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南北アメリカに旧大陸に匹敵する文明があったら4

1 :フェニキアの末裔:2010/01/05(火) 17:51:26 0
前スレが落ちたので立てました。まとめサイトは
http://www.eonet.ne.jp/~totetatta/america/america.htm

長寿スレにしていきましょう。

2 :世界@名無史さん:2010/01/05(火) 17:54:00 0
マジかよ糞箱売ってくる

3 :フェニキアの末裔:2010/01/05(火) 17:54:56 0
今までに登場したIF:
・フェニキア人の大西洋横断
・ポリネシア人の太平洋横断
・東アジア人(日本人など)の北米西海岸漂着
の三バージョンですが、
これに制約されずにいろいろ提案してみましょう。
 
漂着民バージョンは追って修正していきますんで。

4 :フェニキアの末裔:2010/01/05(火) 17:58:05 0
参考スレッド:
【コロンブス以前】太平洋横断の可能性【に到達】
http://www.eonet.ne.jp/~totetatta/america/america.htm

5 :フェニキアの末裔:2010/01/05(火) 18:04:37 0
英文でスマソが参考サイト:
先コロンブス期にあった(と考えられている)太平洋・大西洋横断の諸説
http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Pre-Columbian_trans-oceanic_contact



6 :フェニキアの末裔:2010/01/06(水) 22:21:49 0
パート2で書いた「アジア漂着民バージョン」(=扶桑国説)の不備:

・年代(いつごろ)、規模(何人くらい)漂着したかが決めていなかった。
・北米西海岸先住民の交易圏が、予想していたより広範囲だったこと。
・無名の船乗りが漢字や儒教のような高文化を携えていた可能性はごく低いこと。

漂着民からの影響はあまり重きを置かず、なるべく史実の社会発達に沿って
書き直していこうと思います。数年もかかってしまってスミマセソ

7 :フェニキアの末裔:2010/01/06(水) 22:26:40 0
>>4のリンク先を誤ってました。下記に訂正…

参考スレッド:
【コロンブス以前】太平洋横断の可能性【に到達】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1213449934/l50

8 :世界@名無史さん:2010/01/08(金) 11:51:44 0
このシリーズの1スレ立てたものです。
落ちちゃったかあと残念に思っていました。2001年5月から
かれこれこのシリーズも10年目?

立ててくれれてありがとう。
ぜひとも心躍る設定にたどり着けますように。

9 :フェニキアの末裔:2010/01/09(土) 15:23:11 0
こちらこそ。久々に訪ねてくださりありがとうございます。
前スレだけでも約5年かかったのだから息の長いものですね。
引き続き気長にいきましょう。

http://www.unkar.org/read/academy6.2ch.net/whis/1101651951
前スレ(パート3)を上げときます。まとめサイトでは未表示だったので。



10 :世界@名無史さん:2010/01/15(金) 22:54:56 0
age

11 :フェニキアの末裔:2010/01/16(土) 11:49:57 0
伝説の1スレ立て人さんもお越しくださったことだし、他レスがつくまで
呼び水がわりに書いてみます。

この数年間で自分が考え付いたのは:

・北米西海岸に独自文明が発生したら(いわゆる扶桑国バージョンの改訂版)

・北米東海岸にフェニキア人の船団が漂着し植民したら(カルタゴでなくカンタブリア出港)

・オリノコ河口から原アラワク系集団がカリブ海〜メキシコ湾岸に拡散移住したら(史実を応用)

の三バージョン。
まずは、最初に考え付いた北米西海岸バージョンから進めようと思います。


12 :フェニキアの末裔:2010/01/16(土) 12:04:49 0
北米西海岸バージョンの設定のあらまし:

@舞台はカリフォルニア文化領域+北西海岸文化領域+大盆地文化領域+高原(プラトー)文化領域
 にまたがる、いわゆるロッキー以西。北はアラスカ南部から南はカリフォルニア半島の広大な領域。

A最初のIFの開始は紀元前2000年(BP4000)のシエラネバダ山脈。
 コロラド河口からカリフォルニア地溝に農耕文化が伝播するというきっかけからスタート。

B温暖な気候に支えられ、太平洋岸づたいに南北方向の交易網が発達する。
 緯度の制約もあり、農耕の伝播より先に農産物(タバコなど)の取引が発達。

13 :フェニキアの末裔:2010/01/16(土) 12:10:05 0
C史実に従い、交易網はアラスカ南部まで拡大する。
 ここで第二のIF登場。
 実際に存在したアジア〜アラスカ間交易網とドッキング。アラスカ半島が交易の拠点に。
 旧大陸から史実通り青銅器や鉄器、犬ぞりなどが伝来。

という流れ。追って詳しく書きます。

14 :フェニキアの末裔:2010/01/16(土) 12:17:14 0
追記。>>12の「文化領域」の種類と範囲が載った地図を上げときます。

http://www.nizm.co.jp/glossary_i/bpca.html

農耕が伝わるのは南西文化領域→コロラド川下流→カリフォルニア地溝、というルートってことで。
 

15 :フェニキアの末裔:2010/01/16(土) 16:39:32 0
「カリフォルニア地溝」とは、通称「セントラルバレー」と呼ばれる
カリフォルニア州中央部の平原地帯のことです。
サンホアキン水系とサクラメント水系に相当しますね。
地勢と気候はこんなところ↓
http://www.visitcalifornia.jp/region/cv/

地中海性気候なので夏燥冬潤の降雨パターン。雪・霜はない様子。
灌漑網が発達した現代では農業の一大中心地。
けれど高度な文明は発達しなかった。その背景については「銃・病原菌・鉄」にも詳しく記されています。

史実ではカリフォルニア州南部までトウモロコシ等の農耕文化が広まっていたのですが、
ついにそれより北へ広まることはありませんでした。
主食は堅果類とサケ・マス類の採集で余剰産物が生じるほど豊かだったため
トウモロコシやカボチャに魅力を感じなかったのかもしれません。
 


16 :フェニキアの末裔:2010/01/16(土) 16:49:59 0
カリフォルニア文化領域では農耕が知られていなかったわけではありません。
セントラルバレーでも焼畑による簡単なタバコ栽培は行われていました。
また、ネバダ州方面との交易を通じてトウモロコシ等の存在は知っていた様子なので、

一見すると狭い範囲で自給自足の完結した経済を営んでいたように見えますが、
各居住地に特化した産物を、近隣部族との交易で幅広く手に入れていました。
この交易網は内陸の砂漠や、あとで登場してくる北西海岸文化領域にもつながっていました。
 
この交易網をうまく活かす手はないか?

17 :フェニキアの末裔:2010/01/16(土) 17:05:08 0
と捜してみたら・・・ありました。
「この緻密な交易ネットワークが出来る前はどう暮らしていたのか?」

調べて分かったのが>>12のターニングポイント、紀元前2000年の定住化という出来事です。
これ以前の同地域は、内陸砂漠と同じく遊動採集に頼る移動性の高い社会だったようです。
狩猟採集社会という点は同じままですが、前2000年以前は定住せずに、季節の産物を追いながら
多種多様な山野の幸を集めていたため行動範囲も広かったと考えられています。
(もちろん人口密度も低かった)

前2000年を境に、堅果類を加工する技術が進むにつれて定住化が進むと一部族あたりの
行動半径は狭まり、コロンブス到達時点では、北米大陸で最も人口密度が高い地域となったという次第。
そこで、この前2000年前後に
「東方(コロラド川下流域)から農耕が伝わったら」とのIFを立ててみました。
ドングリが主食の座に固まる前にトウモロコシを知ったらどう社会が変わるだろうか、と。
 

18 :フェニキアの末裔:2010/01/16(土) 17:10:39 0
おもしろいことに、カリフォルニア文化領域と縄文社会、
「定住した狩猟採集社会」という点では太平洋の東西をはさんで共通しているんですよね。
堅果の加工やサケ・マス類の漁撈が発達した点も、また、貧富の差があったらしい点も。
ただしカリフォルニアをはじめ西海岸では、土器がほとんど受容されませんでしたけど。
 

19 :世界@名無史さん:2010/01/21(木) 15:34:30 0
なかなか面白いですね^^
南アメリカは未開のまま?

20 :フェニキアの末裔:2010/01/22(金) 21:23:36 0
>南アメリカは未開のまま?

>>11の「アラワク民族大拡散をきっかけに北・中・南米が
海洋交易を通じて結びつく」という設定は、パート3でおおまかな流れを書いたっきりでしたね…

>936 :フェニキア[sage]:2009/07/26(日) 20:30:09 0
>(前略)個人的には、オリノコ河口から拡散したアラワク系集団が
>カリブ海とメキシコ湾を股にかける航海民になるIFを想定しているのですが。
>第一波は前2世紀頃、第二波は後6〜7世紀頃。
>北進組は史実通りバハマ・キューバ方面へ、西進組はパナマ地峡方面へ
>拡散した歴史を活用できればと。
 
さらに、オリノコ水系と連結しているアマゾン水系にも交易網が広がっていくと
いう流れを考えています。
となると、アンデス高地との本格接触はだいぶ遅れることになりそうですね。
当分は、熱帯同士である中米を相手に、互換性の効く落花生や木綿やマニオク、ステビアなど
農産物の交換を着々と進めて、各地域の文化・文明誕生の下地を育む、と。
 

21 :フェニキアの末裔:2010/01/22(金) 21:43:21 0
アラワク語族ってどのへんに分布してたの?という方も多いと思うので:

http://en.wikipedia.org/wiki/Arawakan_languages

アラワク祖語はペルー東部のアマゾン川上流域を出発し、アマゾン中央盆地へと下り、
一部はカヌーを漕いでネグロ川(地図ではコロンビア/ベネズエラ国境)を回って
オリノコ川へ達し、カリブ海に漕ぎ出て西インド諸島へ広がっていったようです。
ですからカリブ海とアマゾンを結ぶ交易網は維持されていたのかも、と想像してみたり。
 

22 :世界@名無史さん:2010/01/23(土) 22:56:32 0
トウモロコシはそんな早い時期に普及しうるのだろうか。
アメリカ東部でもトウモロコシ伝来から普及まではかなり時間がかかったような……。
それから鉄器は来ても製鉄の伝来はどうなるかも気になる。
大規模な国家ができる頃になれば極東と直接交渉する動きも出てくるとは思うけど。

23 :フェニキアの末裔:2010/01/24(日) 10:52:01 0
そう、常識で考えるとそうなりますよね。そのへんは前もって考えてありました。
まずトウモロコシから。
コロラド川流域に中米からトウモロコシ栽培が伝来したのは紀元前3000年のコチセ文化から。
(年代には諸説ありますが、一番古い年代を採ってみました)
紀元前2000年頃には標高1600mまで農耕が広まっていました(上ソノラ文化複合)。
コロラド高原でトウモロコシ栽培が主食の座に着いたのが紀元前後。
アメリカ東部森林地帯ではトウモロコシが主食になるのが紀元後7世紀以降のようですね。
 

24 :フェニキアの末裔:2010/01/24(日) 11:02:28 0
アメリカ東部でトウモロコシ栽培の北上を長く阻んでいたのが:
・トウモロコシより先にブタクサ・ミナトムギクサ・ヒマワリなど独自栽培化された
 作物が風土に根付いていたこと。
 しかも紀元前の東部の農耕中心地はカリフォルニアより緯度の高いオハイオ川流域(北緯40度)。
・年間降霜日数が北米西海岸より長いこと。西海岸平野部は黒潮のおかげで霜降は相当少なかった記憶が。
 北極からのブリザードがもろに吹き付ける東部に比べ、ロッキー山脈と暖流に守られていたおかげもあり温暖、と。
 

25 :フェニキアの末裔:2010/01/24(日) 11:19:43 0
あ、温暖だったのは西海岸のことです。
続いて製鉄。ここも数年がかりで調べておきました。
極東シベリアへの冶金技術の伝播の歴史:
・紀元前1800〜1700年、バイカル湖方面からレナ盆地(ヤクーツク一帯)へ青銅器文化が伝播。
 独自冶金が確認されています。
・紀元前1100〜1000年、ユーラシア最東端のチュコト半島内陸部に北チュコト青銅器文化が伝播。
 資料が乏しく、ここで冶金が行われていたかは未詳。詳しい人情報お願いします。
・紀元前500〜1年、オホーツク海西海岸(ジュグジュル山脈沿い)にオホーツク古鉄器文化・
 トカレフ鉄器文化が伝来。独自製鉄されていたかは可能性半々。
・紀元前後〜紀元後7世紀、アラスカ西・北海岸にイピウタク文化が発生。
 アラスカのベーリング海岸にはオールド・ベーリング・シーT文化が発生。
 冶金の痕跡は未詳だが、独自に鍛造された鉄器が複数出土。
 スキト(スキタイ)=シベリア文化様式の影響も指摘されている。

今までに私が知りえた金属器文化伝来の情報のすべてですが、詳しい人いたら指摘願います。


26 :フェニキアの末裔:2010/01/24(日) 14:49:44 0
>大規模な国家ができる頃になれば極東と直接交渉する動きも出てくるとは思うけど

>>13で「アラスカ半島が交易の拠点に」とだけ書いたのですが、実は
ベーリング海峡両岸にまたがる地域を東西貿易の要衝にしようと考えています。
このへんに独自の国家が発生するかは考え中ですが、海沿いに定住民が
相当人口いた事実は捨てがたくて。
ユーラシア大陸でいう中央アジアのオアシス都市国家群を島に見立てると似てくるかなあ。
 

27 :フェニキアの末裔:2010/01/24(日) 14:59:42 0
余談ですが、「ツンドラ気候帯でも国家は発生するか」との疑問に対し、調べてみたところ:
・北欧(アイスランド北部)
・オビ川河口部(中世のオブドル王国だったかな)
あるにはありましたが例は少ないですね。産業は何だろう。漁撈とトナカイ飼養かも。

ベーリング海峡部は周囲に比べて人口も多かったようで、独自の文化圏の興亡と
両大陸間の(戦乱・貿易ともに)往来が盛んでした。言語も同じエスキモー・アリュート語族ですしね。
詳しくはカリフォルニアの文化が北上してから登場させようと思っています。
 

28 :世界@名無史さん:2010/01/24(日) 23:34:03 0
コロラド高原へのトウモロコシ伝来はそんなに古いですか。
とすると栽培が困難ということはなさそうです。
逆に、主食になるまでそんなにかかっているのは、
生産性か何かの問題があったのではと想像することもできますが、
もしそうだとしても最初のIFを「トウモロコシ品種・栽培法の改良」にして、
それゆえにカリフォルニア地溝に農耕文化が伝播したとすれば大丈夫ですね。
セントラルバレーに定着すれば古代温暖期の影響で紀元前後には
ブリティッシュコロンビア南部まで伝播するでしょう。
ちょうど同時代の津軽への稲作伝播と同じ図式です。
アメリカ東部でのトウモロコシ栽培の北上も中世温暖期の影響じゃないかと個人的には思っています。


29 :世界@名無史さん:2010/01/24(日) 23:44:40 0
>ユーラシア大陸でいう中央アジアのオアシス都市国家群を島に見立てると
「シルクロード」ならぬ「アイアンロード」。
「極東と直接交渉」というのも前漢の張騫や東ローマへの養蚕伝来のイメージだったので納得です。

金属器文化については全然詳しくないんですが、
チュコト半島やエスキモー・アリュート語族が住んでる地域はだいたいツンドラなので、
冶金用の燃料が足りない気がします。

30 :世界@名無史さん:2010/01/25(月) 19:07:24 0
29を書いてから、中東とか中央アジアは燃料をどうしていたんだと思って調べてみたら、
エジプトだとパピルス、中央アジアでは家畜の糞なんかも使っていたみたいです。
それから、ロシアが進出してくる頃の話ですがベーリング海峡交易では
より植生が豊かなアラスカからチュコト半島への木材輸出があったらしい。
これらからすると、ベーリング海峡両岸地域で冶金が無理ということはないのでしょう。
現代のチュコト半島にはスズの鉱山もありますし(古代はどうだったか知りませんが)。
もっとも、メロエの木材枯渇や、中世インドから中東への鉄輸出などからすると、木材の重要性は明らかなので、
ツンドラ地帯の木材不足が冶金技術が浸透を妨げになったことも十分ありえます。


31 :フェニキアの末裔:2010/01/26(火) 22:14:19 0
>>28
そうですね。品種か農法の改良からスタートするとスムーズにカリフォルニアに
移入できそうですね。
>>29
鉄の道、アイアンロード、いいですねえ。現代のデータですが、チュコト自治管区には
石炭・褐炭・泥炭が各地で採掘されている模様です。
ただしロシア進出以前は、一番火力の強い燃料といったら流木か鯨油だったようです。
アナディル川には鉄山もある様子ですが、砂鉄ならぎりぎり可能…なものなんでしょうか。苦しいかな。
伝来から当分の数世紀は、シベリアから輸入した鉄製品を加工する期間なのかもしれませんね。
 


32 :フェニキアの末裔:2010/01/26(火) 22:20:56 0
アラスカからオレゴンにかけての北米西海岸には、部族間・集落間で
物量を競うかのように贈答しあう贈答儀礼・ポトラッチが盛んに行われていました。
分布域の北限はアラスカを超えてアジア大陸のチュコト半島にまで及んでおり、
犬ぞり用に調教されたハスキー犬や鉄製品、黄鉄鉱の原石(工具用)などが特に珍重されていました。
北米からアジアに向かって伝播した文化の数少ない実例といえそうです。
 

33 :フェニキアの末裔:2010/01/26(火) 22:34:15 0
カナダのブリティッシュコロンビア州から米国ワシントン州沿岸にかけての部族には
神話の中に鉄や銅が頻繁に登場してきます。
天界から鉄を盗んできたワタリガラスの話、くちばしが鉄でできた人食い怪鳥の話等々。
旧世界の神話でも、精霊や神々が製鉄を人間に教える物語が登場する地域は、
有史以前(もしくは文字記録以前)に鉄を知った地域が多いようです。

もしかすると、旧大陸からこのポトラッチ交易網を通じてアラスカ湾岸経由で鉄を入手し
ていた可能性もなくはないかと。
ちなみにブリティッシュコロンビア州海岸部では紀元前2000年(BP4000)頃から自然銅を
加工して工具や武器(短剣や盾)を作っていました。BC州立博物館にも出土品が展示されているそうです。
 

34 :世界@名無史さん:2010/01/27(水) 19:10:43 0
森林分布からするとシェリホフ湾周辺が限界かなと思います。
北米西部での鉄や青銅はルート上人口の制約でおそらく量が限られるので、
実用品である以上に威信財になりそうですね。

>輸入した鉄製品を加工する期間
これは、長期間になるでしょう。
日本でも、弥生時代の早期から末期までひょっとすると千年以上も鉄は輸入に頼っていましたし、
青銅は鋳造こそ早いものの、日本最古の銅山が7世紀だから原料はそれまで輸入していたはずです。
ペルー→メキシコ(推定)やオリエント→中国への冶金技術伝播を見ると
下手をすれば、カリフォルニアへの製鉄伝来は紀元1000年頃なんてことにもなりかねません。

自然銅の加工ならスペリオル湖周辺では紀元前5000年まで遡るという話もあります。
本当か?とも思うのですが、ブリティッシュコロンビア州の事例以上に古いのは確からしく、
北米では銅利用が広く行われていたのかもしれません。

35 :フェニキアの末裔:2010/01/28(木) 21:38:30 0
ウィスコンシン州出土の銅製尖頭器。紀元前3000-1000年のもの:
http://www.chasingthevrykolakas.info/Copper_Culture.php
ほんとだ。西海岸より古いようですね。

実際、北西海岸では実用品以上に威信財として機能していたので、結構な貴重品だったのでしょう。

改めて地図を見渡すと、オホーツク海北端とベーリング海と結ぶ、
ペンジナ湾〜アナディル川回廊が交易路として一番影が薄い気がします。
夏は永久凍土がグズグズにぬかるむので、冬場のほうが橇で走りやすいようです。
(グレートジャーニーの冒険家さんもこのルートを通りましたね)
この回廊が確認できれば、古コリャーク鉄器文化とベーリング海の交易圏がドッキングできそうなのですが。
 

36 :フェニキアの末裔:2010/01/28(木) 21:47:41 0
オホーツク海北岸の鉄器文化:
・トカレフ文化(紀元前5〜紀元後5世紀)
・初期オホーツク鉄器文化(紀元1〜5世紀)
・古コリャーク文化(紀元後5〜17世紀)
http://www.chasingthevrykolakas.info/Copper_Culture.php

北岸一帯では北宋時代に初鋳された皇宋通宝が出土していること、
ベーリング海にしか住まないセイウチの牙と加工品が北岸から出土していること、
等に期待を託したいのですが、いかんせん未調査の地域が多いのが悔やまれるところ。
 

37 :フェニキアの末裔:2010/01/28(木) 21:56:36 0
>36の貼付先を間違えました。度々すみません。↓こっち
http://www.hokudai.ac.jp/bureau/populi/edition22/shiretoko.html

この地域に詳しい人というと菊地俊彦。手持ちの本を改めて読み返してみます。
 


38 :世界@名無史さん:2010/01/30(土) 20:20:03 0
五大湖西部は、他にも紀元前700年頃からマウンドが造られていたり
マコモが栽培化されたり、かなり面白い地域です。

ベーリング海からオホーツク海のルートは
オールド・ベーリング・シーT文化に鉄器が入るまでの経路を
考えると繋がってそうなんですけどね。
セイウチの牙は、アナディル川じゃなくて
カムチャツカ半島の付け根を横断して入った可能性もありますし。

極東でいつ頃トナカイ遊牧が始まったかも気になるところ。
出土品ではタシュティク文化のものが最古みたいなので、
古くても紀元前数世紀くらいじゃないかと漠然と思うのですが。


39 :世界@名無史さん:2010/01/31(日) 17:32:27 0
アイスランドからグリーンランド・カナダあたりに渡ったヨーロッパ人が、
そのまま南下して文明を築いていたら…

まあ、ほとんどファンタジーの世界だけどw

40 :世界@名無史さん:2010/01/31(日) 17:37:02 0
ほとんどというかまんまファンタジーだw

41 :世界@名無史さん:2010/02/01(月) 15:28:30 0
そんなことより、なぜ中米とアンデスの間の中間地帯が文明化
されなかったんだろう?

42 :世界@名無史さん:2010/02/01(月) 15:43:18 0
気候的に穀物の生育に問題があったのかな?
>中米とアンデスの間

43 :世界@名無史さん:2010/02/01(月) 16:38:58 0
コロンビアのチブチャ族なんかはある程度文明化してたよね。
中米文明の影響が認められるそうだ。
生育する穀物の相違を指摘する人もいるが、とにかく農耕文化の段階
には達していたのだから、独力で文明を創造することは出来なくても
先進文明の影響をうけながら派生文明の段階に達するのは可能だったと思う。

44 :世界@名無史さん:2010/02/01(月) 17:29:48 0
>>43
とにかくかなり大規模な首長制社会の段階には達していたんだからね。

45 :世界@名無史さん:2010/02/02(火) 21:03:05 0
旧大陸でいえば東南アジアみたいなものだと思えば納得できなくもな
い。東南アジアに「国」ができるのは両サイドのインド・中国にある
程度の規模の帝国が出来た後だ(漢とマガダ王国やチェーティ朝)。
アンデスがあそこまで統一されたのはインカが初めてで、メソアメリ
カもアステカ以前だとテオティワカンくらいしかない。
逆に言えば、ヨーロッパ勢の新大陸到達が1世紀遅ければ地峡部に国
ができたりアステカとインカが直接接触する可能性もあったと思う。

ところで、まとめサイトが見れません。

46 :世界@名無史さん:2010/02/02(火) 22:54:44 0
なまじ高度な文明があったのがいけない。
金銀さえなければスペインもあんなに頑張らずに
西回り航路を探す以外は、ゆるーく統治していただろう。
そうすればヨーロッパの文明を受け入れる時間もできて
メキシコやアンデスで旧大陸の技術を持ちつつ
土着的な文明が誕生ってことも……
趣旨的にこういうのはダメですか?

47 :世界@名無史さん:2010/02/04(木) 00:35:45 0
ダメでしょう。
ブラジルやコロンビア、ベネズエラ、カリブ諸島も植民地化されている。
第一スペインにとってアジアにもっとも近い西回り航路は中米の西海岸
から太平洋に船出するコース。

48 :世界@名無史さん:2010/02/04(木) 17:26:00 0
中米とアンデスのあいだに文明が派生してメキシコからチリに至るインディオの
大文明圏が誕生。一方バイキングが500年早く航海術を開発してアメリカに
到着してカナダあたりにいくつかの殖民都市を作り北米インディオとヨーロッパ
の双方との交易によってそれなりに繁栄。するとバイキング到来からスペイン人
がやって来るまで1千年という時間があることになる。その間にたとえばバイキング
から乗馬や鉄製武器の製造をまなんだ北米インディオが騎馬民族化してメキシコを
征服なんて事もあったかも知れずそのような過程を経て馬と鉄器がチリまで普及、
バイキング経由でユーラシア大陸の疫病に対する免疫も獲得、16世紀にはもはや
スペイン人が容易に征服できる相手ではなくなっていた。・・・俺のファンタジー。

49 :世界@名無史さん:2010/02/05(金) 21:13:31 0
>>46
よく考えてみると、文明化五部族は状況として近いものがある。
しかし、あれを「旧大陸に匹敵する文明」というのは何か変だから、
やっぱりダメだと思う。


50 :フェニキアの末裔:2010/02/06(土) 11:11:39 0
おお、スレが伸びている。感謝感謝。
>>38
トナカイ家畜化の起源は、紀元前2000年頃のアルタイ〜サヤン山脈一帯
と考えられているようです。
チュコト半島で現在のような遊牧形態が整ったのが紀元後1000年頃の様子。
アメリカ大陸まであとわずかなんだが、ついに海峡を越えることはなかった…
エスキモーが遊牧を受容しなかったためと思われます。
 

51 :フェニキアの末裔:2010/02/06(土) 11:21:10 0
>>45
このスレ立てた後、一月途中までは開けたんですが、
どうしちゃったんだろう。 <まとめサイト
前スレを見られるように、とてたさんが工事中なのかも。

>>43
南米文化領域と中米文化領域の境界線は、意外にもパナマ地峡ではなく
やや北寄りのコスタリカあたりになりますね。
ここは主食もマニオク(南米起源)とトウモロコシ(中米起源)とが混在している地域。
南米と中米とのつながりはあるにはあったんですが、いかんせん
陸路はジャングルが続くのでいまだにハイウェイもつながらぬ現状。

52 :フェニキアの末裔:2010/02/06(土) 11:35:31 0
陸路が細く険しいので、ならば海路で文化を運んだらどうか、
と考えついたのが>>11の「アラワク海洋民大拡散」案なんです。

ベネズエラ海岸部は北米・中米・アンデス・アマゾンとも異なる
独自の農耕センターがあり、亜熱帯気候ならば広く伝わる作物が
ここで数多く栽培化されたようです。
サツマイモ、食用カンナ、クズウコン、トウガラシ、アメリカサトイモ等々。
 

53 :フェニキアの末裔:2010/02/06(土) 11:47:03 0
首長制社会が各地に発生したコロンビアですが、全国統一が進まなかった一因として
@首長制社会の多くが山岳地帯を根拠地としていたため、谷ごとに文化圏が隔てられがちだった。
 ペルーの地理的障壁ははアンデス山脈一本だけですが、コロンビアではアンデス山脈が
 西・中央・東の三列に分岐してしまっていることも手痛いところ。
 結果、数多くの文化圏が島状に分立(孤立ではないが)する状況に。
A低地は亜熱帯気候で作物も異なるため、山岳地帯から周囲へ勢力を拡大しにくかった。
 ペルーも海岸砂漠は併合できたけど、アマゾン側は手を出さなかったように。

こんな風に原因を考えてみましたがどうでしょうか。

54 :世界@名無史さん:2010/02/06(土) 12:49:56 0
>>51
マヤ人のカヌー交易船団が沿岸地帯にいくつか拠点を作ってパナマ地峡まで南下、
拠点の周辺の住民もそれに刺激されて文明化ということはありえたかな。

55 :世界@名無史さん:2010/02/06(土) 13:00:45 0
もしマヤ人がパナマあたりに交易のための居留地を作れば
コロンビアやベネズエラあたりの住民もそこから先進文明を学んだかも。
コロンビアが文明化すればエクアドルやペルーはすぐ隣なのだからメキシコ
からチリ北部までが「文明」でつながることになる。

56 :フェニキアの末裔:2010/02/06(土) 19:47:39 0
なるほど、了解です。
その場合、マヤ人がはるばる航海に出かけるほどの交易品といったら何でしょうね。
コロンビア特産の金やエメラルドかな。
マヤ側からはヒスイくらいかな?

57 :世界@名無史さん:2010/02/06(土) 20:30:58 0
マヤ人がホンジュラスあたりまで交易に行っていたのは事実だけど
何を交易したんですか?

58 :世界@名無史さん:2010/02/06(土) 20:44:04 0
>>56
交易だけが人口拡散の理由とは限らない。古代ギリシア人は紀元前8〜6世紀
に過剰人口の問題を地中海の北沿岸全域に多数の植民地を作るという方法で
解決した。インド人も東南アジアに植民地を作った。中世のドイツ人も東欧に
多くの都市を建設した。そのような形で海路マヤ人がパナマあたりまで拡散
するということはありえたかな?

59 :世界@名無史さん:2010/02/06(土) 20:53:59 0
ついでに言うとエメラルドはメキシコ本土でも珍重されていたというし、
金も価値があったはず。一方マヤの工芸品などは文明化されていない人達
には魅力的だったかも。スペイン人がパナマに進出したとき土地の首長達が
交易で得たアンデスの土器を珍重しているのを見たそうだ。

60 :世界@名無史さん:2010/02/07(日) 06:18:17 0
中米の古代文明は、内陸部だけと思われがちですが、トゥルム遺跡のように海岸に建設された都市もあります。
写真を見ると、ギリシアの沿岸遺跡を彷彿とさせます。
他にも海岸都市はあるようですから、これらの住民が艦隊を編成してリオグランデ河を遡航したり、キューバに
植民市を建設したり、マラカイボ湖から南米に侵入したりするシナリオはどうでしょうか・・・。
一方インカ帝国には海岸都市トゥンベスなど港湾を持つ都市が有りました。(当然太平洋岸ですが)
インカの第10代皇帝トゥパック・インカ・ユパンキは、1480年頃に太平洋へのおよそ10カ月間の探検航海を指揮
したと言われ、ガラパゴス諸島?に到達したとも言われています。

↓トゥパック・インカ・ユパンキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%AD

↓トゥルム遺跡
http://www.latenamerica.com/tulmu.


61 :世界@名無史さん:2010/02/07(日) 06:22:17 0
すみません、トゥルム遺跡の写真は下記でした。
http://www.latenamerica.com/tulmu.htm

62 :世界@名無史さん:2010/02/07(日) 10:32:43 0
アンデスの住民もバルサという筏にのって北方まで交易に出かけたらしいね。
しかも帆を使ってたっていうんだぞ。
もう少しで中米とアンデスの文明圏が接触出来なかったかな。
インカ帝国北端の都市トゥンベスは多くのバルサが出入りする港町だったって
いうし。

63 :世界@名無史さん:2010/02/07(日) 22:46:14 0
>>50
思いのほか早いですね。知らないだけで結構古い遺物があるんだろうか。
トナカイ遊牧が気になったのは、「トナカイ遊牧民の拡大で玉突き式に
製鉄する民族が移動しないか」という理由もあったんですけど
微妙なところです。

確かに水運は大切。駄獣がいないし、
いたとしても熱帯雨林かつ山がちな地形ではあまり使えそうにない。
しかも、南北アメリカの場合、内海のメキシコ湾・カリブ海を挟んで
巨大な河川系(ミシシッピ水系とオリノコ・アマゾン水系)があって、
更にその奥には五大湖やラプラタ水系も大した障壁なく控えているわけで
かなり大きなポテンシャルがあります。


64 :世界@名無史さん:2010/02/07(日) 22:57:40 0
中米地域で活動しそうな海洋民としては既に挙がっている
アラワク人、マヤ、スポンディルス貝交易を担ったエクアドル辺りの人々、
それからポリネシア人が思い当たります。
エクアドル辺りの先住民はよく分からないので保留すると、
この中ではアラワク人が比較的有望に見えます。
プトゥン・マヤやポリネシア人の場合は、
順当にいっても往来が活発化するのは9〜11世紀くらいになるでしょう。
その点、アラワク人の場合、もう少し早くなりそうだし
一応、アンデス近くまでよく似た民族が分布しているわけで
何かと有利だと思います。

もう一つ気になるのは、先土器時代の西インド諸島住民である
GuanajatabeyとかOrtoiroidなどの人々。
紀元前3000年や紀元前2000年まで遡るので、
この時点で大規模な交流が始まれば
文明の始まりからして相当変わるはずです。

65 :第二正典 ◆jacBN9YP18jT :2010/02/08(月) 22:57:58 0
分かりにくくなってきたのでコテハンにします。

>>64であのように書いたものの、
交流が文明の発展に繋がりやすいのは
文字や暦が早く出現したオアハカと金属利用の古いペルー北海岸が
ほぼ直通する太平洋側の方だと思います。

ペルー海岸部は古くから海産物利用が盛んですが、
航海技術もそれなりの水準だったのでしょうか。


66 :世界@名無史さん:2010/02/09(火) 11:22:16 0
インカ帝国のついてはパナマ地方の住民も漠然とした情報を持っていたらしい。
スペイン人がパナマ地方の首長の家で高度の技術で作られた土器を発見して
どうやって手に入れたのかと尋ねたら、南方に大帝国があってそこから交易路
を通じて手に入れたと答えたそうだ。

67 :世界@名無史さん:2010/02/09(火) 11:31:22 0
ついでに言うとヨーロッパ人で初めてマヤ人と接触したのはコロンブス
だよね。彼にとって最後の航海になった1502年の探検のとき、ホンジュラス
あたりの沖合いでマヤ商人のカヌーに遭遇している。会話までしたらしい。
これが旧大陸の文明と新大陸の文明の最初の接触だと思う。

68 :フェニキアの末裔:2010/02/09(火) 20:35:14 0
>>63
トナカイ遊牧と一緒に製鉄技術が伝播すると具合がいいですね。
オホーツク海北岸のコリャーク族のほか、内陸ではツングース系のエヴェンキ族が
トナカイ遊牧と製鉄を両方行っていたので、IFに応用してみたいところ。

ちなみに、土器文化にいたっては、紀元前2200年頃にシベリアのベリカチ文化が
アラスカにまで分布域を拡げています。土器様式をさかのぼるとレナ盆地のイミャフタフ文化
にまでたどりつくというので、ベーリング海峡を越えた文化伝播は何度も起きていた様子。
 

69 :フェニキアの末裔:2010/02/09(火) 20:52:57 0
>>64
キューバ西部・イスパニョーラ島西部に住んでいたグアナハタベイ人ですね。
農耕・土器とも持たない狩猟採集民で、オルトイル文化の担い手の後裔と考えられています。
前スレでは、そのあとに移住してきたサラドイド文化(土器・農耕あり)を挙げたのですが、
さらに古いオルトイル集団に一役買ってもらうのもいいですね。

あるいは、カシミロイド文化(前4000年〜前400年)の遺跡がキューバ島と
イスパニョーラ島からしか見つかっていないこと、出土人骨がアラワク人のような
アマゾニド(アマゾン人種)でなく、イスミド(地峡人種。中央アメリカ地峡部に多く分布)
であることから、ユカタン半島から海峡を渡ってキューバ島へ移住した可能性が
考えられています。


70 :世界@名無史さん:2010/02/10(水) 15:33:00 0
【どうして】黎明期の人類種族【滅んだ?】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1262919358/

71 :第二正典 ◆jacBN9YP18jT :2010/02/11(木) 23:28:36 0
>>68
史実より交流が盛んなら集団の移動も起こりやすくなります。
しかし、トナカイ遊牧民の場合は家畜も連れて行くことになって
大変そうな気もします。

移動の契機としてはヤクート人の第一波(1世紀頃?)か、
オホーツク文化の南下と同じ要因(3世紀)が使えるかと。
バンツー族やラピタ人並の速度ならオホーツク海北岸から
アラスカ南部やユーコン準州まで400年ほどで到達するでしょう。


72 :フェニキアの末裔:2010/02/12(金) 21:12:25 0
ヤクート北上の第一波は10世紀頃かと思ってました。結構早いんですね。

チュクチ人の口承詩には二十数世代(!)にわたるベーリング海峡の歴史が伝わっており、
このうち、両大陸をはさんで激しい抗争が続いた「反目の時代」といわれる年代は紀元後11〜16世紀と
考えられており、アラスカでチューレ文化が栄えた時代と重なります。
伝承の中ではチュクチ人が海を渡り「(アジア大陸より)大きな陸地」に住む
「歯人(イヌイット男性の下唇を貫くラブレットが牙に見えたのでしょう)」と
何度にも渡って闘ったと伝わっています。
 

73 :フェニキアの末裔:2010/02/12(金) 21:30:45 0
チュコト半島で大規模なトナカイ遊牧が始まったのが>>50でいう紀元後1000年前後。
中世温暖期でコケも人口も増えたおかげ…だろうか?
もしかしたら人口増のはけ口を東方の大陸に求めて移住を試みた集団がいたのかも、
とふと想像してみるのですが。
一方イヌイットのほうは20世紀にいたるまでトナカイ飼育を受容しなかったので、
トナカイをめぐるトラブルが起きたのでは(たとえば家畜トナカイを勝手に獲物として
仕留めてしまったとか)とも想定できそうな。
 

74 :第二正典 ◆jacBN9YP18jT :2010/02/12(金) 22:59:11 0
トナカイ飼育が受容されなかったのは
イヌイット・チュクチ人ともに頻繁に接触していたのは漁撈民で
トナカイを遊牧・狩猟する人々ではなかった、
といった事情があった可能性もあります。

また、17世紀にはロシア人が来るので、「反目の時代」と合わせると
時間的にそういった機会がほとんどなかったとも考えられます。

海峡が緊張していない時代なら、
北米でのトナカイ遊牧も案外あっさり始まるかもしれません。


75 :第二正典 ◆jacBN9YP18jT :2010/02/13(土) 08:56:04 0
トナカイ遊牧民が大変そうというのはベーリング海峡横断の部分で、
オホーツク文化は北海道に豚を持ち込んでいますし、
古墳寒冷期なら氷結がより強固で、徒歩横断も多少は容易になるか
とも思うのですが、そのあたりはどうなんでしょう。

アラスカ内陸に至れば人口密度の低い亜極北を
鉄とトナカイ遊牧を有す移住民が席巻して
かなりの範囲で古シベリア諸語かツングース諸語が話されるようになりそうです。

カリフォルニアの方も
農耕が定着して「国」が形成されると、かなり言語的に均一化するのだろうか。


76 :フェニキアの末裔:2010/02/13(土) 10:08:28 0
実はベーリング海峡の間には島が三つありまして:
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0e/BeringSt-close-VE.jpg
西から大ダイオミード島、小ダイオミード島、フェアウェイ島。
うち有人島は前二者。
シベリア東端のデジネフ岬からは約35km、アラスカのプリンス・オブ・ウェールズ岬からが
約25km。実は対馬海峡より狭かったりします。
現代の気候でも一年のうち八ヶ月は凍結しているので、寒冷期では
トナカイを連れての徒歩横断も不可能ではないかも。
おおよそトナカイ遊牧民はタイガで500km、ツンドラで1000kmの移動が可能とのこと。
ダイオミード諸島の島民が協力的ならばアラスカへ渡れそうですね。
 


77 :フェニキアの末裔:2010/02/13(土) 10:28:09 0
ちなみに大小ダイオミード島の住人は今もエスキモー系。
話す言語はイヌイット語派に属す一方、生活文化の面ではユイト集団に属すという珍しい混淆地域です。
言語はアラスカに近く、社会組織などはシベリアに近いという状態。
「反目の時代」は抗争ばかりに明け暮れた印象がありますが、反面交易も盛んでした。
アラスカ由来の贈答儀礼、ポトラッチの習慣がチュクチ人社会に伝わっており、逆に
チューレ文化の黎明期にシベリアからアラスカへ犬ぞり文化が伝わったり(7世紀頃ですが)、と
文化の交流も一方では盛行していたようです。
ポトラッチを行うインディアン同士の間にも交易をめぐる小競り合いが生じていたように、
「反目の時代」のベーリング海峡も、交易と戦争は表裏一体のものだったのかも知れませんね。
 



78 :第二正典 ◆jacBN9YP18jT :2010/02/16(火) 21:01:16 0
>>66
エクアドルやペルーの航海技術について調べてみました。
メキシコ西部との交流については、
金属器やスポンディルス貝の利用のほかに
紀元前400年頃の衣服デザインに更に古いエクアドルのものとの
関連性が見られるようです。

一方で、チリバヤ文化の舟の玩具に帆が見られるものの
土器に描かれた船に帆はなく、
エクアドルとペルー間で直接的なスポンディルス貝輸送が
始まるのはモチェ文化の末期であるらしい。
上述した衣服デザインも数百年のズレがあるので、
そのころの交流はかなり間接的なものだった疑いがあります。


79 :第二正典 ◆jacBN9YP18jT :2010/02/16(火) 21:22:20 0
>>77
「反目の時代」については、ちょっと安易でした。
犬を輸送に使うといえばトラボイがありますけど
あれは犬ぞりとは関係あるんでしょうか。


80 :世界@名無史さん:2010/02/16(火) 21:54:51 0
コロンビアのチブチャ族は暦その他で明らかに中米文化の影響を受けていて
中米から移動してきたという説もあるそうだが、その際中米文明圏とコロンビア
の中間にいた連中はどうしていたんだろう?
第一チブチャ族自身がなぜパナマあたりに定住せずコロンビアまで行ったんだろう。

81 :フェニキアの末裔:2010/02/19(金) 22:10:18 0
>>79
「鶏か卵か」ならぬ「馬車か犬ぞりか」という起源論争があるそうです。
ウシやウマといった役畜の出現に触発されてイヌにまねさせた、という説、
一方、雪の降らない地域で牛馬に犬ぞりのまねをさせようとして車輪が発明された、と考える説。
北米大陸では紀元後になって初めて犬ぞりが伝わったところをみると、前者のような気もします。
ちなみに亜寒帯のインディアンは専ら人間がそりを牽引し、犬に引かせるイヌイットを
軽蔑してまねなかったとも。

タイガ以南の大平原で犬トラボイが使われたのは牽引しやすい草原ゆえでしょうか。
旧大陸でも中央アジアでは20世紀まで馬トラボイが使われました。
車輪が入りにくい森林や山の悪路で多く用いられたようです。
新旧両大陸で別個に発生したものなのかも。

82 :フェニキアの末裔:2010/02/19(金) 22:19:36 0
>>80
言語集団としての「チブチャ語族」は、故地を紀元前3000年頃の
コスタリカ/パナマ国境一帯と考えられています。
コロンビア山地で高度な首長制社会を築いた「狭義のチブチャ族」ことムイスカ族は
紀元後になってからパナマ地峡を越えて南米大陸に入った様子。
再構祖語には「トウモロコシ」「マニオク」などの農耕語彙が含まれているので、
中米で農耕を覚えてから南方拡大を始めたと考えられます。
ちなみに故地を捨てたわけではなく、分布域が南米まで拡張した、と考えるほうが
実態に近いのかもしれません。
 

83 :世界@名無史さん:2010/02/25(木) 23:52:28 0
あげ

84 :フェニキアの末裔:2010/02/26(金) 22:34:29 0
アメリカ大陸とアジア大陸との交易についての記述がある文献
「北太平洋の先住民交易と工芸」から一節抜粋。

「カナダ極北北西部のコロネーション湾周辺で産出されるソープ・ストーンで
作られた石ランプや石鍋がアラスカの先住民を通してシベリアへと交易されていた。」

「18世紀半ばにロシア人がアラスカに到来する以前から、チュコトカ半島と
アラスカ北西部地域に住む先住民の間でベーリング海峡をはさんで交易が行われていた。
(中略)この新旧両大陸間で行われた先住民による交易で重要な役割を果たしたのは、
シベリア側ではチュクチ人とシベリア・エスキモーであった。」
 
他にも、マッケンジー川河口部で産する自然銅もシベリアまで渡っていたようです。
自給自足が困難な環境では、驚くほど広い交易圏が形成されるのかもしれませんね。
同じことは砂漠やステップにも起きえますが。
 

85 :フェニキアの末裔:2010/02/26(金) 22:45:00 0
アジア大陸まで約80kmと迫るアラスカのプリンス・オブ・ウェールズ岬の
イヌイットの集落に伝わる「海の向こうから渡ってくる交易者」を迎える歌。

 山に登ろう 海を眺めるために
 山の頂上(てっぺん)に坐って海を見渡すと
 大きなボートがやってきている
 煙草を積んで

タバコはロシア接触以降の交易品ですが、人気を博した旧大陸産品でした。
アジア側のチュクチ人はトナカイ牧畜も行っていたため、トナカイの毛皮が
安定供給できたためでしょうか、アラスカ側の先住民に盛んに輸出されてもいました。

 やってきたのは誰だろう?
 トナカイの毛皮の服をもって
 彼の名はイルヤンガ・カタコン

イルヤンガはシベリア側のエスキモー(ユイット)の首長の名と考えられています。
 

86 :フェニキアの末裔:2010/02/26(金) 22:59:15 0
面白いことに、同じエスキモー・アレウト語族でありながら
シベリア側のユイット語派とアラスカ側のイヌイット語派は互いに通じないほど
かけ離れており、言語的に別系統のチュクチ語が新旧両大陸の交易語として
用いられていました。(いつごろからこうなったかは不詳ですが)
アリューシャン列島の語源も現地のアレウト語からではなく、アジアの言語である
チュクチ語のaliat「島々」から由来しているとのこと。

チュクチ人には二大グループ、トナカイ遊牧民と海洋狩猟民(海獣猟が主生業)とが
あり、両者は内陸の幸と海岸の幸を交換しながら経済を補完しあい、また通婚関係を
通して共同で祭祀を行うなど協力関係にありました。
両者が手を組んでアラスカ側に上陸し、北米のツンドラ圏を席巻したら有力言語は
チュクチ語だったりして、などと想像してみたり。
 

87 :世界@名無史さん:2010/03/01(月) 01:42:32 0
>>85
タバコって、それこそ新大陸の産品なのでは・・・・?!

88 :世界@名無史さん:2010/03/03(水) 18:38:04 0
アステカやインカもスペイン人の前ではだらしなかったが、
北米のインディアンなんて、イギリス人やフランス人がやってくるまで
「ハオ!インディアン、ウソつかない」のアワワワワ状態。

古代文明すら創造できなかった、こいつらアワワワワは何やってたんだ?

89 :世界@名無史さん:2010/03/03(水) 20:22:52 0
北米、オハイオ州の古墳文化
AD1000年頃
サーペント・マウンド
大きさ 長さ435m、幅6m
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E5%8F%B2%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%8C%97%E7%B1%B3%E5%A4%A7%E9%99%B8

コロラド州の先住民族建設の簡易都市遺跡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B5%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87

90 :世界@名無史さん:2010/03/03(水) 20:33:09 0
チャコ・キャニオンの遺跡群
ニューメキシコ州
石造建築住居、石造門他
AD1000年頃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%B3



91 :世界@名無史さん:2010/03/03(水) 21:43:33 0
イリノイ州、セントルイス郊外にある大ピラミッド
カホキア遺跡モンクス=マウンド(神殿)
ミシシッピ文化期(A.D.700年〜1600年頃)の先住民が築造
長さ316m、幅241m、高さ30.5m
最盛期、人口1万人以上
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9B%E3%82%AD%E3%82%A2





92 :第二正典 ◆jacBN9YP18jT :2010/03/03(水) 21:49:32 0
>>81
亜寒帯がその状況なら
動物による牽引は自生的なものと考えて良さそうですね。
結局、犬以外の動物が家畜化されなかったのは農業導入からの
時間的な問題のような気がします。
旧大陸でのウシやスイギュウの家畜化も
穀物栽培の開始から3000年後くらいですし。
現代ではバイソンやシカ類の商業的な飼育はそれなりの規模に達しており、
東アジアでの養鹿はそれなりに古いので、
粗放的なものなら可能性はありそうです。
バイソン・シカ類の家畜化について
「銃・病原菌・鉄」では否定的でしたが、
家畜がいる社会では既存の家畜より何かしらの便益の大きい
動物でなければ家畜化や普及が起こりにくいという問題と、
農耕の開始時期が各地で異なるという問題もあり、
家畜化されなかったからといって
それが不可能だったと結論できるとは思えません。

>>87
「タバコはロシア接触以降の交易品」ということなので
時期的には大丈夫です。
ベーリング海峡両岸ではロシアが他国に先行し進出しており、
その手の農産物もロシア側からの方が供給されやすかったのでしょう。


93 :フェニキアの末裔:2010/03/04(木) 21:31:01 0
タバコの件についてははそのとおりですね。

白人接触以前のアラスカをみると、
南東部パンハンドル(カナダ太平洋岸に向かって細長く伸びた回廊地域)で
マルバタバコ(ルスティカ種)がトリンギット族の手で栽培されていました。
ロッキー山脈以東のパイプ喫煙ではなく、ビンロウと似て、石灰と一緒にかむ
噛みタバコ文化圏でした。

ベーリング海峡へは最も近い耕作地域ともいえるわけですが、ロシア人が
喫煙の習慣を携えてくるまでタバコは知らなかったようです。
あと少し交易網が北へ伸びれば、白人接触以前に新大陸からの有力輸出品として
ベーリング海峡をにぎわせたかもしれません。
 

94 :フェニキアの末裔:2010/03/04(木) 21:37:04 0
>タバコは知らなかった
のは、ベーリング海峡地域のエスキモーのことです。補足。

もしタバコが新大陸から旧大陸へ輸出された場合、これに比肩する産品を何か、
と考え付いたのが…大麻。
向精神性葉っぱつながりということで。

史実で最も新大陸に近い大麻栽培地はどこだったんでしょう。
北海道か、それとも夏の日照と温度に富んだレナ盆地一帯かな。
 

95 :フェニキアの末裔:2010/03/05(金) 22:10:33 0
念のため申し添えておくと、シベリアにはベニテングタケを
シャーマンが食して入神状態に入り、治療や予言を行う文化が広まっていました。
新大陸にもタバコをはじめ幻覚性植物を利用する地域が広がっており、
両大陸で幻覚性植物への需要があったのではと考えてみました。

新大陸のタバコ、旧大陸のアサがそれぞれ交換されたらベーリング海峡一帯は
交易で栄えたかも、と想像してみます。
北極圏で栽培されることはまずないので、「製品」のみがやりとりされる時代が
長く続きそうですね。一応アラスカ南部はどちらも栽培OKみたいです。
 

96 :第二正典 ◆jacBN9YP18jT :2010/03/06(土) 20:27:33 0
麻は薬物としての利用があったかは不明ですが
挹婁(ユウロウ)についての記述に出てくるので
3世紀の沿海州にあったのは確かです。

ただ、交易品としてアジア側は金属器と
更に南の絹・漆器・ガラスなど、
それに極北の毛皮とアメリカ側のタバコで良い気もします。

交易は国家形成にも重要な要素のため、
カリフォルニアよりバンクーバー辺りの方が先に
首長制から「国」に移行するかもしれません。
文字をどうするかという問題もありますけど。

97 :フェニキアの末裔:2010/03/06(土) 22:12:05 0
文字については心配ご無用。
@新大陸側には、
アラスカ南西部ののベーリング海沿岸一帯で使われていたアラスカ文字:
http://www.togiakmission.com/photo_view.php?image=userFiles/329/page329_1tpqbw.jpg
 
1910年代にユイット(エスキモー)のシャーマンのウヤクックが、
古来から伝承の記録に用いられてきた表意文字を整理統合したもの。
今もアラスカに読み書きできる古老が残っているそうな。
 


98 :フェニキアの末裔:2010/03/06(土) 22:21:39 0
A旧大陸側には
チュコト半島でチュクチ人により使われているチュクチ文字:
http://2.bp.blogspot.com/_EJCq9NKr0Mo/SZwpDAYDXlI/AAAAAAAAAXc/iX9TRaCeElo/s1600-h/Luoravetl.jpg
 
こちらも伝承の記録などに用いられ、セイウチの牙や樹皮・皮革に記されてきました。
1920年代にチュクチ人のテネビル(Tenevil)が整理統合し正書法用に改良しています。
 
シベリアではユカギール族やエヴェンキ族も情報伝達用に表意文字を持っていたため、
意外と文字の使用は広く行われていたようです。

99 :とてた ◆0Ot7ihccMU :2010/03/06(土) 23:57:13 0
ご無沙汰してました。
アラスカ冶金ルートとはまたマニアックなものを…流石です。

放置運営しているまとめサイトですが、
僕のプロバイダ変更もあってヤフーに移転してました。

http://book.geocities.jp/totetatta/

一応、3スレ目は載せています。
もう「IFごとのまとめ」は断念状態ですけれど…。

100 :フェニキアの末裔:2010/03/07(日) 16:39:15 0
おっ!とてたさんお久しぶりです。
まとめサイト更新お疲れさまでした。

アラスカ冶金ルートは、パート2で書いた「扶桑国」の代わりと思ってください。
(あれは穴だらけだったんで)
「12000年前にパレオインディアンが新大陸へ渡ったあと、
 その後誰もベーリング海峡を往来しなかったんだろうか」という
素朴な疑問から再出発したものです。
耳慣れない地名や用語などが多く登場するので、なるべく参照サイトを貼ってみたいと思います。
 


101 :フェニキアの末裔:2010/03/07(日) 16:55:01 0
文字についてもうひとつ追加。
B厳密な「文字体系」ではありませんが、
 米国西海岸のワシントン州内陸部に住むヤキマ族に伝わ結縄記号
 「スピトルクマ(英語名タイムボール)」も挙げておきます。

アンデスのキープに似ていますが、縄だけで構成されたキープと異なり、
色・形・サイズとも様々なビーズや羽根を貫き通して複雑な意味を表します。
主に長大な口承詩の記憶を助けるために作られていました。

実物写真付きのサイトがあったんですが消えてしまったようです。すみません。
 

102 :フェニキアの末裔:2010/03/07(日) 17:14:21 0
Cこちらも厳密には「記号体系」のようですが、
ワシントン州からブリティッシュコロンビア州の沿岸部にかけて
交易やポトラッチの場で品目や数量の記録に用いられた符木(英名タリー)も。
木の棒や札に刻み目を入れて意味を表したようです。
書籍「北西海岸インディアンの芸術と文化」(六興出版)に記載がありました。

@〜Cが組み合わさって発達したら高度な内容も表現できるようになるかな。
白人接触以前からリンガフランカとして北西海岸で広範囲に
(北はアラスカ東南部海岸から南はオレゴン州まで)話されてきた共通語、
チヌーク・ジャーゴンあたりが書き言葉を持つようになるのかも。
 

103 :第二正典 ◆jacBN9YP18jT :2010/03/09(火) 21:49:44 0
「スピトルクマ」が長大な口承詩の記憶を助けるって、「冬数え」みたいだ。
アラスカ文字の原型についてはちょっと疑問もありますが、
他にアラヴァ岬のペトログリフとかもありますし、
これだけ記号体系があれば文字が誕生するか、
そうでなくても、国家組織や商業のある程度の発展は見込めそうです。


104 :フェニキアの末裔:2010/03/12(金) 23:16:27 0
訂正ひとつ。
スピトルクマは正しくは「クピトルクマ(ヤキマ語K'pitlkma)でした。失礼。

北米大陸の北西海岸は定住・社会階層分化・大規模建造物・長距離交易など
文明萌芽の条件がわりあいそろっている地域なので、国家が発生すれば
文字の受容も不可能ではないかもしれませんね。
 

105 :世界@名無史さん:2010/03/15(月) 22:29:42 0
あげ

106 :フェニキアの末裔:2010/03/20(土) 15:36:52 0
アラスカ文字の起源については三省堂刊「言語学百科事典・文字編」に3ページ超を
割いて詳しく記してあります。白人との接触時点では絵文字段階で、その後
音節文字への変化を遂げた点、チェロキー文字と共通したものがありますね。
>>97の文例は上から順に絵文字、音節文字と発展をたどって並べられています。

北米の西海岸は世界屈指の多言語密集地帯なので、表音文字か表意文字か
どちらが適しているんでしょう。どちらも現地の言語状況をみると一長一短にも見えるので。
 

107 :フェニキアの末裔:2010/03/20(土) 15:47:19 0
さて、話を紀元前のカリフォルニアに戻します。
降雨パターンが北米東部と逆なので、西海岸に根付く農作物は
夏の乾燥に強い地中海気候型の植物が適していますね。

東部の農耕センターはオハイオ川流域。しかも農耕開始が紀元前2200〜2000年頃。
ロッキー山脈とネバダ砂漠のかなたにある西海岸に伝播するのは史実では起きなかったようです。
実際、コロラド川流域に農耕をもたらしたのは中米の農耕圏からでした。
 

108 :フェニキアの末裔:2010/03/20(土) 15:56:59 0
ところで、コロラド川の上流にあるコロラド高原は、
西部が夏燥冬湿、東部が夏湿冬燥、と降雨パターンの境界線が南北に走っています。
この一帯はいわゆるプエブロインディアンが住んでいた南西高原文化領域に属し、
両方の降雨パターンに適した作物が栽培、品種改良されてあり、互いの農閑期に
作物を交易で交換しあっていました。(今もホピ族などが続けているとのこと)

夏燥冬湿型の作物はカリフォルニアの気候にも順応できるはず。
カボチャ、トウモロコシ、インゲンマメの「三姉妹」が代表格ですが、さらに
 

109 :フェニキアの末裔:2010/03/20(土) 16:05:10 0
コロラド高原やグレートベースン(ネバダ・ユタ・カリフォルニア州にまたがる大盆地)で
自生植物の作物化が起きたら、とIFを立ててみます。(前のほうで提案がありましたね)

このあたりはほぼ高地と砂漠。ここの厳しい気候に耐えられる作物ならば、
気候温和な西海岸でも相当広範囲に伝播できるのでは、と考えてみました。
候補としてはイネ科イネガヤ属のアレチイネガヤ(Oryzopsis hymenoides)
アカザ科のワーダ(Suaeda depressa)、イネ科エゾムギ属(Elymus)など。
 


110 :フェニキアの末裔:2010/03/20(土) 16:19:56 0
ちなみに三種ともインディアンが粉食していた穀物(雑穀というべきか)です。
アレチイネガヤはユタ州の州草にも制定されており、19世紀の白人入植者も食していたほど。

乾燥、昼夜の温暖差、吹き付ける砂、塩害、やせた土壌…
一見不利だらけに見える内陸砂漠育ちの作物の特徴が、一転、
西海岸に農耕が受け入れられる理由になる、と見立ててみました。

広大な氾濫原と大河に富む東海岸と違い、海岸線のそばまで山が迫る西海岸。
西海岸人口の多くは漁労民で、海産物以外の陸の主栄養といったらドングリの粉食で充足。
穀物がとりつくシマはなさそうですが、ここでセントラルバレーの住人に一役働いてもらいます。
 

111 :フェニキアの末裔:2010/03/20(土) 16:34:58 0
現代でこそ灌漑網が農地を潤す穀倉地帯、セントラルバレーですが、
白人入植以前は乾燥した平原でした。海の幸からも山の幸からも離れているこの地域の住人は、
食糧獲得を交易や移動採集に多く依存していました。

そこへ内陸砂漠から農作物と農耕が伝わると仮定。
夏の少ない降雨でも生育し、アルカリ性土壌にも強い。農耕は徐々にセントラルバレーに広まる。
海産物の交易関係にあった西海岸とセントラルバレーは目と鼻の先。
海産物とドングリ以外には興味を示さなかった海沿いの漁労民も知るところとなり、
不漁時の救荒食として徐々に海岸のわずかな平地で栽培を始める、と。
 
海岸部は北米随一の人口密度を有する社会。チュマシュ族やトングヴァ族のように
豊富な余剰産物を背景に社会の階級分化(貴族・平民・奴隷)が進んだ社会が多く住んでいました。
当初は高貴な職業(貴族男性による漁撈)に対する保険的な生業として奴隷が農耕を担った、と想像してみたり。
 

112 :フェニキアの末裔:2010/03/20(土) 16:56:30 0
砂浜の自然環境は砂漠とよく似ています。
植物をうずめる飛砂、照りつける日射、強い塩性土壌…
内陸砂漠で生まれた作物にはこれらの環境に対する耐性がそなわっています。
現在、世界中で塩害対策や砂漠緑化や食糧増産などを目標として、塩生植物の栽培が
進められていますが、これを紀元前のカリフォルニアで取り入れたとしたら…どうでしょうか。
 

113 :フェニキアの末裔:2010/04/07(水) 10:24:59 0
西海岸の作物として有望そうな植物といったらこんなのも。
いずれもジャガイモ(Solanum tuberosum)の近縁種で北米原産種です。

・コロラド・ワイルドポテト(Solanum jamesii)ナス科
 コロラド高原の標高1500〜2600m地帯に自生。塊茎は食用。

・フェンドラー・ホースネトル(Solanum fendleri)ナス科
 コロラド高原の標高1800〜2700m地帯に自生。塊茎は食用。

いずれもホピ族をはじめプエブロ系インディアンが食していました。
寒さとアルカリ土壌に強いため、品種改良されれば西海岸のかなりの緯度まで
北上できそうかと。
ジャガイモはアリューシャン列島でも栽培されているので、ベーリング海地域の
食生活に変化をもたらせるかも。

オオムギの近縁種チシマムギクサ(Hordeum brachyantherum)もアラスカからカリフォルニアまで
海岸に分布しているので穀物として利用の可能性があるかと。

114 :世界@名無史さん:2010/04/24(土) 03:23:50 O
バイキング「僕ら用無しですか…」

115 :世界@名無史さん:2010/05/04(火) 13:34:59 0
バイキングの設定無かったっけ?

116 :フェニキアの末裔:2010/05/06(木) 22:03:21 0
バイキング版は前スレ=パート3にあった記憶が。
五大湖一帯に築かれたインディアン国家と交易する話だったかな。

ヴィンランド版IF史も歓迎ですよ。
ただ、バイキングの新大陸到達からコロンブスの新大陸到達まで500年弱。
免疫のことも含め、技術力・経済力など旧世界との差を埋めるのに間に合うかな。
 

117 :世界@名無史さん:2010/05/20(木) 02:46:36 0
前スレにもあったけどイスラム教徒が数世紀早くアメリカ大陸に到着していたら
どうだったかな?

118 :フェニキアの末裔:2010/05/20(木) 21:38:14 0
前スレで紹介させてもらった2例ですね。
889年のイブン=ファルーク、999年のハシュハシュ=イブン=サイードの航海。

新大陸のどのへんに到達したかで大きく変わってきそうですが、
コロンブス第一回航海と同じバハマだとすると…ムスリム航海者が喜ぶ産物は
これといってないかも。
 ・西インド諸島原産の香辛料、オールスパイスが筆頭株か
 ・アラワク人も栽培していたタバコ(喫煙方式は葉巻)
 ・ベネズエラ方面から輸入していた銅金合金ことトゥンバガ
 ・チクル製の天然ゴムとボール

思い浮かぶのはこんなくらいかな。

119 :フェニキアの末裔:2010/05/20(木) 21:45:35 0
どこかのスレッドで見かけたレスですが、自然崇拝(アニミズム)は
イスラム教よりもキリスト教に親和性が高いという傾向があるとも。
イスラム教への改宗は啓典宗教を一度経験した民族が多いため、コロンブス以前の
新大陸では根付くのは難しいのかも。(ブラックアフリカしかりで)

モルッカ諸島や西アフリカのように交易に専念する関係になるのかな。
カリブ海にそびえるミナレット、響き渡るアザーンってのも捨てがたいけどw
 

120 :世界@名無史さん:2010/05/20(木) 22:45:53 0
キューバのハバナにモスクが聳え立ちコロンビアやベネズエラやパナマはイスラムの国。
メキシコやアンデスは馬や鉄器や免疫を獲得したため19世紀まで植民地化を免れ、
ケツァルコアトルやビラコチャが今でも崇拝されている・・・ワクワクしてくる。

121 :世界@名無史さん:2010/05/20(木) 23:08:09 0
>>119
アフリカではイスラムは大変な勢力だぞ。東アフリカにスワヒリ文化が形成
されたように、カリブ海周辺に独自のイスラム文化が形成された可能性も
否定できない。

122 :世界@名無史さん:2010/05/21(金) 01:41:46 0
>>119
>モルッカ諸島や西アフリカのように交易に専念する関係になるのかな。

その方がインディオとしても旧大陸の文化要素を吸収したり免疫を獲得する
余裕を得ることになる。

123 :世界@名無史さん:2010/05/21(金) 10:47:53 0
>>117
フィリピンとかインドネシアとかの辿ったような具合だろ。

124 :エビちゃん親衛隊:2010/05/23(日) 07:48:14 0
>>123
まあ、アジア人ならたとえイスラム教徒でも
中国人や日本人でも殲滅は免れるだろう。
薩摩の琉球支配は苛烈であったが、今の沖縄県民の大半は琉球国の子孫だろう。
アジア人で最も苛烈な支配はこれくらいだ。
オーストラリア大陸もタスマニア島もアジア人が早く到達していた方が破滅は免れているだろう。
欧米人はモンゴルやイスラム以上に情け容赦ない所があったからな。

125 :世界@名無史さん:2010/05/23(日) 10:33:59 P
しかしここで問題なのは
アメリカ文明でよく見られる生贄の儀式だな
特にアステカの心臓を抉り太陽神に捧げる儀式を
旧大陸の人間が見たら拒絶反応をおこすかもしれない

126 :世界@名無史さん:2010/05/23(日) 16:54:24 0
中米で人間を生贄にしたのは適当な家畜がいなかったからだと言われている。
現にリャーマという家畜がいたアンデスでは人身御供は中米ほどには行われて
いない。旧大陸から適当な家畜が輸入されれば中米の連中も家畜を生贄にした
んじゃないかな。旧大陸で行われた家畜を生贄にする儀式も元々は人身御供
だったのを家畜にしたと言われている。

127 :世界@名無史さん:2010/05/23(日) 17:24:56 0
どこかのスレッドで見かけたレスですが、自然崇拝(アニミズム)は
イスラム教よりもキリスト教に親和性が高いという傾向があるとも。
中央アジアの遊牧民は一応ムスリムだけど、
イスラムの戒律よりも草原の掟、
チンギスハンの定めた故事を尊重しているそうですが。
挨拶として酒を酌み交わす風習はイスラムというよりモンゴル本土の風習に通じているし。


128 :世界@名無史さん:2010/05/24(月) 21:54:04 0
アボリジニなどの根こそぎ殲滅は帝政ロシアでもやらなかったと思う。
ツァーリへの服従を誓わされ、税を課されはするが。
実際に行った人種的殲滅はアングロサクソンがナチスドイツよりも
ある意味悪質だし大規模。

129 :世界@名無史さん:2010/05/24(月) 23:43:05 0
テスココ王ネサワルコヨトルの宗教思想に関心があります。
古代メキシコのアクナートンというところですかね?

130 :フェニキアの末裔:2010/05/29(土) 10:07:37 0
>>125-126
北米の大平原文化領域やマヤ語圏などは、生贄を殺害しないかわりに
当人が自らの体を傷つけることで自らを神にささげるという習慣があるね。

スー族のサンダンスも、遠くさかのぼると太陽神への生贄をささげる中米の儀礼に
たどり着く、という説もあるしね。

毎日生贄をささげるのは、ある程度人口が多い土地でないと継続できないという制約もあるから
イケニエ(アステカ)→ 自傷儀礼(スー、マヤ)→ 家畜や作物を奉納(アンデス)、という変遷もありうるかも。
  

131 :世界@名無史さん:2010/06/04(金) 17:20:36 0
あげ

132 :第二正典 ◆jacBN9YP18jT :2010/06/05(土) 21:05:02 0
生贄自体は別に気にしないのでは。
ヒンドゥー教にも人身御供はありますし、
コーランにはアブラハムが息子を生贄にしかけた話が
出てくるので、道徳的嫌悪はあっても理解の範疇でしょう。

それから疫病による人口減がイスラム化や対岸のイスラム教国の動きに
どう影響するかが気になります。
インドネシアや西アフリカではなかったであろう要素なので。
交易しようにも相手がいない状況になれば、
それなりの規模の植民が発生するかもしれません。

133 :世界@名無史さん:2010/06/14(月) 04:40:16 0
>>132 アメリカ大陸本土では先住民側が警戒措置を取りムスリムのための
居住地区を指定したりして人口減少を一定の線で食い止めていたかもかもしれない。そうした条件化で
交易関係が数世紀続けばその間に免疫が獲得されることもありえたと思う。しかしキューバやハイチ
のような比較的小さい島では先住民が絶滅した可能性もある。その場合はムスリムがキューバやハイチ
に殖民国家を作っていたかも。

134 :第二正典 ◆jacBN9YP18jT :2010/06/16(水) 21:01:20 0
諸国分裂状態なので秩序だった防疫は難しい気がします。
ただよく考えてみると、疫病も含めて似たような状況だったはずの
太平洋ではハワイなどでは先住民が少数化しているものの、
トンガの王制やサモアの大首長は今日まで存続しているので、
やはり島嶼部にのみムスリム殖民国家形成というのが
一番ありそうな展開かもしれません。
それに、その方がメソアメリカの発展には都合が良さそうです。


135 :世界@名無史さん:2010/06/20(日) 07:15:07 0
あげ

136 :世界@名無しさん:2010/06/20(日) 15:20:57 0
新大陸が欧州に容易に征服されず、現在まで先住民による国家が存続していたら、
欧米の経済観も違ったものになったかも知れない。
新大陸の徹底搾取による旨みと傲慢さがアジア・アフリカの苛烈な搾取経済の先例となったのだ。
新大陸とコンゴの帝国が奴隷化された事がどれほど白人資本家を増長させ、
有色人種全体の奴隷化を促進させた事か。
まさにこの事実によって、彼ら白人資本家は経済を対等な交易によってお互いの利益を図る事を忘れ、
取れる所から徹底的に収奪して、最大利益を上げる事を学習した。
そして、人間だけでなく、おびただしい自然環境の破壊も起きたのだ。
アステカやインカやコンゴに現在まで皇帝なり王なりが残忍な欧米の侵略を阻止しておれば、
彼らの運命も、否、現在の世界経済のあり方すら相当違ったものになっていたのではないだろうか。

137 :世界@名無史さん:2010/06/20(日) 20:57:57 0
アステカ帝国やインカ帝国があったんだし、訳の分からん古代遺跡もたくさんあるし、文明が無いというのは世界史を知らなさすぎる。

138 :世界@名無史さん:2010/06/21(月) 03:29:45 0
仮にアメリカ大陸の文明が数世紀早くユーラシア大陸の文明と接触し
その結果16世紀という時点でのスペインによる征服を免れたとしても
やはり19世紀には植民地化か半植民地化されて20世紀後半の民族解放
闘争により独立するというコースを歩んだだろう。
ただし中米やアンデスは現在でもほぼ純粋なインディオの国でケツァル
コアトルやビラコチャの神殿に民衆が参詣しているだろう。



139 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 01:02:34 0
age

140 :世界@名無史さん:2010/07/18(日) 13:48:04 0
age

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