アケメネス朝ペルシャ
- 1 :世界@名無史さん:04/03/15 22:34
- 語りなさい
- 391 :世界@名無史さん:2008/03/04(火) 23:21:48 0
- アケメネス朝ペルシアによるインド支配って言ったって、
インダス河流域に住む諸部族が支配下にあったぐらいだろう。
もっとも、インド社会に何らかの刺激を与えた事自体は否定出来ないだろうけどね。
- 392 :世界@名無史さん:2008/03/04(火) 23:31:33 0
- >>391
>インダス河流域に住む諸部族が支配下にあったぐらい
この程度で帝国の歳入の三分の一を占めることなんて出来ないと思う
- 393 :世界@名無史さん:2008/03/04(火) 23:55:53 0
- >>391
チャンドラグプタ・マウリヤの出身地は、アケメネス朝領だったみたいですな。
- 394 :涼宮 ハルヒ:2008/03/09(日) 18:43:43 0
- まみちゃんカザフスタンで元気にしてるのかなぁ・・・・・・?
- 395 :世界@名無史さん:2008/03/09(日) 18:54:02 0
- >>390
やっぱりアフガンが癌だったのでは
- 396 :世界@名無史さん:2008/03/09(日) 20:18:01 0
- >>385
アウグスティヌスがマニ教徒だったのに影響を認めないなんて、キリスト教徒以前の単なる馬鹿だろ。
>ただ、ミトラは中世ペルシャ語ではメシュアというらしいけど
中世ペルシシャ語ではミフル
- 397 :世界@名無史さん:2008/03/09(日) 22:08:05 0
- ミトラは梵語かな。「慈」を意味する「マイトリー(maitrI)」、
従って「弥勒(Maitreya)」と語源上の関係があるというけど。
- 398 :世界@名無史さん:2008/03/24(月) 22:59:42 0
- アケメネス朝の王達は自分の名前や業績を岩山の碑文にたくさん刻みつけたのに、
あっという間に忘れ去られてしまうなんて・・・・。
時の流れとは、無情なものだね・・・。
って言うか、イラン人って忘れっぽいの?
- 399 :世界@名無史さん:2008/03/25(火) 03:53:58 0
- なあなあ
プラタイアイの戦いって何でペルシャは負けたの?
WIKI見るとギリシャ11万vsペルシャ25万でギリシャ側の死者160人でペルシャ側の死者20万とか
ありえねえだろという数字が載ってるけど……
数字のソースはヘロドトス?
テルモピュライでペルシャは200万とかありえねー数字かいてたお人なんでギリシャマンセーのための
捏造か何かなんでしょーか
- 400 :世界@名無史さん:2008/03/25(火) 03:59:55 0
- >>398
前時代をまるごと否定したイスラームが出現したからな
- 401 :世界@名無史さん:2008/03/25(火) 08:49:17 0
- >>399
両方ともヘロドトスだね。
英語版で見たら双方の兵力の「現代のコンセンサス」ってのが書いてあったけど
それによるとギリシャ側4万、ペルシャ側5〜12万だと。
死傷者については "historical records of the period are notoriously biased or inaccurate
and the real number of casualties will never truly be known."だそうだ。
捏造っていうより当時広まってたうわさ話の類をそのまま書いたんじゃないの。
ちなみにペルシャには自軍の損耗をかなり正確に知ることができるシステムがあって
兵士が一人一人矢をもって王の前で壷に入れる。それを封印しておき、戦闘が終わると
また一人一人それを回収する。そうすると残った矢で戻らなかった兵士の数が
分かるのだという。
KIAなのかMIAなのか分からないのが難点だが。
- 402 :世界@名無史さん:2008/03/26(水) 05:49:52 0
- >>398
古代ペルシア文字って代物がそもそも「王碑文専用の文字」として開発された特殊な文字だった
のが一番の原因。
文書行政としては粘土版文書にアッカド語やエラム語が、パピルス文書にはアラム語が使われて、
古代ペルシア文字は王碑文や銘文以外には使われず、文書行政などには使われなかった。
そのため、ペルシア帝国が滅亡すると古代ペルシア文字を使用する必要性が無くなり、アッカド語
(バビロニア語)やシュメール語の文書はその後も存続するけど古代ペルシア文字使用そのものが
急速に廃れて行ったようだ。
これはサーサーン朝がそうだったらしいが、もともとゾロアスター教というかイランの宗教観では
文字は悪魔の業であり、『アヴェスター』などの聖典は口伝によって継承され、朗唱される聖典こそが
真実で神聖なものとされていたんだそうな。(『ヴェーダ』ももともとそんな感じ)
勿論、パルティア語や中期ペルシア語(パフラヴィー語)の文書や碑文は残っているけど、上記の
宗教観のせいか、碑文のようにその場その場での記録はするけど、自分達の歴代の業績をまとめて
文章化して「著述」しようということは殆どしなかったらしい。
なので、ダレイオスとかアルタクセルクセスのような著明な王名はパルティアやサーサーン朝時代にまで
伝世されて行くけど、王自身も含め王朝自体も伝世された情報、イラン世界におけるアケメネス朝に
ついての後代の記録はひどく神話的伝説的な脚色が溢れたものになっている。
そのため、発掘された同時代のアラム語やバビロニア語による行政文書などを除くと、ペルシア帝国に
ついて知るにはギリシア語文献の内容を見た方がより詳しかったりする。
- 403 :世界@名無史さん:2008/03/26(水) 06:37:28 0
- >>398
> 前時代をまるごと否定したイスラームが出現したからな
それは全然関係ないというか事実誤認w
むしろサーサーン朝時代の段階で、アケメネス朝時代の「神話化・伝説化」が進行し過ぎていて、
ギリシア語文献などよりも余程情報が伝承された王朝史の内容もかなり錯綜した状態に陥っていた
らしい。
イスラームの宗教観ではムハンマド時代以前のアラブ諸部族の時代は「ジャーヒリーヤ」、
「(アッラーの真実の光明がいまだ到来していなかった)無明の時代」とされてはいたが、
だからといって、ムハンマドの啓示以前の世界が無価値だから過去について知る必要が無い、
と考えていたわけじゃあない。
むしろ、時代が進むに連れて天地創造からムハンマドの時代に至る世界の有り様の情報を可能な限り
収集することに努め、9世紀のアッバース朝時代に活躍したアブー・ジャアファル・ムハンマド・
タバリーの『諸使徒と諸王の歴史』ようにギリシア語文献や聖書などから古代ギリシアや、ユダヤの
歴史、新バビロニア時代、さらに神話時代から半歴史的なアケメネス朝(カヤーニー王朝)、
アルサケス朝(アシュカーニー王朝)、サーサーン朝までの歴史を叙述する歴史書が数多く書かれた。
ただ、イスラーム時代以降の伝統的な「古代のイランの歴史」についてのビジョンは、サーサーン朝時代に
醸成された『シャー・ナーメ』のような世界観が受継がれた点が、欧州での「古代ペルシア」のビジョンと
大きく違う。これは「アケメネス朝」像にも言えて、例えば、伝統的なイラン・イスラーム的なダレイオス1世
からダレイオス3世までの数代がすっ飛ばされ、カヤーニー王朝第四代君主グシュタースプ(ヴィシュタースパ)
の"曾孫"ダーラー(ブ)がダレイオス1世に比定され、アレクサンドロス三世にあたるイスカンダル・ズルカルナイン
に敗れたダレイオス3世にあたる「ダーラー」はダーラーブ王の「息子」であり、このイスカンダルも
ダーラーブ王がマケドニアの王女に産ませた、ダーラーの腹違いの兄弟、ということになっている。
- 404 :世界@名無史さん:2008/03/26(水) 07:01:50 0
- >>403の続き。
勿論、この「ダーラーブの息子ダーラー」と「ユーナーン(ギリシア世界)を統べるマケドニア王
フィルフース(フィリッポス)の『孫』にしてイラン世界の王ダーラーブの王子イスカンダル」という
伝承はギリシア語文献の歴史像と全く懸け離れている訳で、ギリシア語文献とアラビア語ペルシア語文献に
表れる「ペルシア帝国とアレクサンドロス3世」の埋め難い差異について、両方の記録を目にした
イラン系などのムスリムの学者たちは当然ながらひどく困惑することになった。
11世紀を代表する大学者で、ガズナ朝のスルタン・マフムードに扈従してインド遠征に随行し、
『インド誌』を著すなど科学関係の多方面にわたって活躍したアブー・ライハーン・ビールーニーなんかも
この問題にぶち当たったひとり。結局、彼はかなり悩んだ挙げ句、イラン現地での記録の方がより内容は正確で、
ギリシア側の記録は後代に誤って伝わったものだろうと結論し、以後も従来のサーサーン朝やアッバース朝で
確立された「古代イラン史」のビジョンが正しいとされ、ビールーニー以降もこの歴史像が継承され続けた。
もっとも、今は考古学調査でギリシア語文献で語れれていた情報がかなり正確だったことが立証されている
ので、イランでもアケメネス朝やパルティアについての情報は伝統的歴史像と考古学上の成果はちゃんと
区別がされているそうだけど。
- 405 :世界@名無史さん:2008/03/26(水) 09:38:55 0
- >発掘された同時代のアラム語やバビロニア語による行政文書
アーカイブみたいな所から出てくるんでしょうか?
- 406 :世界@名無史さん:2008/03/28(金) 06:41:31 0
- >>405
バビロニア語やらエラム語のものだったらペルセポリスの城塞文書群とか、
アラム語のものだったらエジプトのエレファンティネ・パピルス群などを
思い浮かべてくれたら良いかと。
エレファンティネ・パピルスはちょっと違ったかも知れないが、
城塞文書は王宮の書庫の跡地から発見ものだったろうな記憶が〜
>アーカイヴ
- 407 :世界@名無史さん:2008/03/30(日) 16:02:39 0
- ちょいと質問
カリアスの和約におけるギリシャ側とペルシャ側の国境線ってどの辺りでしょう?
イオニア地方のみがギリシャ勢力なのか、もっと広い範囲―例えばカリアとか―も
ギリシャに組み込まれたんでしょうか?
- 408 :世界@名無史さん:2008/03/30(日) 16:47:03 0
- >>405
「フェニキア人を語るスッドレ」では
陶片にこれみよがしにヤハヴェと掘りつけたものを
サマリア公文書と呼んでいる人がいた。
- 409 :エルティー ◆ElTiXXMIXI :2008/04/18(金) 05:30:49 O ?DIA(100123) 株優プチ(whis)
- アケメネス朝がキュロス2世からとダレイオス1世からでは違う血統で、
ダレイオス1世はアケメネス朝ではなくキュロスの系統から王位を簒奪し、それを正当化する為に後年自らをキュロスの直系だという事にしたという説がありますが、
この説は実際どれくらいの信憑性があるのでしょうか?ちなみにダレイオス1世以降の王の名前がキュロス血統と違うのもこの為といわれています
もし事実であればアケメネス朝はアケメネス朝とダレイオス朝に分かれている事になり、大変興味深いです。
- 410 :世界@名無史さん:2008/04/18(金) 09:11:17 0
- >>409
キュロス2世死後、混乱が続き、アケメネス朝が一度崩壊したも同じ。
多くの地域で反乱、独立してしまうし、キュロス直系は暗殺等で絶えてしまう。
これに対し、ダレイオス1世を中心とするグループが立ち上がって、ガウマータ政権を打倒した。
ダレイオス1世は帝国を一から再建することになる。
ダレイオス自身はキュロス直系ではないが、
キュロス2世の基本政策を復活して、政策面での事実上の後継者となる。
この辺の事情はダレイオス側が作った巨大な碑文に記されているそうだ。
ダレイオス自身、血統ではキュロス直系ではないことを認めながらも、
キュロス政治の復活という位置づけで自らの政権の正当性を訴えているわけだ。
こうしたダレイオス側の主張に対して、疑い深い学者たちの一部がダレイオス簒奪説を唱えている。
私自身はダレイオスの主張が基本的な点で史実どおりだと思う。
もしダレイオスが簒奪したのなら、これに反発する動きがあるはずだし、
貴族たちも積極的に支持しないだろう。
ダレイオスは貴族や有力者の意向を尊重し、決して独裁者ではなかったし、
その政策に支配下の諸民族はこぞって歓迎し、
帝国の基盤を固めることが出来た。
- 411 :世界@名無史さん:2008/04/18(金) 13:04:15 0
- >>410
前漢と後漢みたいなもんだな
- 412 :世界@名無史さん:2008/04/21(月) 20:29:43 0
- >>392
今のイランとイラクと合わせた地域の人口が8500万くらい。
パキスタンで1億6千万と、インドのグジャラート、ラジャスタン、ハリヤナ、パンジャブ、
カシミールで1億3千万、インダス流域でざっと3億。
大体食料供給量に比例しているし、降水量に依存するものだから、インドからの貢納が
ペルシャの税収の三分の一というのもそんなに無理な数字ではないだろうな。
- 413 :世界@名無史さん:2008/04/22(火) 01:50:49 0
- ギリシャ人達はキュロスのことはえらく美化する一方、
キュロス以降のペルシャは悪の帝国のごとく書いている。
まあギリシャの記録は当のイラン側の記録より遥かに正確なんだが、
この点だけがひっかかる。
- 414 :世界@名無史さん:2008/04/22(火) 08:32:23 0
- >>413
キュロスの特異な個性が敵をも惹きつけた面があるんじゃないかな?
敵に勝利しても相手を支配することに興味を持たないというか、
戦いそのものが好きなだけで、支配欲がないんじゃないかと思ったりする。
メディアのアステュアゲス王を打倒したのは、、
アステュアゲス王に対するメディア軍の反乱に参加したわけだが、
戦いに勝利するとメディア王国の統治機構を温存するだけでなく、
依然としてメディアをペルシアの宗主国としての名分を保たせるものだから、
メディア側の支配層の方がキュロスに好意をもってしまう感じ。
バビロンを攻め落とした際は、
抵抗らしい抵抗もなく入城したみたいで、
破壊らしい破壊もせず、
神官たちの特権を温存し、
バビロン市民を安心させ、
キュロス自身はバビロンを支配するより、
他の戦いに赴くことしか興味がないんじゃないか。
バビロンが事実上抵抗しなかったのは、
バビロン市民自身が自分たちの王朝に愛想をつかしていたためで、
バビロン軍内でキュロス側に内応した勢力があるんじゃないかと思う。
さらにバビロン捕囚中のユダヤ人に対し、解放令を出すものだから、
聖書中ではキュロスは解放者=メシアの扱いになるぐらい、
ユダヤ人の好意も獲得した。
諸民族の好意を得るのがうまく、
それでいて戦争が好きで、次々勝利するから、
ギリシャ人だって美化したくなると考えるのは単純すぎ?
- 415 :世界@名無史さん:2008/04/22(火) 12:52:51 0
- >>407
その当時には国境などいう概念は無い。
古代は、人が少なく資源(土地)が余ってる時代。統治は人に対して行い、面としての
土地には行われない。
特にギリシャの方は、都市国家で、街とその周辺の農地(街の人が耕しに行って晩に帰って
こられる範囲)までが領域で、そこから外れた街と街の間は、手付かずの野ッ原。
- 416 :世界@名無史さん:2008/04/22(火) 13:09:21 0
- >>415
クセノフォンのアナバシスを読んでみると、
ペルシャ帝国中央部のどこかをクセノフォン一行が逃げ回ってるらしいのだが、
そのあたりでもペルシャ王に従わない部族が住んでいたりするので、
領土の概念が今と違うのかぁっと感じる。
- 417 :世界@名無史さん:2008/04/22(火) 13:13:59 0
- その時ちょうど王位継承争いをやっていたのと関係あるんでしょうか?
- 418 :世界@名無史さん:2008/04/25(金) 09:57:18 0
- >>292
> 旧約聖書に出てくる、メディア人ダリウス(62歳)ってなに者なんですか?
聖書以外の記録が見つかってないので、確実なことはわかっていない。
キュロスによるバビロン征服以後、メディア人ダリウスがバビロンの支配者になっているが、
キュロスとの関係が不明。
実権は実力者たるキュロスにあるはずだが、
名目上はキュロスより上位の王の可能性がある。
もともとメディアというのは巨大な国家で、
例えればメディアが江戸幕府で、ペルシャは薩摩藩みたいなもの。
キュロスはメディア幕府の実権を握ったが、倒幕しなかった。
それでメディア王に名目上は服属していたのではないか?
一方、メディア人ダリウスはキュロスからバビロン地域を任された太守にすぎないという説もあるらしい。
どちらにせよキュロスは次の征服戦争が忙しくて、後のことは全部メディア人ダリウスに任せたのだろう。
- 419 :世界@名無史さん:2008/05/08(木) 08:56:45 0
- 教科書等にはメディアについての記述がほとんどないが、
キュロス大王以後のアケメネス朝はメディアとペルシアの連合王国みたいな性格を持つ。
しかも当初のキュロス軍はペルシアよりメディアの方が主力だった。
ヘロドトスやクセノフォンはキュロス2世の母親をメディア王の娘であるとしているから、
メディア人としてもキュロスを君主とすることに抵抗がなかったのだろう。
- 420 :黒崎恵:2008/05/16(金) 19:56:54 0
-
- 421 :世界@名無史さん:2008/05/21(水) 23:29:38 0
- ペルシャの最大の脅威は西欧史家は民主的なギリシャ諸都市だと言い張るが、
実際には北方のイラン系遊牧諸勢力だった。
- 422 :世界@名無史さん:2008/05/22(木) 00:57:22 0
- >>421
でも、マケドニア王国のもとで統合されtたギリシャ人に滅ぼされたけどな。
- 423 :世界@名無史さん:2008/05/22(木) 01:31:18 0
- >ペルシャの最大の脅威は西欧史家は民主的なギリシャ諸都市だと言い張るが
いったい誰だ?そんな事言ってるのは
- 424 :世界@名無史さん:2008/05/22(木) 10:10:25 0
- >>422
マケドニアはギリシアの影響を受けた蛮族国家じゃん。
- 425 :世界@名無史さん:2008/05/22(木) 12:43:15 0
- >>424
マケドニア自体はバルバロイではないにせよ、野蛮人扱いされていたのは確か。
でも、マケドニアによって統合されたギリシャ人にペルシャ軍が蹂躙されたのも確か。
アレクサンダーの軍隊はマケドニア・ギリシャ連合軍とはいうけど、
指揮官はともかく、主兵力はやっぱりギリシャ人。そもそもペルシャ軍だってギリシャ人傭兵
なしには成り立たないんだし。
- 426 :世界@名無史さん:2008/05/22(木) 23:29:57 0
- >そもそもペルシャ軍だってギリシャ人傭兵
>なしには成り立たないんだし
ホプリテス無しでも
アリアノスによるとペルシャ人の重装歩兵だったという「カルダケス」
じゃ駄目かね?
- 427 :世界@名無史さん:2008/07/07(月) 08:12:57 0
-
素朴な疑問なんですが・・・
カナートって何で斜面の水脈の場所がわかるんですか?
- 428 :世界@名無史さん:2008/07/09(水) 23:36:50 0
- さあてねえ。
地形で見当つくのか、試掘するのか、近所にカナートがあれば確実性高いか?
- 429 :世界@名無史さん:2008/07/18(金) 15:46:33 0
- >>424
>指揮官はともかく、主兵力はやっぱりギリシャ人。そもそもペルシャ軍だってギリシャ人傭兵
>なしには成り立たないんだし。
ギリシア軍も、マケドニア貴族みたいな半遊牧民的出自の熟練した騎兵の集団がいないと、
ペルシア軍を打ち負かすのは難しいんですよね。
ファランクスと騎兵隊の関係っていうのは「ハンマーと金床」ってよく喩えられるんだけど、
機動力のある騎兵隊が敵軍の外に回りこんでファランクスに向かって追い込み、
包囲殲滅戦をやるわけですね。
ファランクス単独だとファランクス相手だったら互角に戦えるけど騎兵相手だと機動力が弱すぎるし、
陣形を乱されたら格闘力は弱いからまともに戦えない。
騎兵だけじゃなくて機動力のある軽装の散兵でもやばいことがある。
ファランクスを採用していた時代のローマ軍が、ガリア人とかサムニウム人に、それで散々煮え湯を
飲まされてる。それでファランクスからレギオンに転換したわけ。
ペルシア戦争のときも、マラトンのときは艦隊から上陸直後のペルシア軍を、
進軍前にファランクスを走って急接近させて海とファランクスで挟み撃ちにして破っているし、
テルモピュライでは山間の隘路だからあれだけの防衛戦をやれたわけです。
つまり、ペルシア軍にギリシア傭兵隊が不可欠になったというのは、
もともとの主力のハンマーであるペルシア人、メディア人騎兵の女房役の金床として、
ギリシアのファランクスが絶好の性質を持っていることを発見したということ。
ちなみにこの時代のアケメネス朝軍の中核のペルシア人、メディア人貴族の騎兵は、
封土の分割相続で貧窮化して、ずいぶん弱体化していたみたいです。
- 430 :世界@名無史さん:2008/07/18(金) 23:17:18 0
- >ちなみにこの時代のアケメネス朝軍の中核のペルシア人、メディア人貴族の騎兵は、
>封土の分割相続で貧窮化して、ずいぶん弱体化していたみたいです。
kwsk
- 431 :世界@名無史さん:2008/07/20(日) 11:49:34 0
- ダーラヤワウ(ダレイオス)2世の頃(紀元前5世紀前半)のバビロニアから出土した
アラム語文書に、税が重税化していることと、封土を与えられているペルシア人とメディア人
が均等相続のせいで貧困化して軍装備を整えられなくなっちゃって、
傭兵に頼らざるを得なくなってきていることが記されているそうです。
前近代の王朝の軍隊はみんな傭兵なんだって極論しちゃう向きとか、
古代オリエントの軍隊なんてみんな傭兵の寄せ集めだなんて極論しちゃう向きがあるけど
ちょっと違いますね。
だいたい政権の中枢を構成する集団は戦士集団であることが多いですよ。
ただ、近現代の国民国家みたいな「国民」という巨大集団を政権中枢にしていないから、
中核戦士集団だけだとあんまり巨大な軍勢にはならない。
だから、それに同盟者の戦士集団をまず加える。これが自前の戦士集団に次いで信頼が置ける。
アケメネス朝だとペルシア人戦士に対するメディア人戦士がそれ。
それから、従属的な被支配者の戦士集団を加える。
これは状況が悪くなるといつ裏切ったり逃亡したりするかわからない存在。
さらに、見返りで雇う傭兵が加わってくる。
これは特殊技能を見込んでわざわざスカウトしてくるわけですね。
アケメネス朝に雇われたギリシア人傭兵は、密集陣形をなかなか崩さないファランクスを、
騎兵集団の女房役として見込まれたわけです。
古代地中海世界のバレアレス諸島の投石部隊とか、中世ヨーロッパのジェノバのクロスボウ部隊なんかもそう。
こういう傭兵は特殊技能の価値を次のチャンスに売り込めなくなるから、意外に裏切らない。
かなり状況がやばくなるまでがんばるわけです。
- 432 :世界@名無史さん:2008/07/20(日) 22:43:02 0
- イラン・アーリア人の征服者がセム系民族などを農奴化した?
- 433 :世界@名無史さん:2008/07/20(日) 23:34:46 0
- 農奴かどうかはどうだろう?
以下は具体的な資料を持たないので憶測となりますが、
メソポタミアとかイラン高原は水利システムの関係で農業生産が期待できる土地が比較的限られますよね。
すると、人別支配をして農奴化しなくても、農地単位ごとに徴税権を与えておけば、戦士階級の封建は可能です。
ずっと後世になりますが、オスマン帝国の騎馬戦士身分のスィパーヒーなんかが地域支配をするわけじゃないけど、
徴税権を分与されるという形で封土を得ていましたよね。
- 434 :世界@名無史さん:2008/07/22(火) 20:22:54 0
- 既に生産性の高い地域に対して、農奴化なんて生産手段の再編成をするのは、無駄な事この上ない。
- 435 :世界@名無史さん:2008/07/23(水) 01:43:20 0
- そそ。
ヨーロッパなんて土壌は悪いし、緯度は高いし、おまけにおまけに曇りばかりで日照条件も悪いから、
ジャガイモの導入以前の生産性の低さといったら・・・
土地の生産性が低くて人口密度も低く、土地が余っている風土では、土地を押さえてもしょうがないから、
労働力を囲い込んで農奴化をするわけですね。
日本でも律令制では人別支配をやったけど、
平安中期以降は農地を押さえて徴税という方法に切り替わってますね。
- 436 :世界@名無史さん:2008/07/23(水) 22:09:01 0
- >ヨーロッパなんて土壌は悪いし、緯度は高いし、おまけにおまけに曇りばかりで日照条件も悪いから、
>ジャガイモの導入以前の生産性の低さといったら・・・
黒海北岸は肥沃な土地として古代から諸民族の間で争奪しあっていたが。
- 437 :世界@名無史さん:2008/07/23(水) 23:58:28 0
- >>黒海北岸は肥沃な土地として古代から諸民族の間で争奪しあっていたが。
いやぁ、黒海北岸はヨーロッパ国家の版図になったのはモスクワ大公国の覇権以降でしょ。
あそこはずっと、スキタイとかポロベツ(キプチャク)、ジョチ・ウルスといった遊牧国家の縄張り。
今でいうヨーロッパ・ロシアって結局のところ北方のルーシの版図+ジョチ・ウルスの版図。
西ヨーロッパの農奴制の本場はフランク王国の版図だったところだから、あのあたりは黒海北岸の豊かさとは無縁でしょ。
- 438 :世界@名無史さん:2008/07/26(土) 02:41:24 0
- ボスポロス王国はギリシャ・ローマの穀倉だけど
東地中海中心だわな。
- 439 :世界@名無史さん:2008/07/26(土) 04:15:45 0
- ボスポロス王国はスキタイに従属に近い形の同盟関係にあり、
ダレイオス率いるペルシャ軍が黒海北岸に進撃してきた際にはスキタイ側に協力し
ペルシャ軍に街や港などの設備を使わせないよう撤収した。
- 440 :世界@名無史さん:2008/09/18(木) 22:50:39 0
- >>431
そこでクセノフォンのような人が出てくる訳ですね
なるほど
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