無いだろうが、全ての
人々の幸せを願う為には全ての人々が何を求めているのかを知らなければ成らない。
投票税というささやかで小さい制度が人を幸せにするとすれば有った方がいいだろう。
- 169 :名無しさん@社会人:2008/04/04(金) 09:11:09
- 「「 (案)投票税、変化を求める変化を嫌う人々。 」」
民主国家が変化を望んでいる。その変化は完全な国民参加型政治への変化では
ないか。現政治家が何を言っても何をしても、真の民主国家ではない国家には、国民は
その声が聞こえない。なぜなら、その政治家を多くの国民が選んでいないからではないか。
民主国家に住んでいるのに民主国家を望まない人々がいる。人は狢だ。人は人を
化かし、人を偽る。全ては欲だ。無い物ねだりや欲に絡めた偽り、人は何でも欲しがる。
人の物までも欲しがる。十分に持っているのにまだ欲しがる。無駄なことも平気でする。
間違いと分っていてもその間違いを正そうとしない。他人が間違っていてもその事を
教えることはない。人は人によって変わり、正義より悪を好む。人は色を好み、色に
よって染まる。色はすぐにあせ、また、違う色を探す。人は色とりどりを好み、いつしか、
真っ黒になる。人は噂話を好み、真実を知りたがらない。噂話は嘘を含み、いつしか、
それが真実になり、知識になってしまう。怖いと言いながら、怖いものを好み。悪いと
分っていても悪いものを好きになる。他人の為に自らを犠牲にする人は万に一人。
他人を犠牲にし、自らの欲を選ぶ人はごまんといる。自分の富が増えることは他人の
富が減ること。自分が生き残ると言う事は他人が生き残れないと言う事か。
人は欲によって喜びを知り、欲によって悲しみを知る。全ては欲のために生き、欲に
従い死を恐れる。
世の中、欲の無い人はいない。全ては欲だ。投票税が成立しない理由はこの欲が
障害となり、誰も作ろうとしない。金銭欲、支配欲、人は人より沢山の富を欲しがり、
人を支配し、人に命令をしたがる。欲がある限り平等を嫌い、欲がある限り公平を望ま
ない。投票税の成立はお手上げということか。しかし、欲に溺れる人々と言う言葉も
ある。欲によって身を滅ぼす人々と理解する。世の中の変化は人が望むから起こるのか
と考えればそうではなく、ある日突然来るはずだ。今の世の中、欲張っても何も得ることが
出来ない人が増えてきたようにも思える。欲張っても欲張り外のない世の中はつまらない
かも知れないが、そうしなければ平和に生きていけないならばそうしなければならない。
- 170 :名無しさん@社会人:2008/04/05(土) 08:43:20
- 「「 (案)投票税、ガソリンの値段と政治家の群像。 」」8204002
ガソリンの値段に対するテレビなどの話は余りにも無責任に聞こえてならない。税金
1リッター25円の暫定税が廃止になり、4月から税金25円が消えた。
詳しいことは分らないが、小売のときに税金を付けるようになっていれば今のような
問題はなかったのかもしれない。それにしても3月で期限が来ることは何十年も前に
分っていたのに今になって泣き言を言う政治家やガソリン屋には困ったものだ。
商売人であるのならば、税金が切れるという前提で仕入れなければ成らない筈だ。
政治家が補助金を考えていると言っていたがふざけた甘い考えであり、えこひいきな
手段ではないか。テレビの解説もガソリン屋の話を聞くだけで、なぜ、仕入れ量を調節
しなかったか、聞いていないのが不思議であり、国民を馬鹿にしている。
あるガソリン屋が在庫が無くなるまで、値下げはしないと言っていたが法律違反といえる。
なぜなら、税金は国民から取るものだからだ。4月から税金がなくなるということは4月の
時点で税金を取っては行けないのである。もし、5月に税金が再度付くような場合は
5月の時点から税金を取れば言い訳で、この場合は税金の付かないガソリンを大量に
買って置けば、税金の値段だけ儲かると言うことではないか。結局、ガソリン税が復活
してもしなくても、在庫量の調整は商売の能力ではないだろうか。だから、4月になっても
在庫があるので値下げをしないスタンドはプロの商人とはいえないし、再度の値上げの
ときに税金の付いていないガソリンの在庫がなくなるまで税金を付けないのかと思うと
そのときはすぐに上げるのではないか。結局、商売のいろはを考えれば何も問題の無い
ことが良く分る。
政治家やテレビの解説は国民に対して混乱とかスタンドの嘆きを放送しているがその
対応は国民を欺くもののように感じた。政治家はこの暫定税が無くなることによる混乱を
訴えているがなくなる事も想定していなければ政治家とはいえないのではないか。現政権
の国民に対する甘えと無責任さは限界に足している。日本の反映は僅かな道路網で
達成された事を知らないとは言わせない。利益誘導型の政治には飽き飽きなんだ。馬鹿にするな。
- 171 :名無しさん@社会人:2008/04/06(日) 10:39:33
- 「「 (案)投票税、厚生労働大臣の脳みその限界。 」」8204003
この大臣は公平という言葉を理解していないのではないだろうか。テレビでこんな事を
言っていた。「私は介護保険に反対だったたが今は良かったと思っている。それは以前
月に40万円掛かっていた費用が今は4万円になったですよ。」こんな事を言っていた。
この言葉はこの大臣が貧富の差、公平、平等、福祉、思いやり、援助、介護、これらの
言葉を何一つ理解していない事を物語っているのと共に厚生労働大臣としての要職に
とどまる脳みそを持っていないことを示し、日本にとって不要な人物と言えないか。
民主国家を理解していない人の、学歴と視聴率で大臣になった人物の脳みその限界
を見たような瞬間だった。
民主国家に於いて、大事な事は公平という事ではないか。今、保険において、老人に
負担を掛ける制度を作り、その制度が問題になっている中で、制度を新たに作ること
により、こんな利点がありますよという例に、自らの家族の介護料が40万円から4万円に
なった事をテレビで自慢する神経と余りにもかけ離れた意見には呆れると言うより、
大臣の脳の終止符を見たような感じだ。それに大臣の収入は多くの国民から見れば
羨むほどの高額ではないか。その高収入の人の介護料が40万円から4万円に減った
事実は驚かざるを得ない。それは高収入の人の料金が減り、低収入の人の料金が
増えたと言うことを顕著に表していることになり、不公平な事実として余りに悪意に満ち
た意見ではないだろうか。
このテレビを見ていたとき、野党の政治家もいたのだが、反応が無かったようだ。
テレビ討論を良く見るがテレビにより、討論の程度の低さには驚くと共に同じ穴の狢
たちの悪ふざけ程度にしか感じないのが残念でならない。40万円が4万円と言った時点
で現政権の大臣の首は取れた筈ではないだろうか。重大な言葉を見過ごしてしまう
力の無さと決定的な一言を決定的な結果に導くことをしない政治家たちの言葉遊びには
うんざりするが、投票税の無い世の中の無責任体質がいつまで続くのか、待つ身は辛い。
- 172 :名無しさん@社会人:2008/04/07(月) 09:29:54
- 「「 (案)投票税、国民は何の為に政治家に高い給料を払っているのか。 」」8204004
なんだか、よく分らないのはなぜ私たちは政治家に高い給料を払っているのかと言う
ことだ。政治家は確かに私たち国民の代表者ではあるが、たかが4年間の任期だけの
仕事に就くのに私たちの何倍もの高い給料を払う必要があるのだろうか。
政治家は職業とは言えない、なぜならば、任期が有るからだ。選挙に当選し、任期中が
政治家であり、選挙に落選した人は政治家とは言わないのではないか。だから、職業
ではない。職業でなければその人は政治家でないときは別の職業を持っているという
ことではないか。政治家は政治以外の仕事を持ち、政治以外の仕事の方が長いので
ある。政治家と言う職業は無く、政治家は何々の職業の人が選挙に当選したときから
政治家と名乗る事になる。そして、国民の平均的給料の何倍もの給料を貰うのである。
政治家は選挙に当選することで、高い給料を貰うことが正しい制度なのか疑問に
思うのである。政治家の給料は政治家になる前の給料に対して、政治家になった事に
よる諸経費の上乗せだけでいいのではないか。
政治家の給料を特別高くする必要は無いのではないだろうか。今の政治家は何期も
続けて政治家を続けているが、長くすることで政治への能力が低下すると考えられな
いか。政治家は国民の代表であり、国民と同じ生活を送ることで政治に対する能力を
得ることが出来るのではないか。
国民は政治家に対する姿勢として、政治家は国民と同じ生活を送り、特別待遇などの
制度を無くし、あくまでも国家の政策を決定する仕事に徹し、政治家の任期中に自らが
望む政治を達成するために努力をすることではないだろうか。
今の政治家は民主国家の本当の政治家ではなく、なぜか、国民と距離を置いた特別
な存在のような振る舞いをする事で無駄遣いと一部の国民の利権を守るための使用人
のような存在に見え、行政を預かる役人たちを指導する仕事を何もしていないように
感じるのである。民主国家には政治家という職業は無いのである。あるのは、色々な
職業の人が政治家によるという事実ではないか。
- 173 :名無しさん@社会人:2008/04/07(月) 22:33:11
- 「「 (案)投票税、世の中の変化を伝える人々は裕福な人々。 」」8204005
世の中が変わり始めたと思う人は多いだろう。なぜ、世の中が変化しているこ事を
私たちは知ることが出来るのだろう。
私たちはテレビをはじめとする報道関係から世の中の変化を知ることが出来る。テレビ
でみる変化は余りその切実さが伝わらない。
世の中の変化は貧困者にとって切実だ。食べ物の値段が上がり、生活費に締める
食料費率が高くなって、生活に余裕が無くなる。しかし、それを伝えるテレビ局員たちの
年収は平均1500万円と言うことだ。一年365日とすると日給41,000円と言うことになる。
月給では125万円と言うことになる。どうだろう、テレビで楽しく笑っている人々の日給
は4万一千円、41,000円貰えるのである。時給ではどうだろう、8時間として時給
5,125円もらえる。しかし、テレビに出ている時間は1時間とすれば時給41,000円
と言うことに成る。一年を365日で計算したが一月の日数を22日で計算すると一年
264日になり、日給を計算すると56,800円と言うことになる。結構いい給料だ。問題は
テレビ局員が日給56,800円の給料を貰う価値がある仕事をしているかと言うことだ。
商品の値上がりを幾ら大変と言ったところで一日56,800円も貰う人が大変という
のは可笑しいし、大変なはずが無い。
なぜ、テレビ局員はこんなに高い給料がもらえるのだろうか。今のテレビ番組を面白い
と言う人は非常に少ない。ドラマは最悪と言っていい。非常に詰まらない。テレビは単なる
CMを流すだけのものに成ってしまったのではないだろうか。
今、話題の年金も月60万円ぐらいなるのだろう。もしそうならばテレビ局員は幸せ者だ。
それにしても、報道する人々が何の苦しみもない裕福な人たちと言うことはどう解釈すれ
ばいいのか。
いずれにしても、現政権の政治家が当選する限り、この混沌とした世の中は変わらない
と思うべきだ。そして、変化を望まない人たちにより世の中は変化して行くことになる。
- 174 :名無しさん@社会人:2008/04/08(火) 08:47:42
- 「「 (案)投票税、,年金制度の矛盾と廃止。 」」8204006
「瞳」の主人公に優しさが感じられないのが残念に思う。ドラマの主人公には優しさや
思いやりがある人をいつも望んでしまう。朝のドラマをいつも期待しているけれど中々
いいのがない。瞳もなぜか、魅力を感じない。それは多分優しさが無いからだ。現実では
優しさを出すことは難しいがドラマでは常に実際には出来ない優しさを表現して貰いたい。
実際も本当の優しさを持っている人にはどんな美人でも勝つことが出来ないように思う。
優しさは会話から生まれる。たいした人でもない人とたまたま話をする。そして、その
人に人には無い優しさを感じたとき、その人が別人のように感じるのである。
ドラマの持つ魅力はこんな人になりたいという人を常に表現できるかということが勝負
ではないか。主人公の優しさはドラマには外すことは出来ない。そして、その優しさは
全てのシーンに要求したい。それもくどくない優しさ、それとそんな優しさがあるんだと
いう優しさ、優しくないシーンにも瞳の優しさが感じられる演技を望みたい。
美しい人が優しい人をとことん演じる醍醐味はドラマ以外ないと思ってドラマを作って
欲しい。現実の世の中にはいない人を作り上げなければドラマといえない。
:現在の年金制度は公務員や大企業の社員が余りにも優遇されすぎていることに気付く。
今、公務員や大企業の定年後の年金が一人月30万円を超えるのではないだろうか。
働かないで初任給以上の月給を貰う制度は余りにも矛盾を感じてならない。そして、
その年金が税金も含まれているのである。死ぬまで30万円以上の年金が支給される
制度は廃止すべきではないだろうか。公務員や大企業の定年前の給料の多さ、働く
内容を考えるとその給料も多すぎる。そして、年金は働く人間よりも多い金額を貰っている
ということは矛盾というより、間違いということではないだろうか。退職金も多額である。
そして、貯金も相当あるのではないか。この人たちは貰い過ぎなのである。
年金制度は多くの矛盾と疑惑があり、廃止の方向を望む。廃止後は全ての国民に
対して完全介護制度を作るべきである。それは「主権者である国民は一人では死なせない」為に。
- 175 :名無しさん@社会人:2008/04/08(火) 10:31:29
- 「「 (案)投票税、受信料からなぜ、年収1500万円が貰えるのか。 」」8204005
なぜ、受信料によって賄われている公共放送の職員の給料は多額なのか。公共放送
で在りながら、平均収入が1500万円という人がいるが本当だろうか。もし、収入が1500万円
で在るならば現在の日本の状況を考えると余りにも多額な金額と言えないか。
この金額では国民の声を理解できる職員は一人もいないのではないだろうか。多くの
国民の声を理解することによって世の中の不平等を訴える役割を持つ公共放送である
ならば国民の目を持たなければ成らない。年収200万円以下の国民が1000万人を超える
社会の中で1億2500万人の声を訴えるべき機関である公共放送の職員が年収1500万円
では正常な機能を発揮できないと考えるべきではないだろうか。
日本は民主国家であり、教育は義務教育として、全ての人々が受け、教育的水準は
高い。世の中は格差社会とこの公共放送も言っているがこの表現は間違っている。
正しくは不平等な社会と言うべきであり、民主国家では考えられない現象が起こっている
ことになる。それはなぜ、そのように言えるのかと言えば義務教育と高校、大学への
進学率は非常に高く、それによって多くの日本人は教育的な格差は小さく、テレビ局の
ような仕事ならば教育の面では年収200万円と年収1500万円ほどの差が付くことは
ないと判断出来る。多くの人々がやれば出来る仕事に7倍以上の賃金の差を付ける
と言う事は不当であり、正に不平等な賃金の付け方と言わざるを得ないのである。
日本はこれまで、平等と公平な社会を求め、更に国民の生活向上の為にテレビ局や
公務員たちの収入を優遇して来たが現状の日本の生活水準を判断すると余りにも
国民からかけ離れた金額を支給していることに改めて驚くのである。
私たちは民主国家でのテレビ局員や公務員の立場を再確認し、国民からかけ離れた
生活水準の見直しをしなければ、テレビ局の国民の為の報道機関としての役割は果た
せないと言える。今のテレビ番組を見ても国民の目線から見ることが出来ない姿勢は
明らかであり、報道としての役割を果たす上でも自らの生活水準を下げなければならない。
- 176 :名無しさん@社会人:2008/04/09(水) 09:35:15
- 「「 (案)投票税、テレビを有効に使えない国家はまだ民主国家ではない。 」」 8204008
世の中で一番影響力があるものを上げるとすればテレビだろう。NHK、民法それ
ぞれのテレビ局の存在はなぜか、世の中の矛盾や不公平の是正に役に立っている
と言いたいのだが、その速度は非常に遅く、現状は止まっているような感じだ。
これまで、テレビに何となく期待をしてきたのだが、どう考えてもテレビの番組の作り方、
それぞれのテレビ局員の言葉やしぐさを見る限り、世の中を公平にするとか、矛盾を
無くし、民主国家として、全ての国民の生活向上を支援する組織として、活動をしてい
ないのでないかと思えるのである。
日本は平和憲法の基に民主国家として、主権者である国民の生活水準の向上を
進めているが日本の政治や行政の現状を見ると、どこか偏った政策を続けているように
思えてならない。更にテレビ局の報道機関としての役割が非常に不明確な存在として
感じてならないのである。政治と行政、そして、大企業とテレビ局などの組織が日本の
民主国家の発展をどこかで湾曲させているのではないだろうか。
民主国家とはどのような国家になるべきなのか。主権者である国民がどのようになれば
いいのだろうか。国民の生活水準に対して国家がどこまで介入し、どこまで責任を持つか
ということを考慮し、民主国家がどのように国民を扱えば民主国家としての制度を維持
出来るのだろうか。
日本が民主国家でなければ、今の政治も行政も、更にテレビの放送も間違いでは
無いかもしれないが、日本は平和憲法を持った民主国家である。それを考慮すると今
のテレビ局の姿勢は決して正しい運営とは言えない。民主国家はあくまでも国民全体の
生活水準の向上を公平に進めることが国民の幸せと国民の平和を管理する基本と
考えなければならない。
私たちはテレビ局が今、民主国家を否定し、1億2500万人の国民を見捨ててまでも、
一部の国民の生活を守る組織とて動いていることを理解しなければならない。
- 177 :名無しさん@社会人:2008/04/10(木) 11:02:47
- 「「 (案)投票税、民主国家の中で人間として死ぬ為の選択。 」」820410009
日本と言う国家を人間が生きていく上で理想的な場所にする為に、今、日本人が取る
べき行動は民主主義による民主国家の確立と発展を推し進めることではないか。
民主国家における国民の果たす役割はどのようにすべきかを一人一人の国民が
忘れることなく、常に信念を持って心に持ちつづけることで、民主国家の国民としての
責任を果たすことが出来る。
国家を民主国家と呼ぶためには政治をはじめとする国家運営に関わる組織全てが
国民全てを対象とし、公平と平等を年頭に行動しなければならない。
現政権が進める教育方針は教育を人の不平等化の手段に使い。就職や収入面の
区別を正当化し、弱肉強食の社会を生み出し、貧富の差を社会に定着させた。
本来教育は人を区別する手段ではなく、人々の区別のない生活の向上と安定を求
める手段として活用し、人々の民主的な精神と行動を助ける役割ではないか。
しかし、現状は教育を、人々の持つ能力を測る手段として用い、多くの学力試験により
人々の全ての能力を算定し、人々の能力判断基準にしている。
学歴や学力を人の能力判断基準にしてきたが現状の社会構造を見ると学力が実業を
先行してしまい。無駄な費用を掛けている。公務員の実業を見ると公務員に支払って
いる給料は多すぎるがその高い収入の根拠に成っているのが、学歴や試験による学力
である。実業に伴わない収入が学歴や学力で決まることは税金の無駄遣いであり、
国民に取っては不利益と言える。そんな意味のないことを続ける必要はない。
民主国家として無駄を減らし、国民が民主国家の国民として死ねる環境を整備する
為の資産を作らなければ成らない。民主国家と言っても全てが同じ環境を人々が共有
することはない。実業による努力を無視しすることは無いのである。自分の実力で得た
資産はその人の資産であり、それによる人々の格差は止むを得ないが、しかし、公共
的な資産は全ての人々が同じように扱われなければ成らないのではないか。
- 178 :名無しさん@社会人:2008/04/11(金) 08:32:31
- 「「 (案)投票税、公務員は全て税金取立て屋になれ。 」」820411010
税金は全ての国民に平等に使うことを誓います。勝手に誓うわけである。公務員は
税金を取り立てることを本分とし、取るべき人々からどのような抵抗および障害があろ
うとも必ず命を掛けて取り立てなければ成らない。
国家を維持する事は国民を守ることであり、国民の生命と財産は国家が守らなければ
誰が守るのでょうか。
今、公務員がするべき仕事は税金の取り立て。金持っている人から税金を取り捲り、
その税金を国家の為に使う。
公務員は国民の為に奉仕をし、国家を守らなければ成らない。無駄な金を持っている
人たちから税金を取ることは正しい事であり、有り余る貯蓄から国家の為になる税金を
収めることは喜ばしい事ではないでしょうか。
偏に働き沢山の蓄財を残された人々は国家にとって貴重な人材であり、多くの人々に
取って命の恩人と言えます。その蓄財から多くの税金を納めてもらうことは非常に助かり
感謝の念を隠し切れない思いで一杯です。その人たちには金メダルを贈りましょう。
収められた税金は貧しい人々や年老いた人々が人間としての命の炎が尽きるまでを
見届けられるように、また十分な看護が出来るように役立てていただきます。勿論、
多額の税金を納められた皆様も同じように最後の最後まで見届けさせていただきます。
人間、年老いれば皆同じです。富める者も貧しい者も息を引き取り、炎に焼かれ
灰になります。しかし、あなたが残した多額の税金の目録は永遠に残り、国家のため
国民の為に尽くした税暦は残り、多額の税金を納めた人々は深く感謝され後々まで
国民は感謝をし続けると思います。
公務員の皆さん、税金は納めるものではありません。税金は納めさせるものです。
だから、大いに頑張りましょう。税金を集め、自分たちの給料をその仲から貰いましょう。
国債や地方債はいつか返さなくてはいけません。税金は返さなくてもいいのです。
- 179 :名無しさん@社会人:2008/04/13(日) 11:30:54
- 「「 (案)投票税、民主主義を利己主義に変えた人々。 」」820413011
民主主義を利己主義に変えた人々を敢えて言えばだれなのだろう。私たち日本人は
義務教育をはじめとして、多くの教育を受け、ほとんどの日本人が高い教養を持って
しかるべきでは有るが、民主国家としては恥ずべき問題が数多く起こり、その問題は
これと言って特定できるものではなく、全てに多かれ少なかれ問題を抱えているのでは
ないか。それには民主国家で育ち、民主国家を育てなければ成らなかった全ての日本
人に責任があると言える。私たちの日本を利己主義に変えた人々は言う迄でも無いが
全ての