「第三の道」
- 1 :中葉 ◆Uq4tWGbn2I :2005/10/20(木) 13:54:48
- クリントン、シュレーダー、ブレア他による第三の道の初期実験もほぼ結論が出た現在、
ようやく、マンハイムが「自由・権力・民主的計画」で説いた「第三の道」と
ギデンズの「第三の道」とを再考しなければならない時代がきたと思う。
大いに語ろうではないか、私も微力を尽くします。
- 85 :中葉 ◆Uq4tWGbn2I :2005/11/04(金) 15:48:47
- >>67 はやく第三の道の内容を披瀝して貰えると有り難い。
お待たせしました。
第三の道という同じ言葉を使っても、クリントン、ブレア、シュレーダーの第三の道と
マンハイムの第三の道とは大きな違いがあります。
>>22
ではマンハイムとクリントン・ブレアとの違いを以下のように説明しました。
> マンハイムは学者ですし、1947年に亡くなった人ですから、その時代として
> 当時のソ連式共産主義(第二の道)と米国式自由・資本主義(第一の道)とに代わる
> 第三の道を理論的、理想論的に追求しました。その結果として非常に魅力的な総論を打ち立てたのです。
>
> 一方、クリントンもブレアも実際的な政治家ですから、魅力的な理想論など、あまり話せませんでした。
> だから、私のように理想論を追及する立場から見ると、あまり魅力がなかったのです。
同じ合理化論でもマンハイムやウェーバーの合理化論には意識領域の分析(宗教社会学や、経済社会学における物象化論ないし疎外論)
が重要課題として含まれるのに対し、クリントン、ブレア、シュレーダーにはそれがありません。
(以下は次に続く)
- 86 :中葉 ◆Uq4tWGbn2I :2005/11/04(金) 15:49:32
- (前に続く)
ウェーバーが扱った話題は、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(p.366)にあります。
“営利(活動)のもっとも自由な地域であるアメリカ合衆国では、営利活動は宗教的・倫理的な意味を
取り去られていて、今では純粋な競争の感情に結びつく傾向があり、その結果、スポーツの性格を
おびることさえ稀ではない。将来この鉄の檻(非有機的・機械的生産の技術的・経済的条件に
結びつけられた近代的経済秩序の、あの強力な近代的経済秩序)の中に住むものは誰なのか、
そして、この巨大な発展が終わる(おそらく将来、化石化した燃料の最後の一片が燃えつきる)とき、
まったく新しい預言者たちが現われるのか、あるいは、かつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、
それと――そのどちらでもなく――一種の異常な尊大さで粉飾された機械的化石と化することになるのか、
まだ誰にも分からない。それはそれとして、こうした文化発展の最後に現われる「末人たち(letzte Menschen)」に
とっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。「精神のない専門人、心情のない享楽人。
この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」と。――”
176 KB
[ 2ちゃんねる 3億PV/日をささえる レンタルサーバー \877/2TB/100Mbps]
取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。新着レスの表示
掲示板に戻る
全部
前100
次100
最新50
read.cgi ver 05.0.7.8 2008/09/25 アクチョン仮面 ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)