オーストリアの歴代皇帝について語るスレ
- 1 :KYK:2006/01/28(土) 13:50:39 0
- 激動のヨーロッパにおいておよそ八百五十年の歴史を刻み、後世に様々な遺産を遺した一大帝国である神聖ローマ帝国の
衣鉢を継ぎ、ナポレオンの時代からヨーロッパにその歴史を築いて旧体制の象徴として一目置かれながらも、僅か百十数年で
その歴史に幕を降ろしたハプスブルク家の帝国・オーストリアの歴代の皇帝について語ろう!
- 836 :世界@名無史さん:2008/04/02(水) 18:36:58 0
- どうだろう?
オーストリアは旧オーストリア帝国(ハンガリー除く)の法的な継承国家だけど
ハンガリーと違ってww1の結果「つくられた国家」だからねえ。
オーストリアやチェコは中世領邦からの断絶があるからハプスブルク家支配の
正統性がないと思う。
- 837 :世界@名無史さん:2008/04/03(木) 08:58:25 0
- ×つくられた国家
○余った部分
- 838 :世界@名無史さん:2008/04/03(木) 12:28:44 0
- ドイツも散々だったがオーストリアほど酷くはねぇよなぁ……
そりゃかつて放棄した大ドイツ主義をもう一度目指したくもなろう。
つーかドイツ系だけの絞り粕がオーストリアだったのである意味必然か?
憲法のドイツとの合邦禁止ってのも馬鹿げてると思うけど。EU化で有名無実か。
- 839 :世界@名無史さん:2008/04/04(金) 13:15:04 0
- >>838
合邦禁止してなかったら確実に合邦してただろうけどな
まあ結局オーストロ・ファシズムが台頭したから状況は変わらんが
- 840 :世界@名無史さん:2008/04/04(金) 15:45:15 0
- むしろWW1後の矛盾しまくりんぐな社会の中で
世界帝国としての体面を保った英仏の二国と
勝ち組として成長できたアメリカの方が異常
- 841 :世界@名無史さん:2008/04/05(土) 02:40:08 0
- >>839
まあ独墺合邦禁止はドイツ弱体化が目的だから仕方ないが
オーストリア社会民主党までもが(だからこそ、かもしれないが)
独墺合邦を前提として共和国を考えていたんだからまあフランスの横暴か。
ウィルソン主義での解体が徹底されたハプスブルク帝国で例外がオーストリア。
旧ドイツ帝国領でない、ドイツ人国家がオーストリアだからなあ。
これが世界恐慌後にはイタリアに接近して独立を守ろうとするんだから分からんね。
結局、ウィーンはベルリンの支配化には入りたくない、てことなのかな。
- 842 :世界@名無史さん:2008/04/05(土) 10:18:17 0
- カトリック文化圏とプロテスタント文化圏て結構な溝があるんじゃないのかな
日本人が思う以上に
- 843 :世界@名無史さん:2008/04/05(土) 17:56:51 0
- >カトリック文化圏とプロテスタント文化圏
帝政期以降のミュンヘンも反ベルリンだからそうなんだろうね。
- 844 :世界@名無史さん:2008/04/12(土) 03:44:44 0
- 帝国では民主主義や地方自治って根付いていたのか?
- 845 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 18:04:57 0
- >>844
民主主義はともかく、地方自治は根付きまくってただろ
WW1の末期に帝国を離反して独立宣言した国の殆どは
帝国の地方政府を新国家の中央政府にしたようなもんなんだから
- 846 :あたご:2008/04/17(木) 10:12:43 0
-
日本はオーストリアの戦艦エリーザベトを撃沈
http://japansconspiracy.hp.infoseek.co.jp/02/p003.html#page34
- 847 :世界@名無史さん:2008/04/18(金) 07:00:27 0
- 撃沈、というより同意を得た上での処理だよな
- 848 :世界@名無史さん:2008/04/18(金) 20:46:23 0
- >>844
○ ハンガリー
民主主義:
世紀末段階では人口に占める有権者は以外に多い。
ハンガリー王国議会も長い伝統があり議会における抵抗も可能。
ただ不正選挙と強圧的なマジャール人エリート支配という問題あり。
地方自治:
クロアティアを除いて皆無。
マジャール人によるマジャール人のための大ハンガリー王国。
○ オーストリア
民主主義:
1905年に男子普通選挙、もっとも帝国議会はハンガリーと異なって
責任内閣をつくることは遂になく、困ったときは緊急勅令。
おかげでアウスグライヒの定期的な改定もできず…
地方自治:
一応、邦議会に一定の権限があるが帝国議会に比べれば大したことない。
ポーランドは例外的に自治が認められた。
○ ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
総督による支配。議会はあったけど、まあ植民地だからなあ。
まあマジャール人、少し劣ってクロアティア人とポーランド人のエリートたちは
ある程度自治が認められていたが
王国議会も帝国議会も皇帝・国王の政府任免権や外交・軍事大権には
意思を示せなかったんだから議会や選挙の制度が民主的でも意味がない。
- 849 :世界@名無史さん:2008/04/19(土) 03:41:24 0
- ドミニク・リーベンが現代インドとオーストリア帝国の
比較をやってて面白かったよ。
- 850 :世界@名無史さん:2008/04/19(土) 21:15:46 0
- http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~tamaki/joyama/joyama99/99tnk.htm
- 851 :世界@名無史さん:2008/04/26(土) 06:52:49 0
- 1914の7月危機を除いて、帝国が最も危険にさらされたのはいつだろうか?
48年革命?プロイセンとの戦争?ボスニア危機?
あと、フランス革命とナポレオン戦争中にハンガリーやボヘミアが
ウィーンに反抗しなかったのはなんでかね?
- 852 :世界@名無史さん:2008/04/27(日) 02:05:03 0
- >>851
帝国崩壊、という意味なら三月革命。
プラハとウィーンはどうでもいいが(検閲すら容認、緩和を請願するような革命だ)
北イタリア、そして何よりハンガリーがハプスブルク支配を否定した。
ハンガリー独立戦争は国法に基づく中世世界からの自立だけど
帝国における大ハンガリーの喪失は大国たるハプスブルク帝国にとって致命的。
普墺戦争は帝国改造(アウスグライヒ)を促進したくらいだからまだ国力に余裕あり。
更に外相ボイストは普仏戦争まで南ドイツ諸国への工作もしていたくらい。
これはビスマルクの無駄な敵は作らない策によるものだがそれ以降も五列強の一角を
ハプスブルク帝国は占めたわけだし。
ボスニア危機はww1への一里塚だがドイツが支持してロシアを抑えられたから
帝国崩壊の危険性はなかった。むしろ戦争するならこのタイミングという好機。
これを逃したから七月事件に至ったと考えると「見えざる危機」だったのかもね。
後段
ハンガリーは革命の影響を受けたジャコバン派の粛清があったから沈黙。
ボヘミアはマリア・テレジアのオーストリアへの一元化が功を奏したのかな。
ハンガリーはもちろん、ボヘミアですらブルジョア階級、インテリ層(狭義の市民)が
未成熟だったのも大きいと思う。
ハンガリーに至っては戦後まで遂に市民階級は育たなかった。
- 853 :世界@名無史さん:2008/05/03(土) 00:20:49 0
- ウボアー('A`)
- 854 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 16:10:38 0
- 可愛いあの娘とアウスグライヒ
- 855 :世界@名無史さん:2008/05/18(日) 08:48:32 0
- にちゃんねるで言う「晒しage」。
これは旧来の言葉で類するもので例えるならば「晒し首」などですね。
これはイタい書き込みを衆知に晒す事によって対象を笑いものにしよう
というニュアンスなのです。
もちろん富野節で雑談する行為自体が「イタい」と言われるならば
小生これを否定する術はありません。
ただもっとね、「晒す」等という微妙な言葉を使わないでね、例えば
「応援age」 ですとか労わろうとする言葉を使うという気遣い、これは
持ち合わせても 大人として決して損にはなりません。
っていうか老人は大事にしろ!(笑)
- 856 :世界@名無史さん:2008/05/24(土) 18:02:44 0
- >>747
今更で見てるかどうかもわからないけど、
amazon.comで"Francis the Good"で検索すると幸せになれる。たぶん。
英語だから安心汁w
- 857 :世界@名無史さん:2008/05/25(日) 13:44:47 0
- 英語だと「善良なフランツ」はそういうのか。
- 858 :世界@名無史さん:2008/05/25(日) 15:47:36 0
- 侍従長や女官を輩出して皇室にはかなり近い立場にあったのに
オーストリアを見捨てて敗戦の責任も免れすたこら逃げてった
リヒテンシュタイン侯爵家が王族としてちやほやされてるのを見ると
何か悲しいような気持ちになる時がある
ハプスブルクも傍系がベルギーの王族になったりしてるからいいのかな
- 859 :世界@名無史さん:2008/05/25(日) 23:00:08 0
- >>858
彼らに言わせれば 「自分たちが仕えていたのはハプスブルク家という
王家であってオーストリアという国家そのものに直接仕えていたわけ
ではない」 ということらしい。
だから彼らの理屈としてはハプスブルク家の支配が終わった以上、
いつまでもオーストリアに奉事し続ける義理もないというある種の
ドライな思想だったわけだな。
まあでも最近ではオーストリアとの関係も強化されつつはあるようだが。
オーストリア国内にはリヒテンシュタイン家の広大な領地もあるし
帝政が崩壊したとはいえオーストリアとリヒテンシュタインとの関係は
決して浅くはない。
- 860 :世界@名無史さん:2008/05/26(月) 20:07:37 0
- >>859
それ、全部逃げるための口実だと思うんだよね。
責任放棄して爵位と領地維持するための。
彼らの給料は国から出てて、その国の要職に就いていて
海外公務に随行したりしたのも、国から出てたんだし。
関係が浅くないのは元々あれもオーストリアを構成する領土の一つだったからで
オーストリアが敗戦して独立したけど、こういう無責任な家が他にも乱立してたら
今頃オーストリアはもっと小さい国だと思うと、他国・他家ではちょっと考えられないなあ。
(調べたら他にも居たりして)
オーストリアとリヒテンシュタインって縁組がない(多分)のも過去のせいかと思った。
家同士が親密という訳にはいかないから出会いもないのかなと。
リヒテンシュタインが王族になって貴賎結婚なんて括りがなくなった後もないし。
ちょっと前に憲法改正について長年揉めていたのが侯爵の権利強化で決着した時、
侯爵が国民にウィーンに引っ越すという脅しをかけてるというような記事があって、
失礼だけど蛙の子は蛙、のごとく凄いDQNだと思ってしまった。
ウィーンがお断りって言うんじゃないかとも思った。
未だに国民・領民は二の次で自家が生き残ればって考えの様だし、
そのネタにウィーンを出すのも酷いし。
確か当時の政府高官が言ったような、侯爵家がなければ
国や国民の価値すらないと思い込ませてる所が凄い。
そのままオーストリア国民でいた方が良かったんじゃないかと思うけど
侯爵のお蔭で敗戦国にならずには済んでるんだよね。
それと、侯爵が上記のような事を悪びれず口に出して切り札に使うって事は、
オーストリア国民の間では大して反感はないのかと思うとこざっぱりした国民性だと思いませんか?
国内事情に疎いので国民の心情は判らないけど。
長文レスすみませんでした。
- 861 :世界@名無史さん:2008/05/29(木) 20:20:40 0
- >860
リヒテンシュタインは神聖ローマ帝国の一部ではあったけど
オーストリア帝国の一部ではないですよ。
(侯爵位もオーストリアとは無関係です。)
- 862 :世界@名無史さん:2008/06/02(月) 08:25:12 0
- リヒテンシュタイン家が居なくなったらリヒテンシュタインはスイスに併合されかねないが
そうするとリヒテンシュタイン国民は税金と無縁の生活とおさらばしなければならない。
まぁそれ以上にタックスヘヴンとして利用している欧州の金持ちがこぞって反対しそうだが。
もちろん、帝政時代と面子が変わらないとも言われるオーストリア財界も。
- 863 :世界@名無史さん:2008/06/09(月) 18:44:36 0
- >>860
リヒテンシュタインは資金洗浄で最近話題になっているけど
あそこの侯爵家の認識はちょっと氏とは違うと思う。
だいたい侯爵家は国庫から一銭(1フラン?)も支給されていないし
ウィーンに逃げるというのもウィーンに侯爵家の宮殿を所有しているから。
チェコの領地についても係争中だったかな、まあこれは国家じゃなくて侯爵家の問題。
あと、現在のリヒテンシュタインの領土は一度もオーストリアの一部だったことはない。
爵位・領土もオーストリア帝国のそれではなく、神聖ローマ帝国が由来。
ライン同盟、ドイツ連邦を経て1866年連邦解体で独立。
ただリヒテンシュタイン家がオーストリアの重臣だったのは事実。
まあww1直後は連合国からはオーストリアの属国と見なされて
経済的にたいへんだったようだ。
連合国にすれば侯爵がウィーンにいるのだからそう思うわな。
- 864 :世界@名無史さん:2008/06/09(月) 19:21:12 0
- 神聖ローマ帝国解体以前の話するなら、ハプスブルク世襲領の総称的な意味でのオーストリアなのか、厳密な意味でのオーストリア公爵/大公領のことなのかちゃんと区別してくれ。
- 865 :世界@名無史さん:2008/06/09(月) 20:58:51 0
- 領邦国家としてのリヒテンシュタインに限って言えば
そのどちらのオーストリアにも属していない。
- 866 :世界@名無史さん:2008/06/22(日) 03:13:34 0
- U計画を実行すれば、帝国改造ができたんじゃないかな。
ライタ以西では民族対立が政界を混乱させるたびに
フランツ・ヨーゼフ(と官僚)が政治を執ったというのがね。
それとも老年の皇帝にはそんな無謀はできなかったのか。
ビスマルクとしてはオーストリアが親スラブ的な政権に移行して
ロシア・フランスと接近するのを恐れていたんでしょう。
ルドルフもフランツ・フェルディナントも反ドイツの傾向があったから
早死にしたらどうなっていたか。結局ハンガリーとドイツ人官僚に
反対されそうな気もするが。
あと、帝国の解体はあくまでも内的要因?それとも外的要因?
- 867 :世界@名無史さん:2008/06/22(日) 10:48:31 0
- これ見て飛んできました
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1799129
- 868 :世界@名無史さん:2008/06/23(月) 23:09:05 0
- >>866
U計画は伝家の宝刀でしょう。
切ったらそれまでだし、普選で脅しただけでマジャール人エリートは屈したし。
- 869 :世界@名無史さん:2008/07/05(土) 00:38:36 0
- オーストリアは何故ワルシャワ公国に負けたの?
- 870 :世界@名無史さん:2008/07/05(土) 22:58:26 0
- ( ^ω^)??
- 871 :世界@名無史さん:2008/07/07(月) 00:50:36 0
- ワルシャワ公国?
ナポレオン時代のポーランド(ワルシャワ大公国)のこと?
オーストリアってワルシャワ大公国がある時期って
完全なナポレオンとの同盟国じゃなかったか?
- 872 :世界@名無史さん:2008/07/20(日) 22:16:39 0
- 150年前の明日、ナポレオン3世とカブールのプロンビエール会談。
イタリアにおける優位がゆらいできた頃だな。
個人的には世界帝国からの脱落はドイツにおける優位を喪失したことよりも
イタリアにおける優位を喪失したことの方が大きいような気がしないでもない。
- 873 :世界@名無史さん:2008/07/29(火) 14:17:48 0
- ハプスブルクはナショナリズムの影響をモロに食らったというか
「ヴェネツィア人」とか「ミラノ人」だったのが「イタリア人」になって
「イタリア人はオーストリア人とは違うから俺はイタリア王国になる!」
っていうノリになってたし、あれ以上イタリアでの優位を維持するのは無理だろ
- 874 :世界@名無史さん:2008/07/29(火) 14:19:54 0
- >>863
掻い摘んで信長の野望とかのゲーム風に言ってしまえば
「従属」的な状態にはあるが、「臣従」はしてないわけか
- 875 :世界@名無史さん:2008/07/29(火) 19:22:08 0
- ドイツ連邦みたいなイタリア連邦をウィーン会議でつくれなかったのも
痛かったなあ。教皇領、ハプスブルク直轄領、ハプスブルク衛星国、
ブルボン諸国、独立系(サルディーニャ)とあったから難しいだろうけど。
まあナショナリズムはとりあえず1848年革命で抑えこんだから
フランスのナポレオン3世や英国がクリミア戦後に反オーストリアに
なった上にロシアとも敵対してサルディーニャが再戦をふっかけられる
国際環境にしてしまったのが問題かなあ。
てかこういう反ナショナリズムで連携できそうなのがロシアしかいないのに
手を切るんなら英仏ときっちり結ばないとねえ。
>>874
まあナショナリズム無視するとイタリア諸国は尼子家支配の安芸みたいなもんで
ひとり大内(フランス)に毛利(サルディーニャ)が鞍替えしたようなもんか。
- 876 :世界@名無史さん:2008/08/19(火) 03:47:48 0
- フランツ1世 (Kaiser Franz I. 1768〜1835)
初代オーストリア皇帝(在位1804〜1835)。神聖ローマ帝国最後の皇帝
フランツ2世として1806年まで君臨した。宿敵であるナポレオンに神聖
ローマ帝国を解体させられた上に娘のマリー・ルイーズを嫁入りさせられる
など手痛い屈辱を味わい、神聖ローマ皇帝としての在位中は災難続きだったが
ナポレオン失脚後は敏腕政治家メッテルニヒとともにウィーン会議を主宰して
新しい領土の獲得に成功。帝国の威信をある程度回復させた。
「善き皇帝」として国民に敬愛され、在位も30年以上に及ぶなどオーストリア
皇帝としての彼の治世はまずまずのものであった。
フェルディナント1世 (Kaiser Ferdinand I. 1793〜1875)
第二代オーストリア皇帝(在位1835〜1848)。初代皇帝フランツ1世の長男。
温和で善良な人柄であったことから「善良帝」と呼ばれた。虚弱体質であった
ため即位前は皇帝としての務めが果たせるかどうかが危ぶまれたが父帝と
宰相メッテルニヒの強い推挙を受け、1835年に父帝の後を継いで即位した。
温和でおとなしい性格であったため政治はメッテルニヒに任せきりだった。
その後三月革命でメッテルニヒが失脚、その煽りを受けて退位に追い込まれる。
退位後は植物学などに取り組み82歳で没した。
- 877 :世界@名無史さん:2008/08/19(火) 03:49:24 0
- フランツ・ヨーゼフ1世 (Kaiser Franz Joseph I. 1830〜1916)
第三代オーストリア皇帝(在位1848〜1916)。初代皇帝フランツ1世の次男
フランツ・カール大公の子。1848年に伯父のフェルディナント1世の退位を
受けて即位した。68年間の在位はハプスブルク家の君主の中では随一の
長さである。皇后は欧州一の美妃といわれたエリーザベト(愛称シシィ)で彼女
との間に四人の子を儲けた。在位は長いものの、弟でメキシコ皇帝となった
マクシミリアン大公は処刑され、息子のルドルフ皇太子は愛人と心中、皇后の
シシィとルドルフに代わる後継者だったフランツ・フェルディナント大公は暗殺
されるなどその治世は決して幸福といえるものではなかった。第一次大戦中の
1916年に86歳で死去した。
カール1世 (Kaiser Karl I. 1887〜1922)
第四代にして最後のオーストリア皇帝(在位1916〜1918)。フランツ・ヨーゼフ1世
の弟カール・ルートヴィヒ大公の孫。ルドルフ皇太子とフランツ・フェルディナント
大公の相次ぐ死により帝位継承者となる。第一次大戦中の1916年に即位し、何とか
平和裏に戦争を終結させようと試みるものの、事態をうまく打開できぬまま敗戦を
迎えて帝国は崩壊。それに伴うカール1世の退位によりハプスブルク家数百年の
支配は幕を下ろした。その後、亡命の地であるマディラ島で34歳の若さで死去。
2004年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。
現在のハプスブルク家の当主はカール1世の長男であるオットー氏が務めている。
- 878 :世界@名無史さん:2008/08/20(水) 17:06:30 0
- フランツ・ヨーゼフって877みたいに他の皇帝と同じ行数でまとめると
絶対に治世の話じゃなくて家庭生活の不幸話がメインになるなあ。
専制君主とか頑迷な保守主義者とか陸軍フェチとか失地王とか、
ここまで悪く書かんでも治世に特色のある人物だと思うのだけど。
- 879 :世界@名無史さん:2008/08/25(月) 03:15:03 0
- 皇帝はイタリアやドイツで失なわれた領土の穴埋めに、義務感を感じていたんでしょ。
ならば、当時の流行だった海外植民地に結び付かなかったのが分からん。
嫌っていたレオポルド2世はコンゴに広大な植民地を築いたし、ドイツでは産業界が
植民地拡大を望んでいた。ナポレオン三世すら植民地主義をナショナリズムに
結びつけてフランスの栄光を演出したのに。
アフリカとか太平洋の不毛な地域なら手を出せそうなところもあったのではないかな。
年が経つにつれて、どんどん複雑な泥沼になるバルカンに手をつっこむよりは
経済的な実りはごく僅かでも、領土を拡大できる場所を求める方が皇帝も満足できると思うんだが。
そのくせ、ちゃっかり義和団鎮圧に参加したり、中国に租界を保有していたり。
FFの方が海外領土に関心があったらしいのだが・・・。
- 880 :世界@名無史さん:2008/08/25(月) 20:55:56 0
- >>879
海軍や産業界は紅海や南洋などの海外植民地を考えたようだが
結局頓挫しているね。
メキシコも、まあハプスブルク家の野心は否定できない。
まあカール6世の東インド会社閉鎖(国事詔書承認の条件)で
英仏蘭のような植民地建設は不可能だったし独伊のような国威発揚のために
植民地を建設するには共通財政が余裕がないし、で仕方がなかったんだろう。
オーストリアが陸軍国であることも関係あるかな。
バルカンはボスニア併合で植民地を得たけど基本的には
近代日本における朝鮮半島と同じで他の列強に支配されれば
帝国の独立そのものに関わる地域。
実際、ベルリン条約の段階では海軍配備できるダルマティアの後背地としての
ボスニアの統治権とサンジャックの駐屯権を得ただけで(皇帝は併合でないことに
不満だったようだがそれでも領土が増えたことにはたいへん満足したらしいが)
何よりトルコ保全が帝国の利益。
セルビアは衛星国、ルーマニアは同盟国、ブルガリアは反露に転換、
この情勢を維持して三国同盟+英国(地中海協定)との友好で露仏に対し
バルカン半島の勢力均衡を保つことが皇帝と帝国の利益だったんだろう。
つまり現状維持が精一杯だった、と。
- 881 :世界@名無史さん:2008/08/29(金) 07:43:18 0
- ドイツの青島統治時代の統計では二重帝国の人々も極少ないけど住んでいたようで。
清朝末期の中国では外国資本との合弁による銀行が多々あったけど、
ベルギーやノルウェーはあるのにオーストリアが無いのは寂しい・・・。
鉄道建設に参画していたか、清朝への借款も行っていたかどうか怪しいし。
ボスニアは併合の際にハンガリーより、あれだけ反対があったのだから
ムスリムを押し立てて傀儡国家を仕立てる案は無かったのだろうか。
あの地域にも中世に王国があったし、あながち不可能では無いと思われるのだけど。
何より帝国にとってのボスニアは地理的な重要性があるからこそで、経済的には
豊かというわけでもないのだから(というか後進地域?)、統治コストを考えればね。
二重帝国が1930年代の東欧に君臨していたら、ナチスドイツの戦略や
第二次世界大戦にどの程度、影響を及ぼしていただろうか?
帝国存続の時点で第一次大戦の終結も、その後の世界情勢も変化しているから
この考察には無理があるのは分かっているが、あえて考えてみたい。
- 882 :世界@名無史さん:2008/08/29(金) 21:52:08 0
- >>881
経済的な後進地であることは事実だが傀儡王国は難しいと思う。
ボスニア併合は主権国家である青年トルコの主権に対する野蛮な攻撃と
列強にはとられていたしブルガリアとの共同謀議も列強に疑われた。
傀儡国家をつくってもセルビアみたいに政変で崩れたら終わりだし
ハプスブルクの意思はロシアとのトルコ分割で合意していたと見ていい。
そもそもアンドラーシらベルリン条約時代の帝国官房はボスニア統治も
サンジャック占領もトルコの内政改革(親露ブルガリアを独立させない)の
ためだったわけで、ベルリン会議でボスニアを得たことも意外だったくらい。
二重帝国が戦間期の中東欧に君臨していたら、という問いは分からないに尽きる。
戦争が勃発して数週間で「主敵はドイツ」と軍部に言わしめたくらいだから
帝国がドイツと離れて存続する、例えば早期単独講和などは難しかっただろう。
存続した場合、ハンガリーの優位が強まってますます消極財政になったかも。
ソ連・ドイツの中間にあるハプスブルク帝国はソ連(ロシア)と妥協できない以上
ベルリンと結んだかもね。
「帝国が存続したとしたら、ヒトラーを牽制するよりも支持していたことはほぼ
まちがいない」(帝国史研究者アラン・スケッド)
- 883 :世界@名無史さん:2008/09/07(日) 18:43:37 0
- 皇太子だが日本に来てたんだね。
オーストリア皇太子の日本日記―明治二十六年夏の記録 (講談社学術文庫) (文庫)
ttp://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E
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- 884 :世界@名無史さん:2008/09/08(月) 01:52:46 0
- 数ヶ月前に買ったが帝位継承者フランツ・フェルディナントの
日本訪問そのものはオーストリアの利益になったかどうかは
知らんが(日本は大津事件や将来の条約改正のために重要だったが)
オーストリアの海軍力の問題(陸軍好きの皇帝との確執)は
東アジアにおけるオーストリア権益の劣勢の打開、ハンガリーとの共通軍事財政から
「三重帝国」への移行などを考えさせたかも知らんねえ。
まあ帝位継承者フランツ・フェルディナントの将来の展望を知ると過大評価は
できないが、当時の日本や彼の人となりを知る上では悪くない。
欲を言えば日本以外の全日程を訳出・刊行して欲しかった。
- 885 :世界@名無史さん:2008/09/26(金) 03:48:17 0
- ルネ・ジロー『国際関係史 1871〜1914年』によれば
この時代の金フランに対する各国通貨の平価が
1ポンド=25.221(フラン)
1トルコ・ポンド=22.784
1米ドル=5.181
1ルーブル=2.66
1日本円=2.58
1オランダ・フローリン=2.083
1ドイツ・マルク=1.235
1オ−ストリア・ハンガリー・クローネ=1.05
(イタリア・リラ、ベルギー・フラン、スイス・フランは
フランスフランと等価)
国際的な主要通貨が金本位制、あるいは金銀複本位制に依拠しており
これらの通貨間では固定平価が維持されていたという。
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