ササン朝滅亡〜モンゴル侵入前夜のイラン
- 103 :世界@名無史さん:2008/01/27(日) 18:12:49 0
- セルジューク朝自身は、ニザームル=ムルクあたりが検地や土地制度の整備なんかを
やっていたおかげで、王家が分立傾向にあっても各々の王家自体が地方政権化して
引き続き土地の整備は保持されていたみたい。
問題は、サンジャルが西遼の耶律大石に大敗したことで、これで旗下のオグズ諸部族
の統制が全く取れなくなり、12世紀の後半にはイラン東部から南部全体がはオグズの
侵入で掠奪やら都市や農村が襲撃されるやらで滅茶苦茶な状態になった。
(ケルマーン・セルジューク朝が瓦解したのもオグズの首領マリク・ディーナールとかの所為)
最後はホラズムシャー朝のテキシュがオグズ諸部族を鎮定し、ついでにセルジューク朝も
滅ぼしちゃうけど、色々着手する前に死亡。息子のアラーウッディーン・ムハンマドとかが
徐々に回復させようとしていたらしいけど、本拠地はマーワラーアンナフルだったので
割拠状態のイラン本土東部の諸都市はあんまり回復していない上、都市部では中央からの統制が
及ばなくなったことで、シャーフィイー法学派とハナフィー法学派の権力闘争で市街地が瓦解する
ぐらい酷いことになっていたそうだ。(場所にもよるらしいけど)
しかもトゥグリル・ベク以来繁栄したホラーサーンの中心都市ニーシャープールは、1200年頃に
地震で都市全体が崩壊し、住民の殆どが犠牲になるという終末的有り様。
有名なイブン・アル=アスィールの『完史』やジューズジャーニーの『ナースィル史記』、
ナサウィーの『ジャラールッディーン伝』その他モンゴル軍の悪逆非道の数々を非難するけど
ホラズムシャー朝にしてもアラーウッディーンやジャラールッディーンもモンゴル軍と同じく
言うことの聞かない都市は掠奪や殺戮とかやって北西イランのアタベク政権やらアイユーブ家の
王族やらからかなり恨まれてもいたりする。1200年代からフレグがやってくる60年代までの
イラン東部の状況って意外と良く分からなかったりするんだよね。
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