マックス・ヴェーバー統一スレPart2
- 1 :名無しさん@社会人 :2006/07/22(土) 23:17:17
- 続きです
- 576 :Z:2008/01/20(日) 12:41:57
- >>574
それはマルクスの直感でしょう。
‘直感’のない学者なんて魅力がない。
ヴェーバーは、マルクスからヒントを得たのかも
知れません。ヴェーバーは一切そんな事を言っていません。
- 577 :Z:2008/01/20(日) 12:51:01
- >>567
ゾンバルトは、近代資本主義は「カソリック」から
生まれたといっています。そして近代資本主義は
フィレンツェから始まったといっています。
(『ブルジョワ』中央公論社刊)
それでいて、『プロ倫』の結論と『ブルジョワ』の結論は
全く同じです。相互に刺し違えても、違和感はありません。
- 578 :Z:2008/01/20(日) 13:06:24
- @マルクス・ヴェーバー・ケィンズ
と
Aゾンバルト・ホイジンガ・Fブローデル
の違い。
@は、急所をブスッと突いて、それを広げていく。
Aは、事象を大きく囲って、それを締めていく。
- 579 :名無しさん@社会人:2008/01/20(日) 14:15:29
- >>573
マルクスがそこで言っているのは、>>575さんのいう意味の「Aという条件が無かったらBは決して
生まれようが無かった」というのではなく、「AはBにとって適していただろう」という意味のことだよね。
- 580 :名無しさん@社会人:2008/01/20(日) 14:44:58
- >>575
そもそもウェーバーは>>567みたいなことを論証しようとしてないもんな
>>579
ウェーバーもマルクスと同じ意味のことを論証しただけだよ
- 581 :名無しさん@社会人:2008/01/20(日) 14:58:18
- マルクスはあくまで唯物論者だろうから(?)、資本家的生産という下部構造には、
抽象的人間を崇拝し、現世的利益を唱える宗教(イデオロギー)が乗っかりやすい、
ということが言いたいだかなんだろうな。
- 582 :名無しさん@社会人:2008/01/20(日) 14:58:50
- だか → だけ
- 583 :Z:2008/01/20(日) 17:06:01
- 今野元著『マックスヴェーバー〜ある西欧派ドイツ・ナショナリストの生涯』
を読んで。
一般には、特に我が国では、リベラルとナショナリズム(国民国家に対する)
は相反するとされてきた。おかしい話だ。
このヴェーバー伝を通じて、この二つは相乗効果をもたらすものと観ている。
リベラル、リベラルと日本人は無邪気に言っているが、何のためのリベラルなのか?
ケインズは『若き日の信條』(DHロレンスの‘ゴキブリ野郎’云々が書いてある。)
で、“水面下では水流が渦を巻いてうねっているのに表面は静状で、そこをすいすいと
優雅に泳いでいるミズスマシ…”と、酷評している。
日本のリベラリストは正にこのミズスマシにか過ぎないのではないか?
つづく
- 584 :名無しさん@社会人:2008/01/20(日) 18:53:10
- この人の正確な記述を調べてみるのも面白いかもね。
系譜的には、→ビスマルク→ヒットラーだと思ってるけど。
- 585 :Z:2008/01/21(月) 01:10:30
- ↑ とんでもない! 19世紀後半に統一ドイツを成立させたのはビスマルクだ。
ヴェーバーは『政治論集』で、ビスマルクを200年に一人出るか出ないかの
政治家だと言っている。
Mヴェーバー著『国民国家と経済政策』 参照
ただヴェーバーはリベラルの点で、ビスマルクに対決したんだ。
- 586 :名無しさん@社会人:2008/01/21(月) 10:50:42
- >>583
表現が文学趣味すぎて、いったい何が言いたい文なのかさっぱりわからん。
- 587 :名無しさん@社会人:2008/01/21(月) 13:54:54
- >>586
学問を学問しちゃってるんじゃないの。
- 588 ::名無しさん@社会人:2008/01/21(月) 20:34:29
- >584
ビスマルク→ヒットラーの系譜なんて、初めて聞いた。
ビスマルク 怒るぞォ!
- 589 :名無しさん@社会人:2008/01/21(月) 21:17:41
- ヘンリー・フォード → ヒトラー
なら、いまや有名なのにね。
- 590 :Z:2008/01/21(月) 23:25:48
- フォード・システムの「光と影」
- 591 :Z:2008/01/22(火) 00:00:33
- 「鉄の檻」をアングロ・サクソン風にいえば「Iron Cage」。
GeとHause(英語でハウス・家)ウムラートがついて häuse
Gehäuse=ゲホイゼ〜入れ物・殻の意味である。
‘Gehäuse’を‘鉄の檻’と訳している。
『現代思想』(青土社)M.Weber特集:「殻の中に住むものは誰か」
荒川敏彦 参照。
つづく
- 592 :にわか:2008/01/22(火) 22:02:48
- ヴェーバーは日本の近代化についてまとまった発言・著述はしてますか?
- 593 ::名無しさん@社会人:2008/01/23(水) 00:33:16
- していません。
- 594 :Z:2008/01/24(木) 20:57:36
- Mヴェーバーには、アンビヴァレンスAmbivalennce両面価値
やアンチノミーAntinomy二律背反(共に矛盾)がある。それが魅力である。
特に政治に関しては学問の王道をのらりくらりと行くのでなく、
刑務所の塀の上を歩いているようだ。どちらに堕ちるか?
Cシュミットもそうだ。彼は一度、内側に堕ちたが、また這い上がってきた。
Mヴェーバー=西欧派ドイツ・ナショナリストとは、
自由主義的帝国主義者ともいえる。(今野元『マックスヴェーバー』東大出版会刊)
ただ、ヴェーバーにはニュアンス(nuance仏)がない。
Cシュミットにはそれがある。
- 595 :Z:2008/01/24(木) 21:02:30
- 学問に‘ニュアンス’は必要か否かは、わからないが…
丸山真男には、ニュアンスがチラチラする。それを素人は
アカデミックと勘違いしている。
- 596 :名無しさん@社会人:2008/01/25(金) 22:59:34
- 俺は学問したいわけやない。
ちょっとかわいいサブカル女の前で知識をひけらかしたいだけ。
- 597 :名無しさん@社会人:2008/01/26(土) 21:55:58
- >>514 「天職」話が決着していなかった。
手工業者のピューリタンがいたとする。もちろん手工業は彼にとって天職だ。
この人が資本主義的企業家に転職したとする。
さっそく起こる問題がこれだ。
彼にとって天職は一体どっちだ?
P的天職というのは自分の都合で転職できるのか?
彼が資本主義的企業家に転職するにあたって活用した資本は、前の天職時代に
それと意図せずに蓄積されたものだが、さて、これを使って転職することを
是とする「プロテスタントの倫理」の論理構造はどうなっているのか?
「天職の転職」の倫理と論理、誰か教えてください。
説明できた人は、ヴェーバーの上を行くかもw
- 598 :名無しさん@社会人:2008/01/26(土) 21:57:02
- 売国企業マルハン
2chでパチンコの大手、株式会社マルハン(代表取締役会長 韓 昌 祐、代表取締役社長 鈴木 嘉和、代表取締役副社長 韓 裕)
のスレで ホルコンや遠隔や桜などについて書き込むと工作員(渋谷マルハン社員、マルハンに依頼されたネット工作会社)(仮)
がやってきてスレを荒らしてスレを機能停止させます。(大量のコピペを連投するのでコピペ馬鹿と呼ばれている)
↓↓荒らしのやり方↓↓
2007/11/03(土)ID:b+XZQwwt0
マルハン難波店http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1146755003/417
マルハン総合スレッドhttp://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1187021165/413-416
MPT渋谷パート9http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1197771701/9
2007/11/14(水)ID:IQ2W+BsJ0 2007/11/15(木)ID:Fi5mVWm/0
マルハン総合スレッド 9http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1187021165/486-488
マルハン難波店http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1146755003/434-437
ガイア(笑)http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1178977365/490-492
ガイア正社員友の会http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1188211786/134-138
2007/11/25(日)ID:XeE9yAd+0
マルハン総合スレッド9http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1187021165/538
【香川】パーラーグランドのスレ2【徳島】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1188315438/147
工作員に荒らされ機能停止したスレ
■■■■マルハン総合スレッド 9■■■■http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1187021165/
【山崎】MPT渋谷パート9【シャネル】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1197771701
【基地外が大暴れ4】エスパス日拓総合スレ【18発目】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1188885488
MPT渋谷はマルハン・パチンコ・タワー渋谷の略です。
パチンコ産業は荒らすことでレスとレスの間を空けて読む気をなくさせたり
マネーロンダリング、さくら、ホルコン、遠隔、などの風評被害を最小限に抑えようとしてる。
- 599 :名無しさん@社会人:2008/01/26(土) 22:59:40
- コピペ君って馬鹿だな、まで読んだ。
- 600 :Z:2008/01/27(日) 17:08:42
- 鉄の檻と、人間の自己疎外
カール・レヴィットは、『ウェーバーとマルクス』で、
マルクス=人間の自己疎外 @
ヴェーバー=近代的・合理的〜その結末(精神のない専門人
・感性のない享楽人) Aを述べた。
己、自ら、安逸と保全のために鉄の檻に入るのはどれか?
それはAだろう。
社会主義〜共産主義は‘結果の平等’である。それは意図しない結果を生む。
「必要に応じて働き、能力=権力に応じて受け取る」である。
そのようなノーメンクラトゥーラ=末人が己の安楽・体制維持のため、
鉄の檻に逃げ込む。 そういう国家が倒産しないはずがない。
- 601 :Z:2008/01/27(日) 17:11:38
- チャンスの平等と結果の平等は両立しない。
Entwedere-orderである。
- 602 :名無しさん@社会人:2008/01/28(月) 00:00:10
- 「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」
というマルクスの言葉を転倒させたわけか
- 603 :名無しさん@社会人:2008/01/31(木) 11:57:59
- >>600 Zさん
その「鉄の檻」とやらですが。
「プロ的倫理」が「資本主義の精神」を経由して「鉄の檻」に収容されて
いくプロセスの理路はどうお考えですか?
『倫理』の中心課題ですけど、ヴェーバーは究明してるでしょうか?
してなければ、羊頭狗肉ですよね。
- 604 :名無しさん@社会人:2008/01/31(木) 18:34:26
- >>603
ウェーバーは、参考書。もしくは、疑似科学。
現代で、どういう扱いか分からないけど。和訳も適切か分からない。<歴史書参照
経由は置いといて、
鉄の檻を是とするか否とするか。
倫理は、・・・なにカトリックだっけ?
- 605 :Z:2008/01/31(木) 22:28:43
- >>603さんにお答えいたします。
鉄の檻というと、動物園のライオンや虎の檻を思い出します。
この「鉄の檻」には、強制の意味と、保護の意味があります。
『プロ倫』では、
@“今日では、禁欲の精神はこの鉄の檻から抜け出してしまった。”
とあります。 そして
A“将来この檻の中に住むものは誰か?”といっています。
私が書いたのは、Aについてです。あくまで私の意見です。
したがって、ヴェーバーの訓詁学ではありません。
‘保護’としての鉄の檻です。
参照:『現代思想』Mヴェーバー特集〜荒川敏一「殻の中に住むものは誰か」
- 606 :名無しさん@社会人:2008/02/01(金) 12:39:53
- またくだらない言葉遊びが始まったな。
どうでもいいが>>603は頭悪すぎ。
どこが羊頭狗肉なんだろ意味が分からないよ。
それにマジメに回答する(それが回答になっているかどうかは疑問だが)
連中の知的水準も推して知るべしといわざるを得ないな。
- 607 :名無しさん@社会人:2008/02/01(金) 17:05:58
- >zさんへ
>「鉄の檻」には、強制の意味と、保護の意味があります
これをもう少し敷衍していただきたい。強制の意味での鉄の檻はどう定義されますか?
また、保護の意味での鉄の檻の定義とは?定義づけをしていただくとよりわかりやすく
なるのでお聞きしたいです。
それと603さんではないですが、「プロ的倫理」が「資本主義の精神」を経由して
「鉄の檻」に収容されていくプロセスの理路についてはどうお思いですか?
- 608 :Z:2008/02/01(金) 19:34:58
- >>607 なかなか鋭い質問です。
ヴェーバーは‘保護’とか‘強制’とかは言っていません。私の解釈です。
そもそも「檻」と訳するのは無理があるようです。貝殻の`Shell'が適切のようです。
最近の日経新聞科学欄に、400年も生きている貝が発見されたとありました。
驚きです。シェルの中にうずくまっていたから、400年も生きているのでしょう。
質問:「資本主義の精神」を経由して
「鉄の檻」に収容されていくプロセスの理路についてはどうお思いですか?
ですが、これへのアンサーはむずかしいです。まだそこまで考えていません。
ヴェーバーは、A“将来この檻の中に住むものは誰か?”といっています。
>>600 は、一つの私なりの解答です。
ミッツマン『鉄の檻』によると、ヴェーバーが“父Mヴェーバーは‘鉄の檻’に安住している…”と。
- 609 :603:2008/02/02(土) 11:35:06
- Zさん
>質問:「資本主義の精神」を経由して
「鉄の檻」に収容されていくプロセスの理路についてはどうお思いですか?
ですが、これへのアンサーはむずかしいです。まだそこまで考えていません。
なるほど、そうですか。
ところで、同じ問題について、ヴェーバーはどのように論じていますか?
簡単にご教示いただければ幸いです。
『倫理』中、該当個所など示していただくといっそう有り難いです。
- 610 :Z:2008/02/02(土) 19:19:53
- >>603さんへ
ヴェーバーは、“今日では、禁欲の精神はこの鉄の檻から抜け出してしまった。”
といっています。禁欲の精神は資本主義の精神でしょう。ここでの「鉄の檻」は
一種の‘司令塔’のようです。その司令塔から、禁欲の精神が抜けたのです。
残るのは、禁欲の精神の‘残骸’でしょう。
“将来この檻(Shell)の中に住むものは誰か?”
ヴェーバーは、それはわからない…と言っています。
父ヴェーバーもそこに安住しています〜しかし、もうそこ(鉄のShell)から抜けられない。
ノーメンクラトゥーラ=末人もこの鉄の殻から抜けられない(安住の心算ではいったのに)。
現在は、デジタルの時代です。‘価値’はデジタル化できるのか?
それとも価値なアナログなのか?
IQは、人間の知能(それも極一部分)をデジタル化しました。
それを‘価値’といえるかどうか?
デジタル化は、価値の序列を、いとも簡単に出来ます。
価値の多様化(美しいコトバ)は価値の序列化をきたします。
そして、それは鉄の檻にほり込まれる〜?
「鉄の檻」と「神々の闘争」は密接な関係がある〜と思う。
「鉄の檻」については、岩波書店;大塚久雄訳『プロ倫』の索引で調べる
しかありません。 いまさらプロ倫を全て読み直すのはどうも…。
それに『儒教と道教』(創文社刊)も。
- 611 :Z:2008/02/02(土) 21:07:58
- いわゆる「老人ホーム」は鉄の檻だろうか?
そうしてはならない事は百も承知でしょう。
しかし、実態は?
動物園の鉄の檻に住むライオンは、アフリカの草原を駆け巡って獲物を獲る
困苦はない。
- 612 :名無しさん@社会人:2008/02/02(土) 23:21:48
- くだらね。
意味伝達のための道具に過ぎない言葉やフレーズ自身に意味があるとでも思ってるかね
この言葉遊び君は。
自分がやってることがただのフェティシズムだと分からんのかね。
ウェーバーより西部邁がお似合いだよ。
あれもあれの読者層も空虚な言葉遊びに萌える変態さんだからね本人たちは自覚してないけど。
- 613 :名無しさん@社会人:2008/02/03(日) 02:37:57
- 612
612みたいに「言葉は意味伝達のための道具に過ぎない」と言い切るだけで
後の始末を何もしないような態度が横行すると、言葉が意味伝達のための
道具として機能するのに必要な条件が失われると思うよ
君の発言自体、言葉やフレーズ自身に対する意味にすごく頼ってて、
人のこと全然言えないように思うしね。「読者層」「空虚な言葉遊び」
「萌える変態さん」、言葉遊びもいいとこじゃん・・・・
- 614 :603:2008/02/03(日) 13:17:20
- Zさんは、「プロ倫〜精神〜鉄の檻」というテーマには余り食指が動かれない
ようですね。
ヴェーバー的には「鉄の檻−禁欲」で残るのは「むき出しの資本主義・市場
原理」ではありませんか?
>>607さん
横レス失礼しました。
プロ倫〜資本主義の精神〜鉄の檻という移動プロセスをプロテスタント出自
の資本家・事業家が歩んでいくとしたとき、その倫理と論理はどう説明され
るのか?
ヴェーバーは説明していないと思います。
「天職の転職」もしかり。
P的倫理と精神の表見的類似性を陳列したからといって移行プロセスの倫理
と論理の説明にはなりません。
折原さんが「救済」にチャレンジしています。
『ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理」論文の全論証構造』
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Japanese%20Home%20Index.htm
肝心の論証段階で言われていることはヴェーバーと同じレベル。
行動規範として、プロ倫<精神<鉄の檻 という関係がなぜ成立するのか?
この論文をもって、ヴェーバーが論証していることが論証された、と納得
する人は少ないのではないかと思うのですが。
- 615 :名無しさん@社会人:2008/02/04(月) 19:29:42
-
『プロ倫理』で、
面白かったのは、
フランクリンの
「日めくりカレンダー」かな?
- 616 :Z:2008/02/04(月) 23:46:44
- >>603さんへ
ヴェーバーは、“今日では、禁欲の精神はこの鉄の檻から抜け出してしまった。”
と言っています。
〜残るのは、禁欲の精神の‘残骸’でしょう。
私は>>610でそう書きました。
>>614で、残るのは「むき出しの資本主義・市場 原理」ではありませんか?
とのアンサーですが、
‘むき出しの’とはどうでしょうか? 私は、純粋の「資本主義・市場原理」だと
思います。それは「目的合理性」だと思います。
ピュウリタンが、“企業人たらんと欲した”から“〜たらざるをえない”への変化です。
青木昌彦氏は、それを限定合理性といっています。『比較制度分析に向けて』で。
『プロ倫』のヴェーバー経済学から、現実の経済学〜メカニズム・デザイン(新制度学派)
への移行でしょう。
- 617 :Z:2008/02/05(火) 00:33:53
- 「鉄の檻=The Iron Cage」が、これだけ有名になったのは、ミッツマンの同名の書
によるのだろう。
彼の書においては、どこまでがヴェーバーの本心で、どこからがミッツマンの
ヴェーバーへの思い込みか渾然としている。そこが『鉄の檻』の魅力でしょう。
特異なヴェーバー伝です。最後まで、つりこまれてしまいます。
それに較べて、羽入さんは…。(彼もこのThe Iron Cageを基にしているんだが…
『MWの哀しみ』は〜)
- 618 :Z:2008/02/05(火) 00:34:32
- 「鉄の檻=The Iron Cage」が、これだけ有名になったのは、ミッツマンの同名の書
によるのだろう。
彼の書においては、どこまでがヴェーバーの本心で、どこからがミッツマンの
ヴェーバーへの思い込みか渾然としている。そこが『鉄の檻』の魅力でしょう。
特異なヴェーバー伝です。最後まで、つりこまれてしまいます。
それに較べて、羽入さんは…。(彼もこのThe Iron Cageを基にしているんだが…
『MWの哀しみ』は〜)
- 619 :603:2008/02/05(火) 11:12:41
- Zさん。
私が使った「むきだしの」は、あなたの「純粋の」と同じかも知れませんね。
鉄の檻に残ったのは「精神の残骸」だけですか。残骸って何ですか。
鉄の檻に入っているのは、「精神」が抜け出した・「むき出し(純粋)の
資本主義」にとらえられている人間ではありませんか?
あなたは「純粋の資本主義」=目的合理性といわれますが、資本主義
(的人間?)が目的合理的に追求する「目的」とは何でしょうか?
「・・・たらんと欲したら」、それとは異なる「・・・たらざるを得な
くなった」そうですが、どうしてでしょうか?
こういう話をするには、問題にする「資本主義」とはなにか、共通の理解が
必要だと思いますが、如何ですか。
さて、そもそもヴェーバーは自分が論じる「資本主義」についてどこかで
定義していましたっけ。
と、これには別にお答えいただかなくて結構です。
- 620 :Z:2008/02/05(火) 22:21:48
- ヴェーバーは『宗教社会学論集』の第1巻劈頭に‘序言’(Vorbemerkunng)
に、
近代資本主義を〜賎民資本主義(ユダヤ的)・古代資本主義(ヨゼフ・ザルヴィオリ著)
でなく〜“自由な労働の、合理的な組織をともなった市民的経営(産業)資本主義”
といっています。ここでは、‘自由な労働’と‘市民的経営’が重要です。
目的合理性とは、価値合理性に対する概念です。(以前、このスレでドイツ語で書きました)
ヴェーバーは目的合理性の例として、‘グレシャムの法則’をあげています。(これも以前に説明)
価値合理性は真実の(究極の)合理性です。この‘価値’を追求していけば、
非合理性に繋がります。目的合理性は青木昌彦氏のいう(経済学で)‘限定合理性’だと思います。
(ゲームの理論〜例えば‘囚人のジレンマ’)
現代の経済学(〇経派は別として)〜広い意味での新古典派経済学は、
ヴェーバーのいう目的合理性の範囲内での学問だと思います。
ヴェーバーの『プロ倫』やゾンバルトの『ブルジョワ』の帰結と、
新古典派の結合が経済社会学です。
ヴェーバーやゾンバルトの帰結だけでは、現実の経済分析は不可能です。
新制度学派〜青木昌彦(彼は安保闘争の頃は共産ブンドでした)やDノース
(経済史で初めてノーベル経済学賞を受賞1994?)は、ヴェーバーは
知っているはずです。
- 621 :607:2008/02/05(火) 23:54:05
- >zさん
レスありがとうございます。
理路に関して、zさんのお考えを是非お聞きしたかったのですが。
>597(=603?)さん
「天職の転職」についてですが、
マックス・ヴェーバーは、『プロ倫』でルッターの天職観念については
「各人の具体的な職業は神の導きによって与えられたものであり、
この具体的な地位を充たせというのが神の特別の命令」で、
「その職業と身分のうちに止まる」と考えておりますが、
プロテスタンティズムの天職観念については、ルッターのそれとは異なり、
その天職観念においては「つねに重点が置かれていたのは」
「職業における禁欲の方法的な性格」であって、ルッターのそれのように
「神がひとたび与え給うた」職業にいつまでも従事しなくてはならない、
というものでなく、「職業の変更さえも決して排斥すべきものとは
考えられていなかった」と書いてますね。
したがって、マックス・ヴェーバーによると、プロテスタンティズムの倫理
にとっては、転職した職業が天職なんでしょう。そうした意味では、
自分の勝手に転職できるんでしょう。ただ、それには条件があるようです。
それは、「いっそう有益な職業をえらぶものでなければならなかった」そうです。
(ここで「職業の有益さの程度」と「神によろこばれる程度」はイコールだそうです)
プロテスタントの論理構造に関しては、
自分の職は転職だろうが何だろうが、かまわなかったんでしょう。
それが神によろこばれる職業=収益性のある職業あれば。
「信仰の深いキリスト者は」「神の天職への召命に応じなければなら」
なかったそうです。
- 622 :603:2008/02/07(木) 21:27:58
- >>621さん
遅くなりました。興味深い視点を有り難うございます。
Pさんが資本主義を発明したわけでは無いでしょうから、その転身は求利機会
としての優位性を求めての飛び移りということですね。
そうしますと、言われているP的倫理(天職忠実性)よりも、求利(収益性)
のほうがより根元的(P的倫理)になるのではないかという気がします。
ヴェーバー的にそれでよいのでしょうか?
資本主義的合理性(ヴェーバー的)は、資本主義の論理でしょうから、資本
主義が発明されれば、その内部から生まれてきて、他の態度を制覇していくと
思われます。
そうしますと、ヴェーバーの時代において、資本主義的関係における成功者に
Pさんたちが多かった、ということがあったとすれば、それはP的従業心理が
新しい資本主義的関係になじみやすかったという、ただそれだけのことであっ
て、P的理念が資本主義を準備したとか、資本主義はP的理念が先行しなけれ
ばあり得なかったといった類のことは主張できませんね。
結局、『倫理』が言っているのは、Pさんたちは資本主義になじみやすかった、
ということでしょうか。
それだけなら、ふ〜ん、そうだったんだ、ということでしょうか。
- 623 :名無しさん@社会人:2008/02/08(金) 17:42:06
- 経産次官「デイトレーダーはバカで無責任」 講演で発言
2008年02月08日03時05分
経済産業省の北畑隆生事務次官が講演会で、インターネットなどで株売買を短期間に
繰り返す個人投資家のデイトレーダーについて「最も堕落した株主」「バカで浮気で無責任」
などと発言していたことが分かった。北畑氏は7日の記者会見で発言内容を認め、「申し訳ない」と陳謝した。
講演会は1月25日、都内のホテルで開かれ、経産省所管の財団法人・経済産業調査会
が主催。企業関係者ら約130人が無料で参加し、北畑氏が買収防衛策などをテーマに約2時間話した。
北畑氏はデイトレーダーについて「経営にまったく関心がない。本当は競輪場か競馬場に行っていた人が、
パソコンを使って証券市場に来た。最も堕落した株主の典型だ。バカで浮気で無責任というやつですから、
会社の重要な議決権を与える必要はない」と発言。デイトレーダーに適した株式として、配当を優遇する
代わりに議決権のない「無議決権株式」を挙げ、上場解禁を唱えた。
米系投資ファンドのスティール・パートナーズを名指ししたうえで、「株主、経営者を脅す」と発言。
「バカで強欲で浮気で無責任で脅す人というわけですから、七つの大罪のかなりの部分がある人たちがいる」
などと話した。
北畑氏は朝日新聞の取材に対し「激しく言い過ぎたかもしれない。講演会で眠い目をした人に難しい話を
しているのだから、少しはおもしろく言わないと聞いてくれない。適切ではなかったが、そこだけ取り上げら
れるのは本意ではない」と語った。
これはウェーバー?マルクス?
- 624 :名無しさん@社会人:2008/02/09(土) 12:28:16
- >これはウェーバー?マルクス?
どっちもどっち。
>「最も堕落した株主」「バカで浮気で無責任」
マルクス、ヴェーバーと彼らの亜流さんたちに、倫理的・論理的に鼓舞された
人たち、です。
- 625 :Z:2008/02/11(月) 01:06:39
- >>620
で、ヴェーバーの近代資本主義の定義(大まかな)を書きました。
‘自由な労働’には、転職もふくまれていると思っています。
- 626 :名無しさん@社会人:2008/02/11(月) 16:32:34
- >>623
> これはウェーバー?マルクス?
意味がわからん
- 627 :Z:2008/02/18(月) 22:26:25
- 平成20年2月19日より、日経新聞*やさしい経済学
シリーズ〜21世紀と文明 で
北海道大学准教授:橋本努 執筆“資本主義と倫理”が
8回にわたって掲載されます。
- 628 :名無しさん@社会人:2008/02/19(火) 01:23:15
- 社会学、経済学、政治学、
歴史学、倫理学、
大変だなー
- 629 :名無しさん@社会人:2008/02/20(水) 05:43:00
- >>626
歴史上全ての経済学説はヴェーバーもしくはマルクスに全て書かれたって奴か。
70年代初頭によく聞いた。
- 630 :中葉 ◆22bKXenR5Q :2008/02/23(土) 17:02:22
- >>495 著者は進歩的な宗教のこの統合的機能を精巧化する意図があったのかどうか、このことについての指示は残されていない。
マンハイムはここで終わった。やはり、衣鉢を継ぐのはフリードマンだろう!
- 631 :名無しさん@社会人:2008/02/23(土) 22:36:26
- >>629
基礎的な部分は、そういう概念か?
- 632 :名無しさん@社会人:2008/02/24(日) 11:47:13
- 行動経済学もそうだったのか!!dk!?
- 633 :Z:2008/02/24(日) 16:44:29
- >>630 やはり、衣鉢を継ぐのはフリードマンだろう!
フリードマンって、シカゴ学派の大御所:ミルトン・フリードマン
のことでしょうか?
- 634 :Z:2008/02/25(月) 00:02:37
- ロシアのプーチン大統領(そのうちにロシア首相になるらしい)は、
Mヴェーバーを学んだことがあるのか?
なにか資料があれば、お教えください。
- 635 :Z:2008/02/25(月) 00:20:11
- ヴェーバーを「自由主義的帝国主義者」という場合、
その‘帝国主義’は、レーニンのいう単細胞的な帝国主義でよいのだろうか?
右翼も左翼も帝国主義はレーニンのそれしか知らない(特に右翼がそうであるが)。
どうもおかしい。
民主主義と独裁は、一般には両極端とされているが、それでいいのか?
むしろ、この二つは背中合わせ〜楯の両面のような気がする。
そこで登場するのが、C.シュミットである。
今、シュミット・ルネッサンスといわれている。
(ヴェーバールネッサンスといわれたのは、もう何十年も前だった)
- 636 :名無しさん@社会人:2008/02/26(火) 19:50:50
- ごめん、教えてほしいんだけど・・・。
いま、「職業としての学問」を岩波文庫で読んでるんだけどどうしても意味がわからないところがある。
P53の11-12行目
>客観的に与えられたものとして前提された目的のための手段を論じる場合を別として
↑これの意味がまったくわからんのです。
私の日本語力が無いといえばそれだけなんだけど、意味が気になるので教えてください。
- 637 :名無しさん@社会人:2008/02/29(金) 13:23:41
- >>635
ネグリくらい読めよ馬鹿
- 638 :Z:2008/03/01(土) 19:53:32
- ↑>>637さんへ
じゃあ、アントニオ・ネグリの理論〜思想を
ここで展開してくれヨ。
- 639 :V:2008/03/01(土) 20:23:06
- >>636
まず翻訳が悪いな。
日本語になってない。
どの言葉がどこにかかってんのか
ぜんぜんわからん。
- 640 :Zさんへ:2008/03/02(日) 12:27:08
- >>635
“レーニンがいう単細胞的な帝国主義”とありますが、レーニンはどこで
「単細胞的帝国主義」と言ってるのでしょうか。出典を教えてください。
また、「単細胞的帝国主義」の特徴を簡単に教えてください。
“そこで登場するのが、C.シュミットである。
今、シュミット・ルネッサンスといわれている。”
ということですが、この後「シュミット・ルネッサンス」を紹介し、それに
ついての所見を開陳される、という展開を期待してよろしいですか?
>>638“アントニオ・ネグリの理論〜思想をここで展開してくれヨ。”
はぁ? ホンキでおっしゃってますかぁ?
- 641 :Z:2008/03/02(日) 18:34:38
- >>640さんへ
レーニンが自分の事を‘単細胞’なんていう筈がありません。
あくまで私の見解です。
「シュミット・ルネッサンス」については、
今野元『ヴェーバー伝〜ある西欧派ドイツナショナリストの生涯』
野口雅弘『闘争と文化〜マックス・ウェーバーの文化社会学と政治理論』
などに、頻繁に出てきます。(肯定的意味で〜教師であろうと、反面教師であろうと)
私は、いまだA.ネグリ(ちくま学術文庫など)を読んでいません。
教えてください。
- 642 :名無しさん@社会人:2008/03/02(日) 21:28:33
- >>639
私だけじゃなかったのですね。
社会学的には典型的な議論の形式かな、と思って悩んでいました。
ドイツ語が出来ないだけに原書にも当たることもできず、ここは諦めます。
レスありがとう。
- 643 :Z:641さんへ:2008/03/03(月) 08:47:04
- >レーニンが自分の事を‘単細胞’なんていう筈がありません。
それはそうでしょうけど、そんなことは話題になっていませんよ。
話題は、あなたが
> レーニンのいう単細胞的な帝国主義(635)
と書かれたので、私が
>レーニンはどこで 「単細胞的帝国主義」と言ってるのでしょうか。
出典を教えてください。(640)
と質問してスタートしました。
それに対して
>レーニンが自分の事を‘単細胞’なんていう筈がありません。
あくまで私の見解です。(641)
では答えになっていないと思いますが・・。どうでしょうか。
>635の該当個所は訂正されますか?
>私は、いまだA.ネグリ(ちくま学術文庫など)を読んでいません。
教えてください。
論点をずらさないように。
- 644 :名無しさん@社会人:2008/03/03(月) 10:30:21
- (´∀`)
- 645 :Z:2008/03/03(月) 15:32:09
- >>643
とにかくA.ネグリの考えを、教えてください。
レーニン『帝国主義論』については、私の考えを述べます。
ヨロシク。
- 646 :640=643:2008/03/03(月) 16:09:22
- Zさんへ
>レーニン『帝国主義論』については、私の考えを述べます。
必要ありません。
私は「レーニンの帝国主義論」についてのあなたの考えを聞きたいと
言っているのではありません。
642の該当個所を再掲します。
>レーニンが自分の事を‘単細胞’なんていう筈がありません。
あくまで私の見解です。(641)
では答えになっていないと思いますが・・。どうでしょうか。
635の該当個所は訂正されますか?
私がお聞きしているのは「レーニンのいう単細胞的帝国主義」の出典です。
>とにかくA.ネグリの考えを、教えてください。
人違いです。
当掲示板上で“アントニオ・ネグリの理論〜思想をここで展開してくれヨ。”
というのはスゴイ注文だな、と思って、「ホンキでおっしゃてるのかな?」と
と聞いて見ました。
ホンキなんですね。
で、あなたの要求は満たされるとお考えですか?
- 647 :Z:2008/03/03(月) 19:44:59
- ↑“あなたの要求は満たされるとお考えですか? ”
満たされるかどうかは、A.ネグリの理論の如何です。
だから、教えてくれ〜と言ったんです。私も何から何まで、全て知っている
訳ではありません。
- 648 :640=643:2008/03/04(火) 13:07:34
- “あなたの要求は満たされるとお考えですか? ”
と言う質問は、あなたの
“アントニオ・ネグリの理論〜思想をここで展開してくれヨ。”
という要求に対するものですね。
つまり、「ここで展開」してもらえるとお考えなのかどうか?ということ。
毎度のことながら、話をずらさないようにお願いします。
それから
「レーニンのいう単細胞的帝国主義」の出典話はどうなりました?
もう一つw
>私も何から何まで、全て知っている訳ではありません。
そんなことは誰も思っていないと思います。
- 649 :Z:2008/03/04(火) 19:29:43
- Das GehäuseとIron Cage について。
T.パーソンズが言い、ミッツマンが彼のヴェーバー伝である
『鉄の檻』の原題はThe Iron Cageである。大塚久雄氏訳の『プロ倫』
でも、Das Gehäuseを‘鉄の檻’と訳している。
ドイツ語で Gehäuseはnで家屋の集合を意味する。Haus n(中性名詞)
が元名である。Gehäuseは‘函・入れ物’をも意味する。
それ以外に、殻(かたつむり)や繭(かいこ)を意味する。貝殻(Shell)もそうだ。
これには、もう一つ Kern m(男性名詞)の意味もある。即ち、
‘核・芯’→‘核心・真髄・骨子’の意味がある。これは中国語の‘中心(Center)’
でもある。
つづく
- 650 :Z:2008/03/04(火) 20:17:14
- 鉄の檻というと、動物園の虎やライオンの鉄の檻を思い起こすのが普通だろう。
本来の虎やライオンは、シベリアの雪の奥地やアルリカの草原で、腹を減らして
獲物取りに必死になっている。動物園の檻では、エサは充分に与えられるから
悠々安楽である。その代わり自然から遮断され、囚われの身である。
鉄の檻は、この‘安楽’と‘囚人’を連想する。ヴェーバーは、父ヴェーバーが
この檻に入っていると言う。ゾンバルトは、現実の経済競争に耐えられず年金
で安住し、それが奢侈を生むという。これらは安楽の面であろう。
一方、マルクスは資本制生産社会
(マルクスは‘資本主義’というコトバを一切使わない)
における人間の自己疎外を言う。これは囚人の面であろう。
つづく
- 651 :Z:2008/03/04(火) 20:42:52
- もう一つある。それは『プロ倫』でヴェーバーはDas Gehäuseから
ピューリタンの世俗内禁欲が抜け落ちた…と言っている事である。
もうDas Gehäuseには資本主義の精神は無い。
この意味の‘鉄の檻’は、Kern〜核→Center→司令塔の意味があるのではないか?
このDas Gehäuse・鉄の檻・司令塔には、安住する末人=精神の無い専門人・
感性の無い享楽人が住み込むのか?
誠実な経済人もこの司令塔にいるだろう。彼等は市場経済のメカニズムデザインで、
限定合理性(ヴェーバーのいう目的合理性か?)を追求する。
これが現代ではないか? 本当は、鉄の檻〜司令塔から、末人を追い出さねば
ならないのだが…。
- 652 :607:2008/03/05(水) 05:04:07
- >636
「客観的に与えられたものとして前提された目的のための手段」とは、
聴講者が何らかの立場に立つためには避けては通れない、その目的実現
のための知識のことです。(この知識は教師から与えられます)
そんなん言われてもなんのこっちゃ?という感じですね。なので、
少しずつ説明していきますね。
まず、この文脈の中で、筆者の言いたいことは、「政策は教室で
取り上げられるべきではない」(p.47)=「教師」は「教壇の上から
聴講者に向かってなんらかの立場を」「強いるようなこと」をしては
いけない(p.49)ということです。
次に、では教師は実際に何をすればいいのか=教師のすべきこと=
教師の役割について書かれてますね。教師の役割は「事実の確定、
つまりもろもろの文化財の数学的あるいは論理的な関係およびそれ
らの内部構造のいかんに関する事実の確定」(p.49)をして、その「知識や
学問上の経験を[引用者注ー教えることによって]聴講者らに役立たせる」
(p.50)ことにあるのであって、「文化一般および個々の文化的内容の価値
いかんの問題および文化共同社会や政治的団体のなかでは人はいかに行為
すべきかの問題に答えること」(p.49)=「自分の政治的見解(引用者注ー
ここでは政治となってますが、政治だけでなく、もっと広い意味での自己
の価値観です)をかれらに押しつけ」(p.50)ることではないと書かれて
います。
要するに、教師は事実の確定によって得られた知識・経験を教えるのはOK、
自分の価値観を教える(=押し付ける)のはNGということですね。
- 653 :607:2008/03/05(水) 05:07:02
- こうした文脈の中で
「実際上の立場を「学問的に」主張することができないということは
、−客観的に与えられたものとして前提された目的のための手段を論じる
ばあいは別としてーもっと深い理由によるのである」(p.52)
と書かれています。
この文は、「実際上の立場を「学問的に」主張」はNG、
「客観的に与えられたものとして前提された目的のための手段を」
論じるはOK、ということを言っています。
そこで、さきの段落のOKとこの段落のOKを、また、さきの段落の
NGとこの段落のNGとを、それぞれ対応させてみると次のようになります。
OK
「事実の確定、つまりもろもろの文化財の数学的あるいは論理的な関係
およびそれらの内部構造のいかんに関する事実の確定」(p.49)をして、
その「知識や学問上の経験を[引用者注ー教えることによって]聴講者らに
役立たせる」(p.50)こと[引用]=「客観的に与えられたものとして前提
された目的のための手段を」論じること
NG
「文化一般および個々の文化的内容の価値いかんの問題および文化共同
社会や政治的団体のなかでは人はいかに行為すべきかの問題に答えること
=「自分の政治的見解をかれらに押しつけ」(p.50)ること[引用]=
「実際上の立場を「学問的に」主張すること」
したがって、「客観的に与えられたものとして前提された目的のための手段」
とは、「事実の確定」をして、それによって得た「知識や学問上の経験」を
教えることとなり、かつまた、この知識・経験は聴講者らに役に立つもの
です。
- 654 :607:2008/03/05(水) 05:09:14
- (ちなみに、聴講者に役立つといっても、なぜ?その疑問に答えるために
引用します。「もし諸君がこれこれの立場をとったならば、諸君はその
立場を実際上貫徹するためには、学問上の経験からこれこれの手段を
用いねばならない」(p.62)つまり、「諸君は目的(引用者注ー自分が
何らかの立場に立つこと)とそのための不可避的な手段との間の選択を
行わなければならない」(p,62)のです。要は目的に達するには、学問上の
経験から得られる=教師から与えられる知識=手段がいるということです。
そして、教師はこの手段を教えるべきであって、「目的は」「われわれ教師
のばあいには与えられない」(p.63)のです。つまり、聴講者は自分が
何らかの立場にたつには、その目的実現のために手段がいるのです。
そして、その手段は教師が教えることなのです。だから、教師の知識・経験は
聴講者に役に立つのです。自己の立場形成のために)
- 655 :607:2008/03/05(水) 05:11:23
- しかし、「客観的に与えられたものとして前提された目的のための手段」
とは、「事実の確定」をして、それによって得た「知識や学問上の経験」
のこととなり、かつまた、この知識・経験は聴講者らに役に立つもの・・・
と言われても、「客観的に与えられたものとして前提された目的のための
手段」という文自体の意味がわかりません。頭の中で両方の文の意味の整合が
できないです。
そこで、この「客観的に与えられたものとして前提された目的のための手段」
自体の分析をしましょう。果たして両者の意味は整合するのか?
(しなかったら大変ですね。ここまで私の駄文を読んでいただいた方々に
申し訳ないですから)まず、「客観的に与えられたもの」というのは何か?
それは、教師の行う「事実の確定」によって得られた「明確さ」のことです。
客観=明確さ。なんでそうなるの?上にも書きましたが、「〜手段」は教師が
教えてもいいことです。教師の教えることは、事実の確定によって得られた知識
ですよね。事実の確定=明確さです。「われわれ(引用者注ー教師のことです)
は、明確さということのためになしうる学問の最後の寄与に到達するのだ。」
つまり、教師が学問するのは事実の確定=明確さのためということです。
ですから、こうも言い換えられます。「明確さを前提とした目的のための
手段」と。
- 656 :607:2008/03/05(水) 05:13:40
- しかし、試しに「手段」にかかっているととらえるとわかりやすくなります。
「明確さを前提とした手段」。こうなります。明確さを前提とした手段とは
なんぞや?上にもかきましたが、経験・知識です。明確さを前提とした知識
・経験?なぜ知識・経験が明確さを前提にするの?教師は事実の確定をする
ので。それによって得た知識・経験は明確さを前提にしています。じゃあ、
手段っていうけど何のための手段?何の手段?それは目的のための手段です。
目的って何?それは自分が何らかの立場に立つことです。要するに、「客観的に
与えられたものとして前提された目的のための手段」とは、自分が何らかの立場に
立つために、教師から与えられる、明確さを前提とした知識のことです。
そして、それは目的実現のためには不可避なものなのです。
- 657 :607:2008/03/05(水) 07:04:36
- 上、すごく長々となってしまいましたが、また、最後のくだりは急ぐあまり
雑になってしまいした。わかりにくく感じた方、申し訳ございません。
私の駄文をここまで読んでいただいた方がいらっしゃれば、ありがたいです。
どうもありがとうございます。
- 658 :607:2008/03/05(水) 07:06:00
- >603さんへ
レスありがとうございます。
ここ最近忙しく、しばらく見ることできなったので、
レスをしていただいたにもかかわらず、返信がずいぶん遅れ、
申し訳ありません。次に書き込めるのはいつになるかわかりませんが、
レスを読ませていただいて、私なりに思ったことを書かせていただきます。
>そうしますと、言われているP的倫理(天職忠実性)よりも
求利(収益性)のほうがより根元的(P的倫理)になるのでは
ないかという気がします。ヴェーバー的にそれでよいのでしょうか?
私はそれでよいと思います。603さんの仰る天職忠実性というものが
どのように定義されるものなのか、わかりませんが。少なくとも
ヴェーバーは『プロ倫』p.310において「神にいっそうよろこばれる
ような天職」を「いっそう有益な職業」としており、それを選ぶ基準として
三つ挙げており、それらは@「道徳的基準」Aその「生産する財の「全体」に
対する重要度(引用者注ー貢献度)」Bその結果として必然的に生ずる
「私経済的「収益性」」であり、これらの中でもBが「いちばん重要なもの
だった」と書いておりますので、プロテスタントにとって収益性というものは
非常に重要だったものと思われます。この収益性の肯定、いわば利潤追求の
肯定は、実際に、予定説による強迫観念とともに後に資本主義を用意する
ことになった要因の一つですし、プロテスタントにとって重要なことかと。
- 659 :607:2008/03/05(水) 07:16:49
- 第二段落ですが、これは資本主義(原因)→合理性(結果)ということで
しょうか?私は、むしろ、因果が逆ではないかと思われます。合理性
(魔術からの解放)→資本主義ではないでしょうか。あるいは、私の思って
いることが603さんの意図していることと全く見当違いなのかもしれません。
第三段落ですが、「P的従業心理が新しい資本主義的関係になじみやすかった
」と仰りますが、よく意味がわかりません。このセリフが多くてすみません。
どういうことかといいますと、あくまで私なりの解釈ですが、この文から
察すると、資本主義的関係が当然視されているように思われます。つまり、
資本主義時代とそれまでの時代とのつながりをきっているように思えるの
です。つまり、因果関係が無視されているように思えるのです。時代は
流動的に流れており、決して固定的ではありません。連続性があります。
そこに少しずつ差異が見られるようになり、その差異の程度が甚だしく
なった時、恣意的な名づけというものが行われます。差異化・区別化
のために。しかし、そのように世界を切り取ったとしても、たとえば、
「ここからここまでが資本主義時代で、ここまでは賎民資本主義」と
区切ったとしても、現実につながりが消えるわけではありません。
時代は常に連続的です。資本主義的関係と呼ばれるものも同様です。
いきなりパッとでてきたわけではありません。連続した時代の中から
生まれてきたものです。そこには因果関係があります。Pが用意した
ということとは無関係に、前の時代と純粋に因果関係は必ずあったと
思われます。その点についてどうお思いでしょうか?
最後はわかりにくいことを意味がよくわからないことをたくさん
書いてしまいましたが、次回いつ書き込めるかわからないので、
ひたすら今思ったことを書いてしまいました。何回も連続してすみません。
- 660 :607:2008/03/05(水) 07:23:38
- 656の訂正です。次の文が抜けてます。
『次に、修飾語が問題です。これが「目的」にかかっているのか、
「手段」にかかっているのか、よくわかりません。』
- 661 :中葉 ◆22bKXenR5Q :2008/03/05(水) 11:04:19
- >>605 『プロ倫』では、 A“将来この檻の中に住むものは誰か?”といっています。
これに続いて、以下のように、興味深い文章が続きます。
文化発展の最後に現われる「末人たち」にとっては、
次の言葉が真理となるのではなかろうか。
「精神のない専門人、心情のない享楽人。
この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに上り詰めた、と自
惚れるだろう」と。
・・・・われわれのなすべき仕事は、以上の素描でその一端にふれたにすぎない禁欲的合理主義の
意義を、さらに社会-政治的倫理の内容について、すなわち、
私的集会から国家にいたるまでの社会的諸集団の組織と機能のあり方について、
明らかにしていくことだろう。
その次に、禁欲的合理主義の人文主義的合理主義とその生活理想や文化的影響に対する関係、
さらに哲学上ならびに科学上の経験論の発展や技術の発展に対する、
また精神的文化諸財に対する関係が分析されねばならないだろう。
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫版 pp.366,368)
多分、この紹介は2度目でしょう。済みません。
- 662 :Z:2008/03/05(水) 21:49:15
-
→Tパーソンズ・ミッツマンの「鉄の檻(The Iron Cage)」人間の自己疎外
Das Gehäuseが
→Mヴェーバーのいう殻(Shell)〜核(Center司令塔)〜安住の場所(末人の)
- 663 :Z:2008/03/05(水) 21:54:28
- 『プロ倫』のDas Gehäuseは、「鉄の檻」と関係ないのでは?
「鉄の檻」は受動的。殻(Shell)〜核(Center司令塔)は能動的。
- 664 :Z:2008/03/06(木) 12:03:33
- >>648さんへ
ネグリの理論・思想を、このスレで述べられるか否かは、あなたのご自由です。
好きなようにしてください。
‘単細胞的’帝国主義論 〜その出典? 〜その「出典」は私自身の頭脳です。
私は今日まで、このスレに自分の考え(諸著作の孫引きでなく)を述べて来ました。
それに対して幾多の方々から、反論や攻撃を受けました。それは、本当に有難いことと
感謝しています。 あなたも出典云々なんていわずに、堂々と自己の意見を
述べられたら?
私は、昨日の誤謬には立脚いたしません。しかし明日、誤謬となるかも知れない
事象については積極的に、それに取り組みます。なぜならば、誤謬とは、真理に近づく
一里塚ですから。
誤謬を恐れては学問が出来ません。 出典で己の権威を付けるなんて、もってのほか!!
- 665 :Z:2008/03/07(金) 23:46:36
- ハイデッガーは、“In der Welt Sein”(世界内存在)を言う。
それは、われわれが生活し、存在しているところ。したがって、
われわれの住むところはそれしかない。そこからの脱出はありえない。
地球から脱出できないのと同じである。この地球がイヤだからといって、
火星の世界に行けないのと同じ。そのIn der Welt Seinが「鉄の檻」
であり、殻・核である。この世のなかのどこかに「鉄の檻」
が在るのではない。‘この世の中’それ自体(itself)が檻なのである。
ヴェーバーが『プロ倫』で、禁欲が檻から抜け落ちた…と言ったのは、
消滅したのである。残ったのは、純粋な資本主義〜市場経済〜
メカニズム・デザインの経済である。それは「末人経済」
(資本主義の全般的危機としての)では決してないが。
資本主義の精神の欠如した市場経済〜したがって、
サブプライムのようなのが発生する経済である。
- 666 :640=643:2008/03/08(土) 11:21:32
- zさん。
学問をやっておられるそうですが。
「レーニンのいう単細胞的帝国主義」の出典を聞かれると、「出典は自分だ」
といい、「“単細胞的”帝国主義」と書きなおすのも学問のうちですか。
>私は、昨日の誤謬には立脚いたしません。しかし明日、誤謬となるかも知れない
事象については積極的に、それに取り組みます。なぜならば、誤謬とは、真理に近づく
一里塚ですから。
そうですか。
間違うほど真理に近づくわけですか?
「誤謬とは、真理に近づく一里塚」だと論証できますか?
- 667 :名無しさん@社会人:2008/03/08(土) 13:49:11
- そんなに絡むなよ。
- 668 :名無しさん@社会人:2008/03/11(火) 14:56:26
- >>666
レーニンの理論・思想を、このスレで述べられるか否かは、あなたの自由ではありません。
自重してください。
- 669 :名無しさん@社会人:2008/03/12(水) 11:42:07
- age
- 670 :Z:2008/03/13(木) 13:52:59
- 野口雅弘氏の『闘争と文化』で、M.ヴェーバーの観方は‘遠近法主義’だといっている。
遠近法と言えば、ボッヘマの「並木道」を思い出す。
それにダ.ヴィンチの『モナリザ』もそうだ。
学問の方法論としての遠近法=パースペクティーヴ(Perspective)
について考えてみよう。
これによって、ヴェーバーのアンビヴァレンスやアンチノミーが
解ってくるだろう。 つづく
- 671 :Z:2008/03/13(木) 20:21:27
- 絵画の遠近法は、もう御存知だから省く。(江戸時代には、わが国にも入って来ている)
思考における遠近法について。
ダ.ヴィンチの絵画でも、一つの絵に二つのフォーカス(焦点)がある。
哲学・思想でも、一つの論考に二つの焦点が並立している場合がある。
M.ヴェーバーがそうだ。そこに、アンビヴァレンスとアンチノミーが
同居している場合がある。
例えば、Das Gehäuse〜The Iron Cage〜‘鉄の檻’〜殻〜Sell〜‘核(Kern)’。
いかにも、どのようにも解釈できるコトバである。
父M.ヴェーバー、禁欲の精神(世俗内禁欲〜それがGehäuseから抜けてしまう)、
末人、企業家たらざるを得ない人々…。
それから‘自己疎外された(あるいは、己自身からそうなる)人々’
Das Gehäuseはハイデッガーの、“In der Welt Sein”(世界内存在)
なんだ。
- 672 :Z:2008/03/13(木) 20:32:40
- いま、青木昌彦(新制度学派)著『比較制度分析に向けて』(NTT出版 2003k刊)
に悪戦苦闘している。
Mヴェーバーはでてこないが、どうも青木氏はヴェーバーを読んでいると
思えてならない。
ヴェーバーが一言も出てこないのが、その証拠かもしれない。
(彼は若き頃〜安保闘争の頃、共産ブンドだった〜姫岡玲治として)
- 673 :Z:2008/03/14(金) 11:24:52
- ヴェーバーの「遠近法主義」であるが、彼自身は自分の思考を遠近主義とは
行っていない。(ニーチェは‘遠近法的なるもの’と言っているが…)
それから、ヴェーバーの経済〜経済学であるが、彼は理論経済学者ではない。
経済史については、最後にミュンヘン大学で講義している。
『一般社会経済史要論』(岩波書店刊)である。
彼は、制度学派(ヴェブレンのような)と観て良いのではないか。
青木氏の‘新制度学派’のウルである。
(中央公論社刊:世界の名著『ウェーバー』所収=経済行為の社会学的基礎範疇)
- 674 :Z:2008/03/14(金) 11:36:51
- 遠近法につて、 追加
岩波『哲学・思想事典』には絵画としての‘遠近法’は載っているが、
思考としての‘遠近法〜…主義’はない。
- 675 :Z:2008/03/17(月) 00:26:59
- 明日から一週間、豪州のアデレイドへ行ってきます。
- 676 :名無しさん@社会人:2008/03/21(金) 03:16:34
- オーストラリア!銛を打ち込まれないように気をつけてねw
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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。新着レスの表示
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