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明朝って中国文化の究極体じゃね?

1 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 10:31:28 0
貧農から身を起こして統一政権の創始者になったり

遠くアフリカまで朝貢を求め

ヨーロッパにも文化を知られ

七つの海をかけめぐり

芸術を振興した明朝こそ、漢代から続く、中華イデオロギーの完成体といえる。
清朝によって満州文化が入ってきたのが残念だ。

2 :|ω・`):2009/05/29(金) 10:43:41 0
知らんかった

3 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 11:58:41 0
◇◇ 明 ◇◇ 第2章
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1219114946/

4 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 12:37:54 0
明朝体はなぜ明朝体というのか?

5 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 22:36:46 0
中国史上随一の暗黒王朝が究極体って、中国文化哀れだなw

6 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 22:54:52 0
そういえば「倭寇」みたいに身内の犯罪を日本がやったことにする習慣は連綿と受け継がれているのですね。


7 :世界@名無史さん:2009/05/30(土) 01:56:27 0
宋時代のほうが文化面の功績が高いとおもう。

8 :世界@名無史さん:2009/05/30(土) 06:11:44 0
宋を賛美するやつは多いけど、文化面はともかく、軍事がグダグダ過ぎて二回も滅んだ国だぞw
しかも北宋滅亡と殆ど同じ轍を踏んで南宋も滅んでるし…。

ま、明も皇帝が捕まったりしてるけどさw

9 :世界@名無史さん:2009/05/30(土) 09:53:29 0
下手すれば秦みたいに統一後わずか2代か3代で倒れかねなかったところが
身内の争いで済んだことを考えると、
ある意味で洪武帝の打った手は正しかったと言えよう。

10 :世界@名無史さん:2009/05/30(土) 11:51:44 0
皇帝に権力を集中させたため
外戚や宦官の専横があっても一代限り
内閣大学士もそれまでの宰相のように力を行使できない
官僚集団は適度に派閥を作って争うため皇帝権力を覆すに及ばない
軍隊は過去の地方任せではなく皇帝直属、しかも宋朝の様な軟弱ではなかった
洪武帝の奨めた重農政策によって民衆はそれなりに暮らせた、末期に貧富の差は増大したが…
明朝ばんじゃーい

ただ一点、強硬な中華思想は諸国との軋轢を生み、モンゴルや日本とごたごたしてた訳で
完成体と言うには及ばないと思う

11 :世界@名無史さん:2009/05/30(土) 16:17:06 O
>>6
前期と後期がある

12 :世界@名無史さん:2009/05/31(日) 08:32:10 0
>>8
このスレ文化面の話だろ?

13 :世界@名無史さん:2009/05/31(日) 08:38:15 0
wikiの評価はこんなもん
>洪武帝により文人に対しての大弾圧が行われ、
>明初は文化の点から言うと元気が無い。
>それ以降も弾圧こそしなかったもののまったくと言っていいほど
>文化に対する保護・促進は行われずに、文化は民間人により発達して
>いったものである。一般民衆の間に文化が広まったゆえんはそれである。
>それまでの文人=官僚だった図式が崩れて多くの大衆文化が生まれている。
>しかしその一方でそれまで高尚とされていた漢詩・歴史の分野ではあまり見るべきものが無い。

語るなら大衆文化ですかねー。

14 :ウーゴ ◆eaYqa3SeLE :2009/05/31(日) 22:33:26 0
まったく詳しくないけど陽明学も面白そうな気がする。

15 :世界@名無史さん:2009/06/03(水) 06:59:41 0
漢詩や歴史なんて古代で既に完成されてるようなもんだしな…。
三国志や水滸伝みたいな民間小説ができたのも明だし、万暦赤絵みたいに対日・対ヨーロッパ向け
輸出のために作られた文化財も多いよ。
ある意味、現代中国に残ってるあらゆる文化の淵源は明代にあると思う。

16 :世界@名無史さん:2009/06/03(水) 08:35:10 0
>15
一行目と二行目からとが矛盾してるぞ。

17 :山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/06/03(水) 22:31:29 0
朱子学と陽明学の発展、一世一元制でしょうかね、我が国にも影響があったのは。
特に、一世一元制は現在も進行中ですし。
他に、呉須赤絵も有名ですが、これは民窯の品を尊ぶ日本の茶人に好まれたため、
名品の多くは日本に伝世しているということです。

美術的には、宋・元のものを賞賛するということは、本場でも日本でも同じで、
戦国〜江戸期に大名家に収められていた名画は、多くが宋・元のものでした。
戦国期の大名の館から、同時代の明の陶磁器ではなく、宋・元代のものが出土
していることからすると、陶磁器の面でも同様だったようです。

もっとも、大名家に伝えられたものの多くは、彩色画であれ、水墨画であれ、
明代になって描かれたものだったようで、妙な言い方ですが、需要に対して
(贋作という形で)供給出来たという点では、貢献したと言えます。
勿論、明代のものもそれなりに尊ばれましたが、時代の近い遠いというのに
限らず、やはり評価は一段落ちたようですね。

漢詩というと、荻生徂徠一門が影響を受けた古文辞とか。
『唐詩選』も明代の産でしょう。
『十八史略』もありましたね。江戸期の武家が中国史の知識を得たのはこれ。

18 :山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/06/03(水) 22:33:55 0
しまった、『十八史略』は元代でした。お忘れ下さい。

ところで、漢〜六朝の頃にはせいぜい「滅三族」だったと思うのですが、九
族になるまでの経過は、どうなっているのでしょうね。

19 :世界@名無史さん:2009/06/07(日) 12:05:21 0
ざっと読んだけどどうも「経済」だと語るべき事柄も多そうだよね。
洪武帝が農本主義行ったり(元末の国土荒廃のせいもあるが)紙幣発行してもなんの裏付けも無かったり
メキシコ銀の使用禁止みたいなのもやってるみたいすね。

国が当時の経済状況とは真逆なことやってるのが面白いかも。

20 :世界@名無史さん:2009/06/17(水) 13:58:54 0
水滸伝や三国志で描写される風俗などは実際は明代のものが多いって本当なんですかね

21 :世界@名無史さん:2009/06/17(水) 14:15:57 0
>>5
暗黒王朝ってかっけーな
ドラクエ3のアレフガルドみたい

22 :世界@名無史さん:2009/06/17(水) 21:50:57 0
>>10
>モンゴルや日本とごたごたしてた訳で
今でもごたごたしてるもの、やはり完成体と言えるんじゃないの。

それにしても、山野さん、ずいぶん久しぶりだなぁ。

23 :世界@名無史さん:2009/06/17(水) 22:21:54 0
>>5
今の共産中国より酷かったのか?


24 :世界@名無史さん:2009/06/17(水) 22:25:55 0
んギリシャスレの人?

25 :世界@名無史さん:2009/09/04(金) 16:52:47 0
中国の人気アニメが日本の人気アニメのパクリと判明
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0902&f=national_0902_035.shtml
中国で人気放映中のアニメーション『心霊之窓』が、日本の人気アニメーション映画『秒速5センチメートル』の描写をほぼそのまま盗用している疑いがあることが判明した。

26 :世界@名無史さん:2009/09/04(金) 21:20:08 0
>>5
そう考えると、帝国時代の日本を持ち上げたり擁護する右翼っておかしいよね。

27 :世界@名無史さん:2009/09/08(火) 06:23:51 0


28 :世界@名無史さん:2009/12/16(水) 04:20:05 0
Gyao無料放送 大明帝国 朱元璋 話数限定 第1話~
突っ込みどころ教えてください
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00012/v08379/v0837900000000527380/


29 :世界@名無史さん:2009/12/18(金) 12:00:35 0
この頃はまだ西欧に勝ってた

30 :世界@名無史さん:2009/12/21(月) 09:38:41 0
と思ってるのはシナチクだけ

31 :世界@名無史さん:2009/12/21(月) 09:41:03 0
と思ってるのは毛唐だけ

32 :世界@名無史さん:2010/02/20(土) 10:38:55 0
【蒙古】鎌倉武士が圧倒してた件について【襲来】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1265643751/

048 名無しさん (2009/11/15(日) 18:33:32 ID:HO/3naj.)
実は明の朱元璋も、日本に対して武力侵攻をちらつかせ、脅迫をしてきたことがある。
しかし、それに対する日本からの返答は、

「天下は天下の天下であって誰か一人の天下ではないのです。
我が国には、水沢の地や山海の洲にも
備えがあり、明の武力侵攻を恐れたりはしません
(来るなら来いよwwwボコボコにしてやんよwwww)」

という挑発的なものであった。
当然、朱元璋は激怒したが、あの強大なモンゴル帝国を返り討ちにするほどの日本に、
自分が攻め込んでも勝算は無いと考え、泣く泣く矛を収めるしかなかった。

明史・卷三百二十二列傳第二百十外國三
「帝得表慍甚、終鑒蒙古之轍、不加兵也。」

238 名前:世界@名無史さん[ ] 投稿日:2010/02/19(金) 20:42:37 0
「がらんざんまえにあいおうて、いささかもってはくぎせん」だったはず。
『明史』にも記録として残っている言葉だ。 あとで本棚いじって、正確な文を書き込むから待ってくれ。
懐良親王が返書した。

「がらんざん」は確か中国にとって鬼門で、異民族が侵入してくるだったか、不吉な意味をもつ地名。
やるというなら、そこまで出かけていって一戦してやろう、という返書を日本側が送りつけた。

明国皇帝の祝賀会の貢物の中にデカイ蝋燭をリストアップ。その中に剣を隠しておいて、
献上する瞬間に剣を取り出して、皇帝を半分にする計画が露呈した直後だったから、結構ビビちゃったらしいw
その計画には日本人の僧が関わっていた。当時の僧だから、今で言えば裏組織のドンみたいな人だと思う。
遺言でも、日本には手を出すな、と言った明皇帝ですからねぇ
http://www.guoxue.com/shibu/24shi/mingshi/ms_322.htm

33 :世界@名無史さん:2010/02/20(土) 13:34:25 O
明が華南を李自成の順が華北を抑えるのは無理?

34 :世界@名無史さん:2010/02/20(土) 14:02:28 0
明は法家に偏りすぎだから支那として失格だろう

35 :世界@名無史さん:2010/04/21(水) 00:56:23 0
>明国皇帝の祝賀会の貢物の中にデカイ蝋燭をリストアップ。その中に剣を隠しておいて、
>献上する瞬間に剣を取り出して、皇帝を半分にする計画が露呈した直後だったから、結構ビビちゃったらしいw

それって胡惟庸の獄の際に作り出された罪状では?

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