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【蒙古】鎌倉武士が圧倒してた件について2【襲来】

1 :世界@名無史さん:2010/03/19(金) 20:03:45 0
一次資料


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0f/Takezaki_suenaga_ekotoba_1-1.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/31/Takezaki_suenaga_ekotoba_1-2.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f1/Takezaki_suenaga_ekotoba_1-3.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fd/Takezaki_suenaga_ekotoba_2-1.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b9/Takezaki_suenaga_ekotoba_2-2.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/57/Takezaki_suenaga_ekotoba_2-3.jpg

どう見ても武士の圧勝。
学校では蒙古の集団戦法に苦戦した鎌倉武士なんて嘘を教えてる。
例えば上にある有名な『蒙古襲来絵詞』は、「武士の集団戦法に圧倒されて逃げ惑う蒙古軍」
を描いた絵巻なんだけど、歴史教科書とかでは隊形組んで集団で突撃する武士団や、
逃げ惑う蒙古軍の部分はカットし、「蒙古軍の集団戦法に苦戦する武士」という全く
正反対の絵として載せてる。
当時の文献には、ちゃんと「蒙古軍が合戦で武士に負けた」と書いてある。

『鎌倉年代記裏書』
「十月五日、蒙古寄来、着対馬嶋、同廿四日、大宰少弐入道覚恵代藤馬允、於大宰府合戦、異賊敗北」

2 :世界@名無史さん:2010/03/19(金) 20:04:36 0
前スレ

【蒙古】鎌倉武士が圧倒してた件について【襲来】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1265643751/l50

3 :世界@名無史さん:2010/03/19(金) 20:14:35 0
モンゴルださっ

4 :世界@名無史さん:2010/03/19(金) 20:34:26 0
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news7/1143443308/l50

『元寇』が登録されていない携帯
1 :私事ですが名無しです:2006/03/27(月) 16:08:28 ID:u3E6AWKT
『倭寇』は一発で変換出来るのに、『元寇』は変換どころか辞書登録すらされていない
DoCoMoのSH700i。なんか、在日の意図が見え隠れしてならんのだが。

5 :世界@名無史さん:2010/03/19(金) 22:58:17 0
秀逸すぎる流れww

996 :世界@名無史さん:2010/03/19(金) 21:16:16 0
それではそろそろこのスレの結論を述べてもらおうか。


997 :世界@名無史さん:2010/03/19(金) 22:02:19 0
結論は次スレで出そうぜ。


998 :世界@名無史さん:2010/03/19(金) 22:10:56 0
結論はとっくに出てる


999 :世界@名無史さん:2010/03/19(金) 22:14:21 0
結論すなわち↓


1000 :世界@名無史さん:2010/03/19(金) 22:17:02 0
1000ならキラーカーンがモンゴル統一


6 :世界@名無史さん:2010/03/20(土) 01:19:26 0
ぶっちゃけ前スレ前半に武士圧勝で結論が出たからねえ・・・

7 :世界@名無史さん:2010/03/20(土) 07:20:42 0
世界史板ってもっと外国マンセーのイメージだったんだがなぁ

8 :世界@名無史さん:2010/03/20(土) 19:20:04 0
そりゃ史料を見れば見るほど鎌倉武士の勝利は動かなくなるからね。
こればかりは仕方が無いよ。

9 :世界@名無史さん:2010/03/20(土) 19:29:06 0
どうしても武士を勝たそうと言う香具師が繁殖するスレがまた立ったのですか?w

10 :世界@名無史さん:2010/03/20(土) 19:31:17 0
まともに反論出来ないから言いがかりかよwww

11 :世界@名無史さん:2010/03/20(土) 21:09:32 0
まあ、世界史板の連中なんてこんなもんだよなw

12 :世界@名無史さん:2010/03/21(日) 02:34:20 0
元寇は鎌倉武士の圧勝

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_02.html
住吉鳥居を通り過ぎて赤坂に向かう途中の小松が原で季長は菊池二郎武房の一行と出会う。
総勢百余騎。
武房はすでに敵と戦い、たくさんの首をぶら下げて引き上げてくる途中であった。 (てのものふんどりあまたなり)
それを見た季長はいっそう奮い立ち蒙古軍に向かって駆け出すのであった。

菊池武房に破れた敵の本隊は,麁原へ退却した。
別の一隊は別府の塚原へと退却。
塚原から鳥飼の干潟へ進み本隊と合流せんとする蒙古軍を討ち取ろうとした季長は馬が干潟に脚を取られ逃がしてしまった。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/kotoba_03.html
敵軍は麁原に陣を構えて鐘を打ち鳴らしてひしめきあっていた。
季長の合戦は、麁原から鳥飼潟の塩屋の松原が舞台となった。
旗指が馬を射られて跳ね落とされたがそのままおきあがって走り出す。
季長以下3名も馬を失い痛手も被り、あわや一巻の終わりかとみえたところに、
肥前国御家人白石六郎通泰が後方より援軍を率いて攻め立てる。
たまらず敵は退却を始めた。
武士団に馬上から次々と矢を射かけられ逃げ惑う蒙古軍。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_03.html
敵を追って攻め入る三井三郎資長と退却する蒙古軍。

※蒙古襲来絵詞…竹崎季長が、元寇時の御恩奉行であった安達泰盛への鎮魂と報謝のために作った絵詞。
恩賞貰うために作ったなどというウソを信じ込まされている人もいるかもしれんが、
 この絵詞が作られた時にはとっくに恩賞は貰い終わっている。

13 :世界@名無史さん:2010/03/21(日) 12:12:33 0
ここは日本史板や軍板に比べてレベルが低すぎる。

14 :世界@名無史さん:2010/03/21(日) 13:40:07 0
あのなあ・・・
前スレから武士が元を撃退した事を一次資料加えつつ実証してきて元房論破されまくり
でにっちもさっちもいかなくなったかは知らないが低レベルだのネタスレ化だの
訳の分からない事言って荒らしてる奴居るな。
ちゃんとソース含め正々堂々反論してくれよ


15 :世界@名無史さん:2010/03/21(日) 17:28:21 0
日本史板や軍板でも
元擁護派(こんなとこみてるモンゴル人もいないだろうし中身は大抵在日だろうけどw)は常に論破されてますがな

ここも同じような流れなのに
>ここは日本史板や軍板に比べてレベルが低すぎる
というのは矛盾してるな

16 :世界@名無史さん:2010/03/21(日) 19:04:16 0
史上最強の鎌倉武士は、イタリア半島まで攻め込めたはずだという名スレですね。
放置推奨かな?w

17 :世界@名無史さん:2010/03/21(日) 19:40:34 0
そのスレどれ?

18 :世界@名無史さん:2010/03/22(月) 18:30:26 0
ボスポラス海峡でトルコ軍は、当時最強の海軍だったイギリスフランス連合を撃退した。
ゆえにトルコ軍は当時最強といえる。



ばかばかしい
守備側圧倒的有利の上陸戦で優勢だったくらいで何が最強だよ

中原や欧州の開けた地で欧州のようにモンゴルを撃退してからいいな
モンゴルを撃退したのは日本だけじゃないんだから
同じモンゴル撃退した欧州は日本刀を紙くずを叩ききっていた検証もあるじゃん

19 :世界@名無史さん:2010/03/22(月) 19:43:01 0
トルコ軍は十分最強クラスの強さ。
ガリポリは言うに及ばず、
トルコ建国戦争では、
首都を含む国土をイギリス、イタリア、フランスの三大国に分割支配され、
軍事力と言えば正規軍のなれの果ての地方軍閥しかない状態から
列強とイギリスの走狗ギリシャをうち破り
統一を成し遂げた。
これほどの偉業は近代史においては稀。
アフガンやイラクを見てみればよい。

>>18はバカ丸出しだな。

20 :世界@名無史さん:2010/03/22(月) 21:51:29 0
なるほど、アラビア半島では二級戦線のイギリス軍に負けまくっていたトルコだけど
では当時の日本軍とその最強のトルコどっちが強いんだい

まあ、イランやらアフガンに勝てれば最強といえるほど「最強」の範囲が広いなら
確かに田舎武者も最強といえるな



21 :世界@名無史さん:2010/03/22(月) 23:10:58 0
失笑ww

陸海空とイギリス連邦+フランス軍を総動員した
ガリポリ上陸作戦も二線級か?
イギリス首相と海軍相のクビが飛んだんだがww

白人様が有色人種に負けて悔しいのは分かるが、
恥知らずな言い訳はかえってご主人様の評判を落とすぞ?

22 :世界@名無史さん:2010/03/23(火) 19:34:56 0
>>21
アラビアのロレンスって知ってる?
トルコ兵は、イギリスのエージェントに率いらて、武器渡されただけのアラブ反乱兵に各地で負けまくった。
どうみても近代化された軍隊でなかったことは明白なんですが

しかし、その近代化されていない軍隊が相手でも、英仏の一等級部隊が負けるほどに
敵前上陸作戦というのがそもそも困難であったということ。実際、ノルマンディー作戦、仁川作戦でも「敵前上陸がそもそも可能なのか」という議論がある。

それほど圧倒的守備側有利の戦いと、ヨーロッパでの平野の戦いは同列にできないということ


23 :世界@名無史さん:2010/03/23(火) 20:26:52 O
元が日本を征服出来なかったのは、作戦立案がまずかったって事か
まあ、島国を攻める経験は多くはなかっただろうしね

24 :世界@名無史さん:2010/03/23(火) 20:33:38 0
約一名がどうでもいい例を持ち出してきてるがいくら言い訳しても
欧州は元兵にシバキ回され女はレイプされまくり日本は元兵を殺しまくった
現実は覆りませんよ

25 :世界@名無史さん:2010/03/23(火) 20:38:13 0
欧州も元軍殺しまくっているけど
ヨーロッパは元軍を殺して殺して殺しまくって黄色人種は雑魚と認識して人種差別を繰り広げることになる

26 :世界@名無史さん:2010/03/23(火) 21:44:33 0
>>22
バロスwww
アラブ反乱兵なんてメディナのトルコ軍主力とは
まともに戦っては死んでも勝てないから
ヒジャーズ鉄道をコソコソ襲ってただけなんですがwww

バカ丸出しだなw

27 :世界@名無史さん:2010/03/23(火) 21:46:33 0
相変わらず世界史板のレベルは低いな。
軍板の方がよほど世界史に詳しい人間が多いわ。

28 :世界@名無史さん:2010/03/23(火) 21:58:59 0
東から地獄からやってきた黄色い色した悪魔の集団がやってきたと言う風に
欧州では言い伝えられてるけどね
キリスト教的には人間扱いされてない

29 :世界@名無史さん:2010/03/24(水) 02:30:19 0
>>27

よく判らんけど、軍板ではどんな高レベルの議論が
あるんだ?
例を挙げてくれ

30 :世界@名無史さん:2010/03/24(水) 04:28:08 0
軍板でもサヨク史観は論破されてるじゃん

31 :世界@名無史さん:2010/03/24(水) 23:51:08 0
軍板の連中なんてここで論破されたから
あっちに逃げ込んだだけだろ。威力偵察じゃない証拠も
出せないくせに。

32 :世界@名無史さん:2010/03/25(木) 00:22:29 0
中世に渡洋して威力偵察とかどれだけ金持ちなんだよ
朝鮮人の負け惜しみを真に受けてどうする

33 :世界@名無史さん:2010/03/25(木) 07:54:08 0
あれは威力偵察だと海外の学者も認めるところなんだから
もはや世界的な定説だと考えるべき。

34 :世界@名無史さん:2010/03/25(木) 08:43:34 0
倭奴の歴史捏造癖は困ったものだ
いい加減に反省せよ

35 :世界@名無史さん:2010/03/25(木) 15:40:05 0
偵察クンが三度スルーしたレス



767 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 18:34:51
>弘安の役は何月単位でかかっているではないか。
>>457を読んだのか?

文永の役で日本攻略に必要な物資そのほかは耽羅人等の情報から計画したんだろ
が、大宰府攻略に必要な分量をはかり違えたんだろう
まさか高麗兵があんなに虐殺好きな変態どもだとは予想外だろうし
武士の強さもなめてたんだろう

http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/4402/index.html
同月、中書省は元皇帝に日本侵略の計画について奏上した
(以下、『元高麗紀事』耽羅至元九年十一月十五日条より現代語訳)。
「これより先、日本・耽羅のことについて枢密院官と打ち合わせました。
 南国より日本を経由して来れる耽羅人三名を召し、地図を書かせました。彼らは申しました、
『日本太宰府等ノ処ノ下船ノ地、倶ニ下岸シテ約二三万ヲ用フベシ』
(上陸地から太宰府に向かうには、軍勢数万が必要でしょう)

一方弘安の役は前回の失敗を踏まえ、変態クンが多少予想外なことしてもいいように物資は余分に持ってきたものの
まさか海上に追い払われ逃げ回るはめになるとは予定外だったろうなw
そのうえ江南軍遅れるしw踏んだり蹴ったり

くぎ刺しとくけど文永の役での失敗を踏まえて弘安の役での必要物資を見積もったからといって
そんなもんを威力偵察の根拠にするなよw
そういう学習はどんな戦争でもやることだからな

過去レスでいろんな人が指摘してることだけどさw

36 :世界@名無史さん:2010/03/25(木) 15:40:49 0
偵察クンがカウント不能なほどスルーし倒したレス

750 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 13:40:30
>>747

>敗軍の将のその後の待遇で
>軍の勝敗や目的を判断するとか愚かしいわ。
>古代ローマ軍なんて、遠征失敗しても
>お咎めなしだった例は幾らでもある。

これについてジャワ遠征と文永の役の将軍の処分の違いを書いた人間としてどう思うんだ?

37 :世界@名無史さん:2010/03/25(木) 15:41:46 0
偵察クンがカウント不能なほどスルーし倒したレス・その2


918 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 17:10:02
>だから十四万で来た。それこそが威力偵察の成果だ。

723 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 11:12:58
>>712
だーかーらー

■■単に敗軍が逃げ帰っただけでもデータは持ち帰れるっての■■

あとづけで似てる似てると連呼したって何にもならん
お前の長々とした駄文では何の証明にもなってないよ
古今東西の戦争すべてを威力偵察にするつもりか?


「いつフビライが『日本へ威力偵察して来い』と命令したんだ?」
もしくは「事前に作成されていた『日本で調査するべき項目のリスト』は?」

38 :世界@名無史さん:2010/03/25(木) 15:44:08 0
10 :日本@名無史さん:2009/12/04(金) 02:37:00
717 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 21:06:46
ttp://ethnos.exblog.jp/1908596/
>その間にモンゴル諸家からの供出部隊が参着したほか、先鋒隊による威力偵察を行い、
>「イランの地」の王侯・指導者達に参陣と兵糧・武器の提供を呼びかけた。

しかし威力偵察って言葉はこういう人たちにはずいぶん好き勝手に使われるんだな。
押しかけていって王侯・指導者達に参陣と兵糧・武器の提供を呼びかけたりするのなんて
もはや威力偵察でもなんでもないぞ。

13 :日本@名無史さん:2009/12/04(金) 16:55:22
>>10
だよなあ。
それが威力偵察なら
秀吉の文禄の役も、島津の琉球征伐も
全部威力偵察で片付けられちゃうよな

39 :世界@名無史さん:2010/03/25(木) 18:04:12 0
威力偵察説ってのは最初モンゴル史研究者の杉山が言い出したんだけど、
突っ込みどころが多すぎて、本人はすぐに言わなくなった。
最近の著書では、元軍が文永の役を敗北と認識していたらしいと認めるようになって来ている。
どうしても日本の勝利を認めたくない奴が、
言いだしっぺが沈黙した今でも根拠がないまましがみついてるって
実に滑稽なことだよね

40 :世界@名無史さん:2010/03/25(木) 19:26:35 0
>最近の著書では、元軍が文永の役を敗北と認識していたらしいと
>認めるようになって来ている。

これがあれば偵察厨を黙らせられるから(すでに沈黙状態だけど)
お手数だが杉山氏の著作から該当箇所をタイプしていただけないものか。

41 :世界@名無史さん:2010/03/25(木) 22:31:57 0
詭弁の特徴のガイドライン
☑? 12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す

42 :世界@名無史さん:2010/03/26(金) 02:21:56 0
偵察厨さんは世界を救う救世主

43 :世界@名無史さん:2010/03/26(金) 20:52:52 0
>>41
それがまだ決着ついてないんだよなw
偵察厨はそれらの質問から逃げまくったからw

44 :世界@名無史さん:2010/03/26(金) 22:14:50 0
シャドーボクシングもあんまり変わらんぞ

45 :世界@名無史さん:2010/03/27(土) 07:34:53 0
>決着した話を経緯を無視して蒸し返す

決着していない話を経緯を無視して決着したと言い張るやつもいつがね。

46 :世界@名無史さん:2010/03/27(土) 14:30:07 0
個人的には威力偵察説支持だが、実際はもうちょっと複雑だと思う。
蒙古側は威力偵察だったけど、高麗側は和寇の拠点つぶしが目的だった。

47 :世界@名無史さん:2010/03/27(土) 15:24:20 0
ageてまで釣りとは必死にも程があるw

48 :世界@名無史さん:2010/03/27(土) 16:39:31 0
つかフビライもバカだよね。
使者無視されたぐらいで攻めてくるなんて。
どうせほっといても害は無いんだし、スルーしときゃいいのに。

49 :世界@名無史さん:2010/03/27(土) 17:58:14 O
丁重にお断り申し上げたら攻めて来なかったと?

50 :世界@名無史さん:2010/03/27(土) 18:24:14 0
>>48
それは権力を経験したことがない者の暴言だ。権力者にとって、自分が
無視されることがどれだけの屈辱か。特に弱い相手にな。

51 :世界@名無史さん:2010/03/27(土) 19:01:21 0
ところが恥をさらに上塗りしたのは
弱いと思っていた日本がとんでもなく強かった点だな

52 :世界@名無史さん:2010/03/27(土) 19:23:30 0
弱いものが負けた

53 :世界@名無史さん:2010/03/27(土) 22:25:31 0
>>51

ジャワ島の原住民もモンゴル軍を
打ち負かして、追い返しているけど。

つーか、1000年近く前にユーラシアをほぼ横断したのが
すごいわ。
多分、偵察部隊は西は北海を見ただろうし
東は日本海、南はペルシャ湾とか東シナ海とか
スケールがでか過ぎる。


54 :世界@名無史さん:2010/03/27(土) 23:28:46 0
数十人でも十万でも追い返したは追い返したんだなw

55 :世界@名無史さん:2010/03/27(土) 23:40:36 0
>>50
でも結果的に日本の戦力を見誤って恥の上塗りになりましたと。

56 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 01:23:41 0
まあ時宗も馬鹿だがな。

文永の役の後、使者が来た時に斬り捨てたりせずに負けを認めさせて
賠償金を毟り取って、御家人への恩賞に当てられたろうに。

57 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 01:56:59 0
武士がそんな腐れ商人の真似事できるか

58 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 10:30:31 0
>>57
こういう人間は外交は出来んな。ついでに、使者を斬ることは外交上
大変な無礼。耄碌して晩節を汚しまくった秀吉でさえ、朝鮮出兵の使者
相手にやっていない。時宗は追い出したから余り言われていないが、
これは日本史上糾弾され続けて然るべき。

59 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 11:35:39 0
>>58
秀吉の時は停戦条約結びにきた使者(しかも宗氏の捏造翻訳付き)
元寇のは降伏勧告しにきた使者

扱いが違うのは当然だろ
つうか後者の遭難例なんて古今東西よく聞く話だぞ

60 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 13:01:07 0
>>59
今で言えば、時宗がやったことは
アメリカの大使館の職員を皆殺しにして
自衛隊で駐日米軍基地に奇襲をかけさせた様なもん。
作法とか礼節に基づけば、フビライの方がまとも。

フビライは必ず戦争前に使者を勧告状と送っているし。
これはかなりの教養人でないとできない

61 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 13:35:34 0
>>60
信じられないほどアホな言い分だなw
今、別段の理由もなしに、降伏の特使を送るなんて蛮行中の蛮行だろうが
何が礼節だよ。礼節じゃ帝国の分裂は防げねぇんだよw

62 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 14:10:39 0
だーかーらー、最初に日本が拒否った時点で
ほっときゃ良かったでしょ。
それを大国のメンツだか威圧だか知らんけど勝手に攻めてきて
対馬でヒャッハーやって、本戦で勝ったわけでもねえのに
降伏勧告の使者送ったらそりゃ首斬られても文句言えねえって。
ホント、これで時宗が非常識とか言うモンゴル厨ってバカだな。

63 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 15:00:03 0
■そもそも最初の使者は殺してない
丁重にお帰りいただいている

■そもそも最初の使者を日本へ送った段階で元は日本攻撃のための編成準備に入っている=どう答えようともどのみち攻撃する気満々

■手紙の内容は無礼千万

■日本は元を中華帝国の後継とは認めていなかったので「どこの馬の骨ともわからない」奴に返事をするいわれはない



64 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 15:04:38 0
国書の和訳DQN風味
上天眷命 「イケメンからのゴアイサツw」
大蒙古皇帝奉書「大蒙古国の『皇帝』の手紙だぜ!」
日本國王朕惟自古小國之君「やあ小国ニッポンの『国王』(皇帝>国王)ちゃん元気にしてる?」
境土相接尚務講信修睦「俺、おもうんだけど国境を接する国とは仲良くしたほうがよくね?」
況我祖宗受天明命奄有區夏「ましてや俺達モンゴルってば天に世界の頂点約束されてるわけなんよ」
遐方異域畏威懐徳者不可悉數「隣国どころかすげー遠い国でも俺にぺこぺこしてんぞ? 」
朕即位之初以高麗無辜之民久瘁鋒鏑「そういえば高麗もおれが軍事介入して戦争をやめさせてやったわけだが」
即令罷兵還其疆域反其旄倪「くそ役にたたねーガキと爺どもを故郷に帰してやったわけさ」
高麗君臣感戴來朝「そしたらあいつらうれションする勢いでぺこぺこしてきたぞw」
義雖君臣而歡若父子計「まああいつらは俺のパシリだが同時に親子でもあるわけだな」
王之君臣亦已知之「まあお前らもこのことはもう知ってるわな」
高麗朕之東藩也「高麗は俺の犬」
日本密邇高麗「んで日本は高麗のすぐ隣やん」
開國以來亦時通中國至於朕躬而無一乘之使以通和好「なのにオメーなんで俺に挨拶しに来ないわけ?」
尚恐王國知之未審「多分おまえら世の中の変化を知らないだけだよな? 」
故特遣使持書布告朕志「しかたねーから俺から手紙だして教えてやったのよ 」
冀自今以往通問結好以相親睦「今から仲良くしようぜ?な? 」
且聖人以四海爲家「おれみたいなイケメンはさ全世界を俺の家族だと思ってるんだよねスイーツ(笑) 」
不相通好豈一家之理哉「ちなみに親交をむすばないってんなら家族じゃねーからぶちのめすわw」
以至用兵夫孰所好「おれもお前ぶちのめしたくないからよwわかんだろ?言ってることw」
 王其圖之不宣「じゃーな!」

まさにDQN

65 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 15:06:41 0
驚くほどコピペの内容が的確で笑った
明らかに恫喝してますな
すでに軍門に下った高麗の例をクドいほど出し、
高麗のように挨拶に来い、と言ってきている以上、
どういう国書を出しても国書を出した段階で
「挨拶をしに来たってことはお前は俺の家族(日本が下であることを認めた)ね」
と言われる可能性すらあるわけでまあ無視して懸命だったわな
「申し訳ないが家族ごっこはお前らだけでやってくれ」と返信してもよかったろうけどね

時宗の英断に拍手

66 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 15:15:23 O
まあ、こんな態度だからいろんな国でモンゴルの使者は殺されるんだろうな

67 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 15:38:29 0
>>63
まぁ冊封体制とは関係ない日本にとって、
手紙の内容は無礼千万な時点で中華帝国云々は関係ないんだけどさ

68 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 16:37:22 0
いや大元を国(フビライは皇帝を自称してるわけだから)として認めるかどうかって視点でのことね
日本がさくほうしてるかどうかってことじゃなくて。

実際明から恫喝された時は丁寧な返信してるしね
内容は「やれるもんならやってみろw」ってな強気なものだけど


69 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 19:03:21 0
爾、爾が国に還り、速かに軍額を奏せよ。
不らずんば、爾をして将に之を討たしめん。
爾等、軍を出して、将に何れの国を討たんとするか知らざらん。
朕、宋と日本とを討たんと欲するのみ。
今、朕、爾の国の猶お一家のごときを視る。
爾が国、若し難あれば、朕、安んぞ敢えて救わざらんや。
朕、不庭の国を征するに、爾が国の出師し助戦すること、亦た其の分なり。
爾、帰りて王に語り、戦艦一千艘、米三、四千石を載すべきを造れ

こんな国とは仲良くできません><

70 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 19:04:25 0
日本が返牒しなかったのは文言の無礼云々以前の問題じゃないの?
北方の蛮族で、文書の形式面でも鎌倉首脳陣は何だこれはと思っただろうし、
南宋との関係のほうが圧倒的に深いんだから

71 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 19:37:09 0
>>70
そうだとすれば、鎌倉幕府の情報能力の低さは呆れるばかりだね。北方
民族が何度も中国を侵していたことぐらい、ある程度歴史を知っていれば
常識だし、当時の元が世界帝国であることも、それなりの情報能力を
持っていれば知っているはずだ。

ついでに、民族は遥かにモンゴルの方が南宋より日本に近いんだけどね。

72 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 20:28:38 O
>>71
つまり、幕府の情報能力が決して低かったわけではなく
返諜しなかったのは別の理由があっての事だって話だよね

73 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 21:19:16 0
>>71
>ついでに、民族は遥かにモンゴルの方が南宋より日本に近いんだけどね。

日本人がいつから一重切れ目だらけになったんだよ。
いくら朝鮮人と遺伝的に近いからと言ってそれはねーわ。
古モンゴロイドの形質を多く保存する日本人における新モンゴロイドの形質の優位性は南宋人と大差ない

ましてや文化的には明らかに中原をリスペクトしてたろう。
稲作農耕民族の日本人と遊牧民族の匈奴のどこに共通点を感じるんだ?
寝言は寝ていえ

74 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 21:51:46 0
まあアメリカにぺこぺこの自民と中国にぺこぺこの民主に比べてずっと立派だよな

75 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 22:40:38 0
古モンゴロイドの形質:
純朴で親切だがいざとなると勇敢
・・・東南アジア、モンゴル、日本

新モンゴロイドの形質:
弱きに強く、強きに弱い。
普段は大言壮語していざというときは泣き言ばかり
・・・どこぞのウリナラと宗主国

76 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 22:42:40 0
戦前の日本みたいに馬鹿な首脳だったな
時宗は。

陸続きだったら、蒙古騎兵の攻撃で死滅してたから。


77 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 22:46:15 0
>>75

そりゃ、さすがに違うだろ。
モンゴルとか遊牧民族は
弱い者は見捨てられる。
親でも老いたら、捨てられる。
中国とかは親、年配者は凄く敬意を払う。

東南アジアだって、フィリピンとかタイとか
治安はめちゃ悪いし、
純朴でもないし、親切でもない。
変に、思い入れるのは危険すぎ。



78 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 23:16:23 0
まさか蒙古房は元が馬を連れてこないで日本の山間部の森の中で戦ったみたいに思ってないだろうね?


79 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 23:19:48 0
農耕どころか定住もせず、水源を不浄と忌み、魚を食べなかったモンゴル人のどこが日本人と近いんだ?
モンゴル平原にはめぼしい穀物も木々もなく、畜生の血肉骨皮が生活のすべてだったんだぞ。
だいたい民族的に近かったら何なんだ?血族を特別扱いして史実も捻じ曲げなければいけないのは朝鮮人だけだぞ

80 :世界@名無史さん:2010/03/29(月) 02:01:59 0
>>71
強い弱いで判断したわけじゃないよw
中華帝国の後継を自称せず普通の新興国として国書だしてれば
返信ぐらいはしてもらえたと思うよ

そもそも時宗は南宋とのパイプから元が侵略以外能のないモンスターだってのは把握してた。

したがって恭順するか徹底抗戦かしか選択肢が無いことをいち早く察知していた。
国書を無視したが元の存在は全く無視していない。
実際このあと内政上の不安材料を取り除き迎撃態勢を整えるべく馬車馬のように働く時宗の姿がある



81 :世界@名無史さん:2010/03/29(月) 02:24:04 0
■日本人のY染色体分析
日本で確認できる系統:C/D/N/O系とアジア来訪の全系が確認(N系はチベットにない)。
O2a系統(4%)、O2b系統(26%)、O3系統(16%)、C3系統(1%)、D2系統(45%)、N系統(6%)

血統の中心は、D2系統(北古参モンゴロイド)を中心として、
O2(長江)系30%、O3(黄河) 系、C/N系が若干という形。
しかも、東南アジアを中心としたO2a系統と中国からのO3系統がそれぞれの構成の1割程度が確認される。
このような来訪全系が確認できるのは、日本だけ。非常に特異な地域といえる。
過去の日本列島が地味豊かで、人間をやさしく迎え入れるような約束の地であった証左。

■朝鮮人のY染色体分析
Y染色体を見ると、北古参モンゴロイド特有のD系統がない。
O2b系統(50%)、C3系統(12%)、O3系統(38%)の構成。

実際の朝鮮人のDNA比率を見ると、
O2b系で残された民族(D系を有しない長江系)が、
O3系を持つ旧漢民族(現在の漢民族はO2b系が34%程度で、混血したもの)に犯され、
次いでC3系を持つ女真や満族に支配された陵辱の歴史が見事に現れている。


■考察
黄河文明の中心である旧漢民族(O3系)との争いに敗れた長江文明民族が
東南アジアと極東アジアに逃れ、その先端部分であるO2a系とO2b系が日本に着いて、
D系、O系、N系の在来人と混血した。

現地に残った敗北者達は、漢民族に蹂躙されまくった末、徐々に極東方面に移り住んで、
朝鮮半島付近に定住し、さらに満族などに蹂躙されまくり、現在の朝鮮人になった。
そのため文化面の根本基盤が日本と全く異なる中国傍系の民族となった。
半島は血統的な部分で、Ob系統(長江系)を基にしてるのは一緒だが、
少なくとも日本人特有の特徴は一切持たず、
かわりに漢民族に蹂躙されつくした哀れな痕跡を多量に持っている。

82 :世界@名無史さん:2010/03/29(月) 09:09:57 0
そもそもこの時代の武士連中は恩賞だどうだって一体なんなの?
日清日露大東亜に従軍した軍人達はやれ日本海海戦に勝ったから、旅順陥落したから
恩賞よこせなんて言ってないだろ?むしろ国を守るために神風特攻で命をささげてまで
国を守っただろ?鎌倉武士ってのは武士道に反する卑しい連中だな

83 :世界@名無史さん:2010/03/29(月) 10:07:36 O
釣り師ならもっと精進しなさい

84 :世界@名無史さん:2010/03/29(月) 13:12:27 0
本当のこと言って何が釣り師だ

85 :世界@名無史さん:2010/03/29(月) 13:55:05 0
>>83
鎌倉武士を象徴する言葉は御恩と奉公でしょ
奉公と御恩じゃないんだよ、御恩と奉公なんだよ

86 :世界@名無史さん:2010/03/29(月) 19:52:09 0
見事にクソスレと化してるなwww

87 :世界@名無史さん:2010/03/30(火) 00:15:23 0
つか、実際問題日本から「お前ら負けたんだから土地よこせ、金と女献上しろ」って言える状況だったの?

88 :世界@名無史さん:2010/03/30(火) 00:19:58 0
>>87
お前は何を言ってるんだ?

89 :世界@名無史さん:2010/03/30(火) 01:09:46 0
>>88

まあ、こういう事だろ。
かろうじて追い払っただけ。
実際に反撃して、占領して、フビライを殺して
モンゴル族を支配下に置かない限り
勝ったとは言えない。

実際、武士にそんな力は無い。


90 :世界@名無史さん:2010/03/30(火) 01:25:26 0
さんざん既出だが幕府内で報復として大陸に乗り込む計画があったんだがな、
秀吉の唐入りも元寇の報復と言う側面もあったらしいし。
メチャクチャに強くてもう二度と戦いたくないなんて相手にはこんな気には
ならないと思うが?

91 :世界@名無史さん:2010/03/30(火) 01:27:52 0
>>89
勢力としての勝利と戦役としての勝利を混同すんなクズ
しね

92 :世界@名無史さん:2010/03/30(火) 02:01:00 0
>>90
しかし、秀吉は大陸でぼろ負けしたのは事実。
しかも、モンゴル軍じゃなく、弱いはずの明軍に。
モンゴル軍は北元として、明の北方に強い勢力を持っていた。
明も北元に何度も攻撃されて、万里の長城を修復、さらに築いたし
明の皇帝も元の捕虜になったことがある。

その明にぼろ負けして、大陸から追い出された訳だし。

93 :世界@名無史さん:2010/03/30(火) 02:25:48 0
反撃して占領するのは無理でも、日本に有利な講和(要するに、「土地よこす、金と女を献上する」)を結べる状況じゃなかったのかねえ。

94 :世界@名無史さん:2010/03/30(火) 04:26:05 0
>>92
ボロ負け?

おいおい、明書読んでから言えよ
世界史板で中国史語るならせめて正史くらいは見てから言え

95 :世界@名無史さん:2010/03/30(火) 09:31:41 0
秀吉の死の前後、明軍は第二次蔚山城の戦い、順天城の戦い、泗川の戦いで
大敗して、兵士の士気は最低状態だったからなぁ。あれで朝鮮出兵は明軍の
勝利と言われてもイマイチしっくりこない。
それに、明水軍と違って明陸上軍は日本軍が退却してるのを傍観してるだけで、
追撃する余力すらなかったからね。秀吉の死という偶発的事件がなければ
日本軍も明軍もあと何年戦闘を続けていたかわからない。

96 :世界@名無史さん:2010/03/30(火) 14:34:12 0
明との講和条件七ケ条
  一、明帝の女を日本の皇妃に迎える。
  二、勘合貿易の復活
  三、日明両国大臣の誓紙交換
  四、朝鮮の京畿、忠清、全羅、慶尚、四道の割譲
  五、朝鮮の王子、大臣を質とする
  六、捕虜の朝鮮両王子を送還する
  七、朝鮮の大臣が永久に日本にそむかぬよう誓約する




97 :世界@名無史さん:2010/03/30(火) 14:47:43 0
明年,如松師大捷於平壤,朝鮮所失四道並複。
如松乘勝趨碧蹄館,敗而退

於是封貢之議起,中朝彌縫惟敬以成款局,事詳《朝鮮傳》。
久之,秀吉死,諸倭揚帆盡歸,朝鮮患亦平。
然自關白侵東國,前後七載,喪師數十萬糜餉數百萬,
中朝與朝鮮迄無勝算。
至關白死,兵禍始休,諸倭亦皆退守島
東南稍有安枕之日矣。
秀吉凡再傳而亡。

要約しますとこうですね
平壤は日本軍が放棄して奪還できたけど追いかけたら碧蹄館で日本にぼこぼこににされて明朝鮮の現場の将兵には嫌戦気分が蔓延。
日本を軍事的に追い払うのは困難となり、(再三日本が要求してきた)交渉の席につき金銭による解決を探ることにした。
ところが秀吉がラッキーなことに死んでくれたおかげで日本はひきあげてくれた。
いやーこの七年間はやばかった。
ただただ多くの犠牲が出るばかりで我が国と朝鮮には勝算が無かった。
戦争終結は秀吉の死によるものだ。

どう見ても明のボロ負けです
というかスレ違いだよ

98 :世界@名無史さん:2010/03/30(火) 14:59:32 0
実は明の朱元璋も、日本に対して武力侵攻をちらつかせ、脅迫をしてきたことがある。
しかし、それに対する日本からの返答は、

「天下は天下の天下であって誰か一人の天下ではないのです。
我が国には、水沢の地や山海の洲にも
備えがあり、明の武力侵攻を恐れたりはしません
(来るなら来いよwwwボコボコにしてやんよwwww)」

という挑発的なものであった。
当然、朱元璋は激怒したが、あの強大なモンゴル帝国を返り討ちにするほどの日本に、
自分が攻め込んでも勝算は無いと考え、泣く泣く矛を収めるしかなかった。

明史・卷三百二十二列傳第二百十外國三
「帝得表慍甚、終鑒蒙古之轍、不加兵也。」


99 :世界@名無史さん:2010/03/30(火) 20:04:34 0
【中韓歴史】 「明の太祖、朱元璋は高麗人?」〜中国の環球時報、韓国の歴史番組を紹介[03/26]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1269780749/l50


100 :世界@名無史さん:2010/03/30(火) 22:23:35 0
>>98
朱元璋の頃は日本は分裂していたから、さぞかし大した勢力ではない
だろうと思って調べたが、予想通り。朱元璋が脅迫した相手は懐良親王。
九州の一部しか支配していなかった地方勢力。朱元璋は功臣を粛清し
過ぎ、懐良親王程度の相手を征伐できる将軍さえいなかった。

当時日本は分裂状態で、本気で日本征伐をしようとしたら、日本を工作に
かければいくらでも朱元璋に味方しそうな勢力はあったが、そこまで頭が
回らなかったのだろう。

101 :世界@名無史さん:2010/03/31(水) 00:36:30 0
いくら分裂状態でも異人の味方になって云々なんてことするわけないだろ

102 :世界@名無史さん:2010/03/31(水) 08:54:51 0
>>101
いやいくらでもあるから、そういう例は
言葉すら通じなかったコルテスにすら内応者が出る程だ

103 :世界@名無史さん:2010/03/31(水) 10:22:34 0
でも結局、懐良親王は明に臣下として朝貢したわけなんだが。

104 :世界@名無史さん:2010/03/31(水) 12:21:24 0
>>103
いや、朱元璋が日本に対する武力侵攻を考えたのはその後の話。
結局、、日本と戦ったら勝てないというのが朱元璋の結論。

105 :世界@名無史さん:2010/03/31(水) 12:34:15 0
>102

コルテスとかそんなの比較対象にならないから、日本の武士の独特の思想と言うか
独特な封建制の性質を考慮してもらわないと

106 :世界@名無史さん:2010/03/31(水) 12:42:23 0
>>105
日本の封建制は褒美が出るなら働くよ、というか
儒学で言うところの君不君臣不臣の君側への要求がかなりデカイものだから
報酬さえ出るなら外国勢のためにも働くよ

107 :世界@名無史さん:2010/03/31(水) 12:58:51 0
もしそうなら幕末日本は明治維新どころかあっという間に列強の植民地にされてたんだが

108 :世界@名無史さん:2010/03/31(水) 12:59:29 0
>>71
鎌倉幕府の情報能力の高さは凄いよ。
モンゴルがどういう国かも熟知していたし、元軍の配備状況や日本侵攻の時期についても掌握していた。
だから、的確な判断で2度にわたり元軍に圧勝できたわけで。

109 :世界@名無史さん:2010/03/31(水) 13:41:22 0
第2次の日本遠征で元は宋から接収した海軍力をほとんど失ったため、
海防の弛緩を招来し、元王朝の命取りの一因にもなった
14世紀の初頭から、広州、泉州、慶元の
市舶司の置廃が幾度となく繰り返されたのは、
沿海地域の防衛問題が深刻になりつつある証拠である
元朝は日本商船の武装化および日本の復讐を恐れて初期の中日貿易奨励方針から、
しだいに消極的な閉関主義への軌道修正を余儀なくされる

中国の歴史12 第5章 王勇

110 :世界@名無史さん:2010/03/31(水) 15:07:58 0
日本の場合、古代のうちに列島(本州・四国・九州)を一つの天下と考える世界観ができあがり、
なんだかんだでまとまってたからな。

幕末の人間から見れば、西洋人=異星人くらいの感覚だし。
日本=地球、米=バルタン星人、英=メフィラス星人、仏=ザラブ星人、
露=ヤプール人、清=M78星雲人みたいなもんだろ。

111 :世界@名無史さん:2010/03/31(水) 16:44:37 0
>>107
江戸時代は管理統制強化の一環として君主絶対・異国要素排除の朱子学を奨励したからね
それが幕末の尊皇攘夷の思想の根底を形作り、国難に際して売国奴を一人も出さないという奇跡を生んだけど、
室町初期は朱子学かぶれの後醍醐天皇や楠正成がいた一方で、
権威軽視の婆沙羅大名や異国の権威に取り入った懐良親王もいたから同列には語れないかと

112 :世界@名無史さん:2010/03/31(水) 17:23:52 0
藤原惺窩みたいのは、どこの国にもいるだろうが、
兄の国だの弟の国だのに異常に拘る輩が多いのは、やはり半島だろうな

113 :世界@名無史さん:2010/04/01(木) 01:16:39 0
藤原惺窩が一番多いのはドイツ。
これマメな。
国歌や国旗を使用しただけでネオナチ扱い

114 :世界@名無史さん:2010/04/01(木) 04:35:29 0
南北朝の戦いのgdgdっぷりと当時の武将のご都合主義極まりない行動
(足利尊氏からして、観応の擾乱で一時期北朝を見捨てた)を考えれば、
外国に内通する連中が出てきてもおかしくなかった状況ではあるだろうな。

115 :世界@名無史さん:2010/04/01(木) 05:05:50 0
まじめな話そういうことが起きないように
時宗が早々に政敵狩りしてたよね

116 :世界@名無史さん:2010/04/01(木) 09:16:30 0
蒙古軍なんて言うけどさぁー実際に戦ってたのは高麗兵と南宋兵が殆どじゃんww
ようするに蒙古軍に負けた連中に勝っただけの話

117 :世界@名無史さん:2010/04/01(木) 16:27:06 0
二重の意味でダウト

1、蒙古軍はもともとそういう混成部隊で各国を侵略してきており、対日本戦だけのことではない。

2、文永の役でいえば高麗軍は1万5千ほどでしかないし、弘安の役にせよ緒戦で直接本州へ上陸を試みた東路軍には南宋兵は含まれてない


118 :世界@名無史さん:2010/04/01(木) 16:29:07 0
>>117の訂正
文永の役での高麗軍は1万だった

119 :世界@名無史さん:2010/04/01(木) 16:33:10 0
おっともう一回訂正
文永の役の高麗軍は8000だけだったw
弘安の役、東路軍の高麗軍が1万

120 :世界@名無史さん:2010/04/01(木) 19:47:42 0
>>116
1287年、ナヤン・カダアンの乱でモンゴル人主体の反乱軍は、モンゴル騎兵、漢人、高麗人の混成軍に大敗してるんだが

つまり三重の意味でダウトってことだな

121 :世界@名無史さん:2010/04/01(木) 20:15:57 0
ジャワ島軍は劣悪な装備で
モンゴル軍に勝利してるから
ジャワ原住民最強で良いよ

122 :世界@名無史さん:2010/04/01(木) 20:50:42 0
>>116みたいなのを見るとマジで世界史板のレベルって低いと思う。

123 :世界@名無史さん:2010/04/01(木) 22:20:03 0
>>116のせいで世界史板自体のレベルが低いと思われ始めた。

124 :世界@名無史さん:2010/04/02(金) 01:22:47 0
俺さ、原付好きで、あっちこっちにツー行くけど
蒙古馬って、原付以下の性能しかない訳だろ?

荒地を原付で、世界の端から端まで走るようなもんジャン。
マジで尊敬するわ。隣町まで行ったら、満足して帰還する俺には無理

125 :世界@名無史さん:2010/04/02(金) 02:35:01 0
>>124
平原の蒙古馬は知らんけど
少なくとも日本の馬に関して言えば高低差をものともしない踏破性があったので
中世では原付以上に便利



126 :世界@名無史さん:2010/04/02(金) 07:39:05 0
原付は路面でなければ蒙古馬以下だと想像がつかないのかな?

127 :世界@名無史さん:2010/04/02(金) 15:28:16 0
藤井の城郭研究の師である故鳥羽正雄博士の家に、
藤井は子どものころからよく遊びに行っていた。
そこで鳥羽博士から聞いた話がある。
鳥羽博士が、地方の山城の調査を頼まれて現地に行ったところ、
小型馬が用意されており、山の上へ馬で登って調査した、
と言うのである。
昭和30年代までは、山に登る道具として馬が認識されていたのである。

戦国時代の馬も同じだった。貴人は馬で山を登ったのだ。
山城は馬の存在があって始めて築城と運用が可能だったのである。
ttp://www.sengokushi.com/gote/b00200.html

128 :世界@名無史さん:2010/04/06(火) 07:07:21 0
よし

129 :世界@名無史さん:2010/04/09(金) 22:47:03 0
蒙古馬はポニーサイズ

130 :世界@名無史さん:2010/04/10(土) 04:48:10 0
s


131 :世界@名無史さん:2010/04/10(土) 04:49:09 0
>>129
ミニチュアじゃないポニーは乗馬戦闘に耐えれますが何か
むしろ、足が華奢なサラブレットの方が向いてない

132 :世界@名無史さん:2010/04/10(土) 07:55:30 0
日本在来馬もポニー

133 :世界@名無史さん:2010/04/10(土) 10:53:11 0
ていうか日本馬は蒙古馬の子孫説が濃厚だし

134 :世界@名無史さん:2010/04/10(土) 11:54:56 0
子孫じゃなかったらどこから湧いて出たんだよww

135 :世界@名無史さん:2010/04/10(土) 15:31:14 0
>>129
ポニーってのは「馬」のこと。Horseと同義。

宣教師が「(欧米に比べて)小柄な馬」と書いたのを後世の人が「ミニチュアポニー」と誤解しただけ。


136 :世界@名無史さん:2010/04/10(土) 20:27:38 0
日本の馬はポニーサイズだからというのもあんまりな言い方で、こんな言い方だと一見150kg程度のポニーを連想させるが
鎌倉末期に戦で埋葬された軍馬128体は平均体高130cm、300〜400kgはあり一般的な西洋軍馬より小さいとはいえ、
突撃騎兵で有名なスエーデンの軍馬(装備目録によると騎兵用馬は体高113〜133cm)より体格はいい。

137 :世界@名無史さん:2010/04/11(日) 18:26:03 0
武士厨がポニーに乗ってトコトコと逃亡し始めたようです

138 :世界@名無史さん:2010/04/12(月) 10:18:24 0
中世の「走れる軍馬」は世界中でみんなポニーサイズだったのを知らない子がいるな

139 :世界@名無史さん:2010/04/12(月) 22:28:15 O
鎌倉武士からしたら、モンゴルの馬はおろか
スゥェーデンの馬もネズミみたいなもんだな

サイズはともかく、ガタイは象みたいなポニーもいるけどな

140 :世界@名無史さん:2010/04/13(火) 14:33:38 0
橋頭保も維持できず、攻撃目標である大宰府の制圧どころか
前線の水城にすら全く届かず、
ただの先駆けレベルの武士団にいいようにすり潰され遁走した元・高麗軍

141 :世界@名無史さん:2010/04/15(木) 03:25:07 0

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_02.html
住吉鳥居を通り過ぎて赤坂に向かう途中の小松が原で季長は菊池二郎武房の一行と出会う。
総勢百余騎。
武房はすでに敵と戦い、たくさんの首をぶら下げて引き上げてくる途中であった。 (てのものふんどりあまたなり)
それを見た季長はいっそう奮い立ち蒙古軍に向かって駆け出すのであった。

菊池武房に破れた敵の本隊は,麁原へ退却した。
別の一隊は別府の塚原へと退却。
塚原から鳥飼の干潟へ進み本隊と合流せんとする蒙古軍を討ち取ろうとした季長は馬が干潟に脚を取られ逃がしてしまった。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/kotoba_03.html
敵軍は麁原に陣を構えて鐘を打ち鳴らしてひしめきあっていた。
季長の合戦は、麁原から鳥飼潟の塩屋の松原が舞台となった。
旗指が馬を射られて跳ね落とされたがそのままおきあがって走り出す。
季長以下3名も馬を失い痛手も被り、あわや一巻の終わりかとみえたところに、
肥前国御家人白石六郎通泰が後方より援軍を率いて攻め立てる。
たまらず敵は退却を始めた。
武士団に馬上から次々と矢を射かけられ逃げ惑う蒙古軍。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_03.html
敵を追って攻め入る三井三郎資長と退却する蒙古軍。

※蒙古襲来絵詞…竹崎季長が、元寇時の御恩奉行であった安達泰盛への鎮魂と報謝のために作った絵詞。
恩賞貰うために作ったなどというウソを信じ込まされている人もいるかもしれんが、
 この絵詞が作られた時にはとっくに恩賞は貰い終わっている。

142 :世界@名無史さん:2010/04/15(木) 10:22:47 0
元寇は情報戦の勝利という側面が大きい。
鎌倉幕府は牒状が来る前から蒙古に強い警戒感を持ち、何時攻撃されても大丈夫なような
防衛体制を築いていた。
朝鮮半島への元軍の配備状況や日本侵攻の時期も鎌倉幕府は把握していたし。
反面、日本の内部情報が蒙古に漏れることは最小限に抑えてるんだよね。
この点で、鎌倉幕府はフビライより一枚も二枚も上手だった。

143 :世界@名無史さん:2010/04/15(木) 16:50:47 0
政治面でもよかったよね
裏切りそうなフラフラしたのを片っ端から失脚させてった手腕も見事
なみの20代の若造にできる仕事じゃないよ

144 :世界@名無史さん:2010/04/15(木) 17:53:56 O
鎌倉

145 :世界@名無史さん:2010/04/20(火) 20:36:26 0
>>136
グスタフ・アドルフのスウェーデン騎兵は実際はマスケット銃兵との複合ユニット。
マスケット兵の部隊が左右からまず一斉射撃し、敵騎兵が鉛弾を浴びて撹乱されたところで
騎兵が突撃して勝っていた。
三十年戦争に参戦する以前のトシチャノの戦いではグスタフ・アドルフが騎兵軍を率いて
ドイツ人やポーランド人の騎兵と戦ったが、まだそういう戦術が未完成だったのか
ボコボコに負けている。

146 :世界@名無史さん:2010/04/21(水) 15:06:37 0
日本の場合は戦国期ならば
鉄砲との連携ありだし
平安鎌倉ならば騎射から始まって間合いが詰まってからの馬上打ち物だから

147 :世界@名無史さん:2010/04/21(水) 18:14:42 0
平安鎌倉なら矢を射尽くしてから馬上打物では?

148 :世界@名無史さん:2010/04/21(水) 20:53:47 0
>>146
もしかして>>145へのレス?

149 :世界@名無史さん:2010/04/22(木) 10:13:18 0
そんなことより盾突戦やろうぜ!

150 :世界@名無史さん:2010/04/22(木) 16:08:12 0
ラジコン使って犬追物がいいよ

151 :世界@名無史さん:2010/04/23(金) 02:02:43 0
印地打ちが一番金かからなくていいよ

152 :世界@名無史さん:2010/05/04(火) 18:47:46 0
「十月五日、蒙古人著対馬、廿日、着波加多、即退散畢」 金剛仏子叡尊感身学正記
『十月五日、蒙古人が対馬を襲う、二十日、博多を襲う、しかし即座に追い払う』

「六日。飛脚到来。是去月廿日蒙古与武士合戦。賊船一艘取留之。於鹿嶋留抑之。其外皆以追返云々」 帝王編年記
『大宰府より飛脚が到着した。先月二十日の蒙古軍と武士との戦いの報告書が届く。
逃げ遅れた元の船を一隻捕まえたそうだ。残りの蒙古軍は追い払ったそうだ』

153 :世界@名無史さん:2010/05/12(水) 22:14:54 0
でも玉川大学の先生が日本はメタメタにやられたって言ってるからwww

154 :世界@名無史さん:2010/05/13(木) 01:06:42 0
米国デュピュイ戦略研究所東アジア代表・英国国際戦略研究所会員の松村劭はメタメタにやられたのは元軍の方だって言ってるしwww

155 :世界@名無史さん:2010/05/13(木) 07:31:51 0
チャンネル桜に出るような人でしょ

156 :世界@名無史さん:2010/05/13(木) 11:16:10 0
チャンネル桜ってみたことないけどなんかヤバいのか?

157 :世界@名無史さん:2010/05/13(木) 11:26:41 0
ネトウヨ御用達ですw

158 :世界@名無史さん:2010/05/13(木) 11:44:25 0
ウヨとかサヨとか関係なく軍事的に見れば元寇は日本の勝利だよ。
朝日新聞出身でサヨ御用達の軍事評論家・田岡俊次も元寇は鎌倉武士の実力勝ちと断定してる。

159 :世界@名無史さん:2010/05/13(木) 12:26:51 0
田岡元帥曰く
 「その前には、上陸して戦って「官軍整わず又矢尽く」、そして兵を引いて帰ると、はっきり向こう側の
 記録に出ているのだから、これは台風とか風とかで退散したのではなく、自分でどうもいかんと思って、
 あの当時、危険だった夜間出港までして逃げ出しているということだと思いますよ。」

田岡元帥曰く
 「確かに二回目は台風にやられているけど、あの場合も、六月の末に来て八月の末に台風に遭うわけです。
 二ヵ月も北九州の沿岸を大艦隊が上陸できずにうろうろしていれば台風に遭うのは当たり前の話です。」

田岡元帥曰く
 「あのころのヨーロッパの軍隊なんかと比べても、上陸してきたモンゴル軍に一瞬で撃破されなかった
 だけでも鎌倉武士たちは相当強かったと思うんです。」

田岡元帥曰く
 「威力偵察にしては兵力が多過ぎます。文永のときの三万というのは、当時対日戦に動員できるほとんど
 全兵力ですから、そんな威力偵察は有り得ない。」

田岡元帥曰く
 「文永、弘安の戦は、日本にとって、どこに出したって恥ずかしくない戦です。あれほど純粋専守防衛の
 戦はない。百%自衛権発揮の戦争であって、日本史上唯一あれだけですよ。何もしなくても、こっちが
 攻められたのは。」

田岡元帥曰く
 「時宗と、それから鎌倉武士を再評価するべきですね。」

(歴史読本 2001年6月号)

160 :世界@名無史さん:2010/05/13(木) 13:00:11 0
>日本史上唯一あれだけですよ。何もしなくても、こっちが
攻められたのは。

刀伊の入寇は?

161 :世界@名無史さん:2010/05/13(木) 15:59:08 0
560 :コリアンエンカウンター(元寇前)@ [sage] :2009/02/12(木) 12:34:51

○弘仁四年(813年)、新羅の賊1100人が平戸に来寇し、日本人9人を殺して100人余りを連れ去った。
○871年5月、新羅の船2隻が日本の博多湾に侵入し米などを略奪する。
○貞観十一年(871年)5月22日夜、新羅の船2隻が博多湾に侵入し、豊前国の年貢を奪って逃走した。
○貞観十五年(873年) 朝廷は、出雲、石見、隠岐等国に命令を下して、新羅の賊行為に備え、警戒を固くさせる。
新羅の賊船、日本海に展開する。
○元慶四年 (880年) 但馬国に新羅の不審船が出没し、但馬、因幡、伯耆、出雲、隠岐国等に、改めて厳戒令が敷かれる。
○894年、新羅いよいよ経済困窮。国王が、日本に行って穀物を奪ってくるように命令。それを受けて、6月2500人が45隻の船で対馬を襲う。
しかし対馬側との戦闘で302人の戦死者を出して引き揚げる。
○寛平六年(894年)6月、新羅から賊2500人が45隻の船で対馬に来襲し、文室善友らが士卒100人を率いて防戦にあたった。
のみならず、これに加えて島分寺の僧・面均など島民も戦闘に参加した。合戦には、賊302を射殺して勝利した。
捕虜を問いただすと、新羅の国王の命を受けたとのこと。
○延喜六年 (906年) 隠岐に新羅船が出没したが、台風により沈没。
○天慶五年 (943年) 隠岐に新羅の賊船7隻が漂着。賊か難民かは不明。

162 :世界@名無史さん:2010/05/13(木) 16:02:10 0
561 :コリアンエンカウンター(元寇前)A [age] :2009/02/12(木) 12:39:46

○998年、高麗の賊が壱岐対馬を侵略し、肥前にまで迫った。
○長徳三年(998年)高麗の賊が壱岐対馬を侵して肥前に迫り、奄美島民が筑前筑後薩摩壱岐対馬に攻め寄せた。
○999年2月、高麗の賊が大宰府から討伐される
○長徳四年(999年)2月、高麗の賊を大宰府が討伐する。9月南蛮の賊を大宰府が討伐する。
○1014年、高麗の賊が九州に攻め寄せ大宰府に討たれる。
○長和三年(1014年)高麗の賊が攻め寄せ、大宰府が討伐する。
○寛仁三年(1019年)、50余隻の船団が来襲し、壱岐、対馬、筑前糸島、志摩・早良諸郡を荒らし物資を奪い家屋を焼き払い、老人子供は殺して丈夫な者だけを拉致。ついに博多に迫る。
日本側は、大宰権使藤原隆家・大蔵種材や在地の豪族らが応戦撃退。逃げる敵を追って船三十艘で追撃。ついに追い払った。
十数日間に渡る戦闘だった。刀伊の入寇
○承徳元年(1097年)、異賊船100隻が松浦・筑前に攻め寄せる。大宰府官兵・九州軍士大いに守り、賊船を撃破し賊徒数万を海没させた。
元寇に至る外国からの侵略の中でも最大規模のもの。この時は民衆からも兵を募ったと考えられる。

朝鮮人は元の力を利用して長年の夢である日本侵略を実現しようとした。

163 :世界@名無史さん:2010/05/13(木) 19:36:20 0
ネトウヨいびりは面白いわw

164 :世界@名無史さん:2010/05/13(木) 21:15:30 0
>>161-162
GJ!!
平安時代の日本って本当に弱かったんだね。軍事を蔑ろにすると、
このように海外から侵略に晒される典型だね。是非教科書に載せ
たいデータだが、空想的平和主義を崩壊させる効果があるから
意地でも載せないのだろうな(刀伊の入寇を除く)。

165 :世界@名無史さん:2010/05/13(木) 22:04:25 0
弱いっていうか「日本」すらもまともに抑えてるのは狭い範囲だったわけで

166 :世界@名無史さん:2010/05/14(金) 11:00:03 0
>>164
>平安時代の日本って本当に弱かった
蝦夷平定が済んだ途端、常備軍である律令軍解体したんだから弱い以前の問題だろ
ただ、この軍事的空白を埋めようって流れが武士の成立の一因にもなったから、
歴史は一筋縄ではいかないな

167 :世界@名無史さん:2010/05/14(金) 14:10:57 0
金剛仏子叡尊感身学正記
「十月五日、蒙古人著対馬、廿日、着波加多(博多)、即退散畢」

168 :世界@名無史さん:2010/05/14(金) 22:37:29 0
>>154
この人いすんしんべた褒めしてたね

169 :世界@名無史さん:2010/05/15(土) 00:22:42 0
>>168
まあ補給線攻めるのは至極真っ当だし
最期が討ち死になのがいただけないし、ちょっと社会不適合者っぽくはみえるけど
しっかりとした戦略眼とそれを実現する戦術を持ってたことは評価できるっしょ

170 :世界@名無史さん:2010/05/15(土) 04:11:58 0
いろんな人がいろんなことを言ってるんだよね。
どの人も100パーセント正しいとは言えない。
最終的には自分で史料確認して取捨選択するしかない。

171 :pi:2010/05/15(土) 10:14:20 0
>>166
なら大明国賊として常備軍を1万人以下に抑えた李氏朝鮮だって
20万からの日本軍に蹂躙されたのも弱い以前の問題だな。

172 :世界@名無史さん:2010/05/15(土) 12:20:52 0
ここは鎌倉蒙古スレなんで時代違い野郎はお引取り願いたい

173 :世界@名無史さん:2010/05/15(土) 16:25:20 0
>>171
そりゃそうだ。唐入りでの日本軍の敵は明であって、明の手下ごときなんぞ端から眼中外

174 :世界@名無史さん:2010/05/16(日) 03:57:59 0
>>171
まあ朝鮮はいつまでたっても日本での武士に当たるような
戦争エリートは出てこなかったがな

175 :世界@名無史さん:2010/05/16(日) 09:47:05 0
>>174
つ サウラビww

176 :世界@名無史さん:2010/05/16(日) 13:13:31 0
サウラビ=サウル+アビ

結局現代語をフランケンの怪物がごとくつぎはぎした偽物をでっちあげなきゃならないほど戦士階級の存在した事実が無いわけだな


177 :世界@名無史さん:2010/05/16(日) 17:03:53 0
当時の高麗は崔氏を中心とした戦争エリートが実権握ってた半島としては例外的な時代。
常備軍は4万人。
でも、万に満たないモンゴル軍に全く通用しなかった。

178 :世界@名無史さん:2010/05/17(月) 22:55:21 0
やったー。
規制から解放された。
南宋は100万を超える兵力があったけど
もっと少ないモンゴル軍に敗れた。
まあ、モンゴル軍も南宋を背後から
襲うために大理国を占領したけどな。
それぐらい、狩猟騎兵は強いだろ

179 :世界@名無史さん:2010/05/18(火) 09:45:03 0
モンゴル帝国が南宋征服した時、純モンゴル軍はアジュ率いる2000騎以下の提戦部隊だけ。
大多数は南宋から寝返った連中。
長江など大河による南宋の防衛システムは、裏切り者続出で水軍戦力の天秤がモンゴル軍優位に傾いた途端、
南宋征服のハイウェイになっちゃった。

180 :世界@名無史さん:2010/05/20(木) 15:33:21 0
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_02.html
住吉鳥居を通り過ぎて赤坂に向かう途中の小松が原で季長は菊池二郎武房の一行と出会う。
総勢百余騎。
武房はすでに敵と戦い、たくさんの首をぶら下げて引き上げてくる途中であった。 (てのものふんどりあまたなり)
それを見た季長はいっそう奮い立ち蒙古軍に向かって駆け出すのであった。

菊池武房に破れた敵の本隊は,麁原へ退却した。
別の一隊は別府の塚原へと退却。
塚原から鳥飼の干潟へ進み本隊と合流せんとする蒙古軍を討ち取ろうとした季長は馬が干潟に脚を取られ逃がしてしまった。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/kotoba_03.html
敵軍は麁原に陣を構えて鐘を打ち鳴らしてひしめきあっていた。
季長の合戦は、麁原から鳥飼潟の塩屋の松原が舞台となった。
旗指が馬を射られて跳ね落とされたがそのままおきあがって走り出す。
季長以下3名も馬を失い痛手も被り、あわや一巻の終わりかとみえたところに、
肥前国御家人白石六郎通泰が後方より援軍を率いて攻め立てる。
たまらず敵は退却を始めた。
武士団に馬上から次々と矢を射かけられ逃げ惑う蒙古軍。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_03.html
敵を追って攻め入る三井三郎資長と退却する蒙古軍。

※蒙古襲来絵詞…竹崎季長が、元寇時の御恩奉行であった安達泰盛への鎮魂と報謝のために作った絵詞。
恩賞貰うために作ったなどというウソを信じ込まされている人もいるかもしれんが、
 この絵詞が作られた時にはとっくに恩賞は貰い終わっている。


181 :世界@名無史さん:2010/05/22(土) 10:37:06 0
江南軍が日本に現れて、すぐ台風だろ?ラッキーだったな。江南軍は10万以上いたからな。

182 :世界@名無史さん:2010/05/22(土) 12:18:11 0
>>181
すぐ台風じゃないよ。
江南軍も6月中には日本に現れてる。

勘仲記
「六月甘四日、戊子、自宰府飛脚到来、宋朝船三百余隻着対馬嶋云々」

元史相威傅も七昼夜の航海で日本に到着したと書いてるし。
江南軍10万は台風の1ヶ月以上前に到着しておきながら、日本軍に上陸阻まれ続けていたわけで、
ラッキーなんかじゃなく明らかに日本の実力勝ち。

183 :世界@名無史さん:2010/05/22(土) 20:13:41 0
>>181
こういうこと書くヤツに限って全体の流れをろくにわかってないんだよな。

184 :世界@名無史さん:2010/05/23(日) 01:13:58 0
>>182
三百余隻では少なすぎでは?先遣部隊とかじゃないの、それ。

185 :世界@名無史さん:2010/05/23(日) 02:49:10 0
3500隻が同時に現れるわけないだろ
どのみち数日以内にはそろうんだし負けた言い訳にはならん

186 :世界@名無史さん:2010/05/23(日) 23:07:40 0
武士が外国と戦争して敗北した戦争ってある?

187 :世界@名無史さん:2010/05/24(月) 03:37:14 0
武家政権でってことか?

局所的なもんではあるが下関戦争とかそうだな
ただこれ戦闘では完敗だったわりには
戦後の交渉が強気で通したおかげで外国船の寄港こそ許したものの
後は賠償金以外何も渡さなかったということで
敗戦後の交渉の手本みたいな感じになってる

188 :世界@名無史さん:2010/05/24(月) 04:40:34 0
>>186
つ 戦略的に何の益ももたらさなかった朝鮮出兵

189 :世界@名無史さん:2010/05/24(月) 05:52:56 0
>>188
トラファルガーの海戦は、ネルソンが死亡したからイギリスの負けと言いたいのですね
わかります

190 :世界@名無史さん:2010/05/24(月) 07:51:52 0
元寇での武士圧勝の事実は曲げられそうにないのでスレ違いの話で
ごまかそうとしているのね

191 :世界@名無史さん:2010/05/24(月) 09:33:37 0
189はたぶんただの馬鹿

192 :世界@名無史さん:2010/05/24(月) 10:06:02 0
そして>>188はただのカス

193 :世界@名無史さん:2010/05/24(月) 10:14:58 0
朝鮮出兵は、豊臣秀吉の死という偶発的事件により日本軍が自主撤退しただけ。
慶長の役の戦略目標は、日本軍側から見れば、文禄の役の講和条件を明に飲ませる事
明国から見れば、力ずくで日本軍を朝鮮からたたき出すことにある。しかし、明軍は
この戦略目標を遂げるために全軍を挙げて日本軍に決戦を仕掛けるが泗川の戦い
第二次蔚山城の戦い、順天城の戦いで大敗を喫し戦略目標を達す術をなくしている。
日本軍も豊臣秀吉の死という偶発的事件により、戦略目標を放棄したわけだから、
この戦いで戦略的勝利を収めているものはいないことになる。客観的に見ればドロー。

194 :世界@名無史さん:2010/05/24(月) 11:37:00 0
わすれてないか?
>>181が最大の馬鹿であることを

195 :世界@名無史さん:2010/05/24(月) 14:19:11 0
朝鮮出兵に関しては、明国征服という(いささか誇大妄想的ではあるが)戦力目標があった。
その最終目標に対する足がかりも残せないままに撤退した以上、戦闘での勝ち負けをドローと
したところで、戦争としては失敗であると断じざるを得ないと思う。

196 :世界@名無史さん:2010/05/24(月) 14:20:34 0
戦力目標があった
 ↓
戦略目標があった

197 :世界@名無史さん:2010/05/24(月) 23:54:46 0
誇大妄想とは言えなくないか。朝鮮出兵により明国が財政破綻に追い込まれている以上
無理があったとは言えないと思う。
問題は秀吉が自分の死後も作戦を実行し得る体制
を創らずに実行に移し、死去したこと。本来なら、中国大陸のような広大な領土は何十年も
かけて攻略すべき対象であることは、朝鮮出兵より3百年以上も前のモンゴル軍が
数十年かけて中国大陸を征服したことでもわかるはずなんだが、その点を考えると杜撰すぎる。
まあ、でも征服したところで異民族の統治経験のほとんどない日本人にうまく治めれたかは
疑問だけど。

198 :世界@名無史さん:2010/05/25(火) 00:27:54 0
スレ違いになってきたので
以下この話題は自粛

199 :世界@名無史さん:2010/05/25(火) 02:38:13 0
>>195>>197
スレ違いだが
目的は領土侵略じゃないよ

日明貿易復古と西欧への示威行為だから半分失敗半分成功
つうか専スレあるからそっちいけ

>>181
ちなみにほとんどの江南軍は嵐の後生き延びてるけどね
ま、逃げ場をなくした残党に過ぎなくなってたので
武士に圧殺されたけど



200 :世界@名無史さん:2010/05/25(火) 17:23:39 0
つうか10万もいたのに
上陸阻止されて台風とか
武士の防御鉄壁すぎだろ

武士どんだけ張り切ってるねんw

201 :世界@名無史さん:2010/05/25(火) 22:15:40 0
ネットの影響で西欧派も中国派も絶滅しつつあるな
ここ1、2年は特に顕著だ
ネットは資料とかソースがダダ漏れだ

202 :世界@名無史さん:2010/05/25(火) 22:29:31 0
恥ずかしい話だがネットやるまで蒙古襲来絵詞の全容を見たことがなかったよ。
今じゃ反日史観の解説本を読むくらいなら時間をかけてでも一次文献を探したほうがいい
と思って図書館通いしてます。

>ここ1、2年は特に顕著だ
>ネットは資料とかソースがダダ漏れだ

元寇もそうだけど、まともに議論できる場から鈴木眞哉信者が激減したね。

203 :世界@名無史さん:2010/05/26(水) 00:00:53 0
蒙古襲来絵詞の扱いは、笑っちゃうほど酷いよね。
昔、学研の歴史群像シリーズ「北条時宗」に、蒙古襲来絵詞の白石六郎率いる百余騎が突撃する場面が
載ってたんだけど、付いてる解説が「元軍の集団戦法に日本軍は、戸惑うばかりであった。」。
日本軍も思いっきり集団戦法で戦ってるし、どう見ても押せ押せじゃん・・・
もしかしてギャグでやってるのかって悩んだよ。

204 :世界@名無史さん:2010/05/26(水) 00:36:34 0
>>203
蒙古襲来絵詞は日本側が描いた
武士を美化して描いているからな。

中立では無いし、歴史的にはあんまり参考にならんのよ。

実際に武士や欧州の騎士がモンゴル軍に一騎打ちを
望んで、集団戦でやられたっていうのは事実だし。


205 :世界@名無史さん:2010/05/26(水) 00:59:21 0
>>204
武士がモンゴル軍に一騎打ちを望んで、集団戦でやられたなんて事実はないよ。
モンゴル軍が武士の集団戦法にやられたというのが事実。

武士の戦術を調べようと思ったら、一番参考になるのは武士が残した蒙古襲来絵詞。
こんなの常識レベルの話だから。
例えば、自衛隊の戦術を調べようと思ったら、自衛隊員に聞くのが一番だろ。
蒙古襲来絵詞の信頼性は海外の研究者も認めてるし。

206 :世界@名無史さん:2010/05/26(水) 01:04:08 0
2度とも元が負けたから美化じゃないんじゃね
元が勝ってたら美化になるかもしれないけど
これ書かせた人は褒美の為に、これだけ苦労して追い払ったって見せたいわけで

逆に勝った日本が負けてるところしか書かないなんてありえないし
現在負けてるような描写だけが教科書に載るってのも意図ありあり

207 :世界@名無史さん:2010/05/26(水) 01:15:03 0
>>206
褒美のために蒙古襲来絵詞書かせたってのはデマだよ。
蒙古襲来絵詞が書かれたのは、作者の竹崎季長が恩賞貰ったずっと後。

208 :世界@名無史さん:2010/05/26(水) 01:37:17 0
戦後教育の賜物みたいな奴だな204。

209 :世界@名無史さん:2010/05/26(水) 03:13:17 0
既出だけどやはりこれは定期的に貼らんといかんね

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_02.html
住吉鳥居を通り過ぎて赤坂に向かう途中の小松が原で季長は菊池二郎武房の一行と出会う。
総勢百余騎。
武房はすでに敵と戦い、たくさんの首をぶら下げて引き上げてくる途中であった。 (てのものふんどりあまたなり)
それを見た季長はいっそう奮い立ち蒙古軍に向かって駆け出すのであった。

菊池武房に破れた敵の本隊は,麁原へ退却した。
別の一隊は別府の塚原へと退却。
塚原から鳥飼の干潟へ進み本隊と合流せんとする蒙古軍を討ち取ろうとした季長は馬が干潟に脚を取られ逃がしてしまった。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/kotoba_03.html
敵軍は麁原に陣を構えて鐘を打ち鳴らしてひしめきあっていた。
季長の合戦は、麁原から鳥飼潟の塩屋の松原が舞台となった。
旗指が馬を射られて跳ね落とされたがそのままおきあがって走り出す。
季長以下3名も馬を失い痛手も被り、あわや一巻の終わりかとみえたところに、
肥前国御家人白石六郎通泰が後方より援軍を率いて攻め立てる。
たまらず敵は退却を始めた。
武士団に馬上から次々と矢を射かけられ逃げ惑う蒙古軍。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_03.html
敵を追って攻め入る三井三郎資長と退却する蒙古軍。

※蒙古襲来絵詞…竹崎季長が、元寇時の御恩奉行であった安達泰盛への鎮魂と報謝のために作った絵詞。
恩賞貰うために作ったなどというウソを信じ込まされている人もいるかもしれんが、
 この絵詞が作られた時にはとっくに恩賞は貰い終わっている。

210 :世界@名無史さん:2010/05/26(水) 03:46:54 0
おお、かなりいままでおそわってきたものとはちがうなあ。
タメになるスレだ。

211 :世界@名無史さん:2010/05/26(水) 11:29:12 0
>>207
そもそも蒙古襲来絵詞を見れば
注文主の季長が馬射られてたり脛当てかぶって戦ってたりで
全然かっこよく描かれてないんだから
これは季長の武功を誇るための物ではないってスグ分かりそうなもんだけどな

212 :世界@名無史さん:2010/05/26(水) 14:36:11 0
それが反日フィルターです

213 :世界@名無史さん:2010/05/26(水) 16:41:33 0
ジャパニーズケンキョだろ

214 :世界@名無史さん:2010/05/26(水) 22:45:28 0
>>211
季長はできた人だよな


215 :世界@名無史さん:2010/05/26(水) 22:49:24 0
季長が自分の手柄を吹聴するため、とか言ってる人は中身を見てないのが明らかだね。

216 :世界@名無史さん:2010/05/27(木) 03:11:48 0
そもそも反日史観自虐史観の連中が
蒙古襲来絵詞つかうときって必ず季長さんが突出しすぎてあわややられる寸前の例の場面
使ってるじゃんw

そのシーン使っておいて美化してるので信憑性が無いとか
発言が完全に矛盾してることに気がつかないのかねー

217 :世界@名無史さん:2010/05/27(木) 15:29:47 0
>>178
狩猟騎兵ってチン4の兵科かよ

218 :世界@名無史さん:2010/05/28(金) 02:25:27 0
これはシャレになんねえな。
「2chみてシンジツをしった!」という、
はずかしいセリフをはかざるをえない。
ちなみにおれは反日とか自虐であってもホントのことなら
バンバンやれっておもう。でもウソはダメだ。

219 :世界@名無史さん:2010/05/30(日) 13:55:06 0
麗しき御賀の儀、いかばかりの事にてか有んずらんと覚えしに、蒙古国とかやより牒状を奉る。
高麗の牒を相副たり。
宰府よりまづ関東へつげて、関東より二月六日牒状をまゐらせたり。
これに依て御賀止めらる。
公私本意なき御事也。
蒙古国もとは契丹の所属、韃靼国也。
年比契丹国已下の近辺の諸国打とる。
大宋国も、三百余州のうち大略皆討とられて、僅に六十余州残れり。
高麗も同せめおとされて、
臣として蒙古の朝につかふる由、牒状にも載たり。
牒使には趙良弼と云ものわたれり。
高麗の使を副たり。
牒状二通あり。
一通は高麗の牒也。
蒙古状は文永三年丙寅九月の状也。
至元三年と載たり。高麗国、同彼年号をうけて至元となせり。
去年八月の状也。
数多の方物を相副て、正月一日大宰府に着たり。
五大帝王物語

220 :世界@名無史さん:2010/05/31(月) 13:59:06 0
>>218
では拡散よろ

221 :世界@名無史さん:2010/06/01(火) 10:07:20 0
今日から時専で北条時宗

222 :世界@名無史さん:2010/06/02(水) 04:43:35 0
竹崎季長が恩賞として海東郷の地頭職を与えられたのは1276年で、『蒙古襲来絵詞』の作成はそれよりも後の1293年頃です。

絵巻の作成された1293年は、霜月騒動で討たれた安達泰盛とその一族の名誉回復が始まった年でした。
文永の役の翌年、恩賞訴願のため鎌倉に赴いた竹崎季長は、恩賞奉行だった安達泰盛によって海東郷の地頭に任じられたのみならず、馬と具足を賜るという破格の好意を受けました。
『蒙古襲来絵詞』は恩義ある安達泰盛とその一族への感謝の気持ちを込めて作成されたのです。

223 :世界@名無史さん:2010/06/04(金) 19:46:39 0
季長が鎌倉に交渉に行ったときのゴリ押し加減に吹いた

224 :世界@名無史さん:2010/06/05(土) 14:52:01 0
高麗史金方慶伝
忽敦曰く
兵法に「小敵の堅は、大敵の檎なり
疲乏の兵を策して
日ごとに滋すの衆に敵するは
完計に非ざるなり
軍を回すに若かず
劉復享、流矢に中る
先に舟に登り、遂に兵を引いて還る。
会々、夜、大いに風雨す

225 :世界@名無史さん:2010/06/09(水) 13:33:54 0
武士が元寇でどのように戦ったかについて、
実際に戦闘に参加した武士自身が監修した「蒙古襲来絵詞」に優る史料は存在しない。
その「蒙古襲来絵詞」の中では、武士は蒙古に名乗ったりせずに集団で戦っているし、
対する蒙古は多くの兵が負傷して敗走している。

つまり、「蒙古襲来絵詞」は「武士の集団戦法に苦戦する蒙古」を描いた絵巻。

戦後の歴史教育は長年に渡り、
集団で戦う武士や敗走する蒙古をカットし、一部分だけを切り抜いて、
「蒙古の集団戦法に苦戦する武士」などというまったく正反対の絵として教科書などに載せていた。
子供に嘘を教え続けていた。

226 :世界@名無史さん:2010/06/10(木) 01:03:34 0
誰が何の目的でそう仕向けたか・・・だな

227 :世界@名無史さん:2010/06/10(木) 05:06:32 0
日本人は明治時代でも戦争になると嬉々として話す
好戦的な国民性をなくすため戦意高揚になりそうなものはGHQがすべてNO
左翼が力を持ち自虐史観が始まった

228 :世界@名無史さん:2010/06/10(木) 09:04:47 0
「心中大義」
倭人、狼勇にして死を恐れず  

229 :世界@名無史さん:2010/06/24(木) 05:25:21 0
元寇って、世界的もそこそこ有名だよね。
ユーラシアを恐怖に陥れていたころのモンゴル帝国と
サムラーイがガチで戦った戦闘。

230 :世界@名無史さん:2010/06/24(木) 06:47:36 0
神風のおかげで運良く勝てたって有名だね

231 :世界@名無史さん:2010/06/24(木) 06:51:56 0
モンゴルに敗れた南宋人と高麗人の寄せ集めだしねw

232 :世界@名無史さん:2010/06/24(木) 07:24:29 0
>>230
日本人ですらそう思ってるからな
KAMIKKAZEの語源としてよく引き合いに出されるし

233 :世界@名無史さん:2010/06/24(木) 08:42:13 O
クビライが日本征服を企んだ最大の理由が日本の黄金に
あったという説は本当ですか?マルコ・ポーロ「東方
見聞録」にその記述があり、後世の研究者も関心を
寄せているようですし、そいだとするとコロンブス
とクビライの動機は「黄金伝説」で共通するので世界
史的に大変興味深いわけですが…。黄金に目が眩んで
クビライは天災で失敗し、コロンブスは思い込みで
失敗したとしたら、あの世でこの二人は馬が合いそう。

234 :世界@名無史さん:2010/06/24(木) 16:02:40 0
>>233
黄金を信じてたとしても、それはあくまで余禄・オマケとしか思ってないだろう
以下、軍事板からの過去スレをコピペ↓



537 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/12/27(土) 09:10:00 ID:???
付け加えておくと、元寇当時の元の侵攻軍には

*防衛側を圧倒するだけの兵力を揚陸する能力
*渡洋侵攻した部隊に海を越えて補給をし続ける能力

がどちらもない。

そして、根本的問題として、そもそも上記の条件を満たせる能力があるのなら、日本に侵攻する
必要性そのものがない。
元が日本を攻撃したのは、元の敵対国である南宋との貿易停止を日本が受け入れなかったから。
南宋は元に圧されつつも貿易で多大な利益を上げていたので、力技で滅ぼす事ができなかった。
その為経済封鎖を仕掛ける必要があり、そのために日本に協力を求めたが無視されたので実力行使の
必要性が出たためで、日本の土地が欲しかった訳でも鎌倉幕府を滅ぼしたかった訳でもない。

日本に日本側を圧倒できるような大兵力で攻め寄せて九州を制圧できるような作戦を実行する財力が
あれば、南宋を経済力で優越できないから滅ぼせない、という最初の原点が消滅する。

元寇は元にとって「経済的政治的失策を軍事的手段で解消しようとして失敗した」というだけの
話で、「戦争は外交の一手段であり外交は経済の一手段である。この優劣を逆の手段で解決する事は
困難である」という原理原則を見事に証明したに過ぎない。

235 :世界@名無史さん:2010/06/24(木) 16:52:14 0
元が話し合いにより世界統一政府の樹立を図ったが
野蛮なJapが刀を振り回し人民を虐殺した

236 :世界@名無史さん:2010/06/24(木) 18:36:08 0
>>230
まあ、なんだ......。
書き込む前に>>1からレスを読むことだ。

237 :世界@名無史さん:2010/06/24(木) 22:12:20 O
>>236
確かに事実は日本の圧勝だけど、
実際問題として日本のほとんどの人間は神風で助かったと思ってるだろ。

238 :世界@名無史さん:2010/06/25(金) 16:20:14 0
戦中は劣勢な軍部が困った時のオカルト頼みをしようとして、
戦後は反日左翼が鎌倉武士の強さを認めたくなくて神風虚飾を築きあげてきたからな

239 :世界@名無史さん:2010/06/25(金) 21:32:31 0
神風をことさら強調する傾向は
鎌倉幕府をディスる南朝史観あたりから始まってんじゃねーの?

240 :世界@名無史さん:2010/06/26(土) 15:03:49 P
>>238
困った時のオカルト頼みじゃなくて士気を維持するための煽り文句だろ

241 :世界@名無史さん:2010/06/26(土) 15:05:54 P
武士でもなんでもないのにサムライジャパンとかいって盛り上げようとするのと同じだ

242 :世界@名無史さん:2010/06/26(土) 18:29:21 O
でも武士を先祖に持ってる人は、自分達が思ってるより相当多いよ。

243 :世界@名無史さん:2010/06/27(日) 05:22:07 0
戦士階級を一割以上も食わせることができる時点で
世界的に見ればとんでもない戦闘民族国家

244 :世界@名無史さん:2010/06/27(日) 14:55:55 0
一割までいってたっけ?武士の動員率は全人口のだいたい3%くらいだと思ってたけど
ちなみに前近代では小麦が主食の西欧や中東では1%でも厳しく、
米が主食の東洋では2〜3%くらい、遊牧民族になって10%動員が可能だとか

245 :世界@名無史さん:2010/06/28(月) 03:09:02 0
時代による

246 :世界@名無史さん:2010/06/28(月) 17:26:23 0
産業革命以降は平常時動員率は失業率と等しくなるらしいね

247 :世界@名無史さん:2010/06/28(月) 18:41:19 O
戦ったのは貧乏でギリギリ生活の次男三男達。

248 :世界@名無史さん:2010/06/29(火) 00:35:06 0
麗しき御賀の儀、いかばかりの事にてか有んずらんと覚えしに、蒙古国とかやより牒状を奉る。
高麗の牒を相副たり。
宰府よりまづ関東へつげて、関東より二月六日牒状をまゐらせたり。
これに依て御賀止めらる。
公私本意なき御事也。
蒙古国もとは契丹の所属、韃靼国也。
年比契丹国已下の近辺の諸国打とる。
大宋国も、三百余州のうち大略皆討とられて、僅に六十余州残れり。
高麗も同せめおとされて、
臣として蒙古の朝につかふる由、牒状にも載たり。
牒使には趙良弼と云ものわたれり。
高麗の使を副たり。
牒状二通あり。
一通は高麗の牒也。
蒙古状は文永三年丙寅九月の状也。
至元三年と載たり。高麗国、同彼年号をうけて至元となせり。
去年八月の状也。
数多の方物を相副て、正月一日大宰府に着たり。
五大帝王物語

249 :世界@名無史さん:2010/07/20(火) 00:49:53 0
>>235
最近はこれ系の扇動がさかんじゃん
NHKでもこんな感じの歴史番組作ってた記憶がある

しかし、まさかとは思うが、俺の尊敬する岡田英弘先生まで、
こんなクソみたいな主張していないだろうな

250 :世界@名無史さん:2010/07/25(日) 12:20:01 0
>元が話し合いにより
騎馬隊の機動力を生かして話し合いwww

251 :世界@名無史さん:2010/07/25(日) 21:06:00 0
>>250
話し合いとは言うものの...... こんな感じ↓

当スレ有志による秀逸な訳文

64 世界@名無史さん 2010/03/28(日) 15:04:38 0
国書の和訳DQN風味
上天眷命 「イケメンからのゴアイサツw」
大蒙古皇帝奉書「大蒙古国の『皇帝』の手紙だぜ!」
日本國王朕惟自古小國之君「やあ小国ニッポンの『国王』(皇帝>国王)ちゃん元気にしてる?」
境土相接尚務講信修睦「俺、おもうんだけど国境を接する国とは仲良くしたほうがよくね?」
況我祖宗受天明命奄有區夏「ましてや俺達モンゴルってば天に世界の頂点約束されてるわけなんよ」
遐方異域畏威懐徳者不可悉數「隣国どころかすげー遠い国でも俺にぺこぺこしてんぞ? 」
朕即位之初以高麗無辜之民久瘁鋒鏑「そういえば高麗もおれが軍事介入して戦争をやめさせてやったわけだが」
即令罷兵還其疆域反其旄倪「くそ役にたたねーガキと爺どもを故郷に帰してやったわけさ」
高麗君臣感戴來朝「そしたらあいつらうれションする勢いでぺこぺこしてきたぞw」
義雖君臣而歡若父子計「まああいつらは俺のパシリだが同時に親子でもあるわけだな」
王之君臣亦已知之「まあお前らもこのことはもう知ってるわな」
高麗朕之東藩也「高麗は俺の犬」
日本密邇高麗「んで日本は高麗のすぐ隣やん」
開國以來亦時通中國至於朕躬而無一乘之使以通和好「なのにオメーなんで俺に挨拶しに来ないわけ?」
尚恐王國知之未審「多分おまえら世の中の変化を知らないだけだよな? 」
故特遣使持書布告朕志「しかたねーから俺から手紙だして教えてやったのよ 」
冀自今以往通問結好以相親睦「今から仲良くしようぜ?な? 」
且聖人以四海爲家「おれみたいなイケメンはさ全世界を俺の家族だと思ってるんだよねスイーツ(笑) 」
不相通好豈一家之理哉「ちなみに親交をむすばないってんなら家族じゃねーからぶちのめすわw」
以至用兵夫孰所好「おれもお前ぶちのめしたくないからよwわかんだろ?言ってることw」
 王其圖之不宣「じゃーな!」



252 :世界@名無史さん:2010/07/25(日) 23:20:15 0
>国境を接する国とは
接してないじゃんwww

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