ササン朝滅亡〜モンゴル侵入前夜のイラン
- 1 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 00:44:52 0
- カリフの権威が蔓延ったイラン史
アッバース朝、ブワイ朝、セルジューク朝、ホラズムシャー朝
このへんすかね?
- 2 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 01:51:59 0
- 2ゲット
- 3 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 08:43:10 0
- アッバース朝、ウマイヤ朝のスレがすごい閑散としてるんですけど・・・
- 4 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 21:50:06 0
- 隻眼の武将ターヒルとか鍛冶屋のヤークーブとかが王朝を建てた経緯
無学なので全然分かりません
- 5 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 21:53:45 0
- >鍛冶屋のヤークーブ
ハワーリジュ派に対抗して自警団を組織したんだっけ? うろ覚え
- 6 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 22:38:03 0
- マイナーなイラン史の上に更にマイナーな時代を選んだな。
過疎化しないように>>1自身が盛んに話題を振らないといけないよ。
- 7 :世界@名無史さん:2006/08/12(土) 01:23:05 0
- イランと中国くらいかねぇ。年代まんべんなくスレが立つ傾向があるのって?
- 8 :世界@名無史さん:2006/08/12(土) 01:29:40 0
- ロシアとドイツも一応全時代カバーされてると思った。
- 9 :世界@名無史さん:2006/08/12(土) 02:03:18 0
- ドイツとロシア史って、イランと中国の1/3くらいの長さだからねぇ全時代といっても。
- 10 :世界@名無史さん:2006/08/12(土) 12:30:30 0
- この世の全ての美しいものはイランに発する
と、故・本多実信氏が仰っておられます。(『モンゴル時代史研究』序説)
- 11 :世界@名無史さん:2006/08/13(日) 12:38:38 0
- wikiのマームーンの頁
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%B3
アッバース朝はもうぼろぼろ
- 12 :世界@名無史さん:2006/08/13(日) 14:59:56 0
-
北朝鮮をなめてると痛い目にあうからね。
土曜日も世界最強だったイスラエル軍がヒズボラの前にボコボコ。
【最新情報】
イスラエル紙ハアレツ
http://www.haaretz.com/hasen/spages/749479.html
IDF(イスラエル国防軍)発表で土曜日に兵士24人死亡。
撃墜されたヘリ搭乗の5人も全員死亡確認。
-----------------
自慢だったメルカバ最新戦車も、連日ロシア製ATMメチスMでズタズタのボコボコ。
Anti-tank missiles were a key tool used against the IDF, claiming lives of soldiers.
* Three fighters of the Armor Corps' Battalion 9 were killed after an anti-tank missile hit a Merkava tank in which they were riding in Wadi Sluki on the eastern region.........
↑↓土曜日の戦車被害が並んでるけど多すぎて以下省略。
http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-3290185,00.html
[これが恐怖の携行ATMメチスMだ→]http://www.shipunov.com/eng/atgw/metis.htm
- 13 :世界@名無史さん:2006/08/15(火) 19:40:28 0
- 取り敢えず、この時代のイラン史を扱った本を紹介してくれ。
- 14 :世界@名無史さん:2006/08/17(木) 09:50:55 0
- アイヤール
- 15 :世界@名無史さん:2006/08/17(木) 22:24:35 0
- アイヤールってゾロアスター教徒なの?
- 16 :世界@名無史さん:2006/08/18(金) 01:50:51 0
- もっと昔の「ジャヴァーンマルド」とかだったらそうかもしれないですね。
- 17 :世界@名無史さん:2006/08/19(土) 21:08:41 0
- 【Parthia】中世ペルシア諸王朝史【Sasan】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1105356309/
アケメネス朝ペルシャ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1079357659/
- 18 :世界@名無史さん:2006/08/26(土) 02:04:06 0
- イスマイール1世が出て来るまでシャーの称号を使う人は居なかったんでしょうか?
また、それは何故なんでしょう?
- 19 :世界@名無史さん:2006/08/26(土) 14:28:31 0
- シャー使われてたよ。そもそもオスマン朝もシャーだったりする。
- 20 :世界@名無史さん:2006/08/26(土) 14:54:21 0
- オスマン朝は「シャー」と言うより、「パードシャー」だと思うがな。
ブワイフ(ブーヤ)朝とかセルジューク朝とかホラズム・「シャー」朝とか
普通に「シャー」って使ってると思うのにサファヴィー朝の時だけ特別視するのは何故?
- 21 :世界@名無史さん:2006/08/26(土) 16:33:56 0
- ブワイフ朝は「シャーハンシャー」か「アミール・アル=ウマラー」が一般的で、
セルジューク朝は「スルターン」か「シャーハンシャー」。「シャー」単独は
称号と言うよりは王族の人名要素。ホラズムシャー朝も基本的に同じで、君主は
「ホラズムシャーであるスルターン・だれそれ」という形式。王族は「マリク」号。
王号として「シャー・なになに」で呼ばれるのは意外にもサファヴィー朝以前には
あまり大きな王朝ではなかったので、それで「シャー」といえばサファヴィー朝なのかも。
- 22 :世界@名無史さん:2006/08/27(日) 16:52:32 0
- >19
そういやオスマン朝の王宮ではペルシャ語使ってたんだな
セルジューク朝なんかでもそうだったんだろうか?
- 23 :世界@名無史さん:2006/09/05(火) 22:02:29 0
- 文学はみんなペルシア語
- 24 :世界@名無史さん:2006/09/14(木) 00:24:00 0
- 支配者がアラブ人からトルコ人に変わったンで遠慮なくペルシア語を記せるようになったと言うが…
- 25 :世界@名無史さん:2006/09/14(木) 00:29:29 0
- >アラブ人からトルコ人に変わったンで
小池一夫?
- 26 :世界@名無史さん:2006/09/18(月) 22:13:16 0
- >>13
見当たりません
誰か教えて下さい
- 27 :世界@名無史さん:2006/09/20(水) 01:10:39 0
- >>26、13
どうぞ
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4634413906
- 28 :世界@名無史さん:2006/10/15(日) 16:07:24 0
- age
- 29 :世界@名無史さん:2006/10/23(月) 22:22:04 0
- チンギスハンとジャラールの戦いは英雄的な物語として語り継がれたが
耶律大石とサンジャルの戦いなどはイラン人にとってどう言う扱いなんでしょう?
- 30 :世界@名無史さん:2006/10/23(月) 22:24:53 0
- 東洋文庫の「王書」は高いけどお薦め。
- 31 :世界@名無史さん:2006/10/23(月) 23:03:41 0
- 今のイラン人にどう捉えられているかは知らないけど、
スルタン・サンジャルの敗北は東方イスラーム世界にとって、かなりの痛手だったことは確か。
サンジャルのお蔭で取り敢えず纏まりかけていたイラン地域の支配が、この敗戦をきっかけに
群雄割拠状態に逆戻りした。特にセルジューク本家の内紛は歯止めが効かなくなり、しかも
マーワラーアンナフルにオグズ系の諸集団が大量に流入するようになった。
サンジャルは敗戦の後もホラズムやゴール朝との戦闘で威信の回復に努めたけど、兄弟の
スルターン・ムハンマドの一族が支配するイラン西部へは殆ど手が付けられなくなったし、
東部ではオグズ集団との戦争で掛かり切りになった。結局この混乱を収束出来ないうちに、
配下のオグズ集団の反乱にあって捕虜となることに。
耶律大石とサンジャルの戦いは、セルジューク朝崩壊の遠因と理解されていると思う。
- 32 :世界@名無史さん:2006/10/28(土) 18:50:50 0
- ルームセルジューク
イラークセルジューク
ケルマーンセルジューク
に分裂
- 33 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 02:45:56 0
- 暗殺教団の時代ですよね?
- 34 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 13:17:10 0
- まあ後半は・・・
- 35 :世界@名無史さん:2006/11/16(木) 22:07:12 0
- 「フワダーイナーマグ」って日本語に訳すとどう言う意味?
- 36 :世界@名無史さん:2006/11/19(日) 04:12:15 0
- 直訳すると『主の書』だが、要は『シャーナーメ』の前身みたいなもんだと思えば良いかと。
- 37 :世界@名無史さん:2006/11/19(日) 14:55:46 0
- >>33
セルジューク朝に抗うのもイラン人の反チュルク感情が産み出したものとも
でもホラズムシャー朝には従うわけで
- 38 :世界@名無史さん:2006/12/02(土) 08:56:29 0
- age
- 39 :世界@名無史さん:2006/12/02(土) 11:54:11 0
- 「フワダーイナーマグ」についての論考は、伊藤義教「古代ペルシア」(岩波)に
出てるよ。図書館にしか置いてないと思うが。
- 40 :世界@名無史さん:2006/12/15(金) 21:37:36 0
- ルリスターン王国について書かれているお奨めの邦語文献・HPを
ご存知でしたら、教えていただけないでしょうか?
モンゴル侵入前後の君主の事跡が分かると嬉しいです。
- 41 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 17:47:49 0
- ここで聞いたら数ヶ月待つことですな
- 42 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 00:39:38 0
- age
- 43 :世界@名無史さん:2007/01/16(火) 05:31:37 0
- age
- 44 :世界@名無史さん:2007/01/16(火) 05:33:35 0
- age
- 45 :世界@名無史さん:2007/03/01(木) 23:13:48 0
- 流石に話題ないねぇ
- 46 :世界@名無史さん:2007/03/01(木) 23:30:58 0
- 人大杉時代が長くてみんな気分が盛り下がっちゃったからな
- 47 :世界@名無史さん:2007/03/04(日) 11:32:31 0
- アッバース朝と被っているし、仕方ない向きもある
フランク人はアッバース朝の事もペルシアと呼称していたよーですし
- 48 :世界@名無史さん:2007/03/27(火) 11:05:47 0
- パーレビの子孫は今どこに
- 49 :世界@名無史さん:2007/03/27(火) 21:44:11 0
- 【イラン】 ハリウッド映画「300」に大反発〜ペルシャ帝国の末えいとして誇りを傷つけられた [03/23]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1174738552/
- 50 :世界@名無史さん:2007/04/07(土) 09:56:51 0
- 在米イラン人は肩身狭かろう
- 51 :世界@名無史さん:2007/04/08(日) 23:25:31 0
- サファビー家は正統カリフ、アリーの子孫であると言うサイイドの家系であり
ササン朝最後の君主ヤズデギルド3世の娘の血筋であると言う名門だと言う事
だが、シャイフサフィーが出る前、ブワイ朝やらセルジューク朝の頃はなにを
やってたの?
- 52 :世界@名無史さん:2007/04/10(火) 02:21:03 0
- ササン朝が滅んでからフラグの侵入まで600年もあるんだな。
アッバース朝、セルジューク・トルコの支配が長かったのか。
アラビア語化もトルコ語化もされなかったのはスゴイね。
- 53 :世界@名無史さん:2007/04/15(日) 20:48:19 0
- その分、イラン人のウリナラマンセー気質ができてしまったわけだが
特に、古代ペルシア帝国の栄光なんてものがあるもんだからややこしい
- 54 :世界@名無史さん:2007/04/20(金) 23:01:50 0
- アゼルバイジャーンなんかはトルコ化してますが
- 55 :世界@名無史さん:2007/04/22(日) 19:49:12 0
- 「諸預言者並びに諸王の歴史」は歴史書で「王の書」は叙事詩
この違いってなんなのでしょう?
- 56 :世界@名無史さん:2007/04/22(日) 22:30:06 0
- タバリーの『諸使徒と諸王の歴史』は散文。天地創造から始まって
アーダム、ヌーフ、イブラーヒームなどの聖書に現れる預言者たちの事蹟や
イエメン、イラン世界、シリアなど各地域の諸王や系譜、その治世が語られるが、
ヒジュラ暦以降は年代記形式。
『シャーフ・ナーマ』はそれに対して韻文。カユーマルス王に始まるカヤーニー朝や
ピーシュダーディー朝、アシュカーニー朝、サーサーン朝の諸王や英雄たちの事蹟が
唱われているが、これも一応「歴史書」の1スタイル。
- 57 :世界@名無史さん:2007/05/08(火) 22:04:25 0
- 王の書に記載される諸王にアレキサンドロスが居るのは違和感がある
いいんですかこれは?
- 58 :世界@名無史さん:2007/06/02(土) 23:48:38 0
- age
- 59 :世界@名無史さん:2007/06/04(月) 22:01:54 0
- ガズナ朝とかの時代にはホラーサーンあたりにまでアラブ遊牧民がいたらしいですね。
- 60 :ホルホル〜<`∀´>:2007/06/04(月) 22:20:09 O
- フラグかっこいい!掘られたい!
- 61 :世界@名無史さん:2007/06/06(水) 00:05:53 0
- サーマーン朝こそ、サーサーン朝ペルシアの後継者として相応しいな。
いっそのことバグダードに兵を進めて,
弱体化したカリフなんざ幽閉しちゃえばよかったのに。
- 62 :世界@名無史さん:2007/06/09(土) 21:19:35 0
- しかしトルコ人傭兵を招き入れた為…
- 63 :世界@名無史さん:2007/06/09(土) 22:45:36 0
- もし、トルコ人がイスラム世界に現れなかったとしたら、
ペルシア人が、停滞気味のアラブ人にかわって政治・文化面でイスラム世界を席巻して
西はビザンツ帝国を滅ぼし、東はインドまで達する大帝国ができていただろう。
オスマンの脅威ではなく、ペルシアの脅威としてヨーロッパ人に恐れられ
まさしく、古代のペルシア帝国の再来となったと思う・・。
- 64 :世界@名無史さん:2007/06/09(土) 23:54:59 0
- そんないまさらペルシアをヨイショしても、
喜ぶのはアハマディネジャドだけじゃ。
- 65 :世界@名無史さん:2007/06/10(日) 02:06:24 0
- ペルシア人を征服者であるトルコ人やモンゴル人に唯々諾々と
従うだけの弱い存在だととらえるのも一面的過ぎると思うがな。
軍事面では劣弱で、異民族の支配下に置かれても、それ以外の
行政や経済や宗教や文化などの分野でペルシア人がある意味、
裏では実権を握っていたと言えるし。
また、トルコ人の征服活動に伴って、イランで生み出された
国家統治のシステムやイラン的なイスラム文化、国際語・
教養語としての近世ペルシア語など、様々なイラン発祥の
ものがインド、中央アジア、アナトリア、バルカン半島など、
伝統的なイランの領域を遥かに越えて広がることになったし。
- 66 :世界@名無史さん:2007/06/10(日) 06:31:49 0
- むしろトルコ人の騎馬弓兵という兵科がなぜあれほど幅を利かせていたのか理解できない。
ペルシャにももともと重装騎馬弓兵がいたはずだが。
- 67 :世界@名無史さん:2007/06/10(日) 14:43:52 0
- やっぱり、ペルシア人より
草原の遊牧トルコ人の方が扱いやすかったんじゃね?
安くて、よく働く・・。
- 68 :世界@名無史さん:2007/06/11(月) 02:44:18 0
- 農地に定住しちゃったから、数の面でも経済面でも重騎兵向きになっちゃったんじゃない?
広い放牧地を取れないから馬の数は少ない代わりに、経済力では優ったから重装備が可能になった。
- 69 :世界@名無史さん:2007/06/16(土) 01:52:36 0
- そーすね、もともとパルティアンショットとかイランの騎馬弓兵なのに
何時の間にかお株を奪われた感じ
- 70 :世界@名無史さん:2007/06/17(日) 21:13:04 0
- イブンハルドゥーンによると、荒々しい遊牧民族は政権を獲って
都市に定住しちゃうと、弱っちくなっちまうのがパターンって事らしいぞい。
- 71 :世界@名無史さん:2007/06/29(金) 23:40:33 0
- 代表はティムール朝ですか?
- 72 :世界@名無史さん:2007/06/30(土) 22:51:10 0
- 玄奘が会った統葉護可汗もイステミやムカンの頃とは違って、オアシス文化にどっぷり浸かっていたと…
- 73 :世界@名無史さん:2007/08/02(木) 20:42:27 0
- この期間の西アジアは数学や化学、医学が発展してましたねぇ
- 74 :世界@名無史さん:2007/08/02(木) 20:48:49 0
- 古代ギリシャ・ローマの文化とインド・中国など東方文化が
ぶつかる所だからな、発展して当然。
イブン=シーナが驚嘆を持って利用したブハラの図書館が
チンギスの西征で失われたのか、或いは接収したのかが気になる。
- 75 :世界@名無史さん:2007/08/22(水) 23:36:21 0
- ブハラもイランと呼べるのでしょうか?
- 76 :世界@名無史さん:2007/08/23(木) 00:41:16 0
- 当時のサーマン朝は、イラン国史上では、自国史に入っているから。
- 77 :世界@名無史さん:2007/08/29(水) 23:57:02 0
- ホラズムやマーワラーアンナフルがイランじゃなくなるのは
オグズトルコ人が南下し始める頃までなのかね
だいたい何処までがイランで何処からがトゥランなんだ?
- 78 :世界@名無史さん:2007/08/30(木) 02:16:52 0
- マムルーク朝のバイバルスがモンゴルへ送った書簡では
「イラクをアッバース朝のカリフに返還してホラーサーンへ引き上げろ」
とか書いてたな。
- 79 :世界@名無史さん:2007/09/08(土) 20:54:11 0
- たまたま見つけたんだが、ウマル・ハイヤームの映画が
あったとはびっくらこいた。それもアメリカ映画で冒険活劇って・・・。
いったいどんな出来だったのか???
ジョン・ウェインの「ジンギス・カン」みたいなんだろか?
(これもスチールしか見たことないが)
「勇者カイヤム」(1957年、日本公開1958年)
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ia6t-tkhs/heiwacinema.htm
街の映画チラシ 平和シネマ
- 80 :世界@名無史さん:2007/09/08(土) 21:10:32 0
- 「シンドバットの冒険」みたいな感じでは
- 81 :世界@名無史さん:2007/09/09(日) 00:33:42 0
- 詳細な解説がありますね
ttp://www.weblio.jp/content/%E5%8B%87%E8%80%85%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%A0
- 82 :世界@名無史さん:2007/09/09(日) 01:02:05 0
- このへんの歴史ってよくわからんのだけど
ササン朝ペルシャの後がイル汗国なのか
で、それから今のイランまでの間は何なの?
- 83 :世界@名無史さん:2007/09/09(日) 05:06:35 0
- ササン朝ームスリムの支配ーウマイヤ朝ーアッバース朝ーターヒル朝ーサーマン朝
ーブワイフ朝ーセルジューク朝ーイル汗国
チムール朝ー白羊朝ーサファヴィー朝ーアフシャール朝ーゼンド朝ー
ガージャル朝ーパフレヴィー朝ーイスラム革命ーいまのイラン
- 84 :世界@名無史さん:2007/09/24(月) 17:21:07 0
- 兎に角長い歴史がある、と
- 85 :世界@名無史さん:2007/10/15(月) 22:57:17 0
- 当時の12イマーム派の扱いはどうだったんでしょう?
国教化されるのはサファビー朝からだし
でもスーフィーは浸透していた様だし
- 86 :世界@名無史さん:2007/10/16(火) 22:18:39 0
- 「シーア派イスラーム」を読むべきでは。
ttp://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%B4%BE%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E2%80%95%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%A8%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E5%AD%A6%E8%A1%93%E9%81%B8%E6%9B%B8-23-%E5%B6%8B%E6%9C%AC-%E9%9A%86%E5%85%89/dp/4876988234
これ読んだら、イランの夜明けは遠いとおもちゃったよ。
シーア派イマームやウラマーにも開明リベラル派はいるとはいえ。
- 87 :世界@名無史さん:2007/10/16(火) 22:40:58 0
- サファヴィー朝成立以前の現在のイランの領域に確たる12イマーム派の信徒ってそんなにいたのか?
サファヴィー教団にしても、もともとシーア派に宗旨替えする前にはスンナ派の教団だったし。
イルハン朝時代の今のイラク南部ではムハッキク・ヒッリーやアッラーマ・ヒッリーなど、
12イマーム派の有力なウラマーが活躍してたとはいえ。
- 88 :世界@名無史さん:2007/10/18(木) 22:10:06 0
- マズダク教やマニ教はあったんだろうか?
ゾロアスター教やアッシリア教やユダヤ教などは一応今でも残っているけど
- 89 :世界@名無史さん:2007/11/05(月) 22:22:29 0
- スンニーも5イマーム派や7イマーム派も普通に
- 90 :世界@名無史さん:2007/11/19(月) 22:52:54 0
- ゾロアスター教の文学ってさ、
イスラム支配下になっても意外に盛んだったような気がするな。
サーサーン朝の枠組みが無くなって逆に自由に創作できるようになったのかな。
- 91 :世界@名無史さん:2007/11/20(火) 21:51:17 0
- 盛んになったのは、アラビア文字になったからでは?。
- 92 :世界@名無史さん:2007/11/21(水) 23:40:17 0
- 記録すると言う事自体が重要視されていなかったのはインドと一緒
アラム文字(とその派生のパフラヴィー文字)もイランの言語と合致して居なかったと言うのも
- 93 :世界@名無史さん:2007/11/22(木) 01:30:17 0
- 姉貴の親友の旦那がイラン人でユダヤ教徒。
テヘランにある実家は豪邸とのこと。
- 94 :世界@名無史さん:2007/11/24(土) 19:15:12 0
- 【モンゴル】伝統の乳製品「馬乳酒」
http://news.ameba.jp/hl/2007/11/8237.html
- 95 :世界@名無史さん:2007/11/29(木) 23:11:10 0
- 当時の世界の先進地域
衰退はやはりモンゴル侵入なのだろうか?
- 96 :世界@名無史さん:2007/11/30(金) 08:41:41 0
- モンゴル侵攻前から荒廃が進んでいたと
杉山正明は言っている。
しかしペルシア史専門のデヴィッド・モーガンも
モンゴル軍がカナートなどを破壊したと
言っているが・・・
- 97 :世界@名無史さん:2007/11/30(金) 23:02:25 0
- カナート破壊したのアフガンだけじゃなかったのか
- 98 :世界@名無史さん:2007/12/01(土) 21:42:51 0
- モンゴルでゲームばかりしてるニート急増中!
http://news.ameba.jp/internews/2007/12/9033.html
- 99 :世界@名無史さん:2008/01/02(水) 22:39:01 0
- この時代の西アジアが発展してたのは
ローマとの抗争が無くなったからでは?
エジプト、シリア、ペルシア、トルキスタンと一気通貫
で、もちっとすると、ヨーロッパや中国も含むようになって
単なる一地域に転落すると
- 100 :世界@名無史さん:2008/01/27(日) 10:26:01 0
- イラン人の心のよりどころはイスラムになるのか
- 101 :世界@名無史さん:2008/01/27(日) 15:58:22 0
- ゾロアスター教って古代からイラン系民族しか入信できなかったんですか?
- 102 :世界@名無史さん:2008/01/27(日) 16:27:17 0
- >>96
セルジューク朝の成立により農地などの荒廃が進んだのであろうか?
マムルークは城に住んでいたそうだが、トルクメンやカンクリは遊牧民であり
続けたそうで、その為に農地が放牧地へ転用される事があったそうだ。
- 103 :世界@名無史さん:2008/01/27(日) 18:12:49 0
- セルジューク朝自身は、ニザームル=ムルクあたりが検地や土地制度の整備なんかを
やっていたおかげで、王家が分立傾向にあっても各々の王家自体が地方政権化して
引き続き土地の整備は保持されていたみたい。
問題は、サンジャルが西遼の耶律大石に大敗したことで、これで旗下のオグズ諸部族
の統制が全く取れなくなり、12世紀の後半にはイラン東部から南部全体がはオグズの
侵入で掠奪やら都市や農村が襲撃されるやらで滅茶苦茶な状態になった。
(ケルマーン・セルジューク朝が瓦解したのもオグズの首領マリク・ディーナールとかの所為)
最後はホラズムシャー朝のテキシュがオグズ諸部族を鎮定し、ついでにセルジューク朝も
滅ぼしちゃうけど、色々着手する前に死亡。息子のアラーウッディーン・ムハンマドとかが
徐々に回復させようとしていたらしいけど、本拠地はマーワラーアンナフルだったので
割拠状態のイラン本土東部の諸都市はあんまり回復していない上、都市部では中央からの統制が
及ばなくなったことで、シャーフィイー法学派とハナフィー法学派の権力闘争で市街地が瓦解する
ぐらい酷いことになっていたそうだ。(場所にもよるらしいけど)
しかもトゥグリル・ベク以来繁栄したホラーサーンの中心都市ニーシャープールは、1200年頃に
地震で都市全体が崩壊し、住民の殆どが犠牲になるという終末的有り様。
有名なイブン・アル=アスィールの『完史』やジューズジャーニーの『ナースィル史記』、
ナサウィーの『ジャラールッディーン伝』その他モンゴル軍の悪逆非道の数々を非難するけど
ホラズムシャー朝にしてもアラーウッディーンやジャラールッディーンもモンゴル軍と同じく
言うことの聞かない都市は掠奪や殺戮とかやって北西イランのアタベク政権やらアイユーブ家の
王族やらからかなり恨まれてもいたりする。1200年代からフレグがやってくる60年代までの
イラン東部の状況って意外と良く分からなかったりするんだよね。
- 104 :世界@名無史さん:2008/01/28(月) 09:42:58 0
- はあ、杉山正明さんの本でよく書いてある「イランではモンゴル軍の破壊より
それ以前の内乱等が云々」てのはそういうことだったんですねえ・・・>>102じゃないけどサンクス
(あの先生の本肝心なところで説明が短いような)
- 105 :世界@名無史さん:2008/01/28(月) 18:18:16 0
- >>103
ニザーム・アル・ムルクが、多くのトルクメンらをアナトリアへ誘導した事により、
イランは救われたと言う事の様ですな。
マンジケルトの勝利がなければ、アナトリアではなく、おそらくイランがトルコ化
していたのでしょうな。
ところで、モンゴル襲来以前に、ニシャプールが崩壊していた事が事実であるならば、
多くの本で描写されてきたニジャプールの攻防は、全くのフィクションなのだろうか?
- 106 :世界@名無史さん:2008/02/02(土) 22:42:11 0
- アゼルバイジャンのトルコ化はどーなの?
- 107 :世界@名無史さん:2008/02/21(木) 23:12:34 0
- セルジューク朝を研究しようと思ったんだが、
トルコ語・アラビア語・ペルシア語を勉強しなきゃならんぞって言われた。トホホ・・・・・^^
- 108 :世界@名無史さん:2008/02/22(金) 21:41:48 0
- 当方素人だが、「アム河からミスルまで」とその周辺のイスラム王朝はたいていそんな感じでは・・・
- 109 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 22:22:25 0
- ニザーミーヤ学院で勉強だ!
- 110 :世界@名無史さん:2008/03/13(木) 22:35:57 0
- age
- 111 :世界@名無史さん:2008/03/15(土) 20:04:53 0
- >>105
20年あったら日干し煉瓦の都市はそれなりに復興すんじゃない?
その気があったらだけど。
- 112 :世界@名無史さん:2008/03/15(土) 20:28:50 0
- >>111
復興するまでの間に通商ルートとか変わっちゃったらアウトだろ。
- 113 :世界@名無史さん:2008/03/18(火) 01:19:05 0
- アゼルバイジャンは完全にトルコ化されたね、他民族からは住民は今でもトルコ人呼ばわり。
でもアゼル人が多数移住して急成長したテヘランでは逆にあっと言う間にみんなペルシャ化。
この変わり身の早さはさすがにイラン人だな。
- 114 :世界@名無史さん:2008/03/18(火) 08:24:06 0
- そういえばオスプレイの「ササン朝のエリート騎兵」では
「クルド人やテュルク系アゼルバイジャーニーはメディア人の子孫」とか書いてあったがマジ?
- 115 :世界@名無史さん:2008/03/18(火) 17:13:04 0
- >>114
間違いでは無いんだろうけど、完全に正しいと言うわけでもないかと。
- 116 :世界@名無史さん:2008/03/19(水) 01:24:21 0
- とりあえず今のクルド人の伝説としてはメディアが祖先となってて
メディアのアッシリアからの独立を祝ったりしてるそうだけど。
まーシュメールの記録にもなんかクルドっぽい名前の民族が
あったりするらしいけど。
- 117 :世界@名無史さん:2008/03/19(水) 23:16:50 0
- >とりあえず今のクルド人の伝説としてはメディアが祖先となってて
>メディアのアッシリアからの独立を祝ったりしてるそうだけど。
よくある近代になってからナショナリストが言い出したとか
そういう話だったら残念だなあ
- 118 :世界@名無史さん:2008/03/21(金) 01:28:27 0
- そういえばクルド独立派は自分達がペルシア帝国の末裔だとして、ゾロアスターも祭っているらしいな。
- 119 :世界@名無史さん:2008/04/09(水) 21:46:10 0
- >>113-114
全然関係ない満州人スレで話題になってたが、どうなんでしょうね。
150 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/04/06(日) 21:52:20 0
>>148
例えばイランの場合だとテュルクに同化されたアゼル人とペルシャ人とは完全に別の人種。
言語だけでなく、文化も食習慣も行事も見た目も全く違う。
原住民の言葉を完全に塗り替えてるのに、他の文化は失ったなんてそんな事ある訳ないしね。
実際には原住民との融合って感じだろう、それもかなりテュルクの文化が優位に立ってる。
152 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2008/04/07(月) 02:14:26 0
例えばイランの場合だとテュルクに同化されたアゼル人とペルシャ人とは完全に別の人種。
言語だけでなく、文化も食習慣も行事も見た目も全く違う。
↑?うそだろうが!シーア派であるところの、イランのアゼル人はイラン全土で完全に溶け込んでいる。
- 120 :世界@名無史さん:2008/05/02(金) 23:33:08 0
- で、アゼルバイジャンのトルコ化もセルジューク朝のころなんでしょうか?
- 121 :世界@名無史さん:2008/05/04(日) 19:20:38 0
- あげとこう
- 122 :黒崎恵:2008/05/17(土) 14:43:22 0
-
- 123 :世界@名無史さん:2008/05/17(土) 20:55:10 0
- ただ色んなスレ唐揚げ保守しまくってる↑は何なの?
- 124 :世界@名無史さん:2008/06/13(金) 00:26:24 0
- アゼルバイジャンだけでなく
現トルクメンのあたりもトルコ化しただけなの?
それともセルジューク族が南下して定住したの
- 125 :世界@名無史さん:2008/07/05(土) 22:10:46 0
- >>119
ガージャール朝の第5代目のモザッファロッディーン・シャーは、1896年に即位するに当たり
皇太子時代に住んでいたタブリーズから多数のアゼリ人官僚をテヘランに招き寄せたんだが、
これが、テヘランの人間たちにはかなり不評だったらしい。
- 126 :世界@名無史さん:2008/07/06(日) 01:27:12 0
- >>123
下のスレで女神降臨中
- 127 :月読:2008/07/11(金) 16:11:18 0
- 日光よろしく!
- 128 :世界@名無史さん:2008/09/09(火) 23:45:45 0
- age
- 129 :天照大神:2008/09/10(水) 16:31:51 0
- サンドイッチマン
- 130 :世界@名無史さん:2008/10/28(火) 22:26:07 0
- アッバース朝もヨーロッパ人はペルシアと呼んでいたようですが
とうのペルシア人はどう思っていたのでしょう?
フーゼスターンあたりのアラビア化もこの頃?
- 131 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 12:35:04 0
- 日本人も明治まで、中国の事を唐と呼んでましたがな
- 132 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 23:14:46 0
- 中国人も波斯
でも大食とも言ったし
- 133 :月読:2008/10/31(金) 14:46:40 0
- サンドウィッチマン
- 134 :世界@名無史さん:2008/10/31(金) 16:57:38 0
- >>130
アケメネス朝の頃から、対外的にイランと称してたそうだ。イラン統一帝国を
メデイアとかペルシアと呼んでいたは、ギリシャ人ら側だったそうだ。
- 135 :世界@名無史さん:2008/10/31(金) 23:04:55 0
- 地名由来がペルシアで民族名に由来するのがイラン、だっけ?
- 136 :世界@名無史さん:2008/11/02(日) 10:10:08 0
- 現代の一般的なイメージじゃイラン=十二イマーム派政権だと思うんだ。
だからサファヴィー朝以降を便宜上「イラン」と呼べばいい。
- 137 :世界@名無史さん:2008/11/05(水) 18:28:54 0
- ペルシアは西洋人の呼んでた名前じゃないの?
- 138 :世界@名無史さん:2008/11/07(金) 23:22:36 0
- ん、インド人もパールシ言うし中国人も波斯言う
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