世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その7
- 1 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 07:53:13 0
- 秀吉軍の北伐は可能だったと客観的に証明されていますが。
引き続きマターリ考察していきましょう。
前スレッド
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1188893412/
軍事板の関連スレッド
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1203686918/
日本史板の関連スレッド
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1150604376/
戦国時代板の関連スレッド
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195992731/
- 2 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:13:30 0
- 00 :世界@名無史さん:2008/02/14(木) 22:23:51 0
http://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_invasions_of_Korea_%281592%E2%80%931598%29
朝鮮
兵力 364000
明
兵力
一次 43000
二次 100000
日本
一次 235000
二次 140000
死者
朝鮮 300000
明 30000
日本 140000
- 3 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:14:16 0
- 主要戦没者(武将・高官・要人)
●戦死大名 日本
1597.9.16 鳴梁の海戦
来島通総(伊予鹿島1.4万石動員700人)
1592.10.24 陽智にて狩猟中に襲撃受け死亡
中川秀政(播磨三木14.0万石動員3000人)
●戦死属将・家臣 日本
1592.06.05 唐項浦の海戦
森 村春(蜂須賀家政家臣、3000石)
1592.06.14 大同江渡河前の戦い
木村智清(宗義智家臣侍大将)、黒田次郎兵衛(黒田家)
1592.06.? 順安城攻撃
志佐純高(松浦鎮信家臣志佐純意の嫡子)
1592.07.07 閑山島の海戦
脇坂左兵衛(脇坂安治家臣)、渡辺七右衛門(脇坂安治家臣)、
真鍋左馬允(脇坂安治家臣)
1592.07.17 平壌城守備
日高喜(松浦鎮信家臣甲斐守)、松浦源次郎(松浦家臣)、
1592.09.29 咸鏡道
西村半右衛門(鍋島家臣)
- 4 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:14:35 O
- 世界史板荒らしの彼は病気です、相手にしないでください
↓このスレの最初の方から見てください、よほど暇な人らしいです、平気で嘘つきます、だす資料も恣意的な物ばかりです
江戸時代はすばらしいV…ような気も
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1195703849/
↓上が読み終わったらこっちも最初の方から見てください
近世〜近代ヨーロッパの暮らし
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1193754038/
- 5 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:15:05 0
- 862 :戦死(病没ではない)武将:2008/02/26(火) 12:18:35 0
1592.10.上旬 咸鏡道
江口与左衛門(鍋島家臣)、三浦左右衛門允(鍋島家臣)
1592.12.?
竹内吉兵衛(小西家臣、講和使を明軍が処刑)
1592.? 阿波
光富権助(長曽我部元親家臣戦傷が元で阿波で死亡)
1593.01.08 平壌城の戦い
小西ルイス?(小西行長の弟?)、小西アントニオ(小西行長の従兄弟?)、
日比谷アゴスト(小西家臣日比谷了珪の孫)、
小野木又六(小野木重勝家臣重勝の弟)、太田弾正(五島家臣)、
太田江十郎(五島家臣)、青方新八(五島家臣)
1593.01.26 碧蹄館の会戦
十時連久(伝右衛門、立花宗茂家臣)、池辺永晟(龍右衛門、立花宗茂家臣)、
安東常久(善右衛門、立花宗茂家臣)、 小串成重(忠左衛門、立花宗茂家臣)、
小野成幸(立花宗茂家臣)、 横山景義(小早川秀包家臣)
1593.01.28 吉州城の戦い
山口与三右衛門(加藤清正家臣)
- 6 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:15:37 0
- 863 :戦死(病没ではない)武将:2008/02/26(火) 12:19:04 0
1592-1593○ 咸鏡道撤退までに陣没した鍋島家家臣
諸岡彦右衛門、永田源左衛門、横尾十五左衛門、
中島九郎兵衛(病死)、納富六郎、武藤主嘉允、
馬渡相右衛門、武藤新九郎、乙咸五兵衛、
高木内蔵助、姉川平右衛門(中務大輔)、水町平右衛門(丹後守)、
鹿江太郎左衛門、公文六郎兵衛、緒方牛之介、
1593.02.12 幸州山城攻め
明石与右衛門(宇喜多家臣)、戸崎彦右衛門尉(毛利家家臣)
1593.03.12 京城の西三里の戦い
中屋善四郎(毛利家家臣青原尾中山城主)、
1593.06.22-29 第二次晋州城攻め
△松井興之(細川忠興家臣、重臣松井康之の嫡男)
戦傷が元で1593.06.29死亡
1593.?熊川?
桑名親勝(長曽我部成親家臣1200石)
1597.02.22 蔚山
柳生久三郎(浅野幸長家臣厳勝の長男宗厳の嫡孫500石)
1597.09.16 鳴梁の海戦
得居通年(来島通之,伊予風早3000石,来島通総の兄)
菅正蔭(菅達長の第四子)
1597.12.27 蔚山籠城戦
冷泉元満(毛利輝元家臣)、阿曽沼元秀(毛利輝元家臣)、
都野家頼(毛利輝元家臣)、
原田信種(加藤清正家臣病死説有り)、貴田統治(加藤家臣孫兵衛)
- 7 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:15:59 0
- 864 :戦死(病没ではない)武将:2008/02/26(火) 12:20:24 0
和田頼国(堀内氏善家臣、勘之丞、数十人を率いた水軍の将)
未分類の武将or不明
●戦死−病死 未分類 日本
1592明石右近(宇喜多秀家重臣、明石全登の子?)
1592梶佐古道尋(長曽我部成親家臣柳瀬五郎兵衛の三男)
△1593加藤重正(加藤清正家臣加藤可重[清左衛門、右馬允]の嫡男)
△1594吉見元頼(毛利輝元重臣、吉見広頼の嫡男)
1597土持久綱(高橋元種家臣土持久綱の嫡男)
1597須佐美甚太郎(加藤清正家臣須佐美紀伊守の養子)
1599? 平田宗正(島津義弘家臣重臣平田豊前守宗祇の子)
文禄? 木付直清(大友吉統家臣木付統直の嫡男鎮直の孫)
? 江上家種(鍋島家臣竜造寺隆信の二男蓮池城主)
? 小原信忠(宇喜多家臣)
? 牧源之丞(宇喜多家臣江原親次の義父)
? 深水頼蔵(加藤清正家臣西生浦?)
- 8 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:16:25 0
- 865 :意外と少ない明の戦死武将:2008/02/26(火) 12:22:49 0
●明 page top
●明軍戦死
1592.07.17平壌の戦い
載朝弁(参将)、史儒(遊撃)、
張国忠(?)、馬世隆(?)、
1598.01.04第一次蔚山城の戦い
廬継忠(参将)、楊万金(遊撃)、
1598.04.20 茂朱の戦い(咸陽沙斥駅)
李寧(副総兵)
1598.10.01 泗川の戦い
李寧(参将)、廬徳功(遊撃)、
1598.11.18露梁海戦戦死者
?子龍(明水軍副将),陶明宰(中軍)
↑こんだけ
- 9 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:17:06 0
- 417 :世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:12:15 0
日本などすぐにひとひねりだと豪語した李如松が明軍来援したのは
1593年の正月
そこから各地で日本軍は敗戦を重ねて1593年 3月
漢城付近まで追いつめられる
漢城で連署された報告書には
小西・宗 18700→6692人
加藤 10000→6629人
鍋島 12000→7644人
大友 6000→2052人
まで減っている
弟を殺された小西は明軍を甘く見てた。桁違いだとフロイスに手紙を書いているし
大友は士気壊滅で勝手に脱走→改易
それを見てた最上義光は明日は我が身だ。坊主になっても生きながらえたい。せめて死ぬなら祖国の土の上でと手紙を残す
1598.04.20 茂朱の戦い(咸陽沙斥駅)
李寧(副総兵)
1598.10.01 泗川の戦い
李寧(参将)、廬徳功(遊撃)、
1598.11.18露梁海戦戦死者
?子龍(明水軍副将),陶明宰(中軍)
↑こんだけ
- 10 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:17:49 0
- 822 :世界@名無史さん:2008/02/25(月) 15:28:11 0
豊後国の資料には
朝鮮出兵後の見地だと
42%が空き屋になってて
30%が失人になってたらしい。
酷い村になると
75%の耕地が失人になってたため荒涼とした荒れ地が広がっていたとか。
「国空け散々」といわれる大規模な逃散がでた。
しかも九州はみんなこんな傾向。
前線やってた小西はもっと酷い
戦後は二公一民という増税と「給人1/3」という過酷な過役で
農民の多くが餓死かあるいは逃散した
- 11 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:21:46 0
- 708 :世界@名無史さん:2008/02/15(金) 02:54:24 0
旧陸の資料ではこんな感じ
明軍
東路軍 24000 順天城組
中路軍 13500 蔚山城組
西路軍 13600 泗川城組
水軍 13200 露梁海戦組
全部足しても10万いかない
↑これはどう説明するのか
多少兵が摩耗していることを含めても
慶長の役最大の激戦の時の明の兵力はせいぜい
6マンだよ
- 12 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:22:53 0
- 237 :名無し三等兵:2008/02/26(火) 19:13:39 ID:???
>>140
「参謀本部 戦史 朝鮮役」は
http://kindai.ndl.go.jp/
で読めるぞ、しかもタダ
- 13 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:23:16 0
- テンプレ完了
- 14 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:27:07 0
- 505 :明vs日本 三戦目:2008/02/14(木) 18:17:46 0
1593年8/6日
倭城を造り防衛を固める日本軍と明軍が対陣
正面から戦っては勝てないと悟った加藤と毛利吉成
数千人は慶州を奇襲
vs
明軍
王必?・呉唯ら1000人
日本軍は累々たる死体を残し敗戦
- 15 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:28:10 0
- 510 :明vs日本 4〜6戦:2008/02/14(木) 18:28:52 0
明軍18000と日本軍43000の対陣
明将
劉?、呉唯忠、王必?、?尚志
日本将
加藤、黒田、毛利秀元、鍋島、小早川、島津、脇坂、小西
の間で
九月 熊川安民嶺戦役 明の勝利
10月 永善戦役 明の勝利
11月 安康戦役 明の勝利
ちなみに出典はすべて
旧陸軍の朝鮮役研究
- 16 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:28:38 0
- 513 :明vs日本 7戦:2008/02/14(木) 19:02:43 0
慶長の役
1597年 9/3
?山付近の戦い
黒田5000vs 明ちょん連合 兵解生 8000(半分以上がチョン兵と推測)
明の勝利 黒田軍壊滅
この戦いを機に
日本軍は攻勢から守勢へ
- 17 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:29:34 0
- 意外と知られていない
マイナーどころの大規模な戦いもあげてみた
- 18 :4:2008/02/27(水) 15:30:10 O
- 【荒らしの特徴】
彼は自演、連投を得意とします、あきらかに頭の悪いレスが複数あったら彼と疑いましょう
彼は自分が間違ったことでも平気で強弁します、誰も言ってない事を勝手に作ります、著しく記憶力がないせいか一度言われた事を理解しません、脳に欠陥があるのでしょうか
とにかく時間の無駄なので相手にしないでください
- 19 :4:2008/02/27(水) 15:30:54 O
- sage忘れた
- 20 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:59:49 0
- まあ朝鮮人が秀吉を糾弾するのは、
実は侵略云々はどうでもよくて、だたの日本人差別だがなw
1000回侵略されて、1000分の1に過ぎない秀吉だけを大声で取り上げて
他の侵略はスルーしてるわけだから。
本人達はアホだからただの民族差別ってことに気がついてないヤツも多いだろうがw
- 21 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 16:04:53 O
- 結局、朝鮮人のオナニーか
島津のことはスルー
- 22 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 18:45:22 O
- 禝山で戦場に踏み止まったのは黒田軍で、撤退したのは明軍。
会戦直後の黒田はさらに進撃して漢城に接近している。
朝鮮人みたいに妄想を垂れ流すな。
- 23 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 19:34:31 0
- >>3-8
負けまくっているから圧倒的に明の方に高官の戦死者が多いよね。
- 24 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 19:39:19 0
- 908 :世界@名無史さん :2008/02/27(水) 02:48:56 0
軍板からきている人がいるのか。
「朝鮮の役 参謀本部編」は好著だけど、いかんせん初版が1924年なので
研究が古いのよね。同じシリーズの桶狭間の戦い、姉川の戦い、関ヶ原の戦い
は最近の研究ではあまり参考にされないのよ。
最近の流行は>>822のように検地帳で大名の動員力を調べるというのがあるが、
これの問題は、朝鮮の役で疲弊した毛利、鍋島、池田、宇喜多、福島などの西国大名が
その後、関ヶ原、大阪夏の陣、冬の陣に5千〜2万もの大軍を派遣できたか
という説明が出来ないところ。
おそらく関ヶ原九州の役で黒田如水のように金銭で人を集めたか、あるいは朝鮮の役の
兵員、兵量の補充は九州の豊臣蔵入地(直轄地)よりなされたという説もある。
豊臣家だけでも大阪夏の陣落城後約2万8千枚の金(約28万両)と約2万4千枚の銀(約24万両)
が幕府に没収されたというから、米本位の石高制だった江戸大名と異なり織豊期の大名は
商活動などによる金銀の直接収入も多い、そのへんも考えないといかん罠。
あと泗川の戦いでは「島津軍記」では「明・朝鮮軍の首級を三万三千七百討ち取り」になってるなw
明軍は官軍だから損害を誇大報告すると後で大変なことになる。仮に明軍が2万としても
その背後に大量の朝鮮義勇兵が加わっていたんだろう。あと、明・朝鮮・日本軍とも逃亡兵に
悩まされており、そんなこんなで約八万もの戦死てことになったんだろうね。
最後に朝鮮の役の研究動向と論文の一覧を貼っておく
「文禄・慶長の役(壬辰倭乱)」
http://www.jkcf.or.jp/history/2/1_1_2roku_j.pdf
論文一覧に歴史群像シリーズもあるwww
参謀本部以外の論証
- 25 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 03:54:16 0
- >>23
13マンあぼーんしたけどな
兵士は
- 26 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 04:07:24 0
- なんか日本軍のやられかたをみるとロシア軍に敗れたフランス軍みたいな感じだったのかね
- 27 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 04:09:48 0
- そんなところだろ
ナポレオンとの違いは日本の方が犠牲者を出していたところと
首都どころか国境外で撃退させられたところくらいだろうな
- 28 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 08:05:09 0
- この板IDでるようにしてもらったほうがいいんじゃない?
自演が多すぎ。特に明軍オタの。
- 29 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 10:12:18 0
- なんでもかんでも自演にしたがるひといるよね
- 30 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 10:15:49 0
- 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
- 31 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 11:14:53 0
-
>>4
これみてくとわかるが
明オタは一時期最盛を極めた白人廚を論破して駆除に成功してる
いや、マジで。
あまりに害虫扱いはあんまりだと思う
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1201705400/l50
!!なんで白人って最強で最高の絶対神なの?!!
- 32 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 15:09:59 O
- 害虫以下。
明の当時の認識が書いてある史料でも読め。
軍事衝突的には日本が圧倒。
資金繰りにヒーヒー言ってるんだが。
- 33 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 15:47:45 0
- 日明戦争でも支那事変でも、
日本のが圧倒してるね。
蒋介石が精鋭つぎ込んで超厳重なトーチカ塹壕要塞で迎え撃っても、
日本はことごとく突破した。
- 34 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 17:20:34 0
- その通り!日本の偉大さにひれ伏せ!!ビシ
- 35 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 17:23:56 0
- >>24
数年前、軍板の方のスレで基本図書として紹介されてたこれ
『秀吉の野望と誤算』笠谷和比古・黒田慶一
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1038.html
にも碧蹄館の戦いを例に挙げ、「朝鮮の役 参謀本部編」では
この戦いでの立花宗茂隊の働きをまったく無視してることや、
明の敗北を「火器を使用しなかった」などと矮小化、
実際は碧蹄館の戦いにおいても明軍がしっかり各種火器を使用していることを証明してる。
- 36 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 19:37:28 0
- >>31
その辺はダイアモンドの銃・病原菌・鉄や文明崩壊
マクニールの世界史を読んでいたら、そもそも釣られたりしないはずだが…。
- 37 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 21:15:10 O
- 世界最強の戦国オールスターズが明朝連合をフルボッコ!
- 38 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 21:18:35 O
- 日本の13万はありえないが朝鮮明の計33万もありえない
- 39 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 23:23:04 0
- ◆立花宗茂の輝かしい戦歴◆
石坂の戦い ○ 立花高橋軍5千 対 秋月種実5千(統虎、堀江備前を倒す)
岩戸の戦い ○ 立花道雪 千5百 対 秋月種実3千(威嚇を混ぜた奇襲で撃破)
立花城防衛戦 ○ 立花軍 5百 対 秋月種実8千(薦野増時らに夜襲させ撃破)
立花城防衛戦2 ○ 立花軍 千5百 対 島津忠長5万(粘り勝ち撤退する敵に追撃)
高鳥居城攻略 ○ 立花毛利軍千7百 対 星野吉実3百(銃撃をうけるが下がらずに指揮)
平山城救援 ○ 立花高橋軍千2百 対 有動兼元3千(有動下総守を自ら討ち取る)
田中城攻略 ○ 小早川立花軍1万 対 和仁3兄弟千(和仁軍は2月持ちこたえた)
小田原城攻略 ○ 豊臣秀吉 対 北条氏直 (東の本多、西の立花)
漢城付近砦攻略○ 立花軍 3千 対 朝鮮軍6千(草刈で誘い出し伏兵で撃破)
碧蹄館の戦い ○ 日本軍 4万 対 李如松率いる明軍+朝鮮軍4万?
(前哨戦で自軍のみで明の先陣を破り、本戦では先陣を譲って機を見て参戦)
晋州城攻略 ○ 日本軍 12万 対 キムチョンイル 7千、増援4万
(救援に来た4万の軍の先陣7千、2陣1万7千を毛利秀包と共に4千で撃破し援軍を退けた)
般丹の戦い ○ 立花軍 8百 対 高策 2万2千(夜襲+火計を用いて撃破)
蔚山城救援 ○ 立花軍 千 対 明軍
(奇襲で5千を撃破した後捕虜を解放してわざと敵に夜襲させ伏兵で1万を撃破)
露梁海戦 ○ 島津立花 対 李舜臣(小西軍の救出に成功、舜臣死亡)
大津城攻略 ○ 毛利立花1万5千 対 京極高次2千(塹壕を築き早合による銃撃)
柳川開城 × 立花軍 4千 対 鍋島・黒田・加藤
(家康との停戦交渉中に鍋島軍襲撃、小野和泉に八の院で迎撃させる。清正の調停で開城)
大阪の役 ○ 徳川家康 対 豊臣秀頼(大野治房軍の秀忠本陣突入を予見)
島原の乱 ○ 松平信綱12万 対 天草四郎3万7千(兵糧攻めを支持、夜襲を察知)
>立花城防衛戦2 ○ 立花軍 千5百 対 島津忠長5万(粘り勝ち撤退する敵に追撃)
立花宗茂ってすごいね。いままで知らんかったよ
- 40 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 00:58:18 0
- 立花宗茂は実父もスゴイし、義父もスゴイし
ついでに嫁もスゴイよ
- 41 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 01:29:02 0
- とはいえ犠牲者は日本の方が圧倒的に多く撃退された事実はかわらないのよね
結局、ロシア遠征のフランス軍惨敗と同じ
正確にはそれ以下か。ナポレオンの時はロシアの方が犠牲者出してたからな
- 42 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 01:58:17 0
- 然自關白侵東國,前後七載,喪師數十萬糜餉數百萬,
中朝與朝鮮迄無勝算。至關白死,兵禍始休
簫堯藝文網・明史・卷三百二十二
ttp://www.xysa.net/a200/h350/24mingshi/t-322.htm
>朝鮮における中朝軍の勝算は無くなった。
>>41よりも中国人の方が冷静に歴史を見てるな。
- 43 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 02:01:07 0
- >>42
明史は清が作ってる。
清は明を貶めることを基本姿勢にしていることを考慮しないといけないよ。
日本だって当時もそうだろうが
江戸時代は豊臣勝ち目無し、不毛、無能の記述の多いこと多いこと
- 44 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 02:18:30 0
- 明史は主観で作られていると誰かが言ってたがそのとおり。
明史それ自体は、著しく清に歪められた記載が多く
明弱い、雑魚みたいな史観
もうそろそろ清史観をやめてルネッサンスしようかなあ
というのが学識者の今の主流。
欧米人の学者も言ってたな。
日明戦争(朝鮮征伐)は当時の最先端の武器を互いに持ち合ってぶつかり合った
当時最高レベルの戦いだとそ。俺も基本的にこのスタンス
- 45 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 04:24:37 0
- このスレも足かけもう5年になるが、
軍板、日本史板、戦国板から来たのはいいが日本語史料しか読んでないので、
ここで明史、李朝実録、太宗実録、燕山君日記、李舜臣行録を見せられて
パニクるてのは半年か三ヶ月に一度起こる恒例行事になってきたよな。
あと受験シーズンだから言っておくが
明の紫禁城を落とし崇禎帝を自殺させた明滅亡の立役者は清ではなく
大順て国な。
清は、崇禎帝の仇討ちに燃えた明の遺臣達を集めて大順を滅ぼしている。
その後は、南明という難民国家もあったが地方を転々として、
わずか17年後、清に降伏。
歴史的経緯を見れば清は別に明を貶める必要なんか無いのよ。
も一つ言えば
清の学風は明と異なり考証学、実学重視。
- 46 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 04:33:02 0
- >>41
日本はアメリカにやられ、ドイツも米英にやられた。
支那、フランスはどっちも無様に負けただけ。
- 47 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 15:08:10 0
- なぜ日本は13万犠牲を出して負けたのか
- 48 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 16:54:13 0
- >>46
朝鮮の役はアメリカと戦ったわけじゃないだろ?
- 49 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 17:40:30 0
- 武力では上回ってたけど、まあ泥沼化したんでやめたんだな。
ベトナムから撤退したアメリカのように。
- 50 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 18:05:03 O
- 朝鮮の三十万潰して明との直接対決の前に秀吉死んだからな
- 51 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 18:44:51 0
- >>45
清は大元ウルスの後裔であるチャハル部から天命・正統を受け継いだから、
若干問題あるんじゃね?
- 52 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 21:15:24 0
- 秀吉の朝鮮征伐を明の観点からの考察
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1204276024/l50
- 53 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 21:33:54 0
- >>50
秀吉が長生きしてても勝てなかっただろうな
明軍もさることながら冬将軍をどうにかしないと
- 54 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 01:09:30 0
- >>39
菊池寛「碧蹄館の戦」
ttp://www6.atwiki.jp/amizako/pages/16.html
>京城の日本軍では、いよいよ明軍来が確《たしか》になったので、誰を先手の将とするか
詮議|区々《まちまち》である。隆景進み出て云う様、この大役は立花左近将監宗茂こそ
適役である。嘗つて某の父元就四万騎をもって大友修理大夫|義鎮《よししず》の三万騎を
九州|多々良浜《たたらがはま》に七度まで打 破った時に、この宗茂の父|
伯耆守《ほうきのかみ》、僅か二三千騎をもって働き、ついに大友の勝利に導いた事がある。
その武将の子である宗茂及びその一 党、皆覚えあるものと思う、宗茂が三千は余人の
一万に当るであろうと推挙するので、諸将尤もとして宗茂を先陣と定めた。若輩の宗茂は、
歴々満座の中に面目 をほどこして我陣屋へ帰ると、宗徒《むねと》の面々を呼び集めて、
十死一生の働きすべく覚悟を定めた。
>加藤清正、安辺に在り、日本軍京城の大勝を聞いて、先陣は必ず立花ならんと云ったが、
果してそうであった。
宗茂カッコヨス
- 55 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 01:22:28 0
- >>53
やっぱり最大の敵は自然だったな
南からの侵略者は例外無く冬将軍に敗れる
- 56 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 01:29:49 0
- 露梁海戦っていつから日本の勝利になったんだろ?
日wikiですら負けを認めているのに
妄想が相変わらず酷いな。これだから低学歴は
- 57 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 01:33:35 0
- 露梁海戦は明史によれば
倭軍、溺れるもの数万人。という手痛い敗北だなw
島津は再起不能
明は先走った馬鹿な副将と、李なんとかが死んだだけ
- 58 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 02:52:37 0
- >>56
軍板的に言うと
日本水軍は明朝水軍の作戦目的を阻止し
自軍の作戦目的を完遂したから
- 59 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 03:02:54 0
- そうか。それならナポレオンも犠牲たくさんだしたが
将校は生きて帰れたからフランスの勝利ということか
- 60 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 03:04:47 0
- 脳内勝利が多いよね。日本軍
- 61 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 05:33:59 0
- 戦争で敵の兵力や敵に与えた損害は誇張して書かれるのが普通だから、相手側の史料の数字を使う。
これ、兵力や損害の数字を求める際の基本な。
明史には朝鮮征伐の明軍側の損害について、師を失うこと数十万って書いてある。
- 62 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 06:03:45 0
- 大中華ににほんごときが挑めたのが意外
つか、予想通り負けまくってるなw
俺のような南京生まれのエリートと違って本当に日本人は捏造大好きww
俺の小学校の恩師(日本人)も
「私には帰れる朝鮮がない。虐殺レイプをいつの時代でも繰り返し
捏造で凝り固まったアジアに対するがん細胞の日本しかない。
君たちは幸福だ」といってたし
中身からぼろぼろのウェノムwwwwwwww
朝鮮出兵後の朝鮮には3万人の混血児がいたが
これこそレイプ国歌にほんの罪の証
- 63 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 06:47:14 0
- またチャンコロとチョンが荒らしてるのか。
- 64 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 07:15:11 0
- >>61
当然と言えば当然だね。自分のとこの人員は把握できるが、普通敵の人員まではわからんしな。
- 65 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 09:39:26 0
- >>62
日本よりチョンのほうが捏造好きだがな。
シナとの史観の違いは単なる認識の違いだけだが、
チョソによるとシナや日本で教わっている歴史は根本からして「捏造」らしい。
チョン史観では大中華の祖先も世界の全ての古代文明の祖もチョンになってるぞ。
何やらシナの歴史よりチョンの歴史の方が千年古いらしい。
- 66 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 11:49:44 0
- >>61
例外はあるよ
・当時の動員数からありえない数字がでている
・中国史記に記載されている数字
史学を志している人間ならこれも常識
- 67 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 12:01:24 0
- http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1181899865/
なあ、、史記ってどこまで信憑性あるんだ?
45 :世界@名無史さん:2007/06/17(日) 21:22:53 0
歴史が「学問」としてとらえられるようになったのは、実は19世紀ドイツでの出来事。
ランケあたりからにすぎない。で、学術においてドイツの植民地だった日本でも、歴史が「学問」として
捉えられるようになった。
それまではどこの世界においても、歴史は「物語」だった。
史記が「学問」としての厳密性、資料批判などを経ていないのはある意味当たり前。
だから史記は「物語」「読み物」として扱われてきた。
そもそも2000年前の中国の作品だぞ、「学術論文」と一緒にするな!!(笑)
で、肝心の「信憑性」についてだが、「学問」としての歴史が確立したと言われる現在においてさえ、
いろいろなことをいろいろな立場の人が好き勝手言ってる。
学問だから「信憑性」があるって考えるのは、高校生までで十分。
むしろ学問は「信憑性」を目指すモノであって、既存の学説に信憑性が足りないのは当然の前提。
それを批判してさらに信憑性を高めていく作業が、研究者の仕事。
結論としては、史記には信憑性は一定程度存在する。しかし十分に信憑性があるとはいえない。
そこで他の資料、場合によっては考古資料などを使って、
(史記の)信憑性の空隙を埋める作業をするのが歴史「研究者」の仕事だ。
さぁ、がんばれ!(笑)
- 68 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 12:08:21 0
- 148 :世界@名無史さん:2007/11/23(金) 03:22:27 0
項羽が一人で劉邦の陣営に乱入して
数百人を殺したなんて無茶な話を書いたのもそいつの仕業なのか。
149 :世界@名無史さん:2007/11/23(金) 11:09:56 0
そんな話し合ったっけ?
150 :世界@名無史さん:2007/11/23(金) 19:54:10 0
50万の劉邦軍を3万の部隊で蹴散らした彭城の戦いの事か?そのくらいの事なら中国にはよくある話だ。
151 :世界@名無史さん:2007/11/23(金) 20:20:20 0
長平の戦いで40万人を生き埋めにした話とかは半分事実らしい。
中国ってぽんぽん何十万を壊滅とかいうけど、実際は数万くらいしか
戦死してなくて、すぐ四散して故郷や親戚のところに帰ってたり、別の土地に
住み着いたり、山賊になったり、どっかの軍隊の徴募とか志願したり
そしてまた徴兵されたり、何度も別の陣営の兵士になったもの多いのかもしれない。
大学時代に四面楚歌で楚の歌を歌ったのは漢に投降したりした楚出身
の兵士だとか、教授は言っていた(中国では各地発音とかはかなり違うので、
沛の人間が会稽の方言を教えられても上手く発音できないらしい・・・)
- 69 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 19:30:41 0
- 征伐
- 70 :世界@名無史さん:2008/03/01(土) 21:23:39 0
- >>31
相手の穴をつく夏目漱石論はさすがと思った。
あの白人廚を追い払うだけの筋道と追った議論の仕方はさすがだと思う
資料主義で確実に相手を論破してくるんだよな。この人は
- 71 :世界@名無史さん:2008/03/02(日) 01:13:54 0
- 夏目は他のメディア媒体がなかった時代において
芸能人やスポーツ選手を全部足した位に影響力があった
彼が死んだ五日後に、日露戦争の英雄でマッカーサーすら尊敬した元勲大山巌が死んだんだが
完全にスルーで夏目の死を惜しんでいたと言う
- 72 :世界@名無史さん:2008/03/03(月) 17:46:46 O
- 軍板が今日も荒らされたが、そろそろ誰も相手にしなくなるかな?
宗教なんだもんなー。
- 73 :世界@名無史さん:2008/03/04(火) 20:36:45 0
-
- 74 :世界@名無史さん:2008/03/05(水) 00:11:17 0
- そうだな。史記教だもんな
歴史板じゃ史記なんて殆ど無視されているのに
- 75 :世界@名無史さん:2008/03/05(水) 00:14:03 0
- 一人で勝手に史記と勘違いしていただけだがね。
明史から何で史記の話に飛ぶのやら。
- 76 :世界@名無史さん:2008/03/05(水) 01:08:31 0
- はあ???
- 77 :世界@名無史さん:2008/03/12(水) 20:05:22 0
- 過疎スレ
- 78 :世界@名無史さん:2008/03/17(月) 05:50:01 0
- >>2
どんだけ兵士がいるんだよ
- 79 :世界@名無史さん:2008/03/17(月) 06:34:52 0
- >>58
戦術的敗北
戦略的勝利って感じ?
- 80 :世界@名無史さん:2008/03/26(水) 11:13:00 O
- >>79何にどう敗北したの?
- 81 :世界@名無史さん:2008/03/26(水) 15:18:05 0
- 焼肉屋ヒデヨシ
- 82 :世界@名無史さん:2008/03/26(水) 16:28:25 0
- >>1
>世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その7
もうすでに何度も指摘はあるだろうけど「朝鮮征伐」ってのは変だろ。
「唐入り」と呼ぶべきなんじゃなかろうか?
ちょうど他所の家(明)に押しかけようとしたら、途中にあったノグソを踏んづけた
くらいのかんじじゃないか?
- 83 :世界@名無史さん:2008/03/26(水) 16:47:14 0
- >>82
ちょっと満州にはみ出ただけで主戦場は朝鮮だろ
- 84 :世界@名無史さん:2008/03/26(水) 17:17:56 0
- >>83
それをいえば日露戦争だって、ロシア領土や日本領土で戦争したわけではない
わな。(まあ、のちに戦場使用料というのは払ったらしいが)。
問題は戦争目的やら何やらを総合して考えるべきで「戦場が何処だったか?」と
いうファクターのみが決定的ではない。(まあ、たくさんある内の一つ程度)
基本的には他所の家(明)に押しかける途中でノグソ(朝鮮)をふんずけて
まごまごしている間に、他所の内から家人が出てきて、ノグソの上で喧嘩しました
って程度の話しでしょ。別にノグソ征伐が主目的では無いでしょ。
- 85 :世界@名無史さん:2008/03/26(水) 23:20:48 0
- 真面目な話、この戦争を研究している欧米の学者からは
「東洋七年戦争」と呼ぶ案も出ている。
なんかカッコイイが、歴史的には「西洋七年戦争」の方が
後なんだよな。
でも「北方七年戦争(1563〜1570)」ていうのもあるからまっいっか。
- 86 :世界@名無史さん:2008/03/27(木) 02:43:32 0
- >>82
糞踏んだという感覚はあったことは確かだが、
もともと両属のヘタレ属藩のクセに生意気言うなら、チャラにしてやってた元寇の
お仕置きをするぞ、という意味もあった。
- 87 :世界@名無史さん:2008/03/27(木) 04:47:47 0
- 中国の属国の貧しい朝鮮は、日本と中国との戦争の戦場になっただけです。
日本と明が戦い、そして講和し停戦になった。が、
講和の帰り道に奇襲してきた馬鹿が朝鮮。
しかも停戦していたのを破ったのが朝鮮。
その後、朝鮮の英雄(笑)は島津に撃たれて惨めに死亡。
日本の武将は死ぬ事はなく、日本に帰った後も戦へ元気に出てます。
しかも、日本側の死者 → 大名級の武将の死者は0
悲しいかな、貧しい朝鮮半島は日本と中国との戦争の足場にしか
なりませんでした。
おまけに朝鮮側が壬辰倭乱と呼ぶのは、単に朝鮮が年号すら作れなかった
明の属国の証明でしかない。
壬辰とは、李朝が独自の年号が使えず、倭乱とは明の属国なので、
明に対して乱を起こしたという意味、明視点の命名なんだがね。
そもそも李朝は史書編纂の際には、明から検閲許可が必要。
しかし島津義弘は偉大だよね。
圧倒的に劣勢だったのに泗川合戦で明軍を壊滅させて日本全軍の
退路を確保しただけでも奇跡なのに
さらに敵に包囲されていた小西行長を助けるために自軍の犠牲を
省みずに露梁海戦で李舜臣を戦死させて、小西救出を成功させているのだから
英雄とは島津義弘のためにあるような言葉だな。
- 88 :世界@名無史さん:2008/03/27(木) 14:08:24 0
- >>85
ガンダムと観て喜んでいるような種類の人かい?
- 89 :世界@名無史さん:2008/03/28(金) 05:09:48 0
- >>88
世界史板で悲しいこというなよ
ガンの「一年戦争」は世界史用語の
「三年戦争」「五年戦争」「七年戦争」「九年戦争」のパロやろ
作監やって原案に立ち会った安彦からして大学で西洋史専攻してるし
- 90 :世界@名無史さん:2008/03/31(月) 01:38:50 0
- いいすれ
- 91 :世界@名無史さん:2008/03/31(月) 03:31:27 0
- ガンダム(笑
- 92 :世界@名無史さん:2008/04/07(月) 14:48:22 0
- これが正しい事実歴史
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ttalk&nid=1027132&tab=five
- 93 :世界@名無史さん:2008/04/07(月) 16:22:05 0
- >>87
大名級武将の戦死者0 = 日本の武将は兵卒の後ろにいるだけの卑怯者
李舜臣は常に兵士達の先頭に立って戦ってる。
李提督と並ぶ世界三大提督の一人・ネルソンも狙撃兵の銃弾に斃れてる。
勇敢な将ほど早く死ぬ。卑怯者ほど生き残る。
- 94 :世界@名無史さん:2008/04/07(月) 17:43:19 0
- >>82
まじめな話朝鮮征伐とは公言できなくなってるのが現状
差別なんだって。「征伐なんて上から見た言葉を使うほど偉いのか!」って学者先生が激怒してるよ
朝鮮側は日本征伐って教えてるのにね
太平洋戦争も教科書から消えたしなぁ
「主戦場は太平洋だが日本はアジアの人々に多大な迷惑をかけたので
アジア戦争というべき。被害者の無念を忘れてはならない!」だって
バカジャネーノ?うちの大学の教授たち
- 95 :世界@名無史さん:2008/04/07(月) 18:04:42 0
- 実質、豊臣に臣従した大名vs明国&明に臣従した臣下(朝鮮国)の戦争なんだから
豊明戦争でいいじゃない。
- 96 :世界@名無史さん:2008/04/09(水) 21:02:53 O
- >>93
大名は一人戦死したし、負傷した大名も多数いますが、何か?
- 97 :世界@名無史さん:2008/04/09(水) 22:42:17 0
- 黒田長政も溺死しかけたからな
でもほとんどが病死
あんなところいくべきじゃなかった
異郷の地で果てるのは無念だったろう
- 98 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 09:31:48 O
- >>97
いつどこで溺れたの?
- 99 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 10:10:12 0
- >>94
だから大東亜戦争が正解。戦線を野放図に拡大させたのは
史実として、政治信条如何に関わらず、認めるべきだな
>>97
朝鮮自体も当初は明侵攻への通過点だったはずだが、征服
・統治の対象にする積りだったろ?
- 100 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 12:10:50 0
- 日明戦争論とかいっても
明の方は活躍の割に寡兵だったという話だし、肝心の明側が
比較的この戦争について感心が薄いのだよね。今の中国人は実際この戦争について思ったより感心が薄い。
朝鮮側30万というのはやはり無視するには大きすぎる要素だ。
- 101 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 12:31:16 0
- 何と比較して関心が薄いと言ってるのか、
そこら辺の基準も曖昧だな。
- 102 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 13:00:15 0
- >今の中国人は実際この戦争について思ったより感心が薄い。
そりゃそうだろう。
日本人の日露戦争と同じ。
- 103 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 14:37:20 0
- そりゃ、中国人にとっては数ある対外戦争の一つでしかなく
関心は薄いだろう。
日本も同じだが。。。。
日明戦争に過剰な反応を示すのは、コリアンだけw
- 104 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 14:42:35 0
- >>100
どうこう言っても戦場は朝鮮国内だもの。彼らが過敏に
反応するのは判るな
- 105 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 18:57:12 0
- 同じく主戦場が朝鮮半島だった日清戦争は、結果が結果だけに華麗にスルーされているがなw
- 106 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 19:45:34 0
- >>100
いや、寡兵ではなかったよ。
- 107 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 22:16:32 0
- 一応英wikiだと明軍四万八千とされているな
当時の明の動員力から考えてもこのあたりが妥当とされているけど
- 108 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 22:41:10 0
- それも根拠が不明だからな。
- 109 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:21:47 0
- どの資料みても四万八千だな。
俺もよく割らんが一応、参謀本部の研究を前提にしている。
- 110 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:30:06 0
- 数字の元となった、「史料」の話をしてるんだがね。
- 111 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:32:49 0
- 明史の数字そのままでしか議論できない馬鹿はそもそも史学板に来るべきではないと思う
- 112 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:35:51 0
- 明史は信用出来ないのに、当時の検地帳や戸籍を無条件に信用出来るのは不思議な話だな。
最も、参謀本部やら英wikiが本当に「検地帳」や「戸籍」に基づいて作られているのならだけど。
- 113 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:37:57 0
- 当時の明軍は皇帝直属の軍が10万にも満たなかったと言う話らしいね。
しかも、江南から海を渡ってくるという噂もあったので、二手に分けて
とりあえず五万って感じかあ。
朝鮮の使者からも色々話を聞いていたが
基本的に倭冦の延長と考えていて、本気になってあたろうとは考えてみてなかったようだ。
娘の結婚式30回分くらいの予算で明は日本軍を撃退してたらしいし
- 114 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:47:41 0
- >>112
戸籍や出納帳はどれだけ明朝が国民を把握していたかという一等資料なので
研究者の評価は高いよ。
当時、日本と明を比べると明より日本の方が人口があったということになる。
ただ明は人頭税もあったので裏人口はあったと思うけどね。
当時の明が明史のとおり20万、30万動員できたということについては学説で相当に疑わしいということになる
陸軍参謀本部の研究は客観的だよ。
支那に勝ったあと編集してたらしいし変な劣等感もなかっただろう
- 115 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:52:40 0
- >>113
最初、明朝は日本軍と朝鮮がつるんでいると疑って本気で援軍送る気もしなかったそうな。
また日本軍の戦力にしついても、朝鮮の報告は誇張として取り扱わなかった。
ちょっと大規模な倭冦というくらいのものかな?って認識。
こんな状態で主力を差し向ける程明は余裕あった国じゃない。
- 116 :世界@名無史さん:2008/04/10(木) 23:57:53 0
- 日本軍を軽激するにしても補給船伸びきった後に本土で迎え撃てばいい話だし
ちょろちょろした援軍で朝鮮領内で撃退できちゃった以上、日本人や朝鮮人より冷めた目で見ている中国人
の視点はある意味当然。中国人も、朝鮮征伐については、「朝鮮援兵」つう表題だし
- 117 :世界@名無史さん:2008/04/11(金) 00:55:24 0
- >>114
明史
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%8F%B2
明史は24正史の中で最も正確性や公平性に定評がある。
これも研究者の評価は高いよ。
>当時の明が明史のとおり20万、30万動員できたということについては学説で相当に疑わしいということになる
具体的に今現在の研究者で誰がそう言ってるの?
- 118 :世界@名無史さん:2008/04/11(金) 00:57:33 0
- >>115
余裕が無かったから、万暦の三大征の一つである援朝戦争で大軍を送って国が傾いてるな。
- 119 :世界@名無史さん:2008/04/11(金) 01:10:18 0
- >>109
旧参謀本部の本なら手元にあるが、
B明・朝鮮軍の軍備 A明軍の章で明の軍制と兵備を詳細に分析した後
>万暦二十年、日本の文禄元年(一五九二)前後の明国軍の総兵数は、
定員の六分の一程度の約五十万人ぐらいであったと思われる。
そのうえ、国土はあまりに広いから、兵員を一カ所に集中すると言うこと
容易ではなく、さらに大陸内部や沿岸部の防備に、兵力の大部分を
必要とする状況であったから、この大陸で朝鮮に出かけていった兵は、
多くても十万を出ることはなかっただろう。
―同書P74
また同書P145のタイトルに「明、十万の大軍を送る」とあり
明の勅書を引用して
―朕(明王)は文武二大臣に命じて遼陽の精兵十万を送って助力するゆえ…
とある。
なにぶん大昔に読んだ本なので、どこか他の場所に四万八千て
書いてあるのかな?
- 120 :世界@名無史さん:2008/04/11(金) 01:55:35 0
- 明史は正史の中で評価が高いだけ
絶対と言われる程基準のあるものでもないね
研究者の評価が高いというのならその辺のソースも提示しなさい
「数字もいっぺんもあやまりもなく正確無比である」とい記述があれば
是非示してから、歴史板にくるといい
参謀本部の四万八千という数字は、はじめて日本が
ドイツ流の実証型の歴史考証に基づいたもので
戸籍、出納表、軍役帳から計算してそれなりに近似値を弾いている
当然、明史のことも研究している
朝鮮出兵に関して様々な研究がなされているがおよそ、
研究者の評価も高く、秀逸的な古典
欧米の学者もそのまま引用している位
文禄の10万というのは当然、誇張とされ
だいたいの研究は文禄四万八千とある
今もなお覆されていない数字なので、覆したければ
自分で研究すれば
ああ、参謀本部より資料と時間と労力かけてね
- 121 :世界@名無史さん:2008/04/11(金) 01:58:06 0
- 明史に10万とあるのくらい俺でも知っているし、参謀本部の研究家もよーく知っている
- 122 :世界@名無史さん:2008/04/11(金) 02:04:44 0
- つーか。
明史の内容、まあ、中国の史書なんてどれも歴史小説と大して変わらんと
いうか。そんなものだから参謀本部が正しく実証的に研究してあげた訳
支那のお粗末な数字と、日本人の数字どちらかを信用するかと言ったら
日本人なら後者だろ??
それとも陸軍参謀本部は嫌い、捏造ばっかだとでもいうのかな
あーあ、わかった
どおりでしつこいとおもったら在日か
確かに在日も陸軍の資料全く無視しているからなww
- 123 :世界@名無史さん:2008/04/11(金) 02:21:16 0
- とりあえずyahoo検索
「李如松」「430000」
21件ヒット
「李如松」「100000」
次の条件に一致する情報は見つかりませんでした。
43000派の勝ち!!
- 124 :123:2008/04/11(金) 02:22:17 0
- 430000>43000に訂正
- 125 :世界@名無史さん:2008/04/11(金) 07:24:08 O
- >>123
だからなんなの?
- 126 :世界@名無史さん:2008/04/11(金) 07:56:52 O
- >>116
はあ?
結局、明の朝廷は大騒ぎだったわけだが?
- 127 :世界@名無史さん:2008/04/11(金) 09:33:25 0
-
稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。
なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。
ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならないのである。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
- 128 :世界@名無史さん:2008/04/11(金) 11:21:14 0
- >>116
いや、突然だったから大騒ぎした訳でそれだけじゃないの?
明の対応にしてみれば四万つー数字がどの程度の深刻さだったか表しているな
北京から遠い。遠方の出来事くらいの認識
清に山関関まで追いつめられてようやく10万だしてきた
あの辺のケツに火がついてたような本気ぷりが朝鮮援兵にはまだまだなかったのという感じ
文禄なんて、李如松の増援要請朝廷の方は宦官が拒否しているしね。
- 129 :世界@名無史さん:2008/04/11(金) 14:27:03 O
- >>128
別に防衛のための明軍は朝鮮だけに展開しているわけじゃねーし。
日本軍だって動員の半数は戦闘員じゃねーし。
半端な数字を任意に切り取って牽強付会しても意味なし。
- 130 :世界@名無史さん:2008/04/11(金) 15:43:42 0
- 【歴史】朝鮮半島の分断は秀吉の侵略が源流[04/11]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1207894455/
Ω ΩΩ ナ…ナンダッテ-!
- 131 :世界@名無史さん:2008/04/12(土) 12:10:00 0
- 日本だって一正面に投入する軍勢は五万程度だろ?
何で比較するような振りして日明鮮で尺度を変える訳?
- 132 :世界@名無史さん:2008/04/12(土) 15:48:32 0
- 明は全軍で四万
- 133 :世界@名無史さん:2008/04/12(土) 16:00:05 0
- 清と秀吉じゃ地の利が比べ物にならない
日本が満州にあって、関所の向こうがすぐ明の首都ってなら話は別だろうがな。
- 134 :世界@名無史さん:2008/04/12(土) 16:11:32 0
- そうだな。所詮明からしてみれば
遠くで倭軍がなにかやっているなという印象だろう
- 135 :世界@名無史さん:2008/04/12(土) 16:23:15 0
- 明王朝の本隊は、中国満州国境の山海関に駐屯してたので
朝鮮までは陸路ですぐだぞ。
- 136 :世界@名無史さん:2008/04/12(土) 17:14:03 0
- だったらなおさら不利だろw
- 137 :世界@名無史さん:2008/04/12(土) 17:16:42 0
- どっちに地の利があるかって話だな。
秀吉は朝鮮の抵抗を排除しながら朝鮮半島を北上するか、
海をわたって上陸して山海関までたどり着いてから交戦しなくてはならん。
しかも清の時は明は滅亡して山海関から首都まで大混乱
- 138 :世界@名無史さん:2008/04/12(土) 18:14:14 0
- 諸大名はハンニバルを見習え
- 139 :世界@名無史さん:2008/04/12(土) 22:55:57 0
- >>120
>文禄の10万というのは当然、誇張とされ
だいたいの研究は文禄四万八千とある
いつの間にか「文禄の役」だけの話になってる……
いちおう言っとくが「旧参謀本部編 朝鮮の役」は
明・朝鮮側の史料は主に明史と朝鮮王朝実録だけみたい。
参謀本部だからといって、現地調査や本格的な軍事学考察はしていない。
だいたい監修者の一人が山岡荘八だぞw
>>24のリンク先にもあるように「旧参謀本部編 朝鮮の役」は
『逐日的な戦争の経過』としては参考にはなるが、学問的には古杉
- 140 :世界@名無史さん:2008/04/13(日) 02:20:16 0
- もう43000でも10万でもどっちでもいいよ
諸説有りで
まあ、俺も明史10万はさすがにありえねえってことで43000だが
- 141 :世界@名無史さん:2008/04/13(日) 02:21:46 0
- 5万の明軍に粉砕された日本軍20万のヘタレっぷり
ぷぎゃーーーーー!!
- 142 :世界@名無史さん:2008/04/13(日) 02:22:31 0
- >>139
支那人の杜撰な史書より
日本人の統計を信じるだけ
>参謀本部だからといって、現地調査や本格的な軍事学考察はしていない。
とりあえずソースね
- 143 :世界@名無史さん:2008/04/13(日) 02:50:27 0
- 結局これで明は滅んだから秀吉の勝ちだろ
- 144 :世界@名無史さん:2008/04/13(日) 02:54:05 0
- 明が滅んだのは、その後の皇帝の散財、粛清と、反乱に尽きると思う
どれか一つ欠けてればまだ明は相当維持できてたはずだし
朝鮮出兵がどこまで影響してたか不明
- 145 :世界@名無史さん:2008/04/13(日) 02:59:38 0
- 明の皇帝は総じて暗君暴君だが
末期は特にそれが際立ってたからな。
名君とはいわない。せめて劉禅くらい大人しい皇帝が輩出されてれば
明は滅んでなかったと思う。
- 146 :世界@名無史さん:2008/04/13(日) 11:28:29 0
- >>142
>参謀本部だからといって、現地調査や本格的な軍事学考察はしていない。
とりあえずソースね
ソース
1995年2月15日初刷 徳間文庫「旧参謀本部編纂 日本の戦史 朝鮮の役 」
桑田忠親、山岡荘八監修
初版は1965年徳間書店より刊行
買って読んだのをすっかり忘れていて、こないだ本棚を整理してたら
ヒヨッコと出て来たw
両軍の兵器や兵站について書いてあるのは参謀本部らしいとも言えるが
この戦い、兵器や兵站抜きで語れないところを考えれば当たり前といえば当たり前だし。
「忠荘公鄭撥戦亡碑」「再造藩邦志」「イ昌義使金公碑」「両朝平壌録」とか
珍しい史料も出てるな。
- 147 :世界@名無史さん:2008/04/13(日) 21:43:23 0
- 秀吉による朝鮮征伐の軍事分析PartX
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1203686918/904
904 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2008/04/13(日) 21:29:48 ID:aUmyu9K8
>>903
世界史板で明の動員数が多い少ないと数字を取り上げて不毛な議論をやっているが明と朝鮮の陸軍は不活発だね。
- 148 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 06:41:31 0
- 動員数の根拠が怪しくなってきたんで、不毛だと言い出したのかな?
- 149 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 06:56:48 O
- 不詳を知らねば度し難し。
- 150 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 07:08:26 O
- 詳しく書かれた本ってあります?
朝鮮軍の30万とか信じられない
- 151 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 07:37:04 0
- 不知と言いたかったのかい。
- 152 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 08:21:00 O
- >>149-150は別人だよ
朝鮮の役何にも知らなくてね
- 153 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 09:14:51 O
- >>151
不詳だろ?
書いてあることが理解できないのか?
- 154 :明水軍はいつ来たの?:2008/04/14(月) 09:32:34 O
- >>116
902 名無し三等兵 sage 2008/04/13(日) 21:12:35 ID:???
大勝だとか違う負けだとか言われている鳴梁海戦の後に朝鮮の前線の押し出しは停滞していたの?
http://plaza.rakuten.co.jp/1592to1598/diary/200804110000/
それより注目すべきところは、海戦のあった海域です。
折爾島が居金島だとすれば、古今島のすぐ東方、日本軍最左翼である順天倭城からはかなり西方であり、前述の「乱中雑録」記述とも重ね合わせれば、海岸沿いの明鮮水軍の前線が1597年末から全然前進していないことになります。
- 155 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 09:34:17 O
- >>151
?
- 156 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 13:35:25 O
- >>154
明水軍が実戦に参加したのは1598年になってから。
- 157 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 13:44:31 0
- 船すらもってなかったんで急ピッチで水軍作ったらしいな
それまでは朝鮮兵に訓練させたり、技術おしえたりれしている程度に留まる
- 158 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 14:01:58 0
- しかし、戦略無し、状況判断なし、
スペックだけで戦争の勝敗が決まると思ってる馬鹿はいつの時代にもいるな。
こういうオタが戦艦大和とか作ったんだろうな。
- 159 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 14:04:10 O
- >>157
朝鮮水軍より強力な戚継光以来の対倭寇水軍は持ってた。
回航するのが遅かっただけ。
- 160 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 14:33:18 0
- >>159
それってかなり旧型だったらあんまりつかえんかったらしいぞ
- 161 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 15:55:57 0
- >>159
朝鮮水軍の明水軍に対する評価は陸軍と違って冴えないものだけどな
曰く、大砲の搭載数が少なく兵員数も少ないから火力が足りない。
船が小さいから日本水軍に簡単に乗り込まれて全滅。
朝鮮水軍よりは白兵戦に強いが日本水軍に圧倒されるレベルという
点では同じだから意味なし。
まあ、遠海での運用となれば明水軍にも利点はあるだろうが
近海での海戦がもっぱらだった慶長の役では活躍の場がなかったらしい
順天倭城を攻めた時に明と朝鮮の軍船が数隻、城の手前で引き潮にひっかかって
座礁したことがあるんだが朝鮮水軍の軍船は城から徒歩で出撃した日本軍に対して
必死に防戦して持ちこたえ満潮が来たところで脱出に成功したが、明軍の軍船は
持ちこたえられずに乗り込まれて全て焼き討ちされ水軍兵士も皆殺しにされるという
出来事があったよ。
- 162 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:02:56 0
- >>161
鳴梁海戦では明海軍に惨敗されてますが
後明軍のジャンクは和船より大きいソ
ジャンクに突っ込まれると簡単に穴が空いて沈没なんてざらだったくら和船は脆く小さく弱かった
まあ、停泊中に奇襲とかそういった場面ならまあまあジャンクと闘えたみたいだがな
- 163 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:04:49 0
- 海上では確かに倭軍が勝った言う話は聞かないね
- 164 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:07:40 0
-
>後明軍のジャンクは和船より大きい
>ジャンクに突っ込まれると簡単に穴が空いて沈没なんてざらだったくら和船は脆く小さく弱かった
嘘つくなよ。ソース。ジャンクって小さい小型船だろ。安宅船の方が大きいよ。
- 165 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:22:33 0
- >>160
「朝鮮水軍の明水軍に対する評価は陸軍と違って冴えないものだけどな」
のソースキボン。
- 166 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:26:53 0
- >>165
遠海で海戦とか大砲で勝負付けるとか阿呆なことを言う可哀想な子なので無視が吉。
日本、明、朝鮮、みんな海岸沿いで戦うのが関の山の水軍で戦っていた。
秀吉による朝鮮征伐の軍事分析PartX
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1203686918/903
903 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/04/13(日) 21:16:20 ID:???
当時のアジアの海軍は、沿岸水軍同然ですよ
陸と歩調を合わせないとどうにもなりません
この辺りの事情は日本側も同じ
- 167 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:28:57 0
- 明マンセーも遠海で海戦云々や大砲で決着付ける、とか言ってたな。
- 168 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:34:19 0
- >>162←こいつも馬鹿?
- 169 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:37:34 0
- >>1668
いや事実
- 170 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:42:50 0
- >>164
日本丸(朝鮮役時の安宅船)
■■■ ←「船長十八間(約32m)、幅六間(約11m)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/
16〜17C頃の軍用ジャンク
■■■■■■
■■■■■■
■■■■■■← (Six-masted junks, about 220 feet long and 83 feet wide).
(長さ70m、横30mくらい)
http://en.wikipedia.org/wiki/Junk_%28ship%29
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AE%85%E8%88%B9
当時の和船に共通する構造上の特徴として、
西洋や中国の船のように骨格としての竜骨を持たない点が挙げられる(準構造船)。
したがって軍用船としては強度的に劣り、朝鮮の役においては竜骨を持つ
中国軍船の体当たりにより舷側を突き破られるという事例が頻出したようである
ちなみにガレオンなんてジャンクより大きいぞww
当時の安宅船なんて小型小型
はなしにならんよ
- 171 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:46:07 0
- >朝鮮の役においては竜骨を持つ中国軍船の体当たりにより
>舷側を突き破られるという事例が頻出したようである。
と、書いてはいるものの
例によって元史料の明示は無いんだな。
- 172 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:47:32 0
- 何にも資料を出してこないで明軍水軍弱い。船小さいと平然と嘘つくよりマシかと
- 173 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:49:53 0
- 資料と史料の区別は付けたほうが良いよ。
- 174 :164:2008/04/14(月) 22:55:14 0
- >>170
ん〜。しかし書いてある内容は事実のようだ。疑ってごめん。
一応信じるよ。ありがとう
- 175 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 23:05:55 0
- 日本丸(朝鮮役時の安宅船)
■■■ ←「船長十八間(約32m)、幅六間(約11m)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AE%85%E8%88%B9
16〜17C頃の軍用ジャンク
■■■■■■
■■■■■■
■■■■■■ ← (Six-masted junks, about 220 feet long and 83 feet wide).
(長さ70m、横30mくらい)
http://en.wikipedia.org/wiki/Junk_%28ship%29
Panokseon(朝鮮船)
■■■■
■■■■ ←70 feet in length version to a large 100 to 120 feet in length vessel
(長さ40m、横20mくらい)
イメージわくように大きさをまとめてみた
- 176 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 23:07:10 0
- http://en.wikipedia.org/wiki/Panokseon
Panokseon(朝鮮船)
はこちら
亀は出すものではないと思ったので割愛
- 177 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 23:08:51 0
- なんで和船は脆く小さく弱かったんだろう??
- 178 :世界@名無史さん:2008/04/14(月) 23:12:15 0
- >>177
戦国時代すらまともに水軍もってなくて、ろくに技術もなかった貧乏国が
突然ジャンク以上の船作れるわけないだろ。
明は鄭和の技術が衰退したとはいえ、大河で使うから造船技術そのものは高いし
日本より経済力があるのだから、大きさが全然違うのは当然。
第一明軍は当時最強だった欧州の艦隊と海上でガチで闘ってそれを破っているわけだかにね
- 179 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 00:04:40 0
- 王朝実録見てたけど面白いもん見つけた
○董提督揭帖:
昨藉威庇, 得破望晉山、泗川諸寨, 繼攻沈安道, 不期各寨餘孽, 盡投歸倂, 而水陸援倭皆至。
雖然四集我兵, 力攻已有成效, 可期結局矣, 不意天不從人, 我兵砲藥, 一簍火發, 躱焰一閃,
而倭卽乘烟突出, 混戰良久, 彼此皆有損傷。 暫退息兵, 以圖再擧。
【泗川之敗, 提督之軍, 過半致死, 資糧、器械, 盡爲賊有, 提督僅以身免, 今乃曰彼此皆有損傷云,
則其虛張誇誕之習, 至此可見。】
明軍の董提督が朝鮮王室に泗川の島津軍を攻撃したことを報告しているが
双方に損失があって兵を引いて再び機会を伺っていると被害を隠しているのに対して
その場で記録している史官は、提督が兵力の過半を失い命辛々に逃げ延びたのを知っているのに
嘘ばかりついていると批判する文句を残している。
ちなみに明軍の将軍たちは一応、朝鮮国王に作戦結果の報告はするけど
朝鮮国王は彼らの作戦に口を出すとか不味い軍隊運用があっても叱咤することは
できなかった。
何しろ、天子の命令で派遣された「天軍」だからね。
- 180 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 02:22:03 0
- 明がいつどこで欧州の海軍と戦ったんだ。脳内か?
- 181 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 02:45:17 0
- >>180
お前学問板こないでよ
- 182 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 03:02:31 0
- まあ、鄭成功は支那というより台湾の英雄だからな。だからこそ叩けないが
とはいえ当時、アジアで唯一当時欧州艦隊を敗れた実績をもつのは明だけだというのは一応事実。
日本やオスマンの船じゃ海上ではおそらく一方的に嬲られてただろうし。
- 183 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 03:07:04 0
- 和船じゃ、ガレオン2隻撃沈は絶対不可能
- 184 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 03:08:44 0
- >>183
和船遅いし、小さいし、しかも大砲なしだと。
ガレオンに触る事なく全部沈められるだろうね
接近してもよし登るのが大変そうw
- 185 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 04:44:32 0
- 当時の船は海域によって活用が変わるから船の大きさはあんまり関係ない
元が大型船で来たけど日本の小船で夜襲され切り込まれたり
ガレオン船は遠洋航海として優れてるわけで
- 186 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 04:51:33 0
- こういう机上のスペックだけ見るアフォが戦艦大和とか作ったんだろうなと思う
- 187 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 05:01:26 0
- でもトルコ船は一方的だったがな
欧州船に和船が勝つなんてありえない。
- 188 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 05:10:24 0
- >>185
元の場合は「夜襲」だろ? うらをかえせば夜できゃ登れないという事
沖合で
小舟程度で西洋船と艦隊決戦なんてされたら話にならない
- 189 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 05:11:35 0
- 和船でガレオン勝つニダww
- 190 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 05:17:14 0
- >>186
戦艦大和は航空機の集団運用で負けただけであって
艦隊戦でまけたわけではないし。
ガレオンは遠洋航海でもあるけど、それよりも性質的には戦闘用の「戦艦」ともいえる
陸で闘うなら停泊中に襲うなどの手段は有ると思うけど
沖合だったらまるで話にならないと思うよ。接近すら出来るか怪しい
- 191 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 05:29:32 0
- ローマがイギリスを侵略した時も、イギリスは大型の遠洋船でローマは小回りが利く船で圧倒してる
シャムで活躍した日本人庸兵なんかもスペイン船だか小船で切り込み沈めてる
ガレオン船のような大型船自体は政宗もスペインに使節を送るとき作ってる
- 192 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 07:22:10 O
- その軍用ジャンクが日本水軍と戦った事例史料の提示希望。
明が朝鮮役で使っていた虎船や彪船ってジャンクなんですか?
適当な嘘吐いて誤魔化すなや。
- 193 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 07:26:44 O
- ガレオン船なんかイギリスにフルボッコされてるじゃん
- 194 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 09:18:52 O
- >>192
訂正、沙船や號船。
- 195 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 10:06:32 O
- 戦列艦までいけば火力重視だがガレオン船はまだまだ白兵戦
- 196 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:05:28 0
- >>193
あれは火船突撃という奇襲がきまっただけだけど
ガレオンに倭冦がほとんど手を出せなかったのは事実だからな
- 197 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:11:49 0
- >>192
ジャンクも数隻入ってたようだ
wikiを見る限り、ジャンクの沈没はみえないな(見落としあったらごめん)
当然、全部ジャンクなはずはない。
それは全船日本も安宅でないのと同じ。
旗艦クラスの比較ナだけだよ
- 198 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:18:33 0
- 見た感じ、日本の和船では
とても西洋船に勝てると思えない
秀吉が朝鮮から唐入りしたさいに一番不毛な地である朝鮮ルートをとおったのも
海での決戦に自信がなかったから
台湾からマニラに進出するルートの方が合理的なはずだが
沖合でオランダ船とガチなんてとんでもないと考えた
だから朝鮮ルートだった。
つまり逃げの戦略
- 199 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:18:40 O
- 朝鮮での戦闘に参加した日本、明、朝鮮の船は水密技術も運動性能も低いので「撞破」とか朝鮮人が気取って記録しても体当たりを敢行すれば双方沈没w
大砲も照準できないし、次発装填に時間が掛かるので決め手にならない。
ネルソンの時代になってさえ大砲で止めを刺すのは難しく、マストに狙撃兵を乗せて直接船員を狙ったり、接舷して海兵隊が敵船を制圧していた。
実際に朝鮮役では、どの陣営もやられたほうの記録では、焼き討ち放火されるか、乗り込まれて制圧されるかで決着がついている。
捕獲が多いのはこのため。
- 200 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:22:18 O
- >>197
だからいつのどこに、どんなジャンク船が投入されたのかソース出せよ。
- 201 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:23:56 O
- 基本は手漕ぎレベルの船が戦っていた戦争に何言ってんだ?
- 202 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:30:56 0
- >>200
英wikiの海戦みりゃわかるじゃん
まあ、どうせ英語読めないだけだろうが
英wikiはなんとかかんとか屁理屈つけるんだろうがね
- 203 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:33:18 0
- >>198
だよな。朝鮮なんていかず
台湾→マニラで海洋国家戦術が妥当なのに
それをとれなかったのは西洋船を見てガクブルだったからだよな
実際、明はおろか。朝鮮の中型船にまけているんじゃはなしになんね
- 204 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:35:20 O
- >>202
誰でも編集できるwikiはソースにならねえんだよ。
で、ご自慢の英wikiを読解しても君の脳内信仰以上の根拠に遡れないノーソースなんだろ?
- 205 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:36:59 O
- >>197
嘘を流布するなよ。迷惑な野郎だ。
- 206 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:39:57 O
- >>202
英語でも日本語でも中文でもハングルでも、何語で表現してあっても史料にないってのは妄想だわなあ。
- 207 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:53:25 0
- http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Noryang_Point
-ほらここのページ
明のジャンク六隻
あとめんどうだからwikiをだすだけで
言うまでもなく
同じように明のジャンクについては参謀本部の「戦史朝鮮役」にくわしい
資料の出典元は示した。あとは個人で調べてね
資料の出典先からくわしくあるはず
英wikiも参謀本部の丸写しだから
そっちみたほうがはやい
- 208 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:55:24 0
- すごいよな。自分の主張にそぐわなければ
参謀本部の研究すら否定して、支那コロやチョンの歴史小説を資料というだもん
おどろきだよ
- 209 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 15:09:23 0
- レパント以降、アジアの船が西洋船を破ったのは
明だけじゃないの? もちろん近代以前の話だが
- 210 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 15:14:04 0
- >ローマがイギリスを侵略した時も、イギリスは大型の遠洋船でローマは小回りが利く船で圧倒してる
当時のイギリス船が大型とはな。もっと調べてから書き込め
>シャムで活躍した日本人庸兵なんかもスペイン船だか小船で切り込み沈めてる
この資料あんまり詳しくかいてないよね。沖合決戦だったのか、単にスペインがチョコチョコ上陸してきたのを
撃退しただけか、なによりスペインの船がガレオンだったのかもよくわからない。
>ガレオン船のような大型船自体は政宗もスペインに使節を送るとき作ってる
時代が違う。確かに江戸初期はまあまあいい船作るようなってきたが
朝鮮出兵は小型(日本にしては弩級大型)の日本丸
- 211 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 20:09:46 O
- 明マンセーか英ウィキマンセーか知らないけど、明水軍がどこで日本水軍と戦ったのかも分かってないんじゃあ・・・
- 212 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 20:12:27 0
-
朝鮮総連を日本の法律で裁くべきではない!
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/court/1208202047/l50
朝鮮総連を日本の法律で裁くべきではない!
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/court/1208202047/l50
- 213 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 20:50:05 O
- 数字が書いてあるだけじゃん。
史料批判以前の根拠失格。
- 214 :世界@名無史さん:2008/04/15(火) 23:53:57 0
- でも、参謀本部のみろとはいっている
学問板だからあとは個人で調べる心意気も必要ではないか
皆、暇人ばかりではないよ
- 215 :世界@名無史さん:2008/04/16(水) 04:34:34 0
- >>209
大艦隊を率いて、フォート・ジーザス海上要塞などインド洋の
ポルトガル要塞を片っ端から攻略していったオマーンが有名。
それから、レパントの海戦以降オスマン・トルコ海軍がダメになったわけでなく
それ以降も東地中海、黒海、紅海を西洋列強と争いながら支配しじ続けている。
ダメになってくるのは19世紀ナヴァリノ海戦以降。
もともと三角帆による風上への切りあがり、羅針盤、火砲もアラブから
ヨーロッパにもたらされた物でイスラムの艦隊自体は弱くはなかった。
ヨーロッパの艦隊が圧倒的に優位になるのは蒸気船が発明されてから。
- 216 :世界@名無史さん:2008/04/16(水) 05:00:23 0
- オーマンは西洋船使って勝ったんだけどね
正確には
- 217 :世界@名無史さん:2008/04/16(水) 05:06:33 0
- レパントでの負けがあまりにも一方的だったので
海軍を再編成した後もオスマンは西洋には海戦で勝てないと認識してたよ
西洋としてみれば地中海東にオスマンを封じ込めてしまえばもんだいなしなわけで
レパント以降のイスラムは実質的に終わり
オーマンに関しては奪った西洋船をつかっただけ
そういう意味じゃ鄭成功のみが西洋との海戦で唯一の例外
- 218 :世界@名無史さん:2008/04/16(水) 05:31:38 0
- 薩英戦争で薩摩が英国艦隊沈没させてるやん
- 219 :世界@名無史さん:2008/04/16(水) 08:07:39 O
- 船は結構もろい
旅順艦隊も地上からの砲撃に沈んだし
ましてや木造帆船
嵐や時化でどんだけ沈んだことか
- 220 :世界@名無史さん:2008/04/16(水) 09:09:52 0
- 鄭成功は明軍じゃないし、東インド会社は海軍じゃないだろ。
- 221 :世界@名無史さん:2008/04/16(水) 09:11:44 0
- フィリピンもスペイン海軍を全滅させたな。w
世界一周を阻止したのはフィリピン軍
- 222 :世界@名無史さん:2008/04/16(水) 09:16:28 O
- 参謀本部本で史料批判されてないからダメダメ。
そっから先の軍用ジャンクが参戦したとかの妄想は宗教にすぎない。
- 223 :世界@名無史さん:2008/04/16(水) 12:58:04 0
- しっかりしているだろ。
明史信望者と違って明史のおかしいところをきっちり修正している
- 224 :世界@名無史さん:2008/04/16(水) 13:24:36 0
- >>218
あれって艦隊決戦だっけ?
薩摩の海軍は速攻潰されたな
>>220
パタピアに戦艦数隻含む数十隻の海軍持ってたぞ
多分、明を除けばアジア一。
ちなみにどういった戦況だったかは台湾に友人がいればぜひとも聞いてほしい
台湾の勝利は
オランダ艦隊と海上で戦い戦艦二隻沈没させた上で
長期的な海上封鎖による兵糧攻め
ということで、遠洋航海の技術もさることながら、長期的に制海権をとり続ける
船の性能が必要な訳で、多分和船では無理な芸当だった。
日本軍が台湾にしか出下等
そもそも海上封鎖以前に、海上で勝負ついているだろうけどね
それがわかっていた秀吉は朝鮮に行く事になる
まあ、誇張はあるだろうがww
- 225 :世界@名無史さん:2008/04/16(水) 21:45:57 0
- 朝鮮ルートは北京に近かったから。
朝鮮が道案内することになってたんだから、目標はすぐそこだろ。
- 226 :世界@名無史さん:2008/04/18(金) 12:06:45 0
- 戦力は距離の二乗に反比例する
石原莞爾
戦場が遠ければ遠い程劇的に不利になる
- 227 :世界@名無史さん:2008/04/26(土) 13:55:24 0
- 日本の戦死者は九割餓死病死と聞いたが、
明もそう?
- 228 :世界@名無史さん:2008/05/04(日) 05:11:54 O
- >>142
普通旧参謀本部日本戦史朝鮮役と言ったら徳間の古本屋で350円の本じゃなくて、明治時代の方なのなw
- 229 :世界@名無史さん:2008/05/04(日) 05:21:56 O
- 徳間のは捨てていいかもしれん
あれを旧参謀本部日本戦史とか言わない方がいい
ただの恥晒しだし、ハッキリ言ってお里が知れる
徳間の日本戦史というならともかく
古本屋で17000ぐらいで売ってるが、国会図書館のHPで検索したらタダで読める
今でも役に立つ本ではあるけど、新しい本を読まないとダメだな
- 230 :世界@名無史さん:2008/05/04(日) 13:41:43 O
- >>229
内容的にどんだけ違うの?
- 231 :世界@名無史さん:2008/05/05(月) 02:54:06 O
- >>230
どんだけ違うかはここで朝鮮役って検索して読んでくれ
ttp://kindai.ndl.go.jp/
明治と思ってたが大正みたいだな
他と勘違いしてたわ
- 232 :世界@名無史さん:2008/05/09(金) 21:12:35 0
-
- 233 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 02:00:29 0
- ただwikiみりゃわかるとおり現実はどの書物も数字に関しては
陸軍参謀本部戦史そのまま引用なんだよね
数字に疑問がなげかけられたという話も聞かない
それどころか明のしょぼい支配力や人口把握力も考えるともっと少なかった家もとい意見すらあるし
日本軍14万死亡は異論無さそうだけどね
裏を返せば日本の領国把握はすばらしかったといえなくねないが
- 234 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 04:23:38 0
- 14万も死ぬはずねーだろ
当時は兵農分離が進んでて百姓軍や奴隷軍のように都合よく徴兵できない
100万石でも2万〜3万の兵を雇えるのがやっとで、14万の武士を損失と言ったら日本の武士の3分の1近く死んだという事になる
- 235 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 08:24:28 0
- 英wikiは鵜呑みにしてるだけだし、日wikiの記述が変えられたのもつい最近の話だけどな。
- 236 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 11:30:38 0
- 14万はあり得んわな。
そんなに死んだら慶長の役の二年後に関が原なんてできるわけないし、
武将も大勢討ち死にしてなければ整合性がたたん。
- 237 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 12:39:02 0
- 417 :世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:12:15 0
日本などすぐにひとひねりだと豪語した李如松が明軍来援したのは
1593年の正月
そこから各地で日本軍は敗戦を重ねて1593年 3月
漢城付近まで追いつめられる
漢城で連署された報告書には
小西・宗 18700→6692人
加藤 10000→6629人
鍋島 12000→7644人
大友 6000→2052人
文禄で初期の動員20万から半数60%死亡って目付の報告資料があるから
日本軍の犠牲だけは当面不動な気もする
- 238 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 12:49:31 0
- >>236
いや、やっぱり西軍大名の兵力目減りは隠せないよ。痛々しい程
朝鮮役で軽く何十万動員して、当時あれだけ栄えていた西国大名が
関ヶ原では各々数千動員が線税。
大名はともかく家臣クラスの病死や討ち死も結構多いよ。
そういえばロシア戦役も何十万動員して、帰ってこれたの僅か数千って惨敗だったが
ナポレオン以下、将校に関していえばほとんど生還で、討ち死に関してはまるで皆無だったな
- 239 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 12:51:33 0
- 明智光秀は晩年1万石で6百人動員を主張しているし、耳川の合戦(1578年)
では島津家だけで4万〜5万も兵を出してる。
それぞれの大名の事情によるが、無理をかければ人口の1割近くは動員可能
- 240 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 12:59:22 0
- 裸足、草履の無謀な装備で冬の満州まで到達した上で冬の敗走だからね。
むしろ半分の犠牲で済んだのは少なかった方と見るべきかもしれない。
- 241 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 13:17:59 0
- 明軍ってそんなに強かったのか。驚き。
いや、むしろ日本が弱かったのか?
戦国時代で鍛えに鍛えられたといっても、所詮は辺境の小島で
内乱してただけの田舎戦士って事か・・・。
しかし、日本軍を圧倒した強い明を打ち破った清は更に精強だと言う事になるな。
そしてその清に完勝した明治日本軍は更に上と。
やはり旧日本軍最強。
- 242 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:10:53 0
- >>239
無理をかければって、武士は大名が主君といって勝手に徴兵できる制度じゃなく
あくまでも相互の契約関係で成り立ってる、主が無能なら見限ってもいいのが当時の時代
>>238
西国諸藩はにらみ合いで牽制しあってたからで清正も九州で待機だっただけ
ナポレオンはロシアでの大敗でナポレオンの時代が終わったが、朝鮮との戦いの厭戦気分はあっても豊臣政権は全然ピンピンしてる
- 243 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:13:06 0
- 結局、家康を朝鮮に送れなかった時点で、豊臣政権の命運は尽きていた。
結果論だが。
- 244 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:19:57 0
- >>242 意味がわからない!
あくまでも関が原での動員力の参考に行っているんだ。
つまり動員兵力を軽々しく100万石でも2万〜3万と決め付けるな
という意味でいったんだ!
- 245 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:27:03 0
- 340 :公共放送名無しさん:2008/05/10(土) 14:15:38.47 ID:HB0Bs+O0
大河ドラマ「森脇健児」
森脇健児:北村一輝
山田雅人:堤真一
森口博子:黒木瞳
中山秀征:佐藤浩市
ヒロミ:宇崎竜童
中居正広:中村勘三郎
木村拓哉:北大路欣也 ・・・
- 246 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:44:31 0
- 340 :公共放送名無しさん:2008/05/10(土) 14:15:38.47 ID:HB0Bs+O0
大河ドラマ「森脇健児」
森脇健児:北村一輝
山田雅人:堤真一
森口博子:黒木瞳
中山秀征:佐藤浩市
ヒロミ:宇崎竜童
中居正広:中村勘三郎
木村拓哉:北大路欣也 ・・・
- 247 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:45:53 0
- >>244
100万石で2万〜3万は定説でしょ、当時の兵隊は給料で雇う形式なんだから無料で兵になれなんてできないし
関ヶ原で九州勢が中央に多くを動員できなかったのは九州の情勢の為で
島津は中央に1000人程度しか送ってないが九州では黒田と抗戦してる
- 248 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 15:37:02 0
- 当時の日本には兵を給料で雇う方法は決してポピュラーなものじゃ
ないだろ!
まだまだ当時は租庸調の伝統による労役(庸)としても性格も強かった
故に、城普請に人足を動員するのも合戦に兵士を動員するのも同じよう
に考えられていただろう。
例えば秀吉は征明の為に33万の兵を動員したといわれているが、
(内訳:朝鮮出兵に20万、名護屋城周辺に10万、京・大阪に3万)
それと同時期に大阪城の第3期工事(総構え)を始めているし、
また1594年1月から伏見築城工事も一説には25万もの人足を動員
している。
また、文禄検地では多くの大名領において田畑の測量に多くの人足
を動員しているので、当時日本の人口(1200万±200万)においては
相当多くの動員(たぶん5〜6%)している。
- 249 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 15:37:31 0
- 当時の日本には兵を給料で雇う方法は決してポピュラーなものじゃ
ないだろ!
まだまだ当時は租庸調の伝統による労役(庸)としても性格も強かった
故に、城普請に人足を動員するのも合戦に兵士を動員するのも同じよう
に考えられていただろう。
例えば秀吉は征明の為に33万の兵を動員したといわれているが、
(内訳:朝鮮出兵に20万、名護屋城周辺に10万、京・大阪に3万)
それと同時期に大阪城の第3期工事(総構え)を始めているし、
また1594年1月から伏見築城工事も一説には25万もの人足を動員
している。
また、文禄検地では多くの大名領において田畑の測量に多くの人足
を動員しているので、当時日本の人口(1200万±200万)においては
相当多くの動員(たぶん5〜6%)している。
- 250 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 15:37:52 0
- 当時の日本には兵を給料で雇う方法は決してポピュラーなものじゃ
ないだろ!
まだまだ当時は租庸調の伝統による労役(庸)としても性格も強かった
故に、城普請に人足を動員するのも合戦に兵士を動員するのも同じよう
に考えられていただろう。
例えば秀吉は征明の為に33万の兵を動員したといわれているが、
(内訳:朝鮮出兵に20万、名護屋城周辺に10万、京・大阪に3万)
それと同時期に大阪城の第3期工事(総構え)を始めているし、
また1594年1月から伏見築城工事も一説には25万もの人足を動員
している。
また、文禄検地では多くの大名領において田畑の測量に多くの人足
を動員しているので、当時日本の人口(1200万±200万)においては
相当多くの動員(たぶん5〜6%)している。
- 251 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 15:38:18 0
- 当時の日本には兵を給料で雇う方法は決してポピュラーなものじゃ
ないだろ!
まだまだ当時は租庸調の伝統による労役(庸)としても性格も強かった
故に、城普請に人足を動員するのも合戦に兵士を動員するのも同じよう
に考えられていただろう。
例えば秀吉は征明の為に33万の兵を動員したといわれているが、
(内訳:朝鮮出兵に20万、名護屋城周辺に10万、京・大阪に3万)
それと同時期に大阪城の第3期工事(総構え)を始めているし、
また1594年1月から伏見築城工事も一説には25万もの人足を動員
している。
また、文禄検地では多くの大名領において田畑の測量に多くの人足
を動員しているので、当時日本の人口(1200万±200万)においては
相当多くの動員(たぶん5〜6%)している。
- 252 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 18:07:22 0
- >>237
その消耗は脱走兵とかも含んでいるでしょう。
14万戦死は全くありえないよ。
まあ、被害が大きいってことに違いはないわけだが。
- 253 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 19:08:19 0
- 降倭って有名だもんな。
降伏、脱走、病死、戦死、飢え死に、凍死、全てひっくるめての数字だろ。
北朝鮮の冬は満州よりも冷えるというし、西国武将には厳しい土地だったんだろうな。
- 254 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 22:26:35 0
- >>252
日本国内でならともかく敵地で脱走or本隊からはぐれた場合
よほど敵地の治安ーが良くない限り助からないよ
ナポレオンのロシア遠征で
30万の軍隊が数千になってパリ戻った時
もちろんその中で、本隊見限って脱走した兵も沢山居たが
ほとんど生きて帰れなかった。
本隊からはぐれた兵の殆どは、怒り狂った農民やコサックに殺され、あるいはロシア軍の残党狩りで
捕らえられるか殺されるかして、脱走兵はほとんど故郷の土を再び踏む事は無かった。
朝鮮には義兵なんつー
盗賊まがいの集団がゴロゴロしてた以上、ロシアのそれより状況が不味かったかもしれない
本隊からはぐれた兵の生還は絶望的だよ
- 255 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 22:36:16 0
- >>247
黒田は農民や浮浪者をかき集めて九州の空城落としまくったんだよ
つまり関ヶ原の数千が西国の全力
島津だけは内部分裂とかもあって義宏500以外は本国にいたお陰で唯一対抗できた勢力だったけどな
- 256 :世界@名無史さん:2008/05/10(土) 23:29:52 0
- >>254
降倭ってのは結構有名でそれなりの数いたはずだが。
それに、もし逃亡兵の多くも死んでいたとしても14万は無理。
出兵した全兵力とほとんど等しいのだから、>>237をそのまま参考にしても、
むしろそれは1死者は14万までは行かなかったという根拠になる。
- 257 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 00:21:25 0
- 文録 20万
慶長 12万だっけ
半数で軽く18万だよな
つーか世界的にも高く信用されている日本の資料を信用しないやつが一人だけ居るな
- 258 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 00:31:30 0
- 文禄は23万動員
慶長は14万動員
文禄で半分死亡
慶長で数万死亡
でも余裕で14万いくな
まあ、ナポレオンよりは頑張った方か?
惨敗には変わらんけど
- 259 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 00:41:52 0
- ナポレオンと秀吉如きを一緒にするのも失礼と思うね
一時期とはいえヨーロッパ最強(=世界最強)の皇帝だった訳だし
- 260 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 00:52:22 0
- >>242
豊臣政権は明や朝鮮よりあっさり滅んだろ
明なんか朝鮮出兵あってもなくても大した滅亡の要因になってないし
李朝に至ってはその後300年も存続している
- 261 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 01:23:44 0
- 明滅ぼしたの秀吉じゃなくって李自成だしな
- 262 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 02:23:34 0
- 故論考謂 明之亡實亡於神宗
「明史・神宗本紀」
論者謂明之亡 不亡於崇禎而亡於萬暦
趙翼「廿二史札記・万暦中礦税之害」
- 263 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 02:39:42 0
- 万歴に滅ぶとはよく言うがその後の万歴帝の散財や部下の粛清、反乱、裏切り、無能君主の連発など
諸々の悪い点が一気に噴出したな
万歴程の娘の一人の結婚式の費用は朝鮮出兵の予算の1/30だそうだ
娘一人の結婚式の30回分くらいのレベルだったのかもな
明が滅んだのは、朝鮮出兵より、その後の不始末、エラーだろう
せめて皇帝に一人でも、凡君クラスが排出されていれば滅亡は免れたかもしれない
- 264 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 02:51:30 0
- 豊臣政権は朝鮮出兵が原因で滅んだというのは時期を考えればそれなりに根拠があるが
明の方は大分時期もたっているし、せいぜい遠因程度では?
万暦で決定的に傾いたのは否定しないが、外圧というより散財、放蕩の万暦帝の自滅だし
それにやっぱり功臣袁崇煥を凌遅刑にしたり、部下粛清しまくった崇禎帝もね。
纏まって戦っていれば、傾いた状態でもあの当時なら清を撃退する事は出来ただろう
- 265 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 03:09:55 0
- 日本軍14万も死ねば国が傾くのはむしろ当然だよ
明軍僅か3万じゃさすがに滅ばないよ
もっと被害受けても300念続くチョンみたいな事例もあるから長く続くのがいいこととは思わんがね
- 266 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 03:11:53 0
- 14万脂肪(藁
- 267 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 10:31:46 0
- 豊臣が滅んだのは家康が居て豊臣には跡継ぎが居なかったからで明は関係ないよ
関ヶ原でも兵力じゃ西軍がうわまっわているし、金銀が湯水のようにあり秀頼もあれだけ戦力を整えられた
- 268 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 11:50:30 0
- そんなこといったら明はもっと関係無いよ
兵力は徳川の方が断然上回ってたじゃん。
- 269 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 12:28:33 0
- 家康に明と戦わせるんじゃなくて、秀吉が直接、朝鮮まで行ったらどうだ?
- 270 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 12:40:53 0
- >>268
関ヶ原で戦った時西軍の方が数は上、しかも開戦した後押されてたしね
小早川が裏切った為家康が勝った
- 271 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 12:44:20 0
- 後詰めにいた秀忠は無視ですか?
朝鮮出兵の西軍で一番出血を免れた秀秋が関ヶ原を決めたのは無視ですか?
- 272 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 12:50:29 0
- >>271
関ヶ原に来なかった秀忠を入れるなら当然上杉も含めなきゃいけないでしょw
秀秋が途中で裏切り家康側についたから家康は勝てただけでどっちにつくかは最後まで迷ってたからね
- 273 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 12:58:53 0
- まよってねーよ
最初から東軍つくき満々だったでしょ。関ヶ原前に大谷の部隊と抗戦してたし、
家康には必死こいて鳥居の件の謝罪の書状送りまくっている
数に劣る西軍がちょっと有利に見えたから少しだけ思いとどまったが
土壇場の裏切りでないことは明らかだよ
上杉や丹羽、立花とか計算しても
それより兵力上な伊達、最上、前田、秀忠の方が遥かに兵力上だよ
西軍はたった一戦で敗れたが
徳川の場合、徳川の本隊(秀忠の事)が無傷だったから
関ヶ原で負けても即座に負けが決まるとは言い難いという分析がある程
もともと東軍の方が西軍より圧倒的有利な状態なんだよ
- 274 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 13:08:50 0
- >>273
だから関ヶ原で開戦したときの兵力は西軍が上だってのw
秀秋は最後まで日和見したから家康に怒られると思ったんだしなw
秀忠なんて真田に足止めされ主力決戦に間に合わなかった、関ヶ原の主力決戦で敗れていたら天下は石田側がとってたよ
伊達は混乱に乗じて奥州を切り取ろうとしたんで家康側といえないし
- 275 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 13:11:47 0
- 万暦の三大征が明の滅亡を決定付けたな。
- 276 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 14:25:37 0
- >>265
だから14万も死んでないって。
そんなに死んだら関ヶ原の兵力はどこから来るのかと。
- 277 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 15:12:09 0
- 上のほうにもあるが戦力だけで戦争が決まる訳ではない。
天の利・地の利・人の利 秀吉軍はどれも不利
清は明との国境までが本拠地で、騎馬で迅速に移動可能、満州族はぜんぶ味方。
秀吉軍は厳寒の半島満州を草蛙履きで、戦争しながら北上し、離脱すれば住民に襲われる。
こんな状態で明の国境までたどりついてからそこから戦争すんのか?
- 278 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 15:57:53 0
- へへ
- 279 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 16:04:28 0
- 明治維新がこの時おきていたら
- 280 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 19:40:30 0
- 当時の日本の人口は1400万くらいいたんだよ!
たかが14万死んだからってまだまだ無理をすれば兵力は出せる!
- 281 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 20:07:36 0
- >>280
>まだまだ無理をすれば兵力は出せる!
学徒出陣して特攻隊が出撃するんですね、分かります^^
- 282 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 20:30:21 0
- >>280
機械化も進んでいない時代に、働き盛りの男達ばかり人口の1%も死んだら、
ほとんど壊滅的被害だって。
- 283 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 22:26:11 0
- 立花宗茂にフルボッコにされる明(笑)
- 284 :世界@名無史さん:2008/05/11(日) 23:15:51 0
- 確かに機械化の進んでない時代だけど、江戸時代だって農民人口は8割
程だったんだし、また農繁期とはいえ田植えが終わったら、次は稲刈り
まださほど人はいらない!
- 285 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 01:42:16 0
- しかし、公式資料である日本の資料を否定して
14万死亡説を否定する人ってどんな宗派なの?
そのわりにはもっと信用ならない明史を肯定しろって五月蝿いし
KY+ダブスタだね
- 286 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 01:45:48 0
- >>282
だからその壊滅的被害を追って逃げて帰ったのが朝鮮出兵だろ
ソ連なんか、大して機械化も進んでない国だったが
1%どころか10%若い兵士がしんでるじゃん
資料に基づかない推量はすぐ蜂の巣にされるのわかんねーのかな??
- 287 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 04:12:03 0
- >>280
ナポレオンがロシア遠征後の諸国民戦争で
20万の兵力を集めたのと同じですね。
世界史板的にはすごくわかります。
- 288 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 06:50:09 0
- 李如松は凍った緑鴨河渡ってきたというし
面の復、草履の軍隊では集団自殺しに行くようなもんだ
- 289 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 07:02:02 0
- 三成の秀吉の報告書に具体的な数字を持って
第1軍小西軍60%死亡。第2軍の加藤清正軍は被害が37%、
鍋島軍も36%死亡。3軍の黒田軍は54%死亡、4軍島津軍は60%死亡。5軍も40%死亡、6軍は44%死亡。しんがりの7軍の毛利軍で43%死亡
と報告しているけどな。
加藤の秀吉の宛の書状でも
「我が軍兵、半分が死せり」ってあるけどな。
文禄22万の半分が死んだ訳だろ。全然13万がありえないってほどでもない。
そして13万死亡すりゃ、どんな政権も傾くし、そして実際そのとおりになった
- 290 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 09:29:17 0
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- 291 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 14:19:21 0
- 殆ど凍死と病死だろ。後は餓死かな。
日清戦争と同じだ。
秀吉軍の最大の敵は半島の不潔さと冬将軍だったのだろう。
- 292 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 15:11:57 O
- >>289
嘘吐くんじゃねえよ。
三成は漢城に居た員数を報告しただけで、減員について戦死したとか被害損失などといっていない件。
大名は連絡や輸送に員数を割いて派遣しているのに、何で漢城に居ないと戦死したことになんの?アホ?
- 293 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 16:23:43 O
- 明10000
秀吉20000
朝鮮30000
実質これくらいじゃないの?
日本側のにしても被害甚大としておけば豊臣政権から兵役逃れられるかもしれないわけだし
関ヶ原規模の合戦が頻繁したなら10万とか消えそうだけど
- 294 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 16:33:31 0
- >>289
随分詳しく数字を書いてるけど、ソースをくれ。
- 295 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 19:53:40 O
- >>293
働きが悪いと激しく罰せられます。
- 296 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 20:23:48 0
- >>285
当時の記録の戦死者数なんてどこの資料だって当てにならんよ。
大体国民軍や徴兵制のナポレオン時代やソ連とそのまま比べるなんて頭が悪すぎ。
まず20万派遣して半分死亡、その直ぐ後に13万派遣してそれも半分死亡、
そしてその数年後には20万を超える兵が国内で合戦て、どんだけの集兵能力よ?
- 297 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 20:36:20 0
- >>289
家康も三成も豊臣政権内の主導権争いで対立したのであって、
その時点で豊臣政権が傾いたわけではない。
むしろ当主が幼児に過ぎず、家康という強力な権力者が出現しながら、
その家康も豊臣を滅ぼすの15年間もかかったのは、
豊臣に忠義の勢力が少なくとも当初は少なからずいたからこそ。
別に朝鮮出兵で豊臣政権が傾いたなんて事にはならない。
- 298 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 21:59:35 0
- >>294
>289の数字については見た事がある
戦史朝鮮役だな
リンクは示したから後は自分で調べてくれ
なんで数字でなくパーセンテージで示したのかしらんが
ちなみに加藤の半分死んだも戦史にある。
- 299 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 22:03:36 0
- 日本戦史朝鮮役の元史料がはっきりしないというジレンマ。
- 300 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 22:13:10 0
- 秀吉宛の軍目付の報告や、連署などの一級資料ですが??
てか、戦史朝鮮役に普通に資料名あるんら見てみるといいのでは?
- 301 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 22:17:46 0
- 数字に関しては事実だろ。
史料否定なんてついにブサヨと同じレベルまで落ちているな
可哀想に
戦史朝鮮役お前が開いて調べればいい話だろ
- 302 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 22:26:59 0
- >>296
プロイセンなんて徴兵制も無かった時代に
人口400万の国が、七年戦争時に
総国民の20%くらい総動員してそのうち半分殺しているけどな。
でも平気だったし。
人口なんて意外とあっさり回復するもんじゃね。身もふたもないけど
まして、明よりも人口が多かったとまでいわれるほどの人口1200万も抱えて
当時世界最強の戦国軍事大国だっただろ?
奴隷を世界に大量輸出できる程人あまり上だったんだろ?
13万たかだか1%という感はあるね
まあ、なにより14万死亡は、史料に基づいて意見を言っているから反証するにはそちらは妄想や独りよがりに頼るべきではないだろう
- 303 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 22:50:56 0
- >>296
ナポレオン統治下のフランスも秀吉統治下の日本も農業が機械化
されていない点ではおなじだろ!
国民皆兵制度を採っているとはいえ、動員できる限度は変わらんはずだろ!
それともナポレオンの方は餓死者がでてもかまわず動員したのに、日本
の諸大名はナポレオンより領民思い出動員しなかったとでも思うのか!
http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/fukusima/kouzasi.htm
- 304 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 23:02:40 0
- http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/3-7.htm
- 305 :世界@名無史さん:2008/05/12(月) 23:14:00 0
- 農業が機械化って
もっとまともな屁理屈こねようぜ
軍目付の史料や連署付きの報告書などの史料にしっかり反論できるだけのナ
- 306 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 02:50:58 0
- で、その死者の中で戦死の割合はどのくらいなんだ?
- 307 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 06:57:10 0
- 大量死亡厨はまったくわかってないな
プロセインだのフランスだのロシアは民衆を勝手に兵にできるけど
日本ではそんなことできない、当時の日本軍はあくまでも両者の契約で成り立ってて金や米で雇わなきゃいけない
大名が庶民を無理やり兵隊になどできない
- 308 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 06:57:45 O
- >>305
史料に書いてないことを書いてあるかのように引用することを捏造といいます。
具体例として、軍目付けがある地点のある時期の点呼員数を報告している史料を示しながら、無批判に別の動員定数から引き算した残数を戦死被害と推定するのではなく、「史料に書いてある」などと嘘を吐くこと。
- 309 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 07:27:29 0
- >>302-303
国民国家ってものを知らないの?
そもそも当時の資料の数字を鵜呑みにするなんて全くナンセンス。
>>257
半分でって簡単に言うが、普通半分も死者が出た部隊は壊滅と言われるんだよ。
死者の他に負傷者だっているだろうに。
- 310 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 09:02:53 O
- 100 人間七七四年 2008/05/12(月) 15:03:51 ID:I9kazbIj
和将で戦死したのは来島だけだしな。
明将では副将が戦死しているし。
101 人間七七四年 2008/05/13(火) 08:57:37 ID:8VnGr2Fr
>>100
明軍は副総兵が二人も戦死してるのな。参将の戦死も多い。
- 311 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 09:06:26 O
- >>303
そういう意味じゃ、秀吉は領民思いだな。
朝鮮へ動員したのは西国大名だし、投入されたのは外征能力の半分から三分の一ぐらいじゃないのかな?
- 312 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 09:25:59 0
- 来島って確か、すげーちっこい石高の小名じゃなかったっけ?
武将はそれしか死んでないの?
- 313 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 12:58:32 0
- 明の副将って75歳のよぼよぼのじいさんで、しかも命令違反して突っ込みすぎてあぼんしただけだろ
こんなの事故みたいなもんだよな
まあ、凍死病死が大半だという事実は否定しないがね
ロシア遠征も、ロシアが惨敗した緒戦を除いて
ロシアとフランス軍の直接対決は皆無だっただろ?
コサック(義兵)の追撃に弱っているところを殺されまくったってのは目をつぶるとしても
それでいいんじゃねーの?
将兵は無傷、戦闘は勝ちまくったから、ロシア遠征はフランスの圧勝なんて
評価を下す奴は世界広しともいえほとんどおるまい
日本軍の評価もそれと変わらんよ。まあ、ナポレオンと違って戦闘は勝ち負けあったけどな
もともと明軍は寡兵。弱り切っているとはいえ、直接的な会戦をできるだけ避けたのは戦術として至極当然の判断だろう
- 314 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 13:06:30 0
- 将兵は無傷
訂正
↓
将官クラスは無傷
- 315 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 13:11:54 0
- >>308
>軍目付けがある地点のある時期の点呼員数を報告している
そんな実体のない数字をわざわざ秀吉に報告するの?
それを主張するなら史料をもって反論すべきとおもう
戦史朝鮮役の史料も、その他文献もさ
そんな小学生でもわかる陳腐な欠陥あったらさすがに14万死亡なんて結論づけたりしないわな
- 316 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 13:31:04 0
- 加藤も文書で
「我が軍、名護屋出帆以来、風雨霜雪に暴露すること既に一歳
攻城戦の労多きは数十回、すでに我が軍半数が死せり、戦闘力多大に減少せり」
とべている。「半分死せり」と言っているのに
軍隊を半分に分けだけという屁理屈は至極陳腐な話だ。加藤が嘘でも報告しているのかね。脱走兵や脱落兵の帰還は絶望的というのはもう述べた。
半分に分けた。大して死んでないという説を新たに唱えるのなら。そうおうの史料を出すなり説得力をもった反論をしてもらいたい
- 317 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 13:38:44 0
- >>309
フリードリッヒ時代のプロイセンに国民国家なんて意識はそんなに強くないと思うよ
戦国日本と同じくらいの神国日本って意識だと思うよ
たいして変わらん。
1200万の人口のうち、わずか2%の動員、1%の死亡じゃん
この手の動員、死亡数ならヨーロッパどころか支那大陸でもめずらしくない罠
七年戦争は400万の人口の国が100万だしてたし、この程度の死亡は世界的には標準じゃねとは思う
国内の戦国時代とは一ケタ規模が違った死にっぷりなのは疑いはないがな
- 318 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 13:45:02 0
- >>316
一年で20万が半分死亡(藁藁
- 319 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 14:42:46 O
- >>315
漢城に居た人数の報告史料を、勝手に不在分が被害だと報告している、と捏造して主張しているんだよな、明厨は。
- 320 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 14:46:07 O
- >>316
その半分になった我軍が主語となる範囲と数値の史料的信頼性は?
- 321 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 14:55:59 O
- >>313
つまり戦死した明軍高官の一人。
- 322 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 18:48:23 0
- 明軍が寡兵という根拠が元史料不明の参謀本部日本戦史以外に無い。
明史を否定する史料も無い。
- 323 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 18:51:13 0
- >>320
主語は加藤or漢城の全軍か
いずれにせよ。戦力半減として
目付の数字を裏付ける根拠になるだろうな。
反証は出来るだけ史料で頼むよ
戦死した明軍高官は70越えのじいさんが負傷してぽっくり逝っただけだよな
別に日本に討取られた訳でもないし、突出して突撃したじいさん討取っても省がねエだろうな
- 324 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 18:56:52 0
- >>322
明軍の動員や考証から実証的にはじき出した数字だろうな
でもさ、明史の数字より詳細に記された日本軍の書状や軍役帳を嘘くさいと言っているその口で
もっとあやしい明史の数字を信用するというのもダブスタだわな。いいかげんその矛盾に気付いて?
後世の研究者はほとんど日本側の史料を基軸としつつ
明史の数字に関しては、スルーな訳だけど
俺は戦史研究者の主張に添っているだけ
- 325 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:02:08 0
- >>324
>でもさ、明史の数字より詳細に記された日本軍の書状や軍役帳を嘘くさいと言っているその口で
>もっとあやしい明史の数字を信用するというのもダブスタだわな。いいかげんその矛盾に気付いて?
そっくりそのまま返すよ。
明史がもっと怪しいと言うなら具体的に該当箇所を述べて、更にそれを立証する
他の「史料」を出してからにしてくれ。
それこそダブスタだよ、いい加減にその矛盾に気付いてくれ。
日本軍の書状に文禄の明軍四万とは書いてないだろ?
- 326 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:03:17 0
- >>316
そんなもの慣用表現みたいなもんだっての。
本当に半分も死んでいたなら、残りの兵だって傷病者の群れ。
戦力減少どころか、もはや逃げ帰ることすら不可能。そういう既述を鵜呑みにするなんてナンセンス。
被害が大きかったのは事実だろうが、14万なんてのはまるでありえない。
>>417
しかし、少なくとも徴兵制はひかれ、国民皆兵体制でその上外国人傭兵もかなり多かった。
そして、その頃のプロイセンの動員率と消耗は、18世紀当時のヨーロッパでも群を抜いたもの。
そんなものと比べること自体がおかしい。
- 327 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:07:03 0
- というか、そもそも日本側だろうが明側だろうが、
当時の資料等に記載された数量について、そのまま信じることは出来ない。
兵力だの被害だの、ありえない数字が平気で記載されているなんて常識だろうに。
- 328 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:07:03 0
- http://kindai.ndl.go.jp/scrpt/jgmWeb?%25DispNdl1%25rvl=0&sz=2&tl=0&l=3&cp=286&cy=0&cx=0&i=42\43007042\00001\0286.jp2
とりあえず
これみれる?
多分、多くの人はめんどくさくて見てないと思うよね
- 329 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:13:17 0
- で、肝心な史料はなしで相も変わらず屁理屈だけか
戦史朝鮮役すらよもうとしない。
己の妄想のみに依拠して議論する奴になにいってね無駄やなww
- 330 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:21:27 0
- >>237の数字は俺が出した訳じゃないが
どうやら、捏造ではないらしいな。
で、減ったのは他の地域に別働隊がいたといかいう意図的な捏造ではない
減ったのは「減耗数」 として、死者や行方不明者、戦線離脱扱い
出典は
日本戦史・朝鮮役 参謀本部 25ページ
なんだがこれに関してはインターネットでも見れる
そこで
http://kindai.ndl.go.jp/index.html
という電子図書館がある
著作権の切れたこの作品はこちらで無料で閲覧できる
検索して、朝鮮役といれて
そこの本文の 「285/355」
というところをひらいて欲しい
>>237の数字はおそらくここの丸写しであろう
とりあえずここを見てから、もっと冷静になって反発してくれ
- 331 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:27:23 0
- ついでにいうと
「加藤の半数死せり」とか
小西の「明軍は桁違いだ」とか
最上の「兵士達はみな坊主になっても生きながらえたいと思っている」(なお最上自身は名護屋で待機してたが兵は渡航している)
大友の士気壊滅で脱走(のちに改易)
高橋の「京城の川が三途の川にみえる」とか
そういった日本の壊滅ぶり、破綻ぶりの史料も周辺のページにあった
ページ指定はめんどうなのでしないが、興味があったら是非読んでね
- 332 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:31:11 0
- 多分ここにいる明廚は戦史朝鮮役以上の事は言ってない
妄想よりは根拠の大元であるこちらを叩かない事にはずっと火は消えんと思うし
- 333 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:36:08 0
- >>326
>本当に半分も死んでいたなら、残りの兵だって傷病者の群れ。
>戦力減少どころか、もはや逃げ帰ることすら不可能
また根拠の無い妄想かよ
ナポレオンは90%死亡で、モスクワからパリの距離を無事帰還しているじゃん
あとプロイセンの歴史を良く勉強してね
たしかにあの国は特殊だと思うがw 別に1%や2%の動員なんて支那でも他の欧州国でもやっているしな
例外がある以上、「1%も死んだら国が絶対維持できない」
お前の妄想相手にするには十分な例外だろう
- 334 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 19:54:39 0
- 1812年大陸軍の頂点を迎えた時、ロシアに侵攻した部隊の半分以上はフランス人以外であり
オーストリアやプロシアを含み20か国に上った。
- 335 :世界@名無史さん:2008/05/13(火) 22:05:21 0
- 前にもいったが、秀吉は征明戦に33万人動員したが、山岡荘八の『豊臣
秀吉』では肥前名護屋への食料等の輸送に動員している人数を合わせると
100万人近くになると書いている。
山岡荘八はもちろん作家ではあるが、明の軍の規模が250万以上とか、
現在は大きく定員割れをおこして50万人ほどとか結構詳細なことがかかれ
ているよ!
- 336 :世界@名無史さん:2008/05/14(水) 01:12:46 0
- 数字に関しては明廚の言うとおりだろうが、実際の戦いは日本軍圧勝、無敗だろう
- 337 :世界@名無史さん:2008/05/14(水) 01:12:53 0
- >>330
徳間文庫版だとp356すね
- 338 :世界@名無史さん:2008/05/14(水) 01:23:43 0
- 病気と気候の僥倖を、自分達の功績にするな!>>明厨
- 339 :世界@名無史さん:2008/05/14(水) 01:30:37 0
- 「自分達」だってw
別に明の擁護なんかしてねーよ
ただ史学的に、日本軍の惨敗だったって記述しているだけ。
俺は最初から、ナポレオンのロシア遠征を例えに出してたとおりで
ほとんど病死、凍死な点は全く否定してない。前近代の戦争なんてすべからくそうだし
明軍が寡兵だったことを考えれば、なおさらのこと
- 340 :世界@名無史さん:2008/05/14(水) 01:38:32 0
- >>336
数字を否定しなきゃ
そこらの史料の行間は個人の空想戦記は個人の思想の自由でいいよ
ただし学問板以外でやっててね
- 341 :世界@名無史さん:2008/05/14(水) 01:57:22 0
- 日本軍が半減している数字は間違いないぽいね
正しくは
電子図書館の日本戦史の286/325で少しずれてたけど。操作がいまいちよくわからないな
俺も徳間文庫の買おうかな
紙媒体の方がいいな。本はやっぱり
- 342 :世界@名無史さん:2008/05/14(水) 03:17:41 0
- 参謀本部への資料には
しっかりと減耗率(死者、行方不明者)ってかいあるな
別の戦線に展開してたとか、点呼してないだけとかいうのを減耗とはいわないしな
やっぱり14万一年で殺されたのは史実か
ヘタリア並の弱の軍隊だな
- 343 :世界@名無史さん:2008/05/14(水) 04:07:42 0
- 一年?
全体を通しての損害だろ?
しかも殆どが病死と凍死だろうがよ。
半島は三十万匹くたばってるしな。
- 344 :世界@名無史さん:2008/05/14(水) 06:43:57 0
- >>339
明軍は寡兵じゃないけどな。
- 345 :世界@名無史さん:2008/05/14(水) 06:56:12 O
- 史料批判していない参謀本部がクソなだけじゃん。
なんで明厨みたいに丸呑みで信仰せにゃならんの?
- 346 :世界@名無史さん:2008/05/14(水) 07:19:39 O
- 参謀本部は何を基準にしたんですか
どの大名が何万だしたとか分かる本とかありますか
- 347 :世界@名無史さん:2008/05/14(水) 07:22:12 0
- >>346
秀吉の軍令と大陸侵攻
- 348 :世界@名無史さん:2008/05/14(水) 11:03:43 0
- 参謀本部は資料批判しているだろ
明軍10万動員とか、20万死亡とか
数の誇張著しい中華系資料の数字を控えめに見て数字弾いているじゃん
朝鮮役について、莫大な資料と金使って日本の陸軍エリートが研究したわけだが
それ以降、この本より本格的に朝鮮役について研究した本を知らない
明廚つーか参謀本部廚なんだが
これについて批判ないしは、あらたに朝鮮役について本格的に研究して
まったく参謀本部と違う数字を弾いている書籍があったら教えてくれ
お前が根拠としている本だよ。是非出典名を晒してくれ