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三島由紀夫の社会学

1 :名無しさん@社会人:2008/06/20(金) 19:02:50
文学者でありながら最後は憂国士として華々しく散った三島由紀夫について語るスレです。

http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html
檄文 三島由紀夫

http://www.geocities.jp/kyoketu/61051.html
演説文 三島由紀夫

66 :名無しさん@社会人:2008/07/22(火) 10:02:25
空文化されればされるほど政治的利用価値が生じてきた、というところに、新憲法のふしぎな魔力があり、戦後の偽善はすべてここに発したといっても過言ではない。
完全に遵奉することの不可能な成分法の存在は、道義的退廃を惹き起こす。

三島由紀夫
「道理の実現――『変革の思想』とは」より


67 :名無しさん@社会人:2008/07/23(水) 10:36:21
山内(元自衛隊員、普通科教導連隊元助教)は、あの日、市ヶ谷のバルコニーで
「諸君は武士だろう!」と絶叫の響きをにじませながら訴える三島の声をかき消すように、嘲笑や罵声を浴びせた隊員たちにむしろ
「腹が立ち」、「平岡先生を悪者にしてはいけないということしか頭に浮かばなかった」という。
三島への尊敬の念が強まることはあれ薄まることはなかったのである。

そんな山内も、終生先生との思い出を忘れない、と書きとめたノートのなかで、
〈私は先生に会う以前、三島由紀夫とはつまらぬ小説家であろうと思っていた〉と明かしている。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より


68 :名無しさん@社会人:2008/07/23(水) 10:36:59
それが「尊敬」へと180度変わったのは、生身の三島に触れて、たとえ弱さがあっても、そんな自分から決して逃げることはせず、
むしろ真正面から立ち向かって、より強くなろうとする三島の真摯な姿を間近でみつめてからだった。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

69 :名無しさん@社会人:2008/07/23(水) 10:37:48
ひたむきな三島に心動かされたのは山内ひとりではなかった。体験入隊してきた三島を、時には「平岡ッ」と本名で呼び捨てにしながら、手加減せず厳しく指導してきた教官や助教も、
あるいはともに汗を流し、隣り合わせのベッドで眠った訓練仲間の学生も、少なくとも私が話を聞いたすべての元兵士たちが口を揃えて、
鍛え上げられた上半身に比べて足腰の弱さが際立つ、三島の中のアンバランスを指摘しながら同時に、三島の愚直なまでの一途さにすがすがしいものを覚えていた。
要するに彼ら全員が、兵士になろうとして、世界のミシマとは別人のように弱さも含めてすべてをさらけ出した人間三島に惚れこんだのである。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より


70 :名無しさん@社会人:2008/07/23(水) 10:55:23
猪瀬直樹「三島由紀夫は、七十年に自衛隊のバルコニーに立って演説するわけです。
あの演説のとき、自衛隊員に罵倒されたでしょう。あれ、吉本さん、どうご覧になってました?」

吉本隆明「なんてやろうだ!と思ってました。死ぬ気でいる人間の言葉を、自衛隊に入隊して一緒に訓練した人間の言うことを、黙って聞いてやることぐらいしたらいいじゃないか。
これじゃ、三島さんが気の毒だ…、というのがホンネでしたね。」

1994年12月2日号「週刊ポスト」より


71 :名無しさん@社会人:2008/07/24(木) 11:18:40
彼(三島)は、どのような形であれ、米軍占領による国の歪みを正し、民族の志を復活するためのクーデター計画を実行することを決意していた。
計画実行の当日になって、実現の可能性はほとんど残されていなかったが、それが完全にゼロとなるまであきらめなかった。
それは、最後まで力を尽くす誠でもあったが、あきらめの色を見せて、部下たる「楯の会」会員の士気を損なうことの愚を知っていたからであろう。
彼は真の武士であった。

自衛隊の部隊と私たち情報勤務者が一体となって、心底からクーデター計画実行に取り組んだとするなら、三島の期待は実現したであろう。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長
「自衛隊 影の部隊――三島由紀夫を殺した真実の告白」より


72 :名無しさん@社会人:2008/07/24(木) 11:20:16
自衛隊を本来あるべき姿、国軍として憲法上の認知を得させ、情報技術とシステム確立の下に、不正規軍としての民間防衛軍を結成して機能させること。
それは理想であり、これを長期的戦略を立て、広く国民に浸透させることによって実現するという理想論が、現実にきわめて困難であることを、私は長い体験の中で実感していた。

その意味では、10・21は、多少の無理はあっても、三島が主張したように、二度と訪れないかもしれない千載一遇のチャンスだったかもしれない。
永遠に訪れてこない望ましい機会を待つよりは、不十分でも限られた機会に力を集中させ、知力をふりしぼって、実現に力を尽くすべきではないか。
あるいは悲劇的な、あるいは無様な結末を迎えることになったとしても、座して様子をうかがうだけで、何事もなし得ないまま一生を終えるよりどんなにかましであるか。
三島の死に接したとき、私は過去に何十回、何百回となく自問してきたこの問いを、改めて自分に問いかけた。

山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長
「自衛隊 影の部隊――三島由紀夫を殺した真実の告白」より


73 :名無しさん@社会人:2008/07/24(木) 16:42:54
かつてアメリカ占領軍は剣道を禁止し、竹刀競技の形で半ば復活したのちも、懸声をきびしく禁じた。
この着眼は卓抜なものである。あれはただの懸声ではなく、日本人の魂の叫びだったからである。
彼らはこれらをおそれ、その叫びの伝播と、その叫びの触発するものをおそれた。
しかしこの叫びを忌避して、日本人にとっての真の変革の原理はありえない。

三島由紀夫
「道理の実現――『変革の思想』とは」より

74 :名無しさん@社会人:2008/07/24(木) 17:09:12
変革とは、このような叫びを、死にいたるまで叫びつづけることである。
その結果が死であっても構わぬ、死は現象には属さないからだ。うまずたゆまず、魂の叫びをあげ、それを現象への融解から救い上げ、精神の最終證明として後世にのこすことだ。
言葉は形であり、行動も形でなければならぬ。文化とは形であり、形こそすべてなのだ、と信ずる点で私はギリシャ人と同じである。

三島由紀夫
「道理の実現――『変革の思想』とは」より

75 :名無しさん@社会人:2008/07/28(月) 15:54:29
左翼のいう、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。
なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の変化によって、多くの韓国人をかかえているが、彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、
日本人が必ずしも歓迎しないにもかかわらず、日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の認可を得て、反日教育をほどこすような北朝鮮人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

76 :名無しさん@社会人:2008/07/28(月) 16:16:06
彼ら(左翼)はすでに、人間性の疎外と、民族的疎外の問題を、フィクションの上に置かざるを得なくなっている。
そして彼らは、日本で一つでも疎外集団を見つけると、それに襲いかかって、それを革命に利用しようとするほか考えない。
たとえば原爆患者の例を見るとよくわかる。原爆患者は確かに不幸な、気の毒な人たちであるが、この気の毒な、不幸な人たちに襲いかかり、
たちまち原爆反対の政治運動を展開して、彼らの疎外された人間としての悲しみにも、その真の問題にも、一顧も顧慮することなく、たちまち自分たちの権力闘争の場面へ連れていってしまう。

三島由紀夫
「反革命宣言」より


77 :名無しさん@社会人:2008/07/28(月) 16:29:14
日本の社会問題はかつてこのようではなかった。
戦前、社会問題に挺身した人たちは、全部がとはいわないが、純粋なヒューマニズムの動機にかられ、
疎外者に対する同情と、正義感とによって、左にあれ、右にあれ、一種の社会改革という救済の方法を考えたのであった。
しかし、戦後の革命はそのような道義性と、ヒューマニズムを、戦後一般の風潮に染まりつつ、完全な欺瞞と、偽善にすりかえてしまった。
われわれは、戦後の社会全体もそれについて責任があることを否めない。
革命勢力からその道義性と、ヒューマニズムの高さを失わせたものも、また、この戦後の世界の無道徳性の産物なのである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より


78 :名無しさん@社会人:2008/07/30(水) 15:16:17
私は、研究室で突然三島の死を聞いたとき、どういうわけかすぐに連想したのは、高山彦九郎であり、神風連であり、横山安武であり、相沢三郎などであった。
これらの人々の行動はいずれも常識を越えた「狂」の次元に属するものとされている。
この「狂」の伝統がどのようにして、日本に伝えられているのか、それはまだだれもわからないのではないだろうか。
ただ、すべての「異常」な行動を「良識」によって片づけることは、これまでの日本人の心をよくとらえ切っていない。
日本人は、否、人間は、自分の内部の「狂」をもっと直視すべきではないだろうか。
三島は私の知るところでは非常に「愚直」な人物である。
私のいう意味は、幕末の志士たちのいう「頑鈍」の精神であり、私としてはほめ言葉である。

私は三島をノーベル賞候補作家というよりも、その意味では、むしろ無名のテロリスト朝日平吾あるいは中岡良一などと同じように考えたい。

橋川文三
「狂い死の思想」より


79 :名無しさん@社会人:2008/08/01(金) 15:16:12
いま非常な情報化社会がありますから精神というものはテレビに写らない。そしてテレビに写るのはノボリや、プラカードや、人の顔です。それからステートメントです。
そして人間はみんなステートメントやることによって、なにかしたような気持になっているんです…。
そのステートメントが情報化社会のなかで、非常なスピードで溶解されて、ちょうどあたかも塵埃処理のように、早くこれをすべて始末しなければ東京中が塵埃でうずまってしまう。紙くずでうずまってしまう。
それで情報化社会というものは過剰な情報をどんどん処理しているんです。
この東京というもの、日本というものは、近代化すればするほど巨大な塵埃焼却炉みたいになってくる。

三島由紀夫
とある講演の言葉
「橋川文三『三島由紀夫の生と死』」より

80 :名無しさん@社会人:2008/08/01(金) 16:07:30
いずれ(石原慎太郎、大江健三郎)の場合にも「平和」という時代の「壁」に対する信仰のごときものが、その作品形成の動因となっている。
その「壁」とみられるものを構成するあの「廃墟」の要因はここでは全く忘れられているのだ。
三島(三島由紀夫)の祭神であった永遠の「廃墟」というイメージのかわりにかれらはいかがわしい「平和」という条件のなかで、子供のようにむずがったり、脅えたりしている。

橋川文三
「若い世代と戦後精神」より


81 :名無しさん@社会人:2008/08/01(金) 16:08:23
かれらはあまりにも「平和」に圧倒され、かえってまだ知らぬ「殺りく」と「戦争」という玩具を欲しがったりしている。
そこから大江のように、いわゆる「戦中派」の戦争体験への子供じみた嫉視も生まれ、石原のように「戦争と現実(平和)といずれが苛酷か」という見せっくらの心理も生まれるのだろう。

橋川文三
「若い世代と戦後精神」より


82 :名無しさん@社会人:2008/08/01(金) 16:09:50
しかし、くりかえしていえば、ここでもかれらのつまずきとなっているものは「歴史」である。
初めに引いた老人の話でいえば、その老人にとって、明治以降の六十余年は「平和」であったのか、それとも「廃墟」であったのか。
それは「停滞」でも「自己破壊」でもなく、まさしくただ「歴史」であったろう。
大江や石原が時代の「壁」の背後にある歴史への感覚をもちえない限り、かれらはただ「時代の子」として、ある好ましい評判をかちえてゆくであろう。
つまり、時代を動かすのではなく、押流されてゆくであろう。なぜなら、かれらは、絶望的なまでに「われらの時代」にとらわれ、惑溺しているからである。

橋川文三
「若い世代と戦後精神」より


83 :名無しさん@社会人:2008/08/01(金) 16:28:45
三島がどこかの座談会で語っていたように、戦争も、その「廃墟」も消失し、不在化したこの平和の時期には、どこか「異常」でうろんなところがあるという感覚は、ぼくには痛切な共感をさそうのである。
…つまり、そこでは「神話」と「秘蹟」の時代はおわり、時代へのメタヒストリックな共感は断たれ、あいまいで心を許せない日常性というあの反動過程が始まるのであり、
三島のように「廃墟」のイメージを礼拝したものたちは「異端」として「孤立と禁欲」の境涯に追いやられるのである。
「鏡子の家」の繁栄と没落の過程は、まさに戦後の終えん過程にかさなっており、その終えんのための鎮魂歌のような意味を、この作品は含んでいる。
…この日本ロマン派の直系だか傍系だかの作家(三島由紀夫)のなかに、ぼくはつねにあの血なまぐさい「戦争」のイメージと、
その変質過程に生じるさまざまな精神的発光現象のごときものを感じとり、それを戦中=戦後精神史のドキュメントとして記録することに関心をいだいてきた。

橋川文三
「若い世代と戦後精神」より


84 :名無しさん@社会人:2008/08/01(金) 17:13:05
一、戦後の日本国民は、戦前、とくに明治の国民よりも、はるかに進んだという考え方をもたないほうがよいということ。
日本ファシズムとよばれる国家体制は、そのあたりに関する無自覚と自惚れによって成立したと思われることが多いということ。
二、戦後民主主義がそれ自体なんらかのメリットを日本国民にもたらしたという形式主義的錯覚をも適当に放棄すること。
日本国民がそれほど変わったとは他人は別に思っていないことを知るべきだということ。

橋川文三
「私の日本人論」より

85 :名無しさん@社会人:2008/08/01(金) 17:14:19
三、しかし、日本人の精神構造、民族性その他に関する外国ないし日本の学者たちの悲観的論評を別に信奉する必要もないということ。
それはまだ未解決の問題であり、参考ていどにしておけばいいこと。
四、要するに日本国民も、どこの国民も、大したことはないと覚悟した上で、とくに日本国民にもダメなところがあるという方法的認識を堅持すること。

橋川文三
「私の日本人論」より


86 :名無しさん@社会人:2008/08/04(月) 13:06:14
唯識論入門として、(暁の寺は)これほど簡にして要を得たものを知らない。
難解なことで有名な仏教哲学の最高峰が、われわれの足下に横たわっているのだ。
仏教を研究しようとする学徒のあいだでは、よく、倶舎三年、唯識八年、といわれる。
『倶舎論』を理解するのには三年かかり、唯識論を理解するのには八年はたっぷりかかるというのだ。
それが僅か三島由紀夫の作品では十二頁にまとめられている。エッセンスはここにつきている。くりかえし精読する価値は十分にある。

小室直樹
「三島由紀夫と天皇」より

87 :名無しさん@社会人:2008/08/06(水) 10:03:01
本当の天才とは、簡単には説明することのできない能力の持ち主のことだ。
シェイクスピアは天才だった。モーツァルトも、レオナルド・ダヴィンチも、紫式部も天才だった。
私がこれまでに出会ったすべての人々のなかで、「この人は天才だ」と思った人は二人しかいない。
一人は中国文学および日本文学の偉大な翻訳家であったアーサー・ウェイリーである。
…中略…
そして、私の出会ったもう一人の天才が三島由紀夫である。

ドナルド・キーン
「二つの祖国に生きて」より

88 :名無しさん@社会人:2008/08/13(水) 12:16:10
きょうで丸五日間、丸っきり空襲がありません。不気味な不安。そのなかにも駘蕩たる春の日は窓辺まで押しよせて来ています。
…僕はこれから「悲劇に耐える」というより、「悲劇を支える」精神を錬磨してゆかなければ、と思います。

平岡公威(三島由紀夫)
三谷信への葉書より
昭和20年3月3日


89 :名無しさん@社会人:2008/08/13(水) 12:17:23
御葉書拝見。何はあれ、このような大変に際会して、しかも君とそれについて手紙のやりとりの出来るような事態を、誰が予想し得たでしょう。
…これから勉強もし、文学もコツコツ落着いてやって行きたいと思います。自分一個のうちにだけでも、最大の美しい秩序を築き上げたいと思います。
戦後の文学、芸術の復興と、その秩序づけに及ばず乍ら全力をつくして貢献したいと思います。
…すべては時代が、我々を我々の当面の責務に追いやります。僕は少なくとも僕の廿代を、文化的再建の努力に捧げたいと思っています。

平岡公威(三島由紀夫)
三谷信への葉書より
昭和20年8月22日


90 :名無しさん@社会人:2008/08/13(水) 12:35:59
何かの拍子に三島は「アメリカって癪だなあ、君本当に憎らしいね」と心の底から繰り返しいった。
そしてかのレースのカーテンを指さし「もしあそこにアメリカ兵が隠れていたら、竹槍で突き殺してやる」と銃剣術の動作をして真剣にいった。
当時の彼は学術優秀であり、品行も方正であったが、教練武術の方はまるで駄目であった。
…そういう彼が竹槍で云々といった時、彼には悪いが、突くといっても逆にやられるだろうがとひそかに思った。けれども、彼のその気迫の烈しさには本当に胸を突かれた。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より


91 :名無しさん@社会人:2008/08/13(水) 12:52:08
今、卒業式の時の彼を思い出す。戦前の学習院の卒業式には、何年かに一度陛下が御臨幸になった。我々の卒業式の時もそうであった。
全員息づまる様に緊張し静まる中で式は進み、やがて教官が「文科総代 平岡公威」と彼の名を呼びあげた。
彼は我等卒業式一同と共にスッと起立し、落ち着いた足どりで恭々しく陛下の御前に出て行った。彼が小柄なことなど微塵も感じさせなかった。
瞳涼しく進み出て、拝し、退く。その動きは真に堂堂としていた。心ひきしまり、すがすがしい動作であった。
あの時は彼の人生の一つの頂点であったろう。そういう彼ゆえ、古来の日本の心を壊そうとするものを心の底から許さなかった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より


92 :名無しさん@社会人:2008/08/15(金) 16:11:05
彼(川端康成)は、確かにこの受賞(ノーベル文学賞)に値した。
それでも今もって私は、どういうわけでスウェーデン・アカデミーが三島でなく川端に賞を与えたのか不思議でしようがない。
1970年5月、私はコペンハーゲンの友人の家に夕食に招待された。同席した客の一人は、私が1957年の国際ペンクラブ大会の時に東京で会った人物だった。
日本で数週間を過ごしたお陰で、どうやら彼は日本文学の権威として名声を得たようだった。

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より


93 :名無しさん@社会人:2008/08/15(金) 16:13:02
ノーベル賞委員会は、選考の際に彼の意見を求めた。その時のことを思い出して、居合わせた客たちに彼はこう言ったのだった。「私が、川端に賞を取らせたのだ」と。
この人物は政治的に極めて保守的な見解の持主で、三島は比較的若いため過激派に違いないと判断した。
そこで彼は三島の受賞に強く反対し、川端を強く推した結果、委員会を承服させたというのだ。
本当に、そんなことがあったのだろうか。三島が左翼の過激派と思われたせいで賞を逸したなんて、あまりにも馬鹿げている。
私は、そのことを三島に話さずにはいられなかった。三島は、笑わなかった。

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より


94 :名無しさん@社会人:2008/08/17(日) 11:38:33
東京に着いたのは1月24日の三島の葬式の直前で、私は弔辞を述べることを引き受けた。ところが、私の親しい友人三人は葬式に出席してはいけないと言う。
私が弔辞を述べることで、三島の右翼思想を擁護しているように取られてはまずいと言うのだった。
最終的に彼らの説得に応じたが、それ以来私は、自分がもっと勇気を示さなかったことを何度も後悔した。
私は三島夫人を訪問した。三島の写真がある祭壇に、私は彼に捧げた自分の翻訳『仮名手本忠臣蔵』を置いた。
その本には、下田で会った時に三島自身がこの浄瑠璃から選んだ次の一節が題辞として揚げられていた。

国治まつてよき武士の忠も武勇も隠るるに
たとへば星の昼見へず、夜は乱れて顕はるる

ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より

95 :名無しさん@社会人:2008/08/19(火) 14:40:42
あの時(ノーベル賞を)受賞したのが川端であり、三島由紀夫でなかったのは、何かの行き違いだったかもしれない。
すなわち、国連事務総長だったダグ・ハマーショルドが1961年に亡くなる直前、三島の「金閣寺」を読み、ノーベル賞委員会のある委員に宛てた手紙で大絶賛したのである。こういった筋からの推薦は小さくない影響力を持っていた。
また1967年のこと、出版社の国際的な集会がチェニスで開かれ、私はその集いが授与する文学賞、フォルメントール賞を三島にと試みたが失敗に終わった。
この時、スウェーデンから参加した有力出版社ボニエールの重役が私を慰め、三島はずっと重要な賞をまもなく受けるだろう、と言ったのだ。ノーベル賞以外にはあり得なかった。

ドナルド・キーン
「思い出の作家たち」より

96 :名無しさん@社会人:2008/08/23(土) 12:44:04
この叫び(剣道のかけ声)には近代日本が自ら恥じ、必死に押し隠そうとしているものが、あけすけに露呈されている。
それはもっとも暗い記憶と結びつき、流された鮮血と結びつき、日本の過去のもっとも正直な記憶に源している。
それは皮相な近代化の底にもひそんで流れているところの、民族の深層意識の叫びである。
このような怪物的日本は、鎖につながれ、久しく餌を与えられず、衰え呻吟しているが、今なお剣道の道場においてだけ、われわれの口を借りて叫ぶのである。それが彼の唯一の解放の機会なのだ。

三島由紀夫
「実感的スポーツ論」より

97 :名無しさん@社会人:2008/08/23(土) 12:46:48
私は今ではこの叫びを切に愛する。このような叫びに目をつぶった日本の近代思想は、すべて浅薄なものだという感じがする。
それが私の口から出、人の口から出るのをきくとき、私は渋谷警察署の古ぼけた道場の窓から、空を横切る新しい高速道路を仰ぎ見ながら、
あちらには「現象」が飛びすぎ、こちらには「本質」が叫んでいる、という喜び、……その叫びと一体化することのもっとも危険な喜びを感じずにいられない。
そしてこれこそ、人々がなお「剣道」という名をきくときに、胡散くさい目を向けるところの、あの悪名高い「精神主義」の風味なのだ。
私もこれから先も、剣道が、柔道みたいに愛想のよい国際的スポーツにならず、あくまでその反時代性を失わないことを望む。

三島由紀夫
「実感的スポーツ論」より


98 :名無しさん@社会人:2008/09/02(火) 14:32:33
天皇はあらゆる近代化、あらゆる工業化によるフラストレーションの最後の救世主として、そこにいなけりゃならない。それをいまから準備していなければならない。
それはアンティエゴイズムであり、アンティ近代化であり、アンティ工業化であるけど、決して古き土地制度の復活でもなければ、農本主義でもない。
…つまり天皇というのは、国家のエゴイズム、国民のエゴイズムというものの、一番反極のところにあるべきだ。
そういう意味で、天皇は尊いんだから、天皇が自由を縛られてもしかたがない。
その根元にあるのは、とにかく「お祭」だ、ということです。
天皇がなすべきことは、お祭、お祭、お祭、お祭、――それだけだ。

三島由紀夫
「文武両道と死の哲学」より

99 :名無しさん@社会人:2008/09/02(火) 14:42:48
亭主が自分の部屋に電話を引いたり、テレビをつけたり、ボタンを押すと飛び上がる椅子をつけたりするのに、
エリザベスは、まだ十八世紀のお茶の作法で、百メートル先から女官たちが手から手へつないだお茶を持って来て、冷えたお茶を飲んでいる。自分の部屋には電話がない。
ぼくは、そういうことが天皇制だろうと思うんです。日本の皇室がその点でわれわれを納得させる存在理由は日ましに稀薄になっている。
つまりわれわれが近代化の中でこれだけ苦しんで、どこかでお茶を十八世紀の作法で飲んでいる人がいなければ、世界は崩壊するんだよ。

三島由紀夫
「文武両道と死の哲学」より


100 :名無しさん@社会人:2008/09/03(水) 14:22:07
人間の運、不運の岐れ道は中国では残酷なまでに鮮明である。不運な人間に誰も同情しない。この国では悲劇も哀話も人の心を動かさない。
だから中国の文学にはギリシャ悲劇のような悲劇が存在しない。
中国人は赤穂浪士と三島由紀夫の悲劇をどうしても理解できないそうである。

西尾幹二

101 :名無しさん@社会人:2008/09/03(水) 23:45:44
>1
三島由紀夫は社会学者ではなく文学者。
笑止千万

102 :名無しさん@社会人:2008/09/04(木) 12:29:40
侵略主義とか軍国主義というものは、武士道とは始めから無縁のものだ。
…私に言わせれば、二・二六事件その他の皇道派が、根本的に改革しようとして、失敗したものでありますが、結局勝ちをしめた統制派というものが、
一部いわゆる革命官僚と結びつき、しかもこの革命官僚は、左翼の前歴がある人が沢山あった。
こういうものと軍のいわゆる統制派的なものと、そこに西欧派の理念としてのファシズムが結びついて、昭和の軍国主義というものが、昭和十二年以降に初めて出てきたんだと外人に説明するんです。
私は、日本の軍国主義というものは、日本の近代化、日本の工業化、すべてと同じ次元のものだ、全部外国から学んだものだ、と外人にいうんです。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より

103 :名無しさん@社会人:2008/09/04(木) 12:31:46
軍国主義というものが、実に、日本の明治以降、動いてきた歴史の中で、非常に、皮肉なものがある。
というのは、我々は外国からいい影響だけ受けていたと思ったのは、非常に間違いであった。
明治以降の日本がやってきた西欧化の努力によって今日まで、近代国家にきたのであるけれども、その全く同じ理念が、軍国主義をもたらしたのである。
ここをよく考えないと日本の近代感覚というものの一番大きな問題は掴めない。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より


104 :名無しさん@社会人:2008/09/04(木) 12:49:38
軍国主義のいわゆる進展と同時に、日本の戦略、戦術の上にアジア的な特質が失われていったのは大きい。
というのは、今のベトナム戦争でも判るように、アジア的風土の中で、非常にアジア的な非合理な方法によって、ゲリラ戦を展開して、敵を悩ましている。
…我々は、もう一つ、ここで民族精神に振り返ってみて、日本とは何ぞや、武器と魂というものを日本人は如何に結びつけたか、そこに立ち返らなければ、日本というものの防衛の基本的なものは出てこない。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より


105 :名無しさん@社会人:2008/09/04(木) 15:27:10
私は、終始一貫した憲法改正論者で、それが、物理的に可能であるのか、不可能であるのか、そんなことは、おかまいなしに、一介の人間としてそれのみをいっているのは、決してそれによって、日本を軍国支配しようとするつもりはないのだ。
あくまでそれによって日本の魂を正して、そこに日本の防衛問題にとって最も基本的な問題、もっと大きくいえば、
日本と西洋社会との問題、日本のカルチャーと、西洋のシィヴィラリゼイションとの対決の問題、これが、底にひそんでいることをいいたいんだということです。

三島由紀夫
「武士道と軍国主義 政府への建白書」より

106 :名無しさん@社会人:2008/09/05(金) 00:18:30
貼り付け狂自称家事手伝いニート三島信者ババアがここにもw
三島スレならどこでも現れる40代のくそババア

107 :名無しさん@社会人:2008/09/11(木) 12:58:04

三島論
http://www.geocities.jp/captifamoureux/mishima.htm


108 :名無しさん@社会人:2008/09/18(木) 12:49:50

日米共同コミュニケによって、現憲法の維持は、国際的国内的に新たなメリットを得たのである。
すなわち国内的には、今後も穏和な左翼勢力に平和現憲法の飴玉をしゃぶらせつづけて面子を立ててやる一方、過激派には現憲法にもこれだけの危機収集能力のあることを思い知らせ、
国際的には、無制限にアメリカの全アジア軍事戦略体制にコミットさせられる危険に対して、平和憲法を格好の歯止めに使い、一方では安保体制堅持を謳いながら、一方では平和憲法護持を受け身のナショナリズムの根拠にするというメリットが生じたのである。
これはいわば吉田茂方式の継承であり、早急な改憲は、現憲法がアメリカによって強いられた憲法であるより以上に、さらにアメリカの軍事的要請に沿うた憲法を招来するにすぎないという恫喝ほど、効き目のあるものはあるまい。
改憲サボタージュは、完全に自民党の体質になった。

三島由紀夫
「道理の実現――『変革の思想』とは」より

109 :名無しさん@社会人:2008/09/26(金) 15:58:06
われわれは天皇ということをいうときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時代的であるというような時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮の故に天皇を支持するのである。
なぜなら、われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、
このような全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの日本の文化伝統を賭けて闘わなければならないと信じているからである。

三島由紀夫
「反革命宣言」より

110 :名無しさん@社会人:2008/09/26(金) 16:09:14
われわれは、自民党を守るために闘うのでもなければ、民主主義社会を守るために闘うのでもない。
もちろん、われわれの考える文化的天皇の政治的基礎としては、複数政党制による民主主義の政治形態が最適であると信ずるから、
形としてはこのような民主主義政体を守るために行動するという形をとるだろうが、終局目標は天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない。

三島由紀夫
「反革命宣言」より


111 :名無しさん@社会人:2008/09/28(日) 11:17:32
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に、日本のアニメ「巌窟王」の音楽を担当したジャン・ジャック・バーネル(フランス人)がいますが、
ジャンは70年代の伝説の英国パンク・ロック・グループ、ストラングラーズの名ベーシストでした。
バンドの3rdアルバム『ブラック&ホワイト』には「ユキオ」の副題が付けられた「デス&ナイト&ブラッド」(死と夜と血)という曲や、次のアルバム『レイヴン』の「アイス」という曲にもハガクレという言葉が出てきます。

「死と夜と血」

俺が彼の瞳のなかに
あのスパルタを見た時

夭折はいいこと
だから俺たちは決めたんだ

死ぬこと以上に
すばらしい愛はないと

俺は俺の肉体を
俺の武器にまで
鍛えあげるんだ

ジャンは三島の熱心な愛読者でもあり、極真会館の道場生でした。現在は士道館の空手ロンドン支部長をしているそうです。

112 :名無しさん@社会人:2008/09/28(日) 11:18:07
78年12月に単独来日した際にジャンは、「なぜ日本はこんなアメリカ・ナイズされているのか、日本の若者は眠っているのか」と怒りまくったという逸話があり、
「米国資本の市場戦略は安逸な快楽を与え、人々の感性を鈍らせることから始まっている。
それはヨーロッパの伝統的な明晰さにとって第一の敵といえるが、
日本人もそれに毒されている自分たちを自覚し民族の知的遺産である伝統、それは魂(スピリット)といっていいが、それを救出しなければならない。」と誌面にメッセージを残しています。

113 :名無しさん@社会人:2008/09/28(日) 20:38:59
>>106
児戯に等しい

114 :名無しさん@社会人:2008/10/03(金) 12:03:57
有名中学校入学で小学校までのやつ自称日本人が別の人間朝鮮人に3人交代しましたnida。どういう事情か詳しく教えて下さいnida。

115 :名無しさん@社会人:2008/10/08(水) 11:52:08
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に坂本龍一がいますが、
彼の父親は三島の仮面の告白、金閣寺などを世に送り出した河出書房の三島担当の名編集者として有名です。おそらく父親から三島の逸話などを聞かされたことでしょう。
坂本龍一が映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)で演じた将校も三島の造形だといわれていますが、
龍一自身が担当した「戦メリ」の音楽に歌詞を付け、デヴィッド・シルヴィアンとコラボしたアルバム「禁じられた色彩」も、明らかに三島の「禁色」をベースした世界があります。
My love wears
forbidden colours.
My life believes
(in you once again)

僕の愛は禁じられた色彩を帯びる。
僕の生は(もう一度あなたを)信じる。

ちなみにD・シルヴィアンも三島の「禁色」を最高の文学と言い、三島おたくぶりをアピールしています。

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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