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生活史 古代中国

1 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 01:38:05 0
無いのでたててみた。
生活史の観点から古代中国を見ていきたいと思っている。

冠・衣服・住居・礼儀作法・祭事・食事・酒等
考察・議論・質問等々生活史の範囲ならなんでもおk

みんなよろしく。



2 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 01:52:01 0
古代とはいつまで?


3 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 01:55:13 0
中国語では古代は、清朝までだけど。

4 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 01:55:32 0
一応晋代くらいと思ってる。
明清くらいまででもいいが。
古代じゃないからな・・・。

5 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 01:57:25 0
そうか、無知でスマン。
じゃあ清朝まででいこうか?

6 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 02:01:27 P
中華世界の古代は唐の崩壊までだろ

7 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 02:54:27 0
>>6
確かに中華って意味ではそうだね。
指摘ありがとう。
オレがほんとに話したいのは後漢・三国・晋代(それ以前)だからあんまり幅を取り過ぎてもなって気もする。
ただ、明清は服飾なんかの画像とか豊富だろうしわかりやすいかな?とか思う。
だから話の基本は唐代くらいまでにしておいて、例として
明代の冠はこんなかんじだよー
って感じで明清の話を持ち出すのはおkってことでいいかな?

最初に明確に時代指定をするべきだったかな。
スマソ

8 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 10:51:58 0
古代中国(晋代まで)の生活文化は他の文明と比べて、格段にレベルが低い。
衣装はださいし、建築物もしょぼく(つか無いw)、食い物も原始時代並み。
娯楽に乏しく、民衆にも活気が無い。(他の文明と比べて)

こんな土民どもの時代など語る価値無し。

9 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 10:57:35 0
>>8
じゃあよそ行けよw

10 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 21:46:44 0
>食い物も原始時代並み。

詳しく

11 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 22:07:06 0
詳しくは知らんが、生ものを食し、座って食べていたとか。
ただ原始時代というのはどうかなぁ。
建物については、こちらのサイトに写真が沢山ある。しょぼいようには見えんが。。。
heartland.geocities.jp/zae06141/zhejaing_museum.html


12 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 23:06:08 0
>>10
オレも晋代は詳しく分かんないが周代は炮豚(やきぶた)とか合ったらしい。
詳しい作り方は省くが、炮って(あぶって)作ったらしい。
しかも炮豚なのに、豚以外に牡羊も使ったらしい。
食べ方としてこいつに醯から(しおから と読む/からの字が見つからん醯の左半分に塩の字の右半分を足した字)を調和して食べたらしい。
ただ、ここでいう「しおから」と現代で言う「塩辛」との関係は知らない。
まぁ別物だとは思うが。
他にも乾肉の調理法に熬(ごう)ってのがあるらしい。って事は乾肉は作られてたし、食されてたってことだな。
ここら辺は『礼記』の内則に記述があるはず。
狗の肝なんかも食ったらしい。
これらから大して進化してないなら原始時代なみって言われてもしゃーないかもな。

>>11
画像サンクス。
確かにしょぼくないね。
探せなかっただけかもしれないが、「民衆」のってなるとどうなんだろう?
ちょっとゆっくりリンク先見させてもらうわ。

13 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2009/07/08(水) 23:42:35 0
>>11
高層楼閣の模型は、以前日本で展示された時に見たことがありますね。
後漢の大荘園所有者のもので、下層部分には穀物が収められたらしく、番犬
の土偶も共に出土しています。
壁画にも描かれていますが、河北・河南からはこの手の模型が数多く出土し
ているということです。

料理に関して言えば、炒め物が一般化するのは、コークスの利用が始まった
宋代になってからのこと。
華北における小麦の栽培と、粉にして水でねった加工して食べることは前漢
まで遡るそうで、魏・晋代には普及して、『荊楚歳時記』には、七月七日に
麦餅を食べて疫病除けにする習慣が出ています。
これが現在、日本で七夕に素麺を食べる起源だともいう。

麺は元々、粉を加工した食品を指す言葉ですが、現代の日本人が想像するよ
うな麺料理や、餃子の存在が明らかになるのは唐代から。
Wikipediaでは、初見をやたら古く見積もってありますが。
漢代以前だと、粉にしないで粟・黍・米などを蒸して食べるのが普通。

食材として思いつくのは、『論語』に出て来た黍飯、桃、鶏、それに『史記』
で鴻門の会に出ていた豚ですか。
牛も生贄にされたことはよく出て来ますが、食べる分にはどうでしょうか。
『孟子』に、牛を殺すのがかわいそうなので豚に代えた君主が、豚は豚でやは
り可愛そうだと述べたという話があったと思いますが、牛>豚として、牛はよ
く殺されたのでしょうか。

と、ここまで書いて、『荘子』の包丁の話を思い出しました。

14 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 23:49:47 0
>>10
胎児スープとかもあるし人肉なら今でも食ってるだろ?

15 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2009/07/08(水) 23:51:35 0
絵画はどうでしょうね。
顧ト之の前、呉道子や王維の遥か以前ですが。
光武帝が屏風の美人を見て楽しんだという話ですが、屏風以外ではどんな楽
しみ方があったのでしょうか。
壁画は墓のものとして現存していますが、于禁の逸話を思えば、伝統的な画
題以外にも描かれたようですね。

現存する紙や絹に描かれたもので古いのは、敦煌で出土した絵でしょうか。
台湾には六朝時代の絵も描け軸で伝わっていますが、流石に信じられません。
掛け軸という形式は、いつ成立したのでしょうね。仏画は古そうですが。
画材として紙よりも絹の方が古いというのは、まあ当然として、掛け軸でも
絹本の絵の方が古いものとしてよく残っている気がするのですが、何かの理
由(格式など)があったのでしょうか。

書では王羲之の前ですが、詳しい方にお任せ致します。
有名人の書で残っているのは、王基ぐらいしか思い出せません。

16 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 23:54:04 0
>>12
民衆かどうかわからんが、同じサイトにもっと小さい家の模型がある。
heartland.geocities.jp/zae06141/guangzhou2.html
heartland.geocities.jp/zae06141/guangzhou.html

17 :世界@名無史さん:2009/07/09(木) 00:00:29 0
大牢って食い物でそ/

18 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2009/07/09(木) 00:04:02 0
確認してみたところ、やはり王羲之も絵をよくしたという話が『歴代名画記』
にあるようです。諸葛亮と同様、史実かどうかという気はしますが。
彼が団扇に書した逸話がありますが、出典を失念してしまいましたので、ご
教授頂ければ幸いです。

そういえば、以前漢代の民家と精巧な井戸の跡が出土していました。
あの後、何かの本に書かれたのでしょうか。

19 :世界@名無史さん:2009/07/09(木) 00:08:12 0
>>13
牛は>>12に書いた乾肉なんかにしたそうだ。
他にも肉餅を炒めて作る糝(さん)は牛、豚、羊を使って作ったらしい。
それに牛は生でも食ったらしい。
牛肉を薄く切ってその筋を切って美酒に一昼夜浸す。
そしてしおからか、うめずを調和して食ったらしい。
これも『礼記』の内則に記述があると思う。
普通に考えて漢代、三国辺りにはもう少し進化して食べられてたと思うけどな。

>>16
サンクス!
これを見る限りだと原始時代とは呼べないよな。

20 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2009/07/09(木) 00:23:38 0
成る程、『礼記』をまた確認してみますね。

21 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 00:07:18 0
周では調理を専門にする官吏があって、食医って呼んでたらしい。
春は酸味、夏は苦味、秋は辛味、冬は塩分を多くして料理を作ったとされてる。
肉類と穀物の配合をみると、
牛と米、羊と黍、豚と高粱、犬と粟、鵝鳥と大麦、魚と菰の実
ってな具合に工夫していて、五味の配当を詳細に考えてたらしい。

この時代から「五味」を意識してたなんてすげーよな。

22 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2009/07/10(金) 00:12:45 0
季節ごとに味を分けることは、『礼記』や『呂氏春秋』にも見えていますね。

23 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 00:27:14 0
>>22
『呂氏春秋』は知らんかった
食医に関しては『周礼』に記述がありますよ

『呂氏春秋』『周礼』『荊楚歳事記』が自由自在に読めたらいいんだけど、なかなかね
オレは読めないからさ



24 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 00:28:51 0
あと『礼記』もね

25 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2009/07/10(金) 01:41:32 0
『呂氏春秋』は、抄訳本が講談社学術文庫から出ています。
『戦国策』と同様に最近出たものですが、抄訳というのが残念ですね。
内容がぶつ切りになっているので、流れを辿りにくい。

『礼記』は、漢文大系などの名で、書き下し文・現代語訳もついて出ています。
しかし、全三巻本でかさばりますね。
戦前に原文と読み下し文の書かれた本も出ていますが、現在は入手困難ですね。
『荊楚歳時記』は、現代語訳のみですが、東洋文庫で出ています。

『周礼』の件、どうもありがとうございました。

26 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 02:12:45 0
>>25
情報ありがとうございます。
ただ、訳本は読まないようにしてるんですよね。
じゃないといつまでたっても原文読めなさそうだから。

折角いつもコテハンでカキコしてくれてるから、オレもコテハンにしたいんだけどidの表示方法がわからなくて。
なんだか申し訳ないです。

27 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 12:28:59 O
>>15
食べ物の話に戻ってしまいますが、光武帝といえば、蜜を買い求めた逸話がありますね。
中国食物史関連の本で孫策が、大切にしていた蜜に糞を入れられて激怒した話をみたことがあります。
出典が記憶にありませんが、この蜜は光武帝が買い求めたものと基本同じなんでしょうかね?

28 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2009/07/10(金) 17:49:19 0
>>26
今時有難いお志です。ただ、現代語訳だけを読むのではない状態で情報源と
して参照する場合は無いよりましですし、複数の現代語訳と自分の理解を比
較することは、却って原文を読む助けになりますよ。

>idの表示方法がわからなくて
トリップのことですか。名前欄にコテハン#適当な文字列で出ますよ。
たまに割られますけどね。
アルファベットや英数字を混ぜると、やられにくいそうですが。

私のコテハンは、2ちゃんねるに来る前から使っていたものの流用です。

>>27
原文に蜜とだけあるのでは、また原文が分からないのでは分かりませんね。
蜂蜜は『論衡』に出て来ており、袁術が求めた逸話も有名。
糖蜜は、元々シロップ状で楽しまれたそうで、『北史』に乳製品と並んで
「沙糖」が出て来るのが古い例です。
製糖法は西方から伝来したと言いますが、遊牧民の好んだ乳製品といい、当
時の中国の政治状況が、受容しやすかったのかもしれません。
後漢の支婁迦讖に始まると言われる仏典の受容も、東晋以降進んで行きます
が、その中にも御馳走として蜜や乳製品が登場します。

我が国では、余豊璋が養蜂を試みて失敗した後、鑑真が胡椒や石蜜、蔗蜜と
共に(おそらくは医薬品として)蜂蜜を伝えていますが、平安時代中期の貴
族藤原実資が庭に出来た巣からとらせたぐらいで、普及は遅れましたね。
砂糖が大陸から入ってくるのは宋朝成立後ですが、それまではアマチャヅル
の茎からとった、シロップ状の糖蜜がほとんど唯一の甘味でした。

29 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2009/07/10(金) 17:52:34 0
嗜好品ということで茶についても述べておくと、孫皓の時代に呉の宮廷の宴
で下戸が酒と半々で飲んだというのが、古い例。
我が国では九世紀以降、寺院を中心に喫されたようです。

孫皓の祖父の孫権は、『高僧伝』によれば建初寺を建てています。
西域から来た人々が建てた白馬寺などとは異なる、中国人の手になった寺と
しては、また官寺としては最初のものであった由。

30 :◆qrIknE8X.U :2009/07/10(金) 21:01:32 0
>>28
トリップの件ありがとうございます。
今更ですが1です。よろしくです。

>原文を読む助けになりますよ。
原文を読むって事に固執し過ぎてたかもですね。
近々何か買ってみます。
『荊楚歳時記』が一番の候補ですね。

>嗜好品ということで茶についても述べておくと
茶って曹操も愛飲してませんでしたっけ?
演技の設定なのかもですが。

31 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2009/07/10(金) 22:19:16 0
『武帝紀』を斜め読みしたのですが、茶については出て来ませんでしたね。
見落としたのかもしれませんが。
実は、演義は抄訳本しか読んだことがありません。
劉備が茶を買った話も、演義の創作だと思っていたのですが。

32 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 22:27:55 0
漢代生活関係文物の写真や画像が色々掲載されているサイトです。
http://elib.lib.tsinghua.edu.cn/techlibrary/htm/image/moreimage.htm

33 :◆qrIknE8X.U :2009/07/10(金) 22:48:18 0
>>31
じゃあおそらく演技の設定ですね。
劉備の話は演技の創作でしょうね。
『先主伝』には記述はないです。

>>32
これ凄いですね!!
ありがとうございます!

34 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 22:50:24 0
これも貴族かもしれず、民衆ではないとはいえ、鮮やかな着物。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1246984685/l50

戦国のもっとも古い絵画から、唐代の作者名の残る絵画まで色々掲載されています。
http://sdqdzshj.popo.blog.163.com/blog/static/91903872008016055874/

漢代カラー壁画
http://www.liaoyang.gov.cn/view07.asp?id=2118&flbs=12
これも役人か皇族とかかと思いますが。。。
漢代壁画と画像壁
http://www.sj33.cn/ys/hhys/200605/8750_3.html
おそらくもっとも有名な漢代壁画打虎亭汉墓(これも民衆ではないですが)
http://www.xooob.com/348869_1029523.

高楼の壁画
http://www.aaart.com.cn/cn/theory/show.asp?news_id=10304

南北隋唐絵画
(時代がすこし降りますが、写真がでかいので参考になります)
http://www.cnhxs.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=52&ID=137&page=1

更に漢代壁画徹底サイトみたいなものを以前見たのですが、URLが見つかりません。
見つかったらまたご紹介します。

35 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2009/07/10(金) 22:58:28 0
>>30
>よろしくです。
これは失礼をば。改めて宜しくお願い致します。

>>34
王維の図もありますね。彼が絵をよくしたのは史実ですが、作品は現存しな
いものと聞いておりました。伝ということでしょうか。
二十八宿図は、日本における中国系思想の史料として有名で、よく転載され
ています。
近世の大阪で、祭りの垂れ幕にもなっていた気がしますが、出転失念。

描かれたのは共に唐代ですが、火星が人の姿をとることは、『捜神記』にも
見えていますね。……これはぎりぎりスレの内容に入ります。

36 :◆qrIknE8X.U :2009/07/10(金) 23:52:48 0
>>34
どれも大変参考になりますね!ありがとうございます。
特に最後の南北隋唐絵画は面白いですね。

また少し違ってきますが自分が知ってる画像の載ってるサイトはこれくらいですね。
http://www.geocities.jp/hiranocolt/page008.html


37 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 01:18:27 0
>>36
情報ありがとうございます。今こちらの環境では、そのURLは
見れないようですので、月曜日にでもゆっくり拝見いたします。


38 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 09:01:51 0
トイレに豚を住まわせるのはいつぐらいまで
やってたのだろうな

39 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 12:35:33 0
>>11
なぜ古代の中国には建築物に大したものが無いのだろう。
当時の豪族といえば相当の上流階級だ。それでこの程度か・・・。
しかもこれは、工芸品として残っているだけだ。
他の文明には必ず一つはこれという建築の実物が残っているというのに。


40 :◆qrIknE8X.U :2009/07/11(土) 13:12:15 0
>>38
wiki転載で申し訳ないんですが・・・。

wiki引用------
前漢代(紀元前2世紀〜)からさかんになり後漢代(〜紀元後3世紀)には全国
に普及する中国の遺物に「瓦製明器」がある。これは、墓の中に副葬するため
、実物の器物の代用としてつくられたミニチュア模型である。この明器のなか
に「圂」(こん、クニガマエに豕)というブタを飼う畜舎がある。垣のなかで
はブタが飼われ、垣の壁上に小屋があり、その小屋で人が用を足すと糞は下の
放牧場に落ちてブタの餌となる仕組みである。この豚便所は遅くとも前漢代に
は始まり、中国では近代まで利用されていた。

このしくみは台湾や沖縄県方面にも伝わり、沖縄県では「フル」(首里)、「
フリマア」(石垣島)、「フアフル」(糸満)などと呼称され、その語源は「
風呂」と考えられている。今日では衛生面での不安を考慮され使用禁止となっ
ている。

------引用終わり

ここで近代って書かれ方をしてるので>>3の発言と合わせて考えると、中華民国時代まではあったんじゃないでしょうか?
廃止されたのは「今日」と書かれていますしね。

このサイトもなかなか面白いかと。
http://www.gulf.or.jp/~houki/essay/zatugaku/toiremanndara.html

>>39
どこがどう大したことがないのか詳しく頼みます。

41 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2009/07/11(土) 13:33:21 0
>この豚便所は遅くとも前漢代には始まり、
連想するのは呂后の逸話ですかね。やはり。

豚を利用した厠は、戦後外国人が旅行出来るようになってからもあったと思います。
70年代か80年代の旅行記で見た気がするのですが。無論地方の話。

建築と言えば、『老子』に「千里の行も足下より」という話があり、九層の台
のことも出ていますね。
秦王か漢帝か、高僧の楼を建てようとしたが賢明にも取りやめたという話があ
ったり、逆に苦役の代表のような扱いを受けていたりしますが、既出の遺物を
見ると、前漢の末期には高層建築もよく見られる技術の産物となっていたので
しょうか。

42 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2009/07/11(土) 13:34:42 0
>他の文明には必ず一つはこれという建築の実物が残っているというのに。
ピラミッドやジッグラトのことですか。インダスには無かったと思いますが。
これらの高層建築が、木造だったということも大きかったのでしょう。

43 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 14:00:35 0
>>8
>>39
ばぶ〜、リアル臙脂でちゅか〜?
なぶ〜、妄想の垂れ流し乙でちゅ〜(w

44 :◆qrIknE8X.U :2009/07/11(土) 14:07:48 0
いつの時代のものなのか、復元されたものなのか等々よくわからないのですが
、木造での高層って事で、この画像とかいかがです?

http://geijutsuhiroba.kir.jp/artshop/2007/05/018-cony-dvdarchitecture/dw/5.jpg

45 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 15:52:52 0
>なぜ古代の中国には建築物に大したものが無いのだろう。


残っていないからです!!!!

46 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 16:36:53 0
俺だって中国の文化が優れたものであることは分かってるよ。
ただ、他の文明と比べてだよ。他の文明と比べたら、見劣りがするのさ。
それも古代においてだよ。晋代までの中国と同時期の文明とを比べたら、
物質的にはやはり劣っていると思えるのさ。

ただ原始時代並とまでいったのは悪かったな。謝るよ。
でもこんなの2ちゃんの中国史系のスレではアイサツ代わりみたいなものさ。


47 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 16:50:15 0
絹が有ったという点で羨ましい。

48 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 18:47:07 0
>>46
わかったから自分のレベルにあった場所にお帰りくだしあ

49 :◆qrIknE8X.U :2009/07/11(土) 19:08:21 O
まあまあ、仲良くいこうぜ!
そんなことより巻き添いアク禁喰らってるorz
携帯から書くわ。

オレは古代中国にしか興味は無いし知識も無い、だから>>46みたいに他の時代と比較なんてできないんだよね。だから凄く興味がある。
もしよかったら
ここがこうだから中国は他に比べて劣ってるっていう例みたいなのが欲しいですね。

異論反論大いに結構じゃないか!
他の文明との差異を知るいい機会だよ。
ただ古代中国を扱ってるスレな訳だから、他の文明持ち出して云々ってのは少し違うと思うんだよね。
今後少し気をつけてくださいね。


悪気は無いんだろうから、気にせずいこう。

って事でよかったら他の文明との違いの詳細をお願いします。

50 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 19:13:52 0
銅器は殷代で
製鉄は漢代で

異常だったらしい

51 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 20:20:29 0
アイゴォォァァァアァァア

【韓国】「南京大虐殺の主犯は朝鮮半島出身者だった」… 中国のネットで広まる深刻なデマ、嫌韓ネチズンの仕業か [07/10]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1247308689/

52 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 20:28:24 0
>>45
普通に世界最大の故宮とかこれぞ中原て感じの蘇州園林でいいだろ。

53 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 21:41:03 0
当時の建築は、木造だけではなく、土で作っていた、というのもありますね。
例えば、こちらに漢魏洛陽城の写真があります。
http://japanese.cri.cn/81/2006/10/23/1@76504.htm
これによると、ほぼ周囲が残っているようですが、
版築なのでこのとおり。。。。。。
せめて、レンガ(磚築)であれば、その威容は現在にも伝わったかも
知れないのだが。。。。

54 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 22:55:12 0
>>49
中華文明(ここでは中国大陸に興った文化と仮定)と他文明の民衆の食生活を比べた時
もっとも大きな違いはやはり食器・食具に関してであろう

古くから土器、陶器、磁器、漆器と中国では食器の製造が盛んで
また食具として紀元前から箸と匙を使っていた

これは実は大変すごいことで、食具を発明するというのは他のどの文明にも見られなかったことであるのだ

印度文明、中東文明、アフリカ文明、太平洋文明、アメリカ文明などは結局独自の食具を発明するに至らなかったし
ヨーロッパ文化圏でフォーク・ナイフだのが発明され、民衆に普及、定着したのは17世紀以降のことだ

では、中華文明および周辺の東洋文化圏(日本・朝鮮・越南・東南アジアなど)以外の地域ではどのようにして食事を行っていたかというと
ずばり手食である。手をつかって食物を口に運び食事を行っていたのである

現代からすればひどく野蛮かも知れないが、近代以前はそれが世界的に見て普通だったのだ

そういう意味で中華文明だけが食具を発明して、今日の我々の行う食事の状態に近い食生活を確立したことはすごいことだ

55 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 23:19:43 0
>>54
お言葉ですが、私の知っている事実とは違います。
欧州在住時、各地の博物館を見て回りましたが、大量のローマ時代のスプーンや
フォーク、ナイフを目にしました。まあ地方の有力者のものか民衆のものか
という点は厳密にはわかりませんが、発明されていたことは確かです。
民衆にどの程度普及していたかまではなんともいえませんが。。。
 ただ、木製のスプーンやフォークが利用されていた痕跡もあるとの
ことなので、民衆に普及していた可能性もあると思います。

56 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 23:35:35 0
>>54-55
カエサルだって言っているじゃないか。
「サジはなげられた」って。


57 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 23:39:16 0
・・・・・・・・

58 :56:2009/07/11(土) 23:45:34 0
滑りました、釣ってきます

59 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 23:48:27 0
>>46
あの頃の中国は物質的、技術的には他に冠絶している部分が多いのだが。

漢代に製鉄技術などは西洋で言う18世紀のレベル(パドル法)に達していたり、
魏・晋代には円周率の算出で、世界最高レベルに達していたりする。
また後漢後期には磁器などが生まれている。
また、今の方位磁針の原型の一つであろう「指南車」がこの頃作られている。
また、晋代に火薬が発明されている。

理論的にはもちろん西洋がよりリードしていた分野が多いのは事実だけど、
その認識はあまりにも無知かと。

>>54
そりゃあんまりにも誇張にすぎる。

60 :世界@名無史さん:2009/07/12(日) 00:07:17 0
中国の科学技術ってイスラム圏との交流もあってすごく栄えてたと思うけど
明代の造船技術の発展を最後に西欧にものすごく遅れをとったのはなんでなんだろう
中国に科学革命が起きず、産業革命が起こらなかったのはなぜだろうか

61 :世界@名無史さん:2009/07/12(日) 00:16:22 0
>>60
学者も悩んでるらしいですな。

むしろ
「何故西欧が産業革命を手動しえたか」
の有力説として寒冷化と理論の蓄積の複合要因みたいな話を聞きましたが。

62 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2009/07/12(日) 00:17:48 0
>>55
現代のフォークは、ビザンツ→北イタリア→アルプス以北でしたか。
17世紀までの英仏では、奇異の目で見られたそうですね。
18世紀までは三本式だったと思いますが、ローマ時代はどうでしたか。
箸は紂王が象牙の箸を用いようとしたという話がありますが、実際はどこま
で遡りうるのでしょうか。
我が国では3世紀にはまだ手づかみで食べていたようですが、中華文明の影
響というのは、ここにも見られますかね。
古墳時代にあった箸には、ピンセット状のものがあったようですが、これは
独自のものなのか、派生したものなのか、伝来したものなのか。

>>59
指南車は、磁力というよりは内部のカラクリ仕掛によるものではないかと
いう説がありますね。
張衡や韓志和から、万暦帝や乾隆帝が好んだと言われるものまで、中国史
上発明されたカラクリは数多いですが、どこまで本当か分からないのが悩
みどころ。
鼠を捕らえる人形の猫とか、背に乗って飛べる鳶とか。
鳥で思い出しましたが、伝書鳩は唐代には使われていますね。
欧州ではローマ時代まで遡ると言いますが、これも評価していいでしょう。
古代にならないのと、時代柄外来の可能性があるのがひっかかりますが、
受容も含めた中国文明を評価するものには、なると思います。
雁信の故事は無論これよりも遡りますが、鳩はどこまで遡るのやら。

磁器と火薬は、宋代じゃありませんか。
鉄の製造は、「漢VSローマ」スレで、漢有利とする際に持ち出されていた
点ですね。

63 :世界@名無史さん:2009/07/12(日) 00:48:22 0
>>62
火薬の原型とされるものを、抱朴子の葛洪が作ったと言われていたと思います。
まあ、事実かは微妙なところですね。

磁器についてですが、創元社の『中国文明史図説4・秦漢』にも載ってます。
青磁ですね。いつぞやの『開運!なんでも鑑定団』で、確か島根県の人が実物を鑑定に出していました。
かなり数があるらしく、そこまで高値はついておりませんでした。

と、『中国文明史図説4・秦漢』をみていると、漆器もあったようです。
漆器の細工はかなり精巧ですね。

64 :63:2009/07/12(日) 00:53:42 0
『図説 中国文明史4・秦漢』の間違いですね、すいません。

65 :世界@名無史さん:2009/07/12(日) 21:43:10 0
ちなみに活動写真の原型を袁孫が武帝の時代に発明しています

66 :世界@名無史さん:2009/07/12(日) 22:02:04 0
うんこしても尻を拭かなかったって教授が言ってたけど、これは現代でもあまり変わってないでしょ。

67 :◆qrIknE8X.U :2009/07/15(水) 02:38:05 0
ようやく復活。

止まってしまったな。

68 :世界@名無史さん:2009/07/15(水) 12:54:43 0
>>65
検索しても分からなかったのでkwsk

69 :世界@名無史さん:2009/07/15(水) 12:54:52 0
優劣を言い出したら古代中国の生活史から話が拡がり過ぎちゃったね

> 魏・晋代には円周率の算出で、世界最高レベルに達していたりする。

計算方法を見いだしていたこと自体が凄い、のだが、まあアルキメデスと互角だ
桁数は忍耐力と暇の問題なのでw

70 :◆qrIknE8X.U :2009/07/17(金) 18:08:30 0
フリッカーで画像を検索してみた。

楽器
http://www.flickr.com/photos/23698332@N03/2331370072/

厠(おそらく中国のもの)
http://www.flickr.com/photos/bighead/114507987/

風鈴
http://www.flickr.com/photos/samsonso_photography/253912078/

貞操帯
http://www.flickr.com/photos/pingu109/2058362699/

兵士
http://www.flickr.com/photos/bdqq12108/3719532652/sizes/l/



71 :世界@名無史さん:2009/07/17(金) 19:49:10 0
貞操帯って・・・

72 :◆qrIknE8X.U :2009/07/17(金) 21:05:31 0
割と最近までと記憶してますが、女性は結婚するまで処女ってのが原則だった
そうです。貫通していると婚約破棄とかされても文句は言えなかったようで
すよ

73 :世界@名無史さん:2009/07/17(金) 21:24:30 O
中国で産業革命が起こらなかったのは統一されてしまったからでしょう。

74 :世界@名無史さん:2009/07/17(金) 23:01:40 O
前漢時代には曲芸・サーカスがあった

75 :世界@名無史さん:2009/07/17(金) 23:16:15 0
>>72
いや、それは別に耳新しい話ではないが
いつの時代のどういうブツなのかわからんね

76 :世界@名無史さん:2009/07/17(金) 23:24:07 0
重慶出版社「秦漢帝国」という書籍が出ています。
http://www.cqph.com/BookDetail-4423.aspx
著者は西南大学歴史文化学院教授となっていますが、鶴間和幸氏「ファーストエンペラーの遺産」と
歴史ムック本の間のような書籍です。啓蒙書に分類されると思うのですが、
これに、漢代の食事について簡単な記載がありました。出典の記載もないのですが、とりあえずご紹介します。

・百姓の食事は1日2食。朝食は7-9時の間(現代の時間で記載しているものと推測される)これを朝食という。
・午後は3-5時の間。これを哺食という。
・士大夫は日に3食。朝食、夕食がメインで、正午は間食で、朝食の残りを食べた。
・天子は4食(四方を治める、という象徴的意味がある)。
・主食に、菰米、□麦、青稞、高梁などの新商品が出てきた。(□の字、ピンインがわからないのでSkip)
・副食として大豆や小麦の地位が上昇、面食も主食に
・白菜、黄瓜、蕹菜、などの新商品が出てきた。
・少数の富裕階層は、季節の影響を受けない食事ができた。温室栽培が行われていた。
・戦国期は、肉食は貴族官僚層に限られていて、一般民衆の肉食はごくわずかだったが、
秦漢代は普通の百姓も、日常的に肉食するようになった。羊、猪、狗、鶏を食べた。
・豆腐もあった。
・豆油、菜籽油、麻籽油など植物油が利用されていた。
・調理法は、炒める、湯がく、揚げる、焼くなど。
・塩菜、醤菜などの添え物も出てきた。
・茶と飲酒も流行。飲茶は、漢代の重要な接客方法のひとつ。
・酒の種類も多く、「西京雑記」によると、菊花酒の記載があり、
この種の酒は薬用効果があるので、長寿酒といった。





77 :◆qrIknE8X.U :2009/07/18(土) 00:27:36 0
>>75
そういう事でしたか、失礼しました。
自分も詳細はわかりかねます。

>>76
自分は昭和43年発刊の中国社会風俗史って本を持ってるのですが、そこにも食
事に関する事が多く記載されてますよ。
朝食は7-9時と書いてますが、周代の頃から鶏が鳴くのと同時に起きていたよう
です。でもこれは上流貴族に限定される事柄かもしれません。これは『礼記』に
記述があるそうです。

酒に関しては『周礼』か何かの記述をブログに纏めて書いたような気がします
。まだ残ってるかどうかわかりませんが。

78 :世界@名無史さん:2009/07/18(土) 15:16:10 0
>>76
中国の食生活は豊かですねえ〜

アジアの自然が豊かで、人間の食料となる植物・動物が多いことも大きいですが
やはり中国大陸の人々が昔から農耕とともに畜産(豚・鶏・家鴨など)をしてきたこともあるかと思います
ほとんどの農家では、これらの家畜を飼っていましから

その点、ヨーロッパは土壌が堅く貧しく農耕に適せず長らく食生活は貧しかったですが、新大陸発見の後はもたらされた農産物により豊かになりました
そういう意味で大航海時代というのは大きいですね
中国でも、鄭和がインド亜大陸さらには中東・アフリカと大遠征をしましたが(一説にはオーストラリア大陸に上陸したとも)
結局、中国の大航海は一時的なもので終わり、連続して行われませんでした。

79 :世界@名無史さん:2009/07/23(木) 03:08:52 0
殷の時代は象やトラ、大きな亀がいたとあるけど

中原は3500年前は亜熱帯で湿潤だったのかな

80 :世界@名無史さん:2009/07/23(木) 03:23:15 0
ヨーロッパだって豚・鶏・家鴨など飼ってただろうが。

81 :世界@名無史さん:2009/07/23(木) 11:05:34 0
今もシベリアトラは居るし、
南方から連れて来ただけかも知れないし、
現代では絶滅した種かも知れないし

82 :世界@名無史さん:2009/07/23(木) 17:59:35 0
>>79
教養科目でさわりだけ何年も前に聞いただけなんで曖昧だけど、
考古学の教授から、今から5000年前は世界の平均気温自体が10℃高かったと聞いた。

83 :◆qrIknE8X.U :2009/07/24(金) 06:22:27 0
後漢・三国時代の軍中での作法ってどんなものだったのでしょうか?
どなたかご存知でしたらご教授いただけませんか?

84 :世界@名無史さん:2009/07/27(月) 22:51:02 0
>>18
漢代の農家はこれのことですかね。瓦がちゃんと残ってますね。驚き。
http://www.confucianism.com.cn/html/A00030018/8805566.html

>>83
作法とは少し違うかもしれませんが、軍の医療保証の話だそうです。
http://www.confucianism.com.cn/html/junshi/8931652.html


85 :◆qrIknE8X.U :2009/07/28(火) 01:42:25 0
>>84
ありがとうございます!
なんとか頑張って原文読みますw

86 :世界@名無史さん:2009/07/29(水) 12:21:40 0
「古代の発明」って本に漢代の都市には交通巡査がいたとか書いてあった

87 :世界@名無史さん:2009/08/30(日) 21:02:50 0
長文失礼します。スレ違いでしたらすみません。
日ごろ疑問に思っていたことを質問させてください。

『中国において「調和」とはどんな意味を持つ言葉なのでしょうか』

中国における「調和」の思想的な意義について学びたいです。
どのような資料や学び方があるのでしょうか。

以下質問した背景です。
中国の首脳や学術研究者は「調和」という言葉をよく用いると思います。
次のような例があります。
・2007年に北京で「中国の平和的発展と調和世界」という国際シンポジウムが開催された。
・北京オリンピックの聖火リレーが「和諧之旅(調和の旅)」と位置付けられていた。

日本ですと「調和」はそれほどまでには強調されないキーワードだと思います。
しかし上記のような例をみると「調和」という思想は中国人の考え方に大きな影響を与えているように感じるのです。
日本語にも存在するこの言葉がなぜ中国で特別に大きな意味を持っているのか疑問に思った次第です。

88 :世界@名無史さん:2009/08/31(月) 11:20:15 0
釣ですかね。
一応回答しますと、1992年にケ小平が華南を訪問し、南巡講和といわれている演説
を行った。「白猫でも黒猫でも鼠をとる猫はよい猫」と、共産主義でも資本主義でも
豊かになることは良いことだ、と解釈されました。が、実際には、それまでの平等主義を
捨てて、「豊かになれる者から豊かになれ」ということで、海外投資のし易い沿海諸州から
発展することを黙認するサインと受け取られました。結果はそれだけでは住まず、
「不正をしても豊かになったものが勝ち」「やったもの価値」という風潮を生むようになりました。
しかし、行き過ぎた格差や環境汚染、内陸沿海部格差に不正に不満を持つ国民が増大し、
政権を揺るがす可能性が出てきたので、「一定に豊かになった者は、社会の調和と安定を目指そう」
と、2期目に入った胡錦濤政権が出したスローガンです。

実際、中国の中小経営者の中にも、「論語」など、中国古典が流行し、
「人としてあるべき行き方」みたな意識を見直そう、という風潮も見られるように
なってきています。なお、中国社会において、調和(というより)秩序は非常に重要な概念です。
これについては次に記載します。

89 :世界@名無史さん:2009/08/31(月) 11:43:15 0
(続き)中国では歴史的経緯で秩序が重視されています。皇帝のもっとも重要な職務は
秩序の維持であり、明清代皇帝は過剰な儀礼・儀式・祭祀に過労になったりしていますが、
それは、中華世界という秩序の維持を目的としていました。皇帝が社会秩序の源泉だったわけです。
秩序に拘った理由は主に2つあります。
1.歴代王朝末期に社会崩壊し、大量の死傷者を出してきた歴史的経緯
2.言語も民族も風俗も異なる多様な社会なので、統合に向かえば中央アジアまで征服してしまう
エネルギーを出すが、分裂に向かうと混乱に陥る傾向がある

一言で言えば、中国は広すぎる、ということです。本来なら、欧州や、中南米と北米を合わせた
ような社会が一つの政権に統合されていることに起因しています。これは負の面だけではなく、+面も
あります。例えば、中世近世欧州が大戦争を繰り返してきたことに比べれば、中国は長期間の平和を維持
してきた点などです。

現在の中国では内陸部を沿海部が搾取している、ウイグル・チベットを弾圧している、と批判されていますが、
実体は、米国内の不法就労メキシカンや、米国の中近東・中南米の軍事的介入と変わらないと言えます。
欧米でさえ、何度も大戦争を起こし、現在の米国でさえ、勢力圏を安定させられないことを考えると、
中国共産党政権が、短期間ですべてを実現することは難しいと言えますが、
共産党政権は強権(むち)とアメ(豊かになること)を用いて秩序を維持しようとしています。

このように、現在の「調和」スローガンは、もともと史的中国社会に必要とされる
「秩序維持」政策の一環であるとも見ることができます。



 つまり中国は、統合欧州や、米国勢力圏が一つの政権下に統合されていることに近いのです。

欧州が数百年も

90 :世界@名無史さん:2009/08/31(月) 11:51:02 0
最後の2行が中途半端でした。

つまり中国は、統合欧州や、米国勢力圏が一つの政権下に統合されていることに近く、
それだけの領域を単一の政権でマネージすることは、かなり無理があると言えます。
欧州でさえ、EUの誕生に数十年かかり、現在も旧植民地問題は未解決・
米国も勢力圏と問題を抱えており、中国はこの同等のものを1政権でやろうと
している為、多様な要素を抱え込み過ぎ、秩序の維持が難しくなってしまっているのです。
チベットやウイグルを手放し、内陸部と沿海部を別国家にして、EUのような形の
連邦にすれば、やっていることは米国とあまり変わらなくなるのですが、
歴史的理由で統合志向が強いことが中国の特徴だと言えるのではないかと思います。

91 :世界@名無史さん:2009/08/31(月) 21:56:38 0
せっかく古代スレに質問が来たんだから別の見方も。

「調和」というのは音楽的な意味もあるし、社会秩序、そして自然秩序上の意味もあるだろうが、
中華思想ではこれらの概念は根底で繋がっている。

元々、音楽の発祥の有力な説の一つに「祭祀・宗教」があり、事実、世界中の多くの民族が音楽を奏でて
神霊を祭ってきた。
近代以前の中国の政治というのは強力な官僚制を生んだ反面、祭祀礼教の力が(非常に)強い。
この祭祀を統括する存在が「天子」その人(?)だった。天子は正しい祭祀を執り行い、品行を慎むことで
民を教化し治める存在、つまり第一に神官だった。
天子がこの踏むべき礼教から踏み外れると、政治が乱れるのみならず、天地が乱れ災異が起こるとされた。
天子は自分の調和秩序を修めることで天下自然の調和秩序を治める存在だったわけだ。

諸子百家の時代、周までの思想を再統合しようという思想的な動きが盛んになって
解釈とスタンスによってさまざまな学派が生まれたが、
例えば儒教の六教というと『詩』『書』『礼』『楽』『易』『春秋』の六つとされた。
問題の楽経は秦末の乱で散逸したとされるが、祭祀上楽曲が重要な位置を占めるのは漢以後も続いて、
「淫楽を排し、正しい音楽を制定することで民が治まる」「大楽は天地と和を同じくし」などと言われた。
正しい音楽の調和によって民も天地も治まるとされて、宮廷でも、村の豊穣の祭りでも音楽が奏でられてきた。
礼や刑と同じく「まつりごと」の手段だったわけ。
皇帝の仕事の大部分はこのような多種の祭祀に占められていて、直接統治を視るなどというのは
誤解を恐れずに言えば、二の次の責務だったと言えるのだろう。

92 :世界@名無史さん:2009/08/31(月) 21:57:25 0
中華文明圏は二千年以上も前から多民族統一国家の興廃が繰り返されてきたわけで、
良民に留まらず四方または域内に雑居する異民族を「教化」する、つまり同じ文化圏に取り込む意味でも
このような祭祀礼教は大きな意味を果たしただろう。
この基本方針は勿論、清まで続いた。

勿論、「調和」や「秩序」の意味や価値、礼教の重んじようは時代によって大きく変動したし、
どのようにして現代に接続するのかはちょっと自分の手に負えないけれど、現代中国(語)でも「調和」「和階」という語が
重んじられているのなら、上のような背景を起源とするのだろう。

>どのような資料や学び方があるのでしょうか。
というわけで、まず第一には「史記」楽書。
でも素で読むには現代人には難解な思想だろうから、まずその周辺の入門書や、そのまま古代中国音楽関係に当たる
のがよいと思う。ちょっと具体的な本は示せないのでごめんなさいだけど。

93 :世界@名無史さん:2009/08/31(月) 22:29:59 0
あっと御免。
>>91-92は「調和」を音楽的な面から見た話。「諧」と「階」を間違えた。和諧という言葉も「音律和諧」というように使うみたいだけど。
単に「調和」という語なら「陰陽の調和によって秩序が保たれる」というように
中華の基本思想だから、古代思想方面ならなんでもいいと思う。

94 :世界@名無史さん:2009/09/01(火) 01:16:52 0
>>88-90
>>91-93
まずは長文のご回答、本当にありがとうございます!
>>88-90
政治史的な経緯から調和が重視されたのですね。
現在の「調和」スローガンは「秩序維持」政策の一環だという指摘、納得しました。
当方中国に関しては素人ですのでたいした感想も言えず申し訳ありません。
>>91-93
古来続いた祭祀礼教(特に音楽)を通じてくにの秩序維持をはかっていたのですか。
多民族統一国家のまつりごとでは祭祀礼教を通じた調和という概念に大きな意味があったのですね。

私は中華の基本思想である「調和」に特に関心があります。
ご紹介くださった『史記』の他にも老荘思想の本も読んでみようかと考えています。

95 :世界@名無史さん:2009/09/01(火) 01:35:19 0
88-90ですが、91-92は、音楽だけではなく、中国の本質を突いていると思います。
私の88-90で書いていることのより本質は88-90にあるのではないかと思います。
(なんか自作自演みたいな文になってしまいましたが)

ところで、社会秩序の維持機構は、欧米や日本にもある筈で、
最近、日本の天皇制は、日本社会の秩序維持に一役買っていると、若い頃に
比べ積極的な意義を見るようになりました(若い頃は、「一度廃止すると
元に戻せない」、希少価値、という、ネガティブな理由で廃止反対でしたが)

欧米では、民主主義や自由思想が本質なのではないかと思います。
話それてすみません。

96 :世界@名無史さん:2009/09/01(火) 01:41:21 0
失礼。95の訂正
>私の88-90で書いていることのより本質は88-90にあるのではないかと思います
は、
>私の88-90で書いていることのより本質91-92にあるのではないかと思います

97 :◆qrIknE8X.U :2009/09/01(火) 02:54:07 0
>>91>>92さんの意見には気付かされる部分が多いですね。
確かに祭祀と言うのは古代では大変重要でしたし、そこと絡めての調和の意味というのが興味深かったです。
オーケストラでいう指揮者の立ち位置で調和と言う言葉を使ってるのかもしれませんね。
そうなると中華は分裂と統一を繰り返した歴史を踏まえると

色々な楽器(民族)を束ねる指揮者(皇帝)が一つの曲を奏でる(調和される)

と考えれますね!

98 :世界@名無史さん:2009/12/13(日) 10:33:30 0
最近、宋代の暮らしに嵌ってしまった。

99 :世界@名無史さん:2009/12/14(月) 21:02:25 0
>>98
宋代の大都市の暮らしは華やかというか、現代的でさえあるよね。

100 :世界@名無史さん:2009/12/14(月) 22:46:28 0
また三国志オタクが下らないスレを立てたのか
死ねよ

101 :世界@名無史さん:2010/03/10(水) 15:01:21 0
凄いサイトを見つけました。
漢代の南陽について詳細な記述があります(中国語ですが)
下記は、漢代南陽の飲食文化の頁ですが、
ttp://www.nynews.gov.cn/renwen/handai/h016.htm
その左に
南阳汉代政治文化
    西汉南阳政治文化
    东汉南阳政治文化
  南阳汉代文学创作
    张衡的诗歌
    张衡的诗赋
    左雄的政论
    朱穆的诗文
    延笃的散文
    刘珍和《东观汉记》
  南阳汉代思想文化
    儒学思想
    谶言迷信思想
    张衡反对谶言迷信思想
    “智圣”诸葛亮
  南阳汉代风俗文化
    祭祀风俗
    饮食风俗
    葬制葬俗
    游猎风俗
    民风士俗


102 :世界@名無史さん:2010/03/10(水) 15:06:02 0
続き)
  南阳汉代艺术文化
    音乐艺术
    舞蹈艺术
    书法艺术
    雕塑艺术
    汉画艺术
    建筑艺术
    体育艺术
    杂技艺术
  南阳汉代科技文化
    张衡的天文学与机械制造
    冶铸工业技术
    张仲景与《伤寒杂病论》
    农业科学技术
  南阳汉代教育文化
    官僚集团对教育的重视
    历任郡守重视教育和教化工作
    私学教育
  南阳汉画
    汉画产生的历史背景
    汉画的收藏与墓葬发掘
    汉画的基本内容
という無茶くちゃ詳しい記事があります。これをよむと、南陽の繁栄は後漢劉氏だから繁栄
したのではなく、楚時代の都の時代からだったのですね。それにしてもこのサイト
(トップ頁はこちら)は気合が入っています。
ttp://www.nynews.gov.cn/renwen/index.htm

103 :◆qrIknE8X.U :2010/03/17(水) 13:11:48 0
>>102
これは!確かに気合が入ってますね。いいサイトだ。

104 :世界@名無史さん:2010/03/20(土) 11:17:41 0
>>101-102
>(トップ頁はこちら)は気合が入っています。
そりゃ政府サイトじゃもんw
ドメイン見てみw

105 :世界@名無史さん:2010/03/21(日) 09:20:33 0
政府サイトだからこそ、こんな内容について膨大な情報があって
驚きなんですよ。わからないかなぁ。

106 :世界@名無史さん:2010/03/21(日) 23:22:15 0
はぁ?
中国の政府サイトって基本、歴史関連異様に充実してるもんだぜ?
山東省の政府サイトが、『後漢書』にもろくに載ってない後漢の皇族学者で、
《乾象暦》でも有名な劉洪の作り上げた略歴についてを、引用文献を挙げながら数十行に渡って説明していたり。

107 :世界@名無史さん:2010/03/22(月) 18:50:39 0
そうか?俺の印象では、重箱の隅的なものがおおくバランスが取れていない。
南陽のサイトはかなりバランスが取れている点に感心したから紹介した。
参考にしたいので、バランスの取れている詳細さが、その山東省サイトにある
なら、そのURLを教えてくれないか?ちょっと見てみたい。

108 :世界@名無史さん:2010/07/25(日) 19:08:42 0
あげ

109 :世界@名無史さん:2010/08/01(日) 16:05:45 0
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1278306509/801-900

実は蜀は魏より豊かだった パート4


三戦板の住人ですまん。
今、蜀と魏の生活水準はどちらが上かで論争になっている
貴方方の知恵をお借りしたい。
当時の国民の生活で詳しい方がいたら知恵を貸してください。

110 :世界@名無史さん:2010/08/01(日) 16:12:14 0
土人の生活なんかどうでもいいからageんな

111 :世界@名無史さん:2010/08/01(日) 18:49:58 0
重税があったのに国民の反乱がないということは重税をかせられるほど豊かだということだろう

ご存知のとおり日本の金持ちに重税が課せられていることは言うを待たないが彼らは貧しくないだろう
魏のような貧乏国は国民からは人頭税しかかされてないな。まあそれでもきついから呉や蜀付近で反乱おきているんだろうけど

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