仏教の歴史
- 1 :世界@名無史さん:04/11/06 14:12:38
- 釈迦が開いた仏教を歴史的 事 実 に基づいて検証していくスレッドです。
宗教的な主張がある方は宗教板にドウゾ。
できるだけソースをつけてくださいね。
・仏教以前のインド思想(概略)
・原始仏教の成り立ちと釈迦寂滅まで
・釈迦寂滅の後の教団
・仏教の伝播
・上座部教の歴史
・大衆部教の歴史
・佛語解釈の歴史(経・律・論)
などをテーマにどうぞ。
- 731 :世界@名無史さん:2008/07/21(月) 10:43:07 0
- >>730
まあ、質問が仏教が衰退した理由では無く、滅びた理由だったので。ご愛嬌ですよ
なんかインドって、マニアックな同人サークルが、ジャンルが下火になっても未だに同じ作品を書き続けるみたいに
過去の物を完全に棄てない所があるのに、それにも拘らず仏教が消滅したという事態は結構異様な事だと思いましたんで。
細々と続いてもいいのもなのに何故滅んだか、という観点でレスを見て貰えれば幸いです。
なんか後出しジャンケンっぽいなw
- 732 :世界@名無史さん:2008/07/21(月) 23:36:14 0
- 逆にジャイナ教はインドの外には広まらなかったのに
仏教・ヒンドゥー・イスラームの圧力にも負けず
仏教誕生とほぼ同時代から現在まで連綿と続いてるな。それもかなり不思議だ。
スレ違いスマン。
- 733 :世界@名無史さん:2008/07/22(火) 00:50:58 0
- ミトラ教(弥勒信仰)なんか日本からブリタニアまで
広がったんだからスゴイぞ
- 734 :世界@名無史さん:2008/07/22(火) 12:27:53 0
- >>711
違う。それは語弊がある。
もちろん地域によるだろうが、
今でいうインドネシア、ジャワ島やスマトラ島では
大乗仏教王国ののち、ヒンズー要素が加わって
混ざったものになって、その後イスラムだし。
- 735 :世界@名無史さん:2008/07/22(火) 12:33:49 0
- >>730
>カーストに対する否定はそうだが、多産や性を正面から肯定してないからだよ。
それはおかしい。そういう欲を絶ち苦行によって涅槃というベクトルは
バラモン教自体がそうだからだ。
それをもって仏教が滅びバラモン教が残るという理由はおかしいでしょう。
- 736 :世界@名無史さん:2008/07/22(火) 22:44:37 0
- >>697
天国はええとこだっせ、とプロモーションはしてるけど、「救済」はない。
現世利益うんぬんじゃなくて、ただ法体系の精度の問題じゃないのかな。イスラム法のね。
でも、ムスリム支配下でも仏教は生き残る余地は十分あるはずなんだけどな。
インドのイスラームに詳しそうなひとが、ここにいたみたいだけど、また来てくれないかなあ。
- 737 :世界@名無史さん:2008/07/23(水) 06:07:10 0
- イスラムは支配者の宗教ってとこはあるんじゃない?
一夫多妻にしても支配階級がより贅沢に暮らす仕組みだし
- 738 :世界@名無史さん:2008/07/23(水) 06:12:35 0
- ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、みんな
「産めよ増やせよ」系の思想で
仏教・バラモン教(というかインド哲学)は
「求めるな、捨てよ」系の思想で
この2つの集団は大きく思想が根本的に違うと思うんだな
両者は基本的に相容れない、どちらか片方になりがちに思う。
仏教が各国で馴染んだ別の宗教は、この手の一神教の神に奉仕する我々系でなく
自然崇拝系の多神教ばかりな印象あるんだよね。
それ考えると、インドにイスラムが入りえたということがむしろ不思議に思う。
つーか、単にイスラム教徒が攻め込んで支配しただけで、
ほんとにインドにイスラムって根付いたの?
- 739 :世界@名無史さん:2008/07/23(水) 08:17:51 0
- >>738
理由―イスラム信仰してないと税金が増えるんだもん(・ω・)
>>737
おまいは何を言ってるんだ?
現代じゃあ女性抑圧の象徴っぽくなってるが
女性の保護が元々の目的だから
- 740 :カーマスートラ:2008/07/23(水) 08:47:42 0
- >>735
なんか根本的な勘違いだな。リグベーダは自然礼讃、自然への賛歌だよ。
生活は自然観に反映され、その自然観が民間信仰の根本で、
農耕社会ではどこでも多産と性の肯定は見られる傾向。
牧畜でも狩猟採集でも似た傾向はあるが、特に農耕社会に顕著。
バラモン教には御神体としての性器信仰まである。これはヒンドゥー教にも受け継がれセックスそのものが
信仰の対象になるんだよ。ヒンドゥー教寺院の御神体はリンガとヨニが合体したもの。
>>737
基本的には部族間の調整の為だ。初代サウジ国王は禁欲的なワッハーブ派を肯定したが、
現実には14もの部族の娘と婚姻して半島を統一した。
>>738
日本の神道も産めや増やせやだよ。東南アジアの民間信仰もそう。
東南アジアの上座部は民間信仰と妥協した形跡がある。
中国等東方(北方)へ伝播した大乗は支配の論理としてバラモン階層の竜樹が
確立したんだろ。それをカニシカ王が上手く利用したわけだろ。
国の論理になってからは普及はしていくわけだな。
中国は中華思想、華夷秩序と言うものがあるが、決して平等な社会でもない。
平等の理念が普及の妨げと言うのは無理があるな。
実際大乗確立時代にカーストが消えていたわけでもないだろ。
パキスタンやバングラディッシユはイスラム教徒が多い。
イスラムは国の論理としてインド支配した時代はカーストには妥協するわけだよ。
だからパキスタンにもカーストの残存はある。
>>739
そして、子供は増えないwなにしろ人頭税だからなwその効果は一人っ子政策みたいなものかな。
明治維新でも最も一揆の対象にされたのが徴兵制。農家の成人男子労働力を労役の対象としたから。
ジズヤも成年男子だろ。
- 741 :カーマスートラ:2008/07/23(水) 08:54:02 0
- 国家の理念とはなにか?秩序の確立だろ。現実的には土着の信仰に
妥協して受け入れられることだな。これがそのまま秩序体系だな。
古事記なんかもそんな編纂されているな。インドの場合、やはり特に性の肯定。
これは人口増加、労働力の増加、税収の増加、国力の増加に直結する。
農村の肉体労働力が絶対の時代には人口増大=国力の増大。
簡単に言えば国力とは農業生産力で、これは国土の大きさと土地の肥沃さ以外では人口でしかない。
米国は世界最大の農業国家ではあるが、やはりプロテスタントカトリックを問わず堕胎や離婚を非常に
嫌うストイックで保守的な面が強い。これは独立国家成立以前の移民社会が自衛と自営に頼って家族中心
だった面が強いからだろうな。
「西部開拓を容易にしたものは、良き牛と良き銃と良き女房である」
米国ウーマンリブ運動は突然現れたわけではなく、意外とマリア信仰的な側面と類似性がある。
カトリックが母性崇拝起源のマリア信仰に執着する結果、東方教会と対立するが、これはイスラムの
影響からだな。しかしイスラム社会は非常に偶像崇拝の傾向が強い。唯一神の偶像だけ否定するわけだ。
建前とは違い性的扇情に近い舞踏や多妻主義も長く続く。そもそも中東の名物ナツメヤシは精力剤だ。
パレスチナ人が増え、移民に頼るイスラエルが追いつかないのもこんな理由かどうか知らないが、
放牧で生活している人間が性を軽視するわけがないんだな、これが。
秩序とは精力である。これを体現したのが初代サウジ国王。
14人の娘にシェエラザードのように夜話を話させたかどうか知らないが、皇子はたくさん産ませた。
絶倫は部族間の対立を調和させ後継争いを防ぎ、村の労働力を絶やさない。
仏教は菩薩信仰辺りから性の重要性に気づいたようだが、既にヒンドゥー教が
御神体を確立した後だ。仏教は所詮は北部山岳部の釈迦族の信仰の域は出なかった。
簡単に絶倫と言うけどね、まともな子供を多く産み成人まで育てると言うのは実は結構
難しいんだよ。それが特に特定の性別となると現代でも上手くいかない。
だから、ガンガンやれ、ドンドン産め、と荒業を強調するわけだな。
この点インドの信仰は非常にストレートに人類の生の本質をよくついている思う。
- 742 :世界@名無史さん:2008/07/26(土) 06:01:36 0
- >>740
>なんか根本的な勘違いだな。リグベーダは自然礼讃、自然への賛歌だよ。
そういうこと言ってるのではない。インド哲学は仏教にも形を変えて受け継がれた
アートマンとブラフマンという世界観で、自然というか宇宙そのものの神性を見るものというのは
その通りだが、そのブラフマン至ることこそが苦=輪廻からの解脱で
その手段としてバラモン教は禁欲、苦行をもって超感覚を得るというベクトルであった。
それを否定したのがブッダ。
苦行してもなにも得られず、やめたとき悟りを開いたとはそういうことだ。
インドの民衆に根付く思想(日本でいうと神道的アニミズム)の話であるなら
性に寛容というのはその通りだろうが
仏教に対するバラモン教という話であれば、同じく禁欲的ものですよ。
>>739
マホメットの意図は問うていない。
結果として、支配者階級にとって都合のいい禁欲的でない教義であるということだ。
- 743 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 06:47:03 0
- >>742
それはウパニシャド哲学の後期の部分でバラモン教の本質的な部分ではないよ。
バラモンとはそもそも祭祀やその言葉を指す言葉で、自然信仰と祭祀主義がその本質で
あり実態。カーストが前提だからウパニシャドの後期の部分はインテリや支配階層向きの説明だろ。
信者一般の理解ではない。
また、後期ウパニシャドのプラウマンとアートマンの融合とはカーストに個人が組み込まれる
過程の説明でしかない。ブラウマンは祭祀や社会や延いては宇宙全体で当時の「全世界」を意味する。
またアートマンとは個人や個の本質等の意味で、確かにバラモンに対する反発からの個人主義自由主義
の重視の萌芽ではある。
しかし当時のバラモン教に仏教と同じ梵我一如を認めるのは無理がある。
また解脱と言うのも司祭の昏睡状態のようなものを指し、祈祷師のようなものだよ。
仏教の言う修行の結果としての解脱ではない。
カースト前提と言う意味では輪廻にも甘んじろと言う意味。
むしろ正反対だよ。仏陀はブラウマンよりアートマンを重視したわけだよ。
- 744 :梵阿弥:2008/07/28(月) 19:04:52 0
- >>558
御待たせです。>>556を偉そうに書いてしまいましたが穴が在りました。じっくりご説明したいんですが
俄に速まって、千まで行きそうで心配なので端折ります。先ず、両聖の立場の揺らいだ時期。
平凡社の『世界大百科事典』の「聖人伝」では
"(略)長く信仰の対象であった聖人の実在が否定されることも多い。11月に祝日のあったバルラームと
ヨサファトの伝記は(略)釈迦伝であることが19世紀に判明し教会暦から省かれたのがその一例である"
と在ります。佛伝だと判明したのが19世紀でも、教会暦から省かれたのは1969年、と読む余地も在ると
思ってましたが今では省かれたのも19世紀だと思い直しました。理由は
『中世の説話――東と西の出会い』 著:松原 秀一 刊:東京書籍 の85、117、121-122頁に、
エドワール・ド ラブレーが1859年に論文で、両聖伝が佛伝と酷似すると指摘、リーブレヒト、E・クーン
達の研究で「佛伝の変形だと判明」し、カトリックの暦から削られた、と在りました。
1869年から翌年まで第1ヴァチカン公会議があり、1870年に『ローマ殉教録』が改訂されてます。
この時でないかと思います
- 745 :梵阿弥:2008/07/28(月) 19:36:25 0
- 「破門」されたかどうか。
『黄金伝説と仏陀伝――聖伝に隠された東西交流』 著:原田 実 刊:人文書院 では
"カトリック教会も黙殺することは出来ず、聖バルラームと聖ヨサパトの祝日は教会暦から削られ、彼らは
実在を否定された聖人の列に名を連ねることになったのです。" 20頁
と在ります。では「実在を否定された聖人」とは何者でしょうか。
「実在を否定された」ものの飽く迄「聖人」
「実在を否定された」からには「聖人」では無い
私としては前者を採ります。聖エクスペディトゥス/聖フィロメナは「聖人一覧から外された」等の記述が
諸書に在りますが両聖には在りません。
教会(典礼)暦/殉教録から除かれると「非聖人」でしょうか。それぞれ幾種類もあり内容も違いました。
載っていない聖人も居た訳です。
破門されたかですが、聖人の枠に留まって居たなら当然破門されてないでしょう。そもそも破門とは
共同体からの排除であり、「八分」の様なものです。「実在しなかった」人は排除する必要も無いでしょう。
仮に破門や「非聖人」化されたのなら、1969年頃までに撤回されて聖人に復帰したという事ですね
- 746 :梵阿弥:2008/07/28(月) 19:53:21 0
- 聖人伝説を「客観的」に評価する取組み、ですが「ボランディスト協会」の事です。
ロスワイデの仕事をジャン・ボラン(ラテン語でボランド)が引継ぎました。2人ともイエズス会士です。
その後継がボランディスト。イエズス会の解散で停滞しますが会の再建と共にこちらも蘇り、今も続いてます。
『聖人辞典』>>556 では本部はブリュッセルですが、
『聖人崇拝』 著:L・S・カニンガム 訳:高柳俊一 刊:教文館 ではアントウェルペンが中心と在ります。
>556で「ワロン地域を中心に」と書いたのは、ボランがワロン人なので憶え違えたようです。
アントウェルペンは完全にフラマン地域ですね。御詫びします
- 747 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 23:00:12 0
- >>640
> バラモン教には御神体としての性器信仰まである。
性器崇拝は非アーリア的要素の代表格なんだが。
それと、農耕社会というが、古いバラモン教にはインド・イラン共通時代、
すなわち非農耕社会の名残を留めている。
- 748 :世界@名無史さん:2008/07/29(火) 14:26:44 0
- >>742
ヨーロッパ的政教分離に馴らされてると理解しにくいが、そもそもイスラームは政教一致。
こちら側から見て政治的に都合がいいとかどうとかは、こちら側の視点にすぎない。
だいたい時代場所問わず、為政者は倫理的な規制をごまかすもんなんだろうけど。
マホメット(この呼び方最近言わないけど)の意図は大事よ。
彼はムスリムにとってお手本なんだから。
よく言われてるけど、イスラームの教義つーか法律だな、
これにはムハンマドの商人としての感覚が反映されている。
禁欲的じゃないと言うなら確かにそう。でも社会的不正に対しては厳しい。
- 749 :世界@名無史さん:2008/07/31(木) 05:18:13 0
- イスラム化以前のインドで、仏教が国家儀礼に食い込めたことってあるの?
- 750 :世界@名無史さん:2008/08/02(土) 11:31:34 0
- アショーカ王を挙げるまでもなく
地方豪族(実質的に地方政権)の王が仏教に帰依してゆく様が
経典に数多く描かれているし
仏教を国教とする国家がインドにあったというのは正しい
- 751 :世界@名無史さん:2008/08/02(土) 11:38:22 0
- >>743
>むしろ正反対だよ。仏陀はブラウマンよりアートマンを重視したわけだよ。
そういうこっちゃないだろう。
ブラフマンとアートマンと、両者の関係性において
従来のウパニシャッドとは違った新解釈を提示しただけで
どちらにしろブラフマンとアートマンは繋がっていて同一であるわけだから
どちらを重視という言い方はおかしい。
従来のアートマンとブラフマンの関係性理論では、今見えている現実は
アートマンであるとしたわけだが、これ自体がブラフマンであると
現世にブラフマン性を見出したと言える。これこそが縁起説。
要するに死後観に関わる話として梵我一如を考える思想がまずあり
それをさらに推し進め、生の世界をも含めた梵我一如を提示したのだ。
- 752 :世界@名無史さん:2008/08/03(日) 02:19:15 0
- 喫茶去(まあ、茶でも飲んでいけ)>(´・ω・`)つ旦
- 753 :世界@名無史さん:2008/08/03(日) 06:26:25 0
- >>751
理論だけでなくそれが反映されている社会提示してみ。
ブラウマン(バラモン)ってーのは本来は祭儀やその呪文のような言葉から
社会全体世界全体を意味するわけで、当時の祭祀主義の世界観や社会そのもの。
つまり祭祀儀礼やその手続き、形式主義=社会、世界観と言うこと。
仏陀が否定或いは克服したかったのがカーストそのものであり、バラモン教の本体だから、
両者を等価に扱うと言うことは有得ない。
パラモン教の社会理論やイデオロギーとしての性格が説明できてない。
理論と社会の相互関係が説明できてないよ。
>>747
農耕社会を山岳地域が、西方や北方から南方や東方に移動しつつ、征服してできた
ものがバラモン教だから両者が混交している。
この北方のものがアーリア的なものと言われているが区別の詳細は不明。
そして南方の豊かな社会に北方の質素な民族が支配しつつも文化的に侵蝕されていくと言うのは
極論すると北半球にはよくある文化的文明的現象。
- 754 :世界@名無史さん:2008/08/06(水) 03:11:12 0
- >>683
宗教がどういう場合に大きな影響力を持つのか
そのあたりについてちっとも思いをはせていないで
紙面上の知識に素直に影響される無垢さがある意味うらやましいね
地に足のついた見聞深めるためにチベットなりタイなり言ってみるのもいいんじゃない
- 755 :世界@名無史さん:2008/08/06(水) 07:44:57 0
- >>754
なにこの馬鹿?
- 756 :世界@名無史さん:2008/08/06(水) 15:03:56 0
- 玄奘が命がけで天竺へ向かったのは一にも二にもありがたい経典のため
見聞を深めるなんてのは三の次以下
- 757 :世界@名無史さん:2008/08/14(木) 03:27:58 0
- >>756
頭が悪いのですね
- 758 :梵阿弥:2008/08/14(木) 19:46:46 0
- >>562
祟りというのは実は輪廻転生と関係在るという説も在りますね
>>691
梵天は「ブラフマー」と書くのが普通ですね。御免なさい。
また、「ローマ典礼暦」を見直すと「バアルラアムとヨザファト」と成ってました。
ヨサファト、ヨアサフ等いろいろな表記が在りますがバアルラアムは異例です。
11月27日というのは諸書と同じなので我等が?両聖の事なのは間違い在りません。誤植でしょうか。
今も聖人に含めている理由ですが、『黄金伝説』に拠れば両聖伝の舞台はインドです。ヴァチカンの
インド・キリスト教徒への配慮が感じられる判断だと思います。独立後はブリテンの後ろ盾を失いました。
また、インドのキリスト教は多彩です。カトリック信徒数をを小差でプロテスタントが追いますが、
西シリアに総本山のあるヤコブ派(キリスト単性説=非三位一体)も200万位居ます
- 759 :世界@名無史さん:2008/08/19(火) 08:29:19 0
- 質問です。どなたかご回答よろしくお願いします。
以前『論理的であることが仏教の存在理由』というような書き込みを見たのですが、
仏教ってそんなに論理的なんでしょうか?
よくわかりませんが、唯識やナーガールジュナの思想は高度な哲学のように思えますが・・・。
それと、このサイトではナーガールジュナの発言(もちろん創作ですが)としてこんなことが書かれていました。
「キサマ等 西洋哲学のいる場所は、我々が既に2000年前に通過した場所だッッ!!」
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/bakitetu.html
これって本当なんでしょうか?東洋哲学は西洋哲学より何千年も進んでいるんでしょうか?
あと、ウィキペディアにこんなことが書かれていました。
「私の患者には、一人の中国人もいなかったのですが、
彼らの心的発展を研究して得たものは、何千年来東洋の最もすぐれた精神の
持ち主たちが苦労して切り開いた教えと実によく対応していました。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0
このユングの述べたことについてどう思いますか?
- 760 :世界@名無史さん:2008/08/19(火) 12:48:10 0
- 29 :世界@名無史さん:2008/08/17(日) 22:48:08 0
スレ違いになるんでしょうが、質問です。以前このスレで『論理的であることが仏教の存在理由』みたいな書き込みがあったはずですが
仏教ってそんなに論理的なんでしょうか?どなたか詳しい解説をお願いします。
わたしとしては、無矛盾律や自然法論などについての、いわゆる“キリスト教哲学者”の論議を見ていると、
キリスト教(またユダヤ教やイスラム教も)こそ「ものごとの性質上正しい」んじゃないかなあ?と思うんですが。
たとえば(この場合はイスラム哲学になりますが)イブン・スィーナーの
「無矛盾律を否定する者は、打たれることが打たれないことと同じでないと認めるまで打たれ
焼かれることが焼かれないことと同じではないと認めるまで焼かれるべきだ」
という言葉は、まさにそのとおりで「ものごとの性質上」正しいと感じます。
よく、一神教は排他的だと言われますが、ものごとの性質上、真理は偽りに対して排他的です。
神は存在するのであれば「神は存在しない」というのは偽だということになりますし
人生に目的があるのであれば「人生には目的がない」というのは偽ということになります。
ものごとの性質上真理は一つしかないからです。
たとえば、ワシントンDCが米国の首都であるということは、米国の他のどの都市も首都ではないということを意味します。
他の都市を「米国の首都である」と言うならば、それは排除すべき誤りです。
米国の首都は一つであって、それがワシントンDCだというだけです。
つまり(キリスト教が正しいのであれば)真理は一つであり、それがキリスト教だということになります。
米国の首都に関する排他的事実を認めるからといって、その人が寛容になるわけでも不寛容になる訳でもありません。
ただその人が正しいだけです。
そういう意味では、キリスト教こそが真理であり、他は間違っていると主張したとしても、別に不寛容でも何でもありません。
つまり・・・真理の宗教が存在するならば、その宗教は(ある意味では)排他的なはずです。
こんな感じで「ものごとの性質上」キリスト教は正しいと感じますが、どうでしょうか?
また、仏教は本当に論理的なんでしょうか?長文失礼しました。
- 761 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/08/19(火) 20:37:26 0
- >>759
>「キサマ等 西洋哲学のいる場所は、我々が既に2000年前に通過した場所だッッ!!」
元ネタの漫画『グラップラー 刃牙』の台詞なのですよ。
>>760
特定の思想を説けば、それに入らないものを排除せざるを得ないという点は
確かにそうなのですが、そのことは「キリスト教こそが真理」という結論を意
味しませんね。
この方は納得出来ておいでなのでしょうが、他者を説得出来るだけの論拠が
提示されていません。
それでは仏教はどうかと言えば、まず第一に「八万四千の法門」があります。
これは釈迦が対機説法、即ち異なる相手ごとの状態に応じ、医師が異なった
治療を授けるように異なった教えを授けられたことに由来するもの。
治療法は異なっても釈迦は一人。
つまり全ての教えは表面上異なっていても同一の真理から発しているという
ものです。
実際には仏教徒同士でも「これがより釈迦の説に近く、他の教えは方便であ
る」という法論はありましたが、こうした思想から対立を止めるべきだとい
う説もありました。
また、仏教徒が他宗派を否定する場合、釈迦の教えの「方便」であると言わ
れはしましたが、全くの妄説とはまず言われませんでした。
キリスト教が日本に伝来した時、仏僧の多くは宣教師に対して「枝は異なる
が同一の教え」だと呼びかけ、宣教師側が拒否することがありましたが、こ
れもキリスト教を「法門」の一つと見たことによります。
- 762 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/08/19(火) 20:44:03 0
- 第二に、他宗教への対応ですが、インドではバラモン教やジャイナ教と論争
をしたことが『大唐西域記』に見られ、仏典で「外道」と呼ばれるこうした
面々との対立・論争は確かに存在しました。
有名なのは「六師外道」ですが、おそらく釈迦の時代から玄奘の時代、更に
それ以降に至るまで、インドには無数の思想が生まれ、消えていた筈です。
仏教の立場から見れば否定される「外道」は確かに排除の対象でした。
しかし、玄奘がインドで行ったのはあくまでも自論による論破です。
裁判にかけたとか、信仰対象を破却・殺害したとか、根絶した訳ではない。
論争はこれ以前にもあり、これ以後もあったと考えれば、共存していたとい
うことから思想的には排除することはあっても政治的な排除は望まれなかっ
たと言っていいと思われます。
また、論争は公の場で行われた訳ですが、自分から他寺に乗り込むという反
発をかうような行動はとられていなかったのではないでしょうか。
- 763 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/08/19(火) 20:44:56 0
- >ものごとの性質上、真理は偽りに対して排他的です。
これに関しては、鈴木大拙が禅に限らず仏教は二項対立、二元論的な発想で
はなかったということを述べています。
禅以外の仏教(の範囲自体がそもそも広すぎるのですが)についてどういう
見方からそう述べたのかは分かりませんが、禅では「不立文字」です。
白と言えば黒ではなくなり、黒と考えれば白ではなくなる。
結局、言葉にすれば真理ではなくなるのであり、悟るしかないというもの。
中国の百家の内、後代まで影響を与えたのは儒・道しかなかったと言ってい
いと思いますが、これらも仏教と門は異なれども同じ求法の者という解釈が
多かったと思います。
確かに道教かぶれの皇帝や廃仏もありましたが、殺害や根絶がキリスト教ほ
ど求められた(違いを言いたいだけですが)ことはないような。
月並みなところに落ち着いてしまいますが、やはり思想的土壌が異なるとい
うか。西洋哲学の「白ないしは黒」という二元論的思考はプラトンに遡ると
言いますが、南〜東アジアでは白か黒のいずれかであり、いずれかのみを残
すということに、執着してこなかったように思います。
自論と異なって存在していれば、方便その他の理由をつけてしまう。
(これも厳密には南・東南アジアと東アジアで違いはありますが)
- 764 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/08/19(火) 20:56:45 0
- >米国の首都は一つであって、それがワシントンDCだというだけです。
そういった経緯からすれば、こうした考え方は珍しいですね。
「こうでなければならない」とされている訳で。
そもそも、揚げ足をとらせて頂ければ、首都だから一つとは限らない訳で。
以下は私的余談。
>米国の首都に関する排他的事実を認めるからといって、
「事実」という言葉ほど怖ろしいものはありません。
差別じゃない区別だ。事実だからこうしていい。
この手の(実は本人だけの)区別や事実ほど排除される側に悲劇をもたらし
て来たものはない。
身も蓋もなく言い切ってしまえば、所詮は人の脳内の観念です。
どんな考え方も浮かぶ訳で、その場に相応しい治療法になればいい。
私は仏教は必要ない人には弊履の如く必要ない教えでいいと考えていますが。
脳内の観念を包括的「事実」と認定して、それにそぐわない脳の外の現実と
争い、破壊を生むようなことでもあれば、喜劇を兼ねた悲劇でしょう。
>29の方は最初「正しいと感じます」と書かれている。
これならまだいいのですよ。それが「排除すべき誤り」に対する「正しいだ
け」になった時、それを信じていない人には碌でもないことになりそうで。
本人は気持ちいいのでしょうが、脳内にいない側には厄介の種です。
大体虐殺をした側の言い分は「単なる事実に基づいた行動」でしたからね。
十字軍だろうが、ホロコーストだろうが。
- 765 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/08/19(火) 20:58:18 0
- 捨て台詞を。
仏教だろうがキリスト教だろうが思想は人が使うもので、人が使われるもの
ではありません。
- 766 :759:2008/08/20(水) 03:24:25 0
- >>761
ご回答ありがとうございます。>>760は自分がキリスト教史スレに書き込んだものです。
マルチポストみたいになってしまうのを避けるため、あえて同一の文章を
コピペをするのを避けていたのですが、なぜかこのスレにコピペされてしまいました。
最初は無矛盾律や真理の唯一性についてのくだりは書き魔ないつもりでした。
しかし、自分がどういう考えを持っているか、どうしてキリスト教は正しいと考えているのかについて、
それを知っていただいたほうが回答者の方も答えやすいかと思い、付け足しました。
神学論争や布教活動をしたかった訳ではなく、
純粋に質問したかっただけなのですが、議論を呼ぶ内容だったかもしれません。
以前NHKで五木寛之さんの出ている仏教の番組を見たのですが、
欧米では仏教はキリスト教に比べてわかりにくい教えだととらえられていたとのことです。
確かに、仏教は漠然としていてつかみにくく感じます。
実際、山野野衾さんは、仏教は論理的なものだと思っておられますか?だとすれば、それはどうしてですか?
わたしには、高度に洗練された哲学だというイメージはあるものの、実際にはよくわかりません。
以前見た『論理的であることが仏教の存在理由』という書き込みがどうしても気になったので、
質問させていただきました。どうかご回答よろしくお願いします。
- 767 :世界@名無史さん:2008/08/20(水) 14:14:00 0
- 門外漢ですけど、考えてみますね。
>>760 はつまり、(そもそもキリスト教以外正しくはないが)仏教は論理的とは思えない、
で、ここでいう論理的っていうのは、神を論理的に考える思考作業ということでおk?
仏教が、だいたい >>82 みたいなもの(反論も参照せよ)とすると、「神を論理的に考える思考作業」がないことがわかる。
そうすると、気になってる「論理的であることが仏教の存在理由」の「論理」は、信仰ではなく哲学性を示しているとも受け取れるね。
正しいか正しくないか、あんまりグダグダいうのは仏教的には好ましくないことのようなので、そういう点では >>759 のお好みには合わないだろうね。
ローマ教会みたいにお上の方針をさ、上意下達させるところだと神学論争でもなんでもやって、名義の部分にこだわらざるを得ないんだろうけどね。
最後に。
山野さん捨て台詞かっこいいじゃねぇかぁぁぁ。
- 768 :世界@名無史さん:2008/08/21(木) 00:06:41 0
- インド人は
嘘も方便とか、色即是空、空即是色とか、言っているところへ
なまじ経済が発達して借金とか債権と言う概念があったから
ゼロを発見したんだな。
- 769 :世界@名無史さん:2008/08/21(木) 04:38:20 0
- >>759
「ミリンダ王の問い」と言う仏教の対話録は2000年以上前のものだが、
ギリシャ人の影響によりつくられたものだよ。
プラトンの対話編との類似性が指摘されている。
ここに出てくるナ−ガセーナはナーガルージュに先んじること300-400年前だよ。
またユングはオカルトにはまるような人物だから少し割り引いて理解した方がいい。
>>766
キリスト教と言うよりアリストテレス哲学だろうから、キリスト教哲学はその単なる一解釈でしかないよ。
キリスト教は間違った信仰だと言う可能性を信心により排除しているだろ。
信仰は信心が優先するのであって論理は後付けでしかない。
ここが学問とは大きく違う点だな。学問は常に懐疑だよ。
仏教は論理的と言うよりは観念的なんだよ。
だからドイツで特に研究が盛んになった。論理で経典解釈する結果観念的抽象的になる
からわかりにくいんだろ。マルクス主義やドイツ観念論に似ているな。
>>764
世界に首都は無数にあり、無数に盛衰してきた、でいいんじゃねww
>>763
仏教の二元論こそウパニシャド哲学に起因するものだよ。
梵我一如のという梵と我はブラウマンとアートマンの対峙だろ。
>白と言えば黒ではなくなり、黒と考えれば白ではなくなる。
結局、言葉にすれば真理ではなくなるのであり、悟るしかないというもの。
この辺は実にウパニシャド的だよね。ドイツ観念論の止揚にも似た理解だな。
- 770 :世界@名無史さん:2008/08/28(木) 05:54:51 0
- <韓国>「現政権が仏教を差別」 僧侶ら6万人が抗議デモ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080827-00000092-mai-kr
- 771 :世界@名無史さん:2008/08/28(木) 06:41:25 0
- いよいよ時代錯誤の仏教弾圧が始まる予感
- 772 :世界@名無史さん:2008/08/28(木) 12:46:11 0
- 仏教って平たく言えば
「喜怒哀楽の元になる外からのシゲキにたいして
心を動かすな」ってことでしょう?
たとえば喉がからからに渇く。その状態で
水を飲むと「なんておいしいんだろう!また
真夏の炎天下で散歩をしよう!」って思う。
だがこれを繰り返してるうちに「乾いた状態は
水がおいしいが、結局また水がおいしくなくなり、
水をおいしく飲むためには乾くことが必要となり、
結局、乾く=水がおいしくない、というのと
おなじじゃねーか。
- 773 :世界@名無史さん:2008/08/28(木) 12:49:11 0
- 人間の感性は振り子運動と同じで、
あるモノを強く感じるとその反動で
その逆のことがその分強く感じる。
そしてまたその逆のことを感じ、
さらに元のところに戻る。
同じことの繰り返し。
とするならば、最初から振り子の
運動を起こさねばいいのだ。
そうすれば喜んでは次の悲しみに
震えることがなくなり、悲しんでは
次の喜びを期待しなくてもよくなり、
その喜びは結局は悲しみの元であると
気持ちが沈み、
無駄に体を精神を損なわずにすむ」
ってことでしょ?
- 774 :世界@名無史さん:2008/08/28(木) 14:19:23 0
- >>772>>773
インドは豊かだったから、何千年も前から禅問答みたいなことを
繰り返すだけで飯が食べれた階級がいたのだなぁ
寒い中国や、日本だと、禅問答だけで飯が食えたかどうか
定かではないもんなぁ
奈良仏教は国家公務員だったし、
空海や行基は結構事業をやっいた形跡があるし、
アルバイトで祈祷をやっていたようだし、
中国仏教は金貸しをやっていたし、
- 775 :梵阿弥:2008/08/30(土) 18:37:40 0
- >>692
馬場 健太という人のブログですか。大学生らしいですね。しかし、
『黄金伝説』 著:ヤコブス・デ・ウォラギネ 訳:前田 敬作/山中 知子 平凡社ライブラリー
の174章 聖バルラームと聖ヨサパト、では、
"ヨサパトは、(略)教会を建立し、十字架を立て、(略)父王をも説得した。父王は、入信して受洗した。
(略)贖罪の余生を送り、安らかに生涯の幕を閉じた。" 423-424頁
と在ります。これで
>アヴェニール王の希望どおりに、この二聖人を破門した。
というのは可笑しいでしょう。
馬場氏は『黄金伝説』を読んで無いんでしょうか。読んでも忘れたんでしょうか。或いは、
「入信受洗前の」希望通り、の積りで語句を入れ忘れたでしょうか。
両聖伝自体は『黄金伝説』以外にも在ります。中には父王が「異教徒」のままだったという
物も在るかもしれません。しかし典拠を示して居ませんよね。
その後のブログも題名位は見ましたが特に何も無いようです。当面は、「破門」というのは
馬場氏の勇み足と見るのが妥当だと思います
- 776 :世界@名無史さん:2008/09/08(月) 12:05:41 0
- >>774こういう振り子運動とは違うの?
- 777 :世界@名無史さん:2008/09/08(月) 12:16:54 O
- 仏教の歴史上偉大な人物は
池田大作博士
創価学会こそ釈迦が待ち望んだ仏の集団
世界中の宗教学者、哲学者、歴史学者が認めてる
- 778 :世界@名無史さん:2008/09/29(月) 06:17:17 0
- http://www.dharma-haven.org/tibetan/om-mani-padma-hum.gif
この画像をハードディスクに保存するだけであなたのハードディスクがマニ車になります
毎分5400回、あるいは7200回、もしくは10000回の経を唱えたのと同じ功徳があります
- 779 :梵阿弥:2008/09/29(月) 19:30:04 0
- >>692
雑談の所に書きましたが削除されましたね。元は、カイエ:So-netというサイトの記事ですね。
そちらで読むことは出来ます。
そうなるとカイエ(Lapis)という人の認識が問題になりますね。『黄金伝説』を読んで無いんでしょうか。
猶、黄金伝説の平凡社ライブラリー版は4巻に分かれていて、両聖伝を含むのは『黄金伝説4』です。
『中世の説話』は後に『中世ヨーロッパの説話』と改題して中公文庫から出ています。今はどちらも
絶版ですが。カイエ氏は主に同書に拠ったようですね。記事の始めに上げてますし、父王アヴェニール、
王子ジョザファというのは同書ならではの表記です。しかし同書も「破門」とは書いてません
- 780 :世界@名無史さん:2008/10/11(土) 11:22:03 0
- >>778
ヘッドで読まれて無くてもいいんかい
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