もう2時か、
2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50 [PR]女性の自宅ナマ映像を無料公開[PR]  

オランダの歴史

1 :世界@名無史さん:03/02/25 21:46
中世〜現代までにかけてのオランダの歴史に関して語りましょう。

2 ::03/02/25 21:46
はぁ?

3 :世界@名無史さん:03/02/25 21:57
近代オランダは総督としてウィレム5世まで行っといて、王位を獲得したら
またウィレム1世に戻っちゃったので、名前がややこしい。

4 :世界@名無史さん:03/02/25 22:02
スペインを相手に戦ってた頃のオレンジ家はやたら萌える。

5 :世界@名無史さん:03/02/25 22:09
ま、またやるのか…
ベネルクス総合スレもあるが、がんばってくれ。

とりあえずはブルゴーニュ公家からか

6 :世界@名無史さん:03/02/25 22:13
個人的にはオランダとインドネシアの関係に興味があるんだが。

7 :5:03/02/25 22:16
>>6
山川から出てる「オランダとインドネシア」はいかが?

8 :6:03/02/25 22:23
>>7
ありがと。探してみるわ。
どうでもいいけど、あれだけ衰退していく中で、
よく20世紀までインドネシアを保持できたなぁと関心するわ。

9 :世界@名無史さん:03/02/26 00:49
オランダのアホ女王は訪日中に宮中晩餐会で、こともあろうに
「日本はインドネシアで虐待したオランダ人に補償しなければならない」とのたまった。
何ぬかしやがる。てめえらは、インドネシア、インド、スリナムで何をやってきたんだ。
しかも黄色人種に植民地を追っ払われた悔しさから、大東亜戦争後インドネシアを再占領しようとしてやって来て、旧日本軍が教育したインドネシア軍にケチョンケチョンにやられた。
よっぽど悔しかったんだろうね。アホ女王。

10 :世界@名無史さん:03/02/27 17:30
かつては七つの海を支配した超大国であった。

11 :世界@名無史さん:03/02/27 17:32
>>6
講談社学術文庫からでてる『オランダ東インド会社』もいい。

12 :世界@名無史さん:03/02/27 17:35
>>10
別に超大国でもないだろ。
古代のギリシア人やフェニキア人みたいなもんだろ
(まあアテネやスパルタ、カルタゴは大国と言っていいのかもしれないが)。

13 :世界@名無史さん:03/02/27 17:40
>>5
中世では、ブリュージュやガンなど、フランドル(ネーデルラント南部、
現在のベルギーに当たる地域)のほうが重要だった。

14 :世界@名無史さん:03/02/27 18:25
orange=柑橘類
Orange=オラニエ家、オレンジ自由国

15 :ふっくん:03/02/27 18:33
今は小国のオランダがかつては世界の海を支配した覇権国家だったとはなぁ
やはり国力とは領土ではなく、資本に比例するんですな
ところで世界でオランダを「オランダ」とよんでいる国はあるの?
英語だとNetherland Dutch Hollandとかいっぱい呼び方あるけど
ほんとうのところは?

16 :世界@名無史さん:03/02/27 19:37
>>15
「オランダ」はポルトガル語だったと思う。

17 :世界@名無史さん:03/02/27 20:09
高山正之の産経新聞連載「異見自在」は面白いぞ。

江戸芸人の予言 オランダは変わらなかった
http://kaz1910032-hp.hp.infoseek.co.jp/120129.html
オランダ人の歴史認識 自分のふりを見つめては?
http://kaz1910032-hp.hp.infoseek.co.jp/120422.html
高山正之コーナー  
http://plaza.rakuten.co.jp/kaz1910032/048000

18 :世界@名無史さん:03/02/28 09:18
>>14
「オレンジ自由州」と「オラニエ家」は直接の関係があるの?

19 :世界@名無史さん:03/02/28 09:41
>>18
オレンジ自由国は南アフリカでボーア人が建国。
オラニエ家と直接の関係はない。

20 :世界@名無史さん:03/02/28 22:04
そろそろ80年戦争が始まります。

21 :世界@名無史さん:03/02/28 23:57
>>18
オレンジ自由国はオレンジ川流域に建国されたので、その名前をとった。
ちなみに、オラニエ家の家名のそもそもの由来はフランスの都市オランジュから。

22 :世界@名無史さん:03/03/01 23:16
>>8
英蘭戦争以後は、おおむねイギリスと友好関係になったのも原因のひとつかも。

23 :世界@名無史さん:03/03/04 22:10
>>20
八十年戦争って、そもそも最初からスペインからの独立を目指していたわけではなく、
フェリペ2世の政策に反発した貴族たちの反乱から始まったんだけどね。

24 :世界@名無史さん:03/03/04 22:48
だからこそ独立戦争とは言わずに80年戦争という。

25 :世直し一揆:03/03/04 23:02
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけのもっともらしさ(偽善)に騙されるな!!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い)
●他人に異常に干渉し、しかも好戦的でファイト満々(キモイ、自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする
(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはた
いてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、
世間体命)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ)
●表面上協調・意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)  
●後で自分の誤りに気づいても、無理にでも筋を通そうとし素直に謝れない(切腹あるのみ!)
●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。包容力がなく冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)

26 :世界@名無史さん:03/03/09 07:40
1623年2月11日  アンボイナ事件  
 オランダ東インド会社(VOC)守備隊は、イギリス商館の日本人社員がオランダの要塞を
調べていたため、不審を抱き、商館長ほかイギリス人全員、日本人傭兵9人など約50名を
捕え、拷問にかけた。
 その結果、要塞奇襲の陰謀に関する自白が得られたとして、イギリス人10名、日本人9名、
ポルトガル人1名の計20人を処刑した。
 こうして現地のVOCオランダ幹部は、香料貿易からイギリスを力で排除しようとした。

 当然この事件は英蘭両国の不和のもととなり、オランダは1654年に賠償金を支払ったが、
1665年の英蘭戦争の遠因ともなり、1667年のブレダ条約でようやく解決する。
 この事件は、インドネシアでのオランダ優位を確立させ、英国の東南アジアから撤退・
インド東岸への転進を促したことで重要。
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/ambon.html

27 :世界@名無史さん:03/03/09 09:02
岡崎久彦 繁栄と衰退と―オランダ史に日本が見える―
しか読んだことありません
初心者向きのいい本他に無いですか

28 :世界@名無史さん:03/03/09 12:38
戦犯と称してインドネシアの日本軍将士を大虐殺。

29 :世界@名無史さん:03/03/09 12:53
オレンジ自由国って美味しそうだな

30 :世界@名無史さん:03/03/09 13:18
>>27
山川から出てる世界各国史の『スイス・ベネルクス史』は?

31 :世界@名無史さん:03/03/09 18:38
では見方を変えて、オラニエ家とオレンジ=柑橘類の関係は?

32 :世界@名無史さん:03/03/09 18:39
アルバ公がネーデルラントに導入した「十分の一税」は、スペインにとって
まずい政策だったと思う。
あれのせいで、貴族たちとカルヴァン派民衆が結びつくことになってしまった。


33 :j:03/03/09 18:42
http://bbs.1oku.com/bbs/bbs.phtml?id=rantyan
★その目で確認すべし!!★超おすすめ★

34 :世界@名無史さん:03/03/09 18:49
オラニエ・ナッサウ家 Oranje
フランスのオランジュ家の家督を相続した。

オランジュ Orange
ローマ時代の古名アラウシオArausioの転訛か?

オレンジ orange
ペルシア語とかアラビア語が語源らしい。


適当。

35 :山崎渉:03/03/13 13:09
(^^)

36 :世界@名無史さん:03/03/18 04:35
「オランダ共和国」つってもオラニエ家が実際は君主的存在だったんでしょ?

37 :世界@名無史さん:03/03/18 04:53
>>36

オラニエ家が諸州の総督(軍事指揮官)職を兼任していた。
これとホラント州の首相(法律顧問)との二頭体制。

38 :c:03/03/18 04:57
★ココで決まり★男の掲示板★大人のリンク集★
 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
 http://www.pink-angel.jp/betu/index.html

39 :世界@名無史さん:03/03/18 05:02
オラニエ家の別荘でイタリアの建築様式を取り入れたのが「ハウステンボス(Huis Ten Bosch)」

40 :世界@名無史さん:03/03/18 08:08
>32
でも、中央銀行も中央政府に人事権がある徴税吏もいない時代の
ハプスブルグ帝国にとって、徴税請負人経由の税で歳入を維持するためには
闇雲な課税をかけるしかなかったと思われ。

徴税人や地方領主の私服をこやしたあと、国庫にはいる税収はもちろん
当初の5割がいいところだけど、だからこそ

無茶な課税→反納税・武装叛乱→武力鎮圧→膨大な軍事費→財政赤字

の悪循環がハプスブルグ帝国の覇権をのけた。
たしか最初に手放したのが、件のハプスブルグ領ネーデルラントだよ

41 :世界@名無史さん:03/03/19 01:19
オランダ共和国っていうのいつから?
たしかバタヴィア共和国とか18世紀いわなかったっけ?

42 :世界@名無史さん:03/03/19 01:33
>>41

「オランダ」というのは日本人が変な呼び方してるだけでしょ。

43 :世界@名無史さん:03/03/19 02:08
ネーデルランデン連邦共和国(綴り忘れた)って言うんだよね、たしか。
Nederlandenって低地地方って意味だから、フランス領フランドルも
ベルギーもルクセンブルクあたりも含まれる。
マウリッツもヘンドリクも躍起になって南部を手中にしようとしたけど出来なかった。
ということでちょっと違和感あるな。この国名。

どうでもいいけど、国王のいない国が後に王国になった例って
オランダのほかにある?

44 :世界@名無史さん:03/03/19 04:05
>>43

近代ギリシアが一応そう。

独立戦争の時は大統領がいたが、
独立時にバイエルン王家の王子をもらっている。
(大統領は内紛で暗殺されている)

45 :世界@名無史さん:03/03/19 07:15
連邦の中心になったオランダ州の名からでしょう.
オランダ州の長官が全ネーデルランドの政治を実質的にとりしきるわけだから.

46 :世界@名無史さん:03/03/19 12:25
>>45
「ホラント」州がポルトガル語に入って「オランダ」になった。

47 :世界@名無史さん:03/03/19 14:43
オランダをDutchというのはなぜ?

48 :ウェブスターみると:03/03/19 20:36
割り勘をDutch countだかgo Dutchとかいうね。
経済観念が16-17世紀の貿易躍進時代発達した商人国家を、外国人
(イングランド人だろうね、当然。英蘭戦争がらみででてきた悪口かね?)
が揶揄したのが語源だろうけど。

Dutchの語源は duitsch(German)ドイチェ語をしゃべる連中いうイングランド人がつけた
綽名らしい。JAPみたいな略称だね
(英語圏からみれば蘭語もドイツ語方言にきこえる。本当は母音がかさなった
り、ちがうんだけど。一応、高地ドイツ語起源)

the West Germanic language of the Netherlands = Dutch

いうことで

49 :世界@名無史さん:03/03/19 22:04
>29
城崎カニ王国の仲間か?

50 :世界@名無史さん:03/03/19 22:28
低地ドイツ語とオランダ語は、言語学的には同一の言語だよ。

パーペンブルク在住のドイツ人の知り合いによると、かの地は(ドイツ領なのに)van ***などという苗字がザラにあるらしい。

51 :世界@名無史さん:03/03/19 22:29
>>48
じゃあダッチワイフもそんな感じか。
そういえば石油会社でRoyal Dutch Shellってのもあるな。

52 :世界@名無史さん:03/03/19 22:59
>50
そのとおりですな。高地ドイツ語を現代ドイツ語として、その方言と
いうつもりだったが、考えて見ればゲルマン諸族の方言の寄せ集めが
低地ドイツ語と高地ドイツ語に、とりあえず大別されるのだから、当然
「オランダ語は低地ドイツ語から派生」が正しいようです。訂正訂正

>51
オランダ人妻は和製英語らしいですよ。こんな頁ありました
http://haradakun.cool.ne.jp/shitumon/s08.htm

ちなみに昭和シェル石油も傘下におくロイヤル・ダッチ・シェルは
セブン・シスターズ呼ばれる英蘭系石油企業です。オランダ王室も
これの大株主です。
いいたかないが、どうもオランダ王室は商人国家らしくロッキード事件とか
それがらみで醜聞紛々ですな

53 :そいや:03/03/19 23:39
幕末に鳴滝塾を開いていたシーポルトが、他のオランダ人と言葉が違うと
指摘されて「漏れのオランダ語は、高地オランダ語だから違うんだ」と言っ
たという逸話を思い出した。
ちなみに、シーボルトはオランダ人じゃなくて、当時入国を禁じられてい
たドイツ人だけど、オランダの高地ね(W

54 :世界@名無史さん:03/03/20 00:12
オランダ語って-ijみたいな綴りが気持ち悪いな。
「通性名詞」というのもわけがわからないし、歯抜けジジイが喋ってるようなフハフハした発音も不快。


55 :キバヤシ:03/03/20 00:20
そうか。わかったぞ!
おれたちは18世紀におけるオランダの衰退という表層の事実に、
どうやら欺かれてたようだ。奴等はスペイン領ネーデルラントに
おけるアルバ公の弾圧に堅く復讐を誓った存在なのだ。

シーボルトの台詞はチロル国境までオランダの高地として、やがて
オーストリア・ハプスブルグ領内に攻め込もうとする深層願望の表出に
ちがいない。

・・・・・ここまで書いてスペイン・ハプスブルグと無関係と気付いた。
逝ってくる(w

ちなみにHollandの語源は古高地ドイツ語holtland-木(森林)の国
らしいです

56 :世界@名無史さん:03/03/20 02:27
>>54
>歯抜けジジイが喋ってるようなフハフハした発音
ちがうな。痰を吐くように喉からしぼり出すんだよ。
カワイイ阿蘭陀人女性が発音しているのを聞くと、なかなかイイぞ。
rも江戸っ子調の巻き舌でたまらんぞ。
通性名詞は男女が一緒になっただけだろ。むしろほかの言語より楽なんじゃないかと。

かんけいないけど、よくわけわからんのが、オランダ語のカタカナ表記だな。
deはデ、語尾のrはきちんと表記。
これってなんかの慣習なんだろうか?
bakker(パン屋)をバッケルなんて発音するやついない。バッカーだ。
だが人名のBackerはバッケルでとおってる。

ついでに風景画家Ruisdaelの日本語表記も面白い。
10年前くらいまではロイスダール。
最近はライスダール。
でも言語に忠実に書くとラウスダール。
ハウステンボスもあながち間違いじゃないんだな。

長文須磨祖。


57 :世界@名無史さん:03/03/20 03:27
>でも言語に忠実に書くとラウスダール

本当か? 手元の辞書の発音記号によれば[ro`eyizda:l]が正しいとのことだ。

58 :世界@名無史さん:03/04/01 09:06
age

59 :世界@名無史さん:03/04/01 20:28
海乞食党(Waterhuizen・・・とかいうらしい)あげ。

1560年代の海乞食の母港はイギリス本土南部だったんだね。知らんかった

60 :世界@名無史さん:03/04/02 14:05
ttp://www.h5.dion.ne.jp/~yuugiri/oranda%20rekisi.htm

1565 ブリュッセルで中・下級貴族が貴族同盟を結成
1566 貴族同盟、ブリュッセルの執政に請願書提出、乞食党(ヘーゼン)と称す
1568 オランダ独立戦争(〜1648)
1571 レパントの海戦
1572 海乞食党、ホラント・ゼーラント両州を占領し、オラニエ公ウィレム1世を
州総督に推戴
1576 「ゲントの平和」成立
1579 エノー、アルトワのカトリック貴族「アラス同盟」結成。
これに対して北部7州「ユトレヒト同盟」結成
1581 ユトレヒト同盟、フェリペ2世に対して巨従拒否宣言
1584 ウィレム1世暗殺される
1585 オランダ連邦共和国成立。スペイン軍、アントワープとブリュッセルを占領
1589 仏、ブルボン朝成立
1596 英・仏・オランダの独立承認
1598 フェリペ2世、娘のイサベラとその夫アルプレヒトに南ネーデルランドを委譲
1602 オランダ東インド会社設立
1609 オランダ連邦共和国とスペインの間に12年間の休戦条約。
1618 総督マウリッツ、議会派指導者ファン・オルデンバルネフェルトを逮捕、
翌年処刑する 独、三十年戦争
1621 オランダはスペインと戦争を再開
1642 英、清教徒革命
1648 「ミュンスターの講和」でスペインはオランダ連邦共和国の独立を承認


61 :k:03/04/02 14:07
★賞金が当たる★彼女が出来る★スッゲー気持ちいい★
http://www.pink-angel.jp/betu/linkvp2/linkvp.html

62 :世界@名無史さん:03/04/04 06:10
エグモントの話って、実話なの?

63 :世界@名無史さん:03/04/04 11:34
http://www2u.biglobe.ne.jp/~tetsuro/data/Egmont.html
◆◇実在した「エグモント」◇◆

64 :オレンヂ通信:03/04/04 22:41
ナッサウ伯マウリッツは、生涯に、
38の都市と45の要塞を攻囲によって、
5つの都市と10の要塞を強襲によって攻め取り、
12度の敵の攻囲を解囲せしめた。

だが、Stedendwinger「都市の征服者」という異名を得たのは
弟のフレドリク・ヘンドリクの方だった。

65 :オレンヂ通信:03/04/04 23:23
沈黙公ウィレムは生涯に4人の妻を持ったが、
マウリッツは2番目のアンナ・フォン・ザクセンとの、
フレドリク・ヘンドリクは4番目のルイーズ・ド・コリニーとの息子である。

ルイーズの父、提督ガスパール・ド・コリニーはフランス・ユグノーの首領であり、
沈黙公は彼との同盟によるスペイン打倒を計画したわけだが、
聖バルテルミー虐殺でそれも水泡に帰した。

66 :オレンヂ通信:03/04/04 23:33
3番目の妻シャルロット・ド・ブルボンと沈黙公との間にはエリーザベトという娘がいたが、
彼女はフランス・ユグノー貴族の重鎮ブイヨン公と結婚する。
彼らの間に生まれたのがアンリ・ド・ラ・トゥール・ドーベルニュ、後の元帥テュレンヌ子爵である。

攻城戦に長じ、新教の擁護者として終始したマウリッツ兄弟とは対照的に、
機動戦の達人であるこの甥は早々にカトリックに改宗し、太陽王の下で、
フランス史上4人しかいないマレシャル・ジェネラル(大元帥)にまで出世した。
(残りの3人も、ヴィラール、サックス、スールトと超一流。)

67 :オレンヂ通信:03/04/05 23:04
沈黙公の2番目の妻、アンナ・フォン・ザクセンは、
ザクセン選帝侯モーリッツの娘であった。
周知の如くこの人物は、シュマルカルデン戦争で巧妙に立ち回り、
本家筋から選帝侯の地位を奪った例の梟雄であり、
マウリッツはこの高名な祖父にちなんで名付けられたことになる。

アンナは奔放な、というかビッチな女性であったために、結婚生活は当初から上手くゆかず、
彼女はついにある男との姦通現場をおさえられる羽目になる。
当時の習わしでは重ねて四つにされても文句の言えないところであったが、
荒事を好まぬ性格の沈黙公は彼女を離縁するに留めた。

ちなみに、この時の姦夫には、後にピーテル・パウルという息子が生まれる。
すなわち後の大画家ルーベンスである。
これもまた、沈黙公の「寛容」政策が世界史に貢献した一例というわけだ。

68 :オレンヂ通信:03/04/07 21:40
沈黙公は父からオラニェ公の位を受け継いだわけではない。

沈黙公の生家、ナッサウ家(ナッサウ・ディレンブルク家)は
12世紀に溯るライン地方の名門貴族である。
15世紀、すなわち「ブルゴーニュの世紀」のナッサウ家では、
ブレダを中心とした低地諸国の所領と、ディレンブルクを中心としたドイツの所領とを
分割して相続する慣習が成立していた。

前者(ブレダ)の相続者は本家格であり、ブルゴーニュ公の廷臣として生きる道。
後者(ディレンブルク)の相続者は在地の豪族として地道に生きる道。

この2つの所領群ははっきりと区別され、一系の消滅によって一時的に統合されても、
次代には兄−弟の間で分割されなおすのが通例であった。

試しに、沈黙公の二代前から、この2系の相続を整理してみると次のようになる。

ブレダ:エンゲルプレヒト2世→ハインリッヒ3世→ルネ・ド・シャロン→沈黙公ウィレム
ディレンブルク:ヨハン5世→ヴィルヘルム→ヨハン6世

※エンゲルプレヒト2世(兄)−ヨハン5世(弟)
 ハインリッヒ3世(兄)−ヴィルヘルム(弟)(父親はヨハン5世)
 沈黙公ウィレム(兄)−ヨハン6世(弟)(父親はヴィルヘルム)
 ちなみにハインリッヒ3世−ルネ・ド・シャロンは父子の関係。

69 :オレンヂ通信:03/04/07 21:45
一方、15〜16世紀初頭にオランジュ(オラニェ)公位を相伝していたのは、
フランスの貴族、シャロン家である。

オランジュはsovereign principality、
すなわち、「記録を溯る限り何者の封土にもなったことのない領地」であったが、
シャロン家はフランシュ・コンテ等にも所領を持っていた関係から、
歴代のブルゴーニュ公の宮廷に出仕していた。
(廷臣としての格は「シャロン家>ナッサウ・ブレダ家」という感じ。)

ところが1530年にシャロン家の最後の男系相続者フィリベールが死ぬと、
オランジュ公位は、フィリベールの妹クローディアを通じてその息子に伝えられることになる。
クローディアの夫はナッサウ・ブレダ家のハインリッヒ3世であり、
「その息子」というのは、彼らの間に生まれたルネ・ド・シャロンであった。
(沈黙公にとってハインリッヒ、ルネはそれぞれ伯父・従兄弟ということになる。)

70 :オレンヂ通信:03/04/07 21:54
ところがそのルネ・ド・シャロンも、
1544年、いわゆるイタリア戦争のさなかということになるが、
サン・ディジエの攻囲で戦死してしまう。(享年25歳。)

主君である皇帝カール5世の
「戦争って何があるかわかんないから、相続者決めといたら?」
という冗談交じりの忠告が不幸にも的中してしまったわけだが、
ルネによって相続予定者に指名されていたのが従兄弟の沈黙公ウィレムだった。
(この時、沈黙公の父ヴィルヘルムもまだ存命中だったが、
 ルネは何故かこの叔父と折り合いが悪く、
 相続人指名は彼を越えてその息子、つまり沈黙公に対してなされた。)

こうして、いくつかの偶然が重なることによって、
沈黙公はわずか11歳にして、
ナッサウ・ブレダ系とシャロン・オランジュ系の双方を併せた広大な所領を受け継いだ。
それまで予定されていた地方貴族の長男としての人生に代わって、
カール5世の廷臣としての将来が目の前に開けたわけだ。

71 :オレンヂ通信:03/04/08 22:18
伝説によると、沈黙公の誕生時、父親ヴィルヘルムは
ある高名な学者を招いて息子の星を占わせたそうだ。

「幼くして莫大な富と権力を受け取り、
 人生の半ばにして大いなる運命の転変を迎え、
 終わりに際して暴力による死を迎える。」

・・・大当たり。

これはもちろん後世の作り話だが、
興味深いのはこの学者がメラヒントンであったとされていることだ。

周知の如く、フィーリップ・メランヒトンは宗教改革者ルターの盟友である。
ナッサウ家はルター派だったのでそこは特に問題ないのだが、
もう少し言うとメランヒトンは人文主義の素養を十分に積んだ宗教改革者だった。
その視野の広さは、一方では、カソリックやカルヴァン派に対する融和的な態度となって現れ、
ルター亡き後のルター派内に軋みを生じさせることにもなったが、
また一方では、同時代の諸思潮に対する積極的な関心となって現れた。

事実、彼はヴィッテンベルクで神学生らに自然学や天文学を講じている。
そして当時の一般的な認識では、占星術と天文学の差はわずかに紙一重だったのである。

72 :オレンヂ通信:03/04/09 23:30
沈黙公には4人の弟がいたが、相続に関するポジションの違いは、彼らの人生航路を分けた。

次弟ヨハンはナッサウ家の伝統に倣い、
父ヴィルヘルムを継いでデイレンブルクの領主となった。
時代の激動に巻き込まれることもなく、所領経営と子作りに励んだ。
1702年ウィレム3世(英王ウィリアム3世)の死によりオラニェ・ナッサウ本家が断絶すると、
彼の子孫がオラニェ公位を継承し、その流れは現在のオランダ王室につながる。
無事是名馬。

73 :オレンヂ通信:03/04/11 22:07
もう一つのナッサウ家。

中世ナッサウ家は、13世紀中葉に最初の大きな家門の分割を迎えた。
即ち、ナッサウ・ディレンブルク家(ラーン川の北)と
ナッサウ・ヴァイルブルク家(ラーン川の南)の成立である。

前者はもちろん沈黙公につながる家系であるが、
後者も、13世紀末には皇帝アドルフを出す等、ドイツ西部の有力領主として成長する。

さらに19世紀、革命とナポレオン戦争の激動を乗り越えたナッサウ・ヴァイルブルク諸系は、
ウィーン会議でオラニェ・ナッサウ家からその在独所領を譲渡される一方、
諸系内部では、しだいに一系(ナッサウ公家)への統合を進めていく。

ところが、1866年の普墺戦争で時のナッサウ公アドルフは致命的なミスを犯す。
オーストリアに味方したため、公は国を追われ、ナッサウ領はプロイセンに併合されることになったのである。

しかし、捨てる神あれば拾う神あり。

1890年、オランダ王国で国王ウィレム3世が没し、女王ウィルヘルミナが即位すると、
オランダと同君連合を形成していたルクセンブルク大公国はアドルフを君主として迎えた。
サリカ法を国法としていたルクセンブルクは、女性君主による継承を認めていなかったので、
男系を13世紀まで溯ることによって(!)、
アドルフをウィレムに最も近い男性相続者として確定したのである。
(ただし現在のルクセンブルクでは女系を通じた継承、さらに女性自体の継承も認められている。)

74 :世界@名無史さん:03/04/16 23:45
age

75 :世界@名無史さん:03/04/17 01:08
>>41
バタビア共和国はナポレオン時代にフランスがオランダに作った
傀儡国家とされています。

その時期は世界中で長崎出島にのみオランダの旗が掲げられていました。

76 :山崎渉:03/04/17 09:14
(^^)

77 :世界@名無史さん:03/04/18 08:42
age

78 :山崎渉:03/04/20 04:39
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

79 :世界@名無史さん:03/04/20 22:21
>>57 超亀レススマソ
蘭語のuiは[oe]で、[e]はあいまい母音になるから。
ところでその辞書は何ですか?
ファンダーレは発音記号載ってないんだよな〜。


80 :世界@名無史さん:03/05/04 10:59
age

81 :世界@名無史さん:03/05/18 22:05
age

82 :山崎渉:03/05/21 22:10
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―

83 :世界@名無史さん:03/05/23 08:42
age

84 :山崎渉:03/05/28 15:14
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

85 :世界@名無史さん:03/05/29 02:46
やがて、ポルトガルの国力が衰え、香料諸島の支配者はオランダに変わります。ナツメグは、
バンダ島でしか栽培されていませんでした。オランダは、原住民をすべて餓死で絶滅させます。
オランダからの移民によりナツメグを作り、直接貿易による利益の独占を図ります。
http://members.tripod.co.jp/j_coffee/tamatebako.html

86 :世界@名無史さん:03/06/10 08:21
age

87 :世界@名無史さん:03/06/10 18:23
オランダの奴らは、わざわざ訪問した昭和天皇に卵を投げつけたり、
天皇が植樹した木を引っこ抜きやがった。

88 :_:03/06/10 18:26
http://homepage.mac.com/hiroyuki44/hankaku06.html

89 :世界@名無史さん:03/06/10 18:52
オランダの醜い歴史、ってスレは作らないのか? w
イギリスよりオランダの方が何百倍も反日だぞ?
オランダは黒人含め有色人種差別もひどい。
サッカーの代表チーム内の差別なんかもろだ。



90 :世界@名無史さん:03/06/10 19:16
天皇も行かなきゃいいのに

91 :とも:03/06/10 19:17
みてね〜♪
http://www1.free-city.net/home/s-rf9/page002.html

92 :世界@名無史さん:03/06/10 19:31
戦犯天皇に卵投げたり木を引き抜くのは当然だろ。
日本の恥だよ、ヒロヒトのしたことは。
天皇制は存続してもいいけど、ヒロヒトは許せん。

93 :  :03/06/10 19:41
マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるのか?その8
http://natto.2ch.net/mass/kako/1011/10115/1011522150.html

583 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 02/03/05 15:33 ID:A9o87Nml
フジテレビの10時からの番組は、この一つ前の
『どうなってるの』の時からして最悪。私の個人情報を使って、
丸一本「恐怖のサイテー女」とかいった特集を組みやがった。

素人投稿を騙っては、そのもの自体は必ずしも私とは
言いかねるようなものに、同じ名前、同じイニシャルを当てはめたり、
盗聴・盗撮をしているから分かるのであろう様子のほのめかしを
所どころに散りばめては、出演者総出で「サイテー、サイテー」を
連呼していた。

あざとさ極まったことをしながらも、司会者のY・Tと掛け合って、
私の個人情報をボロクソにこけ落としながら大笑いしていた
局アナのN・K(かな?)のけたたましい声が今でも耳から離れない。
仕事だから仕方がないのかも知れないけれど、
ここに出ている者はサイテー最悪の盗聴者。

でもここでの書き込みが筒抜けだからか、
最近は一頃の悪意に満ちたほのめかしが少なくなっている。
しかも明日の項目は「心の〜」だって。

この枠での私への盗聴ほのめかしは、とりあえずのところ
「許せない、とんだ賠償請求」みたいな感じの特集が最後となっている。        
賠償を意識せざるを得ないほどに、本当はヤバい盗聴・盗撮と、
そこから得られる個人情報の悪用ですものね。


94 :オレンヂ通信:03/06/11 01:53
死期を悟ったマウリッツは弟のフレドリク・ヘンドリクを呼んだ。
M「藻前チョト嫁もらっとけ。」
F「ハァ?」
M「だからサ、藻前がケコーンしないと名門オラニェ家が絶えちゃうでショ。」
F「なんで? 兄ちゃんがすれ? 例の愛人、籍に入れろ。」
M「漏れもそうしたいヨ。けどアレはヘーミンでショ。」
F「なら従兄弟らに任せろ?」
M「漏れあいつら嫌〜い!」
F「漏れも。」
M「そ〜ゆ〜わけで藻前しかないんだわ。」
F「メンドクセ-から今付き合ってるのでいいスか?」
M「OK。無問題デス。」

というわけで当時41歳のフレデリク・ヘンドリクは、
22歳の愛人アマリア・ファン・ゾルムスをヨメにする事になった。
彼女は当時オランダに亡命していたボヘミア王妃エリザベートの侍女の一人だった。
紛れもない玉の輿である。

95 :オレンヂ通信:03/06/13 21:41
三弟のフリードリッヒは「怒れる若者」の代表だった。
さしたる財産分与に与らなかった彼は、己の腕で世渡りしなければならず、
乱世の到来は、彼の目には好機の到来に等しいものとして映ったはずである。

実は「オランダ反乱」の初期において、
沈黙公とフリードリッヒは、必ずしも同じ舟に乗っていたわけではなかった。
枢機卿グランヴェルを代理人とするフェリーペ2世の中央集権化の動きに対して、
ブルゴーニュ公国以来の伝統的な政治機関〜顧問会議の発言力の強化をはかること。
これが大貴族の一人としての沈黙公の政治路線だった。

一方フリードリッヒは、現状に不満を持つ中小貴族を集めて「貴族同盟」を結成し、
1566年4月、執政・パルマ公妃マルハレーテへの請願を行った。
中小貴族の低地諸国全17州レベルでの政治参加を促す動きであるが、
これは伝統的国制からの明らかな逸脱である。
マルハレーテ側近のベルレイモン伯が、この身の程知らずな貧乏貴族の集団に対し
「乞食」呼ばわりしたのも、全く無根拠だったわけではなかった。

96 :オレンヂ通信:03/06/13 21:56
この「乞食(=gueux)」発言は、実はフランス語である。

ブルゴーニュ公国以来、宮廷の標準言語はフランス語であり、
フリードリッヒらの請願もフランス語でなされた。

沈黙公の場合は、ネイテイヴ・ランゲージは低地ドイツ語であり、
宮廷ではフランス語を操り、ブレダの地元民と話すときはオランダ語を用いたと考えられる。
彼の場合は他に、ラテン語・スペイン語・イタリア語も出来たらしいが。

97 :オレンヂ通信:03/06/13 22:01
>>95-96
思いっきり「フリードリッヒ」と書いているが、
「ルートヴィヒ(orロデウェイク)」の間違いでつ。

98 :オレンヂ通信:03/06/14 23:53
1568年、アルバ公打倒を目的として、沈黙公は4方向からのネーデルランド侵攻を計画した。
この時フロニンゲンからの侵入を担当したのが三弟ルートヴィヒである。

5月23日、彼の率いる歩兵2000騎兵300の軍は、
州総督アレンベルク公の率いる歩兵2000騎兵400の軍と、ヘイリヘルレーで衝突した。

「テルシオ」を含むスペインの精鋭に対して、ルートヴィヒは防御的な戦術をとった。
後方と側面を森で守られた小高い丘に布陣し、前面に火縄銃兵、その後方に槍兵を配置した。
森には予備兵を伏兵として隠した。
丘の前方は、畑と泥炭地が水路で仕切られた地形になっており、
敵方面から丘へは1本の道が通じていた。
ルートヴィヒはまた、自軍中央、すなわちこの道の上に、
四弟アドルフの指揮する騎兵を配置していた。

99 :オレンヂ通信:03/06/14 23:55
反乱軍を全く舐めきっていたアレンベルクは、
適当に野戦砲を数発発射し、敵軍に乱れが生じたと判断すると歩兵に総攻撃を命じた。

だが、この命令はむしろスペイン軍を混乱させる結果になった。
というのも、泥炭地を進むものと中央の道を行くものとの間で
ラインの前進速度にズレが生じたからである。
(この辺の事情は我が国の「沖田畷の合戦(1585年)」に酷似している。)

これを見たルートヴィヒは反撃を命じた。
槍兵は前進し、伏兵が側面を衝いた。アドルフの騎兵は敵を寸断し、追撃した。

ヤククソになったアレンベルクは残存騎兵で突撃を敢行した。
乱戦の中、彼はアドルフと遭遇し、ピストルで撃ち合い、
(というのも当時の騎兵は、2丁ピストルで武装していたからであるが)
両者相打ちになった・・・・・と伝えられている。
アドルフの享年は28歳。

100 :オレンヂ通信:03/06/15 00:00
無敵スペイン軍に対する完勝と、アドルフの英雄的な死は
ヘイリヘルレーの戦いを伝説的なものにした。
この戦いは「80年戦争」の始まりであり、1568年5月23日は「我が国民が生まれた日」であると、
かつては(今も?)、オランダ国民によって見なされていたという。

だが、ルートヴィヒの勝利は、沈黙公に課せられた当面の問題を決して解決しなかった。
期待されていたフロニンゲンでのオラニェ派の蜂起は戦勝にも関わらず起こらなかったからである。

また、ドイツからリンブルフへ侵入した軍は、4月にダルヘイムで、
フランスからアルトワへ侵入したユグノー軍は7月にサン・ヴァレリーで、
それぞれスペイン軍に破られていた。
つまり68年の四道並進策は早々に挫折していたのである。

101 :オレンヂ通信:03/06/15 23:49
ヘイリヘルレーの敗戦を知ったアルバはフロニンゲンへ急行した。
が、不在中に予想される反スペイン派の蠢動を押さえるために一発カマシを入れておくことを忘れなかった。
長らく拘束していたホールネ伯とエフモント伯を、6月5日にブリュッセルの市場に引き出し、首を切ったのである。
行きがけの駄賃、というのはちょっと違うか?
出陣前の景気づけである。

102 :オレンヂ通信:03/06/19 00:25
かつて「雪隠で首をくくった」と評された宰相がいたけれど、
ルートヴィヒにとって1568年7月21日のイェミンゲンの戦いは、まさにそのような結果に終わった。

北に向かったアルバ公の軍は歩兵12000(うちテルシオ三個連隊6000)、騎兵3000の精鋭だった。
対して反乱軍は歩兵10000、騎兵2000・・・・というが、この数字はよくわからない。
実数は半分から2/3程度ではないか?

まともに戦っては利がないと考えたルートヴィヒは、またもや防御的な戦術を取ることにした。
エムス川の屈曲点、三方を川で守られた半島状の地形、イェミンゲンに陣を布いたのである。
陣地の前面にはトレンチを掘り、その後ろに歩兵を左右に分けて配置し、さらにその後方に騎兵を置いた。

こうして退路を断ったことに対して、ルートヴィヒには結果的に非難が浴びせられることになるが、
これには弁解の仕様が無いわけでもない。
志気も練度も低いドイツ傭兵にカツを入れるには、「背水の陣」も古典的な方法の一つだからだ。

103 :オレンヂ通信:03/06/19 00:29
これに対してアルバ公もまた、古典的な手を用いた。
「釣り」である。

本隊をエムス川上流方面〜半島部の付け根方面に隠すと、
アルバは少数の火縄銃兵と騎兵からなるおとり隊1500をトレンチの前面に進出させ、
銃火を敵陣に加えさせた。

ルートヴィヒは歩兵の半数を率いて陣地から出撃し、この目障りな「おとり部隊」の排除に向かったが、
攻撃に掛かるか掛からぬうちにスペイン軍本隊が現れた。
(彼も当然「釣り」の可能性に気づいていたので、斥候をエムス川上流に送ったが、
アルバの隠蔽が完璧だったため、本隊の存在にはついに気づかなかったのである。)

ルートヴィヒは慌てず、陣地への退却を指示したが、練度の低い反乱軍はパニックに陥った。
さらに混乱に乗じてスペインの「おとり部隊」が陣地へ付け入った。

運良くエムス川を泳ぎ渡れた少数の者(その中にはルートヴィヒも含まれたが)を除いて、
ほとんどの反乱軍が袋の鼠となった。死者は7000人に及んだ。

余談。
エムス河口のエムデンは、当時、国際的なカルヴァン派の牙城の一つであったが、
その市民は、エムス川を大量に流れてきたつば広のフェルト帽を見て、反乱軍の敗北をいち早く知ったという。

104 :オレンヂ通信:03/06/27 23:13
オランダ国歌ウィルレムス、第一番

Wilhelmus van Nassouwe
Ben ik van Duytschsen bloedt
Den vaderland ghetrouwe
Blijf ik tot in de dood
Een Prins van Oranje
Ben ik vrij onverveerd
Den Koning van Hispanje
Heb ik altijd gheeerd

漏れはナッサウのウィレム。
ドイツの生まれでつ。
だけど祖国にゃ死ぬまで忠実でつ。
漏れはオラニェ公。
スペイン王上等だぜ。
ずっと今までマンセーしてたけど。

105 :オレンヂ通信:03/06/29 21:35
フレドリク・ヘンドリクはオラニェ家の「王朝化」政策として、
英国王チャールズ1世の娘を息子ウィレム2世のヨメに迎えることに成功したわけだが、
嫁・メアリー・スチュアートと姑・アマリア・ファン・ゾルムスの仲は極めて悪かった。

序列の厳しさでは体育会系や任侠界並の定評がある近世貴族社会。
姑は貧乏貴族の出身であるから元々勝ち目はないのであるが、
政治手腕の点では姑が嫁を上回り、
嫁の金看板であった「王家の血筋」も、英国内乱(=ピューリタン革命)でかなり威光が薄れたので、
話はかなりややこしくなった。

たとえば・・・・
ウィレム2世が若くしてポックリ死んだ後に生まれた遺児の命名を巡って二人の女は争った。
姑はオラニェ家の特有名である「ウィレム」を主張し、
嫁は、実家の兄や父と同じの「カーレル(=チャールズ)」を言い張った。
結局、前者の言い分が通ったわけだが、
下手をすると、名誉革命は「チャールズ3世」によって主催されていた可能性はある。

106 :世界@名無史さん:03/07/05 02:58
>>105
>メアリー・スチュアート
わかりにくいのでメアリ2世と書くように。

107 :世界@名無史さん:03/07/06 19:56
オランダとインドネシアとの関係だけど、
1873〜1912年にアチェ戦争というのがあったね。

オランダの脅威にさらされたアチェ王国が、トルコ、イタリア、アメリカ、
イタリアと秘に外交交渉を持ち、これら列強の介入を恐れたオランダが、
1873年にアチェ王国に宣戦布告、侵略を開始。

108 :山崎 渉:03/07/15 12:46

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

109 :なまえをいれてください:03/07/17 18:49
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。

110 :オレンヂ通信:03/08/01 21:00
>>106
いわゆる英国女王メアリー2世は、ジェイムズ2世の娘で、ウィリアム3世のカミさん。
>>105で言うメアリー・スチュアートは、ジェイムズ1世の娘で、ウィレム2世のカミさんで、ウィリアム3世のおかん。
・・・です。

>>66
テュレンヌ元帥が
>早々にカトリックに改宗し、
というのはウソやな。
彼は1668年、57歳の時に改宗しているから。

>>69
>オランジュはsovereign principality、
>すなわち、「記録を溯る限り何者の封土にもなったことのない領地」であったが、
これも「記録を遡る限り」というんがウソやろな。
オランジュをprincipalityにしたのは、どうやらフリードリッヒ・バルバロッサらしい。
詳細は不明。

sageでも書きこんどきゃ落ちんのだろ?
・・ということで訂正でした。

111 :オレンヂ通信:03/08/27 01:51
68年の戦役が失敗に終わったナッサウ兄弟は、部下を食わせるため、
また、彼らが反スペイン闘争に必須と考える外部の「支持」を得るため、「出稼ぎ」に出た。
宗教内乱に揺れるフランスでの、ユグノー方への参戦である。
そしてその過程で、ルートヴィッヒは、1569年10月3日のモンコントゥール会戦に参加することになる。

この会戦におけるルートヴィッヒの逸話は二つ伝えられている。
第一に、ユグノー軍右翼を指揮していたルートヴィッヒは、
布陣の段階で、ユグノー側総指揮官コリニー提督に左翼への増援を依頼され、
自らノコノコと本陣に協議に赴いたところ、
その間に戦闘の火蓋が切られ、一次的に指揮官を見失った右翼はイニシアチヴを奪われた・・・・というもの。

第二に、会戦初期に負傷退場したコリニーに代わって、ルートヴィヒが指揮をとることになったが、
彼は、戦況を打開すべく騎兵を率いて王党軍左翼に突入するも、スイス歩兵と敵騎兵予備によって撃退され退却、
戦場に残されたユグノー歩兵は、いいように鏖殺された・・・・というもの。

どちらの挿話も、ルートヴィヒの武将としての手腕に疑問を抱かせるのに十分である。
残念ながら彼は一流のアジテーターではあっても、二流の軍人でしかなかった、ということになる。

112 :オレンヂ通信:03/08/27 02:06
いったい、騎兵屋には、騎兵の突撃によって一挙にコトを決したいという欲望が抜き難く存在する。
古い例ではアレクサンドロス大王の名を上げることが出来るが、
「貴族の矜持」が、大砲と小銃によって脅かされつつあった初期近代には、
成功例・失敗例含めて、このような「珍走体質」の持ち主は、ルートヴィヒ以外にも、枚挙に暇がない。

ロクロアで、スペインのフランドル軍にとどめをさした大コンデ。
ネーズビーで、敵軍キャンプの略奪に夢中になり戦機を逸したプリンス・ルパート。
「彼は大変勇敢に戦った。しかし、何故彼はそのような羽目に陥ったのか?」
と、好敵手のパルマ公に評されたアンリ4世。

・・・そして、リュッツェンに斃れたグスタフ・アドルフも、
残念ながらこうしたDQN武将の例に漏れず、と言ったところである。

113 :オレンヂ通信:03/09/06 12:58
沈黙公が反乱側の指導者だったことは、「海乞食」の発展にとって一つの大きなメリットをもたらした。
当時の慣習では、letter of marque(私掠許可状)を出せるのは、主権のある君主に限られていたが、
沈黙公は主権邦・オランジュの君主としてそれを行うことが出来たからである。


114 :オレンヂ通信:03/09/14 01:14
ネーデルランドかネーデルラントか?

まあ、たしかにNederlandは「ネーダーラント」の方が近い発音なんだろうが、
あそこらへんの地方、すなわち低地諸地方は、
Netherlands(英)、Pays-Bas(仏)とあるように、本来複数形で呼ぶのが正しい。
するとNederlanden、ということになるが、
オランダ語では-enで終わる語はしばしばnが落ちて、曖昧母音だけが残る。
したがって「ネーダーランデ」または「ネーダーランド」でいいのだ。

・・・という話が、
川口博「身分制国家とネーデルランドの反乱」
に1章を費やして書かれている。

それで、まあ、やや玉虫色な解決だなと思いつつも、
漏れは「ネーデルランド」を使用することにしている。

115 :世界@名無史さん:03/09/16 00:46
つまり、どっちつかっても間違いではない、と・・・

116 :世界@名無史さん:03/09/17 03:03
でも、Nederlanden は、オランダ・ベルギーあたりの地域(低地地方全体)を
総称して使う場合もあるよ。

漏れは紛らわしいので慣用的な「ネーデルラント」を使っている。
オランダ史の桜田美津夫も、最初のうちはネーデルランドとか
ネーデルランデンという表記を使っていたけれど、
最近はネーデルラントを多用しているような気がする。

ちなみに、オランダの最初の名称は
de Republiek der Verenigde Nederlanden
これってどの資料が初出なのだろうかと、素朴な疑問。
ウェストファリア条約の締結書とかなのだろうか・・・

117 :世界@名無史さん:03/09/17 06:51
>>116

Netherlands = 普通名詞ということですね
英語で国名(固有名詞)として使うときに "the" Netherlands という理由が解った。
会話では Holland で通してる人が多い気がするけど。

なお、アウトバーンからオランダに入るとき、国境に日本で言う「佐賀県」みたいなちょっとした道路標識があるんだけど、
Netherlandと書いてあるの。単数形。政府は単数形で読んでほしいらしい。


世界史じゃないからsage

118 :世界@名無史さん:03/09/20 14:25
  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ
  /   ,――――-ミ
 /  /  /   \ |
 |  /   ,(・) (・) |
  (6       つ  |
  |      ___  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |      /__/ /  < なわけねえだろ!!
/|         /\   \__________



119 :世界@名無史さん:03/09/20 17:39
エロ本みたいなハンドルだな。


120 :世界@名無史さん:03/09/20 20:18
  >>96
オランダ人は英語をしゃべるのが得意
特に最北のフリースランド州の母語は、オランダ語より英語に近い
但し、ドイツ国境近くでは、ドイツ語の方が得意である

121 :オレンヂ通信:03/09/26 00:47
うぉぉ、定位置に無いから、落っこちたと思ったゼイ。

>>119
つっこみ、thx。
書店で手に取ったことはあるが、買ったことはありません。
最近見かけないけど、廃刊になったのだろうか・・・。


122 :世界@名無史さん:03/10/05 20:50
  今はドイツ相手の野菜輸出もしている

123 :世界@名無史さん:03/10/05 22:01
偉大なるダッチ帝国

124 :嘲卑新聞が書かない真実:03/10/05 23:38
本国がドイツ占領下にあるくせに、つべこべいって我が帝国に石油等の資源の提供を渋り、あまつさえ対米英開戦となるや対日宣戦布告をしたインドネシアのオランダのヤツラが一番悪い!


125 :世界@名無史さん:03/10/06 00:06
もとアムステルダム大助教授横田利勝スケベ親父
こんなやつがいるから日本人はサルなんだ〜


日本軍は天皇、憲兵の名のもとに憲兵が私を家族から引き離し
強姦しました。それから軍医のところに連れていかれました。
医者なら安心だと思い私はジュネーブ条約に違反し強姦されたと
訴えました。
しかしその太った医者は退屈そうに私の話を聞いているだけで
私に近寄ってきて診察室で強姦し始めました。
慰安所に送られ一日に何十人もの日本兵の相手をさせられました。
それから診察を受けるたびにお約束のように軍医に犯されました。
あるときは人がいるのに診察室のドアを開けっ放しで犯されました
、周りの人たちはおもしそうに眺めていました。


オランダ人「慰安婦」ジャンの物語
ジャン ラフ=オハーン[著]/渡辺 洋美[訳]/倉沢 愛子

126 :サム・モリソン:03/10/06 00:08
勇敢なドールマンが海中に沈んだとき、彼の母国の植民地帝国の運命も尽きた。
連合軍は終極的には勝利したけれども、この海戦(ジャワ海海戦1942年2月27日)
での日本軍の勝利の影響を消し去ることはできない。
オランダ人が、これらの美しい島々と移り気な人びとを
二度と支配することはなかった。
「モリソンの太平洋海戦史」より


127 :世界@名無史さん:03/10/06 01:16
フランスやオランダやポルトガルなどの国って、
何だかんだ言っても今現在は昔の植民地に責任をもってる気がする。
勿論19世紀の時点では当時の常識の範囲内で色んな事もあったけど。

128 :世界@名無史さん:03/10/06 10:26
  インドネシアがオランダから援助してもらったことあるの?

129 :世界@名無史さん:03/10/06 10:45
>>128
人口も少なく資源も貧しいオランダが、なんであの広大な肥えた土地を持つインドネシアに援助せねばならん。


130 :世界@名無史さん:03/10/06 11:06
それは実際20世紀初頭のオランダ議会であった議論だよ。

131 :世界@名無史さん:03/10/06 11:30
しかしオランダってすごい国ですね。
あんな小さい国が地球の裏側から、
インドネシアのような広大な土地を何百年も支配していたなんて。
豊臣秀吉が朝鮮半島の占領すら失敗したことを考えたらたいへんなことです。


132 :世界@名無史さん:03/10/06 11:46
 マシンガンが第一次大戦まで欧州内では使われなかったことと無関係ではない

133 :世界@名無史さん:03/10/07 00:11
>131
当時の植民地支配システムっていうのは、最初に軍事力で制圧した後は拠点を支配していただけだから

134 :世界@名無しさん:03/11/11 20:29
オランダは小国
格闘技大国
>>90
太平洋戦争中の天皇を退位させないで、欧州歴訪てのも賢くないな。
招いたオランダ政府も馬鹿なんだが。

135 :世界@名無史さん:03/11/13 23:17
>>133
ジャワのマタラム王国やバンテン王国は属国化しているわけだが

136 :ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :03/12/06 15:36
オランダからの外来語
お転婆,御転婆,オテンバ
恥じらいもなくはしゃぎ回ること(またその人)。特に女性をさす。
語源はオランダ語の飼い慣らせるの意味の形容詞tembbbarに不可能を
示す接頭語onをつけたontembear(オンテンバール)が有力。「転婆」
もあり,「御伝馬」,オテバとする説もある。

137 :世界@名無史さん:03/12/16 14:34
素晴らしい政策と寛容な国民性。
http://www.excite.co.jp/world/url/body/?wb_url=http%3A%2F%2Fwww.drugtext.org%2Flibrary%2Farticles%2Fvlieger.html&submit=%83E%83F%83u%83y%81%5B%83W%96%7C%96%F3&wb_lp=ENJA&wb_dis=3&wb_co=excitejapan

モロッコ系移民の過去&現状について
それかオランダ人の中にあるヨーロッパのなかでも突出した寛容主義の根源にあるものとか
どなたか心あたりのある方。。。
おしえてくんなまし。

138 :世界@名無史さん:03/12/16 18:16
エラスムスの伝統
徹底した現実主義

139 :世界@名無史さん:03/12/16 21:37
http://www.nsjap.com/marco/marco1.html


140 : :03/12/16 23:24
大国オランダは日本が潰したのか・・・
ほんと国際社会でマイナーな国になっちゃったね

141 :  :03/12/16 23:35
オランダ格闘家がわざわざ日本に来るのは過去の復讐心からか?

142 :世界@名無史さん:03/12/17 06:50
>>139
これって・・?

143 :世界@名無史さん:03/12/17 07:20
徹底した現実主義が若者に人気。
特異な観光立国みたいだね。
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/21oversea/1024935055/
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/21oversea/1019676151/
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/ihou/1066948723/

144 :世界@名無史さん:03/12/17 08:45
小党分立の割りに、政策転換の決断の早い国だね。
なぜだろう?

145 :世界@名無史さん:03/12/18 00:29
>>139
オランダでは、こういう言論は自由ですか?

146 :世界@名無史さん:03/12/18 10:32
人種はタブー

147 :世界@名無史さん:03/12/20 06:04
>109
殺すぞキサマ。
>125
嘘を書くな。

148 :世界@名無史さん:04/01/11 14:05
ホモには寛容

149 :世界@名無史さん:04/01/12 11:17
なんでも合法化することによって逆に氾濫するのを押さえるというのは
理論はわかってもなかなか出来る事ではないな。

150 :世界@名無史さん:04/01/12 19:38
いまでも空家占拠権てあるの?

151 :世界@名無史さん:04/01/14 18:31
ガリバー旅行記に「オランダ人はキリスト教徒のくせに踏絵を踏む」って
書いてあったんですが、実際のところどうだったんですかね?
交易のために踏んでいたのでしょうか?

152 :世界@名無史さん:04/01/21 20:09
実利主義者ですからね、彼ら。

153 :世界@名無史さん:04/02/14 17:46
いきなり質問して恐縮ですが、
ベアトリクス女王の夫のタイトルなんですが、
どういうタイトルなんでしょうか。

イギリスのエリザベス女王の亭主は、
エジンバラ公(Duke)というのを作ってもらい、
他にPrinceをもらっているようです。



154 :世界@名無史さん:04/02/14 21:56
>>153
基本的にPrins、日本語では「殿下」かな。慣例的に新しい称号を作ったりしないような感じ。

ベアトリクス女王の夫君はドイツの外交官で貴族ではないらしい。
が、経歴がすごい。ナチと関与しているからね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Claus_von_Amsberg

その前のオランダ王も女王でユリアナ女王。こちらのだんなさんはドイツ出身でメッケレンブルク=シュヴァーリン公らしい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Prince_Hendrik

その前の前の王も女王でウィルヘルミナ女王。こちらのだんなさんはイギリスの公を持っているようだけど
ドイツ出身だし、あくまで形式上のものらしい。ただ正式名が恐ろしく長い。
http://en.wikipedia.org/wiki/Prince_Bernhard_of_the_Netherlands

155 :ツバキ:04/02/15 16:53
オランダはライン河の下流にありドイツでの戦乱を避けてユダヤ人が多かった。
彼らは金融にたけており東インド会社をはじめ多くの株式会社をつくった。17世紀
ギルダーは欧州で一番安定していた。アンネの日記のアンネもユダヤ人、レンブラントの
「夜警」は東インド会社のガードマン。ロイヤルダッチシェルも有名。

156 :世界@名無史さん :04/02/15 16:58
アムステルダムは17世紀において、ユダヤ人(セファルディ)のセンターの
ような役目を果たしていました。
当時イングランドでは、ユダヤ人は非公式にしか存在しなかったことはご存知??

157 :世界@名無史さん:04/02/15 18:22
>>151
プロテスタントだから偶像崇拝はしないんじゃない?
素人っぽい意見だが・・・

158 :世界@名無史さん:04/02/15 18:23
カナダで生まれたのは今の女王だっけ?

159 :世界@名無史さん:04/02/15 22:55
>>155
>レンブラントの「夜警」は東インド会社のガードマン

市民隊は中世から存在していたが、16世紀末に対スペイン戦争のために
軍隊として再編成された。都市内においては、隊員の出身地ごとに中隊が
組織され、警備を行っていた。隊の士官クラスは市参事会によって任命されており、
市民隊が特定の組織に雇われていたということはない。
オランダ東インド会社は、アムス、ロッテルダム、デルフトなど6都市に支社を持つ
連合会社であり、実質的にアムスの支社が資金面で大きな役割を担っていたが、本社はない。

160 :世界@名無史さん:04/02/15 23:10
>>156
オランダにおいても、セファルディナムは市民権を得ることはできなかった。
主にドイツから流れ込んできたアシュケナジムも同様。
ただ、セファルディナムが貿易上スペインといざこざを起こしたときに、共和国政府が
彼らを擁護する書状をスペインに対して発しているので、共和国は彼らの
貿易・金融コネクションをどうしても手放したくなかったんでしょうね。


161 :世界@名無史さん:04/02/16 17:56
ユダヤ人に対する「寛容」問題は、
共和国の主導権をめぐる、カルヴィニストvsレヘンテンの対抗関係も影響してるでしょ。
ユダヤ人(を含めた宗教的少数派)への管理・統制・弾圧を求めるカルヴィニスト。
それへの対抗上、「寛容」を唱えるホラント州の主流派レヘンテン。

162 :きつね:04/02/16 22:35
>>155
>レンブラントの「夜警」は東インド会社のガードマン。
河出書房新社の「世界の歴史」によるとレンブラントの夜警は、
画面にみらる光と闇のあまりにも強いコントラストから誤ってこうよばれているが
元来はアムステルダムの自警団である射手組合からの注文によって描かれたものである。
っとあるな

163 :世界@名無史さん:04/02/16 22:41
原題は<バニング・コック隊長の市警備隊>(1642)ですがな。

オランダの諸都市をスペインから守った市守備隊です。
オランダの独立が1648年ですが、独立戦争の峠は遠の昔にこえたので
多分に儀式的な「出動風景」です

164 :世界@名無史さん:04/02/16 22:47
>>157
宗派は違えどキリスト教徒として、厳しい禁教政策について不満には
思ってたみたいだけど(当時の文章にキリシタンの境遇に同情してる記述が結構ある)、
実利を優先させたみたいですな。

165 :世界@名無史さん:04/02/16 23:45
>>160セファルディナムってなんじゃ。セファルディムの間違いだった。

>>161
そう図式的に捉えることもできないんですよ。
たとえばレンブラントの<布地組合の理事たち>に描かれている5人の男は、
いずれもレヘンテンですけど、カルヴァン派、再洗礼派、など宗派を異にしている
人々が描かれているという研究があります。
アムスに占めるカルヴァン派市民は2割程度ともいわれていますし、
レヘンテンも一枚岩ではなかったということです。

通称<夜警>は、一部では1638年のアムステルダムでの、
フランス皇太后マリア・デ・メディチの入市式の際のものともいわれてます。
決定的な資料はないようですが。
それから射手組合というよりも火縄銃手組合といったほうがより絵画に近いですね。


166 :161:04/02/17 00:58
>>165
だから「ホラント州主流派レヘンテン」て書いてるがな。
ついでに先回りして言うとくと「カルヴィニスト」も一枚岩じゃなくて、
あそこで言ったのはホマルス派(厳格主義)の方な。

大衆レベルでホマルス派のイデオロギー的ヘゲモニーが存在し、
何らかのきっかけでこれが政治的に動員されると、「寛容」問題が争点化される。
だから、「主流派」のレヘンテンにとっては、宗教的マイノリティの「寛容」の問題は、
一次的には大衆のコントロールの問題・社会的秩序維持の問題だった・・・・というのが漏れのポイント。
別に、
>共和国は彼らの貿易・金融コネクションをどうしても手放したくなかったんでしょうね。
これを否定してるわけやないよ。

167 :世界@名無史さん:04/02/17 02:17
>>166
よくわかりました。私はあなたの意見を否定したつもりはなかったのですが。
プライスなどが述べていることとほぼ同じと捉えていいのでしょうか。
プライスはレヘンテンが宗教的政治的問題に関して、印刷物などを通じて
情報統制を行っていたといっていますね。暴動の予防策として。
私もレヘンテンvs厳格カルヴィニストの図式についてはある程度理解しています。

ただ、話がずれますが、宗教的寛容については、レヘンテンだけでなく民衆レベルからの視点も
軽視できないと思うのですよ。
1609年のアルクマールの暴動が、レヘンテンによる民衆支配の失敗の例としてよく取り上げられますが、
これは宗教的対立(ホマルスvsアルミニウス)が中流階級にも浸透していた例証ととるべきではないでしょうか。
また、各地で民衆レベルでの宗派間の対立、差別などの例(たとえば再洗礼派に対して)もあります。
「寛容」について述べる場合、単に上位階級の対立あるいは問題として捉えることに対しては、
少々疑問が残ります。


168 :ツバキ:04/02/17 19:24
>>162
夜警のモデルは東インド会社の雇われならガードマン、市の職員なら公務員。
どっちなのか知りたい?

169 :166:04/02/18 00:47
プライスってJ.L.Price? すまんけど・・・ちょっと覚えとらんなあ。
ただ社会的な安寧秩序の議論を「寛容」と結びつける発想は同時代的には珍しくないのと違う?
フランスのポリティーク派なんかの主張とも似てると思うけど。

>「寛容」について述べる場合、単に上位階級の対立あるいは問題として捉えることに対しては、
>少々疑問が残ります。
それはそのとおりだと思います。
当時のような寡頭制のもとでは、レヘンテンの政治的対応にまず目がいくのは仕方ないことだと思うけど、
宗教的マイノリティ(のインテリ)の間では、もっと真面目な「寛容論」なりヘブライ愛好趣味なりあったわけだし。
また民衆のもっと底辺のレベルでも、ただ統治の客体として「寛容」を受け入れていたにすぎないのか、という疑問は確かにあり得る。
それとも同時代の欧州各国とは異なった、異分子を許容するような社会的結合様式が存在していたのか、とか、
まあその辺になると漏れには全然わからないことだけど。

170 :世界@名無史さん:04/03/09 11:05
さまよえるオランダ人あげ

171 :世界@名無史さん:04/03/09 19:02
ホイジンガあげ

172 :世界@名無史さん:04/03/09 22:29
オランダの宗教的「寛容」といえば、エラスムスの理念と結び付けられることが多いけど、
実際のところはどうだったのでしょうか。
後付けの理屈にすぎないのかな。

173 :世界@名無史さん:04/03/09 23:15
そういや、エラスムスの船首像は日本にもあるんだよね。

174 :世界@名無史さん:04/03/09 23:24
デ・リーフデ号の船首じゃなかったっけ

175 :世界@名無史さん:04/03/10 00:06
リーフデ号の船尾らしいよ。
貨荻尊者(かてきそんじゃのてきは草冠無しね。
栃木県竜江院というお寺に伝えられ、現在は上野の国立博物館で重文だそうで

176 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/10 00:08
>>175
江戸時代には夜中に歩くとか妖怪扱いされたそうで。「おらんだえびす」とも。

177 :世界@名無史さん:04/03/10 00:24


    デ ・ ロ イ テ ル 将 軍 マ ン セ ー 




178 :世界@名無史さん:04/03/10 05:41
誰かガバとロッテルダムテクノの違いを語って

179 :世界@名無史さん:04/03/10 11:44
デ・リーフデ号はその以前の名前がエラスムス号だったわけで。
エラスムスは当時の思想界のスーパー・スターいうけど、
どんなひとだったんだろ

180 :世界@名無史さん:04/03/10 23:16
エラスムスはラテン語を国語とするコスモポリタン人だから、
彼の寛容をオランダ一国に関連するというのは違うと思う。

どっちかといえば、「蘭学事始」書いた杉田玄白同様、商売上手で虚栄心ばりばりの
文筆業だけど、ルターみたいな粗野な修道士の宗教改革はバカにしてたらしい。

オランダと人文主義者の共通点は「神を必要としない商売上手」ってとこ?

181 :世界@名無史さん:04/03/11 23:55
よくわからないけど、ホイジンガはエラスムスとオランダとの結びつきを強く意識していたようで。
特に第二次世界大戦前夜に著した文章で、エラスムスの寛容理念を引き合いに出して
ファシズムやナチス批判をおこなってますねぇ。「戦争と平和の法」のグロチウスではないところが面白い。
んなわけで、エラスムスとオランダとの関連性が人口に膾炙していった遠因のひとつには
彼の著作が影響しているのではないか、などと妄想してみたり。

182 :153:04/03/14 15:55
>>154
早速ご回答いただき感謝します。
>「Known as "Prins Claus" in the Netherlands, ・・・」という表現だと、
正式にプリンスという称号を認めたというより、慣例でそう呼んでいるような感じですね。
どうなんでしょう?????

逆に、君主が国王で、夫人がクイーンのときは、「Kown as ・・・」なんて言い方しないと
思われるので、その場合は、正式にクイーン(王妃)だと思いますけど。

>Claus George Willem Otto Frederik Geert jonkheer von Amsberg
ですね。
確かに爵位はないし、貴族としての生活をしている人ではないんだと思いますけど、
「von Amsberg]という、VONが付くので、古く古くは貴族っぽい(何が貴族か定義はないけど)
ような気もします。身元は確かな家なんだと思います。

183 :世界@名無史さん:04/03/14 15:59
オランダのアホ女王は訪日中に宮中晩餐会で、こともあろうに
「日本はインドネシアで虐待したオランダ人に補償しなければならない」とのたまった。
何ぬかしやがる。てめえらは、インドネシア、インド、スリナムで何をやってきたんだ。
しかも黄色人種に植民地を追っ払われた悔しさから、大東亜戦争後インドネシアを再占領しようとしてやって来て、旧日本軍が教育したインドネシア軍にケチョンケチョンにやられた。
よっぽど悔しかったんだろうね。アホ女王。


184 :世界@名無史さん:04/03/14 17:09
しかも、インドネシアが独立した時に莫大な落とし前を払わせたとか。


185 :世界@名無史さん:04/03/14 17:54
>>177
デ・ロイテルって将軍じゃなくて提督じゃなかったかな?

186 :世界@名無史さん:04/03/14 19:22
>>182
リンク先のサイトには、第二次大戦まで父がタンザニアで「農園」を経営していたが、
クラウスとその姉妹はニーダーザクセンの祖父母の「荘園」で成長したとある。

「フォン」がつくことから考えても、やはり貴族っぽい家系の出身なのだろう。

187 :世界@名無史さん:04/03/20 03:33
スレの最初の方にオレンジ自由国はオレンジ川から取った名前と書いてあるけど、
オレンジ川自体がオラニエ家から取ったのでは?

188 :世界@名無史さん:04/03/21 08:42
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040320-00000174-kyodo-int

ユリアナ前女王死去 オランダ

 ユリアナ・ルイーズ・エマ・マリー・ウィルヘルミナさん(オランダ前女王)
アムステルダムからの報道によると、20日早朝、肺の疾患のため同国
中部にあるスーストダイク宮で死去、94歳。
 1909年4月30日ハーグ生まれ。37年にベルンハルト殿下と結婚。
ドイツのオランダ侵攻で一時英国などに逃れ、45年にオランダに戻った。
ウィルヘルミナ元女王の跡を受けて48年に即位。80年の誕生日に長女の
ベアトリックス現女王に譲位し、引退した。
 在位中は自転車を乗り回すなどの庶民性で国民に親しまれ、
前女王の誕生日の4月30日は「女王の日」として現在も祝日となっている。
(ブリュッセル共同)(共同通信)
[3月20日22時23分更新]


ご冥福をお祈りします。。。


189 :世界@名無史さん:04/03/21 12:47
第一次大戦の時は何してたの?

190 :世界@名無史さん:04/03/22 01:41
>>189
中立。戦後、ヴィルヘルム2世の亡命を受け入れた。

191 :世界@名無史さん:04/04/01 19:20
ここ人少ないね

192 :世界@名無史さん:04/04/10 15:51
オランダ人は世界最長身国民なので、2chその他の身長スレ・
掲示板に張り付く「背を伸ばしたい」と考えるティヴィの間では
            神
となっている。

193 :世界@名無史さん:04/04/12 22:06
南アのオランダ系白人(アフリカーナ)はイギリス系白人に対して劣等感を
持っているんだって。
自分達の方が劣っていると。

194 :世界@名無史さん:04/04/12 22:15
オランダ語だから、英語習得は容易ではないか?(。・_・。)ノ

195 :世界@名無史さん:04/04/13 03:53
オランダ人の多くは英語が達者。

ところで、オランダの公文書史料館って、どこなの?
利用は簡単にできる?

196 :世界@名無史さん:04/04/13 22:18
たぶんここ
http://www.nationaalarchief.nl/

昔はRijksarchiefdienstって名前だったはずだけど組織変えしたのかなぁ

197 :世界@名無史さん:04/05/03 16:36
<Q4>
オランダが、日本との戦争中に受けた被害について、補償を要求しているようですが、そうした戦後処理はもう終わっているの
ではなかったのでしょうか?

<A4>
・・・・・・
オランダとの終戦処理は1951年のサンフランシスコ講和条約と1956年の二国間賠償協定を結んだ結果、日本は、軍人捕虜に
対する補償と民間人への見舞金など、当時の換算で約48億円(現在の価値になおせば、1400億円を超える)を支払い、決着させました。
これは、敗戦後の貧しかった日本にとって、決して安い額ではありません。

なお、その二国間協定(日蘭議定書第三条)にはこう記されています。

「オランダ王国政府は、同政府又はオランダ国民が、第二次世界大戦の間に日本国政府の機関がオランダ国民に与えた苦痛について、
いかなる請求をも日本国政府に対して提起しないことを確認する」

つまり、現在オランダがさらなる「戦争犠牲者への補償」を求めることは、日本国政府の賠償はすべて終了し、オランダ側はいかなる請求も
提起しない、というこの協定を意図的に無視しているのです。それにもかかわらず、いまだに謝罪や賠償を要求してくるのは、法治国家として、
はなはだ不当なことなのだ、いう認識がわたしたちにはあるでしょうか。

http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A04.html

198 :世界@名無史さん:04/05/20 10:53
age

199 :世界@名無史さん:04/05/20 11:20
江戸期に友好関係のあるオランダに対しては戦争するべきではなかったとおもう。
蘭印石油は交渉で入手できそうだったようだし・・・

200 :世界@名無史さん:04/05/20 17:45
>>199
亡命政権がイギリス政府にガードされ、
まともに交渉できなかったんじゃなかったっけ?

201 :\(○m○)/:04/05/20 18:48
先に宣戦布告したのは、オランダ亡命政権だぞ。(1941.12.10)
大日本帝国が彼らに受けて立ったのは、その一ヶ月後の1942.1.11のことであった。

202 :世界@名無史さん:04/05/22 01:30
>>201
そうなの?「米英蘭に宣戦布告」っていう新聞の見出しは嘘だったのか

203 :世界@名無史さん:04/05/22 01:41
オランダは英国の属国みたいなもんだわな、、英蘭戦争以来そう。
そんで英国は第二次大戦以降米国の属国になったと、、ということでオランダは米国の孫属国

204 :世界@名無史さん:04/05/22 20:27
ドイツで思い出したけど、ドイツ人は最悪だね。
とても傲慢でアジア人に対する差別がすごい。
なにげにアジア人を卑下した含みを持つ発言するところがむかつく。
俺の女友達(顔は可愛い。高級ブランド物は持たないタイプ)が
ドイツ語勉強してて、憧れのドイツに旅行して帰ってきたんだけど
さんざんな目にあったって言ってた。
ドイツ語でアジア人や日本人を馬鹿にした発言したり
罵倒してきたりしてむかついたって。
酷かったのは、広場で見知らぬ金髪青目男にドイツ語で「馬鹿な日本人」と
言われた事らしい。
あと、17、8才ぐらいのガキにワザと肩ぶつかられて、「プッ」って
笑われたって言ってた。
こういう体験を旅行記としてホームページに書こうかなって言ってたけど
絶対書いたほうが良いと思う。



205 : 152です。:04/05/27 19:29
153さま(186さま)

Known as "Prins Claus" in the Netherlands, he was born in Dötzingen (Hitzacker),
as Claus George Willem Otto Frederik Geert jonkheer von Amsberg.

の件ですが、別のスレッドで、JONKHEERについて、教わりました。
これは、ドイツの称号ではないようです。
オランダの、称号で、英国の「えすくわいあ」のようなものだとのことです。

 @オランダ王女と結婚することが決まり、
  箔付け的な意味で、これを、クラウスさんに与えたのでしょうか。

 Aオランダ王女と結婚した時点で、タイトルなし=庶民というのも
  具合が悪いので、つまり、
  「妻が女王で、夫が平民」というのはあまりにアンバランスなので
  与えたのでしょうか。イギリスのプリンスと比べるとだいぶ格が落ちますけど。

 どっちなんでしょう。

206 :世界@名無史さん:04/05/28 02:23
>>205
Wikiで申し訳ないけどAdel(貴族)の項の中に、
爵位のない高貴な者は、jonkheer, jonkvrouwを得る資格を有する。
爵位のある高貴な者は、男女ともに、ridder, baron, graaf, prins の称号を持つ資格を有する。
とあり、
jonkheerの項には、「高貴な一族の中の無爵位の人物に与えられる称号」とありました。(訳適当)
http://nl.wikipedia.org/wiki/Adel

余談ですが、ベアトリクス女王の孫にあたるGraaf Claus-CasimirとGravin Eloiseは、
それぞれ以下のようにも記されていました。
Claus-Casimir Bernhard Marius Max Graaf van Oranje-Nassau, Jonkheer van Amsberg
Eloise Sophie Beatrix Laurence, Gravin van Oranje-Nassau, jonkvrouwe van Amsberg

ridder, baron, graaf, prinsは、イギリスのknight, baron, earl, princeに相当する
ようです。

207 :世界@名無史さん:04/05/28 10:16
貴族の暮らしぶりはどうよ?

208 :世界@名無史さん:04/05/30 17:37
>>206
Graaf Claus-CasimirとGravin Eloiseは、オレンジナッソウ伯爵ということですね。
プリンスプリンセスたちは、自動的にオレンジナッソウ伯を名乗る習慣でしょうか。

 それとも、個別に叙すのでしょうか
 (この二人は、個別のオレンジナッソウ伯になったんでしょうか。
  お祖父さんが、jonkheerを与えられたみたいに)。





209 :世界@名無史さん:04/06/08 00:12
 (⌒'⌒)  _,. -―- - 、(⌒'⌒)
   \,/,.'´ ,        \ /
    //  | |   l!l ヽ.ヽ.  ヽ  (⌒'⌒)
.    /  l |.  | |    l!l |.|-l 、! i   \/
 i⌒'i  l | |, ィ|「i l、 liハハ__し'|  }
  \|  | |イN.バ|_ ゞ 八.r⌒' }八ノ  
.   l. | ト!| 〃^` j  _ゝ - イ    
  i⌒l Vヽゝ.._ ,ノf´ !   ノ   (⌒'⌒)
  \ .l ゝ__ゞ、   ゝノ /)     \/
   (⌒'\_ヽしく〕、‐-┬く_ノL,       
   \/{ `Y´^|>┬トく{_,乂(⌒'⌒)   
     ,ィ'て`Y八_レ'´  ‐ヽ\./
   (⌒'⌒)`Y´く.ノ/    _ニ〕
    \./  `V ̄`ヽ、_ノ´ ,フ}
       |   /    〉_,イ从リ
      |  ./    /´  ゙ヽ|


210 :世界@名無しさん:04/06/11 14:04
さっさと水没してしまえ!

211 :世界@名無史さん:04/06/11 14:06
禿同

まずお前らがインドネシアに払わせた賠償金倍返ししろ!!

212 :世界@名無史さん:04/06/11 14:17
インドネシア人は、今もオランダを許していない。

213 :世界@名無史さん:04/06/11 18:30
ところでオランダの血が入ってる日本人出現きぼんぬ

214 :世界@名無史さん:04/06/16 05:57
宮沢りえ?

215 :世界@名無史さん:04/06/18 00:57
室伏兄妹?

216 :世界@名無史さん:04/06/18 01:03
オランダ商館長ヘンドリック・ドゥフの息子、道富丈吉?

217 :世界@名無史さん:04/06/20 11:24
オランダは、なぜチモール島を中途半端に支配したのか。
他の島のように完全に占領していれば、東チモールの悲劇は起きなかっただろうに。

218 :世界@名無史さん:04/06/20 12:17
ボルネオ島は北部をイギリスが支配、
ニューギニア島は東部をイギリスとドイツ、後にオーストラリアが支配し、
現在の国境のもととなっていますが。

219 :世界@名無史さん:04/06/20 12:22
>>217
ポルトガルが強くて追い出しきれなかったってことでしょ?

220 :旧社会党の自虐左巻きドモが:04/06/20 12:33
十年前の今頃、謝罪決議だ何だとタケリ狂っていたことを思い出すな(W

221 :世界@名無史さん:04/08/03 19:37


222 :世界@名無史さん:04/08/04 00:54
222get

223 :世界@名無史さん:04/08/19 15:57
8月15日付・読売社説

[8月15日]「『BC級戦犯』をも忘れまい」

 しかし、実際の「BC級戦犯」裁判は、東京裁判と同様に、首を傾(かし)げたく
なる内容も多かった。

 とくに、日本降伏後、インドネシアに再侵略したオランダの軍事裁判が乱暴だった、
と言われている。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20040814ig90.htm

224 :世界@名無史さん:04/08/20 13:19
だから謝罪 の必要なし

225 :世界@名無史さん:04/08/26 08:17
オランダの「中絶船」、ポルトガルに向け出航

中絶が厳しく制限されている国の女性達に、
公海上で中絶処置を施すための船が23日、
オランダの港からポルトガルに向け、出航した。
ポルトガル沖の公海上に到着後、約2週間停泊し、
望まない妊娠をしたポルトガル女性に対して、中絶薬の処方などを行う。

船を派遣したのは、
女性の権利向上と危険な中絶の根絶を目指す非営利組織(NPO)「ウィメン・オン・ウェーブズ」。
これまでにも同様の船を、2001年にアイルランドへ、2003年にポーランドへ送り出している。

この船で中絶処置を受けられるのは、妊娠6週間までの女性。
場所は公海上だが、オランダの国内法に基づき、医師が処置を施す。

これまで船を送り出したアイルランドやポーランドは、
ローマ・カトリック教徒の勢力が強く、中絶に対して厳しい制限がある。
これまでの航海でも、卵やトマトが投げ付けられた。
今回のポルトガルもカトリック教徒の力が強く、前回と同様の反発を受ける可能性が高い。

しかし、ウィメン・オン・ウェーブズによると、
世界では危険な違法中絶で、5分間に1人の割合で女性が死亡しており、
不幸な女性を増やさないためにも、必要なことだと強調している。

一方、キリスト教系中道右派党のキリスト教民主勢力(CDA)を中心とするオランダ政府は、
ウィメン・オン・ウェーブズが申請した、妊娠12週間までの中絶認可を拒否することで、
同団体の行動を制限しようとしている。
この件については法廷で闘争中で、ウィメン・オン・ウェーブズは、
政府の締め付けが決まる前にポルトガルへ船を派遣した。

ソース:ttp://cnn.co.jp/world/CNN200408240021.html

226 :世界@名無史さん:04/09/05 23:47
ちなみに、オランダのインドネシア支配は、西洋の植民地支配のなか
でも、典型的かつ最悪のものだったようだ

227 :世界@名無史さん:04/09/06 02:09
江戸時代までのオランダとは
良い付き合いしてたんだけどなぁ

228 :世界@名無史さん:04/09/07 12:21
>>226
具体的にはどんな様子だったの?

229 :世界@名無史さん:04/09/07 12:25
強制栽培制度

230 :世界@名無史さん:04/09/07 21:04
確か唐辛子も、特定地方の一品種しか認めなかったそうだ。

231 :世界@名無史さん:04/09/08 00:25
800万人死んだベルギー王領コンゴ自由国に比べれば全てがかわいく見える。

232 :世界@名無史さん:04/09/08 00:28
「ゴディバのチョコは生き血の味」ってやつですか。

233 :世界@名無史さん:04/09/08 04:56
徹底的に個人の尊厳、自由に任せるっていう国に見える。
民度高くないと国がマヒして無理っぽい。

234 :233:04/09/08 04:57
民度→内政面の話でね。

235 :世界@名無史さん:04/10/04 01:24:23
もうオレンジ通信は書かれないの?
楽しみにしてたんで、余力があればギボン。

236 :世界@名無史さん:04/10/11 11:19:40
沈んでましたので保守。

237 :ササキ:04/10/11 11:24:07
>>227
 オランダ東インド会社とおつきあいしていた。年銀55貫のお家賃もらって。


238 :世界@名無史さん:04/10/13 13:14:06
>>215
日本人の父とルーマニア人の母。

239 :世界@名無史さん:04/10/13 15:47:06
教育は進んでるみたいだね。日本の教育ダメポ。

240 :世界@名無史さん:04/10/13 16:08:05
>>21
>>34
柑橘類のOrangeとフランスの地名Orangeとは、偶々発音がおなじだけかもしれないけど、
発音がおなじことを利用して、Orange家を支持していた北アイルランドのプロテスタントが、自分達の
トレードカラーにしたのか?

南アフリカのオランダ系移民ボーア人がOrange河と名づけたのも、故国の王家に因んでつけたのか?


241 :世界@名無史さん:04/10/13 16:56:48
宮沢りえと一条院りなは父親がオランダ人

242 :世界@名無史さん:04/10/13 18:54:13
>>241
宮沢りえも反日女優っぽいな

243 :世界@名無史さん:04/10/14 01:07:41
>>204髪染めてたから反感食らったとか?

244 :世界@名無史さん:04/10/14 02:29:16
白人諸国であっても、江戸時代の関係を考慮してオランダとの間だけは闘うべきでなかった。
蘭印の石油も交渉で入手できかけていたのに、英米と同等の敵と見なしたのは戦略的にも誤りであった。

245 :世界@名無史さん:04/10/14 02:35:42
欧州に極東のような国家概念は通用しない
貴族、庶民混血しまくり国家など法律上の線引きでしかない。

246 :世界@名無史さん:04/10/14 06:19:37
オランダ人でドイツに統一しようとする動きは無かったの


247 :軍神・橘周太:04/10/14 07:04:09
源平藤「橘」は四大姓氏

248 :世界@名無史さん:04/10/15 01:48:15
>>245
つーか今の極東の国家概念が19世紀〜20世紀前半の欧州の国家概念のままになってるだけだろ
もっと昔の極東(中国や周辺)だと時期にもよるが混住混血しまくり(同化というほうが適切か)
日本だけは島国なんで例外だが。

>>246
ない。何故ならドイツ人という意識が明確に芽生えたのが19世紀で、
オランダはそれ以前に独立し神聖ローマ帝国からも離脱していた。

249 :世界@名無史さん:04/10/15 02:13:03
偶々スペイン領であったことがドイツと分かれた
原因

>>248
少なくとも中世以降は極東は鎖国ばっかりで閉鎖的で交わり少ないでしょ?

欧米的国家概念とは異なるが民族、国家間の血縁関係はそれほど高くない。
欧州は古代から現代までずっと混血の歴史

250 :世界@名無史さん:04/10/16 23:10:46
オランダは低地フランク、低地ザクセン、西フリースの3民族というべきだろう。
西フリースだけが、独自民族として意識しているようだが。

251 :世界@名無史さん:04/10/18 00:04:02
堤防が切れたらオランダは全土が海底に沈んで滅亡

252 :世界@名無史さん:04/10/20 19:56:14
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1097731677/l50
↑芸能ニュース板にこういうスレがあった。

ttp://www.degrootstenederlander.pi.net/start.php
↑ここが元のサイトらしい。
「最も偉大なオランダ人」
なかなか興味深いので、17世紀人を中心にチェックしてみた。

まず、トップ10入り。
エラスムス
レーウェンフック(顕微鏡)
ウィレム1世(沈黙公)
レンブラント
デ・ロイテル(提督:チャタムの焼き討ち,1667)

ちなみに、他のトップ10入りは、
ドレース(戦後の首相。福祉国家化を推進。)
ピム・フォルタイン(極右政治家。2年ほど前に暗殺。)
※右と左、正統と異端、でバランスが取れている・・・のか?

アンネ・フランク
ヨハン・クライフ
ゴッホ

253 :世界@名無史さん:04/10/20 20:04:43
12.ホイヘンス
21.スピノザ
24.オルデンバルネフェルト(共和派の政治家。1618年刑死)
26.ピート・ヘイン(提督:マタンサス湾会戦,1628)
28.レーフワーテル(Leeghwater:いわゆる「ポルダー」の開発者)
31.グロティウス
32.ヤン・デ・ウィット(共和派政治家。1672年暴徒により殺害。)
※グロティウスを含めて、17世紀共和派指導者がわりと上位に来ているのが興味深い。

254 :世界@名無史さん:04/10/20 20:16:53
50.タスマン(航海者:タスマニア島)
53.フォンデル(劇作家)
56.バレンツ(航海者:バレンツ海)
63.ヒエロニムス・ボッシュ
66.フェルメール
※レンブラントには水を空けられたな・・・

71.トマス・ア・ケンピス(「キリストにならいて」)
72.ウィレム3世(名誉革命)
73.ハッセラール(Hasselaar:ハーレム攻防戦,1572、で活躍したオバちゃん。)
77.ブールハーフェ(医学者&植物学者。日本人もお世話になりました。)
90.シモン・ステフィン(数学者&築城家)
95.トロンプ(提督:ダウンズの海戦,1639)
※ロイテルやピート・ヘインに比べてこの位置てーのは、オランジストだからか?

255 :世界@名無史さん:04/10/20 20:34:05
112.クーン(バタヴィヤ総督)
124.スウェーリンク(作曲家)
130.P.C.ホーフト(詩人・歴史家。この人も共和派よりの人ですな。)
132.ファン・ローン(東インド会社の設立者)
134.ホイジンガ(※わりと低いですな。)
141.ヤーコプ・カッツ(政治家。どっちかっていうとオランジスト寄りの。)
152.P.ブリューゲル
※ボッシュやブリューゲルは果たして「オランダ」の画家なのか?と。
この辺の感覚は興味深い。

153.フランス・ハルス(人物画家)
167.ヤン・ステーン(風刺画家)
190.ヤーコプ・ファン・カンペン(建築家)
192.ロイスダール(風景画家)

256 :世界@名無史さん:04/10/20 20:48:45
えーと。どこにもないですね。
マウリッツとフレドリク・ヘンドリク兄弟の名前は。

マウリッツは、政敵のオルデンバルネフェルトはおろか、師匠のステフィンにも抜かれておる。
(弟の方も、パシらせていたヤーコプ・カッツの名前は挙げられているのだが。)

「国父」の沈黙公は別格にして、オラニェ家って人気ないんやね。
(実績・能力のわりにはウィレム3世も72位だもんな。政敵のデ・ウィットの遙か後塵を拝しとる。)
オランダ人にとっては、17世紀はやっぱ共和派の時代ってことですかね。

それとも、やっぱ軍ヲタは、どこの国でもマイノリティの賤民ヤローということですか?

257 :世界@名無史さん:04/11/03 22:32:48
オランダの黒人は他の国と違う感じがするけど、どうやって着たの?

258 :世界@名無史さん:04/11/04 02:48:37
オランダの黒人はスリナム系じゃなかろうか。

259 :世界@名無史さん:04/11/04 16:34:38
奴隷?

260 :世界@名無史さん:04/11/04 17:18:22
darouna.

自由移民なんていないだろ。

261 :世界@名無史さん:04/11/05 03:15:54
スリナムに奴隷として移住して、そっから本国に移民したんだろう。
オランダ本国はスリナム・蘭領アンティル・蘭領アルバ出身者とインドネシア出身者で5%ぐらい居る
ついでにスリナムにはインドネシア人がかなりいる。

262 :世界@名無史さん:04/11/07 07:36:33
テオ・ヴァン、ゴッホ(イスラム教の下の女性の処理を批評する映画の監督)は、火曜日にアムステルダムで撃たれ突き刺されました。
数人の人(すべて根本的なイスラム教徒であると考えられた)が逮捕されました。
オランダの副首相Gerrit Zalmは、情報局のためのより多くの資金調達を約束し、二重国籍を持ったテロ容疑者が追放されるかもしれないと言いました。
「私たちはこの種のテロリズムとの戦いをラチェットに上ります」と彼が言いました
オランダの政府当局は、彼らが、自由主義的政治家Ayaan Hirsiアリを殺す脅威を含んでいるヴァン・ゴッホの身体上の未知のグループによって文字が署名されていたのを見つけたと言います。
Hirsiアリさんはヴァン・ゴッホの論争の的になっているフィルム・サブミッション(それはイスラム教を批評した)にスクリプトを書いたソマリ族難民です。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/3987547.stm


263 :世界@名無史さん:04/11/13 14:57:49
>253
オルデンバルネフェルト、結構いい位置につけてるなw

264 :世界@名無史さん:04/12/09 18:56:30



大  帝  国  に  な  り  そ  こ  な  っ  た  国



オシカッタネ
オランダ語が世界に普及していたかもしれないのに

265 :世界@名無史さん:04/12/22 02:38:29
英仏西葡は普及したのにね…ジャワ島あたり蘭語になってもおかしくないと思うんだがなぁ。
結局蘭領とスリナムと南ア(アフリカーンス語)くらいか。

266 :世界@名無史さん:04/12/31 15:40:00
世界大戦で中立国などと世界から嫌われる真似をする程に没落したのは何故だろう?
周りからすれば絶対破滅させる国リストの上位にランクインするのは確実なのに。
スイスみたいに強大な政治力も無い癖に舐めた真似をするからああなる罠

267 :世界@名無史さん:04/12/31 23:31:48
>>255
ホイジンガ低すぎ
トップ10に入ってもおかしくない

268 :世界@名無史さん:05/01/05 07:40:26
 オランダのレムケス内相がスマトラ沖大地震が起きた時にタイに滞在していたのに、被災現場にも行かず、
休暇をとり続けていたことが4日わかった。

 地元紙の報道によると、内相は地震と津波が起きた先月26日、マレー半島の東にあるサムイ島の別荘に
到着。被害を知ったが、自ら内務省に電話をして「私は無事だ。ここで休暇を続ける」と連絡し、そのまま滞在
していた。

 津波ではオランダ人6人が死亡、約230人が行方不明になっている。議会から「捜索の真っ最中に休暇を
楽しむなど信じられない」(野党)と一斉に批判が噴出した。

 内相は「捜索や援助活動を邪魔してはいけないと思った」と釈明したが、5日、被災現場を訪問する予定だ。

http://www.asahi.com/international/update/0104/011.html


269 :世界@名無史さん:05/01/08 15:25:43
邪魔になっちゃいかんだろ

270 :世界@名無史さん:05/01/09 20:33:56
俺の仕事はバケツをこのフックに引っ掛けることで、ごみを収集車に回収するのは
この、収集車の仕事だから、、、、」と、言ってしまうんだな、これが。
(余談だが、オランダのゴミ収集車も、こりゃまた、でかいぞおおおお)
『不幸はつづくよ、どこまでも・・・1』
毎日のように買い物に行っているショッピングセンター。
近くには子供たちの通う幼稚園もある。
そこの駐車場で、なんとつい数日前、発砲事件発生!!おえーーーーーっっ!!
朝の8時。小学生が、登校する時間帯。
何でも、話によると、マフィアがらみの闘争で男性が車の中で撃たれ、死亡。
犯人はまだ捕まっていないそうだ。
場所は、いつも私が止めているちょうど真向かい。
しかも、警察は、目と鼻の先。
その周辺は、マフィア関係者が営んでいる貴金属店が軒を並べている。
そのお店のショーウィンドウがめちゃめちゃに壊されていることは
そう珍しくない。
さらにそのすぐ近くにはユダヤ教の施設があって、
先日、反ユダヤ勢力による、爆弾テロ予告の怪文書が流れたりしたらしい。
http://www.monzen.jp/atopy/oranda/index14.html


271 :世界@名無史さん:05/01/09 20:38:21
『ネコのミヌース』(2001年オランダ)

監督:フィンセント・バル
原作:アニー・M・G・シュミット
出演:カリス・ファン・ハウテン他
公式サイト:http://www.nekonominoes.com/

ある晩、トラックから転がり落ちたドラム缶。
ノラ猫ミヌースは、こぼれた薬品を思わずペロリ。
するとあら不思議、人間の女の子になっちゃった!
行き場もなく困り果てたミヌースは、
引っ込み思案で取材が苦手な新聞記者・ティベの部屋に転がりこむ。
置いてもらうかわりに、街中のネコから聞いた話を教えるミヌース。
ネコ情報のおかげで、ティベは特ダネ記事を連発!
ところがある日、街の有力者のよからぬウワサが聞こえてきて…。

2004年3月27日(土)からポレポレ東中野にて上映


272 :世界@名無史さん:05/01/09 21:08:32
百年戦争の争点のひとつだったフランドルですが、現在のオランダの領土は、
フランドルに属する部分って少しもないでしょうか。

中世繁栄したブルゴーニュ公国ですが、
現在のオランダの領土は、この公国に属する部分ってあったでしょうか。

273 :世界@名無史さん:05/01/10 01:08:51
フランドルは今のベルギー北西部からフランス北部のあたりだな。

ブルゴーニュは、オランダの北部(フリースラント)以外に及んでいたはず

274 :世界@名無史さん:05/01/10 01:20:42
>>272
>現在のオランダの領土は、フランドルに属する部分って少しもないでしょうか。
いわゆるゼーラントの対岸に
ゼーウス・フラーンデレン(Zeeuws Vlaanderen)というオランダ領がある。
ここはかなりの部分、百年戦争当時は海中だっただろうけど。

>現在のオランダの領土は、この公国に属する部分ってあったでしょうか。
ブルゴーニュ公国の最大領域(シャルル・ル・テメレール治世)には、
ホラント・ゼーラント・ヘルデルラントが含まれていた。
これら+α(ブレダとかの北ブラバント州)は、紆余曲折あって、
ブルゴーニュ公国から現在のオランダ王国に受け継がれている地域。

275 :272:05/01/10 01:28:27
スマソ。ちょっとかぶりました。
リロードし忘れた・・・


276 :274=275≠272:05/01/10 01:30:21
スマソ。漏れは272じゃないね。何やってんだか・・・

277 :世界@名無史さん:05/01/12 01:12:02
ネーデルランド→ニーダーラント→<、`∀´>ニダ!

278 :世界@名無史さん:05/01/13 20:28:55
オランダ人はケチだと聞く

279 :世界@名無史さん:05/01/14 02:05:39
割り勘のことをgo dutchっていうしな。

バカンスのときキャンピングカーで移動し食い物もオランダから持ってくから、
中継地や観光地に金を落とさないようだ。

280 :世界@名無史さん:05/01/22 11:42:36 0
江戸時代のオランダ人はどうして
プロテスタントの布教しなかったんだろう?

カトリック側は凄絶な殉教が相次いでいたのに。

281 :世界@名無史さん:05/01/22 12:19:16 0
プロテスタントはね、野蛮人に教えてやるような程度の低い宗教ではないからだよ。

282 :世界@名無史さん:05/01/22 12:27:04 0
特にオランダ人は差別意識の強い民族だからねー。

283 :世界@名無史さん:05/01/22 14:26:20 0
オランダ語ってあるの?

284 :世界@名無史さん:05/01/22 14:26:51 0
島原の乱のキリシタンたちはカトリックなの?

285 :世界@名無史さん:05/01/22 14:27:01 0
杉田玄白ですが何か?

286 :世界@名無史さん:05/01/22 15:11:13 0
杉田玄白って誰ですか?

287 :世界@名無史さん:05/01/22 15:38:26 0
日本語の入門書は何ですか?
岡崎久彦のやつ?

288 :世界@名無史さん:05/01/22 16:17:49 0
杉田玄白さん自己紹介してください

289 :世界@名無史さん:05/01/22 21:37:09 0
>>280
オランダ共和国では、
貧乏人→熱心なカルヴァン派
門閥商人→穏健なカルヴァン派
という棲み分けが出来ていた。
言うまでもなく海外貿易を担ったのは下のグループ。

穏健なカルヴァン派というのは、
よく言えば
「あんまり教義のことで揉めるのやめて仲良くやろうや」(=エラスムス主義)
であり、
悪く言えば
「儲けになるなら誰とでも仲良うしまっせ」(=拝金思想)
ということになる。

290 :280:05/01/22 22:42:13 0
>>289

>穏健なカルヴァン派というのは、
>よく言えば
>「あんまり教義のことで揉めるのやめて仲良くやろうや」(=エラスムス主義)
>であり、
>悪く言えば
>「儲けになるなら誰とでも仲良うしまっせ」(=拝金思想)
>ということになる。

なるほど・・・。
そういう背景があるんですね。
実は自分プロテスタントなもので
280の問いが個人的にも疑問だったんです。

エラスムスは好きだけど拝金主義は良くない。



291 :ジャワ・スラバヤ沖海戦:05/01/22 23:06:43 O
オランダの亜細亜侵略がいかに非道であったか、
大日本帝国のインドネシア解放こそ
大東亞聖戦の重大意義であったことに異論ないはずである!
断じて我が大日本帝国は侵略などしてはおらん!
大東亞共栄圏の独立国は、大日本帝国はじめ、大満州帝国、
蒙古聯合自治政府、中華民国南京政府、フィリピン共和国、
ビルマ、タイ王国、ラオス王国、カンボジア王国、ベトナム帝国、
自由インド仮政府、インドネシア等数多くある。
★赤組左巻や、☆売国負犬どもの腐れ本ばかり読まないで、
もっとまともな勉強せんかい!
───────v─────────
         <_☆_>
         (〇m〇)
       ._φ※:⊂)
     /旦/三/ /|
     | ̄[●] ̄| |
     |大東亞聖戦|/


292 :世界@名無史さん:05/01/23 18:10:48 0
>ゼーウス・フラーンデレン(Zeeuws Vlaanderen)というオランダ領がある。
>ここはかなりの部分、百年戦争当時は海中だっただろうけど。
>>274

 ブレスケンス、テルヌーゼンのある辺ですか。

293 :世界@名無史さん:05/01/28 00:56:16 0
こすいし性格悪いしオランダは最悪
オランダは日本にも第二次大戦の賠償だのを要求してるとか
天皇に謝罪しろとかも言ってたっけな

オランダはヨーロッパの朝鮮だなマジで

294 :世界@名無史さん:05/01/28 06:30:53 0
食品の安全に神経質なドイツの消費者に頭上がらないで、農地を休耕しているし、
エリートの多元的文化主義が裏目に出て国内対立が激化している。

矛先を東洋にそらせる魂胆だろうよ。

295 :世界@名無史さん:05/02/03 15:52:09 0
このスレは悪意に解釈するバカが繁殖して学問板である意義が
なくなっているな

296 :世界@名無史さん:05/02/05 14:49:38 0
鎖国時代に何故オランダを選んだんじゃ?

297 :世界@名無史さん:05/02/05 15:06:25 0
>>291
フィリピンは日本が戦争を起こす前に独立の約束を勝ち取ってる。
他の国々でも独立運動の萌芽はあった。恩着せがましいこと言うな。


298 :世界@名無史さん:05/02/05 15:56:12 0
>>297
>他の国々でも独立運動の萌芽はあった。
戦後独立戦争をしてるのだが?

299 :世界@名無史さん:05/02/06 03:43:39 0
独立戦争をしていることが独立の萌芽があったことの否定にはならないだろ
つーかインドシナやインドネシアが独立できたのはフランスやオランダが疲弊したからで、
(アフリカ諸国の独立と同じ)
その原因は殆どドイツだ。
また幾つかの独立勢力に大規模な援助をしたのはソ連である。

300 :世界@名無史さん:05/02/06 03:56:43 0
自分で書いた癖に、自分でバカが増殖とか言ってりゃ世話ないな。

301 :世界@名無史さん:05/02/06 17:17:30 0
>287
岡崎久彦の「繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える 」は文庫落ちしてるし
まあ、とっつきやすくて手頃かもしれない。

ただ事実誤認が何箇所かあるので気をつけて。
私も自分が専門にしているところしか気がつかなかったけれど、
他にも間違いがあるかもしれないので。

302 :世界@名無史さん:05/02/06 23:33:54 0
>>301
その辺を詳しく教えてください。

303 :301:05/02/12 22:21:04 0
>302
しばらく忙しくてここ覗いてませんでした。まだ見ててくれるといいんだけど。

岡崎久彦の「繁栄と衰退と」には、元本がありましてその本の著者がエリス・バーカー。
これはかなり古い本で、私が資料を漁っていた頃(10年前w)にはもう、
その独断的解釈はまともな批判に耐えないとされていたような本です。

「繁栄と衰退と」には、幾つか事実誤認があったと思うけれど、
今手許に資料が無いので、記憶が確かな例を一つ挙げておきます。
いわゆる「アントワープの虐殺」とか「スペインの暴虐」とかいわれる事件を、
1585年のアントワープ占領時と書いているけれども、これは1576年の間違い。

アントワープは何度も占領されているし、そんなのどうでもいいじゃんと思うかもしれないけれど、
司令官も違うし、76年のは、給与支払停止によるスペイン兵の暴動事件であって、
普通の敵対陣営の都市の占領とは全く違うんですよ。
これがバーカーの元本の間違いなのか、岡崎氏の間違いなのかはわかりませんが。

ちょっと妙な喩えになりますが、
東京は何度も空襲を受けたけど、「東京大空襲」といったら、1945年3月10日のことで
他に空襲された日のことは言わないでしょう?そういう間違いです。

304 :世界@名無史さん:05/02/15 22:24:41 0
オランダは日本とはかなり良い友好関係にあるって外務省のHPにはあったけど違うの?
一部DQNが騒いでるとは書いてあったけど。
オランダ人は、土地も狭いし仲良くなれる気がするんだが。
イギリスよりはよっぽど。

仲良くってのは経済的な意味で。

305 :世界@名無史さん:05/02/15 23:00:09 0
感情的な話でいうならば、
オランダの対日感情はかなり悪いという話を読んだことがあるが。
アジアにおける植民地を失ったのは日本のせいだとかなんとか。

あくまで「きいた話」なので、そのへんよろしくw

306 :世界@名無史さん:05/02/16 00:50:29 0
オランダ人がどれほどのDQNなのか知らない人は幸せだな。
経済的につってもオランダ程度の小国がどれほど経済的な利益をもたらすのか。

307 :世界@名無史さん:05/02/16 01:39:01 0
オランダはEUで7番目ぐらいの経済規模だが…
オランダのジャワ支配は300年に上るので、失って腹が立つ気持ちはわからなくもない。
インドネシア人もどうもDQNだしな。

308 :世界@名無史さん:05/02/19 02:48:10 0
なんで格闘技強いんじゃ?

309 :世界@名無史さん:05/02/19 02:49:10 0
>>307
ヨーロッパで7番目とアジアで7番目だとどっちが貧乏なの?

310 :世界@名無史さん:05/02/19 03:41:44 0
人口の割には経済力あるから裕福でしょう。
しかし、土地が狭いから植民地なくして悔しいというのはわかる。
しかし、オランダの女王は来日したとき、宮中晩餐会のスピーチで
植民地やら捕虜やらの話をやったんだぞ。
フランスでは食事のときに政治がらみの話をするのはタブーになっている。
しょせん、成り上がりの王室。こんなのおいとく国民は馬鹿か。

311 :世界@名無史さん:05/02/19 15:43:16 0
オランダ人は非常識で有名。

>>308
ジムがたくさんあるから

312 :世界@名無史さん:05/02/19 15:53:30 0
日本よりもいっぱいあんの?

313 :世界@名無史さん:05/02/19 16:13:24 0
オランダは国を挙げて格闘技を奨励してますから。
PRIDEはいまいちだけどk−1のほうじゃオランダ勢が圧倒的に強い。

314 :世界@名無史さん:05/02/19 16:15:00 0
>>305
逆にいえば解放戦争だって認めてるわけね。

315 :世界@名無史さん:05/02/19 16:44:32 0
王室としては歴史が浅いが、オラニエ公時代から数えれば名門大貴族だぞ。

316 :世界@名無史さん:05/02/20 02:02:01 0
>>314
結果的にそうなったと言ってるだけじゃないか?
実際そうだし。

>>309
アジア(中東除く)で7番目っつったら貧乏の域に入るぞ(多分インドネシアかタイあたり)
経済力じゃバルカン諸国以外の欧州に勝ち目無いだろう
って今調べたがインドネシアのGDPはオランダの半分ですな…
一人当たりGDPじゃもう比較にならん。


317 :世界@名無史さん:05/02/27 14:56:04 0
グランヴェル枢機卿だか、他の執政側近だか忘れたけど
ネーデルランドの貴族なんて「乞食ども(ゴイセン)」だと言っております。

318 :世界@名無史さん:05/02/28 11:58:26 0
だから乞食党を名乗ったんでしょうな

319 :世界@名無史さん:05/02/28 12:07:46 0
オランダ人は非常識だぞー。
だから俺にはとても住み心地がいい

320 :世界@名無史さん:05/02/28 19:59:38 0
ttp://world-reader.ne.jp/heart-jp-wo/uenishi-030311.html
どうもこのところオランダはアメリカ型の社会を目指しているような印象が
持たれてならない。つまり、平等社会から競争重視の社会へと進路の転換を
図りつつあるような気がしてならないのだ。具体的には、それは効率化を
第一に据えた社会の再編であるといえる。とにかく教育や医療といった
市民社会に直結するような制度がどんどん簡素化され、それとともに勝手の
悪さだけがツケ回しされ始めているのである。これは実質的には生活の質の
低下を意味するものであり、「良質のサービスを求めるなら高額負担を!」
という構図が出来上がりつつある。おまけに最低限徴収される負担は毎年
わけの分からぬまま引き上げられ、ハーグでは今日も効率化の名の下に
制度改革が検討されているといったありさまである。

321 :世界@名無史さん:05/02/28 20:00:30 0
こうした構図の象徴的なものが、医療問題に現れている。もし今、
万が一オランダで手術が必要な病気になったとしても、すぐには
受けられない。まず長いウェイティング・リストに名前が載せられる
だけなのである。緊急を要する場合はどうなるのだろうかと不安を
抱かずにはおれない。ベルギー国境近くに住むオランダ人はこうした
煩わしさを避けるため、わざわざ国境を越えて手術を受けるように
なっているほどだ。その一方で、人手不足から最新の設備を備えた
ベッドが使われないままに放置されているところが数多くあることも
報道されている。

322 :世界@名無史さん:05/02/28 20:01:22 0
逆に、道路や駅施設などのインフラ整備にかけるオランダ人の情熱には
並々ならぬものがあり、今日もあちこちで道路の掘りかえしが行われて
いる。「何故この程度で?」と思われる道路もあっさり改修が決定され、
都市部を結ぶハイウェィはいつ終わるとも知れぬ建設風景の中に置かれた
ままである。にもかかわらず、ハード面で何よりもまず最初に生活に
必要となる住宅の供給量は不足している。オランダでは賃貸アパートを
探す場合、半年待ちが普通なのである。すぐと言って入れるのは大抵の
場合高額なマンションか、あるいは前世紀の遺物かと見紛うばかりの
年代物に限られる。まさしく、常識的な物件を得ようとする場合、
コネとツテを持たなければ運を天に任すしかない宝探し状態なのだ。

323 :世界@名無史さん:05/03/01 01:58:11 0
>>320-322
なんか日本みたいだな

324 :世界@名無史さん:05/03/02 22:08:58 0
ttp://www.guggenheimlasvegas.org/images/hermitage_worksonview/791_kunst_lv_md.jpg
↑オランダの画家ヤン・ステーンの「贅沢にご用心」という絵です。
一家の主婦が居眠りをしているせいで、子供たちは盗みを働き、家が荒れる
という意味だそうです。
16世紀にオランダを旅したフランス人の旅行記によると、当時フランスの流行語で
「オランダ人のように恋愛をする」というのは、奔放な男女関係を意味した
そうです。ちなみにオランダのカルヴァン派は不倫の取り締まりに特に力を
入れていて、1652年には不倫カップルに対し、男女ともに50年間町から追放
という終身刑に近い厳罰が言い渡されています。

325 :世界@名無史さん:05/03/03 22:50:42 0
80年戦争後のオランダでは、ストア哲学が流行したの?

326 :世界@名無史さん:05/03/17 02:36:03 0
フリースランドの住民は民族的にも別なのでしょうか?
フリジア語話者も健在だそうですが。

327 :世界@名無史さん:2005/03/29(火) 17:28:26 0
ttp://blog.livedoor.jp/media_francophonie/archives/17481431.html
デカルト、3世紀ぶりの名誉回復
Le philosophe René Descartes vient d'être "réhabilité" aux Pays- Bas
哲学者ルネ・デカルト、最近オランダで「名誉回復」される

デカルトが未だにオランダで「禁書」になっていたとは知りませんでした。
その禁止命令が、なんと3世紀半ぶりに解除されました。これに関するル・
モンドの記事をご紹介します。モンテスキューも今年が没後250年です。
ジュール・ヴェルヌ没後100年ではフィーバーしてもモンテスキューは素通り
したフランスとは対照的に、モンテスキューがドイツで大々的に取り上げられ
ことにも、皮肉めかして言及されています。

328 :我驚く、故に我あり:2005/03/30(水) 01:38:27 0
>>327
オランダではデカルトが禁書になってたんですか!?

“Cogito ergo sum.(我思う、故に我あり)”なくして近代哲学は語れないというのに。
我思う云々を閃いたのも、確かオランダで軍隊にいた時だったというのに。
オランダで刊行された哲学史の本ではデカルトはどう扱われていたんでしょうか?

デカルトはカトリック教徒だったので、プロテスタント国家のオランダではタブーなのでしょうか?
でもスピノザもオランダのユダヤ人で、しかもユダヤ教会とキリスト教会の両方から破門喰らったので
デカルトもスピノザも、オランダでは長らく禁書扱いだったんでしょうか。


329 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 01:43:47 0
オランダでは、カトリック教会から禁書処分を受けそうな本を進んで出版していて
エラスムスも利用していた、と読んだことがあるのですが、カトリックは駄目ですか。
出版の自由ではなく、アンチ・カトリックだったのかな?

330 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 01:59:52 0
でも統計ではカトリックとプロテスタントの数は同じぐらい

331 :328:2005/03/30(水) 02:43:58 0
デカルトを禁書にしていたのはオランダのユトレヒト大学でのことらしいですね。
デカルト哲学は当時のオランダでも大人気でしたが、ガリレイが異端審問にかけられたので、
時の大学学長がブルって早手回しに「当局に働きかけ」、禁書命令を出してもらった。
要するにデカルトの禁書は腰抜け学長の自主規制の産物であり、宗教とは無関係。
したがってスピノザとも全然関係はありません。

これからはずっとユトレヒト大学でデカルトを読む、と厳かに宣言したそうですが、
世界から「まだデカルトが禁書!?藻前ら好い加減空気嫁」と笑われたので
この期に及んでようやく禁書指定を解くことにしたという感じですな。



332 :世界@名無史さん:2005/03/31(木) 05:33:13 0
うっかり禁書にしてたの忘れていたとか?

333 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 01:53:12 0
>>332 
案外そうかも知れませんねえwwwww
オランダと因縁の深いデカルト没後300年の記念式典を企画していたところ、
偶然明らかになる衝撃の新事実!
「デカルトの本がうち(ユトレヒト大学)の禁書目録に入ってるよ!」
「ええっ!?」
デカルトを禁書にするのに直接かかわった人間がいなくなった時点で忘れられたのでは。

334 :世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/02(土) 01:57:53 0
>>327のニュースは実に興味深かったけど、
この事件、宗教とは結構関係あると思いますよ。

オランダにおける反デカルト主義っていうのは、
「こいつ実は無神論なんじゃねーの?」っていう疑惑で、
(だから後のスピノザに対する弾圧と同じ)
さらには、反デカルト派の射程てのは、かなり長期的かつ根深いものでした。

(オルデンバルネフェルト事件の後で完璧にぶったたいたはずのレモンストラント派が
フレドリク・ヘンドリク政権の下で復活しかかっているのが気にくわないから、
反デカルトキャンペーンを蟻の一穴にして、戦線を拡大しよう!)

だから、反デカルトキャンペーンは1630年代から20年ぐらい続いた息の長いもので、
ユトレヒト大学におけるデカルト哲学の禁止もその一里塚でした。
(あとライデン大学でも似たようなことがあった。)

そんで、デカルトはフレドリク・ヘンドリクの保護下でがんばってたんだけど、
このパトロンが死ぬとしょうがないから、女王クリスチナの誘いにに乗って(渡りに船!)
スウェーデンに行き、風邪を引いて死ぬ・・・というオチがついた。

335 :世界@名無史さん:2005/04/11(月) 17:24:48 0
哲学なんて読んでるの偏屈でロクでもないやつばかり、禁書にしといたらいいんだよ。

336 :ぢゅらさん:2005/04/13(水) 03:14:14 0
>>334
>オランダの反デカルト主義は、宗教だけじゃなく政治とも絡んだ複雑な
背景があったようですね。勉強になります。

>>335
哲学書なんて偏屈でロクでもないやつしか読まないんだから、
禁書なんかにせず放置しといたらいいんだよ。
禁書なんかにしたらかえって厨房や好事家の気をひいてヤミ出版で読まれてしまう罠

337 :世界@名無史さん:2005/04/27(水) 01:57:36 0
ナポレオンが欧州を席巻した頃、
オランダ本国も当然征服されたが、さすがのフランス軍でも日本の出島までは占領できなかった。
そのためオランダ人は、
「日本の出島においてはオランダ国旗が翩翻とひるがえっていた。
 オランダは未だかつて滅ぼされたことはない!」と威張っていたらしい
(福沢諭吉は『福翁自伝』による)

ナチスがオランダを占領した時、
蘭領インドネシアをその日本に占領されるとは皮肉なものだ。

338 :世界@名無史さん:2005/05/05(木) 18:27:56 0

外国人地方参政権問題その4・・オランダの荒廃。
http://musume80.exblog.jp/1326745

↑オランダが凄い事になってる、ちょっと読んでみて。


339 :世界@名無史さん:2005/05/06(金) 01:17:23 0
恐いな・・・
でも日本もそんな感じに

340 :世界@名無史さん:2005/05/09(月) 12:10:07 0
マウリッツがホラント州主席オルデンバルネフェルトを処刑したとき、
「国際法の父」グロティウスも危うく巻き込まれるところだったが、
脱出に成功して間一髪死を免れた。

341 :世界@名無史さん:2005/05/09(月) 17:07:49 0
>>337
オランダ領のジャワを占領し、
出島を占領しようとしたのはイギリス。

342 :世界@名無史さん:2005/05/10(火) 03:03:28 0
【国際】小泉首相がオランダで謝罪、戦時中の捕虜の待遇で
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1115301301/
【映画】ポール・ヴァーホーヴェン、太平洋戦争を映画化?
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1115387235/   オランダ人映画監督


*米軍による日本兵虐殺

【シベリア抑留】ソ連軍による拉致強制労働の実態
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1060569789/        @日本史
http://whatever.say.jp/program/snap_shot/site/11118915786214/ 150-151 170
米軍の残虐行為:リンドバーグの衝撃証言
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~ttakayam/beigunzangyaku.htm
孤高の鷲〈下〉―リンドバーグ第二次大戦参戦記 学研M文庫
チャールズ リンドバーグ (著), Charles A. Lindbergh (原著), 新庄 哲夫 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4059011150/249-7534127-5484316
【ジュネーブ条約と捕虜待遇】旧日本軍以外、どこが守った?
http://kaz1910032-hp.hp.infoseek.co.jp/140212.html

343 :世界@名無史さん:2005/05/10(火) 03:04:59 0
小泉首相が